札幌地方裁判所 平成21年(ワ)3065号 判決 2012年11月19日
原告
X1<他1名>
上記両名訴訟代理人弁護士
市川守弘
同
今橋直
同
市毛智子
同
林眞紀世
同
伊藤良
同
加藤丈晴
同
芝池俊輝
同
難波徹基
被告
北海道
同代表者知事
A
同訴訟代理人弁護士
齋藤隆広
同指定代理人
W1<他8名>
主文
一 被告は原告X1に対し、五九七万九二八一円及びこれに対する平成二一年二月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は原告X2に対し、五九七万九二八一円及びこれに対する平成二一年二月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、これを一〇〇分し、その一四を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。
五 この判決は、第一項、第二項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 被告は原告X1に対し、四三一四万六四〇五円及びこれに対する平成二一年二月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は原告X2に対し、四三一四万六四〇五円及びこれに対する平成二一年二月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
四 仮執行宣言
第二事案の概要等
一 本件は、平成二一年一月三一日、北海道のa岳に入山したものの遭難し、同年二月一日にいったんは北海道警察山岳遭難救助隊(以下「救助隊」という。)によって発見・保護されたものの、下山を開始した直後の滑落等のために結果的に救助されずに、同月二日に凍死による死亡が確認されたB(以下「B」という。)の両親である原告らが、救助隊の隊員ら(以下「救助隊員」という。)には、Bを救助するための適切な行為をすべき作為義務を怠った過失があると主張して、被告に対し、国家賠償法(以下「国賠法」という。)一条一項に基づき、それぞれ四三一四万六四〇五円及びこれに対する義務違反の日の翌日である平成二一年二月二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
二 前提となる事実(争いのない事実に加え、各項末尾掲記の証拠及び弁論の全趣旨によって容易に認められる事実)
(1) 当事者等
ア 原告らは、平成二一年一月三一日(以下「平成二一年」の記載は省略する。)、北海道積丹郡<以下省略>所在のa岳に入山して遭難し、二月二日に死亡したB(昭和四五年○月○日生まれ)の両親である。
Bの直接死因は、凍死である。
イ 救助隊は、山岳遭難事案が発生した場合にその都度特別に編成される北海道警察の組織であり、救助隊員は、北海道警察本部長に任命された警察官の中から指定された警察官であって、救助隊の構成員である(北海道警察山岳遭難救助隊規程〔以下「救助隊規程」という。〕七、九、一〇条)。
(2) Bらのa岳登山に至るまでの経緯
ア 一月三一日にBと一緒にa岳に入山した者は、Bの友人であるC(当時三五歳。以下「C」という。)及びD(当時四六歳。以下「D」といい、B、Cと併せて「本件三名」という。)である。
DとCは、株式会社bの同僚である。Bは同社の元従業員であり、同人が退職した後にDが同社に入社した。
BとCは、平成一四年頃から、夏山の登山仲間としての付き合いが始まり、特に平成一八年ないし平成一九年頃から頻繁に一緒に登山をするようになった。他方、BとDは、平成二〇年一一月九日に大雪山黒岳で本件三名が偶然顔を合わせたことで初めて知り合い、本件のa岳登山で三度目の顔合わせであったが、親しい仲ではなかった。
イ 本件三名の登山経験
(ア) BとCは、夏季は大雪山連峰や定山渓などの登山経験があった。
Cは、a岳を夏季に一度だけ中腹まで登山したことがあるが、冬季は、B、Cともに本件の登山が初めてである。BとCは、a岳に以前から興味を抱き、平成一九年三月にa岳で発生した雪崩事故に関して研究していた雪崩研究会のE氏(元北海道大学低温科学研究所所長)の講座にも数回出席していた。Bは、Dに対して「冬のa岳は南側斜面で雪崩が多く危険である」と指摘しており、a岳の危険性を熟知していた。Bは、登山の危険性に鑑み、山岳保険に加入していた。
(イ) Dは、平成二〇年一一月の黒岳に続き、本件の登山が二回目の冬山経験であり、a岳の登山は初めてである。
Dは、Bから、登山や冬山の経験は豊富であるが、冬のa岳は初めてであると聞いていた。また、Dは、BとCが、a岳の雪崩研究会の講座に数回出席したこと等から、Bが冬のa岳の状況について詳しいものと認識していた。
ウ 本件の登山をするに至った事情
(ア) 一月二六日か二八日頃に、a岳でのスキーを思い立ったCがDを誘い、Dはこれに応じることにした。他方、Bについては、同月三〇日夜に、Cに参加の旨の連絡が入り、この時点で本件三名が本件の登山のメンバーに決まった。
(イ) 事前の打ち合わせでは、以下の事項が合意された。
a 一月三一日の休日に、日帰りスキーをする。
b 本件三名で、Cの車に乗ってa岳へ行く。
c それぞれの経験や技術が違うことから、各自のペースで登山とスキーをする。
d 食料品や装備品等はそれぞれで準備し、午前中に山へ登り、昼食は二合目半にある休憩所(以下「休憩所」という。)で本件三名で食べる。
e 最初から頂上まで行くことは決めずに、休憩所から各自の力量を考え、行けるところまで登って降りてくる。
エ Bの装備
(ア) Bが着用していた衣類及び携帯品
a ニット帽子
b ゴーグル
c ネックウォーマー
d スノーボード用ウェアー
e フリース
f スノーボード用スボン
g ジャージズボン
h スノーボード用ブーツ
i グローブ
j 登山用ビーコン
k コンパス
l 携帯電話
(イ) Bが携行していた他の装備など
Bが携行していた他の装備などのうち、争いのないものは以下のとおりである。
a スノーボード
b スノーシュー
c ザック
d グローブ
e ゴーグル(ホイッスル付き)
f ツェルト
g プローブ(ゾンデ棒)
h ノコギリ(スノーソー)
i 空気クッション
j スポーツドリンク入りペットボトル
k ロープ
l ナイロン袋
m 割り箸(使用済み)
n 無線機
o PSP(ソニー製携帯ゲーム機、GPS(全地球測位システム)レシーバー付き。以下「PSP」という。)
p PSP専用予備バッテリー
q 緑色ロープが結ばれたナイロン片
(3) a岳入山からBが遭難に至るまでの状況
ア 本件三名は、一月三一日、冬山でのスキー、スノーボードを楽しむため、午前八時〇五分頃、c町側の登山口からa岳に入山した。
イ 午前九時三〇分頃、B、D、Cの順に休憩所に到着した。そして、昼過ぎには下山する予定であったことから、持っていた食料の一部やガスコンロを休憩所に置いていくことにした。
ウ 本件三名は、午前一〇時頃、山頂に向けて休憩所を出発した。当時の天候は、曇り微風で、視界は良好、気温は不明であるが、CとDは、寒さを感じなかった。Bは、スノーボードを背負い、スノーシューを装着しており、CとDは、裏面にシールを貼った山スキーを装着していた。また、Bがスノーボード、CとDがスキーであったことから、Bが持参していた二台の無線機のうち、一台をBが携帯し、もう一台をCが携帯していた。
エ 登り始めて間もなくすると、Bと他の二名の装備の違いや体力差から、先頭を行くBと他の二名の距離は少しずつ開いていった。
その後、CとDは、それぞれ山頂まで登ることを諦め、休憩所に戻ることとした。午前一一時三〇分頃の天候は曇りであり、Dが所在していた五合目と六合目の中間付近の「○○沢」の地点からは、「△△台」や九合目付近まで視認可能だった。なお、これらの場所の位置関係は、別紙図面のとおりである。
Cは、午前一一時から午前一一時三〇分の間に、Bから、山頂まで一時間半ほどの地点におり、これから山頂に向かう旨の無線連絡を受けた。
オ CとDは、休憩所でBを待っていたが、Bは、午後二時を過ぎても下山してこなかった。そのため、CとDはBとの無線連絡を何度か試みたものの、なかなか繋がらず、午後三時過ぎにようやく無線で話をすることができた。Bの話では、午後一時四〇分頃に山頂に到着した後、ホワイトアウトで危険なので坪足(板やスノーシューなどを付けない、ブーツのままの状態で歩くこと。)で下っているが、視界不良の為ビバークするとのことであった。
カ BからCらに対し、午後三時三〇分頃、雪洞を掘り終わり、ツェルトを張って落ち着いた旨の無線連絡があった。Cが、Bに救助を要請した方がよいか確認したところ、要請して欲しい旨の回答であったため、午後三時四〇分頃、警察通報用電話(一一〇番)に電話を架け、Bの救助を北海道警察に要請した。
キ Cは、午後四時〇八分、Bに対し、救助要請を出した旨を伝えた。Bは、斜面に雪洞をを掘ってビバークしているが、位置が分からないので、後でGPSを確認してから連絡をするとのことであった。また、午後四時三〇分以降は、三〇分毎に定時連絡をすることとし、緊急連絡以外は、電池残量温存のため、B側の無線機の電源を切ることにした。なお、Bがこの当時持参していた食料は、サンドイッチ一個、ようかん三個、水五〇〇cc一本であった。
ク Cの要請を受けた北海道警察は、ヘリコプターによる捜索を開始したが、後述のとおり悪天候のため、捜索の打ち切りを決定し、午後五時二〇分に遭難現場付近を離脱した。また、札幌を出発した救助隊は、午後一〇時三〇分頃、現地対策本部(d会館)に到着した。
ケ 午後四時三〇分から午後五時一〇分頃までの間に、Bから「ヘリの音が聞こえる。姿は見えない。」「ヘリの音が遠くなって行っちゃった。」などの連絡があった。
コ Cは、午後八時頃まで、三〇分おきにBと無線で連絡をとっており、その間に、Bは、GPSによって測位した位置が、北緯43°16′04″東経140°29′09″、高度一一八〇m付近であると知らせた。なお、GPS座標の表示方法には、日本測地系と世界測地系の二つの方法があり、Bが知らせた座標は、日本測地系であったが、この当時、上記座標がいずれの方法によるものか判明していなかった。上記座標を世界測地系に換算すると、北緯43°16′12″62東経140°28′55″92である。
また、Cは、ヘリコプターによる捜索打ち切りの決定を受け、Bに同日は捜索しないことを伝えた。なお、これらの無線連絡は、休憩所に到着していた地元警察の警察官も確認していた。
(4) 一月三一日の捜索状況
ア ヘリコプターによる捜索
北海道警察地域部航空隊(以下「航空隊」という。)は、ヘリコプターで、一月三一日午後四時三〇分頃にa岳の上空付近に到着し、捜索を開始したが、天候が悪く、山頂付近一帯は厚い雲に覆われていた。
通報の内容から、Bが山頂付近にいる可能性が高いと思料されたため、雲に覆われた山頂付近への接近を何度か試みたがいずれも不可能であり、日没後(同日の日没は午後四時四五分頃)も可能な限りの捜索を実施したが、有視界での捜索が困難となったために、やむなく午後五時二〇分に現場を離脱した。
イ 地上からの捜索状況
札幌方面e警察署(以下「e署」という。)の職員ら(F警部及びG警部補)、c町職員二名、f消防支署隊員三名は雪上車、民間協力者であるH(以下「H」という。)はスノーモービルで、Cらが待機する休憩所に午後五時一七分頃に到着した。当時は吹雪で、視界は約二〇〇mであった。
そして、e署の職員らは、Cから、遭難に至る状況及びBからビバークしている地点は北緯43°16′04″022、東経140°29′09″034、高度一一八〇mであること、怪我や体調不良はないこと等の連絡があった旨を聴取した。
この時点で、①既に日没後で暗く吹雪くなど天候が悪化しており、Bがビバークしていると想定される高度一一八〇m(a岳は標高一二五五m)地点付近はさらに状況が悪化していることが確実と思料され、②B自身も天候の悪化により移動が不可能でありビバークせざるを得ないと通知してきており、③a岳に詳しい地元のHも休憩所で吹雪いていれば一〇〇〇m以上は吹雪で視界が悪いことが予想されるのでスノーモービルで登ることは無理だとの意見を具申していた。
これらの状況を考慮したe署の職員らは、二次遭難の可能性が十分に想定されること等から、遭難場所まで直ちに救出に向かうことは不可能と判断して、Cに対して、Bには非常時以外はトランシーバーの電源を切り、午後八時と翌日午前六時に連絡するよう指示した後、今後の捜索体制を検討するため、現地対策本部が設置されているd会館に下山した。
ウ 救助隊の出動
救助隊への出動命令は、北海道警察本部警備部機動隊(以下「機動隊」という。)所属のI警部補(以下「I小隊長」という。)、J巡査部長(以下「J分隊長」という。)、K巡査部長(以下「K隊員」という。なお、当時の階級は巡査長である。)、L巡査部長(以下「L隊員」という。なお、当時の階級は巡査長である。)、M巡査長(以下「M隊員」という。)の五名(車両運転員を除く。)に発令され、この者らによりBを救出するための救助隊が編成された。
e署への出動命令を受けた救助隊は、車両二台(隊員輸送車及び雪上車を荷台に車載したトラック)で、札幌市南区真駒内の機動隊舎を出発し、午後八時頃にe署に到着し状況の説明を受けた後に、関係機関との捜索会議のため、午後九時三〇分頃にc町役場に到着した。
エ 捜索要領
c町役場において、c町、同町消防、警察による捜索会議が行われた後、救助隊はd会館へ移動し、I小隊長が配下隊員に対し、翌日の捜索要領について、①I小隊長とK隊員の二名は、Bがビバークしていると推定される位置まで、スノーモービルにより先行すること、②他の隊員は、雪上車で同地点を目指すこと、③K隊員には、スケッドストレッチャー(以下「ストレッチャー」という。)等の救助用装備資機材を重点的に装備させること、④搬送用の装備資機材を充実させる一方で、テントやコッヘル等の重量がかさむ機材は持参しないことを指示した。
(5) 二月一日の事実経過
ア 救助隊がBを発見するまでの状況
(ア) 二月一日午前五時三〇分、Bの救助のため、救助隊がd会館を出発し、午前六時二〇分、救助隊員五名を乗せたc町の雪上車(以下「町雪上車」という。)を前に走行させ、その後に警察の雪上車(以下「警察雪上車」という。)が続くこととして、スノーモービル二台に先導させて、休憩所を出発した。なお、I小隊長らがスノーモービルにより先行することは、天候が悪いため中止された。
(イ) Cは、午前七時三六分、Bとの夜が明けてから最初の無線連絡で、Bに救助隊が救助に向かった旨を伝えた。電波状態が悪く、休憩所の外からでなければ無線が繋がらない状態ではあったが、Cや休憩所に残っていた二名の警察官は、随時Bと話をし、声を掛けていた。最初の無線連絡におけるBの応答は比較的明瞭であった。
(ウ) 午前八時頃、天候状況を見極めていた航空隊のヘリコプターがBの捜索のため丘珠空港を離陸し、午前八時二〇分頃にa岳の上空付近に到着したが、厚い雲に覆われて降下できず、ヘリコプターから山頂付近の状況を確認するのは不可能であった。
(エ) 救助隊は、まず、「○○沢」で警察雪上車が前進できなくなり、その後、救助隊の乗る町雪上車とスノーモービルが前進を続けた。救助隊は、午前八時四〇分頃、「△△台」手前約三〇〇m付近に到達したが、視界が一〇m以下になり、車両による前進が困難となったことから、スノーモービルと雪上車は同所で待機することとし、午前八時五〇分頃、山頂方向を目指して山スキーで出発した。進行するに従い、山スキーでの前進が困難となったことから坪足による捜索に切り替えた。なお、町雪上車は、その後徐々に進行し、九合目付近にまで到達した。
(オ) 午前九時過ぎ、Bから、休憩所のCに、雪洞前に張っていたツェルトが裂け、裂け目から雪がばんばん入ってくるとの無線連絡が入った。ツェルトが裂けた後は、風の音で十分な会話をすることは困難な状況になった。
(カ) 航空隊のヘリコプターは、a岳山頂付近を航行していたが、雪雲が厚く高度三〇〇m以下に降下することができなかったため、丘珠空港へ引き返した。
(キ) 救助隊は、午前九時五〇分頃、Bがビバークしている可能性が高いとされた北緯43°16′27″、東経140°28′55″の地点から約一五〇m離れた地点に到達し、ビーコン等による捜索を開始し、午前一〇時二〇ないし三〇分頃には、前記地点を中心とする半径約一〇〇mの領域の捜索を行った。午前一一時〇五分、BとCとの無線連絡が途中で途絶え、その後、無線は繋がらなくなった。また、その頃、救助隊は、一瞬晴れたもやの中に、九合目付近に雪上車がいることを確認している。
(ク) 午前一一時三〇分過ぎ、救助隊員からの警察無線で、Bが連絡してきたGPSのポイント周辺を探しても見つからない旨の連絡が入った。午前一一時五九分、救助隊は、Bを発見し、無線で「生存確認」の一報を伝えた。なお、救助隊が雪上車を降り、Bの捜索のため徒歩で移動したルート及びBを発見した場所は、別紙図面のとおりであり、救助隊員はこのルートで移動した際、約三〇mごとにデポ旗(登山の際、移動の軌跡を明らかにしておくために、その行程の途中に置いていく旗)を刺していた。
イ 救助隊が休憩所に下山するまでの状況
(ア) 搬送の方法は、M隊員がBの右体側、L隊員が左体側にそれぞれ位置し、両名でBの脇下に付き、腰付近を掴み上げ持ち上げるようにして、両脇から抱えていくような体勢で歩行移動し、これをJ分隊長が先導し、B・L隊員・M隊員、後尾をI小隊長とK隊員の順で実施し、後方のI小隊長は、登山道からコンパスとGPSでルートを確認しながら、方向等の指示を行った。
当時の山頂の天候は猛吹雪でヘリコプターが着陸できる状態ではなかった。I小隊長は、Bを発見する前、町雪上車が九合目付近まで登頂していたことを確認していたため、町雪上車までBを運び、町雪上車で下山する方法を選択した。そして、I小隊長は、登山してきたルートを戻ることはせず、Bの発見場所から町雪上車待機場所(その場所は別紙図面記載のとおり)まで、夏山であれば登山道となるルート(別紙図面の点線のルート)を通っていく最短コースを選択した。なお、救助隊員は、一月三〇日にa岳で冬山訓練をしたこともあり(ただし、J分隊長については一月一五日)、登山道の南側には崖があり、稜線の南側には雪庇があることを認識していた。
(イ) 下山を開始してから五分前後が経過し、Bを発見した地点から約五〇m進んだ地点で、J分隊長、L隊員、M隊員及びBは、雪庇を踏み抜き滑落したが、最後尾を歩いていたK隊員は、I小隊長に腕を掴まれて立ち止まり、滑落するのを免れた。
救助隊員ら四名が滑落した距離は、稜線から、J分隊長が約二〇m、M隊員が約五〇m、L隊員が約一〇〇m、Bが約二〇〇mであり、滑落した斜面は斜度四〇度前後の急斜面であった。午後〇時〇九分、I小隊長は無線で滑落の状況を伝えた。
(ウ) I小隊長とK隊員は、崖上からの降下と引上げのために、滑車等の器具を使用した引上げシステムを構築してこれを使用することにした。そして、I小隊長とK隊員は、ストレッチャーを持ってロープで降下したうえ、ロープがとぎれた以降は膝丈までの雪を漕ぐようにして、「おーい、おーい」等と声を張り上げながら、Bがいる地点へ向かった。
(エ) I小隊長は、崖下に到着後、ザック内からシュラフ(テント泊等で用いる、筒型をした携帯用の寝具)を取り出してこれでBの身体全体を包み保温措置を講じたうえ、ストレッチャーを三人がかりで広げてBを抑向けの体勢で収容し、搬送途中にBがずれ落ちないようにストレッチャー付属の固定ベルトで縛着した。
そして、ストレッチャーの前方から二名が引き上げ、後方からは一名がストレッチャーを支え押し上げ、人力でロープの位置まで直登した上で引き上げることとした。無線機等が包入されていた救助隊員のザックは重く(二個分の重さは、約四〇kg)、これを携行したのではストレッチャーの引き上げに相当の体力を消耗することから、まずは同所に放置することにして、作業を開始した。
(オ) 滑落を認知したことから、午後〇時三〇分頃、現地対策本部は二次隊の出動を決定し、午後一時一五分には出動を受けた二次隊が札幌を緊急走行で出発し、午後三時一〇分には現地本部に到着した。
(カ) 救助隊員は、ストレッチャーの移動作業を開始して一時間を経過しても、Bがいた場所から約五〇m程しか前進しておらず、作業が困難を極め、救助隊員は極度に疲労していたため、作業を交代しようと、ストレッチャーを一旦固定することとした。K隊員は、ストレッチャーに引き手代わりに結束していたシュリング(短いロープを輪のように結んだもの)の輪にウェビング(繊維性のテープ)を通し、それぞれの端を登坂上のハイマツの太さ約五cmの幹と太さ約三cmの枝に「一回り二結び」という結び方で結束した。
ストレッチャーを固定した後に、I小隊長の指示で疲労が特に激しかったL隊員は稜線上へ登り、稜線上にいたM隊員が降下を開始した。
そして、I小隊長とK隊員は、稜線下に放置されているザック内に使用可能な無線機等が包入されており現地対策本部との連絡のために必要であったことから、救助隊員が交代している間にこれを回収しようと考え、Bが滑落した場所まで降下してザックを回収した後、再び登り始めた。
(キ) M隊員が二〇m程降下した時に、ストレッチャーがハイマツから離れ滑落したのを現認したため、「ラーク(落)」と叫び、下にいた二名の救助隊員に対して、ストレッチャーが落下していくことを知らせた。
一方、ザックを回収して登坂中のI小隊長とK隊員らは、M隊員の叫び声を聞いて上方を見た瞬間に、I小隊長の右横をストレッチャーが急速度で滑落して、瞬時に視界から消え去りストレッチャーの痕跡も確認できない谷底へと落ちていったのを認めた。
三名の救助隊員とBが滑落した場所及びストレッチャーに固定されたBが滑落した場所は、別紙図面の「滑落場所」、「二回目滑落場所」と記載された地点である。
(ク) 午後二時一五分頃、救助隊員全員が稜線上に戻り、その時点で無線機の電源が回復し通話が可能になったことから、これ以上の捜索活動は不可能であり、捜索体制の立て直しを図る旨を無線で現地対策本部に報告した。
(ケ) なお、下山後にK隊員は右手凍傷及び右一、二、三指血流不全で加療二週間と診断され、L隊員は全治二週間の頸椎捻挫及び右肩打撲並びに加療一週間の顔部及び左手凍傷の受傷と診断された。
ウ 午後五時一五分頃、Cらは、Bを除く救助隊員五名が自力下山して休憩所に到着したこと、捜索の打ち切り、翌朝に捜索を再開することを伝えられた。
(6) 二月二日の事実経過
Bは、二月二日午前七時四一分、救命用具であるストレッチャーに固定されたまま雪に埋まった状態で発見され、航空隊のヘリコプターで札幌医科大学に搬送されたが、午前八時五四分、凍死による死亡が確認された。
三 争点及びこれに対する当事者の主張
(1) 争点①(救助隊員の救助活動が「公権力の行使」に該当するか否か)
(原告らの主張)
国賠法一条にいう公権力とは、国又は公共団体の作用のうち純粋な私経済作用と営造物の設置又は管理作用を除くすべての作用を指すものと解されているところ、北海道警察によって任用された地方公務員である救助隊による職務活動が公権力の行使に該当することに疑いを差し挟む余地はないというべきである。
(被告の主張)
ア 国賠法上の賠償責任が認められるためには、問題とされる作為あるいは不作為が「公権力の行使」に該当することが必要とされる。
イ Bを救助する行為は、山岳遭難救助の専門家が専らその専門技術及び知識経験を用いて行うものであって、その性質上、民間救助隊の同種行為と異なるところはない。したがって、それが権力的行政作用たる性質を有しないことが明らかである。
ウ 次に、警察法二条は「個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもってその責務とする」(一項)、「警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られる」(二項)と規定して、警察が具体的にどのような責務を遂行すべきかを限定的に列挙するとしたうえで、同法五条以下にその詳細な定めを置くが、そこには、山岳遭難救助に関するいかなる文言もみられない。このように山岳遭難救助は、そもそも法にも条例にも定めがなく、警察が行うべき警察作用には必要ではないから、警察作用に含まれる非権力的行政作用とはいえない。
民間人あるいは民間企業が同様の山岳救助活動を多数例実施している現状に鑑みても、警察が行う山岳遭難救助活動なるものは、私経済作用にも等しいものといえる。
そして、救助隊規程は、任意活動である山岳遭難救助を能率的に達成するための規程に過ぎず、行政機関に対して具体的な責務を負わせるものではない。
したがって、救助隊の救助活動は、警察の本来的な職務すなわち警察作用に含まれる非権力的行政作用とはいえない以上、「公権力の行使」には当たらない。
(2) 争点②(救助隊員の救助活動が国賠法上の違法な行為に該当するか否か)
(原告らの主張)
ア 救助隊員が負う注意義務
(ア) 救助隊は、「山岳における遭難者の捜索及び救助にあたることを任務とする」(救助隊規程三条)。また、警察法二条一項は、「警察は、個人の生命、身体、及び財産の保護に任じ」と規定する。さらに、地方公務員法三〇条は、「全て職員は、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、かつ、職務の遂行にあたっては、全力を挙げてこれに専念しなければならない」と規定する。
救助隊は、CによるBの救助要請を受けて、救助活動を開始した。したがって、救助隊員は、警察官の職務として、Bの生命、身体の保護に全力を挙げて専念し、Bを救助するための適切な行為をすべき作為義務を負っていた。
(イ) 二月一日午前一一時五九分に救助隊員がBを発見し、I小隊長が無線でその旨の報告を行い、J分隊長がBにジャケットを着せ、M隊員がBにカフェオレを飲ませたことによって、救助隊員はBの危険を引き受ける行為をし、救助隊員の管理支配下に置いたといえる。
救助隊員以外にa岳頂上付近には誰もおらず、他にBの救助を行う可能性を有する者は存在しなかった。
低体温症に対する適切な防止措置を採らなかったことや救助隊員が雪庇を踏み抜いた行為は、生存の可能性、死亡の危険性に対し重大な原因を与えた先行行為として評価することができる。
よって、救助隊員には少なくとも条理上Bを救助すべき作為義務が発生していた。
イ Bの救命は十分可能であったこと
Bは、雪洞を掘ってビバークし、風雪を凌いでおり、その際、一晩過ごすには十分な食料を備えていた。
また、Bは、二月一日午前九時頃にツェルトが破れるまでは受け答えもしっかりしており、体調にも異変はなかった。Bは、ツェルトが破けた後も、「救助隊が近くに来ていると思うけれども何か見える。」という問いかけに対して、「旗を立ててみればいいの。」と回答し、同日午前一一時の最後の交信の際も、「明るくなってきたけれど周りの様子は。」という問いかけに対して、「立ち上がってみればいいの、ちょっと待って。」と回答しており、会話をしたり自ら動いたりすることが可能だったのであって、生命の危機に瀕する程の状況にはなかった。
さらに、救助隊員がBを発見した時点でも、Bは自力で歩行できるだけの健康状態であったことから、救命可能性があったことは明らかである。
ウ 救助隊員の一連の行為は違法であり、過失があったこと
そもそも、救助隊として山岳遭難者の救助を行う場合、救助隊員は、①雪崩の知識、気象の知識、低体温症の知識等、山岳遭難についての基礎的知識を有していなければならず、②救助に必要な装備を備えた上で救助に向い、③発見した遭難者を適切に保護すべき作為義務を有する。
しかしながら、本件救助にあたった救助隊員は、雪崩の知識、低体温症の知識、雪山の知識を満足に有していないにもかかわらず、バックアップ体制もなしに無計画に救助に出動し、その際、個人装備としてのピッケルを有せず、グループ装備としてのテントやツェルト(簡易テント。底は開くようになっており、そのまま被ることもできる。)、ストーブ等も有しないなど、救助に必要な装備を備えておらず、その結果、低体温症にかかっていたBに適切な措置をとらず、むやみに移動させ、雪庇を踏み抜いて一層危険な状況に追い込み、さらに、十分な保温措置をとらずにBをストレッチャーに乗せて長時間引き上げた上、ハイマツにストレッチャーを縛り付けて救助隊員全員がその場を離れるという行動をとったため、ストレッチャーがハイマツを離脱することを容認し、滑り落ちていったストレッチャーを捜索もせず、Bを確保しないまま下山した。この一連の行為は、Bの適切な保護を怠ったもので違法であるといえる。
そして、かかる救助隊員らをもって救助隊を組織し、十分な装備を準備せずに出動させた北海道警察の担当職員の違法及び過失も存在する。
エ 個々の行為の違法性及び過失について
仮に、以上のような全体としての一連の行為について違法性及び過失が認められないとした場合にも、救助隊員には、以下のとおりの違法及び過失が認められる。
(ア) 山頂から移動させた際の違法
Bは、悪天候のa岳頂上付近で約一六時間を過ごしており、救助隊員が発見した際には低体温症に陥っていた。そして、Bを発見した際の救助隊員の認識は、救命可能性が認められた反面、凍傷や低体温症の危険が極めて高いというものである。なお、救助隊員は、Bが知らせてきたGPSの日本測地系の緯度経度を世界測地系に変換する際、誤った変換を行ったためにBの発見が遅れており、このことによって、Bの死亡結果を招いたものではないと評価できるものの、Bの救命活動の重要性が増したといえる。
低体温症の患者の場合、搬送は慎重を期すこととされ、まずは保温を最優先すべきであるから、救助隊員は、Bを発見した後、搬送するのではなく、速やかにBの保温を行うべきであった。具体的には、雪洞を掘って安全な場所を確保し、Bの低体温症が軽症であった場合は、カイロを胸ではなく脇の下などにあてて加温し、Bの体温の低下を防ぎながら、あるいはBをツェルトで覆ったりして体温の上昇に努めた上で、ヘリコプターなどの救助を待つべきであった。また、カフェインの含まれる飲料は利尿作用で脱水を助長し、凍傷になりやすくさせることから、カフェオレを飲ませるべきではなかった。
したがって、低体温症に対する適切な防止措置を採らずにBを搬送した救助隊員の行為は違法であり、過失がある。
また、被告は、ストレッチャーが使えなかったと主張するが、救助隊員は滑落後に四〇度近い斜面で使用しているし、下りの斜面では、Bとストレッチャーの重みで滑って行くものであるから、来た道を引き返す場合には、風雪に曝すことなく安全にBを搬送できるのであるから、ストレッチャーを使用して搬送すべきであった。
(イ) ルート確保のための策を講じないまま漫然と進行し、雪庇を踏み抜いたという違法
a 下山を選択したことに過失がなかったとした場合の救助隊員の義務
救助隊員は、救助活動に際して、救助行為によって要救助者の生命身体に危害が加わることのないよう注意すべき義務を負っている。
仮に、Bを発見した後、医師に引き継ぐため下山させるという選択が適切だったとしても、救助隊員は、風や視界不良によって下山ルートを見失うこと、南斜面に形成されている雪庇を踏み抜ける斜面を滑落することを避け、Bを安全に下山させる義務を負っていた。
b ルート選択の誤り
南斜面に形成されている雪庇を踏み抜くことがないように下山ルートを確保するもっとも安全かつ確実な方法は、南斜面の反対側に位置するデポ旗が設置されているルートを下山することだったにもかかわらず、救助隊員はこのルートを選択せず、I小隊長は、九合目付近にあった雪上車を目指すことを選択し、救助隊員に対して、東方向に直進することを指示した。
Bの発見場所から「九合目付近」までの距離は、約六〇〇mあり、進行する方角が一度ずれれば、六〇〇m進んだ地点では一〇m以上もずれることになることから「九合目付近」まで正しく進むためには、方角を正確に確定する必要があった。そして、コンパスを使用して目的地に向かうには、コンパスの表示する方向と地形図のずれを修正する必要がある。
したがって、救助隊員が雪上車に到達するためには、現在地と雪上車の位置の確定、西偏九度三〇分の修正が必要であったにもかかわらず、I小隊長は、現在地点を地図に書き込むことも、目標地点を正確に把握することもせず、進むべき方向を正確に確定することすらできていないのに、漠然と方向を定めてやみくもに進んでいったにすぎない。
c 救助隊員のとった進行方法の誤り
選択した方角に直進するには、ルートからはずれないよう常時コンパスで方角を確認しながら、進行方向を指示・修正し、進行すべきであり、視界が悪かったのであれば、全員が一体として同時に動くのではなく、視界の範囲内で他の救助隊員を先行させ、後方からコンパスを用いて常に方向を確認し、進行方向を指示しながら、視界の確保できる範囲内で都度、救助隊員を停止させて、当該救助隊員の位置まで進行することを繰り返さなければならなかった。
しかし、救助隊員は、これらの方法をとらず、I小隊長が示した方向に、救助隊員の感覚に従って漫然と進行したのである。I小隊長の考えた雪上車の位置が正しく、西偏移も考慮して進行方向を定めたとしても、救助隊のとった進行方法では、目標地点にたどり着くことなどできず、結果として、南東方向にあった雪庇に向かって行ってしまったのである。
d 以上のとおり、救助隊員は、より安全な下山ルートを選択し、下山方向を正確に定め、確実に下山ルートを確保すべき義務を怠り、もっとも避けなければならない雪庇のある南東方向に誤って進行し、雪庇を踏み抜いて滑落した。I小隊長は、九合目付近という曖昧な目標を設定し、視界が悪く、強風の吹く中を「気持ち北東方向」などという漠然とした方向指示をして、感覚のみを頼りに救助隊員を進行させたのであり、この結果が、I小隊長の過失によって生じたことは明らかである。
そして、Bは、滑落後、発見時と比べて健康状態が格段に悪化した。また、滑落したことにより、Bの救命が著しく困難となったことは明らかである。
したがって、雪庇を踏み抜いて滑落したことによってBの救命可能性がなくなったとすれば、これがBの死を招いた直近の違法な行為となる。
(ウ) 滑落後、引上げを強行した行為の違法性
滑落後の段階でも、救助隊員は、Bには救命可能性があると認識していたが、低体温症は進行していた。
また、救助隊員は、Bが滑落した場所から稜線までの距離が約二〇〇mで斜度は約四〇度であると認識していた。Bの身長は約一七〇cm、体重は約六五kgであった。L隊員は、落下の際に腰を打ち、打撲傷を負っていた。
したがって、救助隊員は直ちに移動せずに加温を最優先にすべきであったにもかかわらず、四〇度の斜面でストレッチャーの引上げを強行した救助隊員の行為は違法であり、過失がある。
(エ) ストレッチャーが滑落しないための万全の方法をとらなかった違法
a ストレッチャーを斜面と平行の状態で固定しようとしたこと
人を収容したストレッチャーは、その材質・形状・重量などから、斜面を滑りやすいものであり、斜面に対して平行に配置すると、重力が働き、特段の力を加えなくても斜面を滑走していくことから、ストレッチャーを斜面に対して横向きに置き、雪面を少し踏み固め、ストレッチャーを置いた後、それを雪面に押し付けて雪に沈ませ、安定させた上で、ハイマツなどへの結束によりアンカーをとる必要がある。
しかし、救助隊員は、Bを乗せたストレッチャーを、頭部が若干左側に傾いている不安定な状態で吊り下げたのであり、固定方法として重大な注意義務違反があったといわざるを得ない。
b ストレッチャーを吊り下げたこと
ウェビングにテンションがかかっているということは、ウェビングが何らかの要因で外れた場合には直ちにストレッチャーが滑走することを意味し、しかも、ストレッチャーを固定した救助隊員は、そのことを十分に認識していたのであるから、ウェビングにテンションがかかった状態でストレッチャーを吊り下げた点は、固定方法として重大な注意義務違反があったといわざるを得ない。
c ハイマツに結びつけたこと
ストレッチャーの固定にあたっては、ピッケルを複数使用して固定点を複数にした上、力の分散を図り、かつ、ピッケルが抜けないように上に人が体重をかけて固定する方法をとるべきだった。
d 「一回り二結び」という結び方の危険性
K隊員は、ストレッチャーをハイマツに固定させる際、ストレッチャーに引き手代わりに結束していたシュリングの輪にウェビングを通し、それぞれの端を太さ約五cmの幹と太さ約三cmの枝に「一回り二結び」という負荷が加われば締まりが増す結び方で結束した。
確かに、この結び方は荷重がかかることによって、「結び目」は固く締まり、ほどけにくくはなる。しかし、この結び方では、負荷がかかればかかるほど「結び目の輪が締まる(小さくなる)」、すなわちハイマツへの接着性がより強くなるということはない。
また、ハイマツの枝は、柔軟性があって力を加えると容易にしなり、その結果、枝が集合しやすく、結んだ輪自体が締まらない限り、集合した枝が抜けやすいという性状をもっていることから、荷重がかかることによって輪が締まる結び方でなければ、枝から抜けてしまう危険が非常に大きい。
本件でも、ハイマツに結んだ二つの結び目のうち一方は幹についたままであり、もう一方は結び目はあったが枝はついていなかったというのであるから、固定が外れた原因は、ハイマツがしなったことによって結び目が解けることのないままに枝から抜け落ちた以外には、科学的にあり得ない。
このように、K隊員が行った「一回り二結び」という方法によるハイマツへの結束は、ストレッチャーの固定方法として極めて不十分であり、たとえばブルージック結びというテンションをかけると幹を締め付けて移動しなくなる結び方をすべきだった。
e 二本のシュリング等を一本にまとめた結束方法の危険性
K隊員は、ハイマツに固定する際、ストレッチャーに結びつけた二本のシュリング等をそれぞれ別々にハイマツに固定するのではなく、その二本を一本のウェビングに通して、ウェビング両端をハイマツに結んでいるところ、これは、一方の結束が解ければストレッチャーとの結束が解けてしまう方法であるから、極めて不完全な結束方法といえる。
f バックアップを取っていないこと
ひとつの固定方法としてハイマツへの結束を行ったのだとしても、それが外れた場合に備えてバックアップを取っておくべきだったにもかかわらず、救助隊員は、ハイマツに結びつけた以外には、ストレッチャーを一切固定せず、Bが斜面を滑落することがないように、安全を確保する義務を怠った。
g 全員同時にストレッチャーのそばをはなれたこと
ハイマツの結束が外れる場合に限らず、雪崩への対処やBが何か話しかけるなどした際の対応もできないにもかかわらず、救助隊員全員がBのもとを離れ、Bの安全を確保する義務を怠った。
h 以上のとおり、救助隊員は、L隊員の交代の際にBを乗せたストレッチャーを固定するにあたって、容易に、かつ、効果的になし得る固定方法がいくつもあるにもかかわらず、ただハイマツに結束するという一つだけの方法をとったのみで「十分安定した」と満足し、その他の固定方法をことごとく怠ったことにより、ストレッチャーを谷底へ滑走させるという結果を引き起こした。
谷底への滑走により、捜索の続行が不可能となったとすれば、このような事態を招いた救助隊員の違法行為がBの死亡と因果関係のある違法行為となる。
(オ) 捜索を中止した行為
K隊員及びI小隊長は、I小隊長の右横をストレッチャーが滑って行くのを見た。M隊員は稜線から降下する途中にいたが、稜線から約一五〇m下のストレッチャーと更にその五〇m下のK隊員及びI小隊長を目撃しており、視界は悪くなかった。周辺は柔らかい雪が膝上まであった状態で、ストレッチャーはBを乗せていたことから、雪の上にストレッチャーの跡が確認できた。
Bの低体温症は進行していたとみられるため、早期の身柄確保と保温を行う必要があったから、救助隊員は、ストレッチャーの跡を辿ってBを確保し、直ちにビバークすべきであったにもかかわらず、救助隊員は捜索活動を中止して下山を開始している。
したがって、救助隊員の捜索を中止した行為は違法であり、過失がある。
(被告の主張)
ア 救助隊員に作為義務はない
(ア) 原告ら主張の諸規定から山岳遭難者の救助をすべき法的義務は生じないこと
警察官による警察権の行使が権力作用である以上は、常に法規の命じるところに従って、それが実施されなければならない。したがって、公権力の行使にあたる公務員の不作為による権利の侵害が国賠法上違法とされるためには、まずは、根拠となる法令が存在したうえで、そこに当該義務の内容が明確かつ具体的に規定されていることが必要とされる。
この点、救助隊規程は、山岳遭難救助活動のための警察組織内部の職務規律と行動の指針を示したのに過ぎず、何人に対しても法的な義務を課すものではない。
また、文面からも明白なように、警察法二条一項の規定は、警察官の責務を概括的に列挙していても、何ら具体的な法的義務を定めてはいない。
さらに、地方公務員法三〇条も、職務遂行の姿勢のあり方を一般的・抽象的に教示したのに過ぎず、警察官の具体的な法的義務を定めたものでは断じてない。
したがって、これらの規定を根拠に、警察官らには山岳で遭難者を救助する法的義務がある、あるいは、救助のために適切な行為をするべき法的な義務なるものが課せられている、という原告らの主張は、独自の見解であって失当である。
(イ) 条理上も作為義務はないこと
a 原告らは、「危険を創出する行為(先行行為)を行ったものは、それが現実化して損害を生じさせる結果を回避すべく措置をとる義務(作為義務)を負う」から、救助隊もまた同様の義務を負担していたと主張するが、そもそも本件は、山の天候が荒れる可能性があることを認識していながら、技量の全く異なる軽装備の本件三名が、各人の到達地点すらも事前に確認せずに、それぞれの勝手に任せて全くの別行動をとっており、Bは、生命の危険を自身で招いたのであって(自招危難)、救助隊はこれに何ら寄与していないから、原告らの主張は到底理由がない。
b Bを発見した際に救助隊員らが置かれていた自然状況は、自身らの生命の危機すらも危惧されるものであり、救助隊員らがかような危険をコントロールできなかったことは明らかである。
また、専らB自身が危難を招いたのであり、救助隊員は何ら関与していないし、雪庇を踏み抜く等の結果は、後述のとおり当時救助隊員らが置かれた状況に照らせば、何ら非難されるものではないから、同人らに何らかの法的義務が課されるものでもない。
そして、Bの死亡の結果を防止することは、救助隊員らが置かれた状況に鑑みれば、困難あるいは不可能であった。
さらに、ある者を自身の支配管理下に置いたために保護すべき義務が生じるには、契約上の義務の履行に付随して人を自己の管理する場所に受け入れ、かつ、管理者が当該人物の身体生命に対する危機を回避できる可能性があることを要するが、本件がそのような状況でなかったことは明白である。
以上より、救助隊には条理上もBの救助をすべき法的義務は生じていない。
イ 救助隊員に違法及び過失はないこと
(ア) 救助隊の教養訓練等について
救助隊員は、夏・冬山訓練として、毎年、a岳を含む山岳において訓練を実施しており、平成二一年の最初の冬山訓練として、一月にそれぞれa岳での冬山訓練を実施したばかりであり、a岳の積雪状況、地理等について、全隊員が直近に体験していた。
また、山岳関係の講習会への参加や関係資料の収集等により、天候の急変、雪崩、雪庇の形成、低体温症や厳寒の冬山における心理状況等に関する知識も、十二分に持ち合わせていたものである。
Bの救助に際しては、救助隊員らは、かような経験と知識を前提として、Bが置かれている現状や発見後の搬送方法等を綿密に検討し、いかにして迅速かつ安全に救助、搬送できるのかを分析したうえで、そのために必要な装備を選択して携行した。
具体的には、Bを発見した場合、相当時間厳冬下の極限的な状況に置かれ体力を消耗していると思われ、発見後直ちに下山し医師に引き継ぐ必要があること、そのためには、できるだけ機動性に富む迅速な救助活動が必要であると判断して、ストレッチャー等の救助搬送用の装備資機材を充実させ、一方で、テントやコッヘル等の重量がかさむ装備資機材は持参しないこととしたのである。
(イ) 組織編成、出動体制、装備その他の諸点について
a 救助隊の組織編成と出動の体制
山岳救助隊は、救助隊規程に基づき、隊本部及び隊をもって組織され(同四条)、隊本部長に警察本部地域部長(同五条)、隊長に警察本部地域部地域企画課長(同六条)、隊員には山岳遭難に関する知識、技能等を持ち合わせた者を、警察本部長が指定(同七条)する。
管内に山岳遭難事故が発生し、警察署長が隊の出動を必要と認めるときは、警察本部長に出動を要請し(同九条)、警察本部長は出動を命じ(同一〇条)、隊長は、隊本部及び関係所属長に報告又は連絡する(同一六条)。出動した隊の指揮は、派遣先の警察署長が行う(同一一条)。
b 救助活動の開始と方針の策定
本件遭難事案は、一月三一日午後三時三七分頃に、Bとともにa岳に入山したCからの一一〇番通報により、北海道警察本部地域部通信指令室(以下「指令室」という。)が認知した。
指令室では、直ちにa岳を管轄するe署に、警察無線で指令した。
指令室から指令を受けたe署員は、署長等の幹部に即報してその指揮を受け、署員の非常招集、管轄駐在所への通報と指示、警察本部への報告等の必要な初動措置を行い、e警察署に「e署対策本部」を設置した。
さらにc町は、午後四時三〇分には関係機関(警察、c町役場、g消防、民間協力者)との連携を図るため、「現地対策本部」をd会館に設置した。
また、通報者Cが待機するa岳の休憩所にe署員、消防隊員、Hらが、町雪上車、Hが所有するスノーモービルに分乗し、午後五時一七分頃に到着した。
航空隊は、陸本部の直轄部隊として、指令室の無線を傍受し、ヘリコプターによる捜索のために、直ちに離陸準備を開始した。
そして、e署から通報を受けた警察本部員は、山岳遭難事故を主管する警察本部地域部地域企画課安全対策係の担当者を応召して、状況の把握とe署長からの要請による山岳遭難救助隊の出動を打診した。
前提となる事実(4)ウ記載のとおり、救助隊が出動した。
c 関係機関による捜索会議及び救助隊内での検討
午後九時三〇分から午後一〇時二〇分までの間、c町役場に関係機関が集合して実施された捜索会議では、翌日(二月一日)の捜索活動について、①地上からの捜索活動は、救助隊五名、c町消防職員一名、民間協力者二名で実施すること、②消防職員は、Bが発見された際の応急措置を担当すること、③移動は、町雪上車と警察雪上車、民間協力者二名のスノーモービル二台による先導で行うこと、④夜間の雪上車の走行は危険であることから、翌日午前五時三〇分から本格的な捜索活動を実施することが合意された。
d 捜査要領の指示
前提となる事実(4)エ記載のとおりの捜査要領の指示がなされた。
e 認知当日の捜索状況等
前提となる事実(4)ア、イ記載のとおり、ヘリコプターによる捜索及び地上からの捜索が行われた。
f 結論
以上のとおり、担当する所属及び警察官等は、それぞれの職務を適正に行い、Bをできうる限り早く救助し、かつ、救助隊を含むすべての活動部隊の安全を考慮した措置を講じていた。
したがって、組織編成や出動体制等に違法性及び過失が認められるとする原告らの主張は失当である。
(ウ) 測地系値の相違は救命可能性に影響していない
Bから通知された日本測地系の緯度経度を世界測地系に変換した際に、誤って変換したのは事実である。その原因は明らかではないが、故意によるものではない。
しかしながら、この数値の相違はBの救命可能性に影響を与えていない。
なぜならば、Bは、発見された午後〇時の時点で低体温症に陥ってはいたものの、当時の状況を都度記録していたD作成のメモの午前七時三六分から四〇分の箇所には「レンラク有 弱ってるふう」との記載がみられ、発見時から四時間前の時点で、既に相当程度進行した低体温症に陥っていたと推認できるからである。
また、Bは、発見された直後に、救助隊員が与えたカフェオレを自力で飲み干すことができるだけの体力があり、その後の搬送に際しても、Bは両脇を救助隊員らに抱えられながら歩行しており、救命されるだけの十分な体力が残存していた。
したがって、変換後の緯度経度値に相違が生じたことと、Bが死亡したこととの間には因果関係はない。
(エ) 山頂から移動させた行為について
a 発見時の状況
救助隊員がBを発見した際に、Bが低体温症に陥っていたことは、発見時の同人の状況から明らかであった。
その際の現場の天候は、ほとんど視界のきかない極限的な状態ともいえる猛吹雪であった。
Bは、十分な深さの雪洞を掘ってビバークしていたのではなく、硬い雪面上でツェルトを被りながら風雪に曝されていたという状態であった。
また、Bは、固雪面に雪洞を深く掘削できるような本格的な用具を携帯していなかった。本格的な用具なしに雪洞を掘削できるような状態であったならば、雪山の知識を有していたと思われるBは、風雪に曝されるように雪面上に伏しているようなことはなく、風雪を回避するべく深い雪洞を設営しているはずだが、これをしていなかったのであるから、同所が固雪であって雪洞を容易に設営できなかったことは明らかである。
b 低体温症防止のための措置
救助隊員は、発見後即座にBに救助隊員所携のダウンジャケットを着せて保温し、コア温度を少しでも上げるために温かいカフェオレを飲ませた。
カフェオレはエネルギーにもなり得たし、添加されていた砂糖は栄養源となり、湯水の投与はコア加温を実施するという重傷の低体温症の治療法とされていることから、カフェオレを飲用させた措置は、極めて適切なものであった。
また、低体温症の進行を防止するうえで、熱喪失を防ぐための保温は必須とされる。
c 搬送を選択したこと
そもそも、a岳において、登山者がビバークする場所は「○○沢」付近(五合目付近)までであり、過酷な自然条件を極めるa岳山頂付近において、ビバークする選択肢はあり得ない。
また、①仮に同所でビバークする場合、まず、雪洞を掘る必要があるが、同所は固雪であり、計六名が滞在できる規模の雪洞を掘るには、相当な時間と労力が必要であったこと、②その間は、Bを吹き曝しの中でツェルト(厚さ約一ないし二mmのナイロン製)等のみで引き続き厳寒下に待機させることとなり、凍傷や低体温症が進行するのが確実視されたこと、③仮に雪洞が完成しても一夜を通じてBを含めた六名の者の生命や身体の安全が確保できる見込みはなかったこと、④翌日までにビバークできたとしても、その後に天候が回復しヘリコプターによる救助が確実に期待できるかどうかが判明しなかったこと、⑤日没までには天候の回復が見込めないため、翌朝日の出(概ね午前七時頃)までの一八時間以上にわたりビバークすることが確実視されたが、そうすると、Bの凍傷や低体温症等の進行により死亡するおそれが高かったことから、I小隊長は、Bを約六〇〇m離れた雪上車まで搬送し、速やかに医師の手当を受けさせることが最善であると判断した。
(オ) 雪庇を踏み抜いた行為について
a 雪庇を踏み抜く等の危険を回避すべきとの原告らの主張について
救助隊員は雪庇が存在する可能性を認識したうえでこれを回避するために細心の注意を払い歩行していたところ、予想をはるかに超えた突風の影響を受けたために雪庇を誤って踏み抜いたものであり、そこに過失を認めることはできない。
雪庇を踏み抜けば、Bのみならず救助隊員全員の生命が危機に曝される以上、救助隊員が細心の注意で進行していたことを疑う余地はない。
救助隊員は、下山ルートの南側に雪庇が形成されている可能性を案じたが、雪庇の存在を認識できない状況、すなわち猛吹雪の影響で一面真っ白であり、数m先も見えず、どこに雪庇があるか目視できない状況であった。そして、想像した以上の突風の影響を受け、雪庇の存在を認識できない状況でこれを踏み抜き滑落した。
つまり、雪庇が形成されている可能性を案じて細心の注意で歩行していたのであるが、予想外の突風に曝されたために、雪庇を適切に回避できなくなり、これを誤って踏み抜いたのである。
b 往路ルートを回帰すべきであったとの原告らの主張について
救助隊員は、Bを一刻も早く発見して救助するべく、分散して、猛吹雪の中を可能な限り広範囲に捜索しながら、登ってきた。
そして、ビバークしていることが予想された地点でBを発見できず、午前一一時三〇分頃に頂上に到達したが、天候は悪化する一方であり、それにもかかわらず継続して尾根伝いに捜索していたところを、午前一一時五九分頃に、Bを発見した。
したがって、デポ旗が設置されたルートは、相当の距離に及んでおり、しかも山頂を迂回していたから、当時の悪天候下でこのルートを短時間のうちに下山することは一見して容易ではなかった。
仮にデポ旗に従って、来た道を引き返した場合、救助隊員は、Bを抱えて、まずは山頂まで登り、さらにデポ旗に従い北側斜面を迂回しながら下山するという、長距離で非効率的なルートを選択することとなる。
そして、①Bの搬送に際し、猛吹雪のため、丸めたストレッチャーを広げれば強風に煽られて飛ばされる等の危険があったことから、この時点ではストレッチャーが使えず、Bを抱えて移動するしかなく、長距離の移動は不可能であったこと、②直前に目下に雪上車の位置を確認していたこと、③一刻も早くBを下山させなければならなかったこと、④突風や更なる悪天候化により身動きがとれなくなる可能性もあり、最短距離での移動が必要であったこと、⑤救助隊の足跡は固雪上であり存在せず、あるいは猛吹雪で消失していることが予想されたこと、⑥迂回ルートによれば、より長時間を要し、長い距離の走破を必要としたことから、救助隊は迂回ルートをとることが適切であるとは判断しなかったのであるから、救助活動に関するいかなる裁量判断の誤りも認められない。
c 救助隊員は現在地点を把握して進行方向を的確に指示していたこと
救助隊員は、救助活動の二日前までのa岳での遭難救助訓練等により、a岳の地形はもちろんのこと、雪庇や雪崩が発生する可能性が高い地点などを知悉していた。
そのために、要救助者を一刻も早く確実に救急隊に引き継ぐ上で最も適切な、雪上車までの直線ルートを採用した。
そして、出発に際して、I小隊長は、GPS、地形図、マップポインター(GPSの緯度・経度データを地形図上に投影することにより、一秒単位で地形図上の現在地を読み取る定規のこと。)で現在地を正確に確認し、指差しにより進行方向を示しながら、「気持ち北東方向」という表現で方角を指示して進行方向を再度示し、その後も随時声をあげて指示する方法で、雪庇を回避するために最善の努力を尽くしたが、想像を超える強風のため、隊列は意図せずに雪庇の方向へと流れてしまった。
救助隊員は、救助活動の二日前に実施した訓練から、現場の南側に崖があることを知悉していたことから、この点をも踏まえて、I小隊長は救助隊員に対し、「気持ち北東方向」に進行するように指示したのであって、雪庇を回避する上で適切な判断であって、いかなる判断の誤りも認められない。
また、出発後約五分、約五〇mを進行して滑落したとすれば、GPSと地形図で一秒の距離を移動するかしないかのうちに滑落したということになり、図面上においても、明確な相違を確認できるものではなかった。
したがって、雪庇からの滑落は、現在地の確認や方向修正をする間もないうちに、想像を絶する強風のために知らず知らずのうちに体が流されたために発生したという回避できない出来事だったといえる。
よって、雪庇からの滑落は、激烈を極める自然条件下における回避不可能な事故であるから、救助隊員の判断の誤りや逸脱が認められないのは明らかである。
(カ) 滑落後、引き上げた行為について
a 滑落した斜面から早期に離脱しなければならなかったこと
稜線上から滑落した後、救助隊員は、その場から直ちに離脱しなければならないと考え、速やかに離脱するための行動を全力で開始した。
これは、①Bの状態は発見時よりさらに危急的なものとなっていたため、一刻の猶予もないと判断されたこと、②いずれ日没となり、周囲が暗くなると行動が困難となるばかりか、より一層低体温化が進行し、更に現場で一昼夜を経れば、Bを死亡させることが確実であったこと、③斜面の積雪の状態や実際に雪庇を踏み抜いたこと等から、雪崩が発生し易いと判断したことから、滑落後に当該場所でビバークすることが極めて危険であり、かつBを死亡させるであろうと判断したからであり、この判断にはいかなる誤りもない。
雪崩の発生が懸念された根拠としては、①稜線上から一〇m程度までの斜度は六〇ないし七〇度、さらにその下方四〇m程度までの斜度は約五〇度、さらに下方の斜度は三〇ないし四〇度程度であり、急傾斜の稜線上から五〇m程度の雪の状態はクラスト状態(昼間の日差しで溶けた表面の雪が、夜の寒気で凍結し、これが繰り返されて厚く固い層ができる。)であって、これより下がるに従い積雪がみられ、その積載層の下は体重で簡単に踏み抜けるパリパリとした固雪の板状、その下層は再度積雪層となっていたことから、固雪の板状層を踏み抜くと、横に亀裂が広がり、雪崩が発生する可能性があったこと、②滑落時に雪庇を踏み抜いており他の雪庇に対して振動等の影響を与えていたほか、救助隊員らの滑落時の衝撃も積雪層に振動を与えており、雪崩を誘発する可能性が増大していたこと、③a岳は雪崩が起きやすい山であり、実際にも、平成一九年に雪崩による死亡事故が発生していたことが挙げられる。
b Bの搬送方法が適切であったこと
滑落した場所から稜線上までの距離は約二〇〇m、斜度は約四〇度前後の急斜面であった。したがって、そのような場所から体格の良いBを抱えてあるいは背負って登ることなど、当時の救助隊員の体力を考えても、およそ不可能であることが一見して明らかだった。
そのために、引上げ時にずり落ちないようにBをストレッチャーに固定して引き上げる方法を採用したのであり、そのような救助法は、冬山における救助活動において当然に行われている一般的な手法であって、そこにはいかなる判断の誤りもない。
引上げは、ストレッチャーの前で二人がこれを引っ張り上げ、ストレッチャーの下方で一人が前方の二人の引き上げに合わせて押し上げるという方法でバランスをとりながら、「イチ、ニ、サン」と掛け声をかけて行われた。そして、救助隊員の体力の消耗が均一になるように、適時適切なところで、救助隊員がそれぞれの位置を交代してこれを実施した。
三名の救助隊員は休憩することなく救助活動を継続し、ストレッチャーを約五〇m引き上げるのに一時間以上を要した。それは、Bを乗せたストレッチャーの重さはもとより、膝までの積雪と斜度四〇度前後の急斜面上を足を滑らせないように登坂しなければならないことから、一度に引き上げる距離が僅か数十cmに過ぎず、想像以上の労力が必要であったために、救助隊員の疲労は相当なものとなっていたからである。
特にL隊員は、次第に掛け声が合わなくなり、バランスの崩れなども目立ってきており、その疲労は極限状態に達していた。L隊員は、一〇〇m滑落した後、Bの傍でBに話しかけ続けながら三〇分間以上も他の隊員の到着を待っていたために、体力的にも精神的にも、相当のダメージを受けていたのである。
したがって、このままの体制では、稜線上まで残り一〇〇mもの急斜面を人力により引き上げることは、体力の面からみても、不可能であると思料された。そればかりでなく、この状態を続ければ、L隊員自身が要救助者となりかねなかった。
それゆえ、救助隊員の交代は必然であり、そうしなければBを引き上げられなかったのである。
(キ) ハイマツに縛った行為について
a 傾斜四〇度以上の斜面において、ストレッチャーを引き上げていたところ、先頭でシュリングを引いているL隊員の疲労が激しく、引上作業に支障をきたしてきた。
重量のあるストレッチャーを急斜面上で上昇させる作業には、相当の体力を必要としたため、疲労困憊した救助隊員がそのまま作業を継続すれば、かえってストレッチャーを落下させたり、救助隊員自身が受傷するおそれがあった。
したがって、わずかの休息をとりながら作業分担を交代することで、救助隊員の疲労度を軽減しなければならなかったのは当然であり、そのために、一旦ストレッチャーを固定すべきであると判断したのは適切だった。
b 救助隊員は、ハイマツは、これまでの経験や知識から、アンカーとして十分な耐性と強度を有すると判断したことから、アンカーとして登坂経路上のハイマツを選択した。
救助隊員は、直近にあるハイマツの幹(太さ約五cm)と枝(太さ約三cm)を揺すり、その強度を確認し、枯れたものではないこと、アンカーとして十分活用できることを確認のうえ、ストレッチャーの引き手として結束していたシュリングの輪にウェビングを通し、そのそれぞれの端を同ハイマツの幹にそれぞれ「一回り二結び」で結びつけ、手を離して数十秒間目視したところ、ストレッチャーは安定し、安全が確保されたことを確認した。したがって、その場を離れても良いと判断した。
c その後に、L隊員は稜線方向に登り、稜線から一名がストレッチャー方向に移動した。I小隊長とK隊員は、この交代時間を有効に活用して、引き上げ完了後のザック回収時間を少しでも短縮するために、約五〇m下方に置いてきていたそれぞれのザック(一個約二〇kg)を固定場所まで引き上げることとした。
d そして、ストレッチャーの周囲に誰もいなくなった間に、全く予想に反して、ハイマツからストレッチャーが離れ、ストレッチャーが滑落したのである。これは、救助隊員らにとって全く想定していなかった出来事であった。
したがって、救助隊員らが採用した人員交代のための上記の手法には、いかなる判断の誤りもないのが明らかである。
e この点について原告らは、アンカーとしてピッケル等を複数利用し、三点で固定する方法をとるべきであったと主張するが、上記の手法がハイマツをアンカーとする手法よりも優れているとされる合理的な状況は認められず、ハイマツで十分にアンカーとなる以上、あえて労力を費してまでピッケルを地面に固定する必要はなかった。
また、十分に強度のある自然物のアンカーは、不安定性を払拭できず、容易に脱落する可能性のある人工物のアンカーよりも、はるかに信頼に値する。
したがって、ハイマツを利用したことが、過失を構成するものでないのは明白といえる。
さらに、原告らは、ストレッチャーを斜面と直角にしておけば、落下しなかったかもしれないと主張するが、ストレッチャーの底面には溝はなく、滑らかなプラスチックであったから、ストレッチャーを斜面と直角に置いたところで滑落の可能性が減少するものではなかった。
(ク) 捜索を中止した行為について
a ストレッチャーが落下した地点まで救助隊員が降下しBを発見しようとする過程で、雪崩が発生する可能性が案じられた。
また、Bを発見できた同所でビバークをした場合、同所において雪崩が発生する可能性があった。
b 原告らは、ストレッチャーが滑落した後にまず行うべきことは、Bの探索であり、ストレッチャーが滑落する際に残した跡を辿れば容易であったと主張するが、ストレッチャーの裏面には、溝やエッジ等もなく、底面は半球状であったから、追跡可能な点線状の跡が残存するわけではない。
また、Bを乗せた流線型で空気抵抗が少ない重さ七〇kg余のストレッチャーがこのような急斜面を加速して滑落した場合には、雪面上をすれすれに飛ぶように滑走し又は雪上にできたこぶや岩などへ乗り上げて飛び跳ねるように滑走するのであるから、その痕跡が順次追跡することが可能な点線状になることなどあり得ない。
さらに、ストレッチャーの軌跡が点線状の痕跡として残存した可能性があっても、吹雪の影響によりそれが短時間のうちに消滅し追跡が不可能となることが、十分に予想された。
実際にも、救助隊員が滑落するオレンジ色のストレッチャーを目視で追跡していたのであるが、急斜面を滑り落ち、直近の崖をストレッチャーが越え、一旦視界から消え、再度猛スピードのストレッチャーが視界に入ったものの、吹雪のため視認性が悪く、目測約二〇〇m先で確認不能となった。
c 加えて、ストレッチャーが滑落した先の地形(傾斜、崖の有無等)は、地図上からは容易に判断することができず、地図に依拠しても、ストレッチャーが停止していた地点を予測することは困難であった。
d これらの状況から、I小隊長は、ストレッチャーが滑落した後に、現場の天候、救助隊員の健康状態(疲労度、凍傷の有無等)、雪崩の危険性、日没時刻、Bを発見できる可能性、捜索を継続した場合の二次災害発生の可能性等を十分に検討した結果、苦渋の選択として、その後の救助活動を中止することを決断したものであるから、そこにはいかなる違法及び過失も認められないのが明白である。
(ケ) 結論
以上のとおり、救助隊員にはいかなる違法及び過失もなく、原告らの各主張はいずれも理由がない。
(3) 争点③(原告らに生じた損害)
(原告らの主張)
ア Bの損害
(ア) 逸失利益
Bは、死亡当時満三八歳の健康な男子であり、本件により死亡しなければ六七歳までの二九年間就労が可能であった。平成二〇年のBの現実の収入は四〇〇万一四二八円であり、Bが六七歳まで稼働したとして、毎年少なくとも四〇〇万一四二八円を取得できたところ、Bの生活費として取得額の五〇%を控除して、死亡時の一時払額に換算(中間利息を控除したライプニッツ係数を一五・一四一〇とする。)すると、逸失利益は、三〇二九万二八一〇円である。
(イ) 慰謝料
Bは、救助隊に救助を要請すれば、適切な方法で救助してもらえると信じて、救助隊員の到着を待っていた。休憩所にいたCや地元警察官に対しても、無線で何度も「救助隊はまだ着かないのか」と尋ね、救助隊による救助を待ち続けた。
そして、救助隊に発見され、これで安全に下山できると安心したのもつかの間、救助隊員に両脇を抱えられて歩いている最中に、突然足下が崩れて斜面を滑落した。さらに、ストレッチャーに身体を固定され、その命を救助隊に預けてストレッチャーで引き上げられていたが、何が起こったのか分からないまま、再び斜面を滑落したのである。
救助隊員は、滑落したBを放置し、結局、Bは凍死するに至った。ストレッチャーに固定されたまま、やがて訪れる死を待つしかなかったBの無念さは察するに余りある。
Bの感じていた肉体的、精神的苦痛は計り知れず、これに対する慰謝料は三〇〇〇万円を下らない。
イ 原告ら固有の損害
(ア) Bの死亡による慰謝料
Bは、原告らの子であり、三人兄弟の長男であった。近年は別居していたものの、札幌市に居住していたBは、北広島市に居住する原告らとしばしば連絡をとり、原告らと同居する兄弟とも交流があった。また、婚姻を間近に控え、原告らに経過を報告し、本件直前には結納等の段取りを相談するなどしており、原告らも、Bの婚姻を楽しみにしていた。
救助隊は、遭難者の捜索及び救助にあたることを任務としながら、自らストレッチャーに固定したBを放置するなどして、生存している状態で発見されたBを救助することができなかったのであり、これによって原告らが被った精神的苦痛に対する慰謝料は各自一〇〇〇万円を下ることはない。
(イ) 弁護士費用
原告らは、原告ら代理人弁護士に本件訴訟の提起、遂行を依頼した。その弁護士費用のうち、原告それぞれにつき三〇〇万円は、本件と相当因果関係のある損害である。
(被告の主張)
ア 警察官の行為が違法とされ、それにより利益を侵害された者への賠償が必要となるためには、問題となる行為(不作為を含む。)が、その性質及び重大性、必要性、緊急性、及びその手法、被侵害利益の種類及びその性質等といった、当該行為の正当性の評価に影響を与えるであろう諸事情を総合的に考慮したうえで、それが行き過ぎであり、経験則、論理則からしてその合理性を肯定することができないという程度に達していることが最低限度必要となる。
イ そもそも山岳救助においては、予測不可能、不確実、不確定な様々な要因が存在するため、「このように実施すれば確実に救助できあるいは救命できた」というような事例を探すことは難しい。そして、本件のような極寒暴風下の極限的な状況にあっては、救助を阻害し得る予測不可能、不確実、不確定な要因が当初から多々存在していた。実際、救助隊員らは、これらの事態に現実に遭遇しており、その結果、自らが生死の間をさまよったのである。
したがって、仮にBと原告らが被ったとされる物的損害と精神的苦痛なるものが存在するとしても、確実に救助できあるいは救命できたとはいえない本件のような事案においては、そもそも救助あるいは救命に関する法的保護に値する期待可能性はなく、原告らが主張する被侵害法益は、国賠法上、賠償に値する法的利益でないことは明らかである。
ウ Bは、同道者のCとDが先に下山し、これを知りながら、自身は天候が悪化していく状況を認識しつつ、山頂を目指した。また、地形や方位も把握することなしに、下山するに際しては逆方向に進行した結果、帰還不能な状況下に置かれた。さらに、Bは、このような事態を想定した装備を準備していなかった。
かような中で捜索隊の出動を要請せざるを得なくなった責任は、自己中心的であり無謀かつ軽率としかいえない行動に及んだBに専ら求められるべきものであり、このような事態を惹起しておらず、その発生にも寄与していない救助隊を含む北海道警察職員にかかる責任を課す理由はない。
したがって、原告らが被侵害法益であると主張するBの生命が尊重に値するとしても、法的保護には値しない。また、仮に保護に値するとしても、Bの生命や身体が、救助隊の生命や身体と引き換えても保護されなければならないというものではない。
第三当裁判所の判断
一 争点①(救助隊員の救助活動が「公権力の行使」に該当するか否か)について
国賠法一条にいう「公権力の行使」とは、国又は地方公共団体がその権限に基づき、優越的な意思の発動として行う権力作用のみに限らず、純然たる私経済作用及び同法二条にいう公の営造物の設置管理作用を除くすべての作用を包含するものと解するのが相当である。
そして、救助隊は、北海道警察に設置され、前提となる事実(1)イ記載のとおり、北海道警察本部長に任命された警察官の中から指定された者によって構成されており、山岳における遭難者の救助活動に当たることを任務とするものであって(救助隊規程二、三条)。救助隊員の救助活動は、警察官の職務の一環として行われているのであるから、純然たる私経済作用といえないことは明らかなので、国賠法一条にいう「公権力の行使」に当たるものというべきである。
二 争点②(救助隊員の救助活動が国賠法上の違法な行為に該当するか否か)について
(1) 救助義務の有無
ア 警察法は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じることなどを警察の責務と規定するが(同法二条一項)、これはあくまでも組織法上の一般的規定であり、同条項の規定により、警察官である山岳救助隊員が結果的に山で遭難した者の救助に失敗した場合に、その救助行為が国賠法上直ちに違法となるとは解することはできない。また、救助隊は、救助隊規程により、山岳における遭難者の救助活動に当たることが任務とされ、細心の注意を払い、受傷事故の防止に努めるよう定められているが、これは文理上からも明らかなとおり職務を遂行するに当たっての努力義務であって、救助隊規程により、救助隊員に山岳での遭難者に対する一般的な救助義務が課されるものと解することはできない。
しかし、個人の生命、身体及び財産の保護に任じることなどを警察の責務と規定する警察法の上記規定や、要保護者を発見した場合に応急の保護をすべき事を定めた警察官職務執行法の規定(三条一項)に照らせば、山岳救助隊員として職務を行っている警察官が遭難者を発見した場合には、適切に救助をしなければならない職務上の義務を負うというべきである。もっとも、山岳救助、特に冬山における山岳救助は、救助隊員自身も身の危険を冒して救助に当たることになるうえ、遭難者は一般に生命あるいは身体の現実的な危険にさらされており、緊急に保護を要する状態に置かれているから、遭難者を発見、保護し次第、早急に手当、介護あるいは搬送等の対処をする必要がある。そして、遭難者をどのような方法で保護し、どのように手当や搬送等の措置をすべきかは、遭難者の発見時の具体的状況(遭難者の負傷状況、体力の低下状況等の身体的状況のみならず、遭難から発見までかかった時間、発見時刻、発見場所の状況、発見時の気象状況、救助隊員の人数、装備、疲労度、応援の有無等)及びその後の状況の変化に応じて対応が変わってくることは当然であり、かつ、その判断に際しては十分な時間がないことが通常前提となっている。したがって、救助隊員が適切に救助しなければならない義務を負うとしても、救助隊員が行うべき救助活動の内容はその具体的な状況に応じて判断せざるを得ない。これらのことに加えて、本件においては、救助隊員は、山岳遭難救助養成講習会の課程を修了した者、又は、登山及び遭難救助技術に習熟し、隊員としての要件を具備している者から選ばれ(救助隊規程七条一項)、選ばれた救助隊員は必要な訓練を受けることとされていること(救助隊規程一二条)をも考慮すれば、適切な救助方法の選択については、実際に救助に当たる救助隊員に合理的な選択が認められているといわざるを得ず、救助を行う際の救助隊員及び遭難者が置かれた具体的状況に照らし、その時点において実際にとった方法が合理的な選択として相当であったといえるか否かという観点から検討するのが相当である。よって、合理的と認められる救助方法を選択しながら結果的に救助に失敗したとしても、それ故に、その行為が国賠法上違法と解することは相当でない。救助隊員の救助活動が国賠法上違法と評価されるためには、救助を行う際の救助隊員及び遭難者が置かれた具体的状況に照らし、明らかに合理的と認められない方法をとったと認められることが必要であると解するのが相当である。そして、この救助活動につき救助活動を行った救助隊員に故意又は過失が認められれば、被告は国賠法一条に基づき損害賠償義務を負うことになる。
以下、この観点から、原告らの主張を検討する。
イ 前提となる事実に加え、証拠<省略>によれば、以下の事実が認められる。
(ア) 救助隊は、二月一日午前五時三〇分、現地本部を出発し、午前六時二〇分、救助隊員を乗せた町雪上車を含む雪上車二台とスノーモービル二台が休憩所を出発した。
六合目手前の「○○沢」付近で、消防隊員が乗車する警察雪上車が、それ以上登ることができなくなったことから、以降はスノーモービル二台と、救助隊を乗せた町雪上車による捜索が続けられた。午前八時四〇分頃、救助隊らは、「△△台」手前約三〇〇m付近に到達した。そして、同所付近において、スノーモービル及び町雪上車の運転者双方から、視界が一〇m程度しかなく、どこをどう走っているか見当もつかないので、天候が回復するまで捜索を中断したい旨の申入れがなされたことから、救助隊らは、その場で二〇分程度待機した。その後も天候が回復しないため、Hは、このままの天気ではスノーモービルと雪上車はこれ以上進めない旨告げたところ、救助隊は、無線によってBの容態の悪化が窺えたことから、天候の回復を待たずに、町雪上車から降車して徒歩による救助活動を開始した。
救助隊は、午前八時五〇分頃から、山スキー登坂による捜索を開始したが、その際の天候は、猛吹雪状態で、視界は一〇m程度だった。救助隊は、「△△台」へ到着したが、同所付近の雪面上は、強い風の影響を受けてクラスト状態(雪の表面が凍っている状態)だったため、山スキーでは横滑りして前進が困難であることから、その場にスキー板を雪に刺して目印として立て、同所以降は、坪足による捜索に切り替えた。
(イ) 救助隊は、北緯43°16′27″、東経140°28′55″がBのビバーク地点であると考え、同所付近を捜索したもののBを発見できず、徒歩による捜索を開始して三時間弱が経過していたことから、捜索未了のa岳山頂から東方向へと続く登山道付近を捜索しながら、九合目付近まで登頂してきている雪上車まで移動し、捜索体制を立て直すことを前提に、捜索を継続した。救助隊は、午前一一時五九分、斜面上に、強風に吹かれ音を立てて棚引いている黄色のツェルトを発見した。そして、ツェルトの端を雪面に埋め込んで風に飛ばされないようにした上で、その下に上半身を潜り込ませるような姿勢で、雪面上にうつぶせに倒れているBを発見した。なお、ツェルト付近に雪洞は確認できなかった。
L隊員とM隊員が、Bを抱え起こし、「大丈夫か。しっかりしろ。Bさんか。」等と呼び掛けたところ、Bは「あっ、うっ。」等とうめき声を上げ、その生存が確認されたものの、意識はもうろうとしておりまともな受け答えはできず、自力で体を起こすこともままならない状態だった。J分隊長は、Bに予備のダウンジャケットを羽織らせ、M隊員は、ザック内から魔法瓶を取り出して、Bに温かいカフェオレを飲ませた。
(ウ) I小隊長は、Bを直ちに搬送するとの判断をし、Bの腕を両隊員の肩口に回させた上で、両隊員がBの腰付近を掴んで担ぎ上げる方法で搬送を開始した。
ウ 以上によれば、救助隊員は、スノーモービル及び雪上車の運転者双方がこれ以上進むことは困難であると判断するほどの悪天候であったものの、Bの容態の悪化等を考慮して、天候の回復を待たずに徒歩による捜索を開始し、その後、Bを発見して搬送に着手したのであるから、遅くともその搬送に着手した時点で、具体的な救助活動を開始したものと認められる。
したがって、救助隊員には、適切な救助活動を行う義務(以下「本件救助義務」という。)があったといえる。
(2) 本件救助義務違反の有無
ア 原告らは、救助隊員の一連の行為が違法であり、仮にこれが認められなかったとしても個々の行為が違法であったと主張するが、個々の行為が違法と評価されるのであれば、一連の行為を全体としてみて違法と評価できるかどうか検討するまでもないことから、救助隊員の個々の行為が違法と評価されるか否かについてまず検討する。
イ 山頂から移動させた際の各行為について
(ア) 前提となる事実に加え、証拠<省略>によれば、以下の事実が認められる。
a Bは、一月三一日午後一時四〇分頃に山頂に到着し、その後、同日午後三時三〇分頃、雪洞を掘り終わって、ツェルトを張ってビバークを開始している。また、二月一日午前九時過ぎには、ツェルトが裂け、裂け目から雪が入ってきており、以後約三時間にわたり、無線での会話が困難なほどの風雪を受けていたものと認められ、上記(1)イ(イ)記載のとおり、Bは、救助隊員が発見した同日午前一一時五九分の時点では、上半身にツェルトを被るのみの状態であった。
上記(1)イ(イ)記載のとおり、Bは、救助隊員の呼び掛けに対するまともな受け答えができず、自力で体を起こすこともままならない状態であり、凍傷や中度から重度の低体温症の状態にあって、現場で応急処置を施しても容態は改善されず、専門的な医療行為を受ける必要がある状態であると判断された。
上記(1)イ(イ)記載のとおり、M隊員が、Bに温かいカフェオレを飲ませたところ、Bはこれを飲み干すことができた。
そして、上記(1)イ(ウ)記載のとおり、救助隊員二名が両側から体を支える形でBの搬送が行われたものであるが、その際、Bは自力で立つことはできなかったものの、自らの意思で足を動かせるくらいの体力は残っているような状態だった。
b 救助隊員がBを発見した時点での山頂付近の天候は、強い北風が吹き荒れ、猛吹雪の影響で、僅か三ないし五m先を見ることがやっとの状況だった。
また、山頂付近は、吹きさらしの風によりアイスバーン状態となっていて、雪面が硬くなっており、ビバークするために雪洞を掘ることは困難な状況だった。そもそも、通常、a岳の登山者がビバークする場合、六合目手前の「○○沢」で雪面の横を掘って入るか、七合目付近の「一〇〇〇メートル平」で雪のブロックを作って、周囲を囲み、小さいテントを張るなどの方法でビバークする程度であり、「一〇〇〇メートル平」より上でビバークすること自体が困難である。
c 上記(1)イ(ア)記載のとおり、スノーモービルと町雪上車は、「△△台」手前約三〇〇m付近で待機していたところ、三〇ないし四〇分経過後、視界が約三〇m程度に回復したため、デポ旗を目印として徐々に山頂を目指して移動を開始した。二月一日午前一一時前頃、待機箇所から約五〇〇m進行した七合目半の地点に、救助隊員のスキー板を発見し、同所から山頂に掛けては、アイスバーン状態であったことから、スノーモービルで走行していたHとNも、町雪上車に乗り込み、町雪上車は山頂へと向かった。その後、同日午前一一時過ぎに九合目付近に到着し、同所が雪上車で登る限界と判断されたことから、同所で待機することとした。
救助隊員は、山頂付近を捜索中、一瞬晴れ間がのぞいた際に、雪上車で登れる限界地点とされる九号目まで町雪上車が登坂してきていることを確認し、他方、町雪上車からも、救助隊員が山頂から下山しながら南側に移動している状況が確認された。
(イ) 以上によれば、Bは、救助隊員が発見した時点で、約二二時間程度山頂付近に滞在し、ビバークして以降も少なくとも三時間以上風雪にさらされ、凍傷や中度から重度の低体温症にあった上、救助隊員が発見した時点においても強い北風が吹き荒れていたため、その発見場所でビバークすれば、Bの凍傷や低体温症が急速に悪化するおそれがあったことに加え、雪面が硬くなっていたのであるから、ビバークしようとすれば、さらに時間を要したと考えられ、Bの身体に悪影響を与える可能性が高かったことが認められる。
また、救助隊員がBを発見した場所から九合目まで来ている雪上車までの距離は、目測で八〇〇mないし一km程度であり、雪上車までの搬送は一時間ないし一時間半程度で可能であると判断できた。さらに、Bを発見した地点から雪上車待機場所まで概ね直線で向かうルートは斜度がなく平らな地形であった。
したがって、救助隊がBを発見場所から九合目まで来た雪上車に向けて、登山してきたルートを戻らず、登山道に沿って最短ルートで移動しようとしたことは、Bの身体的状況や気象状況に鑑みて、不合理な選択であったとは認められない。なお、原告らは、Bの発見までにGPSの変換ミス等で時間を要したことを問題視しているようであるが、GPS情報について、Bからの連絡が数値だけだったため、情報の錯綜があり、救助隊がBを発見するまで時間を要したことは否めないものの、上記のとおりのBの身体的状況に鑑みれば、そのことを特に問題視することはできない。
ここで、原告らは、ストレッチャーを使用してBを搬送すべきだった旨主張するが、搬送を開始した時点では、Bは体を支えられれば立位を保ち、自らの意思で足を動かせるくらいの体力は残っているような状態だったのであり、前記のような強風下で丸めたストレッチャーを広げることを避けた救助隊員の判断が不合理な選択であったとは認められない。
(ウ) 次に、原告らは、救助隊員がBを発見し、搬送を開始するまでの間に温かいカフェオレを飲ませた行為について、カフェインの含まれる飲料は利尿作用で脱水を助長し、凍傷になりやすくさせるから不適切である旨主張し、これに沿う証拠(甲一一)を提出するが、甲一一号証においても低体温症の対処として温かい飲み物を飲ませることが推奨されている上、救助隊員が持参したカフェオレに含まれたカフェインの量は魔法瓶全体で約一九二mg、Bが飲用したカフェオレは約一〇〇ml、うちカフェインは約三八mgと少量であって、これにより低体温症が促進されたとはいえないことから、救助隊員がBにカフェオレを飲ませた行為が不合理な選択であったとは認められない。
ウ 救助隊員のとった進行方法について
(ア) 前提となる事実に加え、証拠<省略>によれば、以下の事実が認められる。
a a岳山頂付近の南斜面には雪庇があり、雪庇部分は急な崖となっていた。
b 救助隊員は、一月二八日から同月三〇日まで(ただし、J分隊長については一月一四日から同月一五日)、a岳で山岳訓練を実施しており、山頂付近の登山道の南側が崖であって、崖はBの発見場所の近くであること、南側崖には雪庇が形成されている可能性が十分あって、仮にこの雪庇を踏み抜けば崖下へと滑落する危険性があることを十分認識していた。
c I小隊長は、Bの発見場所から、雪上車まで真っすぐ最短ルートでBを搬送することとして、GPSで現在位置を確認し、マップポインターを使って地図上の位置を特定し、雪上車の場所はおおむね九合目付近であると判断した上で、現在位置から東方向であることを確認したことから、東方向に進行することとし、コンパスで進行方向を確認したが、地図上に記載することはなかった。そして、I小隊長は、進行方向を指で指し、山頂付近の登山道の南側が崖であることから、気持ち北東方向に進行するよう救助隊員に指示した。I小隊長が指を指した方向に、特段目印になるものはなかった。I小隊長が使用していたGPSは、自分が辿ってきた場所をポイントとして固定し、位置を後から確認する機能がついていたが、I小隊長は移動に当たり、これを記録することはなかった。I小隊長は、コンパスを見ながら進行していたが、ずっとこれを注視していたものではなく、数回これを確認し、進行中に方向の修正を行うことはなかった。救助隊員は五名ともコンパスを所持していたが、進行に当たり、コンパスを使用したのはI小隊長のみであり、同人が救助隊員に対し大声で指示を出していた。
d Bの搬送を開始した当時も吹雪の状態は続いており、北風が強く、視界は約五m程度だった。また、斜面自体がでこぼこしており、歩く際、前後左右に体が傾く状態だった。
e 救助隊員は、Bの発見場所から実際には南東方向に進行し、Bの搬送を開始してから、五分程度で、J分隊長が稜線から約二〇m、M隊員が約五〇m、L隊員が約一〇〇m、Bが約二〇〇m滑落した。
Bの発見場所から雪庇までは、おおむね五〇mの距離だったが、北東方向に進行すれば、南側の崖に向かうことはない位置関係だった。
なお、救助隊は、Bらの滑落を無線で知らせた。
f 滑落した斜面は斜度四〇度前後の急斜面であり、救助隊員は、膝丈までの雪を漕ぐようにして進行しなければならなかった。
g J分隊長とM隊員は、自力で崖上に上がり、I小隊長とK隊員が崖下への救助活動に向かった。
h 滑落後、Bは、刺激に対しては、顔を歪ませる等してわずかに反応するが、目の焦点は定まっておらず、発見時の容態と比較すると、症状が悪化していることは明らかな状態だった。
そこで、救助隊員は、Bをストレッチャーに収容し、崖上までの引上げを開始した。
i 崖上までの引上げを開始した時点で、徒歩による捜索を開始してから三時間以上が経過していたことから、救助隊員は疲労していた。Bを乗せたストレッチャーを崖上まで引き上げるのに四ないし五時間程度かかることが見込まれ、実際、救助隊員がBを乗せたストレッチャーを崖上に向かって五〇m程引き上げるのに、一時間程度を要した。そして、五〇m程引き上げた時点で、L隊員の疲労が激しくなり、M隊員との交代を要した。K隊員も、長期間に及ぶ救助活動の影響で、指先の感覚を失っていた。
救助活動を通じて、K隊員は軽度の凍傷、L隊員は滑落時に頸椎捻挫と右肩打撲の損傷と軽度の凍傷を負った。
j 救助隊は、L隊員とM隊員の交代の際、一旦Bを乗せたストレッチャーをハイマツに結びつけた上で、その場を離れたが、ハイマツからストレッチャーが離れ、滑落した後、Bの捜索を諦め、二月一日午後二時一五分、崖上まで上がった。
k 九合目で待機していた町雪上車は、天候の悪化や発電機の不良から、救助隊員がBを発見した当時、七合目付近の通称「一〇〇〇メートル平」付近に戻っており、その後も吹雪で視界が一〇m程度であったことから、山頂方向へ再度向かうことはできず、二月一日午後四時頃には、休憩所に戻っている。救助隊と町雪上車の双方がお互いの存在を確認してから、町雪上車が休憩所に戻るまでの間、町雪上車と救助隊員との間では、無線連絡など、意思疎通はできなかった。一方、救助隊は、崖上まで上がり、回復した無線で状況を報告し、九合目付近の町雪上車まで戻って捜索体制の立て直しを図ることとして、下山を始め、九合目付近に到達したものの、雪上車は待機していなかったため、コンパスや雪面上に印象されていた雪上車のキャタピラー痕を頼りに、下山を開始し、休憩所に同日午後五時過ぎに到着した。
(イ) 以上によれば、主な救助隊員は、救助活動の二日前にa岳で山岳訓練を実施しており、崖がBの発見場所の近くであること、山頂付近の南斜面では、雪庇を踏み抜くなどして崖下へと滑落する危険性があることを十分認識していたと認められる。また、当時の天候は、北風が強く、南側に体が流される危険性が強く、視界も悪かった上、斜面自体がでこぼこして、歩く際、前後左右に体が傾く状態であって進行方向がずれる可能性の高いことが容易に認識できた。
そして、Bの発見場所から雪上車待機場所は、ほぼ東方向にあるが、雪上車に向かって移動を開始した時点においては風雪のため、救助隊員はその場所から雪上車を目視することはできなかった。また、救助隊が登山道を通って雪上車待機場所に向かうとすれば、上記(ア)e記載のとおり、Bの発見場所から雪庇まではおおむね五〇mの距離にあり、進行方向が若干南方向に向けば、雪庇を踏み抜く危険が現実化する状況にあった。
したがって、視界が不良であり、足場も悪く、強風が吹いている状況においては、進行方向についても救助隊に合理的な選択が認められているとしても、進行方向が南にぶれる危険性のある方法は、細心の注意を払うのでなければ合理的な選択には当たらないといわざるを得ない。
I小隊長が指示した進行方法は、コンパスで方位を確認し、進行すべき方向を指で示したというものであるが、そもそも進行すべき方角は、町雪上車の位置が特定できない以上目測に基づくものにならざるを得なかった上、進行途中も「気持ち北東方向に進行する。」と口頭で指示したものの、コンパスは滑落するまでの間数回確認したというものであった。この方法では、上記視界、地面の状況、天候状況等に照らすと、南にぶれやすい方法であったといわざるを得ず、細心の注意を払ったものとは到底いえないものであった。
さらに、①北東方向に進行すれば、南側の崖に向かうことはない位置関係であったこと、②GPSに自分がたどってきた場所をポイントとして固定し、位置を後から確認する機能を利用してそのとおり下山すること、常時コンパスで方角を確認しながら、進行方向を指示することなど、当時の状況下でもとりうる他の方法が容易に想定できることをも考慮すれば、救助隊が選択した上記進行方法は、合理的なものであったと認めることはできず、この選択は国賠法上違法といわざるを得ない。
また、これまでに判示した事情に加え、Bらの滑落は、後述のとおり、風にあおられて飛ばされたような事情は見られず、歩行途上に雪庇を踏み抜いたものと認められるから、救助隊員には少なくとも過失があったと認められる。
(ウ) 上記(1)イ(イ)及び上記(2)イ(ア)記載のとおり、Bは、救助隊員が発見した当時、凍傷や中度から重度の低体温症ではあったものの、呼び掛けに対して「あっ、うっ。」等とうめき声を上げ、カフェオレを飲み干すことができ、自らの意思で足を動かせるくらいの体力は残っているような状態だった。
これに対して、Bは、滑落後には、上記(ア)h記載のとおり、刺激に対して顔を歪ませる等してわずかに反応する程度であり、救助隊員が発見した当時の容態と比較して、症状が悪化していることが明らかである。
また、救助隊員の滑落後の疲労の程度も激しく、Bを乗せたストレッチャーを崖上まで引き上げるだけで四ないし五時間程度かかることが見込まれたこと、天候の回復も見込めず、ヘリコプター等の救助の余地はなく、崖上から九合目まで戻っても雪上車はその時点では休憩所まで戻っており、更に休憩所まで戻るには夜間になる上、徒歩で戻る必要があったと解されることからすれば、仮に、Bを乗せたストレッチャーを崖上まで引き上げることができたとしても、Bは、凍傷や低体温症が悪化して死亡した蓋然性が高いものと認められる。
よって、救助隊員が合理的な進行方法をとらなかったこととBの死亡(凍死)との間には因果関係があるというべきである。
(エ) この点に対して、被告は、救助隊員は雪庇が形成されている可能性を案じて細心の注意で歩行していたものの、予想外の突風に曝されたために、雪庇を適切に回避できなかったものであって、過失はない旨主張する。
しかしながら、救助隊員の進行の方法は、上記認定のとおりである上、進行を開始してから滑落するまで、I小隊長は、北風で体が流されたのではないかと思うとするものの、進行方向は正しいと思っており、「気持ち北東方向に進行する」という指示についても、北風が強いから北東に進めという趣旨ではなく、南側にある崖に気をつけるようにという趣旨であったこと、風にそれほど流されると思ってなかったことを証言する。
また、K隊員は、「気持ち北東方向に進行する」という指示は、北からの風が強いので、南側に落とされないように気を付けろという意味だと思ったこと、風が強くて体が横にずれることもあったことを証言するものの、強い風を受けている感覚はあったが、真っすぐ歩いていられたこと、歩いている斜面自体がでこぼこしていたので、体が前後左右に傾いている感覚はあったが、コンパスを確認していたので、間違いなく真っすぐ歩いていると考えていた旨証言する。
L隊員も、「気持ち北東方向に進行する」という指示は、北風が強いので、風に負けないようにという指示だと理解したことを証言するものの、斜面がでこぼこしていたことにより、体が前後左右に振られるといった印象があったこと、確かに強風だったが、真っすぐ歩いているという認識だったことを証言する。
以上によれば、北風が強かったことは認められるものの、予想外の突風によって体が流され、回避不能な状態で雪庇を踏み抜いたと認めるに足りる証拠はなく、かえって、上記(イ)記載のとおり、進行方向の指示が不適切であった上、斜面自体がでこぼこしており、歩く際、前後左右に体が傾く状態だったことにより、救助隊員は南東方向に直進したことが認められることから、被告の上記主張は採用できない。
エ よって、その余を判断するまでもなく、上記のとおり、救助隊員の救助活動は国賠法上違法であり、救助隊員には本件救助義務を怠った過失があったというべきである。
三 争点③(原告らに生じた損害)について
(1) 逸失利益
Bの平成二〇年の給与収入は四〇〇万一四二八円であった。
Bは、死亡当時満三八歳の独身男子であって、就労可能年数は二九年、生活費控除率は五〇%であり、中間利息控除に関し、上記に対応するライプニッツ係数は、原告らの主張する一五・一四一であるから、逸失利益は、三〇二九万二八一〇円(一円未満切捨て)となる。
(2) 慰謝料
Bはストレッチャーに身体を固定された状態で滑落し、そのままの状態で凍死したなどといった本件事故の態様、Bの年齢、二月五日がBと婚約者の結納予定日であり、結婚式を間近に控えていたこと、その他本件に現れた諸般の事情に照らすと、本件事故によりBの被った精神的苦痛に対する慰謝料は二〇〇〇万円、原告らの固有の慰謝料は各二〇〇万円とするのが相当である。
(3) 過失相殺
ア Bの死亡は、上記のとおり、救助隊員がBとともに雪庇を踏み抜き、本件救助義務に違反した結果によって生じたものであり、救助隊員に過失があるといわざるを得ないが、他方、Bの死亡という重大な結果が生じた原因には、Bの側にも以下のような過失のあったことが認められる。なお、被告は、Bの行動が軽率な自招危難であったことからBの生命が法的保護に値しないなどと主張するが、これは、被害者側の過失についての主張と善解される。
イ 前提となる事実に加え、証拠<省略>によれば、以下の事実が認められる。
(ア) Bは、平成一四年頃から旭岳等札幌近郊の山々へ夏山登山をし、平成一六年以降は毎週のように登山をしており、冬山には、スノーボードをする目的で登山をし、同年以降は週末には登山をするなど、登山経験が豊富だった。また、Bは、登山のガイドブックや専門書、雪崩講習によって、登山についての知識を得ていた。
本件三名は、いずれも冬季のa岳登山は初めてだった。
Bは、雪崩研究会の講座にも数回出席し、冬季のa岳の南側斜面は雪崩が多く危険であると認識していた。
(イ) 本件の登山は、本件三名が各自のペースで登山をし、最初から頂上まで行くことは決めずに、三合目の休憩所から各自の力量を考え、行けるところまで登って降りてくるというもので、各自がどこまで登るかは事前に把握していなかった。また、昼食は休憩所で本件三名で食べることとしていたが、具体的に何時に集合ということは決めていなかった。
(ウ) 冬季のa岳は、天候の変化が早く、天候が悪ければ視界が全く効かなくなる危険性がある上、一月末ないし二月頃は、雪が多く軟らかいことから、他の時期と比べ、登山は難しいものだった。
Dは、本件の登山当日の天候を、a岳に近い岩内の天気予報を見て曇りと判断し、天候に問題がなく登山が可能であると判断した。
また、Cは、テレビで後志の天気予報を見て当日の天気を確認した。
本件三名は、一月三一日、a岳に向かう際、車を止めて、山頂が見える天気である、という程度に天候を認識しており、午後から天候が崩れると認識していた。
本件三名が同日午前七時三〇分過ぎにa岳登山口に到着した際の天候は、白い雲が薄くかかる高曇りだった。本件三名が登山を開始し、CやDが休憩所に戻るまでの間、天候は曇りで、空一面に雲が立ちこめていたが、高い位置に薄い雲がある状態だった。同日午前一一時三〇分頃の山頂付近は、雲に覆われた状態だった。
(エ) Bは、一月三一日午後一時四〇分頃、山頂に到達し、その後、休憩所に向けて下山を開始した。山頂から休憩所は、北東方向だったものの、Bは誤って西方向に進行し、同日午後三時頃、無線でBが西方向に進行していることを聞いたCが、地図を確認し、正しくは北東方向である旨連絡したが、Bは、道を間違え、山頂到達直後から西方向に進行しているのでもう戻れないことやホワイトアウトで視界不良の為ビバークすることを回答した。
なお、原告らは、この連絡について単にBが言い間違えただけである旨主張するが、山頂からBがビバークした地点までは、それほど離れておらず、山頂から直ちに正しい方向への下山を始めて一時間程度歩行してからビバークに至ったとは考えられず、Cとの無線交信でも二度にわたって西方向に進行している旨述べていることから、Bは誤った方向に下山を始めたものと認められる。
(オ) 上記二(2)イ(ア)a記載のとおり、Bは、不十分ながらも雪洞を掘り、ツェルトを張ってビバークしたものの、二月一日午前九時過ぎには、ツェルトが裂け、強い風雪を受けており、救助隊員が発見した同日午前一一時五九分の時点では、上半身にツェルトを被るのみであって、凍傷や中度から重度の低体温症の状態にあった。
ツェルトは生地が薄く、強風によって破れることがあるものである。
(カ) 上記二(2)イ(ア)b及び上記二(2)ウ(ア)e記載のとおり、Bの発見場所はビバークに適した場所ではなかった上、Bがビバークしていた同所から救助隊員が踏み抜いた雪庇まではわずか五〇m程度の距離だった。
ウ 以上によれば、Bは、①豊富な登山経験及び知識を持ち、冬季のa岳の南側斜面は雪崩が多く危険であること、登山当日は午後から天候が崩れる可能性が高いことを認識しながら、どこまで登るかをC及びDに事前に伝えず、単独で山頂まで登山を敢行したこと、②冬季のa岳は天候の変化が早いにもかかわらず、a岳近郊の天気予報を確認し、車を止めて、朝方に山頂が見える天気である、という程度にしか事前に確認していなかったこと、③ビバークに適さない山頂付近まで登山を続けたこと、④下山方向を誤ったこと、⑤吹雪の中、破れやすいツェルトによるビバークをしたことにより、B自らが低体温症への罹患を招いたものであることが認められる。さらに、⑥雪庇からわずか五〇m程度の場所でビバークしたことにより、救助隊員が雪庇を踏み抜く行為を誘因したといえるから、これらの過失もBの死亡の一因をなしていることは否定し難しい。
よって、本件救助義務違反によってB及び原告らが被った損害については、Bの過失八割を被害者側の過失として職権で過失相殺するのが相当である。
そうすると、上記過失相殺後のBの損害は、一〇〇五万八五六二円、原告らの損害は、各四〇万円となる。
(4) 弁護士費用
原告らが本件訴訟の遂行を原告ら訴訟代理人らに委任したことは記録上明らかであり、本件事案の性質、審理の経過、認容額に照らすと、本件救助義務違反と相当因果関係のある弁護士費用の損害額は原告らにつき各五五万円とするのが相当である。
第四結論
以上によれば、原告らの請求のうち、原告X1に対し、五九七万九二八一円及びこれに対する平成二一年二月二日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を求める部分につき、原告X2に対し、五九七万九二八一円及びこれに対する平成二一年二月二日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を求める部分につき理由があるからその限度でこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、仮執行免脱宣言については相当でないから付さないこととし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 千葉和則 裁判官 鳥居俊一 瀬戸麻未)
別紙 図面<省略>