札幌地方裁判所 昭和45年(行ウ)13号 判決 1976年7月30日
原告
白井新平
右訴訟代理人
堀口嘉平太
被告
北海道知事
堂垣内尚弘
右指定代理人
末永進
外四名
主文
本件訴えを却下する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
〔原告〕
被告が昭和四五年六月九日付日畜衛第四五号達をもつてした家畜の種類馬、名号ミスワンスター、性めす、年令一二才、毛色黒鹿毛、特徴額刺毛珠目正吭搦(以下「ミスワンスター号」という。)の殺処分命令を取り消す。
訴訟費用は、被告の負担とする。
〔被告〕
主文と同旨
第二 当事者の主張
〔本案前の抗弁〕
原告は、本訴において請求の趣旨掲記の本件殺処分命令の取消しを求めているが、その目的であるミスワンスター号は、本件殺処分命令に基づく昭和四五年七月一五日付畜産第一、二二九号代執行命令により、同日午後二時二五分、浦河町営食肉センターにおいて、既にと殺されている。したがつて、たとえ本件殺処分命令が取り消されたとしても、原告の所期の救済目的は、達成され得ない。もつとも、請求の成否は別として、原告が国に対して国家賠償法に基づく損害賠償請求の訴えを提起することも考えられるが、同法に基づく損害賠償請求権の成立要件である行政処分の違法性の有無に関する判断は、当該行政処分が形式上有効なものとして存続しているか否かによつて左右されるものではないから、原告としては、損害賠償請求の前提として本件殺処分命令の取消しを求めなければならないものではない(なお、原告は、本件に関連して損害賠償請求の訴え〔札幌地方裁判所昭和四五年(ワ)第一、一五一号事件〕を提起している。)。
原告には、本件殺処分命令の取消しを求める利益ないし必要性はなく、本件訴えは、却下されるべきである。
〔本案前の抗弁に対する原告の反論〕
本件殺処分命令が取り消されることにより、原告は、名誉、信用を回復することができる。また、本件殺処分命令が存在することにより、原告は、民事事件、刑事事件につき不利益な取扱いを受けるおそれがある。したがつて、原告には、本件殺処分命令の取消しを求める利益がある。
〔請求原因〕
一、被告は、昭和四五年六月九日付日畜衛第四五号達をもつて近藤杲に対し、家畜伝染病予防法(以下「予防法」という。)第一七条第一項の規定により、同人所有のミスワンスター号が馬伝染性貧血(以下「伝貧」という。)にかかつているとして、同月二二日までに右馬を殺すべき旨を命じた。
二、原告は、昭和四五年六月二〇日、近藤杲からミスワンスター号を譲り受けた。
三、本件殺処分命令には、次のとおりの取消事由がある。
1 予防法第一七条第一項は、知事は、家畜伝染病のまん延を防止するため必要があるときは、当該家畜を殺すべき旨を命ずることができると規定している。この殺処分は、同法第一六条のと殺の義務と異なり、知事の自由裁量によつて命ずるものである。伝貧の患畜とするかどうかを判定する規準は、同法施行規則別表第一に明示されているが、これに該当する兆候があるときは学理的に伝貧の可能性があるというにすぎず、実際には、隔離観察期間を置いて多角的な精密検査をしたうえ、その結果によつて知事が決定すべきである。それなのに、右別表第一所定の特殊検査をした直後である昭和四五年六月九日、患畜決定、隔離及び消毒の指示のみならず、被告は、殺処分を命じたのである。本件殺処分命令は、同法第一七条第一項の手続に違反している。
2 予防法第六一条によると、家畜保健衛生所長への事務の委任は、同条に列挙されている事項に限られており、同法第一七条の事項は、右委任事項の対象となつていない。それなのに、本件殺処分命令は、北海道日高家畜保健所長が独断で即時に決定したものである。
3 ミスワンスター号は、伝貧の症状が全くなくなり、伝貧がまん延する危険が皆無となつたので、殺処分を行なうべき必要性はなかつた。
四、よつて、原告は、本件殺処分命令の取消しを求める。
第三 証拠<略>
理由
本案前の抗弁につき判断するに、被告が本件殺処分を命じたことは、被告において明らかに争わないので自白したものとみなすべく、<証拠>によると、本件殺処分命令の目的であるミスワンスター号は、右命令に基づく昭和四五年七月一五日付畜産第一、二二九号代執行命令により、同日午後二時二五分、浦河町営食肉センターにおいて、既にと殺されていることが認められる。ところで、行政事件訴訟法第九条は、行政処分の取消しの訴えは、当該処分の取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者(処分の効果が期間の経過その他の理由によりなくなつた後においてもなお処分の取消しによつて回復すべき法律上の利益を有する者を含む。)に限り提起することができる旨規定しているが、取消訴訟における訴えの利益が認められるためには、係争処分の取消しを求める現実の必要が存在し、かつ、取消判決が得られれば所期の救済目的が達成される見込みのあることが必要である。本件においては、本件殺処分命令の目的であるミスワンスター号が代執行命令によつて既にと殺されてしまつており、もはや右馬が再び生き返ることは絶対に不可能であるから、たとえ将来右命令が取り消されたとしても、原告の所期の救済目的は達成されないことが明らかである。原告は、本件殺処分命令が取り消されることによつて原告の名誉、信用を回復することができると主張するが、殺処分命令は、家畜伝染病のまん延を防止するために発せられる命令であつて、制裁的な処分ではなく、通常、名誉、信用などの人格的利益を侵害する性質の命令ではないのみならず、仮に原告が特段の事情によつて違法な殺処分命令により自己の名誉、信用を侵害されたというのであれば、それを理由として名誉、信用の回復又は損害賠償を求める民事訴訟を提起すれば足り(なお、原告が本件に関連して損害賠償請求の訴え〔札幌地方裁判所昭和四五年(ワ)第一、一五一号事件〕を提起していることは、当裁判所に顕著な事実である。)、その場合、その原因となつた殺処分命令につき取消判決を得ておくことは、何らの必要もないのである。更に、原告は、本件殺処分命令が存在することによつて民事事件、刑事事件につき不利益な取扱いを受けるおそれがあると主張するが、予防法その他の法律の規定を検討してみても、将来法律上原告がその主張するような不利益な取扱いを受けるおそれがあることを是認し得る規定は存在しない。
そうすると、原告には、本件殺処分命令の取消しによつて回復すべき法律上の利益がなく、本件訴えは、不適法であるから却下することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(安達敬 星野雅紀 古川行男)