札幌地方裁判所 平成26年(ワ)436号 判決 2014年12月24日
原告
X
同訴訟代理人弁護士
濱本光一
同
市毛智子
同
佐藤眞紀世
被告
医療法人Y
同代表者理事長
A
同訴訟代理人弁護士
佐々木泉顕
同
下矢洋貴
同
福田友洋
同
山田敬之
同
土門敬幸
同
川村明日香
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、金二三四〇万四九二八円及びこれに対する平成二四年一一月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
B(以下「亡B」という。)が被告の開設する医療法人社団a病院(以下「被告病院」という。)において治療を受けた後死亡したことにつき、亡Bの子である原告が、被告病院の医師には過失があると主張して、被告に対し、使用者責任(民法七一五条)に基づき、原告に生じた損害の賠償及びこれに対する民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた。
一 前提事実(争いのない事実並びに掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)
(1) 当事者等
ア 亡Bは、大正一五年○月○日生まれの男性であり、平成二四年一一月二四日に死亡した(以下、平成二四年については年の記載を省略することがある。)。
原告は、亡Bの長女である。
イ 被告は、被告病院を開設する医療法人である。
C医師及びD医師は、被告の被用者であり、被告における亡Bの主治医であった(以下、被告病院の医師らを単に「被告病院医師」ということもある。)。
(2) 診療経過等
ア 亡Bは、五月一四日、b病院において、両下肢閉塞性動脈硬化症の診断を受けた(以下、同病院を「前医病院」という。)。
イ 亡Bは、五月二二日、被告病院との間で診療契約を締結し、同日から一〇月三日までの間、被告病院に入院した。
ウ 亡Bは、一〇月三日午前九時頃、被告病院を退院し、c病院に入院した(以下、同病院を「後医病院」という。)。
エ 亡Bは、後医病院において、次のとおり手術を受けた。
(ア) 一〇月五日 下肢経皮経管的血管形成術
(イ) 一〇月二二日 右下肢の大腿部の切断手術
(ウ) 一一月八日 左下肢の壊疽部分の切除手術等
オ 亡Bは、一一月二四日午前三時一〇分に死亡した。死因は下肢壊疽を原因とする敗血症と診断された。
二 争点
(1) 緑膿菌に感染させた過失の有無(争点一)
(2) 敗血症の発症を見落とした過失の有無(争点二)
(3) 敗血症に対する適切な治療を行わなかった過失の有無(争点三)
(4) 両下肢閉塞性動脈硬化症の進行を見落とした過失の有無(争点四)
(5) 両下肢閉塞性動脈硬化症に対する適切な治療を行わなかった過失の有無(争点五)
(6) 各過失と死亡との相当因果関係(争点六)
(7) 損害額(争点七)
三 争点に対する当事者の主張
(1) 争点一(緑膿菌に感染させた過失の有無)について
(原告の主張)
ア 被告病院医師には、亡Bの被告病院入院期間中いずれかの時点において、不適切な管理により、亡Bの右足の点滴部分又は腰部の褥瘡部分から、緑膿菌を侵入させ、亡Bに感染症を発症させた過失がある。
イ 被告は、被告病院で亡Bが緑膿菌感染したことを否認するが、後医病院の初診時において、亡Bの両下肢、とりわけ右下肢には、チアノーゼが顕出しており、全体が緑色に変色していたことから、後医病院のE医師(以下「後医病院医師」という。)は敗血症(炎症高度)と診断し、その起炎菌を緑膿菌と特定した。したがって、亡Bが被告病院において緑膿菌に感染したことは明らかである。
また、後医病院において一〇月三日に静脈血を検体として、一〇月九日に喀痰及び胸水を検体として、それぞれ一般細菌、真菌の検査を行ったが緑膿菌は検出されず、一〇月二〇日に下腿創部から採取された検体において初めて緑膿菌が検出されたのであるが、これは敗血症の進行程度ないし重症度を判断するために、重要な検体から検査した結果であるにすぎず、一〇月三日に下腿創部を検体として検査すれば、緑膿菌が検出された蓋然性が極めて高い。
(被告の主張)
ア 診療契約に基づき病院が負うのは、手段債務であって、結果債務ではない。原告の主張は、緑膿菌に感染させたという結果債務の不履行を主張するものであって、過失の設定として適切ではない。
イ 仮に、緑膿菌に感染させたとの主張が過失の主張となり得るとしても、被告病院では、亡Bについて、緑膿菌感染が確認できていない。転院後の後医病院においても、初めて緑膿菌が確認されたのは、一〇月二〇日に下腿創部から採取された検体においてである。一〇月三日に転院してから三週間近くも経過した後に緑膿菌感染が確認されたのであって、被告病院の治療と緑膿菌感染との因果関係が不明である。
また、緑膿菌は、亡Bが閉塞性動脈硬化症によって壊死した下腿部分に生じたのであって、被告病院での右下腿の点滴手技とは因果関係がない。さらに、緑膿菌感染を生じた下腿部位は、腰部の褥瘡とは全く部位が異なるのであって、褥瘡が発生したこととも因果関係がない。
(2) 争点二(敗血症の発症を見落とした過失の有無)について
(原告の主張)
ア 被告病院医師は、一〇月二日、亡Bにつき後記(ア)の所見があったから、後記(イ)の医学的知見を踏まえれば、敗血症の発症を疑い、バイタルサイン、一般血液検査、動脈ガス分析、白血球分画、血中乳酸値の測定等の検査を行うべき義務があったのに、これに反して、これらの検査をすることを怠った。
(ア) 亡Bは、一〇月二日の時点で、右下肢に冷感があり、チアノーゼが認められ、体温三七・七度、脈拍一二三/分であった。
(イ) 全身性炎症反応症候群(systemic inflammatory response syndrome。以下「SIRS」という。)の診断基準としては、以下の四項目のうち二項目以上に該当する場合とされている。そして、SIRSのうち、感染症に起因するものが敗血症である
① 体温>三八度又は<三六度
② 心拍数>九〇回/分
③ 呼吸数>二〇回/分又はPaCo2<32Torr
④ 末梢血白血球数>一二〇〇〇/立方ミリメートル又は<四〇〇〇/立方ミリメートルあるいは未熟型顆粒球>一〇パーセント
イ 一〇月二日時点では、SIRSの診断基準を満たす明確な諸要件が存在しているとはいえない。しかし、それは、被告病院において、呼吸数を測定せず、末梢血白血球数を検査しなかった結果にすぎない。SIRSないし敗血症を疑うその他の症状については、被告病院において経過観察、とりわけ、一〇月二日における経過観察が不十分であったことによるものと推測される。したがって、SIRSの診断基準を満たしていなかったというよりも、SIRSの診断基準を満たしていたか否かについては、被告病院の医療記録だけからは不明であるにすぎない。一〇月三日の時点における後医病院の初診においては、後医病院医師は直ちに、敗血症(炎症高度)、重症下肢虚血(感染も合併)等と診断していたことからすれば、亡Bは、一〇月二日の時点で、既に敗血症に罹患していたことが明らかであり、被告病院医師は、同時点で、敗血症の罹患を疑うことが可能であった。
(被告の主張)
ア 一〇月二日の時点で、亡Bの脈拍は一二三回/分であったことから上記(原告の主張)ア(イ)記載の要件②を満たしているものの、体温は三七・七度であったにすぎず、要件①を満たさない。その他要件③④を満たすことを疑わせる所見はなく、四要件のうち二要件以上という基準を満たさない。
イ その他、敗血症を疑うサインとして原因不明の意識障害、不安定な精神状態、低体温、代謝性アシドーシス、酸血症、急速に進む乏尿、無尿(腎機能障害)、肝機能障害(多臓器不全)、昇圧剤に対する反応の乏しい血圧低下等が指摘されるが、一〇月二日の時点で、これらの症状は認められなかったのであり、敗血症は認められなかった。
(3) 争点三(敗血症に対する適切な治療を行わなかった過失の有無)
(原告の主張)
被告病院医師は、一〇月二日、後記アのとおり敗血症の診断が可能であったから、後記イの措置をすべき注意義務があったのに、これを怠り、同措置を全く取らず、漫然と、肺炎及び褥瘡の炎症を抑えるために、同じ抗生物質を投与し続けた。
ア 亡Bについて、一〇月二日の時点で敗血症の診断をすることができた。このことは、後医病院において、一〇月三日に敗血症と診断されたことから推認される。
イ 敗血症を発症した場合は、発症初期における集約的な予後改善につながるため、初期治療が重要である。被告病院医師は、抗菌療法として、感染起炎微生物の同定を待たずに経験的治療として初期に広域、多剤の薬剤を大量に使用し、起炎微生物及び感受性結果が得られたら、速やかな狭域、単剤への変更、減量及び中止をしなければならない。
(被告の主張)
ア 亡Bは、一〇月二四日頃まで、敗血症には罹患していなかったから、抗生物質の投与を根拠付ける敗血症に罹患していたという事実はない。
イ また、被告病院医師は、亡Bに対して、適宜抗生物質を変更しながら投与していた。漫然と同じ抗生物質を投与していたという事実はない。
(4) 争点四(両下肢閉塞性動脈硬化症の進行を見落とした過失の有無)
(原告の主張)
被告病院医師は、一〇月二日、亡Bにつき後記のア所見があったから、後記イの知見を踏まえれば、両下肢閉塞性動脈硬化症の発症ないし症状の進行を疑って、挙上試験、足関節圧と足関節/上腕動脈圧比、近赤外線分光法、経皮的酸素分圧測定、足趾血圧、動脈撮影等の諸検査を行い、両下肢閉塞性動脈硬化症が進行しているか否かを診断すべき義務があったのに、これを怠り、それらの検査をしなかった。
ア 亡Bは、一〇月二日に、両足背から下肢にかけて、冷感及びチアノーゼが増強し、「右下肢は痛くないが、左下肢が痛い」旨訴え続け、足背動脈が触知できない状態に陥っていた。
イ 足部、足趾に冷感、痺れ、疼痛を伴い、他覚的に蒼白、チアノーゼ、患肢筋萎縮、皮膚温に差が認められる場合、大腿動脈、膝窩動脈、後脛骨動脈、足背動脈拍動が触知しないか又は健常肢と明らかな差が認められる場合、症状が慢性的に進行し、間欠性跛行又はその後安静時痛や足部潰瘍を伴うに至った症状経過が認められる場合等には両下肢閉塞性動脈硬化症の発症ないし症状の進行を疑う。
(被告の主張)
ア 被告病院では、退院するまでの間、リハビリ治療を実施していた。両下肢閉塞性動脈硬化症に伴う循環障害については、リハビリ治療によって、改善傾向にあった。全身状態についても、車いす移動ができるレベルにまで改善し、食事も全介助から自力摂取ができるレベルにまでなっていた。下肢にチアノーゼが出現してきたのは、九月二九日頃からである。
イ また、亡Bは、一〇月三日に急性期の病院に転院することが決定していたのに、一〇月二日の時点で、両下肢閉塞性動脈硬化症の諸検査を実施すべき義務はない。
(5) 争点五(両下肢閉塞性動脈硬化症に対する適切な治療を行わなかった過失の有無)について
(原告の主張)
被告病院医師は、一〇月二日、亡Bにつき後記アの所見があったから、後記イの知見を踏まえ、同知見に基づき、両下肢閉塞性動脈硬化症の症状の進行程度に応じた措置を講ずべき義務があったにもかかわらず、これを怠った。
仮に、被告病院において同措置を講じることができないのであれば、早期に同措置を取ることができる病院等に転院させるべき義務があったのにこれを怠り、転院をさせなかった。
ア 亡Bは、一〇月二日に、両足背から下肢にかけて、冷感及びチアノーゼが増強し、「右下肢は痛くないが、左下肢が痛い」旨訴え続け、足背動脈が触知できない状態に陥っていたから、同時点で両下肢閉塞性動脈硬化症が進行していたことが明らかであった。
イ 両下肢閉塞性動脈硬化症の症状の進行程度には、FontaineⅠ度、Ⅱ度、Ⅲ度及びⅣ度があり、それぞれの段階での治療方針は、次のとおりである。
FontaineⅠ度(冷感、しびれ感)の段階では、動脈硬化病変の進行予防を目的として、危険因子(喫煙、高血圧、糖尿病、高脂血症、高尿酸血症)の排除に努め、薬物としては、抗血小板薬、抗凝固薬、血管拡張薬、カルシウム拮抗薬、ACE阻害薬を用いる。
FontaineⅡ度(間欠性跛行)の段階では、FontaineⅠ度に準じた危険因子の排除と薬物治療に加えて、側副血行路の発達促進を目的として、歩行・運動訓練を行い、症状の改善が得られない場合は経皮経管的血管形成術又は外科的血行再建(バイパス手術、血栓内膜剥離術)を行う。
FontaineⅢ度(安静時疼痛)の段階では、経皮経管的血管形成術又は外科的血行再建の絶対適応であり、血行再建が困難あるいは不成功の場合には、腰部交感神経節切除、PGE1(prostagrandine E 1)持続点滴静注療法、PGE1持続動注療法を行う。
FontaineⅣ度(潰瘍、壊死)の段階では、経皮経管的血管形成術又は外科的血行再建を行い、壊死組織を切除し局所を消毒洗浄して、感染に対しては抗生物質、抗炎症薬を投与し、壊死が広範に及び、高度の局所感染や敗血症状態、強い疼痛がある場合は四肢の切断を行う。
(被告の主張)
原告及び亡Bは、五月一四日、前医病院にて、主治医から「寝たきり状態で、足だけ治療して意味があるのか。」「足が腐ったり、痛みが強かったり、黴菌がつき感染して命が危険な状態なら切断の手術が必要。」との説明を受けている。これは、亡Bが寝たきり状態から回復することは事実上不可能であり、両下肢閉塞性動脈硬化症に対する治療の必要性はないという趣旨である。
そして、亡Bは、一〇月三日に急性期の病院に転院することが決定していたのに、一〇月二日の時点で、一日早く転院させる義務はない。
(6) 争点六(各過失と死亡との相当因果関係)について
(原告の主張)
ア 争点一に係る過失と死亡との相当因果関係について
C医師及びD医師が亡Bを緑膿菌に感染させ、これが原因となって亡Bは敗血症を発症し、敗血症が増悪して亡Bは死亡した。
イ 争点二及び三に係る過失と死亡との相当因果関係について
(ア) 一〇月二日に敗血症との診断がされていれば、医療水準に応じて、一時間以内に経験的抗菌薬の投与が開始され、六時間以内に起炎菌が同定され、適切な治療が行われることにより亡Bの死亡の結果が発生しなかった高度の蓋然性がある。
(イ) 被告は、一〇月二日の時点で、両下肢閉塞性動脈硬化症によって亡Bの両下肢の壊死が始まっており、これによって炎症反応が生じていたものと推測されるとして、感染によって炎症反応が生じたことを否認するが、両下肢閉塞性動脈硬化症に基づく炎症反応であれば、その患部ないし周辺部の炎症に限られる局部的なものであると考えられ、全身性の炎症反応になるとは考え難く、亡Bは、一〇月二日の時点で敗血症に罹患していた。
ウ 争点四及び五に係る過失と死亡との相当因果関係について
後医病院医師は、初診日である一〇月三日の時点で、原告に対し、「炎症が上がっている原因は足の方です。左右とも大動脈から分かれた下肢の血管が、左足はほとんどつまりかけているけど、右足は全部つまっています。」「二四時間以上経っていますので、手遅れの状態です。今は、DIVで血行回復の薬を使っていますが、回復の見込みは分かりません。」と説明していることから、一〇月二日の時点で両下肢閉塞性動脈硬化症に対する早期かつ適切な治療がされていれば、血行の回復を期待することができたといえ、亡Bの死亡の結果が発生しなかった高度の蓋然性がある。
(被告の主張)
ア 争点一に係る過失と死亡との相当因果関係について
否認する。
イ 争点二及び三に係る過失と死亡との相当因果関係について
(ア) 一〇月二日の時点では、亡BにつきSIRSの要件を満たさず、炎症反応も感染由来ではなく(炎症反応は、亡Bにつき足背動脈の拍動を触知しない状態であったことからすると、両下肢閉塞性動脈硬化症によって両下肢の壊死が始まり、これによって生じていたものと推測される。)、上記(2)(被告の主張)イ記載のとおり、敗血症を疑う症状は認められなかったから、亡Bは敗血症ではなかった。
(イ) 亡Bは、一〇月三日には、後医病院に転院となり、同病院において、亡Bが敗血症であるとの前提で、治療が実施された。一〇月二日に敗血症の診断が付いたとしても、たった一日診断が早くなるだけであること、被告病院でも抗生物質が投与されていたことからすると、亡Bの生命予後に大きな影響を与えなかった可能性が高い。
また、亡Bは、後医病院に転院してから、約二か月経過してから死亡している。約二か月前の抗生物質の投与内容がその死亡に大きな影響を及ぼしたとは考えにくい。
ウ 争点四及び五に係る過失と死亡との相当因果関係について
亡Bは、一〇月三日には、後医病院に転院となり、両下肢閉塞性動脈硬化症の治療が実施されている。たった一日転院が早くなったとしても亡Bの生命予後に大きな影響を与えなかった可能性が高い。
(7) 争点七(損害額)について
(原告の主張)
ア 亡Bが被った損害
(ア) 後医病院での治療費
平成二四年一〇月分 一四万〇二八〇円
平成二四年一一月分 一一万八一三〇円
(イ) 入院雑費 七万九五〇〇円
(ウ) 入院付添費 三三万一二五〇円
(エ) 入院慰謝料 一一七万円
(オ) 葬祭費 一五〇万円
(カ) 逸失利益 六一一万八二三二円
(キ) 死亡慰謝料 二二五〇万円
(ク) 損害額合計 三一九五万七三九二円
イ 相続及び債権譲渡
亡Bの相続人は、F、原告及びGの三名であるから、各相続人の相続による取得分は、一〇六五万二四六四円(=三一九五万七三九二円÷三)である。
Gは、相続により取得した被告に対する損害賠償請求権一〇六五万二四六四円を、平成二五年一一月二一日、原告に譲渡した。
したがって、原告の被告に対する損害賠償請求権は、二一三〇万四九二八円である。
ウ 弁護士費用 二一〇万円
エ 合計 二三四〇万四九二八円
(被告の主張)
不知ないし争う。
第三当裁判所の判断
一 認定事実
前記前提事実並びに証拠<省略>によれば、以下の事実を認めることができる。
(1) 被告病院の診療経過
ア 五月一四日、前医病院の主治医は、亡Bについて両下肢閉塞性動脈硬化症と診断し、亡Bの家族に対し、「足の方は良い状態ではないが、寝たきり状態で、足だけ治療して意味があるのか。」、「足が腐ったり、痛みが強かったり、黴菌がつき感染して命が危険な状態なら切断の手術が必要。」等の説明をした。このことは、亡Bの被告病院への入院時に、亡Bの家族が上記説明を納得したことと合わせて、ケアマネージャーを通じて被告病院医師に伝えられた。
イ 褥瘡
九月二一日、亡Bの仙骨周囲に六センチメートル×一〇センチメートル程度の褥瘡が認められ、同月二四日及び同月二六日には、これが悪化していることが認められた。
ウ チアノーゼの出現
九月二九日、亡Bの右下肢にチアノーゼが出現し、一〇月一日には、左足底にもチアノーゼが認められた。
エ 転院措置
一〇月一日、原告は、亡Bを後医病院へ転院させることを希望した。C医師は、同日、後医病院宛の紹介状を作成した。
オ 一〇月二日から同月三日にかけての亡Bの所見等
(ア) 一〇月二日午前六時
体温三六・〇度、脈拍八〇回/分、血圧一三三/七八mmHgであった。両下肢足底は冷たく、左下肢末梢は変色してきていた。左下肢は冷たく、足首や足底の皮膚が黄色くなっていた。亡Bは、「右下肢は痛くないが、左下肢が痛い」旨訴えた。
(イ) 一〇月二日午前一〇時
体温三六・二度、脈拍八一回/分、血圧一六〇/七三mmHgであった。両足背動脈触れず。両足背から下肢に冷感、チアノーゼの増強がみられた。声掛けには穏やかな表情で頷いた。
(ウ) 一〇月二日午後二時
体温三七・四度、脈拍九六回/分、血圧一四三/八六mmHgであった。足背チアノーゼやや軽減も爪甲は増強気味であった。
(エ) 一〇月二日午後四時
体温三七・六度、脈拍九八回/分、血圧一四五/七三mmHgであった。点滴の漏れがあり、左手背部腫脹がみられた。両下肢チアノーゼに変化はみられなかった。足背動脈触れず。
(オ) 一〇月二日午後七時
体温三七・七度、脈拍一二三回/分、血圧一四六/八二mmHgであった。体熱感あり、頭部及び背部クーリングを開始した。下肢冷感、チアノーゼあり。
(カ) 一〇月二日午後一一時
両下肢冷感、チアノーゼあり。右下肢チアノーゼが強度であった。体温三六・一度であった。体熱感みられず、クーリングを除去した。いびきをかいて入眠していた。三〇秒位の無呼吸が頻回にあった。
(キ) 一〇月三日午前二時
体温三七・二度、血圧一三〇/九八mmHgであった。声かけに頷きがみられ、胸苦等はみられなかった。
(ク) 一〇月三日午前五時三〇分
体温三七・八度、脈拍一二六、血圧一五〇/九七mmHgであった。体熱感あり、頭部及び左腋下クーリングを開始した。倦怠感の様子なし。
(ケ) 一〇月三日午前九時
後医病院を受診した。
(2) 後医病院の診療経過
ア 後医病院医師は、一〇月三日、亡Bについて
(ア) 「①敗血症 炎症高度、血圧、脈拍等不安定 ②重症下肢虚血 感染も合併、③肺癌 ④糖尿病 ⑤腎不全、⑥褥瘡、⑦摂食障害、予後はきわめて不良→まずやれる治療は行っていく(その都度相談しながら)」等と記載した同日一三時付け病状説明用紙を作成し、
(イ) 病名(他に考え得る病名)欄に「一重症下肢虚血、二敗血症、三肺炎、肺癌、四糖尿病、五心不全」、症状欄に「発熱、下肢チアノーゼ」等、治療計画欄に「点滴治療―落ちつけば手術検討」等と記載した同日付け入院診療計画書を作成した。
イ 後医病院において、一〇月二〇日に亡Bの創部から採取した検体の培養検査を行った結果、同月二五日に緑膿菌が検出されており、同月二一日に亡Bの静脈血の培養検査を行った結果、同月二七日に緑膿菌が検出された。
(3) 死亡診断書
後医病院のH医師が作成した亡Bの死亡診断書には、直接の死因として「敗血症」との記載があり、発病(発症)又は受傷から死亡までの期間として「約一か月」との記載がある。
二 医学的知見
掲記の証拠によると、以下の事実が認められる。
(1) 緑膿菌感染症
ア 病態
緑膿菌は、湿潤な環境に広く存在するグラム陰性桿菌である。緑膿菌は、薬剤に対して耐性であり、あるいは耐性となりやすく、抗菌薬の投与によって他の病原性の強い感受性菌が減少すると、菌数が増加し、顕在化する。同時に医原的な要因や疾患によって宿主の感染防御能が低下すると相対的に病原性を発揮し、感染症が発症する、いわゆる日和見感染症の代表的細菌である。熱傷、白血球減少症、免疫抑制状態の宿主に肺炎や敗血症等の重篤な感染症を発症する。
緑膿菌感染症の大部分は内因性感染症とされているが、保菌者や介助者の手指、日用品、医療器具等様々なルートで隣接した患者に伝播し、さらに血管内カテーテルの不適切な管理等に起因する外因性感染症、医原性疾患が強く疑われるものもある。
イ 臨床所見
緑膿菌による敗血症を発症した場合、多彩な皮疹を生じる。なかでも壊疽性膿瘡は有名であり、紅斑で始まり、数時間の経過で硬結、出血性小水泡となる。
ウ 診断
血液培養等本来無菌である検体から緑膿菌が検出された場合、原因菌と診断することができる。他方、喀痰や尿等の常在菌が存在する検体や、慢性感染では、緑膿菌が検出されたからといって抗菌薬による治療が必要であるというわけではなく、緑膿菌の白血球による貪食像の有無を検体のグラム染色塗抹鏡検にて確認することになる。
(2) 敗血症
ア 定義
敗血症は、感染症に起因するSIRSと定義付けられる。
SIRSは、原因疾患によらず、①体温>三八度又は<三六度、②心拍数>九〇回/分、③呼吸数>二〇回/分又はPaCO2<32torr、④白血球数一二〇〇〇/立方ミリメートル又は<四〇〇〇/立方ミリメートルあるいは未熟白血球>一〇パーセント等の全身反応を呈し、これら四項目のうち二項目以上を満たした場合と定義される。
敗血症は、重症の場合には、その重症度によって、重症敗血症、敗血症性ショックに分類される。
イ 診療ガイドライン
(ア) サヴァイヴィング・セプシス・キャンペーン・ガイドライン(Surviving Sepsis Campaign guideline。以下「SSCG」という。)は、重症敗血症(severe sepsis)及び敗血症性ショック(septic shock)に関する診断法、管理法、治療法に関するガイドラインとして欧米で最も利用されているものである。しかし、これを人種の異なる日本人にそのまま適用することに疑問があったことから、日本集中治療医学会は、セプシス・レジストリ(Sepsis Registry)委員会を立ち上げ、日本における重症敗血症及び敗血症性ショックに対する管理法の実態を把握し、SSCGの本邦版である日本版敗血症診療ガイドライン(以下「診療ガイドライン」ともいう。)を策定した。
(イ) SSCGは、二〇〇四年に初版が策定公表され、その改訂版が二〇〇八年に策定公表されている(以下、二〇〇八年のSSCGの改訂版を「SSCG二〇〇八」という。)。
(ウ) 現在の定義では、敗血症(sep-sis)は、感染症に起因するSIRS(infection-induced SIRS)であり、その重症型が重症敗血症(severe sepsis)及び敗血症性ショック(septic shock)である。しかし、一般的に臨床医が抱いていた敗血症の定義と乖離があることが指摘されていた。SSCGの二回目の改訂委員会において、重症敗血症(severe sepsis)及び敗血症性ショック(septic shock)を改めて敗血症(sepsis)と呼称するのが良いのではないかとの議論が出されたが、この議論は、日本版敗血症診療ガイドラインの発効日(平成二四年一一月)現在において結論は得られていない。
(エ) SSCGの二回目の改訂版では、救命緊急診療(critical care)の対象となる敗血症(sepsis)は、重症敗血症(severe sepsis)とされた。
(オ) 診療ガイドラインでは、医療行為につき、推奨の強さを、1(強い推奨)ないし2(弱い推奨)、推奨する事項の質の高さをAないしDに分類して、医療行為の推奨度を表している。
ウ 診断
(ア) バイタルサイン、一般血液検査結果に基づきSIRSの診断を行い、また、他覚的所見、画像所見等を総合して感染症の有無を判断する。そして、敗血症が疑われた場合には、臓器障害の有無、循環動態の把握、感染巣の確認などを速やかに行う。
(イ) 重症敗血症及び敗血症性ショックでは、菌血症を合併している可能性が高いため、すべての症例において、原因菌診断目的で、抗菌薬投与開始前に血液培養を行う(推奨度1D)。他の部位の感染が疑わしければ、その部位から培養検体を採取する。もっとも、検体採取のために抗菌薬投与が遅れることがないよう留意することが推奨される。
エ 治療
(ア) SSCG二〇〇八は、敗血症性ショックを対象とした後ろ向き(後方視的)多施設コホート研究(特定の要因に曝露した集団と曝露していない集団を一定期間追跡し、研究対象となる疾病の発生率を比較する研究)、及びカンジダ血流感染症を対象とした後ろ向き(後方視的)研究を根拠として、重症敗血症ないし敗血症性ショックの診断後、一時間以内に経験的抗菌薬投与を開始することを推奨する(推奨度1C)。
(イ) 経験的治療では、起炎菌を推定し、その感染症で疫学的に頻度の高い起炎菌をカバーできる広域抗菌薬の投与を行う。その後培養検査結果、臨床経過を踏まえて抗菌療法の再評価を行う(推奨度1C')。
(3) 閉塞性動脈硬化症
ア 病態
閉塞性動脈硬化症は、動脈硬化により、腹部大動脈以下の下肢動脈、弓部大動脈分枝が狭窄又は閉塞をきたし、慢性の血行障害が生じ、四肢の冷感、痺れ感、間欠性跛行、疼痛、末梢皮膚の壊死、潰瘍、指趾壊死等の症状を有する病態である。
イ 臨床症状
四肢の皮膚血行障害と筋肉虚血による症状が主たる症状である。症状が軽度の場合は四肢の冷感、痺れ感であり、進行して間欠性跛行、さらに進行して安静時疼痛がみられるようになり、最終的には指趾の潰瘍、壊死に至る。理学所見により、動脈拍動の減弱あるいは消失があり、患側の皮膚温の低下や皮膚のチアノーゼ、色調の変化等がある。
ウ 治療
(ア) 薬物療法
薬物療法としては、経口と点滴療法の二つが主流である。経口薬は抗血小板作用、抗凝血作用、血管拡張作用、抗動脈硬化作用等抗血栓性薬剤を処方する。点滴療法はヘパリンに加えてプロスタグランジン製剤や線溶療法剤、抗トロンビン剤等が一般的に行われる。
(イ) 手術療法
日常生活活動に影響する間欠性跛行や安静時痛、潰瘍、壊死症例は血行再建の適応となる。
三 争点一(緑膿菌に感染させた過失の有無)について
(1) 原告は、被告病院医師には、亡Bの被告病院入院期間中いずれかの時点において、不適切な管理により、亡Bの右足の点滴部分又は腰部の褥瘡部分から、緑膿菌を侵入させ、亡Bに感染症を発症させた過失があると主張し、一〇月二日時点で亡Bが緑膿菌に感染していたことを示す事実として、後医病院転院後の一〇月三日に後医病院医師が亡Bを敗血症と診断し、一〇月二〇日に亡Bの下腿創部から採取した検体から緑膿菌が検出されたことを挙げる。
(2) しかしながら、原告の上記主張は採用できない。
医療関係訴訟においては、診療契約上の債務の不完全履行を理由として損害賠償を求める場合と不法行為を理由として損害賠償を求める場合とで、その過失の主張立証責任は異なるところはない。過失の本体である注意義務違反については、注意義務の存在及び内容を根拠付ける所見(いわゆる過失の評価根拠事実に相当するもの)を具体的に主張立証する責任は過失があるとする側にあると理解されている。そして、所見から導かれる注意義務の存在及び内容は、医学的知見を踏まえなければ、明らかにすることができないところ、この医学的知見は専門的経験則に属するものであり、立証されなければ、裁判所において経験則として採用することができない。注意義務違反を基礎付ける医学的知見が立証されないときは、結果として所見から導かれる注意義務の存在及び内容が明らかにならないため、上記の医学的知見が立証できないことは、過失があるとする側の不利益とならざるを得ない。
以上を前提とすれば、原告において、亡Bが緑膿菌に感染することを防止するためにどのような措置を講ずべきであったか(注意義務の存在及び内容)について、医学的知見を踏まえ、具体的に主張する必要がある。この点について、原告は、緑膿菌に感染したとの結果から被告病院に何らかの過失があると主張するにとどまる。患者が緑膿菌に感染したときに、そのことから直ちに医師の過失が事実上推定されるものではないから、原告の上記主張は主張自体失当であり、採用できない。
そもそも、緑膿菌が検出されたのは一〇月二〇日採取の検体からであり、一〇月二日の時点で緑膿菌に感染していたことを認めるに足りる証拠はなく、原告の上記主張はその前提を欠くと言わざるを得ない。
四 争点二(敗血症の発症を見落とした過失の有無)及び過失と死亡との因果関係について
(1) 亡Bは、一〇月三日に後医病院に転院し、その後一一月二四日に至って死亡したところ、原告は一〇月二日に後医病院に転院していれば、死亡という結果が避けられたと主張する。
しかし、一日早く敗血症を疑って諸検査を行っていれば亡Bが死亡しなかったことにつき、何ら具体的な主張はない。かえって後医病院において、起因菌の特定ができたのは一〇月二〇日であることを踏まえれば、一日早く転院させていたとしても、効果的な治療が開始できたかについては大いに疑問のあるところであり、仮に一〇月二日の時点で敗血症を疑って諸検査を行わなかった過失が認められたとしても、死亡との間の因果関係が認められないから、原告の主張は採用できない。
(2) なお、原告は、因果関係がある根拠として診療ガイドラインに、①敗血症の診断後速やか(一時間以内)に抗菌薬の投与を開始すること、②感染部位の特定を早期(六時間以内)に行うことを推奨し、重症敗血症において病態認識から抗菌薬投与までの時間が短いほど死亡率が低い傾向があるとされていることを挙げる。しかしながら、診療ガイドラインは、重症敗血症及び敗血症ショックに係る診断や治療方法を推奨しているものであり(前記医学的知見(2)イないしエ)、感染症に起因するSIRSのうち、重症でないもの(以下「単純敗血症」という。)について、同ガイドラインの治療が推奨されるものではない。亡Bにつき、一〇月二日の時点において、重症敗血症に罹患していたことを認めるに足りる証拠はなく、その前提を欠いている。
確かに、後医病院の医師は、一〇月三日付け病状説明用紙の病状として敗血症と記載し、同日付け入院診療計画書の病名欄に敗血症と記載した(前記認定事実(2)ア)が、これをもって、亡Bが重症敗血症であったことを推認するに足りない。
かえって、同書面に記載された敗血症は、単純敗血症であって、診療ガイドラインが記載するような緊急救命措置が必要な状態ではなかったことがうかがえる。このことは、後医病院の退院時要約では一〇月三日に後医病院が診断した病名は重症下肢虚血にとどまり、敗血症である旨の記載がないこと、同要約には、一〇月五日の後医病院での治療を経た後、「更に感染(Pseudomonas)し敗血症になったため同月二二日…」という、後医病院で緑膿菌(Pseudomonas)に感染し、敗血症になった趣旨の記載があること、後医病院作成の一〇月三日付け入院診療計画書の治療計画には、点滴治療、落ち着けば手術検討とあるのみで、血液培養検査及び抗菌薬投与等の重症敗血症を前提とする治療計画が記載されておらず、後医病院の医師記録にも、一〇月三日の時点では、重症敗血症を前提とする検査や治療が行われた旨の記載がないこととも合致する。
(3) また、以下のとおり、被告病院医師には、一〇月二日の時点で、亡Bが敗血症に罹患していることを疑って、敗血症の診断をするための諸検査を行う義務があったということもできない。
ア 敗血症は感染症に起因するSIRSを意味するところ(前記医学的知見(2)ア)、敗血症を疑うべきというにはSIRSを疑う所見が認められ、さらにそれが感染に起因することを疑うべき所見が認められる必要がある。しかし一〇月二日の時点では、SIRSの要件(前記医学的知見(2)ア)のうち、②の要件を満たす(心拍数が一二三回/分であり、九〇回/分を超える。)のみである(前記認定事実(1)オ)。
亡Bは、九月二一日に認められた褥瘡がその後悪化しており(前記認定事実(1)イ)、そこからの感染のおそれも考えられる状況にあり、一〇月二日の午前一〇時には脈拍が八一回/分であったが午後二時には九六回/分、午後四時には九八回/分、午後七時には一二三回/分と上昇した。他方、同日午前一〇時から午後二時までの間に、体温が三六・二度から三七・四度まで上昇したものの、午後四時には三七・六度、午後七時には三七・七度と、五時間の間に〇・三度程度の上昇で推移したにとどまるから、クーリングをしなければ、体温が三八度を超えたともいえない(前記認定事実(1)オ参照)。また、前記SIRSの③の要件である呼吸数については、呼吸数に異常があり、検査が必要であるか否かは臨床的に観察すれば一見して判断が可能であり、特に異常がなければ呼吸数の検査までは行わないと思われる。一〇月二日の被告病院の医療記録に呼吸数に係る記載がないことをもって、呼吸数について検査を実施しなかった過失があるとは直ちにいえないし、より侵襲的な血液検査を実施しなかった過失があるとはいえない。
イ 原告は、一〇月三日時点で後医病院の医師が敗血症の診断をしていたことから、一〇月二日の時点で亡Bが敗血症に罹患していたことが明らかである旨主張する。しかしながら、上記(2)のとおり、後医病院医師が診断したものは重症敗血症であったとは認められないから、亡Bが一〇月三日の時点で重症敗血症に罹患していた事実を認めるのは困難であり、亡Bが一〇月二日の時点で重症敗血症に罹患していたことを前提として、重症敗血症に係る義務違反があったとすることはできない。
五 争点三(敗血症に対する適切な治療を行わなかった過失の有無)及び過失と死亡との因果関係について
亡Bは一〇月三日に後医病院に転院し、その後一一月二四日に至って死亡したところ、一日早く敗血症の治療を開始していれば亡Bが死亡しなかった高度の蓋然性があることにつき立証がされていないことは上記四(1)に述べたのと同様である。
なお、原告は、被告病院医師には、一〇月二日の時点で、敗血症に対する適切な治療を行わず、漫然と同じ抗生物質を投与し続けた過失がある旨主張するが、重症敗血症を疑うべき所見がないのに重症敗血症に対する治療を開始すべきとはいえないから、被告病院医師に重度敗血症に対する治療を行うべき義務があったとはいえない。
六 争点四(両下肢閉塞性動脈硬化症の進行を見落とした過失の有無)及び過失と死亡との因果関係について
(1) 原告は、被告病院医師が一〇月三日の時点で原告に対し「炎症が上がっている原因は足の方です。左右とも大動脈から分かれた下肢の血管が、左足はほとんどつまりかけているけど、右足は全部つまっています。」、「二四時間以上経っていますので、手遅れの状態です。今は、DIVで血行回復の薬を使っていますが、回復の見込みは分かりません。」と説明をしたことを根拠に、一〇月二日の時点で両下肢閉塞性動脈硬化症の治療がされていれば血行の回復を期待することができたと主張する。
しかし、原告は、被告病院医師が一〇月二日の時点で諸検査を行い両下肢閉塞性動脈硬化症の進行度の把握をし、どのような治療を行えば、亡Bが死亡しなかったかということについて、その機序を明らかにしない。したがって、仮に一〇月二日の時点で被告病院医師に両下肢閉塞性動脈硬化症が進行しているか否かを診断するための諸検査を行わなかった過失があったとしても、死亡との間の因果関係が認められない。
(2) なお、以下のとおり、被告病院医師には、一〇月二日の時点で、両下肢閉塞性動脈硬化症が進行しているか否かを診断するための諸検査を行う義務があるのにこれを怠ったということもできない。
被告病院医師が被告病院入院時から亡Bの下肢の状態が良くないことを認識し(前記認定事実(1)ア)、亡Bの被告病院入院中のリハビリ計画が、両下肢閉塞性動脈硬化症の診断を前提とするものであったこと、C医師が、同月三日の転院時に後医病院の医師に亡Bが両下肢閉塞性動脈硬化症の患者であることを伝えていることからすると、被告病院医師は、亡Bの被告病院入院中、両下肢閉塞性動脈硬化症の診断を前提とする処置を継続的に行ってきたものと認められ、さらに、亡Bが同日には後医病院に転院する予定であったことも踏まえると、同月二日の時点で亡Bに上記の所見が現れたとしても、その日のうちに、改めて両下肢閉塞性動脈硬化症が進行しているか否かを診断するための諸検査を行うべき義務があったということはできない。
七 争点五(両下肢閉塞性動脈硬化症に対する適切な治療を行わなかった過失の有無)及び過失と死亡との因果関係について
(1) 原告は、亡Bにつき、一〇月三日亡Bの転院より一日早い一〇月二日の段階において、適切な治療がされたときに亡Bが死亡しなかった機序について明らかにしない。したがって、仮に一〇月二日の時点で適切な治療を行わなかった過失があったとしても、死亡との間の因果関係が認められない。
(2) なお、以下のとおり、被告病院医師には、一〇月二日の時点において、両下肢閉塞性動脈硬化症に対する適切な治療を行う義務があるのにこれを怠り、あるいは自ら適切な治療を行うことができないのであれば早期に適切な治療を行うことができる病院等に転院させるべき義務があるのにこれを怠った過失があると認めることもできない。
亡Bを後医病院に転院させることが一〇月一日に決定していたところ、C医師及びD医師が同月二日の時点で転院までの間にいかなる治療行為を行うべきであり、また行うことができたかにつき、具体的な主張はなく、義務違反の内容を確定できない。また、同月二日に行うべき治療行為が明らかではないから、転院先の医療機関においてすべき義務の内容が明らかではなく、転院義務を発生する前提を欠き、原告の主張を採用できない。
八 結論
よって、その余の争点について判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がないから、これを棄却し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 本間健裕 裁判官 郡司英明 中川大夢)