札幌地方裁判所 昭和35年(行)7号 判決 1965年9月24日
原告 中川義寿
被告 北海道知事 外二名
訴訟代理人 山本和敏 外一名
主文
一、原告の被告北海道知事に対する本件訴えを却下する。
二、原告の被告亡内山惣三郎相続人及び被告内山房雄に対する請求をいずれも棄却する。
三、訴訟費用は原告の負担とする
事 実 <省略>
理由
一、被告北海道知事に対する請求について
原告の被告北海道知事に対する本件訴えのごとき農地買収処分の無効確認訴訟は、無効な買収処分によつてもともと不変動であるはずの原告の農地所有権が国に移行し、あるいはさらに売渡処分によつて第三者に移転した外観を呈し、原告の右所有権の享有に不安、危険を生じている場合に、その買収処分の無効を明確にして右の不安、危険を排除、解消するために認められたものであるから、買収処分が無効であるとしても、他の理由により原告において右農地の所有権を失うことになるならば、買収処分の無効確認を得ても原告の地位の不安、危険の排除という右の効果を期待できないこととなり、その訴えの利益は消滅するものといわなければならない。
これを本件についてみるに、本件土地の買収処分が無効であるとしても、その場合に訴外内山惣三郎が本件(一)の土地につき、被告内山房雄が本件(二)の土地につき、それぞれその所有権を時効によつて取得していることは後記認定のとおりである。したがつて、原告が被告北海道知事に対し本件土地の買収処分の無効確認を求めてみても、右内山惣三郎及び被告内山房雄の各時効取得によつて原告はすでに本件土地の所有権を喪失し、その回復はもはや不能であつて、たとえ本件買収処分の無効確認の判決があつたとしても、その結果は動かしがたいものと認むべきであるから、本件訴えはその利益を欠くものと解され却下を免れない(最高裁昭和三七年(オ)第一四〇三号同三九年一〇月二〇日判決民集一八巻一七四〇頁参照)。
二、被告亡内山惣三郎相続人・同内山房雄に対する請求について
(一) 請求原因事実中、本件土地が以前原告の所有であつた事実及び原告主張の各登記がなされている事実は当事者間に争いがない。
(二) そこでまず被告ら主張の時効取得の抗弁について判断する。内山惣三郎が昭和二四年四月から本件土地を平穏、公然に占有し、(一)の土地については一〇年間右占有を継続し、(二)の土地については、被告内山房雄が昭和三三年五月二八日これを内山惣三郎から譲受けて引続き右土地を占有し、前主たる内山惣三郎の占有と合わせて、昭和二四年四月より一〇年間平穏、公然その占有を継続した事実は当事者間に争いがない。
ところで、内山惣三郎が従前から本件土地を原告より賃借してこれを耕作していたことは当事者間に争いがないので、本件売渡処分までの内山惣三郎の本件土地の占有は、その占有権原の性質上所有の意思のないものであつたことが明らかであるところ、北海道知事より買受人たる内山惣三郎に対し本件売渡処分に基づく売渡通知書の交付がなされた時は、この時より内山惣三郎のために民法第一八五条にいう新権原が設定されたこととなり、所有の意思をもつてする内山惣三郎の本件土地についての占有が開始すると解するのが相当である。そして、成立に争いのない乙(ワ)第一一号証(乙(行)第三号証の一に同じ)(売渡通知書)によれば、本件売渡通知書が昭和三四年三月三〇日に北海道知事から内山惣三郎に対し発行されたことが認められ、成立に争いのない乙(ワ)第一二号証(乙(行)第四号証に同じ)によれば、内山惣三郎が昭和二四年九月七日本件土地の売渡対価を支払つたことが認められる。右事実をあわせ考えると、内山惣三郎は昭和二四年三月三〇日から同年九月七日までの間に北海道知事より本件売渡通知書の交付を受けたものであることを推認することができ、右認定に反する証拠はない。被告らは、本件売渡通知書の交付が昭和二四年四月になされた旨主張するけれどもそれを認めるに足る証拠はない。
右のとおりであるから、内山惣三郎は遅くとも昭和二四年九月七日に北海道知事より本件売渡通知書の交付を受け、この時から本件土地の自主占有を開始したものと認めるべきである。
原告は、内山惣三郎の本件土地についての占有の性質の変更がなされた事実、すなわち本件売渡処分のなされた事実は、右処分に基づく内山惣三郎のための本件土地の所有権取得登記がなさなければこれを原告に主張対抗できず、右登記のなされた昭和二七年二月二二日より時効期間を起算すべきであると主張するので、この点について検討する。わが民法は動産、不動産を問わず一定の期間の占有を時効取得の要件としている。しかしながら、占有は単に取得時効との関係のみで意味を有するものではない。占有は、一定の物が占有者の事実的支配のうちに存すると認められる外部的関係に基づいて成立するものであつて、民法はこれについて種々の法律効果を与えている。すなわち、民法第一八八条の権利の推定、民法第一九二条以下の即時取得、民法第一九七条以下の占有訴権、民法第一八九条、第一九〇条の果実取得権等がそれである。これらの場合に、占有の取得が占有者と対立する所有者その他真の権利者の知りまたは知りうべかりしものであることは必要でない。占有が右のような機能を営むのは、占有制度の目的が社会の現状を一応正しいものと認めこれを保護して平和、秩序を維持しようとすることにある、からであつて、そのためには占有者の事実的支配という客観的事実の態様が問題であつて、占有者と対立する所有者その他真の権利者の知、不知は問題でない。このことは占有が取得時効の要件とされる場合にも同様であつて、この場合にも社会の法律関係の安定のために、一定の客観的事実状態が永続したならば、その状態が真実の権利関係に合致するものかどうかを問わずに、そしてまた真の権利者がそれを知ると否とを問わずに、その事実状態をそのまま尊重してそれを一定の権利関係にまで高めようとするものなのであり、占有の開始についても真の権利者の知、不知は問題とされない。以上のことは、民法第一八五条に規定されている、他主占有から自主占有への転換という形によつて自主占有が開始する場合においてもなんら事情は異らない。したがつて、同条前段において、他主占有者が自己に占有をなさしめた者に対し所有の意思のあることを表示したときに他主占有が自主占有になる旨規定されていることも、原告の主張するように、占有をなさしめた者にその占有が他主占有から自主占有に転換することを了知する機会を与えて、その者の利益を保護するのが目的ではなく、右の「自己に占有をなさしめた者に対する所有の意思の表示」を自主占有の一の客観的徴愚としてとらえているものと解される。換言すれば、他主占有という客観的事実に、右の「所有の意思の表示」という客観的事実が加わることによつて自主占有という客観的事実が発生するということなのである。そのように解する限り、民法第一八五条後段の場合には、「新権原」の発生ということを、既に自主占有の一の客観的徴愚としてとらえることが可能であり、そうである以上、その外にさらに、所有者その他真の権利者に対抗するために登記その他を必要とする理由を見出すことはできない。よつて原告の右主張は理由がない。
内山惣三郎が本件土地につき自主占有を始めるにつき善意であつたことは民法第一八六条によつて推定されるところであるが、右推定を覆えすべき立証はない。
次に、内山惣三郎が前記自主占有を始めるにつき過失がなかつたかどうかについて判断する。
過失の有無を判断する基礎となる注意義務は、通常人を標準としてこれを決すべきものであるところ、国が法律の規定にしたがい本件土地を買収し、これを内山惣三郎に売渡した以上、買受人たる内山惣三郎が右売渡しの効果として本件土地の所有権を取得したと信じるのは当然である。仮りに本件買収売渡処分について原告主張の無効原因が存在し、その処分が無効であつたとしても、それを知らなかつたことについて内山惣三郎に過失の責を負わせるべき特別の事情を認め得る証拠はないから、同訴外人には本件土地が自己の所有に帰したものと信じたことについて過失がないものというべきである。
以上のとおりであるから、たとえ本件買収処分に原告主張のような無効原因があつて右処分が無効、したがつてそれに基づく本件売渡処分が無効であつたとしても、内山惣三郎は本件(一)の土地について、同訴外人が本件売渡通知書の交付を受けた昭和二四年九月七日の翌日から起算して一〇年を経過した昭和三四年九月七日の満了をもつて、被告内山房雄は本件(二)の土地について、内山惣三郎が本件売渡通知書の交付を受けた前記昭和二四年九月七日の翌日から起算して、前主たる内山惣三郎の占有と合わせて一〇年を経過した昭和三四年九月七日の満了をもつて、それぞれ右各土地の所有権を時効により取得したものというべきである。
そうして、内山惣三郎が昭和三七年一〇月一五日死亡したので、その共同相続人が本件(一)の土地につき、共同相続人の一人である被告内山房雄の単独所有とする旨の遺産分割協議をなした事実は当事者間に争いがなく、右事実によれば被告内山房雄は昭和三七年一〇月一五日に本件(一)の土地の所有権を取得したというべきである。よつて、被告らの抗弁は理由がある。
したがつて、仮りに本件買収処分が無効であつたとしても、原告は本件土地の所有権を有しないから、被告内山房雄に対し本件土地が原告の所有であることの確認を求める原告の請求は失当であり、また、本件土地につき札幌法務局昭和二七年二月一二日受付第一六四七号をもつてなされた内山惣三郎名義の、本件(一)の土地につき同法務局昭和三七年一一月二二日受付第八一三一二号をもつてなされた被告内山房雄名義の、並びに本件(二)の土地につき同法務局昭和三三年五月二九日受付第一一〇四号をもつてなされた同被告名義の、各所有権取得登記は現在の権利に符合しているものであるから、原告の被告亡内山惣三郎相続人及び被告内山房雄に対する右各登記の抹消登記手続を求める請求は失当である。
三、よつて被告北海道知事に対する本件訴えはこれを却下することとし、被告亡山内惣三郎相続人及び被告内山房雄に対する本訴各請求は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 石井敬二郎 宮本増 根本真)
別紙目録<省略>