札幌地方裁判所 平成20年(ワ)1499号 判決 2010年3月19日
原告
日本放送協会
代表者会長
A
訴訟代理人弁護士
山﨑博
同
牧口準市
同
市川茂樹
同
宮川勝之
同
髙木裕康
同
大藤敏
被告
Y
訴訟代理人弁護士
中村誠也
同
淺松千寿
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
(1) 被告は、原告に対し、一二万一六八〇円及びこれに対する平成二〇年六月一日から完済日が奇数月に属するときはその月の前々月末日まで、完済日が偶数月に属するときはその月の前月末日まで、二か月当たり二%の割合による金員を支払え。
(2) 訴訟費用は被告の負担とする。
(3) 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二当事者の主張
一 事案の概要
放送受信契約を締結したのに受信料の未払があると主張する原告が、被告に対して未払受信料一二万一六八〇円及びこれに対する約定利率による遅延損害金の支払を求めた事案である。
これに対して、被告は、原告との間に放送受信契約を締結した事実はなく、妻が被告に無断で被告名義にて放送受信契約書に署名を押印したにすぎないと反論している。そこで、原告は、妻の行為が日常家事債務(民法七六一条)に含まれるので夫である被告は連帯責任を負うこと、被告は妻へ代理権を授与していたこと、表見代理(民法一一〇条)が成立すること、被告が妻の行為を追認したこと、のいずれかにより放送受信契約の効力が被告に及ぶと主張している。
二 請求原因
(1) 法及び規約
原告は、放送法に基づいて設置された法人であり、放送法三二条三項に基づき、総務大臣の認可を受けて、別紙「日本放送協会放送受信規約概要」記載のとおり、放送受信契約の内容を定めた日本放送協会放送受信規約(以下「規約」という。)を定めている。
なお、「期」とは、規約六条に定める二か月ごとの支払期間をいい、四月及び五月を第一期とし、以後第六期まで同様である。
(2) 契約の締結
ア 日常家事債務の連帯責任
原告は、平成一五年二月七日、被告との間で、放送受信契約(以下、原告と被告との間で締結された放送受信契約を「本件契約」といい、一般的な放送受信契約とは区別する。)を締結した。その際、被告の妻であるB(以下「B」という。)が、被告名で放送受信契約書に署名押印し、被告名義で平成一五年二月及び三月の受信料四六八〇円を支払った。
本件契約の締結は、民法七六一条(日常の家事に関する債務の連帯責任)の日常の家事に関する法律行為に含まれるので、その法律効果は被告に帰属する。すなわち、放送受信契約の締結は、現在の日常生活に不可欠のテレビ放送に関する契約であること、原告の放送を受信できる受信設備を設置した者は放送法三二条一項により放送受信契約を締結すべき法的義務を負っていること、放送受信契約を締結した場合の一月当たりの負担額も二四〇〇円であることなどからすれば、「日常の家事」に含まれることは明白である。
イ 代理権
Bは、本件契約当時、本件契約の締結について代理権を与えられていた。すなわち、被告は、Bに対し、夫婦にとって何らかの方針決定が必要な法律行為を除く日常生活に伴う法律行為等について、その要否の判断を委ね、代理権を授与していたものであり、本件契約の締結は、夫婦にとって何らかの方針決定が必要な法律行為ではなく、日常生活に伴う法律行為であるから、Bが被告から与えられていた代理権の範囲に含まれる。
ウ 表見代理
仮に、本件契約の締結がBの代理権の範囲に属さないとしても、表見代理が成立し、本件契約は有効に被告に帰属する。すなわち、被告は、Bに対し、夫婦にとって何らかの方針決定が必要な法律行為を除く公共料金に関することなど被告の家庭にとって日常生活に伴う法律行為等について、その要否の判断を委ね、代理権を授与していたものであり(基本代理権の授与)、本件契約の締結がBの代理権に属さないとした場合、本件契約の締結は、基本代理権を超えて締結されたことになる。しかし、Bは本件契約の締結が自らの代理権の範囲内にあると信じており、かつ同人が本件契約の締結を行う際の態度に不自然不信な点はなく、「Y」という印鑑を用いて押印し、二か月分の放送受信料四六八〇円を支払った。一方、原告の契約取次者は、マニュアルに従い適切に本件契約を締結した。また、原告の契約取次者は、Bと面談する時、契約者名を夫婦のいずれにするかについては、誰の名前で契約して欲しいとのお願いはせず、Bの判断を尊重していた。したがって、本件契約の締結に際し、放送受信契約の締結がBの代理権の範囲に属さないことにつき、原告の善意無過失は明らかである。
エ 追認
仮に、本件契約の締結がBの代理権の範囲に属さないとしても、本件契約は被告により追認された。すなわち、被告は、原告と放送受信契約を締結したくないと考えていたが、それにもかかわらず、Bは、放送受信契約の締結がBの代理権の範囲に属すると信じ、本件契約の締結について被告に報告する必要はないと考えていた。これらの事実を考え合わせると、被告夫婦の間には放送受信契約の締結について決定的なそごが生じていたことになる。ところが、Bはおよそ一〇か月にわたり放送受信料を支払い続けたのであり、これほど長きにわたって、夫婦間のそごが顕在化しなかったとは考えにくい。そうすると、四回の被告名義での放送受信料の支払のいずれかの回からは、本件契約の存在が被告の知るところとなり、被告の了解の下に放送受信料の支払が行われたと解するのが自然である。したがって、仮に本件契約の締結がBの代理権の範囲に属さないとしても、本件契約は被告により追認されたと考えられる。
(3) 未払
被告は、平成一五年一二月一日から平成二〇年三月三一日まで(平成一五年度第五期から平成一九年度第六期まで)の五二か月分の放送受信料合計一二万一六八〇円を支払っていない。
(4) よって、原告は、被告に対し、本件契約に基づき、一二万一六八〇円及びこれに対する訴えの変更申立書送達日の属する期の翌期の初日である平成二〇年六月一日から支払済みの日が属する期の前の期の末日まで、約定の利率である二か月当たり二%の割合による遅延損害金の支払を求める。
三 請求原因に対する認否及び主張
(1) 請求原因(1)は知らない。
(2) 請求原因(2)アのうち、Bが被告名で放送受信契約書に署名押印し、被告名で受信料四六八〇円を支払ったことは認め、被告がBに放送受信契約の締結の代理権を授与したことは否認し、原告と被告との間で本件契約が締結されたとの主張は争う。
イの主張は争う。
ウの主張は争う。表見代理は成立しない。
エの主張は争う。
(3) 請求原因(3)は認める。
(4) 被告の主張(日常家事債務について)
ア 民法七六一条は、実質的には夫婦は相互に日常の家事に関する法律行為について他方を代理する権限を有することを規定している。そして、「日常の家事」とは、夫婦共同生活に必要とされる一切の事務であり、その具体的範囲は、夫婦の社会的地位、職業、資産、収入、夫婦が生活する地域社会の慣習等の個別事情のほか、当該法律行為の種類、性質等の客観的事情を考慮して定められるべきものである。
日常の家事とは、衣食住という夫婦の共同生活の基本的部分にかかわるものをいい、こうした夫婦の基本的部分について、夫婦の生活状況に照らして必要かつ相当な支出を伴う契約の締結が日常の家事の範囲とされるべきである。
これに対し、夫婦の共同生活の基本的部分にかかわらないものや、夫婦の生活状況に照らして、不必要ないし不相当な支出を伴う契約の締結は、日常家事の範囲外とされるべきである。そして、契約の目的物の必要性の判断や支出の相当性の判断には、個々の夫婦の意思や事情も考慮されるべきである。
イ 被告ら夫婦は、同年代の一般家庭と同等の生活水準にある。そして、本件契約に基づく受信料は、月額二三四〇円と、月単位でみればそれほど高額とは言い難いが、本件契約は継続的に支払義務が生ずる契約であり、一年間でも二万八〇八〇円、居住年数によってはそれを優に超える金員の支払を求められる契約である。原告は、一二か月前払の方式も受け付けており、この場合、一二か月の受信料は二万六一〇〇円である。
放送受信契約は、放送の受信に関する契約であるところ、放送に関しては、その情報が視聴者個々人の思想信条の形成に大きな影響を与えるものであり、その情報の入手源の選択も、個々人の判断に委ねられる必要性が高いものである。したがって、受信契約の締結が、夫婦共同生活に必要であるとして、夫婦間に代理権を認めたり、連帯責任を負わせたりすることは、受信したくない放送を受信し、その対価を支払って受信したくない放送の製作に助力することを強いることになりかねず、個人としての思想信条の保護に欠けることとなる。すなわち、放送受信契約は、そもそも、その性質上、夫婦であるからといって、一方に代理権を与えてよいような性質の法律行為ではない。また、被告は、近年、原告において度重なる不祥事が生じていたこともあり、原告が放送する番組を視聴することはなかったし、放送受信契約を締結することにも反対していた。
さらに、昨今のインターネットの普及や他のテレビ放送網の充実により、公共放送から情報を得なければならない必要性はなくなっている。
ウ 以上のとおり、放送受信契約は、衣食住にかかわる契約ではないこと、被告夫婦に長期間にわたり相当な金銭的負担を強いるものであること、個人の思想信条にかかわる部分が大きいことの事情を考慮すると、夫婦間で代理権を認めるのにふさわしくない性質の契約であるといえる。その上、被告は、放送受信契約の締結を希望しておらず、現に、原告が放送する番組を視聴しておらず、本件契約を締結しなくても、被告夫婦の生活には支障がなく、放送受信契約を締結する必要性に乏しく、放送受信契約の締結が日常家事の範囲に含まれるとはいえない。
原告の契約担当者は、本件契約の締結が日常家事の範囲内に属するものかどうか、すなわち、被告の妻に代理権があるのかについて疑念を差し挟む余地があったといえるにもかかわらず、契約書に被告の妻が被告の名を署名押印していても、このような疑念を払拭するに足る措置を何ら講じていないのであるから、本件契約の締結が日常家事の範囲内であると信ずるについて正当な理由があったとはいえない。
エ そもそも、受信料支払債務は、法律で、受信装置を設置した者に対し、必然的に契約をさせ発生する債務であり、しかも、片務的に発生するものである(受信装置の設置に対し発生し、対価として徴収するものではない。)。民法七六一条が想定するのは、原則的には双務契約の相手方というべきであり、判例、裁判例で日常家事債務を認められたものもそうである。
オ 放送受信契約の締結には、民法七六一条は適用されないので本件契約の効力が被告に帰属することはない。
四 被告の主張に対する原告の反論
(1) 民法七六一条は、日常の家事の範囲内において、夫婦の一方と取引関係に立つ第三者を保護することを目的とする規定であると解すべきであるから、問題になる特定の法律行為が当該夫婦の日常の家事に関する法律行為に属するか否かは、その夫婦の立場のみに立って判定するのは相当ではなく、その夫婦と取引関係に立つ第三者の立場にも立って、これを客観的に判定すべきである。したがって、社会通念上生活必需品とされる食糧、衣類、燃料の買い入れ、夫婦の共同生活に不可欠な家賃、地代、電気水道料金の支払等の法律行為や、相当な範囲内での家族の保健、娯楽、医療、未成熟の子女の養育、教育等に関する法律行為は、その行為をする夫婦の主観的意思にかかわらず、民法七六一条所定の日常の家事に関する法律行為であると解するべきである。他方、日常の生活費としては客観的に妥当な範囲を超える借金をしたり、夫婦の特有財産である不動産を担保に供したり、それを売却するような行為は、日常の家事に関する法律行為に属しないものと解するべきである。
テレビ放送や原告との間の本件契約の締結は、相当な範囲内での家族の娯楽に関する法律行為というべきであり、また、テレビニュース等により日常生活にかかわる情報や主権の行使にかかわる情報を迅速かつ簡易に取得することは、日常生活に不可欠というべきであるから、放送受信契約を締結する行為は民法七六一条の日常家事の範囲内の法律行為といえる。
(2) 例えば、食糧、衣類、燃料については、これを継続的に購入するような契約を締結するような場合、個々の購入が社会通念上相当といえるのであれば、日常の家事の範囲内というべきであるから、契約の継続性をもって日常家事に該当しないということはない。
被告は、受信料について、一年間では二万八〇八〇円になると指摘するが、このような事情は、食糧、衣類、燃料を継続的に購入する場合も同様であって、長期間の受信料の額を通算することに何ら意味はない。
(3) 放送受信契約は、受信設備を廃棄(廃止)すれば、直ちに解約が認められる上、仮に、放送受信契約が締結されていても視聴自体を強制させるわけではない以上、何ら個人の思想信条の保護を奪うものではない。むしろ、受信機を設置した場合に原告との間で放送受信契約を締結すべきことは法律で定められていることであり(放送法三二条一項)、一般の家庭で日常的に行われていることである。夫に代わってその配偶者が契約することも珍しくない。これを認めなければ、夫が不在がちの家庭では放送受信契約の締結という法律上の義務を果たす機会が制限されることになる。
(4) 被告は、本件契約の締結を望んでおらず、また、本件契約を締結しなくても、夫婦の生活に支障はなく、本件契約を締結する心要性に乏しかったと主張する。
しかし、民法七六一条は、上記のとおり、夫婦の一方と取引関係に立つ第三者を保護することを目的とする規定であると解すべきであるから、日常家事の範囲については、その夫婦の立場のみに立って判定するのは相当でなく、その夫婦と取引関係に立つ第三者の立場にも立ってこれを客観的に判定すべきである。被告の主張は、民法七六一条の趣旨を没却するものであり妥当ではない。
また、被告が放送を視聴しているか否かは、受信料支払義務の成否とは直接関係がない。すなわち、放送法三二条一項を受けた規約五条は、受信料支払義務の発生要件について受信機の設置を要件としているのであって、放送番組の有無を要件とはしていない。
(5) 放送受信契約は、公法上の契約ではなく、私法上の契約であり、放送法に特段の規定がないときは民法が適用される。また、放送受信契約は、双務契約ではなく、片務契約である。さらに、放送受信契約の成立日は、規約では受信機設置の日とされているが、運用上、放送受信契約の締結時としている。
第三証拠
証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 認定事実
請求原因(2)アのうちBが被告名で放送受信契約書に署名押印し、被告名で受信料四六八〇円を支払ったこと、請求原因(3)の事実は当事者間に争いがなく、この争いのない事実に加え、《証拠省略》によれば、次の事実が認められ、この認定事実に反する証拠は採用しない。事実認定に供した主な証拠は再掲する。
なお、原告は、放送受信契約書(甲一)を提出し、作成者として被告、立証趣旨として放送受信契約の成立を主張していた。ところが、被告が被告作成部分の成立を争い、被告の署名はBがしたものであり、印章もBのものであると主張したのを受けて、原告は、原告と被告が直接、本件契約を締結したとする主張を撤回し、Bによる代理行為等により原告と被告との間に本件契約が締結されたとの主張に限定したので、放送受信契約書(甲一)の被告作成部分はBが被告名義で署名押印したものとして扱うこととする。
(1) 取次者
Cは、平成一二年一二月から平成一八年一一月までの間、原告(札幌放送局)の契約取次業務に従事していた。この期間のうち、平成一二年一二月から平成一四年三月までは株式会社ハイスタッフに、平成一四年四月から平成一五年三月までは株式会社アクティスに派遣社員として所属していたが、この二つの会社はいずれも原告から契約取次業務の法人受託を受けており、五人前後の社員が従事していた。
Cは、平成一五年二月七日当時、原告から業務委託を受けた株式会社アクティスに所属して、二か月間で約八〇〇件の未契約者宅を割り当てられた上で、一日に一〇〇から二〇〇の住宅を訪問し、約二〇の住宅の方と面会していた。Cは、このように多数の取扱件数を受け持っており、個々具体的な事例についての記憶はないものの、被告が居住する地区を担当したのが、平成一五年二月、三月である上、被告の居住するマンションが高級マンションであったことから、被告方を訪問したことだけは記憶している。
Cは、原告のマニュアルに従い、世帯主の妻であっても、放送受信契約を締結することができると考えていた。
原告と放送受信契約を締結している世帯は、全国的には七〇%程度であるが、東北地方では九〇%を超えているところがある一方で、札幌市内では、世帯の入れ代わりが多いことから、全国平均よりも低い。
(2) 訪問
Cは、平成一五年二月七日、被告方を訪問して、Bと面談した。Cは、Bに対し、放送受信契約書『受信契約者』欄の「フリガナ」「お名前」「ご住所」「電話」「口座通帳名義」「指定口座」欄に自らピンク色のマーカーで着色した放送受信契約書を示して、記入を求めた。
Cは、放送受信契約書の右側半分にある「家屋コード」欄に「○○」、「氏名」欄に「Y」、「収納金額」欄に「4680」、「期間(平成)」欄に「一五年二月~一五年三月」、「契約・転入・変更年月」欄に「1502」と記載していた。
Bは、Cにいわれ、放送受信契約書『受信契約者』欄の「フリガナ」欄に「ワイ」、「お名前」欄に「Y」、「ご住所」欄に「《省略》」、「電話」欄に「《省略》」、『お支払いは便利でお得な口座振替でどうぞ』欄の「フリガナ」欄に「ワイ」、「口座通帳名義」欄に「Y」、「指定口座」の「銀行等」欄に「北海道」と記載し、「お名前」欄の「Y」の横にある<印>欄に「Y」印を押した。Bが被告の名前を記載したのは、被告が世帯主だからである。
なお、Bは、放送受信契約書の冒頭の日付欄に「平成一四年二月七日」と記載しているが、これは誤記である。
(3) 支払
Bは、平成一五年二月七日、Cに対し、同年二月三月分の受信料として、四六八〇円を支払った。(争いがない)
Bは、平成一五年四月五月分、六月七月分、八月九月分、一〇月一一月分の支払として各四六八〇円ずつ支払った。その後、Bは、周囲の人や友人の少なくとも一〇人以上に受信料を支払っているかについて質問したところ、ほとんどが受信料を支払っていなかった。そこで、Bは、原告に対し、電話で受信料の徴収が不公平ではないかと問い合わせた。原告の担当者は、受信料を支払っているほうが多いと回答したが、Bは払っていない人もいるという事実を確認して不公平であると思い、以後、原告に対する受信料の支払を止めた。
Bは、原告から受信料の請求書が郵送されてきても、被告に見せることなく捨てていた。
被告は、平成一五年一二月一日から平成二〇年三月三一日までの五二か月分の放送受信料一二万一六八〇円を支払っていない。(争いがない)
(4) 方針
被告は、平成七年ころ、住所地のマンションに転居してきた。被告は、平成一一年ころ、原告の取次者が訪問して、放送受信契約を締結した上、受信料を支払うよう要請されたが、これを拒絶した。
被告は、平成一一年一二月、Bと婚姻した。被告夫婦は共働きである。Bは婚姻する少し前から、住所地のマンションで被告と暮らしている。電気、ガス、水道等はBが同居する以前から被告名義であった。
Bは、平成○年○月○日、出産し、三か月前から産休を取得し、平成一六年一月ころまで育児休暇を取得し、同年二月から職場に復帰した。
被告は、住所地のマンションに転居する以前からテレビを購入し、Bと婚姻する前から、主に映画を見るためにジェイコムに加入し、月額五八八〇円の視聴料を支払うとともに、ジェイコムを通じて放送を視聴している。現在のテレビは、一、二年前に購入したものである。
被告夫婦は、いずれもあまりテレビは視聴せず、原告の番組もあえて視聴しようとは思わなかった。
被告夫婦は、札幌簡易裁判所から被告に対して支払督促申立書の送達があるまで、原告との契約、原告から受信料請求について話題にしたことがなかった。
(5) 提訴
原告は、平成二〇年三月七日、札幌簡易裁判所に対して、支払督促申立書を提出した。(顕著事実)
被告は、同月二五日、札幌簡易裁判所に対し、支払督促異議申立書を提出した。被告は、同申立書に異議事項として、過去数度にわたりNHKから支払催促の電話及び訪問を受けましたが、その度に次の内容を伝えた。①そもそもNHKは見ていないこと、②一般企業の加入案内等と比較してNHKから消費者の意思を無視した強引で過度の営業を受けており、精神的に苦痛を覚えていること、③受信契約の覚えがないので、契約書の提示を求めたこと、④BSの受信設備もなく、ジェイコムとの契約があり、NHKと直接契約をする理由がないこと、⑤NHKの度重なる不祥事を理解できず、NHKの受信意思がないこと。
札幌簡易裁判所は、同年五月一六日、第一回口頭弁論期日において、本件を民事訴訟法一八条に基づき、札幌地方裁判所に移送した。(顕著事実)
札幌地方裁判所は、同年七月一八日、第二回口頭弁論期日において、被告に対し、弁護士に委任することを検討するよう指示したところ、被告は、同月二三日、中村誠也弁護士及び淺松千寿弁護士を訴訟代理人とする委任状を提出した。(顕著事実)
札幌地方裁判所は、平成二〇年一〇月二二日、双方の代理人を通じて、原告及び被告に対し、被告が原告との間で新たに放送受信(衛星)契約を締結して、本件訴訟を終局的に解決することを勧告したところ、被告は、裁判所の和解勧告に応じたものの、原告は、同年一一月一三日付け上申書により裁判所の和解勧告に応じなかった。
札幌地方裁判所は、平成二一年七月一三日の第四回口頭弁論期日において、弁論を終結し、同年九月一八日を判決言渡期日と指定したが、原告は、同年八月二一日、弁論再開の申立てをした。原告の同日付け「弁論再開の上申書」には、再開の理由として、同年七月二八日に言い渡された東京地方裁判所の判決書及び放送受信契約の締結は日常家事債務に関する法律学者の意見書の取調べのほか、被告に対する請求とは別に、Bに対する請求の追加提起を挙げている。(顕著事実)
(6) 放送法
ア 当時の電波監理長官である網島毅政府委員は、衆議院電気通信委員会において、放送法の特色及び受信料について、次のとおり答弁している。
第一にはわが国の放送事業の事業形態を全国津々浦々に至るまであまねく放送を聴取できるように放送設備を施設しまして、全国民の要望を満たすような放送番組を放送する任務を持ちます国民的な公共的な放送企業体と、個人の創意と工夫とにより自由かっ達に放送文化を建設高揚する自由な事業としての文化放送企業体、いわゆる一般放送局又は民間放送局というものでありますが、それとの二本建としまして、おのおのその長所を発揮するとともに、互いに他を啓蒙し、おのおのその欠点を補い、放送により国民が十分福祉を享受できるように図っている(昭和二五年一月二四日開催の第七回国会衆議院電気通信委員会議録第一号二〇頁)。
今後わが国におきますところの一般放送の受信をすることのできる受信機を設置した国民は、何人にかかわらず全部この放送協会と契約を結んで、聴取料を放送協会に納めなければならないことになっておるのであります。これは今後民間放送が出て参りましたときに、放送協会の事業を継続する。しかもこの放送協会がもうかるともうからないとにかかわらず、全国的に電波を出さなければならないという使命を負わされた放送協会といたしまして、この聴取料の徴収ができない場合には、協会の事業は成り立って行かないことは明らかでありまして、従ってぜひともこういう聴取料を強制的に徴収するということが必要になって参るのであります。ところでこれを立場を変えまして、国民の側から見まする時に、仮に日本放送協会の放送を聞かず、もっぱら民間放送だけを聞いている場合でも、この聴取料を納めなければならないのでありまして、いわばこれは放送の受信機を持っているということのための、一種の税金みたいなものではないかという意見も出て参るのであります(昭和二五年二月二日開催の第七回国会衆議院電気通信委員会議録第四号三頁)。
イ 放送法逐条解説(金澤薫著・財団法人電気通信振興会・平成一八年四月一日発行)は、受信料について、次のとおり説明している。
受信料の法的性格は臨時放送関係法制調査会の報告において明らかにされている考え方が一般的に受け入れられている。その報告においては、「受信料とは、協会の業務を行うための一種の国民的な負担であって法律により国が協会に徴収権を認めたものである。国がその一般的な支出にあてるために徴収する租税ではなく、国が徴収するいわゆる目的税でもない。国家機関でない独特の法人として認められた協会に徴収権が認められたところの、その維持運営のための受信料という名の特殊な負担金と解すべきである。」としている。このため、協会の放送を受信することができる受信設備を設置した者は、実際に放送を受信し視聴しているか否かにかかわらず、協会と契約し受信料を支払わなければならない。この意味で、受信料は放送の視聴に対する対価ではない。協会の財政的基礎を受信料に負うこととしたのは、協会は、あまねく全国に豊かでかつ良い放送番組を提供するために設立された公共的機関であり、言論報道機関であることから、その財源は、あまねく全国に放送することを可能とするものであるとともに、国、広告主等の影響をできるだけ避け自立的に番組編集を行えるものとする必要があり、このことを実現するために、税や広告収入ではなく、特殊な負担金である受信料制度によることが望ましいと判断したものである(一四九頁)。
受信契約は公法上の契約ではなく、私法上の契約である。受信料の支払を遅滞した場合等の事態が生じた場合は、民事訴訟法の定める手続によることになる(一五三頁)。
なお、著者である金澤薫は、平成一四年から総務省事務次官に就任し、平成一八年現在、日本電信電話株式会社顧問である(著者紹介)。
二 放送受信契約について検討する。
(1) 放送法は、次のとおり規定する。なお、放送法にいう協会とは、日本放送協会(本件の原告)を指す(二条二の二の二、第二章)。
ア 協会の放送を受信できる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない(三二条一項本文)。
イ 協会は、あらかじめ総務大臣の認可を受けた基準によるのでなければ、前項の規定により契約を締結した者から徴収する受信料を免除してはならない(三二条二項)。
ウ 協会は、第一項の契約の条項については、あらかじめ総務大臣の認可を受けなければならない。これを変更使用とするときも同様とする(三二条三項)。
(2) 放送法施行規則六条は、放送法三二条三項の契約の条項には、少くとも次に掲げる事項を定めるものとする、と規定する。
ア 受信契約の締結方法
イ 受信契約の単位
ウ 受信料の徴収方法
エ 受信契約者の表示に関すること
オ 受信契約の解約及び受信契約者の名義若しくは住所変更の手続
カ 受信料の免除に関すること
キ 受信契約の締結を怠った場合及び受信料の支払を延滞した場合における受信料の追徴方法
ク 協会の免責事項及び責任事項
ケ 契約条項の周知方法
(3) 規約(昭和四三年四月一日全部改正版)は、次のとおり規定する。
ア 放送受信契約は、世帯ごとに行うものとする。ただし、同一の世帯に属する二以上の住居に設置する受信機については、その受信機を設置する住居ごととする(二条一項)。
イ 受信機を設置した者は、遅滞なく、次の事項を記載した放送受信契約書を放送局に提出しなければならない。ただし、新規に契約することを要しない場合を除く(三条一項)。
(ア) 受信機の設置者の氏名及び住所
(イ) 受信機の設置の日
(ウ) 放送受信契約の種別
(エ) 受信することのできる放送の種類及び受信機の数
(オ) 受信機の住所以外の場所に設置した場合はその場所
ウ 放送受信契約は、受信機の設置の日に成立するものとする(四条一項)。
(4) 放送法の規定、放送法施行規則の規定、規約の規定からすれば、放送受信契約は、次の特質を有する公法的色彩の強い団体主義が加味された特殊な契約であるということができる。
ア 原告の放送を受信できる受信設備を設置した国民は、原告と放送受信契約を締結しなければならない。
イ 放送受信契約は、受信設備を設置した日に成立する。
ウ 受信設備(受信機)を設置した国民は、受信契約書を放送局に提出しなければならない。
エ 放送受信契約は世帯ごとに行う。
オ 受信料の免除は、あらかじめ総務大臣の許可を得た基準による。
(5) 放送法の立法担当者の説明、放送法逐条解説(放送法の有権的解釈を行うことができる者による解説と解される。)による説明及び原告の本件訴訟における主張によれば、放送受信契約は、次のように解釈、運用されている個人主義を基調として私法上の契約ということができる。
ア 受信料は、国民の特殊な負担金であって、聴取に対する対価ではない。原告は、放送法により、特殊な負担金を団民から徴収することの権能を付与されている。
イ 放送受信契約は、契約当事者間に対価関係のない片務契約である。
ウ 放送受信契約の成立は、受信設備を設置した日ではなく、放送受信契約を締結した日からである。
エ 放送受信契約には解除という概念がなく、受信料支払義務を消滅させるには、受信装置の設置を撤去するか、受信料を原告から免除してもらうことになる。
オ 原告は、特殊な負担金の徴収手段として特別な徴収方法が認められず、民事訴訟法によるべきこととされている。
三 一で認定した事実に基づき、二で検討した放送受信契約を前提として、本件について判断する。
(1) 原告は、放送受信契約の締結が民法七六一条(日常家事債務の連帯責任)の日常の家事に関する法律行為に含まれるのでその法律効果は被告に帰属すると主張する。
ところで、民法七六一条は、双務契約における一方当事者から夫婦の一方と契約した場合に、その行為が日常の家事に関する法律行為に含まれる場合には、夫婦それぞれに連帯責任を負わせて、夫婦と取引をした第三者を保護しようとする規定である。そうすると、契約当事者間に対価関係はない片務契約である放送受信契約に民法七六一条の適用はないと解するのが相当である。したがって、民法七六一条の適用があることを前提とする原告の主張は採用できない。
(2) 原告は、これまでの裁判例や法律学者の鑑定書又は意見書において、放送受信契約には民法七六一条の適用のあることが認められていると主張するので、念のため検討する。
確かに、裁判例(甲七の一、七の二、八、一三、一五)の中には、原告の主張を認めたものが存在する。しかし、これらの裁判例では、放送受信契約の性質について、当事者双方から主張がなく、受訴裁判所も放送受信契約の性質について検討した形跡が認められない。とりわけ、原告が弁論再開の理由として提出を予定した東京地方裁判所の事案は、放送法三二条及び規約が憲法一九条に反するか、憲法二一条一項並びに市民的及び政治的権利に関する国際規約一九条一項に反するか、憲法一三条に反するかという憲法上の問題点が主たる争点となった事案である。本件のように、放送受信契約の性質が主たる争点となった事案ではないので、先例としては適切を欠くものというべきである。
また、法律学者の鑑定書(甲二一)、意見書(甲二二、二三)によれば、放送受信契約に民法七六一条の適用があるとされる。確かに、これらの鑑定書及び意見書には、傾聴に値する意見が記載されているが、放送受信契約の性質、とりわけ、受信料が特殊の負担金であること、放送受信契約が片務契約であることについて言及されていないから当裁判所はいずれの見解も採用しない。
(3) 原告は、Bが本件契約当時、放送受信契約の締結について代理権を与えられていたと主張する。
しかし、被告がBに代理権を授与していた事実は認められない上、被告は、前認定のとおり、Bと婚姻する前からテレビを設置しながら、数回にわたる原告からの放送受信契約の締結の要請を拒絶していた者であり、被告、BともNHKをほとんど視聴していなかったのであるから、被告がBに対し、夫婦にとって何らかの方針決定が必要な法律行為を除く日常生活に伴う法律行為等について、その要否の判断を委ねていたとして、放送受信契約締結の代理権が含まれていたと解することは相当でない。Bには放送受信契約締結の代理権を授与されていたとする原告の主張は採用できない。
(4) 原告は、仮に放送受信契約の締結がBの代理権の範囲に属さないとしても、表見代理が成立し本件契約は有効に被告に帰属すると主張する。
しかし、放送受信契約は、契約当事者間に対価関係はない片務契約であるから、取引の第三者を保護するための表見代理の規定の適用はないと解するのが相当である。したがって、表見代理の規定の適用があることを前提とする原告の主張は採用できない。
(5) 原告は、仮に放送受信契約の締結がBの代理権の範囲に属さないとしても、本件契約は被告により追認されたと主張する。
原告の主張の詳細は、次のとおりである。被告は、原告と放送受信契約を締結したくないと考えていたが、それにもかかわらず、Bは、放送受信契約の締結がBの代理権の範囲に属すると信じ、本件契約の締結について被告に報告する必要はないと考えていた。これらの事実を考え合わせると、被告夫婦の間には放送受信契約の締結について決定的なそごが生じていたことになる。ところが、Bはおよそ一〇か月にわたり放送受信料を支払い続けたのであり、これほど長きにわたって、夫婦間のそごが顕在化しなかったとは考えにくい。そうすると、四回の被告名義での放送受信料の支払のいずれかの回からは、本件契約の存在が被告の知るところとなり、被告の了解の下に放送受信料の支払が行われたと解するのが自然である。
しかし、原告の主張は推測に過ぎず、当裁判所は採用しない。
四 放送受信契約の性質及び本件訴訟の経過にかんがみ、付言する。
(1) 放送受信契約は、二で検討したとおり、放送法の規定、放送法施行規則の規定、規約の規定からすれば、受信設備(テレビ)を設置した日に成立するとともに、世帯ごとに行うものである。そして、原告も契約取次者に対するマニュアルにも世帯主でも配偶者でも署名押印をもらえば足りるとしているし、本件でも、原告の契約取次者であるCが、マニュアルに従い、世帯主でも配偶者でもかまわないから署名押印してもらうと証言しているとおりである。したがって、被告の妻が自らの名において署名押印すれば被告の世帯として放送受信契約を締結したことになると解される、また、被告の妻が被告の名で署名押印しても、放送受信契約の主体が個人ではなく世帯という団体とされている以上、放送受信契約を締結したことになると解される。原告も、前認定のとおり、弁論再開の申立書には、再開理由として、被告に対する本件請求のほか、被告の妻に対する請求を追加することを挙げているのは、この趣旨に沿うものといえる。
(2) しかしながら、放送法は、二で検討したとおり、原告に受信料という特殊な負担金の徴収手段として、租税と同様の取扱いとしたり、電気料金に上乗せしたりする特別な徴収方法を認めず、一般債権と同様の民事訴訟法によるべきこととした。その結果、原告が本件訴訟において主張する放送受信契約は、個人主義を基調とする民法その他の私法によって修正されることになり、放送受信契約の成立は、受信設備(テレビ)を設置した日ではなく、放送受信契約を締結した日からであること、契約主体も世帯ではなく、受信設備(テレビ)設置者に限定されることになったものと考えられる。そして、受信料という特殊な負担金を国民から徴収するという放送受信契約は、国民の側からみれば、受信設備(テレビ)を設置した場合に受信料という特殊な負担金を原告に納付するという、民法上の贈与契約に準ずる契約と解することができる。
そこで、原告と被告との間に本件契約が成立したというためには、被告が妻に代理権を授与しているか、妻の行為を追認するか、取引の第三者を保護する民法上の規定(民法七六一条の日常家事債務の連帯責任、民法一一〇条の表見代理)がなければならない。本件に提出された証拠によれば、これらを認めるに足りる事実は認定できない。
(3) ところで、当裁判所は、原告が「あまねく全国に豊かでかつ良い放送番組を提供するために設立された公共的機関であり」「言論報道機関である」のに、全国的には七〇%の世帯しか原告と放送受信契約を締結していない事情にかんがみ、できるだけ多数の国民が原告と放送受信契約を締結することが望ましいことから、原告と被告の双方に対し、被告が原告との間で新たに放送受信(衛星)契約を締結するという和解勧告をした。しかし、合意には至らなかった。
原告の設立目的に照らしてテレビを購入した国民の大多数が原告との間で放送受信契約を締結することが望まれる。
五 よって、本件請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 杉浦徳宏)
別紙 日本放送協会放送受信規約概要《省略》