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札幌地方裁判所 昭和55年(ワ)5023号 判決 1981年2月17日

原告

板垣洋子

ほか二名

被告

安田火災海上保険株式会社

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告は、原告板垣洋子(以下、原告洋子という)に対し金五六六万六六六六円及びこれに対する昭和五五年四月二二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告板垣江里香、同板垣敏(以下、原告江里香、同敏という)に対し、各金三一一万一一一一円及びこれに対する昭和五五年四月二二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、被告の負担とする。

二  被告

主文同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  訴外板垣敏和(以下、亡敏和という)は、次の交通事故(以下、本件事故という)により死亡した。

(一) 年月日 昭和五四年一一月二八日

(二) 場所 栗山町湯地七二番地

(三) 被保険車両 普通乗用自動車(札五六み八三七四)

(四) 被害者 亡敏和

(五) 態様

亡敏和運転の被保険車両が事故発生現場で路外に転落し、運転中の亡敏和が死亡した。

2  亡敏和は、昭和五三年一一月二七日損害保険業を業とする被告との間で、前記被保険車につき、次のとおりの損害保険契約(以下、本件保険契約という)を締結した。

担保種目 保険金額

対人賠償 三〇〇〇万円

自損事故 一四〇〇万円

無保険車傷害 三〇〇〇万円

対物賠償 一〇〇万円

搭乗者傷害 三〇〇万円

3  原告洋子は、亡敏和の妻、原告江里香、同敏は亡敏和の子であり、亡敏和には原告らの他に前妻矢口美恵子との間に長女矢口美和が相続人として存在するので、原告らはそれぞれの相続分に応じて、原告洋子は三分の一、その余の原告らは各九分の二宛亡敏和の保険金請求権を取得した。

4  そこで、原告らは、本件事故後直ちに被告に対し亡敏和の取得した自損事故保険金一四〇〇万円及び搭乗者傷害保険金三〇〇万円の請求をしたが支払がない。

よつて、原告らは被告に対し各自相続分に従つて計算した金額から一円未満を切捨てた原告洋子につき五六六万六六六六円、その余の原告らにつき各三一一万一一一一円及びこれらに対する本訴状送達の翌日である昭和五五年四月二二日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2は認める。

2  同3は相続関係は認める。

三  抗弁

1  亡敏和との本件保険契約には、被保険者が酒に酔つて正常な運転ができないおそれがある状態での運転(以下、便宜上酒酔い運転という)中にその本人に生じた傷害については、自損事故保険金及び搭乗車傷害保険金を支払わない旨の約定が存する(自家用自動車保険約款二章三条、四章二条)。

2  そして、本件事故は、以下のとおり亡敏和の右の酒酔い運転中の事故であるので、右各保険金の支払義務がない。すなわち、

(一) 亡敏和の死亡時の血中アルコール濃度は血液一ミリリツトル中一・五ミリグラム(〇・一五パーセント)であつた。そして、一般にアルコールの血中濃度が〇・〇五パーセントになると反応速度が正常の二倍に、〇・一〇パーセントになると四倍に、更に〇・一〇パーセント以上になれば運転することが危険であるとされている。

(二) 本件事故現場は、国道二三五号線で、歩車道の区別が存するアスフアルト舗装道路である。事故現場は、前方に直線に近い緩やかなカーブが存するが、直線の道路で見通し良く平坦である。また歩道は車道より高くなつている状況にある。

かかる状況下において、亡敏和は右道路(事故現場は直線)において車道から歩道の縁石を乗り超えて進行方向左側の路外に飛び出したものである。

右にみたように前方のカーブはゆるやかであるから、路外逸脱がカーブの影響とは認め難く、路面は時おり降つた雨で湿潤している程度であつて、湿潤によるハンドル操作の誤りとも認められない。なお、亡敏和が夫婦喧嘩により興奮していたとしても、右態様の事故が生ずるとの合理的説明たり得ない。

要するに、本件事故態様からするも、本件事故は亡敏和が酒に酔つていたためハンドル操作を誤つたものと言わざるを得ない。

四  抗弁に対する認否及び反論

1  抗弁1の事実は認める、同2のうち亡敏和の死亡時のアルコール血中濃度については不知、本件事故が酒酔い運転中の事故であるとの主張は争う。

2  本件事故の原因については、司法巡査作成の「自己過失による死亡事故現場見分状況について」と題する報告書によると、時速八〇キロメートルで走行中当時路面湿潤状態であつたから高速走行によりハンドルをとられ乗り上げたことによるとされている。

そして、亡敏和は、離婚歴があり、短気で、本件事故直前同人の不貞を咎められて原告洋子から衣類だけを受けとつて家出した直後であること、常日頃からスピード狂であり本件道路が直線で交通量も多くないところであることや、急発進して自宅を飛び出していること等からすると、亡敏和は前妻と離婚までして再婚した原告洋子との間の夫婦関係の不安と動揺をまぎらそうとして自暴自棄気味に時速八〇キロメートルで高速走行したものと推認できる。酒酔いのため正常運転できない状態であれば、スピードを控えて蛇行したり、あるいは居眠りで路外に転落するといつた態様になると推定される。時速八〇キロメートルで走行できるということは、むしろ正常運転できる状態にあつたと推認できる。

第三証拠〔略〕

理由

一  請求原因1及び2の各事実(保険契約の締結、保険事故の発生)は当事者間に争いがない。

二  そこで、酒酔い運転による免責の主張について検討する。

抗弁1の事実は、当事者間に争いがないので、以下本件事故が右免責条項に該当するか否かにつき判断する。

成立に争いのない甲第五号証、同乙第四号証及び弁論の全趣旨によると本件事故現場は、国道二三五号線で歩車道の区別のある幅員八・七メートルのアスフアルト舗装道路であり、時折の降雨で路面は湿潤していたが、直線で見通し良く、平坦であること、歩道と車道は縁石で区画され、歩道が若干高くなつていること、当時、交通量はさほど多くなく、車両の最高速度は毎時四〇キロメートルに制限されていることが認められ、反証はなく、成立に争いのない甲第一号証、乙第四号証及び弁論の全趣旨によれば、亡敏和は、本件被保険車を運転して、国道二三五号線を岩見沢方面から苫小牧方面に向つて、制限速度を大幅に超過する時速約八〇キロメートルで進行し午後九時三〇分ころ本件事故現場にさしかかつた際、ハンドル操作を誤り進路左側歩道の縁石に乗りあげて、路外に逸脱し、ジヤンプ状態となつて、一五・二メートル程左前方の取付道路土手に自車前部を激突させ、その反動により一回転して停止したか、同人は車外に放出されたことを推認することができる。そして甲第一号証、成立に争いのない乙第二号証の一・二、乙第四号証によると、亡敏和は、右事故により頭部を強打し、脳挫傷による脳内出血により事故発生から約五分程のちの午後九時三五分ころ死亡するに至つたこと、及び事故後、捜査当局において亡敏和の血中アルコール濃度の鑑定を実施した結果、血液一ミリリツトル中その濃度は一・五ミリグラム(〇・一五パーセント)であつたことを認めることができ、これを左右するに足りる証拠はない。

ところで、前記免責条項にいう、酒に酔つて正常な運転ができないおそれがある状態とは、アルコールの影響によつて正常な運転の能力に支障を惹起する抽象的な可能性一般を指称するものではなく、その可能性は具体的に相当程度の蓋然性をもつものでなければならないと解するのが相当である。そして、右のようなおそれがある状態にあるか否かは、一般的には、運転者の当時の言動、様相等の外部的徴候と、アルコール保有量等内部的状況の双方から推測すべきものであるが、成立に争いのない甲第四号証の一・二、同乙第三号証によると、一般に、アルコール血中濃度が〇・〇五パーセントから〇・一五パーセント未満のときは、抑制がとれ陽気となり、皮膚とくに顔面、頸部の皮膚が充血により紅潮し、多弁、運動過多となり、落ち着きがなくなり、本人はむしろ能力を増している感を持つが、厳密な検査をしてみると運動失調が来ており、また作業能力も減退していること、例えば、血中濃度〇・〇五パーセントのときの反応時間は、正常時の二倍になり、〇・一〇パーセントになると四倍にもなり、運転者としては危険であること、そして、〇・一五パーセント以上になると、運動失調をきたして正常歩行が困難となり、感覚が鈍麻し、注意散漫となり判断力が鈍ることが認められるから、アルコールの自動車運転能力に及ぼす影響については、血中濃度が〇・一五パーセント以上のときは、運転者にとくに外部的徴候が見られなくてもほとんど確実に正常な運転能力を欠く状態にあるものということができる。したがつて、前認定の鑑定結果によれば、亡敏和は、酒に酔つて正常な運転ができないおそれがある状態で被保険車を運転していたものと推認できる。また、原告らが指摘するように右の鑑定については、本訴においては、その正確性を検討する証拠が存しないので、その結果に多少の誤差が存すると想定しても、血中濃度が〇・一〇パーセントを越える場合には、正常な運転能力に支障を及ぼしている蓋然性は相当高いものということができるところ、それ自体から酒に酔つていることを直接窺わしめるような外部的徴候の存在を認めるに足りる証拠は存しないが、前認定の、亡敏和は、制限速度を四〇キロメートルも超過する時速八〇キロメートルで走行し、しかも直線道路であつたにも拘らず、ハンドル操作を誤つて路外逸脱したとの事故態様からすると亡敏和がアンコールの影響により抑制心、運動能力、判断能力等の減退を招いていたことを推測することが可能である。(なお、原告らは、亡敏和は平素からスピード狂であり、時速八〇キロメートルの走行はむしろ正常に運転できる状態にあつたと推定できると主張するが、仮りにそうであれば、亡敏和において高速走行に慣れており、且つ道路事情を十分知悉していると思われる(甲第五号証により認める)本件道路において、時折の降雨により路面が湿潤していたとしても、ハンドル操作を誤つたとすることはかえつて不自然である)。してみると、いずれにしても本件事故は、亡敏和が酒に酔つて正常な運転ができないおそれがある状態で被保険車を運転しているときに惹起させたものといわざるを得ない。なお、亡敏和が事故当日、妻である原告洋子と喧嘩をして午後九時すぎころ家を出たものであることは、原告洋子本人尋問の結果により推認できるところ、仮に右夫婦喧嘩による亡敏和の精神的動揺が、アルコールの影響とともに正常な運転ができないおそれのある状態の一因となつていたとしても前認定のとおりアルコールの影響と右のおそれのある状態との間に因果関係を認めることができる本件においては、右認定に影響を及ぼすものではない。

以上によると、被告の免責の抗弁は理由があるから、その余の点につき判断するまでもなく、被告は原告らに対し自損事故保険金及び塔乗者傷害保険金を支払う義務はないということができる。

三  よつて、原告らの本訴各請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 宗宮英俊)

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