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札幌家庭裁判所 昭和47年(家)1310号 審判 1972年10月05日

申立人 (国籍アメリカ合衆国オハイオ州)

ジョン・ハーバート・モーガン(仮名)

事件本人 (国籍アメリカ合象国オハイオ州)

ロバート・アール・ウォーレス(仮名) 外一名

主文

1  申立人が各事件本人を養子とすることを許可する。

2  本件各養子縁組成立により、事件本人らがそれぞれその名のうち「ウォーレス」を「モーガン」と変更することを許可する。

理由

1  申立の趣旨は主文各項と同旨である。

2  調査官神崎恭郎の調査結果、花山昭子、申立人各審問の結果ならびに本件記録中の各資料に基づけば次の事実が認められる。

(一)  申立人はアメリカ合衆国陸軍の特技兵として北海道○○市にある○○基地に勤務していたが、一九六九年秋頃から事件本人両名の母である花山昭子と親しくなり、遅くも同年中に内縁の夫婦となり、○○市○○町二丁目七番地の二に同居し、一九七一年五月七日正式に婚姻した。したがつて申立人は内縁の夫婦となつて以来事件本人らとも同居しているものである。

もつとも、申立人は一九七〇年一〇月三日に除隊し、民間人となつていたので、観光旅券により来日し、日本に滞在していたため、今日までの約二年間に、一旦日本国を去り新な観光旅券を得て再度入国するということを三度反覆している。

それというのも、申立人が日本国内に適職を見出しえなかつたというより、むしろ妻昭子および事件本人らを伴つて、申立人の両親が住んでいるアメリカ合衆国オハイオ州○○○○に帰国することを望んでいたことに大きな理由があつた。ことに、事件本人両名は申立人を父として慕い、よくなついていたので、申立人は同じイタリア系白人である事件本人らを養育監護するには、やはりアメリカ国内の方が適当であると考えていた。

他方、花山昭子はこの申立人の気持を理解し、その方針に賛成はしていたものの、申立人のアメリカにおける就職先が確定していないのに○○○○に帰るときは、申立人の両親の家庭に厄介をかける結果となることにためらいを覚え、アメリカへの帰国を先へ延ばしていた。

このような事情から申立人は妻昭子が経営する飲食店(スナック)の営業を手伝う程度で、日本国においては職業に就かず、帰国の条件がととのうのを待つていたところ、最近になつてオハイオ州○○○○の鉄鋼会社に就職することがほぼ決まつた。そこで、妻昭子の希望もあり、先ず申立人が単身で本年一〇月上旬に帰国し、職業・住居が確定し、昭子の身辺の整理がつき次第、昭子が事件本人両名および申立人との間の長女を伴つて渡米することにしている。 申立人の両親は○○○○に住み、それぞれ同所において職業に就いており、申立人も同州○○○○○ハイスクールを卒業し、さらにオハイオ州立大学附属の○○○○エリアテクニカルスクールに進学し、そのかたわら同地の商店に夜間勤務していたこともあつたので、申立人の意思としてはオハイオ州○○○○の肩書地に住所を有しているものと考えている。

(二)  花山昭子は一九六九年八月リチヤード・エル・ウォーレス国籍アメリカ合衆国オクラホマ州、一九四三年七月一〇日生)と離婚しているが、事件本人両名はウォーレスとの婚姻中に出生した子である。

リチヤード・ウォーレスと花山昭子との離婚判決において各事件本人の親権(Custody)は母である昭子に与えられ、父であるウォーレスは事件本人一人につき月額七〇ドルの養育料を支払うことを命じられている。

しかしこの養育料は一九六九年一〇月に七〇ドル(事件本人のいずれに対するものか不明)の支払が一回あつただけで、その後は全く支払を受けていないし、ウォーレスからは子の消息などを問い合わせる何の音信もなく父としての養育義務は全く怠られている。

花山昭子はウォーレスとの離婚と前後して、日本に帰国し、○○市に居住し、みずから飲食店を経営するかたわら事件本人らを手許に置いて養育してきた。

(三)  事件本人らは人種的には申立人と同じくイタリア系白人であり、申立人が花山昭子と夫婦として同居するようになつてから申立人にもよくなつき父親と信じ込んでいる様子であり、もの心ついてきた最近では、自分らが幼稚園で「ウォーレス」と呼ばれ、「モーガン」と呼ばれないのは何故かと質問することもある。

申立人には妻昭子との間に長女が出生しているが、妻と同居以来、月日を重ねるにつれて事件本人らに対する愛情が深まり、このような事件本人らの言動をみるにつけても、事件本人らを養子としたいと切に希望し、アメリカに帰り、就職するのを機会に、正式に縁組の許可を求めようと本件申立に及んだものである。

(四)  昭子も事件本人らをアメリカで育てたいとの申立人の意向には賛成であり、すでにアメリカで生活した経験もあり、渡米後の生活についても懸念はない。したがつて事件本人のためにも本件養子縁組を成立させ、申立人を法律上も父とすることによつて幼い心に芽生えた疑問を解消し、かつ父母の愛情と協力とで事件本人らにより良い環境を与えてやることができるものと期待され、本件縁組の成立が事件本人らの福祉に資するところは極めて大きいものとみられる。

3  以上の認定に基づき、当裁判所は次のとおり判断する。

(一)  国際裁判管轄権

日米いずれの住所概念によつても、養親となるべき申立人は日本国内に住所を有するものとは認められない。○○市○○町二丁目七番地の二にある現在の住居は申立人にとつては居所にすぎないものと認められる。

しかし、養子となるべき事件本人両名は、日本法の住所概念に従うかぎり、母であり事実上も法律上も養育監護に当つている親権者花山昭子の日本における肩書住所に、それぞれ住所を有するものと認められる。

そして、国際裁判管轄の問題としてみるかぎり、本件養子縁組事件の裁判権の存否は日本国の国際私法の問題であるから、日本法の住所概念に従つて住所の有無を決定すべきところ、事件本人両名はいずれも日本国内に住所を有するものと認められ、しかも養子縁組の制度は子の福祉の実現をすべてに優先して考慮すべきものであるから、国籍のいかんにかかわらず養子となるべき者の住所地国すなわち本件については日本国にも裁判権があるものと言わなければならない。

(二)  準拠法

申立人のアメリカ法上の選択住所は肩書地すなわちアメリカ合衆国オハイオ州内にあるものと認められる。また事件本人両名のアメリカ法上の法定住所も、母であり親権者である昭子の配偶者(夫)となつた申立人の上記住所とけつきよく同一に帰する。

したがつて、準拠法を定める日本国の法例一九条、二七条三項によつて本件養子縁組許可の実質的要件については、各当事者の本国法であるオハイオ州養子法を適用し判断すべきことになる。

各事件本人には、日本法の住所概念に従うときは、日本国内にも住所が認められることは前述(一)のとおりであるが、事件本人らの本国の国際私法(衡突法)上の住所概念は当該法規の解釈に係る事柄であるから、アメリカ法上の法定住所がオハイオ州内に認められる本件では、日本法上の住所概念に従つて反致(法例二九条参照)することはないものと考える。

(三)  職分管轄

オハイオ州養子法に基づく養子決定はそれ自体に身分関係を創設する効力があるものと解される。しかしこのような養子決定も日本国の家庭裁判所が行なう養子縁組許可の審判と実質的目的を同じくするものであり、かつ裁判所の審理の権限、範囲についても実質的な差異はない。したがつて日本国の家庭裁判所のこのような実際的機能および国際私法交通の円滑化を図る国際私法の精神に照らして、当家庭裁判所はオハイオ州養子法に定める養子決定に代る実質を持つ本件縁組許可の審判をなす権限を有するものと考える。

(四)  父母の同意その他の実質的要件

各事件本人には法律上の父があるけれども、本件申立以前二年余の間、所定の養育料支払義務を怠つており、かつ故意に懈怠されたものと推定されるから、本件は父の同意書を要しない場合に該当する。

本件養子縁組に対する母の同意書は法定の要式を満たしており、真実に基づくものであることは当裁判所に明白であり、その他の縁組の実質的要件についても欠けるところはない。

なお事件本人両名は申立人と同一家庭にあり、かつ申立人の配偶者の子であるから、手続上ただちに終局的裁判をなすことに不都合はない。

(五)  名の変更

養子縁組の成立を前提とする事件本人の名の変更許可の申立は、縁組の効力問題と解されるから、法例一九条二項、二七条三項により養親の本国法であるオハイオ州養子法を適用すべきものである。

同法によれば養子縁組許可の申立と共に養子の名の変更の許可をも求めうるものと解されるところ、縁組の発効と同時に事件本人両名がそれぞれ父となる申立人と名(姓)を同一にすることは養子制度の趣旨にかない、きわめて望ましいことであるから、あらかじめ縁組の成立を前提とする名の変更の許可を求める法律上の利益があるものと認められる。

4  以上に判断したとおり、本件養子縁組およびこれを前提とする名の変更について許可を求める本件申立はいずれも適法かつ十分な理由があるものと認められる。

よつて参与員山畠正男、同戸津夫佐子の意見を聴いたうえ、当裁判所は主文のとおり審判する。

(家審判官 山本和敏)

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