札幌地方裁判所 昭和26年(ワ)246号 判決
原告 国枝トミヱ 外三名
被告 北自運輸株式会社
一、主 文
被告は原告国枝トミヱに対して金三十五万七千九百六十三円、その余の原告等に対して各金十九万円及びそれぞれ右金員に対する昭和二十六年六月二十一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを二分し、その一は被告、その余は原告等の負担とする。
この判決は、原告トミヱにおいては金十万円、その余の原告等においては各金九万円の担保を供するときは原告等勝訴の部分に限り、仮りに執行することができる。
二、事 実
原告等訴訟代理人は「被告は原告国枝トミヱに対して金七十万円、その余の原告に対して各金四十万円及びそれぞれこれに対する昭和二十六年六月二十一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに担保を条件とする仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、次のとおり述べた。
原告国枝トミヱは訴外亡国枝正の妻、原告国枝正志は右正の長男、同国枝美実は二男、同国枝正憲は三男であり、又被告は自動車運輸事業を営む会社であるところ、右正は昭和二十六年三月三十一日午前八時三十分頃、勤務先北海道トラツク協会へ出動するため、自転車に乗り札幌市大通西十八丁目一番地所在の自宅を出て同市北一条通りを西より東に向け進行中、同八時四十分頃、西十五丁目通りとの交さ点十字路附近にさしかかつたが、このとき同様北一条通りを東から西へ進行して来た被告会社被用者運転手匹田晴雄の運転する右会社所有貨物自動車(車輛番号札第九五四号、ニツサン一九四七年式)に衝突し、このため右正は脳挫傷、胸部打撲、顔面打撲、左膝部挫傷、左大腿骨折の傷害をうけ、直ちに札幌市立病院に入院したが、看護の効もなく苦悶の末、翌四月一日午前十時右傷害のため死亡した。
右の事故は次のように全く匹田晴雄の過失によつて生じたものである。即ち、そのとき右正及び匹田の運転する貨物自動車はそれぞれ道路(北一条通り)の左側を進行して来たのであるが、右交さ点に差しかかる寸前のアスフアルト舗道はところどころに凸凹があつたので、匹田は車体にシヨツクを感ずるのを避けようとしたのであるが、このような場合自動車運転者としては、この北一条通りは前方の透視を妨げる障碍もない直線コースであり前方をよく注意したうえハンドルを左に切るか、やむをえず右に切る場合にも前方よりその左側を進行してくる人車馬に十分注意し、かつ警笛を吹鳴して注意を喚起し減速する等の措置をとるべきことは勿論のこと、自動車の運転手たるものは常に自己の運転する自動車のブレーキの状況をよく検査し、ブレーキの完全なることを確かめた上運転すべきで、若し運転途中においてブレーキに故障を発見したときは直ちに修理するか、自ら修理することができない程の故障のときは直ちに進行を停止して他の自動車に牽引せしめるか、或は直ちに進行を停止しうるような万全の措置を講じ、殊に本件現場のような交通頻繁な十字路にさしかかつた際は前方に障碍を認めた場合は直ちに停車する等事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのにもかかわらず、右匹田運転手はこれを怠り運転途中すでにブレーキに故障を生じたことを知りながら進行し、前方に正の進行してくるのを認めつつも何らの措置も講ずることなく、漫然ハンドルを右に切つたため、そのとたんに前方よりその左側を進行して来た前記正を発見し、急停車の措直をとつたがときすでに遅く正に衝突し、前記のような事故を発生せしめたものである。
右のとおり本件事故は、被告会社の被用者匹田が被告会社のためその業務に従事して貨物自動車を運転中、その過失によつて生じたものであるから、被告は民法第七百十五条、第七百九条、第七百十一条により右不法行為により生じた一切の損害を賠償する義務がある。
ところで右正は、当時社団法人北海道トラツク協会に勤務して月給一万円の支給をうけていたものであつて、右所得に対する所得税は勤務先において負担しており、その他に年二度の賞与、石炭手当その他の手当の支給をうけていたので、毎月少くとも金一万円の実収入があつた。そして右正は明治三十九年十月十日出生、死亡当時四十四年六月の男子であつて、生前は頗る健康体であつたのであるから、内閣統計局の余命表によれば、正の将来の生存年数は二十二年余であり、本件事故がなければその間前記勤務に従事し少くとも前記賃銀即ち年額十二万円を得ることができるのである。そして右所得中同人の生活費にあてられる部分はその四分の一即ち三万円であるので、これを控除すると九万円が年間うべかりし利益の損失となる。よつて右九万円の割合による二十二年間の所得よりホフマン式計算法によつて年五分の割合による中間利息を控除すると、その総額は百三十一万二千二百五円五十八銭となり、これが一時に請求できる金額である。そして原告等は正の死亡によりその遺産を相続し右損害賠償請求権を承継取得したので、これを原告等の相続分に配分するときは、原告トミヱは金四十三万七千四百一円八十六銭、その余の原告等は各金二十九万千六百一円二十四銭となる。
なお、原告トミヱは高等小学校卒業後家事手伝いをしていたが、亡正と婚姻し現在に至つたもので、本件事故発生当時四十二歳であつたが、右正の死亡によりこれからは年少の遺児三名を抱え、寡婦の生活を送らねばならず、原告正志は二十歳、同美実は十八歳、同正憲は十二歳の年少者であつて、正憲は現在中学生であるが他のものは高等学校を卒業したが、父正の年来の希望であつた上級学校進学すらあきらめねばならぬ状況であり、原告等の蒙つた精神上の苦痛は甚大であつて被告は右苦痛を慰藉するため、原告等に相当の慰藉料を支払う義務がある。そしてその額は諸般の事情からして原告トミヱに金二十五万円、その余の原告等に各金十五万円が相当である。
次に又原告トミヱは右正の前記入院により治療費として金二千円、葬式に際しその費用四万六千四百六十三円を支出したが、これは本件事故により生じた損害であるから、これまた被告にその賠償義務がある。
よつて被告に対して原告トミヱは前記金額合計金七十三万五千八百六十四円八十六銭中金七十万円、その余の原告等に対しては各合計金四十四万千六百一円二十四銭中各金四十万円、及びそれぞれ右金員に対する訴状送達の日の翌日である昭和二十六年六月二十一日から完済に至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及んだものである。
かように述べ、そして被告の答弁に対して次のとおり述べた。
被告主張の事実は全部否認する。よしんば仮りに被告主張のとおりであるとしても、その賃貸借契約は被告とその被用者である訴外三好吉明との間の内部的計算関係の契約にすぎないし、そもそも自動車運送事業を営むには主務大臣の免許をうけることを要し、自動車運送事業者の名義は自動車運送事業を営むため他人がこれを利用し又は他人にこれを利用させてはならないものであり、又自動車運送事業はこれを賃貸してはならないのである。更に自動車運送事業の管理の委託及び受託ならびに自動車運送事業用自動車の賃貸については、主務大臣の許可を受けなければならないのに、被告会社も三好も右の免許或は許可を受けておらず、すべて被告会社名義で営業しているのであつて被告も又これを了知し、三好をその使用人として届出て右自動車営業による税金等も被告会社において納付しているのであるから、被告会社は右三好が右営業をなすため雇入れた匹田運転手の前記行為について責任を免れる理由はない。
仮りに三好吉明が被告会社の使用人でないとしても、被告会社は三好に自己の商号の使用を許容してしたものであるから、名板貸をした者としてその責任を負うべきである。
かように述べた。
被告訴訟代理人は「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。」との判決を求め、次のとおり答えた。
原告等の主張する事実のうち、国枝正が昭和二十六年三月三十一日午前八時四十分頃、札幌市北一条西十五丁目交さ点附近において匹田運転手の運転する被告会社所有貨物自動車(車輛番号札第九五四号、ニツサン一九四七年式)に衝突して、原告等主張のような傷害を受け直ちに札幌市立病院に入院したが翌四月一日午前十時、右傷害のため死亡したこと、被告会社が自動車運送事業を営む会社であること、前記正が明治三十九年十月十日出生の男子であり、原告トミヱは右正の妻で同人は高等小学校卒業後家事手伝いをしていたが正と婚姻し生活して来たこと、原告正志は右正の長男、同美実は二男及び同正憲は三男であることはいずれも認めるが、その他の事実は争う。
被告会社は次の理由から本件事故について全く責任がない。
被告会社は右自動車を昭和二十五年四月一日に同二十六年三月三十一日まで一ケ年の約束で三好吉明に賃貸したものであるが、被告会社名義の使用を許したことはなく三好も又同人名義で自動車運送事業を営んでおり、被告会社名義で営業していたのでない。そして匹田運転手も右三好に雇われその運転業務に従事していたものであるから同人の選任監督権は三好にあり被告会社にないから、右匹田の行為について被告会社にその責任はない。
かように述べ、原告等の再抗弁事実を否認した。
<立証省略>
三、理 由
国枝正が昭和二十六年三月三十一日午前八時四十分頃、札幌市北一条西十五丁目交さ点附近において匹田晴雄の運転する被告会社所有貨物自動車(車輛番号、札第九五四号、ニツサン一九四七年式)に衝突して脳挫傷、胸部打撲、顔面打撲、左膝部挫傷、左大腿骨折の傷害をうけ、翌四月一日午前十時札幌市立病院において、右傷害のため死亡したことは当事者間に争いがない。
まず本件事故が匹田晴雄の過失によつて生じたかどうかについて判断する。
証人匹田晴雄、同相沢三千男、同大野留三郎、同伊藤篤の各証言及び原告トミヱ本人訊問の結果並びに検証の結果を考え合せると、匹田は北一条通りへ出る前、札幌市四丁目交さ点において交通信号の停止信号により停車したときにはじめて自分の運転する前認定の貨物自動車の制動装置が完全でないことを知つて、危険防止のため速力を少くとも時速十粁に減じ修理工場へ行くべく、空車で北一条通りを東から西へ進行中たまたま西十五丁目との交さ点附近に差しかかつたが、該附近は出勤時刻頃でもあり通行人も相当あり、かつ道路の西側には当時まだ残雪があつたため通行人も道路の略中央に近く歩いていたので、匹田運転手も道路の中心線附近を運転していた。そしてこのとき自動車の前方約二十米辺に西から東へその左側を自転車に乗り進行してくる正を発見したので、その以前よりも吹鳴していたが、さらに警笛を吹鳴し続けて注意を喚起した。しかし匹田がその交さ点に来た頃に丁度正と交させんとし、そのとたんに匹田の運転する自動車の前部バンバー辺を右正に接触転倒せしめたので、匹田運転手は直ちにフートブレーキをかけたが、停車しないので、さらにサイドブレーキをもかけたがこれらの制動装置の不完全のため前車輪に自転車もろとも正をおしつけたまま、約十米ひきずつたすえ、辛じて停止したこと、そして該交さ点附近は春先でもあり、アスフアルト舗道に隆起した個所がところどころあつたことを認めることができ、前掲証拠中右認定に反する証人匹田の供述は、他の証拠に照し採用できないし、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。
およそ自動車運転者が自動車を運転する場合事故を未然に防止するために最善の注意を払わねばならぬことはいうまでもないが、前認定の如く、制動装置が不完全な自動車は元来交通取締法規から見ても運転してはならないものであり、よしんば出発時は完全であつたが、進行中にその故障を発見したような場合としても直ちにその附近の道路に人車を避け故障を点検修理したうえ運転するか、やむなく修理工場等まで自力で運転せねばならぬ場合(かかる場合は故障の程度も軽微でいずれか一方のブレーキが完全であり、交通量も少く一般的にも細心の注意をすれば危害の発生を防止できると考えられうる極めて特殊な場合であろう)としてもいつでも直ちに停車できるよう万全の措置をとり運転すべき注意義務があるものである。しかるに匹田運転手は右注意義務に違反して制動装置の不完全であることを知りながら、かつは前認定のような該附近の状況をも省みず事故は発生しないと軽信し、単に減速、警笛吹鳴の措置にでたのみで運転を続け、しかもブレーキ(フツト及びサイドの両方)を一度にかけることなく、二段にかける等の散漫な措置にでたため本件事故を惹起したものといわねばならない。
次に被告は本件事故について匹田運転手に過失があるとしても、右自動車は昭和二十五年四月一日に事実欄記載のように三好吉明に賃貸し同人名義で同人が営業し、匹田も三好に雇われその運転業務に従事していたものであるから、匹田の行為について被告会社にその責任はないと主張するのでこの点について判断する。
乙第一号証(その成立について争いがない)、甲第五号証(証人三好吉明の証言及び原告正志本人訊問の結果により真正に成立したと認められる)の各記載及び証人近藤例蔵、同中谷功、同三好吉明、同匹田晴雄の各証言を考え合せると、三好は昭和二十三年十月以来、自動車運送事業を営む被告会社(このことは当事者間に争いがない)厚田営業所長として勤務していたところ、同営業所の営業が不振となり閉鎖するのやむなき状況に至つたが、同村民等の要望もあり、結局被告会社としては、右不振切抜けのため、三好を退職させ三好に自動車を貸与し三好個人に営業させることになり、被告会社は昭和二十五年四月一日、三好に本件自動車を含めて七台の被告所有貨物自動車を同二十六年三月三十一日まで一ケ年の期限で賃貸したのであるが、三好をその被用者として主務官庁に届出て、又三好の保険料等をも負担しており、三好に被告会社名義の使用を認めていたこと、そして三好は右のように自動車を賃借し自らの計画と計算で自ら自動車運送事業を営んでいたが、被告会社厚田営業所長として対外的には通用していたこと又三好は右営業に関してなんらの免許も、右自動車の賃貸借について許可をうけておらなかつたこと、そして匹田晴雄は運転手として三好に雇われ、同人より給料の支給を受けて昭和二十六年二月初から同年十月末頃までその業務に従事していたもので、被告会社に雇われたものでないことをいずれも認めることができ、右認定に反する前掲各証拠中の記載及び供述は信用しないし、その他右認定を覆えすに足る証拠はない。
右のように被告会社と右三好の内部関係においては各独立の営業であつて、匹田運転手は三好の雇人であるとしても、外部に対する関係においては、右自動車が被告会社の所有名義であつて同会社監督のもとに、右三好及び匹田がその雇人として被告名義をもつて自動車運送事業をなしておると認められる以上、外部に対する関係においては、匹田は被告会社の被用者と見るべきであり、そして又被告会社経営不振打開のため三好との間に前認定のような契約を締結し三好がその営業をなすようになつた事情も考えるにおいては、今更匹田の行為について責任なしといえず、匹田運転手が自動車運送の業務執行上、国枝正に加えた損害について使用者として損害を支払う責任あるものといわねばならない。そして被告会社において右匹田の業務の執行について相当の注意をしたという事実については、主張も立証もないから、結局この点についての被告会社の主張は理由がない。
そこで進んで本件事故によつて生じた損害の額について判断する。
国枝正は明治三十九年十月十日出生の男子であつて(このことは当事者間に争いがない)、甲第一、二号証(いずれもその成立に争いがない)の記載及び原告トミヱ、同正志、両原告本人訊問の結果を考え合せると、本件事故発生当時、同人は年齢満四十四年五月余であつて生前頗る健康体で当時訴外社団法人北海道トラツク協会に勤務し、本件事故発生当時月給一万円を支給されておつたもので、右所得税は勤務先において負担しており、その他年二度位の賞与、石炭手当等の手当の支給を受けていたので、毎月金一万円の実収入があつたものであること、正方の家族は正の他に原告等四名の合計五名であつて、正は酒、煙草もたしなまず、小遣銭はあまり要しなかつたこと、勤務先には比較的近かつたこと(約十六丁)、居住家屋と敷地を所有していたことを認めることができる。この事実によると正の生活費はその収入の四分の一以下であつたと認めることができ、他に右認定に反する証拠はない。従つてその四分の三が純益収入であつたとみることができる。ところで、満四十四歳五月余の男子の将来の生存平均年数が二十二年余であることは、当裁判所に顕著な事実であるから、正は本件事故がなければ、なお少くとも二十二年間は生きられ前記勤務に従事し、その間少くとも前記収入即ち年額十二万円をうることができたはずである。そして右収入中、前認定の正の生活費四分の一、即ち三万円を控除すると年間九万円が純収入となる。そこで右九万円の割合による二十二年間の純収入は少くとも百九十八万円となり、これが正の将来うべかりし利益であつて、同人は本件事故によつてこれを喪失し、同額の損害を蒙つたものと認める。しかし右百九十八万円は年額九万円の額が年年積つて二十二年で達する額であるから、一時に損害の賠償を求めるとするとホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して現在の価額にすると金百三十一万二千二百五円五十八銭となり、これが本件事故により正が受けた損害の額である。ところで被害者正に過失があつたかどうかについて考えるに、前認定のように正も北一条通りをその左側を進行していたものであるが、道路の内側には未だ残雪があつてその巾員を十分に利用できなかつたこと、舗道にはところどころ隆起の個所があつたこと、当時は出勤時で特に交通量が甚大であつたこと、匹田運転手も警笛を吹鳴したことが明らかであり、そして原告正志本人訊問の結果によれば正の乗つていた自転車は踏切り制動のものであつたことが認められるから、これらの諸事情のもとにあつて本件のような交さ点を通過するに当つては、ややもすれば自動車に接触することも容易に看取りできるのであるから、正としても危険防止のため避譲するか、その危険のないように十二分の注意をして進行すべきであるのに、漫然このような危険なしとして進行を続けたことは同人の過失であり、そしてこの過失も又本件事故の一因となつたものと認められる(もつとも匹田運転手の過失に比べると軽い程度のものであるが)、このような被害者正の過失を斟酌するときは被告会社が負担すべき損害賠償の額は金六十三万円と認めるのが相当である。そして原告トミヱが前記正の妻、同正志がその長男、同美実が二男、同正憲が三男であることは当事者間に争いがないので、正の死亡により、原告等四名が右損害の請求権を相続により承継したわけで、これを原告等の相続分に配分するときは、原告トミヱは金二十一万円、その余の原告等は各金十四万円となることは計数上明白である。
次に原告等の慰藉料の請求について判断する。
原告トミヱが亡正と婚姻し生活していたものであることは、当事者間に争いがなく、甲第一号証(その成立に争いがない)の記載によると同人が本件事故発生当時満四十三歳であつたが、右正の死亡により遺児三名を抱え寡婦の生活を送らねばならなくなつたこと、原告正志は満二十歳、同美実は満十八歳、同正憲は十三歳の年少者であることが認められる。そして原告トミヱ、同正志の各本人訊問の結果を考えると、正憲は中学生であるが、美実は室蘭工業大学学生であり、正志は月収約八千円を得て一家の生計を保つていること、正の死亡により正の勤務先トラツク協会より約六万円の金員を支給されたことを認めることができる。右認定に反する証拠はなく、なお又前認定のように原告等の現住家屋(二十六坪)とその他に敷地百六十坪を所有することも明らかである。そして原告等の家における正の父である地位からいつて、正の死亡によつて原告等が甚大な苦痛をうけ、将来もうけるであろうことは察するに難くない。以上認定の事実に諸般の事情を考え合せると正の死亡により原告等の蒙つた精神上の苦痛は原告トミヱについては金十万円、その余の原告等については、各金五万円宛の支払をうけることにより漸く慰藉しうるものと認めるのが相当である。
更に原告トミヱの損害賠償の請求について判断する。
原告トミヱは本件事故により、正の入院治療費として金千五百円、葬式費用として金四万六千四百六十三円を支出したことは甲第三号証の一、二(その成立に争いがない)の記載、原告正志本人訊問の結果により明らかである。
以上のようなわけであつてみれば、被告は原告トミヱに対しては右損害金二十一万円、慰藉料金十万円、入院治療、葬式等の費用金四万七千九百六十三円、合計金三十五万七千九百六十三円、その余の原告等に対してはそれぞれ損害金十四万円、慰藉料金五万円、合計金十九万円及びそれぞれ右金員に対する本件訴状送達の翌日であること記録に徴し明白な昭和二十六年六月二十一日から各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものといえる。
よつて原告等の本訴請求は爾余の争点に関する判断をなすまでもなく、右認定の限度において正当であるからこれを認容し、その余の請求は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、第九十二条、第九十三条を、仮執行の宣言について同法第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 飯島幾太郎)