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札幌地方裁判所 平成25年(ワ)2279号 判決 2016年11月10日

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第1請求

1  被告は,原告Aに対し,600万円及びこれに対する平成24年3月13日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告は,原告Bに対し,200万円及びこれに対する平成24年3月13日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  被告は,原告Cに対し,200万円及びこれに対する平成24年3月13日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

4  被告は,原告Dに対し,200万円及びこれに対する平成24年3月13日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

1  本件は,国土交通省東京航空局(以下「東京航空局」という。)が管轄する丘珠空港事務所(以下,丘珠空港を「本件空港」,丘珠空港事務所を「本件事務所」という。)において先任航空管制運航情報官(以下,航空管制運航情報官のことを「運情官」という。)として勤務していた亡Eが平成24年3月13日に自殺したことについて,同人の相続人である原告らが,同自殺は職場における上司との軋轢等を原因とするものであると主張して,被告に対し,主位的には国家賠償法1条1項に,予備的には民法709条又は債務不履行にそれぞれ基づく損害賠償の一部請求として,被告に対し,亡Eの妻である原告Aが600万円及び亡Eの子であるその余の原告らが各200万円並びにこれらに対する亡Eが死亡した日である同日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による各遅延損害金の支払を求める事案である。

2  前提事実(争いのない事実並びに掲記の証拠〔なお,書証番号については,特に付記しない限り,全ての枝番を含む。〕及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)

(1)  当事者等

亡E(昭和26年4月28日生。死亡時60歳)は,昭和45年10月に旧運輸省(現国土交通省)に入省して以降,平成24年3月13日に死亡するまでの間,国土交通技官として航空保安業務に従事し,平成22年4月からは,本件空港において先任運情官の職に就いていた。

原告Aは亡Eの妻であり,原告B,原告C及び原告Dは,いずれも亡Eの子である。

(2)  本件空港の組織体制

ア 本件空港は,滑走路及び誘導路,エプロン(飛行場の中で,乗員・乗客の乗降,貨物の積卸し,燃料の補給,簡易な点検整備等のために特定された区域をいう。なお,このうち,個別の航空機を駐機させるために特に定められた位置を「スポット」という。),航空保安施設,空港庁舎及び救難照明車車庫,ターミナルビル,格納庫,電源局舎,駐車場,国際航空給油等の施設から構成されている。このうち,本件事務所は,エプロン,格納庫,電源局舎,空港庁舎及び救難照明車車庫,駐車場及び国際航空給油等の施設が所在する本件空港南側一帯を管理している。

イ 本件事務所は,東京航空局管轄の空港事務所であり,空港長をトップとして,管理課及び運情官のそれぞれの組織から構成され,前者は管理課長が,後者は先任運情官が,それぞれ責任者の地位にある。職制上,管理課と運情官は独立した組織であり,本件事務所運情官は,東京航空局保安部運用課(なお,同課は,国土交通省航空局交通管制部運用課の監督を受ける。)の監督を受ける関係にある。

平成23年及び平成24年当時,本件事務所の長である空港長はFが,管理課長はGが,先任運情官は亡Eがそれぞれ務めていた。

(3)  平成23年6月のマーキング作業をめぐるトラブル

ア 平成23年6月7日夜間から翌8日早朝及び同日夜間から翌9日早朝にかけて,本件空港のエプロンのマーキング作業(安全のためにエプロン等の路面に白や黄等の線を引く作業)を実施するため,本件事務所は,同年5月頃,同エプロン内にある機体の所有者等に対し,機体を区域外に移動するよう要請した(以下「本件要請」という。)。

イ ところが,エプロン内の一部の機体が区域外に移動することなく上記マーキング作業が実施されたことから,平成23年6月8日,本件要請に従い所有する機体を区域外に移動させた訴外H会会長のIら空港利用者計4名(以下,同日に本件事務所に来所した4名を「I会長ら4名」という。)が,本件事務所に来所し,エプロン内に残っている機体と移動する機体があり,そのような取扱いの差異は正当性を欠くのではないか,残っている機体はどのように選定されたのか,なぜ一部の団体の機体だけが残っているのか,本件事務所は当該団体から金銭等の供与を受けているのではないかなどとの苦情を申し立てるとともに,作業の実施に関する周知は早く行ってほしい旨要望した。

本件事務所は,I会長ら4名による上記苦情の申入れに対し,F空港長,G課長及び亡Eの3名で対応した。(乙4の1)

(4)  I会長の定置場申請をめぐるトラブル

ア I会長は,平成23年6月8日,上記(3)のイの苦情を申し立てた際,F空港長,G課長及び亡Eに対し,本件空港を定置場(航空機登録の際に,航空機の所有者の申請に従い,当該航空機が定置する場所として航空機登録原簿に登録された場所をいう。航空法5条4号,同7条参照。)とすることの承認申請(以下「定置場申請」という。)をしたいが,本件事務所がこれを許可しないなどと不満を述べた。

これに対し,F空港長らは,「定置場については,上局と対応を協議したい。短時間で解決する問題ではないと思われるが,状況等は可能な限り周知したい。」と回答した(乙4の1)。

イ その後,本件空港においては,定置場申請の処分権者は空港長であるが,その審査は運情官が担当していたことから,I会長の定置場申請への対応は,主として亡Eが行った。なお,亡Eは,平成23年6月9日から同月24日までの間,急性膵炎による入院及び加療を理由として,病気休暇を取得し,同月27日に職場復帰した。

ウ 平成24年3月10日,I会長は,本件空港を定置場とすることの承認申請(以下「本件申請」という。)を行い,F空港長は,同年4月9日付けで一定の条件を付した上でこれを承認した(乙7,8,10)。

(5)  亡Eの自殺

亡Eは,平成24年3月13日,通常どおり自宅を出発した後,本件事務所を無断欠勤した上で,原告A及びG課長に対してそれぞれ宛てた遺書(甲4,5の1)を残し,北海道小樽市内の実家にて自殺した(甲2)。

なお,亡Eは,平成24年3月31日をもって定年退職の予定であった。

3  争点及び争点に関する当事者の主張

(1)  亡Eの自殺に係る被告の安全配慮義務違反の有無(争点1)

(原告らの主張)

ア 亡Eの置かれていた立場及び状況

亡Eは,本件事務所の先任運情官として,運情官のトップではあったが,いわゆる中間管理職にすぎなかった。

イ G課長による干渉

G課長は,職制上の上下関係は存在しないにもかかわらず,亡Eを部下のように取り扱い,亡Eは,G課長に頭が上がらない状態にあった。実際にも,本件事務所では,亡Eは実質的にG課長の決裁を経なければF空港長の判断を受けることができなかった。このように,G課長は,本来の所掌事務の範囲を越えて亡Eの職務に干渉したことから,以下((ア)及び(イ))のとおり,亡Eに心理的負荷を生じさせた。

(ア) 駐機場マーキング作業に関する苦情

亡Eは,実務担当者として,平成23年6月8日のI会長ら4名による駐機場マーキング作業に関する苦情の申入れに関する窓口となって対応した。G課長は,F空港長,G課長及び亡Eが上記苦情に対応する際,同苦情の原因が亡Eの責任であるかのように「Eの連絡ミス」と発言し,亡Eに責任をなすりつけるかの言動をした。

(イ) 定置場申請に関するI会長の苦情

平成24年3月頃,亡Eは,I会長が本件空港を定置場とすることの承認申請(本件申請)をしたところ,同申請の窓口として対応するとともに,本件申請の審査を担当し,同会長に対し,本件申請が承認される見通しであることを伝えた。

しかし,亡Eの予想に反し,G課長が持論を展開するだけで何ら合理的な理由を示すことなく本件申請を許可しなかったため,I会長は当然のように窓口である亡Eに苦情を述べた。

このようなことから,亡Eは,I会長とG課長との間で板挟みとなった。I会長は,本件事務所に対し,翌9日も苦情の電話を行い,亡E自殺後の同月18日には上記苦情に端を発する本件空港の運営の問題について要望書(甲10)を提出するに至っており,このことからも本件申請に関する問題の解決が相当程度困難なものであったことがうかがわれる。

ウ G課長の義務違反行為

G課長は,駐機場マーキング作業に関する苦情への対応の際,亡Eに責任をなすりつけるかの言動をした本人であるから,亡Eの精神障害発症を予見できた。また,亡Eが亡くなるまで定置場申請に関する問題は解決していなかったのであるから,G課長は,この間,亡Eが相当程度の心労を抱えていたことも予見可能であった。

そして,顧客からのクレーム対応を行う立場にある者に対し,上司が顧客からのクレームを知りつつ,当該クレームの責任をなすりつけるような場合,クレーム対応者がその責任のほぼ100%を受け,かつ,逃げ道がなくなるため,当該クレーム対応者が精神障害を発症することがあり得るものであるから,G課長は,駐機場マーキング作業における苦情への対応の際,クレーム対応者に責任をなすりつけない義務を負い,また,普段から所掌事務の範囲を逸脱しない義務を負っていた。

それにもかかわらず,G課長は,①駐機場マーキング作業に関する苦情への対応の際,亡Eに責任をなすりつける言動を行い,また,②定置場申請に関する問題が生じた際,所掌事務の範囲を越えて亡Eの事実上の上司として振る舞い,亡EがG課長の言い分を否定できないようにして,上記各義務に違反したのであるから,G課長には,亡Eに対する義務違反行為がある。

エ F空港長の義務違反行為

(ア) F空港長は,本件事務所の責任者として,部下が他の部下に空港利用者からのクレームの責任をなすりつけている場合,それをやめさせる義務があり,また,普段からある部下が所掌事務の範囲を逸脱し,法令上の根拠に基づかず他の部下の事実上の上司として振る舞っている場合,それをやめさせる義務があった。

それにもかかわらず,F空港長は,G課長の亡Eへの責任のなすりつけ行為やG課長が所掌事務の範囲を越えて亡Eの事実上の上司として振る舞うような行為をやめさせることはなく,上記各義務に違反したのであるから,F空港長には,亡Eに対する義務違反行為がある。

(イ) 部下が業務上のトラブルを抱え,精神的負担がかかっている場合,これを放置すれば当該部下が精神障害を発症する蓋然性があるから,当該部下の上司は,当該部下の相談に乗るなど,当該部下の心理的負担を緩和すべき義務を負うというべきである。

そして,F空港長は,亡Eが駐機場マーキング作業に関する苦情への対応や定置場申請に関する問題のみならず,普段から本件事務所と空港利用者との間で板挟み状態となり,また,G課長からの干渉を受けている状態であることを認識ないし認識し得た。

それにもかかわらず,F空港長は,G課長の暴走を是正したり,亡Eに対し,適宜適切なフォローを行ったりするなどの亡Eの心理的負担を緩和するための措置を講じず,上記義務に違反したのであるから,F空港長には,亡Eに対する義務違反行為がある。

オ 小括

以上の事情からすれば,被告には,亡Eに対する安全配慮義務違反があったというべきである。

(被告の主張)

ア G課長に義務違反行為はないこと

本件事務所には,管理課と運情官という二つの組織が置かれ,管理課の長としてG課長が,運情官の長(先任)として亡Eが,それぞれその職にあり,両者に上下関係は存在せず,対等の立場にあるにすぎない。

G課長が,指揮命令下にない亡Eに対して,所掌事務の範囲を越えて同人の事務に口を挟んで事実上の上司として振る舞っていたり,あるいは,平成23年6月頃の駐機場マーキング作業に関するI会長の苦情について,G課長が「Eの連絡ミス」などと発言してその責任を亡Eに負わせるかのような発言をしたりした事実は存在しない。

したがって,G課長には,原告らが主張する義務違反行為はない。

イ F空港長に義務違反行為はないこと

そもそもG課長が本来の所掌事務を超えて亡Eの職務に干渉したり,「Eの連絡ミス」などという発言をしていないことは上記アのとおりであるから,亡Eが空港利用者と上司と板挟みになっていたなどということはなく,また,F空港長は,亡EがI会長への対応を担当するに当たり,自らも同会長に対し謝罪をしたり,あるいは,亡Eに対して定置場申請をめぐる問題について必要な指示・相談を行っていたのであるから,F空港長が,亡Eに精神障害が生じることを防止すべき措置を講じる義務を怠ったということはできない。

ウ 被告に予見可能性は認められないこと

後記(2)(被告の主張)イのとおり,亡Eは生前,うつ病を発症していたとは認められないが,仮にこれが認められるとしても,亡Eは,職場においても,家庭においても,うつ病を発症しているような素振りを見せず,実際に,F空港長,G課長及び同僚の運情官が口をそろえて,亡Eがうつ病に罹患していたとは全く思わなかった旨述べるような状況であったというのであるから,被告には,安全配慮義務違反の前提となる予見可能性は存在しない。

(2)  亡Eの自殺と業務との因果関係の有無(争点2)

(原告らの主張)

ア 業務による心理的負荷の強度が「強」に該当すること

I会長による苦情への対応をめぐる上記一連の事情(上記(1)〔原告の主張〕イ(ア)及び(イ))は,「心理的負荷による精神障害の認定基準」(乙9。以下「認定基準」という。)別表第1の項目5(「会社で起きた事故,事件について,責任を問われた」)及び12(「顧客や取引先からクレームを受けた」)に準ずる出来事に該当する。

そして,亡EがG課長から「Eの連絡ミス」とマーキング作業に関するクレームの原因の責任をなすりつけられていること,及び亡Eの職務分掌からすればクレーム対応は職務分掌外の事項と考えられるところ,亡Eの死亡時までマーキング関連の問題や定置場申請の問題は未解決で,亡Eがこれらの窓口として対応していたことに照らすと,同窓口としての対応は,「事件…の責任(監督責任等)を問われ」,「立場や職責を大きく上回る事後対応を行った」場合に該当する。

また,亡Eが利用者からの金銭供与,すなわち収賄の疑いまでかけられていたこと,及び本来所属組織の異なるG課長との折衝まで求められていたことに照らすと,上記疑いをかけられたこと,及び上記折衝を求められていたことは,「顧客や取引先からの重大なクレームを受け,その解消のために他部門や別の取引先と困難な調整に当たった」場合に該当する。

したがって,これらによる亡Eの心理的負荷の程度は「強」と評価すべきである。

イ 亡Eがうつ病を発症し,その後自殺に至ったこと

亡Eは,以前は定年後に実家を建て直して居住することを楽しみにしていたにもかかわらず,自殺の数か月前からは実家の建て直し等に対する興味を示さなくなった(興味と喜びの喪失)。また,何を聞いても「うーん」と言うだけで(集中力と注意力の減退),実際にも余り眠れなくなっていたようであり(睡眠障害),見た目からも明らかに疲労している様子であった(活動性の減退による易疲労感の増大や活動性の減少)。

そして,定置場申請の問題が生じてからは,以前は残さず食べていた原告Aの作った食事を残すことが多くなり(食欲減退),最終的に,定置場申請の問題を処理できず,場合によっては次の担当者にこの問題を引き継がなければならなかったことから罪責感を感じ(罪責感と無価値観),自殺前日に仕事を欠勤し,自殺前日だけは原告Aからメールをもらうまで帰宅の連絡をせず(抑うつ気分),自殺に至ってしまったのである(自傷あるいは自殺の観念や行為)。

亡Eは,平成24年3月31日をもって定年退職する予定であったから,あと3週間もすれば退職できたのであり,通常の人間がそのような状況で自殺に及ぶはずがない。実際に,亡Eは,自殺を選択するような要因となり得る家庭内の問題を抱えておらず,家庭外においても個人的トラブルを抱えていたとは到底考えられないし,既往症も一切存在しない。

亡Eが自殺した平成24年3月13日までに生じた以上の出来事をICD-10における「うつ病エピソード」の診断基準に照らすと,亡Eは,平成23年4月から平成24年3月までの間に重症うつ病を発症し,又は,仮にその発症が認められないとしても,中等度ないし軽度のうつ病を発症したといえる。

(被告の主張)

ア 亡Eの自殺が業務の心理的負荷と因果関係を有するものではないこと

(ア) I会長の苦情への対応による心理的負荷の強度は「弱」と評価すべきこと

平成23年6月7日頃のI会長の苦情への対応は,認定基準別表1の項目12「顧客や取引先からクレームを受けた」に準ずる出来事に該当する。同苦情は,亡Eが当日中にI会長に電話対応し,翌日にはF空港長,G課長及び亡Eの計3名で対応・謝罪したことにより解決をみている。

これらの事情からすると,上記苦情への対応に関する心理的負荷を「強」と評価すべき事情は存在せず,かえって,短期間に解決したことで業務内容・業務量の大きな変化もなかったことから,その心理的負荷は「弱」として評価すべきである。

(イ) 亡Eにはストレスに対する脆弱性がうかがわれること

亡Eは,平成19年3月以降,急性膵炎で数回の入退院を繰り返しており,本件苦情及び定置場申請の問題への対応後も同じ症状により入院し,原告Aに対して仕事を辞めたいと述べ,I会長への電話連絡もG課長に依頼するなどしている。

また,亡Eは,平成23年6月のI会長の苦情への対応をした以降,定置場申請の問題について具体的な解決手段を執らないまま時間を経過させてしまい,G課長の助力を求めたが,平成24年3月になってもI会長との十分な話合いをすることができないまま,正式に本件申請を受けることになり,一連の問題に対する自責の念を深めていたとみることができる。

これらの事情からすると,亡Eはストレスに対する脆弱性がうかがわれるというべきであって,同種の一般的労働者を基準とした場合において,亡Eの業務により同人に生じた心理的負荷の強度が「強」に当たるということはできない。

イ 亡Eは,自殺以前にうつ病を発症したと認められないこと

(ア) 「精神病症状を伴わない重症うつ病エピソード」に該当しないこと

精神病症状を伴わない重症うつ病エピソードについては,典型的な3症状(①抑うつ気分,②興味と喜びの喪失,③活動性の減退による易疲労感の増大と活動性の減少)の全てが認められるとともに,他の一般的な症状のうち少なくとも四つが認められ,かつ,そのうちいくつかが重症(「社会的,職業的あるいは家庭的な活動を続けることがほとんどできない」状態にあること)でなければならない。

亡Eは,自殺に至る平成24年3月13日まで,特段の問題もなく勤務を継続し,日常生活にも特段の支障を来していなかったのであるから,同人が「社会的,職業的あるいは家庭的な活動を続けることがほとんどできない」状態でなかったことは明らかである。

(イ) 「中等度又は軽度のうつ病エピソード」にも該当しないこと

また,亡Eは,平成24年3月頃までの間,業務中は部下職員に対して適宜指示をしたり,その相談に応じたり,更には各行事に率先して対応する等,易疲労感の増大や活動性の減少の傾向は認められなかった。亡Eは,職場においても出勤時や退勤時に元気に挨拶を交わし,昼食時や休息時には他の職員と談笑する等,抑うつの症状は全く見られなかったし,職場外においてもパチンコや釣りに行ったり,家族と遊んで過ごしたり,職場の飲み会にも出席したりするなど,興味と喜びを喪失していた様子もなかった。

原告らは,亡Eの状態が中等度又は軽度のうつ病エピソードに該当する旨も主張するが,上記事情に照らすと,亡Eにはうつ病エピソードと診断するための典型的症状がそもそも認められず,ましてや,その症状が2週間継続していたとは到底認められない。その他,他の一般的症状についても,いずれも原告らが主張するような事実は存在しない。

(ウ) 以上からすれば,亡Eがうつ病エピソードを発症したとはいえない。

(3)  原告らの損害の発生及び額(争点3)

(原告らの主張)

ア 亡Eの損害

(ア) 逸失利益  5034万7524円

亡Eは,死亡時60歳であり,死亡する前年(平成23年)の実収入865万8990円(甲6)を基礎収入とし,生活費控除率を30%とすると,亡Eの逸失利益は,865万8990円×0.7×8.3064(平均余命22年の2分の1である11年に対応するライプニッツ係数)=5034万7524円(少数点以下切り捨て。以下同じ。)となる。

(イ) 死亡慰謝料  3000万円

(ウ) 小計  8034万7524円

イ 原告らの損害

(ア) 遺族固有の慰謝料  各原告につき1000万円(合計4000万円)

原告らは,国家賠償法上の責任又は不法行為責任が成立することを前提に,遺族固有の慰謝料として,各原告につき1000万円が相当である。

(イ) 弁護士費用  合計200万円

原告らは,亡Eから相続した損害(上記ア)と上記遺族固有の慰謝料を請求するために本件訴訟の提起を余儀なくされたことにより,弁護士費用(原告Aにつき100万0001円,その余の原告につき各33万3333円)の損害を被った。

(ウ) 小計  4200万円

ウ 一部請求

原告らは,上記ア及びイの合計1億2234万7524円のうち,原告Aにつき600万円及びその余の原告らにつき各200万円並びにこれらに対する亡Eが死亡した日である平成24年3月13日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告の主張)

ア 否認ないし争う。

イ 亡Eは,死亡した日の3週間後には退職を控えていたのであるから,その後も退職前と同額の収入が得られた蓋然性は存在しない。

ウ また,安全配慮義務違反においては,遺族固有の慰謝料は発生しないのが判例(最高裁昭和55年12月18日第一小法廷判決・民集34巻7号888頁)である。

第3当裁判所の判断

1  認定事実

前記前提事実に加え,各項掲記の証拠及び弁論の全趣旨を総合すれば,以下の事実を認定することができる。

(1)  亡EとG課長の職場における関係

ア 亡EとG課長は,本件事務所の同一フロア内でそれぞれの職務に従事しており,二人の所属する運行情報課と管理課との間には1m程度の高さの本棚が設置されているものの,それぞれ席が近く,互いの席から相手の仕事の様子をうかがうことや,会話を行うことができた(乙25,証人J,証人G,証人F)。また,二人は,喫煙室で仕事に関する簡単な相談をするほか,雑談に興じることもあった(乙23,25,証人J,証人G)。

イ 亡Eは専門職である先任運情官として,G課長は事務職である管理課長として,それぞれ異なる職務に従事していたが,それぞれの職務間での調整を要する仕事については,互いに協力しながら共同して仕事を進めていくことや,担当する職務に関する仕事上の相談を行うこともあった(乙11,23ないし25,証人G,証人F)。

(2)  駐機場のマーキング作業に関する苦情への対応の経緯

ア 前記前提事実(3)のとおり,本件空港の駐機場マーキング作業に関する航空機の移動に関する取扱いに不満を持ったI会長ら4名は,平成23年6月8日,苦情を申し立てるために本件事務所に来訪することになったところ,亡Eは,G課長に対し,I会長ら4名への対応の方法等についてアドバイスを求めた。G課長は,亡Eからの上記相談を受け,F空港長に相談及び事情説明を行うべきことを進言し,同空港長への相談の結果,I会長ら4名に対しては,F空港長,G課長及び亡Eの計3名で対応することを決めた。(乙4の1,11,24,25,証人G,証人F)

イ I会長ら4名の来訪への対応について,亡Eが,本件要請とマーキング作業に関する本件事務所としての説明を主に行い,F空港長が,I会長らに対し,上記マーキング作業の際,航空機の移動に関して運航者間で不公平な結果が生じたことについて謝罪した(乙11,24,25,証人G,証人F)。

ウ また,I会長は,上記苦情申入れの際,F空港長,G課長及び亡Eに対し,本件事務所の定置場申請への対応に対する不満も述べた。F空港長らは,上局と協議の上で対応する旨回答した(乙24,25,証人G,証人F)。

(3)  定置場申請に関するI会長の苦情に対する対応

ア I会長の定置場申請に関する苦情(上記(2)ウ)への対応後,F空港長は,亡Eから,本件事務所における定置場の承認状況等について説明を受け,定置場申請とスポットの利用申請に関する問題状況の一端を把握した。F空港長は,亡E及びG課長に対し,①定置場申請に関しては,事務職である航空機登録担当官の部署にも関連する案件であるので,同部署との関係でも東京航空局に間に入って調整してもらうこと,②I会長の定置場申請を承認した場合,他の空港への影響が懸念されるので,東京航空局保安部運用課に照会した上で慎重に処理すべきであること,③他の空港の定置場の承認状況を調べることを指示した。そして,航空機の定置場の登録については事務職である航空機登録担当官の職務の範疇に含まれることから,同じ事務職であるG課長の方が対応しやすいと判断したF空港長は,G課長に対し,亡Eをサポートするよう指示し,また,G課長及び亡Eに対し,その後のI会長らへの対応は,上記アと同様,F空港長,G課長及び亡Eの3人で行った方がよいと進言した。(乙24,25,証人G,証人F)

亡Eは,F空港長の上記②の指示に従い,東京航空局保安部運用課に照会を行ったものの,満足するような回答を得ることはできず,平成24年2月頃までの間,上記問題についての各種調査・検討等を継続して行っていた(乙23ないし25,証人F,証人J)。F空港長は,平成23年7月頃から平成24年2月頃までの間に4ないし6回程度,亡Eに対し,定置場申請に関する照会の進捗状況について確認したが,同人は,いずれの際も「満足できる回答をもらえていない」旨の回答をした(乙24,証人F)。F空港長は,自ら面識がある八尾空港の空港長に電話をして同空港における定置場申請の承認状況を聴取し,その結果を亡Eに伝え,また,平成23年7月頃,亡Eに対し,自らが東京航空局の課長へ他空港の定置場申請の承認状況を問い合わせることを提案したが,亡Eは,これを断った(乙24,証人F)。

G課長は,亡Eとは別に,札幌航空交通管制部に勤務し,航空機登録担当官の経験のある知人に対し,航空機の定置場の登録について問い合わせ,その結果等を亡Eに伝えた(乙25,証人G)。

イ 平成24年2月中旬頃,亡Eは,I会長に対し,定置場申請及びスポットの利用申請の関係で本件事務所への来所を求めたが,同会長から定置場申請を承認してもらえなければ来所しないとして固辞されたことから,平成24年3月6日,G課長にI会長の説得を依頼した。そこで,G課長は,同日,亡Eの依頼に応じ,I会長に電話で連絡をとったが,その際,I会長から,定置場申請をめぐる対応の遅れ等について非難されるとともに,スポットの利用申請に関する手続及び利用期間の緩和を求められた。G課長は,I会長との電話での会話の内容及び要望を亡Eに報告するとともに,定置場申請及びスポットの利用申請の問題を解決するため,上記要望には応じる方向での検討が困難なのか尋ねると,亡Eは,申請手続の緩和には応じられるものの,本件空港の利用状況に照らし,利用期間の緩和は困難であって応じられないと回答した。(乙11,24,25,証人G)

ウ 平成24年1月頃,亡Eは,G課長に対し,雑談の中で,同年3月での定年退職までにI会長の定置場申請をめぐる問題を解決しなければならないと漏らしていた(証人G)。また,亡Eは,同年2月下旬から同年3月頃,J運情官に対し,I会長の定置場申請をめぐる問題について,後任者には引き継ぎたくないと述べていた(乙23,証人J)。

エ 平成24年3月9日,亡Eの元同僚であった東京航空局保安部運用課係長の職にあった訴外Kが自殺するという出来事があり,亡Eも翌10日,これを知った(乙10,11)。

オ 亡Eは,平成24年3月11日,前日10日に本件申請(前記前提事実(4)ウ)があったことを知った。

(4)  亡Eの生活状況等

亡Eは,平成23年6月頃から平成24年3月までの間,急性膵炎で15日間の病気休暇を取得した(前記前提事実(4)イ)以外は,特に変わった点はなく勤務し,残業もほとんどなく,定時に退庁することが多かった(乙20ないし25,証人J)。

また,亡Eは,生前に精神疾患による通院歴は存在しなかった(甲11,原告A)。

さらに,亡Eは,前任地から引き続き,平日・休日の別を問わず,月に数回程度の頻度でJ運情官と一緒にパチンコ店に行っており,また,休日には釣りに行ったり,孫と会ったりするのを楽しみにしていた(乙20ないし23,証人J,原告A)。

(5)  事実認定に関する補足説明

ア 上記(1)ないし(4)の事実認定に対し,原告らは,G課長が,普段から本来の所掌事務の範囲を越えて亡Eの職務に干渉し,亡Eに対して上司のように振る舞い,駐機場マーキング作業に関してI会長が苦情を申し入れた際も,同苦情の原因があたかも亡Eにあるかのように「Eの連絡ミス」などと発言し,同会長の定置場申請についても,G課長がこれを許可しなかったため,亡EがI会長とG課長との板挟みになって心理的負荷が生じた旨の主張をし,I会長らが作成した書面(甲10,13)にもこれに沿う記載部分がある。

イ しかし,生前,亡EとG課長との間に軋轢等が生じていたとの原告ら主張の亡Eの職務に係る事実が存在することをうかがわせる客観的事情は認められず,原告らの上記主張のほか,これに沿う原告A及び原告Dが公務災害認定に関して作成した書面(甲11,12)並びに原告Aの陳述書(甲14,16)及び本人尋問における供述を裏付ける客観的証拠は存在しない。

かえって,具体的かつ詳細であり,基本的に他の証人の証言ないし供述の内容と整合し,相互に信用性を補完する関係にあることから,被告申請の各証人等の陳述書等(乙11,20ないし25)及び同各証人の証言は信用性を有すると認められるところ,これらの証拠によって認定できる上記認定事実のとおり,亡E及びG課長は,互いの仕事内容について協力・相談し合ったり,また,喫煙所で雑談したりするような仲であった上(認定事実(1)ア),亡EがG課長に宛てて作成した遺書(甲5の1)の内容を見ても,同人に対する不満等を訴える記載は存在しないなど,亡Eが生前にG課長からパワーハラスメント類似の行為を受けていたために同人を嫌悪していたことをうかがわせる事実は認められない。

そして,G課長が自己の権限を越えて亡Eの所管する職務にまで口を出し,亡Eに対するパワーハラスメントのような行為に及んでいた旨の記載部分があるI会長ら作成に係る書面(甲10,13)は,いずれも亡Eの自殺後に作成されたものであって,その内容を子細に見ると,I会長が,駐機場のマーキング作業や定置場申請をめぐる自身の苦情申入れ等によって亡Eを自殺に追いやってしまったかもしれないとの自責の念を持っていたことが見て取れることから,これらの書面は,I会長らが客観的な事実を記載したものであるとは認め難い。

ウ そうすると,上記各書面(甲10,13)により,亡Eの生前,G課長が亡Eの上司であるかのように振る舞い,同人の職務に度々干渉していたとの事実を認めることはできない(この点に関し,原告らは,定置場申請に関する決裁が亡EからG課長の順で回されることとなっていた点をも問題視するが,定置場申請の審査を運情官が所管事項として担当していること(乙25)に照らすと,この点をもって,原告らが主張するG課長による亡Eの職務への干渉の事実を認めることもできない。)。

これらの事情によれば,上記アの原告らの主張及びI会長ら作成の書面の記載部分を採用することはできない。

2  亡Eの自殺に係る被告の安全配慮義務違反の有無(争点1)について

(1)  被告は,その任用する職員に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し,業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して職員の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負い,職員に対し業務上の指揮監督を行う権限を有する者は,被告の注意義務の内容に従って,その権限を行使すべきであると解される(最高裁平成12年3月24日第二小法廷判決・民集54巻3号1155頁参照)ところ,上記注意義務は,任用する職員の地位や職種,職務内容,職場及び職務の状況,当該職員の心身の状況等,安全配慮義務が問題となる具体的状況を踏まえて検討するのが相当である。

(2)  そこで,本件における被告の安全配慮義務違反の有無について検討する。

ア 上記認定事実によれば,亡Eは,平成23年6月の駐機場のマーキング作業をめぐる問題についてI会長ら4名から苦情を受けるとともに,それ以降,定置場申請に関する問題も抱え,本件空港における担当者としてこれらの問題の解決に当たっていたところ,自身の退職が翌年3月31日に迫っていたことから,これらの問題を早期に,遅くとも退職前に解決しなければならないとの責任を感じ,同問題の処理に当たっていたと認められる。

このように,亡Eは,これらの問題を早期に解決しなければならない問題であると感じていたが,従前の本件空港における取扱いとの関係や他の空港における取扱いへの影響を考慮しなければならなかったほか,そのような考慮が必要であったにもかかわらず,東京航空局保安部運用課からも上記問題の解決に資するような助言を得ることはできなかったため,そのまま同問題を解決することができずに推移していたことに加え,I会長が平成24年2月頃にも定置場申請に対する本件空港の対応の遅さを非難していたこと(上記認定事実(3)イ)等に照らすと,亡Eが,上記問題の解決やI会長らの苦情への対応に苦慮していたことは想像に難くない。

そうすると,I会長らによる一連の苦情や定置場申請への対応に当たった亡Eが,それによって相当程度の心理的負荷を受けたことは否定できない。

イ しかし,その一方で,基本的には,亡Eに対しては,その先任運情官としての地位,職責,経験等に照らし,その専門的知識や経験に基づき,適切な定置場申請の問題の解決や空港利用者の苦情への対応が期待されていたといえ,F空港長やG課長がこのような期待を抱くことに合理的な理由があったといえる。

また,原告らが主張するようなG課長によるパワーハラスメント類似の行為により,亡EがI会長とG課長との間で板挟みの状態にあったと認められないことは上記1のとおりであるし,I会長の定置場申請の問題の解決や上記苦情への対応のために,他部署等からの協力が得られず,他部署との調整が困難であったといった事情も認められない。かえって,上記認定事実のとおり,I会長の定置場申請の問題や苦情への対応については,F空港長が,亡Eに対し,折に触れて,定置場申請に関する対応状況を確認した上,対応方針について助言したり,自ら他空港の定置場の運用に関する照会を申し出るなどし(上記認定事実(3)ア),G課長も,亡Eの依頼を受けてI会長への連絡を行ったり,知人を介して自ら他空港の定置場の運用に関する調査を行うなどしていたほか(上記認定事実(3)ア及びイ),亡E,F空港長及びG課長との間で,担当者である亡Eだけではなく,本件事務所全体として対応していくことが,平成23年6月の段階で確認されていた(上記認定事実(3)ア)など,F空港長及びG課長による助力を得られていたのであって,亡Eが,誰からの助力を得ることもできずに一人で対応を強いられていたと認めることもできない。

さらに,亡Eには急性膵炎による入通院歴があるものの,亡Eが,死亡直前までに,客観的に自己の職務の遂行に支障を生じる心身の状況にあったことをうかがわせる事情も認められない。

ウ 以上によれば,本件において,F空港長やG課長に,原告らが主張するF空港長及びG課長がI会長の苦情への対応の際に亡Eに責任をなすりつけない義務やF空港長がG課長に上司のように振る舞うことをやめさせる義務があったとは認められないことに加え,F空港長やG課長に,亡Eの地位や職種,職務内容,職場及び職務の状況,亡Eの心身の状況等の具体的状況に照らし,亡Eが定置場申請の問題の解決やI会長の苦情への対応に当たり,当該対応により亡Eの業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して同人の心身の健康を損なうことがないように注意する義務に違反したとは認められないから,被告に原告らが主張する安全配慮義務違反があったとはいえない。

第4結論

よって,その余の点について判断するまでもなく,原告らの請求はいずれも理由がないから棄却することとして,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 湯川浩昭 裁判官 西尾洋介 裁判官 遊間洋行)

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