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札幌地方裁判所 平成25年(わ)430号 判決 2016年10月14日

主文

被告人は無罪。

理由

第1本件公訴事実及び争点等

1  本件公訴事実

本件公訴事実の要旨は,「被告人は,札幌市<以下省略>所在の認知症対応型共同生活介護事業所『グループホームa』(以下『a施設』という。)の事業者である有限会社bの代表取締役として,a施設の運営等業務全般を統括するとともに,防火対象物であるa施設の建物(木造亜鉛メッキ鋼板葺2階建,床面積合計248.43平方メートル)について管理する権原を有し,同建物の設備等の設置,維持及び防火管理業務に従事していたものであるが,a施設を運営するにあたり,a施設には暖房のために1階居間兼食堂に放射熱によってその上面や前面等が高温となる床暖房の機能を備えた半密閉式石油ストーブが設置され,冬期間は,これを点火した状態で昼夜利用していた上,認知症高齢者であるa施設の入居者合計9名の中には,火の危険性を十分に認識しないまま,点火した状態の同石油ストーブの上面等に可燃物を置くなどの火災の原因となる危険な行動をとりかねない者がおり,入居者の生命,身体に火災による危害が及ぶおそれがあったのであるから,他の入居者の介護等のため,同居間兼食堂に居続けることができなくなる従業者が1名となる夜間及び深夜の勤務時に,同石油ストーブを点火した状態のまま同居間兼食堂で,火災の原因となる危険な行動をとりかねない入居者を寝起きなどさせ続けないようにするか,同居間兼食堂で,火災の原因となる危険な行動をとりかねない入居者を寝起きなどさせ続けなければならないのであれば,入居者の行動を厳に監督できる体制を構築するか,あらかじめ,ストーブの上面等に可燃物を置いても火災の原因とならないように放射熱によって上面等が高温とならないストーブと交換し,あるいは,前記石油ストーブの上面等に直接可燃物を置けないようにストーブガードを設置するなどの適切な措置を講じ,火災の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに,これを怠り,夜間及び深夜に勤務する従業者が1名であることから,他の入居者の介護等のため,同居間兼食堂に居続けることができなくなる体制で,入居者の行動を厳に監督できる体制を構築することなく,同石油ストーブをその上面等に可燃物を置いても火災発生の原因とならないようなストーブに交換せず,かつ,前記ストーブガードを設置するなどの適切な措置を講じないまま,平成21年11月18日頃から,前記石油ストーブを点火した状態のまま同居間兼食堂で,火災の原因となる危険な行動をとりかねない入居者C(当時89歳)を寝起きなどさせ続けた過失により,同人をして,平成22年3月13日午前2時15分頃,同石油ストーブの上面に着ていたパジャマなどの衣類を置くなどさせて,これを燃え上がらせ,その火を周囲の壁や床等に燃え移らせて,同建物を全焼させ,よって,その頃,同建物内において,a施設の入居者である前記Cら7名をいずれも焼死させた」というものである。

2  争点等

本件は,公判前整理手続において争点等の整理が行われた結果,被告人が有限会社bの代表取締役として,a施設の運営等業務全般を統括するとともに,防火対象物であるa施設の建物について管理する権原を有し,同建物の設備等の設置,維持及び防火管理業務に従事していたものであり,条理上,被告人は,この建物に出入りし,勤務し,又は居住する者の生命,身体の安全を確保すべく,同建物において火災等が起きないように未然にその発生を防止すべき防火管理上の注意義務を負っていた点については争いがないが,本件の争点は,Cが公訴事実記載のように半密閉式石油ストーブ(以下「本件ストーブ」という。)の上面に着ていたパジャマなどの衣類を置くなどして,これを燃え上がらせたことが本件火災の発生原因として認められるかどうかという点のほか,本件火災発生の予見可能性,予見義務違反及び回避可能性,結果回避義務違反の有無や,本件火災当時の夜勤従業員の行動が不適切であったかどうか,の諸点にあるとされた(なお,検察官立証終了後,弁護人が主張立証内容の追加を申し出たことなどを受け,期日間整理手続に付されて若干の主張整理が行われている。)。

当裁判所は,本件火災の発生原因が検察官主張のとおりのものであったと認めることはできず,その結果,本件公訴事実に従って被告人を有罪と認定することはできないと判断した。以下,その理由を説明する。

第2前提となる事実関係

関係証拠から認められる前提となる事実関係は,以下のとおりである。

1  a施設及びその建物の概況等

a施設は,介護保険法等に基づく指定認知症対応型共同生活介護事業所であり,認知症の要介護者のための共同生活住居(グループホーム)として,入浴,排せつ,食事等の介護その他の日常生活上の世話及び機能訓練が行われていた。その共同生活介護事業に係るa施設の建物(以下「本件建物」という。)は木造2階建てで,1階中央からやや西側の位置に公訴事実記載の居間兼食堂(南北の長さ6m余り,東西の長さ4m余り)があり,その部分の天井は2階まで吹き抜けとなっていた(甲5,甲8現場見取図第5図〔添付別紙1参照※省略〕等)。本件建物には,認知症の高齢者9名が1階及び2階の各居室に入居していたが,本件火災当時は,そのうち8名の入居者(1名を除き本件火災により死亡)と夜勤従業員1名が本件建物内にいた。

本件ストーブ(幅約70㎝,奥行き約33㎝,高さ約60㎝)は,居間兼食堂の西側壁面から約10㎝,北側壁面から約127㎝ないし約132㎝の位置に東向きに設置され(甲8現場見取図第28図),本件ストーブの南側約120㎝ないし約125㎝の位置には簡易ベッド1台(幅約90㎝,長さ約201㎝)が西側壁面に沿って置かれており(甲8現場見取図第25図〔添付別紙2参照※省略〕),平成21年11月以降,入居者のうちCが就寝時にこれを使用していた。本件当日,本件ストーブの近くには物干し台2台が置かれ,多くの洗濯物が干されていた。

2  本件ストーブの設置状況,仕様等について

本件ストーブは,株式会社c製の床暖房用半密閉式石油ストーブ(型式<省略>。平成11年冬販売)である(甲11等)。本件ストーブの最上部には,内部の灯油燃焼に伴う熱を室内に放熱する放熱器があり,その上面外側には,放熱器に物が直接触れることを防止するために,金属製の棒が格子状に縦横に組まれた部品(上面ガード)が取り付けられていた(甲8写真131,甲9写真9等)。本件ストーブには,前方から内部に直接物が触れることを防ぐために前面ガードが取り付けられ(甲9写真10),本件ストーブのそれとほぼ同じ高さのストーブガード(スチール製の網及び柵)が,正面と両側面を「コ」の字型で囲う形で配置されていた(甲8写真128,甲9写真2)。なお,排気のための煙突が放熱器上部の接続口から上方に約116㎝延び,そこから水平に約190㎝延びて居間兼食堂の壁面の排気口に接続されていた(甲8写真143)。

本件ストーブの火力調節については,手動で火力の大小(微少,小,中,大)を選んで調節する手動運転設定と,ルームサーモの温度感知機能によって設定室温等に応じ最小1から最大6までの間で自動的に火力が調節される自動運転設定があるところ,自動運転に設定されていると,実際の室温が設定室温より3度以上低い場合には最大の火力で燃焼する仕様となっていた(甲11等)。

第3本件火災発生時の状況に関する目撃供述等について

1  本件火災の発生状況については,当時本件建物で1人夜勤業務に当たっていた従業員Eの当公判廷における目撃供述等が存する。検察官は,その供述等を主要な根拠の1つに挙げて,本件火災は,Cが平成22年3月13日午前2時15分頃,本件ストーブの天板の上にCが脱いだパジャマあるいは物干し台に干された衣類又はその双方を置いた結果,衣類に着火したことが原因で発生したと認められる旨主張するので,以下検討する。

2  Eの公判供述の内容(要旨)

Eは,当公判廷において,本件火災発生とその前後の状況について,要旨以下のように供述している。

Eは,平成22年3月12日午後7時頃以降本件建物で1人夜勤業務に従事し,居間兼食堂の西側居室(F居室)及び同北西側居室(G居室)から物干し台を各1台ずつ移動させ,本件ストーブの近くの位置(北側及び南東側の位置)に置き,これらにびっしりと洗濯物を掛けた状態で干していた。翌13日午前1時半ないし午前2時前頃,Cが寝ているのを確認して居間兼食堂を離れ,1階南東側居室でHのおむつを交換し,10分ないし15分程度かけてこれを終え,次いで,同北東角居室でIのおむつを交換し,15分ないし20分程度かけてこれを終えた。1階廊下を居間兼食堂の方向(西方向)に進んで手前の台所に入り,すぐ横(居間兼食堂側)を見ると,本件ストーブの鉄板の上の部分から火が上がっているのが見えた。炎は,本件ストーブと煙突との間の中くらい又はそれ以上くらいの高さに達していた。このとき,パジャマ上下を着ていたはずのCが,ももひきと肌着の長袖シャツ姿で,本件ストーブの前にその方を向いて立っているのが目に映った。Cのところに駆け寄って「どうしたの」と声を掛けたが,Cはうつろな目をし無表情に近い状態でいて返答はなかった。本件ストーブ南東側の物干し台と簡易ベッドとの間くらいに,少なくとも3つくらいの火の粉,あるいは火の粉のようなものがぼわっと5㎝程度の高さに上がっていたので,簡易ベッドの布団を引っ張り,手でたたいたり足で踏んだりしてこれを消そうとした。台所にあった消火器を手に取り,本件ストーブに近付いてその火を消そうとしたところ,その頃正気に戻った様子のCが「うわあ,あっちい」と言って少し横に移動したのを見た。その後,居間兼食堂の窓を開けようとしたができず,煙の中1階をはうようにして移動し,南東側居室(H居室)の窓から外へ出て,119番通報をした後救急隊員に救護された。

3  E供述の信用性について

(1)  本件ストーブからの出火状況やその際のCの様子に関するE供述は,印象にとどまりやすい事柄について臨場感をもって述べられたもので,内容の一貫性もあるといえる。しかしながら,Eは,当時明かりが消えた状態の居間兼食堂で,そのような状況に接して大きく驚き動揺する中ごく短時間これらを目にしたにとどまる上,本件火災発生に先立つ夜勤業務中の行動経過に関する部分を含め,全体として,その供述には有力な裏付けがあるわけではない。E供述のこのような性質からすると,その信用性については慎重に検討すべきものであり,更に弁護人の指摘をも踏まえ検討すると,以下のような事情を指摘することができる。

(2)  本件当時のCの障害及び身体機能等の状況について

ア 関係証拠によれば,Cは,多発性脳梗塞を原因とする脳血管性認知症が徐々に悪化していた上,閉塞性動脈硬化症の影響で足指は壊疽症状を呈し,従前からの水虫や巻き爪による足爪の変形・剥離もあって,それらの痛みから通常どおり足を床について歩行することが困難な状態となり,また,平成22年1月下旪ないし2月中旪には腰椎圧迫骨折を負って腰痛を持つようになっていたことが認められる(甲21,22等)。定期的にCの訪問診療を担当していた医師らは,公判廷で,本件当時の頃のCの身体機能につき,大要,介助を得たり手すりにつかまったりすることなく,1人で自力で歩行することや立位を保つことは不可能であったと思う旨述べ,Eを除くa施設の元従業員らの多くも,Cの介護等に当たった経験を基に,ごく短時間の場合を除き1人での自力歩行や立位保持は困難であった旨の供述をしている。このようなCの障害や当時日常的に見られた身体機能等の状況を前提とすると,その歩行・立位保持能力は日によって差異があったと認められるものの,Cが簡易ベッドから本件ストーブ前まで1人で自力で歩いて移動した上,立った状態でいたというのは,そのことが不可能であったとまではいえないものの,それなりに困難を伴う行動であって,日常的に優に想定されるような事態ではなかったと認められる。

イ この点,E供述や同人立会いによる出火目撃状況の再現捜査の結果(甲85,86)等による限り,本件ストーブと簡易ベッドの近くには物干し台があったとされるが,床に固定設置されていたようなものではなく,Cがこれにつかまって体重を支えつつ移動するに堪えるものであったかどうかは判然としない(むしろ,Cが簡易ベッドから本件ストーブの前まで移動しようとすると,上記物干し台はその障害となる位置にあったものと認められる。)。また,簡易ベッドの北東側にはテーブル(幅約149㎝,奥行き約94㎝)があったともされるが,Eの再現を前提としても,そのテーブルの位置等からすると,Cにおいて,当該テーブルにつかまって簡易ベッドから本件ストーブ前まで無理なく移動できたかも定かではない。さらには,Cの遺体は居間兼食堂東隣の台所内で発見されたことが認められるが,Cがそこに移動した状況はおよそ明らかではなく,1人で自力歩行したのではなく,はうなどして移動した可能性があるから,当時Cが1人で自力歩行して本件ストーブの前に移動し,立位を保つことができたとする証左にはならない。

なお,検察官は,介護記録(甲79添付)に,本件火災発生前1か月以内の時期において,Cが自力で立ち上がり,又は歩行したとの記載が少なからず存在することを指摘するが,これらの記載は非常に断片的なもので,そこからCの挙動,動作が個々具体的にどのようなものであったかをうかがうことはできない。そもそも,これらの記載をした元従業員本人らが出廷してより詳細にその点を供述しているのであるから,Cの歩行・立位保持の状況については,これらの公判供述に依拠して認定判断すべきものと考えられる。検察官のその指摘は採用できない。

(3)  本件ストーブの出火に伴って想定される煙等の発生等について

関係証拠によれば,本件建物1階には9か所に火災警報器が設置されており,居間兼食堂付近のものとしては,台所天井には熱感知式火災警報器が,南西角居室(F居室)及び北西角居室(G居室)の天井には煙感知式火災警報器が各々取り付けられていたこと(弁2等),本件建物ではシーズー犬が飼育され,居間兼食堂に犬小屋(ハウス)が置かれていたことが認められる(Eは,本件火災が発生した頃その犬はハウスで眠っていた旨供述している。)。本件建物の火災警報器については,本件後に押収された煙感知式のもの3台に関する動作確認結果(弁11等)によっても,また,平成21年10月ないしは11月の時期に点検等に当たった設備会社担当者の供述によっても,警報機能に不具合があったとは想定し難い(被告人は,公判廷で,本件当日午前6時45分頃に本件建物に到着して中に入った際,複数の火災警報器が鳴っていた旨述べている。)。にもかかわらず,Eの供述による限り,本件火災が発生した頃,おむつ交換のために1階東側の各居室の辺りにいて,火災警報器の警報音や犬の鳴き声その他の反応はもとより,火災の発生に伴う明かり,臭いや煙,音などのいずれにも気付くことがなかったというのであって,この点もやや不可解である(なお,元従業員の1人は,検察官の取調べに対し,夜勤の際H又はIの居室にいても,居間兼食堂のドアを開けっ放しにしていたので,同所からの物音は聞こえたし,人が動く気配も分かった旨述べている。甲17)。

(4)  本件当日にEが仮眠を取っていた疑いがあるとの弁護人主張について

弁護人は,本件火災が発生した当時,Eが1階東側洋室(J居室のうち北側の一室)で仮眠を取っていた疑いがある旨強く主張する。

そこで検討すると,関係証拠によれば,本件火災鎮火後の時点では同室の押し入れの戸が開放され,ベッド上に畳まれていない毛布が乱雑に置かれていたことが認められる(甲8写真211ないし213)が,元従業員のKほか2名の供述等によると,本件前日の平成22年3月12日(金曜日)午後6時半頃までの時点では,ふだんどおり押し入れの戸は閉まっており,ベッド上にも毛布はなかったこと,週末はほとんど家族と外泊していたJは,本件前日も夕方頃以降同室を不在にしていたことが認められる。また,元従業員の中には,夜勤業務中のEが深夜本件ストーブの前でどこからか持ってきた毛布をかぶって30分程度横になっていたのを見た,Jが外泊しているときはJの居室で寝ている旨言うのを聞いたことがあった旨述べる者や,Eが,居間兼食堂のソファで,Jの居室から持ってきたと思われる毛布か布団かを掛けて1時間程度目を閉じていたのを見た旨述べる者がある。そのほか,Eの公判供述をみると,検察官の主尋問に対しては,本件の前日及び当日に行った夜勤業務の内容をかなり具体的に述べる一方で仮眠の点はおよそ供述しなかったのに,弁護人の反対尋問では,本件の前日午後9時以降の時間帯にJの居室のベッドで横になって休憩した旨警察官調書で録取されていることを指摘されて,休んだ場所が居間兼食堂かJの居室であったかははっきりしないものの,その録取内容に間違いはない旨認めるに至っている。

こうしてみると,Eは,本件の前日又は当日の夜勤業務中にJの居室等で仮眠を取ったことがあったものと推認され,また,その時間帯は明らかではなく,これが本件当日の深夜であったという疑いにも理由があるというべきである。そして,その仮眠の時間帯が本件火災発生の頃であったとすると,Eにおいて,本件ストーブの出火に伴って想定される煙の発生等のいずれにも気付かなかったこと(前記(4))も無理なく説明し得るのであり,以上のような点は,仮眠の点に関する供述の不安定さとあいまって,夜勤業務中の行動経過に関するE供述の信用性に疑問を抱かせる事情であると認められる。

(5)  本件前日のEの言動について

そのほか,関係証拠によれば,Eは,本件の前日午後,本件建物を訪問し入居者のバイタルチェックをしていた看護師に対し,いらいらした様子で「早くやってよ」と繰り返し言い,あるいは,その日の夜,他の従業員に「誰も私の言うことを聞いてくれない」「私はこんなにこうしてるのに誰も何もしてくれない」といった内容のメールを幾度も送信するなど,精神状態の不安定さをうかがわせる言動をしていたことが認められる。これまで検討してきたところと併せ考えると,E供述の信用性評価に当たっては,このような点も無視し難いというべきである。

(6)  以上によれば,E供述のうち,本件ストーブからの出火状況やその際のCの様子を目撃したとする部分については,臨場感,一貫性などを備えたものとなっているが,その反面,的確な裏付けがあるわけではなく,Cの障害及び身体機能等の状況からすると,幾分不自然さも否定できない(前記(2))ところである。また,本件火災発生に先立つ夜勤業務中の行動経過に関する部分については,それにも増して,裏付けが存しない上にむしろ信用性に疑いを容れるべき事情がみられるのであって(前記(3)(4)),その信用性評価は更に慎重に行う必要があるというべきである。

4  本件火災の発生原因に関するEの申告内容等について

(1)  ところで,Eは,救護に当たった救急隊員に対し,かなり興奮した様子で,おしめを交換しているときに認知症の入居者がストーブに洗濯物を掛けていたと申告しており,また,捜査段階では,警察官に対し,直接は見ていないがCがパジャマを脱いで本件ストーブ上に置いたと思う旨の説明をしていたことも認められる。

(2)  しかしながら,まずEは,自認するとおり,本件ストーブの上に物を置くといったCの挙動を現認したわけではないし,当時本件ストーブの天板で燃えている物があったか否かは分からなかったとも述べているのであって,そうであってみれば,Cが本件ストーブの上に洗濯物又はパジャマを置いたというのは,Cが着ていたはずのパジャマ上下を脱いだ状態で本件ストーブ前に立っていたことや,本件ストーブの近くに洗濯物が干してあったことなどから導かれた推論の域を出るものではない。そして,このうち,Cが着ていたパジャマを本件ストーブの上に置いたという点についていえば,複数の元従業員が,本件と比較的近い時期に,Cが簡易ベッドでパジャマ等を脱ぎ,簡易ベッドの上や周辺の床にこれらが置かれているのを目撃している上,Eにおいても結局は,Cのパジャマが当時簡易ベッド上やその周辺にあった可能性も否定し切れないという趣旨の供述をしている。これらによると,Eが本件火災の発生を目撃したとする当時,Cがパジャマ上下を身に着けていなかったとしても,そのパジャマは簡易ベッドに近い位置にあった可能性も相当程度残ることになり,同時に,これが本件ストーブの上やその周辺にあったとみるのは根拠に乏しいこととなる。そのほか,救護された当時Eが並々ならぬ緊張,恐怖を感じ冷静を欠いた心理状態にあったと認められることにも鑑みると,本件火災の発生原因に関するEの申告内容それ自体に信ぴょう性を認めるのは困難というべきである。

この点,検察官は,Eは重傷を負い間もなく意識を喪失するという状態で救急隊員に必死に状況を伝えていたのであるから,虚偽を述べるはずがない旨指摘するが,Eが殊更虚偽の申告をしたとは認め難いにしても,先にみたところによると,意図的ではないにせよ,本件火災の発生原因につき考えるなどしたところを根拠に乏しいまま申告したという疑いが払拭できない。検察官の指摘は失当である。

(3)  そうすると,本件火災の発生原因に関するEの申告内容等の信ぴょう性は低いというほかない。

5  小括

検察官がその主張の根拠として挙げるE供述等には,これまで検討した限りでも,種々の問題があると認められる。以下では,本件火災の発生原因について,検察官が挙げるその他の主要な根拠について検討し,それらを踏まえ,必要に応じてE供述の信用性につき更に検討を加えることとする。

第4警察官実施に係る燃焼実験の結果について

1  検察官は,Cが本件ストーブの天板の上に衣類を載せた結果これに着火したことが本件火災の発生原因であることは,警察官が実施した燃焼状況の再現実験(以下「本件燃焼実験」という。甲57)の結果からも裏付けられている旨主張するので,この実験結果の証拠価値について検討する。

2  本件燃焼実験の概要等

本件燃焼実験は,半密閉式石油ストーブの上に衣類を載せた場合の衣類の燃焼状況などを明らかにする目的で,本件建物の居間兼食堂内の床,壁や本件ストーブの設置状況等を相応に忠実に再現し,本件ストーブと型式等は異なるものの,同じ会社製造に係る半密閉式石油ストーブで,点火方式,使用燃料,発熱量及び熱効率など主要な仕様が同一ないしは類似のものを用い,手動運転の火力「大」(最大火力)に設定し,そのストーブに綿製の紳士用パジャマ,紳士用長袖シャツ(肌着)といった衣類などを場所等を変えるなどしながら配置して,発火等の状況を見分するというものである。

そのうち,ストーブの熱による衣類の発火・燃焼の状況に関する実験結果をやや詳しくみると,以下のとおりである。1回目の実験では,ストーブ(天板部の温度〔火力「大」の状態で燃焼を継続させ,当該部分の温度が一定になった段階でこれを測定したもの。以下同じ〕409度,上面ガード温度190度)の上面ガード上に肌着1枚を無造作に置いたところ,開始後40秒で衣類から煙が出始め,54秒で衣類が発火し,1分で炎の高さが約20㎝に,2分で約30㎝(火炎最盛)に達するもおおむね3分経過以降は炎の勢いが弱まっていった。2回目の実験では,ストーブ(天板部温度419度,上面ガード温度195度)の上面ガード上の全体を覆うように紳士用パジャマ上下1組を無造作に載せたところ,開始後45秒で衣類から煙が出始め,1分46秒で衣類が発火し,2分で炎の高さが約40㎝に,3分で約50㎝(火炎最盛)に達するもおおむね4分経過後は炎の勢いが弱まっていった。3回目の実験では,ストーブ(天板部温度418度,上面ガード温度195度)の上面ガード上に紳士用パジャマ上下1組及び肌着5枚を無造作に載せたところ,開始後1分で衣類から煙が出始め,3分16秒で衣類が発火し,4分で衣類全体が急速に炎に包まれ,5分で炎の高さが約60㎝(火炎最盛)に達するも,おおむね7分経過以降は衣類の燃焼進行に伴い炎の勢いが弱まっていった。4回目の実験では,ストーブガードの前面に紳士用パジャマ上衣を広げた状態で掛けて置いたところ,開始後10秒で衣類から白煙が出始め,1分41秒で衣類から発火し,2分で炎が約90㎝(火炎最盛)に達して衣類全体が激しく燃焼し,正面から見た場合ストーブ全体から炎が上がる様相を呈した後,おおむね2分15秒以降は衣類の燃焼進行に伴い炎の勢いが弱まっていった。5回目の実験では,ストーブ(天板部温度410度,上面ガード温度210度)の天板全体を覆うようにストーブガード前面からストーブ本体背面まで紳士用パジャマ上下1組と肌着3枚を平たんに広げて重ねて載せ,衣類の一部がストーブガード前面やストーブ背面に垂れ下がった状態にしたところ,衣類を載せ始めた時点から測って59秒(載せ終わった時点から31秒。以下この項の括弧内の時間は同じ趣旨)で衣類から煙が出始め,1分52秒(1分24秒)で衣類が発火し,4分(3分32秒)で衣類全体が急速に炎に包まれその高さが約80㎝ないし90㎝(火炎最盛)に達して,ストーブ全体から炎が上がっている様相を呈した後,衣類の燃焼進行に伴い徐々に炎の勢いが弱まっていった。

3  本件燃焼実験の証拠価値について

(1)  本件燃焼実験の火力設定の点について

ア 本件燃焼実験は,そのいずれについても,ストーブの火力が手動運転の「大」(最大火力)に設定され実施されたという点で,本件火災発生当時の条件と比較して衣類の発火・燃焼がより進行しやすい条件となっていた疑いがあるといわざるを得ない。

イ すなわち,出廷した本件ストーブの製造会社の品質保証部門担当者の供述等によれば,本件ストーブは自動運転に設定されると,実際の室温が設定室温より3度以上低い場合に最大火力で燃焼する仕様となっていたところ,本件燃焼実験に当たった警察官は,Eの説明に基づき,本件火災当時本件ストーブは自動運転に設定され,その設定温度は23度か24度であり,また,当時の居間兼食堂の室温は20度以下であったと判断し,これらから,本件火災当時本件ストーブは自動運転に設定され最大火力(火力6)で燃焼していたとして,手動運転に設定した上で,もっぱら火力を「大」(自動運転の場合における最大火力に相当)に設定して本件燃焼実験を行った旨述べている。たしかに,複数の元従業員の供述によると,冬季夜間において本件ストーブは自動運転に設定の上設定室温は23度ないし25度程度とされていたものと認めることができる。しかしながら,Eが,本件当時の居間兼食堂の室温は20度以下であったと説明したというのは,警察署の会議室の室温を20度に設定した上,Eをしてその室温を体感させ,それを本件当時の居間兼食堂の室温と比較させたところ,後者の室温は前者のそれより比べものにならないくらい寒かった,夜勤のときはいつも寒くてコートを着ていた旨述べた,というものにすぎない。温度に対する人の感覚は,身に着けていた衣服,その場所にいる時間の長短,体調や活動状況などその時々における諸条件に左右されるものであると考えられるところ,警察官が,このような方法で得たEの説明に依拠して居間兼食堂の当時の室温を先のように判断したというのは,結局,このような諸条件を考慮しないまま,Eの感覚的・主観的な説明のみに基づいて導いた見立てということにならざるを得ないのであり,十分な根拠を伴った合理的な判断とは認められない。

なお,本件燃焼実験に係る実況見分調書(甲57)には,警察官は,火力の微少,小,中,大の別に従いストーブポット部の燃焼強度を撮影した写真をEに示して確認したところ,Eの供述から本件火災直前の火力は「大」と判明したとの記載(添付写真10の説明記載)もある。しかし,その確認状況の詳細は明らかではないし,かえって,本件燃焼実験の約2か月前に作成されたEの警察官調書では,同人の供述として,火事になる前の居間兼食堂のストーブの火力については,そこまで注意して見た覚えもないので,正確なことは言えない旨録取されていることが認められ,やはり警察官の先の判断は合理的なものとはいえない。また,当時本件ストーブが自動運転に設定されていたことを前提にすれば,本件ストーブは,室内温度の変化に応じ自動的に調節されて火力の大きさが変動し得る状態にあったことになるのに,本件燃焼実験においては,手動運転とした上で火力を「大」に固定して燃焼を継続させたというのであるから,そのような意味でも,本件火災発生当時の条件とは乖離があったものと考えられる。さらには,元従業員の多くが,公判廷で,半密閉式石油ストーブ(本件ストーブと同じ製造会社の製品で型式,着火方式等が異なるもの)の燃焼強度別の写真4葉(弁5添付のもの)を示されて冬季夜間の本件ストーブの火力の様子を尋ねられ,「微少」又は「小」の火力の写真がそれに近い旨一様に答えている。このような関係者の供述状況に照らしても,本件燃焼実験の前提条件がそうであったように,本件火災当時本件ストーブが最大火力(火力6)で燃焼していたとみるのが妥当かどうかはかなり疑問とせざるを得ない(これらの各写真が燃焼強度別のストーブの外観をどの程度忠実に再現したものかについては,検察官がいうように不確定な面があるものの,この点に関する元従業員らの供述は,燃焼状況の外観の比較からして,冬季夜間における本件ストーブの燃焼の程度が多くの場合相対的に小さいものであった疑いが大きいことを指し示すものとしては,十分な意味を持つと考えられる。)。

ウ なお,元従業員の1人(L)は,本件ストーブは自動運転に設定され,冬の朝方には日常的に結構大きく燃えていた,反射板が真っ赤になるくらいになっていた旨述べている。しかし,その供述は主に朝方の燃焼状況についてのものであるし,仮にこれを夜間の燃焼状況についての描写を含む趣旨と解したとしても,結局は他の元従業員らの前記供述状況と相容れないということになり,信用できない。また,本件ストーブの製造会社の品質保証部門担当者は,本件ストーブを自動運転に設定した場合,外気の具合や部屋の構造によるものの,冬の寒い夜であれば最大火力で燃焼を継続することもあり得る旨供述するが,それは特定の条件が整った場合における一般的な可能性をいうものにすぎないと解される。反対に,以前に本件建物の改修工事を行った設備会社担当者は,本件ストーブが自動運転に設定の上で設定温度が23度,24度とされている場合,大きな火力で燃焼が継続することは絶対あり得ない旨述べているが,本件ストーブの自動運転機能からすると,むしろこの供述の方が理にかなっており,製造会社担当者が述べる最大火力での燃焼継続の可能性とは,かなり限定的な場合のものではないかと考えられる。少なくとも,製造会社担当者の先の供述は,本件火災発生当時の本件ストーブの火力を推認する決め手となるものではない。

エ 以上によると,本件火災発生当時本件ストーブが自動運転の最大火力(手動運転の「大」相当)の状態で燃焼していたとみるのは無理があるというべきである。したがって,本件燃焼実験は,その火力設定の点で,本件火災発生当時の条件と比較して衣類の発火・燃焼がより進行しやすい条件で実施された疑いが強いというべきである。

(2)  札幌市消防局による燃焼実験の結果等との関係について

また,本件燃焼実験の結果については,札幌市消防局による燃焼実験の結果(甲53)と対比させて検討してみても,証拠価値に疑いが生じる。

すなわち,札幌市消防局が実施した燃焼実験においても,しばらく燃焼させた半密閉式石油ストーブ(本件ストーブと同じ製造会社のもので型式等が異なるもの)を用いて,その前に配置されたストーブガード(最も高温である中部の位置の温度89度)にパジャマを接触させて置き,又は天板(中央部分の上面ガード上の温度226度,放熱器付属の熱交換器上の温度471度)の上に載せるなどして,燃焼状況の見分が行われた。その結果の骨子をみると,実験1では,ストーブガードの中部付近にパジャマ(綿85%とポリエステル15%の混合)を接触させたところ,7秒後に白煙が生じ,5分20秒で黒っぽい煙に変化したが,25分後も炎は生じなかったといい,実験2では,パジャマ(綿100%)をストーブ天板上に載せた(正しくは「上面ガード上に載せた」との趣旨であると認められる。)ところ,30秒後に煙が生じ,3分後に煙の勢いが増し始め,8分35秒後に発火し,9分10秒後に炎の高さが約1mに達し,9分50秒後には炎の勢いが弱まり始めた(10分10秒後には炎の高さが50㎝まで低下した)といい,実験3では,パジャマ(綿50%とポリエステル50%の混合)をストーブ天板上に載せた(前同)ところ,1分後に煙が生じ,5分後には煙の勢いが増し始め,7分54秒後に発火し,8分50秒後に炎の高さが約1mに達し,9分23秒後でも炎の勢いは収まらなかったという。

これら消防局実施の各実験は,実施時の火力が明らかではないが,本件燃焼実験と対比してみると,ストーブガードにパジャマを接触させる方法で行われた実験1では,本件燃焼実験に係る4回目の実験と異なり,相当時間(25分)が経過しても炎は生じなかったという。また,上面ガード上に衣類を接触させる方法で行われた本件燃焼実験に係る1回目ないし3回目の実験を消防局実施の実験2及び3と比較してみると,煙の発生時期に有意の差はないといえるものの,本件燃焼実験の方がそろって一定程度早い時間で衣類の発火に至っていることが明らかであり,その一方で,実験時の上面ガード(上面ガード上)の温度については,消防局実施の実験の方が比較的高いものとなっていることが見て取れる。この点に関しては,北海道警察本部刑事部科学捜査研究所職員が,本件燃焼実験では,衣類が直接放熱器に接触したことによって開始後1分ないし3分という時間経過で発火したと判断される旨の見解を表している(弁35。同職員は,併せて,衣類が直接放熱器に触れず上面ガードのみに接触した場合に発火するか否かにつき,衣類の載せ方によってはその可能性があるものの,衣類の加熱・放熱の量を左右する衣類とストーブ上面との位置関係が不明であるため,実験を行わなければ分からない旨述べるにとどまっている。)。この見解によると,本件燃焼実験は,衣類が直接放熱器に接触した状態で実施された可能性が高いこととなり,換言すると,衣類が直接放熱器に接触することなく上面ガード付近の位置にとどまってストーブの熱が加えられたような場合には,その実験結果に現れたような短い時間経過で発火に至るかどうかは明らかでないことになる(なお,弁護人は,本件燃焼実験では,実施担当者が意図して衣類をストーブの高温部に接触させた旨指摘しているところ,そのような意図を積極的に示す証跡があるとはいえないものの,上面ガードの上に置かれた肌着やパジャマが,そのようにして行われた4回にわたる実験を通じて,上面ガードの縦横に組まれた金属製の棒の隙間を抜けて直接放熱器に接触することになるとは通常考え難いのであって,弁護人がこのような指摘をするのも無理からぬことではないかと考えられる。)。

このように,本件燃焼実験の結果を消防局実施の燃焼実験結果と対比して検討すると,この種のストーブの上に衣類を置いた場合に,本件燃焼実験に現れたような短い時間経過で衣類が発火することがどの程度確実,あるいは一般的といえるかについては,疑問が残るといわざるを得ない。

4  小括

以上によれば,警察官実施の本件燃焼実験については,本件火災発生当時の状況よりも衣類の発火・燃焼が進行しやすい条件で実施された疑いが強いなど,その信ぴょう性には少なからず疑問が残り,検察官がいうような裏付けとしての証拠価値は大きいものではないと認められる。

第5本件ストーブの上面ガードに凝固物が付着していたことについて

1  検察官は,Cが本件ストーブ上に載せた衣類に着火したことが本件火災の発生原因である旨主張する根拠として,本件ストーブの天板(正しくは,上面ガードを指すものと解される。甲9写真9参照)に布片が付着していたことをも挙げている。たしかに,押収された本件ストーブの上面ガードには,熱変色した金属製の棒にからまるように灰色の凝固物が付着しており,前記科学捜査研究所の鑑定の結果,その素材は不明であるが,微細な炭化した布片の混在が認められ,同布片にはわずかに繊維の織り目が確認できるとされたことが認められる(弁12)。

2  しかし,Cが本件火災当時着ていたと目されるパジャマの繊維の織り目は,同布片のそれと織り方が異なることが判明しているから,Cが本件ストーブの上に置いたとする衣類が,同人が着ていたパジャマであるとする検察官の主張が裏付けられているわけではない(また,物干し台に干されていた衣類については,繊維分析等が行われていない。)。そもそも,前記付着物に混在していた布片は微細なものであったというところ,前記付着物の成分等は明らかでない上,鎮火後本件ストーブの天板上には,破砕した石膏ボード,炭化した木片など,激しい火勢等の中で本件建物の他の箇所から落下又は飛来したことが想定される相当量の残焼物が堆積していた(甲8写真128ないし130)ことからすると,前記付着物が本件火災発生当時から上面ガード上に存在していたと認めること自体確かなのかどうか疑問が残るのであって,これが上面ガードに付着していたことに,上記検察官主張の裏付けとして有力な意味があるとみるのは困難である。

なお,本件ストーブの天板上に堆積していた相当量の残焼物からは,14点の繊維状の物が収集され,その一部の形状は綿繊維の特徴を有するとされているが(弁13),Cが着ていたと目されるパジャマや物干し台に干されていた衣類と,繊維の形状等が一致ないし符合するといった証拠があるわけではない上,これら残焼物も本件建物のどの箇所に由来するものかは判然としないのであって,やはり裏付けとしての意味は乏しい。

3  以上からすると,本件ストーブの上面ガードに凝固物が付着していたという点も,検察官主張の裏付けとしての意味は小さいというべきである。

第6本件火災の発生原因に関する総合的検討

1  総論

以上のとおり,本件火災の発生原因に関する検察官主張については,Eがこれを救急隊員に申告するなどした内容は信ぴょう性が低いと認めざるを得ない(第3の4)。そして,その主張を裏付けるものとして挙げられている本件燃焼実験の証拠価値も乏しく(第4),かつ,本件ストーブに布片が混在した凝固物が付着していたという事実にも大きな意味は認められない(第5)。したがって,これらを根拠として,検察官主張に係る本件火災の発生原因を認定することはできない。

そこで,Eの公判供述(第3の2)やそれにより認められる事実関係から,本件火災の発生原因を検察官主張のようなものと認定することができるかについて検討するに,E供述のうち,本件ストーブからの出火状況やその際のCの様子を目撃したとする部分は,先に検討したとおり,Cの障害及び身体機能等の状況からすると不自然さも否定できないところである(第3の3(2))が,仮に,その供述部分の信用性を肯定しても,Cが本件ストーブ上に置いた衣類に着火したことが本件火災の発生原因である旨推認するのは困難というべきである。以下,若干補足して説明する。

2  検討

(1)ア  本件ストーブからの出火状況やその際のCの様子を目撃したとするE供述から,先のような推認をするには,Cの身体の状況等を考慮に入れると,Cが本件ストーブ上に衣類を置いてからEが本件ストーブからの出火状況を目撃するまでの時間経過がそれなりに短いものであったことが重要な条件になると考えられる。この点,Eは,本件ストーブからの出火の様子を初めて目にした際の状況について,炎は,本件ストーブと煙突との間の中くらい又はそれ以上くらいの高さに達していた旨供述しており,本件ストーブの煙突の接続状況(第2の2)からすると,当時炎の高さは大方約58㎝かそれ以上に達していたものとみられ,これによる限り,少なくとも当時火勢がかなり強いものとなっていたことになる。そうすると,その時点では,出火原因となる出来事が起きてからある程度の時間が経過していた可能性が高いし,少なくともその疑いが否定できないと考えられる。

イ  例えば,本件ストーブの上に衣類が接触したことが本件火災の原因であるとの前提に立ってみると,消防局実施の燃焼実験結果によれば,8分35秒後に発火し,9分10秒後に炎の高さが約1mに達した(実験2)とか,7分54秒後に発火し,8分50秒後に炎の高さが約1mに達した(実験3)など,発火までに約七,八分の時間が経過したというのである。同実験での設定火力は判然としないから,これにそのまま依拠するのは相当ではないにせよ,本件ストーブの上に衣類が接触したことがあったとしても,その時点から発火までの間に限ってもすでに,大方その程度の分単位の時間が経過していた可能性が否定できない(もとより本件燃焼実験ではこれより短い時間で発火に至っているが,その証拠価値が乏しいことは第4の項で検討したとおりである。)。

更に検討すると,消防局実施の燃焼実験結果を本件ストーブの製造会社が実施した実験結果(甲72)と対比してみると,衣類の接触から発火までの時間経過は更に長いものである疑いが生じる。すなわち,同社実施の実験によれば,本件ストーブと同一の燃焼性能を有するとされる半密閉式石油ストーブを,手動運転で各火力に設定し燃焼させたとき,上面ガード中央部の温度は,本件ストーブの火力1に相当する微少火力運転時で97.3度(同部直下の2地点で107.0度,129.1度),火力3に相当する中間火力運転時で154.1度(同じく165.5度,191.5度),火力6に相当する最大火力運転時で215.7度(同じく237.0度,273.1度)であり,放熱器中央部にある燃焼筒蓋表面中心部の凹み部分と取っ手部分の温度は,それぞれ,微少火力運転時で235.5度,210.2度,中間火力運転時で360.6度,312.9度,最大火力運転時で468.4度,401.6度であった。消防局実施の燃焼実験では,上面ガード中央部は226度,放熱器付属の熱交換器上は471度に達していたもので,これは製造会社実施の実験のうち最大火力運転時に計測された各温度に近い値であり,反対に,中間火力運転時の各温度はこれらより目に見えて低いものとなっている。このような計測温度の比較による限り,消防局実施の燃焼実験は,ストーブが最大火力又はそれに近い強い火力で燃焼する状態で行われたものと十分推認することができ,いずれにせよその可能性が否定できないと考えられる。そうすると,本件当時の本件ストーブの火力の大小いかんによっては,衣類の接触から発火までの時間経過は,消防局実施の燃焼実験に現れたそれよりも更に長いものとなる可能性も払拭できないことになる。

ウ  加えて,Eは,本件ストーブ南東側の物干し台と簡易ベッドとの間辺りに3つ程度の「火の粉」又は「火の粉のようなもの」がぼわっと5㎝程度の高さに上っていたなどとも述べている。これによれば,本件ストーブからそれなりに離れた位置の床上でも,すでに小さいながら独立燃焼状態の炎が複数生じていたということになるが,発火後直ちにそのような状況を呈するとは考えにくい。このような点からもやはり,出火原因となる出来事が起きてからEが出火の様子を初めて見たとする時点までにはある程度の時間が経過していた可能性が高いというべきである(検察官は,天板で着火した衣類をCが付近の床上に放り投げた可能性がある旨指摘するが,それを示す積極的な根拠は見当たらないし,Eが,その炎はじゅうたんから上がっている感じで,燃えている物はなかった記憶であると述べていることとも整合しない。)。

(2)  そして,出火原因となる出来事が起きてからEが出火の様子を初めて見たとする時点までに,先のような時間経過があった可能性が高いことに鑑みると,Cにおいて,簡易ベッドから移動して衣類を本件ストーブの上に置き,その前に立っていたというのは,それに応じてより長い時間1人で自力で歩行し,立位を保っていたことを意味するのであって,当時のCの障害及び身体機能等の状況(第3の3(2)に照らすと,一層不自然というべきである。同時に,Eにおいて,火災警報器の警報音や犬の鳴き声などのほか,明かり,臭いや煙など火災発生をうかがわせる異状(同(3))に気付くことができたはずの時間的猶予もより長くなることとなり,本件ストーブからの出火状況を目にする前にそのいずれにも気付かなかったというのは,更に合理的な説明がつきにくいことになるのであって,やはり一層不自然というべきである。

このようなことからすると,E供述のうち,Eが本件ストーブからの出火状況等を目撃したとする部分の信用性を仮に肯定したとしても,出火原因となる出来事が起きてからその目撃時点までに先のような時間が経過していた可能性が高いと認められるから,Cが本件ストーブ上に置いた衣類に着火したことが本件火災の発生原因である旨推認するのは,無理が生じ,困難というべきである(なお,元従業員の1人は,Cがタオルを本件ストーブのストーブガードに掛けたのを1度目撃した旨供述しているが,複数の元従業員が,Cは本件ストーブに当たるのが好きであったものの,その行動に火災発生の危険を感じることはなかった旨おおむね同様に述べていることなどに照らすと,Cにおいて特に,本件ストーブの近くで火災につながるような危険行動に出る傾向があったとも認められないところである。)。

(3)  本件火災発生に先立つ夜勤業務中の行動経過に関するE供述については,全体として,有力な裏付けがあるわけではない上,むしろ信用性に疑いを容れるべき事情があるのは前記のとおりである(前記第3の3(6))。このことに,出火原因となる出来事が起きてからEが出火状況を目撃した時点までに先のようにある程度の時間が経過していた可能性が高く,にもかかわらず,火災発生をうかがわせる異状には気付かなかったという更なる不自然さ(前記(2))を加味すると,その供述部分について信用性を認めるのは特に困難というべきである。そうすると,本件火災の原因となる出来事が起きた頃におけるEの行動,入居者の動静等をその供述に依拠して認定することはできないといわざるを得ない。以上のような証拠の状況を前提とすると,本件火災の原因となる出来事がどのようなものであったかを十分特定することも困難というほかない。

(4)  検察官は,漏電や異常燃焼による出火の可能性はない旨主張するが,本件ストーブの近くには物干し台が2台置かれて多くの洗濯物が干されていたと認められることからすると,そのような状況の下で,本件ストーブの出火原因として想定し得るのはそれらに尽きるものではない。例えば,Cは,居間兼食堂の簡易ベッドで寝起きしており,夜間他の入居者より本件ストーブに近い場所にいたものの,居間兼食堂に隣接した居室の入居者に限っても,南西角居室にはFが,同じく北西角居室にはGが,同じく中央部居室にはMがそれぞれ寝起きしていたのであり(甲7等),FはCよりも要介護度等が進んでいたとみられるので措くとしても,特にMについては,本件ストーブのストーブガードに濡れたタオル(手ぬぐい)を掛けるのを何度か目撃したという元従業員が複数ある(介護記録〔甲20添付〕上は,平成20年12月及び平成21年11月にこれと同旨の記載が存する。)。そのほか,夜勤中おむつ交換のために居間兼食堂を離れた後戻ってくると,どこかから来た入居者がいたことがあった旨述べる者もある。このように,夜勤業務中の行動経過に関するEの供述が先のように信用し難いとすると,C以外の者が,意図的かどうかはともかく火災発生の原因となり得る挙動などに出た可能性も証拠上は排斥できないこととなる。

3  小括

以上によると,Cが本件ストーブ上に置いた衣類に着火したことが本件火災の発生原因であると認めることはできない。

第7結論

本件公訴事実は,本件火災の発生原因は,居間兼食堂で寝起きなどしていたCが本件ストーブの上面に着ていたパジャマなどの衣類を置くなどしたことにあるとの前提に立ち,本件建物の設備等の設置,維持及び防火管理業務に従事していた被告人において,火災の原因となる危険な行動を取りかねない入居者を居間兼食堂で寝起きなどさせ続けないようにするなどの適切な措置を講じ,そのような入居者の行動を原因とする火災の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務を怠ったという点での過失を問う内容となっている。しかしながら,本件火災の発生原因をそのようなものと認定することができないのはこれまで検討してきたとおりであって,そうである以上,先のような過失を問題とする本件公訴事実の下では,犯罪の証明がないこととなる。

そこで,刑訴法336条により被告人に対し無罪の言渡しをすることとして,主文のとおり判決する。

検察官 志村康之 公判出席

(私選弁護人 三木明(主任),同笹森学 公判出席)

(求刑・禁錮2年)

(裁判長裁判官 金子大作 裁判官 坂田正史 裁判官 坂本桃)

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