札幌地方裁判所 平成8年(ワ)2996号 判決 2001年3月29日
原告 荒川勝雄
他15名
右一六名訴訟代理人弁護士 中嶋恭介
同 佐藤博文
同 山﨑博
被告 国
右代表者法務大臣 高村正彦
右指定代理人 別紙被告指定代理人目録記載のとおり
主文
一 被告国は、次の各原告らに対し、次の各金員及びこれらに対する平成八年二月一七日から各支払済みに至るまで年五分の割合による各金員を支払え。
原告荒川勝雄に対し、三五一五万円
原告荒川美津子に対し、三三九五万円
原告小枝弘育に対し、三一三一万円
原告小枝香代子に対し、三〇一一万円
原告田畑正に対し、三一三一万円
原告田畑京子に対し、三〇一一万円
原告織田ユキ子に対し、七四八万九九七四円
原告三浦成子に対し、七四八万九九七四円
原告村田一男に対し、八六八万九九七四円
原告小野榮子に対し、七四八万九九七四円
原告藤井耕平に対し、三九九二万円
原告藤井文枝に対し、三八七二万円
原告本間鉄男に対し、三九九二万円
原告本間裕子に対し、三八七二万円
原告村上豊充に対し、三五一五万円
原告村上路子に対し、三三九五万円
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、これを一〇分し、その三を原告らの負担とし、その余を被告国の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求
被告国は、次の各原告らに対し、次の各金員及びこれらに対する平成八年二月一七日から各支払済みに至るまで年五分の割合による各金員を支払え。
原告荒川勝雄に対し、四八九六万五〇〇〇円
原告荒川美津子に対し、四六九六万五〇〇〇円
原告小枝弘育に対し、四六三四万五〇〇〇円
原告小枝香代子に対し、四四三四万五〇〇〇円
原告田畑正に対し、四六三四万五〇〇〇円
原告田畑京子に対し、四四三四万五〇〇〇円
原告織田ユキ子に対し、一二三三万二五〇〇円
原告三浦成子に対し、一二三三万二五〇〇円
原告村田一男に対し、一四三三万二五〇〇円
原告小野榮子に対し、一二三三万二五〇〇円
原告藤井耕平に対し、五五二四万五〇〇〇円
原告藤井文枝に対し、五三二四万五〇〇〇円
原告本間鉄男に対し、五五二四万五〇〇〇円
原告本間裕子に対し、五三二四万五〇〇〇円
原告村上豊充に対し、四八九六万五〇〇〇円
原告村上路子に対し、四六九六万五〇〇〇円
第二 事案の概要
平成八年二月一〇日午前八時一〇分ころ、北海道小樽市と江差町を日本海沿いに結ぶ一般国道二二九号線のうち、余市町豊浜町と古平町大字仲町との間に設置された「豊浜トンネル」の古平側抗口付近において、大規模な岩盤崩落が発生し、同所のトンネル部分が破壊されるとともに、たまたま付近トンネル内を通行していた路線バス等が崩落岩盤に押し潰された上、その乗客等全員が死亡するという事故が発生した。本件は、右事故により死亡したバスの乗客七名の遺族が、トンネルの設置、管理者である被告国に対し、国家賠償法二条一項に基づき、右設置、管理に瑕疵があったとして、損害賠償を求めた事案である。
一 事故の発生及び当事者(争いのない事実及び証拠により容易に認められる事実)
1 事故の発生(争いがない。以下「本件事故」という。)
(一) 発生日時 平成八年二月一〇日午前八時一〇分ころ
(二) 発生場所 一般国道二二九号線(以下「本件国道」という。)に設置された、北海道古平郡古平町大字沖町無番地所在の「豊浜トンネル」(以下「本件トンネル」という。)古平側抗口付近(巻出し部入口から約四五メートル付近、以下「本件事故現場」という。トンネルの所在位置については別紙図面一参照。)
(三) 事故の態様 本件トンネル上にあった、高さ約七〇メートル、幅約五〇メートル、最大厚さ約一三メートル、体積約一万一〇〇〇立方メートルの岩盤が崩落(以下「本件崩落」という。)し、本件トンネルのうち、トンネル部約二六メートル、巻出し部約一八メートルの合計約四四メートル区間が破壊された。
右崩落により、同区間を通行中だった路線バス一台と乗用車一台が押し潰され、乗客等二〇名が死亡するに至った。
2 荒川美幸(当時一七歳、女子)、小枝さつき(当時一三歳、女子)、田畑裕子(当時一三歳、女子)、村田ノブ(当時七一歳、女子)、藤井耕一(当時一七歳、男子)、本間敦(当時一七歳、男子)、村上麻美(当時一七歳、女子)は、いずれもバスの乗客であり、右により死亡するに及んだ者(以下、合わせて「各被害者ら」という。)である(争いがない。)。
本件事故当時、荒川美幸、藤井耕一、本間敦、村上麻美はいずれも高校二年生、小枝さつき、田畑裕子はいずれも中学一年生であり、村田ノブは時に作業現場の賄い婦として稼働していた。
原告荒川勝雄、同荒川美津子は荒川美幸の、原告小枝弘育、同小枝香代子は小枝さつきの、原告田畑正、同田畑京子は田畑裕子の、原告藤井耕平、同藤井文枝は藤井耕一の、原告本間鉄男、同本間裕子は本間敦の、原告村上豊充、同村上路子は村上麻美の各両親であり、原告織田ユキ子、同三浦成子、同村田一男、同小野榮子は村田ノブの子である。
原告らは、別表1ないし7の「原告ら損害表」中における「原告ら各自の相続分及び相続額」欄記載の割合をもって、各被害者らの損害賠償請求権を相続した。
3 本件トンネルは、被告国(北海道開発局)が、昭和五四年九月に着工し、昭和五九年一一月に竣工した、延長一〇八六メートルの道路トンネルであり、以後も被告国により管理されているものである(争いがない。)。
二 責任及び損害についての当事者の主張(争点)
1 被告国の国家賠償法二条一項の責任の有無
(原告らの主張)
本件事故の原因は次の(一)のとおりであり、それに基づき、本件事故は、被告国の営造物である本件トンネルに次の(二)ないし(五)のとおりの設置、管理の瑕疵が存在したことによって発生したものである。
したがって、被告国は、原告らに対し、本件事故により被った損害を賠償すべき責任を負う。
(一) 本件事故の原因
(1) 本件崩落は、本件トンネルを建設する際の空洞開削により、崩落に係る岩盤が人為的に宙吊りに近い状態に曝され、それがその後の風化の進展により落下したことによるものである。
右の風化及び空洞開削等について更に具体的に述べるならば、以下の(2)ないし(4)のとおりである。
(2) 本件崩落箇所付近の地質的、地形的特質
ア 本件崩落が発生した箇所は、水冷火砕岩(ハイアロクラスタイト)及びその二次堆積物からなる、高さ約一五〇メートルの急崖斜面である(右については争いがない。)。
そして、同所における岩盤は、節理や亀裂が発達するとともに、透水性が高く、地下水の通りやすい不連続面が多く含まれ、また、寒暖の差が激しいために、湧水の凍結、融解の繰り返し、岩石の膨潤性や熱膨張率の差異等の諸条件により、岩盤の崩壊、浸食が非常に進んでいる所である。
特に、急斜面の基部における岩盤部分が軟質である場合には、風化や浸食が相対的に進み、オーバーハング状斜面が形成される等、岩盤全体に対する支持力が低下する。
更に、本件崩落箇所付近の岩盤を組成する岩石成分中にはスメクタイトが顕著に含まれている(右の岩石成分中にスメクタイトが含まれていることについては争いがない。)。スメクタイトは、著しい吸湿性を有し、容易に吸水、膨潤、脱水、収縮する性質を有する二次生成鉱物(粘土鉱物)であり、これを含むことにより、岩石の脆弱化、亀裂の拡大、成長が急速に進む。
イ 本件崩落箇所付近の地質構成は、上中下の三層(本件事故後に設置された事故調査委員会(以下「調査委員会」という。)の事故調査報告書(以下「調査報告書」という。)においては、右をそれぞれ「ユニットⅢ」、「同Ⅱ」、「同Ⅰ」と表記している。)に区分することができ、上層部(ユニットⅢ)は約七〇メートル、中層部(ユニットⅡ)は約二〇メートル、下層部(ユニットⅠ)は約三〇メートルの厚さがある(右については争いがない。別紙図面二参照)。
そのうち、上層部及び下層部は、いずれも二次堆積物からなり、比較的細粒部が少なく淘汰がよいため、透水性が高いとともに脆く、風化、浸食されやすい。
これに対し、中層部は、水冷火砕岩からなり、相対的に硬く、透水性も低いため、浸食されにくい。
そのため、上層部と中層部、中層部と下層部との間には明瞭な堆積ギャップがみられ、これらの境の面には特に地下水が湧出しやすく、風化浸食が進みやすい。
ウ 本件事故前、本件崩落箇所においては、崩落岩盤の背面に、横方向にほぼ平行な節理(以下「背面節理」という。)が存在し、上方からそれに沿って地下水が入り込み、風化、浸食が進行していた。この背面節理は、崖の上方表面部分にまで連続している状態にあった。
このような岩盤内部の背面節理の存在は、チャラツナイ岬の先端部北西側にNE―SW方向のリニアメント(線状構造)が認められること(右のとおりのリニアメントが認められることについては争いがない。)、後記(3)イのとおり、本件トンネルの掘削時に崖錐に遭遇したほか、空洞(縦幅約一メートル、横長約三メートル)にも行きあたっていること(このことは、岩盤背面に、同方向の節理、亀裂が発達していることを窺わせる。)、崩壊地形と、隣接の未崩壊斜面とが相似形になっていること(このことは、岩盤内部において崩壊の準備が進んでいることを窺わせる。)等から、認めることが可能である。
そして、崖斜面の海岸線に沿って、海側から山側に向かい、順に岩体の崩落、浸食が繰り返されてきた。
なお、リニアメント(線状構造)とは、空中写真、衛星画像等によって認められる、線状を示す地形又はパターンのことである。ある地域に系統的に認められるリニアメントは、断層、地層境界、岩石中の節理等を直接に反映したものが多い(本件崩落箇所周辺のリニアメントの状況は、別紙図面三に表示のとおりである。)。
エ 本件崩落箇所周辺においては、やや連続性の良いNW―SE方向のリニアメントが、湯内川中流部から沖町にかけていくつか認められるが、それらの亀裂の一環として、海側から見て、本件トンネルの巻出し口の左側及び本件トンネルの右側に縦の亀裂ないしリニアメント(以下、左右分を合わせて「山側節理」という。)が認められ、本件崩落岩盤の輪郭をなしていた。
(3) 本件トンネルの掘削による崩落岩盤脚部の空洞化
ア 本件トンネルの掘削により、本件崩落岩盤の脚部は、海側の岩盤部分の一部(残柱)を残して大部分が削り取られ、右の残柱部分以外は人為的に空洞化された(なお、本件崩落箇所付近における本件トンネルの上部半断面図及び水平断面図は別紙図面四のとおりである。)。
海側に残った岩盤(残柱)がその上部にある岩盤を支える支持力は、残柱の水平断面積及び強度によるところ、具体的には、計算上、水平断面積が二〇ないし三〇平方メートルでは崩落岩盤を支えることができず、四〇ないし五〇平方メートルでは十分に支えることが可能と考えられる。
ただし、崩落岩盤の重量が残柱の支持力を上回ったならば、直ちに岩盤が落下するという訳ではなく、岩盤と地山との付着力により、なお一定期間その位置を保つことができる。
イ また、本件トンネルの掘削では、崖表面から約一二メートル程奥に進んだところで、予想外にも、海側脚部付近に存在した崖錐にぶつかったため、被告国は工事を一時中断し、設計を変更するに至ったが、右の崖錐は、背面節理に沿って海側から内部(山側)に深く切れ込んでいたため、本件トンネルの掘削による空洞部分と連続する状態になった(別紙図面四参照。なお、図中「グラウト」とあるのは、崖錐部にグラウト工を実施したことを示す。本件崩落箇所付近の下部に崖錐が存在したことについては争いがない。)。
なお、崖錐とは、急崖や、傾斜の急な山腹部分の岩石等が風化作用によって崩壊落下し、山裾部分に堆積したものであり、堆積状況は「ルーズ」で、水を含むものもあり、掘削により崩壊を起こしやすい。したがって、崖錐部は、トンネルの通過部分としては不適当な地山であるとされている。
(4) 本件崩落のメカニズム
ア 本件崩落盤は、残柱の支持力と背面節理面における付着力のバランスの上に存在していたが、最も寒い時期、時間帯において残柱の岩盤が収縮した際に、転倒モーメントが働いて、岩盤背面の付着力が減少し、両者のバランスが崩れ、後背亀裂の進展と残柱破壊とが同時に進んだものと推測される。
イ すなわち、本件事故当時、残柱の支持力は、残柱の凍結、融解作用により劣化が進み、その水平断面積については実質二〇平方メートル程度にまで縮小していたものと考えられる。
また、本件崩落岩盤の背面には、上部から進展、開口し、風化が進んだ亀裂部分とともに、未だ亀裂が進展していない部分(主崩落面の中部から下部、側壁面部分)とが存在していた。しかしながら、亀裂が進展していない部分においても、岩盤内部には微細な節理や水みち等の弱面が無数に存在していた。
以上のような状況の下において、前記の転倒モーメントが作用したため、あたかも、これらの弱面に沿った亀裂が瞬時に数珠繋ぎにされたかのような状態となり、本件崩落岩盤が地山から剥がれ落ちたものである。
(二) 本件トンネル抗口の設置位置の瑕疵
(1) トンネル抗口は、「地圧的に最も不安定なところであるから、地形的にも地質的にも、できるだけ安定した堅硬な所を選ばなければならない。」「トンネルの路線中心線は等高線にできるだけ直角に近い角度で交わるようにするのがよい。崖すいなどの未固結層や断層などがある場合、これらと直交すれば悪地質を通過する区間の延長が短くなるばかりでなく、地圧が大きくても左右が比較的均等で偏圧のおそれが少ない」(土木施工法講座19「トンネル施工法」三五頁)とされている。
しかしながら、本件トンネルにおいては、地山に対して、その抗口を直交させず、約三九度の角度で斜交させたため、前記(一)(3)アのとおり、本件崩落岩盤脚部は、トンネルの進路に従い、海側の一部を残して、その余の大部分が削り取られる結果になった(本件トンネルの抗口が地山に対して約三九度の角度で斜交していることは争いがない。)。
したがって、本件崩落岩盤付近のトンネルの山側は全面的に地山部分からなるものであったのに対し、トンネル海側の岩盤は僅かな残柱部分が存在するのみとなった。
(2) また、本件崩落岩盤の下にはもともと崖錐が堆積していたため、本件トンネルの建設工事においては、前記(一)(3)イのとおり、掘削の途中で右の崖錐と遭遇するに至ったが、崖錐は、掘削により残された地山部分(残柱)に匹敵するほどの大規模なものであった。そのため、右掘削により、本件崩落箇所については、巨大なオーバーハング状態が人工的に作られることとなった。
(3) 更に、本件トンネルの古平側抗口の設置位置は、海岸線が波状に曲がっている所であるから、地山とトンネル抗口を「直角に近い角度」で交差させることはそもそも不可能であり、トンネル抗口の設置場所としては最悪の地点であった。
(4) 一方、本件崩落箇所の急崖斜面は、前記(一)(2)のとおり、風化が急速に進んでいる場所であるから、右のとおり僅かに残された残柱も、同様に風化が進み、いずれ無くなることが予想されるところであった。
(5) 以上からみるならば、本件トンネルは、その抗口が本件位置に設定されたことにより、トンネルとして通常有すべき安全性を欠いた状態にあったことが明らかである。
したがって、被告国の営造物である本件トンネルについては、そもそもその抗口の設置位置に瑕疵があったものというべきである。
(三) 本件トンネル抗口における岩盤支持力が不足していたことの瑕疵
仮に、本件トンネルの抗口の設置位置については現状を前提としても、トンネル掘削工事の際、右工事により生じた岩盤脚部の空洞化に対し、海側に生じた残柱部分と崖錐部を、コンクリート構築物等によって補強し、その支持力を増強していれば、本件事故を容易に防止することができたはずである。
しかしながら、右の残柱部分と崖錐部については、本件工事において右のような抜本的な補強がなされず、上部岩盤に対する支持力を欠いたままの状態とされた。
したがって、本件トンネルは、掘削部分における岩盤の支持力の点において通常有すべき安全性を欠いていたものであり、本件トンネルの設置に瑕疵があったものというべきである。
(四) 本件トンネルの建設後における管理の瑕疵(監視体制の欠陥による岩盤脚部の補強等の欠如)
本件崩落箇所付近の地質的、地形的特質及び崩落岩盤脚部の状況については前記(一)(2)、(3)のとおりであったほか、本件崩落箇所近辺については、本件事故以前に次のような事情が認められた。
(1) 平成三年一二月ころ、本件トンネルの古平側入口上部において小規模な崩落(三〇〇トンオーダー)が発生した。
これにより新鮮な崩落面が現れたが、そこからは水が湧出し、つららが生じていた。このことは、崩落した岩体の背面に亀裂又は節理が進展していること、しかも、その亀裂又は節理面が、上方からこの部分にまで伸びてきていることを示すものである。
(2) 北海道南西沖地震後の平成五年一〇月、被告国により、国道等の安全点検のため、国道付近等の急崖斜面について空中写真撮影がなされたが、その中の本件崩落箇所付近の写真を検討したならば、本件崩落岩盤の輪郭をなす亀裂の存在が判明したはずであった。
したがって、被告国においては、それに基づき、亀裂の走行、開口の程度、崩落が予想される箇所の特定等のため、現地について更に検討を加えたならば、本件崩落箇所付近に大規模崩壊が発生する可能性があることを十分に認識することができたはずである。
(3) その他、本件トンネルの建設後である昭和六〇年一二月、本件トンネルの古平側抗口から、本件国道に沿って西に約一キロメートル程離れた位置にある、旧セタカムイトンネルの巻出し口上部の岩盤が、推定約四二〇立方メートル、約一〇〇〇トンにわたって崩落し、右巻出し口のコンクリート外郭を破壊した。
また、平成六年二月には、本件トンネルの余市側抗口から東へ約三キロメートル程離れたワッカケ岬において、本件事故の二倍にあたる約五万トンの岩盤の崩落が発生し、崖下の旧道(当時既に閉鎖中)を破壊した。
(4) 以上のように、本件事故以前においては、本件トンネル付近では大小規模の崩落が頻発する等していた。
そのため、本件トンネルの抗口周辺について監視を強めていれば、斜面岩盤の不安定性(亀裂の発達、残柱部分の脆弱さ等)について認識することができ、崩落を想定して、岩盤脚部の支持力の補強等、必要な対策を講ずることができたものというべきである。
しかしながら、本件トンネルの抗口周辺については、右のような監視体制が取られておらず、岩盤脚部の補強等がなされていなかったものであるから、本件トンネルについては、完成後におけるその管理にも瑕疵があったものというべきである。
(五) 本件トンネルの建設後における管理の瑕疵(緊急時の通報設備の利用方法に関する周知の欠如)
(1) 本件トンネルの非常用設備の設置状況
本件トンネルは、トンネルの非常用施設設置のための等級区分がBとされ、非常電話一〇台(一〇〇メートル間隔)、非常通報装置二一台(五〇メートル間隔)、非常警報装置二台が設置されている。
非常通報装置のボタンが押されると、トンネルの両側入口にある警報装置からサイレンが鳴り、電光掲示板に事故発生の文字が表示されて、これからトンネルに入ろうとする車両運転者に周知される。同時に、被告国の北海道開発局小樽開発建設部道路事務所に対しても、非常通報装置の作動したことが表示される。また、同事務所からは、本件トンネル内の設備について、遠隔操作をすることも可能とされている。
一方、非常電話は、簡単な操作により、警察署や消防署と直接連絡を取ることが可能な仕組みとされている。
(2) 本件事故の三〇分前における事故の兆候
本件事故の約三〇分前、本件トンネル内を余市側から古平側に向け走行した車両の運転手は、本件崩落箇所付近のトンネル上部から、砂状のものが落下しているのを発見した。運転手は、減速して車窓を開け、天井を見上げると、同所には稲妻状の亀裂があり、そこから砂状のものが滝のように落下して来るのが認められた。運転手は、危険を感じたが、前記の非常通報装置等の存在や機能を知らなかったため、それらを利用することができず、トンネルから出たところで車を停車させ、公衆電話ボックスに入り、電話帳から余市警察署古平駐在所の電話番号を捜し出して、駐在所に電話をし、右状況を説明した上、「異常だから早く対処してくれ。」と伝えた。
しかしながら、本件事故の発生に至るまで、何らの措置も取られることがなかった。
(3) 非常用設備の設置状況、利用方法に関する周知の欠如
本件国道及び本件国道が通過するトンネル付近においては、落石や崩壊、雪崩等の事故が頻発していたのであるから、右国道及びトンネル管理者においては、事故の防止、あるいは発生した事故に対する応急措置等のため、トンネル内における非常用設備の設置状況及びその利用方法等を、通行者に対し周知徹底することが必要不可欠である。なぜならば、道路管理者が、常時、直接かつ全面的に道路を管理することは不可能であり、通行者による情報提供や応急措置に頼らざるを得ない場合が多いからである。
そして、本件事故の場合、前記(2)の運転手が、本件トンネル内における非常通報装置の存在と機能を知っていたならば、直ちに非常通報装置のボタンを押すなどしたはずであり、それにより、トンネル入口の電光掲示板に事故発生の文字が表示され、これを見た路線バスの運転手においては、トンネル内に進入することを回避したはずである。また、右のとおり非常通報装置による連絡がなされたならば、小樽開発建設部道路事務所が直ちに異常の発生を確知し、本件トンネルについて通行止め等の措置を取ることも可能であったはずである。
しかるに、本件国道ないし本件トンネルの利用者はもとより、地元の住民すらも、右のような非常設備の存在や機能、使用方法等を認識、理解しておらず、仮に、同人らが前記(2)の運転手と同様の場面に立ち会ったとしても、右運転手と同程度の対応しか取り得なかったものと考えられる。
以上のとおりであるから、本件トンネルの管理者である被告国において、トンネルの非常設備の機能や設置状況、利用方法について、トンネル通行者への周知を欠いていたことは、明らかに、本件トンネルの管理の瑕疵というべきである。
(被告国の主張)
(一) 本件事故原因についての原告らの主張に対する認否、反論
(1) 本件事故原因についての原告らの主張事実のうち、争いのない事実として括弧書で摘示した部分については認め、その余は争う。
(2) 本件事故後に設置された調査委員会の調査報告書のとおり、本件崩落は、岩盤内に存在した不連続な亀裂が、自然的な要因により徐々に進展し、これらが互いに連続するという過程を経て発生したものである。
そして、岩盤に内在する不連続な亀裂の進展をもたらした自然的要因としては、地下水の浸透による風化、岩盤の自重、地下水圧、気温低下時の氷結圧、岩質の劣化等が考えられ、また、崩落時には、数日前からの気温の低下に伴う凍結により水みちが塞がれたために生じた、地下水位の上昇に基づく背面地下水圧の増加、含水比の増加に伴う岩盤強度の低下が加わって、岩盤が落下するに至ったものと考えられる。
他方、調査委員会においてなされた三次元有限要素法解析による数値解析の結果、本件トンネルの建設、崖錐の強度、トンネル海側側壁近傍地山(残柱)の強度が右の亀裂の進展に与えた影響は、いずれも小さいものと認められる。
すなわち、右解析法を用いて、地山に本件トンネルが掘削されていないとき、トンネルが素掘りの状態(コンクリート覆工、支保工等が設置されていない状態)のとき、トンネルが完成した状態のときのそれぞれについて、崩落岩体の背面における亀裂の先端付近に生ずべき、亀裂を広げようとする引張応力を求め、それらを相互に比較したが、その間にほとんど変化はみられないという結果が得られたものである。
(3) 本件崩落箇所周辺の地質、地形及び斜面状況について
ア 本件崩落箇所周辺の地質は、約一〇〇〇万年前に海底に噴出した水中火山岩類からなり、岩石形成時から、その内部に微細な割れ目が発達しているという性質を有する。しかしながら、これらの性質は亀裂の発達、進展に直接関与せず、原告ら主張のように、本件崩落箇所付近において、系統的な亀裂が目に見える形で発達しているということはない(右付近では、連続性のない八本の亀裂(別紙図面二におけるFr1ないし8)が認められるのみである。)。本件崩落壁面の中央部の地質ユニット(ユニットⅡ)は、最上部を除いてマッシブ(塊状)で無層理の粗粒火砕岩から構成され、マクロ的にみると亀裂が少なく、細片化しにくい岩盤であり、その分布は、崩落箇所近傍の狭い範囲に限定され、周辺のほかの地質と比較しても亀裂の少ない岩盤である。
イ 崩落面は、主崩落面と、崩落岩盤の側壁部とに大別され、積丹半島におけるリニアメントから推定される広域的な割れ目系と、その方向において一致する傾向にあるが、崩落面周辺に限れば、亀裂は少なく、系統的と判断される割れ目系は確認されていない。
また、チャラツナイ岬付近においてNE―SW方向のリニアメントが認められるが、本件崩落面の方向はENE―WSWであり、両者は明らかに一致しない(別紙図面五参照)。したがって、原告ら主張のように、チャラツナイ岬付近におけるリニアメントから、岩盤内部の背面節理の存在を認めることはできない。
ウ 崩落直後の主崩落壁面をみると、上部及び左側は褐色に変色した部分(上下約一〇メートル、幅約三五メートルの範囲)、中央は変色した部分と変色していない部分とが混在している部分(上下約二〇メートル、幅約三〇メートルの範囲)、下部はまったく変色していない部分(上下約二五メートル、幅約三〇メートルの範囲)からなっていた(別紙図面六参照)。
右のうち、変色部は、崩落前の斜面に存在していた開口亀裂部分、混在部は、崩落前に局所的な亀裂が散在していた部分、非変色部は、崩落前に亀裂が存在せず、今回の崩落によって初めて形成された剥離面と解される。
崩落面側壁部は、上部が僅かに変色しているものの、大半が非変色部であり、崩落時に引き剥がされてできたと考えられる「すき櫛状構造」が上部にあり、もともと亀裂が存在していたことを窺わせるシャープな亀裂面は認められない。
主崩落面の上部開口亀裂(変色部)は、岩盤に内在する不連続な亀裂が、斜面の浸食による応力解放(作用していた荷重が除かれることによって起こる岩盤内部の圧力の軽減)や、地下水の浸透による風化によって進展し、斜面表層部に達したことにより生じたものであり、崩落前の斜面に存在していたと考えられる。
なお、開口とは、岩盤内部の亀裂に空隙のある状態をいうが、これが岩盤表面部にまで広がることも、岩盤内部のみで止まることもある。
エ 本件事故前に、本件崩落箇所付近において山側節理が認められ、本件崩落岩盤の輪郭をなしていた(原告らの主張(一)(2)エ)ということはない。
オ 以上のような本件崩落箇所周辺の地質、地形、崩落箇所の状況からすれば、本件崩落面が、崩落前に、連続的あるいは系統的な節理として形成されていたとは到底いえない。
(4) 亀裂進展原因の推定
ア 氷結圧の寄与について
調査報告書は、本件崩落面内の上部付近において、崩落時に結氷が見られた事実から、「気温低下時には開口亀裂に作用する氷結圧が岩盤の分離を促進させる可能性がある」としている。
閉じ込められた水が凍った場合、その体積膨脹により氷結圧が発生することは疑いがない。
イ 地下水圧の寄与について
調査報告書は、地下水が、「崩落面内の亀裂に浸透し、地下水圧として作用することにより、岩盤の分離を促した可能性は大きい」とし、亀裂への水の浸透から、亀裂岩盤面の含水比が増大し、強度低下を引き起こす等、岩盤内での地下水の水頭(流出口から岩盤内水面までの高さ)の季節的変化が、岩盤の風化促進営力(岩盤を風化させる力)として働いた可能性があるとする。
これは、本件崩落箇所周辺における複数のボーリング調査の結果から、付近における地下水や地下水圧の存在が確認されたこと、崩落直後の壁面色の観察から、崩落時点において崩落面がかなりの湿潤状態であったことが認められたこと、また、崩落後、崩落壁面に湧水ないしつららの発生が認められたこと等に基づいて判断されたものである。
そして、右の湧水、つららの状況からみるならば、崩落壁面のユニットⅠとⅡ、ユニットⅡとⅢの各境界、ユニット内の層理面等の不連続面が水みちであったと判断される。特に、ユニットⅡとⅢの境界中央付近からの地下水の湧水は、他と比べて多く、亀裂開口部での氷結圧、地下水圧、岩盤への地下水浸透等の面において、その影響は大きいものと考えられる。他方、原告らの主張するように、岩盤全体について透水性が高いということはない。
ウ 岩体の自重について
岩体の自重については、実際に崩落が発生している以上、それが亀裂進展の最終段階で要因として作用し、本件崩落に至ったことは明らかであり、亀裂進展の複合要因の一つにあたるものというべきである。
しかしながら、原告らの本件事故原因についての主張は、岩体の自重と海側岩盤(残柱)の支持力との関係のみに崩落の成立条件を求めているところ、これは、崩落面の相当部分が崩落時に引き剥がされたものであって、崩落岩盤が残柱だけで支持されていたものではないこと、本件崩落においては複数の亀裂進展要因が存在したことをいずれも無視するものであり、相当でない。
エ 原告らは、本件崩落箇所周辺の岩盤にはスメクタイトが顕著に含まれ、それが岩盤の脆弱化、亀裂の拡大、成長に大きな影響を与えたものとする。
しかしながら、一般に、スメクタイトは岩盤劣化の要因となり得るものであるが、本件崩落壁面におけるその含有量は、地層ユニットⅡの最上部を除きわずかであり、顕微鏡でようやく観察できる程度である。本件崩落以前に、将来の危険が予測される程のスメクタイトが、岩盤全体に大量に含有されていたという事実はない。
オ また、原告らは、本件崩落箇所における上中下の三層の地層の特性に明瞭な違いがあるとする。
しかしながら、各地層に対する物理試験結果からは有意な差は認められず、それらの物理的、力学的特性はほぼ同一の性質を示している。したがって、地層ユニットⅠ、Ⅲは透水性が高く、脆く、風化、浸食されやすいのに対し、ユニットⅡは相対的に透水性が低く、浸食されにくいとすることは、何ら具体的な事実に基づくものではない。
(5) 原告らの主張に係る本件トンネルの掘削による崩落岩盤脚部の空洞化及び本件崩落のメカニズムについて
ア 原告らは、トンネル掘削による岩体脚部の空洞化(オーバーハング地形)によって、崩落岩体が宙吊り、すなわち、残柱のみによって辛うじて支えられる状態となる一方、残柱の強度と面積が足りなかったことが本件崩落の原因であるとする。
しかしながら、オーバーハング地形における岩体の安定性の問題は、窪地形と斜面全体の相対的な大小関係や、岩盤の強度等の考慮により評価されるべきであり、オーバーハング地形であるという一点から、不安定であると決め付けることはできない。
本件崩落の主崩落面を観察すると、風化が及んでいない(大気や水等に接していない)非変色部が認められたり、側壁面にはすき櫛状構造が残されていたりする等の状況から、本件崩落岩盤は、崩落時に地山から無理に剥がされたものと推定される。したがって、本件崩落岩体は、崩落直前まで地山壁面から分離されていなかったことが明らかである。
原告らの右主張は、トンネル掘削時に、既に背面節理、山側節理が存在していたことを前提とするものであるが、右各節理は前記(3)のとおり存在しない。
イ 本件トンネルの掘削における残柱の断面積は約四六ないし五〇平方メートルである。他方、原告ら主張のように、凍結融解による劣化のため、その有効断面積が二〇平方メートル程度しかなかったとすることは疑問である。
ウ なお、グラウト工は、トンネル施工時の安全性を確保するため、崖錐の固結を目的として実施されたものである。
(二) 本件トンネルの設置、管理の瑕疵についての原告らの主張に対する認否、反論
(1) 原告らの本件トンネルの設置、管理の瑕疵の主張のうち、
ア 本件トンネル抗口についての設置位置の瑕疵(「原告らの主張」(二))、本件トンネル抗口における岩盤支持力が不足していたことの瑕疵(同(三))、本件トンネルの建設後における管理の瑕疵(監視体制の欠陥による岩盤脚部の補強等の欠如、同(四))については争う。
その具体的な反論及び抗弁は、後記(2)ないし(4)のとおりである。
イ 本件トンネルの建設後における管理の瑕疵(緊急時の通報設備の利用方法に関する周知の欠如、同(五))については認め、その責任は争わない。
なお、「原告らの主張」(五)(1)のうち、非常電話一〇台(一〇〇メートル間隔)とあるのは、非常電話五台(二〇〇メートル間隔)が正しい。
(2) 本件トンネル抗口の設置位置の瑕疵(「原告らの主張」(二))についての反論
ア トンネルの抗口が、その背後の山の等高線と斜交して設けられているケースは、決して珍しいものではなく、これを問題視することはできない。
また、本件トンネルの地山の岩盤性状についても、昭和四八年度の地質概査及び昭和五三年度の地質精査の結果、地山全体が安定しているものと認められたほか、当時の基準のみならず、現在の基準における地山区分によっても、本件トンネルの地山の岩盤は、一般にトンネルに適すると評価される範囲に含まれており、トンネル建設上、何ら問題となるものではない。
地形についても、オーバーハングや崖錐がみられるものの、昭和五三年度の古平側抗口部における水平ボーリング調査の結果、全体としての亀裂は極めて少ないことが確認され(なお、蛸穴ノ岬周辺にはN五〇度W方向の大規模亀裂が認められるものの、チャラツナイ岬を含む本件崩落箇所周辺には大規模亀裂は認められない。)、岩盤強度等の試験結果からも、岩の固結度は良好であることが確認されている。
したがって、本件トンネルにおける抗口の位置が不適当であったということはない。
なお、本件事故現場付近における調査ボーリングの実施本数は二本であるが、その数量が少ないということはなく、また、トンネル抗口近傍の岩盤背面には開口亀裂、密着亀裂は認められず、更に、そもそも、崩落岩体背面には、崩落面の上部及び左側の亀裂と、局所的に散在する亀裂以外に、節理、亀裂は存在しなかったのであるから、仮に、本件トンネル工事前に、トンネル抗口周辺に対し、岩盤斜面も視野に入れたボーリング調査が実施されたとしても、「規模の大きな崩落につながる可能性のある亀裂」は認識され得なかったはずである。
イ 本件トンネル工事においては、掘削の途中で崖錐と遭遇し、一部設計変更がなされたが、「トンネル工事の特殊性として、着工前に行った地質等、自然現象の調査成果と施工の際の状態とは、必ずしも一致するものではない」(土木学会「トンネル標準示方書(山岳編)・同解説」(昭和五二年版)九五頁)とされ、また、「トンネルは延長方向に長い地中構造物であり、地質・湧水等の地山条件を全長にわたって的確に予測することは極めて困難である。このため、一般に計画・設計の段階では、不確定ないし不可知な要素を多く残した状態で作業を進めざるを得ないという特殊性をもっている」(社団法人日本道路協会「道路トンネル技術基準(構造編)・同解説」(平成元年六月)一五七頁とされている。
建設開始当時の設計において、実際の地山の性状を的確に反映するよう努めることはもちろんであるが、右のようなトンネル工事の特殊性から、地山の状況に応じて適宜調査を実施し、その都度、「設計、施工法、施工方式の変更の要否、トンネル周辺に対する工事の影響の有無とその対策の要否、等を検討する」(前記「トンネル標準示方書」九五頁)ことが通常である。
したがって、本件トンネルの掘削の途中において崖錐と遭遇したことが、本件トンネルの抗口を本件位置に設定したことの瑕疵を示すものでもない。
(3) 本件トンネル抗口における岩盤支持力が不足していたことの瑕疵(「原告らの主張」(三))についての反論
前記(一)(5)ウのとおり、崖錐に対するグラウト工は、あくまでも、トンネル工事を施工する際の安全を確保するため、崖錐の固結を目的としたものであるが、右のグラウト工を施工するにあたっては、崖錐の範囲を詳細に調査し、施工手法として水ガラス及びセメントミルクを用いて崖錐の固結を図り、更に、構造的にも、土圧条件の変更による構造計算を実施して構造変更の必要がないことを確認の上、インバートコンクリートを打設してトンネル断面の閉合を図ったというものであるから、トンネル建設における妥当な技術的措置である。
したがって、本件トンネル工事に着工した後に遭遇した崖錐部についての工事にも、何ら瑕疵はない。
(4) 「原告らの主張」(二)ないし(四)の瑕疵の主張に対する、本件崩落の予見可能性がなかったことについての抗弁
ア 本件崩落箇所において、本件トンネル掘削時に、原告らの主張するような節理や系統的な亀裂群が存在しなかったことは、前記(一)(3)のとおりである。そして、本件崩落は、外見上明瞭な亀裂の少ない水冷破砕岩等の火砕岩類において、岩盤内に当初存在していた不連続な亀裂が、自然的要因によって徐々に進展し、これらが互いに連続するという過程を経て発生するに至ったものである。
これは、従来からよく知られていた岩盤崩落事例とは全く態様を異にするものであって、このような過程による崩落事故の発生を、事前に具体的に予見することは不可能である。
また、本件崩落箇所における事前の調査、事後の点検等によっても、本件規模による岩盤崩落をもたらす亀裂の存在を認識することは、極めて困難であったものであり、本件岩盤崩落は人知を超えたものであったことが理解されるべきである。
イ(ア) この点について、原告らは、後記「被告国の主張に対する原告らの反論」(二)(2)ア(ア)aのとおり、チャラツナイ岬付近において認められるリニアメント(NE―SW方向のもの)から、本件崩落面を推定することが可能であったと主張するが、前記(一)(3)イのとおり、右のリニアメントと本件崩落面の方向とは明らかに一致しないから、チャラツナイ岬付近に見られるリニアメントから、本件崩落面における背面節理を認識し、予め主崩落面の存在を想定することは不可能である。
(イ) また、原告らは、後記「被告国の主張に対する原告らの反論」(二)(2)ア(ア)bのとおり、本件トンネルの掘削途中で崖錐、空洞に遭遇するとともに、地山がオーバーハング状態(宙吊り状態)にあり、海側からの切れ込みも深かったことから、被告国は、その段階において、岩盤の背面に節理(背面節理)又は亀裂が発達していることを認識すべきであったと主張する。
しかしながら、そもそも、本件崩落面においては、前記(一)(3)のとおり節理、亀裂が存在しなかったものであるから、その存在を前提とする原告らの右主張は失当である上、一般論としても、オーバーハングを形成する切れ込み部分の存在から、岩盤背面の節理、亀裂を認識することは不可能である。
(ウ) 更に、原告らは、後記「被告国の主張に対する原告らの反論」(二)(2)ア(ア)cのとおり、崩壊地形が隣接の未崩壊斜面に相似していることから推認して、被告国は、本件崩落箇所における節理や亀裂の存在、発達について認識すべきであったとも主張する。
しかしながら、右の「相似」は、単に、崩落面に形成された段差と未崩落部分の段差とがつながっていることを示すに過ぎず、右の壁面の地形から、本件崩落前の段階において、背面の亀裂の存在や岩盤崩壊の準備が進んでいたことを認識することはできない。
(エ) 原告らは、後記「被告国の主張に対する原告らの反論」(二)(2)ア(イ)のとおり、本件トンネル建設前の調査により確認されたNW―SE方向の大規模亀裂から、本件崩落壁面側面部の亀裂が認識できたはずであるとも主張する。
しかしながら、前記(2)アのとおり、蛸穴ノ岬周辺にはN五〇度W方向の大規模亀裂が認められるものの、チャラツナイ岬を含む本件崩落箇所周辺にはそのような亀裂が認められないから、右の蛸穴ノ岬周辺の大規模亀裂の存在から本件崩落壁面側面部の亀裂が認識できたとすることはできず、ボーリング調査等の対象になるものでもなかったというべきである。
(オ) 原告らは、後記「被告国の主張に対する原告らの反論」(二)(2)イのとおり、本件崩落箇所付近の海岸の崩落面に「X字形の割れ目系」が認められるところ、その規則性から、亀裂の存在と進展方向が推測されるとも主張する。
しかしながら、右主張のような形状がはたして存在するといえるか否かは不明であるとともに、仮に、崩落面に右のような形状が観察されるとしても、それは、単に崩落後の壁面に見られる形状に過ぎず、他の地点における岩体背面の亀裂の存在や規模について、事前の情報を与えるものとはいえない。
(カ) 原告らは、前記「原告らの主張」(一)(3)アのとおり、本件トンネルの掘削後、海側に残った岩盤(残柱)の支持力と水平断面積との関係についても主張する。
しかしながら、右は、崩落する岩盤の規模を事前に具体的に認識、把握することが可能であるとの前提によって初めて成り立つ議論であり、実際には、事前に崩落岩体の荷重を予測することが不可能である以上、右計算を前提に、崩落を回避することが可能であったとすることはできない。
(キ) 原告らは、後記「被告国の主張に対する原告らの反論」(二)(2)エのとおり、本件崩落箇所周辺の地質、岩質等についての一般的な認識があれば、具体的な岩盤崩落の発生について予見がなくとも、その発生の確率は高いとの予測が可能であったとして、事故発生の予知予測はその程度で足りると解すべきである旨をも主張する。
しかしながら、斜面崩落の危険度は、斜面の形状、岩質の特徴等によって斜面毎に異なると考えられることから、道路の建設及び管理の実務においては、斜面単位による調査が実施され、これによって、それぞれの斜面毎に崩落の危険度を判定し、防災対策を実施するのが一般である。
斜面においては、いかなる事態が発生し得るかが具体的に特定されなければ、そのための対策は取り得ないし、また、斜面において、スメクタイトの含有や含水による岩盤強度の低下があるとしても、岩盤が、亀裂も有さず、一定の強度を保ち、安定した性状を維持しているならば、右のスメクタイトの含有等を、直ちに、斜面の大規模崩落という事態の発生に結び付けることはできない。
(ク) 更にまた、原告らは、前記「原告らの主張」(四)及び後記「被告国の主張に対する原告らの反論」(二)(2)ウのとおり、本件トンネルの建設後における抗口付近の監視態勢の欠陥等を主張する。
しかしながら、岩盤崩落による災害の発生を防止するためには、発生に関わる要因を考慮して、岩盤崩落の危険度の高い斜面を抽出し、発生規模を想定するとともに、発生時期を知ることが必要である。被告国においては、本件国道の安全を確保するために、道路の巡回や点検を実施していたが、原告らの主張する右事由によっても、次に述べるとおり岩盤崩落の発生規模、発生時期を予測することは困難であり、そのため、モニターの実施や本件崩落事故に対する事前の防護策対策等を講じることも不可能であった。
a 原告ら主張のように、平成三年一二月ころ、本件トンネルの古平側入口上部に小規模な崩落が発生し、それにより現れた崩落面につららが生じていた箇所があったことは当時の写真から窺えるが、岩体背面にどのように水が回り、つららを生じさせていたかという点や、岩体背面にはたして亀裂が発達していたか否かという点については、認識する手段がなく、右が具体的な対策の要否を検討する端緒になるものとはいえない。
b また、原告らは、北海道南西沖地震後の平成五年一〇月に撮影された空中写真から、本件崩落岩盤の輪郭をなす亀裂の存在が判明したはずであると主張するが、右写真をもって、崖斜面に亀裂が存在するものとして、崩落箇所や崩落の程度を具体的に予見することは不可能である。
c 更に、原告らは、昭和六〇年一二月及び平成六年二月に本件トンネル周辺において発生した二件の崩落事例を機に、本件トンネル抗口周辺に対する監視を強めていれば、本件崩落を予見できた旨主張する。
しかしながら、これらの崩落は、いずれも連続性のある明瞭な亀裂に沿って生じたものであり、斜面に内在する亀裂が、複数の自然的要因により全体として進展、連続したという本件崩落とは、原因、過程を全く異にするものである。
したがって、明瞭な亀裂がほとんど見られない本件崩落箇所においては、監視計画の立案自体が不可能であり、被告国において、岩盤の不安定性を予見し、必要な対策を講じることはできなかったものといわざるを得ない。
(被告国の主張に対する原告らの反論)
(一) 本件事故の原因について
(1) 被告国の主張する本件事故原因は非科学的なものである。
本件において、氷結圧は生じていない。本件における崩落岩盤は巨大であり、仮に、岩盤の背面に水あるいは水みちが存在したとしても、氷結による膨脹が、岩盤の冷却収縮による亀裂の開口量を上回るということは考えられない。
本件において、地下水圧の上昇は生じていない。仮に、岩盤に水が大量に供給されても、岩盤がそれを上回る吸水能力、透水性を有していれば、水は溜まることなく流れ、水圧は生じない。本件事故後、本件トンネル抗口周辺においてボーリングを実施し、ボーリング孔を観測した結果、ボーリング孔からの湧水は少なく、年間を通しての地下水位、水圧の変動も認められず、降雨に対しても反応しなかった。したがって、地下水圧はあっても極めて局所的なものと考えられる。
(2) 被告国は、岩盤が自重の作用により落下したとするが、自重とは崩落岩体の重力であるから、落下のためには、崩落岩体の脚部がトンネルによって空洞化していたことと、トンネル掘削後に崩落岩体を支えていた残柱がその支持力を失ったことの二つが成立要件になるはずである。したがって、被告国の見解を前提としても、本件トンネルの掘削による空洞化、残柱の支持力の喪失が本件崩落の原因であることは明らかである。
(3) 調査委員会において用いられた三次元有限要素法解析は、定性的な傾向をみるという点では有力な解析方法ではあるが、斜面の安定や岩盤の支持力等を考慮した全体破壊のメカニズムを解析することには本来適していない。また、右解析にあたって採用された地山の弾性係数、崖錐の弾性係数は、実際よりも高過ぎる数値であり、実情に合致しない。更に、右解析モデルの地形についても不正確であり、亀裂の進展が抑制される結果をもたらす形状とされている疑いがある。
(二) 本件崩落の予見可能性についての抗弁に対する認否、反論
(1) 右主張は争う。
(2) 被告国において、本件崩落の予見可能性がなかったといえないことは明らかである。
ア 本件崩落箇所においては、背面節理、山側節理あるいは亀裂が存在し、被告国が、本件事故前にそれらを認識することは次の事由からみても可能であったはずであり、それによって本件崩落を予見することができたはずである。
(ア) 背面節理について
a 本件崩落箇所の最も近傍に判読されるリニアメントは、前記「原告らの主張」(一)(2)ウのとおり、チャラツナイ岬の先端部北西側に認められるNE―SW方向のものであり、チャラツナイ岬の北西側海岸線方向とほぼ平行に走っている。そして、右のリニアメントは、海側から山側に向かい切れ込んでおり、本件崩落岩盤付近にまで至っていた。
したがって、リニアメントから、本件崩落箇所における背面節理あるいは亀裂を事前に判読できたものである。
b 前記「原告らの主張」(一)(2)ウ、(3)イのとおり、本件トンネル工事に着工後、上半掘進を約一二メートル程度進めた付近から、事前調査では確認できなかった崖錐にぶつかるとともに、縦幅約一メートル、横長約三メートルの空洞にも遭遇している。これは、海側から続く斜面が深く切れ込み、しかも、地山が大きなオーバーハング(宙吊り状態)となっていたことを示している。この時点において、海側からの切れ込みが予想より深かったことが判明したのであるから、被告国は、岩盤背面に同方向の節理(背面節理)あるいは亀裂が発達していることを認識して然るべきであった。
c 本件崩落箇所は、垂直に近い急崖斜面であり、前記「原告らの主張」(一)(2)ウのとおり、隣接の未崩壊斜面と相似形をなしている。このことは、岩盤の未崩壊部分について、既に崩壊した部分に相似する地形が内部に形成され、次の崩壊の準備が進んでいることを示している。
したがって、その点からも、被告国としては、本件崩落箇所付近の節理や亀裂の存在、発達を注意深く認識すべきであったことが明らかである。
(イ) 山側節理について
a 本件事故前において、本件崩落斜面には、崩落面に沿い、明瞭な亀裂ないしは目立たない形でのリニアメントが認められていた。
b 本件トンネルの建設前に実施された調査の際、大規模亀裂がNW―SE方向に発達していること、あるいは発達し得ることが認識されていた。
しかるに、その当時、右亀裂の存否や発達の程度を調査するためのボーリング調査は全く行われていない。
c 前記「原告らの主張」(四)(2)のとおり、北海道南西沖地震後の平成五年一〇月ころ、本件崩落箇所周辺について、被告国により空中写真が撮影されたが、それによると、本件崩落岩体の輪郭をなす亀裂については明確に認識することが可能であった。
イ 本件崩落箇所周辺にある旧セタカムイトンネルの岩盤崩落跡、豊浜港、ワッカケ岬等の各崩落跡においては、三角形及び逆三角形の崩落面、すなわち、「X字形の割れ目系」の崩落面が認められ、本件崩落跡も同様の形状を示している。したがって、右のような崩落面の規則性からみるならば、本件崩落箇所についても、予め、亀裂の存在と進展方向を推測することが可能であった。
ウ 本件崩落箇所周辺においては、前記「原告らの主張」(四)(1)ないし(3)のとおり、岩盤の崩落が認められ、空中写真の撮影も行われていた。被告国において、これらの事例及び写真を十分に検討したならば、本件事故発生の予測が不可能であったということはあり得ない。
エ 更に、本件事故発生の予見可能性を肯定するにあたっては、本件崩落箇所周辺の地質が、地震や地下水、気象等の要因により、いつでも大規模亀裂を発生させる可能性、あるいは岩盤の強度を大きく変化させる可能性を有するものであることを認識し得ることで足りるというべきである。
そして、本件崩落箇所周辺の斜面の崩壊については、トンネルの計画、設計時における問題、トンネル建設後における問題等を十分に認識していたならば、そのプレディクション(いつ、どの範囲で、崩落が発生するかという具体的な予知)は困難であったとしても、フォアキャスティング(発生するか否かは明確に分からないにしても、発生の確率が高いという予測)は十分に可能であった。
2 原告らの損害額
(原告らの主張)
原告らの損害額は、別表1ないし7の「原告ら損害表」に記載のとおりであり、その具体的内容は次のとおりである。
(一) 各被害者らの逸失利益
別表1ないし7の「原告ら損害表」中における該当欄に記載のとおりである。
各被害者らの年収は、平成七年の賃金センサス第一巻第一表における産業計・企業規模計・学歴計・全年齢平均の男女別の平均賃金額によるとともに、生活費として男子は五割、女子は三割を控除し、就労可能年数は満一八歳から満六七歳まで(村田ノブは、平均余命の二分の一である七年間)とし、中間利息はホフマン係数を用いて控除したものである。
(二) 各被害者らの慰藉料
各被害者らについて各二二〇〇万円が相当である。
(三) 原告らの固有の慰藉料
原告らは最愛の子又は親である各被害者らを失ったことに加え、後記(六)のとおりの「本件における救出活動の経過及び問題点」に鑑みるならば、本件においては、各原告らの固有の慰藉料として、各五〇〇万円(原告織田ユキ子、同三浦成子、同村田一男、同小野榮子については各二五〇万円)を認めるのが相当である。
(四) 葬儀費用
別表1ないし7の「原告ら損害表」中の該当欄記載の各原告らが、各被害者らの葬儀費用を負担した。右原告らは、本訴において、その費用のうち各二〇〇万円を請求する。
(五) 弁護士費用
原告らは、本訴の追行を原告ら代理人に委任し、その費用及び報酬として、別表1ないし7の「原告ら損害表」中の該当欄記載のとおりの金額の支払を約した。
(六) 本件における救出活動の経過及び問題点
本件における各被害者らの救出活動には、次のような問題点が認められた。
(1) 本件事故により、本件崩落岩盤がバスを上から押しつぶす状態となったため、被告国は、発破によりトンネル上の岩盤を取り除くこととし、本件事故の翌日である平成八年二月一一日午後四時二五分ころ、発破作業を実施したが、失敗に終わった。そのため、更に、同月一二日午後四時ころ及び一三日午後〇時三〇分ころ、二回目及び三回目の発破が試みられたが、そのいずれも岩盤を取り除くまでには至らなかった。そして、同月一四日午前一一時ころ、四回目の発破が行われ、ようやく右岩盤の除去が可能となった。
その後、各被害者らの遺体の収容が行われ、原告らが遺体と対面できたのは、本件事故発生の八日後のことであった。
原告らは、その間、各被害者らの生存を信じて、救出活動を見守るしかなかった。
(2) 本件事故後、被告国らにより現地対策本部が設けられたのは、事故発生から一四時間を経過した同月一〇日午後一〇時二〇分ころであった。これは、人命救助のため一刻を争う状況下において、あまりにも遅過ぎる対応であった。また、現地対策本部の本部長は、過去に人命に関わる事故に対処した経験を有しておらず、現地での必要な権限も授与されていなかった。
(3) 被告国は、各被害者らの救出活動にあたり、発破の実施以外に、電磁波探査装置で各被害者らの心拍を確認する、バス内の炭酸ガス濃度を測定する、ボーリングマシーンで穴を開け、ファイバースコープを奥まで入れる、救助抗を掘る、バスに暖かい空気を送る等の方法を検討すべきであったし、また、原告らに対し、原告らが崩壊現場付近まで可能な限り近付き、各被害者らを激励すること、もしくは家族の声をカセットテープに吹き込んで各被害者らに聞かせること等を許可すべきであった。しかしながら、被告国により、そのような措置は取られなかった。
(4) 被告国は、発破を実施するにあたって、各原告らに対し、「早期救出のためには発破以外に方法がない」とし、「岩盤を一回で必ず滑り落とす」等と説明するなど、正確な情報を提供せず、事後も説明義務を尽くさなかった。また、被告国は、一回目の発破を実施するにあたって、原告らに対し、十分な説明もないまま同意書に署名するよう求め、原告らを困惑させた。
(5) 原告らは、被告国に対し、一時間おきに救助活動の進行状況を説明してくれるよう要請したが、全く守られず、原告らの不安を増大させた。また、原告らは、被告国に対し、発破の影響を案じ、発破の前後の状況を写真やビデオテープで明らかにすることも要請したが、その対応が十分になされず、原告らの不信感を増大させた。
(6) 四回目の発破による岩盤除去後に、現地対策本部長は、「二、三日中に各被害者らの救出スケジュールを決定する」旨発言し、岩盤除去後直ちに救出が可能であると説明されていた原告らを落胆させた。
また、二月一七日午後一〇時に最後の遺体が収容され、遺体の確認に翌一八日午前までかかったが、現地対策本部は、それ以前の一七日午後九時三〇分ころに解散された。
(7) 遺体の救出後においても、被告国は、押しつぶされたバスを原告ら宅の近所に野晒しのままとし、また、原告らに対し、本件トンネルに関する資料の提供に消極的であった。
一方、被告国の北海道開発局長は、調査委員会での事故原因の検討が始まったばかりである平成八年三月四日の記者会見で、「本件トンネルのルートの選定や設計等には問題がなかったと思う。」と発言し、また、同年九月二〇日には、「本件についてお詫びはするが、謝罪はしない。」等と発言して、本件に対する責任を回避する態度に終始した。
(被告国の認否及び反論)
(一) 原告らの損害額の主張については、被告国が、別表8ないし14の「原告ら補償額算定表」記載の金額の限度で損害賠償義務を負うことは争わない、その余は争う。
(二) 原告らの主張(六)のうち、原告ら主張の経緯により、発破が四回にわたって実施されたこと、原告らすべてが遺体と対面できたのは本件事故から八日後であったことは認める、その余は争う。
発破の実施が四回にわたった理由は、発破の薬量を増加させると、本件崩落岩体の下にあるバス及びその中の各被害者らに悪影響を与えることが懸念されたためであり、その結果、一回の発破では右岩体を海に落とすことができなかったものである。また、試験発破を行うだけの時間的余裕もなかった。
本件事故後、被告国も、各被害者らの生存の可能性を想定して事故に対応すべきであるとの認識の下に、人命救助を第一に考えて、全力を尽くして作業を進めたものであり、原告らに対しても、可能な限り状況説明を行ったところである。
第三 被告国の責任及び原告らの損害についての判断
一 被告国の国家賠償法二条一項の責任について
1 前記第二、二1「原告らの主張」(五)、「被告国の主張」(二)(1)イのとおり、本件トンネル内の緊急時における通報設備の利用方法等について、周知体制に欠陥があり、その点において、被告国による本件トンネルの管理に瑕疵があったことは当事者間に争いがない。
したがって、被告国は、原告らに対し、本件事故により被った損害について賠償すべき責任がある。
2 ところで、原告ら及び被告国は、右のとおり争いのない瑕疵に関する主張のほか、本件トンネルの抗口の設置位置についての瑕疵、本件トンネルの岩盤支持力についての瑕疵、本件トンネルの建設後における管理の瑕疵(監視体制の欠陥による岩盤脚部の補強等の欠如)についても、前記第二、二1に摘示したとおり詳細に主張し、その立証を図っているため、ここで、それらの点についても若干付言するならば、以下のとおりである。
(一) 本件事故原因について
(1) 本件崩落の発生した場所が、水冷火砕岩(ハイアロクラスタイト)及びその二次堆積物からなる、高さ約一五〇メートルの急崖斜面であること、本件崩落箇所付近の岩盤を組成する岩石成分中にスメクタイトが含まれていること、本件崩落箇所付近の地質構成が上中下の三層に区分され、上層部(ユニットⅢ)は約七〇メートル、中層部(ユニットⅡ)は約二〇メートル、下層部(ユニットⅠ)は約三〇メートルの厚さを有すること(別紙図面二参照)、本件トンネルの抗口が地山に対して約三九度の角度で斜交していることについては、いずれも当事者間に争いがない。
(2) また、《証拠省略》によると、次の事実もまた認められる。
ア 余市町から古平町にかけての海岸の地形は、全般に切り立った急崖斜面状(チャラツナイ岬から本件トンネル古平側抗口にかけて約七〇度ないし九〇度の傾斜を有する。)を呈し、斜面下部には小規模な海食洞、波食ノッチ等が多数認められ、その内部に崖錐堆積物が存在するものも多い。また、このような湾入地形の上部にはオーバーハング部が形成され、その直上斜面においては、崩落の生じた形跡がいくつか観察される。
イ 本件崩落箇所周辺の地質は、約一〇〇〇万年前に海底に噴出した水中火山岩類からなり、岩石形成時から、その内部に微細な割れ目が発達している。しかしながら、このような岩石の性質は、岩盤における亀裂の発達、進展に直接関与するものではなく、岩盤の大規模崩落のような現象の要因に直ちに結び付くものとはいえない。
右地質のうち、本件崩落壁面の中央部の地質ユニット(ユニットⅡ)は、最上部を除いてマッシブ(塊状)で無層理の粗粒火砕岩から構成され、全体的にみると亀裂が少なく、細片化しにくい岩盤であり、一方、地質ユニットⅠ及びⅢの部分は、含角礫成層火砕岩から構成されている。
火砕岩は、いわゆる工学的分類における「軟岩」とされ、岩石強度は低く、一般に、目に見える亀裂は少ないとされている。
ウ ユニットⅠないしⅢの物理的特性については、いずれもほぼ同一の性質を有し、また、破壊ひずみは比較的小さく、脆性的性質を有し、含水比の増加による強度の低下も認められる。
一般に、脆性的な岩石においては、小さな荷重であってもそれが持続的に加えられるならば、破壊することもあり得ることが知られている。そして、本件崩落箇所は、急崖斜面に位置し、常時持続的に岩体の自重の影響を受けていた可能性がある。
エ 本件崩落箇所付近の岩盤は前記(1)のとおりスメクタイトを含有するが、そのことも、岩水比の変化や応力の解放等により岩盤の物理的性質を変化させ、亀裂の進展をもたらす要因となった可能性がある。しかしながら、その含有量は、岩盤全体からみると僅かであり、岩質の劣化をもたらす程ではない。
オ 本件崩落箇所周辺におけるリニアメントの状況は別紙図面三のとおりであるが、チャラツナイ岬付近その他本件事故現場近辺のリニアメントの方向と、本件崩落面の方向とは、必ずしも一致していない。
また、本件崩落箇所付近の斜面には、明瞭で連続性の良い亀裂が、別紙図面二中におけるFr1ないし8のとおり認められるが、系統的に発達する節理、亀裂群は認められない。
したがって、地質構造的な成因を持つ節理、亀裂群が本件における岩盤崩落に結び付いたとは認め難い。
カ 本件崩落直後の主崩落壁面は、別紙図面六のとおり、上部及び左側部分(上下約一〇メートル、幅約三五メートルの範囲)が褐色に変色していたが、中央部分(上下約二〇メートル、幅約三〇メートルの範囲)は、変色した部分と変色していない部分とが混在し、下部部分(上下約二五メートル、幅約三〇メートルの範囲)は変色がないという状態であった。
右の変色部分(上部、左側)は風化等によるものと認められるから、右部分は、崩落前にそこに開口した亀裂が存在していたことを示し、また、混在部は、局所的な亀裂が散在していたことを示し、更に、非変色部は、崩落前には亀裂が存在せず、本件崩落によって初めて剥離面が形成されたことを示すものと解される。
キ 本件崩落面の側壁部は、上部が僅かに変色しているものの、大半は変色しておらず、また、上部には、崩落時に岩体が引き剥がされたために生じたと考えられる「すき櫛状構造」(縦筋状の構造)が存在するが、以前から亀裂が存在していたことを窺わせるような鋭い亀裂表面は見られない。
ク 本件崩落直後における崩落壁面は、左下端部を除き黒ずんだ色調を示し、かなり湿っていたものであり、その後も、その一部に、湧水とともに、つららの成長がみられた。また、右の湧水等の状況からみるならば、ユニットⅠとⅡ、ユニットⅡとⅢの各境界面、ユニット内の層理面等の不連続面が水みちであったものと推測される。
(3) 更に、《証拠省略》によると、次の事実もまた認められる。
ア 本件事故の際、本件トンネル上及びその周辺に崩落した岩体の位置は、別紙図面七(写真を含む。)におけるaないしcのとおりである。
そして、崩落岩体を、崩落斜面の元の位置に復元するならば、別紙図面八のとおりとなり、別紙図面二中の亀裂Fr7及び8は、a、b岩体の崩壊に関連する左右の亀裂であったものと考えられる。
イ 本件トンネルの古平側抗口の掘削工事は、昭和五四年から始められたが、トンネル上半部の掘削を約一二メートル程進めた辺りのトンネル海側脚部付近に、事前調査では確認できなかった崖錐が出現するに至った。そこで、本件トンネルの上半掘削を約一八メートルまで進めたところで、掘削を一旦中止し、崖錐に対し水ガラス及びセメントミルクによるグラウト工を施工し、崖錐を固結した。
また、本件崩落岩盤の脚部付近は、本件トンネルの掘削により空洞化し、右の脆弱な崖錐部を除くと、柱状に残った海側側壁の岩盤部分(残柱)が上部岩盤を支えることとなった。
以上の残柱及び崖錐の状況は別紙図面四(本件トンネル建設工事資料中の図面)に記載のとおりである。
右の残柱部の水平断面積は、別紙図面四から見積もるならば約四六平方メートルである。
ウ 平成三年一二月ころ、本件トンネルの古平側の入口上部付近において、小規模な岩盤崩落(三〇〇トン級、甲第一二八ないし第一三〇号証中で「D岩体」とされているもの)が発生し、平成四年一月に被告国(北海道開発局)の職員がそれを写真撮影するに及んだ。
また、平成五年一〇月、北海道南西沖地震後における国道等の安全点検のため、被告国(北海道開発局)により、本件崩落箇所付近の斜面について航空写真の撮影がなされた。
一方、昭和五三年ころから平成四年ころまでの間、前記平成三年の崩落とは別に、その崩落箇所の更に上部斜面において、岩体(甲第一二八ないし第一三〇号証中で「E岩体」とされているもの)の崩落が生じている。
その他、昭和六〇年一二月に、旧セタカムイトンネルの巻出し口上部付近において、約四二〇立方メートルの岩盤崩落が、また、平成五年ないし六年ころの冬期に、ワッカケ岬において、約一万五〇〇〇ないし二万立方メートルの岩盤崩落がそれぞれ発生している。
(4) 以上の各事実に加え、《証拠省略》に照らすならば、本件事故の原因は、本件崩落岩盤の上部に、斜面表層部に達する亀裂(前記(2)エの状況からみて、最大約四〇メートル程度)が存在していたことに加え、岩盤の自重、地下水の浸透による亀裂の風化、気温低下時の氷結圧、岩盤の凍結融解と岩水比の増加による岩質の劣化、気温低下がもたらす凍結から水みちが塞がれたことによる地下水圧の増加等によって、右の亀裂が進展し、それが下方に連続して、遂には崩落岩盤が地山から分離するに至ったこと、そのため、本件事故以前においては、本件崩落岩盤が地山に付着していたことにより、本件崩落箇所付近の斜面重力の安定が保たれていたが、崩落岩盤の分離により、重力の安定が崩れ、岩盤の重量がすべて残柱に加わることとなり、それが残柱の支持力を上回わるものであったため、残柱が一気に破壊され、本件岩盤が崩落したことにあるものと認めるのが相当である。
これに対し、原告らは、本件において、氷結圧、地下水圧の増加等はあり得ず、本件事故の原因は、残柱の支持力と岩盤背面の付着力とのバランスが崩れたことにあると主張し、甲第一号証、第三号証八六頁(本件事故後におけるボーリング孔での計測結果が記載されている。)の記載及び証人中島の証言中にはそれに沿うかのような部分が存在するが、前記(2)クのとおり、本件崩落岩盤の背面に湧水ないし水みちが認められるところであり、また、本件崩落直前における地下水圧の程度は甲第三号証の記載からも不明というべきであるから、本件事故の発生過程において、気温低下による氷結圧及び地下水圧等も一因として寄与したものと考えられ、本件崩落の要因を原告ら主張の事由に限定すべき積極的理由も見出だし難い。
また、被告国は、残柱の強度が本件事故の発生と関連しない旨主張し、乙第四号証(事故報告書)中における有限要素法による三次元解析の結果もそれに沿うかのようであるが、仮に右解析結果を前提にしたとしても、本件崩落岩盤の落下位置及び《証拠省略》によると、本件崩落岩盤に対する残柱の強度が十分であったならば、残柱が岩盤を支え、本件事故を生じさせなかったことが明らかであるから、残柱の支持力の不足も本件事故の一因をなすものというべきである。
以上によれば、本件事故の直接の原因は、結局、崩落岩盤背後の亀裂の進展と、残柱の岩盤支持力の不足によるものとみなすことが可能である。
(二)(1) そうすると、前記2の冒頭に記載した本件トンネルの設置、管理の「瑕疵」の有無を判断するにあたっては、本件トンネルが地山と斜交している点を含め、右のとおり亀裂の進展が生じ得る場所に本件トンネルの抗口を設置したことの妥当性の点、及び、本件トンネルの掘削に伴い、残柱部分が残され、その上部岩盤の支持力が不十分であった点、並びに、本件トンネルの完成後、右のような残柱の支持力の補強等を欠いた点を検討すべきことになる。
そして、右のうち、残柱に対する補強等の欠如の点は、残柱の岩盤支持力の不足が前提となるべき問題であり、また、残柱の岩盤支持力の不足の点は、前記(一)(4)のとおり、本件崩落箇所付近における亀裂の進展により、崩落岩盤が地山から分離したために生じたことであるから、結局、本件トンネルの「設置又は管理に瑕疵があった」か否かの判断は、トンネルの設置、管理者である被告国において、右のような亀裂の進展、及び、それに起因する残柱の破壊をもたらす程の巨大な岩盤の崩落の危険を、右崩落前に予見することができなかったか否かにかかるものというべきことになる。
そして、右の点につき、本件事故前に、本件崩落箇所近辺において前記(一)(3)ウのとおりの崩落現象が認められたことをも考慮に入れた上で、甲第一二八号証(北海道大学工学部教授石島洋二作成の鑑定書)、第一二九号証(北海道大学工学部教授金子勝比古作成の鑑定書)、乙第四号証(事故調査報告書)、証人佐藤壽一、同三上隆の各証言においては、事故前に斜面の亀裂を発見することはともかく(この点については両説に分かれている。ただし、《証拠省略》に照らすと、平成五年一〇月に撮影された航空写真から、本件崩落岩盤の亀裂を発見することは困難であったことが窺える。)、崩落岩盤上部の亀裂の連続性を確認し、崩落を予知することは不可能ないし困難であったとする一方、甲第一三〇号証(大阪大学工学部教授谷本親伯作成の鑑定書)及び証人中島巌の証言においては、崩落の予知は可能であったとする。
(2) このように、本件においては、種々の見解が提出されていることに加え、右の各証拠から窺える本件事故当時における斜面災害の予知技術の程度等に鑑みるならば、本件規模の岩盤崩落を実際に予見することができなかったか否かについては、俄かに決し難い面があり、この点について、当裁判所としての結論を得るためには、更に慎重な検討を要するものというべきである。
そのため、右の点をなお解明するためには、従前の証拠に加え、専門家の鑑定意見の聴取等、更にいっそうの証拠調べを要するものと考えられるところ、他方において、本件では、本件トンネルの管理に関し、前記1のとおりの瑕疵があったことについては当事者間に争いがない。
そして、そもそも、事故ないし災害の発生に伴う損害賠償請求訴訟における事故原因ないし責任原因の判断は、あくまでも「原告」(被害者)の損害賠償請求権の成否の判断のため、その前提としてなされるべきものであり、また、本件においては、原告らの主張に係る責任原因のいずれが認められたとしても、各被害者ら及び原告らの慰藉料額等に特段の違いが生じるものでもないと解されることから、原告らにより選択的に主張された責任原因の一つに基づく損害賠償請求権の成立が明らかになったにも拘らず、そのことを考慮せず、なお被告国の責任自体の解明のため、右以外の責任原因の有無をも審理、判断することは、民事訴訟としての実益を欠くものといわざるを得ない。
(3) したがって、《証拠省略》によると、原告らは、本訴を通じて、本件事故における被告国の帰責事由をすべて明らかにすることを望んでいることが窺われるところではあるが、以上のような状況からみるならば、当裁判所においては、前記争いのない責任原因以外の事故原因に関する「予見不可能性」については、現在の程度以上の審理、判断を加えることは相当でないものと思科せざるを得ず、その判断にあたっては、本件における証拠から認められる前記(一)のような事故原因を指摘する程度に止めることとする。
二 原告らの損害について
そこで、以下、原告らの損害について判断を加えることとする。
1 各被害者らの逸失利益について
(一) 荒川美幸、村上麻美、小枝さつき、田畑裕子について
前記第二、一2のとおり、本件事故当時、荒川美幸、村上麻美はいずれも満一七歳の高校二年生の女子、小枝さつき、田畑裕子はいずれも満一三歳の中学一年生の女子であった。
したがって、同女らの稼働可能期間を満一八歳から満六七歳までの四九年間とし、その間の収入については、原告ら主張のとおり、平成七年の賃金センサス第一巻第一表における産業計・企業規模計・学歴計・全年齢平均の女子労働者の平均賃金額を用い、生活費としてその三割を控除し、ライプニッツ係数を用いて中間利息(年五分)を控除して、同女らの将来における逸失利益額を求めるならば、次のとおり、荒川美幸、村上麻美については各三九九〇万円、小枝さつき、田畑裕子については各三二八二万円となる。
(1) 荒川美幸、村上麻美
(217,500円×12月+684,200円)×(1-0.3)×(18.2559-0.9523)=39,901,063円≒39,900,000円
(2) 小枝さつき、田畑裕子
217,500円×12月+684,200円)×(1-0.3)×(18.5651-4.3294)=32,826,670円≒32,820,000円
(二) 藤井耕一、本間敦について
前記第二、一2のとおり、藤井耕一、本間敦は、本件事故当時、いずれも満一七歳の高校二年生の男子であった。
したがって、同人らの稼働可能期間を満一八歳から満六七歳までの四九年間とし、その間の収入については、原告ら主張のとおり、平成七年の賃金センサス第一巻第一表における産業計・企業規模計・学歴計・全年齢平均の男子労働者の平均賃金額を用い、生活費としてその五割を控除し、ライプニッツ係数を用いて中間利息(年五分)を控除し、同人らの将来における逸失利益額を求めるならば、次のとおり、各四八四四万円となる。
(361,300円×12月+1,264,200円)×(1-0.5)×(18.2559-0.9523)=48,448,349円≒48,440,000円
(三) 村田ノブについて
前記第二、一2のとおり、村田ノブは、本件事故当時、満七一歳の女子であり、時に作業現場の賄い婦として稼働していた。
ただし、その収入額については不明であるため、同女の年齢、稼働状況(《証拠省略》に鑑みると、本件事故当時の同女の年間稼働期間は必ずしも長くないことが窺える。)を考慮し、平成七年の賃金センサス第一巻第一表における産業計・企業規模計・学歴計・六五歳以上の女子労働者の平均賃金額の五割を収入額とした上、生活費としてその四割を控除し、稼働可能期間を平成七年簡易生命表(厚生省大臣官房統計情報部編)による平均余命(一五・九五年)の二分の一である七年とし、ライプニッツ係数を用いてその間の中間利息(年五分)を控除して、同女の将来における逸失利益額を求めるならば、次のとおり五〇〇万円となる。
(200,200円×12月+481,300円)×0.5×(1-0.4)×5.7863=5,005,785円≒5,000,000円
しかしながら、被告国は、同女の逸失利益として五三五万九八九六円を自認しているため、同額をもって右の逸失利益と認めることとする。
2 各被害者らの慰藉料について
各被害者らは、本件において、本来安全を疑う余地のない本件トンネル内をバスで走行中、突然崩壊した岩盤に押し潰されて、命を奪われ、その後の人生のすべてを失ったものであり、特に、荒川美幸、村上麻美、小枝さつき、田畑裕子、藤井耕一、本間敦については、いずれも未だ十代の若さであったことを考えると、その無念さは察するに余りある。その他、本件事故の態様等諸般の事情一切を考慮するならば、本件事故による各被害者らの慰藉料は、それぞれ二一〇〇万円が相当と思料される。
3 原告らが各被害者らの損害賠償請求権を相続したものであることは、前記第二、一2のとおりである。
4 原告らの固有の慰藉料について
(一) 本件事故の翌日である平成八年二月一一日午後四時二五分ころ、被告国において、本件トンネル上の岩盤を取り除くため、発破作業を行ったが、失敗に終わったこと、続いて、同月一二日午後四時ころ及び同月一三日午後〇時三〇分ころ、二回目及び三回目の発破作業が行われたが、同様に右岩盤を取り除くことができなかったこと、そのため、同月一四日午前一一時ころ、四回目の発破作業が行われ、それにより、ようやく右岩盤を除去することができたこと、原告らすべてが各被害者らの遺体と対面できたのは本件事故発生の八日後であったことについては、いずれも当事者間に争いがない。
(二) また、右事実に、《証拠省略》によると、本件事故直後における本件トンネル内には、トンネルを突き破って落下した数個の細長い岩体がトンネルの天井にもたれかかる形で止まっていたほか、トンネル上部に巨大な崩落岩体があり、その裾部に破砕された大小の礫と土砂が堆積し、トンネル内部は完全に閉塞された状況にあったこと、一方、本件事故直後における各被害者らの生死については、全く不明の状態のままであったこと、そこで、被告国(北海道開発局)、北海道警察、北後志消防組合等により構成された現地の合同対策本部は、トンネル上部の巨大岩体を除去して各被害者らの救出を図ることとし、被告国(北海道開発局)の職員は、原告らに対し、一回の発破で岩盤を落とす旨の説明をして、発破を実施することについての同意を得、発破作業を実施したこと、しかしながら、前記争いのない事実のとおり、一回目の発破によって岩体を除去するには至らず、二回目、三回目の発破を経て、本件事故の四日後になされた四回目の発破によって、ようやく右岩体を転倒除去したこと、そのため、その後の土砂等の排除により、各被害者らの遺体を収容し、その死亡を確認することができたのは、同月一七日の夕刻以降に至ってからのことであり、本件事故から七日を経過した後のことであったこと、その間、原告らは、事故直後から現地において待機するなどし、各被害者らの生死が不明のまま、また、発破作業の各被害者らに与える影響を強く憂慮しながら、ひたすら無事の救出を祈り、救助活動を見守る以外になかったことが認められる。
(三) 右によれば、原告らは、各被害者らの生存に対する強い不安を感じながら、長期間待機させられるとともに、発破による岩体の除去の失敗から何度も落胆させられるという状況にあったものであり、その精神的苦痛は慰藉に値するものと認めるのが相当である。
以上のほか、《証拠省略》によれば、各被害者らは、いずれも本件事故により即死(圧迫死)したことが認められること、その他、本件事故の態様、被告国の対応等、本件における一切の事情を考慮するならば、本件事故による原告らの固有の慰藉料は、原告織田ユキ子、同三浦成子、同村田一男、同小野榮子については各二五万円、その余の原告らについては各五〇万円が相当である。
5 葬儀費用について
《証拠省略》によると、原告荒川勝雄は荒川美幸の、原告小枝弘育は小枝さつきの、原告田畑正は田畑裕子の、原告藤井耕平は藤井耕一の、原告本間鉄男は本間敦の、原告村上豊充は村上麻美の、原告村田一男は村田ノブの各葬儀を主宰し、葬儀費用を支出したことが認められる。そして、本件事故と相当因果関係のある右費用については、それぞれ一二〇万円と認めるのが相当である。
6 弁護士費用について
本件における認容額、本件訴訟の程度等に照らし、被告国の負担とすべき原告らの弁護士費用は、原告荒川勝雄、同荒川美津子について各三〇〇万円、原告小枝弘育、同小枝香代子について各二七〇万円、原告田畑正、同田畑京子について各二七〇万円、原告藤井耕平、同藤井文枝について各三五〇万円、原告本間鉄男、同本間裕子について各三五〇万円、原告村上豊充、同村上路子について各三〇〇万円、原告織田ユキ子、同三浦成子、同村田一男、同小野榮子について各六五万円が相当である。
第四 以上によれば、原告らの本訴請求は、本件事故による損害賠償金として、原告荒川勝雄につき三五一五万円、同荒川美津子につき三三九五万円、同小枝弘育につき三一三一万円、同小枝香代子につき三〇一一万円、同田畑正につき三一三一万円、同田畑京子につき三〇一一万円、同藤井耕平につき三九九二万円、同藤井文枝につき三八七二万円、同本間鉄男につき三九九二万円、同本間裕子につき三八七二万円、同村上豊充につき三五一五万円、同村上路子につき三三九五万円、同織田ユキ子、同三浦成子、同小野榮子につき各七四八万九九七四円、同村田一男につき八六八万九九七四円及びこれらに対する本件事故発生後である平成八年二月一七日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度において理由があるからこれらを認容し、その余は理由がないから棄却する。
なお、被告国の申立てに係る、担保を条件とする仮執行免脱宣言は相当でないから付さないこととする。
(裁判長裁判官 持本健司 裁判官 川口泰司 戸村まゆみ)
<以下省略>