札幌地方裁判所 昭和42年(行ウ)14号 判決 1974年3月18日
原告
柳楨烈
右訴訟代理人
彦坂敏尚
ほか八名
被告
法務大臣
中村梅吉
同
札幌入国管理事務所主任審査官
川崎時忠
右被告ら指定代理人
阿部昭
ほか六名
主文
被告札幌入国管理事務所主任審査官が昭和四二年三月七日付で原告に対してなした退去強制令書発付処分はこれを取消す。
被告法務大臣が同年三月三日付で原告に対してなした原告の出入国管理令第四九条第一項に基づく異議の申出を棄却する旨の裁決はこれを取消す。
訴訟費用は被告らの負担とする。
事実《省略》
理由
一原告は、大正九年三月一二日朝鮮で出生し、昭和八年五月一五日来日して以来今日まで日本に居住する在日朝鮮人であるところ、昭和四一年一一月七日札幌入国管理事務所入国審査官から実弟の不法入国を助けた行為が出入国管理令(以下、管理令という。)二四条四号ルに該当するとの認定を受け、直ちに口頭審理の請求をしたが特別審理官により右認定に誤りがないとの判定を受け、さらに同日被告法務大臣に対して異議の申出をしたが、昭和四二年三月三日、同大臣は異議を棄却する旨の裁決をし、同月七日被告主任審査官より原告に対し、退去強制令書が発付されたことは、いずれも当事者間に争いがない。
二原告は、昭和二七年法律第一二六号該当者である原告には管理令の適用がないこと(請求原因第3項)および同令二四条四号ルの解釈適用に誤りがあること(同第4項)を理由として本件裁決および本件令書発付処分の違法を主張する。
ところで、本件裁決の性質を考えてみるに、管理令四七条ないし四九条によれば、法務大臣は、特別審理官の判定に対する異議につき、第一次的には原処分である「特別審理官によつて誤りがないと判定されたことによつて維持された入国審査官の認定」の当否を審査し、これにつき裁決すべきものであるが、それのみでなく、同令五〇条および同令施行規則三五条によれば、法務大臣は、裁決にあたり、異議の申出が理由がないと認める場合でも、一定の要件が存するときは、容疑者に特別在留の許可をすることができるのであるから、異議を棄却する裁決は、原処分を相当とするとの判断に基づいて異議を排斥する処分であるばかりでなく、右特別在留許可をすべき場合にも該当しないとしてその許可を付与しない処分としての性質をも有するものというべきである。したがつて、右裁決は、原処分である入国審査官の認定との関聯においては、行政事件訴訟法一〇条二項にいう審査請求を棄却した裁決にほかならず、しかも、右認定に対しては、抗告訴訟の提起を禁じた別段の規定は存しないから、かかる裁決に対しては、同条項により、右入国審査官の認定の違法を理由としてその取消しを求めることができないものというべきである。
しかして、請求原因第3項および第4項の各事由は、いずれも本件裁決に対する原処分である入国審査官の認定を違法とする事由にほかならないから、かかる理由をもつて本件裁決の取消しを求めることは、結局原処分の違法を理由として本件裁決を攻撃するものであつて、右条項により許されないものであることがあきらかである。
しかしながら、管理令五〇条にいう特別在留の許可をすることは、法務大臣にのみ認められた固有の権限であるから、右の許否に関する点につき瑕疵を主張して裁決の取消しを求めることは行政事件訴訟法一〇条二項の禁止にふれるものではなく、法務大臣が在留を特別に許可しなかつたことにつき何らかの違法が認められる場合には、右の許可を与えることなく異議申出を棄却した裁決は違法として取消しを免れないものである。
さらに、管理令四九条五項によると、法務大臣に対する異議の申出を理由なしとする裁決があつたときは、主任審査官はすみやかに退去強制令書を発付しなければならないものとされ、主任審査官はこれを発付するかどうかにつき裁量の自由を有しないと解されるから、法務大臣の右裁決が違法と認められれば、これに基づいてなされた右令書発付処分もまた当然に違法なものというべきである。
また、管理令二四条に該当する場合ではないのに、入国審査官においてこれに該当するとの認定をしたときは、その違法はこれを是認する特別審理官の判定、さらにこれに対する異議を棄却する法務大臣の裁決にも及びひいては一連の手続の最終段階においてなされる退去強制令書発付処分(同処分においては、先行処分たる法務大臣の裁決の当不当を判断する余地のないことは前記のとおりである。)もまたその違法を承継し、瑕疵のある処分といわざるを得ないのであり、しかも右の点を理由として右令書発付処分の取消しを求めることは、前記行政事件訴訟法一〇条二項による禁止に触れるものではないと解すべきである。
以上の次第であるから、請求原因第3項および第4項の主張は、本件裁決に関する違法事由としては判断のかぎりではないが、本件令書発付処分に関しては右主張を妨げられるものではないから、まず右主張の当否について判断する。
1昭和二七年法律第一二六号該当者に管理令が適用されるかどうかについて
昭和二七年法律第一二六号「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸法令の措置に関する法律」は、その二条六項において「日本国との平和条約の規定に基づき同条約の最初の効力発生の日において日本の国籍を離脱する者で、昭和二〇年九月二日以前からこの法律施行の日まで引き続き本邦に在留するもの(昭和二〇年九月三日からこの法律施行の日まで本邦で出生したその子を含む。)は、出入国管理令第二二条の二第一項の規定にかかわらず別に法律で定めるところによりその者の在留資格及び在留期間が決定されるまでの間、引き続き在留資格を有することなく本邦に在留することができる。」と規定するところ、原告は、前記認定のとおり、戦前から今日まで引き続いて日本に居住している朝鮮人であるから、右条項に該当する者であることが明らかである。
しかして、右条項は、在留資格と在留期間を在留の要件とする管理令の基本原則(同令四条、一九条参照)に対し、暫定措置としてではあるがその例外をなすものであるが、その文言自体からして日本国籍離脱者等に離脱等の日から六〇日間に限り在留資格なしに在留を認める同令二二条の二第一項の特則であるにすぎないことが明らかであつて、これを同令全体の特別法たる性格をもつものと解するべき特段の根拠はなく、また右条項該当者には同令二四条の適用が排除されると解する余地もないといわざるをえない。このことは、昭和四〇年に発効した「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」(いわゆる日韓条約)に伴い成立した「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定」がその五条において「第一条の規定に従い日本国で永住することを許可されている大韓民国国民は、出入国及び居住を含むすべての事項に関し、この協定で特に定める場合を除くほか、すべての外国人に同様に適用される日本国の法令の適用を受けることが確認される。」旨規定して永住許可を受けた大韓民国国民にも出入国管理令が適用されることを確認したうえ、その三条において「第一条の規定に従い日本国で永住することを許可されている大韓民国国民は、この協定の効力発生の日以後の行為により次のいずれかに該当することとなつた場合を除くほか、日本国から退去を強制されない。」旨規定して退去強制事由をを管理令二四条四号のそれよりも狭め、また、昭和四〇年法律第一四六号「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定の実施に伴う出入国管理特別法」もその七条において「第一条の許可を受けている者の出入国及び在留については、この法律に特別の規定があるもののほか、出入国管理令による。」とし、その六条において右協定三条と同様の規定をおき、右協定一条および右特別法一条に定める永住許可を受けた者についても、退去強制処分が発せられうることを前提として退去強制事由を管理令二四条のそれよりも限定していることからも明らかである。
この点に関し、原告は、同令が適用されないとの主張の根拠として、在日朝鮮人の地位、生活等に関する歴史的諸事情およびその居住権等につきるる主張するが、戦前から終戦時にかけて在日朝鮮人がおかれた特殊な地位に着目すれば、戦後外国人となつたこれらの在日朝鮮人の法的地位は一般外国人の場合とは必ずしも同一に論じられない面があることは否定できないしても、原告主張の事実から直ちに、日韓条約によつて日本国が承認した大韓民国の国民であつて前記昭和二七年法律第一二七号に該当する在日朝鮮人についても右にみたとおり退去強制がなされる場合があるとされていることとの撞着を度外視し、右法律第一二六号二条六項の文理を排して、右法律の適用を受ける者に対しては管理令の適用がなくおよそ退去強制をすることができないものと解することは到底できないといわなければならない。
2管理令二四条四号ルの解釈適用に誤りがあるか否かについて
原告は、まず第一に、同令二四条四号ルにいう不法入国を「助けた者」とは不法入国の幇助を業とするものまたはこれに準ずる程度に出入国管理行政に害を及ぼす危険性の高度のものを指すと主張するが、一般に、一定の行為の反復継続を要件とする場合は、「業」あるいは「業務」等の文言によりこれを表現するのが法文における通常の用法であるところ、同号ルにはそのような文言がないから、その文理からみて原告主張のようには解し難いのみならず、同号のイからヨまでの各退去強制事由、ことにルと同種の刑罰法令その他の法令違反者を対象としたヘからヌまでの各事由と比較においても、ルは、不法入国等を教唆または幇助する行為を出入国管理の根本目的に反する行為としてとくに重視し、有罪判決を受けたこと等の要件を設けずにこれを退去強制事由としたものであつて、原告主張のように一定の態様のもののみに限定したものとは解されないから、原告の右主張は採用することができない。
次に、原告は、同号ルは不法入国者と幇助者との間に親子、夫婦、兄弟姉妹等親族関係がある場合には、その適用を除外されると主張するが、これも同号ルの文理からも実質的な観点からも採ることができない。すなわち、原告の指摘する犯人蔵匿罪に関する刑法一〇五条、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法三条二項、財産犯に関する刑法二四四条等および証言拒絶権に関する刑事訴訟法一四七条、民事訴訟法二八〇条などの各規定は、いずれも親族間の人情に着眼し、当該犯罪の保護法益、態様等との関連において、立法政策上刑の免除なし軽減等の利益を与えうるのを相当とする場合につき特に設けられた例外的な規定であるから、このような効果は原則として明文のある場合にのみ認められると解すべきところ、管理令二四条四号ルについては右のような格別の規定はなく、また原告主張のような親族関係がある場合に右規定の適用を排除しなければ著しく親族間の情誼を軽視し、ないしは、前記各明文の存する場合との権衡を失するということもできないからである。
しかして、<証拠>によれば、原告は朝鮮在住の実弟柳乎烈の渡日の希望を実現させるため、昭和三九年初めころ、その方法につき、原告の友人兪黒等に相談したところ、同人から同人の弟で、日頃日韓を往復している兪道三を紹介され、同年四月ころ、同人に対し、自己において経費を負担するとの約束をしたうえ乎烈を船によつて渡日させることにつき一切を任せ、同時に乎烈に対しそのことを知らせたこと、乎烈が兪黒等の兄兪聖三とともに韓国船第一三東一号に船員として乗船し、同年九月九日神戸港に着いたので、原告は、これを出迎え、入国審査官の国許可を受けないで同人を脱船上陸させたこと、同人は、有効な旅券または乗員手帳を所持せずに不法に日本に入国したものであり、原告はこれを知りながら右のように同人を上陸させたこと、以上の事実を認めることができ、右事実によれば、原告の右行為が管理令二四条四号ルに該当することは明らかである。
3以上のとおりであつて、原告は昭和二七年法律第一二六号該当者であるけれども、これに管理令二四条を適用したことにつき原告主張のような違法はなく、また、同条四号ルの解釈適用にもその主張のような違法はないのであるから、本件令書発付処分が右各主張のごとき理由によつて違法な処分であると目することはできない。
三そこで次に、管理令五〇条にいう特別在留許可を与えなかつた被告法務大臣の判断が違法なものであるか否かについて判断する。
1原告の生いたちと本件令書発付処分がなされるまでの経緯
<証拠>によると、以下の事実を認めることができる。
(1) 原告は、大正九年三月一二日、朝鮮慶尚南道山清郡新安面新安里で出生し、八歳のとき地元の丹城公立普通学校(六年制小学校)に入学した。ところが当時の朝鮮における小学校教育は義務教育ではなく、貧しい小作農家であつた原告の実家は、その授業料の支払もままならない有様であつた。このため、原告の父は、朝鮮における生活に見切りをつけて単身で渡日した。原告は、右のような状況のもとで六年間の課程を終了したとき、朝鮮においてさらに上級の学校に入ることはとうていできないものと思い、日本にいる父のもとで中学校に入ることを期待して昭和八年五月一五日渡日した。
しかし日本における父の生活も極めて貧しく、原告は中学校入学の希望を実現できないままやむなく愛知県瀬戸市の瀬戸物工場で働くようになつたが、朝鮮人であるため日本人に比べて賃金が低く、長時間の重労働に耐えなければならなかつた。その間においても、原告は、官吏になる希望を抱いて約三年間普通文官試験受験のため通信教育を受けたが、やがて朝鮮人が日本で生きる道は商売しかないと思うようになり、三、四ケ所瀬戸物工場を転転した後独立して瀬戸物の行商や卸問屋を始め、生活もいくらか向上した。そして、しばらくは父および原告の後を追つて渡日した原告の母、妹および祖母さらにその後日本で出生した弟柳乎烈(通称柳沢烈、以下乎烈という。)とともに家族一緒に生活したが、やがて太平洋戦争が激しくなり、原告の家族は、昭和一九年に一家をあげて朝鮮に帰郷した。しかし、原告は、その前年に名古屋市の軍需工場に徴用されていたため帰郷することができず、一人日本に残つて終戦まで同工場で労働に従事した。
太平洋戦争の終結とともに徴用を解かれた原告は、同市において、友人と共同で建設会社および碍子等を製造する会社を設立したところ、当初両会社の営業は順調であつた。そして、昭和二四年には日本人である渋谷キシと結婚した。ところが、まもなく右二つの会社が倒産したため、原告は、妻の実家を頼つて新潟県三条市へ行き、知人の経営するパチンコ屋の手伝をするようになつた。しかし、ここでの生活は長続きせず、原告は妻とともに茨城県笠間、千葉県茂原等を転転とした後、昭和二七年ころ旭川市に移り住んだ。同市では、パチンコ屋を開き、営業は順調であつたが、やがて家主から営業を譲つてほしいといわれたので、原告は、これに応じて、昭和二八年ころ旭川を去つて小樽に移り住んだ。原告は、小樽においてもパチンコ屋を開いたところ、経営は順調に進み、そのころ渋谷キシとの間に長女純子が生れ、親子三人の生活が約三年間続いたが、昭和三一年火災に遭つて店の大半を焼失したため、小樽を去つた。次いで、原告は、知人を頼つて東京都隅田区や秋田県横手市等を転転とした後、ようやく昭和三四年八月ころに現在の住所である函館市に落ち着き約一〇年間にわたる流浪の生活に終わりを告げた。そして同市において、原告はパチンコ屋の経営のほかにパチンコ機械の販売をはじめるようになつたが、同年一〇月には在日朝鮮人総連合会函館支部に入り、昭和三八年には同支部委員長となつた。そして、同会の仕事が忙しくなるにつれて、パチンコ屋の経営を事実上妻に任せ、パチンコ機械の販売業も中止して現在に至つた。
なお、原告は、日本の敗戦によつて日本人としての地位を離脱し、旧外国人登録令の適用を受ける外国人となつたため、昭和二二年ころ外国人登録証明書の交付を受けたが、日本国との平和条約が発効した昭和二七年四月二八日以降本件令書発付処分がなされるまでの間(なお、右処分に関しては、札幌地方裁判所昭和四二年(行ク)第四号退去強制処分執行停止申立事件につき、同年七月一六日執行停止決定がなされている。)、前記昭和二七年法律第一二六号二条六項に基づいて日本における在留を許されていたものである。
(2) 原告は、昭和三八年の暮に朝鮮に居住する乎烈から学者になるため日本に留学したいとの希望を述べた手紙を受けとつた。乎烈は、昭和一三年に瀬戸市で出生し、前記のとおり同市で原告およびその家族と同居していたが、昭和一九年に原告の父母、妹および祖母とともに朝鮮に帰国した。そして、のち京城の高麗大学史学科を卒業し、日本の大学で勉強する希望を強く抱いていた。そこで、原告は、乎烈を来日させる方法について検討したところ、その当時日本と朝鮮との間に国交が樹立されていなかつたために合法的に乎烈を渡日させる方法がないことを知り、その旨を同人に伝えた。しかし、その後も同人からはたびたび同趣旨の手紙が届いたので、原告は、同人の来日の希望を何とか実現させようと思案していたところ、たまたま、昭和三九年初めころ、原告の友人で同業者である兪黒等(函館市在住)と会つて乎烈の渡日方法について相談をしたとき、黒等から、同人の弟兪道三が貿易船で日本と朝鮮との間を往復しているので、これを利用すれば乎烈を渡日させることができるかもしれない旨告げられ、さらに同年四月ころ、兪道三から電話で乎烈を日本に上陸させる方法はあるが費用として二〇万円ほどかかる旨連絡を受けた。そこで、原告は、乎烈の上陸を不法入国により実現させることも止むを得ないと考え、道三に対し、乎烈の渡日を援助してくれるように依頼するとともに、費用は必ず支払う旨告げ、他方、乎烈に対しては道三を紹介する手紙を書いた。その後道三や乎烈から別段の連絡はなかつたが同年九月上旬になつて突然乎烈から下関に到着したとの電話を受けたので、原告は直ちに函館を発つて、同月九日、神戸港に入港した船に乗つていた同人を出迎えた。原告は、乎烈を乗船させてきた兪黒等の兄兪聖三らから、乎烈が韓国船第一三東一号に船員として渡航してきたものであることを聞き知り、船員たちに対し、乎烈の入国が外部に漏れないように堅く口止めをしたうえ、入国審査官の上陸許可を受けないで同人を脱船上陸させ直ちに同人を連れて函館に帰り、自宅に同人をかくまつた。そして、原告は、手数料として乎聖三から要求された三〇万円を帰国後兪黒等を通じて聖三に送金した。
原告は、一時は、早い時期に兪烈の密入国を自首させることを考えたが、同人が北海道大学の大学院に入る等の素地を造つたうえで自首させる方が何らかの形で一時在留を認められる公算が大きいのではないかと期待し、同人が同大学院に入るまではできるだけ同人が人目に触れないようにとりはからい、同人を函館から札幌へ移住させる等して同人をかくまつていたところ、昭和四一年三月、同人が同大学院の入学試験に合格したのでようやく同人を自首させる気持になつた。ところが、同年四月初め、同人は、たまたま危篤状態にあつた原告のおじの病気見舞を兼ねて関西方面に旅行に出かけたところ、神戸の浜坂海岸において管理令違反の容疑で逮捕された。
原告は、同月一七日、商用で函館から東京へ向つたところ、羽田空港において逮捕され、その場で乎烈がすでに逮捕されていることをはじめて聞いた。
原告は、直ちに羽田から神戸に護送され、弁護人の選任も思うにまかせないまま犯人蔵匿罪の容疑で一三日間身柄を拘束された後、同月二九日、管理令違反の幇助罪で罰金五万円の略式命令を受け、同日釈放された。
原告は、右の刑の確定によつて前記行為に関する制裁措置はすべて終了したと思つていたところ、同年五月九日、神戸入国管理事務所の収容所に抑留中の乎烈に面会した際、同事務所において管理令二四条四号ル該当の疑いで取調べを受けた。その後、函館および札幌の各入国管理事務所においてて再三にわたり取調べがなされた結果、前記認定のとおりの経緯で本件裁決および本件令書発付処分がなされるにいたつた。
なお、乎烈は、逮捕されてから約一年数ケ月収容された後国外へ追放され、現在は朝鮮民主主義人民共和国において新聞記者をしている。
以上の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。
2裁量権の逸脱ないし濫用の有無
管理令四九条に基づく異議を棄却する旨の法務大臣の裁決は、同令五〇条に定める在留の特別許可をしない旨の処分でもあつて、これを許可しないことにつき何らかの違法が存する場合には、裁決は違法たるを免れないものであり、右の瑕疵を理由として裁決の取消しを求めることが行政事件訴訟法一〇条二項の禁止にふれるものではないことは、いずれも前述のとおりである。そして、管理令五〇条によれば、法務大臣は、当該容疑者が永住許可を受けているとき、かつて日本国民として本邦に本籍を有したことがあるとき、その他法務大臣が特別に在留を許可すべき事情認めるときのいずれかに該当するときは、その在留を特別に許可することができるものとされているのであつて、右規定の体裁自体からみても、また、他には右特別許可を与える場合の基準ないし要件を定めた規定が存しないことからしても、右特別許可を与えるかどうかは、法務大臣の自由な裁量に委ねられているものと解される。しかし、その裁量も全く無制限なものではなく、それが著しく人道に反するとか、甚しく正義の観念にもとるというような例外的な場合には、日本国憲法前文および一三条の趣旨に鑑み、裁量権の逸脱ないし濫用があつたものとして取消しの対象となるものといわなければならない。
これを本件についてみると、前記認定事実からすれば、原告は、もと日本の国籍を有し、朝鮮で小学校を卒業して間もない昭和八年に生活の手段を求めて、先に来日していた父の後を追つて来日し、爾来今日まで約四〇年もの長い間本邦に居住し、日本人と結婚してその間に一子をもうけ、戦前、戦争中および戦後を通じて日本の社会に融合し、自己の労働と能力によつて一家の生計を維持し、営営として今日の生活を築きあげてきたものであること、一方、原告がその実弟の不法入国を助けた行為が前記のとおり管理令二四条四号ルに該当するものであることは否定できないが、本件令書発付処分に先だち、原告の受けた前記管理令七〇条違反の幇助罪の刑罰は五万円の罰金であつて、これは、右犯罪につき、その法定刑として最高三年までの懲役または禁固刑が選択刑として規定されていることからみて必ずしも重い刑を受けたものとはいえず(同令七〇条一号、三条、刑法六三条参照)、むしろ、裁判所において管理令七〇条違反の罪としては比較的軽いものと評価されたことがこれによつて窺われること、また、原告の行為は、妻子等本来同居すべき家族の一員を呼び寄せた場合と異なるけれども、実弟の勉学の希望をかなえてやりたいという肉身の情から出たものであつて、営利目的や国益を害する目的から行なわれたものではなく、その幇助行為の態様も必ずしも悪質なものとはいえないこと、さらに、原告は渡日以来約四〇年もの間平穏に善良な市民として生活してきたものであつて、駐車違反等の軽微な法規違反行為が数回あつたほかは前科や非行歴も全くなく(これは<証拠>により認められる。)原告を従前どおり日本に居住させることにより、国益に害を与えるおそれがあるものと認め難いこと、他方、本件令書発付処分により原告が国外に追放されると、渡日以来約四〇年にわたって築きあげた原告の生活基盤が失なわれ、さらに、日本人である原告の妻との別居を余儀なくされることも考えられ、妻子の生存にも重大な影響を与えること、以上のように考察される。
右のような諸般の事情を考慮すれば、原告の右管理令違反行為に対して退去強制処分をもつてのぞむことは、原告の右違反行為によつて侵犯された法益が甚しく重大なものではなく、また今後、原告によつて同種の行為が反復されるおそれがあるわけではないのに比し、原告に対しては、長期間にわたつて築き上げた日本における安定した生活をいつきよに奪うものであつて、極めて苛酷な措置であり、甚しく正義の観念にもとり、人道にも反するものといわざるをえないから、ひつきよう、原告に対し管理令五〇条にいう特別在留許可を与えなかつた被告法務大臣の処分(裁決)には、その裁量の範囲を逸脱し、ないしは裁量権を濫用した違法があるものといわなければならない。
四結論
以上によれば、被告法務大臣が原告に対し、特別在留許可を与えることなく異議の申出を棄却した本件裁決は、その裁量の逸脱ないし濫用があるものとして取消しを免れず、また、右裁決に基づいてなされた被告主任審査官の本件令書発付処分も、前記のとおり右裁決の瑕疵を承継して違法であるからこれまた取消しを免れない。
よつて、右裁決および処分の各取消しを求める原告の本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(橘勝治 稲守孝夫 大和陽一郎)