札幌地方裁判所 平成21年(わ)436号 判決 2010年3月29日
主文
被告人を無期懲役に処する。
未決勾留日数中270日をその刑に算入する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は,<A>(当時37歳)及び<B>(当時7歳)を殺害して<A>から金品を強取しようと企て,平成19年9月14日午後9時ころ,北海道磯谷郡<a>町字<b><c>番<d><e>線道路改良工事<b>工区内の土捨て場において,
第1前記<A>に対し,殺意をもって,その頭部を鈍器様のもので多数回殴打し,よって,そのころ,同所において,同人を頭部打撲に基づく脳挫滅により死亡させて殺害し,同人所有の現金約40万円在中の財布1個を強取し,
第2前記<B>に対し,殺意をもって,その頭部を鈍器様のもので1回殴打したが,同人に受傷の翌日から196日間の入院加療を要する脳挫傷,開放性頭蓋骨陥没骨折等の傷害を負わせたにとどまり,同人を殺害するに至らなかった。
(証拠の標目) 省略
(事実認定の補足説明)
1 争点等
本件では,何者か(以下「本件犯人」という。)が,判示第1及び第2記載のとおり,<A>(以下「被害女性」という。)を殺害して同人所有の財布1個を強取するとともに,その娘である<B>(以下「被害児童」といい,被害女性と併せて「被害者親子」という。)を殺害しようとして傷害を負わせたことに積極的な争いはない。
そして,検察官ら(以下「検察官」という。)は,被告人が本件犯人である旨主張するのに対し,弁護人ら(以下「弁護人」という。)は,被告人は本件犯人ではなく,無罪である旨主張し,被告人も,公判廷において,これに沿う供述をしている。
そこで,以下において,この争点に関する判断を補足して説明する。
なお,この説明に当たっては,本件に関連する地域(札幌市<f>区及び同市<g>区西部)の地図を参照することが有用であるので,別紙として当該地域の地図を添付(省略)する(本件当日と地図作製のための情報収集時とが時的に一致するものではないが,以下の検討に影響するほどの状況の差異(大規模な道路新設等)がないことは,当裁判所に顕著である。)。
2 前提事実
(1) まず,関係証拠によれば,被害者親子が被害に遭った状況は,次のとおりであったと認められる。
ア 被害者親子は,平成19年9月14日(以下「本件当日」ともいう。)午後9時ころ,北海道磯谷郡<a>町字<b><c>番<d><e>線道路改良工事<b>工区内で,道道<h>号(道道<e>線,通称「<i>」)から西方に分岐した道路を約1.7キロメートル進行した先にある土捨て場(以下「本件現場」という。)に至った。
イ 被害女性は,そのころ,本件現場において,本件犯人から,金属製の棒状で一部に弧状の面を有する鈍体(以下「本件凶器」という。)で,多数回にわたり,相当の強度で頭部を殴打されて,9か所の頭部挫裂創群,頭蓋骨粉砕骨折,大脳右半球挫滅,広範囲の脳挫傷等の傷害を負い,受傷後極めて短時間のうちに,頭部打撲に基づく脳挫滅により,死亡した。
ウ 被害児童は,そのころ,同所において,本件犯人から,本件凶器で,左頭頂部を1回殴打され,脳挫傷,開放性頭蓋骨陥没骨折等の傷害を負った。
なお,被害児童は,受傷の翌日である平成19年9月15日に入院し,転院を経て,平成20年3月28日に退院した(公訴事実では,同傷害につき,入院加療197日間を要するものとされているが,この入退院の履歴からすると,現実に入院加療を受けた日数は196日間となる。)。
(2) 次に,関係証拠によれば,その後の状況として,次の各事実が認められる。
ア 被害者親子は,被害の翌日である平成19年9月15日午前7時40分ころ,本件現場で倒れているところを,測量のために訪れた作業員らにより発見された。
イ その際,被害者親子の周辺に,被害者親子の所持品が多数散乱するなどしていたが,被害者親子が身に付けていたものや周辺に散乱していた所持品の中に現金はなく,被害女性が本件当日所持していた銀色の二つ折りの財布(以下「本件財布」という。)や,被害者親子がそれぞれ所持していた携帯電話機もなかった。
ウ このうち,被害児童が所持していた携帯電話機は,同月18日,北海道寿都郡<j>町字<k>町<l><m>番地先海岸で発見され,被害女性が所持していた携帯電話機は,同月19日,同所から南西方向に約357メートル離れた<j>町字<k>町<l><n>番<o>先海岸で発見された。
(3) 上記(1)のとおり,本件犯人が,金属製の鈍体を凶器として用いて,被害女性及び被害児童の頭部を,それぞれに重大な損傷を与えるほどの強度で殴打したことからすると,本件犯人は,被害女性及び被害児童の両名に対し,殺意をもって,その攻撃を加えたものと推認できる。
なお,被害児童の遺留品である麦わら帽子の外側の面からは,被害女性のDNA型と同型のDNA型を有する人血が検出されており,このことからすると,本件犯人は,まず,被害女性に攻撃を加えた上で,被害児童に攻撃を加えたものと推認できる。
そして,上記(2)イの状況からすると,本件犯人が被害女性の財布1個を持ち去ったことが推認され,ひいては,本件犯人は,被害女性に対して,金品を強取するために,上記の攻撃を加えたものであり,その機会に被害児童に対しても攻撃を加えたものであると推認できる。
(なお,犯人が強取した財布が現金約40万円在中のものであることについては,後記14で述べる。)
3 検察官の主張
検察官は,①被害者親子が,本件当日の午後5時47分過ぎころに,被告人が運転する車両に同乗していたところ,その後,同車両から降りることなく本件現場に向かったといえること,②被告人が,被害女性が現金40万円を所持していることを知っており,これを強奪する目的を持っていたこと,③被告人が,特殊な場所である本件現場に土地鑑を有していたこと,④被告人が,被害者親子の携帯電話機に自己の痕跡を残しており,これらを持ち去る必要があったこと,⑤被告人が,本件当日の午後9時48分ころ,本件現場の西方にあり,被害者親子の各携帯電話機が投棄された場所と被告人方の間に位置する場所にいたこと,⑥被告人が,本件凶器の特徴に符合する工具を自己の生活領域に常時持ち合わせていたこと,⑦被告人が,被害女性と面識があり,被害者親子に警戒心を抱かせない人物であったことを指摘して,これらの事情を総合すれば,被告人が本件犯人であることが推認される旨主張している。
そこで,これらのうち,重要又はある程度の意味がある間接事実と考えられるものから,順次検討する。
4 被害者親子の被告人運転車両への同乗について
(1) まず,次の各事実については,当事者間に争いがなく,関係証拠によっても,確かな事実であると認められる。
ア 被告人は,平成19年9月3日に携帯電話サイトを通じて札幌市内に住む被害女性と知り合った。
イ 被告人は,本件当日,被害女性と会うために,<j>町字<p>町<q>番地<r>所在の当時の被告人方(以下,単に「被告人方」という。)から,普通乗用自動車(トヨタハイラックスサーフ。以下「被告人車両」という。)を運転して,同市内に赴いた。
被告人は,同日午後1時過ぎに,被害女性との待ち合わせ場所である同市<g>区<s><t>条<u>丁目<v>番<w>号(別紙地図上,概ね⑤の位置)所在の株式会社<C><s>店付近に着き,午後1時5分と午後1時19分の2度にわたって被害女性に電話した後,被害女性と落ち合った。被告人は,しばらく被害女性と行動をともにした後,いったん別れたが,被害児童を連れた被害女性と再び会って行動をともにし,同日午後3時30分ころから午後4時27分ころまでの間,被害者親子とともに,同区内のホテルを利用した。
ウ その後,被告人は,被告人車両に被害者親子を乗せてドライブをしていたが,その途中,同市<f>区<x><y>番地(別紙地図上,概ね①の位置)所在のチェーン着脱場(以下「本件チェーン着脱場」という。)に立ち寄り,その敷地内にある公衆トイレを利用した後,同日午後5時47分4秒から49秒間,携帯電話機で被告人方に電話をかけた。
そして,被告人は,その電話をかけ終えてから,再び被害者親子を乗せた被告人車両を運転して,本件チェーン着脱場を出発した。
(2) 被害者親子は,その後,前記2(1)のとおり,同日午後9時ころに本件現場に至り,本件各被害に遭っているところ,本件現場は,<a>町及び近隣の町のいずれの市街地からも遠く離れた山中にあり,周辺に街路灯等の照明設備や民家は一切ない場所である。そのような本件現場の地理的状況や,札幌市と本件現場との地理的関係からすれば,被害者親子は,本件犯人と一緒に自動車で本件現場に至ったものと推認できる。
そして,上記(1)のとおり,被告人は,被害者親子が本件犯人とともに本件現場に到着した時刻のわずか3時間十数分前である同日午後5時47分を過ぎたころに,被害者親子を被告人車両に同乗させて札幌市<f>区内の本件チェーン着脱場を出発しているのであるから,そのことは,被告人が本件犯人であることを相当程度強く推認させる事情であるといえる。
(3) 加えて,検察官は,本件当日に被害者親子がそれぞれ所持し,後日発見された各携帯電話機(前記2(2)ウ)に保存された通信記録及び捜査機関が実施した走行実験の結果から,被害者親子は,被告人車両に同乗して本件チェーン着脱場を出発した後,被告人車両から降りることなく本件現場に向かったことが推認される旨主張している。
(4) そこで検討すると,まず,被害者親子の各携帯電話機に関し,関係証拠によれば,以下の各事実が認められる。
ア 携帯電話機は,電話の発受信や電子メールの送受信を行う際などに,アンテナが設置されているネットワーク設備である基地局と通信(電波のやり取り)をする。
基地局に設置されているアンテナには,指向性を持たないアンテナと指向性を持ったアンテナの2種類があり,前者は,360度の全方位に同じ強さの電波を輻射するアンテナであり,後者は,ある特定の方位角(セクター)に電波を強く輻射するアンテナである。各基地局には,前者については1つの,後者についてはセクターごとに,それぞれコード番号が付されている。
被害者親子の各携帯電話機には,基地局と通信をした際に,その日時,通信種別,最も電波状態の良い基地局(PN1),次候補の基地局(PN2)及び次々候補の基地局(PN3)の各コード番号,PN1,PN2及びPN3の各基地局との通信状態,PN1及びPN2の「Ec/Io」という電波の品質を表す各相対値,「Rxパワー」という受信電波の強さを表す絶対値並びに実際に通信した基地局の緯度経度情報等を,内蔵する記憶装置(メモリー)に記録し,保存する機能が備わっていた。これらの情報は,機械的に当該携帯電話機の記憶装置に記録され,一定の法則に従って保存されたり消去されたりする。
各基地局との通信状態は,「A Set」(アクティブ セット)又は「CSet or N Set」(キャンディデート セット 又は ネイバー セット)と表示され,PN1の基地局の通信状態が「A Set」であり,PN2及びPN3の各基地局の通信状態がいずれも「C Set or N Set」であれば,PN1の基地局と実際に通信したことを表す。
Ec/Ioの単位は「dB」で,マイナスの値であり,零に近いほど電波の品質が良いと評価できる。また,Rxパワーの単位は「dBm」で,これもマイナスの値であり,零に近いほど電波が強いと評価できる。
イ 被害女性の携帯電話機には,本件当日の午後6時17分22秒に,コード番号420の基地局と実際に通信し,その際のEc/Ioの数値はマイナス5.5dB以上,Rxパワーの数値はマイナス87dBmであるという情報が保存されていた。
ウ 被害児童の携帯電話機には,同日午後6時20分42秒と48秒に,いずれもコード番号420の基地局と実際に通信し,前者の際のEc/Ioの数値はマイナス5.5dB以上,Rxパワーの数値はマイナス70dBm,後者の際のEc/Ioの数値はマイナス5.5dB以上,Rxパワーの数値はマイナス69dBmであるという情報が保存されていた。
エ また,同携帯電話機には,同日午後6時23分54秒と56秒に,いずれもコード番号208の基地局と実際に通信し,前者の際のEc/Ioの数値はマイナス5.5dB以上,Rxパワーの数値はマイナス95dBm,後者の際のEc/Ioの数値はマイナス10dB,Rxパワーの数値はマイナス97dBmであるという情報も保存されていた。
(5) そして,<D>株式会社(以下「<D>」という。)<E>本部<F>センター<G>グループのリーダーである<H>は,公判廷において,概要以下のとおり供述している。
ア <H>は,被害者親子の各携帯電話機に保存されていた実際に通信した基地局のコード番号及び緯度経度情報から,当該基地局を特定する作業を行った。その方法は,当該緯度経度の周囲にある当該コード番号の付された基地局を当該基地局として特定したものである。
なお,複数の基地局に同じコード番号が付されている場合もあるが,近くの基地局になるべく同じコード番号を付さないよう設計されているので,上記のとおり緯度経度情報を活用することにより,基地局を特定することは可能である。
イ 上記アの作業の結果,上記(4)イ及びウの各通信をした基地局は,いずれも札幌市<f>区<z>(a)番地(b)(別紙地図上,概ねEの位置)所在の指向性を持たないアンテナが設置された基地局(以下「<z>基地局」という。)であり,上記(4)エの各通信をした基地局は,いずれも同区(c)東(d)丁目(e)番地(別紙地図上,概ねFの位置)所在の指向性を持ったアンテナが設置された基地局(以下「(c)基地局」という。)のセクター1(北を0度,東を90度,南を180度,西を270度とした場合の,60度プラスマイナス60度の方位角に指向性を持つアンテナ)であると特定した。
ウ 上記(4)イの通信の際のEc/Io及びRxパワーの各数値を見ると,電波の品質は良く,受信電波の強さは普通に受信できるレベルである。
同ウの各通信の際のEc/Io及びRxパワーの各数値を見ると,いずれも電波の品質は良く,受信電波の強さも良好である。
同エの各通信の際のEc/Io及びRxパワーの各数値を見ると,いずれも電波の品質は良いが,受信電波の強さはそれほど強くない。
エ <D>において,平成17年6月に<z>基地局や(c)基地局の電波に関する測定を実施した結果(以下「<D>測定結果」という。)によれば,国道(f)号の道路上において,<z>基地局の電波を最も良い品質で受信した範囲は,同基地局の東側では,同区(g)(h)番地(別紙地図上,概ね②の位置)所在の(i)橋から東方向に二,三百メートル進んだ辺りまでであり,それ以東では,<z>基地局の東側である同区(j)(k)番地(l)(別紙地図上,概ねCの位置)所在の(g)基地局の電波を最も良い品質で受信するようになった。また,<z>基地局の西側では,同区(c)東(m)丁目(別紙地図上,概ね③の位置)所在の(n)トンネル東端までであり,(n)トンネル西端以西では,(c)基地局の電波を最も良い品質で受信するようになった。さらに西側に進んだ同区(c)東(o)丁目(別紙地図上,概ね④の位置)所在の(p)トンネル西端以西では,同基地局の電波をかなり良い品質で受信できた。
なお,この測定の時点と平成19年9月14日時点とで,<z>基地局や(c)基地局の電波に特段の変更はない。
オ 携帯電話機に保存されている実際に通信した基地局のコード番号及び緯度経度情報を時系列順に見ていくと,その前後に通信した基地局から著しく遠い場所にある基地局(遠隔地基地局)と通信した記録が保存されている場合がある。これは,携帯電話機と遠隔地基地局が,山の頂上とふもとに位置している場合や,湾を挟んで位置している場合など,両者の間の見通しや見晴らしが良い場合に,遠隔地基地局の電波が設計で考えられていた以上の距離を飛ぶことによって生じるものである。
基地局からの電波は直線的に飛ぶから,携帯電話機と遠隔地基地局との間に障害物がない場合には,携帯電話機が遠隔地基地局の電波を直接波として受信し,その電波の品質や強度が良好な場合がある。他方,携帯電話機と遠隔地基地局との間に障害物がある場合には,その通信における電波の品質や強度は悪くなるし,より近くにある別の基地局と通信する可能性が高まる。
カ 以上を前提に,上記(4)イ,ウ及びエの各通信をした時点における携帯電話機の所在場所を検討すると,上記(4)イ及びウの各通信をした<z>基地局は,アンテナが標高260メートルの高さに設置されており,同基地局と札幌市街地との間に,同基地局からの電波が飛ぶ上で障害物となる標高826.7メートルの(q)山等があることや,札幌市街地には約1キロメートル程度の間隔で多数の基地局が設置されていることからすると,これらの通信をした際の携帯電話機の所在場所が札幌市街地であったとは考え難い。また,上記(4)エの通信をした(c)基地局は,<z>基地局より更に札幌市街地から離れた場所に存在するから,この通信をした際の携帯電話機の所在場所が札幌市街地であったとも考え難い。
(6) <H>の上記公判供述は,同供述から認められる同人の経歴等からすれば同人は十分な専門的知見を有するものと認められるし,その供述内容に合理性の疑わしい点や不自然な点もないことから,十分にこれを信用することができる。
なお,弁護人は,①被害者親子の各携帯電話機が通信した基地局の特定作業(上記(5)ア,イ)に関し,<H>がそのような作業を行ったのは初めてである上,それは客観的な作業ではなく,判断を要する作業であること,②<D>測定結果(上記(5)エ)に関し,<H>自身がその測定を行ったわけではない上,その測定時から平成19年9月14日までに生じた外的要因により電波状況が変化した可能性もあること,③被害者親子の各携帯電話機が,上記(4)イ,ウ及びエの各通信をした際に,札幌市街地に所在していた可能性の有無(上記(5)カ)に関し,<H>は,札幌に土地鑑はなく,地図等のみから地形等を判断していることなどから,<H>の上記公判供述は信用できない旨主張している。
しかし,上記①の点について見ると,<H>の公判供述によれば,基地局の特定作業は,基本的には,上記(5)アのとおり携帯電話機に保存されていた緯度経度情報とコード番号を対照すれば足りる機械的作業であり,<H>は,同じコード番号を持つ複数の基地局が緯度経度の近い場所にある場合に判断に迷ったこともあったが,少なくとも,上記(5)イの各基地局を特定する上で判断に迷うことはなかったと認められるから,この点は,上記(5)イのとおりに基地局を特定したことに関する<H>の公判供述の信用性を左右しない。
また,上記②の点について見ると,<D>測定結果は,電話通信事業を行う会社の事業遂行上の必要から,その担当者によって測定が実施された結果として,機械的に得られた数値で表された客観的なものであるから,<H>自身が測定を実施していないことによりその信憑性が低くなるという類のものではない。そして,<H>の供述する<D>測定結果は,当該地域の地形,すなわち,国道(f)号は,<z>から東方については,(i)橋付近を底として湾曲した形状になっている(別紙地図参照)ところ,この湾曲部分の道路北側には,標高498メートルの(r)山が迫っていることに照らしても,自然であり,納得できる結果である。さらに,この<D>測定結果は,平成20年9月11日,<D>職員立会いの下,携帯電話機(基地局番号や基地局から受信する電波強度等が表示されるプログラムを組み込んだもの)を用いて(i)橋周辺等における電波の受信状況等を測定したところ,(i)橋から約1キロメートル東方の地点では(g)基地局からの電波を最も良い品質で受信する一方,(i)橋上では<z>基地局からの電波を最も良い品質で受信したという検証結果や,同年12月8日,携帯電話機を用いて(n)トンネル周辺等において電子メールを送受信したところ,(n)トンネル西端付近では<z>基地局と通信したものの,そこから約200メートル西方の市道(s)線上では(c)基地局のセクター1と通信したという実験結果とも概ね整合している。そうすると,上記②の点も,<D>測定結果に関する<H>の上記公判供述の信用性を左右するものではない。
次に,上記③の点について見ると,現地を直接見分しなくとも,地図等からその地形等を判断することが可能なのは明らかである。そして,<H>が,上記(5)カのとおり,上記(4)イ,ウ及びエの各通信をした際の携帯電話機の所在場所が札幌市街地であった可能性を否定する根拠として述べる諸点は,客観的な地形等や,被害者親子の各携帯電話機が遠隔地基地局と通信した際の電波の品質及び強さに符合し,内容も合理的なものである。
なお,この点について,弁護人は,上記(4)イ,ウ及びエの各通信をした際,電波が長距離を飛んだことによって,遠隔地にあった携帯電話機が<z>基地局や(c)基地局と通信をした可能性がある旨主張するところ,被害児童の携帯電話機が本件当日の午後9時8分59秒に,被害女性の携帯電話機が同日午後9時9分40秒に,いずれもその前後の通信状況から見て遠隔地基地局と考えられる北海道虻田郡(t)村所在の基地局(以下「(t)基地局」という。)のうち方位角が300度プラスマイナス60度のセクターと通信し,前者の通信の際のEc/Ioがマイナス5.5dB以上,Rxパワーがマイナス67dBm,後者の通信の際のEc/Ioがマイナス5.5dB以上,Rxパワーがマイナス64dBmと,いずれも電波の品質及び強さともに良好な状態であったことが認められ,一見すると弁護人の上記主張を支えるようにも思われる。しかしながら,<D>において,平成17年6月に(t)基地局等の電波に関する測定を実施した結果によると,<i>のうち本件現場南方向の一部や(u)の中腹に同基地局との間の見通しが良い場所があり,そのような場所では,より近くに別の基地局があるものの,(t)基地局の電波を直接波として受けるため,電波の品質及び強さともに良好な状態で受信することがあったと認められる。そして,<z>基地局や(c)基地局と札幌市街地方向との間には,上記のとおり,(r)山,(q)山等があるなど,直接波を受けることのできる範囲が限定される地形条件にあるから,被害者親子の各携帯電話機が(t)基地局との間で上記のような通信をしているからといって,上記(4)イ,ウ及びエの各通信をした際の携帯電話機の位置が,<z>基地局ないし(c)基地局から見て札幌市街地方向に遠く離れた場所であった可能性があるとはいえない。
以上のとおり,弁護人の上記主張は採用できず,上記(5)の<H>の公判供述のとおりの各事実を認定することができる。
(7) 以上の認定事実によれば,被害者親子は,本件当日の夕方,①午後6時17分22秒の時点で,<z>基地局の電波を最も良い品質で受ける同基地局付近の場所におり,②午後6時20分ころにも,同基地局付近の範囲内におり,③午後6時23分54秒の時点では,(c)基地局の電波を最も良い品質で受ける同基地局付近の場所((n)トンネル西端付近よりも西側)にいたものと推認できる。
そして,<z>基地局付近を通過して西方へ移動する場合,その近辺の地形及び道路網の状態からすれば,本件チェーン着脱場から北上した後,途中で西に向かう場合であれ,いったん札幌市街地に立ち寄った上で西に向かう場合であれ,国道(f)号と通称<s>通との合流点以降は,同国道を利用することが最も合理的な経路と考えられるところ,被害者親子が,そのように同国道を利用して移動していた場合であれば,①の時点における具体的な場所は,(i)橋の東方約300メートルの場所付近よりも西側ということになる。一応合理的と考えられる他の経路としては,通称(v)道等の同国道より北側の山沿いの道路があるが,この場合,その付近の地形((r)山等の存在。)上,同国道を利用する場合よりも<z>基地局からの電波を受信しにくいことが明らかであるから,被害者親子がその山沿いの道路を利用していた場合であっても,(i)橋の東方約300メートルの場所付近よりも東側にいたということは考え難い。
なお,弁護人は,被害者親子が,本件当日の午後6時34分から午後8時13分までの間,各自の携帯電話機を使用して,複数回にわたり,互いに好きであるとか,おなかがすいたなどという内容の電子メールのやり取りをしていることから,上記の午後6時17分ころから23分ころまでの時間帯を含めて,被害者親子が同じ車両に乗っていなかった蓋然性がある旨主張する。しかし,被害者親子が,少なくとも本件当日の午後5時47分を過ぎたころまで行動をともにし(上記(1)),同日午後9時ころにも本件現場で一緒にいたこと(前記2(1)),被害者親子の各携帯電話機の通信記録等から,その間も被害者親子が同じような移動をしていると認められること,被害児童が本件当時7歳と幼く,その母親である被害女性があえて被害児童を別の車両に乗せて移動するとは考え難いこと,上記電子メールの内容も,被害者親子が同じ車両に乗っていた場合のやり取りとして,必ずしも不自然なものではないことなどを総合すれば,被害者親子は,同じ車両に乗っていたものと認められる。弁護人の上記主張は採用できない。
(8) 以上のように,本件当日の午後5時47分を過ぎたころに被告人車両に同乗して本件チェーン着脱場を出発した被害者親子が,同日午後6時17分ころから午後6時23分ころにかけての時間帯に上記(7)の場所を移動していた事情として考えられることは,①被告人車両に同乗したままであったということと,②被告人車両からは降車して別の自動車に乗車していたということの,二つしか考えられない。
そして,その移動の間にわずか約30分間しか経過していないこと,被害女性の携帯電話機の通話記録及び電子メールの送受信記録には,その間に被害女性が第三者と連絡を取った形跡が一切ないことからすれば,②の可能性よりも①の可能性が圧倒的に高いといえる。
(9) この点に関連して,関係証拠によれば,以下の各事実が認められる。
ア 警察官らは,平成20年11月17日,同月18日,同月19日の3回にわたり,捜査用車両を使用して,午後5時47分に本件チェーン着脱場を出発した後,国道(w)号を北上し,(x)橋下を左折し,(y)旧道(通称<s>通)を経由して国道(f)号に向かい,同国道を西進した上で,(z)を北上するルートで,交通の流れに沿って走行し,午後6時23分に到達した地点を確認する実験を行ったところ,具体的な地点は日によって異なるものの,3回とも,(n)トンネルを通過して西方に進んだ上で,(z)の途中まで北上した地点([a]橋又は[b]トンネル)に至った。
イ 警察官らは,同年9月17日,同月18日及び同月19日の3回にわたり,捜査用車両を使用して,午後5時47分に本件チェーン着脱場を出発した後,国道(w)号を北上し,(x)橋下を左前方に進行し,[c]公園前の[d]線を経由して国道(f)号に向かい,同国道を南下した上で西進するルートで,交通の流れに沿って走行し,午後6時17分及び午後6時20分に到達した各地点を確認する実験を行ったところ,具体的な地点は日によって異なるものの,3回とも,午後6時17分に錦トンネル付近又はそのやや西方の地点((n)橋付近)に至り,午後6時20分には更にその西方の地点まで至った。
ウ 警察官らは,同月12日及び同月17日の2回にわたり,捜査用車両を使用して,午後5時47分に本件チェーン着脱場を出発した後,国道(w)号を北上し,(x)橋を直進し,[e]公園内の[f]橋を経由して国道(f)号に向かい,同国道を西進するルートで,交通の流れに沿って走行し,午後6時17分及び午後6時20分に到達した各地点を確認する実験を行ったところ,具体的な地点は日によって異なるものの,2回とも,午後6時17分に(i)橋のやや東方に至り,午後6時20分には(i)橋のやや西方に至った。
(10) 札幌市<f>区内における国道(w)号と国道(f)号付近の道路の接続状況を踏まえると,上記(9)の各走行実験のうち,ウの経路は,本件チェーン着脱場から<z>方面へ向かう経路としてそもそも合理性が乏しいものである。
そこで,その他の2経路について見ると,まず,アの経路の走行実験では,午後6時17分の時点で,既に<z>基地局の電波を最も良い品質で受ける場所を通過し,(c)基地局の電波を最も良い品質で受ける場所に至る結果になっている。しかし,そもそも,被告人が被害者親子を被告人車両に乗せて本件チェーン着脱場を出発した時刻については,これが午後5時47分53秒に被告人が自宅への電話をかけ終えた後であることは確かなことと認められるものの,電話をかけ終えてから出発するまで若干の時間の経過があった可能性があるし,午後5時47分を過ぎたころに本件チェーン着脱場を出発した後,午後6時23分ころまでの間に到達する具体的な地点は,当日の道路状況や運転態度等の条件の違いによって,ある程度の範囲で異なり得るものである。そのような事情も考慮すると,同経路の走行実験結果は,必ずしも上記(8)②(被害者親子が被告人車両とは別の自動車に乗車したこと)の具体的可能性があることを示すものとはいえず,上記(8)①(被害者親子が被告人車両に同乗したままであったこと)と十分に整合するものである。
そして,イの経路の走行実験では,午後6時17分及び午後6時20分に,本件当日の当該時刻に被害者親子がいたと推認される位置と概ね符合する場所に到達しているものといえるから,同経路の走行実験結果は,上記(8)②よりは,上記(8)①とよく整合するものである。
(11) 以上の検討を踏まえると,上記(2)のとおり,本件当日の午後5時47分を過ぎたころ,被告人車両に同乗して本件チェーン着脱場を出発した被害者親子が,上記(7)のとおり,同日午後6時17分ころに<z>基地局付近の場所に至り,同日午後6時23分ころに(c)基地局付近の場所にいた事情として考えられる二つの事情(上記(8)①,②)のうち,前者(被害者親子が被告人車両に同乗したままであったこと)こそが真実である可能性が極めて高いといえる。
そして,上記両基地局付近の場所から本件現場付近までの,道路網の状態,被害者親子の各携帯電話機と基地局との通信状況及び走行実験結果も踏まえると,被害者親子は,(c)基地局付近を通過した後,引き続き,同じ車両で本件現場に向かった可能性も高いといえるから,被告人が本件犯人であることが強く推認される。
(12) さらに,被害児童は,公判廷において,概要以下のとおり供述している。
ア 本件当日,小学校の遠足が終わって帰宅し,自宅の前で,被害女性とともに知らない男の運転する車に乗り,ドライブに出かけた。車内では,被害女性が助手席に,被害児童が後部座席に座った。
イ ドライブの途中で,<C>に寄ったほか,1回トイレに行った。その後,山の広いところに行った。
ウ 山の広いところで,被害女性と男が急にけんかを始め,被害女性は,「やめてよ。貸さない。」と言っていた。その後,被害女性は逃げるように車を降り,男も助手席側に移動してから車を降りて,車の前で被害女性を何かで殴った。さらに,被害児童も,男によって車から降ろされ,殴られた。
エ 被害女性や被害児童を殴った男は,トイレに行ったときに一緒にいた男であり,トイレを出てから山の広いところに行くまでの間に,別の人の車に乗り換えたことはなかった。
オ 本件当日に車を降りたのは,トイレと山の広いところの2回である。
(13) この被害児童の公判供述については,被害児童が,本件当時7歳と幼かったこと,見知らぬ者により,目の前で母親が殺害され,自身も襲われるという衝撃的な事態に遭遇した上,頭部に重傷を負ったこと,上記公判供述が,本件から2年半近くが経過した後の供述であることなどを考慮すると,その観察や記憶に正確さを欠く部分があることも考えられるところである。そして,被害児童は,実際に,上記(1)のとおり被告人及び被害女性とともに札幌市<g>区内のホテルを利用したことについて,公判廷で供述していない上,平成19年11月2日から平成21年4月9日までの間に作成された計10通の供述調書の中でも一度も言及したことがなく,この点に関する記憶の欠落があるとうかがわれる。
もっとも,被害児童には,あえて虚偽の供述をする動機は見当たらないし,上記公判供述の内容を見ても,上記ホテル利用の点を除けば,上記(1)で認定した事実と整合していて,特に不自然な点は見受けられない。また,ある日の午後に他人の車に乗車した後,遠方まで自動車で移動したということがあった際に,その間,同じ車に乗っていたのか,別の車に乗り換えたのかは,7歳の児童であっても,十分に区別して認識し,記憶できる事柄である。
上記のような記憶の欠落があることなどに照らすと,被害児童の上記公判供述のみから,被害者親子が,本件当日,本件チェーン着脱場を出発した後,本件現場に至るまで,同じ車(つまり被告人車両)に乗ったままであったと認定することはできないが,被害児童が別の車に乗り換えた記憶を有していないということ自体は信用できるものである。被害児童が別の車に乗り換えた記憶を有していれば,上記(11)の推認が揺らぐことになるところ,被害児童の上記公判供述は,そのような推認を揺るがす事情が見受けられないという限度で,当該推認を支えるものといえる。
5 現金を巡る事情(前記3②)について
(1) 検察官は,①被告人が,本件当日の朝まで現金を保有していなかったこと,②被告人が,本件当日,被害女性に金策を働きかけたこと,③被告人が,本件当日,被害女性が現金40万円を引き出したことを知っていたこと,④被告人が,本件当日の夜及び翌朝に,現金合計28万円余りを保有していたことから,被告人が,被害女性が現金40万円を所持していることを知っており,これを強奪する目的を持っていたことが推認される旨主張している。
(2) そこで検討すると,まず,上記(1)①及び④の点に関し,関係証拠によれば,以下の各事実が認められる。
ア 被告人は,平成19年におけるまとまった収入として,同年2月に120万円と同年5月末ころに35万円を得たのみであり,本件当時は,妻の給与や親族の援助を頼りに生活していたが,妻に対し,そのあてがないにもかかわらず,仕事でまとまった金が入る旨うそを言うことがしばしばあり,妻からは,その金はいつ入るのかなどと,家計に金を入れるよう何度か催促されていた。また,被告人は,同年9月10日から同月13日までの間にも,妻に対し,同月14日には仕事でまとまった金が入る旨うそを言っていた。
イ 被告人は,<I>株式会社<J>給油所(以下「本件給油所」という。)で車に給油する際,給油代金をその都度支払うことはせず,本件給油所から一定期間の給油代金の総額を請求されてから支払う,いわゆるつけ払いをしていた。また,被告人は,本件当日の午前10時5分ころにも,本件給油所で給油したが,その場では給油代金を支払わなかった。
ウ 被告人は,本件当日の午後10時過ぎころ,被告人方に帰宅した後,妻に対し,仕事で得た金であるなどと言って,すべて1万円札で合計21万円を手渡した。
エ 被告人は,本件翌日の午前10時4分ころ,本件給油所で給油した際,自らそれまでの未払代金を支払う旨告げ,合計7万2719円を一括して現金で支払った。
(3) 上記(2)の各事実によれば,被告人が,本件当日の朝までは現金をほとんど保有していなかったが,本件当日の夜に帰宅した際に28万円以上の現金を保有していたこと,ひいては,その間に同現金を入手したことが強く推認される。
この点,被告人は,①本件当時,妻に内緒でためた30万円以上の現金を,かばんと被告人車両の中に分けて隠し持っており,上記(2)ウ及びエの現金合計28万円余りは,そのように隠し持っていた現金の中から出したものであり,②上記(2)ウの時点で妻に現金を手渡したのは,その当時,妻から,子供の学校関連の行事である旅行の代金等として金を入れるよう催促されていたところ,その行事の日程が迫っており,本件当日がたまたま被告人が経営していた会社の給料日に当たる日でもあったからであるし,③上記(2)エの時点で本件給油所において未払代金を支払ったのは,本件給油所では,妻の知人である女性が働いており,妻からは,本件給油所でつけ払いをしないように言われていたところ,同女性の子供と被告人らの子供は同級生であり,同女性が,上記行事で被告人の妻と顔を合わせた際に,妻に対し,被告人が本件給油所でつけ払いをしていることを話してしまうのではないかと考えたからである旨供述している。
しかし,被告人は,上記(2)アのとおり,本件当時,妻から家計に金を入れるよう何度か催促され,家計が苦しく,妻が困っていることを十分に承知していながら,本件当日の朝までは妻の催促に応じてこなかったものであり,また,上記(2)イのとおり,本件給油所では,本件当日の朝までは,給油代金をつけ払いにしてきたものであって,被告人が30万円以上の現金を隠し持っていたというのは,これらの行動に照らし,不自然・不合理である。上記②及び③の各説明も,それまでに28万円以上の現金を持っていて,出そうと思えば出せたのに出さないという態度を貫いてきながら,本件当日の夜及び翌朝になって初めて出した理由として,合理的なものとはいえない。
なお,被告人は,本件前日である平成19年9月13日の日中に,携帯電話サイトを通じて知り合った女性である<K>(当時15歳)と初めて会い,被告人が運転する車両に同女を乗せて北海道小樽市近郊の山中に行っているところ,<K>は,公判廷において,被告人からは,愛人契約を結んで月40万円を前払いで払う旨の電子メールが送られてきていたのに,実際には,金を払わずに性的行為を求められたばかりか,被告人に金を預けるよう執拗に要求されたが,何とか金を渡さずに帰宅することができた旨供述している。この供述は,具体的で特に不自然な点はなく,愛人契約の話や性的行為を求められた話など,公判廷で供述することに心理的抵抗の大きい内容を含むものであって,<K>が,あえて虚偽の供述をするとは考え難いことなどからすれば,十分に信用することができる(なお,被告人は,<K>に対し,性的行為を求めたり金を預けるよう要求してはいない旨供述するが,信用性の高い<K>の上記公判供述に照らし,信用できない。)。この<K>の公判供述から認められる被告人の言動は,被告人が現金をほとんど保有していなかったことを有意に推認させるほどの事情とはいえないものの,被告人がそのような状況にあったことに沿う言動であるといえる。
以上によれば,被告人は,本件当日の朝に被告人方を出発してから同日夜に帰宅するまでの間に,28万円以上の現金を入手したものであると十分に推認できる。
(4) 次に,上記(1)②及び③の点に関し,関係証拠によれば,以下の各事実が認められる。
ア 被害女性は,自分名義の預金口座並びに被害児童名義及び異母弟名義の各貯金口座を管理していたところ,本件当日の時点では,上記異母弟名義の貯金口座を除き,ほとんど残高がない状態であった。また,その異母弟名義の貯金口座の残高は,被害女性が本件当日の午前10時ころに振替送金をして出金した時点で,124万971円となっていた。
イ 被害女性は,同日の午後1時47分ころ,<C><s>店内のATMコーナーに入り,上記異母弟名義の貯金口座から,2回にわたり100万円を引き出そうとし,その後50万円を引き出そうとしたが,いずれも引き出すことができなかった。被害女性は,引き続き,同口座から10万円を引き出した後,同日午後1時51分ころ,同ATMコーナーの外に出た。
被害女性は,同日午後1時55分ころ,再び同ATMコーナーに入り,同口座から,3回にわたり10万円ずつを引き出した後,更に2回にわたり10万円を引き出そうとしたが,いずれも引き出すことができず,同日午後1時58分ころ,同ATMコーナーを出た。
ウ 被害女性は,同日午後2時6分ころ,札幌市<g>区<s>所在の<L>郵便局内のATMコーナーに入り,同口座から,まず80万円を引き出そうとし,次に10万円を引き出そうとしたが,いずれも引き出すことができず,同日午後2時8分ころに同ATMコーナーを出た。
被害女性は,同日午後2時38分ころ,再び同郵便局を訪れ,受付カウンターで,職員に対し,残高があるのに現金を引き出せないことについて苦情を言った。被害女性は,応対した同郵便局の局長代理である<M>に言われ,<M>とともに上記ATMコーナーに移動して,同口座の残高照会をした後,同口座から50万円を引き出そうとしたが,引き出すことができなかった。<M>は,被害女性の話から,被害女性が同口座から現金を引き出せないのは,1日当たりの引き出し可能額である50万円を超過することになるためであると理解し,その旨被害女性に説明した。すると,被害女性は,<M>に対し,外で待っている男性にも同じ説明をしてほしいと依頼した。そこで,<M>と被害女性は,同日午後2時41分ころ,同ATMコーナーの外に出た。
<M>は,被害女性に連れられて,同郵便局付近の路上で被告人車両の運転席に乗っていた被告人のところに歩いて行き,被告人に対し,前同様の説明をした。被告人は,<M>の説明を聞きながら,黙って繰り返しうなずいていた。<M>が説明を終えると,被害女性は,被告人に「いい,分かった。」と問いかけ,被告人は,黙ったまま1,2回軽くうなずいた。その後,被害女性は,被告人車両の助手席に乗り込み,被告人車両は走り去っていった。
エ 被害女性は,前記4(1)のとおり被告人及び被害児童とともにホテルを利用していた間の同日午後4時16分ころ,知人である<N>に携帯電話で電話をかけ,金に困っており,金を借りられる人や場所を知らないかと尋ねたが,<N>から,サラ金からでも借りたらいいのではないかと言われ,電話を終えた。
また,被害女性は,やはりホテルを利用していた間の同日午後4時14分ころと午後4時18分ころ,以前に<N>から紹介された知人である<O>に携帯電話で電話をかけたが,<O>は電話に出なかった。その後,被害女性は,前記4(1)のとおり被告人及び被害児童とともにドライブをしていた間の同日午後5時31分ころ,再び<O>に電話をかけ,電話に出た<O>に対し,お金を借りるところを知らないかと尋ね,<O>から何するんだと聞かれたのに対し,友達あるいは知人が必要だと答えた。被害女性は,その電話の最中に,会話を止め,しばらくした後に再び話すことがあった。さらに,被害女性は,やはりドライブをしていた間の同日午後5時42分ころにも,<O>に電話をかけたが,<O>から,金のことはどうにもならないから,<N>に聞くようにと言われ,電話を終えた。
(5) 上記(4)の各事実によれば,被害女性は,本件当日の午後1時47分ころ以降,現金40万円を貯金口座から引き出し,さらに貯金口座残高の全額に近い80万円を引き出そうとし,それが無理であることを理解した後にも,現金を入手しようと金策に努めていたことが認められる。
そして,①被害女性が上記(4)イのように<C><s>店内ATMコーナーで現金を引き出そうとしだしたのは,被告人が被害女性との待ち合わせ場所である<C><s>店付近に到着して,落ち合うための最後の電話をかけた午後1時19分から二十数分後のことであること(前記4(1)イ参照),②上記(4)ウ及びエのとおり,被害女性が,被告人と行動をともにしている間に上記金策に努めていること,③<L>郵便局においては,被害女性が,口座からの現金引き出しに失敗した後,約30分の間同郵便局を離れ,再び同郵便局に戻って,同郵便局職員から現金を引き出せない理由を聞いた上で,同職員に依頼してその理由を被告人に説明させ,被告人が,同職員と被害女性の双方に対し,その説明を理解したことを示す動作をしたというやり取りまでしていること(なお,被告人は,公判廷において,被害女性が「いい,分かった。」と問いかけたのは,被告人に対してではなく,郵便局職員に対してである旨供述するが,上記(4)ウの経緯や<M>の供述に照らし,信用できない。)からすれば,被害女性が,本件当日に,40万円の現金を引き出すとともに,更に少なくとも80万円の現金を入手しようとしていたのは,被告人から何らかの働きかけを受けたことによるものであると推認される。
さらに,以上のことからすれば,被告人は,被害女性が上記(4)イのとおり現金40万円を引き出して所持していたことについても,十分に認識していたことが推認される。
なお,弁護人は,①被害女性が入手しようとしていた現金の額は,被害女性の全資産に近いものであり,携帯電話サイトを通じて知り合ってから間がない被告人の働きかけによってそのような額の現金を入手しようとしたとは考え難いこと,②被害女性が,本件当日に被告人と会う前から,上記(4)イの現金引き出しを始めていたこと,③上記(4)エの各電話の時刻からして,被害女性が現金を必要としていたのは本件翌日以降であったと考えられることなどから,被告人の働きかけによって被害女性が現金を入手しようとしたものでないことは明らかである旨主張する。
しかし,上記①の点については,知り合って間がない者同士であっても,一方の働きかけにより他方が多額の現金を入手しようとすることは,その働きかけの内容如何によっては十分にあり得ることである。上記②の点については,被告人がそのような供述をしてはいるものの,これに沿う客観的な証拠はなく,むしろ,上記の落ち合うための電話の時刻と被害女性が現金引き出しを始めた時刻との前後関係からすれば,被害女性は,被告人と落ち合った後に現金引き出しを始めたと推測することが合理的であるし,仮に,被害女性が本件当日に被告人と会う前から現金を入手しようとしていたのだとしても,被告人は,それ以前に被害女性と繰り返し電話で話をしており,その際に働きかけをする機会は十分にあったといえる。上記③の点については,そもそも,上記(4)エの各電話の時刻から弁護人主張のような推論をすることはできない。弁護人の上記主張は採用できない。
(6) 以上のとおり,被告人は,本件当日の朝に被告人方を出発してから,同日夜に帰宅するまでの間に,28万円以上の現金を入手したものであるところ,その間に会っていた被害女性に対し,現金入手を働きかけたものであり,これを受けた被害女性が現金40万円を口座から引き出して所持していたことも認識していたものと認められる。
そして,関係証拠上,被告人が本件当日にほかから現金を入手した事情はうかがわれず,他方で,前記2(2)イのとおり,被害女性が本件現場で発見された際,同女が身に付けていたものやその周囲に散乱していた所持品の中に現金がなかったことからすれば,被告人が本件当日に入手した28万円以上の現金は,被害女性が所持していた現金40万円の一部である蓋然性が高いといえる。このことは,被告人が本件犯人であることを強く推認させる事情である。
6 携帯電話機の持ち去りを巡る事情(前記3④)について
(1) 前記2(2)のとおり,被害者親子の各携帯電話機は,それぞれ海岸で発見されたところ,いずれもバッテリーが装着されておらず,被害児童の携帯電話機についてはICカードも装着されていない状態であった。
このことからすると,本件犯人は,本件各犯行の際に,被害者親子の携帯電話機を持ち去り,これらに装着されていたバッテリーや,被害児童の携帯電話機に装着されていたICカードを外した上,海岸に投棄したことが認められる。そして,この行動は,その態様からすれば,本件犯人が,被害者親子の各携帯電話機に自己の痕跡を残していたか,少なくともそのような痕跡を残しているかもしれないという懸念を持ったことから,その痕跡を隠滅するために行ったものと推認される。
(2) この点,被告人は,平成19年9月3日から本件当日までの間に,自己の携帯電話機を使用し,被害女性の携帯電話機との間で,複数回にわたる電話の発受信や電子メールの送受信を行っており,被害女性の携帯電話機に,被告人の携帯電話機との間の電話の発受信記録や電子メールの送受信記録という自己の痕跡を残していたものといえる。
(3) そして,被害女性の携帯電話機の通話履歴を見ると,被害女性が本件当日の前日や前々日に電話をかけた相手は,数名程度であって,さほど多くなく,また,本件当日に電話をかけた相手としては,被告人以外に,被害女性の自宅にいた介護サービス協力員の女性,前記<N>,前記<O>及び被害女性の異母弟がいるが,その協力員の女性及び被害女性の異母弟が本件各犯行と無関係であることは明らかであり,<N>及び<O>も,本件当日に被害女性と会うことにつながるような会話はしていない。また,被害女性の携帯電話機の電子メールの送受信記録を見ると,本件当日までの数日間で,被害女性と出会うことに関する電子メールの送受信をした者が数人程度いることが見受けられるが,さほど多い人数ではなく,かつ,本件当日に被害女性と会うことにつながり得るような内容の電子メールの送受信をした者は,ごくわずかである。
(4) そうすると,本件犯人が上記行動をとっている一方で,被告人が被害女性の携帯電話機に自己の痕跡を残していたということは,被告人が本件犯人であることを相当程度強く推認させる事情であるといえる。
(5) なお,弁護人は,被害児童の携帯電話機に被告人の携帯電話機との間の電話の発受信記録や電子メールの送受信記録が残されていないことから,被告人には被害児童の携帯電話機を持ち去って投棄する動機がなく,本件犯人が被害児童の携帯電話機を持ち去って投棄したことは,被告人が本件犯人であることに疑いを抱かせる事情である旨主張する。
しかし,本件犯人が,被害児童の携帯電話機に直接自己の痕跡を残していなかったとしても,被害女性と被害児童との間の電子メールの送受信等によって,被害児童の携帯電話機に犯人の特定につながり得る情報が残されていることもあり得るのであるから,本件犯人が,そのようなことを懸念して,被害児童の携帯電話機をも持ち去って投棄するということは,行動として不自然・不合理なものであるとはいえない。それゆえ,弁護人主張の点は,被告人が本件犯人であることに疑いを抱かせる事情とはいえない。
7 以上のとおり,被告人が本件犯人であることを強く推認させる事情や相当程度強く推認させる事情があると認められるところ,検察官が間接事実であると主張するそのほかの事情(前記3③,⑤,⑥,⑦)は,被告人が本件犯人であることを推認する力の乏しいものばかりであるから,判断を加えるまでもないともいえる。
もっとも,本件では,重大な事案において犯人性が争点となっていることに鑑みて,前記3③,⑤及び⑥について証拠調べの対象としたという経緯があり,当事者双方ともに,それらの点を巡って主張を展開しているので,引き続き,それらの点についての判断を付加することとする。
ただし,前記3⑦の主張(犯人は,被害女性と面識があり,被害者親子に警戒心を抱かせない人物であったところ,被告人はそのような人物であるとの主張。公判前整理手続段階では検察官の証明予定事実に含まれていなかったが,論告において唐突に間接事実として主張されたものである。)については,被害女性が,携帯電話サイトを通じて知り合ったにすぎない被告人に対し,特に警戒する様子もなく行動をともにしていることも考慮すれば,被害者親子に接近した上で,警戒心を抱かせないように行動できる人物は,とても多くいると考えられる。それゆえ,前記3⑦の事情は,被告人が本件犯人であることを推認させる事情であるとはいえないから,これ以上の判断は加えない。
8 被告人が特殊な場所である本件現場に土地鑑を有しているとの主張(前記3③)について
(1) まず,本件現場の状況に関し,関係証拠によれば,以下の各事実が認められる。
ア 山中の土捨て場である本件現場及びその周辺には,照明設備や民家はない。また,通称<i>から西方に分岐して本件現場に至る道路は,本件現場の直前まで舗装されているが,その先は狭い砂利道となっている。
イ 北海道警察本部<P>課警部補の<Q>は,本件の捜査として,本件現場に数十回行ったが,本件現場周辺で歩行者を見かけたことはなく,一般車両も数回見かけたのみであった。また,夜間に数回行った際に,一般車両を見かけたことはなかった。
ウ <Q>が,平成21年2月26日から同年3月5日までの間,本件現場周辺の集落に住む約41世帯,約70人に聞き込み捜査を行ったところ,本件現場の存在を知っていると述べた者は二,三人,上記アの本件現場に至る道路の存在を知っていると述べた者は約35人,同道路を通ったことがあると述べた者は七,八人いたが,夜間に同道路を通ったことがあると述べた者はいなかった。
(2) 次に,被告人が,本件当時,本件現場について何らかの知識を有していたか否かについて検討する。
この点に関連して,被告人は,携帯電話サイトを通じて知り合った女性である<R>と連絡を取り合い,平成19年8月29日の日中に会って,被告人運転の車に同女を乗せて,[g]方面にドライブしているところ,その<R>は,公判廷において,概要以下のとおり供述している。
ア <R>は,同日,財布等を入れたショルダーバッグ,化粧ポーチを入れた紙袋及び<S>で買ったペットボトル飲料とガムを入れたビニール袋を持って,午後零時ころ,JR[h]駅で被告人と落ち合った。
イ その後,<R>と被告人は,被告人の運転する車でドライブをし,[i]温泉付近の休憩所に寄った後,<i>から,青色看板が設置されている付近で分岐する道路に曲がり,ゲートや橋を通って,山の中の空き地に行った。被告人は,その橋について,自分の会社が造った橋だと言っていた。
ウ 上記空き地に着いたとき,上記ビニール袋には,空のペットボトルと包み紙に包んだガムのかみかすを入れていた。
エ 上記空き地では,被告人が<R>に性交を求めてきたが,<R>が生理中だったため,性交はしなかった。また,<R>が,被告人の求めに応じて口淫すると,被告人は,<R>の口内で射精した。<R>は,車内にあったちり紙の箱(ボックス・ティッシュ)から,ちり紙を二,三枚ずつ2回に分けて取り出し,それらに被告人の精液を吐き出して,いずれも上記ビニール袋内に入れた。被告人は,同様にちり紙を取り出し,自身の陰茎を拭いていたが,そのちり紙も<R>が上記ビニール袋内に入れた。
オ <R>は,上記ビニール袋の取っ手部分を一,二回結び,これを助手席の右側に置いた。<R>は,その袋を上記空き地に捨ててはいない。
カ その後,被告人は,車を運転して携帯電話機販売店へ行き,そこで,<R>は,上記ショルダーバッグだけを持って,車を降りた。被告人は,<R>にすぐ戻ってくると言い残して,車で走り去ったまま戻って来なかった。
キ <R>は,被告人から,車に残した上記化粧ポーチを返したいという連絡を受けて,同年9月11日に被告人と会い,結局,被告人と性交した。
ク その後,<R>は,本件について事情聴取しようとした警察から呼び出しの連絡を受け,当初はいろいろ聞かれるのが怖くて応じなかったが,警察の連絡を受けた父親と話した結果,同年10月5日に警察へ行き,被告人と上記空き地に行ったことを警察官に話した。そして,<R>は,翌6日,警察官を上記空き地に迷うことなく案内し,同所が本件現場であることが分かった。また,<R>は,被告人と性的行為をしたことについて,同月5日には恥ずかしかったため警察官に隠していたが,その5日くらい後に,警察官から全部言ったのかいと言われたので,正直に話した。
(3) そこで,この<R>の公判供述の信用性について検討する。
まず,その供述内容を見ると,特に不自然な点は見当たらないし,本件現場に至る経路について,青色看板,ゲート及び[j]橋の存在を含め,証拠上認められる客観的状況と合致している。また,橋を通った際に,被告人が,自分の会社が造った橋だと言っていた旨述べるなど,具体性もある。そして,<R>が捜査に協力した経緯や状況に関する供述は,<R>から事情聴取をし,<R>に被告人運転車両で行った場所への案内を求めた警察官である<T>の公判供述の内容と概ね一致している。さらに,<R>の上記公判供述は,愛人契約の話や被告人と性的行為をした話など,公判廷で供述することに心理的抵抗の大きい内容を含むものであって,<R>と被告人との関係に照らしても,<R>が,そのような心理的抵抗を押してまで,虚偽の供述をする動機は見当たらない。
(4) 加えて,関係証拠によれば,以下の各事実が認められる。
ア 本件翌日,本件現場付近(被害女性の頭頂部から約11メートル離れた位置)において,空のペットボトル1本,包み紙入りのガムのかみかす3個及びちり紙数塊(以下「本件ちり紙」という。)が入れられた<S>のビニール袋(以下「本件ビニール袋」という。)が,取っ手部分が強く結束された状態で発見された。
イ 平成19年9月21日,北海道警察本部刑事部科学捜査研究所(以下「科捜研」という。)は,上記アのペットボトル及びガムのかみかす3個への唾液付着の有無及びそのDNA型に関する鑑定嘱託を受け,鑑定した結果,①ペットボトルからは,16あるDNA型検査項目中,特定の型を示すピークが検出された10項目のすべてにおいて,その型が<R>のDNA型と一致する唾液の付着が確認され,②ガムのかみかす3個からも,16あるDNA型検査項目中,特定の型を示すピークが検出された16項目(資料1),8項目(資料2)又は10項目(資料3)の各すべてにおいて,その型が<R>のDNA型と一致する唾液の付着が確認された。
ウ 同年10月10日,科捜研は,本件ちり紙として渡されたちり紙6塊への唾液付着の有無に関する鑑定嘱託を受けた。すると,うち1塊についてガムのかみかすの付着が認められたことから,これを切り取った残りと,そのほかのちり紙をブルースターチ法による検査で鑑定した結果,いずれについても唾液の付着を証明できなかった。そして,同月18日,科捜研は,改めて上記のとおりちり紙1塊から切り取られたガムのかみかすへの唾液付着の有無及びそのDNA型に関する鑑定嘱託を受け,鑑定した結果,16あるDNA型検査項目中,特定の型を示すピークが検出された8項目のすべてにおいて,その型が<R>のDNA型と一致する唾液の付着が確認された。
エ 同日,科捜研は,上記ウのちり紙6塊への精液付着の有無に関する鑑定嘱託を受けた。まず,これらのちり紙全体についてSMテスト試薬による酸性フォスファターゼ試験を実施したが,精液の付着は確認されなかった。次に,これらのちり紙すべてに認められた黄褐色系の斑痕の一部を切り取って浸出液を作製し,上清と沈渣に分離した上,上清についてSMテスト試薬による酸性フォスファターゼ試験及び抗ヒト精液血清を用いた沈降電気泳動法による検査を行い,沈渣について顕微鏡検査を行ったところ,上清の検査では精液の付着は確認されなかったが,沈渣の検査によりちり紙1塊(上記ウのとおりガムのかみかすが付着したちり紙とは別のもの)の2か所に,精子頭部少数の付着が確認された。そして,同月31日,科捜研は,精子頭部の付着が確認されたちり紙のうち,上記のとおり切り取った残りの部分に付着した精液のDNA型に関する鑑定嘱託を受け,鑑定した結果,二つの資料から得られた精液に由来するDNA抽出液(精液画分)から抽出・精製されたDNAの型は,16ある検査項目中,特定の型を示すピークが検出された15項目(資料1)又は14項目(資料2)の各すべてにおいて,その型が被告人のDNA型と一致した。
(5) 上記(4)イ及びウの各事実からすると,本件ビニール袋は,<R>がごみを入れるために用いたものに間違いがないところ,そのビニール袋内にあったちり紙に,上記(4)エのとおり,1塊のみとはいえ,被告人のDNA型と極めて高い共通性を有するDNA型の精液が付着していたことは,<R>の公判供述のうち,被告人の運転する車で,後に本件現場であることが分かった空き地に行き,被告人の求めに応じて口淫した旨の供述(上記(2)イ,ウ,エ)を裏付けるものであるといえる。
以上によれば,<R>の上記公判供述は,信用性が高いものと認められる。
(6) これに対し,弁護人は,①<R>が,本件現場付近に土地鑑がなかったにもかかわらず,平成19年10月6日,迷うことなく警察官を本件現場に案内できたというのは不自然である,②<R>が被告人の精液をちり紙に吐き出したという<R>の供述に関し,上記(4)ウ及びエで鑑定されたちり紙6塊が,本件ちり紙ではなく,捜査機関が,同年9月20日から同月22日にかけて被告人の自宅,会社事務所及び車両を検証したり,捜索差押をした際に,無断で持ち出したものである疑いがあり,同鑑定の結果,ちり紙6塊のいずれにも<R>の唾液付着が証明されず,被告人の精液付着が証明されたのもちり紙1塊のみで,しかも精子の頭部少量の付着が確認されたのみであったということは,<R>の上記供述と矛盾するものであり,捜査機関による作為の存在を疑わせる事情であるなどとして,<R>の上記公判供述は信用できない旨主張する。また,被告人は,公判廷において,<R>とは本件現場に行っておらず,<R>に性交を求めたり口淫をさせたこともなく,同年9月20日に捜査機関が被告人方の捜索差押や検証を実施した後,寝室から,被告人の精液が付着したちり紙を入れていたティッシュペーパーの箱がなくなっていた旨供述する。
このうち,上記①の点は,<R>が警察官を本件現場に案内したのが,被告人とともに本件現場に行ってから1か月余りしか経過していない時期であり,記憶がまだ新鮮であったと考えられる上,その案内の際に,青色看板,ゲート及び橋といった目印を頼りにしていることも考慮すれば,<R>が迷うことなく案内できたとしても,不自然ではない。
また,上記②の点について見ると,そもそも,<R>が被告人に対して口淫したという事実が実際にはなかったとした場合に,<R>が,被告人に対して口淫し,その精液をちり紙に吐き出したなどという内容の虚偽の供述を自ら進んでする理由は全くない。<R>が,捜査機関から虚偽供述をするよう働きかけを受けた可能性を検討しても,<R>が,そのような働きかけを受けてこれを承諾し,捜査段階のみならず,公判廷でも,遮へい措置を施された上であるとはいえ,公開の場で,偽証罪に問われる危険を冒してまで,被告人と性的行為をしたなどという内容の虚偽供述をするということは,およそ考え難いことである。
そして,この点に関する捜査機関側の状況をみても,本件ちり紙を発見してから鑑定のため科捜研に渡すまでの過程に関与した警察官ら(<U1>ないし<U8>)の各公判供述によれば,その間に本件ちり紙が別のちり紙にすり替わり,あるいは本件ちり紙に別のちり紙が混入したという現実的な可能性を示すような事情は何もないことが認められる。また,被告人の自宅,会社事務所及び車両の捜索等を実施した警察官ら(<U9>ないし<U12>)の各公判供述その他の関係証拠からも,捜査機関が,正式な手続を経ずに,使用済みのちり紙が入れられていた箱等,何らかの物を被告人の自宅等から無断で持ち出したと疑わせる事情は,何も見受けられない。
次に,上記(4)ウ及びエのように,ちり紙6塊について<R>の唾液の付着が全く証明されなかったり,被告人の精液もちり紙1塊に付着が確認されたのみであり,確認された精子頭部も少数であったことについては,関係証拠によれば,本件ビニール袋を発見した警察官らは,内部を観察するため,その取っ手部分の結束を解き,しばらくその状態で地面に置いておいたところ,その当時本件現場で雨が降っていたため,本件ちり紙が湿潤してしまったこと,上記ウの鑑定で用いられた唾液付着の有無に関する検査方法であるブルースターチ法や,上記エの鑑定で用いられた精液付着の有無に関する検査方法のうち酸性フォスファターゼ試験は,いずれも鑑定資料に酵素の付着が認められるかどうかを検査するものであるところ,それらの酵素は水溶性であるため,鑑定資料の湿潤により酵素が流出するということがあるほか,腐敗により失活することもあるため,唾液や精液の付着が証明できなくなることがあり,また,精子の付着量は,そもそも精液中の精子量に個体差がある上,鑑定資料の保存状態如何によって減少することもあり得ることが認められ,これらを総合すれば,上記鑑定結果が,<R>の上記公判供述の内容と矛盾するとはいえない。
加えて,弁護人の主張のとおりであるとすると,捜査機関は,平成19年9月20日から22日にかけての時期に被告人の精液が付着したちり紙を手続違背をしてまで持ち出した上で,<R>に働きかけて,<R>が被告人に対して口淫し,その精液を吐き出したちり紙を本件ビニール袋内に入れた旨の虚偽内容の供述調書を作成し,本件ビニール袋内に入っていたちり紙を鑑定物件として科捜研に渡す前に,あらかじめ入手しておいた被告人の精液付着のちり紙を,本来の証拠品であるちり紙に混入させ,あるいは入れ替えたということになるが,捜査機関が,仮にそこまで手の込んだ証拠ねつ造工作を行うのであれば,<R>にさせる虚偽供述の内容と混入させるちり紙への精液及び唾液の付着状況とが符合するように意を払うことがむしろ自然ともいえるのであって,その間の符合が上記の程度にとどまることが捜査機関による作為の存在を疑わせる事情になるとはいえない。
しかも,<R>は,捜査機関との関係では,被告人の携帯電話機の通話履歴からたまたま知り得た人物にすぎないのであり,本件現場で発見されたちり紙等在中の本件ビニール袋が<R>と関わりのあるものであるということも,<R>の供述を得たり,<R>のDNA型鑑定(そのための<R>の口腔内細胞の採取がなされたのは,平成19年10月5日である。)をして,初めて知り得たことである。そのような<R>に対して,捜査機関が,将来の公判の際を含めて捜査機関によるねつ造と歩調を合わせた虚偽供述をし続けるよう求めるということは,考え難いことである。さらに,仮に,<R>に虚偽供述をし続けるよう求めたとしても,<R>がそれを貫徹できるとは限らないのであるから,<R>に虚偽供述を求め,証拠物のねつ造までしようとする者は,その発覚により,処罰を受け,重い懲戒処分も受ける危険を当然に予測できるはずである。そうすると,本件の捜査に関与した者らが,そのような危険を冒してまで,弁護人が主張するようなねつ造工作をするということは,到底考えられないことである。
したがって,弁護人が指摘する諸点は,いずれも<R>の上記公判供述の信用性を左右するものではない。他方,同供述と相反する上記の被告人供述は,信用できない。
(7) 以上のとおり信用できる<R>の上記公判供述によれば,被告人は,平成19年8月29日に,本件現場に行ったことが認められる。
(8) 以上の認定事実を前提に検討すると,確かに,上記(1)のとおり,本件現場は人や車の往来が少ない場所であることが認められる。
しかし,本件現場は,道道<e>線の道路改良工事工区内にあり,上記(1)アのとおり,<i>との分岐点から本件現場に至る道路は,本件現場の直前まで舗装されている上,途中には[j]橋もかけられているのであるから,これらの工事には多数の者らが携わっており,その者らは本件現場の存在を知っていることが推認される。また,本件現場自体土捨て場であり,前記2(2)のとおり,本件翌日に,被害者親子を発見した作業員らが測量のため本件現場を訪れていることからも明らかなように,一定の関係者らが立ち寄ることのある場所であるといえる。さらに,その道路状況からすると,<i>をドライブ中の者が,たまたま本件現場に至る道路に入り込んで,本件現場を知るということも,あり得ることである。
そうすると,上記(7)のとおり,被告人が,本件当日の約半月前に本件現場に行ったことがあるということは,被告人が本件犯人であることを有意な程度に推認させる事情であるとはいえず,被告人が本件犯人であるとして矛盾はないという程度の意味を有するにとどまる。
(9) なお,検察官は,<R>の公判供述中の上記(2)オの点を前提として,本件現場に本件ビニール袋が遺留されていたことは,被告人が平成19年8月29日よりも以降,同年9月15日以前に,再度,本件現場に行ったことを示す事実である旨主張している。しかし,上記のとおり<R>の公判供述が信用できるにしても,ちり紙等を入れた後のビニール袋をどうしたかというような細部にわたる点まで記憶が正確であるか否かを検証することは困難であり,同年8月29日に本件ビニール袋が本件現場に遺留された可能性も残るから,この検察官主張のような推認をすることはできない。
9 本件当日午後9時48分ころの被告人の所在場所を巡る主張(前記3⑤)について
(1) 関係証拠によれば,被害女性の携帯電話機は,本件当日の午後9時23分ころ,<a>町[k][l]所在の基地局に設置された260度プラスマイナス60度の方位角に指向性を持つアンテナと通信しており,このアンテナが電波を輻射する範囲は,本件現場の西方であること,また,被害者親子の各携帯電話機が発見された場所(前記2(2)ウ)は,いずれも,本件現場の西方向に位置する国道[m]号沿いの海岸であることが認められる。
このことからすると,本件犯人は,前記2(1)のとおり本件当日の午後9時ころに本件各犯行に及んだ後,被害者親子の各携帯電話機を持って,本件現場の西方向に移動し,その移動途中の上記海岸において,これらの携帯電話機を投棄したことが認められる。
(2) 他方,被告人は,同日午後9時48分ころ,上記各携帯電話機の投棄場所と被告人方との間で,国道[m]号沿いにある<V>商店(<j>町字[n]町[o]番地所在)前に設置された自動販売機で,たばこ2箱を購入し,その後,同日午後10時過ぎころ,被告人方に帰宅している。
(3) 検察官は,これらの事実に,本件現場から<V>商店までの走行実験の結果,本件各犯行後に本件現場を出発した本件犯人が午後9時48分ころに<V>商店に到達することは十分に可能であることを合わせて,被告人が本件犯人であることを推認させる事情である旨主張している。
しかし,本件各犯行に及んだ後に,本件現場の西方向に移動し,その移動途中の国道[m]号沿いの海岸で被害者親子の各携帯電話機を投げ捨てることが自然な者は,同国道沿いに居住する者だけでも多数いることが明らかである。しかも,他の場所に居住する者であっても,犯行後の逃走に同国道を用い,その途中でこれらの携帯電話機を投げ捨てるということは,十分にあり得ることである。
そうすると,検察官が主張するような事情は,被告人が本件犯人であることを有意な程度に推認させる事情であるとはいえず,被告人が本件犯人であるとして矛盾はないという程度の意味を有するにとどまる。
(4) なお,弁護人は,次の理由により,被告人は本件犯人ではあり得ない旨主張する。
ア 本件犯人は,本件当日午後9時ころ,本件各犯行に及び,被害者親子の所持品を物色し,被害女性の財布や被害者親子の各携帯電話機を奪い,これらに装着されていたバッテリーや,被害児童の携帯電話機に装着されていたICカードを外した上,それぞれ別の場所に投棄しており,これらの行為(以下「投棄等行為」という。)を行うには一定の時間が必要である。
イ 本件各犯行後に逃走する者の心理として,本件現場から西方に向かう砂利道を利用するとは考えられないことや,本件各犯行時刻以降における被害者親子の各携帯電話機の通信記録に照らすと,本件犯人はいったん東方に向かって<i>を南下する経路で逃走したと考えられる。
ウ 被告人は,本件当日午後9時30分ころ,携帯電話機で自宅に電話をかけ,妻と46.5秒間通話し,上記(2)のとおり,同日午後9時48分ころ<V>商店前の自動販売機でたばこを購入している。
エ 左手に障害のある被告人が,ア及びウの動作を行うとともに,イの経路を通った上で,本件当日の午後9時48分ころに<V>商店前に設置された自動販売機でたばこを購入するということは,捜査機関が行った走行実験の結果を踏まえてみても,時間的に不可能である。
(5) この点,警察官らは,平成20年11月18日,本件現場から<V>商店まで車両を走行する場合に利用する選択肢として考えられる5つの経路について,2班に分かれて,それぞれ実際に法定最高速度や指定最高速度を遵守して車両を走行させ,その所要時間を計測する実験を行ったところ,本件現場から西方に向かう未舗装の道路を経由する3つの経路では42分15秒ないし48分41秒,本件現場からいったん東方に向かって<i>を南下した上で西方に向かう2つの経路(以下「[p]ルート」という。)では58分5秒ないし63分38秒を要したことが認められる。
そして,被害者親子の各携帯電話機の通信記録と本件現場付近における基地局の設置状況に照らすと,弁護人が主張するとおり,本件犯人は,本件各犯行後,[p]ルートを通って逃走したと考えることが合理的である。
しかし,本件各犯行後に逃走していた本件犯人の心境としては,急いで本件現場から離れようとしていたと考えるのが自然である。また,関係証拠から認められるこの地域の道路の状況や夜の9時過ぎという時間帯からすれば,[p]ルートを通った本件犯人が,制限速度を大幅に超過して走行したとしても,何ら不自然なことではない。そして,[p]ルート経由での本件現場から<V>商店までの所要時間を計算により算出すると,制限速度を一律20キロメートル毎時超過して走行したと仮定した場合,約41分ないし約43分となり,制限速度を一律30キロメートル毎時超過して走行したと仮定した場合,約36分ないし約38分となることが認められる(なお,弁護人は,この計算により算出される所要時間につき,実際の交通状態等を再現しておらず客観性がない旨主張するが,同じ計算方法により,制限速度を遵守して走行したと仮定した場合の所要時間を算出すると,[p]ルートで約57分ないし約60分となり,上記の走行実験の結果と概ね合致するのであって,同ルートの道路状況等に照らしても,この計算により算出される所要時間は,実際の所要時間と概ね合致するものと認められる。)。
そのように,本件現場から<V>商店まで,制限速度を相当程度超過して走行した場合に40分内外で到着できることからすれば,被告人に弁護人主張のような障害が本当にあるとしても,被告人が,本件当日の午後9時ころに本件各犯行に及んだ後,投棄等行為や1分以内の携帯電話の通話(上記(4)ウ)を行った上で,同日午後9時48分ころに<V>商店前に設置された自動販売機でたばこを購入することは,何ら不可能なことではないといえる。
したがって,上記(4)エの弁護人の主張は採用できない。
10 本件凶器の特徴に符合する工具の所持を巡る主張(前記3⑥)について
この点に関し,関係証拠によれば,被告人車両内や,被告人が出入りしていた父親方の車庫及び付属建物内に,金属製の棒状で一部に弧状の面を有する鈍体という本件凶器の特徴(前記2(1)イ)に合致する,ラチェットレンチやタイヤレンチ等の工具類が多数保管されていたことが認められる。
しかし,本件凶器の上記特徴に符合する工具には,一般の家庭で普通に使用されるものや,自動車に普通に搭載されているものが含まれている。
そうすると,検察官が主張するような事情は,被告人が本件犯人であることを有意な程度に推認させる事情であるとはいえず,被告人が本件犯人であるとして矛盾はないという程度の意味を有するにとどまる。
11 まとめ
以上によれば,①被告人が,被害者親子が本件犯人とともに自動車で本件現場に到着した時刻のわずか3時間十数分前である本件当日午後5時47分を過ぎたころに,被害者親子を被告人車両に同乗させて札幌市<f>区内の本件チェーン着脱場を出発していること自体から,被告人が本件犯人であると相当程度強く推認されるところ(前記4(2)),②その被害者親子が,本件当日の午後6時17分ころに<z>基地局付近の場所に至り,同日午後6時23分ころには(c)基地局付近の場所にいたこと(前記4(7))からすると,被害者親子は,その時点で被告人車両に同乗したままであった可能性が極めて高く(前記4(8),(11)),そのことから,被告人が本件犯人であると強く推認され,③被害児童の公判供述も,その推認を支えるものである。
加えて,④被告人は,本件当日の朝に被告人方を出発してから,同日夜に帰宅するまでの間に,28万円以上の現金を入手したものであるところ,その現金は,被害女性が本件当日引き出して所持していた現金40万円の一部である蓋然性が高く,そのことからも,被告人が本件犯人であると強く推認され(前記5(6)),⑤本件犯人は,被害者親子の各携帯電話機に自己の痕跡を残しているか,あるいは残しているかもしれないと懸念して,その痕跡を隠滅するために,これらの携帯電話機を持ち去って投棄するなどしているところ,被告人は,被害女性の携帯電話機に自己の痕跡を残しており,そのことからも,被告人が本件犯人であると相当程度強く推認される(前記6(4))。
また,そのほかの諸事情を検討しても,被告人が本件犯人であるとして何の矛盾もない(前記8(8),9(3),10)。
そうすると,被告人が本件犯人であることは,確実な事実として推認することができる。
12 被害者親子とは途中で別れた旨の被告人の弁解について
(1) 以上に対し,被告人は,捜査・公判を通じて,前記4(1)ウのとおり,被害者親子を乗せた被告人車両を運転して本件チェーン着脱場を出発した後,被害女性の指示に従って<C><s>店に向かい,本件当日午後6時から午後6時30分ころまでの間に,同店付近の道路で被害者親子を被告人車両から降ろして別れた旨供述している。
(2) そこで,この被告人の供述の信用性について検討すると,まず,関係証拠によれば,以下の各事実が認められる。
ア 警察官らは,平成20年6月9日及び同月10日の2回にわたり,各1台の捜査用車両を使用して,それぞれ午後5時47分に本件チェーン着脱場を出発し,異なるルートで<C><s>店を経由して<z>基地局方面に向かい交通の流れに沿って走行し,<C><s>店に到達した時刻と午後6時20分に到達した地点とを確認する実験を行った。その結果,<C><s>店に到達した時刻は,2回のうちより早く到達した方で,午後6時8分であり,午後6時20分に到達した地点は,2回のうちより遠くまで到達した方で,(i)橋のはるか東方で,札幌市<f>区内の市街地である地下鉄[e]駅前付近であった。
イ <W>警察官は,同月10日,私有車両を使用して,午前5時47分に本件チェーン着脱場を出発し,上記アと異なるルートで<C><s>店を経由して<z>基地局方面に向かい交通の流れに沿って走行し,上記アと同趣旨の実験を行った。その結果,<C><s>店に到達した時刻は午前6時4分であり,午前6時20分に到達した地点は,(i)橋のはるか東方である札幌市<f>区(y)[q]条[r]丁目の交差点付近であった。
ウ 警察官らは,平成21年4月24日,4台の捜査用車両を使用して,午後5時47分に一斉に本件チェーン着脱場を出発し,異なるルートで,<C><s>店を経由して<z>基地局方面に向かい交通の流れに沿って走行し,<C><s>店,(i)橋東端,(n)トンネル西端及び(p)トンネル東端に到着した各時刻と,午後6時20分に到達した地点を確認する実験を行った。その結果,<C><s>店に最も早く到達した時刻は午後6時7分,(i)橋東端に最も早く到達した時刻は午後6時38分,(n)トンネル西端に最も早く到達した時刻は午後6時43分,(p)トンネル東端に最も早く到達した時刻は午後6時44分であり,午後6時20分に到達した地点中,<C><s>店から最も遠い地点は,(i)橋のはるか東方である同区[e][s]町[t]丁目の[e]公園付近であった。
エ 警察官らは,平成20年9月11日,同月12日,同月16日及び同月18日の4回にわたり,うち2回は各1台の,うち2回は各2台の捜査用車両を使用して,それぞれ午後6時に<C><s>店を出発し,合計4種類の異なるルートで,<z>基地局方面に向かい交通の流れに沿って走行し,午後6時17分及び午後6時20分に到達した各地点を確認する実験を行った。その結果,午後6時17分に到達した最も遠い地点は同区(y)[q]条[u]丁目の交差点付近,午後6時20分に到達した最も遠い地点は同区(y)[q]条[v]丁目の交差点付近と,いずれも(i)橋のはるか東方であった。
(3) 上記(2)の各走行実験の結果によれば,被害者親子が,前記4(1)ウのとおり被告人車両に同乗して本件チェーン着脱場を出発した後,<C><s>店付近で被告人車両を降りた上で,第三者の運転する車両に乗車した場合,本件当日午後6時17分ころに<z>基地局付近に至り,同日午後6時23分に(c)基地局付近に至ることは,上記第三者との待ち合わせや車両の乗り換えに必要な時間も考慮すれば,著しく困難であることが明らかである。この点,被告人が,本件チェーン着脱場から<C><s>店付近まで,法定最高速度や指定最高速度を大幅に超過する高速度で走行し,被害者親子が乗り換えた自動車が,<C><s>店付近から<z>基地局付近まで同様の高速度で走行すれば,到達の可能性があるともいえそうである。しかし,被告人自身も,そのような高速度で走行した旨の供述はしておらず,その経路の大部分は,相当量の交通がある市街地であり,多数の信号機も設置されているから,そのような事態を合理的に想定することはできない。
そうすると,被告人の上記供述は,前記4(7)のとおり,被害者親子が,本件当日の午後6時17分ころに<z>基地局付近におり,同日午後6時23分ころに(c)基地局付近にいた事実と矛盾するものである。
(4) なお,弁護人は,上記(2)の各走行実験に関し,どの時計を使用するかやどのような速度で走行するかといった統一的な実施要領が定められていないことなどから,正確性が担保されていない旨主張する。しかし,使用された時計については,時刻が正確であれば足り,使用する時計を統一する必要はない(なお,証拠上,使用された時計の正確性に疑いを抱かせる事情はない。)し,走行速度については,いずれも,交通の流れに沿った走行という点で統一的に実施されたものであって,弁護人の主張は上記(2)の各走行実験の結果の正確性に疑いを差し挟むに足りるものではない。
また,弁護人は,上記(2)の各走行実験で利用されたルートは,1つの実験を除きいずれも国道(f)号を走行するルートであり,ルートの選択に偏りがあるところ,被害者親子が国道(f)号以外の道路を移動した可能性もあるから,それらの走行実験の結果から,上記(3)のような推論はできない旨主張する。しかし,被告人の上記(1)の供述に沿った条件で実施された上記(2)ア及びウの各走行実験の結果は,いずれも,午後6時20分の時点で国道(f)号に合流する地点にすら到達しなかったというものであるし,そのほかの各走行実験の結果を見ても,国道(f)号以外の道路を走行することにより,午後6時17分ころの時点で<z>基地局付近に,午後6時23分の時点で(c)基地局付近にそれぞれ到達する可能性がうかがわれるようなものではないのであって,弁護人の主張は採用できない。
(5) さらに,弁護人は,被害児童が,公判廷において,本件当日,被告人車両に乗った後,<C>に寄った旨供述し,また,捜査段階において,本件当日,乗っていた車両の運転者の髪形が変わった旨供述しているところ,被害児童のこれらの供述は,被告人の上記公判供述を裏付けるものであるから,被告人の上記供述は信用できる旨主張する。しかし,本件当日,被告人車両に乗った後に<C>に寄った旨の被害児童の供述は,<C><s>店で被告人車両を降りて被告人と別れたことまで示唆する内容ではない。また,乗っていた車両の運転者の髪形が変わった旨の被害児童の供述を見ると,あくまでも変わったのは運転者の髪形だけであり,運転者そのものが変わったわけではない旨供述するものである。したがって,被害児童の上記各供述は,被告人の上記供述を裏付けるものではない。
(6) 加えて,被告人の供述するように被害者親子が被告人車両から降りたのであれば,前記4(7)のとおり午後6時17分ころに<z>基地局付近の場所に至っている被害者親子は,被告人車両から降りた後に別の自動車に乗車していることになるが,そのことは,被害女性の携帯電話機の通話記録及び電子メールの送受信記録に第三者と連絡を取った形跡が一切ないことと整合しないものである。
以上によれば,上記(1)の被告人の供述は,信用できないものであり,前記11の推認を左右しない。
13 弁護人のその他の主張について
弁護人は,①被告人は,本件当時,強盗殺人を敢行するまでの困窮状態にはなく,本件各犯行に及ぶ動機が存在しないこと,②被告人は,左手指全廃の障害があり,暗闇の中で,本件各犯行に及んだり,被害者親子の所持品を物色して携帯電話機等を持ち去ることは不可能であること,③被告人の衣服や被告人車両等から,被害者親子の血液の付着が発見されていないこと,④被告人の行動範囲から本件凶器や本件財布が発見されておらず,本件現場に被告人車両のタイヤ痕が残されたり,被害者親子の各携帯電話機から被告人の指紋が検出されたり,被告人が妻に渡した紙幣から被害女性の指紋が発見されたりもしていないこと,⑤前科のない人物である被告人が,本件当日以降,凶悪な罪を犯した後の行動としては不自然な普段どおりの日常生活を送っており,直ちに被告人車両を清掃するなどの罪証隠滅行為にも出ていないこと,⑥<X>が,<Y>なる人物が本件各犯行に及んだことをほのめかした発言を聞いており,被告人以外の第三者による犯行の可能性が十分にあることなどを指摘して,被告人が本件犯人であることには疑いがある旨主張している。
しかし,上記①の点については,前記5のとおり,被告人は,本件当時,妻の給与や親族の援助を頼りに生活しており,本件当日の朝も,ほとんど現金を保有していなかったのであり,そのような経済状態からすると,被告人に本件各犯行に及ぶ動機がないなどということはできない。上記②のうち,明るさの点については,被告人車両のライトを点けていれば十分な明るさがあったと考えられるし,被告人の障害の点については,被告人の利き手である右手を使えば,本件各犯行に及んだり,被害者親子の所持品を物色して携帯電話機等を持ち去ることは十分に可能であったと認められる。上記③の点については,被害女性の頭髪が長いこと,被害児童が帽子を被っていたことや,頭部を鈍体で殴打するという本件各犯行の態様からすれば,本件により被害者親子の血液が飛沫せず,被告人の衣服や被告人車両に付着しなかったことも十分に考えられる。上記④の点については,本件凶器や本件財布が,本件犯人により投棄されて発見されないことも,本件現場や本件犯人あるいは被害女性が触れた物に,本件犯人や被害女性の痕跡がそれと分かる形で残されないことも,あり得ることである。上記⑤の点については,凶悪な罪を犯した者でも,その後通常どおりの日常生活を送ったり,目立った罪証隠滅行為に出ないことも,あり得ることである。上記⑥の点については,<X>の上記供述は,<X>と<Y>なる人物がもめた際に,同人物がそれらしきことを口走ったという伝聞にすぎず,この供述から直ちに同人物を含む被告人以外の者が本件犯人であることがうかがわれるものではない。
以上のとおり,弁護人の上記各主張は,いずれも被告人が本件犯人であることの推認を妨げる事情とはいえない。
14 結論
以上によれば,被告人が本件犯人であると認められる。
ところで,被告人が強取した本件財布に,被害女性が本件当日に引き出した現金40万円が在中していたかどうかについて,直接証明する証拠はない。
しかし,関係証拠によれば,被害女性は,前記5(4)イのとおり現金を引き出した際,これを本件財布にしまったことが認められる。そして,前記5(6)のとおり被害女性が現金40万円を引き出して所持していたことを認識していた被告人が,被害女性を殺害してまで本件財布を強取していることからすれば,被告人が強取した本件財布には,それまでに入っていた幾らかの現金に加えて,上記現金40万円も在中していたものと推認される。
なお,この点に関連して,弁護人は,被害女性が,前記4(1)イのとおり被告人といったん別れた後,引き出した現金40万円を自宅に置いてきた上で,被告人と再会した可能性が否定できない旨主張している。しかし,被害女性の自宅にそのような現金が残されていたという可能性を示すような証拠は何もない上,関係証拠によれば,被害女性がいったん被告人と別れて帰宅した後,再び被告人と会うために自宅を出た時点では,その自宅に訪問中の介護サービス協力員を残しており,さらに,被害女性は,同日午後5時45分に自宅に電話をかけ,電話に出た同協力員に対し,鍵をかけないまま先に帰って良い旨述べていることが認められるところ,40万円もの多額の現金を置いたままの自宅に第三者である同協力員を残して外出することや,同協力員に対し,鍵をかけずに帰って良い旨告げて,自宅を無施錠のまま留守にすることは,考えにくいことであるから,弁護人の上記主張は採用できない。
結局,被告人には,判示強盗殺人罪及び強盗殺人未遂罪が成立する。
(法令の適用)
罰条
判示第1の行為 刑法240条後段
判示第2の行為 刑法243条,240条後段
刑種の選択 いずれも無期懲役刑を選択
併合罪の処理 刑法45条前段,46条2項,10条(犯情の重い判示第1の罪につき無期懲役に処することとして,他の刑を科さない)
未決勾留日数の算入 刑法21条
訴訟費用の処理 刑事訴訟法181条1項ただし書(不負担)
(量刑の理由)(求刑 無期懲役)
1 本件は,被告人が,携帯電話サイトで知り合った女性を殺害して現金約40万円在中の財布1個を強取し,その娘も殺害しようとしたが,傷害を負わせたにとどまったという事案である。
2 まず,本件により,被害女性のかけがえのない生命が奪われたという結果は,とても重いものである。37歳の若さで,愛娘を残して生涯を終えることになった被害女性の無念さは,察するに余りある。
また,被害児童は,いきなり鈍器様の凶器で頭部を殴打され,入院加療196日間を要する脳挫傷,開放性頭蓋骨陥没骨折等の重篤な傷害を負わされたものである。被害児童は,それに加えて,母親が殺される場面を目の当たりにしたものであり,とても大きな身体的・精神的苦痛を受けている。しかも,被害児童は,本件により右半身が麻痺して,右手や右足を動かすことに不自由する状態が残り,また,退院後しばらくの間は,恐怖から独りで寝ることができず,本件犯人の幻影を見たりするなどもしており,将来にわたり重い負担を背負い続けることは明らかである。
被害児童が,犯人を許すことはできないと述べ,被害児童の父親及び祖父が,犯人に対する厳しい処罰を求めているそれぞれの心情は,いずれも十分に理解できるものである。
もとより,現金約40万円が奪われたという財産的被害も,軽視できるものではない。
以上のとおり,本件の結果は誠に重大である。
3 次に,本件各犯行の態様について見ると,被害女性に対しては,鈍器様の凶器でその頭部を多数回にわたりかなりの強さで殴打したものであって,強固な殺意に基づく残忍で悪質な態様である。また,被害児童に対しては,同じ凶器でその頭部を1回かなりの強さで殴打したものであり,これも危険で悪質な態様である。
4 そして,被害女性を殺害し,被害児童を殺害しようとしてまで,金品を奪おうとしたその利欲的で身勝手極まりない動機に,酌量の余地は全くない。
5 これらの犯罪行為自体に関する諸事情に鑑みれば,本件は,刑を減軽して強盗殺人罪の法定刑を下回る刑を科すことを考慮し得る事案ではなく,死刑又は無期懲役刑のいずれの刑を科すべきかが問題となる事案である。
6 進んで,そのほかの諸情状も含めて検討するに,被告人は,本件各犯行後,被害者親子の所持していた各携帯電話機を持ち去って投棄するなどの罪証隠滅行為に及んでいる。しかも,被告人は,捜査・公判を通じて,自分は本件犯人ではないとして前記のとおり不合理な弁解に終始し,被害女性の遺族や被害児童に対する慰謝の措置を何らとっておらず,自己の行為を真摯に顧みる態度に全く欠けている。そのため,被告人の更生に向けた道筋は,現時点では,何も見えていない。
7 もっとも,被害児童は,本件翌朝に偶然発見され,救命措置が講じられた結果,幸いにも死亡という最悪の結果は免れることができたものであり,このことは,被告人の寄与があったわけではないものの,量刑上一定の斟酌をすることが相当である。
また,本件各犯行が計画的なものであると認めるまでの証拠はなく,場当たり的に実行されたものである可能性がある。そのほか,被告人に前科がなく,被告人が,本件各犯行に及ぶまでは,女性との性交渉を求めて出歩くという問題行動はあったにせよ,働く意欲を持ち,子ども達の面倒も見るなど,社会や家庭において,相応の役割を果たしながら生活してきたことも考慮すると,本件が被告人の根深い犯罪性向に基づく犯行であるとまではいえない。
それゆえ,今後,被告人が,よき社会人や家庭人であったころの気持ちを取り戻して,自己の行為を顧みて反省する日が来ることも,一応は期待できる。
8 以上の諸事情を総合して検討するに,前記2から4及び6の諸事情に鑑みれば,被告人の刑事責任は誠に重いというほかない。
しかしながら,前記7の諸事情,中でも被害児童の生命が救われた結果,被告人が殺害した者が1人にとどまったことを踏まえつつ,死刑が選択された他の強盗殺人の事案との比較検討も行うと,公訴提起の権限を有する検察官が無期懲役刑を求めるにとどまっている中で,罪刑の均衡及び一般予防の双方の見地から極刑がやむを得ないと認められるとまでは言い難い。
そこで,被告人に対しては,死刑ではなく,無期懲役刑を科し,生涯にわたって,自己の悪業を真摯に顧みて反省し,深く悔悟する日々を過ごさせることが相当であると判断した。
(裁判長裁判官 辻川靖夫 裁判官 石井伸興 裁判官 佐藤薫)