札幌地方裁判所 昭和34年(ワ)898号 判決 1961年3月28日
原告
生田富三郎
被告
及川英男
主文
被告は、原告に対して金一五万円及びこれに対する昭和三三年一〇月二日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は三分してその二を被告、その余を原告の負担とする。
この判決は、原告において金四万円の担保を供するときは仮に執行することができる。
事実
第一、申立
一、原告は「被告は、原告に対して金三〇万円及びこれに対する昭和三三年一〇月二日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求めた。
二、被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。
第二、主張
一、原告(請求の原因)
1 被告は、軽自動二輪車を所有し、自己のためにこれを運行の用に供している者である。
2 被告は、昭和三三年一〇月一日右自動車を運転中札幌市内西五丁目通と北一三条通の交叉点路上で原告の運転する自転車と衝突して原告をその場に転倒させ、原告に対して治療日数約一〇ケ月間を要する左下腿骨骨折の傷害を負わせた。
3 原告の受けた損害の程度は次のとおりである。
(1) 入院加療費
(イ) 右負傷のため昭和三三年一〇月一日から昭和三四年二月二五日まで北海道大学附属病院整形外科に入院しこの間の入院加療費として金一一五、五一二円、附添料として金九、六八五円を要し
(ロ) 昭和三四年三月六日から同年八月一九日まで国立登別病院整形外科に入院し、この間の入院加療費として金一二九、八八七円を要し
以上合計金二五五、〇八四円の損害を受けた。
(2) 得べかりし利益の喪失
原告は、昭和三〇年一月四日以来国鉄札幌工事局に日傭労務者として勤務し、本件事故発生当時一日当り金三八〇円の賃金を受け、一ケ月二五日間の稼働実績をあげ、同局から一ケ月合計金九、五〇〇円の賃金を受けていた。ところが、本件傷害を受けた結果、前記加療期間中労働不能であつたばかりでなく、前記国立登別病院を退院後も左膝関節、左足関節、左母趾に著明な機能障害が残り左足は完全な跛行となり歩行時に痛み左膝がはるため歩行不完全であり、かつ長途の歩行や患脚起立、跳躍等は不可能となつた上、今後の療養による完癒も期待できない状況にあり将来にわたつて全く労働不可能の身となつた。このため、原告は、昭和三三年一一月一日をもつて上記工事局より退職させられ目下失職中である。原告は明治二七年九月一七日生まれで昭和三五年に満六五年に達しているが、昭和二九年七月厚生省発表の第九回生命表によると同年の男子の平均余命は一一、一四年であり原告は、生来人並すぐれた頑健な身体と意欲的な勤労心に恵まれ、本件傷害を受けた昭和三三年一〇月一日から少くとも原告が満七〇年に達する昭和三九年九月一七日まで上記工事局に勤務し、前記一ケ月当り金九、五〇〇円の賃金を受けられた筈であり、本件傷害による労働能力喪失及び同局退職のため喪失した得べかりし利益の総額は、計算の便宜上原告の労働可能月数を昭和三三年一〇月一日から昭和三九年八月三一日まで合計七一ケ月としてこれをホフマン式計算法により算出すると合計金五一八、八四六円となる。
(3) 慰藉料
原告は頑健な身体と意欲的な勤労心の持主として過去においても病気一つしたことなく余生を勤労一筋に捧げて充実した生活を送つていたものであるが、右傷害により突如としてその就職先を失つたばかりでなく、思いもかけぬ不具の身となつて、最近は生活費にも事欠き、日夜悶々とした生活を送つている次第であつて、このため重大な精神的損害を受けた。右損害に対する慰藉料としては金一〇〇、〇〇〇円の賠償が相当である。
(4) ところが右損害の内、原告は
(イ) 被告から前記北海道大学附属病院の入院加療費の一部金二五、五一二円、附添料金九、六八五円及び見舞金名下に金一三、五〇〇円
(ロ) 訴外共栄火災海上保険株式会社から自動車損害賠償保険金として金一〇〇、〇〇〇円
(ハ) 原告の勤務先であつた国鉄札幌工事局から昭和三三年一〇月中の一五日間の有給休暇として認められ、一日当り金三八〇円、一五日間合計金五、七〇〇円の賃金
以上合計金一五四、三九七円を受領した。
(5) したがつて(1)(2)(3)(4)を考慮すると、現存する損害額は合計金七一九、五三三円である。
4 よつて原告は被告に対して右の損害賠償請求権の内、とりあえず金三〇〇、〇〇〇円の支払を求めるために本訴に及んだ。
二、被告
(一) (請求の原因に対する認否)
1 請求原因事実1、2は認める。
2 同3の内(1)(4)は認めるが、(2)(3)は争う。
同3の(1)については、原告は適法な健康保険証の交付を受けており、入院加療費は元来健康保険制度によりその支払を受け得るのであるが、原告が毎月一回の保険証の検印を怠つたため保険金の給付を受けられなかつたのであるから、本件事故による損害として請求することはできない。
同3の(2)については、原告は青図焼という単純労働に従事しており、満七〇年に達するまで労働可能であるとは考えられない。たとえ可能であつたとしても、一ケ月毎に契約する臨時雇傭員であるから何時更新を拒絶されるか極めて不安定な地位にあつた。すなわち、毎年国鉄を停年退職する者があり、かつ予算も限られたものであるから、次第に老令となる原告の代りにもつと年令の若い人々が迎えられる可能性が強く、原告が職を失う可能性は極めて高い。したがつて、原告主張の得べかりし利益はその主張の全額よりもはるかに少額に止まる。
(二) (抗弁)
1 本件事故は、原告の過失のみにより発生したものである。被告には故意過失がなく、また被告の軽自動二輪車の構造や機能には欠陥はなかつた。
(1) 被告が西五丁目通の道路端より四米の所を前記交叉点に向つて南進中、原告は被告の左側一・八米の所を同一方向に進行していた。被告が原告を発見したのは同交叉点に至らない所で、原告の位置は被告から五米位先であつた。ところが、被告が三、五米程進んだとき、原告は被告から三米程離れた所から突然西側へ右折したので、被告もこれを避けるため旋回しようとしたが、原被告の旋回点からそれぞれ四・六米、四・五米斜前方に当り、北一三条通に出る九・四米前辺りで衝突した。原告が右折するには、あらかじめその前からできる限り道路の左側によつて交叉点の中心から離れた外側を徐行して回らなければならないにもかかわらず、原告はこれを怠り、交叉点に出る前に曲がろうとしたのである。
(2) 本件事故現場は市電の軌道が施された道路である。このような道路においては、原告は右折に際して後方より進行する電車及び他の車馬の有無を確かめ、然る後横断をなすべき義務がある。ところが、原告はこれを怠つて、ひたすら最短コースを運行しようとして右折したので本件事故が発生したものである。
(3) 原告は、右折に際し、手、方向指示器その他の方法により合図していない。右は道路交通取締法第二二条違反の行為である。
2 仮りに被告に何らかの過失があつたとする場合、右原告の過失について相殺を主張する。
三、原告(抗弁事実に対する認否)
抗弁事実を否認する。本件は原告の過失によつて生じたものでなく、被告の前方注視義務違反及び減速義務違反によつて生じたものである。すなわち、被告は、人車の交通激しい十字路交叉点附近に差しかかつたのであるから、このような場合、自動車運転者としては進路前方全面を注視し、交叉点の可及的前から自車に先行する車馬の有無を確認し、先行車馬のあるときはこれが交叉点附近で急に停止、徐行、方向転換等をなすことあるべきは予期し得るところであるからそれに応じて何時でも安全に急停車できるように減速し若しくは必要な距離を保つ等の方法により運転進行し、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務があつたにもかかわらず、被告はこれを怠り、何等前記措置をとることなく、自車の右側を追越して行つたオートバイに気をとられ、左前方に対する注視を欠いたまま進行したため原告に気付かず、その右後方約五米の地点に迫つて始めてこれを発見したが、西方へ方向転換しようとする原告にたちまち自車を衝突させるに至つたものである。
第三、立証(省略)
理由
一、本件事故の発生
請求原因事実中1、2、については当事者間に争がない。
二、原被告の過失の有無及び自動車の構造機能の欠陥の有無
よつて被告の抗弁1、について判断すると
1、まず、成立について争のない甲第二号証及び検証の結果によれば、本件事故現場の西五丁目通は幅員約二〇米でそのほぼ中央に市内電車の軌道が施され、軌道敷の幅員は約五米であり、その両側に幅員約六米の車道(もつとも、甲第二号証中の事故現場見取図には西五丁目通東側車道の幅員が四・六米と記載されているが、これを検証の結果に照らしてみるときは、右は道路東側の電柱の内側までを歩道であるとした結果によるものと解される。)があり、さらにその両側に歩道があること、道路の西側は北海道大学構内であり、歩道の西側に高さ約一・二米の石垣があり、東側は商店、住宅が立並んでいること、本件事故現場の南方に北海道大学構内に通ずる道路から東方に幅員約一七米の北一三条通が西五丁目通と直角に交叉していること、西五丁目通は本件事故現場より南北に数百米の間一直線をなしており、見通しを妨げるものはないこと、西五丁目通は市内電車、諸車及び歩行者の交通ひんぱんな所であること及び本件事故現場附近には交通標識のないことを認めることができる。
2、そこで原告の過失の有無について考察するに、前記甲第二号証、いずれも成立について争のない甲第四号証の一から三まで及び乙第一号証、証人菅原昌克の証言及び原、被告各本人尋問の結果並びに検証の結果を綜合すれば、被告が西五丁目通の東側軌道敷端から約一米の所を右交叉点に向つて南進中、原告は被告の左側二~三米の所で被告より前方にあつて同一方向に進行していたこと及び原告が右交叉点から一〇~一三米位手前の所で右折し北海道大学構内に向つて斜前方に進んだところ、交叉点に出る七~八米手前の東側軌道中央辺で被告と衝突したことを認めることができる。ところで、右のような場合に、原告が右折するには、あらかじめその前から、できる限り道路の左側によつて交叉点の中心から離れた外側を徐行して回らなければならないのであるから(道路交通取締法(昭和二二年法律第一三〇号)、原告の行動は右の義務に違背したものでありこの点において、本件事故の発生について被害者たる原告に過失があるということができる。また、甲第四号証の二、乙第一号証、証人菅原昌克の証言及び被告本人尋問の結果に右認定事実を綜合すれば、原告は前記右折に際して安全かどうかを確認するため後方の交通状況に注意することを怠つたことを認めることができる。いやしくも、原告が前記のような道路をその横断すべからざる場所で右折しようとするならば、その右折の直前まで後方の交通状況に注意すべき義務のあることは当然であるといわなければならないから、この点においても原告に過失がある。もつとも、甲第四号証の一及び原告本人尋問の結果によれば、原告は右折する前に二〇米後方に被告の自動車が走つていることをチラツト見たことを認めることができるが、甲第四号証の二、乙第一号証、証人菅原昌克の証言及び被告本人尋問の結果によれば、被告の運転する自動車のスピードは時速二七~八キロであつたことを認めることができるのであつて、右事実及び前記の原、被告衝突の状況をもあわせ考慮するときは、原告は後方に対する警戒をやや早めに解いてしまつたものといわなければならず、右折直前の後方に対する警戒を怠つたとの前記認定事実を左右するに足るものではない。さらに、甲第四号証の一から三まで、乙第一号証、証人菅原昌克の証言及び原、被告各本人尋問の結果によれば、原告は右折に際し、手、方向指示器その他の方法による合図をしていなかつたことを認めることができ、右事実も道路交通取締法第二二条違反の行為であり、この点においても原告に過失がある。
3、次に甲第二号証及び被告本人尋問の結果によれば、被告の自動車に構造上の欠陥も機能の障害もなかつたことを推認することができる。
4、しかしながら、被告が自動車の運行に関し注意を怠らなかつたことを認めるに足る証拠はない。かえつて、成立について争のない甲第一号証、甲第二号証、第四号証の二、三、乙第一号証、証人菅原昌克の証言、原、被告各本人尋問の結果及び検証の結果によれば、被告はその右側を追越して行つたオートバイに気をとられ、左前方に対する注視を欠いたまま進行したため原告に気付かず、減速の措置をとることもなく、原告の右後方約五米の地点に迫つて始めて原告を発見したが、それより四~五米程進んだ際に原告が被告から三米程離れた所から西方へ方向転換するのを見て、あわててブレーキをかけながら右にハンドルを切つたが遂に及ばず、原、被告の旋回点からそれぞれ五米前後斜前方で自車を原告に衝突させるに至つたことを認めることができる。ところで、1、2、で述べた本件事故現場の位置及び状況から考えれば、被告としては、絶えず進路の前方及び左右に対して注意を払つて自車に先行する車馬の有無を確認すべき義務のあつたことはいうまでもなく、また、自己に先行する車馬が道路交通取締法の定めるところに従わないで方向転換をしたとしても、このような者を全く無視してよいというものではなく、交通道徳の水準の余り高くない現段階においてはこのような行動に出る者がないでもないことを念頭において、先行車馬がこのような行動に出たときには安全に停車できるように、もう少し前から減速して運行すべき義務があつたといわなければならないであろう。したがつて、被告の前記行動は、右の前方注視義務及び減速義務に違反するものであつて、被告は自動車の運行に関して注意を怠つたものといわなければならない。
5、結局被告の抗弁1は採用することができない。
三、損害の程度
1、請求原因事実3の(1)については当事者間に争がない。被告は、右の入院加療費の支出は、原告が健康保険証の検印を怠つたために生じたものであつて、本件事故による損害として請求することはできない旨主張するが、たとえ原告が健康保険制度により保険給付請求権を取得することができたとしても、被告に対する不法行為に基く損害賠償請求権の成立することを妨げず、ただ両者は不真正連帯債務の関係に立つに過ぎないものと解すべきであるから、原告が健康保険証の検印を怠つたからというだけで被告に対して右入院加療費を本件事故による損害として請求することができなくなるわけのものではない。
2、請求原因事実3、の(2)については、まず甲第三号証、第五号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告が傷害を受けた結果、現在でも原告主張どおりの身体状況であることを認めることができる。また、成立について争のない甲第六号証、証人諸田英雄の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告が日本国有鉄道札幌工事局から原告主張のとおり一ケ月合計金九、五〇〇円の賃金を受けていたが、本件事故の結果、身体障害を理由に昭和三三年一一月一日右工事局を退職させられ、目下失職中であることを認めることができる。ところで、甲第五号証、第六号証、証人諸田英雄の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は明治二七年九月一七日生まれで昭和三五年に満六五年に達しているが、頑健な身体と十分な勤労心に恵まれていることを認めることができる。右事実に、昭和二九年七月厚生省発表の第九回平均余命表によると満六五年の男子の平均余命は一一・三五年である事実並びに証人諸田英雄の証言及び原告本人尋問の結果を合わせ考慮すると、原告が満七六年までは十分生存が可能であり、満七〇年まで前記工事局に勤務し毎月金九、五〇〇円の賃金を受けることも可能であつたと考えられる。したがつて、本件傷害により原告が労働能力喪失及び前記工事局退職のため喪失した得べかりし利益の総額は、昭和三三年一〇月一日から昭和三九年八月三一日まで合計七一ケ月として、これをホフマン式計算法により法定利率年五分の中間利息を控除して現在価格を算出すると金五八九、七八八円二銭となる。
3、請求原因事実3、の(4)については当事者間に争がない。
4、したがつて原告の現存する財産的損害額は、金六九〇、四七五円二銭である。
5、そこで被告の抗弁2、(過失相殺の抗弁)について判断すると、二、2、で前述したように本件事故の発生について原告にも相当の過失があつたことが認められるのであるから、右の事情をしんしやくすると被告が原告の受けた財産的損害に対してその賠償として支払うべき金額は金一〇〇、〇〇〇円を相当と考える。
6、請求原因事実3、の(3)については、2、で前述したところ及び原告本人尋問の結果により原告が多大の精神的苦痛を受けたことを認めることができ、このため被告が原告に対して支払うべき慰藉料は、諸般の事情に照し、金五〇、〇〇〇円を相当と考える。
四、結論
以上のとおりであるから、被告は原告に対して金一五〇、〇〇〇円及びこれに対する本件事故発生の日の翌日である昭和三三年一〇月二日から支払ずみに至るまで法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があり、原告の本訴請求は右の限度において正当として認容するが、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言について同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 石井敬二郎)