札幌地方裁判所 昭和56年(わ)121号 判決 1982年12月08日
主文
被告人は無罪。
理由
第一主位的訴因たる公訴事実について
一 本件の主位的訴因たる公訴事実は、「被告人は、札幌市白石区平和通二丁目北八八番地医療法人白石中央病院の常務理事として、同病院理事長兼病院長の野田潔を補佐して同病院の管理事務を統括し、野田が消防法令などの定めるところにより作成した消防計画に基づく消火、通報及び避難の各訓練の実施並びに消防、警報及び避難に関する設備の維持管理等の業務に従事していたものであるが、同病院旧館(木造モルタル亜鉛メッキ鋼板葺二階建床面積一、〇九八・一八平方メートル)は老朽化した木造建築物である上、特に同館二館には新生児及び産婦人科の患者など自力行動の困難な者が入院しており、更に右旧館内には右入院患者の付添人も在館しているのであり、万一火災が発生した場合には、これらの新生児、入院患者及び付添人の生命、身体に対する危険の発生が予想されたので、平素から、火災が発生した場合には、速やかに出火場所を同病院従業者らに通報し、新生児、入院患者及び付添人を安全確実に救出或いは避難誘導できる対策を立案し、これに基づく各訓練を実施するとともに、当直時にあっても右新生児、入院患者及び付添人を迅速に救出或いは避難誘導し得る人員を配置し、また旧館二階に設置された非常口は屋内から南京錠で施錠されていて、鍵の所在が判明しないときは、直ちに解錠し難い設備であったから、屋内から鍵を用いないで解放できる設備に改善しておくか病院従業者に右非常口の鍵を携行させて旧館出火の場合には迅速確実に非常口の施錠を解錠し得るような措置をあらかじめ講じておかなければならない業務上の注意義務があるのに、これを怠った結果、昭和五二年二月六日朝における同病院旧館の出火(同病院の汽罐士として同病院のボイラー及び暖房設備の操作、維持及び管理等の業務に従事していた八木澤龍介が当直勤務中の昭和五二年二月六日午前七時二〇分頃、同病院旧館一階第一診療室を巡回した際、同室放熱器から放熱していないのを見て、同室南西側モルタル壁から戸外に約二三センチメートル突出している暖房用ドレンパイプ(排水用パイプ)内が凍結して蒸気の送風が妨げられたものと考え、携行していた圧電点火式トーチランプの炎を噴射して右パイプの凍結を融解させようとしたが、右トーチランプの炎は容易に可燃物を着火燃焼させる極めて高熱なものであり、また同壁とパイプの周囲には隙間が存し、かつ同壁内側には乾燥した板壁などがあり、同壁に接近した箇所に炎を噴射させたときは、同隙間から壁内に炎が流入し、右板壁等に着火する危険が大であったものである上、同パイプは同壁から約八センチメートル露出しているのみで、その先の部分は雪に覆われていたのであるから、凍結を融解させるに当たっては、熱湯を右パイプに注ぐなどの方法によることとし、やむなくトーチランプを使用する場合は、除雪するなどして炎を壁から離れた箇所に噴射して万が一にも右モルタル壁内に炎を流入させないよう配慮するとともに、作業終了後は同部位付近を点検しておくべきであったのに漫然右トーチランプの炎をモルタル壁近くのパイプ露出部分に噴射して前記隙間から炎をモルタル内部に流入させて板壁などに着火させ、かつ同所の点検をしないでその場を立ち去ったため、間もなく同所壁から前記第一診療室の壁体、柱等に燃え移らせて右第一診療室から出火の際、旧館二階当直看護婦や当直助産婦らをして前記非常口施錠の解錠、新生児、入院患者及び付添人の救出或いは避難誘導を迅速に行わせることができず、そのため、旧館二階病室に入院中の患者のうち畠山イヨ(当時五三年)を、旧館二階新生児室に収容されていた新生児のうち三沢敏勝(昭和五二年一月八日生)、桜木正志(同年二月二日生)及び桜井慶子(同月四日生)を各焼死させ、旧館二階病室に入院中の患者のうち落合禮子(当二九年)に対し全治まで約三週間を要する右足関節血腫の傷害を、更に前記畠山イヨの付添人畠山義明(当五三年)に対し全治まで約二週間を要する両手挫傷、顔面火傷の傷害を各負わせたものである」というにある。
二 そこで、検討してみるに、《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。
1 医療法人白石中央病院の概要
白石中央病院理事長兼病院長である野田潔は、昭和三八年八月頃、札幌市白石区平和通二丁目北八八番地に木造モルタル亜鉛メッキ鋼板葺一部二階建建物(以下「旧館」という)を建築し、同所において、外科と産婦人科を診療科目とする個人病院白石中央病院を開設し、昭和四一年九月頃、旧館の西側に旧館と渡り廊下で接続する鉄筋コンクリート二階建建物を増築して総病床数を一一〇床に増やし、診療科目も内料、外科、整形外科、産婦人科等に拡げ、昭和四四年一一月一〇日には右病院経営を法人化して医療法人白石中央病院(以下「白石中央病院」という)を発足させた。右白石中央病院における組織の仕組み及び各職員の具体的職務分掌については、その定款に会長、理事長、副理事長、常務理事及び理事の各役員の設置とその概略的な職責に関する規定が存するのみで、他に明文の規程等は存在せず、従来からの慣例と指揮監督者の個別的指示によって定められていた。それによると、診療部門に関しては、病院長、副病院長、各科医長、婦長及び看護に関する各科責任者が置かれ、その各指揮下に医師、看護婦、助産婦及びその他の診療関係職員(本件当時、医師を含めて三十数名)がそれぞれの担当業務を遂行する仕組みになっており、このうち看護業務に関しては、同病院発足当時からの婦長で、昭和四五年頃からは総婦長を勤めていた大高幸が看護婦及び助産婦等の採用、教育、配属及び勤務割など同病院における看護業務全般の監督事務を直接担当しており、更に同病院旧館二館における産婦人科の看護業務については、同科責任者として昭和五一年一一月末日までは飴谷助産婦が、同年一二月一日からは大屋敷助産婦が大高総婦長の指揮監督の下に同科所属の看護婦等の当直業務を含めた日常業務を指揮監督していた。右医療業務以外の事務部門に関しては、前記役員の下で同病院の経営管理事務全般を事実上掌理する事務長以下の事務職員(本件当時、前記役員を除いて二十数名)が分担してこれを行い、このうち防火防災関係事務については、昭和五一年九月二五日前事務長で消防法所定の防火管理者であった南正が同病院を退職したため、同年一〇月頃から同病院事務職員伊藤幸信(同年一一月一日から総務係長。なお、当時の同係長の職は、事務長の下で総務・会計係事務を担当する一般事務職員(ボイラー技士八木澤龍介は同係に所属する)中、最上位にある)が同病院の防火管理者となり、以後引続きこの地位にあった(但し、同人を防火管理者に選任した旨の届出はなされなかった)ほか、夜間や早朝時の夜警事務については、昭和四九年一〇月一日頃、同病院と道都建物管理株式会社との間で同会社が同病院に夜警員を派遣して夜警事務を行わせる旨の契約が締結され、右契約の約定によると、夜警員は、同病院における火災に十分注意し、在院者の人命第一に勧め、火災が発生したときは、患者及び同病院関係者に出火場所を通報すること等がその職務とされており、昭和五一年四月以降は鈴木鼓が右契約に基づく夜警員として同病院に派遣されていたが、その勤務に対する同病院側の指揮は事務長及びその指揮下にある総務係職員がこれを分掌していた。旧館の構造及び避難設備については、別紙一、二の旧館一、二階の平面図(いずれも同一縮尺)のとおりであり、本件火災が発生した当時、旧館二階中央廊下北端には非常口が設置され、同所から屋外に設置されている非常階段を降りて地上に脱出し得る構造となっていたが、右非常口の扉は常時屋内側から南京錠で施錠閉鎖されており、その鍵は常時旧館二階看護婦詰所の新生児室側窓枠に非常口の鍵である旨明示した札に結び付けて吊されていて、同詰所勤務の看護婦又は助産婦には一目でその所在と用途がわかる状況であった上、右詰所南側に隣接する新生児室には看護婦又は助産婦一人で一度に三乃至四名の新生児を搬出し得る新生児搬出用担架が二個備え付けられていた。
2 本件火災の発生時における旧館在院者
昭和五二年二月六日午前七時四九分頃、本件火災による高熱のため、旧館一階第一診察室に設置されていた火災感知器が作動し、同時に旧館二階配膳室に設置されていて右感知器と連動している火災報知ベルが鳴り始め、更に旧館一階事務室に設置されていた火災報知盤が、右第一診察室付近で火災が発生したことをランプ点灯により報じたが、その時点において、旧館二階には、一、二号室と五乃至八号室に単独歩行困難者を含む合計二一名の婦人が入院し、新生児室に六名の新生児が収容されていたほか、遠藤千恵子助産婦と松浦法子看護婦見習が当直勤務中であり、また入院患者との個別契約で雇われていた宮川とみ子付添婦が稼働中であった。更に旧館一階には、ボイラー技士の八木澤龍介がボイラー室付近で、給食賄婦四名が厨房で、前記鈴木鼓が事務室でそれぞれ勤務中であったほか、入院患者畠山イヨの夫畠山義明が事務室にいた。
3 本件火災発生後の病院側職員や夜警員及び付添人の行動
旧館一階事務室にいた前記鈴木鼓(当時六三年)は、火災報知ベルが鳴り、同室の火災報知盤が作動するや、直ちに旧館一階第一診察室に赴いたものの、同室の火災の状況を見て狼狽し、旧館二階には新生児や入院患者が多数収容されているのを知りながら、第一診察室前に来合わせた給食賄婦に対し、火災発生の件を消防署に通報して貰いたい旨依頼しただけで、他には何らの措置も取らないまま新館に避難してしまった。同じく事務室にいた畠山義明は、右鈴木と相前後して第一診察室に赴き、消火器を携行して第一診察室に駆け付けた給食賄婦から消火器を受け取って同室内に入り、消火器二本位を使用して消火活動をしたが、火勢が強くなる一方であったため消火を断念し、今度は妻畠山イヨの在室している旧館二階八号室に駆け上がって同女を避難させるべく身仕度をさせ、同女をかかえて廊下に出、二階非常口までたどり着いたが、非常口の扉が前記南京錠で施錠されていたため、結局同扉の上部にある金網入り窓ガラスを手拳や所携のバッグで破り開けて脱出口を作り、まず自分が右脱出口を経て屋外非常階段踊場に脱出し、更に屋内の畠山イヨを右脱出口から同女の着衣をつかんで右踊場に引っ張り出そうとしたが、屋内の火勢が強まって火炎が畠山義明の顔面に襲いかかってきたためやむなく同女の救出を断念し、同女を屋内に残したまま非常階段を降りて自らは難を逃がれた。また旧館二階で当直勤務についていた前記遠藤千恵子(当時五〇年)は予備室で、同じく当直勤務中の前記松浦法子(当時一八年)は看護婦詰所で、また前記宮川とみ子は洗面所でそれぞれ火災報知ベルの音を聞き、いずれも火災報知ベルが設置されている同階配膳室前に集まったが、三名ともこれまでに実際には火災が生じていないのに火災報知ベルが鳴ることがあったのを何度か聞いていたため、本件火災に際しても、実際には火災が生じていないものと速断し、その結果右三名は、どうしたら火災報知ベルの吹鳴を止めることができるかについてしばらくの間同所付近で話し合ったり、その停止ボタンの所在を捜したりするなどして当初は本件火災発生の有無及び出火場所の確認をしなかった。その後間もなくして、宮川は、看護詰所横の階段から白い煙が上がってきたのを認めたため、同階段から旧館一階に降りて付近の様子を窺い、そこではじめて本件火災の発生に気付き、直ちに同二階へとって返し、入院患者に火災の発生を知らせるとともに、その避難誘導に最大限努力した。他方、遠藤は、その頃用便のため旧館二階西北隅にある便所に入ったが、宮川と松浦の指示により避難を始めた入院患者達の立てるざわめきを用便中に聞き付けて本件火災の発生を知り、急いで右便所から飛び出して廊下に出たところ、看護婦詰所横の階段から煙が上がっているのを認め、直ちに新生児救出のため分娩室経由で旧館二階南西隅にある新生児室に駆け込み、分娩室からの入口の近くに収容されていた新生児三名を抱きかかえて同階の前記非常口まで引き返し、右非常口の扉に体当たりしたが南京錠が掛かっていたためこれを開けることができず、そこで同所付近に立ちすくんでいた松浦に前記三名の新生児を手渡した上、非常口横の窓から屋外非常階段に飛び降りて同女から順次右新生児三名を受け取り、右三名を地上に運んで無事救出した。松浦は、火災の発生を全く信じていなかったため、火災報知ベルの音を聞き付けて廊下に出てきた入院患者に対し、「大丈夫です。落ち着いて下さい」などと安心するよう告げてまわったが、患者らに右伝達を終わって旧館二階看護婦詰所に戻ろうとした際、右詰所横階段から黒煙がたち昇るのを発見して本件火災にはじめて気付いたものの、非常口の開扉や新生児の救出には全く思い至らず、ただ直ちに避難するよう各病室に触れまわったが、その際入院患者の一人から「子供はどうするんでしょう」と尋ねられたのに対し、「私達がやります」と自ら救出する旨答えておきながら、しかもその時点で直ちに右看護婦詰所に駆け込んで非常口開扉用の鍵を持ち出した上で隣りの新生児室に飛び込み、手近の新生児三名を搬出用担架を用いるなどして旧館二階非常口まで搬出し、同扉の南京錠を開錠していれば、少なくとも新生児三名は十分救出し得たと認められる時間的余裕があったのにこの行動に出ず、ただ患者らに避難を訴えて旧館二階廊下をうろうろし、その間急速に煙が充満してきたのに驚いて右非常口横便所付近で立ちすくみ、前記のとおり遠藤に促がされて、同女が前記のとおり抱きかかえてきた新生児三名の搬出に手を貸したにとどまった。
4 夜警員及び当直看護婦による結果回避可能性
(一) 本件火災による死傷の発生状況
本件火災による死亡者は、前記畠山イヨと前記新生児室に最後まで放置されていた新生児三名の合計四名であり、負傷者は、前記畠山義明と旧館二階二号室に入院していた落合禮子の二名であって、これ以外には本件火災発生時の在院者で本件火災による死傷者は存在しないところ、畠山イヨは、前記3のとおり畠山義明にかかえられて前記非常口扉前までたどり着いたものの、その頃は既に廊下には煙が充満していて旧館二階から一階に通じる二つの階段のいずれかを通って避難できる状況ではなく、更には右非常口の扉が南京錠により施錠されていたため同所から脱出することもできず、結局同所脇の洗面所において焼死し、右新生児三名は、本件火災発生時から鎮火時点まで前記新生児室のベッド内に放置されたままであったため、それぞれ同所で焼死したものであり、畠山義明は、右非常口扉の上部にある窓ガラスを破り開けて屋外に脱出し、その脱出口から畠山イヨを引き出そうとした際、両手挫傷及び顔面火傷の傷害を負ったものであり、落合禮子は、歩行困難等のため避難が遅れ、一階に通じる二つの階段も猛煙のため利用することができず、また右非常口の扉が施錠されていたために同扉横の窓から約一メートル以上も落差のある屋外の非常階段の途中に飛び降りた際、その衝撃により右足関節血腫の傷害を負ったものである。右各死傷の原因は、新生児三名については放置、その余の三名についてはいずれも右非常口の扉が南京錠により施錠されていたことによるものである。
(二) 夜警員による結果回避可能性
前記夜警員鈴木鼓は、前記のとおり、本件火災の約九か月も前から夜警員として白石中央病院に派遣され、旧館二階の構造並びに同所には歩行困難な入院患者や新生児が収容されていて当直看護婦らが在勤していることを熟知しながら、前記の夜警業務に従事していたのであるから、主位的訴因記載のような火災通報等の対策が被告人により定立されていず、かつこれに基づく訓練が実施されていなくても、本件火災を発見した際、少なくとも「火事だ」と大声で叫ぶなどして火災の発生を右の当直看護婦らに知らせることはその職務上当然になすべき最小限の責務に属し、しかも右行動に出ることは極めて容易であって、本件においてこれを妨げる事由は全く存在しなかったものである。鈴木が右行動にさえ出ていれば、旧館二階に当直勤務していた遠藤や松浦はより早く本件火災の発生を知り得て精神的にも時間的にも相当十分な余裕を持ち得たはずであるから、看護婦詰所に掛けられている前記の鍵を使って非常口の扉を開けて旧館二階の入院患者やその付添人のために避難口を確保することや、新生児を前記新生児室に備え付けられている新生児搬出用担架に収納するなどして搬出することに思いを致してこれを実行に移し、前記畠山義明及び宮川とみ子の救出活動と相俟って、入院患者や新生児らを全員無事救出することができたはずであったということができる。
(三) 当直看護婦による結果回避可能性
前記松浦法子は、昭和四八年三月に中学校を卒業した後すぐ見習看護婦となり、昭和五一年五月から白石中央病院に見習看護婦として勤務し、同年八月からは同病院の産婦人科に配置替えとなり、新生児及び単独歩行困難な患者を含む入院患者多数が在院している旧館二階の看護婦詰所勤務となった。同女は、本件火災当時一八歳で、正規の看護婦又は准看護婦の資格を有してはいなかったが、見習看護婦として通算約三年六か月の経験があり、この間二年間の通信教育と一か月間の実習を受けて医師会から副看護婦という認定を受けており、その仕事ぶりも普通であった。また同女は、本件火災当時まで五か月以上も旧館二階の前記看護婦詰所に勤務しており、その間上司看護婦らから万一の場合には新生児の生命の安全確保が第一である旨常日頃訓諭されていた上、同階非常口の扉が常時南京錠で施錠されていて、その鍵は前記看護婦詰所の新生児室側窓枠にその旨明示して掛けられていたことを熟知していた。右の事情を前提とすると、松浦は、主位的訴因記載のような火災通報等の対策が被告人により定立されていず、かつこれに基づく訓練が実施されていなくても、職業人として常日頃から、本件火災のような緊急非常の場合には入院患者らの避難のために右鍵を用いて右非常口の施錠を開けること、新生児についてはその搬出行動に出るべきことを念頭におき、これを確実に実行できるよう身に付けておくことが当然であったというべきであり、そしてこのことにつき何らの支障もなかったというべきであるところ、前記のとおり同女よりもやや遅れて本件火災の発生に気付いた遠藤でさえ直ちに新生児室に駆け込んで三名の新生児を救出しており、その時点では火災による煙はいまだそれほど二階廊下に立ち込めてはおらず、同女はもう一度新生児室に戻ることができると考えていた位であるから、松浦が本件火災の発生を覚知した時点、或いは前記のとおり入院患者らに避難を呼び掛けた直後の段階においては、当然のことながら、同女において右非常口の開錠や新生児の搬出行動を完了するに十分な時間的余裕もあったものというべきであり、従って、松浦が右時点・段階において、直ちに看護婦詰所に入って前記の鍵を手にした上、隣りの新生児室に入り、新生児三名だけでも、前記新生児搬出用担架を用いるか、或いは抱きかかえるなどして右非常口まで搬出し、右鍵で右非常口の南京錠を開ける行動にさえ出ていれば、遠藤千恵子、宮川とみ子及び畠山義明の前記各救出活動と相俟って旧館二階にいた新生児、入院患者及び付添人ら全員を安全に救出することができたものである。
(四) 従って、前記畠山イヨら四名の焼死及び落合禮子ら二名の負傷は、まず松浦が前記(三)に記載した行動をすることによってその発生を防止することができただけでなく、鈴木が前記(二)に記載した行動をすることによって確実にその発生を防止することができたものである。
5 被告人の予見可能性
被告人は、昭和四七年一月白石中央病院に就職し、同年五月同病院の常務理事となり、爾来同病院院長兼理事長の野田を補佐するとともに、昭和五一年九月二五日からは同病院事務長の職を兼ねて担当するようになり、野田が医師としての診療業務に多くの時間を割かざるを得なかったことから、被告人が医療業務を除く同病院の経営管理事務全般を実質的に掌理し、夜警事務に関しても、同病院と道都建物管理株式会社との間で昭和四九年一〇月一日頃締結された夜警員派遣に関する前記契約により、昭和五一年四月から同病院に派遣されていた夜警員鈴木鼓の勤務に対する同病院側の指揮を分掌していた。しかし、夜警員鈴木が本件火災の発生を知ったときに、前記4の(二)に記載した行動に出ることは、同人がその際になすべき最小限の極めて容易な職務行為であるというべきであるから、主位的訴因記載のような火災通報等の対策が被告人により定立されていず、かつこれに基づく訓練が実施されていなくても、鈴木はその職務にある者として当然右の行動に出るべきであり、かつそれが十分可能であったから、被告人としては、鈴木が前記4の(二)に記載した行動に出ることを当然に予見し、かつ期待し信頼することが許された(換言すれば、同人が右のような最小限の職務すら果さないで出火場所である第一診察室前を離れ、そのまま旧館から脱出してしまうかもしれないということについての予見可能性は肯認されない)というべきである。また、白石中央病院における当直業務を含めた看護業務全般に関しては前記のとおり総婦長が、また旧館二階における産婦人科の日常の看護業務については総婦長の指揮監督の下に産婦人科責任者である上司看護婦がそれぞれ日常指揮監督すべき組織となっていたから、被告人としては、ことさら総婦長や産婦人科責任者に注意を喚起するまでもなく、これら上司看護婦が松浦に前記4の(三)に記載した行動に出るべきことについて日常教導指示していることを期待し信頼することが許されたし、更に松浦は、前記のとおり、本件火災発生を覚知した際、職業人として前記4の(三)に記載した行動に出るべきであり、かつそれが十分可能であったから、主位的訴因記載のような火災通報等の対策が被告人により定立されていず、かつこれに基づく訓練が実施されていなくても、被告人としては、松浦が上司看護婦の右教導指示に基づき、或いは新生児や単独歩行が困難な患者を含む入院患者及びその付添人ら多数が在院している旧館二階看護婦詰所に当直勤務する副看護婦としての自覚により、前記4の(三)に記載した行動に出ることを予見し、かつ期待し信頼することが許された(換言すれば、同女が右の行動に出ないかもしれないということについての予見可能性は肯認されない)というべきである。そして、前記の鈴木や松浦の年齢、経験、能力等に鑑みても、被告人が右両名に対し、右のように期待し信頼するということを不自然、不合理であるとすべき特段の事情は存在しない。
三 以上によれば、白石中央病院における被告人の立場から考えると、夜警員や当直看護婦が当然果してくれるものと予想されるような出火通報、非常口解錠並びに新生児ら在院者の搬出、救出活動乃至避難誘導が現実に実行されない場合のあることまでも考慮に入れて火災発生に備えた対策を定立し、これに基づく訓練を実施しなければならないというのは被告人に過大な要求を科するものといわざるを得ない。すなわち、検察官が主位的訴因において被告人の過失として主張する注意義務は、夜警員や当直看護婦が既存の状況下で当然に果すであろう搬出、救出活動乃至避難誘導によってもなお結果の発生を回避することが不可能とみられる場合においてはじめて法律上の義務として肯定されるべきものというべきであり、そして既に説示したように本件火災により発生した死傷の結果は、夜警員鈴木及び副看護婦松浦が当時の状況下でこれを回避することが不可能であったとは認められないから、被告人には、検察官が主位的訴因で主張するような結果回避義務の前提となるべき客観的予見可能性がなく、従って、被告人に前記六名の死傷という具体的結果に対する予見義務を負わせることができないから、結局本件死傷事故につき被告人に検察官が主位的訴因として主張する業務上過失致死傷の責を問うことはできないというべきである。
以上の次第で、被告人に対する主位的訴因たる公訴事実は犯罪の証明がないことに帰する。
第二予備的訴因たる公訴事実について
一 本件の予備的訴因たる公訴事実は、「被告人は、医療法人白石中央病院に設備された暖房用パイプが厳冬期において凍結することがあるため、これが溶解のため圧電点火式トーチランプを使用することとなったが、右トーチランプの炎は容易に可燃物に着火して燃焼させる極めて高熱なものであり、本件病院の旧館建物の直近においてこれを使用するときは、板壁等に着火する危険が大であったから、旧館建物の真近にある暖房用パイプが凍結した場合には、熱湯を右パイプに注ぐなどの方法で融解させ、右トーチランプの使用を避けるようにするとともに、やむなくトーチランプを使用する場合は、炎を板壁から離れた箇所に噴射して、万一にも板壁等に着火することのないように配意するとともに、作業終了後は同部位付近を点検するなどの事項を担当職員に指示してこれを遵守させ、もって火災の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠った過失により本件火災を発生させ、本件死傷の結果を生ぜしめたものである」というにある。
二 そこで、検討してみるに、《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。
1 本件火災による死傷の発生
本件火災により三名の新生児と畠山イヨとが焼死し、落合禮子と畠山義明とが傷害を負ったことは主位的訴因に対する判断の中で認定したとおりである。
2 本件火災の発生原因
本件火災は、白石中央病院のボイラー技士として同病院のボイラーと暖房設備の操作維持管理等の業務に従事していた八木澤龍介(当時五五年)が、昭和五二年二月六日午前七時二〇分頃、旧館一階の第一診察室に暖房用ラジエーターの点検に赴いたところ、右ラジエーターが放熱していなかったため、右第一診察室の南側モルタル壁から戸外に約二三センチメートル突出している蒸気抜きのためのドレンパイプ(以下「本件ドレンパイプ」という)が凍結しているものと思い、これを融解すべく、同室南側窓から上半身を乗り出し、右手に持った圧電点火式ガストーチランプ(以下「本件トーチランプ」という)をモルタル壁と積雪との間の約八乃至九センチメートルの隙間に差し込み、その噴射口を本件ドレンパイプのうち雪に覆われていない露出部分(右モルタル壁から戸外に向かって長さ約八乃至九センチメートルの部分)に向け、約二分間にわたって最大限にした火炎を直接噴射したため、本件トーチランプの火炎又はそれによる高熱が本件ドレンパイプと前記モルタル壁との隙間(外径約二・九センチメートルの本件ドレンパイプを右モルタル壁に貫通させるために右モルタル壁に開けられた直径約八センチメートルの穴の外周と右パイプとの間の間隙)から右モルタル壁の内部に流入し、右モルタル壁の内部の可燃物質(下地板等)に着火して燃え上がり、間もなく前記第一診察室の壁体、柱及び天井板等に燃え移ったことによって発生した。
3 出火現場の状況
白石中央病院旧館一階第一診察室南側窓際には暖房用ラジエーターが設置されており、そして外径約二・九センチメートルの蒸気抜き用の本件ドレンパイプが同窓下のモルタル壁に開けられた直径約八センチメートルの穴を貫通して水平方向よりやや下方に向かって同モルタル壁から戸外に約二三センチメートル突出しており、同モルタル壁と本件ドレンパイプとの間には指が入る位の隙間が存在していた。本件火災当時、本件ドレンパイプの先端部は雪に覆われていて見えない状態であり、露出しているのは壁面から約八乃至九センチメートルの管の部分のみであった。右第一診察室南側モルタル壁は、全体の厚さが約一四・四センチメートルで、外側から内側に向かって、順次、厚さ約一・七センチメートルのラス入りモルタル、防腐紙(建築紙)、厚さ約一センチメートルの下張板(下地板)及び厚さ約一・二センチメートルの発泡スチロールが密着して張られ、その内側に約一〇センチメートルの空間をおいて、更に厚さ約〇・五センチメートルのベニヤ板が張られている構造となっていた。
4 本件トーチランプの性能
本件トーチランプは、火炎噴射調節バルブを全開にすると噴射口からの火炎の長さは最大の約一八センチメートルとなり、その先端部分の温度は摂氏約八〇〇度、炎の中心部のそれは摂氏約一、二〇〇度を越え、最大にした本件トーチランプの炎を外径二・八センチメートルの鉄管にほぼ垂直に噴射すると、噴射口と右パイプとの距離が一五センチメートル以内であれば、放射火炎の中心より鉄管の延長方向に約二乃至三センチメートルの範囲では容易に摂氏約八〇〇度前後の熱を受け、また本件トーチランプの火炎噴射調節バルブを全開にし、その噴射口と本件ドレンパイプとの距離を約一二センチメートルにしてモルタル壁から約三センチメートルの管の部分に炎を噴射すると、火炎が本件ドレンパイプに当たって炎の一部がモルタル壁の穴から同壁内部に流入し、加熱後約一分で下張板が焦げ始め、加熱後約二分すると下地板に着火するに至るものである。
5 八木澤龍介の過失
前記八木澤は、昭和一七年一〇月一日一級ボイラー技士免許を取得し、昭和三八年八月から白石中央病院にボイラー技士として勤務し、同病院のボイラー及び暖房設備の操作、維持、管理等の業務に従事するとともに、冬期間においては凍結した暖房設備の配管やドレンパイプの融解作業にも従事していたものであり、長期間にわたる同病院ボイラー技士としての稼働を通じ、旧館が木造で相当老朽化しており、旧館一階第一診察室南側モルタル壁と本件ドレンパイプとの間には指が入る位の隙間が存し、右モルタル壁内部には可燃料材が用いられていることを認識し、しかも本件トーチランプ購入後、凍結した本件ドレンパイプの融解を含めて本件前に二回トーチランプを使用して解凍作業を行い、本件トーチランプの炎の長さ、熱の強さ等も概ね知っていたのであるから、本件トーチランプを前記4のような方法で使用すれば、その火炎又はそれによる高熱が前記隙間から右モルタル壁内部に流入し、内部の可燃物質に着火し、ひいては本件火災が発生するかもしれないことを十分予見し得た(被告人と同じ立場にある通常人においても十分予見し得た)ものといわざるを得ず、そうであれば、右解凍作業を開始しようとする八木澤としては、建物に火が移らないよう細心の注意を払うべきは当然であり、右解凍に当たっては、まず本件ドレンパイプの先に積っている雪を取り除いた上、その先端部(モルタル壁から約二三センチメートル離れている)に本件トーチランプの炎を噴射するなど万が一にも火炎又はそれによる高熱が同壁内部に流入しないよう配慮した方法を取るべきであったし、またそうすることは極めて容易であったものであり、そして同人が右のような解凍方法を取ることについて当時妨げとなる事由も全く存在しなかった。八木澤が右のような解凍方法を取っていれば、前記モルタル壁の下張板等に着火することもなく、従って、本件火災も発生しなかったものというべきである。
6 被告人の予見可能性
被告人は、前敍したように、本件火災当時白石中央病院の常務理事兼事務長として、同病院院長兼理事長の野田を補佐し、医療業務を除く同病院の経営管理事務全般を実質的に掌理し、そして金額五万円までの建物管理、補修及び営繕、金額一万円までの物品購入並びに庶務の概括的処理について単独でこれを施行する権限を有していた。同病院旧館では厳冬期暖房用配管がしばしば部分凍結を起こしたため、従前はボイラー技士とこれを手伝う形で総務係職員が凍結部分に熱湯を注いでこれを融解していたが、昭和五二年一月初旬頃、八木澤らから熱湯では解凍に時間が掛かるなどの理由で解凍用にトーチランプを購入して欲しい旨の申し出がなされたため、同病院総務係においてこれが購入の是非について検討したものの、火を使っての解凍は危険であるとしていったんはこれを見送ったところ、同年一月下旬に寒波が襲来し、ドレンパイプの凍結が頻発したため、同総務係においてトーチランプの購入を再度検討し、上司である被告人の決裁を経て同月二五日頃本件トーチランプを購入するに至った。その際被告人は、部下職員に対し使用に当たっては十分注意するよう指示したものの、それ以上具体的な指示はしなかった。しかし、本件トーチランプは、前記のとおり、火炎噴射調節バルブを全開した場合高熱を発するものではあるが、危険物の指定を受けているわけではなく、一般に市販されていて誰でも自由に購入することができ、使用に当たっては専門的知識を必要としないばかりか、操作方法も至って簡単で誰れでも容易に使用することができるものであって、器具自体何ら危険性のあるものではないこと、同病院ではトーチランプ購入後本件火災発生前までの間も本件ドレンパイプ等多数の凍結箇所の融解に専らトーチランプが使用されていたが建物等に着火する等の事故は発生していなかったこと、本件火災は、八木澤の、火気を取り扱う上での、極めて初歩的な不注意によって発生したものであること、すなわち、八木澤は、本件トーチランプの火炎のおおよその長さとその温度、本件ドレンパイプとモルタル壁との間の前記隙間の存在及び右モルタル壁内部に可燃材料が用いられている状況等を認識していたのであるから、本件トーチランプを使用する場合は、当然本件トーチランプの火炎、又はそれによる高熱が前記隙間から右モルタル壁内部に流入し、内部の可燃物質に着火し、ひいては本件火災が発生するかもしれないことを予見し、本件トーチランプの使用に関し予備的訴因記載のような具体的指示がなくても、火気を取り扱う者として、当然右着火を防ぐためにまず本件ドレンパイプ先端部の積雪を取り除いた上、モルタル壁から離れたドレンパイプの先端部に本件トーチランプの炎を噴射する等の安全適切な方法を選択し、また作業終了後モルタル壁付近の状況に異常がないかどうかを十分点検するなどすべきであったのであり、このことは右のような条件の下で本件トーチランプを使用する者なら誰れしもが、他からの指示を受けるまでもなく、当然になすべき極めて初歩的で基本的な行為であったというべきであること、そして八木澤の年齢、また同人が本件当時まで白石中央病院において多年にわたりボイラー技士として無事稼働してきたこと及び火気の取扱いに関しては上司の事務系職員よりも慣熟した知識経験を有していたこと、更に、同病院の事実上の防火管理者で、かつ本件トーチランプの購入につき種々検討を加え、その購入方を被告人に上申した同病院総務係長伊藤幸信が八木澤の直接の上司として存在していたこと等の諸事情に鑑みると、被告人としては、八木澤が、直接の上司職員の指示に基づき、或いは火気を取り扱う者としての自覚により、前記のように適切な方法で本件ドレンパイプの解凍を行うこと等を予見し、かつ期待し信頼することが許された(換言すれば、同人が本件のような不適切な方法で本件ドレンパイプの解凍を行うかもしれないということ等についての予見可能性は肯認されない)というべきである。そして、他に被告人が八木澤に対し、右のように期待し信頼することを不自然不合理であるとすべき特段の事情は存在しない。
三 してみれば、被告人は、白石中央病院における防災及び建物・物品管理等に関する職責を当然負担していたといわざるを得ないが、被告人の立場から考えると、本件トーチランプを用いて凍結した本件ドレンパイプを融解しようとする者に対し、その取るべき適切な手段方法等を一般的な注意として事実上なすことは望ましいことではあっても、それ以上にこれを刑法上の注意義務として科することは過大な要求であるといわざるを得ない。
四 以上によれば、被告人については検察官が予備的訴因で主張するような結果回避義務の前提となるべき客観的予見可能性がなく、従って、被告人に本件火災の発生ひいては前記六名の死傷という具体的結果に対する予見義務を負わせることができないから、結局本件死傷事故につき被告人に検察官が予備的訴因として主張する業務上過失致死傷の責も問うことはできないというべきである。以上の次第で、被告人に対する予備的訴因たる公訴事実についても犯罪の証明がないことに帰する。
第三結論
以上のとおり、被告人については主位的、予備的いずれの訴因たる公訴事実についても結局犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条後段により、被告人に対して無罪の言渡をする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 生島三則 裁判官 佐藤學 裁判官奥田正昭は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 生島三則)
<以下省略>