札幌地方裁判所 昭和30年(ワ)148号 判決 1962年4月26日
原告 大島喜一
被告 国
訴訟代理人 片山邦宏
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し金十万三千七百六十四円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告指定代理人は、主文同旨の判決を求めた。
第二、
一 原告訴訟代理人は、
(一) その請求の原因として、
(1) 原告は昭和二四年三月、被告国に雇われ、その指定に基づいて札幌市南二五条西一〇丁目所在自衛隊北部方面本部内在日米軍事援助団北海道地区顧問団(以下単に顧問団と略称する。)の特殊通訳として勤務していたものである。ところが昭和二九年七月八日、右顧問団本部人事係歩兵少佐アール・エル・キートンは原告に対して三〇日の予告期間を置いて解雇する旨を通知し、その後解雇の月日を同年九月一日と変更して、右九月一日以降原告の就労を拒絶し、被告もまた原告の労務受領を拒絶した。
(2) しかし被告の解雇並びに合意解除の主張は、後記(二)以下のとおり理由がない。
よつて被告は原告の労務を受領すべき義務があるにかゝわらず、その受領を拒絶したのであるから原告は被告の受領遅滞により先給付すべき労務の供給ができず、その間得らるべき賃金の請求権を喪失した。
ところで原告は昭和二九年九月一日当時本件雇傭契約に基づいて月平均金二万五千九百四十一円の賃金を得ていたのであるから、同日から同年一二月三一日までの間労務の提供によつて合計金十万三千七百六十四円の収入を得べきである。
よつて原告は被告に対し、被告の労務受領遅滞に基く損害として賃金相当額である金十万三千七百六十四円の支払を求める。
と述べ、
(二) 被告の予告解雇の主張に対して
(1) アール・エル・キートンのなした解雇通知は無効である。被告主張のように「日本国とアメリカ合衆国(以下すべて単に米国と略示する。)との間の安全保障条約(以下単に保障条約と表示する。)」及び同条約に基づく行政協定によつて被告が米国駐留軍に間接雇傭の形式で日本人労務者を供給する場合は格別、原告の勤務した顧問団は米国大使館の一部に該当するものであつて、同所に勤務を命ぜられた原告には保障条約及びこれに基づく行政協定等の適用はない。したがつて顧問団員であるキートンには被告の被傭者である原告に対し解雇権限はない。よつてキートンのなした解雇通知は解雇の効力はない。
(2) 被告の解雇追認の予備的主張事実中被告主張の解雇通知のあつたことは認めるけれど右通知が追認となるとの見解は争う。
と述べ、再抗弁として
仮りに予告解雇の意思表示が適法になされたとしても、右の解雇権の行使は権利の濫用であつて無効である。即ち原告は特殊通訳として勤務したものであり、その能力に欠けるところはなかつたのに、顧問団員であるバーンズ中佐は自国より取り寄せた自家用車を売却するため、通訳に協力を求め、原告の同僚堀田義雄はこれに応じたけれども原告がこれに協力しなかつたので、原告の存在を嫌忌し、当時顧問団において必要のあつた人員整理に藉口して原告を職場から追放するためキートンをして解雇せしめたものである。
と述べ、
(三) 被告の合意解除の主張に対して、
被告主張の文書に署名したことは認めるけれどもその余の事実は否認する。
と述べ再抗弁として、
(1) 仮りに合意解除があつたと認め得るとしても、右は被告の解雇通知上の解雇理由を「軍の都合による。」ものと訂正して昭和二九年九月一三までにこれを原告に到達せしめ、解雇文書に顧問団員と原告が署名することを停止条件となしているものであるところ、右条件はいずれも成就していないから合意解除の効力はない。
(2) 仮りに原告が解雇に合意したものと認め得るとしても、右の合意における原告の意思表示は被告の札幌渉外労務管理事務所長中沢彦次郎が、昭和二九年九月七日、原告が給料のみによつて生計をたてゝおり、従つて退職手当および失業保険金の給付をうけなければ生活し得ない状況にあることを利用し、原告に対し、原告が解雇に同意しないならば退職手当及び失業保険金の給付手続をしない旨を申し向けて強迫したので已むなくなしたものである。原告は右意思表示を強迫によるものとして取り消す(昭和三五年三月二一日本件準備手続期日。)
と述べ、
(四) 被告の損益相殺の主張について
被告主張の給付金のあつたことはこれを認めるけれども右の給付は本件損害賠償請求についての損害とはなんら関係はない。したがつて、損益相殺のある旨の被告の見解は争う
と述べた。
二、被告訴訟代理人は、
(一) 答弁として
請求原因(1) の各事実及び(2) の主張事実中主張の収入を得ていたことは認めるけれども、損害額の点については、原告には次のとおりの利益があるから、損益相殺によりなんらの損害がない。即ち、原告は昭和二九年一一月二三日から千歳渉外労務管理事務所を通じて被告国に雇傭され報酬を得ている外、退職手当、失業保険金の給付を受け、その額は合計金十四万七千七百二十五円である。右は原告が解雇されたため得られた収入であるところ、右は原告の本訴請求の損害額を上廻つており、結局原告にはなんの損害もない。
と答えた。
(二) 抗弁として予告解雇を主張し、
(1) 原告自認のとおり、原、被告間の雇傭契約は解雇権限者であるアール、エル、キートンによる予告解雇の通知により、その後変更された満了期日である昭和二九年九月一日に終了したものである。そもそも保障条約及びこれに基づく行政協定並びに「日本人およびその他の日本在住者の役務に対する基本契約(以下単に基本契約という)」第七条により雇傭された労務者については、国が雇傭主であり、軍が使用主となつているものであり、かゝる日本人労務者に対して軍が解雇権をもつことは、右基本契約第七条、同契約附属書類スケージュールAの規定の内容並びに右規定が就業規則の性格を有するものである点から考えて明らかである。そして右の関係は本件のように被告が顧問団に対して労務者提供をなす場合にも準用のあることは被告国と米国政府間において口頭了解事項とされているものである。したがつてアール、エル、キートンは直接日本人労務者である原告に対し解雇権限を有するものである。
(2) 仮りにアール、エル、キートンに解雇権限がないとしても、右キートンの解雇通知は、無権代理人の意思表示といい得るところ、被告の機関である札幌渉外労務管理事務所長は昭和二九年九月一八日原告に対して解雇通知を発したのであるから、被告はキートンの前記解雇通知の行為を追認したものである。よつて原告は既に解雇されたものである。
と述べ原告の権利濫用の再抗弁に対し、
原告主張の事実はすべて否認する。原告は特殊通訳として「不満足」であつたため、解雇されたものである。
と述べ、
(三) 更に抗弁として契約の合意解除の主張として、
原告は昭和二九年七月八日付解雇予告通知に対し解雇を承諾して右通知書に署名し、更に原告の要求に応じて解雇期日を同年九月一日に延期された旨の札幌渉外労務管理事務所長中沢彦次郎の通知を同年九月一〇日頃承諾して右通知書に署名したのであるから、当事者間に同年九月一日付をもつて契約を解除する合意が成立したものである。よつて原告主張の雇傭契約は合意解除により九月一日に終了している。
と述べ、原告の再抗弁に対して
再抗弁事実中、取消の意思表示のあつたことは認めるがその余の事実はすべて否認する。
と述べた。
第三、立証<省略>
理由
一、原告が昭和二四年三月被告に雇傭され、その指定に基づいて顧問団の特殊通訳として勤務していたこと、顧間団員キートンが昭和二九年七月八日原告に対し、一ヶ月の予告期間をおいて解雇の通知をしたこと、右顧問団並びに被告が原告を解雇したものとして昭和二九年九月一日以降その労務の受領を拒絶していたことは当事者間に争がないところである。
二、よつて原告主張の労務不受領が原告の賃金請求権を喪失せしめることになるか否かについての判断は暫く措き、雇傭契約の存否につき先ず被告主張の雇傭契約の合意解除の主張について判断する。
(1) その成立に争のない乙第四号証、証人小野賢蔵の証言(第一、二回)原告本人の尋問の結果によると、原告は前判示争いのない解雇予告通知に対し、その効力を争い昭和二九年八月二六日被告を相手方として、解雇の効力の停止を求める仮処分申請をなしたこと、札幌渉外労務管理事務所長中沢彦次郎は、原告と右解雇問題について承諾するよう種々折衝した際、原告から解雇理由を「軍の都合による。」ものと訂正し、解雇日時を「昭和二九年九月一日」とあるのを「同月三〇日」と訂正されたい旨の申し入れを受け、顧問団と更に右趣旨に従つて交渉をしたこと、その結果顧問団からその解雇理由を「軍の都合による。」ものと訂正することの承諾を得たが、解雇日時の点の訂正には応じ難い旨を聞き、同年九月一〇日その旨を原告に告げたところ、原告は解雇を承諾し、解雇理由は、「軍の都合による。」ものと訂正され、原告も前示仮処分申請を取り下げたことを認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。
右認定事実からすると、原告は被告の機関である前示事務所長から解雇を承諾するようにとの申し入れに対し、同年九月一日付をもつて本件雇傭契約を終了することを結局承諾したものであるから、右の承諾は本件雇傭契約について被告の解雇申入れを承諾した合意の意思表示と解するのが相当である。
(2) 原告は右承諾は解雇理由を「軍の都合による」と訂正したうえ、同年九月一三日までに訂正した解雇通知書を原告に到達せしめ且つ右通知書に原告並びに顧問団員が署名することを条件としていたものであると主張するけれども、右主張事実はこれを認めるに足る証拠はなんらない。
(3) 次に原告は右承諾は中沢彦次郎の強迫に基づくものであるから、これを取消すと主張するので判断するに、原告本人の尋問の結果によればなるほど原告は前記事務所員らから、仮処分申請までして解雇の効力を争う間は、退職手当金支給手続もせず、失業保険金も受領できないと述べられたことを認めることができるけれども、自ら解雇を無効と主張して争つている以上、雇傭主に対し有効な解雇を前提とする雇傭主の義務の履行を求めることは許されないことであるから、前示告知をもつて直ちに原告に対する強迫と認めることは困難であり、他に原告主張の強迫の事実を認め得る証拠はない。
原告の右抗弁は理由がない。
三、以上のとおりであるから、原告は昭和二九年九月一日をもつて本件雇傭契約を合意解除したものと認められるから、本件雇傭契約は右日時に終了しているものと認めるべきである。しからば原告の本訴請求は既にその前提において理由がないからその余の主張について判断するまでもなく失当のものといわなければならない。
よつて原告の本訴請求はこれを理由のないものとして棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 小河八十次 武藤春光 福島重雄)