札幌地方裁判所 昭和56年(わ)1204号 判決 1984年9月03日
主文
1 被告人花本を懲役三月に処する。
同被告人に対し、この裁判の確定した日から一年間右刑の執行を猶予する。
2 被告人中川を懲役一月に処する。
同被告人に対し、この裁判の確定した日から一年間右刑の執行を猶予する。
3 訴訟費用中、国選弁護人に関する分及び証人牧口寅雄に関する分は被告人中川の負担とし、その余はその二分の一ずつを各被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人花本は、札幌市中央区北五条西一五丁目所在の飲食店「五十三次」を経営していたもの、被告人中川は、牧口寅雄が経営する同区南二一条西一一丁目所在の飲食店「大黒家」の営業に関与していたものであつて、被告人両名は、かねてより知人の間柄にあつたものであるが、
第一 被告人花本は、昭和五六年七月一日開店の「五十三次」店の宣伝のため、日本銀行発行の百円紙弊(板垣退助像のB百円券)を模した広告物を印刷して頒布しようと企て、札幌市中央区北七条西一一丁目一番地所在の株式会社サン写真製版所の経営者吉田昭子らと共謀の上、
一 昭和五六年六月二二日ころ、前記サン写真製版所において、表面は、四色写真製版の方法により日本銀行発行の百円紙弊を同寸大、同図案かつほぼ同色に擬したデザインとした上、その上下二か所に小さく「サービス券」と赤い文字で記載し、裏面は、白地に「五十三次」店の店名、その所在を示す地図及びメニューなどの広告を記載したサービス券の写真原版を作成し、同月二九日ころ、同市西区発寒三条五丁目三九五番地有限会社明治印刷において、同社代表取締役福田茂行をして右写真原版に基づきサラシクラフト紙を使用して右サービス券約一万枚を印刷させ、もつて、日本銀行券に紛らわしい外観を有するものを製造し、
二 同年七月一三日ころ、前記サン写真製版所において、表面は、四色写真製版の方法により日本銀行発行の百円紙弊を同寸大、同図案かつほぼ同色に擬したデザインとした上、その上下二か所にある紙弊番号を「五十三次」店の電話番号に、中央上部にある「日本銀行券」の表示を「五十三次券」の表示にそれぞれさりげなく変えるなどして記載し、裏面は、ほぼ同様の広告を記載したサービス券の写真原版を作成し、同月一七日ころ、前記明治印刷において、前記福田をして右写真原版に基づき上質紙を使用して右サービス券約一万枚を印刷させ、もつて、日本銀行券に紛らわしい外観を有するものを製造し、
第二 被告人中川は、「大黒家」店の宣伝のため、被告人花本の製造に係る前記サービス券と類似の広告物を印刷して頒布しようと企て、前記牧口及び吉田らと共謀の上、昭和五六年七月一四日ころ、前記サン写真製版所において、表面は、四色写真製版の方法により日本銀行発行の百円紙幣を同寸大、同図案かつほぼ同色に擬したデザインとした上、その上下二か所にある紙幣番号を「大黒家」店の電話番号に、中央上部にある「日本銀行券」の表示を「大黒家券」の表示にそれぞれさりげなく変えるなどして記載し、裏書は、白地に「大黒家」店の店名、その所在を示す地図及び宣伝文句などの広告を記載したサービス券の写真原版を作成し、同年七月一五日ころ、札幌市中央区南六条西一二丁目一二九九番地展文社総合印刷株式会社において、同社代表取締役谷口武雄をして右写真原版に基づき上質紙を使用して右サービス券約一万枚を印刷させ、もつて、日本銀行券に紛らわしい外観を有するものを製造した。
ものである。
(証拠の標目)
判示事実全部につき
一 被告人両名の当公判廷における各供述
一 第二回、第四回、第一〇回公判調書中の被告人花本の各供述部分
一 第二回、第五回公判調書中の被告人中川の各供述部分
一 被告人花本の検察官及び司法警察職員に対する各供述調書(但し、被告人中川につき不同意部分を除く。)
一 被告人中川の検察官及び司法警察職員に対する各供述調書
一 証人佐々木栄一、同梅津孝秋、同工藤良光、同野崎肇、同杉尾次郎、同中山弘の当公判廷における各供述
一 第九回公判調書中の証人中山弘の供述部分
一 吉田昭子、福島貴久夫、工藤良光の検定官に対する各供述調書
一 司法警察職員作成の昭和五六年七月二九日付、同年八月一一日付各捜査報告書
一 司法警察職員作成の捜索差押調書(株式会社サン写真製版所に関するもの)
一 福島貴久夫作成の任意提出書
一 押収してある印刷原版(Y)一枚、印刷原版(R)一枚、印刷原版(C)一枚(昭和五七年押第四七号の14、15、16)
一 福田茂行作成の昭和五六年八月一九日付任意提出書
一 押収してある写真原版(C)二枚、写真原版(M)二枚、写真原版(Y)二枚、写真原版二枚(前同押号の18319320321)
一 福田茂行作成の昭和五六年八月二〇日付任意提出書
一 押収してある原版(サービス券)一枚(前同押号の22)
一 日本銀行札幌支店長作成の回答書(百円券の発行高等に関するもの)
一 検察官松井登喜男取扱いに係る電話通信書
一 弁護人作成の昭和五八年九月二八日付報告書(百円券の発行状況等に関するもの)
一 弁護人作成の昭和五八年九月二八日付報告書(B百円券の展示販売状況及び類似広告物等に関するもの)
一 弁護人作成の昭和五九年一月三〇日付報告書(帯封に関するもの)
一 押収してある百円紙幣一枚(前同押号の29)
判示第一の事実につき
一 福田茂行の司法警察職員に対する供述調書
一 押収してある百円模造紙幣九枚、同一枚、同一枚、原版フィルム六枚、版下一枚、百円模造紙幣一枚、写真原版(BL)二枚(前同押号の2、3、4、7、9、11、17)
一 高橋一雄作成の任意提出書
一 押収してある百円模造紙幣四〇〇枚、同五〇枚、(前同押号の23、24)
判示第二の事実につき
一 第三回公判調書中の証人平澤寧志、第二回公判調書中の証人牧口寅雄の各供述部分
一 谷口武雄の司法警察職員に対する供述調書
一 押収してある百円模造紙幣九三枚、同一枚、原版フィルム五枚、版下三枚、メモ紙三枚、印刷原版(茶版)一枚、同(BL)一枚(前同押号の1、5、6、8、10、12、13)
一 司法警察職員作成の捜索差押調書(牧口寅雄方に関するもの)
一 押収してある百円模造紙幣三一枚(前同押号の25)
一 司法警察職員作成の捜索差押調書(大黒家店舗に関するもの)
一 押収してある百円模造紙幣六〇〇〇枚、同一〇〇枚、同三〇枚、前同押号の26、27、28)
(法令の適用)
被告人花本の判示第一の一、二、被告人中川の判示第二の各所為は、いずれも刑法六〇条、通貨及証券模造取締法二条、一条、刑法施行法一九条、二条に該当するが、被告人花本の右各所為は刑法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第一の一の罪の刑に法定の加重をし、同被告人については右加重をした刑期の範囲内でこれを懲役三月に処し、被告人中川についてはその所定刑期の範囲内でこれを懲役一月に処し、被告人両名に対し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日からそれぞれ一年間右各刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して、被告人中川のみに係る国選弁護人に関する分及び証人牧口寅雄に関する分は同被告人の負担とし、その余の被告人両名に係る分はその二分の一ずつを各被告人の負担とする。(弁護人の主張に対する判断)
各弁護人の主張は、多岐にわたるが、その内容には共通する部分が多く、証拠関係も一部を除きほぼ共通であるので、便宜一括して論ずることとする。
一憲法違反の主張について
弁護人は、通貨及証券模造取締法は、銀行紙幣等に紛らわしい外観を有するものの製造等を処罰することとしているが、同法一条の「紛ハシキ外観ヲ有スルモノ」なる文言は、犯罪構成要件としては、余りにも広汎かつ漠然としており、無限定であるから、憲法三一条に違反し、無効である旨主張する。
しかしながら、右文言は、真正な銀行紙幣等と誤認される危険のあるものを規制しようとする通貨及証券模造取締法の立法趣旨等に照らし、社会通念に従つてこれを合理的に解釈することが十分可能であり、既に同旨の判例も存在するところであつて、所論は、前提を欠き、採用することができない。
二構成要件不該当の主張について
弁護人は、本件で問題となつた百円紙幣は、既に実質的な強制通用力を失つており、同法一条にいう「銀行紙幣」には該当しない、また、本件サービス券は、いずれも、裏面がすべて広告であつて、表面にも百円紙幣とは異なつた文言が記載されている上、紙質も異なつており、百円紙幣と「紛ハシキ外観ヲ有スルモノ」には該当しない旨主張する。
しかしながら、日本銀行札幌支店長作成の回答書(百円券の発行高等に関するもの)及び弁護人作成の昭和五八年九月二八日付報告書(百円券の発行状況等に関するもの)など関係各証拠によれば、本件で問題となつた百円紙幣は、昭和二八年一二月一日に発行され、その後昭和四九年八月一日に支払(発行)停止措置がとられたものの、これまでに通用停止措置がとられたことはなく、今なお通用力を有する日本銀行券のひとつであることが認められ、右百円紙幣が同法一条にいう「銀行紙幣」に該当するとの点は動かし難い。
次に、押収してある各百円模造紙幣をはじめとする関係各証拠によれば、本件各百円模造紙幣は、判示認定のとおり、いずれもその表面(片面)全部が四色写真製版の方法により真券を同寸大、同図案かつほぼ同色に擬したデザインとなつていること、その同じ面には「サービス券」の文字が追加して記載され、あるいは紙幣番号が店の電話番号に、「日本銀行券」の表示中「日本銀行」の部分が店名にそれぞれ変更して記載されている事情はあるが、これらの修正は、追加された文字が小さめであつたり、変更後の文字等の色調が目立たないものであつたりするため、一見してそれらが真正な百円紙幣でないことを識別させるほどはつきりした体裁にはなつていないこと、裏面の図柄が百円紙幣とは全く無縁のものであり、また紙の質も紙幣とは相当異なつているような事情はあるが、少なくとも多少の距離をおいて表面を見る限りにおいては、これらの事情は、それらが真券でないことを識別させるのに格別資するものではないことなどの事実が認められるのであつて、以上によれば、本件各百円模造紙幣は、その用い方いかんによつては通常人をして真正な百円紙幣と誤認させる危険を有する程度に真券と紛らわしいものであつたと見るのが相当であり、近時百円紙幣が必ずしも一般に流通しておらず、むしろ稀少価値を持つていることや、本件各百円模造紙幣を悪用した詐欺事犯等が現実には全く発生していないことも、本件各百円模造紙幣自体の前記形状等にかんがみ、真券との紛らわしさに関する右判断に消長を及ぼすものではなく、本件各百円模造紙幣が百円紙幣と「紛ハシキ外観ヲ有スルモノ」に該当することも、やはり動かし難いと言うべきである。
したがつて、構成要件不該当の主張は、いずれも採用することができない。
三可罰的違法性欠如の主張について
弁護人は、被告人らの本件各行為は、いずれも、その動機が非犯罪的なものであつたこと、欺罔手段として悪用される等の実害がなかつたことなどに徴し、可罰的違法性を欠いている旨主張する。
なるほど、関係各証拠によれば、被告人らが本件各行為に及んだ動機は、店の宣伝効果が上がるようなサービス券を作成するという点にあり、これを欺罔手段などとして悪用する意図は全くなかつたこと、そして前記のとおり本件各百円模造紙幣を悪用した詐欺事犯等が現実にも発生していないことを認めることができるが、しかし、本件各百円模造紙幣が真券とはなはだ紛らわしいこと、製造された枚数が一万枚単位の多数に及んでいること、製造後その相当部分が実際に頒布されていること等本件証拠上明らかな具体的諸事情に照らし、なんら可罰的違法性に欠けるところはないと言うべきであるから、所論は理由がない。
四違法性の錯誤の主張について
1 弁護人は、被告人らは、通貨及証券模造取締法の特殊性、百円紙幣の流通状況、警察署及び銀行と事前に相談した際に得た感触などから、本件行為が違法であるとの認識を欠いていたものであり、かつそのような認識を欠いていたことにつき相当の理由が存在したと言うべきであるから、犯罪の故意を欠き罪とならない旨主張する。
2 そこで、まず被告人らの本件各犯行を巡る前後の事情について検討することとする。
関係各証拠によれば、概略次の事実を認めることができる。
(一) 被告人花本は、自ら経営する飲食店「五十三次」の開店を昭和五六年七月一日に控え、宣伝効果の上がるようなサービス券の作成を考えていたところ、近時百円紙幣が一般にほとんど流通しておらず巷間で珍重されていることに着眼し、片面を百円紙幣にそつくり似せたサービス券であれば十分な宣伝効果を上げられるのではないかと思いつき、同年六月中旬ころ、自分が他に経営するラーメン店の得意先としてかねてから知つていたサン写真製版所の経営者吉田昭子らに対し、その意図を打ち明けて右サービス券の印刷作成を依頼した。ところが、サン写真製版所側では、同社が行つている写真製版の方法によれば、同被告人の言うサービス券は、紙質、すかし等は別にしても、片面が真券とほぼそつくり同じものになつてしまうことに不安を感じ、具体的にいかなる法律に違反するかについてまでは確信が持てなかつたものの、そのようなものを作成するのはまずいのではないかなどと述べ、依頼に応ずるのに消極的な姿勢を示した。そこで、同被告人は、そのようなサービス券を作成しても問題はない旨の確認を札幌方面西警察署に行つて取つてくると述べ、同日の話は、それまでとなつた。
(二) 同被告人は、その後まもなく西警察署を訪れ、かねてより銃の所持に関する許可事務を通じて顔見知りとなつていた防犯課保安係の野崎肇巡査に対し、前記サービス券を作成することに何か警察との関係で問題があるかどうか尋ねたところ、同巡査のほか、その場に居合わせた上司の中山弘防犯係長も相談に応じ、同係長らは、六法全書を開いて通貨及証券模造取締法の部分を同被告人に示し、そのような法律があつて紙幣と紛らわしいものを作つてはいけないことになつている。同寸大で片面が真券と同じであればこの法律に違反する、サービス券の寸法を真券より大きくしたり「見本」「サービス券」などの文字を入れたりしてだれが見ても紛らわしくないようにすればよいのではないかなどと助言したところ、同被告人は、一応納得した様子で退去した。
(三) また、同被告人は、そのころ、自らの取引銀行である北海道相互銀行札幌駅前支店の支店長代理梅津孝秋に対し、前記サービス券を作成して頒布する計画があることを打ち明け、その際には百円札に似せた演出効果を高めるためサービス券に同銀行の帯封を巻いて欲しい旨依頼したところ、同人は、広告物たるサービス券であれば帯封を巻いても特に支障はないものと考え、格別上司等に相談することもなく、これを了解した。
(四) 同被告人は、西警察署で前記のような助言を得たことから、問題を避けるためには、寸法を変えるか百円札を模した面に文字を追加するかして真券と紛らわしくないような措置を講ずる必要があると知つたが、しかし、そのような措置を講ずれば、百円紙幣そつくりのサービス券を作成して人目をひき、それによつて宣伝効果を上げようという当初の意図からはかなり隔たつてしまうことになるため、直ちにそうする気にもなれず、思案するうち、西警察署で助言してくれた警察官の応対が極めて友好的であつたことや、サービス券のことぐらいで現実に深刻な問題が生ずるとも思えなかつたことなどから、右の措置を講ずることなく、当初の計画どおり同寸大で片面が真券と同じサービス券を作成しても、もしかしたら大丈夫ではないかとの考えを生ずるに至つた。そこで、同被告人は、サン写真製版所に赴き、西警察署で特に問題はない旨の確認を取つてきたと自らの希望的観測によつて脚色した話を述べ、また、サービス券ができ上がつた際には銀行に帯封をしてもらえるようその内諾を得ている旨も告げた。その結果、サン写真製版所側では、同被告人の話を信じ、その依頼に応じてサービス券を作成することとした。なお、サン写真製版所側は、サービス券の注文を受けた後、自らの取引銀行を通じてそのような印刷物を作成することの可否を調べたが、これを否とする結果は得られず、また、自ら西警察署と連絡をとつて同被告人の話を確かめるということはしなかつた。
(五) サン写真製版所は、同被告人の注文どおり、百円紙幣と同寸大で片面を四色写真製版の方法により同紙幣にそつくり似せたサービス券の写真原版を作成したが、そのまま印刷すれば余りにも真券とそつくりのサービス券ができ上がつてしまうことにやはり不安を感じ、同被告人に対し、百円紙幣に似せた面に「サービス券」の文字を追加するよう提案したところ、同被告人も、西警察署でその旨の助言を得ていたこともあり、渋々これを了承して右文字の追加をサン写真製版所に任せ、かくして、判示第一の一のとおり、同記載のサービス券約一万枚が作成されるに至つた。
(六) 同被告人は、右サービス券ができ上ると、これを北海道相互銀行札幌駅前支店に持ち込み、同支店の前記梅津は、かねての了解に基づき、部下の行員若干名をして同支店内において約一万枚のサービス券の一部につき適当な枚数ごとに同銀行名の入つた帯封をかけさせた上、同被告人に引き渡した。
(七) 同被告人は、そのころ、右帯封をかけたサービス券一束約一〇〇枚を格別の予告なしに西警察署防犯課保安係に持参し、前記助言を受けた中山係長及び野崎巡査に対し、主に署員の来店を促す宣伝活動の一環としてこれを交付した。中山係長らは、一見して右サービス券の片面が百円紙幣に酷似していたため、先の助言に沿つているとは言い難いものがいきなり作成されてしまつたことに少なからぬ驚きと戸惑いを感じたが、さればといつて、余りなじみのない通貨及証券模造取締法に関することでもあり、既に刷り上がつてしまつている右サービス券が直ちに同法違反の物件であると断定するほどの確信が持てなかつたので、その場では、右サービス券を作成したことをあからさまに非難したりその頒布を禁止したりすることなく、一応これを受け取るとともに、野崎巡査において、珍しいサービス券があるとして防犯課の同室者らに分けて配布した。その際、右サービス券を見た同室者らからは、違法物件の疑いがある旨の特に出ず、その後、中山係長らは、他の事務に忙殺されて過ごすうち、右サービス券に関しては格別の検討を行わないままに経過することとなつた。
(八) 同被告人は、でき上がつた右サービス券につき中山係長らから格別の警告も受けなかつた上、右サービス券が一般に好評で所期の宣伝効果を上げることができたと感ぜられたので、これを増刷しようと考え、今回は、更に工夫を凝らし、「サービス券」の文字を削除し、代わりに「五十三次」店の電話番号や店名をその余の部分と調和する形状、色彩によりさりげなく盛り込むこととして、サン写真製版所に依頼し、かくして、判示第一の二のとおり、同記載のサービス券約一万枚が作成されるに至つた。
(九) 被告人中川は、牧口寅雄が経営する「大黒家」店の営業に関与していたが、同年六月末ころ、被告人花本が作成した前記サービス券を見て牧口ともどもそのできばえに感心し、その後、同人と相談の上、同様のサービス券を「大黒家」店についても作成したいと考え、同被告人に話を持ちかけたところ、同被告人から、サン写真製版所にある原版を使つて同じようなサービス券を作つてよい、このサービス券は百円札に似ているが警察では問題ないと言つており、現に警察に配付してから相当日時が経過しているが別に何の話もない、帯封は銀行で巻いてもらつたなどと聞かされ、近時一般にほとんど流通していない百円紙幣に関することでもあり、これらの話を全面的に信頼し、格別の不安を感ずることなく、右サービス券を作成することとし、サン写真製版所にこれを発注したところ、サン写真製版所も気軽にこれに応じ、かくして、判示第二のとおり、同記載のサービス券約一万枚が作成されるに至つた。
(一〇) 牧口は、サービス券ができ上がると、まもなく客寄せのためこれを「大黒家」店の近くにある札幌方面南警察署にも頒布しようと考え、同年七月中旬ころ、自ら南警察署を訪れて佐々木栄一副署長と面談し、署員の来店を促して封筒入りの右サービス券若干を交付した。佐々木副署長は、右サービス券が百円紙幣に酷似していることに注意をひかれたものの、その他の事務に忙殺されていたため、その点については格別の話をすることなく短時分で面談を終え、その後右サービス券については気にとめることもなく手元に置いて時を経過するうち、いつしかサービス券はすべて散逸してしまつた。
(一一) 本件各サービス券については、右のような次第で特にいわゆる警察沙汰になることなく推移したが、当初のサービス券ができ上がつてから約一か月経過した後の同年七月二七日、南警察署員が喫煙していた少年を補導しその所持品を調べたところ、判示第二のサービス券二枚が発見されたことを契機として、通貨及証券模造取締法違反事件としての捜査が開始され、結局本件各公訴が提起されるに至つた。
以上の事実を認めることができる。なお、これらのうち、被告人花本と西警察署の中山係長らとのやりとりに関する部分については、双方の言い分に若干食違いの存在する点があり、同被告人は、警察側の助言がややあいまいであつたことなどを供述し、他方、中山係長らは、必ず大きさを二倍ないし三倍にするよう助言したこと、サービス券を持ち込まれた際それが法に触れるおそれがある旨警告的な話もしたことなどを供述しているところ、本件がいわば大事となつた後の段階においては、それぞれの置かれた立場上、実際以上にそのような点が強調されやすい傾向にあることは容易に了解しうるところであつて、現在双方の置かれている立場に十分留意しつつ、各供述の信用性を争いのない四囲の状況事実と対比して検討すれば、既述のとおり認定するのが相当であると言うことができる。
3 ところで、仮に、違法性の錯誤につき相当の理由があるときは犯罪が成立しない旨の見解を是認するとしても、違法性の錯誤につき相当の理由があると言い得るためには、確定した判例や所管官庁の指示に従つて行動した場合ないしこれに準ずる場合のように、自己の行為が適法であると誤信したことについて行為者を非難することができないと認められる特段の事情が存在することが必要であると解されるところ、前記認定事実によれば、本件においては、いまだそのような特段の事情が存在したとは言うことができない。
すなわち、まず、被告人花本の判示第一の事実について見ると、同被告人は、西警察署の中山係長らから、六法全書の該当部分を示された上、通貨及証券模造取締法により銀行紙幣に紛らわしいものの製造が禁止されていることを明瞭に指摘されるとともに、同寸大で片面が真券と同じものは同法に触れるおそれがあるので、サービス券の寸法を真券より大きくしたり「見本」「サービス券」などの文字を入れたりしてだれが見ても紛らわしくないようにすればよいのではないかなどと、ある程度具体的な助言まで得たにもかかわらず、サービス券の宣伝効果の追求に急であつたことに、自らの希望的観測も加わつて、当初右助言を全く無視し、サン写真製版所に対しては、西警察署で問題はない旨の確認を取つてきたなどと虚偽を述べ、あえて片面が真券と同じサービス券の作成を依頼しているのであり、また、その後サン写真製版所側から、せめて「サービス券」の文字を入れたほうがよいのではないかとの申し出を受けた際にも、これに同意こそしたものの、真券との紛らわしさを避けるに足る「サービス券」の文字の配置や大きさなどに関して格別の指示を与えることもなく、中山係長らの助言に無関心な態度をとり続けたものと言わざるを得ないのである。なお、同被告人の供述中には、中山係長らの助言はややあいまいなところがあり、裏面が広告であれば表面は真券と同じでも問題はないとの趣旨にも理解できたなどと弁明する部分があるが、中山係長らの助言が裏面を広告とすることを前提にした上で大きさを変えたり文字を追加したりすべき旨を指摘していることは、当初のいきさつから明白であり、同被告人自身も、結局のところ、片面が真券と同じであるのは警察で受けた助言と符合していないことを認めているのであつて、右弁明的供述は、到底信用し難いと言うべきであるのみならず、仮に、警察で受けた助言になお理解し切れないものが真にあつたのであれば、既に六法全書の該当部分を示されて法的規制の存在を教えられていたのであるから、遅くとも印刷原稿の段階ないしは試作品の段階など修正を容れる余地があるような時点で再度中山係長らに相談することを考慮するのが当然であり、かつそうすることに格別の障害があつたわけでもないのに、同被告人は、あえていきなり本件サービス券を大量に作成してしまう道を選んだものにほかならないと言うべきであり、いずれにしても、同被告人が中山係長らの助言を無視し、あるいはこれに無関心であつたとの評価を免れることはできない。また、右サービス券につき銀行関係者が格別の不安を感ずることなく帯封をかけることを約束し実行するなどして積極的に協力していることは、金銭を取り扱う専門家としてはいささか軽率のそしりを免れないところであるとともに、このことが同被告人の希望的観測を助長したことも否定できないと思われるが、とりわけ前記のような助言の存在した本件にあつては、銀行関係者の右の程度の言動が違法性の錯誤に関する相当の理由となり得ないことは明らかである。
次に、同被告人の判示第一の二の事実について見ると、同被告人は、判示第一の一のサービス券を西警察署に持参した際、中山係長らからそれが法に触れたものである旨の指摘が特になく、その後も格別のことがなく約二週間が経過したため、右サービス券は既に警察によつて許容されたものと理解していたというのであるが、本件は、警察側に対しでき上がつたサービス券の可否を真摯に尋ね、警察側の明確な了解を得た上で次の製造行為に及んだというような場合とは、おのずから事案を異にし、違法性の錯誤に関する相当の理由ありとするには、いかにしても足りないものが残る。すなわち、同被告人が右サービス券を西警察署に持参した時期は、単に若干の試作品を作つてみたというような準備段階ではなく、既に一万枚にも及ぶ大量のサービス券を作成し帯封も終えた後であつて、持参の趣旨は、でき上がつた現物を示して警察側の判断を更に仰ぐという色彩は極めて薄く、むしろ、警察側から文句を言われることはまずあるまいと楽観した上、同被告人も自認するように、これを配付して署員の来店を促す宣伝活動の点に主眼があつたと見られるのであり、それゆえに、同被告人から中山係長らに対し改めて右サービス券の可否につき判断を求める具体的な相談はなされていない。そして、中山係長らが、先に、六法全書を開いた上ある程度具体的にほぼ適切な助言を与え、同被告人に対し、この種のサービス券が通貨及証券模造取締法との関係で微妙な問題をはらんでいることをかなり明瞭な形で告げていたことは、前記のとおりである。そうしてみると、既に刷り上がつてしまつている右サービス券の現物を突然客寄せのために持ち込まれた形の西警察署が、そのころ明示の警告をしなかつたという一事をもつて、同警察署が同被告人に対し事実上右サービス券を許容するいわゆるお墨付きを与えたものであるなどと評価することはできない。もとより、同被告人が判示第一の一のサービス券を西警察署に持参した際ないしはこれに近接した時期に、中山係長らが右サービス券はかねての助言に反しており法に触れているおそれがある旨強く警告していれば、それ以降の犯行は防止できたのではないかということは考えられないではなく、同係長らとしては、そうすることが望ましかつたと言うことはできるが、通貨及証券模造取締法に不慣れで右サービス券が違法物件であるとの確信までは持てなかつたことから、そのような警告をするに至らなかつたという事情も、それなりに理解し得ないわけではなく、いずれにせよ、本件においては、中山係長らが同被告人に対し誤つて積極的に右サービス券を許可容認したというような事情は全く存在しないのであつて、単に積極的な警告を発するに至らなかつたというのにとどまるものであるから、右のような警告がなかつたことをもつて、直ちに警察の了承をとりつけたものとは言い難いのみならず、とりわけ当初の段階においてあらかじめほぼ適切な助言が現に行われていた事実関係の下にあつては、黙示的にせよ警察の許しを得たものなどと見ることはできないと言うべきである。
結局、被告人花本は、判示第一の一の犯行に際し、違法性の意識がやや希薄であり、判示第一の二の犯行に際しては、違法性の意識が一層希薄となり、これを欠いていたとも見得るような状態にあつたものとは認められるが、前記特段の事情の存在を認めることはできず、違法性の意識の可能性を有していたことはそれぞれ明らかであつて、違法性の錯誤に関する相当の理由はないものと言わざるを得ない。
また、被告人中川の判示第二の事実について見ると、同被告人としては、自ら作成しようとするサービス券が問題のないものであるか否かにつき独自に調査検討したことはなく、専ら先行していた被告人花本の話を全面的に信頼していたものであるところ、既に述べたとおり、同被告人の関係において違法性の錯誤につき相当の理由が認められず、他に被告人中川が被告人花本の話を信頼するのも無理からぬものがあると思わせるような格別な事情の存在もうかがわれないから、被告人中川についても右相当の理由を認める余地はないものと考えられる。近時百円紙幣が一般に流通していないことや、サン写真製版所が被告人中川の注文にたやすく応じたこと等も、右判断に消長を及ぼす性質の事情とは認め難い。なお、牧口が判示第二のサービス券を南警察署に持参した際、佐々木副署長から格別警告的な話が出なかつたことは事実であるが、突然客寄せのために右サービス券を持つて来訪してきた牧口に対し、同副署長が多忙なさなか短時分のうちにそのような警告をするに至らなかつたとしても、ある程度やむを得ないものと言うべきである上、そもそも、右の事実は、「製造」という犯罪行為が終了した後の事情に過ぎないから、いずれにせよ違法性の錯誤に関する相当の理由の基礎となし得る性質のものではない。
結局、被告人中川は、判示第二の犯行に際し、違法性の意識を欠いていたものとは認められるが、前記特段の事情の存在を認めることはできず、違法性の意識の可能性を有していたことは明らかであつて、違法性の錯誤に関する相当の理由はないものと言わざるを得ない。
4 以上の次第であるから、被告人らの判示各犯行は、いずれも違法性の錯誤につき相当な理由を有する場合ではなく、所論は、前提を欠き、採用することができない。
五公訴権濫用の主張について
被告人中川の弁護人は、本件は、警察官が警告すべき機会を具体的に得ていたにもかかわらず、漫然これを黙認した結果引き起こされた事案であるから、このような事案について公訴を提起することは、市民をわなにかけることになりかねないと言うべきであり、また、判示第二の事実につき同被告人のみを起訴し、「大黒家」店の経営者である共犯者の牧口を起訴していないのは、著しく不公平であつて、同被告人に対する本件公訴の提起は、公訴権を濫用してなされたものである旨主張する。
しかしながら、本件が市民をわなにかけたというような実体の事案でないことは、これまでに説示したところから明らかであり、また、同被告人のみを起訴し、共犯者の牧口を起訴していない点も、証拠によつて認められる両者の具体的な関与の態様等にかんがみ、なお検察官の裁量の範囲内にあるものと認められるのであつて、公訴権濫用の主張は、理由がない。
(量刑の理由)
本件各サービス券は、その片面が写真製版によつて百円紙幣と酷似した体裁に作成されており、特に大量のそれをまのあたりにするとき、見る者をして一種の不安感、危険感を感じさせることは否定し難く、まさに通貨及証券模造取締法による規制の対象物件と目されるものであつて、これらを大量に作成頒布した被告人らの行為が責められるのは、やむを得ないものと言うべきである。なかでも、被告人花本は、当初警察官らから同法による規制の存在を知らされた上、同法違反になることを避けるための方途まで助言を受け、犯行を思いとどまるべき機会を与えられたにもかかわらず、百円紙幣にそつくりのものを作つて人目をひきたいというアイディアに執着し、せつかくの助言をあえて軽視し、その独断で犯行に進んで行つたものであつて、この点は、まことに遺憾であり、また、同被告人の犯行が被告人中川の犯行を誘発したということも否定できず、犯行が二回にわたり、製造されたサービス券の枚数が多いことをも併せ考慮すれば、その責任は、被告人中川のそれに比して、一段と看過し難いものがあると言わなければならない。
しかしながら、本件各犯行については、被告人らのために酌むべき情状も少なからず存在する。すなわち、通貨及証券模造取締法が一般になじみの薄い特殊な法律であつて、その犯罪構成要件の一部に一見したところやや難解と言えなくもないような点が存在すること、百円紙幣が今日においては一般にほとんど流通しておらず、しかも昨今の貨幣価値に照らしてその券面額が少額であり、これを模したサービス券を作成しても悪用されるおそれは比較的小さいものと考えられ、実際にも本件サービス券が悪用されるような事態は生じていないこと、西警察署の中山係長らによる当初の助言とサン写真製版所が一時示した若干のためらいを除けば、本件各サービス券の作成頒布に関する警告めいた話は、これに関与した警察官、銀行員、製版業者などのだれからも被告人らに対して出されておらず、この種の問題にある程度通じていると思われるこれらの者が周辺に存在していながら、被告人らの犯行に途中でブレーキをかける者がいなかつたこと、本件サービス券の頒布を受けた警察官らからは格別これを違法視するような具体的な動きはなく、被告人らとしてもいわば問題は解決済みであると考えていた矢先に、突然予想外の経過から別の警察官らによつて本件が摘発されるに至つたこと、被告人らが本件各サービス券を作成したのは、ひとえに宣伝効果をあげて営業の向上を図りたいというそれ自体としては何ら問題のない動機に出たものであり、全く他意はなかつたこと等々の事実が認められるのであつて、これらは、全体として本件が極めて特殊かつ異例の事案であることを如実に示しているとともに、そのひとつひとつが被告人らのために酌むべき重要な情状であると言うことができる。とりわけ、被告人らの違法性の意識が前判示のとおりの事情から希薄化ないしは欠如していたと見られる点については、本件における刑の量定上、十分留意する必要があるものと考えられる。更に、被告人らは、いずれもこれまでに全く前科がなく、また前歴もないに等しく、まじめな社会人として生活してきた様子が認められるのであり、そうしてみると、この種のサービス券が法律上なお許容されないものであることが明らかとなつた以上、元来犯罪傾向のない被告人らが今後同種犯行に及ぶような事態はにわかに想定し難く、再犯のおそれはないと考えられるのみならず、先に指摘した数々の具体的事情に照らすと、ひたすら被告人らの責任のみを強く追及するのは、必ずしも当を得たものとは言い難いと考えられるのであつて、現時点において被告人らに対し重い刑罰を科することは、刑政上もその必要があるとは思われない。
そこで、被告人らに対する処罰は、それぞれの責任の程度に応じて必要最小限度にとどめるべきこととし、主文記載の各刑をもつて相当と判断した次第である。(求刑被告人花本につき懲役六月、同中川につき懲役四月)
よつて、主文のとおり判決する。
(永井敏雄)