札幌地方裁判所 平成18年(ワ)2372号 判決 2007年11月13日
本訴原告(反訴被告)
株式会社X
同代表者代表取締役
甲野太郎
同訴訟代理人弁護士
佐々木泉顕
同
沼上剛人
同
村山敬樹
本訴被告(反訴原告)
Y株式会社
同代表者代表取締役
乙山大介
同訴訟代理人弁護士
太田勝久
同
尾崎祐一
同
松下孝広
主文
1 本訴被告(反訴原告)は,本訴原告(反訴被告)に対し,1643万2500円及びこれに対する平成18年11月22日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
2 反訴原告(本訴被告)の請求を棄却する。
3 訴訟費用は,本訴及び反訴を通じて本訴被告(反訴原告)の負担とする。
4 この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
1 本訴請求
本訴被告は,本訴原告に対し,1643万2500円及びこれに対する平成18年11月22日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
2 反訴請求
本訴原告(反訴被告)は,本訴被告(反訴原告)に対し,2556万7500円及びこれに対する平成18年8月10日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は,本訴被告(以下「被告」という。)から温泉の掘削工事等を受注した本訴原告(以下「原告」という。)が,未払の請負残代金を請求(本訴請求)し,被告は原告の工事には瑕疵があるとして請求を拒み,かつ,請負契約を解除した等として,既払金の返還又は債務不履行に基づく損害賠償を請求(反訴請求)した事案である。
1 前提事実
(1) 当事者
ア 原告は,さく井工事の設計,施行,請負及び資材の販売等を行う会社である。
イ 被告は,娯楽遊技場の経営,コンサルティング業務,公衆浴場の経営等を行う会社である。
(2) 請負工事契約の存在
原告と被告は,以下のとおり,原告が温泉の掘削等を請け負う工事請負契約を締結した(なお,以下では,それぞれ「契約ア」,「契約イ」,「契約ウ」,「契約エ」,「契約オ」といい,契約アに基づく工事を「本件工事」という。また,以下に掲げる金額は,消費税(地方消費税を含む。以下同じ。)が発生するものについては,すべて消費税を含んだ金額を記載し,消費税を除いた金額又は消費税額は,別記しない。)。
ア 契約日 平成17年6月23日
工事名 札幌市東苗穂温泉掘削・地下水掘削工事
工事場所 札幌市東区東苗穂3条<番地略>
工期 平成17年6月1日から同年10月15日まで
請負代金 温泉掘削工事分 4200万0000円
地下水掘削工事分 210万0000円
なお,発注者の指示で掘削深度の増加があった場合は,1メートルにつき4万円の割合で上記金額に加算する。
工事内容 温泉掘削井工事一式
イ 契約日 平成17年9月2日
工事名 スパ新札幌店 温泉掘削・地下水掘削工事
工事場所 札幌市厚別区厚別東5条<番地略>
工期 平成17年8月20日から同年12月15日まで
請負代金 温泉掘削工事分 4042万5000円
地下水掘削工事分 210万0000円
なお,発注者の指示で掘削深度の増加があった場合は,1メートルにつき4万円の割合で上記金額に加算する。
ウ 契約日 平成17年10月28日
工事名 スパ苗穂屋外温泉ポンプピット工事
工事場所 札幌市東区東苗穂3条<番地略>
請負代金 189万0000円
エ 契約日 平成17年11月15日
工事名 スパ苗穂温泉井戸盤及び計測機器装置設置
工事場所 札幌市東区東苗穂3条<番地略>
請負代金 252万0000円
オ 契約日 平成17年11月15日
工事名 スパ苗穂温泉井戸揚水装置設置工事
工事場所 札幌市東区東苗穂3条<番地略>
請負代金 147万0000円
(3) 契約の一部の合意解除
原告と被告は,前項の工事のうち,契約イの一部(地下水掘削工事部分)を解除することで合意した。
(4) 代金の支払
ア 被告は,原告に対し,契約ア及びイの代金として,以下のとおり,合計6809万2500円を支払った。
(ア) 平成17年7月9日 1470万0000円
(イ) 平成17年9月29日 1470万0000円
(ウ) 平成17年11月2日 2814万0000円
(エ) 平成18年3月31日ころ 1055万2500円
イ 被告は,原告に対し,平成18年3月31日ころ,契約ウないしオの代金として,588万円を支払った。
(5) 被告は,原告に対し,被告代理人を代理人として,平成18年8月8日付け通告書(同月9日到達)でもって,原告が本件工事で掘削した井戸から湧出した水(以下では,本件工事で掘削した井戸そのものを指す場合は「本件掘削孔」といい,本件掘削孔から湧出する水(以下では,温度及び成分に関係なく,「水」と表記する。)を指す場合には,「本件湧水」という。)は,温度及び成分に問題があり,温泉として欠陥があるとして,契約アを解除するとともに,契約アの債務不履行に基づく損害賠償請求権と未払の請負代金を対当額で相殺し,かつ,相殺後の損害賠償請求権の残額として,2399万2500円を請求する旨の意思表示をした。
2 当事者の主張
(1) 原告
ア 原告は,契約アについては,平成17年8月31日に,契約イ(ただし,前記第2の1の(3)の合意解除部分を除く。)については,平成17年12月8日に,契約ウないしオについては,平成17年12月6日までにそれぞれ工事を完成させ,被告に引き渡した。
イ 被告は,本件湧水は,温度及び成分が不足し,温泉として欠陥があると主張するが,契約アの内容は,いずれも契約に定めた内容で掘削井工事を行うことに尽き,原告が掘削する井戸から湧出する水の温度や成分を保証するものではないから,本件工事には欠陥はない。
なお,本件では,本件掘削孔内の地表から568ないし736メートルに設置されたストレーナー(地中に存在する水が,掘削孔内に流入するように,加工されたパイプをいう。)から水温の低い水が流入したと考えられるが,ストレーナーの設置深度は,被告と協議のうえ又は被告の承認を得て定めたものであり,本件湧水の成分や温度が被告の予定していたものに満たなかったとしても,原告の工事や汲上技術の結果に基づくものではない。
また,温泉法に定める温泉の要件は,温泉源で採取されるときの温度が25度以上であること,又は,成分の含有量が温泉法所定の規定量を上回ることであるところ,本件湧水は,メタホウ酸及びメタケイ酸がそれぞれ規定量を超えており,本件湧水は温泉法上の温泉にあたる。
ウ したがって,契約ア及びイの合計額8452万5000円(契約イのうち,合意解除部分を除く。)から,既払金6809万2500円を控除した1643万2500円及びこれに対する平成18年11月22日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで,商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を請求する。
エ 被告が主張する契約アの解除の効力は争う。契約アは,土地の工作物に関する請負契約であるから,民法635条但し書きにより,解除をすることはできない。
(2) 被告
ア 契約アは,当然に適応症のある温泉を掘削することを目的としている。
本件湧水は,温度及び成分が不足するため,冷鉱泉にすぎず,北海道立衛生研究所の水質分析では,温泉としての適応症が認定されなかった。
原告は,本件工事で,深度700メートル付近で高温の水脈を掘り当てたが,その汲み上げの際,深度560ないし600メートル付近で低温の地下水もしくは成分濃度の低い鉱泉水が流入したため,冷鉱泉になってしまったものであり,本件湧水が,温度及び成分に不足する事態となったのは,原告の欠陥工事に起因し,本件工事には瑕疵がある。
なお,掘削方法やストレーナーの設置は,原告の判断で行われたものであり,被告に対する説明はなかったし,被告がこれに関し,指示をしたこともない。
イ 本件湧水は,泉温が23.1度(気温25度 なお,以下では,気温又は水温を表記する時は,すべて摂氏で表記する。),湧出量600リットル/分(動力揚湯)であり,北海道立衛生研究所は,泉質を冷鉱泉と認定し,浴用の適応症,飲用の禁忌症及び適応症を認めなかった。
被告は上山試錐工業株式会社(以下「上山試錐工業」という。)に再度の温泉掘削工事を発注した。同社が掘削した井戸(以下「本件代替井」という。)から湧出した水を財団法人北海道薬剤師会公衆衛生検査センターが分析したところ,泉温が26.4度(気温−4.3度),湧出量266リットル/分(動力揚湯)であり,北海道立衛生研究所は,ナトリウム―塩化物・炭酸水素塩泉と泉質を認定し,浴用及び飲用の禁忌症及び適応症を認めた。
原告が,契約アに基づく掘削を適切に行えば,上記と同じ水を湧出させることができたはずである。また,原告は,本件掘削孔から適応症のある温泉を汲み上げる責務があるにもかかわらず,温度低下や濃度低下の原因を調査することなく放置し,不完全な履行の状態を放置した。
ウ 被告は,原告に対し,契約アを解除する意思表示をした(前記第2の1の(5)記載のとおり。)。なお,契約アが土地の工作物に関する請負契約であるので解除できないという原告の主張は,争う。
エ よって,被告は,原告に対し,主位的には上記解除に基づく原状回復として,予備的には債務不履行に基づく損害賠償として,契約ア及びイの代金として支払った6809万2500円から,契約ア及びイのうち既履行分(契約アのうち,地下水掘削工事及び契約イのうち,温泉掘削工事の合計4252万5000円)を控除した残額2556万7500円の返還及びこれに対する解除通知到達の日の翌日である平成18年8月10日から支払済みまで,商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を請求する。
第3 当裁判所の判断
本件では,契約イないしオの存在や内容,代金の清算がされていること等は争いがなく,契約アについても,その存在や行われた工事の内容,支払われた代金の額等については当事者間に争いはない。
本件で被告は,本件湧水が温度及び成分に問題があるため,適応症が認められないことを瑕疵とし,原告は,契約アは本件湧水の温度及び濃度を保証する契約ではないと主張しているので,本件の争点は,第1に契約アの内容であり,第2に契約アの内容を前提として,本件工事に瑕疵があるといえるかどうか,第3にそれを踏まえたうえでの原被告それぞれの請求の適否である。
1 前提事実並びに証拠(甲1,2,13,14,乙1,8,14,22,証人丙川一夫,証人東村花子,原告代表者本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認定できる。
(1) 被告は,札幌市東区東苗穂3条<番地略>に娯楽施設を有しており,同所で日帰りの温泉浴場を経営するため,契約アを締結し,原告に温泉の掘削を発注した。
(2) 原告は,約15年ほど前から,温泉井戸の掘削工事を行っており,被告と契約するまでの間,約50本程度の温泉井戸の掘削の実績があった。原告は,多くの事案では,顧客との間でヒット・アンド・ペイ方式(実際に温泉が湧出すれば,成功報酬という形で金銭を受領する方式をいう。)による温泉井戸の掘削契約を締結しており,契約アの締結に際しても,被告にヒット・アンド・ペイ方式の存在及びその内容を説明したが,被告の希望によりヒット・アンド・ペイ方式は採られなかった。
(3) 契約アの締結に際しては,被告から原告に対し,湯量や温度,泉質に関する希望などは一切告げられず,原被告間では契約書の作成以外のやり取りはなかった。
契約アについて作成された契約書でも,「温泉掘削中にガス及び原油等の湧出が認められた場合や,温泉温度の不足や温泉成分の不足等の理由に因り,該井が温泉として使用不可能な場合であっても,乙(原告)の責任は問わないものとする」と定められており(22条),被告の側で契約締結を担当した東村花子(以下「東村」という。)も契約書締結段階でこのような条項が存在することを認識していた。
なお,上記契約書に添付された掘削坑径及びケーシングプログラム図と題された図面では,ストレーナーの深さは深度1000メートルを底部として,そこから地表に向けて200メートルとされているが,他方で,「ストレーナ位置及びセメンチング深度は掘削,検層結果により決定する。」との記載があった。
(4) 原告は,契約アに基づいて,平成17年7月4日ころから掘削工事を開始し,掘削後に裸孔の孔内検層を実施し,地層層序の確認と採水層の判定を行った。
原告は,ストレーナーの設置深度を決定するに際し,日本地質学会北海道支部支部長の春谷夏男及び理学修士の資格を有する秋田冬男の意見を求め,上記2名に原告の従業員2名,下請け会社の代表者の合計5名で協議をし,ストレーナーを深度568ないし736メートル及び970ないし994メートルの2箇所に設置することを決定し,その深度にストレーナーを設置した(以下では,浅い部分のストレーナーを「上位ストレーナー」,深い部分のストレーナーを「下位ストレーナー」という。)。
なお,ストレーナーの設置深度の決定に際して,原告の担当者が被告の本社に検層結果の説明に赴き,その際,被告の希望についても確認したが,被告からは素人で分からないので原告に任せるという趣旨の回答がされたにとどまり,被告側からの希望はなかった。
(5) 被告は,掘削工事やストレーナーの設置工事など,本件掘削孔に関する工事が完了した後,北海道立衛生研究所に本件湧水の分析を依頼し,同研究所は,平成17年8月25日,本件湧水の分析を行って,その結果を温泉分析書という表題の2枚の書面にまとめて,被告に送付した。
同書面には,本件湧水の泉温は23.1度(気温25度),湧出量は毎分600リットル(動力揚湯),成分総計は,1キログラムあたり0.699グラム,泉質は冷鉱泉(弱アルカリ性低張性冷鉱泉)で,療養泉分類の泉質に基づく禁忌症欄には,急性疾患等の複数の疾患の記載がある一方,適応症の欄は空欄であった。
なお,温泉法は,地中から湧出する温水,鉱水及び水蒸気その他のガス(炭化水素を主成分とする天然ガスを除く。)で,25度以上の温度を有するもの,又は,法令で定める要件を満たす成分を含有しているものを温泉と定義しており,本件湧水は,温度が25度を下回るものの,温泉法で定められている物質のうち,メタホウ酸及びメタケイ酸の含有量が法定の量を上回っていたため,温泉法上の温泉に該当するものであった。
他方,療養泉分類(環境省自然環境局作成の鉱泉分析法指針による分類をいう。以下同じ。)は,25度以上の温度を有するか,一定の成分を含有するものを治療の目的に供しうるものとして,療養泉と分類し,適応症を認めているところ,本件湧水は,温度及び成分のいずれの要件も満たしていないため,療養泉とは認められず,それ故,適応症の記載もされなかった。
(6) 東村は,平成17年11月ころ,本件湧水を用いた温泉施設を開業する段階になって,改めて温泉分析書を確認したところ,適応症の記載がないことに気付き,原告に対処を依頼した。
原告と被告は協議のうえ,再び北海道立衛生研究所に本件湧水の分析を再度依頼し,平成17年11月25日,分析が行われた。その分析結果は,泉温22.2度(気温5度),湧出量は毎分890リットル(動力揚湯),成分総計は1キログラムあたり0.755グラムであり,温泉法上の温泉に該当すること,及び,療養泉には該当せず,適応症が認められない点は,前回の調査と同じであった。
(7) 原告は,被告との協議を踏まえ,平成18年1月,本件掘削孔の内側にもう一本ケーシング管を挿入する工事を行い,そのうえで北海道立衛生研究所に本件湧水の分析を依頼したが,泉温23.8度(気温−1度),湧出量は毎分640リットル(動力揚湯),成分総計は1キログラムあたり0.865グラムであり,温泉法上の温泉に該当すること,及び,療養泉には該当せず,適応症が認められない点は,同じであった。
原告は被告の担当者に対し,夏季になれば本件湧水の温度が上がるのではないかという趣旨の話はしたが,それ以上の対応は取らなかった。
(8) 被告は,平成18年3月ころ,北海道立地質研究所に原因及び対策方法について相談し,泉温及び成分濃度が低い理由について,浅層部の低温・低濃度水が温泉井内に混入している可能性があるとの指摘を受けた。
被告は,平成18年6月ころ,上山試錐工業に原因究明調査を依頼し,同社は同年7月ころ,本件掘削孔について,温度検層及び電気伝導度検層を行った。
同社は,調査をした結果として,①本件掘削孔は,深度500メートルにケーシングパイプの異径部があるが,その部分から地下水などが流入していることはないと考えられること,②本件湧水は,成分濃度の高い温泉が上位ストレーナー下部から湧出し,地下水あるいは成分濃度の低い温泉が上位ストレーナー上部から流入して,これらが混合したものが揚湯されていると推定されること,③下位ストレーナーからは,温泉の流入がないか,非常に少ないことが明らかとなったこと,④対策としては,代替泉源を掘削する方法が最も望ましいと判断されること等を報告書にまとめて,被告に提出した。
(9) 被告は,前項の報告書に基づいて,上山試錐工業に代替井の掘削工事を依頼し,同社は,平成18年12月ころ,本件代替井の掘削工事を完了した。なお,本件代替井のストレーナー設置深度は,深度647.5ないし801.5メートルであり,試験の結果,湧出量は毎分266リットル,泉温は26.4度で,溶存成分総計1.860グラム(1キログラム中)であった。
(10) 被告は,当初は本件掘削孔を利用して日帰り温泉施設を営業していたが,本件代替井の完成後は,本件代替井を利用して,営業している。
2 検討
(1) 契約アの内容について
ア 以上のとおり,契約アは,掘削深度を基準として金額が定められ,また,原告は,温泉温度の不足や温泉成分の不足等により,温泉として使用不能であっても責任を問われない旨が契約書に記載され,双方ともにこれを認識したうえで締結したから,契約アで原告が温泉の温度や成分を保証したとは到底いえず,温泉温度や温泉成分の確保が契約アの内容となっていたとは認められない。
イ 他方において,契約の内容は,単に契約書に記載があるかどうかという観点のみで判断されるものではなく,契約の目的や締結時の状況,その他の事情等を踏まえ,社会通念に基づいて判断すべきである。
この観点から契約アをみると,温泉かどうかの判断基準や分類基準として,温泉法や鉱泉分析法指針が存在すること,被告は,温泉施設の営業を目的として,契約アを締結し,この点は原告も当然に認識していたと思われること,適応症の存否は,それが科学上の根拠や知見に基づくかどうかはともかくとして,温泉施設を経営する側の宣伝効果と顧客に与える心理的影響は軽視できず,温泉施設の営業の成否の重要な要素となり得ること,原告は,温泉井戸の掘削に多数の経験を有する専門家ともいうべき業者であること,契約アでは,ストレーナーの位置は,掘削・検層結果により決定するとされていること等からすると,契約アにおける原告の義務は,単に温泉井戸を掘削してストレーナーを設置するのみにとどまらず,掘削や検層の結果を踏まえ,被告と適宜協議をしながら,被告の経営目的を前提として,もっともそれに沿う湧水が得られると思われる深度にストレーナーを設置する義務を含むと解するのが相当である。
そして,温泉浴場施設の経営という被告の契約目的からすると,本件の契約にもっとも適する湧水は,第1には,一定の湧出量があって,温泉法にいう温泉の要件を満たすことであり,一定の湧出量が得られることが確実な中で,複数の選択肢があるのであれば,療養泉分類にいうところの療養泉の要件を満たす可能性が高いものであると認定でき,原告は,このような湧水が得られる可能性が高い深度を判別したうえで,ストレーナーを設置する義務があったというべきである。
ウ もっとも,温泉の掘削には不確定な要素が多いことは,証人丙川一夫(以下「丙川」という。)及び原告代表者本人ともに一致するところであるほか,掘削作業段階で湧水の温度や成分を調査することはできず,これらの点は,掘削作業完了後にストレーナーを挿入し,孔内洗浄を終えて,揚湯試験や成分検査を行わないと判明しないことは後記(2)のイの(ア)のa記載のとおりであるから,ストレーナーの設置深度の判断は,多分に予測を交えたものにならざるを得ないといえる。
したがって,ストレーナーの設置の位置の判断については,それが専門家としての合理的な根拠に基づく判断である限り,結果として奏功しなくても,それに対して責任を負うものではないというべきである。
(2) 本件請負契約における瑕疵又は債務不履行の有無
ア 前記認定によれば,本件湧水は,上位ストレーナー上部から流入した成分濃度の低い水と上位ストレーナー下部から流入した成分濃度の高い水が混入したものであって,下位ストレーナーからの水の流入はないか極めて微量である。他方,ストレーナー以外の部分,特に深度500メートル付近のケーシングパイプの異径部から水が流入していることは窺われず,他にストレーナー以外の部分から水の流入を窺わせるような事情はない。
そして,掘削孔は,掘削孔内に水が流入するストレーナー部分と,流入しないその他の部分から成り立っているから,ストレーナー部分のみから水が流入し,その他の部分からの水の流入がないのは,掘削孔の機能として正常である。
イ もっとも,契約アにおける原告の義務は,単に井戸を掘削してストレーナーを設置するのみにとどまらず,掘削や検層の結果を踏まえ,被告と適宜協議をしながら,被告の経営目的を前提として,もっともそれに沿うと思われる湧水が得られると考えられる深度にストレーナーを設置する義務を含むと解するのが相当であることは前記判断のとおりである。そして,本件掘削孔におけるストレーナーの設置位置について,原告が不合理な判断をしていれば,原告は瑕疵担保責任又は債務不履行責任を負うと解されるので,以下,この点について検討する。
(ア) 前記認定事実に加え,証拠(甲2,11,17,乙14,証人丙川,原告代表者本人)によれば,以下の事実が認定できる。
a 温泉の掘削にあたっては,掘削中あるいは掘削後に得られる比抵抗検層(電気検層)や温度検層の結果や地層のカッティングス(地中を掘削する段階で粉砕しながら掘り進めた地中の土を瓶詰めして採取したもの。)等の資料をもとに,ストレーナーの設置深度を決定する。
これらの検査のうち,比抵抗検層では,地中に含まれる水の含有量と成分濃度に関するある程度の傾向が推測でき(堆積岩の場合,一般的に,水の含有量が多いか,成分濃度が低いと,比抵抗値が大きくなる傾向にある。),温度検層では孔内温度が明らかになる。また,地層のカッティングスからは,地層内の土質が明らかになるため,水の含有量がある程度は推測できる(シルトや粘土は難帯水層であり,砂礫や砂岩は帯水層とされる。)が,これらの調査は,一応の傾向を予測し得るにとどまり,実際に掘削孔からどのような温度及び成分の湧水が得られるかは,掘削作業完了後にストレーナーを挿入し,孔内洗浄を終えて,温泉井として仕上げたうえで,揚湯試験や成分検査を行わないと判明しない。
このため,揚湯前に湧出する温泉の湯量,泉温,泉質を判定することは困難であり,得られたデータ,周辺の温泉湧出状況及び経験を踏まえ,湧出する温泉の状況を予測しているのが現状である。
b 本件掘削孔のうち,上位ストレーナーの設置位置よりもやや浅い深度の地層は,レキ・シルト互層であり,比抵抗検層による比抵抗値は,60ないし180Ωを示している。
次に,上位ストレーナーが設置された深度の地層は,深度620メートルまでの地質は礫まじり砂であり,以後,深度670メートルまでは砂岩・レキ質砂岩,それ以深は砂質シルト岩である。この区間の比抵抗検層による比抵抗値は,深度620メートルまでは,概ね30ないし70Ω程度の間を波状になっており,それ以深は,若干の変動はあるものの,10ないし15Ω付近まで徐々に低下を続け,深度720メートル付近で一時的に30Ω程度に上昇する小さな山を描いている。
なお,深度738メートル以深の地層は,凝灰質シルト岩,深度820メートル以深は,シルト岩であるが,この区間の比抵抗検層による比抵抗値はほとんど0ないし10Ω付近であり,下位ストレーナーが設置されている深度970メートル以深の地質は,砂岩及びシルト岩で比抵抗検層による比抵抗値は0ないし15Ω程度である。
また,孔内温度は,深度500メートルで約21.4度,深度740メートルで約24.4度であり,それ以深は上昇を続け,深度1000メートルでは約29.4度である。
c 原告は,本件掘削孔から約2.5キロメートル程度離れたところにある北のたまゆら東苗穂店の温泉掘削工事を請け負ったことがある。
同工事の掘削深度は,1000メートルであり,ストレーナーの設置位置は,深度520ないし619メートル,799ないし829メートル,853ないし871メートル及び919ないし979メートルの4箇所であり,一番上部のストレーナー設置深度の地質は泥質砂岩で比抵抗検層による比抵抗値は概ね20ないし100Ω,その他の設置深度は泥岩で比抵抗検層による比抵抗値は概ね0ないし15Ω程度であった。
また,同工事による掘削孔の孔内温度は,深度500メートルで約10度であり,以後は上昇を続け,深度1000メートルでは約19度である。
なお,北のたまゆら東苗穂店の温泉掘削の結果湧出した水は,本件湧水よりも高温で,かつ,多量の成分を含んでいたが,仮に,本件工事において,北のたまゆら東苗穂店の温泉掘削工事の時と同じように,4箇所に分けて同工事と同じ深度にストレーナーを設置した場合,最上部のストレーナー設置箇所が低温かつ成分濃度の低い水が多量に分布している深度にあたるため,本件湧水よりも,さらに低温で低濃度の湧水しか得られていない可能性が高かった。
(イ) 検討
a 本件の検査結果をみると,上位ストレーナーの設置深度である深度568ないし736メートルは,比抵抗検層による比抵抗値が高いところで30ないし70Ωを示しているほか,地質も礫混じり砂や砂岩・レキ質砂岩の帯水層とされる層を含み,ある程度の水の含有が期待できる層であったといえるほか,証拠(甲14,乙15)によれば,30ないし70Ωという比抵抗値は,療養泉の要件を満たさない成分濃度の低い水の存在を推定させるほど高い数値ではない。
また,孔内温度は,22度ないし24.4度程度であるが,他方において,深度736メートル以深も孔内温度が大きく上がるわけではなく,土質はシルト層で一般に難帯水層とされることからすると,736メートル以浅に上部ストレーナーを設置した判断は,一応の根拠があるといえる。
さらに,被告の目的が温泉の営業であり,ある程度の水の確保が当然の前提となっていること,契約アでストレーナーの設置の長さを200メートルとしていること,地中に水が含有することは期待できても,それがどの程度の量かは分からず,ストレーナーをある程度の長さにわたって設置する必要性は否定できないことなどを総合すると,下位ストレーナーを除く残りのストレーナー部分を深度568ないし736メートルに設置した原告の判断が不合理であるとはいえない。
b また,原告は,かつて掘削した温泉のうち,「たまゆらの湯」の結果も参考にしているところ,比抵抗検層による比抵抗値は「たまゆらの湯」の方が大きい箇所を含み,温度検層の結果は「たまゆらの湯」の方が低かったのだから,前者の方が低温で濃度が低い湧水が得られる可能性があったにもかかわらず,結果として,本件湧水よりも高温かつ高濃度の湧水を確保できたのであり,このような近隣の掘削結果からも,本件掘削孔におけるストレーナーの設置位置の判断は,首肯できる。
c 以上に加え,本件で原告は,ストレーナーを設置するにあたり,しかるべき知見を有する春谷夏男及び秋田冬男の意見を踏まえて設置深度を決定し,その決定経緯にも問題は見当たらない。
なお,この点,被告は,ストレーナーの設置深度を決めるにあたって被告に相談はなかった旨の主張をするが,上記認定からすると,原告は被告の意向を無視して工事を進めたのではなく,原告が相談を持ちかけようとしても,被告は専門家である原告に任せるという趣旨の回答をしたにとどまり,協議が成り立たなかったため,結果として,原告の判断で進めざるを得なかったといえる。
このような被告の対応からすると,被告は原告がストレーナーの設置深度を決定することに異議を唱えず,黙示の承諾をしたといえるし,事業者である被告が,このような対応を取った以上,原告がなおも説明を尽くす義務を負うとはいい難いから,原告自身の判断で進めたことが不当とはいえず,本件工事の過程全般をみても,原告に説明義務違反その他の債務不履行があるともいえない。
(ウ)a なお,以上の点について,証人丙川は,①自分であれば,620メートルよりも下にストレーナーを設置した,②仮に水量が足りなければ,620メートル以浅にカッターを入れて湧水量を確保した,③深度565ないし620メートルの部分は,560メートル付近の水がありそうなところに近くなるので,その水が入ってくる可能性がある,と証言し,また,上山試錐工業が掘削した代替井では,ストレーナーを深度647.5ないし801.5メートルに設置し,本件湧水を上回る温度及び成分を有する水の湧出に成功している。
b しかし,証人丙川は,他方において,深度565ないし620メートル付近に存在する水も適さないとは言い切れないと述べ,また,本件のストレーナーの設置位置が妥当か妥当ではないかは,非常に難しい判断になると思うと述べているだけであって,原告の判断が専門家としての判断として不合理とまで証言しているわけではない。
実際,丙川作成の報告書(乙14)では,原告が判断したストレーナーの設置深度が誤っていたというよりも,ストレーナーの設置深度の判断にあたって原告から被告に十分な説明がなかったことを問題としていると窺える。また,反論書(乙15)でも,ストレーナー位置の相当性についてはコメントできないと記載しているのであって,これらの点を総合すると,丙川はストレーナー設置深度に関する原告の判断を不合理と指摘しているのではなく,あり得る判断かもしれないが,自分の経験に基づく判断とは異なる旨を述べているに過ぎないと解するのが相当であり,丙川の判断と原告の判断が食い違うからといって,直ちに原告の判断を不合理とはいえない。
また,水量が足りなければ,カッターで湧水量を確保するという点についても,丙川は,自分であれば,565ないし620メートルまでの間では,カッターで切る部分として残しておきたいと証言するに留まり,この点も複数あり得る工法の中で原告と丙川の工法に関する判断が食い違っていたというにすぎず,原告がこのような工法を取らなかったことが不当であるとか,専門家として要求される判断を誤ったとまでいうこともできない。
さらに,560メートルに近いので,その上の層の水が入ってくる可能性があるという点についても,原告代表者甲野太郎は,セメンチングがうまくいったので,非常にその可能性は薄いと判断した旨供述し,その内容や判断が不合理であるといえる証拠はないうえ,それがどの程度の可能性があるか,また,そのリスクをどの程度に斟酌すべきかについても明らかではないから,これをもって原告の判断が不合理であると認定することはできない。
c 次に,本件代替井からの湧水は,たしかに本件湧水よりも高温で成分濃度が高いが,それは本件工事前のデータのほか,本件掘削孔が完成済みであったため,本件掘削孔自体の揚湯検査や電気伝導度の検査によって,より的確に地中内の状況を把握できたという点が大きいと解される。とりわけ深度640メートル以深にストレーナーを設置する判断の前提としては,本件掘削孔での揚湯検査で得られた資料が大きく貢献していると考えられるが,本件掘削孔の掘削前には,このような資料を得ることは出来なかったのであり,判断の前提となった資料が異なる本件掘削孔と本件代替井を比較することはできない。
また,本件掘削前に地中の状況は的確に把握できず,それ故,ストレーナーの設置位置に関する判断も分かれるといえるから,本件代替井から得られた湧水が,温度及び成分において本件湧水を上回っていたとしても,他方においてそれは結果論に過ぎず,それをもって原告の判断が不合理であったということもできない。
ウ 以上からすると,本件掘削孔に瑕疵があるとか,契約アの履行につき,原告に債務不履行があるとは認められない。
なお,以上の点について,被告は,原告が適応症のある温泉を汲み上げる責務があるにもかかわらず,温度低下や濃度低下の原因を調査することなく放置したと主張し,これを債務不履行と主張していると解されなくもない。
しかし,契約アが原告が温泉の温度や成分を保証したとは到底いえないことは前記認定判断のとおりであるから,原告は本件掘削孔の掘削を完了し,被告に引き渡した段階でその履行を完了しており,原告がその後もケーシング管を挿入するなど被告の意向に沿う工事を実施したのは,顧客に対するサービスの一環であって,契約上の義務に基づくものではないというべきであるから,それが十分でなかったとしても,原告に債務不履行があるということはできない。
3 結論
(1) 以上からすると,本件工事には瑕疵はなく,また,原告は本件工事を完成させ,それを被告に引き渡したから,契約アに基づく残代金を請求している本訴請求には理由がある。
他方,本件工事には瑕疵はないから,その他の点を検討するまでもなく,被告の解除は無効であり,反訴請求は,契約解除に伴う原状回復義務を根拠とする主位的請求及び債務不履行に基づく損害賠償を理由とする予備的請求のいずれについても,理由がない。
(2) そうすると,本訴請求については理由があるからこれを認容し,反訴請求については理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用については,民事訴訟法61条を適用し,仮執行宣言については,同法259条1項を適用(訴訟費用に対する仮執行宣言は,相当ではないので付さない。)し,主文のとおり判決する。
(裁判官 前原栄智)