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札幌地方裁判所 昭和53年(ワ)5026号 判決 1981年1月16日

原告

林正義

ほか一名

被告

向江國雄

主文

原告の請求を廃棄する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の申立

一  原告

1  被告は原告に対し、金一三八〇万円及び内金一二〇〇万円に対する昭和五〇年八月一日からその支払の済むまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

旨の判決及び仮執行の宣言を求める。

二  被告

主文同旨の判決を求める。

第二当事者の主張

一  原告の請求の原因及び抗弁に対する認否

1  原告は左記の事故(以下「本件事故」という。)によつて負傷した。

(一) 日時 昭和五〇年七月三一日午前七時五〇分項

(二) 場所 勇払郡早来町字源武二七五番地先道路上(道道四八二号、豊川遠浅停車場線)

(三) 加害車両 被告運転にかかる普通乗用自動車(室五五た七六七一)

(四) 態様 現場道路を遠浅方面から豊川方面に進行して来た加害車が、右道路に交差する社台フアーム早来牧場私道を原付自転車を運転し、南西方面に進行して右道道を横断しようとする原告に衝突

2(一)  被告は、加害車両を自己のため運行の用に供していたのであるから、自動車損害賠償保障法(自賠法)第三条の規定に基づき、本件事故によつて原告に生じた損害を賠償すべき義務を負う。

(二)  本件事故は専ら原告の過失によつて発生したものであり被告に過失はなく、加害車両に構造上・機能上の欠陥はなかつた旨の被告の主張は否認する。本件事故は左に示す通りの被告の過失によつて引き超こされたものである。

(1) 前方注視義務違反

原告は車道直前で一時停止し、左右を確認した後に車道に進出したのであるが、この原告の動静は前方を注視していれば九〇メートル手前で発見し得たのに、被告は三四・五メートル手前まで原告を発見しなかつた。

(2) 速度違反

加害車両の速度は、本件事故現場のスリツプ痕から判断して、法定速度(時速六〇キロメートル)を超えて毎時六八ないし九〇キロメートルの速度で進行していたものと推定されるが、このために被告は原告の発見が遅れたのである。

(3) 減速・徐行義務違反

本件事故現場は、社台フアーム早来牧場の中間を道道四八二号線が貫いている所であつて、同牧場の私道が何本も右道道と交差しており、人馬・車両の横断が頻雑であるから、被告は安全速度を保つと共に前方を横断しようとする者の動静に注意し、いつでも停止できるよう減速徐行して進行すべき注意義務があるのにこれを怠つた。

(4) 警笛吹鳴義務違反

被告は本件事故現場にさしかかつた際、原告が反対側を向いたまま道道上へ進行するのに気づいていたのであれば、原告の道路への進入を防いで本件事故を回避するため、警笛を吹鳴すべき義務があるのに、被告はこれを怠つた。

3  本件事故によつて原告が被つた損害は次の通りである。

(一) 受傷、治療経過

原告は右下腿骨開放性複雑骨折の傷害を負い、畑山病院で、応急手当を受けた後、千歳第一病院(昭和五〇年七月三一日から同年一一月一〇日まで一〇三日間)、登別厚生年金病院(同年一一月一〇日から同年一二月一七日まで三八日間)、昆布温泉病院(昭和五一年三月二六日から同年四月二四日まで三〇日間)、勤医協札幌病院(昭和五二年三月五日から同年六月三日まで九一日間)、勤医協中央病院(昭和五四年三月一六日から同年四月一五日まで三一日間)に順次入院して治療を受けたか、右入院日数の合計は二九三日である。

またこの間、登別厚生年金病院(通院二日)、札幌第一病院(同五日)、千歳第一病院(同二八日)、勤医協札幌病院(同七二日)に通院して治療を受け、実通院の合計日数は四七日である。

右治療中、右下腿開放骨折、右下腿骨随炎、右下腿偽関節、右足関節尖足位変形により、同部洗滌、骨移植術を施行し、昭和五二年一二月一日一応症状は固定したが、昭和五四年三月一六日から抜釘手術のため一箇月更に入院し、同年八月三日まで通院して経過治療を行なつた結果症状が固定した。

(二) 後遺症

原告には前記受傷による後遺症として、(1)右下腿短縮(脚長差四センチメートル)、(2)右足関節拘縮(一〇度尖足位で固定)、(3)右膝関節拘縮(屈曲九〇度、伸展〇度)、(4)右足趾伸展制限、の障害があり、右足関節の機能は廃疾の状態で日常起居動作が著しく困難であり、今後回復の見込はない。右(1)は後遺障害等級一〇級の7、(2)及び(3)は同六級の6、(4)は同七級にそれぞれ該当するか、八級以上に該当する身体障害が二以上あるので、重い方の身体障害を二級繰り上げ、四級によるべきものである。

(三) 治療関係費 合計一五八万八六六〇円

(1) 治療費及び同雑費 二二万三三六四円

(2) 入院雑費 一七万五八〇〇円

一日六〇〇円の割合による二九三日分である。

(3) 入院付添費 六五万五〇〇〇円

一日二五〇〇〇円の割合で二六二日分である。

(4) 通院費 五三万四四九六円

(四) 休養損害 九八〇万円

原告は社台フアーム早来牧場に牧場長兼獣医として勤務し、その収入は月額三五万円を下らなかつたが、昭和五〇年八月一日から昭和五二年一二月一日まで欠勤を余儀なくされた。原告が本件事故当時、金銭で支給を受けていたのは給与月額一三万円、扶養手当三〇〇〇円、賞与年五〇割であるが、他に牧場内の住居を無償貸与され、衣食住全般にわたる現物支給を受けていたので、これらを含めると平均して月額三五万円を下ることはなかつたものである。

(五) 逸失利益 二二六九万七一三六円

原告は大正二年六月二五日生れの健康な男子で、本来症状固定時(昭和五二年一二月一日)から七年間は就労可能であつたところ、回復不能な前記後遺障害で労働能力の九二パーセントを喪失した。月収三五万円として新ホフマン係数(五・八七四)によつて右七年間の逸失利益の現価を計算すると二二六九万一三六円となる。

(六) 入通院慰藉料 二七六万円

後遺症慰藉料 八二〇万円

(七) 損益相殺

原告は自賠責保険から合計七五〇万円(昭和五三年一月二六日三九六万円、昭和五四年一〇月一八日三五八万円)を受領したので、これを前記損害額の一部に充当した。なおこの他に原告は一〇〇万円(昭和五〇年一一月一一日)を受領しているが、これは原告が本訴で請求していない原告支払の治療費に充当したので、損害相殺の対象にはならない。被告の主張する治療費については、(3)ないし(6)及び(8)は認めるが、(7)は不知。

(八) 弁護士費用

被告は任意の支払に応じないので、原告は本件訴訟を原告代理人に委任し、弁護士費用として認容額の一五パーセント相当額を支払う旨を約した。

4  よつて原告は被告に対し、前記未払損害金合計三七五四万五七九六円の内金一二〇〇万円及びこれに対する本件事故の日である昭和五〇年八月一日からその支払の済むまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金並びに弁護士費用一八〇万円の支払を求める。

二  請求の原因に対する被告の認否及び抗弁

1  請求の原因第1項は認める。

2  同第2項中、被告が加害車両の運行供用者であることは認めるが、その余は争う。

本件事故は、道道四八二号線を制限速度で進行する加害車両に対し、原告が無免許で原付自転車を運転して、私道から一時停止もせずにいきなり飛び出したために発生したものであり、専ら原告の一方的な過失によつて発生したものである。なお加害車両に構造上及び機能上の欠陥はなかつた。

3(一)  同第3項(一)は不知。

(二)  同(二)のうち(1)(但し三センチメートルの限度で)及び(2)は認めるが、その余は否認する。右(1)は後遺障害等級第一〇級七号に、同(2)は同第一〇級一〇号に該当するから、併合しても第九級に過ぎない。原告は現在、地下鉄を利用して自由に外出しているのであるから、事実上機能障害による影響は全くない。

(三)  同(三)は不知。

(四)  同(四)中、原告が社台フアーム早来牧場に牧場長兼獣医として勤務していたことは認めるが、その余は否認する。原告の平均月収は一三万三〇〇〇円である。

(五)  同(五)のうち、原告が大正二年六月二五日生れの男子であることは認めるが、その余は否認する。

(六)  同(六)は争う。

(七)  同(七)につき、原告は本件事故による損害賠償金として、少なくとも以下の金員を受領している。

(1) 自賠責保険金 一〇〇万円(昭和五〇年一一月一一日)

(2) 同 三九二万円(昭和五三年一月二六日)

(3) 治療費 九一万〇四六四円(昭和五〇年九月ないし同年一一月の千歳第一病院分)

(4) 同 二七三六円(昭和五一年二月及び四月の登別厚生年金病院分)

(5) 同 一六万九四八〇円(同年三月ないし四月の琴似中央病院付属昆布温泉病院分)

(6) 同 九万二七七二円(同年五月ないし昭和五二年二月の千歳第一病院分)

(7) 同 二四二万一〇一三円(同年三月ないし昭和五四年七月の勤医協札幌病院分)

(8) 同 四九万九二三七円(同年三月ないし同年四月の勤医協中央病院分)

(9) 休業補償給付金 三七七万九五五〇円(昭和五〇年七月三一日から昭和五四年七月一八日分)

(10) 障害補償年金 一箇年七五万九三〇六円(昭和五四年七月一九日以降)

(八)  同(八)は不知。

4  同第4項は争う。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  昭和五〇年七月三一日午前七時三〇分頃、勇払郡早来町字源武二七五番地先の道道四八二号線と社台フアームの牧場私道が交差する地点において、右道道を遠浅方面から豊川方面に向けて、進行中の被告保有・運転にかかる普通乗用自動車(室五五た七六七一)と、原付自転車を運転して右私道を通り、右道道を横断しようとしていた原告が衝突した(本件事故)ことについては当事者間に争いがない。

二1  また被告が加害車両を自己のために運行の用に供していたことについても当事者間に争いがないのであるから、被告には本件事故によつて原告に生じた損害を賠償すべき義務が生じる。

2  しかしながら、ここで被告は、本件事故は専ら原告の過失によつて起きた旨主張するので、本件事故の状況をもう一度検討してみなければならない。

成立にいずれも争いのない甲第二号証、同第二二号証の一・二、同第二三号証の一ないし一六、乙第三号証の一ないし八(台紙書込部分を除く)、原告の存在・成立共に争いのない甲第一〇号証の一ないし三、被告本人尋問の結果によつて成立の認められる乙第三号証の一ないし八の各書込部分及び同号証の九ないし一一によれば、本件事故現場の状況は以下の通りであることが認められる。

道道四八二号線は、遠浅方面から豊川方面に向けて、約一〇〇分の四の上り勾配となつており、頂上付近から平坦地約六〇メートルで本件事故現場に達する。両側は社台フアーム早来牧場の建物が散在するだけの高台地で交通量は少ない。遠浅方面から事故現場を臨む見通しは、右道路がその手前で左にカーブしていること及び前記上り勾配のために、百数十メートル手前では全く見えず、約一〇〇メートル手前で漸くこれを見通すことができ、約六〇メートル手前で左側から交差する私道及び草木の蔭でなければ道路脇の人物を見ることができ、約三〇メートル手前に至れば右交差私道の全貌を見渡すことができるという状況である。

3  本件事故に至るまでの具体的な状況については、まず原告本人尋問の結果によれば、原告は無免許のまま原付自転車に乗つて前記道道を横断しようとしていたことが認められる。更に原告本人は、横断に先立つて一旦停止して左右の安全を確認したと供述するのであるが、この段階で被告車両を見ていなかつたとすれば、前記の見通し状況からして被告車両は約一〇〇メートル彼方に位置していたことになるが、原告が原付自転車で道路脇から道道中央部までの約三メートルを進む間(時間にすればせいぜい二秒ないし三秒であろう。)に被告車両が約一〇〇メートルを進むことは不可能である(時速一〇〇キロメートル以上を要することになるか、前に述べた通り、遠浅方面から来た場合には左カーブを越えることを要し、このような速度は非現実的と考えられる。)し、原告本人は、気が付いたら被告車両が右方約一〇メートルに来ていたと供述していたのであるから、右供述は、原告が道道横断に際し、被告車両が至近距離に接近するまでその存在に気付かない程、右方への注意が不十分であつたことを示すものと考えることができる。また被告本人は、原告は左側(豊川方面)を向いたまま道道に進入してきた旨を供述しているのであつて、結局これらの事実を総合してみれば、私道から道道に入る前に一時停止し、左右の安全を確認した旨の原告本人の供述は措信することができない。

他方前記甲第一〇号証の一ないし三及び被告本人尋問の結果によれば、被告は本件事故現場の約三五メートル手前で原告を発見したが、原告の方で停止するものと思つてそのまま更に進行したところ、原告に止まる様子がないので約二四メートル手前で危険を感じ、急制動をかけたが及ばずこれに衝突するに至つたものであることが認められる。前記道道と私道では、明らかに前者が優先道路であるから、被告としては横断車両が停止することを期待するのは当然であり、被告において、歩行者に対してはともかく、車両に対する関係においてまで、その動静に注意し、いつでも停止できるよう減速徐行して進行すべき注意義務があるとは解されないから、被告に前方注視義務違反や減速・徐行義務違反があつた旨の原告の主張はいずれも失当である。

また原告は、被告には警笛吹鳴義務違反があつたとも主張するが、前記甲第一〇号証の一・二によれば、前記の通り被告は危険を感じると同時に急制動の措置を講じているのであり、ここで重ねて警笛を鳴らしても、この時の相互間の距離は二四メートル程度であつたことから、衝突は避けられなかつたのではないかと考えられるのであつて、右主張も採用できない。

しかしながら、被告車両の速度については、被告本人尋問の結果によつて前記道道の制限速度は毎時六〇キロメートルであつたことが認められるところ、被告がこれを遵守していたことを認めるに足りる証拠がない。被告本人は、時速六〇キロメートルで走行していた旨供述するが、右供述のみをもつてしては被告に速度違反がなかつたと認定するに足りない。却つて前記甲第一〇号証の二によれば、本件事故現場に残された被告車両の四本のスリツプ痕の長さはそれぞれ三三メートル、二八・四メートル、二一メートル、二〇メートルに達していること、被告車両が急制動をかけてから現実に停止するまでに、本件事故自体の衝撃(これも被告本人尋問の結果によれば、原告を被告車両のボンネツトの上にはね上げる程激しいものであつたことが認められる。)によつて減速分を入れた上でなお約三九メートル走つていることから考えれば、制動前の被告車両の速度は時速六〇キロメートルを、その程度は必ずしも明らかではないものの相当上回つていたものと推認することができる。従つて被告には制限速度不遵守の過失があつたものと判断せざるを得ず、被告の無過失の抗弁はこれを採用することができない。

4  而して原告及び被告の過失の割合については、前に述べた原告の過失、即ち無免許で原付自転車を運転(従つてその取扱技術は不完全なものであつたと推定すべきものである。)して道道を横断しようとしたこと、及び優先道路たる右道道を横断するに際し、左右の安全確認が不十分であつたことの方が被告のスピード違反よりその程度が大であつたと言うべきものであり、これまでに述べた諸事情を総合した上、原告の過失割合は全体の六割であると考える。

三  次に本件事故によつて原告が被つた損害を検討すべきところ、その前提として、原告の受傷の状況及び治療経過から判断する。

1  成立にいずれも争いのない甲第五号証ないし同第七号証、同第一一号証、原告本人尋問の結果によつていずれも成立を認める甲第九号証の一、同第一七号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、本件事故によつて右下腿骨開放性複雑骨折の傷害を負い、畑山病院で応急手当を受け、次いで千歳第一病院(昭和五〇年七月三一日から同年一一月一〇日まで一〇三日間)、登別厚生年金病院(同年一一月一〇日から同年一二月一七日まで三七日間)、昆布温泉病院(昭和五一年三月二六日から同年四月二四日まで三〇日間)、勤医協札幌病院(昭和五二年三月五日から同年六月三日まで九一日間)、勤医協中央病院(昭和五四年三月一六日から同年四月一五日まで三一日間)に順次入院(以下合計二九二日。但し昭和五〇年一一月一〇日は一度のみ算入)して治療を受け、また登別厚生年金病院、札幌第一病院、千歳第一病院、勤医協札幌病院において、昭和五一年二月四日から昭和五四年八月三日までの間(入院中の期間を除いて約三年一箇月)に合計一〇四回、通院して治療を受けた事実が認められる。

2  また前記甲第一一号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和五四年三月から四月にかけて勤医協札幌病院で右足関節は抜釘手術を受けた後、同年七月三〇日の段階で症状固定し、右足関節は廃疾の状態で回復の見込はなく、重労働等右下肢に負担のかかる作業は不能であると判断されたこと、後遺症として、<1>右下肢短縮(脚長差四センチメートル)、<2>右足関節拘縮(一〇度尖足位固定)、<3>右膝関節拘縮(屈曲九〇度、伸展〇度)、<4>右足趾伸展制眼の症状が残つたことが認められる。

なお前記甲第七号証によれば、右<1>ないし<3>とほぼ同様の後遺症を認定しながら、<1>の脚長差が三センチメートルとされているが、前記甲第一一号証は前記抜釘手術施行後の測定の結果を示したものと考えられるから、後遺障害の内容としては右甲第一一号証の記載を採用すべきものであろう。

而して右<1>は自賠法施行令付属別表後遺障害等級表の第一〇級の八、右<2>は同じく第八級の七、右<3>は同じく第一〇級の一〇に該当すると考えられるが、右<4>についてはその程度が明らかでないので、ここでは判断しない。右によれば、第一三級以上に該当する身体障害が二以上あるので、最も重い身体障害につき一級を繰り上げ、併合して第七級によるものとするのが相当であり、また原告の後遺障害の程度を総合的に判断しても、前記等級表の第七級に相当するものと考えられる。

原告はこの他に、原告は日常起居動作が著しく困難であり、三〇〇メートル以上の歩行には耐えられないと主張するが、これを認めるに足りる証拠は存しないし、原告は右下肢の用を全廃し、或いは二関節の用を廃したものとまでは考えられないので、前記以上に後遺障害の等級を繰り上げるべきものであるとは解されない。

四  そこで原告が本件事故によつて被つた全損害を具体的に検討する。

1  千歳第一病院分治療費(原告が支払を受けた部分) 一〇〇万三二三六円

2  登別厚生年金病院分治療費(同) 二七三六円

3  昆布温泉病院分治療費(同) 一六万九四八〇円

4  勤医協中央病院分(同) 四九万九二三七円

右1ないし4については当事者間に争いがない。

5  勤医協札幌病院分(同) 二二九万四三六五円

弁論の全趣旨によつていずれも成立を認める乙第八号証、同第九号証ないし同第一一号証の各二、同第一二号証の一・二によれば、勤医協中央病院での治療費として少なくとも合計二二九万四三六五円を要したことが認められ、成立に争いのない同第七号証によれば、原告は労働者災害補償保険によつてその支払を受けたことが認められる。

6  原告の負担した治療費 合計一〇六万一八四四円

成立にいずれも争いのない甲第一八号証の一ないし五、九ないし一二及び一四ないし二六、原告本人尋問の結果によつて成立の認められる同第九号証の二、同第一五号証、原告本人尋問の結果によれば、治療費として原告は一六万六七六〇円(甲第九号証の二のうちから、治療費に該当しない「テレビ使用料」三件、昭和五〇年一一月一〇日以降の支払とされるもので対応する領収書の存在しない同年一二月一七日付の「衛生材料」分及び昭和五一年九月八日付の「診断書料」分控除したもの)、一万五〇八四円(前記甲第一五号証前段中から、治療関係費に該当しないと考えられる「贈答品」分及び「食事代」分を控除したもの)並びに八八万円(原告本人尋問の結果によつて認められる通り、原告が自賠責保険金として当初受領した一〇〇万円中から支出を要した部分)の合計一〇六万一八四四円を支払つたことが認められる。

7  入院雑費 一七万五二〇〇円

原告の入院日数が合計二九二日であることは前記の通りであるから、一日六〇〇円の割合で計算すると一七万五二〇〇円となる。

8  入院付添費 六五万五〇〇〇円

原告の傷害は右下肢であることから、入院中は付添を要する状況であつたと考えられるので、その請求通り入院期間の当初二六二日分について一日二五〇〇円の割合が相当であると解され、これを計算すると六五万五〇〇〇円となる。

9  通院費 四八万七〇六六円

原告本人尋問の結果によつて成立の認められる甲第九号証の三、同第一六号証、弁論の全趣旨によつて成立の認められる同第一九号証の一ないし一二〇によれば、原告は前記の通院治療につき、その通院のための費用として、合計四八万七〇六六円(甲第九号証中の記載分については、昭和五〇年一二月一七日以降の支払のうち、対応する領収書中、本件事故との相当因果関係が疑問であるところの「食事代」とある部分を控除し、また昭和五一年九月一七日の分については前記甲第一九号証の二四の限度内で認めたもの。同第一六号証記載の分については、原告が勤医協中央病院に入院中であつた筈の昭和五四年三月二八日、同年四月六日、同月一四日並びに対応する領収書の存在しない同年五月二三日、同年七月四日、同月一一日、同月一八日及び同年八月三日の分を控除したもの。)の支払を要したことが認められる。

10  休養損害 九八一万五〇〇〇円

原告が社台フアーム早来牧場で牧場長兼獣医として勤務していたことは当事者間に争いがなく、また成立に争いのない乙第二号証によれば、本件事故の前年である昭和四九年中の原告の所得は一九六万三〇〇〇円であつたことが認められるから、一月当りの平均収入は一六万三三三三円となり、本件事故の日である昭和五〇年八月一日から症状が固定するまでの前記昭和五四年七月末頃までの休業損害は九八一万五〇〇〇円となる。

原告は、原告の平均月収は給与の他、衣食住全般にわたる現物支給を受けて、三五万円を下らなかつたと主張するが、「現物支給」の存在自体は原告本人尋問の結果によつてこれを認定することができるものの、その労働との対価性が明らかでなく、またその数量、価値等についてもこれを証拠上確定させることができないものであるから、結局原告の年収は少なくとも前記一九六万三〇〇〇円であるという他はないものである。

因みに成立にいずれも争いのない甲第二一号証の一・二によれば、社台フアーム早来牧場の獣医である訴外林誠也は昭和五一年に三九五万円余の給与を受けていたことが認められるが、原告主張通り右林誠也が原告に雇用され、原告の下に働いていたものであるとしても、原告の現実の収入が当然部下より多かるべきものであるということにはならず、まして原告主張の如く総収入が現実の給与の二倍以上であつたなどと認定することは困難であるから、これは左記認定を左右するに足りないものである。

11  逸失利益 三九一万八一六三円

前記の通り、原告の後遺障害は自賠法施行令付属別表後遺障害別等級表の第七級に該当するものと考えられるから、原告はその労働能力の五六パーセントを喪失したものと見ることができ、また原告の年収が一九六万三〇〇〇円であることも前に述べた通りであるから、原告の逸失利益は、症状固定の後である昭和五四年八月から更に四年間は就労可能であつたもの(昭和五八年八月には原告は七〇歳に達していることになるが、本件事故当時、原告は六二歳で牧場長兼獣医として年額一九六万三〇〇〇円の収入を得ていたことは前述の通りであるので、本件事故がなければ、原告は右七〇歳に至るまでこの程度の収入は得ていたものと考えることができる。)と考えて、この間の逸失利益は右一九六万三〇〇〇円の五六パーセントに四年間に対応する新ホフマン係数三・五六四三を乗じて三九一万八一六三円(円未満切捨)となる。

12  入通院慰藉料 二五〇万円

原告の入院期間が合計二九二日、通院期間が通算約三年一箇月、実通院回数一〇四回であつたことは既に述べた通りであるところ、原告の傷害は重傷というべきものであること、反面通院期間の長さに比して実通院日数が少ないこと等の事情に照らし、これに対する慰藉料は二五〇万円をもつて相当と認める。

13  後遺症慰藉料 六〇〇万円

前述した原告の後遺障害に対する慰藉料としては金六〇〇万円をもつて相当と認める。

14  結局以上の1ないし13の損害を合計すると二八五八万一三三一円となるが、既に述べた通り原告には本件事故の発生につき六割の過失があると見るべきものであるから、その六割を控除すると残額は一一四三万二五三二円となる。

五  それでは次に、原告が既に填補を受けた分について検討してみよう。

1  治療費 合計三九六万九〇五四円

当事者間に争いのない第四項1ないし4の合計である。

2  自賠責保険金 合計四九二万円

受領自体については当事者間に争いのない昭和五〇年一一月一一日給付の一〇〇万円(原告は、これは治療費に充てたので損益相殺の対象にならないと主張するが、既に述べた通り原告には過失があつて過失相殺をなすべきであるから、原告の総損害と総填補額を算出した上、原告の正当な損害賠償請求権を計算すべきものである。)、成立に争いのない乙第五号証によつて認められる昭和五三年一月二六日給付の三九二万円の合計である。

3  休業補償給付金 三七七万九五五〇円

成立に争いのない乙第七号証によつてこれを認める。

4  障害補償年金 一〇三万一七五六円

成立に争いのない乙第一七号証によれば、原告は昭和五四年八月から昭和五五年七月までに合計一〇三万一七五六円が支給されたことが認められる。

5  右の1ないし4を合計すると、一三七〇万〇三六〇円となり原告の請求し得る前記の一一四三万円余を上回ることは明らかである。してみればここに至つて原告はもはや被告に請求できる分はないものとしなければならない。従つて原告の弁護士費用の請求も失当である。

六  結局以上の事実及び判断によれば、原告の本訴請求は認容するに由なきものであるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して、主文の通り判決した次第である。

(裁判官 西野喜一)

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