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札幌地方裁判所 平成4年(わ)173号 判決 1992年9月10日

主文

被告人を懲役一年六か月に処する。

未決勾留日数中一五〇日をこの刑に算入する。

理由

(犯罪事実)

被告人は、法令の定める除外事由がないのに、平成四年一月二九日からさかのぼること数日の間に、札幌市内又はその周辺において、覚せい剤(フェニルメチルアミノプロパン)を注射、服用、塗布等の方法により自己の身体に取り入れ、使用した。

(証拠)<省略>

(補足説明)

弁護人は、被告人の尿の鑑定書(<書証番号略>。以下「本件鑑定書」という。)は違法収集証拠であって排除されるべきであり、また、被告人には覚せい剤使用の記憶がないから、結局、被告人は無罪である旨の主張をし、被告人も、覚せい剤使用の事実を全面的に否定しているので、当裁判所の判断を補足して説明する。

一  本件鑑定書の証拠能力について

1  弁護人の主張の概要

本件鑑定書の証拠能力についての弁護人の主張は、概要以下のとおりである。

(一) 本件鑑定に供された被告人の尿(以下「本件尿」という。)は、被告人の収容された病院の医師が、被告人の意識混濁中に採取して警察官に提出した尿(以下「第一の尿」という。)の鑑定結果に基づき、違法に発付された差押許可状によって差し押さえられたものである。

(二) 患者を治療する医師が行う採尿は、治療行為の目的を越えてはならないとの制約があるから、本件において被告人の治療行為に当たった医師が警察官に対して第一の尿を提出した行為は、患者である被告人の推定的意思を無視した違法な行為であって、実質的には、医師をダミーとして介在させた搜査機関側による尿の強制採取に等しい。

(三) したがって、本件尿の差押手続には重大な違法があり、本件鑑定書も、いわゆる違法収集証拠として、証拠能力を欠く。

2  本件尿の差押を巡る事実関係

関係各証拠によれば、本件尿の差押を巡る事実関係は、概要以下のとおりであった。

(一) 被告人は、平成四年一月二九日午後五時過ぎころ、札幌市<番地略>の○○店内で心身の不調をきたし、店員からの通報で駆けつけたA巡査らが「薬」の使用の有無につき尋ねたのに対して、「うん」と言って頷き、さらに「執行猶予中だから。」などと覚せい剤の使用をほのめかす言葉を口にした。

(二) そこで、A巡査らは、当初、覚せい剤使用の容疑で被告人を警察署へ任意同行することを考えたが、そのうちに被告人の意識が朦朧状態となったため、被告人を病院に収容するため、救急車を手配した。

(三) 被告人は、到着した救急車に乗せられ、当初収容先として予定されていた個人病院へ向かったが、途中、救急隊員の判断により、薬物関係の治療設備の整った札幌市<番地略>所在の札幌センチュリー病院に収容されるに至った。

(四) 同病院の院長であるB医師は、収容された被告人の症状を薬物による意識障害と診断し、同病院の集中治療室において、胃の洗浄、血管確保、バルンカテーテルよる導尿等の治療行為を行った。

(五) 他方、A巡査らから被告人に覚せい剤使用の疑いがある旨の通報を受けた札幌方面東警察署のC警部補は、札幌センチュリー病院に赴き、B医師の治療が終わるのを待って、被告人の容態を尋ねたところ、同医師から、被告人の症状は薬物による意識障害であり、尿も採取してある旨の返答を得た(なお、C警部補とB医師とは、この時が初対面であった。)。

(六) そこで、C警部補は、B医師に対して、導尿バッグに溜まっている被告人の尿の提出方につき同医師の意向を尋ねると、同医師は、尿を提出してもよい旨承諾するとともに、C警部補を集中治療室に案内し、被告人の左腕にあった真新しい注射痕を見分させた。

(七) その後、C警部補は、病院一階事務室で、B医師から事情を聴取して供述調書を作成し、病院に同行したD巡査が、B医師の指示をうけた当直の医師をして、導尿バッグ中の被告人の尿の一部を持参したメディカップに移し換えてもらい、第一の尿の提出を受けてこれを領置した。

(八) 札幌方面東警察署は、翌三〇日早朝、第一の尿につき北海道警察本部刑事部科学搜査研究所に鑑定を依頼し、同日午前中に、第一の尿から覚せい剤成分が検出された旨の回答を得たうえ、その鑑定結果、B医師の供述調書等を疏明資料として、札幌地方裁判所に対し、被告人の尿の差押許可状と身体検査令状の請求をし、これらの発付を得た。

(九) C警部補らは、同日のうちに、これらの令状を持って再び札幌センチュリー病院に赴き、B医師の立会いのもと、同病院の看護婦をして導尿バッグから被告人の尿の一部を持参したメディカップに移し換えてもらい、本件尿を差し押さえるとともに、まだ意識混濁状態にあった被告人の両腕につき身体検査を実施した。

(一〇) 札幌方面東警察署は、同日、前記科学搜査研究所に対して本件尿の鑑定を依頼し、同日夜、本件尿からも覚せい剤成分が検出された旨の回答を得るとともに、二月五日、本件鑑定書の提出を受けた。

3  判断

(一) 右のような事実関係を前提とすると、B医師は、犯罪搜査とは無関係に、もっぱら被告人に対する治療行為の一環として、バルンカテーテルによる導尿行為を行ったものであり、それ以後の被告人の容態の推移いかんによっては、導尿バッグ内の尿についても、さらに医学的見地からする成分検査等の必要性の有無を判断すべき立場にあったものと認められる。そうすると、同医師は、導尿バッグ内に採取された被告人の尿の保管者であったというべきであるから、第一の尿の領置手続は、尿の保管者による任意の提出にかかるものとして、刑事訴訟法二一一条の規定する領置に当たると解される。

(二) もっとも、弁護人が指摘するとおり、治療行為に当たる医師としては、その採取した尿を治療行為に必要な範囲内でのみ利用し、処分し得るという診療契約上ないし事務管理上の義務を負っていることは否定できないところであろう。しかし、他方、刑事訴訟法二二一条、一〇一条は、他人のために証拠物等を占有する保管者からの任意提出、領置の制度を明文で認めており、しかもその適用対象の範囲を限定してはいない。また、同法二三九条一項によれば、医師にも犯罪の告発権限があるのであるし、同法一〇五条にいう押収拒絶権も、医師に認められた権限であって義務ではない。そうすると、治療行為に当たる医師に、患者の尿を搜査機関に提出する権限があると一般的に認めることはできないとしても、契約あるいは事務管理という私法上の義務違反が、直ちに、搜査機関に対する尿の任意提出、その領置の手続を違法とするものではないというべきである。

(三) 本件においては、前記事実関係のとおり、B医師は、もっぱら被告人の治療行為を目的として被告人の尿を導尿バッグに採取していたものであり、いわゆる搜査機関の手先として、あらかじめ警察官に提出する意図でこれを行ったということを窺わせる事情は存在しない。また、C警部補が、B医師に対して、第一の尿の提出につき有形無形の強制ないし圧力を加えたという形跡も全くないし、その時点においては、搜査機関側は、被告人の○○店における挙動、身体の状況等から、被告人の覚せい剤使用につき相当の嫌疑を抱いていたのであるから、第一の尿の領置は、いわゆる一般搜索ないし押収の形態にも当たらない。B医師としても、当時、被告人は意識が混濁し、自らの意思で任意提出の諾否を表明できない状態にあったわけで、被告人から、警察官に対する尿の提出を拒否してもらいたい旨の明示的な依頼を受けていたものではない(弁護人は、搜査機関への尿の提出は被告人の推定的意思に反するというが、それはあくまでも「推定」であって、B医師としては、被告人の確定的意思を知り得る状況にはなかった。)

(四)  これらの事情を総合すると、第一の尿の任意提出、領置の手続に違法な点は存在せず、したがって、その鑑定結果に基づく差押許可状の請求も適法であったというべきである(なお、弁護人は、搜査機関としては、第一の尿の採取手続の違法性を自覚していたために、わざわざ差押許可状を請求し直したのであるという趣旨の主張もしている。しかし、第一の尿の採取手続に違法な点がないことは、右に述べたとおりであり、また、本件のような場合に、医師からの任意提出、領置という手続によるよりも、一層厳格な要件を要する令状に基づく差押の手続をとる方が、令状主義の精神、医師という職業に対する信頼の保護の観点からして、より望ましい方法であることはいうまでもないところであるから、本件においても、警察官が差押令状による尿の差押手続をとったことを非難することはできない。)。

(五) 以上により、第一の尿の鑑定結果等を疏明資料としてなされた差押許可状の発付手続にも違法な点は存在せず、これに基づいて差し押さえられた本件尿を違法収集証拠ということはできないから、本件鑑定書には証拠能力が認められる。

二  被告人の覚せい剤使用の事実及び故意について

1  前掲各証拠によれば、被告人の覚せい剤摂取の事実、その犯意等について、以下の各事実を認めることができる。

(一) 平成四年一月三〇日に採取された被告人の本件尿からは、鑑定の結果、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンが検出された。

(二) 札幌センチュリー病院及び被告人が前日の一月二九日に受診した札幌花園病院において被告人に施用した薬品や、被告人が当時服用していたという市販の薬品の中に、覚せい剤成分を含有するものは全く存在しない。

(三) 平成四年一月三〇日に実施された被告人の身体検査の際、被告人の両腕には多数の注射痕が認められ、そのうち左腕肘関節内側のものは、同日の写真撮影時からさかのぼること長くて二週間、短くて一週間以内に注射された真新しいものであった(被告人は、これを引っき傷である旨供述するが、同注射痕の鑑定書に照らし、その弁解は到底信用することができない。)。

(四) 札幌センチュリー病院及び札幌花園病院においては、被告人の左腕肘関節内側に注射をした事実はない。

(五) 被告人は、前述のとおり、○○店内で心身に異常をきたした際、通報で駆けつけた警察官に対して、覚せい剤の使用をほのめかす言葉を口にしていた。

(六) 被告人は、これに先立つ数日の間、札幌市及びその周辺地域を離れておらず、自己の意識を喪失して無意議状態に陥るような心身の異常をきたしたこともなかった(被告人は、公判延において、一月二九日午後四時ころに大谷染香苑の寮を出てから札幌センチュリー病院の集中治療室で気がつくまでの間の記憶が全くない旨供述する。しかし、被告人は○○店に現れた当初は何ら異常な状態にはなく、どこかに電話をかけようとしているうちにうずくまるような恰好になり、これに気付いた同店の店員に介抱されたものであって、しかも、その店員に対して大谷染香苑の電話番号を正確に口授しているのである。そうすると、大谷染香苑の寮を出てから○○店に来店するまでの間に、被告人が無意識状態に陥る可能性はなかったものと認められるから、被告人の右弁解は信用することができない。)。

(七) 被告人は、昭和六三年夏ころに覚せい剤を使用して特別少年院送致となり、その後平成二年三月にも覚せい剤を使用して、同年五月には執行猶予付有罪判決を受けるなど、覚せい剤に対する親和性が著しい。

2  これらの事実を総合すると、被告人が、平成四年一月二九日からさかのぼること数日の間に、札幌市内又はその周辺において、故意に覚せい剤を体内に取り入れて使用したという事実を優に認定することができる。

(法令の適用)

罰条 平成三年法律第九三号附則三項、改正前の覚せい剤取締法四一条の二第一項三号、一九条

未決勾留日数算入 刑法二一条(一五〇日)

訴訟費用 刑事訴訟法一八一条一項ただし書(不負担)

(量刑の事情)

被告人は、少年時代に覚せい剤を使用して特別少年院送致となり、成人後の平成二年五月にもやはり覚せい剤の使用で執行猶予付有罪判決を受けたにもかかわらず、またも安易に覚せい剤を使用したもので、その覚せい剤に対する親和性は顕著である。また、被告人は、右執行猶予期間中に本件犯行に及んだもので、遵法意識の欠如は甚だしく、犯情は悪質である。さらに、被告人は、搜査、公判を通じ、不合理な弁解をして覚せい剤の使用を否認し、反省の情が顕著であるとはいいがたい。

これらの事情に照らすと、被告人がこれまで更生保護施設である大谷染香苑に入居し、保護司の指導のもとで一応真面目に勤労生活を送ってきたと認められること、今回の有罪判決により前回の有罪判決の執行猶予が取り消されると、双方の刑期を合わせてかなり長期の服役にならざるを得ないことなど、被告人に対して有利に酌むべき諸事情を最大限に考慮しても、なお、被告人に対しては、主文のとおりの量刑はやむを得ないものと判断した。

(求刑)

懲役一年八か月

(裁判官草間雄一)

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