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札幌地方裁判所 昭和53年(ワ)252号 1981年5月08日

原告

日比英義

右訴訟代理人弁護士

新川晴美

被告

北海道中央バス株式会社

右代表者代表取締役

中島秀雄

右訴訟代理人弁護士

田村誠一

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金一、六五〇万円及び内金一、五〇〇万円に対する昭和四九年一〇月二一日から右完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告は被告に対し、労働契約に基づく権利を有することを確認する。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第1項につき仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

〔損害賠償〕

1 原告は、昭和二二年四月、被告の職員として採用され、昭和四二年三月頃から被告の滝川営業所赤平ターミナルに車輛整備管理者として勤務した。

2 原告は、昭和四八年頃から血圧が高く(重いときで一七〇)、その治療のため赤平市内の病院に通院していたが、次のとおりの激務のため疲労が蓄積し、かつ、右ターミナル主任尾北精一による強引な転勤勧告により、昭和四九年一〇月二一日(当時四三才)突然昏倒するに至り、脳硬塞による右片及び右顔面神経まひの傷害を受けた。

(一) 昭和四二年四月一日から昭和四九年五月一九日までの原告の勤務状態

右期間、赤平ターミナルには車輛整備担当者が原告を含めて二名常駐し、早番(午前五時三〇分から午後三時三〇分まで)と遅番(午後三時三〇分から午後九時三〇分まで)に分れて勤務し、相互に勤務時間を調整しうる状態となっていた。

(二) 昭和四九年五月二〇日から右傷害時までの原告の勤務状態

(1) 昭和四九年五月一九日に一名の車輛整備員が転勤となり、代わって一名が補充されたが、この者は用務員(赤平ターミナル全般に亘っての雑役担当)であり車輛整備者としての資格もなく、また脳卒中後遺症をもつ年配者(当時四七才)のため車輛整備作業には不適で実質的には原告一人で処理していた。

(2) 原告は、右期間、赤平ターミナルと近接する場所に社宅を与えられ、早番を原則的勤務としていたが、午後三時三〇分以降に故障車輛が生じた際は遅番も勤めなければならず、午前五時三〇分から午後九時三〇分までの勤務が常態化していた。

(3) 原告の右期間における整備車輛台数は、一二輛であるが、赤平ターミナルは滝川と歌志内との間で国道三八号線に面して所在している関係から右一二輛以外の故障車も修理、整備に立寄り、その車輛数は一日に二〇台を下らない状態であった。

(三) 坂口所長の転勤勧告の状態

坂口所長は、昭和四九年一〇月一八日、原告に対し、突然滝川営業所の車輛整備担当への転勤を内示したが、原告は、右転勤先は勤務時間は短いが整備台数も多く身体がついていけないこと及び赤平市内には長期間かかりつけた医師がおり転勤は避けたい旨回答したところ、坂口所長は、同月二一日までに返事をし、同月三一日までには単身でも滝川営業所に赴任するよう転勤を確定的に申し渡した。

これにより、原告は悩みつづけているうちに同月二一日になって突然昏倒するに至った。

(四) 原告の右傷害は、北海道労働基準局滝川労働基準監督署の調査により、早朝長時間勤務による過労が原因であるとして昭和五〇年三月ころ、労災保険の業務災害認定(労災保険障害等級第三級)がなされた。

3 (被告の義務の存在及びその不履行)

被告は使用者として被用者の健康管理を行うとともに、状況に応じ軽作業への配置転換や人員補充等により作業軽減措置を講ずる労働安全配慮義務がある。

原告の右傷害は、次のとおり、被告の右義務違反(尾北精一主任及び坂口滝川営業所長の管理不手際)から生じたものである。

(一) 坂口所長は赤平ターミナルの労務管理を行い、尾北主任は原告の上司であって、原告の激務を知っていながら放置し、かつ、意にそわない転勤を強要した。

(二) 右両名は、原告が長期間高血圧症に悩まされ、通院を要する程度に至っていることを定期健康診断を行った原告担当医師から報告を受けていたのに原告の勤務改善に努めなかった。

(三) 原告の右状態からすると、軽作業への配置転換や人員補充によって作業による過労を軽減する措置を必要とすることは就業を禁止する労働安全衛生規則六一条をみると明らかである。また、右被告の管理不手際は労働安全衛生法六六条六項違反でもある。

4 原告は、被告の右債務不履行により別紙計算書のとおりの損害を被った。

なお、後遺症慰藉料算定に関する事情は次のとおりである。

原告の障害の程度の他、原告は、既に二級ガソリン自動車整備技術講習修了、三級自動車シャシ整備士の資格及びガス溶接技能講習を修了して、自動車整備工場を自営できる資格を有しており、かつ、二〇年間自動車運転無事故記録を有しているから個人タクシーを自営できたものであって、本件事故がなければ、相当の収益をあげうる事情にあった。

〔地位確認〕

5 原告は、前述のように被告の従業員として雇用されていたが、被告は、昭和五二年一〇月二二日原告を解雇したとして以後原告を被告の従業員として取扱わない。

6 よって、原告は被告に対し、昭和五二年一〇月二二日に被告から原告に退職慰労金名下で交付された五六三万三、四九三円を右損害賠償請求金債権の内金として控除し、その残額の内金として一六五〇万円及びその内金一、五〇〇万円に対し、原告昏倒の日である昭和四九年一〇月二一日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるとともに、原告が被告に対し、労働契約に基づく権利を有することの確認を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求原因1記載の事実中採用の年月を争いその余は認める。被告が原告を採用したのは昭和二三年五月二一日である。

2(一)  請求原因2冒頭記載の事実中原告は昭和四八年頃から血圧が高く(重いときで一七〇)その治療のため赤平市内の病院に通院していたことは不知、昭和四九年一〇月二一日倒れたことのある事実は認めるがその余は否認する。

(二)  同2の(一)記載の事実中原告が赤平ターミナルに勤務していた期間及び早番、遅番の時間の点を争いその余は認める。

原告が赤平ターミナルに勤務していたのは昭和四二年三月二一日から昭和四九年六月一日迄であり、早番の時刻は午前五時四〇分から午後三時二〇分まで、遅番は午前一一時から午後九時までである。

(三)  同2の(二)の(1)記載の事実中一名の車輛整備員の転勤になった日時及び用務員の仕事の内容の点を争い、車輛整備員に代わって一名の用務員が補充されたことその者は車輛整備員としての資格のないことは認めるがその余は否認する。

一名の車輛整備員が転勤になった日時は昭和四九年六月二日であり、用務員の仕事は赤平ターミナル全般に亘っての雑役担当でなく車庫だけの雑役担当でその用務員は訴外渡部豊一であり、年令は四五才で健康体で元気で勤務していたもので原告の主張は全く出たらめである。

(四)  同2の(二)の(2)記載の事実中原告が右期間中赤平ターミナルと近接する場所に社宅を与えられ、早番を原則的勤務としていたことは認めるがその余は否認する。

(五)  同2の(二)の(3)記載の事実中原告の右期間における整備車輛台数の点を争い、赤平ターミナルは滝川と歌志内との間で国道三八号線に面して所在していることは認めるがその余は否認する。

整備車輛台数(配置車輛の意味と解する)は一二輛でなく一〇輛である。

3  同2の(三)記載の事実中原告が昭和四九年一〇月二一日倒れたことは認めるがその余は否認する。

但し坂口所長が同月一八日原告に対し滝川営業所の整備管理者としての転勤を内示したことはある。

4  同2の(四)記載の事実中昭和五〇年三月頃労災保険の業務災害認定(労災保険障害等級第三級)がなされたことは認めるがその余は不知。被告としては右認定に疑問があったが使用者側には不服申立の道がないので業務災害として取扱ったものである。

5(一)同3につき被告に、使用者としての労働安全配慮義務のあることは認める。

(二)  同3の(一)記載の事実中坂口所長は赤平ターミナルの労務管理を行い、尾北主任は原告の上司であったことは認めるがその余は否定する。

(三)  同3の(二)記載の事実は否認する。

(四)  同3の(三)は否認する。

昭和四七年基発第六〇一号労働省労働基準局長より都道府県労働基準局長宛の通牒によれば労働安全衛生規則六一条一項三号は心臓、腎臓、肺等の疾病にかかりその病勢増進(たとえば体動により息ぎれ、浮腫、チアノーゼ、高度の発熱、意識喪失等の病状が容易に発現する程度の心、血管、腎、肺、及び気管支、肝等の病患にかかっていること)が明らかであるため労働することが不適当であると認められた者をいうものであることとされており、原告はそれには該当しないものであった。

なお、原告の最終診療日の血圧値は一四〇―八四mmHgであったから正常であったし、原告の仕事は軽微のものであったから原告主張の如き配置転換等の必要は毛頭なかった。

6  同4記載の事実は争う。

仮に原告が損害を被ったとしても被告は原告に対し過酷な労働を為さしめた事もなく、労務管理において被告に何ら不手際等なかったのであるから被告には原告に対し損害賠償を為すべき義務はない。即ち原告が赤平ターミナルにおいて一人勤務となってから定期点検及び故障車輛の修理は滝川において行うようになり、赤平においては仕業点検の立会と小修理だけを行い、車庫に関連する雑用は用務員が行っていたもので、赤平ターミナルに何かあれば滝川と連絡対処する事になっており、原告の仕事は骨の折れるものではなく軽微のものであり勤務時間もそう長くなく従って原告主張の如く労働過重となるような勤務ではなかったものである。又、被告が原告を滝川に勤務するよう内示したのは赤平ターミナルにおける原告の勤務状態が良くなかったので滝川において再教育をする必要があると認めた為である。

被告は原告に対し定期健康診断を受けさせており、勤務可との診断であったのでその点も配慮の上前記の如き軽微の仕事に勤務させていたもので労務管理に欠けるところはない。

原告が二級ガソリン自動車整備技術講習修了、三級自動車シャシ整備士の資格及びガス溶接技能講習を修了しておること、二〇年間自動車無事故記録を有していることは認めるがその余は否認する。

原告は自動車整備工場を自営できる資格を有していない。なぜならば、道路運送車輛法七九条及び八五条によれば自動車分解整備事業の認証を受けようとするときは検査主任者を選任しなければならないが、検査主任者の資格要件は同法八六条及び同法施行規則五九条により一級又は二級の自動車整備士の技能検定に合格したことを要するところ、原告は未だ二級整備士の技能検定には合格していないので、右の資格要件を欠いているからである。

又、原告は個人タクシーを自営できるような資格は有していない。なぜならば一人一車制個人タクシーの資格要件に関する昭和五〇年一一月一八日付札幌陸運局公示第二四号によれば、個人タクシーの資格要件は自動車の運転を専ら職業とした期間が申請日前三年以内に二年以上必要とされているが、原告は昭和三八年三月二一日付で副整備管理者に発令され、以降運転には従事していなかったのであるから、右個人タクシーの資格要件を欠いているからである。

7  同5の事実は認める。

8  同6は争う。

三  被告の主張(抗弁)

1  解雇事由について

(一) 昭和五二年九月一二日被告は、原告を同年一〇月二一日付で休職期間満了により解雇する旨通報した。

(二) 原告を解雇したのは就業規則三九条四項所定の休職期間が満了したときは原則として自然解雇となる規定を適用したものであって右解雇は正当である。

被告は就業規則三八条一項二号により、昭和四九年一〇月二一日業務上による傷病により原告が療養のため欠勤し以後九か月を経過しなお休務加療を必要とするときと認め、昭和五〇年七月二二日原告を休職とした。右休職期間は、同規則三九条一項一号において、業務上の場合は被告が労働基準法に定める打切補償を行うときまでと定められている。そして、原告は昭和五二年五月一日から傷病補償年金を受け、右業務上の疾病による療養開始後三年を経過した同年一〇月二一日に右年金を受けていたので労働者災害補償保険法一九条により労働基準法八一条の打切補償を支払ったものとみなされる。従って、療養開始後三年を経過した昭和五二年一〇月二一日を以って原告の休職期間は満了した。

2  解雇の承認について

昭和五二年九月一二日被告は原告を昭和五二年一〇月二一日付で休職期間満了により解雇する旨通報し、その際に原告に退職慰労金等の支払方法を聞いたところ銀行振込みで良いとの返事を得たが、被告は現金で持参する旨伝え同年一〇月二四日被告会社空知事業部副部長高橋繁一が訴外熊谷賢と一緒に原告宅を訪問し原告に現金で慰労金等を手渡し、原告は異議なく之を受領し、解雇を承認した。そして同月三一日には原告は右高橋宛に御足労戴き有難うございましたという手紙を寄越している。

四  被告の主張について

1(一)  被告の主張1(一)の事実は否認する。

(二)  同1(二)の事実中、被告は就業規則三八条一項二号により、昭和四九年一〇月二一日業務上の傷病により原告が療養のため欠勤し以後九か月を経過しなお休務加療を必要とするときと認め、昭和五〇年七月二二日原告を休職としたこと及び原告は昭和五二年五月一日から傷病補償年金を受けていた事実は認め、解雇の正当理由については否認する。

(三)  同2の事実について

九月一二日の解雇通報のあったこと、退職慰労金等の支払方法を聞かれたことは否認し、一〇月二四日、高橋副部長及び熊谷労働組合支部長が原告宅に来宅し、退職慰労金等を置いて行ったことは認める。

その際、原告は、このように退職するのでは解決にならない、医師からリハビリ就労した方が身体の回復も早いとの診断書も出ており事務職にでも就きたい、四月ころの暖い時期になれば十分作業は勤まる、上司に検討してもらって欲しい旨話したところ、高橋副部長は、自分一存では即答できない、会社に戻って相談する旨返答して帰った。その後、一週間位経過した後、高橋副部長は、電話で「先例がないので認められない」と回答して来たのである。

原告が右退職金を受領したのは、被告職員の押付けであり、又休業期間延長を示唆したが故になされたものである。

又原告が被告に対して謝意を表したのは、わざわざ原告宅に来宅されたことに対してなしたものにすぎない。

以上のとおり原告が解雇を承認したことはない。

五  再抗弁

(解雇に対する権利濫用の主張)

1 被告は、原告の療養開始後、三年目の到来日に解雇をなした。これは、労働基準法一九条一項による解雇制限を意識し右所定期間を経過した以上理由、事情を問わず解雇してしまおうとする方針により行ったものである。しかしながら、労働基準法一九条の解雇制限は所定期間内の解雇を無効とするのみで、右所定期間を経過したからといっていかなる理由によっても解雇を行ってよい旨を定めたものではなく右所定期間を経過した後の解雇についても、一般の解雇に関する原則(解雇の合理性、相当事由の存在)が適用されるものである。

2 原告の本件障害は、被告会社による過酷な労働の強要という重大な債務不履行によって発生したものであり、いわゆる有責労災である。これによって原告は多大の損害を被っており、被告は原告を解雇するまでの間何らの損害賠償措置を講じていない。

3 更に、原告は本件障害は、昭和五二年一月頃にはすでに固定状態に入り、その対策としては、自宅におけるリハビリテーションの他職場における軽作業従事が望ましい状態となっていたため原告は、右解雇通告時点で被告会社に対し、休職期間の延長と就労機会の付与を強く要請していたのであるが、被告は就業規則三九条所定の延長を考慮しなかった。

4 右の事情の下で使用者が労働者を有効に解雇するには、<1>労働者に対する相当の損害賠償措置を講じ、<2>休職期間を相当期間延長して職場復帰の時期を十分に検討(医師に質し)し、<3>直ちに職場復帰が可能な場合には、障害の程度に見合った職種を選定して労働者に就労するか否かの選択の機会を与える等の措置を講ずることが必要であると解すべきである(就業規則の趣旨もこれに合する)。これに反して、<2>ないし<3>の要件を欠いても解雇を有効とするには、被告会社においてかかる機会の付与が不可能である事情の存する場合に限ると解すべきである。

右の有効要件中<1>の必要性は、労使の実質的な利害の比較衡量からいっても、また、労働基準法の制度趣旨からいっても妥当な結論となるはずである。即ち、労働基準法一九条は、療養期間三年の満了プラス三〇日間を解雇制限期間としたが、右三〇日間は転職努力期間として設けられたものであるし、右解雇制限の例外たる打切補償制度は被災労働者の解雇後の生活安定が確保されたことによる制限解除である。しかしながら現在の労災保険の傷病補償年金は打切補償の一、二〇〇日分と比較してあまりにも低額であって被災労働者の生活安定は確保されたとはいえない事情にある。このような事情の下では、使用者の有責による労働災害の場合に損害賠償の措置を講ぜずに解雇すれば、被災労働者は生活の安定も転職の機会もなく放置されることになる。従って、使用者が相当の損害賠償を行わない以上解雇権の行使自体も制限を受けることになると解すべきである。

又、右有効要件中<2>ないし<3>の必要性は、継続的な労働契約の信義則から導かれる。即ち、有責使用者は、自らの責任において軽作業労働の機会を付与すべきであって(じん肺法二一条参照)、その可能性がある以上たとえ解雇制限期間が経過したとしても解雇をなしえないものと解すべきである。

六  再抗弁に対する被告の主張

原告は社宅があるにも拘らず被告に事前に相談なく札幌市で療養するといって住居を移動した。そしてその後札幌市内に自宅を新築した。被告の職員が原告宅にしばしば見舞に赴いた際にも原告より復職の申出がなかったので休職期間を延長すべき事情はないと認め休職期間満了となった場合には原則として解雇するという就業規則三九条四項に基づき休職期間が満了したので解雇を行ったもので、本件解雇は権利濫用となるものではない。

第三証拠(略)

理由

一  損害賠償について

1  当事者間に争いのない事実

原告が昭和二二、三年頃被告の従業員として採用され、昭和四二年三月頃から被告の滝川営業所赤平ターミナルに車輛整備管理者として勤務していたが、昭和四九年一〇月二一日に倒れたことは当事者間に争いがない。

2  原告の本件傷害に至るまでの経過

(証拠略)を総合すると次の事実が認められる。

(一)  原告の既存疾病

原告(昭和五年四月七日生)は、昭和四八年二月一六日、左胸部圧迫感等があったため赤平市内の沼田内科医院において診察を受け、高血圧症と診断された。血圧は一七〇~一一〇mmHgであったが同年四月一二日までの通院加療により一三〇~八〇mmHg迄降圧した。又、原告は、被告の健康診断を同月一一日右医院医師により受けたがやはり高血圧症で要加療であった。しかし、右医院は原告勤務の車庫及び社宅から遠いため、近くの相馬病院(同病院には昭和四三年五月頃高血圧症で通院したことがある)に通うことにし同症の治療を昭和四九年一〇月四日まで受けた。原告の血圧は右の期間変動し、常に加療により下降し、正常値となった。右最終診療日には一四〇~八四mmHgであり、頭痛・頭重・肩凝り等の症状があった。その後はどこの病院にも通院していない。そのためもあってか原告は同月一五日頃身体がふらふらっとした異常を感じたことがある。

なお、原告は昭和四八年九月三日には市立赤平総合病院で高血圧症等の検査を受けたこともあり、昭和四九年三月六日には被告の定期健康診断で前示沼田医師より高血圧症(血圧値一四〇~九〇mmHg)で要加療の診断を受けている。被告の健康診断は運転部門以外では毎年一回であったが、原告は、特別に秋の健康診断も受けている。

(二)  原告の勤務内容等

(1) 原告は昭和二三年被告に入社し、約半年間助手として、その後は運転手として勤務していたが、昭和四〇年被告砂川営業所で副整備管理者となって整備に従事し、翌四一年には滝川営業所で運行管理者となった。昭和四二年三月二一日赤平ターミナルに整備管理者として赴任した。

(2) 同ターミナルは滝川と歌志内との間で国道三八号線に面しており、原告の社宅は右ターミナルの車庫と隣接していた。同ターミナルには車輛整備担当者として整備管理者の原告のほか整備員一名が配置されているのみであった。勤務には早番勤務(五時四〇分から一五時二〇分まで)と遅番勤務(一一時から二一時まで)があり、右両名は早番と遅番を交互に繰返していたが、一名が欠勤の場合には他の一名が残業して勤務したり、予備の乗務員が代わっていたこともあった。昭和四二、三年頃は道路事情が悪く故障も多かったため、勤務時間外の車輛の修理は多かった。特にタイヤ、ブレーキ等の取替作業は大変であり、運転手等にも手伝ってもらっていた。また、原告は冬には早朝からスコップで車庫前の除雪もしていた。

右赤平ターミナルは道路運送車輛法に定められたいわゆる認証工場であったが、昭和四九年四月五日これが廃止されたため、従前原告らも行っていた自動車の重要保安部分の分解整備、車輛台帳の記帳、車輛日報の作成等の業務は滝川営業所に移管され、原告らの行うべき業務は、日常点検や小修理が主となった。認証工場廃止に伴ない、同年六月二日には整備員一名が滝川営業所に転勤となり、用務員が一名補充されたものの整備員の補充はなく、原告が一人で整備に従事することとなった。そのため原告は、従前の早番勤務を原則として行い午前五時半頃出勤し、車庫のシャッター八枚を上げ、事務所を開け、乗務員の点検用紙を机上に置き、七時四五分頃まで同ターミナルに配車されていた一〇台のバスの仕業点検に立会っていた。その後仕業点検表を整理し作業状況日報を書いたり朝食等をとったりして待機していた。路線バスに故障車が出ると修理していたが、パンク修理やタイヤ取換等はもちろん、ブレーキ修理やクラッチオイルの補給等もしばしば行った。その他週に一、二度用務員を連れて路線バスの停留所と待合所の清掃に車で行っていた。三時半頃まで右のような仕事に従事していたが、残業で遅くなったこともある。しかし、認証工場廃止に伴ない新車七台が配置されたため大きな故障は減った。

原告は、昭和四九年六月には五日間、七月五日間、八月六日間、九月八日間(そのうち三日間は子供出産のため)の休暇を、一〇月は二一日に倒れるまでに五日間の休暇をとっている。そして原告が休みの日には運転手班長が原告を代行して右点検等の業務を行っていた。

(三)  被告の転勤命令等

昭和四九年一〇月一九日被告滝川営業所長坂口は、永井整備主任と共に原告のところに出向き、原告に対し滝川営業所の整備管理者として転勤するよう内示した。これに対し、原告は「血圧が高いし、心臓も具合悪い、もう少し赤平の病院に通わせてくれ」と要望を述べたが、右所長から「君は、赤平に相当長く勤務しているし、血圧の高いのは承知しているが滝川にも良い医者はいる。また滝川には整備管理者が四名もいるので病院へ行くにも余裕があるから、遅くとも一〇月末までに滝川に行ってくれ。」と言われ、受けいれられなかった。その後永井主任に通い慣れた赤平の病院に通いたい旨いろいろ話したが、右所長に取りついでもらえなかった。なお、滝川営業所には四名の整備管理者がおり、早番、中番、遅番の交代制が採用されていた。

(四)  原告の傷害

原告は、昭和四九年一〇月二一日早朝出勤して車の点検等の仕事を終えた後、一旦社宅に帰り朝食を食べ終えた八時四五分頃右社宅で昏倒した。そして往診した佐々木医師により応急治療を受けたところ、血圧が高く(二一〇~一一〇mmHg)、一過性脳虚血発作、顔面神経不全麻痺と診断された。そこで翌二二日から昭和五〇年四月二一日まで市立赤平総合病院に入院して治療を受け、脳硬塞、右片、右顔面神経麻痺で外来通院、リハビリテーション実施との同病院からの紹介状をもらい博愛病院に同月一〇日から通院した。右病院の初診時には血圧は一四〇~八〇mmHgで右上下肢に軽度のしびれ感があり、特に運動障害、運動制限は認められなかった。そして昭和五一年一月二八日には同病院医師から脳硬塞の症状は固定したとの診断を受けた。しかし、原告は右病院での治療が気に入らず、札幌に住居を移したこともあって同年七月一日から勤医協札幌病院整形外科に通院を始めた。初診時には右半身しびれ、冷感、右手巧微動作拙劣、右上・下肢の反射亢進、右半身知覚鈍麻の脳卒中後遺症があるとの診断を受け、高血圧降圧剤を飲みながら自宅で機能訓練をした。昭和五二年一〇月三日には同病院医師から右上肢の巧微動作が不自由なために自動車整備は困難で、労働に高度の制限を必要とすると診断された。現在は重い物を持つ等の作業はできないけれども軽作業の勤務はできる状態である。

なお、滝川労働基準監督署は、昭和五〇年三月頃原告の右傷害に対し業務起因性を認め、労災認定をし、昭和五三年五月一五日には、昭和五二年一〇月三一日から障害補障年金の支給をする旨決定した。

以上の事実が認められ、前記証拠中右認定に抵触する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

3  被告の責任

以上の認定事実に基づいて、原告の主張について判断する。

(一)  まず、原告は、坂口滝川営業所長らが、原告の激務を知っていながら放置したと主張する。

なるほど、前示認定のとおり、赤平ターミナルでの原告の勤務内容は、昭和四九年六月二日に整備員一名が滝川営業所に転勤したため、原告は朝五時半頃からの早番勤務を連日繰返し一人で車輛の点検や修理を行わざるをえなくなってその点で苦しくなったことは認められるけれども、これは赤平ターミナルのいわゆる認証工場廃止に伴なうもので、そのため自動車の重要保安部分等の分解整備や車輛台帳の記帳等の業務が滝川営業所に移管され原告は、仕業点検や小修理を主とする勤務に軽減されているうえ、車輛の仕業点検自体は簡単で、バス停留所の清掃も用務員が補充されていること、また、休暇は月五回以上とっていることを考えると、原告の傷害前の業務は必ずしも激務であったとは認められない。なお、原告は激務であった旨供述(第一回)するが、原告は認証工場廃止前とその後の勤務状況を混同して記憶しているため残業等の日時に曖昧な点が多く右供述は措信できず、また、(証拠略)は原告本人尋問(第二回)の結果によれば原告以外の者がした修理も記入されていることが認められ不正確であって採用できない。他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

従って、坂口所長らが原告の激務を知っていながらこれを放置した違法があるとすることもできないから、右主張は理由がないといわなければならない。

(二)  次に、原告は、坂口所長らに意にそわない転勤を強要された旨主張する。

しかし、原告の赤平ターミナルでの勤務年数は約七年半で長いうえ、転勤先の滝川にも病院はあり、滝川営業所には原告と同様の整備管理者が四名いて早番のみではなく中番、遅番があり、病院へ行く余裕も認められるから右転勤命令自体に特に不合理な点はないと解するのが相当である。従って、坂口所長らが原告の意にそわない転勤命令に従うよう説得したとしても、その故をもって右所長らに労務担当者として何らかの管理義務違反にあたる違法があるとすることはできず、この点についての原告の主張も採用できない。

(三)  更に、原告は、坂口所長らが長期間高血圧症で通院を要する原告の病状を知っていたにも拘らず原告の勤務改善に努めなかった旨主張する。

そこで被告の健康管理の状況について考えてみる。

(証拠略)を総合すれば次の事実が認められる。

被告には作業員が高血圧症の場合に当該従業員を配置転換するとかその作業を軽減するとかの会社としての基準はなく、医師の診断によって営業所長等が取締役と相談して決定していた。しかし、身体の悪い整備従業員を一般事務へ配置転換した事例はなかった。また、前示のとおり年一回の定期健康診断を行っており、原告に対しては春以外に秋の健康診断も受診させており、右健康診断を行った沼田医師は原告に対する配置転換等の必要性について被告に意見を出したことはなく、原告に何回か高血圧症の治療を忠実に継続するよう口頭で注意を与えていた。また、坂口所長は、昭和四八年秋の健康診断の結果、原告が高血圧症で要加療であることを知りその頃沼田医師に病状等を尋ね、通院して治療すれば作業には差支えないとの返答をえた。そして昭和四九年春頃原告に病院へ行くよう指示したこともある。前示相馬病院長相馬寛は、原告が持参した被告衛生管理課作成の個人表に血圧値と心臓所見を記入したうえ要治療、要観察と記載し、残業の適否をも記入していた。残業不可の基準は最高血圧値一六〇mmHg以上であるところ、特に原告において残業を否とされたことはなく、また残業不可にも拘らず原告を残業させたことはなかった。

以上の事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

そうすると、原告に対する被告の健康管理の状況には何ら落度があったとはいえず、かえって原告は治療を受ければ業務に支障のない程度に血圧が下がるため断続的に病院に通院していたことが窺われるうえ、前示のとおり昭和四九年一〇月五日以降病院に通院せず、同月一五日頃身体がふらふらっとしたにも拘らずなお病院には行かず、その旨を所長らに伝えた事実も認められない。従って、坂口所長らに病院に通院するよう原告に注意を与える以上に原告の業務を軽減する措置をとるべき注意義務違反の違法があると認めることはできず、他に前示認定事実の下において被告に勤務改善義務を課するに足りる事実を認める証拠はない。よって、この点に関する原告の主張も理由がない。

(四)  以上のとおり、原告の主張はいずれも採用できず被告に原告の傷害に対する債務不履行の責任を問うことはできない。

二  地位確認について

1  原告の請求原因5の事実は当事者間に争いがない。しかし、原告は、解雇の意思表示及びその正当理由を争い、権利濫用である旨主張するので検討する。

2  解雇及び解雇事由

(一)  (人証略)によれば、同証人は空知事業部労務担当次長として昭和五二年九月一二日電話で原告に対し、同年一〇月二一日付で休職期間満了により自然解雇となる旨通告した事実が認められる。もっとも原告は同証人から解雇する旨の話はなかったと否定する供述(第一回)をしているが、同人も退職金の受渡方法についての話が右電話中にあったことを認めていることから右供述部分は到底措信できないし、他に右認定に反する証拠はない。

(二)  被告は、就業規則三八条一項二号により、昭和四九年一〇月二一日業務上の傷病により原告が療養のため欠勤し以後九か月を経過しなお休務加療を必要とするときと認め、昭和五〇年七月二二日原告を休職としたこと及び原告が昭和五二年五月一日から傷病補償年金を受けていたことについては当事者間に争いがなく、(証拠略)を総合すれば被告主張三ノ(二)の解雇事由が認められ、他に右認定に反する証拠はない。

従って、就業規則三九条四項の休職期間満了に基づく原告に対する解雇は、権利濫用の点についてはともかく正当であるということができる。

3  解雇権濫用

(一)  更に原告は右解雇は権利の濫用である旨主張し、まず、原告の本件障害は被告による過酷な労働の強要という重大な債務不履行によって発生した有責労災であるにも拘らず被告は解雇するまで原告の損害に対する賠償措置を講じていない旨主張する。

しかし、前示認定のとおり原告の業務は激務であると認めることができないばかりか被告に対し債務不履行の責任を問えないものであって有責労災であるとの右主張はその前提事実を欠き到底採用できない。

(二)  次に、原告は同人の障害は既に固定状態に入り、職場における軽作業従事がリハビリテーションのため望ましいので本件解雇通告時点で被告に対し、休職期間の延長と就労機会の付与を強く要請したけれども被告はこれを無視した旨主張する。

なるほど、原告本人尋問(第一回)の結果中には右主張にそうかの如き供述部分も認められないわけではないが右供述内容を詳細に検討すると本件解雇通告時である昭和五二年九月一二日にそのような申出を原告がしたことも認めるには足らずその他同日の申出を認めるに足る証拠はない。また、その頃原告が高橋労務担当らに会って就労の話をしたのは同年一〇月二四日であるが、これは退職の日以後のことであり、同日には原告は退職金を受取っているのであるから、右就労の話とは退職後の他の職種での再就職の話であったと解するのが相当である。そして、前示(人証略)によると原告の再就職の申出は会社で協議したが先例がなく拒否されたことが認められるけれども、前示認定の原告の本件傷害に至る経過及び勤務状態等に照らし、右拒否を信義則上著しく不当であるということはできない。なお、原告本人の供述(第一回)中には昭和五〇年七月頃から会社にリハビリ程度の軽作業はできる、どこへ戻れば良いのかと何回も言っているが、会社は滝川へ行くんだの一点張りだったとの供述があるが、前掲各証拠を総合して認められる昭和五〇年四月七日原告は被告に行先を告げないで市立赤平総合病院を退院後社宅を出て札幌市内に引越し、肩書地(略)に自宅を新築した事実と、その後の原告の障害の程度、通院の状況を併せ考えると仮に原告が右申出をしたとしても真に就労の意思があったかは疑わしく、被告が右申出を拒否したとしてもこの被告の態度を信義則上非難することはできないというべきである。

従って右主張も採用できず、その他本件全証拠によっても被告の権利濫用にわたる事実を認めることはできず、原告の解雇権濫用の主張は理由がない。

三  結論

よって、その余の主張につき判断するまでもなく、債務不履行に基づく損害賠償及び原告の雇用契約上の地位確認を求める原告の本訴請求はいずれも理由がないので、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 長濱忠次 裁判官 安井省三 裁判官島田充子は転任のため署名、捺印することができない。裁判長裁判官 長濱忠次)

損害額計算書

1 休業損害 金2,721,600円

昭和49年10月21日から昭和53年2月17日まで

給付基礎日額 5,600円

休業日数 1,215日

5,600円×1,215日=6,804,000円

このうち労災保険からの支給分(6,804,000円×0.6=4,082,400円)を控除

2 賞与損害 金1,800,000円

昭和50年、51年、52の各年60万円

3 逸失利益 金31,682,000円

傷害時 43歳

就労可能年齢 67歳

新ホフマン係数 15.5

労働能力喪失率 100%(労災保険障害等級第3級)

5,600円×365日×15.5=31,682,000円

4 慰藉料 金10,300,000円

入通院慰藉料 1ケ月70,000円×40月=2,800,000円

後遺症慰藉料 7,500,000円

以上合計 金46,503,600円

5 弁護費用 金1,500,000円

損害額の内金 15,000,000円に対する1割

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