札幌地方裁判所室蘭支部 平成11年(ワ)34号 判決 2002年1月11日
原告
甲山花子
外二名
原告ら訴訟代理人弁護士
上田文雄
被告
丁野次郎
訴訟代理人弁護士
黒木俊郎
被告
室蘭市
代表者市長
新宮正志
訴訟代理人弁護士
門間晟
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実及び理由
第1 請求
被告らは、連帯して、原告甲山花子に対し五〇〇万円、原告乙川春子、原告丙田夏子に対しそれぞれ二五〇万円ずつ、及びこれらに対する平成一一年四月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は、癌に罹患して死亡した甲山太郎の相続人である原告らが、丁野病院の医師被告丁野太郎と、市立室蘭総合病院を設置する被告室蘭市に対し、診療契約上の債務不履行がある旨主張して、慰謝料とこれに対する訴状送達の翌日からの遅延損害金を連帯して支払うよう求める事案である。
原告らが主張する債務不履行の内容は、①被告丁野の関係では、(a)癌告知義務違反(胆管癌であることを知り又は知り得たのに、本人や家族である原告らに癌の告知をしなかったこと)、(b)(予備的に)検査義務違反(総胆管拡張症には胆管癌が高率で合併するのに、本人の訴えに漫然と対症療法を継続するのみで、適切な検査を実施しなかったため、胆管癌の早期発見を見逃し、適切な治療を行う機会を失わせたこと)である。②被告室蘭市の関係では、(a)癌告知義務違反(遅くとも平成元年一一月二八日までに甲山太郎が胆管癌に罹患していると診断していたのに、本人や原告らに癌の告知をしなかったこと)、(b)(予備的に)病状説明義務違反(閉塞性黄疸と診断し、その閉塞部位も胆管十二指腸吻合部であることを知り、かつ腫瘍マーカー等からも胆管癌が予測されていた上、腫瘍発生部位からみて手術不能で、ドレナージがうまく行っても極めて予後不良であるなど、重篤な状態にあると判断していたのに、平成元年一二月一四日まで何らの病状説明をしなかったこと)である。これに対し被告丁野は、甲山太郎に胆管癌の発生を疑わせる症状はなかったから、告知義務も検査義務もない旨主張する。また、被告室蘭市は、死亡後に胆管癌と判断したが、治療中は癌の確定診断をしておらず、また死に至る重篤な状態と判断していなかったから、癌や重篤な病状を前提とする告知義務や病状説明義務はない旨主張する。
1 前提となる事実(関係当事者間では争いがなく、他の被告の関係では弁論の全趣旨により認められる。)
(1) 原告甲山花子は甲山太郎の妻であり、原告乙川春子と原告丙田夏子は甲山太郎の子である。
(2) 被告丁野は、丁野病院を開設する医師である。被告室蘭市は、市立室蘭総合病院(以下「市立病院」という)を開設している。
(3) 甲山太郎は、総胆管拡張症(総胆管嚢胞、総胆管嚢腫)に罹患し、昭和六〇年八月、丁野病院で入院治療を受けた後、市立病院に転院した。同年九月、拡張している総胆管を切除し、胆管を十二指腸に吻合させる手術を受けた。甲山太郎は、同年一〇月に退院し、その後は丁野病院に通院して術後管理を受けていた。
(4) 甲山太郎は平成元年七月に丁野病院に入院し、慢性膵炎が急性増悪したとの診断を受けていたが、同年九月二五日に退院した。
(5) その後、甲山太郎は、吐き気・腹部痛・全身の痒み・血糖値の上昇等をきたし、同年一一月二〇日に市立病院で診察を受け、同月二二日から同病院に入院した。入院時の診断名は黄疸であった。
(6) 市立病院の医師は、同年一二月一四日、原告甲山花子に対し、会わせたい人がいたら呼ぶよう告げた。甲山太郎は、その日のうちに集中治療室に移され、同月一六日午前五時五三分死亡した。原告甲山花子は、同日、市立病院から死亡診断書の交付を受け、そこには死因が胆管癌であり、発病から死亡までの期間が約八か月である旨記載されていた。
2 争点
(1) 被告丁野の胆管癌についての認識可能性
(2) 被告室蘭市の胆管癌・重篤性についての認識可能性
第3 争点に対する判断
1 被告丁野について
(1) 前提となる事実、証拠(甲1、8ないし13、乙1ないし4(枝番を含む)、原告甲山花子本人、被告丁野太郎本人)によれば、①甲山太郎は、昭和六〇年に市立病院で総胆管拡張症(総胆管嚢胞、総胆管嚢腫)の手術を受けた後の術後管理として、丁野病院に時折通院していたが、平成元年になって胆管癌を発症して死亡していること、②この間、昭和六二年七月からの入院の際には、右腹部から背部にかけての痛み、倦怠感、吐き気等を訴え、平成元年七月からの入院では、腹部全体と右背部の痛み、吐き気を訴え、発熱等の症状があったこと、③その頃までの文献には、総胆管拡張症には胆管癌が合併することがある旨の記載があり、被告丁野も同じ認識であり、腹痛や全身倦怠感等の初発症状が胆管癌の早期診断の第一歩である旨記載されていること、④甲山太郎の死亡診断書には、胆管癌の発病は死亡の約八か月前と書かれ、これは同人が丁野病院に通院していた時期であること、④甲山太郎の死亡は、丁野病院を退院した平成元年九月二五日から間もない同年一二月一六日であること等の事実が認められる。
(2) しかし、前提となる事実、証拠(甲8、11、乙イ2ないし4、7(いずれも枝番を含む)、乙ロ1、原告甲山花子本人、被告丁野次郎本人)によれば、①昭和六〇年に市立病院で手術をした際、胆管癌を合併しうる総胆管(嚢腫)自体が大部分切除され、胆管癌の原因となる合流異常のあった膵管と肝管の出口は分離されたこと、②切除した嚢腫を病理組織検査したところ、悪性所見がない旨の報告がなされ、被告丁野もこれを認識していたこと、③手術により腹部内の形状が本来の姿とは変わったたため、造影剤を入れる等の方法で検査をするのが前よりも困難になったこと、④昭和六二年七月から丁野病院に入院した時は、術後の十二指腸炎や急性胃腸炎等との診断を受けていた上、胃から十二指腸吻合部にかけての内視鏡検査がなされ、その際に取り出した組織を市立病院で病理組織検査したところ、悪性所見は認められない旨の報告がなされていること、⑤平成元年七年から丁野病院に入院した際は、血清アミラーゼ値や白血球値が高かったため、被告丁野は慢性膵炎の急性増悪と診断し、感染症に対応する処置をしたところ、症状は軽快し本人の仕事等にも配慮したため退院するに至ったこと、⑥その入院中、腹部CT検査を行ったが、手術後も残った一部の胆管を含め一帯に癌の疑いを抱かせる所見は認められず、胃のバリウム検査、X線検査、超音波検査(エコー)等にも異常所見は認められなかったこと、⑦この間の平成元年九月一二月頃、市立病院の西田医師が丁野病院で本人の診察をし、入院中のデータを検討したが、胆管癌である旨の指摘はなかったこと等が認められる。
(3) 上記(1)の事実によれば、被告丁野は甲山太郎の胆管癌を知りうべきであったという見方もできない訳ではない。しかし、上記(2)の事実や経過に照らすと、被告丁野がその置かれた具体的な状況において、甲山太郎が胆管癌に罹患していると認識していたり、胆管癌に罹患していると疑わなければならない義務があったとまで認めることは困難である。したがって、被告丁野について、これを前提とする癌の告知義務や検査義務を認めることはできないから、同被告に診療契約上の債務不履行責任を肯定することはできない。
2 被告室蘭市について
(1) 前提となる事実、証拠(甲1、8ないし11、13、乙ロ2、証人渋谷均、原告甲山花子本人)によれば、①市立病院は、昭和六〇年に甲山太郎の総胆管拡張症の手術を自ら行った病院であるところ、その頃までの文献には、総胆管拡張症には胆管癌が合併することがあり、腹痛や全身倦怠感等の初発症状が胆管癌の早期診断の第一歩である旨の記載があること、②平成元年一一月二二日に入院した際、甲山太郎には黄疸や腹痛など胆管癌によって生じる症状が存在し、その後も体調不良が続いていたこと、③同月二八日、市立病院の戊医師は、超音波検査の映像に基づき、カルテに「肝内胆管拡張 肝門部に腫瘍状 診断 胆管癌(肝門部)」と記載しており、特段、疑問形の表現はしていないこと、④同月三〇日までに、血液検査の結果が医師に報告され、腫瘍マーカーのCEA―Sが5.2(基準値2.5以下)、CA19―9が八九九(基準値三七以下)と基準値を超える数値を示していたこと、⑤市立病院が同年一一月一二月に保険請求をした際のレセプトには、胆管癌の記載があること、⑥甲山太郎が死亡したのは同年一二月一六日のことであり、市立病院に入院してから一か月も経過しておらず、会わせたい人を呼ぶよう言われた同月一四日からわずか二日後であるが、上記戊医師が作成した死亡診断書には、死因は胆管癌であり、発病から約八か月が経過している旨記載されていることが認められる。
(2) しかし他方で、前提となる事実、証拠(甲13、乙ロ1、2、証人渋谷均)によれば、①昭和六〇年に市立病院で手術をした際、胆管癌を合併しうる総胆管(嚢腫)自体が大部分切除され、胆管癌の原因となる合流異常のあった膵管と肝管の出口は分離されたこと、②手術で切除した嚢腫は病理組織検査を受け、悪性所見はない旨が報告されており、本件の担当医師らもこれを認識していたこと、③甲山太郎は、平成元年一一月二〇日に市立病院を訪れ、右心窩部痛と結膜に黄疸の症状等があったため、同月二二日に入院したが、上田病院の紹介状にはGOTとGPTの値が大きいとあるのみであり、丁野病院から胆管癌に関連する引継ぎはなく、市立病院で行ったCT検査でも胆管癌を窺わせる映像はなかったこと、④市立病院では一人の主治医でなく複数の医師が担当する体制であったところ、総胆管拡張症で切除した後の胆管に癌が発生するのは極めて稀と考えられ、甲山太郎の症状を引き起こしている胆管炎の原因は何かを解明しようとしていたこと、⑤腫瘍マーカーのCEA―SとCA19―9が基準値を超えているが、文献では癌でない疾患などでも数値が上昇する旨記載されており、医師らはむしろ閉塞性黄疸や胆管炎であるので数値は当然である旨考えており、他の腫瘍マーカーであるフェリチンとβ2―mは基準値内であったこと、⑥同月二八日に戊医師が胆管癌とカルテに記載した後も、市立病院では癌に対する治療行為はなされておらず、癌は有力な仮説の一つにすぎなかったものと窺われること、⑦当時の状況では、むしろ黄疸への対応が重視され、同年一二月一一日には胆汁を外に出すためにドレナージ(PTCD)を行い、通常どおり二、三日かけて流出が良くなることを期待していたが、結果的には少量しか流出しなかったこと、⑧黄疸が引いて状態が良くなれば、造影剤を入れて胆管造影をする等の検査により確定診断が可能となるが、当時の状況ではそれは不可能であったこと、⑨さらに黄疸が悪化して改善の見込みがない状態になったため、同月一四日に会わせたい人を呼ぶよう伝えたこと、⑩上記の腫瘍マーカーによる検査料等を請求するためには、保険請求で癌である旨の表示が必要であり、レセプトの記載は必ずしも医師の判断過程と一致するものではないこと、⑪死亡診断書では、死因を未確定のままにすることは困難であるから、その時点で最も可能性の高い死因を書く他はないこと等の事実が認められる。
(3) 上記(1)の事実に照らすと、甲山太郎は最後に急な展開を遂げて死に至っているが、原告らはその直前まで死亡という結果の生じる可能性を告げられていなかったため、心の準備をしたり残された時間を充実して過ごすことも十分にはできず、死亡後になって癌であった旨の医師の認識を書面で示され、後から見れば胆管癌と結びつく様々な兆候があったという経緯が認められるところであり、原告らにおいて、市立病院の担当者らが胆管癌又は重篤な病状であることを認識していたのに、これを告知又は説明してくれなかった不誠実があると理解するのも、ある意味でもっともな面が認められる。
しかしながら、本件の審理によって判明した上記(2)の事実関係によれば、昭和六〇年の病気や手術が直ちに胆管癌につながるものではない上、平成元年一一月から一二月にかけての症状や検査結果は、事後的にはともかく当時の状況からは、必ずしも胆管癌ないし危険な段階にあることを的確に示しているとはいいきれず、医師らは様々な可能性を視野に入れながらも、最悪の事態ではないことを前提に症状を改善させるべく治療にあたってきており、上記のとおり関係書類の記載も過大に評価すべきものではなく、癌という病気の告知や説明には、社会的心理的な影響への配慮も必要とされる。こうした事情を総合すると、市立病院の医師らが、胆管癌の可能性を疑っていたのは事実であるとしても、本件の証拠上、直ちに甲山太郎が胆管癌であるとか重篤な段階にあると認識していたとまで認定することはできない。もとより、医療機関が適切な医療を実施し、患者や家族との信頼関係を構築するためには、疑いや可能性の存否を含め、有している情報を開示して治療過程を説明することが相当な場合も多いが、本件の事案においては、原告らが主張するような癌の告知義務や病状説明義務を法的な義務として負うものと解することはできない。
3 よって、本訴請求は、いずれも理由がない。
(裁判官・齊木利夫)