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札幌地方裁判所 昭和42年(わ)11号 決定 1967年5月27日

被告人 D・M子(昭二三・三・三生)

主文

本件を札幌家庭裁判所に移送する。

理由

一、事実関係

当裁判所は、事実審理の結果、被告人に対して次の事実を認定した。

被告人の母D・Z江の夫D・G(当時四八歳)は、平素酒にひたつてほとんど仕事をせず、酔つては、Z江や被告人に殴る、けるの乱暴を働くばかりでなく、時には「殺してやる。」と言つて、鎌や出刃包丁などを持つて追いかけまわすので、母Z江と共に納屋などに身を隠して夜を明かしたこともあり、あまつさえいやがる被告人に情交関係をいどんで出産させ、勝手気儘な生活を送つていたため、Z江や被告人は、同人の乱暴をおそれて、極度におびえた生活を送つていた。ところが、被告人は、昭和四一年一一月○○日午後六時頃新冠郡○○町字○○×××番地の自宅茶の間において、昼ごろから焼酎を飲み続けていたGから酒を買つてくるように言われたが、仕事に疲れていたうえ、酒屋は約五粁離れた遠方にあり、それにまだ三、四合の焼酎が残つていたことなどから、「暗くなつたのでいやだ。まだ残つているから、それを飲んだらよいでしよう。」と素気なく答えたため、Gはにわかに激昂し、「親に口返すのか。」と叫んで、湯のみ茶碗を被告人に投げつけた。そのときZ江が「これだけあるから買いに行かなくてもよいでしよう。」と横から口添えしたため、ますます激昂したGは、座つている被告人に対し、一〇回以上も背中や腰を殴つたり、けつたり、髪の毛を引つぱつたうえ、「お前たちうじ虫は二人とも出刃もつてきて、ぶつ殺してやる。」と叫んで、被告人の右手首をにぎり、出刃包丁のある台所へ無理に引張つて行こうとした。被告人は、台所へ連れて行かれては、本当に殺されるかもしれないと身の危険を感じ、とつさにGの胸のあたりに体当りして同人をその場に倒したが、そのとき足元に日本手拭(昭和四二年押第二六号の一)が落ちているのに気づき、自己の身体、生命を防衛するため、この際同人を絞め殺すほかないと決意し、右手拭を拾いあげ、Z江とともに、同人を隣室八畳の間に引張りこんだ。被告人とGの二人は、そこで組打ちとなり、激しくもみ合い、被告人は、一時、首を締められたこともあつたが被告人と同じくGに台所の出刃包丁を取られては、本当に殺されるかも知れないと身の危険を感じた母Z江も被告人に加勢したこともあつて、被告人はGを組み伏せて馬乗りになり、Z江も暴れるGの足を押えつけ、Gが二人をはね返そうとして首をあげた隙に、被告人は、防衛に必要な程度を超え、先ほどから手にしていた手拭をGの首に一回巻きつけて、強く締め続けた。Z江は、Gの苦しそうな声を耳にして顔をあげ、はじめて被告人が手拭でGの首を絞めているのに気づいたが、同人に起き上がられることを恐れるの余り、防衛の程度を超え、被告人の持つ手拭の一端を手に握り被告人と共にその両端を力まかせに引張り続け、ついにその場で、Gを窒息死するに至らしめて殺害したものである。

二、処遇について

被告人の生い立ち、経歴、性格、本件犯行にいたるまでの被害者との関係、右犯行の動機、現在における被告人の心情等を考慮し、被告人を保護処分に付するのが相当であると考え、少年法五五条により本件を札幌家庭裁判所に移送することにした。

以下、保護処分を相当と認めた理由についてのべる。

(被告人の生い立ち、経歴、性格など)

被告人は、新冠郡○○村大字○○○村の貧しい自作農の家に生まれたが、生後間もなく実父が病死したので、母は、本件の被害者であるGと再婚し、同村字○○に開拓農家として入植した。被告人は、この開拓地の極貧ともいえる家庭で、主として祖母に育てられたが、義父であるGは、飲んだくれで、しかも暴力を振うため、同人と祖母との争いがたえなかつた。被告人は、約五粁はなれた町立○○小学校を経て、町立○○中学校を卒業し、家業の農業をよく手伝い、母Z江を助けて一家の仕事の中心的存在であつた。被告人の性格は勝気で明るく、活発、素朴な反面、内省力、判断力に乏しく、単純で行動的であり、知能もあまり良くない。

(被害者との関係)

被害者であるGは、被告人に対し父親としての愛情も言動も示さず、仕事もしないで焼酎を飲んでは、家族に乱暴を働き、刃物を振うという有様で、そのうえ、被告人が中学二年生の時に無理に性交して被告人に出産までさせた。その後、一時反省したものの、また暴力でおどしては性関係を続け、現在に至るまで月に二、三度の関係があつた。母Z江は、被告人を家の外に出してGから離そうとしたが同人は、「どこまでも追いかけて行つて殺してやる。」と言つておどすため、Z江も後難をおそれて被告人を家から出すことができなかつた。このため被告人はGを父親とも思わず、むしろGが死ねばよいとさえ思うこともあつた。

(本件の犯情)

本件犯行は、Gから激しい暴行を受け、かつ「殺してやる」と言つて台所に引つ張つて行かれそうになり、従来のGの言動からして、身の危険を直感した被告人が、とつさに相手を締め殺そうと決意したもので、いわゆる過剰防衛行為であるというべきであり、動機から見ると偶発的になされた一過性のものであつて、被告人が年少で相当興奮しており、その思慮分別が十分でなかつたことにもその一因があり、前記の被告人の性格もまた無視することができないけれども、その場において、被告人がGの首を締め続けているのを知りながら、それを止めもせずに、一緒に加担したZ江にも責任がある。

(現在における被告人の心情など)

本件未決勾留日数は約六ヶ月というかなり長期間に達するうえ、家庭裁判所、検察庁を経て当裁判所の公判に付されるにおよび、被告人は、本件非行の重大性を十分認識し、責任を感じ真剣に後悔していることが認められる。また中学時代の担当教師や、被告人の親族などが、今後被告人の相談に乗つて、被告人の指導に最大限の努力を払うと述べており、被告人が今後家業の農業を営む兄を手伝つて、従来の生活に戻る時は、再犯のおそれもなく、更生の環境が整つているものと認められる。

三、結論

本件は殺人という罪質の重大な犯罪であり、その責任を無視することはできないけれども、以上述べた諸点を総合勘案すると、本件犯行につき単にその結果が重大であるからといつて、被告人について、直ちに刑事処分をもつて遇するのは不適当であつて、むしろこの際、家庭裁判所による適切な教育的保護的措置により、被告人の性格の矯正、特に社会性、情操をつちかい、有為な社会人として更生させるのが相当であるとの結論に達し、主文のとおり決定する。

(なお、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人には負担させない。)

(裁判長裁判官 萩原寿雄 裁判官 白井皓喜 裁判官 小山三代治)

参考二 少年調査票<省略>

参考三

昭和42年少第1494号

意見書

札幌家庭裁判所

裁判官 浜崎恭生殿

昭和42年6月2日

札幌家庭裁判所 家庭裁判所調査官 秋江孝吉

少年 D・M子

昭和23年3月3日生

住居 新冠郡○○町字○○×××番地

上記少年に対する保護事件は調査の結果下記理由により保護観察決定を相当と思料する。

理由

1 少年は同居義父に対する殺人事件により昭和41年11月30日逮捕され昭和42年12月13日当庁受理されたものであるが、昭和42年1月9日検察官送致決定された以来実母と共に札幌地方裁判所の公判に付されていたが昭和42年5月27日少年法55条により再び当庁に係属した。

2 前回当庁係属時の社会調査・精神診断・心身鑑別により明らかなように少年は日常に問題なく平凡に家業農業に従事していたものであつて稍々知能が低い。性格的に未熟な点は認められるものの問題少年として関係機関に係属する程度のものではない。

本件について原因の大部分は被害者にあり機会的非行であつて、本件公判を通じ少年の刑事責任を追求すべきでないことは社会一般にも認識されている。

3 本件後6ヶ月を過経し少年の心理状態も平常に復していることが認められる。少年の家庭には兄1人ではあるが少年受入れについては可能な状態にあり、地域社会においても少年と少年の家庭援護について理解ある態度であり近親関係の援護態勢は良好である。

よつて上記決定とし少年を自宅に復帰せしめることが相当である。

処遇上の要点として

1 少年の実兄は年齢相応以上に成人していて家業を独立運営するに足る程度にはあるが未だ21歳であつて社会経験に浅いこと、および少年の後見的役割を果すという叔父○藤○男は約20キロ離れた地にあつて常に接触しながら少年宅援護ということはできないので少年宅と充分連絡をとりながら家庭の援護につとめる。

2 家庭、地域社会に安定するよう相談相手になること。特に精神的安定を期するよう配慮すること。

参考四 鑑別結果通知書<省略>

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