札幌地方裁判所 昭和45年(行ウ)8号 判決 1970年7月10日
原告 鄭文宗
被告 札幌法務局登記官
訴訟代理人 宍倉敏雄 外一名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「原告の札幌法務局昭和四五年四月二一日受付第二七五七一号相続による所有権移転登記申請について、被告が同月二二日付でした却下決定を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因としてつぎのように述べた。
1 原告(国籍朝鮮)は昭和四五年四月二一日札幌法務局に対し、父であつた亡大山茂こと鄭享振(死亡当時の国籍朝鮮)所有名義の不動産について、相続による所有権移転登記申請をした。
2 原告は、右登記申請書に鄭享振の死亡診断書、原告とその法定代理人金正守(国籍韓国)の外国人登録済証明書、委任状、遺産分割協議書、印鑑証明書を添付したが、右遺産分割協議書には、原告が鄭享振の遺産全部を取得し、ただ一人の共同相続人である母金正守は何物も取得しない趣旨の記載がある。
3 ところが被告は、同月二二日「親権者と未成年の子が遺産分割の協議をするにあたつては、子のための特別代理人の選任が必要であるところ、これが選任されたことを証する書面の添付がない。」との理由を付した決定で原告の右登記申請を却下した。
4 被告のした右却下決定は、以下の理由によつて違法である。
民法八二六条は、親権者と未成年の子との利益相反行為についてはその子のために特別代理人を選任しなければならないと定めているが、その趣旨とするところは、行為能力のない未成年者が不利益をこうむることのないようにするためのものであるから、未成年者に不利益をおよぼすことのないことが明らかである場合は、利益相反行為とならないために特別代理人の選任は不要であるといわねばならない。これは判例も認めるところである(大審院昭和六年一一月二四日判決)。
ところで、原告と親権者金正存との間の本件遺産分割の協議は、前記のような内容のものであつて子である原告には何らの不利益を与えるものではないから、原告のための特別代理人の選任は不要である。それにもかかわらず、これが必要であることを前提としてなされた前記却下決定には法の解釈を誤つた違法があるといわなければならない。
5 よつて原告は、右違法な却下決定の取消しを求める。
被告指定代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁および主張としてつぎのように述べた。
1 請求原因1ないし3の事実は認め、同4の主張は争う。
2 被告が原告の登記申請を却下した日時およびその理由は、原告主張のとおりであるが、右処分は、以下の理由によつて適法なものである。
本件に適用される韓国民法九二一条は、親権者と未成年の子との間の利益相反行為について日本民法八二六条と同趣旨の特別代理人の選任を要する旨規定しているが、その立法趣旨は、いうまでもなく親権の濫用防止、未成年の子の利益の保護にある。したがつて、利益相反行為であるかどうかは右規定の趣旨に照らしてその行為の外形で決すべきであつて、親権者の意図やその行為の実質的な効果を問題とすべきではない。
遺産分割協議は、相続人が相続分にもとづいて遺産を共同相続人間に分属させる手続であつて、いかなる分割方法をとることも可能である。したがつて、未成年の子とその法定代理人が共同相続人であるときは、遺産分割協議という行為の外形上親権が濫用されるおそれがあるので、最終的にいかなる協議がととのうかにかかわらず未成年の子については特別代理人の選任を要するものと解すべきである。
理由
一 請求原因1ないし3の事実は当事者間に争いがない。
二 そこで、本件却下処分の適否について判断する。
1 不動産登記法四一条は、相続登記申請書の添付書面として「相続を証すべき書面」を掲げているが、共同相続人が遺産分割の協議によつて相続不動産の所有者となつた場合には、その遺産分割協議書が右の「相続を証する書面」の一つになることは疑いがない。
2 ところで、遺産分割の協議は、共同相続人がたがいに意見を交換して個々の相続財産を相続人に分属させる合意をしようとするものであるから、その性質上共同相続人間の利害は対立する。したがつて、共同相続人が未成年の子とその親権者である場合には、その間でされる遺産分割の協議は、わが民法八二六条の規定にいわゆる親権者とその子との利益相反行為に当たるから、同条によつて子のために特別代理人を選任しなければならない。そうすると、共同相続人である未成年の子とその親権者との間の遺産分割協議によつてする相続登記の申請書に、前記遺産分割協議書とともに子のための特別代理人の選任を証する書面を添付すべき必要性も十分これを是認することができるのである。そしてこの結論は、遺産分割の協議によつて遺産の全部が未成年の子に帰属するに至つた場合にも左右されるものではないと解される。けだし、遺産の全部が未成年の子に帰属したことはあくまでも協議の結果であるうえ、相続登記手続において登記官は、まず申請書に添付すべき書面が添付されているかどうかを形式的に審査すべきものであつて、申請人が遺産分割協議の結果当該不動産の権利を取得した旨の記載があるかどうかの審査は二次的なものであるところ、この二次的審査の際に知りうる事情によつて添付書面の要否が決せられるとするのも適当なことではないからである。
3 外国人がわが国に所在する不動産についてする相続登記手続は、法例一〇条の規定によつてわが不動産登記法に従うべきものである。ただ、外国人の場合には、その相続や親子間の法律関係その他の準拠法によつて、前記の「相続を証する書面」が一様でないことはいうまでもない。しかしながら、本件のように未成年の子とその親権者が共同相続人であつて、在日不動産を含む相続財産について遺産分割の協議をしたことがすでに前提事実とされ、この前提に立つて遺産分割の協議に子のための特別代理人の選任が必要かどうかの点だけが問題とされている場合には、もしも当事者の準拠法によつてその選任が必要とされるならば、登記申請書にその選任を証する書面を添付すべきことは、内国人の場合と異るところはない。
ところで、親子間の利益相反行為についての特別代理人の選任は、親子間の法律関係の性質をもつものと解されるから、本件の場合は、法例二〇条の規定によつて原告の親権者金正守の本国法である韓国民法が適用される。そして、同法九二一条一項は、「法定代理人である親権者とその子の間の利害相反する行為については、親権者は、法院に、その子のために特別代理人の選任を請求しなければならない。」と定めて、わが民法八二六条一項と全く同趣旨の規定を置いている。しかも、遺産分割の協議がその結果如何にかかわらず未成年の子とその親権者にとつて利益相反行為に当たることは前述のとおりであるから、原告は、本件の登記申請書に特別代理人の選任を証する書面を添付すべきものといわなければならない。(原告が援用する判例は、親権者から子に対する贈与に関するもので本件に適切ではない。)
4 ところが、原告が本件の登記申請書に右書面を添付しなかつたことは原告の自陳するところである。そうすると、被告が不動産登記法四九条八号の規定に従い、本件登記申請書に特別代理人の選任を証する書面が添付されていない旨の理由を付した決定で原告の登記申請を却下した処分には何らの違法もない。
三 以上によつて原告の本訴請求は理由がないからこれを失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 羽石大 福島重雄 石川善則)