札幌地方裁判所 平成22年(ワ)2554号 判決 2013年3月29日
主文
1 被告は,原告らに対し,それぞれ3247万7752円及びこれに対する平成18年11月22日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告らのその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は,これを10分し,その7を被告の負担とし,その余を原告らの負担とする。
4 この判決の第1項は,本判決が被告に送達された後14日を経過したときは,仮に執行することができる。ただし,被告が,原告らに対し,各3000万円の担保を供するときは,それぞれその仮執行を免れることができる。
事 実 及 び 理 由
第1請求の趣旨
被告は,原告らに対し,それぞれ4600万0697円及びこれに対する平成18年11月22日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
本件は,亡Aの父及び母である原告らが,被告に対し,陸上自衛隊員であった亡Aが徒手格闘訓練中に意識を失って死亡したことについて,指導教官等に安全配慮義務を怠った過失がある等と主張し,国家賠償法1条1項(予備的に債務不履行)に基づく損害賠償を求めた事案である(附帯請求は,亡Aの死亡日を起算日とする遅延損害金の支払請求)。
1 前提となる事実(争いがないか,後掲証拠等により容易に認められる事実)
(1) 当事者等
ア 亡Aは,原告B及び原告C夫婦の長男として昭和61年8月28日に出生した者であり,高校卒業後の平成17年3月24日,陸上自衛隊に入隊した(争いがない)。Aは,2等陸士として第1混成群(那覇駐屯地)に教育入隊(新隊員前期過程)し,さらに,同年7月1日,北部方面輸送隊(真駒内駐屯地)に教育入隊(新隊員後期過程)したが,同年11月2日,第11後方支援連隊輸送隊(以下「輸送隊」という。)に操縦手として配置され,平成18年1月1日,1等陸士に昇任した(乙1)。
イ Aが所属していた平成18年11月当時の輸送隊には,輸送隊長としてD2等陸佐,火器化学陸曹としてE3等陸曹,操縦手としてF陸士長らが所属していた(甲6の1)。
(2) 徒手格闘の概要等
ア 陸上幕僚監部が昭和58年9月に作成した陸自教範「格闘」には,徒手格闘について,概ね,以下のような記載がある(乙4)。
(ア) 徒手格闘は,当身技,投げ技,関節技及び絞め技を総合的に駆使し,旺盛な闘志をもって,敵を殺傷し,又は捕獲する戦闘手段である。
(イ) 当身技は,格闘訓練の主体をなす技で,相手の急所を突き,打ち,又は蹴る方法であり,技の種類として,直突き,横打ち,蹴り,連撃,受け及び反撃がある。
投げ技は,相手と自分の間合いが著しく接近した場合や,組み打ちによって相手を投げ倒し,当身技,関節技及び絞め技をより効果的に行うためのものであり,技の種類として足技(大外刈り,外(内)掛け),腰技(大腰,首投げ),手技(背負い投げ)がある。
関節技は,関節の弱点を利用して,相手の動きを制しながら,相手を倒し押さえる方法であり,絞め技は,投げ技及び関節技と連係し,相手の頸動脈及び気管を絞めることによって相手を制する方法である。
(ウ) 受け身は,投げられたり,倒された場合,体が受ける衝撃を緩和させるための護身の方法であり,後受け身,横受け身及び前回り受け身がある。
受け身の訓練の実施順序は,(a)低い姿勢から,次第に高い姿勢で実施する,(b)当初はその場で実施し,次第に移動して行う,(c)緩やかな速度から,次第に速度を増すものとする。
(エ) 徒手格闘の訓練の方法としては,空間訓練(堅確な姿勢及び動作を習得させるため,主として当身技を単独動作で行う基本的な訓練),約束訓練(技やさばきの内容及び順序を指定して行わせることにより,技の基本的要領及び攻防の理論を習得させるため,対人動作で行う訓練),仮標訓練(当身,刺突等の実感を体得させ,自身を養成する訓練),試合教習(防具を装着して対人動作により,実際に当身技,投げ技及び関節技を総合的に駆使し,攻防の要領を習得させる訓練),試合(互いの全能力を発揮して勝敗を争うことにより,格闘に習熟させる訓練)がある。
(オ) 徒手格闘の訓練は,通常,当身技を習得した後,投げ技,関節技,試合教習,試合及び絞め技の順序で実施し,投げ技は,構え・さばき及び受け身を習得してから,主として約束訓練により,概ね足技,腰技,手技の順序で実施する。
イ 陸上自衛隊においては,全隊員が徒手格闘訓練の対象となっており,各隊員の練度を図る指標として,徒手格闘検定が実施されていた。徒手格闘検定は,3級,2級,1級及び特級の4段階に区分されており,3級は,新隊員としての教育期間中に取得するとされ,部隊配置後は,主に各部隊が,それぞれ所属の隊員に対し,通常2年以内に2級を受検できる練度にまで到達させるように教育し,2級取得後,各隊員は,職種や自らの技能等に応じて,より上級の1級及び特級の検定を各隊員ごとに受検し,技能に応じた級を付与されていた。(以上につき弁論の全趣旨)
徒手格闘検定2級を取得するため要求される技能は,当身技を単独で決められた順序に従い実施することができるという程度で足り,検定を受けたほぼ全ての陸上自衛隊員が2級を取得していた(証人E)。
(3) Aの徒手格闘訓練への参加等について
ア Dは,「隊武道練成訓練に関する第11後方支援連隊輸送隊一般命令」(11後支援連輸般命第100号18.11.13)により,徒手格闘練成要員に対し,練成訓練を実施して,技量及び精神力の錬磨向上を図るとともに,連隊武道競技会の必勝を期すことを目的に,平成18年11月13日から同競技会の開催日(同月29日)の前日まで,Eを指導教官,F及びAを養成要員として,徒手格闘の訓練を実施するよう命じた(以下「本件命令」という。)。本件命令においては,訓練内容の細部を指導教官が計画することとされ,安全に関する直接指導,安全点検の実施,養成要員の健康状態の把握及び実施場所の事前点検等の安全管理も,指導教官が行うこととされていた。(以上につき甲3,弁論の全趣旨)
イ 平成18年11月当時,Eは,徒手格闘検定1級(平成17年4月8日付け),銃剣道2段,少林寺拳法2段,空手初段,剣道初段を取得しており,従前,輸送隊の徒手格闘検定における検定官の補佐や競技会のための練成訓練において指導教官の補佐(助教)をしたことがあったが,指導教官を務めたことはなかった(甲6の1・2,乙19)。
Fは,徒手格闘検定2級(平成17年3月10日付け)を取得していたが,従前,投げ技と受け身の訓練をしたことはなかった(甲6の1・2,乙20)。
Aは,徒手格闘検定2級(平成18年3月17日付け)を取得していたが,従前,練成訓練及び競技会へ参加したことはなかった(甲6の1・2)。
ウ E,F及びAは,本件命令の前である平成18年11月6日から徒手格闘訓練を開始した(甲6の1)。
Aは,平成18年11月21日の訓練(以下「本件訓練」という。)中に意識を失い,自衛隊札幌病院に搬送された後,医療法人医仁会中村記念病院(以下「中村記念病院」という。)に搬送され,同月22日,死亡した(争いがない)。
(4) Aに対する司法解剖の結果
平成18年11月23日,北海道大学医学部法医学教室解剖室において,Aに対する司法解剖が行われ,同年12月26日,担当医による鑑定書(以下「本件鑑定書」という。)が作成された(甲16)。
本件鑑定書には,死因は,外傷性硬膜下血腫及びクモ膜下出血(外因死)と考えられる,損傷として,(ア)左頬部及び鼻尖部の表皮剥脱,(イ)下口唇の挫創及び下顎切歯の脱落,(ウ)前胸部及び両側胸部の皮下出血,(エ)左第4肋骨及び第6肋骨の骨折,(オ)右胸部後面及び第8肋骨周囲の肋間筋出血,(カ)両側腸骨部の皮下出血,(キ)肝鎌状間膜の裂開並びに肝臓下面の裂創及び腹腔内出血,(ク)両肩部前面の皮下出血,(ケ)左肘窩の皮下出血,(コ)背胸上部の皮内出血,(サ)両膝部の皮下出血,(シ)硬膜下血腫及びクモ膜下出血,右側頭葉鉤部及び右側小脳扁桃の脳ヘルニア並びに脳幹部2次性出血が認められる旨の記載がある(甲16)。
(5) 訴えの提起
原告らは,平成22年8月3日,本件訴えを提起した(記録上明らかな事実)。
2 争点及び当事者の主張
本件の争点は,(1)E,D及びFの行為の国家賠償法1条1項上の違法性及び故意・過失の有無(予備的に被告の債務不履行の有無),(2)原告らの損害の有無及び額,(3)同項に基づく損害賠償請求に係る消滅時効の成否である。
(1) E,D及びFの行為の国家賠償法1条1項上の違法性及び故意・過失の有無(予備的に被告の債務不履行の有無)
(原告らの主張)
ア 安全に配慮すべき注意義務違反について
(ア) 徒手格闘は,投げ技等の攻撃を相手に施して,強力な敵を素手で制圧することを目的とする格闘技であり,生命身体の損傷につながる危険性が極めて高いものであるから,徒手格闘訓練に関わる者は,常に安全面に配慮し,事故の発生を未然に防止すべき注意義務を負う。
(イ) Aは,中学校及び高校では吹奏楽部に所属し,運動の経験が乏しく,運動能力も低かった。Aは,徒手格闘検定2級を取得してはいるが,練成訓練としては,平成18年11月6日に初歩的な防具の装着要領を習うところから始まり,同月9日及び10日の零細時間を利用した短時間の簡単な訓練や,同月21日までに計3回にわたる当身技や投げ技等の訓練を受けただけであった。また,受け身のみの訓練は,同月17日に1日行われたのみであり,同日指導に当たったDは,A及びFの受け身の習熟度が低いことを認識し,指導教官であったEに対し,受け身の練習をしっかり実施するよう指導していた。ところが,この後,受け身のみの練習が行われることはなかった。さらに,投げ技については,「大腰」に類似した腰技のみが練成され,それ以外の訓練は実施されていなかった。
陸上自衛隊第11師団事故調査委員会が作成した調査報告書(甲6の1。以下「本件委員会報告書」という。),第11後方支援連隊が作成した調査報告書(甲6の2。以下「本件連隊報告書」という。)及びEが原告らに宛てた手紙(甲7)によれば,平成18年11月21日,投げ技から胴突きという約束訓練を一人3本決めるまで行うとの要領で,AがFに対し,投げ技からの胴突きを行うという訓練がなされた。1回目は,胴突きに元気がないとして,決定打としてカウントされず,Eからやり直しを命じられ,2回目は,成功して,「1回」とカウントされ,3回目は,Aの崩しが甘かったため,FがAを反対に投げ返し,その際,EがFに対し,「次からも(Aに)気合いが入ってなかったらその調子で(投げ返しを)やるように。」と指示し,4回目は,Aの崩しが甘く,打撃も不十分であったため,カウントされず,5回目は,技が決まり,「2回」とカウントされたが,6回目は,技が決まらず,カウントされなかった。7回目は,Aに隙ができ,投げる力も弱かったため,Fが反対に投げ返し,その際,Aは,疲労と倒れた衝撃で痛そうな様子であって,すぐに起き上がらず,少し間を置いて起き上がったが,痛そうな表情をしていたところ,このような状況の中,8回目の投げ技からの胴突きが行われ,Aの投げ技が決まらず,FがAを投げ返したところ,Aは,背中から落下して後頭部を強打し,意識を失ったとされる。
なお,本件連隊報告書によると,Dが,原告Bに連絡を取ったのは,平成18年11月21日午後4時25分とされているが,実際に連絡があったのは,同日午後2時30分頃である。また,本件連隊報告書によると,本件訓練は,陸上自衛隊真駒内駐屯地西体育館2階(畳敷き)で行われていたとされるが,同月22日午前,中村記念病院において,原告BがDに対し,「体育館の床で受け身の訓練をしていたのですか。」と訪ねると,Dは,「はい。床の方が,頭に衝撃が少ないと聞いていました。」と答えているから,本件訓練は,畳敷き以外の場所で行われた可能性が高い。
(ウ) Eは,指導教官として,徒手格闘の練成経験が浅く,受け身に未だ習熟していないAに対し,受け身の技能を修得させるとともに,練成相手に対し,受け身が困難となるような無理な攻撃技をしないように注意するなど事故を未然に防止すべき立場にあるにもかかわらず,Fに対し,Aの投げが不十分な場合に投げ返しを行うことを許可し,約束訓練の範囲を超える実践的な訓練を行った。直立状態で技をかけられるよりも,投げ返しで技をかけられる方が受け身が取りにくく,危険性が増大することは常識であるから,Eは,Fによる投げ返しを許可すべきではなかった。また,Aが7回目の約束訓練で投げ返された際に,痛みによる苦痛の表情を示し(この時点において,Aは本件鑑定書に記載のある種々の傷害を負っていた。),しばらく起き上がれないほどの疲労がみられたのであるから,Eは,これを看過することなく,直ちに訓練を中止するとか,Aの身体状況を確認するとか,Fに対して投げ返しを禁止するとかの具体的指導をすべきであるのに,これを怠った。
(エ) Dは,輸送隊長の地位にあり,Aらに対して徒手格闘訓練を命じた者であるから,訓練を安全に遂行させる注意義務があり,Aらに対して受け身の重要性を伝え,事故防止のための綿密な練成計画等を作成すべきであるのに,これを怠った。さらに,Dは,平成18年11月17日にAとFの指導に当たった際,Aらの受け身の技術が不十分であることを認識しており,そうであれば,Eの指導方法を監督し,訓練を管理し,Eをして受け身の訓練を強化させた訓練計画を立てさせ,又は,訓練に立ち会うなどして,危険な訓練が行われることを防止すべきであったのに,これを怠った。
(オ) Fは,Aが徒手格闘について初心者であること,受け身の技術が未習熟であったこと及び投げ技は「大腰」に類似した腰技のみしか訓練していなかったことを知っており,また,Aを不意に投げ返した場合に,Aが受け身を行うことができない可能性があることを知り得る状況にあったのであるから,事故を未然に防止すべき注意義務の一環として,投げ返しを行うべきではなかったにもかかわらず,Aを投げ返した。また,Aが7回目の約束訓練で投げ返された際,痛みによる苦痛の表情を示し,しばらく起き上がれないほどの疲労がみられたのであるから,直ちに訓練を中止するとか,Aが負傷していないかを確認すべきであったのに,これを怠った。
(カ) 以上によれば,E,D及びFは,Aの生命身体に対する安全に配慮し,事故の発生を未然に防止すべき注意義務に違反したといえる。
イ 徒手格闘訓練の目的を逸脱した有形力の行使について
本件鑑定書によれば,Aには,直接の死因とされる硬膜下血腫及びクモ膜下出血以外にも,以下のとおり,種々の損傷が認められるが,これらの損傷は,E及びFから徒手格闘訓練の目的を逸脱した有形力の行使を故意に加えられたことによって生じたものである。なお,平成18年11月24日,陸上自衛隊真駒内駐屯地東体育館において,Aの葬送式が行われ,その際,自衛隊員が,Aが本件訓練時に着用していたという胴着を持ってきて,棺に入れ,Aの遺体とともに火葬されたが,同胴着は,襟元から胴の辺りにかけてAの血で真っ赤に染まっていた。
(ア) 左頬部及び鼻尖部の表皮剥脱並びに下口唇の挫創及び下顎切歯の脱落は,通常の徒手格闘訓練により生じたとは考えられず,このような損傷が存在することから,Aの顔面に有形力の行使が加えられたといえる。仮に,治療のための気管内挿管中に下顎側の歯が折損したとしても,気管内挿管での歯の折損は上顎側で起きることが多く,下顎側で起きることが少ない以上,気管内挿管の前に既にAの歯が折れやすい状態になっていたことが合理的に推測される。
(イ) 左第4肋骨には,鎖骨中線上と前腋窩線上の2か所に骨折が認められ,第6肋骨には,ほぼ鎖骨中線上に骨折が認められるが,これらは,投げられたり,背中から落下した程度では到底生じないものであり,通常の訓練の中で起こるはずのないものである。特に,第4肋骨の前腋窩線上の骨折は,前面からの打撃や背中を強打したことでは生じ得ないものであり,このような損傷が存在することから,倒れて横になっているAの脇腹を蹴るなどの外力が加えられたことが想定される。
(ウ) 右胸部後面及び第8肋骨周囲の肋間筋出血は,単に投げられて背中を打った程度では生じるものではなく,このような損傷が存在することから,これらとは別に,Aの背中に相当強度な有形力の行使が加えられたが,仮に投げられて背中を打った際に生じたとしても,Aが固い床に叩きつけられるような強い衝撃を受けたと推察される。
(エ) 肝鎌状間膜の裂開並びに肝臓下面の裂創及び腹腔内出血は,投げられたり,背中から落下した程度では生じることはなく,また,心臓マッサージによって生じたものともいえないから,このような損傷が存在することから,Aに対し,腹胸部を下から強く蹴り上げたり,殴打したり,あるいは,肝臓の外側の肋骨そのものに強い圧迫を加えたり,倒れているところに蹴り込むといった外部からの強い有形力の行使があったと考えられる。
(オ) 皮下出血は,20歳の若い男性であるAの場合には相当強い外力を受けなければ生じないから,Aの全身に生じた様々な皮下出血は,有形力の行使によるものである。
ウ 被告の債務不履行について
(ア) 被告は,自衛隊の訓練に際し,訓練者に対し,訓練者の身体に傷害を負わせ,死亡させることのないよう,安全面に配慮した組織を構築し,習熟度に応じた訓練内容を計画し,実際の訓練に当たっては,疲労度に応じた対応をとり,適正な態様で訓練を行うべき安全配慮義務を負っている。
(イ) Eは,指導教官であって,安全管理も任されていた者であり,Dは,本件命令により,Aらに徒手格闘訓練を命じた者であるから,いずれも被告が負う安全配慮義務の履行補助者である。
Fは,Aよりも徒手格闘訓練の練度が高く,また,Aの約束訓練の相手方であり,Aの状況を詳細に把握し,攻撃方法に配慮し得る立場にあったのであるから,被告が負う安全配慮義務の履行補助者といえる。
(ウ) E,D及びFは,前記ア及びイのとおり,安全配慮義務に違反した。
(被告の主張)
ア 国家賠償法1条1項の「違法」とは,国民の権利ないし法益の侵害があることを前提として,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して損害を加えたときに認められるものであり,同条の故意・過失は,職務義務に違反して他人に損害を加えることの認識又は認識可能性であるところ,以下のとおり,E,D及びFの行為に同法上の違法性及び故意・過失はいずれも認められない。
(ア) 指導教官であるEは,徒手格闘の初心者であるF及びAが競技会に出場した際に,試合で怪我をしないよう,試合中に予想される技や対戦相手への対処方法を中心として,試合に近い形での訓練を実施していた。これは,Eが基本的な技を繰り返し実施する訓練を否定していたからではなく,自らの格闘技経験から,与えられた訓練期間の中で,本件命令の目的を達成するために効率的に練成するには,E自身が選手として試合に出場した際の経験を生かした訓練をすることが,養成要員の試合における危険を回避するためには最も合理的な方法であるとの考えに基づいたものであった。本件訓練以前に,受け身のみを単独で実施する訓練の回数が少なかったのは(なお,受け身のみの訓練が行われたのは平成18年11月17日のみであるが,同月10日及び16日にも受け身の訓練は実施されている。),Eが競技会の試合中に起こり得るような事態を中心とする訓練方法を選択して実施していたこと,同じ時期に他の部隊も体育館を使用して訓練を実施しており,受け身の訓練をするために必要な畳の敷かれた場所を確保できる機会が少なかったことによるものである。このように,Eは,与えられた立場,時間的・物理的な条件の下で,FとAが競技会で怪我をせず,危険を回避できるようにするため,自らの経験を教訓とし,最善の方法を考えて訓練を実施したものであり,安全配慮義務に違反していない。
Eは,訓練において予定されていなかったにもかかわらず,FがAを投げ返すことを許可したが,これは,投げ返されたAが,驚いた表情と同時に,緊迫感と闘争心が引き出された真剣な表情に変わったため,このままの状態を維持する方が訓練の効果があると思ったからである。Eは,Aの動きが力強く気合いの入ったものとなったことから,その後もそのまま訓練を継続させていたのである。したがって,Eが投げ返しを許可したことについても,安全配慮義務に違反していない。
Eは,Aが2回目の投げ返しを受けた後,立ち上がる際に痛そうな様子を見せたが,腰が痛いのかと感じた。徒手格闘の訓練内容の特性から,足,腰,背中などを畳に打ち付けることは通常生じる事態であって,Aが具体的に頭や肋骨の辺りを押さえるという様子をみせることもなかったため,Eは,直ちに訓練を中止しなければならない状況であるとは認識しなかった。また,Eは,適時の休憩を取っており,当時,休憩の終了から約15分しか経過していなかったため,疲労についてもまだ大丈夫だろうと考え,訓練を続行したものである。したがって,Eは,Aの健康状態の把握を怠り,ただ漫然と訓練を続行させたものではないから,Aの健康状態の把握について,安全配慮義務に違反していない。
(イ) Dが,指導教官としてEを選任したのは,Eが輸送隊に所属する隊員の中で唯一の徒手格闘検定1級の保持者であり,かつ,徒手格闘以外の格闘技(少林寺拳法,空手,剣道)の経験も豊富であったからであり,Dは,適任の人員を配置することについて,安全配慮義務に違反していない。また,Dは,本件命令において,安全組織の確立と明確な任務付与や健康状態の把握など,安全管理に関して重視すべき事項を明記し,訓練中に予想される危険・事故の未然防止を図っていた。そして,Dは,Eの代わりに訓練を実施した際,Aの受け身の練度が低いと認識したため,現場で直接演練させた他,訓練後に,Eに対し,Aに受け身の練習をしっかり実施させることなど,具体的に安全管理や訓練内容について指導している。
したがって,Dは,徒手格闘訓練の本件命令の発簡者として,安全配慮義務に違反していない。
(ウ) Fは,指導教官の指導の下,養成要員としてAと同等の立場で訓練を受けていた者であり,徒手格闘の経験が浅く,その練度は初心者とそれほど変わらない程度であった。したがって,本件訓練中に,仮に何らかの危険が生じることを予見した場合であっても,危険を回避するために訓練を中止すべきか否かを判断するのは,一義的に指導教官であるEであるから,Fは安全配慮義務を負わない。
仮に,Fが安全配慮義務を負うとしても,これに違反していない。Fが最初にAを投げ返した理由は明確ではないが,2回目以降は,Fは,Eから投げ返しの許可があったこと,最初に投げ返した後は,Aが前より気持ちが入り,力を込めて投げようとしてきたこと,F自身,過去にスキーや駆け足訓練で経験したように,Aにもつらい訓練を乗り越えて頑張ってもらいたいという気持ちがあったことから,その後も投げ返しを実施したものである。Fの格闘練度は,初心者と変わらなかったため,投げ返した場合にAが十分な受け身を行えないとまでは認識しておらず,Aの疲労度や身体の傷害についても,問題があると認識していなかった。このような状況において,養成要員であるFにとって,本件訓練は通常の訓練の範囲を超えるものではなかったというべきであるから,Fが投げ返しを実施したことについて,安全配慮義務に違反しているということはできない。
イ E及びFらが,Aに対し,徒手格闘訓練の目的を逸脱した有形力の行使を故意に加えたという事実,及び,Aが本件訓練中に着用していた胴着の襟元から胴の辺りにかけて血で真っ赤に染まっていたという事実は否認する。
(ア) 下顎切歯の欠損は,気管内挿管の際に生じたと合理的に推認できる。また,鼻尖部の表皮剥脱については,経鼻挿管に伴うチューブによるものと合理的に推認できる。
(イ) 肋骨の骨折については,自衛隊札幌病院及び中村記念病院で撮影されたレントゲン写真からは判然とせず,本件訓練中に発生したとの事実は不知である。また,徒手格闘の投げ技をかけられると,通常,体の左側から畳に落下するから,投げ技によって体の左側の肋骨に損傷が生じたとしても矛盾はない。また,Aは,倒して胴突きの訓練中に防具を着けていたところ,徒手格闘の防具の胴は幅が狭く,胴の辺縁及び胴内部の縫い目部分が身体に当たることがあるので,防具と肋骨がぶつかり,肋骨に損傷が生じた可能性も否定できない。さらに,心肺蘇生などの医療行為により肋骨が骨折した可能性も十分考えられる。以上のように,肋骨の骨折の成傷経緯は複数想定されるのであって,その存在から徒手格闘訓練の目的を逸脱する有形力の行使があったとはいえない。
(ウ) 肋間筋の出血の成傷経緯は不明であるが,本件鑑定書において,皮下出血はなく,表面上の外力を窺わせる所見は認められないとされており,外力による成傷は否定される。
(エ) 肝鎌状間膜の裂開並びに肝臓下面の裂創及び腹腔内出血についは,本件鑑定書において,心臓マッサージ(医療行為)によって発生したとしても矛盾がないとされており,この信用性に疑問を生じさせる余地はない。
(オ) 皮下出血は,通常の徒手格闘訓練においても生じ得るし,医療行為やAに発症したDIC(播種性血管内凝固症候群)の影響による可能性もあるのであって,その存在から徒手格闘訓練の目的を逸脱する有形力の行使があったとはいえない。
ウ 前記アのとおり,E,D及びFは,安全配慮義務に違反していないし,Fは,そもそも被告が負っている安全配慮義務の履行補助者でもないから,被告が債務不履行に基づく損害賠償責任を負うことはない。
(2) 原告らの損害の有無及び額
(原告らの主張)
ア Aの損害
(ア) 逸失利益 4993万8631円
Aは,高校卒業後,陸上自衛隊に入隊し,死亡当時,20歳の独身男性であった。その逸失利益は,以下のとおり算出される。
555万4600円(平成18年賃金センサス男性学歴計全年齢平均賃金)×0.5(生活費控除率50パーセント)×17.9810(67歳に対応するライプニッツ係数)=4993万8631円
(イ) 死亡慰謝料 3000万円
は,何ら落ち度がないにもかかわらず,理不尽にもその生命を奪われたのであって,Aの精神的苦痛に対する慰謝料は,上記金額を下ることはない。
(ウ) 相続
原告B及び原告Cは,Aの上記損害賠償請求権合計7993万8631円の2分の1である3996万9315円をそれぞれ相続により取得した。
イ 原告B及び原告Cの固有の慰謝料 各500万円
原告らは,最愛の息子であるAを20歳の若さで無惨かつ理不尽に奪われたのであり,原告らが負った精神的苦痛は筆舌に尽くし難いものがある。
また,Aの死亡後における被告の不誠実な対応や証拠隠しといわれても仕方のないような対応が,原告らに追い打ちをかけ,精神的苦痛を増大させた。さらに,E,D及びFは,本件訓練中にAが意識を失った際,Aが脳外科手術を必要とする状態であったことを認識できたにもかかわらず,同手術のできない自衛隊札幌病院に搬送し,適切な治療を受ける機会を失わせたのであるから,Aの遺族たる原告らの精神的苦痛を強めたといわざるを得ない。
したがって,原告らが被告に負わされた精神的苦痛は著しく大きいものがあり,原告ら各自の固有の慰謝料は,上記金額を下ることはない。
ウ 損害の填補 各315万0500円
原告らは,被告から遺族補償一時金として各315万0500円の支払を受けたので,損害額からこれを控除する。
エ 弁護士費用 836万3763円
(被告の主張)
原告らに遺族補償一時金が支払われていることは認め,その余は争う。
なお,Eらが意識を失ったAを最初に自衛隊札幌病院に搬送したことは,同病院が,本件訓練場所である真駒内駐屯地の近傍(約2.8キロメートル)にあって,脳神経外科を有し,また,自衛隊訓練事故の治療症例が豊富であり,搬送後直ちに同科医師の診察を受けられる状態にあったことからしても,合理的な選択であったというべきである。その後,Aは同病院から中村記念病院への転院がなされたが,それは,自衛隊札幌病院において脳外科手術ができないからではなく,レントゲン撮影,CT検査等の結果,同病院の脳外科の手術能力では対応できないと同病院の脳神経外科医が判断したからである。
(3) 国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求に係る消滅時効の成否
(被告の主張)
国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求権は,被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から3年間行使しないときは,時効によって消滅する(国家賠償法4条,民法724条前段)。
原告らは,平成18年11月22日の時点で,Aの死亡に立ち会い,Dから徒手格闘の訓練中にAが死亡するに至った状況について説明を受けているから,この時点において,損害及び加害者を知ったことが明らかである。また,Dは,同月26日に沖縄で行われたAの親族による葬儀に参列したが,同月27日,原告ら及びAの家族等に対し,本件訓練の状況を説明している。さらに,その際,Dは,原告らの親族から依頼を受け,本件訓練の状況を手紙に記述して送付することを約束したことから,同年12月14日,本件訓練の状況の細部をD,E及びFがそれぞれ記載した各手紙(甲7,8,13)を原告らの親族に送付し,原告らに渡してもらうよう依頼している。その内容は,平成20年に原告らに開示された本件委員会報告書,本件連隊報告書及び公務災害発生報告書と事実関係において差異のないものであるから,遅くとも,平成18年12月頃には,原告らが「損害及び加害者を知った」というべきである。
したがって,本件訴訟が提起された平成22年8月3日の時点では,それから既に3年が経過しているから,原告らの被告に対する国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求権は,消滅時効の完成により消滅している。
被告は,平成22年10月15日の本件口頭弁論期日において,消滅時効を援用する旨の意思表示をした。
(原告らの主張)
原告らは,自衛隊に対し,Aが負傷するに至った具体的経過等について,繰り返し,説明や情報公開(平成19年1月4日)を求めたが,自衛隊が具体的な説明をすることもなく,開示された資料はほとんどが黒塗りとなっていたため,加害行為に関する事実関係を把握することができなかった。その後,原告らは,平成20年5月に沖縄県出身の国会議員に資料の全面開示を懇請し,その結果,同年8月,黒塗りがない公務災害発生報告書(甲1),本件委員会報告書及び本件連隊報告書等を受け取ることができた。原告らは,これにより初めて,加害行為を基礎づける事実関係を知るに至ったのであるから,消滅時効の起算点は最大に遡っても平成20年8月初めである。
第3当裁判所の判断
1 事実関係
前記前提となる事実,後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば,徒手格闘の訓練状況等について,以下の事実が認められる。
(1) 本件命令前の訓練について
ア 平成18年11月6日,E及びAが参加して,約10分間,防具装着要領(サポーターの付け方,グローブのはめ方)の指導及び当身技の空間訓練が行われた。
イ 平成18年11月9日,E,F及びAが参加して,約10分間,当身技の空間訓練が行われた。
ウ 平成18年11月10日,E,F及びAが参加して,約10分間,当身技の空間訓練並びに投げ技及び受け身の訓練が行われた。
(以上につき甲6の1・2,7,13,乙19,証人E)
(2) 本件命令後の訓練について
ア 平成18年11月16日,E及びAが参加して,約2ないし3時間,当身技,投げ技及び受け身の訓練が行われた。Eは,Aの投げ技に対する受け身の取り方を見て,顎は引けているもの,適切に腕で畳を叩いて体への衝撃を緩和することができていないと感じた。
イ 平成18年11月17日,Eが業務のため訓練に参加できなかったことから,D,F及びAが参加して,約2ないし3時間,受け身,準備運動を兼ねた相撲及び当身技の訓練が行われた。Dは,Aの前回り受け身を見て,その習熟度が不十分であると感じ,訓練後,Eに対し,A及びFともに受け身があまり上手くないから,受け身の訓練を行うよう指示した。
ウ 平成18年11月20日,E,F及びAが参加して,約2ないし3時間,当身技のみの訓練が行われた。同日は,畳敷きの場所が確保できなかったことから,投げ技及び受け身の訓練は行われなかった。
(以上につき甲6の1・2,7,13,乙18,19,証人E,同D)
(3) 平成18年11月21日の訓練(本件訓練)について
ア 平成18年11月21日午後1時30分頃から,陸上自衛隊真駒内駐屯地西体育館の2階(畳敷き)において,E,F及びAが参加して,訓練が開始された。まず,ストレッチ体操と準備運動をした後,防具等を装着しない状態での基本突きの空間訓練及びグローブだけを装着した状態での基本突きと蹴りの約束訓練を行った。その後,午後2時10分頃から約20分間の休憩を取り,休憩時間中に,面以外の防具(グローブ,胴,すね当て等)を装着した。
イ 休憩後,平成18年11月21日午後2時30分頃から,移動しながらの基本突き及び蹴りの約束訓練を行い,その後,投げ技で相手を倒してから胴突きをするという約束訓練を,一人当たり3本決めるまで行うという要領で実施することになった。この訓練方法は,初めて行われるものであった。まず,FがEに対して技をかける方法で行われ,次に,AがFに対して技をかけることとなり,Eはその動作を傍らで確認していた。
ウ Aは,平成18年11月21日午後2時45分頃から午後2時50分頃にかけ,Fに対し,合計8回にわたり,投げ技からの胴突きを試みた。
まず,1回目の試技は,胴突きに元気がないとして1本と判断されなかったが,2回目の試技は,技が決まり,1本と判断された。
続いて,3回目の試技は,Aの投げ技が上手くいかず,これに対し,FがAを投げ返した。この時,Aは驚いた表情を見せたが,Eは,訓練として良い効果が期待できるなどと考え,Fに対し,次からも気合いが入っていなかったらその調子でやるようになどと言って,投げ返しを行うことを許可した。
続いて,4回目の試技は,胴突きが不十分であるなどとして1本と判断されなかったが,5回目の試技は,技が決まり1本と判断されたものの,6回目の試技は,最後の1本にふさわしい技が決まらなかったとして,1本と判断されなかった。
さらに続けて,7回目の試技においては,Aが再びFに投げ返された。その際,Aは,受け身が上手く取れず,腰の辺りから落ちた後,少し間をおいて起き上がり,痛そうな表情を見せていた。
最後に,8回目の試技においては,Aが再びFに,「首投げ」又は「大外刈り」に類似した技で投げ返された。その際,Aは,畳の上に背中から落下して後頭部を打ち,意識を失うに至った(以下「本件事故」という。)。(以上につき甲6の1・2,7ないし9,13,乙5,18ないし20,証人E,同F,同D)
(4) 本件事故後の対応
ア 本件事故後,Eは,近傍にいた救護員に救護を依頼した。本件事故が発生した体育館の1階で銃剣道の訓練中であったDは,本件事故の現場に駆けつけてAの様子をみると,医務室に連絡して救急車の手配をした(甲6の1・2,乙18,19)。
平成18年11月21日午後3時頃,救急車が本件事故現場に到着し,Aを搬送した救急車は,同日午後3時16分頃に自衛隊札幌病院応急処置室に到着した。診断の結果,同病院の脳神経外科医は,後頭部に脳挫傷があり,危険な状態であって,同病院の手術能力では対応し難いと判断し,中村記念病院に転院することとなった(甲6の1・2,24)。
イ 平成18年11月21日午後4時45分頃,Aは,中村記念病院に到着し,治療が施されたが,同月22日午後2時44分頃,同病院において,外傷性硬膜下血腫及びクモ膜下出血により死亡した(甲15ないし17,25)。
ウ 平成18年12月頃,E,D及びFは,本件命令前後の徒手格闘訓練の状況,本件事故の状況等を記載した手紙(以下,これらを「本件手紙」という。)を作成し,原告らに渡した(甲7,8,13)。
エ 平成20年8月頃,原告らは,本件委員会報告書,本件連隊報告書及び公務災害報告書等を入手した(甲1,6の1・2)。
2 争点(1)(E,D及びFの行為の国家賠償法1条1項上の違法性及び故意・過失の有無(予備的に被告の債務不履行の有無))について
(1) 前提となる事実(2)のとおり,徒手格闘は,当身技,投げ技,関節技及び絞め技を総合的に駆使し,旺盛な闘志をもって敵たる相手を殺傷する又は捕獲するための戦闘手段であり,その訓練には本来的に生命身体に対する一定の危険が内在しているから,訓練の指導に当たる者は,訓練に内在する危険から訓練者を保護するため,常に安全面に配慮し,事故の発生を未然に防止すべき一般的な注意義務を負うというべきである。このことは,徒手格闘の訓練が自衛隊の訓練として行われる場合であっても,異なるものではない。
(2) そこで検討するに,前記1で認定したとおり,Aは,本件訓練以前に,受け身の訓練を3回しか行っておらず((1),(2)),しかも,そのうち1回は,本件命令前の10分程度の訓練の中で行われたものにすぎなかった((1)ウ)。また,Dは,受け身の訓練の際,Aの前回り受け身の習熟度が不十分であると感じ,Eに対し,受け身の訓練を行うよう指示しており((2)イ),E自身も,その前日の訓練の際,Aの投げ技に対する受け身の取り方を見て,体への衝撃を緩和することができていないなどと感じていた((2)ア)というのであるから,本件訓練当時におけるAの受け身の習熟度は低く,投げ技に適切に対応できる技能を有していなかったといわざるを得ないのであり,また,Eはこのことを認識していたということができる。
さらに,陸自教範において投げ技は受け身を習得してから訓練するとされているとおり(前記前提となる事実(2)ア(オ)),受け身の習熟度が低ければ,投げられたときに体への衝撃を十分に緩和することができず,その結果,頭部等を強く打ち付けてしまう危険性があることは明らかである。そして,一般的に,単に相手に投げられて受け身を取る場合よりも,自分が技を掛けた後に投げ返された際に受け身を取る場合の方が,受け身が取りにくい姿勢で落下したり,受け身を取ることに意識を集中させることができないことなどから,体への衝撃を十分に緩和させることが困難であるということができる(甲34,36,弁論の全趣旨)。
以上によれば,Aが投げ技からの胴突きを行うという本件訓練において,Fに投げ返しを認めた場合には,受け身の習熟度の低いAが,Fの投げ返しに対して適切に受け身を取ることができず,頭部を打ち付ける危険性は十分にあったというべきであり,Eもかかる危険性を予見し得たということができる。
したがって,Aが投げ技からの胴突きを行う際にFに投げ返しを認めたEには,指導教官として負う前記(1)の注意義務に違反する過失があったものというべきであり,その過失により本件事故を発生させ,Aを死亡するに至らしめたものということができる。
被告は,受け身の訓練が不十分であったのは,畳敷きの場所を確保できなかったからであるとか,Eが投げ返しを許可したのは,訓練として効果があると思ったからであるなどと主張して,Eの注意義務違反を否定するが,被告が主張するような事情は,上記のような危険性の高い訓練を行うことを正当化する事情となり得ないことは明らかであるから,被告の主張は採用することができない。
よって,その余の点について検討するまでもなく,被告は,原告らに対し,国家賠償法1条1項に基づき,本件事故によって生じた後記3の損害を賠償すべき責任がある。
(3) 原告らは,E及びFらが,Aに対し,徒手格闘訓練の目的を逸脱した有形力の行使を故意に加えたなどと主張するところ,この点は,慰謝料の増額事由となり得ることから,以下,検討する。
ア 原告らは,Aの葬送式の際,Aが本件訓練時に着用していた胴着が襟元から胴の辺りにかけてAの血で真っ赤に染まっていたと主張するが,本件鑑定書(甲16)に記載されたAの損傷からは,胴着を血で真っ赤に染めるほどの外傷があったとは認められない上,葬送式の様子が撮影された映像(乙6)から確認できるAの胴着の一部には,特段血が着いている様子を見て取れない。そうすると,Aの胴着が襟元から胴の辺りにかけて血で真っ赤に染まっていたという事実を認めることはできない。
イ 原告らは,Aに下顎切歯の脱落及び鼻尖部の表皮剥脱等が認められる点を指摘するが,自衛隊札幌病院の救急患者記録表(甲24の11丁目)には,気管内挿管の際に,Aの噛む力が強く挿管が困難であり,前歯(下1本)が欠損した旨の記載があるから,下顎切歯の脱落は治療行為によって生じたものと認められるし,仮に原告らの主張するように,一般的に,気管内挿管における歯の欠損が下顎側で起きることが少ないとしても,そのことから直ちに本件訓練時の受傷によってAの歯が折れやすい状態になっていたなどと推認するのは甚だ困難である。また,Aの死体を検案した中村記念病院の医師は,鼻先の皮下出血及び右鼻腔内の出血について,鼻からチューブを挿入したときの出血と思われると説明しており(甲15),そのことに照らすと,原告らが指摘する鼻尖部の表皮剥脱は,治療行為によって生じた可能性が十分にある。また,徒手格闘の訓練においては,当身技や投げ技が行われるのであるから,通常の訓練を行う中で皮下出血や表皮剥脱が生じたとしても何ら不自然ではない。したがって,原告らが指摘する点をもって,Aに対し,徒手格闘訓練の目的を逸脱した有形力の行使が故意に加えられたなどと認めることはできない。
ウ 原告らは,Aの左第4肋骨及び第6肋骨に骨折が認められる点を指摘するが,投げ技をかけられた場合に体の左側から畳に落下することもあるから(甲34),通常の訓練においても,左第4肋骨の前腋窩線上の骨折が生じることは十分にあり得るし,原告らが証拠として提出する医師作成の意見書(甲45)においても,肋骨骨折については,自衛隊札幌病院及び中村記念病院おける胸部レントゲン写真から肋骨骨折が認められず,救急蘇生措置である心臓マッサージによって発生した可能性が高いと判断されていることを踏まえると,この点をもって,Aに対し,徒手格闘訓練の目的を逸脱した有形力の行使が故意に加えられたなどと認めることはできない。
エ 原告らは,Aに右胸部後面及び第8肋骨周囲の肋間筋出血が認められる点を指摘して,有形力の行使を受けた,あるいは,固い床に叩きつけられるような強い衝撃を受けたなどと主張するが,本件鑑定書(甲16)によれば,肋間筋出血について,皮下出血はなく表面上の外力を窺われる所見は認められないとされているのであるから,外力による成傷とは直ちには認め難い。なお,原告らは,Aの肋間筋の出血に加え,Dが,原告Bからの「体育館の床で受け身の訓練をしていたのですか。」という問いに対し,「はい。床の方が,頭に衝撃が少ないと聞いていました。」と答えたことをも根拠として,本件訓練が床の上で行われていたなどと主張するが,Eが,平成18年11月20日の訓練において,畳敷きの場所が確保できないとして,受け身の訓練を実施していなかったことからすると(前記1(2)ウ),本件訓練において敢えて床の上で受け身や投げ技の訓練をしていたとは考え難いし,「床の方が,頭に衝撃が少ない。」という発言内容も理解し難いものといわざるを得ない。さらに,原告Bが,Dの発言を聞き間違えたり,誤解した可能性を払拭しきれないのであって,本件全証拠を総合しても,本件訓練が床の上で行われていたと認めることはできない。
オ 原告らは,Aに肝鎌状間膜の裂開並びに肝臓下面の裂創及び腹腔内出血が認められる点を指摘するが,本件鑑定書(甲16)において,心臓マッサージによって発生したとしても矛盾がないものと考えられるとされていることからすると,この点をもって,Aに対し,徒手格闘訓練の目的を逸脱した有形力の行使が故意に加えられたなどと認めることはできない。
カ 原告らは,Aの全身に様々な皮下出血が認められる点を指摘するが,前記イのとおり,通常の訓練を行う中で,皮下出血等が生じたとしても何ら不自然ではないのであるから,この点をもって,Aに対し,徒手格闘訓練の目的を逸脱した有形力の行使が故意に加えられたなどと認めることはできない。
キ 以上によれば,E及びFらが,Aに対し,徒手格闘訓練の目的を逸脱した有形力の行使を故意に加えたことを認めることはできない。
3 争点(2)(原告らの損害の有無及び額)について
(1) Aの損害
ア Aの逸失利益
前記前提となる事実(1)及び(3),甲2及び弁論の全趣旨によれば,A(死亡時20歳,男性,独身)は,本件事故で死亡しなければ,67歳までの期間中,平均して少なくとも,賃金センサス平成23年第1巻第1表,産業計,男性,高校卒,全年齢の平均年収額である458万8900円の収入を得られたものと推認することができるから,この基礎収入に,生活費控除率50パーセントを乗じ,さらに,ライプニッツ方式により中間利息を控除した4125万6505円をもって,本件事故との相当因果関係のあるAの逸失利益と認めるのが相当である。
(計算式) 458万8900円(基礎収入)×0.5(1-0.5(生活費控除率))×17.9810(47年間に対応するライプニッツ係数)
イ Aの慰謝料
Aの年齢,本件事故の態様その他諸般の事情に照らすと,Aの死亡慰謝料は2000万円とするのが相当である。
ウ 相続
原告らは,Aの父及び母として,Aの逸失利益及び慰謝料合計額6125万6505円の2分の1である3062万8252円の損害賠償請求権をそれぞれ相続した。
(2) 原告ら固有の慰謝料
Aの年齢,本件事故の態様その他諸般の事情に照らすと,原告ら固有の慰謝料はそれぞれ200万円とするのが相当である。
なお,原告らは,慰謝料の増額事由として,Eらが,意識を失ったAを脳外科手術ができない自衛隊札幌病院に搬送したことにより,適切な治療を受ける機会が失われたなどと主張するが,前記1(4)アのとおり,自衛隊札幌病院の脳神経外科医は,Aに対する診断の結果,同病院の手術能力では対応し難いと判断して,中村記念病院に転院させることとしたのであって,自衛隊札幌病院がおよそ脳外科手術を行うことができないなどという事実は認められない上,同病院は本件事故の現場の近傍(約2.8キロメートル)に所在していることが認められる(乙13,弁論の全趣旨)ことを踏まえれば,Aの救護に関わった自衛隊員らが,Aを同病院に搬送したことに特段不合理な点はなく,この点を慰謝料の増額事由をして評価することはできない。また,原告らは,本件連隊報告書によると,Dが原告Bに連絡を取ったの平成18年11月21日午後4時25分とされているが,実際には同日午後2時30分頃であるから,本件連隊報告書は虚偽の内容を含んでいるなどと主張し,原告Bの陳述書(甲101)には,同日午後2時30分頃,Dから電話で,Aが訓練中に事件に遭ったこと,頭を打って病院に搬送されたこと及び意識不明で重篤な状態であることを告げられた旨の記載がある。しかしながら,札幌自衛隊病院の外来診療録(甲24の3丁目)によれば,Aが同病院に搬送されたのは,同日午後3時18分頃であると認められるのであるから,Dが,同日午後2時30分頃に,原告Bに対し,病院に搬送されて,意識不明で重篤な状態であるなどと告げたとは考え難く,本件連隊報告書に虚偽の内容があるとは認められない。
(3) 損害の填補
原告らが,被告から遺族補償一時金として,それぞれ315万0500円の支払を受けたことに争いがないから,損害額(Aの逸失利益)からこれを控除する。
(4) 前記(1)ないし(3)の合計
前記(1)ないし(3)の認定を前提として,原告らが相続した損害賠償請求権の額(各3062万8252円)に原告らの固有の慰謝料(各200万円)を加え,既に損害の填補として支払われた金額(各315万0500円)を控除すると,原告らの損害賠償請求権の合計額は,それぞれ2947万7752円となる。
なお,被告に原告らに対する債務不履行に基づく損害賠償責任があるとしても,原告らの同請求権の額が上記認定を上回ることはないと解される。
(5) 弁護士費用
本件訴訟の難易,経緯,認容額等を斟酌すると,本件事故と相当因果関係のある弁護士費用は,原告らそれぞれにつき300万円とするのが相当である。
4 争点(3)(国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求に係る消滅時効の成否)について
被告は,原告らは,平成18年11月22日及び同月27日の時点で,Dから本件事故の状況について説明を受けているから,損害及び加害者を知ったなどと主張するが,国家賠償法1条1項に基づく請求において適用される民法724条前段にいう「損害及び加害者を知りたる時」とは,単に損害を知るに止まらず,加害行為が不法行為であることも併せ知ることを要すると解されるところ,証拠(甲6の2)からは,Dがどのような説明をしたかが判然とせず,Dの説明の時点で,原告らが,加害行為が不法行為であることを知ったということはできない。また,被告は,原告らが,同年12月頃に,本件手紙によって,本件訓練の状況等の細部を知ったなどと主張する。確かに,証拠(甲1,6の1・2,7,8,13)によれば,本件手紙は,平成20年8月頃に原告らが入手した本件委員会報告書,本件連隊報告書及び公務災害発生報告書等と概ね同様の内容であるものの,本件委員会報告書等では,Aの受け身の習熟度が低いものであったことが指摘されているのに対し,本件手紙には,前記2で認定判断したEの注意義務違反の前提となるAの受け身の習熟度の低さを窺わせる記載がないことが認められるから,原告らが本件手紙によって,加害行為が不法行為であることを知ったということはできない。
そうすると,原告らが,損害及び加害者を知ったのは,早くとも本件委員会報告書等を入手した平成20年8月頃であるというべきであり,本件訴えを提起した平成22年8月3日の時点では,消滅時効が完成していたということはできない。
5 結論
以上によれば,原告らの請求は,被告に対し,国家賠償法1条1項の損害賠償請求権に基づき,それぞれ3247万7752円及びこれに対するAが本件事故(不法行為)により死亡した日である平成18年11月22日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余は,債務不履行に基づく損害賠償請求を含めて,いずれも理由がないからこれを棄却することとして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 石橋俊一 裁判官 松本真 裁判官 舘洋一郎)