大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌家庭裁判所 平成4年(家ロ)2013号 審判 1992年4月28日

申立人 小山宏子

相手方 木下繁

主文

上記本案申立事件の審判が効力を生じるまでの間、相手方の事件本人に対する親権者としての職務の執行を停止し、その職務代行者に申立人を選任する。

理由

1  申立ての趣旨

主文と同旨

2  当裁判所の判断

(一)  本案申立認容の蓋然性

(1)  本件記録(当庁家庭裁判所調査官○○○○及び同○○○○共同調査報告書を含む。)及び本案事件記録によれば、次の事実を一応認めることができる。

ア 申立人と相手方は、それぞれ札幌市内に勤務していた際知り合い、昭和50年5月13日婚姻の届出をした後、相手方の実家のある和歌山県田辺市内で家業の呉服店経営に従事しながら生活することとなり、その間に昭和51年2月6日事件本人久子が、昭和53年4月12日木下良子が、次いで昭和57年7月26日小山妙子が生まれた。しかし、申立人は、相手方の女性(後に婚姻した現在の妻木下秀子)関係を原因として、離婚を決意し、昭和60年8月、3子を連れて申立人の実母の住む札幌市内に転居し、3子とともに生活した。申立人は、離婚を強く主張したところ、当初相手方の反対で合意に至らなかったが、その後相手方は、3子の親権者を相手方と指定するなら離婚に応じると態度を変え、結局、申立人と相手方は、昭和61年4月22日、<1>長女久子及び次女良子の各親権者を相手方と、三女妙子の親権者を申立人とそれぞれ定める、<2>3子の監護は申立人が当たる、<3>相手方は久子及び良子の養育料として申立人に月額8万円を支払う旨合意し、協議離婚した。

イ 昭和61年8月、久子及び良子が夏休みを利用して相手方のもとに遊びに行くことになり、久子らは札幌市に出向いた相手方に田辺市に連れられて行ったが、相手方は、そのまま2子を引き留めて申立人のもとに帰さず、転校の手続を取ったりした。このため申立人は相手方に対し札幌地方裁判所に人身保護法に基づき2子の引渡請求に及ぶなど、申立人と相手方は、久子ら2子の引渡しを巡って争ったが、結局申立人の同請求事件取下げを経た後、相手方において大阪家庭裁判所に申し立てていた子の監護に関する処分(養育費請求)等調停事件において、昭和63年5月23日、「相手方《本件申立人宏子》は、当事者間の長女久子、次女良子に対する親権、監護に関する紛争については、家事調停、審判の管轄(和歌山家庭裁判所)を尊重する。」旨合意し、このため久子ら2子が相手方のもとで生活する状況は変わらなかった。なお、相手方は、昭和62年11月ころ現住所地に自宅を新築して秀子と同居し、平成3年12月26日には秀子との婚姻の届出をした。

ウ 久子は、相手方のもとに留どまったものの、当初から申立人のもとに帰りたいとの気持ちを持ち続け、相手方のもとでの生活にも不全感を抱く状態であった。平成元年、中学2年生のころからは、相手方と対立するとこも多くなり、申立人に電話をして自分の気持ちを伝えることも度々にわたり、平成3年夏には相手方の反対を押し切って単身札幌市の申立人のもとに行ったりしたこともあった。しかし、良子は、それなりに相手方のもとでの生活に馴染んでいたため、久子は、良子を一人相手のもとに残して申立人のもとに行くことはできないとして相手方のもとに留どまり、前記札幌市に行った際も田辺市に戻った。その後、良子も申立人のもとに行く気持ちが固まったことから、久子は、相手方には内密に申立人と連絡を取って段取りを整え、学年末試験が終了するのを待って、平成4年3月7日、良子とともに、申立人から送られた航空券を利用するなどして札幌市の申立人のもとに行った。その翌日以降、相手方は、度々申立人宅等に赴いたりして、久子らに対し相手方のもとに戻るよう説得に及んだものの、久子は、申立人のもとで暮したいと述べて説得に応じず、現在に至るまで申立人のもとで生活を続け、今後もこれを希望している。なお、久子は、親権者を申立人に変更して欲しいとの意見である。

エ 申立人は、平成元年12月16日、小山悟と婚姻の届出をし、悟は、同日、妙子と養子縁組をした。悟は、久子及び良子を引き取って養育することに異論はなく、家族状況は、自宅に悟と申立人母子らが同居して概ね円満であり、久子及び良子も悟に親しみを抱いている。また、全員健康であって、経済的にも申立人の生命保険外交員としての収入と、悟の○○市交通局バス運転手としての収入により安定している。

(2)  以上の諸事実を総合すると、本案事件においては、申立てを認容し、久子の親権者を相手方から申立人に変更する旨の審判をする蓋然性が高いということができる。

(二)  保全の必要性

(1)  前掲の本件記録及び本案事件記録によれば、次の事実を一応認めることができる。

ア 久子は、平成3年4月、和歌山県立○○商業高等学校に入学し、平成4年3月、1学年を終了したが、前記のとおり同月7日以降札幌市の申立人のもとで暮らすこととしたことから、現在、札幌市内の私立○○○○○高等学校に転校し、2学年に編入することを希望している。

イ 全国の各高等学校間での転入学生の受入れについては、通常<1>在学校長からの転学照会状、<2>転学希望理由書、<3>単位(成績)証明書、<4>在学証明書が必要とされ、本人又は保護者が直接受入れ希望校に赴き、転学理由等を説明する場合には転学希望理由書は省略されることがある。そこで、○○○○○高校は、久子の転入学につき、当該書類等の提出を受ければ認めることができるが、その提出がない限り暫定的にも認めることはできないとしている。○○商業高校は、久子の要請に応じて単位(成績)証明書と在学証明書は久子に交付したが、転学紹介状については、その交付を拒否しているところ、その理由について、学則24条において、生徒が転学しようとするときは、本人及び保護者の連署した文書にその事由を明らかにするに足りる書類を添えて校長に願い出なければならないと定めるところ、この学則に従えば、久子から同校に提出された転学願には久子の親権者で同校在学中の保護者である相手方の署名がないばかりか、相手方は同校が転学手続を取ることを再三拒否しているのであり、この状況においては相手方の意思を無視して久子又は申立人に正式に転学照会状を交付することはできない旨説明している。

ウ 相手方は、現時点では久子の転校に同意することはできないとの意向を有し、その理由について、相手方に相談なく久子らを手元に呼び寄せた申立人の行動は到底許すことができず、このような行動をとる申立人に久子を預けることはできない、転校の問題は、一旦久子を相手方のもとに戻してから話し合うべきであり、それをしないため転校できず久子が高卒の資格を取得できない結果になっても、これは申立人と久子本人の責任である、などと述べている。

エ 久子は、現在、○○商業高校を2学年1学期進級後、欠席している状態にあり、この状態が平成4年5月中旬まで続くと、その後転校できたとしても、転校後の出席日数や学業成績のいかんにかかわらず、出席日数に不足をきたし、平成5年3月の2学年終了、同年4月の3学年進級は不可能となる。もっとも、久子が、札幌市内の高校を新たに受験して1学年から入学することは可能である。なお、久子は、現在、申立人の依頼した家庭教師から週1回、数学と理科を習っているほか自習し、転入学ができた際に備えている。

(2)  以上の諸事実を総合すると、久子の利益のため、久子の意向を尊重し、早急に○○○○○高校への転入学を図るべきところ、その手続を取ることを可能とするため、この手続を取ることを拒否する相手方の親権者としての職務を現時点において本案事件についての審判の効力が生じるまでの間停止し、その間その職務代行者に久子の教育の現況に照らし申立人を選任するのが相当である。

(三)  結論

よって、家事審判法15条の3第1項、3項、7項、家事審判規則72条、74条1項を適用して主文のとおり審判する。

(家事審判官 納谷肇)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例