大判例

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札幌高等裁判所 事件番号不詳 判決

主文

被告人を懲役参年に処する

訴訟費用は全部被告の負担とする

理由

被告人は昭和二十二年八月三十一日の晩下湧別村芭露市街地で芝居見物をして帰途についたか向風か強かつたので自轉車に乗つたり押したりして同村字芭露十号線近くに來たとき同じ芝居見物から帰りつゝあつた同部落の長屋スミ子長屋和子外数名に追ついて一諸になり十号線の國道から被告人居宅の入口で被告人と長屋スミ子(当十九年)が他の人達と別れて二人は被告人居宅迄話しながら來て其処で別れたものであるがスミ子が独りで山道を通つて帰宅するのを想起して俄かに劣情を起し同女を姦淫しようと、自轉車を置いて手拭で頬被りをして同女を追かけて山道を登り越えて下り坂になつて馬頭観音のところを過ぎ全く人家から離れた処で追つき突如持つていたカバカバした物を同女の頭から覆い被せた上同女の両手を動けないように抱き締めて持ち上げ附近デントコン畑に連れ込んで俯向けに押へつけて抵抗しようとする同女の両手を紐で縛つて抵抗不能にした上仰向けにしてズボンを引下げて遂いに強いて同女を姦淫したものである

右の事実は

一、証人長屋スミ子に対する当審の訊問調書に「芝居見物の帰りに本家の者や天野の人達と十号線で別れて定光さんと二人で帰りながら私が定光さんの処では新しい家も出來たしいゝお嫁さんも來るでせうと聞いたら、定光さんはまだ四五年貰えないと言つて居りました、定光さん宅の横で別れたが私は夜おそく家え帰るときは山道で淋しいから何時も本家の長屋和子さんの処へ泊るのですが、その晩は月が出て明るかつたので其儘帰つたのですが定光さん宅から一寸行つた処の坂道を上つて其処から降りた時、バラ〓と人の走る様な音が後からしたので振返つて見たら定光さんでありました。同人は白い手拭を頭から被つて居たので顔の輪郭は見えなかつたが手拭の下から何時も見て居る長い顔が出て居たし姿格好で同人であることが判りました、それから白いワイシャツの様な物を着てズボンをはいて居りました、定光さんであることが判つたが、男の人だからおつかなくなつて急いで十米位來た時後から何かカバ〓した物を頭の上から被せられ両腕ごと後からかゝえられ、そして私を前にだき抱え引ずる様にして連れ戻してデントコン畑の中へ引きずり込みました、足をバタ〓させて定光さんいたづらしないでおくれ厭だ〓と言つてもがいたのですが相手は何も言はず私をデントコン畑の中へ引きづり込んだのです、私を俯伏にして背中の上へ馬乗りになり私のズボンからビロードのバンドを外して、それで私の両手を前に合せる様にして縛り付け、今度は私を仰向けにして私のズボンを小ハゼにしてある足首の処まで引下げそれから私の上に馬乗りになつて無理に暴行しました、そして私の上から降りてから私に被せてある物を取つたのです、其時片手で私の顔を塞いたのですがその時定光さんの顔が見えました、定光さんの毛深と言ふことは現場へ連れて行かれる途中〓か手を縛られた時抵抗して足首の辺を蹴つたので判りました、何時も定光さんを見て居りますからあの時も定光さんであることはちゃんと判りました」旨の供述記載

一、証人長屋竹雄に対する当審の訊問調書に「本家にスミ子と同じ娘が居るので夜おそくなつた時は必ず十一号線の本家に泊る様になつて居りました、昨年八月三十一日の夜スミ子は芭露市街地(芝居を見に本家の娘和子と五年生か六年生の子供とが迎いに來たので出掛けたので、今晩は本家に泊るだらうと思つたので戸閉りをして寢ましたが、十二時になるかならない頃外から母ちゃん早く起きてくれ〓と叫ぶ声に私が眼を覚ました時は家内が起きて表の戸を開けた様でした、家内が出た時は娘はズボンを手に持つて居たのですが、私が起きて行つた時はそれをはいて居りました、そして服は泥だらけで髪はぼう〓になりお化け見たいになつて居たので何うしたのかと聞いたところ定光さんにデントコン畑に引張り込まれて無理往生されたと言つて、娘は家内にこんなことをされては黙つて居られないから行つてくれと言ふので私はスミ子と一諸に定光の家へ行つて皆が寝ていましたのでお晩です〓と言つたらお父さんが起きて來ましたから定光さんに用事があるから起してくれと言つて起して貰いました定光は丹前を着た儘起きて來て何も言はず煙草を喫つて居たので私は娘が定光さんに別れてからデントコン畑の処迄來た時定光さんが追つ馳けて來て畠の中で無理往生させたと言つて泣いて居るから來たのだと言つたところ、定光はいや俺はそんなこと知らんな俺ぢやないと言つたのでスミ子がさつちゃんがしたんだと何囘も言いましたら定光は俺ぢゃないと頑張りました、それから定光は十一号線まで行つた上芭露の靑年が二、三人居たと言ふから私は十一号線から引返すことは出來ないと言いました、定光は追風であつたから自轉車で引返せばすぐだと言ふので、私はなんぽ自轉車でも二百間も離れて居るのに追付けるわけがないと言つたら、定光は自轉車を置いて畠の中を近道したかも知れないと言いますから、私は二百間も離れて居る処を飛ぶ鳥でもあるまい、來れる筈がないと言つて、警察へ届けると申しましたら、定光は斯う言ふことは犯人が隠れてやつたのだから警察へ届けても駄目だ俺が友達のよしみで上芭露へ行つて聞いてやろと言つた、こんなことを言い合つても仕方ないと思つて帰ろうとしたら石塚の時計が二時を打つた、家へ帰つたがなか〓眠れないので二時半頃家を出て現場に行つて見たらデントコン二、三本西に向つて倒され荒されてる模様でしたが暗くよく判りません〓でデントコン畑と燕麦畑の間を通つて向い側の牧草畑に行き其処へしやがんで夜の明けるのを待ち辺りが明るくなつてから現場へ行き見ましたらビロードのバンドが落ちて居たのでよく見ましたらデントコンの根つ子の処にもクリツプや髪の毛が落ちて居てその附近にはだしの足跡がついて居りました、よく見たら道路から現場へ行つた足跡らしいものがあり畠へ入る時は重いものをだいて居たので判然したはだしの足跡が二つあつた。朝ご飯を喰べてから石塚の処へ行つたら定光は前の晩上芭露の靑年は軍靴を履いていたと云つたので私は現場に行つて見たが軍靴の足跡はなくてはだし跡があつたと言いましたら同人は悪いことをする氣なら靴は脱いでもやられると言いました二日の朝定光さんが乗馬で私の家え來て上芭露に聞きに行つて來たが上芭露の者でないらしいと言い、水野かも知れないと言ふから本家の和子も一諸に行つたのだから水野が追かける訳がないと申したところ、定光は斯う言う事件は犯人が判つてから解決がつくものだ俺も九分九厘疑はれて居るから無実の罪に落ちるかも知れないそうしたら俺も男だからどんなことをするかも判らないからその点は覚悟してくれと言いました。石塚の家へ行つた時定光は私や娘の姿を見ても唯の一言も無く又その時の態度や話し振りで定光に間違いないと思いました普通ならあの場合何かあつたのかとか何したのかと聞くのがあたり前だと思います」旨の供述記載

一、証人石塚壽之に対する当審の訊問調書に「私の次には兄さん(定光)が帰つて來たが私が團子を喰べない中に帰つたと思う、家の外で女の人と笑う声が聞えてから兄さんが來て馬に草をやつたかと言ひましたら父はやつたと答えたが兄は少し喰はして來るかな、と言つて厩に行つたようでした、それから直ぐに家え入つたのであるが其間の時間は十分も無かつたと思ひます」と云ふ趣旨の供述記載

一、昭和二十二年九月四日医師廣瀨永子に対する鑑定人訊問調書に於て被告人の顔面、手、足の創傷に付鑑定した上唯今御示しの者の右上眼瞼上部約一糎の部位に爪で掻かれたと認める約一糎程の大きさの上部の細い極く浅い傷一個、左頬部上部に大豆大位の擦過傷一個あり何れも三、四日前に発生したものと認むる」旨の供述記載

一、長屋スミ子提出の被告人に対する告訴状

以上を綜合して之を認める

法律に照すに被告人の所爲は刑法第百七十七條に該当するからその刑期範囲内で被告人を懲役参年に処し尚訴訟費用に付いては刑事訴訟法第二百三十七條に則り全部被告人をして負担せしむべきものとした

仍て主文の通り判決する(昭和二三年一〇月九日札幌高等裁判所第三部判決)

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