札幌地方裁判所 平成5年(行ウ)9号 判決 1997年3月27日
原告
萱野茂
同
貝澤耕一
右両名訴訟代理人弁護士
田中宏
同
三津橋彬
同
郷路征記
同
佐藤義雄
同
矢野修
同
伊藤誠一
同
渡辺英一
同
房川樹芳
同
髙橋剛
同
市川守弘
同
太田賢二
被告
北海道収用委員会
右代表者会長
高田照市
参加人
国
右代表者法務大臣
松浦功
右両名指定代理人
江口とし子
外六名
右被告指定代理人
大島隆
外三名
右参加人指定代理人
松本政美
外八名
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
ただし、沙流川総合開発事業に係る一級河川沙流川水系二風谷ダム建設工事に関する権利取得裁決の申請及び明渡裁決の申立てに対して、被告が平成元年二月三日付けでした権利取得裁決及び明渡裁決のうち、別紙物件目録一ないし四記載の各土地に係る部分はいずれも違法である。
二 訴訟費用のうち、参加によって生じた分は参加人の負担、その余は被告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
沙流川総合開発事業に係る一級河川沙流川水系二風谷ダム建設工事に関する権利取得裁決の申請及び明渡裁決の申立てに対して、被告が平成元年二月三日付けでした権利取得裁決及び明渡裁決のうち、別紙物件目録一ないし四記載の各土地に係る部分をいずれも取り消す。
第二 事案の概要
本件は、沙流川総合開発事業に係る一級河川沙流川水系二風谷ダム建設工事に伴う権利取得裁決及び明渡裁決の対象とされた土地の所有者あるいはその相続人である原告らが、右権利取得裁決及び明渡裁決並びにこれらに先立つ事業認定の際、右ダムの建設によるアイヌ民族及びアイヌ文化に対する影響が考慮されなかった違法があるとして、右各裁決の取消しを求めた事案である。
一 争いのない事実等(争いのない事実及び当裁判所に顕著な事実以外の事実は、適宜かっこ内の証拠によって認定した。)
1 当事者等
(一) 被告は、土地収用法五一条により設置された独立の行政委員会である。
(二) 参加人は、沙流川総合開発事業に係る一級河川沙流川水系二風谷ダム建設工事の起業者である。
(三) 原告萱野茂(以下「原告萱野」という。)は、別紙物件目録一及び二記載の各土地を、訴外貝澤正(平成四年二月三日死亡)は、同目録三及び四記載の各土地(以下別紙物件目録一ないし四の土地を総称して「本件収用対象地」という。)をそれぞれ以前所有していた。
(四) 原告貝澤耕一(以下「原告貝澤」という。)は、右貝澤正の長男である。
2 沙流川の概要
沙流川は、日高地方の最西端に位置し、日高山脈の北端近くの熊見山を源にほぼ南西に流下し、途中いくつかの支流と合流しながら日高町に至り、更に額平川と合流し、平取町を経て門別町富川で太平洋に注ぐ、幹線流路延長約一〇四キロメートル、流域面積約一三五〇平方キロメートルの一級河川(河川法四条一項)である(乙ロ一、一八)。
3 本件収用裁決に至る経緯等
(一) 一級河川の管理者である建設大臣(河川法九条一項)は、昭和五三年三月二三日、沙流川水系におけるそれまでの治水事業を受けて、その後の洪水の実績並びに流域の発展に伴うはん濫区域内の人口及び資産の増大にかんがみ流域の安全度を高める必要があるとの理由から、流域の治水計画を見直し、二風谷ダム(以下「本件ダム」という。)及び平取ダムを建設するなどして洪水調節を行うとともに併せて水資源の広域的かつ合理的な利用の促進を図ることなどを内容とした沙流川水系工事実施基本計画(以下「本件工事実施計画」という。)を改定した(乙ロ二、一八)。
(二) 建設大臣は、昭和五八年三月二四日、特定多目的ダム法四条に基づいて、洪水調節、流水の正常な機能の維持、かんがい用水、水道用水及び工業用水の確保並びに発電を目的として、本件ダム及び平取ダムの建設に関する基本計画(以下「本件基本計画」という。)を策定した(乙ロ三)。
(三) 北海道開発局(以下「開発局」という。)は、本件基本計画を受け、昭和五九年に地元地権者協議会との間で損失補償基準を妥結し、その後右基本計画おいてダム用地となっている土地の所有者と個別的に任意の用地取得交渉に入ったが、相続人が不明な場合のほか、主に価格に不満を持つ人々更にはアイヌの人々に対する補償等の要求を掲げた原告萱野及び訴外貝澤正ら一部地権者との間の交渉が難航した(乙ロ一八、二三、証人田中、原告萱野)。
(四) そこで、右開発局長は、起業者である参加人の主管大臣である建設大臣の代理人として、昭和六一年四月二五日、認定庁である建設大臣に対し、土地収用法一六条に基づき、起業者の名称を建設大臣、事業の種類を沙流川総合開発事業に係る一級河川沙流川水系二風谷ダム建設工事、起業地を北海道沙流郡平取町字二風谷、字荷負及び字長知内地内とした事業(以下「本件事業計画」という。)の認定を申請をした(乙ロ一八、二二)。
(五) 建設大臣は、右事業認定の申請を受けて、起業地が所在する市町村の長である平取町長に事業認定申請書等を送付し、これを受けた平取町長は、昭和六一年六月一九日、起業者の名称、事業の種類及び起業地を公告し、二週間後の七月三日まで書類の縦覧を行った。このとき、訴外貝澤輝一及び同貝澤正から北海道知事に対してアイヌの人々が近代化の歴史の中で喪失した土地等に対する権利の回復及びこれらに対する補償等を理由として右事業に反対する旨の意見書が提出された。
このような手続きを経て、建設大臣は昭和六一年一二月一六日に事業の認定(以下「本件事業認定」という。)をし、建設省告示第一九四七号をもって告示したが、出訴期間内にその取消しの訴えが提起されることなく、現在に至っている(乙ロ二三、二七、二八、証人田中、弁論の全趣旨)。
(六) 参加人は、昭和六二年一一月三〇日、沙流川総合開発事業の一環として、北海道沙流郡平取町二風谷にダムを建設するため、被告に対し、土地収用法に基づく権利取得裁決の申請及び明渡裁決の申立てをした。
(七) 被告は、右申請及び申立てについて、平成元年二月三日付けで別紙物件目録一ないし四記載の各土地につき、権利取得裁決及び明渡裁決(各裁決を総称して以下「本件収用裁決」という。)をした。
(八) 原告らは、本件収用裁決について、平成元年三月四日付けで建設大臣に対し、土地収用法一二九条に基づく審査請求をしたが、建設大臣は、平成五年四月二六日、右審査請求を棄却する裁決をし、右裁決書は、平成五年四月二八日、原告らに送達された。
二 争点
1 本件収用裁決は憲法二九条三項に違反するか。
2 本件収用裁決は本件事業認定の違法性を承継するか。
3 本件事業認定は土地収用法二〇条三号、四号に違反するか。
4 本件収用裁決について理由附記の不備の違法があるか。
これらの争点に関する当事者双方の主張の詳細は、別紙「当事者の主張」のとおりである。
第三 争点に対する判断
一 争点1について
原告らは、本件収用裁決が憲法二九条三項に違反する旨主張するところ、右主張は、本件収用裁決の根拠法規である土地収用法自体についてはこれが合憲であることを前提にしたうえ、個々の行政処分である本件収用裁決が直接憲法に違反するとの趣旨と解されるが、個々の行政処分については、法律との適合性が検討されなければならないのであって、直接憲法適合性を論ずることはできず、かかる主張は主張自体失当というほかはない。
二 争点2について
1 前記のとおり、本件事業認定については出訴期間内に取消しの訴えが提起されることなく、現在に至っているところ、原告らは、本件事業認定が土地収用法二〇条三号、四号の要件を欠き、その違法が本件収用裁決に承継される旨主張し、これに対し、被告は、違法の承継そのものを争うので、本件収用裁決の適法性を検討するに当たり、出訴期間を経過し、いわば形式的に確定した本件事業認定に関する違法性を本件収用裁決の取消訴訟である本件において争い得るのかどうかについて判断する。また、争い得るとした場合、先行処分の違法性をどの時点を基準に判断すべきであるのかが問題となるので、この点についても検討することとする。
2 土地収用法に基づく事業認定と収用裁決は、両処分の主体、法律要件及び法律効果は異なるものの、両処分が相結合して、当該事業において必要とされる土地を取得するという法的効果を完成させる一連の行政行為となっているものであり、このような場合には、先行処分たる事業認定が適法になされることが、後行処分たる収用裁決の要件となり、先行処分に違法があった場合には、その違法は当然に後行処分に承継されると解するのが相当である。なぜなら、土地収用手続における法的効果の完成は、最終処分である収用裁決に留保されており、事業認定が独立の争訟の対象となっているとしても、それは、行政上の法律関係の早期確定を意図して事業認定段階で争わなければ後の収用裁決段階で争うことを排除するという趣旨によるものではなく、国民の権利利益に大きな影響を与える行政行為について、各段階に争訟の機会を設けることにより、その手続を慎重ならしめ、もって、その手続及び内容の適正を確保しようとした趣旨であると解されるからである。また、事業認定をするのが建設大臣又は都道府県知事であるのに対し、収用又は使用の裁決をするのは収用委員会であって、この収用委員会に事業認定の適否を審査する権限がないが、これは被収用者からすれば行政庁相互間の権限分配の問題にすぎないし、仮に、収用委員会が事業認定の適否を審査する権限を有するのであれば、事業認定が違法であるにもかかわらず収用委員会がこれを適法であるとして裁決した場合、その収用裁決自体にも固有の瑕疵があるということになるので違法性の承継を認める必要がないのであって、むしろ、収用委員会が事業認定の適否を審査する権限を有していないからこそ、違法性の承継が認められなければならないのである。このように違法性の承継が認められることによって、前記のような法の趣旨が全うされるものである。
被告は、事業認定がなされると、土地所有者等が自己の権利に係る土地が起業地の範囲に含まれることが容易に判断できる起業地表示図が長期間縦覧されること、補償に関する事項について周知措置がとられていること、起業者が用地の大半を取得してから事業認定の申請をする実情等から、事業認定に際して権利者が不服申立ての機会を失することはほとんど考えられないことを理由に、収用裁決取消訴訟において事業認定の瑕疵を主張させる必要はない旨主張する。しかしながら、法の趣旨が事業認定段階で争わなければ後の収用裁決段階で争うことを排除するというものでないことは前記のとおりであるし、事業認定は土地所有者等に個別の通知がなされることなく、単に官報に告示されるだけであり、しかもその告示内容も、起業地として字名が表示される程度であって地番等の表示はなく、また起業地表示図が縦覧に供されるとしてもその場所は市町村役場にすぎず、土地所有者等が実際に縦覧する可能性は乏しいと考えられるのである。加えて一般的に土地所有者等は自己の所有する土地等について個別に収用又は使用裁決を受けて初めてその事態の深刻さを認識するのが通常であると考えられる。これらの諸点に照らすと、実際的にも収用裁決取消訴訟において出訴期間を経過した事業認定の取消事由を主張することができるとする必要があるというべきである。被告の主張は理由がない。
3 右2のように、後行処分が先行処分の違法性を承継すると解した場合、先行処分についていつの時点を基準にして違法性を判断すべきか、すなわち先行処分時か、それとも承継した後行処分時かが検討されなければならない。なぜなら、本件の場合は、事業認定が昭和六一年一二月一六日になされているのに対し、収用裁決は平成元年二月三日になされ、その間に約二年三か月の期間の経過があり、事実関係等が変化していることも考えられるからである。
抗告訴訟が行政庁の処分の事後審査を本質とするものであり、本件のように事業認定と収用裁決の場合、後行の収用裁決を行う収用委員会には先行する事業認定の適否について審査する権限がないのであるから、先行処分の適否は、その処分当時の、いわば塩漬けされた状態で後行処分の適否の要素となっていると考えることができる。したがって、先行処分の適否は先行処分がなされた当時を基準として判断すべきものである。このように考えないと、先行処分時に存在せず、行政庁において考慮し得なかった事実関係に基づいて裁判所が先行処分の適法性を判断することとなり、行政庁の第一次判断権を奪うことになり、相当でない。右説示のとおりであるから、本件において先行する本件事業認定の違法判断の基準時は、本件事業認定時と解するのが相当である。
したがって、本件事業認定の適否を判断するに際しては、右認定処分時に存在していた事実等を基礎とし、右処分後の事実は、その処分当時の事情を推認する間接事実等として役立つ限りにおいて斟酌することとなる。
4 右のとおり、収用裁決に事業認定段階における違法性が承継されるから収用裁決取消訴訟である本件において、本件事業認定段階における違法性を争い得るし、その違法性は本件事業認定時を基準として判断されることになる。
三 争点3について
原告らは、本件事業認定が土地収用法二〇条三号の要件を欠く旨主張し、被告らはこれを争うので、同号の要件適合性について判断する。
1 事実関係
土地収用法二〇条三号の「事業計画が土地の適正且つ合理的な利用に寄与するものであること」との要件は、当該事業の起業地がその事業に供されることによって得られる公共の利益と、その土地がその事業に供されることによって失われる公共的又は私的利益とを比較衡量して、前者が後者に優越すると認められるかどうかによって判断されるべきであると解される。そして、右比較衡量に当たっては、事業計画策定に至る経緯、事業認定に係る事業計画の内容、事業計画の達成によって得られる公共の利益、事業計画の実施により失われる利益ないし価値、本件事業により失われる諸価値に対しなされた配慮等を総合し行われるべきであると考えられるので、以下これらの事実関係について、順次検討することとする。
(一) 本件事業計画策定に至る経緯及びその内容
証拠(乙ロ一八、二二、証人森田)によれば、本件工事実施計画を改定するに際して、沙流川の治水方法として堤防方式とダム方式が考えられたが、現在の堤防はダムによる洪水調節が行われることを前提としており、堤防方式による場合には、土地利用が進んでいる下流の市街地を含む沙流川本流とその支流である額平川の両方の河川の川幅を広げるなど大規模な河川改修工事が必要となり、そのための事業用地約六三〇ヘクタールの取得、住家・事業所等二九四戸、学校二校、その他多数の公共施設等の移転が必要となって社会的影響が大きく、そのために約一七〇〇億円もの多額の事業費が必要となるうえ、堤防方式だけでは、洪水調節という問題は解決されても流水の正常な機能の維持や都市用水等の問題は解決されない等の理由から、ダム方式が採用されたこと、本件ダムの建設位置については、沙流川本流と額平川の両方からの流水を貯めることができるように、両川の合流点より下流の場所であること、地形、地質等からみた安全性や洪水調節の効果が高く、効率的に貯水量が確保できること、水没地内に大規模あるいは重要な物件が少なく、経済的にダムが建設できることという観点から、上・中・下流の三案(別紙「二風谷ダム候補地点位置図」参照)が選定されたうえ、ダムの建設には、河川の川幅が狭く、両岸の位置が高く、強固な地質で、かつ、支障物件が少ない場所が物理的にも経済的にも優れている場所であるとの理由で、中流案すなわち現在の本件ダムの位置となったこと、本件事業計画は、洪水調節、流水の正常な機能の維持、かんがい用水、水道用水及び工業用水の確保並びに発電を目的として、沙流川の河口から約二一キロメートル上流の地点に、堤高31.5メートル、堤頂長五八〇メートル、湛水面積4.3平方キロメートル、総貯水容量三一五〇万立方メートルの重力式コンクリートダムである本件ダムを建設するものであることが認められる。
原告らは、本件事業計画の主たる目的は苫小牧東部工業基地(以下「苫東基地」という。)に対する工業用水の供給にあったとし、本件事業認定時には苫東基地に対する工業用水の供給の必要はなくなっていたのであるから、本件事業計画はその目的がない旨主張し、右主張に沿う証拠(甲三の一・二、六、一〇の一ないし四、原告らの各該当供述部分)も存在する。
しかし、沙流川流域において洪水による被害が頻繁に発生していることは後記のとおりであることに加え、前記第二(事案の概要)一3(一)、(二)記載の事実及び証拠(乙ロ二、三、一八、二二、証人森田)によれば、本件ダム及び平取ダムは、昭和五三年に改定された本件工事実施計画においても洪水調節や水資源の広域的かつ合理的な利用の促進等が内容とされ、特定多目的ダム法に基づいて作成された本件基本計画においても、洪水調節、流水の正常な機能の維持、かんがい用水、水道用水及び工業用水道の確保並びに発電がその建設目的として掲げられているが、各種用水の確保及び発電は、洪水調節及び流水の正常な機能の維持に支障を与えないように行うこととされていること、本件ダムの総建設費用のうち治水部分の費用負担割合が71.8パーセントとなっていること、有効貯水容量(総貯水容量と堆砂容量の差)二六〇〇万立方メートルに対し、洪水期の治水容量(洪水調節容量と流水の正常な機能維持のための容量の和)がその八割強の二一六〇万立方メートルと計画されていることが認められ、これらの事実によれば、本件事業計画の主たる目的が治水(洪水調節及び流水の正常な機能の維持)にあることは明らかである。
(二) 本件事業計画の達成によって得られる公共の利益
(1) 洪水調節について
ア 沙流川流域における沙流川水系河川の洪水の発生状況
証拠(乙ロ二、四、二一、二二、証人森田)によれば、沙流川水系河川の洪水被害として、①明治三一年九月六日、台風により、門別町及び平取町において、死者二九人、行方不明一二人、流失家屋七二戸、浸水家屋一六六戸、全半壊家屋一〇八戸などの被害が生じたこと、②大正一一年八月二四日、二五日、台風に伴う豪雨により、門別町において、死者五九人、流失家屋一一二戸、浸水家屋三六一戸などの被害が生じたこと、③昭和一〇年九月二六日、二七日、台風により、日高町において、全壊流失家屋一戸、半壊家屋二戸などの被害が生じたこと、④昭和三〇年七月三日、大雨により、日高町及び平取町において、死者一人、流失家屋五戸、床上浸水四二戸、床下浸水七三戸などの被害が生じたこと、⑤昭和三六年七月二六日、大雨により、平取町の紫雲古津地区、ヌタップ地区、二風谷地区、門別町富川地区、富浜地区の各所ではん濫し、平取町において、全壊家屋一戸、半壊家屋五戸、流失家屋二〇戸、床上浸水六三戸、床下浸水二二四戸の被害が生じ、はん濫面積は二二一ヘクタールに及び、また門別町において、床上浸水二戸、床下浸水二六戸の被害が生じたこと、⑥昭和三七年八月四日、台風により、沙流川上流の平取町紫雲古津地区、ヌタップ地区、オユンベ地区、下流の門別町富川左岸地区、富川右岸地区の各所ではん濫し、被害は平取築堤が溢水、二風谷築堤が決壊し、平取町では死者一名、負傷者二名、全壊家屋一戸、半壊家屋一戸、流失家屋四戸、床上浸水六〇戸、床下浸水九九戸の被害が生じ、はん濫面積は五九〇ヘクタールに及び、また門別町では床上浸水五八戸、床下浸水八七戸の被害が生じ、はん濫面積は二七〇ヘクタールに及んだこと、⑦昭和四一年八月一七日ないし一九日、局地的豪雨により、平取町では床上浸水四戸、床下浸水五三戸、また門別町では床上浸水六戸、床下浸水一一九戸の被害が生じたこと、⑧昭和五〇年八月二四日、連続した台風により、沙流川上流の平取町紫雲古津地区、荷菜去場地区、平取地区、下流部の門別町河口左岸地区、富川地区の各所で内水はん濫があり、平取町では全壊家屋一戸、半壊家屋一戸、床下浸水五戸の被害が生じ、はん濫面積は三〇ヘクタールに及び、また門別町では死者一名、床上浸水二戸、床下浸水五三戸の被害が生じ、はん濫面積は三八ヘクタールに及んだこと、⑨昭和五六年八月五日、台風の影響等により、平取町の紫雲古津地区の内水はん濫が発生し、門別町では富川地区、河口左岸地区、河口右岸地区の各所ではん濫し、平取町では床上浸水三戸、床下浸水三一戸、門別町では死者一名、負傷者五名、全壊家屋二七戸、半壊家屋一三戸、一部破損一九戸、床上浸水一七三戸、床下浸水四九一戸などの被害が生じたこと、以上の事実が認められる。
原告らは、乙ロ第四号証について、門別川等他の水系の洪水被害も加わっており、実態とかなり異なっている可能性が高いとし、その内容の信用性に疑問を呈するようである。確かに、証人森田の証言によれば、同号証の被害状況一覧表(別表)の各数値には沙流川水系以外の水系において発生した被害が含まれているものがあることが認められる。しかし、他方、証人森田の証言及び弁論の全趣旨によれば、右数値は、北海道や地元自治体作成の資料等がその根拠となっていること及びこれらの資料は町単位で被害の集計をしており、沙流川以外の水系の川の洪水被害も含まざるを得なかったが、基本的には沙流川水系の河川の洪水被害が中心であることが認められ、その数値の客観性は担保されているといえる。そして、本件全証拠によっても、同号証の作成に当たって、被告らが恣意的に被害を増大させたなど事情は認められない。
イ 洪水調節の必要性
右ア認定の事実によれば、本件事業認定時において、沙流川水系あるいはその周辺地域において、洪水による被害が頻繁に生じており、沙流川においては洪水調節を行うことにより流域住民の生命、身体及び財産の安全を図る必要性が高かったことが認められるし、前掲各証拠(乙ロ二、三、一八、二二、証人森田)によれば、本件事業認定後の平成四年八月九日、大雨により、沙流川水系平取観測所では警戒水位を2.80メートル超えた26.90メートルの水位を記録し、平取町では床上浸水九戸、床下浸水四〇戸、門別町では半壊家屋一戸、一部破損二戸、床上浸水四一戸、床下浸水四三戸などの被害が生じたことが認められるところ、右事実は、本件事業認定時に沙流川流域において洪水調整の必要性があったことを推認させるものである。
また、証拠(乙ロ一八、証人森田)によれば、本件事業計画では、沙流川の洪水記録や雨量を勘案して、一定の治水安全度を設定し、基準地点平取の基本高水流量毎秒五四〇〇立方メートル、計画高水流量毎秒三九〇〇立方メートルと定め、この差の毎秒一五〇〇立方メートルを本件ダム及び平取ダムで調節し、もってはん濫区域の洪水調節を行うものとされていることが認められる。
原告らは、①昭和五〇年過ぎころまでにはヌタップ築堤以外の築堤は完成しており、その後は、二風谷地域から河口までの間で、外水はん濫や破堤は生じていないこと、②ダムが完成しても内水はん濫の発生そのものは防止できないこと、③内水はん濫の防止策としては、排水樋管・排水樋門・排水水門の設置・増設、排水機場の設置等が最も有効であるとして、本件ダムによる洪水調節の必要性はない旨主張する。確かに、証拠(甲四〇、乙ロ二二、証人森田)及び弁論の全趣旨によれば、右①の事実、本件ダムが完成しても計画高水流量の規模の洪水時には内水はん濫は生じうること、内水はん濫の防止策として右③のような方法があることが認められる。
しかしながら、昭和五〇年以降においても内水はん濫が生じていることは前記認定のとおりであり、右①の事実によってもダムによる洪水調節の有用性が否定されるものではない。また、本件ダムがない場合には、洪水時に沙流川本線の水位が上昇するため、支流の水を本線に流すことができず、その場合の生じる内水はん濫の規模は、本件ダムがある場合の内水はん濫に比較して拡大することは明らかであるから(証人森田、弁論の全趣旨)、右②は本件ダムの必要性を減退させるものではない。更に、証拠(甲四〇、乙ロ二二、証人森田)及び弁論の全趣旨によれば、排水機場等の施設は内水排除に一定の効果はあるものの、計画高水流量の洪水時においては沙流川本線の水位が上がるため、その場合排水機場は洪水調節のためには有効に作用しないことが認められるのであり、結局右③も本件ダムによる洪水調節の必要性を否定するものではないというべきである。
(2) 流水の正常な機能の維持について
証拠(乙ロ一八、二一、二二、証人森田)及び弁論の全趣旨によれば、沙流川は、日高町、平取町及び門別町の耕地等に対する水源として利用されているところ、昭和四四年、昭和五二年及び昭和五三年の各冬期において水不足が生じていること、沙流川は、昭和四六年及び昭和四七年の夏期においては流量が低下し、河口閉塞(河口付近に砂州が発達して河口の幅が減少すること)により、河口付近市街地である門別町富川において内水排除に支障を来したこと、昭和五〇年八月の洪水の際、河口閉塞を原因として洪水の際に水位が上昇し、沙流川河口左岸地区で内水被害が発生したこと、河口閉塞が生じると右被害をもたらすのみならず、シシャモ、サクラマスといった魚の遡上にも悪影響を与えること、河口閉塞を防止するためには、河口導流堤を建設して河口位置を固定したうえでダムにより一定の流量を維持し河口付近における砂州の形成を阻止する必要があることが認められ、これらの事実を総合すれば、沙流川においては、通年にわたり流水の正常な機能の維持を図る必要があることが認められる。また、証拠(乙ロ一八、証人森田)によれば、本件事業計画は、沙流川の流水を計画的にダムに貯留及び放流することにより、不安定な取水を解消し、また、基準点平取において毎秒11.3立方メートルの維持流量を確保することにより、河口閉塞の防止、漁業・景観・地下水の維持、動植物の保護及び流水の清潔保持等を図るものであることが認められる。
原告らは、河口閉塞を防止するには、砂防堤・導流堤等の突堤を出したり、堆積土砂を浚渫したりするなどの方法があるとして、本件ダムによる流水機能の維持の必要性を否定する。しかし、河口閉塞の防止方法については前記認定のとおりであるところ、証拠(乙ロ二二、森田証人)によれば、導流堤の建設だけでは河口閉塞は防げないこと、また、仮に堆積土砂を定期的に取り除くことによって河口閉塞が防げるとしても、流水の維持による取水不安を解消することはできないことが認められるから原告らの右主張は理由がない。
(3) かんがい用水及び水道用水について
証拠(乙ロ一八、二二、証人森田)によれば、平取町は水道用水の需要の一部を地下水等の不安定な水源に依存しており、より安定的な水道用水を確保する必要があること、門別町は住民の生活水準の向上及び配給区域の拡大に伴う水道用水の需要の増加に対応する必要があることが認められ、また、本件事業計画は、道営土地改良事業として計画されている平取町及び門別町内の合計二三五〇ヘクタールの畑地及び草地に対し、最大毎秒0.406立方メートル(平均0.083立方メートル)のかんがい用水を新規に供給すること、また水道用水として、平取町及び門別町に対し、それぞれ昭和七五年の計画給水人口に対応できるだけの水道用水を配給する予定となっていることが認められる。
(4) 工業用水道について
証拠(乙ロ一八、二二、証人森田)によれば、北海道は、昭和四六年八月、立ち遅れている北海道の産業構造の高度化を通じて、経済社会の発展と基盤の形式を図るため、勇払原野に工業地区を設け、堀込み港湾を核として、基幹資源型工業とこれに関連する諸工業の立地を推進し、周辺地域を含めた広域的、合理的な土地利用の中で生活環境の整備を進めるものとして、苫東基地の開発に関する基本計画(以下「苫東基本計画」という。)を策定したこと、本件事業計画は、北海道の申請に基づき、苫東基地に対し、一日二五万立方メートル(取水量一日二七万立方メートル)の工業用水を配給するため、本件ダムで一日八万四〇〇〇立方メートル、平取ダムで一日一八万六〇〇〇立方メートルの水を確保することになっていること、右一日二五万立方メートルという量は、北海道がダム建設に関する基本計画が策定された昭和五八年に苫東基地の昭和七〇年における開発規模を想定して算出したものであることが認められる。
原告らは、本件事業認定当時、苫東基本計画がとん挫していたとし、一日二五万立方メートルもの工業用水は必要ではない旨主張する。
しかし、証拠(乙ロ二二、証人森田)及び弁論の全趣旨によれば、北海道は、本件事業認定時において、参加人に対し、本件事業計画による苫東基地に対する一日二五万立方メートルの工業用水の供給について、変更を求めていなかったことが認められるから、原告らの右主張は、採用しない。
なお、証拠(甲一〇の一ないし四、乙ロ二二、証人森田)によれば、北海道開発庁は、平成四年一〇月二日、苫東基地の将来像を工業都市から生活・文化、レジャー機能を有する複合都市にすることなどを要旨とする調査報告書を作成したこと、北海道は、平成七年八月、苫東基本計画を見直したことが認められるが、これらの事実は事業認定時点以後の事情であり、本件事業認定の適否の判断に影響を与えるものではない。
(5) 発電について
証拠(乙ロ一八、二二、証人森田)によれば、本件事業計画は、北海水力発電株式会社の申請に基づいて、本件ダムの建設に伴って新設される二風谷発電所に対し、水を配給し、同発電所において最大出力三〇〇〇キロワット(一般家庭約一〇〇〇戸分)の電力を発生させることができることが認められる。
(三) 本件事業計画の実施により失われる利益ないし価値
(1) 二風谷地域の住民の民族性
原告らはアイヌ民族であり(明らかに争わない。)、アイヌ民族が「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(以下これを「B規約」という。)二七条にいう少数民族であること及び二風谷地域にアイヌの人々が居住し、独自の文化を有していることは争いがないところ、証拠(証人田中、原告貝澤)によれば、平成五年四月当時、二風谷地域の人口約五〇〇人の八割に当たる約四〇〇人がアイヌ民族であること、平成七年一二月一四日当時、同地域の人口は五〇〇人弱であり、その七割以上がアイヌ民族であることが認められ、この事実と弁論の全趣旨によれば、本件事業認定時において、本件収用対象地を含む二風谷地域の人口の多くを占める住民がアイヌ民族であり、アイヌ民族が多く居住している北海道内の他の地域と比較しても、その割合は極めて高いものであることが認められる。ところが、証拠(乙ロ一八)によれば、本件事業計画が実施されることにより、本件収用対象地を含む二風谷地域が広範にわたりダムにより水没し(水没面積は全体で約五三〇ヘクタールであり、その予定範囲は、別紙「二風谷ダム貯水池平面図」のとおりである。)、また住宅等五〇戸が支障物件になることが認められ、この事実と弁論の全趣旨を総合すると、本件事業の実施がこの二風谷地域に暮らすアイヌ民族に離散をもたらせたり、そうでなくてもその生活やその文化に大きな影響を及ぼすであろうことは容易に推認することができる。
(2) アイヌ民族の文化的特色
証拠(甲二〇、四七、証人大塚、原告ら)によれば、アイヌ民族は、主に川筋を生活領域とし、コタンと呼ばれる集落において地縁集団を形成し、狩猟、採集、漁撈を中心とした生活を営み、アイヌ語と呼ばれる独自の言語を用いるものの、文字を持たず、その文化を口承伝承し、獣や魚などの自然物との関係を重視し、これら自然の恵みを人間に与える神々と共生するという自然崇拝の価値観を持っていたこと、アイヌ民族は「イオル」と呼ぶ空間領域をひとつの単位として生活を営んできたが、そこには、家屋があり、またイオルの人々が共同で用いる生産の場や墓地などが設けられていたこと、イオルには、それ以外に神話的な伝承を持つ山や川などの特定の場も存在し、アイヌの人々の生活を体系づけてきたこと、アイヌの人々にとって、イオルはそこで生まれそこで生涯を閉じるという性格のもので、ここに生きる人々は「出自集団」として結ばれていたこと、したがって、神話的な伝承を持つ山や川などを含むイオルは、単に歴史的遺産に止まらず、民族的な文化を現代に持続させるための手段となる極めて重要なものであることが認められる。
(3) 二風谷地域におけるアイヌ文化
証拠(甲三の二、四の一・二、七、九、一一、一四、二〇、二八、二九、四七、乙一二、証人大塚、原告萱野)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次のアないしエの事実が認められる。
ア 二風谷地域の地域性について
二風谷地域を含む沙流川の周辺にはサルンクルというアイヌ民族の中での有力なグループが生活していたといわれ、このサルンクルの伝説等から、二風谷地域を含む沙流川流域がアイヌ民族の聖地と呼ばれることがある。二風谷地域に住むアイヌの人々にとって、同地域は一つのイオルであり、自己の民族的アイデンティティを確認できる地域である。また本件収用対象地近くの沙流川右岸には、アイヌ語の地名が二三箇所も付けられており、その理由はアイヌの人々がその一つ一つにカムイ(神)の存在を認め、水を汲む場所・山菜の採れる場所各々においてカムイと対話していたからであるといわれている。鮭は、アイヌの人々が主食を意味するシエペと呼び、アイヌ民族にとって重要な食料であって、その採取方法、調理方法、食事の儀式等、鮭に関する独特の食文化を数多く有している。また、鮭の皮を用いて衣服や靴を作る等、食物以外においても鮭は生活の重要な素材である、アイヌ文化の象徴ともいえる魚である。沙流川は、このような鮭や、ウグイ、鱒等の豊富に獲れる川であり、また、二風谷地域は、その周辺にアイヌの人々の食生活を支えたキノコ、シイタケなどの植物が豊富に生殖し、北海道の中では気候も温暖で雪も少なく、居住の条件に恵まれていたことなどから、前記のとおり、同地域には多くのアイヌ民族が生活していた。そして、この二風谷地域は、アイヌ民族の伝統的、精神的、技術的文化を承継する人々を数多く輩出し、豊かな自然とあいまって、アイヌ民族の伝統文化が保存されてきた地域である。アイヌ民族の長編叙事詩であるユーカラは、二風谷地域を中心に育まれ、二風谷地域は、ユーカラの優れた伝承者が数多く、言語学者の金田一京助をはじめ国内外から多くの研究者等がこの地域を訪れるなど、アイヌ文化研究の発祥地ともいわれている。
イ チプサンケについて
チプサンケとは、もともとはアイヌ民族に伝わる新造舟の舟おろしの儀式のことで、昭和二三年ころまでは新造舟ができたときに行われてきた。近年毎年八月二〇日ころ、二風谷地域で行われているチプサンケの祭りは、昭和四七年ころから原告萱野らがアイヌ文化の伝承と振興を意図して始めたものであるが、以前から行われてきたチプサンケの場所(別紙図面(一)のE付近)より上流側で舟を川に下ろし、以前からのチプサンケの場所で祈りを行ってきている。その具体的内容は、アイヌの人々がアイヌ民族伝統の丸木舟に地域の住民らを乗せて沙流川を下ったり、事前にイナウと呼ばれるヤナギの内皮を削った祭具を作ったり、舟の安全に感謝して川の神、舟の神などに祈りの言葉を捧げたり、和人と一緒に盆踊りをする等して、アイヌ文化の伝承やアイヌの人々と和人との交流を図り、アイヌの人々の主宰による地域に密着した祭りとなっている。
本件事業計画が実施されると、チプサンケは、従来行ってきた場所で開催できなくなる(争いがない。)。
ウ チャシ等の遺跡について
チャシとは、水(河川や海、湖沼)にのぞむ高所に作られ、砦、城、柵、見張所、聖なる地などといわれている遺跡である。沙流川流域には、近世のチャシ跡が多く、現在二七箇所が知られている。二風谷地域には、ユオイチャシ跡、ポロモイチャシ跡、ポンカンカンチャシ跡などの遺跡が分布している。ユオイチャシ跡及びポロモイチャシ跡は、沙流川に面した段丘上に位置しており(別紙図面(二))、空堀による区画と住居跡などによって構成されている。これらのチャシに付属する遺構からは、近世アイヌ文化を代表する多数の鉄製品などが発見された。また、ポロモイチャシ跡からは、柱を立てる穴が多数見つかったことから、規模の大きな建造物があったとも推定され、アイヌ民族の歴史を知る上で重要な遺跡である。本件事業計画が実施されることにより、ユオイチャシ跡及びポロモイチャシ跡を発掘調査直後の状態で保存することは不可能となる。特にポロモイチャシ跡の場合は、本件ダムの建設に伴い完全に消滅する。
エ チノミシリについて
チノミシリは、アイヌ語で我々が祭る場所を意味し、これは、神がアイヌの人々に火事、水難、病気の流行等の吉凶を教える場所であり、またアイヌの人々がそこにいる神に対しお祈りをする場所であって、アイヌ民族にとって、神聖な地であり、心の拠り所であるとされている。そして、この地は、アイヌ民族以外の人に漏したり、汚したり、傷つけたり、地形を変えたりすることをしてはならないとされている。二風谷地域におけるチノミシリは、別紙図面(一)のAのペウレプウッカのチノミシリ、同図面のBのカンカンレレケへのチノミシリ、同図面のCの三箇所であるとされている。
被告らは、これらのチノミシリの位置に関する証拠としては、原告萱野自身の著作である「おれの二風谷」(甲一一)の関係記事部分と同原告の供述しかないところ、両者は一致していないことや、地元住民もチノミシリの位置を知らないこと、更にはダム建設に当たってこれら住民から特に異議が出なかったことを理由として、右図面の各位置にチノミシリがあるとは認められない旨主張する。
なるほど、「おれの二風谷」の関係記事部分には、カンカンレレケへのチノミシリについて、オポウシナイ沢とパラタイ沢の間にある山であると記されていて、それによれば別紙図面(一)のBの位置ではないことが認められるが、これは原告萱野自身誤記であると自ら認めているところであって、しかも右著書の該当箇所には、カンカンレレケへのチノミシリについて「カンカンレレケウン チノミシリ」(かんかんの向い側・我ら拝む所)との記載があり、カンカン沢の向い側に位置すると明示されていることが認められるから、そこが別紙図面(一)に表示されているオポウシナイ沢とパラタイ沢の間ではなく、オポウシナイ沢とタイケシ沢の間にあること、すなわち同図面Bの位置にあることが窺えるのであり、この点の被告らの主張は理由があるとはいえない。またペウレプウッカのチノミシリの位置については、右著書の記事と原告萱野の供述に相異があると評する程の違いはないと解されるから、この点の被告らの主張も理由がない。また、原告萱野の指摘する右三つのチノミシリの位置について地元の人々が知らなかった点についても(もっとも、甲七には「その後の工事進行の過程でチノミシリの一ケ所はクレーン設置のために剥土されてしまっている、この工事をみた地元の古老たちは、神聖な場所をいいかげんな扱いで工事したのだから、やがて事故が起きるであろうと予言していた。」とあり、原告萱野らを除く地元の人々すべてがこの点を知らなかったかどうか疑問がある。)、前記チノミシリの秘密性に加えて二風谷地域に居住するアイヌの人々の年齢やアイヌ文化尊重の程度等の事情によりこれを知る人が少ないとみられることが原告萱野の供述により認められるから、被告らが主張するこれらの事情をもってしても、右認定を左右するには足りないというべきである。
(三) 本件事業により失われる諸価値に対しなされた配慮
(1) 埋蔵文化財等
参加人は遅くとも本件事業認定申請時までには、二風谷地域がアイヌの人々の多数住む地域であることを認識していたが(乙ロ二〇の一ないし一五、証人田中、弁論の全趣旨)、更に、証拠(乙ロ六ないし一二、一四、一五、二三、二四、二五、証人田中)によれば、次のア、イの事実が認められる。
ア チャシ等の埋蔵文化財について
北海道開発局内で本件事業を担当する室蘭開発建設部長(以下「室蘭開建部長」という。)は、昭和五一年一一月及び昭和五七年二月の二回にわたり、文化財保護法等に基づき北海道教育委員会(以下「道教委」という。)に対し、埋蔵文化財包蔵地の確認調査を依頼したところ、道教委から、ユオイチャシ跡及びポロモイチャシ跡の本体部分については事前の調査が必要であり、また両チャシの周辺部及び両チャシ間についても遺跡の拡がりが予想される旨の回答を受け、更に、昭和五八年七月二七日付けで、ユオイチャシ跡及びポロモイチャシ跡の間に二風谷遺跡も存在することが確認されたので、工事計画の変更が困難な場合はこれらの遺跡の発掘調査が必要である旨の回答を受けた。このため、室蘭開建部長は、道教委に対し、ユオイチャシ跡、ポロモイチャシ跡及び二風谷遺跡の発掘調査を依頼し、道教委は、これを受けて、財団法人北海道埋蔵文化財センターに発掘調査を依頼した。同センターは、右依頼に基づき発掘調査を実施し、昭和六一年三月二六日、「ユオイチャシ跡ポロモイチャシ跡二風谷遺跡」と題する報告書(乙ロ一二)を作成し発行した。
また、室蘭開建部長は、本件事業認定の申請を行うに当たり、道教委に対し土地収用法に基づく意見照会をしたが、道教委は、昭和六〇年七月一一日、「当該起業地内に、周知の埋蔵文化財包蔵地が別表のとおり所在していることが確認されています。したがって、当該地域にかかる起業については、文化財保護法に留意し取り扱われるよう願います。」との回答をしている。
平取町長は、室蘭開建部長に対して、昭和五九年九月七日付けの要望書(乙ロ一四)を提出し、文化財保存施設の設置について要望したが、これに対し、室蘭開建部長は、同年九月一二日付けの回答書(乙ロ一五)において、「埋蔵文化財の保存施設については、地域の特殊性を考慮し実現できるよう努力します。」と回答した。
イ チプサンケについて
平取町長は、前記要望書において、アイヌ文化の継承のために、チプサンケなどの行事を本件ダム直下の河川敷地で行うことができるよう同所を公園広場に利用させてほしい旨要望した。これに対し、室蘭開建部長は、前記回答書において、「ダム直下のダム管理区域は、今後、河道整理をした後の高水敷で公園広場等に利用可能な敷地については、ダム周辺環境整備として町と協議し実施します。」と回答した。
(2) 本件事業認定申請等
証拠(乙ロ二、三、一八)及び弁論の全趣旨によれば、本件工事実施計画、本件基本計画、本件事業認定申請いずれの中でも、本件事業がアイヌ文化へ及ぼす影響についての言及は全くなされていないこと、本件事業認定は決定書が作成されておらず、申請どおり認定がなされたことが認められる。
(3) 被告らの主張について
ア 被告らは、アイヌ文化に配慮した周辺環境整備を進めたと主張し、その根拠として、開発局が昭和五六年及び昭和五七年に農学・文化人類学・経済学等の学識経験者や平取町議会議員等を構成員とした二風谷ダム周辺環境整備構想調査会を設置し、本件ダム周辺地域の生活文化、生活基盤についての総合的な調査、研究をし、その報告を受け、昭和六〇年には、二風谷ダム周辺地域環境整備調査会を設置し、歴史的な文化を活かした地域振興を図るための地域整備基本計画を作成し、開発局は、このような調査、研究を踏まえつつ、地元平取町、平取教育委員会、二風谷自治会、アイヌ文化保存会等とも協議を重ねてダム周辺環境整備事業等を行ってきたことを掲げる。
なるほど、証拠(乙ロ二三、証人田中)によれば、被告らが指摘する右事実は認められるものの、各調査会の調査、研究の内容が判然としないのみならず、その主な目的は、本件ダム建設を既定の事実として、地域振興を図ることにねらいがあつたことが右証拠及び弁論の全趣旨により窺えるのであり、前掲チャシ等の埋蔵文化財の保護やチプサンケの代替場所等の配慮以上に、二風谷地域におけるアイヌ文化の十分な研究に基づいて本件ダム建設による右文化の影響に対する対策を講じたことを窺わせる証拠はない。
イ 被告らは、アイヌ文化の象徴である鮭の遡上と本件ダムの建設とは関係がなく(もともと鮭は沙流川下流で門別漁業協同組合が捕獲していたことから、本件ダムの建設予定地まで遡上していなかった。)、また本件事業認定時において、本件ダムにおいては、ダムまで遡上した魚が更にその上流に遡上できるように魚道を設ける計画が立てられ、その設置により、鮭を含む魚類の遡上に大きな支障はないと判断されたと主張し、この点もアイヌ文化に対する配慮である旨主張する。
証拠(乙ロ一七、二〇の三ないし五・七、二三、証人田中)によれば、門別漁業協同組合が従前から沙流川下流の地点に鮭を捕獲するウライを設置しており、本件事業認定時には本件収用対象地付近の沙流川までは鮭が遡上していなかったこと、したがって本件用地交渉等の際、原告らが本件収用対象地付近の沙流川まで鮭の遡上を可能にして欲しいと要望したこと、これに対し本件事業者側は漁業権の回復は困難又はほぼ不可能であるとの認識を有していたが、北海道や右漁協、更には平取町に陳情、相談したところ、北海道条例等に照らして不可能であるとの結論は動かなかったこと、本件事業認定時には主として遡河性の魚であるサクラマスの資源保護のため、本件ダムに魚道が設置されたが、それは特に鮭を対象としたものではなかったこと、以上の事実が認められる。
そうすると、起業者たる参加人において、原告らの要望を受けて鮭の遡上について関係機関に陳情したことは明らかであるが、その程度に止まるものであって、本件事業によって侵害されるアイヌ文化について特に配慮して行動したといえる程の評価ができる事実ではないというべきである。
ウ 被告らは、チノミシリの存在については一般に知られていなかったのみならず、本件収用裁決に対する審査請求時にはじめて原告萱野から主張され、本件事業認定時には原告らを含めて誰からも主張されたことはなかったのであるから、これを考慮することは不可能であった旨主張する。
なるほど、証拠(甲一一、乙ロ二二、二三、証人森田、同田中、原告萱野)によれば、チノミシリについては、前記「おれの二風谷」と題する書物(甲一一)に言及されているだけで、一般にその存在が知られていなかったこと及び本件事業認定時までに原告らを含めて誰からもチノミシリについては指摘されなかったことが認められる。しかしながら、アイヌ文化が明治政府の政策等により衰退を余儀なくされてきたことは後記のとおりであり、このような経緯やチノミシリの性格等もあって、二風谷地域のアイヌ民族が神聖な場所であるチノミシリを一般にしらしめなかったことや参加人に開示しなかったことが容易に推認できるから、このこと自体無理からぬ事情があったといえるうえ、むしろ後記のように、アイヌ民族の文化享有権の重要性に照らせば、参加人は本件事業認定時までに本件ダム建設のアイヌ文化への影響を十分調査、研究すべきであったのであり、これを行っていれば、チノミシリの存在についても確認できた可能性は否定できないということができるから、被告らの主張を被告らに有利に斟酌することはできない。
2 比較衡量
(一) 比較衡量に当たっての考え方
土地収用法二〇条三号所定の要件は、事業計画の達成によって得られる公共の利益と事業計画により失われる公共ないし私的利益とを比較衡量し、前者が後者に優越すると認められる場合をいうことは前記のとおりであるところ、この判断をするに当たっては行政庁に裁量権が認められるが、行政庁が判断をするに当たり、本来最も重視すべき諸要素、諸価値を不当、安易に軽視し、その結果当然尽くすべき考慮を尽くさず、又は本来考慮に入れ若しくは過大に評価すべきでない事項を過大に評価し、このため判断が左右されたと認められる場合には、裁量判断の方法ないし過程に誤りがあるものとして違法になるものというべきである。
本件において、前者すなわち事業計画の達成によって得られる公共の利益は、洪水調節、流水の正常な機能の維持、各種用水の供給及び発電等であって、これまでなされてきた多くの同種事業におけるものと変わるところがなく簡明であるのに対し、後者すなわち事業計画により失われる公共ないし私的利益は、少数民族であるアイヌ民族の文化であって、これまで論議されたことのないものであり、しかもこの利益については、次のような点が存在するから、慎重な考慮が求められるものである。
(二) 少数民族が自己の文化について有する利益の法的性質について
被告らは、仮に少数民族の自己の文化を享有する等の権利が尊重すべきものであるとしても、土地収用法上の要件に該当するか否かを検討するに当たって、これが他の考慮すべき事情に比べて優先順位を与えられるものと解する根拠はない旨主張するので、少数民族が自己の文化について有する利益の法的性質について検討を加えておきたい。
(1) B規約との関係
国際連合総会は、昭和四四年にB規約を採択し、我が国は昭和五四年に国会の批准を受けて同年条約第七号として公布している。
この規約は、人類社会のすべての構成員の固有の尊厳及び平等のかつ奪い得ない権利を認めることが世界における自由、正義及び平和の基礎をなすものであり、またこれらの権利が人間の固有の尊厳に由来することを確認するなどの前文の文言の下に五三箇条から成り、本件のアイヌ民族の文化享有権と関係する条文は第二条一項、二六条、二七条である。第二条一項は、「この規約の各締約国は、その領域内にあり、かつ、その管轄の下にあるすべての個人に対し、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位等によるいかなる差別もなしにこの規約において認められる権利を尊重し及び確保することを約束する。」と、第二六条は、「すべての者は、法律の前に平等であり、いかなる差別もなしに法律による平等の保護を受ける権利を有する。このため、法律は、あらゆる差別を禁止し及び人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位等のいかなる理由による差別に対しても平等のかつ効果的な保護をすべての者に保障する。」と、第二七条は、「種族的、宗教的又は言語的少数民族が存在する国において、当該少数民族に属する者は、その集団の他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されない。」とそれぞれ規定している。
参加人たる国は、平成三年、国際連合人権規約委員会に対し、B規約四〇条に基づく第三回報告を提出し、アイヌ民族が独自の宗教及び言語を有し、また文化の独自性を保持していること等から、B規約二七条にいう少数民族であるとして差し支えないとし、本件訴訟においても、アイヌ民族が同条にいう少数民族であることを認めている(以上争いのない事実又は当裁判所に顕著な事実)。
右によれば、B規約は、少数民族に属する者に対しその民族固有の文化を享有する権利を保障するとともに、締約国に対し、少数民族の文化等に影響を及ぼすおそれのある国の政策の決定及び遂行に当たっては、これに十分な配慮を施す責務を各締約国に課したものと解するのが相当である。そして、アイヌ民族は、文化の独自性を保持した少数民族としてその文化を享有する権利をB規約二七条で保障されているのであって、我が国は憲法九八条二項の規定に照らしてこれを誠実に遵守する義務があるというべきである。
もっとも、B規約二七条に基づく権利といえども、無制限ではなく、憲法一二条、一三条の公共の福祉による制限を受けることは被告ら主張のとおりであるが、前述したB規約二七条制定の趣旨に照らせば、その制限は必要最小限度に留められなければならないものである。
(2) 憲法一三条との関係
憲法一三条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定する。この規定は、その文言及び歴史的由来に照らし、国家と個人との関係において個人に究極の価値を求め、国家が国政の態度において、構成員としての国民各個人の人格的価値を承認するという個人主義、民主主義の原理を表明したものであるが、これは、各個人の置かれた条件が、性別・能力・年齢・財産等種々の点においてそれぞれ異なることからも明らかなように、多様であり、このような多様性ないし相異を前提として、相異する個人を、形式的な意味ではなく実質的に尊重し、社会の一場面において弱い立場にある者に対して、その場面において強い立場にある者がおごることなく謙虚にその弱者をいたわり、多様な社会を構成し維持して全体として発展し、幸福等を追求しようとしたものにほかならない。このことを支配的多数民族とこれに属しない少数民族との関係においてみてみると、えてして多数民族は、多数であるが故に少数民族の利益を無視ないし忘れがちであり、殊にこの利益が多数民族の一般的な価値観から推し量ることが難しい少数民族独自の文化にかかわるときはその傾向は強くなりがちである。少数民族にとって民族固有の文化は、多数民族に同化せず、その民族性を維持する本質的なものであるから、その民族に属する個人にとって、民族固有の文化を享有する権利は、自己の人格的生存に必要な権利ともいい得る重要なものであって、これを保障することは、個人を実質的に尊重することに当たるとともに、多数者が社会的弱者についてその立場を理解し尊重しようとする民主主義の理念にかなうものと考えられる。
また、このように解することは、前記B規約成立の経緯及び同規約を受けて更にその後一層少数民族の主体的平等性を確保し同一国家内における多数民族との共存を可能にしようとして、これを試みる国際連合はじめその他の国際社会の潮流(甲四一ないし四六、証人相内)に合致するものといえる。
そうとすれば、原告らは、憲法一三条により、その属する少数民族たるアイヌ民族固有の文化を享有する権利を保障されていると解することができる。
もっとも、このような権利といえども公共の福祉による制限を受けることは憲法一三条自ら定めているところであるが、その人権の性質に照らして、その制限は必要最小限度に留められなければならないものである。
(二) アイヌ民族の先住性
B規約二七条は「少数民族」とのみ規定しているから、民族固有の文化を享有する権利の保障を考えるについては、その民族の先住性は要件ではないが、少数民族が、一地域に多数民族の支配が及ぶ以前から居住して文化を有し、多数民族の支配が及んだ後も、民族固有の文化を保持しているとき、このような少数民族の固有の文化については、多数民族の支配する地域にその支配を了承して居住するに至った少数民族の場合以上に配慮を要することは当然であるといわなければならないし、このことは国際的に、先住民族に対し、土地、資源及び政治等についての自決権であるいわゆる先住権まで認めるか否かはともかく、先住民族の文化、生活様式、伝統的儀式、慣習等を尊重すべきであるとする考え方や動きが強まっていること(甲四五、四六、証人相内)からも明らかである。
(1) アイヌ民族の先住性について検討することとするが、その前提として先住民族の定義について考えたい。そもそも「先住民族」の概念自体統一されたものはなく(証人相内)、これを定義づけることの相当性について疑問がないわけではないが(一口に先住民族であるとはいっても、その民族が属する国家により、その民族が現在置かれている状況、歴史的経緯等が異なり、そうである以上共通に理解することができないことは当然である。)、本訴においては、被侵害利益であるアイヌ文化の重要性、その文化を享有する権利の保障の程度等を検討することが必要であり、そのためにはアイヌ民族の先住性に言及することが不可避であるといわざるを得ないと考えるから、本訴において必要な限度で定義づけることとする。
証拠(甲四二、四三の二・三、四四ないし四六、証人相内)及び弁論の全趣旨を総合して考えるに、先住民族とは、歴史的に国家の統治が及ぶ前にその統治に取り込まれた地域に、国家の支持母体である多数民族と異なる文化とアイデンティティを持つ少数民族が居住していて、その後右の多数民族の支配を受けながらも、なお従前と連続性のある独自の文化及びアイデンティティを喪失していない社会的集団であるということができる。
(2) 次に、アイヌ民族が右にいう先住民族であるかどうかについて、考察することとするが、アイヌ民族が文字を持たない民族であることは前述のとおりであり、そのため右のような先住性を証する上で役立つアイヌ民族の手による歴史文書等がなく、アイヌ民族がアイヌ民族としての社会集団を構成して北海道あるいは本州の北部にいつごろから定住し始めたのかは、本件全証拠によっても明らかではない。ここでは主にアイヌ民族以外の日本人(原告らの用法に従って、以下「和人」という。)の手によって記された中世及び近世のアイヌ民族に関する文献等を主たる証拠資料として右の意味での先住性を判断することとする。
証拠(甲五、一九の一・二・三の一・四ないし六・八・一二・一三、証人田端)及び弁論の全趣旨を総合すれば、鎌倉時代の末期ころまでには、北海道に居住するアイヌ民族と和人の交易商人との間で、北海道の特産品である魚類や獣類と和人の物を物々交換する形で、北海道におけるアイヌ民族と和人との交易による接触は始まっていたこと、一五世紀の半ばころは、和人の中小の豪族が函館等の道南を中心に北海道に居住するようになっていたが、右豪族間あるいは右豪族とアイヌ民族の間で争い事等が繰り返されていたこと(たとえば、康正二年(西暦(以下省略)一四五六年)のコシャマインの戦い)、一六世紀の中ころには、松前藩の前身である蠣崎家と松前地方のアイヌ民族との間に「夷狄の商船往還の法度」という交易秩序の維持のための御法度が定められたが、そのころのアイヌ民族と和人との交易形態は、北海道の各地の居住先からアイヌの人々が松前付近に出て来て、和人の商人が本州からそこへ集まり物々交換をするというものであったこと、慶長九年(一六〇四年)には、松前藩は、江戸幕府による幕藩体制の下に入り、同藩は、その家臣らに対し知行地として商場(交易をする場所)を与え、アイヌ民族と交易をさせ、それから生じる利益に関税を掛けることなどにより、藩の財政基盤を確保していたこと、そのころは和人は北海道内の自由通行を認められていなかったが、アイヌ民族には許されていたこと、寛文九年(一六六九年)、和人とアイヌ民族が関係するシャクシャインの戦いが起こったこと、遅くとも一八世紀半ばころには、和人の商人は、松前藩から近い地域において、独占的に漁場を経営したり、対アイヌ交易を行ったりする請負場所を設定し、その請負場所において、漁猟生産の労働力としてアイヌ民族を使い始めたこと、一八世紀の終わりころにはその地域が北海道東部にまで及び、その請負場所において、和人によるアイヌの人々の酷使が原因となって、和人とアイヌ民族との争い事が発生していること(寛政元年(一七八九年)のクナシリ・メナシの戦い)、幕末期には、沙流川周辺においては山田文右衛門という和人が沙流場所(現在の苫小牧市から静内町にかけての漁場)を請け負い、右山田はアイヌの人々の主要な働き手を厚岸等の請負場所まで出稼ぎとして連れて行き、これを酷使していたこと、地域によっては家ぐるみで別の場所に移転させられたこと、安政五年(一八五八年)、北海道(蝦夷地)の調査をしていた松浦武史郎が二風谷地域を訪れ、同地域に居住するアイヌの人々の人数、年齢、生活の状況などを記録していること、松前藩は和人とアイヌの人々を完全に分離し、交易等を通じた接触に止める政策をとったため、アイヌの人々は民族として和人とは異なる文化、伝統を維持し得たこと、江戸幕府は、北海道の地に対するロシア勢力の進出を危惧していたことなどから、一八世紀後半から一九世紀半ばころまでの間、アイヌ民族を和人化させるためにアイヌ民族に日本語を使用させることや米を食べさせるようにすることなどのいわゆる同化政策を何度か打ち出したが、アイヌ民族の強い反発などから、結局、右政策は貫徹されなかったことが認められる。
右認定事実に弁論の全趣旨を総合すれば、江戸時代に幕藩体制下の松前藩による統治が開始される以前に、二風谷地域をはじめ北海道には、アイヌ民族が先住していた地域が数多く存在しており、その後も、松前藩による北海道の統治は全域に及ぶものではなく、アイヌ民族は、幕藩体制の下で大きな政治的、経済的影響を受けつつも独自の社会生活を継続し、文化の享有を維持しながら北海道の各地に居住していたことが認められ、その後、後記(四)認定のとおり、アイヌ民族に対し採られた諸政策等により、アイヌ民族独自の文化、生活様式等が相当程度衰退することになったことが認められる。
しかしながら、証拠(甲四七、証人大塚、原告ら)によれば、現在アイヌの人々は、我が国の一般社会の中で言語面でも、文化面でも他の構成員とほとんど変わらない生活を営んでおり、独自の言語を話せる人も極めて限られているものの、民族としての帰属意識や民族的な誇りの下に、個々人として、あるいはアイヌの人々の民族的権利の回復と地位向上を図るための団体活動を通じて、アイヌ民具の収集、保存、博物館の開設、アイヌ語の普及、アイヌ語辞典の編さん、アイヌ民族の昔話の書物化、アイヌ文化に関する講演等を行い、アイヌ語や伝統文化の保持、継承に努力し、その努力が実を結んでいることが認められる。
(3) 以上認定した事実を総合すれば、アイヌの人々は我が国の統治が及ぶ前から主として北海道において居住し、独自の文化を形成し、またアイデンティティを有しており、これが我が国の統治に取り込まれた後もその多数構成員の採った政策等により、経済的、社会的に大きな打撃を受けつつも、なお独自の文化及びアイデンティティを喪失していない社会的な集団であるということができるから、前記のとおり定義づけた「先住民族」に該当するというべきである。
(四) アイヌ民族に対する諸政策
先住民族であるアイヌ民族が我が国の統治に取り込まれた後、仮に少数であるが故に我が国の多数構成員の支配により、経済的、社会的に大きな打撃を受け、これがため民族の文化、生活様式、伝統的儀式等が損なわれるに至るということがあったとすれば、このような歴史的な背景も、本件の比較衡量に当たって勘酌されなければならない。
証拠(甲二一の三ないし六・八、証人田端、原告萱野)によれば、明治政府は、蝦夷地開拓を国家の興亡にかかわる重要政策と位置付けて、これに取り組み、北海道に開拓使を送ったこと、明治五年九月、もともとアイヌの人々が木を伐採したり、狩猟、漁業を営んでいた土地を含めて北海道の土地を区画して所有権が設定され、アイヌの人々にも土地が区画されたが、農業に慣れていなかったことから、アイヌの人々が農業で自立することは困難であったこと、明治六年、木をみだりに切ることや木の皮を剥ぐことが禁止され、また、豊平、発寒、琴似及び篠路の川の鮭漁に関して、アイヌ民族の伝統的な漁法の一つであるウライ網の使用(川を杭で仕切って魚が上れないようにし、その一部分のみを開けておいてそこに網を仕掛け採魚する漁法)が禁止されたこと、明治九年、アイヌ民族の従来の風習である耳輪や入れ墨等が罰則を伴って禁止され、また毒矢を使うアイヌ民族の伝統的な狩猟方法が禁止されたこと、明治一一年、札幌郡の川における鮭鱒漁が一切禁止されたこと、明治一三年、死者の出た家を焼いて他へ移るというアイヌの人々の風習等が罰則を伴って禁止され、更に、日本語あるいは日本の文字の教育が施されるようになったこと、その後、千歳郡の河川において鮭の密漁が禁止されたり、アイヌ民族の伝統漁法の一つであるテス網による漁が禁止されたりした後、明治三〇年には、自家用としても鮭鱒を捕獲することが禁止されたこと、このように魚類等の捕獲の禁止が強化されていったことや和人がアイヌの人々の開拓した土地を奪うようなことがしばしばあったことなどからアイヌの人々の生活が困窮したため、明治三二年、北海道旧土人保護法が制定され、農業の奨励による生活安定のための土地給付等が図られたが、アイヌの人々に給与される土地は法律で上限とされた五町歩をはるかに下回り、しかもその中に二割近い開墾不能地があったことなどから、アイヌの人々の生活水準は極めて低いままであり、生活の安定を図ることはできなかったこと、以上の事実が認められる。
右認定事実に弁論の全趣旨を総合すれば、前記のような漁業等の禁止は、主に漁猟によって生計を営んできたアイヌの人々の生活を窮乏に陥れ、その生活の安定を図る目的で制定された北海道旧土人保護法も、アイヌ民族の生活的自立を促すには程遠く、また、アイヌ民族の伝統的な習慣の禁止や日本語教育などの政策は、和人と同程度の生活環境を保障しようとする趣旨があったものの、いわゆる同化政策であり、和人文化に優位をおく一方的な価値観に基づき和人の文化をアイヌ民族に押しつけたものであって、アイヌ民族独自の食生活、習俗、言語等に対する配慮に欠けるところがあったといわざるを得ない。これにより、アイヌ民族独自の習俗、言語等の文化が相当程度衰退することになったものである。
(五) 検討
(1) 本件事業計画の達成により得られる公共の利益は、前記認定のとおり、①洪水調節を行うことによって、沙流川流域住民の生命、身体及び財産を洪水から守り、住民の洪水に対する精神的不安を解消させ、②正常な流水を維持することによって、流水地域へ安定的に流水を配給し、水不足の発生等を防ぎ、水不足に対する住民の不安を解消し、また、河口閉塞を防ぎ、河口付近での内水はん濫を予防するとともにシシャモ、サクラマス等の魚の遡上を容易にし、③かんがい用水を供給することによって、周辺地域の農業生産の基盤整備及び農業経営の安定を図り、④水道用水を供給することによって、平取町及び門別町の各水道計画に見合った水道用水を配給し、⑤工業用水を配給することによって、北海道の試算した苫東基地の昭和七〇年における工業用水の配給を可能にすることにより、地域の産業及び経済活動はもとより北海道全体の経済社会発展に寄与し、⑥本件ダムに併設される発電所に水を供給することによって、沙流川周辺地域へ最大出力三〇〇〇キロワットの電力供給を可能ならしめ、もって、同地域の電力需要の増加に対処するものであって、公共性が高いものである。
他方、本件事業計画の実施により失われる利益ないし価値として、本件収用対象地付近はアイヌ民族にとっていわば聖地といえる場所であるうえ、住民のうち極めて多くの割合をアイヌ民族が占めており、アイヌ民族の多く居住する北海道の他の地域と比較してもその割合が突出して高い地域であること、同地域は、アイヌ民族の伝統的な精神的、技術的文化が保存され、それを後世に伝える多くの伝承者が存在してきたのみならず、多くの国内外の研究者等がこの地を訪れており、アイヌ文化の研究の発祥地ともいわれていること、アイヌ文化の基本的特色は、狩猟、採集、漁撈を中心とした、自然と共生する生活を送り、その自然の恵みを神と崇める中からその文化が生まれたところにあるから、当該地域のアイヌ文化とそれを育む土地を含む自然とは切っても切れない密接な関係にあること、二風谷地域におけるアイヌ文化も、歴史的には和人との接触を経て変容を余儀なくされ、また損なわれてきたが、今日でもなお、自然と密着したアイヌ文化の本質又は精神は受け継がれてきていること、具体的には、チプサンケの行事は、今日では、和人とアイヌの人々との交流の場となって、和人によるアイヌ文化への理解を助けるのみならずアイヌの人々自身にとっても民族的帰属意識を再認識し得る意義を有するものとなり、その本来的意義及びこれらの現在的効果等に照らし、その開催場所は、アイヌ文化の伝承にとって極めて重要な場所であると考えられること、本件収用対象地付近に存在するユオイチャシ跡やポロモイチャシ跡がアイヌ民族の歴史を知る上で重要な遺跡であること、本件収用対象地付近に三箇所存在するチノミシリが二風谷地域のアイヌの人々にとって神聖な地であること等は前記認定のとおりである。
(2) ところで、両者の比較衡量を試みる場合は、前記のとおり、後者の利益がB規約二七条及び憲法一三条で保障される人権であることに鑑み、その制限は必要最小限度においてのみ認められるべきであるとともに、国の行政機関である建設大臣としては、先住少数民族の文化等に影響を及ぼすおそれのある政策の決定及び遂行に当ってはその権利に不当な侵害が起らないようにするため、右利益である先住少数民族の文化等に対し特に十分な配慮をすべき責務を負っている。
アイヌ民族は文字を持たない民族であるから、形として残されたチプサンケ等の儀式やチャシ等の遺跡は、アイヌ民族の文化を探求する上で代替性のない貴重な資料であって、その重要性は文字を持つ民族における重要性とは比ぶべきもない程高いといわなければならない。そして、チノミシリは、自然崇拝の思想を持つアイヌ民族にとって、心の拠り所となる宗教的意味合いを持った場所なのであるから、他民族に属する人々は、あれこれ論ずることなく謙虚に敬意を払う必要があるというべきである。そうすると、本件収用対象地付近がアイヌ民族にとって、環境的・民族的・文化的・歴史的・宗教的に重要な諸価値を有していることは明らかであり、そしてまた、これらの諸価値は、アイヌ民族に属しない国民一般にとっても重要な価値を有するものである。なぜなら、島国である我が国においては、多くの民族の文化に接する機会は比較的限られたものにならざるを得ないとみられることから、ともすれば単一的な価値観に陥りがちであるところ、日本国内において先住少数民族の先住地域に密着した文化に接する機会を得ることは、民族の多様性に対する理解や多様な価値観の醸成に大いに貢献すると考えられるからである。したがって、これらの諸価値は、アイヌ民族に対して採られ続けてきたいわゆる同化政策などの影響により損なわれ続けてきたアイヌの言葉、食文化、生活習慣、伝統行事、自然崇拝の思想などを後世に伝えていく上でも、その維持、保存が将来にわたりなされていくべきものである。
ところが、本件事業計画が実施されると、アイヌ民族の聖地と呼ばれ、アイヌ文化が根付き、アイヌ文化研究の発祥の地といわれるこの二風谷地域の環境は大きく変容し、自然との共生という精神的文化を基礎に、地域と密着した先住少数民族であるアイヌ民族の民族的・文化的・歴史的・宗教的諸価値を後世に残していくことが著しく困難なものとなることは明らかである。公共の利益のために、これらの諸価値が譲歩することがあり得ることはもちろんであるが、譲歩を求める場合には、前記のような同化政策によりアイヌ民族独自の文化を衰退させてきた歴史的経緯に対する反省の意を込めて最大限の配慮がなされなければならない。そうでなければ、先住民族として、自然重視の価値観の下に、自然と深く関わり、狩猟、採集、漁撈を中心とした生活を営んできたアイヌ民族から伝統的な漁法や狩猟法を奪い、衣食生活の基礎をなす鮭の捕獲を禁止し、罰則をもって種々の生活習慣を禁ずるなどして、民族独自の食生活や習俗を奪うとともに北海道旧土人保護法に基づいて給付地を下付して、民族の本質的な生き方ではない農耕生活を送ることを余儀なくさせるなどして、民族性を衰退させながら、多数構成員による支配が、これに対する反省もなく、安易に自己の民族への誇りと帰属意識を有するアイヌ民族から民族固有の文化が深く関わった先住地域における土地を含む自然を奪うことになるのである。また、本件収用対象地についていえば、同地は、北海道旧土人保護法に基づいて下付された土地であるところ(原告萱野、弁論の全趣旨)、このように土地を下付してアイヌ民族として慣れない農耕生活を余儀なくさせ、民族性の衰退の一因を与えながら僅か一〇〇年も経過しないうちに、これを取り上げることになるのである。もちろん、このように北海道旧土人保護法により下付した土地を公共の利益のために使うことが全く許されないわけではないが、このためには最大限の配慮をすることを要するのである。そうでなければ、多数構成員による安易かつ身勝手な施策であり、違法であると断じざるを得ない。
(3) そこで、十分な配慮がなされたか否かの観点に立って本件事案につき考察するに、起業者たる参加人は、遅くとも本件事業認定申請当時には本件計画地域にアイヌ民族に属する住民が多数居住し、アイヌ文化が多く保存、伝承されていることを認識しながら、右事業認定申請前に本件計画事業がその文化にどのような影響を与えるものであるかについて、十分な調査も研究も行っていないのである。そもそも、アイヌ文化は日本の一地方に居住する少数民族の文化であり、その内容も一般に十分理解されているものではないことが明らかであるから、このような場合、環境評価を予め実施するが如く、アイヌ文化に対する影響調査を十分時間をかけて行ない、その結果を踏まえて慎重な比較衡量をすべきである。すなわち、右の調査結果に基づき、本件ダムの建設そのものが二風谷地域において許されるのかどうか、仮に許されるとしてもその建設位置について本件で行われたように、単に地形、地質及び経済効果のみによって判断するのではなく、具体的なアイヌ文化に与える支障との関係で、たとえばチャシやチプサンケの場所を避けるためには建設位置をどうしたらよいか等の観点に立って比較衡量を行い、これに従って事業計画を策定し、事業認定申請を行ない、認定庁たる建設大臣も、そのような慎重な比較衡量等がなされているかどうかを十分に検討した上で事業認定することが必要であり、またそれが責務として求められていたというべきである。
しかしながら、参加人が本件事業認定申請時までにアイヌ文化に対する配慮として実施したのは単に文化財保護法等に基づくチャシ等の埋蔵文化財保護の手続とチプサンケの場所の代替場所の検討程度に止まるのであって、しかも埋蔵文化財保護についていえば、和人文化に関する埋蔵文化財保護の場合と全く同じ認識でいたとみられることから、とりたててアイヌ文化について配慮したものとはいえない。のみならず、埋蔵文化財保護の手続にしても、参加人は本件ダムを計画予定場所に建設することを既定の事実として、関係行政機関への依頼等の手続を行っているのであり、また本件工事実施計画(乙ロ二)、本件基本計画(乙ロ三)、本件事業計画(乙ロ一八)いずれにもアイヌ文化について言及されていないことからすれば、本件事業計画策定時においては、アイヌ文化について特に配慮していなかったことが窺われるのであって、これらの点を併せ考慮すれば、参加人たる起業者側はアイヌ文化を特に意識せずに本件事業計画を策定し、その後原告らアイヌの人々や地元自治体等からアイヌ文化への配慮や地域振興等の要望があり、計画予定地の任意買収を円滑に実施する等の目的から、これに応じられるものは応ずるという姿勢で臨み、結局原告らの理解を得られず、本件収用裁決に至ったというのが事の真相であったとみられる。
なお、被告らは、参加人たる国の地方機関である開発局が昭和五六年以降アイヌ文化に配慮した周辺環境整備を進めることにし、学識経験者や地元町議会議員等の参加を得てそのための調査委員会を設置して総合的な調査や研究をしたと主張するが、前記のように、その調査結果が明確でないのみならず、これ自体地域振興が主たる目的であり、その意味では社会福祉的措置に止まるのであって、特にアイヌ文化への配慮と評価するには足りないというべきである。
被告らは、チノミシリの場所を知り得なかったのは、それ自体一般に知り得ない事柄である上に、原告萱野が本件収用裁決に対する審査請求時までその場所の位置を明らかにしなかったことによるやむを得ないものであった旨主張するが、前記のように、参加人において事前に本件ダム建設のアイヌ文化への影響を十分時間をかけて調査していれば、このような事態は避けられた可能性が否定できないというべきであるから、失当であるといわざるを得ない。
(4) 以上のところを総合すると、本件において起業者の代理人であるとともに認定庁である建設大臣は、本件事業計画の達成により得られる利益がこれによって失われる利益に優越するかどうかを判断するために必要な調査、研究等の手続を怠り、本来最も重視すべき諸要素、諸価値を不当に軽視ないし無視し、したがって、そのような判断ができないにもかかわらず、アイヌ文化に対する影響を可能な限り少なくする等の対策を講じないまま、安易に前者の利益が後者の利益に優越するものと判断し、結局本件事業認定をしたことになり、土地収用法二〇条三号において認定庁に与えられた裁量権を逸脱した違法があるというほかはない。
したがって、本件事業認定は土地収用法二〇条三号に違反し、その違法は本件収用裁決に承継されるというべきである。
3 事業認定後の事情
本件事業認定が右のとおり違法であるとしても、右処分の後に事情により欠缺していた処分要件を具備するに至った場合は処分の瑕疵が治ゆすると解するのが相当であり、また、被告らは本件事業認定後の事情として、次の(一)、(二)について主張しているので、検討する。
(一) 遺跡の保存について
証拠(乙ロ一三、二三、証人田中)によれば、ポロモイチャシ跡については、平取町を窓口として、平取町教育委員会及び地元自治会と協議を行い、地元自治会の要望に基づいて縮尺模型で復元し、ダム記念館に展示保存することになっていること、ユオイチャシ跡については、平取町、平取町教育委員会と協議し、一部を現状保存する方向で検討されていることが認められる。
(二) チプサンケについて
証拠(乙ロ一三、一六、二三、証人田中)によれば、チプサンケについては、平取町や地元自治会からも要望に基づいてダム下流の河川敷地で実施ができるように検討がなされていることが認められる。
しかしながら、これらの措置が取られたとしても、失われたチャシの遺跡等は復元不可能であること、チプサンケが従前の場所で開催できないことに変わりはないことなどに加えて、侵害されるアイヌ文化はこのような具現的なものに止まらず、侵害された自然と密接な関係を有するより本質的に重要なものであるから、これらの事後的な事情が本件事業認定の違法性を治ゆするものとは到底いえない。
四 本件収用裁決の違法
以上のように、本件事業認定は違法であり、本件事業認定後の事情によっても右違法が治ゆされないから、それに引き続く本件収用裁決は、右違法を承継し、その余について判断するまでもなく、違法である。
五 行政事件訴訟法三一条一項の適用
本件収用裁決は、右のとおり違法であるから、本来これを取り消さなければならないものである。そして、沙流川流域においては、これまでの洪水により貴重な人命や財産を数多く失っているため洪水調節の必要性があることは十分理解できるが、率直なところ、自然豊かな山間に、堤高31.5メートル、堤頂長五八〇メートルもの巨大なコンクリート構築物を建設しなければ洪水調節等の治水はできなかったのか、アイヌ民族の自然を損なわず自然と共生するという価値観に倣い、これに沿った方法はなかったのか、といった素朴な疑問ないし感慨を抱かざるを得ない。これらの点のみからすると、本件収用裁決を本来どおり取り消すことも考えられるところである。
しかしながら、証拠(甲二五、三八、乙ロ一八)及び弁論の全趣旨によれば、本件ダム本体は既に数百億円の巨費を投じて完成しており、またこれに湛水していることが認められる。仮に本件収用裁決を取り消すとの判決が確定すると、原告らの所有する本件収用対象地を水没させることは許されないから、本件ダムに貯水された水を放流したうえ、今後湛水することができなくなることは明らかである。そうすると、このように巨額を投じて建設された本件ダムは、湛水できないことにより無用の長物と化するばかりでなく、湛水しない本件ダムが沙流川の正常な流水を妨げるであろうことは容易に推認することができるから、かえって洪水等の危険性が増すことになるのである。また、沙流川において洪水調節等の必要性があることは前記認定のとおりであるから、本件ダムを使用することができないことになると、更に洪水調節等を目的とする堤防等を建設する必要が生じ、その建設のためには、本件ダムを建設するのに要した費用以上の費用が必要となる(乙ロ一八、証人森田)。そして、沙流川流域に居住する住民は、それらが完成するまでの間、せっかく完成した本件ダムを目の当たりにしながら、その恩恵を受けることなく、かえって生命、身体及び財産について、本件ダムが建設される前以上の危険にさらされることになる。更に、湛水しない本件ダムによる危険を除去するためには、本件ダムを撤去することが必要となるが、これに巨額の費用を要するであろうことは推測するに難くない。これらの事実によれば、既に本件ダム本体が完成し湛水している現状においては、本件収用裁決を取り消すことにより公の利益に著しい障害を生じるといわざるを得ない。
加えて、ポロモイチャシ跡は本件ダムの建設に伴い消滅し、ペウレプウッカ及びカンカンレレケへのチノミシリは本件ダムの建設工事によりそれぞれ破壊されたことが認められ(証人大塚、原告萱野)、本件収用裁決が取り消されたとしても、回復することはできないこと、チャシについて一定限度での保存が図られたり、チプサンケについて代替場所の検討がなされる等、不十分であるものの、アイヌ文化への配慮がなされていること、原告らにおいても今後参加人である国や、北海道及び平取町等の自治体に対し、アイヌ文化の保存伝承等について具体的な施策を求め得ること、そして、これら国等も、今後においては、アイヌ民族の文化等の問題について、十分な配慮をなすであろうことが期待できること(証人相内、原告萱野、弁論の全趣旨)、その他本件に表われた一切の事情を考慮すると、本件収用裁決を取り消すことは公共の福祉に適合しないと認められる。
そこで、本件においては、行政事件訴訟法三一条一項を適用することとする。
六 結論
以上の次第で、本件収用裁決は違法であるが、行政事件訴訟法三一条一項を適用して、原告らの本訴請求をいずれも棄却するとともに本件収用裁決が違法であることを宣言することとし、訴訟費用の負担について、同法七条、民事訴訟法八九条、九二条ただし書、九四条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官一宮和夫 裁判官堀内明 裁判官小原一人)
当事者の主張
一 争点1について
(原告らの主張)
本件収用裁決は、憲法二九条三項に違反する。
憲法二九条三項は、私有財産は正当な補償の下にこれを公共の目的のために用いることができると規定しているが、これは一般原則を定めたものに止まり、憲法の他の規定は条約更には事柄の性質に照らして、そもそも収用自体が許されない場合に収用を行うことは憲法二九条三項に違反するというべきところ、本件収用は次のとおり同条同項に違反する。
すなわち、憲法一三条所定の個人の中には少数先住民族たるアイヌ民族に属する原告らが含まれることは明らかであるから、同条は我が国政府が我が国内に共存するアイヌ民族に対しても民族の尊厳を最大限尊重し、それを損なったり、その文化そのものやその伝承にマイナスの影響を与えてはならない義務を負う。
また、我が国は、国連総会が昭和四四年に採択した「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(以下これを「B規約」という。)を昭和五四年に批准し公布しており、その二七条は「少数民族の文化享有等の権利を否定されてはならない」と定めている。それとともに我が国は、条約法条約(いわゆるウィーン条約)を昭和五六年に批准し、同条約は条約第一六号として公布されており、同条約二六条には「効力を有するすべての条約は当事国を拘束し、当事国はこれらの条約を誠実に履行しなければならない」と規定されていて、締約国の条約遵守義務を定めている。これらの規定と憲法九八条二項の条約遵守義務の規定とを併せ考慮すれば、我が国政府は、少数先住民族たるアイヌ民族の権利を侵害してはならないは勿論として、その権利行使が不十分でないよう諸々の政策を行うことを義務づけられているというべきである。
更に、少数先住民族であるアイヌ民族は独自の言語と生活様式をもっており、沙流川流域はアイヌ文化を育てた地であり、本件の土地収用対象地である二風谷地域はその中心地域として、チャシなどの遺跡が残存し、チプサンケなどの伝統行事が復活し毎年行われ、三つのチノミシリというアイヌ信仰の聖地が現存している。したがって、性質上金銭で補償することが到底できない土地である。
以上によれば、本件収用裁決は、憲法一三条及びB規約二七条等に違反する違法なものであるから、そもそも収用手続の限界を超え憲法二九条三項に違反した処分といわざるを得ない。
(被告らの主張)
土地収用法の規定は憲法二九条三項に違反するものではないから、本訴においては本件事業認定が土地収用法の規定に適合しているかどうかを議論すれば足り、憲法二九条三項への適合性をあえて論じる意味はないというべきである。
しかしながら、なお念のため原告らの憲法二九条三項違反の主張について反論すれば、次のとおりであり、結局右主張は失当であるというべきである。
憲法二九条三項の「公共のために」とは、一般に、単なる個別的な利益を超えた社会公共の利益をいうと解されるところ、二風谷ダム(以下「本件ダム」という。)が単なる個別的な利益を超えた社会公共の利益のためにあることは、争点2において主張するとおりであり、仮に本件収用対象地が景観的、風致的、宗教的、歴史的価値を有するからといって、それがために「公共のために用いる」ことが許されないとする根拠はない。
また、原告らは、景観的、風致的、宗教的、歴史的価値等の面で収用されるべきものではないと判断された場合には、補償の対象とはならず、正当な補償によっては収用することができない旨主張するが、このような価値等は物件の市場価値に反映しない限り原則として補償されないことが前提とされているものであって、それだからといって当該物件を収用できないことにはならない。更に、B規約二七条は、少数民族の権利に対する侵害を禁止する趣旨であって、民族的文化、宗教等にかかわる財産について、公共の福祉のために財産権の内容が規制されたり、公共のために用いられたりすることによって、反射的に自己の文化を享有する等の権利が一定程度の制約を被ることを否定する趣旨ではなく、少数民族の権利にかかわる財産であることをもって、「公共のために用いる」の例外を設けたものであると解する根拠はない。また、仮に少数民族の権利に公共的性格を見出して尊重すべきであるとしても、「公共のために」や土地収用法上の収用要件に該当するか否かを検討するに当たって、少数民族の権利が他の考慮すべき事情に比べて優先順位を与えられるものと解する根拠はない。
本件においては、建設大臣が、チャシ、チプサンケ等のアイヌ文化に対する影響を十分斟酌した上で、本件事業認定の判断をしていることは争点2において主張するとおりであるから、本件事業認定あるいは本件収用裁決が憲法二九条三項に違反するとの原告らの主張は理由がない。
二 争点2について
(原告らの主張)
本件事業認定と本件収用裁決は、別個の機関による処分にみえるが、先行処分たる事業認定と後行処分たる収用裁決は、一連の手続における不可分一体の手続で、収用裁決はその最終処分であり、原告らはその最終処分の取消しを求めて訴えを提起しているのであるから、事業認定の違法性は、収用裁決に承継され、本件収用裁決の取消訴訟において、本件事業認定が土地収用法上の要件を充足しているか否かを判断できるのは当然である。また、事業認定は、名宛人のない行政行為であり、公告されるとしても事業認定の時点で住民に取消訴訟を求めるのは酷であるから、やはり収用裁決の取消訴訟の中で土地収用法に定める要件が吟味されなければならないのである。
(被告らの主張)
本件事業認定については出訴期間が経過しているところ、土地収用法上権利者に対する周知について十分な配慮がなされているし、現実の事業認定申請は起業者が用地の大半を取得してからされる実情に照らせば、事業認定の段階における救済は十分保障されているといえるから、収用裁決の取消訴訟において事業認定の瑕疵の主張をさせる必要はなく、違法性の承継を認めるべきではない。
のみならず、本件においては、訴外貝澤正は事業認定の手続に際し、事業に反対する旨の意見書を提出しており、また原告萱野及び右貝澤正は、事業認定が申請される以前から、開発局による用地取得交渉を受けていたのであるから、自己の所有地が起業地に含まれることは十分認識していたのであり、本件収用裁決取消訴訟において本件事業認定の瑕疵の主張をさせる必要はない。
三 争点3について
(原告らの主張)
1 土地収用法二〇条三号違反について
(一) 本件ダムの公共の利益の欠如
本件ダム建設の主目的は、苫小牧東部工業基地(以下「苫東基地」という。)への工業用水の配給であったが、本件事業認定当時、苫東基地計画はとん挫しており、本件ダムの建設の主目的は消滅していたのである。それにもかかわらず参加人は、本件ダムを特定多目的ダム法の「多目的ダム」と位置づけ、ダム建設の目的を、(1)洪水調節、(2)流水の正常な機能の維持、(3)かんがい用水、(4)水道用水、(5)工業用水道、(6)発電の六つに変更し、建設を強行したのである。しかし、これらの目的は次に述べるとおり、ダム建設を強行するに値しないものである。
(1) 洪水調節について
乙第四号証は、沙流川の本流のみならず、支流の被害を含めているばかりか、「沙流川の洪水調べ」という表題に反し、門別川や厚真川といった他の水系の洪水被害も加えている。したがって、沙流川の洪水被害については、その具体的状況が不明であるのみならず、実態とかなり異なっている可能性が高い。
ところで、沙流川においては、昭和二六年から改修全体計画の基本調査が実施され 昭和二八年に沙流川改修全体計画が、昭和三八年に沙流川改修計画が、昭和四四年に沙流川水系工事実施計画が各策定されて改修工事が進められ、二風谷地域から河口までの築堤は、昭和五〇年過ころには少なくともヌタップ築堤を除いては完成した。その後は、二風谷地域から河口までの間で、外水はん濫や破堤は生じていない。被告らが昭和五〇年以降発生したとする洪水は、いずれも内水はん濫である。また、本件ダムが出来ても大雨の際の内水はん濫の発生そのものは防止できないのである。
そして、洪水調節効果はダムよりも河道改修の方が勝っており、また、内水はん濫の防止策としては、排水樋管・排水樋門・排水水門の設置・増設、排水機場の設定等が最も有効なのであるから、これらを検討すべきであるのに本件においてこれらが検討された形跡はうかがえない。
したがって、本件ダムによる洪水調節効果は、絶対的なものではないのである。
(2) 流水の正常な機能の維持について
河口閉塞がおこると洪水時には洪水のはん濫の危険が生じたりする可能性があるが、河口閉塞を防止するには、①砂防堤・導流堤等の突堤を出すこと、②堆積土砂の浚渫などの方法があり、しかも、これらの方法は沙流川の河口で行われるから、二風谷地域にダムを建設する以外に他に代替する手段・方法がいくらでもある。
(3) かんがい用水について
かんがい用水は既に確保されているし、新たに需要を作り出す道営土地改良事業は、現在進展がなく、したがって将来ことさら水需要があるとも思われない。
(4) 水道用水について
水道用水の確保は、現在でも十分確保されているし、参加人は本件事業認定の申請に際して、将来、平取町、門別町の人ロが相当数増加し、それに伴って給水量が増えることを前提としていたが、逆に現在に至って入口は相当数減少しており、もはやこの前提自体が欠けている。
(5) 工業用水について
苫東基地計画がとん挫したことは前述のとおりであり、もはや二五万トンもの工業用水は必要とされていない。
(6) 発電について
最大出力三〇〇〇キロワットとは、家庭用電気量にして、せいぜい一〇〇〇戸分程度であり、ほんの付け足しの目的にすぎず、ダム建築の必要性という点では何の意味もない。
以上のように、本件ダムは本来の目的を失ったダムであり、有用性の少ないダムと評価されるから、本件収用対象地収用によって得られる公共の利益は乏しい。
(二) 本件ダムにより失われる利益
アイヌ民族は、歴史的にみて主に本州から北海道に渡ってきたアイヌ民族以外の日本人(原告らの用法に従って、以下「和人」という。)よりはるか以前に北海道に先住し独自の言語・風俗・風習を有していた先住民族であることが明らかである。
ところが、明治に入り、明治政府は、そのアイヌの人々の土地、言葉、宗教、習慣、食物、生活資料の取上げとアイヌ民族消滅政策ともいうべき民族の同化政策により、アイヌ民族の民族としての存在すら否定しようとしてきたが、アイヌの人々は抑圧され差別され窮乏化しながらも、アイヌ文化を伝承してきた。二風谷地域は、アイヌの人々が最も多く居住しているところであり、アイヌの人々の居住人口の割合が高い地域で、民族の伝統的文化がよく保存されている地域であり、アイヌ文化の心臓部でもある。
元々文化は、目に見える形のあるもののみを指すものではなく、人の生き方、人の生き様の総体であり、誕生から死亡までその節々において様々な営みを行う、その総体である。文化というものは、各構成要素が点で存在するのではなく、自然環境とリンクして一体となった持続性のあるものである。そして、その中には、自然と共生するという精神文化も含まれるし、イオルという空間領域も含まれ、また民族に特有の神話的伝承も含まれる。
二風谷地域におけるアイヌ文化の要素等を掲げると、次のとおりである。
(1) 沙流川自体「サルンクル」と呼ばれる集団が多数居住しており、オキクルミのカムイ(神)がシンタと呼ばれた「揺りかご」に乗って降りてきて、アイヌ文化を作った場所である。
(2) 二風谷地域のアイヌの人々にとって、二風谷地域は「イオル」空間であり、自己の民族的アイデンティティを確信できる空間である、「出自集団」として小世界(小宇宙)を作っている。
(3) 沙流川に遡上するシェペ(鮭のこと)は、アイヌ民族の食文化の中で最も重要なものであり、アイヌ民族は自然との共生を考えた捕獲方式をとってきた。
(4) チプサンケという伝統的儀式は、これを通じてアイヌ民族の若者がイナウ等の祭具の作り方を学び、儀式の意義と方法を学び、その中で民族の自覚を得る重要な機会である。
なお、アイヌの人々は、チプサンケに限らず、季節や生活、人生の節目にカイムノミという儀式を行い、この儀式に参加することで民族的自覚も芽生える。
(5) 二風谷地域にはチノミシリという心の拠り所として汚したり、傷めたり、地形を変えたりしてはならない場所が三箇所ある。アイヌの人々は、日常の中でチノミシリを意識しながら生活している。
(6) 二風谷地域は、民族に特有の神話であるユーカラ伝承の地である。
(7) アイヌの人々は一つ一つの地形を大事にしている。一つ一つの地形が、小さい川であれ、小さい湧き水であれ、文化伝承の場所とされている。本件水没地の沙流川右岸には、アイヌ語の地名が二三箇所も付けられており、その一つ一つにアイヌの人々はカムイ(神)の存在を認め、水を汲む場所、山菜の採れる場所各々においてカムイと対話している。
以上述べたいくつかの要素等が総体としてアイヌ文化を形成しているのである。
このように、二風谷地域は、アイヌ民族の歴史、伝説等に照らし、高度の文化的価値を有する地域であり、その景観的・風致的・宗教的・歴史的諸価値は、将来にわたり、長くその維持、保存が図られるべきものである。本件ダムが建設されると、アイヌ民族の尊厳が否定されるばかりでなく、それまでの二風谷地域の環境が損なわれ、土地の地形は著しく変更され、チャシの遺跡、神聖なチノミシリは破壊され、チプサンケの場所も水没させられ、また、上流への鮭の遡上は不可能となる。参加人は、前述したとおり、明治政府成立以来、先住民族であるアイヌ民族の土地、言葉、宗教、習慣、食物、生活資料を取り上げてきたのであり、更に、本件事業認定において、右のような二風谷地域におけるアイヌ文化の存在そのものを無視したのであり、アイヌ民族の尊厳は、本件ダム建設により蹂躙されているのである。
仮に、事業認定の目的に沿うダムを建設する必要性があるとしたとしても、これをアイヌ文化の心臓部である二風谷地域に建設しなければならない合理的必要性はない。実際に、参加人は、本件事業計画を立案するに際し、本件二風谷地域にダムを建設する案の外、その上流あるいは下流に建設する計画案を検討し、結局、コンクリートの体積が最も少なく、経済的であるという理由により、中流案たる二風谷地域を選択しているのであるが、前述のような文化的価値の保全を重視するなら、いかほどの費用を要するにせよ、他の土地を選択するべきであった。
(三) 比較衡量の結果
土地収用法二〇条三号所定の「事業計画が土地の適正かつ合理的な利用に寄与するものであること」という要件は、その土地がその事業の用に供されることによって得られるべき公共の利益と、その土地がその事業の用に供されることによって失われる利益とを比較衡量した結果、前者が後者に優越すると認められる場合に存在するものであると解されるところ、本件においては前者の公共の利益は前述したとおり乏しいといわざるを得ない一方、後者の利益は、世界の先住民の自主的権利尊重の潮流の下で正当に解釈されるべき憲法一三条、B規約二七条に基づく少数先住民族たるアイヌ民族の何物にも代え難い民族的価値である自己の文化を享有する権利に属するものであって、このことは、争点1の原告ら主張において既に述べたとおりである。
そうであるとすれば、本件の認定庁たる建設大臣は、本件事業計画の策定から、事業認定の申請、そして事業認定に至るまでの間に、不当に軽視してはならずむしろ本来最も重視されるべきアイヌ民族の尊厳や文化的価値を鋭意調査すべきであったところ、次に述べるとおり、本件において二風谷地域にダムを建設することが持つアイヌ民族に対する民族的影響や文化的影響が考慮された事実はないのである(文化財保護法に基づく埋蔵文化財としてのチャシの調査を行ったのみであるが、この手続は法律上当然行うべき手続であり、格別アイヌ文化とは関係がない。)。
以上からすれば、本件事業計画は土地収用法二〇条三号所定の前記要件を充たすものとは到底いえず、本件事業認定とこれを前提とした本件収用裁決は違法なものであり、取り消されるべきである。
2 土地収用法二〇条四号違反について
土地収用法二〇条四号所定の「土地を収用し、又は使用する公益上の必要があるものであること」の要件を充足しないことは、前記1(一)において既に述べたとおりである。
(被告らの主張)
1 土地収用法二〇条三号の要件適合性について(被告ら共通)
(一) 本件事業計画の達成によって得られる公共の利益について
参加人は、本件事業認定に当たり、本件起業地が本件事業の用に供されることによって得られる公共の利益として、本件事業によって建設される本件ダムがもたらす次の(1)ないし(6)に述べるとおりの洪水調節、流水の正常な機能の維持、かんがい用水、水道用水及び工業用水の確保並びに併設の発電所による水力発電といった種々の効果について考慮したものである。
そして、本件ダムは、昭和五三年に改訂された本件工事実施計画において、洪水による災害の発生を防止するために計画され、そもそも特定多目的ダム法に基づいて建設された多目的ダムであり、本件ダムの総建設費用のうち治水部分の費用負担割合が七割強となっていること、有効貯水容量二六〇〇万立方メートルに対し洪水期の洪水容量がその八割強に当たる二一六〇万立方メートルであることなどからしても、本件ダム建設の主たる目的が治水にあることは明らかである。
(1) 洪水調節について
沙流川は、昭和三六年、昭和三七年、昭和四一年、昭和五〇年及び昭和五六年と床上浸水等の洪水被害を出し、昭和三七年には死者を含む大きな洪水被害をもたらしており、ダムによる洪水調節の必要性がある。また、二風谷地域に築堤が完成した昭和四二年の後であっても洪水の被害は生じており、ダムが必要なことに変わりはない。
また、これらの洪水は、沙流川本流の水位を下げるため洪水調節を行うことによって防止する必要があり、排水機場等の対処療法的な方法で解決できるような問題でない。そして、本件工事実施計画では、沙流川のこれまでの洪水記録や雨量を勘案し、一〇〇年間という期間の中で起こり得る最大規模の洪水を想定し、これに対して流域の安全に資するように計画されており、この計画に基づいて本件ダム及び平取ダム等の建設が計画され、これにより洪水調節を行うことができれば、開発が進む下流域の災害を未然に防ぐことができ、流域住民の生命、身体及び財産の安全に大きく寄与する。
(2) 流水の正常な機能の維持について
沙流川は、日高町、平取町及び門別町の水源として広く利用されているが、過去において、冬期には深刻な水不足に見舞われたり、夏期には流量が少ないため河口閉塞を起こし、河口付近市街地の内水排除に支障を来したほか、魚類の遡上を妨げるなどの弊害が発生していた。そこで、本件ダムは、沙流川の流水を計画的にダムの貯水池に貯留、放流することによって不安定な取水を解消し、一定の流量を確保することにより河道の維持、河口閉塞の防止、漁業、景観、地下水の維持、動植物の保護及び流水の清潔保持等を図るものであり、流域町村への流水の安定的供給を確保し、河川本来の機能を維持する上で多大な効果を与えるものである。
なお、原告らは河口閉塞の防止については、昭和五三年に河口導流堤の建設に着手しており、ダムを造る必要はない旨主張するが、河口導流堤のみをもって河口閉塞を防止することはできないから、原告らの主張は失当である。
(3) かんがい用水の確保について
本件ダムは、平取町及び門別町の畑地及び草地に供給するかんがい用水を新規に確保し、農業生産の基盤整備と農業経営の安定を図り、もって地域の経済発展に貢献するものである。
(4) 水道用水の確保について
平取町及び門別町では、本件事業認定のころ、簡易水道等による給水の不足分を地下水やわき水に依存していたが、市街地への人口集中や生活水準の向上等により、将来にわたる水道用水の需要の増加が見込まれていた。両町とも、当時、昭和七五年の計画給水量から現有水利権量を差し引いた量の水源を沙流川に依存する計画を策定していた。本件ダムは、右計画中の沙流川に依存する量の水道用水として、両町合わせて日量約五三〇〇立方メートルを確保し、水道用水需要の増加に応じ、これを通じて両町の発展を図るものである。
(5) 工業用水の確保について
苫東基地の開発は、北海道の産業構造の高度化を通じ、経済社会の発展と基盤の整備を図るため、勇払原野に工業基地を設け、港湾を核として、基幹資源型工業とこれに関する諸工業の立地を推進し、周辺地域を含めた広域的、合理的な土地利用の中で生活環境施設の整備を進めるものとして、昭和四六年八月に基本計画が策定され、本件事業認定時ころには既に開発が開始されていた。そして、このための工業用水として、北海道の申請に基づいて、本件ダム及び平取ダムの二ダムで苫東基地に対し、一日二五万立方メートルの工業用水を供給することが計画された。なお、一日二五万立方メートルの供給量については、事業認定時において北海道から変更等の申入れはなく、基本計画策定時と同様の需要が見込まれていたものであるし、工業用水の需要量に影響を及ぼすと思われる事業計画の見直しが行われたのは本件事業認定の後である平成七年八月に至ってからである
(6) 併設の発電所による水力発電について
北海道における電力の長期的な需要の動向、エネルギー情勢を考慮し、本件ダムでは、最大出力三〇〇〇キロワットの発電を行い、将来の都市の膨張、企業の大型化及び生活水準の上昇等による電力需要の増加に一部なりとも対処するものである。
(二) 堤防方式とダムとの比較
沙流川の治水の方法としては、堤防方式(堤防等の河道改修のみによる方法)とダム方式(ダムと河道改修の組合せによる方法)とが考えられるところ、堤防方式による場合には、ダムによって洪水調節されない大量の水を安全に流す必要から川幅をかなり広げなければならず、既に土地利用が進んでいる下流の市街地を含む沙流川本流とその支流である額平川の両方の河川の大規模な河川改修工事が必要となりそのための住家や公共施設等の移転が必要となって多大の予算を必要とし、大きな社会的影響を及ぼす。しかも、堤防方式のみでは、洪水調節という問題は解決されても流水の正常な機能の維持や都市用水等の問題は解決されないことになる。これらの点を総合的に考慮すると、沙流川においてはダム方式が適している。
なお、原告らは、沙流川では既に築堤が完成しており、堤防方式とダム方式を比較すること自体意味がないとの趣旨の主張をしているが、現在設置されている堤防は、ダムによる洪水調節が行われることを前提として作られており、これのみで洪水に対処しようとしているわけではないから、原告らの右主張は理由がない。また河道改修による洪水調節とダムによるそれとは二者択一の関係ではなくて、沙流川でも両者を組み合せたダム方式を最も経済的かつ合理的と判断した。
(三) ダムの建設箇所の各案の比較
本件ダムの建設位置の選定に当たっては、まず、沙流川本流と額平川の両方からの流水をためることができるように、両川の合流点より下流の場所で、地形、地質等からみた安全性や洪水調節の効果が高く、効率的に貯水量が確保できることや経済性といった観点から、上・中・下流の三候補地を選定して、各案について調査検討が行われた。そして、ダムの建設には、河川の川幅が狭く、両岸の位置が高く、強固な地質で、かつ、支障物件が少ない場所が物理的にも経済的にも優れているので、これらの観点から検討した結果、中流案である現在の位置が最適であると判断された。
(四) 本件事業計画の達成によって失われる利益
参加人は、本件事業認定に当たり本件事業計画が達成されることにより失われる利益として、アイヌ文化の保存伝承にかかわる次の(1)ないし(3)の諸点を考慮したものである。
なお、参加人もこの三点のみがアイヌ文化の全てであると考えているわけではなく、事業認定の適否を判断するに必要な限度で本件事業によって影響があると考えられる右の諸点についての具体的検討を行っており、原告らの主張をもってしても、これらの諸点以外にどのような影響があるのかその具体的内容は明らかではない。
仮に少数民族の自己の文化を享有する等の権利が尊重すべきものであるとしても、土地収用法上の要件に該当するか否かを検討に当たって、これが他の考慮すべき事情に比べて優先順位を与えられるものと解する根拠はない。
(1) チャシ等の埋蔵文化財
本件事業によってユオイチャシ跡及びポロモイチャシ跡等の遺跡が発掘、調査され、ポロモイチャシ跡については破壊されることとなったが、本件事業認定時までの状況は次のとおりであった。
まず、本件起業地内に埋蔵文化財があると考えられたので、開発局内で本件事業を担当する室蘭開発建設部長(以下「室蘭開建部長」という。)は、文化財保護法等に基づき、北海道教育委員会(以下「道教委」という。)と事前協議を行ったうえで、昭和五八年七月二九日付けで文化庁長官へ発掘調査の通知をした。これに対する文化庁からの特別の指示はなかったが、道教委教育長から発掘調査が必要であるとの回答があったことから、室蘭開建部長は、財団法人北海道埋蔵文化財センターに依頼して発掘調査を行い、右調査結果は、昭和六一年三月二六日、発掘調査報告書として発刊された。また、室蘭開建部長は、本件事業認定の申請を行うに当たり、道教委に対して土地収用法一八条二項五号に基づく意見照会をしているが、道教委教育長は、これらの遺跡を本件起業地に含めることについて異議を述べなかった。更に、室蘭開建部長に対して地元平取町から昭和五九年九月七日付けの文書で文化財保存施設の設置についての要望が出され、室蘭開建部長は、同月一二日付けの文書で、右施設を設置する方向で努力する旨回答した、
以上のとおり道教委や文化庁のみならず、地元自治体等からも事業計画を変更してまでこれらの遺跡の現状保存を要求された事実は全くなく、これらの遺跡の文化財としての保護については、発掘調査及び右調査に基づく報告書の発刊等をもって必要な配慮がされているものと判断された。
なお、ユオイチャシについては、発掘されたままの状態で保存する方向で現在関係機関との間で協議が進められている。
(2) チプサンケ
本件ダムが建設されると現在行われている場所でチプサンケを行うことができなくなるが、この点については、平取町長から、昭和五九年九月七日付けの文書で、チプサンケを行うためにダム直下の河川敷地に公園広場を設けて利用できるように配慮願いたい旨の要望書が提出され、室蘭開建部長は、同月一二日付けの文書で、公園等に利用可能な敷地については、ダム周辺環境整備として平取町と協議して実施する旨回答した。なお、本件ダムを建設するとチプサンケを行うことができなくなるとか、チプサンケは代替場所では行えないというような苦情や意見が、事業認定時までに地元自治体や地元住民らから開発局や室蘭開発建設部に伝えられたということはなかったし、この祭りを復活させた原告萱野ですら、事業認定に先立つ用地交渉の中において、代替場所で行えることを前提とした発言をしていた。
以上のとおり本件ダムの建設に伴い、現在行われているチプサンケを従前の場所で行うことはできなくなるものの、従前の場所が代替性のないものであるともいえないうえ、本件事業認定当時、チプサンケを行う代替場所として公園を整備する旨の回答を直接にはしていないものの、実質的にはその趣旨を盛り込んだとみられる回答をしており、従前の場所に替わる場所が将来において整備されることが見込まれたことから、この点についても必要な配慮がされているものと判断された。
(3) 鮭の遡上
昭和四二年ころから、沙流川下流において門別漁業協同組合が鮭を捕獲する設備を設置していたため、本件事情認定時、既に鮭は本件ダム建設予定地まで遡上していなかった。したがって、鮭の遡上問題と本件ダム建設とは無関係である。なお、本件事業認定時において、本件ダムにおいては、ダムまで遡上した魚が更にその上流に遡上できるよう魚道を設ける計画が立てられ、その設置により鮭を含む魚類の遡上に大きな支障はないものと判断された。
(五) 得られる公共の利益と失われる利益の比較衡量
(1) 参加人は、前記の本件事業計画の達成により得られる公共の利益と失われる利益を比較衡量し、得られる公共の利益は、沙流川流域の住民を洪水の被害から保護し、流水の正常な機能を維持し、ダムに貯留した流水をかんがい、水道、工業用水及び発電の用に供するという地域住民の生命、身体及び財産の保全、用水需要への対応並びに地域経済の発展であり、これに対して、失われる利益は、アイヌの人々の遺跡やチプサンケという行事であるが、遺跡については発掘調査等による保護がなされ、チプサンケを行う場所については代替施設の整備の方針が実質上示されていたのでありしかも、鮭が遡上できないこととダム建設とは関係がなく、これらを総合勘案すると前者が後者に優越すると認めたのである。
(2) なお、チノミシリについては、本件ダムの建設によって水没したり、クレーンを設置されたりするような場所にあるとは到底解されないうえに、これが本件起業地内又はその付近に存在するとしても、その存在は一般的には知られておらず、かつ、本件事業認定時までに、原告らを含めて何人からも主張されたことはなかったのであるから、建設大臣としては、本件事業認定の際に、本件ダムの建設によって失われる利益の一つとしてチノミシリについて考慮することは不可能であったといわざるを得ない。したがって、仮に、原告らが主張するようなチノミシリが本件起業地内又はその付近に存在するとしても、建設大臣において、本件事業の認定に際し、右の点を土地収用法二〇条三号の要件適合性についての衡量要素として採り上げなかったことをもって、その判断に瑕疵があるものとすることはできない。
(六) 本件事業認定後の事情
アイヌの人々の文化の保存に関する本件事業認定後の経緯は、次の(1)、(2)のとおりである。
(1) 遺跡の保存について
開発局は、ポロモイチャシ跡については、平取町を窓ロとして、平取町教育委員会及び地元自治会と協議を行い、地元自治会の要望に基づいて縮尺模型で復元し、ダム記念館に展示保存することにしており、ユオイチャシについては、平取町、平取町教育委員会と協議し、現在ある場所に発掘されたままの状態で保存する方向で考えている。
(2) チプサンケについて
開発局は、チプサンケについては、「ダム下流の河川敷地において実施できるように最低限度の護岸整備を行い、あとはできる限り自然な状態で保存したい。」との平取町や地元自治会からの要望に基づき、ダム関連事業の中で支援が行えるよう配慮しており、順次整備を進めている。
2 土地収用法二〇条四号の要件適合性について(被告ら共通)
土地収用法二〇条四号の規定は、その事業がその土地を収用し又は使用する公益上の必要があることを事業認定の要件とする趣旨と解されるところ、前記1(一)ないし(三)において述べた諸事実に照らせば、本件事業について本件起業地を収用すべき公益上の必要があることは明らかであるというべきである。
四 争点4について
(原告らの主張)
土地収用法六六条二項は、裁決について理由の附記を要求しているが、これは、処分庁の判断の慎重・合理性を担保して、その恣意を抑制し、かつ、処分の理由を相手方に知らせて不服申立ての便宜を与えるという趣旨である解されるところ、本件収用裁決は、単に「起業者からの要請があった本件土地の区域は、裁決申請及びその添付書類並びに現地調査の結果から判断し、本件土地の収用は相当と認める。」としているにすぎず、これでは、地権者は、被告がいかなる事実関係を認定してその認定をした事実にいかなる判断を加えたのかを了知し得ないものであって、右趣旨に照らして本件収用裁決は、理由附記が不十分であることは明らかである。
(被告の主張)
被告には、収用手続を行うに際して、事業認定や事業自体の適法性を判断する権限がないのであるから、本件収用裁決における収用の相当性に関する部分の理由が簡単だとしても、これを理由附記の不備ということはできない。
物件目録
一 所在 北海道沙流郡平取町字二風谷
地番 一三五番一
地目 田
地積 六〇二九平方メートル
二 所在 北海道沙流郡平取町字二風谷
地番 一三六番四
地目 田
地積 三二〇一平方メートル
三 所在 北海道沙流郡平取町字二風谷
地番 一三七番一
地目 田
地積 二二二一平方メートル
四 所在 北海道沙流郡平取町字二風谷
地番 一三七番五
地目 田
地積 六二三一平方メートル
<別紙図面(一)>
<別紙図面(二)>
<別紙>二風谷ダム貯水池平面図
<別紙>二風谷ダム候補地点位置図 S=1:50,000
<別表>
沙流川洪水被害一覧表(日高町、平取町、門別町)
洪水番号
発生
年月日
原因および降雨量
被害状況注1
被害額当時注1
(換算額)
出典被害状況
被害額注2
①
明治31年
9月6日
台風が本道南部を通り東海岸をぬけたため。
門別と平取で死者29人。行方不明12人。
浸水166戸。家屋崩壊108戸。流失72戸。田流失8ha。畑流失2,214ha。
千円
――
平取町史
門別町史
不明
②
大正11年
8月24日
~25日
本道南東海岸を通った台風による。
門別140mm
(24日)
死者59人。流失家屋112戸。浸水家屋361戸。田流失400ha。畑流失1,200ha。
1,520
(1,540,976)
北海タイムス
北海タイムス
③
昭和10年
9月26日
~27日
猛烈に発達した台風(960mb以下)が銚子沖から根室付近に達したため浦河55mm
(25日~26日)
家屋全壊1戸。半壊2戸。田畑の浸水108ha。
――
日高町史
不明
④
昭和30年
7月3日
低気圧から本道西方にのびた前線通過。
日高85mm
死者1人。流失家屋5戸。床上浸水42戸。床下浸水73戸。田畑流失123ha。
163,291
(749,669)
日高町史
平和町史(死者)
日高町史
⑤
昭和36年
7月26日
梅雨末期の前線の通過による。
豊糖274mm
(24日~26日)
沙流川上流平取町紫雲古津地区・ヌタップ地区・二風谷地区・門別町富川地区・富浜地区氾濫。死者1人。家屋全焼1戸。半壊5戸。流失20戸。床上浸水72戸。床下浸水273戸。田被害474ha。畑被害606ha。
455,482
(1,620,605)
災害記録
(北海道)
水害
(北海道開発局)
災害記録
(北海道)
⑥
昭和37年
8月4日
台風9号の接近通過による。
平取108.3mm
沙流川上流平取町紫雲古津地区・ヌタッフ地区・オユンペ地区。下流門別町富川左岸地区・同右岸地区氾濫。平取築堤決壊。死者4人。負傷者5人。家屋全壊1戸。半壊4戸。流失15戸。床上浸水142戸。床下浸水246戸。田被害714戸。畑被害774.4ha。
1,221,317
(4,192,781)
災害記録
(北海道)
水害
(北海道開発局)
災害記録
(北海道)
⑦
昭和41年
8月17日
~19日
前線上を連続して通過した低気圧と気層の不安定による。
日高町308mm
床上浸水13戸。床下浸水174戸。道路決壊21ヶ所。橋梁2ヶ所。
541,359
(1,549,911)
北海道新聞
室蘭民報
災害記録
(北海道)
⑧
昭和50年
8月24日
台風6号と活発化した寒冷前線による。
振内140mm
沙流川上流平取町紫雲古津地区・荷菜去場地区・平取地区。
下流門別町河口左岸地区・富川地区内水氾濫。家屋全壊1戸。半壊1戸。床上浸水2戸。床下浸水58戸。田被害162ha。畑被害245ha。
1,318,486
(1,822,148)
災害記録
(北海道)
水害
(北海道開発局)
災害記録
(北海道)
⑨
昭和56年
8月5日
前線および台風12号の影響による。
平取290mm
富川350mm
平取町紫雲古津地区内水氾濫。門別町富川地区河口左岸地区・河口右岸地区の各所で氾濫。死者1人。負傷者5人。家屋全壊27戸。半壊13戸床上浸水176戸。床下浸水522戸。
17,183,249
(18,093,961)
災害記録
(北海道)
水害
(北海道開発局)
災害記録
(北海道)
⑩
平成4年
8月9日
台風10号から変った温帯低気圧。
日高 176mm
平取 205mm
日高門別200mm
富浜樋門付近及びKPO/3右岸等で内水氾濫。家屋半壊1戸。一部破損2戸。床上浸水53戸。床下浸水95戸。田被害45.3ha。畑被害6.5ha。
10,663,970
(9,704,213)
被害状況報告
(北海道)
水害
(北海道開発局)
被害状況報告
(北海道)
注1:被害状況及び被害額のうち災害記録(北海道)を出典するものについては、門別川に係る被害を含む。
注2:換算額は昭和60年を1.0としたもの。(平成4年度版「治水経済調査要綱」)