札幌高等裁判所 平成12年(ネ)196号 判決 2004年1月16日
主文
1 原判決中、控訴人A、同E及び亡D訴訟承継人らに関する部分を変更する。
2 被控訴人は、控訴人A及び同Eに対し、
(1)各500万円及びこれに対する平成元年7月12日から支払済みまで年5分の割合による金員を
(2)各50万円及びこれに対する本判決確定の日の翌日から支払済みまで年5分の割合による金員を
それぞれ支払え。
3 被控訴人は、亡D訴訟承継人D4に対し、
(1)250万円及びこれに対する平成元年7月12日から支払済みまで年5分の割合による金員を
(2)25万円及びこれに対する本判決確定の日の翌日から支払済みまで年5分の割合による金員を
支払え。
4 被控訴人は、亡D訴訟承継人D5及び同D6に対し、
(1)各125万円及びこれに対する平成元年7月12日から支払済みまで年5分の割合による金員を
(2)各12万5000円及びこれに対する本判決確定の日の翌日から支払済みまで年5分の割合による金員を
それぞれ支払え。
5 控訴人A、同E及び亡D訴訟承継人らのその余の各請求をいずれも棄却する。
6 控訴人B及び同Cの本件各控訴をいずれも棄却する。
7 訴訟費用は被控訴人と控訴人A、同E並びに亡D及び同訴訟承継人らとの関係では、第1、2審を通じ、これを2分しその1を控訴人A、同E及び亡D訴訟承継人らの各負担とし、その余を被控訴人の負担とし、被控訴人と控訴人B及び同Cとの関係での控訴費用は、控訴人B及び同Cの負担とする。
8 この判決第2項から第4項までは各項(1)の部分に限り、いずれも仮に執行することができる。ただし、被控訴人が第2項記載の各控訴人それぞれについて500万円の担保を供するとき又は第3項記載の亡D訴訟承継人D4について250万円の担保を供するとき若しくは第4項記載の各亡D訴訟承継人それぞれについて125万円の担保を供するときは、同仮執行をそれぞれ免れることができる。
事実及び理由
控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2(1)被控訴人は、控訴人A、同B、同C及び同Eに対し、各1150万円及びこれらに対する平成元年7月12日から各支払済みまで年5分の割合による金員をそれぞれ支払え。
(2)被控訴人は、亡D訴訟承継人D4に対し575万円、同D5に対し287万5000円、同D6に287万5000円及びこれらに対する平成元年7月12日から各支払済みまで年5分の割合による金員をそれぞれ支払え。
3 訴訟費用は第1、2審とも被控訴人の負担とする。
4 第2、3項につき仮執行の宣言
事案の概要
本件は、控訴人ら及び亡D(以下「D」という。)が、被控訴人に対し、被控訴人が実施した予防接種によってB型肝炎に罹患し、肉体的・精神的・社会的・経済的損害を受け、あるいは、予防接種を受けていなければB型肝炎ウイルスに感染することもB型肝炎に罹患することもなかったであろうという可能性についての利益を侵害された(因果関係についての当審における補充的主張)として、国家賠償法1条に基づいて、被控訴人から控訴人ら及びDのそれぞれに対する1150万円及びこれらに対する不法行為後である平成元年7月12日から各支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求め、原審が控訴人ら及びDの本件各請求をいずれも棄却したところ、控訴人ら及びD(なお、Dは、本件控訴提起後の平成14年2月5日に死亡したため、同人の相続人である妻D4並びに長女D5及び次女D6が各法定相続分に応じて訴訟を承継した。)がこれを不服として、控訴の趣旨記載のとおりの裁判を求めて控訴したものである。
第1争いのない事実及び各項掲記の証拠(各枝番号を含む。)から容易に認められる事実(以下、項目の表記は、第1、1、(1)、ア、(ア)、aという例に従う。)
1 B型肝炎についての現在における医学的知見の概要(甲1から3、50から53、55、56、59、151、156、158、160、乙22、23、25、29、31から33、40、48、58、原審における証人Z5、同Z6、当審における証人Z7)
(1) 肝炎ウイルスについては、昭和45年(1970年)にその検査方法が確立され、B型肝炎は、昭和48年(1973年)にそのウイルスが発見され、現在までに判明しているA型からG型までの肝炎ウイルスのうちのB型ウイルスに感染することによって発症する肝炎である。B型肝炎が慢性化して長期化すると、肝硬変及び肝癌を発症させることがある。B型肝炎については、これまでに感染予防ワクチンが開発されて実用化され、治療法としてインターフェロン療法、ステロイド離脱療法が限定された範囲での有効性を認められ、新薬であるラミブジン(ゼフィックス)の効果が期待されてはいるものの、決定的な効果を有する治療方法はいまだに開発されていない。
(2) B型肝炎の感染の経路及び機序の一般的特徴は次のとおりである。
ア B型肝炎ウイルスは血液を介してヒトからヒトへ感染する。したがって、輸血のように直接血液を介する場合や血液に接する医療行為による感染が典型である。ただし、血液を介さない皮膚接触にとどまるものや単なる経口感染、その他精液等の体液による感染の可能性については、それらの体液に血液が混じっていることがあり得、後記ウの実験で確認された感染力の強さなどから感染の可能性は否定されない。また、後述するHBe抗原陽性の持続感染者が家族の一員である場合や多数人が一定の場所に隔離され、閉じ込められたままの状態で長期間かつ常時集団生活を共にしている場合の他の者への感染の可能性についても否定しきれないが、一般の保育施設や学校等のように接触時間が一日のうちの一部に限定されていて、接触態様も限定される場合の感染可能性については、肯定的見解と否定的見解の双方がある。
イ B型肝炎ウイルスには、HBs抗原、HBc抗原、HBe抗原の三種類の抗原と、これに対するHBs抗体、HBc抗体、HBe抗体の三種類の抗体(以下「e抗原陽性」、「s抗体陽性」というようにHBの記載を省略することがある。)があり、これらに、DNAポリメラーゼ等を加えて、B型肝炎ウイルスマーカーと呼び、それぞれのB型肝炎ウイルスマーカーの持つ意味は次のとおりである。
(ア) HBs抗原陽性 B型肝炎ウイルスが肝臓に住み着いてB型肝炎ウイルスに感染している状態にあることを示す。
(イ) HBs抗体陽性 かつてB型肝炎ウイルスに感染したことがあり、現在治癒していることを示す。
(ウ) HBc抗体陽性 高値であれば、B型肝炎ウイルスが肝臓に住み着き、B型肝炎ウイルスに感染している状態にあることを示し、低値であれば、かつてB型肝炎ウイルスに感染したことがあることを示す。
(エ) HBe抗原陽性 血中のB型肝炎ウイルス量が多く、感染力の高い状態にあることを示す。
(オ) HBe抗体陽性 血中のB型肝炎ウイルスが少なくなり、感染力も低くなった状態を示す。
(カ) DNAポリメラーゼ 陽性であれば、B型肝炎ウイルスが盛んに増殖している状態を示し、e抗体陽性の場合でも、ウイルスに感染力があることを意味し、陰性であれば、B型肝炎ウイルスが増殖していない状態にあることを示す。
ウ HBe抗原陽性状態におけるB型肝炎ウイルスの感染力については、10のマイナス8乗パーミリリットル、すなわち血清1ミリリットルを水10万立方メートル(重量100トン)に希釈した後の溶液1ミリリットルを注射することによっても感染を起こすことがチンパンジーによる実験で確認された。
エ B型肝炎ウイルスの感染源が血液であることから、一般的予防法としては、血液付着の回避、医療器具等血液で汚染され又は血液付着のおそれのある器具の消毒又は廃棄(いわゆるディスポーザブルタイプ器具の使い捨て等)がある。また、B型肝炎ウイルスに汚染された医療器具等の具体的な消毒方法としては、まず、器具等の使用後速やかに当該器具等に付着している血清たんぱくを十分に洗い流し、その後に、滅菌消毒するが、最も信頼性の高い方法は加熱滅菌であり、オートクレーブ消毒(水蒸気のある状態で圧力を高くし、摂氏121度の熱で20分)、煮沸消毒(15分以上)、乾熱滅菌が有効である。以上の加熱滅菌が不可能な場合には薬物消毒の方法を用いる。その際、塩素系の次亜塩素酸ナトリウム(有効塩素濃度1000PPM、1時間)が多用され、金属材料に対しては、2パーセントのグルタール・アルデヒド液、エチレン・オキサイドガス、ホルム・アルデヒドガス等が用いられる。上記以外の消毒剤については有効性が明らかでなく、日常汎用されている消毒用アルコール、クレゾール等は消毒効果がない。
オ 免疫不全等に陥っていない成人が、はじめてB型肝炎ウイルスに感染した場合で、B型肝炎ウイルスの侵入が軽微な場合には、体に変調を来さない不顕性のまま抗体(HBs抗体)が形成されて免疫が成立し、以後再び感染することはなくなるが、B型肝炎ウイルスの侵入が強度な場合には、黄疸等の症状を伴う顕性の急性肝炎又は劇症肝炎となる。顕性の肝炎が治癒した場合には、上記抗体が形成されて免疫が成立し、以後再び感染することはなくなる。なお、成人がB型肝炎ウイルスに感染してから顕性の肝炎を発症するまでの期間は1か月から6か月である。
カ 乳幼児は、生体の防御機能が未完成であるため、B型肝炎ウイルスに感染してウイルスが肝細胞に侵入しても免疫機能が働かないため、ウイルスが肝臓に留まったまま感染状態が持続することがあり、いわゆるウイルスキャリア(持続感染者。以下単に「キャリア」ということがある。)となる。キャリアとなった場合でも、その後の経過の中でe抗原陽性からe抗体陽性に変換(セロコンバージョン)すれば、以後、肝炎を発症することはほとんどなくなる。しかし、上記抗原陽性状態から抗体陽性への変換がないまま成人期(二、三十代)に入ると、B型肝炎ウイルスと免疫機能との共存状態が崩れて肝炎を発症し、肝炎が持続すると(慢性B型肝炎)肝細胞の破壊と再生が長期間継続され、肝硬変又は肝癌へと進行することがある。
なお、持続感染者に最もなりやすいのは2、3歳ころまで(最大6歳ころまで)で、それ以後は、感染しても一過性の経過をたどることが多い。
(3) 現在の我が国におけるB型肝炎ウイルスの持続感染者は推定で約120万人から140万人であるが、感染者の年齢層によって感染者比率に差異があり、四十歳代以上の感染者比率は1から2パーセント、三十歳代以下の年齢層の持続感染者人口比率は1パーセント未満である。なお、昭和61年からe抗原陽性の母親から生まれた児を対象として、公費でワクチン等を使用した母児間感染阻止事業が開始され、昭和61年生まれ以降の世代における新たな持続感染者の発生はほとんどみられなくなった。
2 控訴人らのB型肝炎ウイルス感染と持続化状況等について
(1) 控訴人Aについて(甲A1から5、7、8、原審における証人Z8、同A2、控訴人A)
控訴人Aは、昭和39年10月18日、北海道新冠郡a町で出生し(助産婦の立会いによる自然分娩)、約1か月後に札幌市に移り、昭和42年4月(2歳)から昭和43年7月(4歳)まで北海道静内郡b町に居住し、その間の昭和43年5月8日に弟A3が出生した。その後、札幌市内に転居し、昭和45年(5歳)から1年間幼稚園に通園し、昭和46年4月に小学校に入学した。以後、札幌市内の中学、高校、専門学校を経て、電気工事会社に就職したが、22歳の昭和61年10月ころ、食欲不振、心窩部鈍痛の症状を訴えるようになり、検査の結果、B型肝炎と診断され、以後、入通院を経て、小葉改築傾向のある慢性B型肝炎として経過観察中である。
控訴人AがB型肝炎ウイルスに感染していたことが発見されるまでの間における同居の家族は、父A1(昭和11年2月6日生れ)、母A2(昭和16年4月21日生れ)、弟A3(昭和43年5月8日生れ)であり、同人らを含む同居者及び同居の期間は、別紙[b]「同居歴表」番号1に記載のとおりである。また、同人らの血液検査の結果は、別紙[c]「同居者のB型肝炎ウイルス感染調査結果」の各該当欄に記載のとおりであり、それによると、控訴人Aの弟A3もB型肝炎ウイルスのキャリアであるが、父母はキャリアではないこと、ただし、父母はいずれも過去にB型肝炎ウイルスに感染したことがあること(「HBc抗体希釈なし+」がこのことを示す。)が認められる。
控訴人Aは、昭和41年10月(1歳時)に2回、当時居住していた札幌市の自宅近くの開業医のもとでインフルエンザの予防接種を受けた。また、控訴人Aと弟A3は、二人同時に集団予防接種を受けたことが3回(昭和44年7月31日におけるツベルクリン反応検査、同年8月2日におけるBCG接種、昭和45年7月29日におけるツベルクリン反応検査)ある。
(2) 控訴人Bについて(甲B2から8、原審における証人Z8、控訴人B)
控訴人Bは、昭和26年5月11日、小樽市で出生し、昭和28年(2歳)ころ札幌市に転居し、同市内の小中学校を経て、昭和46年滝川市内の高校を卒業し、昭和50年に仙台市にある歯科技工士専門学校を卒業し、同年4月から歯科技工士として勤務した後、昭和56年5月ころ友人と共同で歯科技工所を開設した。控訴人Bは、昭和57年9月27日妻B3と結婚し、昭和58年には長女が生まれたが、昭和56年5月23日(30歳)の献血時に、輸血に使用できない血液であるとの指摘を受け、33歳の昭和59年8月ころ、易疲労感、全身の倦怠感を訴え、札幌市内の医院において受診したところ、B型肝炎と診断され、以後、入通院を経て、慢性B型肝炎として経過観察中(内視鏡的には斑紋肝、組織学的には小葉改築を伴う肝炎との診断を受けた。)である。
控訴人BがB型肝炎ウイルスに感染していたことが発見されるまでの間における同居の家族は、父B1(昭和2年8月15日生れ)、母B2(大正8年6月8日生れ)、異父兄B5(昭和18年1月5日生れ)、祖母、妻B3(昭和34年3月21日生れ)、子B4(昭和58年3月7日生れ)であり、同人らを含む同居者及び同居の期間は、別紙[b]「同居歴表」番号2に記載のとおりである。また、同人らの血液検査の結果は、別紙[c]「同居者のB型肝炎ウイルス感染調査結果」の各該当欄に記載のとおりであり、それによると、控訴人Bの父母、妻子はB型肝炎ウイルスのキャリアではないこと、しかし、そのうち、父、妻及び子についてはいずれも過去にB型肝炎ウイルスに感染したことがあること(「HBs抗体+」、「HBc抗体希釈なし+」)が認められる。なお、祖母については、感染の有無は不明である。
(3) 控訴人Cについて(甲C2から8、原審証人Z8、同C2、控訴人C)
控訴人Cは、昭和36年7月4日、北海道苫前郡c町の病院で出生し、昭和38年8月22日に妹C3が、また、昭和40年8月23日に弟C4が出生した。控訴人Cは、昭和41年10月(5歳)ころ北海道雨竜郡d町に転居し、同町内の小中学校を卒業後、同町内の高校に進学したが、2年で退学し、昭和52年ころから札幌市内の父方の祖母宅に住み、同市内の定時制高校に通学した。この間の昭和54、5年(18、9歳)ころ、札幌市内で献血したところ輸血に使えない血液であるとの指摘を受け、高校卒業後約1年間アルバイトをしながら生活し、昭和57年ころd町に戻り、その後、昭和61年ころから昭和62年5月20日まで再び札幌市内でアルバイトをしながら一人で生活し、この間の昭和61年9月20日(25歳)、右大腿骨骨髄炎、右大腿部膿瘍及びこれによる敗血症、肺化膿症のため、札幌徳州会病院に入院し、同年10月11日、勤医協中央病院に転院したが、同病院においてB型肝炎と診断され、以後、入通院を経て、小葉改築のない慢性B型肝炎として経過観察中である。
控訴人CがB型肝炎ウイルスに感染していたことが発見されるまでの間における同居の家族は、父C1(昭和9年3月28日生れ)、母C2(昭和11年11月14日生れ)、妹C3(昭和38年8月22日生れ)、弟C4(昭和40年8月23日)、祖母、叔父C5であり、同居の期間は、別紙[b]「同居歴表」番号3に記載のとおりである。また、同人らの血液検査の結果は、別紙[c]「同居者のB型肝炎ウイルス感染調査結果」の各該当欄に記載のとおりであり、それによると、控訴人Cの父母はB型肝炎ウイルスのキャリアではないこと、しかし、そのうち、父、妹、弟についてはいずれも過去にB型肝炎ウイルスに感染したことがあること(「HBs抗体+」、「HBc抗体希釈なし+」)が認められる。なお、祖母、叔父については、感染の有無は不明である。
(4) D(以下、他の控訴人らと総称するときは単に「控訴人ら」ということがある。)について(甲D2から7、原審における証人Z8、同D2、D)
Dは、昭和39年3月23日、北海道三笠市内の病院で出生し、昭和41年6月7日には弟D3が出生した。Dは、昭和42年9月(3歳)ころ札幌市に転居し、同市内の小中学校、高校を卒業し、北海道大学付属医療短大に進学し、同短大の1年生であった昭和57年(18歳)ころに行った献血で、HBs抗原陽性である旨を指摘され、昭和60年3月、北海道勤労者医療協会の職員採用時の検査において、肝機能障害の指摘を受け、以後、入通院を経て、小葉改築のない慢性B型肝炎として経過観察中であったが、平成2年ころ、HBe抗原陽性からHBe抗体陽性への変換(セロコンバージョン)が起きていることが認められた。なお、Dは、昭和61年1月以降勤医協中央病院に勤務し、平成3年10月7日妻D4と結婚し、長女D5及び次女D6をもうけたが、平成14年2月5日、死亡した。
DがB型肝炎ウイルスに感染していたことが発見されるまでの間における同居の家族は、父D1(昭和12年4月9日生れ)、母D2(昭和10年11月3日生れ)、弟D3(昭和41年6月7日生れ)であり、同人らを含む同居者及び同居の期間は、別紙[b]「同居歴表」番号4に記載のとおりである。また、同人らの血液検査の結果は、別紙[c]「同居者のB型肝炎ウイルス感染調査結果」の各該当欄に記載のとおりであり、それによると、Dの父母はB型肝炎ウイルスのキャリアではないこと、しかし、父、母、弟についてはいずれも過去にB型肝炎ウイルスに感染したことがあること(「HBs抗体+」、「HBc抗体希釈なし+」)が認められる。
(5) 控訴人Eについて(甲E2から12、原審における証人Z8、控訴人E法定代理人E2、当審における控訴人E)
控訴人Eの母E2(昭和35年11月13日生れ)は、昭和55年12月20日、夫E1(昭和31年9月12日生れ)と結婚し、札幌市内の病院において、昭和56年4月8日、控訴人Eの兄E3を、昭和58年5月11日、控訴人Eをそれぞれ出産した。控訴人Eの出産は正常な自然分娩であった。
E2は、E3及び控訴人Eを妊娠中であった昭和55年12月4日及び昭和57年12月8日、病院において血液検査を受け、昭和55年12月4日の検査ではs抗原陰性で、昭和57年12月8日の検査ではs抗原、s抗体ともに陰性であった。
E2は、昭和59年4月1日ころから発熱等の症状を呈したため、同月13日、病院で検査を受けたところ、急性肝炎と診断され、同月14日、入院した。入院時の検査成績によると、s抗原及びe抗原がともに陽性であり、上記症状はB型肝炎ウイルスによるものであることが判明したが、その後の経過は良好であり、入院後間もなくs抗原が消失し、同年5月8日、退院した。
上記のとおり、E2が急性B型肝炎に罹患したことから、昭和59年4月22日、E2の家族について血液を検査したところ、父E1、兄E3は、s抗原、s抗体とも陰性であった(すなわち、B型肝炎ウイルスのキャリア歴は認められなかった。)が、控訴人Eは、s抗原、e抗原について陽性を示し、B型肝炎ウイルスのキャリアであることが判明した。
控訴人EがB型肝炎ウイルスに感染していたことが発見されるまでの間における同居の家族は、前記のとおり父E1、E2、兄E3であり、同居の期間は別紙[b]「同居歴表」番号5に記載のとおりであり、同人らの血液検査の結果等は、別紙[c]「同居者のB型肝炎ウイルス感染調査結果」の各該当欄に記載のとおりであり、それによると、控訴人Eの父及び兄はいずれも過去にB型肝炎ウイルスに感染していないことが認められる。なお、E2については前記のとおりである。
3 我が国における予防接種の経緯(甲84、86、乙71、弁論の全趣旨)
本件に関連する予防接種の種類、予防接種の根拠法規、施行状況は次のとおりである。
(1) 種痘 明治7年制定の「種痘規則」(文部省布達第27号)、明治9年制定の「天然痘予防規則」(内務省布達第16号)、明治18年制定の「種痘規則」(太布告第34号)、明治42年制定の「種痘法」(法律第35号)、昭和23年6月制定の「予防接種法」(法律第68号、定期接種)によるもので、昭和55年に定期接種の対象から除外された。
(2) ジフテリア、腸チフス、パラチフス、百日咳 「予防接種法」によるもので(定期接種)、昭和34年以降、ジフテリア、百日咳は2種混合ワクチンに統合され、さらに、昭和43年以降、ジフテリア、百日咳、破傷風は3種混合ワクチンに統合された。なお、腸チフス、パラチフスは、昭和45年6月、定期接種の対象から除外された。
(3) 結核(ツベルクリン反応検査、BCG接種) 「予防接種法」(定期接種)、昭和26年3月制定の「結核予防法」(法律第96号)によるものである。
(4) 発疹チフス、ペスト、コレラ、猩紅熱、インフルエンザ、ワイル病 「予防接種法」における臨時接種で、インフルエンザについては、昭和32年以降、学童、幼児等を対象に勧奨接種を行うよう行政指導がなされ、昭和37年以降、並行して、学童を対象とする特別対策としての勧奨接種が実施された。なお、猩紅熱については、昭和33年に定期接種の対象から除外された。
(5) 急性灰白髄炎(ポリオ) 「予防接種法」(定期接種、昭和36年の改正による。)によるもので、昭和39年4月には、経口生ポリオワクチンの投与に切り換えられた。
なお、昭和35年から昭和36年にかけては、ポリオ不活性ワクチンについて勧奨接種が実施された。
4 控訴人らの予防接種歴(甲A1、3、5、8、甲B1、3、7、甲C1、3、7、甲D1、3、7、甲E1、8、乙28、66、72原審における証人A2、同C2、同D2、Z3、控訴人E法定代理人E2)
控訴人A、同B、同C、Dに関する予防接種歴については、それぞれ別紙[a]「予防接種歴表」のとおりの予防接種(以下、同表のうち接種場所又は実施者欄が空白のものを除いたものを「本件各集団予防接種」という。)を受けた事実が認められ、控訴人Eに関する予防接種歴については、控訴人Eが、昭和58年8月25日に札幌市中央保健所においてツベルクリン反応検査を、同月27日にBCG接種をそれぞれ受けたことが認められる(ツベルクリン反応検査の日を8月23日とし、BCG接種の日を同月28日とした母子手帳(甲E1の2)の記載部分は誤記であると認める。)。
第2争点
1 各控訴人らのB型肝炎感染と本件各集団予防接種との因果関係
【控訴人らの主張】
(1) 我が国における集団予防接種は、昭和63年に厚生省保険医療局結核難病感染症課長通達が出されるころまで、被接種者に対し、同一の注射針、注射筒等の接種器具が連続して使用されていた。
そして、同一の注射針、注射筒等の接種器具が連続使用されて集団予防接種が行われた場合、被接種者の中にB型肝炎ウイルスの持続感染者が含まれていると、その者の後に接種を受けた者がウイルスに感染する危険が極めて高い(このことは、例えばツベルクリン反応検査のように、集団予防接種が皮内注射によるものであり、かつ、被接種者ごとに注射針が取り替えられたとしても、注射筒が連続使用されるならば感染の危険性が高いことは同じである。なぜならば、皮内に血液、体液が存在しないわけではなく、現実に皮内注射をするときに針先が皮下に及ぶこともよくあり、それにより、血液が注射針の中に入り込むと、注射針を取り替えても、取替えの際に血液が注射筒の中に吸引されて入り込むからである。)。
そのため、現在の集団予防接種においては、被接種者ごとに注射器(針、筒)等の接種器具を必ず取り替えるべきことが義務付けられている。
なお、集団予防接種以外の一般医療の現場においては、昭和42、3年ころ以前であっても、個別、例外的な場合は別にして、注射器(針、筒)の連続使用が一般的にされていたということはなく、また、使用済みの注射器に対しては加熱滅菌の方法により完全な消毒を行うのが一般的であった。この点は、各地の医師会等に対する照会の回答等からも明らかである。
したがって、一般医療機関における医療行為については、例外的に不十分な場合があったとしても、同一注射針及び注射筒を連続使用していた集団予防接種以上に、B型肝炎ウイルスの感染の可能性が明らかに高かったということはできない。
(2) 以上によれば、一般に、B型肝炎ウイルスの持続感染者及び慢性B型肝炎患者について乳幼児期に輸血を伴う医療行為を受けたことがなく、母子感染も認められないという場合には、集団予防接種以外の感染原因が個別具体的に反証されない限り、上記ウイルスの感染及び肝炎罹患については、集団予防接種の際に使用された注射器等の医療器具が被接種者ごとに交換されないまま、あるいは適切に消毒されないまま、連続して使用されたことに起因するものと認められるべきである。
(3) なお、B型肝炎ウイルスの感染に関しては、そのキャリア化の年齢、ウイルスの感染経路などいくつかの点に関していまだ解明不十分な部分が存在することは否めないが、そもそも訴訟上の因果関係の証明は、少しの疑問や一部の未解明部分の存在も許さないという自然科学的証明ではなく、訴訟上提出された全証拠を経験則に照らして総合的に検討し、その上で、ある特定の事実(本件でいえば集団予防接種における連続的な注射器等の使用)が、ある特定の結果発生(本件でいえばB型肝炎ウイルスの感染)を招来したという関係を是認し得るだけの蓋然性を証明することである。そして、その判断は、通常人が疑いを差し挟まない程度に確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りるものというべきである(最高裁判所昭和50年10月24日第二小法廷判決・民集29巻9号1417頁)が、本件の場合には、次のとおりの事情から、因果関係の証明についての控訴人らの負担は軽減されるべきであり、本件各集団予防接種と控訴人らのB型肝炎ウイルス感染との因果関係について、控訴人らが証明すべき程度は必ずしも高度の蓋然性にまで至る必要はなく、相当程度の蓋然性についての立証で足りると解すべきである。
ア 本件においては、本件各集団予防接種とその他の原因との相対的比較によって因果関係の証明をせざるを得ないところ、比較のために並列させる個々の原因については、感染可能性が具体的に認められることを要し、抽象的な感染可能性のみをもって並列比較の対象とするべきではない。したがって、被控訴人による他原因の具体的な感染可能性の主張立証がない限り、控訴人らがそれらを排斥するための主張立証をすることは要しないと解すべきである。
イ 本件の場合、被控訴人は、後述のとおり、本件各集団予防接種の当時既に注射針・筒を連続使用することの危険性を認識していたのであるから、被控訴人が強制し又は被控訴人が管理すべき集団予防接種によるB型肝炎ウイルス感染を回避すべき義務を負っていた。こうした結果回避義務を尽くさずに、自らの指導・監督下にあった一般医療機関において連続注射が行われていた可能性があるとして、自ら強制し、又はその管理・指導下で実施した本件各集団予防接種とB型肝炎ウイルス感染との因果関係を不明とするのは信義則に反する。このような場合、因果関係については原因を特定することなく、「何らかの瑕疵」あるいは過失によるとして因果関係を認めるべきである(概括的認定。瀬川意見書(甲157))。
ウ また、被控訴人は本件各集団予防接種の当時既に注射針・筒を連続使用することの危険性を認識していたのであるから、本件各集団予防接種実施後における予後の調査をすべきであった。そして、被控訴人が上記調査を十全に行っていたならば、控訴人らのB型肝炎ウイルス感染が本件各集団予防接種によるものか否かについての資料を容易に得ることができたにもかかわらず、被控訴人が上記調査を怠ったため、控訴人らにとっても、本件各集団予防接種とB型肝炎ウイルス感染との証明が困難になったのであって、このことは、被控訴人の過失に基づく証明妨害に該当する(前同意見書)。
(4) 以上に基づいて、前記B型肝炎ウイルス及びB型肝炎の特質、控訴人らの各症状及び発症の経緯等に照らすと、控訴人らがB型肝炎ウイルスに感染したのは、いずれも乳幼児期であったことが推認され、また、控訴人らについて家族間感染はあり得ない。その理由は次のとおりである。
ア 控訴人らの同居に係る家族及び家族各人のs抗原、s抗体、c抗体の状況は、別紙[c]に記載のとおりであって、これによれば、控訴人らの母親は、いずれも、控訴人らを出産した当時、B型肝炎ウイルスキャリアでなかったことが認められるから、控訴人らのB型肝炎ウイルスの感染が出産時の母子間感染によるものでないことは明らかである。
イ 控訴人Aについては、別紙[c]によれば、父母のs抗原、s抗体、c抗体それぞれが陰性であるから、出生後の母子間感染、父子間感染は考えられない。
なお、別紙[c]によれば、弟A3(昭和43年5月8日生)はB型肝炎ウイルスキャリア(s抗原陽性)である。しかし、日常生活の中でのB型肝炎ウイルスの感染は希有のことである上、過去に兄弟一緒に集団予防接種を受けたことが合計3回あったものの、その場合には常に兄である控訴人Aから先に接種を受けていたから、弟から同控訴人に対しウイルスが感染したと解すべき余地はない。
ウ 控訴人Bについては、別紙[c]によれば、同居家族はいずれもキャリアではないから、出生後の母子間感染はあり得ない。控訴人Bの父は、s抗体が陽性であるが、一過性の不顕性感染者からの日常家庭生活における感染は希有の部類に属するので、被控訴人側で個別、具体的にそのような感染があったことを主張、立証しない限り、法的因果関係を考える上では考慮すべきではなく、父子間感染もないと考えてよい。
したがって、控訴人Bは、その同居家族から感染し、キャリア化したものではない。
エ 控訴人Cについては、別紙[c]によれば、同居家族はいずれもキャリアではない。そのため、出生後の母子間感染はもとより、父子間感染も前同様あり得ないと考えてよく、妹及び弟からの感染の可能性も考えなくてよい。
したがって、控訴人Cは、その同居家族から感染し、キャリア化したものではない。
オ Dについては、別紙[c]によれば、同居家族はいずれもキャリアではない。そのため、出生後の母子間感染はもちろん、父子間感染、兄弟間感染の可能性も前同様あり得ないと考えてよい。
したがって、Dは、その同居家族から感染し、キャリア化したものではない。
カ 控訴人Eについては、別紙[c]によれば、控訴人Eの同居家族は、いずれも同控訴人出生時にはB型肝炎ウイルスに感染しておらず、その後も、E2を除いて同ウイルスに感染した者がいないことは明らかである。
一方、E2は、控訴人Eを妊娠中であった昭和57年12月8日、勤医協札幌病院で行った血液検査においては、s抗原、s抗体ともに陰性であった。
E2は、その後前記のとおり急性B型肝炎を発症するまでの間、輸血、夫以外の男性との性交等、B型肝炎ウイルスの感染原因となるようなことは一切行っていない。
そのため、E2の急性B型肝炎の原因は、すでにB型肝炎ウイルスキャリアであった控訴人Eから感染したこと以外には考えられない。同控訴人からE2への感染経路として推測されるのは、E2が同控訴人を母乳で育てていたことから、授乳の際、口腔内に傷があった同控訴人がE2の乳首を傷つけるなど、母子間の濃密な関係に起因する何らかの形での血液感染である。
なお、E2から控訴人EにB型肝炎ウイルスを感染させることは、自然科学的観点からもありえないことは甲第156号証(以下「Z7意見書」という。)、第160号証(以下、甲第160号証掲記の文献については「文献32」というように表記する。)及び当審における証人Z7の証言から明らかである。すなわち、
(ア) E2が他人にB型肝炎ウイルスを感染させることが可能となる時期は、昭和59年2月中旬以降と推定され、E2の当時の重い症状からすると同年3月に入ってからと考えるほうがより自然である。他方、控訴人Eの血液検査のデータから同人がB型肝炎ウイルスに感染したのは同年1月6日ころと推定される。この両者の感染時期からして、控訴人EからE2への感染はあり得るが、逆の感染はあり得ない。
(イ) 一般に急性B型肝炎の患者から他人にB型肝炎ウイルスを感染させることはあり得るが、急性B型肝炎の場合にはウイルスは急激に増殖して急激に減少することから、他人に感染させるだけのウイルス量を保っている期間は極めて短い。特に重症の場合は、急激にウイルスが増殖して急激に減少するため、その期間はより短くなる。
B型肝炎ウイルスは感染後平均3.7±1.5日で2倍(この期間をダブリングタイムという。)に、感染後平均127±46日で最大ウイルス量に達する(文献32)。また、ウイルス量がどの程度まで増殖すれば他人に感染させる可能性があるかについては、研究結果はなく実証的証明はできないが、一般に家庭内感染が生じないC型肝炎ウイルスのウイルス量(100万コピー(個)/ミリリットル)を超えるウイルス量に達することが必要であると仮定できる。そこで、B型においてもC型肝炎のウイルス量と同じウイルス量である100万コピー(個)に達することにより家庭内感染を生ずると考え、そのウイルス量に達する日数を計算することになり、2の20乗が100万を超えることになるから、ダブリングタイムを4日とすれば、4×20=80日となる。
(ウ) E2は、昭和59年4月15日にGPTが最大値となりその後急激に数値が減少した。臨床上、血中ウイルス量の最大ピークはGPTの最大ピークの2週間前とされていることから、E2の血中B型肝炎のウイルス量の最大ピークは同年4月1日ころと推定される。そして、B型肝炎ウイルス感染から平均127日で最大ウイルス量となるから、E2がB型肝炎ウイルスに感染したのは同年4月1日を遡ること127日前の昭和58年11月下旬となる。そして、他人に感染させる可能性が生ずるウイルス量になるのは、感染から80日後と考えられるから、E2が他人に感染させる可能性が出てくるのは昭和59年2月中旬以降となる。さらに、E2の急性肝炎は重症の部類に入るため、ウイルス量の増殖の推移も急激であったと考えられるから、感染時期及び他人に感染させる可能性が生ずる時期も上記平均値より後に来ると考えられ、他人に感染させる可能性が生ずる時期は3月に入ってからと考えるのがより自然である。
(エ) 控訴人Eは、昭和59年4月22日の血液検査で、s抗原(+)、e抗原(+)となっており、その時点ですでにB型肝炎ウイルスキャリアになっていたと考えられ、肝炎を発症していなかったから、B型肝炎ウイルス無症候性キャリアである。B型肝炎無症候性キャリアのウイルス量は、10の8乗コピー/ミリリットルに達するとされており(文献34)、このウイルス量に達するまでに必要な日数を計算すると、(2の27乗>10の8乗であるから、)ダブリングタイムを4日とすれば、4×27=108日となる。つまり、控訴人Eが昭和59年4月22日にB型肝炎ウイルス無症候性キャリアの状態になっているためには、同日から108日遡る同年1月初旬にはB型肝炎ウイルスに感染しなければならない。
(オ) 以上により、E2から控訴人EにB型肝炎ウイルスが感染することはあり得ない。
ただ、ダブリングタイムの日数は幅のある数値であり、控訴人Eのそれを短く、E2のそれを長くとれば、感染可能性の時期は上記計算と異なり、逆の可能性も理論上は出てくる。しかし、E2の急性肝炎の症状は重症でありウイルスの増殖、排除の日数は短く、他方、無症候性キャリアのウイルス増殖率は穏やかであると考えるのが自然であるから、上記理論上の可能性の想定は、不自然であり、その可能性は、非常に低い。
以上のとおり、控訴人Eについても、家庭内感染が否定される。さらに、控訴人Eは、出生後、上記感染時期までに、出血をするような怪我をしたことはなく、自宅以外の保育園などで集団生活をした事実もない。
他方、控訴人Eは、昭和58年8月、札幌市中央保健所で予防接種(ツベルクリン反応検査とBCG接種)を受けた。控訴人Eが受けた観血的行為はこの予防接種以外にない。なお、被控訴人は、控訴人Eが昭和58年6月10日の1か月健診時において、血液の凝固作用を検査するためのヘパプラスチンテストを受けた際、ランセット及び超微量ピペットによりB型肝炎ウイルスに感染した可能性を主張するが、上記1か月健診時におけるヘパプラスチンテストの際にはランセット及び超微量ピペットともに使い捨てのものが用いられていたから、上記主張は理由がない。
なお、控訴人Eが受けた上記予防接種では、少なくともツベルクリン反応において注射筒が連続的に使用され、5、6人の被接種者に対して同一の注射筒を用いて注射されていた。B型肝炎ウイルス感染防止のためには注射針だけの取替えでは不十分であり、注射筒まで取り替えなければ感染の危険性はなくならない。
そうであれば、この予防接種以外に控訴人EがB型肝炎ウイルスに感染する可能性がないのであるから、この予防接種がその原因であることは疑いがない。
皮内注射において、針が血管を損傷して針に血液が付着することがあり、特に乳幼児の場合は皮膚と皮下組織が密着しており血液が針に付着する可能性が高く、この場合、針を取り替えたとしても、針内の血液が注射筒に逆流し注射筒が高度に汚染される。それゆえ、WHOの1987年報告において、すべての予防接種について針だけではなく、筒の取り替えを勧告したのである。
控訴人Eとともにツベルクリン反応検査を受けた72名の血液検査の結果は、同ツベルクリン反応検査による控訴人EのB型肝炎ウイルスの感染の可能性を否定する理由とはならない。すなわち、
(ア) 当該調査の対象となった72名全員が、控訴人Eと同一の日にツベルクリン反応検査を受けた者であるとは必ずしも断定できないし、逆に、その72名が控訴人Eと同一の日にツベルクリン反応検査を受けた者のすべてであると断定することもできない。調査対象者72名の名簿は、昭和58年8月27日実施のBCG被接種者の問診票の綴りをもとに作成されたものであるが、同日実施のBCG被接種者の中には8月25日だけではなく、その前の週の8月18日にツベルクリン反応検査を受けたと思われる者が含まれている。すなわち、ツベルクリン反応の結果判定はしたものの問診の上、BCG接種を翌週に行った者を含んでいたと考えられる。これと同様に、控訴人Eと同一の日にツベルクリン反応検査を受けたものの、BCG接種は違う日に受けた者がいた可能性もある。そうであれば、控訴人Eと同一の日にツベルクリン反応検査を受けたにも拘わらず、上記名簿に記載されない被接種者がいたことになる。
(イ) 次に、現実に血液検査に応じた39名は、調査対象者の中から全く無作為に抽出されたものではない。血液検査を実施できたのは、検査を受諾した者だけで、検査を受けるか受けないかは、対象者の自発的意思にかかっていた。B型肝炎に関連のある対象者は、検査を拒絶する傾向がある。現に「母親がB型肝炎キャリアであった」ことから拒絶した者があり、同人は「出産時にワクチン投与を受けており、B型肝炎ウイルスには感染していない」とされているが、その検査記録等は添付されておらず、感染の有無は不明である。
(ウ) 本件調査の拒絶者は上記対象者を含めて15名おり、14名の拒絶者については理由が必ずしも明確ではない。B型肝炎に何らかの関連があることから拒絶している可能性がある。そうである以上、調査対象者の中で39名の検査結果がすべて陰性であったとしても、その39名の抽出方法が全く無作為とはいえず、相当のバイアスがかかっていると考えられる以上、一般の確率論を本件調査に当てはめることはできない。
(エ) むしろ、上記調査の際、所在が判明したにもかかわらず調査(採血)に応じてもらえなかった者の中にキャリアが存在していた可能性があるから、さらに調査を遂げていたならば、明瞭な形でキャリアの存在を証明できた可能性の方が高かったというべきである。
(5) 控訴人らは、前記のとおり、0歳から満6歳ころまでの間に本件各集団予防接種を受けているが、当時の集団予防接種においては、いずれも、同一の注射器(針、筒)等の接種器具が連続して使用されていた。
なお、仮に、控訴人Eについては、被接種者ごとに注射針が取り替えられていた事実が認められるとしても、注射筒については連続して使用されていた。
(6) 以上によれば、控訴人らは、いずれも、本件各集団予防接種によりB型肝炎ウイルスに感染したことが明らかである。
なお、被控訴人は、B型肝炎ウイルスの感染に関して、そのキャリア化の年齢、ウイルスの感染経路などいくつかの点に関していまだ解明不十分な部分が存在すること及びB型肝炎ウイルスの感染力が極めて強く、個人の生活の種々の場面における感染の可能性を否定しきれないことをもって、想像を超えた水平感染経路があるとして、本件各集団予防接種と控訴人らのB型肝炎ウイルス感染との因果関係を否定するが、被控訴人の上記主張は、B型肝炎ウイルスの感染力のみを過大に評価し、それが血液を媒介するものであること、そして一般人の平素における血液の接触を伴わない生活場面での感染の可能性が極めて低いことを捨象し、血液接触の場面についての具体的立証を伴わないまま、単に想像を超える水平感染の可能性をいうものであり、本件各集団予防接種による控訴人らのB型肝炎ウイルス感染の事実を左右するものではない。
(7) また、被控訴人の後記主張に係る昭和23年から昭和33年までの「保健所事業成績年報」及び「保健所運営報告」の予防接種に関する資料は、予防接種におけるすべての接種者数を掲載したものではなく、単に、保健所において実施したもの及び保健所職員が担当したもののみを掲載したものにすぎないし、後記杉田報告における被接種者数は、臨時接種の接種者数が計上されていないほか、「衛生年報」、厚生省公衆衛生局結核予防課編「結核予防行政提要」等に記載のツベルクリン反応検査やBCG接種者の数(終戦時において既に1000万人を超える被接種者数がいたものと記載されている。)が計上されていない一方、経口接種であるポリオの生ワクチン投与(昭和39年以降)の実施数が加えられているなど、実態を反映したものとはいえない。したがって、我が国における戦後の予防接種の実数については、被控訴人主張の資料のほか、厚生省五〇年史編集委員会編「厚生省五〇年史」、元GHQ衛生局長C・F・サムス著「DDT革命」(種痘、腸チフス・パラチフスワクチンについて6000万人という規模の予防接種が行われたと記されている。)の記述をも参考にすべきであり、それらとともに杉田報告の作成資料及び同報告の補充報告書(乙第80号証。以下「杉田補充書」という。)の内容をも考慮して被接種者数を総計すると別紙[d]のとおりとなり、それをグラフ化したものが別紙[e]の図1の折れ線グラフである。
なお、HBs抗体陽性率は、被検査者が過去にB型肝炎ウイルスに水平感染したことの指標になるものであるが、後記西岡グラフの有意性はHBs抗体陽性率に留めるべきことは措くとして、西岡グラフ(HBs抗原・抗体陽性頻度)を出生年代順に並べ替えたものが別紙[e]の図2の各棒グラフ部分である。これらによれば、1946年(昭和21年)から1950年(昭和25年)までの期間において予防接種の被接種者数が最大となり、その後、漸減している。この傾向は、HBs抗原・抗体陽性率(抗原陽性率については、上記問題点はあるが、この点を措くとしても)の漸減傾向とまさに一致している。ところで、この漸減傾向は1976年(昭和51年)を最低限として一旦止まり、1977年(昭和52年)から再び被接種者数が増加して1982年(昭和57年)ころに再ピークを迎える。このピークとHBs抗体・抗原陽性率の減少傾向とは重なり合っていないが、このことは、両者の因果関係のおおよその傾向を否定しうるものではない。すなわち、
ア 昭和52年以降の予防接種の被接種者数の増加は、主にインフルエンザ及び日本脳炎の予防接種数が増加したことによる。インフルエンザの予防接種は、接種対象者が「インフルエンザの流行を増幅しやすい保育所、幼稚園、小学校及び中学校の児童、生徒」とされており、3歳以下の乳幼児については原則として実施しないものとされていた。したがって、このインフルエンザの予防接種は、B型肝炎ウイルスキャリアの成立年齢である0歳から5歳の乳幼児はほとんど接種を受けておらず、HBs抗原陽性率の増加には影響を与えていない。また、日本脳炎の予防接種も、接種対象者は流行のおそれのある地域の3歳から15歳の児童生徒に接種されており、同様に影響を与えていない。ちなみに、インフルエンザ及び日本脳炎の予防接種(さらに風疹の予防接種は中学生の女子のみに接種されていたから、これも除外できる。)の被接種者数を除外して被接種者数をグラフ化すると、別紙[e]の図3となり、従前控訴人らが主張していた増減傾向と同様になる。
イ 昭和52年以降の時期に、インフルエンザ及び日本脳炎の予防接種を受けた者の年代のHBs抗原陽性率をみると、昭和47年から昭和52年までの間の9歳以下のキャリア率は1パーセント程度にまで減少している(甲第156号証添付表1)。後記田島グラフ(乙第49号証)によっても同様である。このようなHBs抗原陽性率が低下している段階において、これらの者を含めて集団予防接種が繰り返されたとしても、統計上、HBs抗体陽性率が著しく増加することはないはずである。
ウ なお、1938年生まれ、1950年生まれ及び1960年生まれの日本人が過去に受けた予防接種の平均累積数によれば、戦後生まれの国民のHBs抗体陽性率が高い割合を示しており、1950年以降に生まれた国民のHBs抗体陽性率が減少することと一致するから、集団予防接種がB型肝炎ウイルスの主要な感染原因であることを矛盾なく説明できる。
エ 以上のとおり、昭和52年以降の予防接種の被接種者数の増加がHBs抗体陽性率の増加と連動しないことに何らの矛盾もなく、集団予防接種とB型肝炎ウイルス感染との疫学的な相関関係は十分に認められる。
【被控訴人の主張】
(1) 一般に、B型肝炎の主な感染経路として、医療行為(例えば、未消毒又は消毒不十分な状態による注射針、注射筒、メス等の使用)、輸血、家庭内感染、性行為感染、薬物乱用(中毒)、民間療法等が挙げられるほか、他にも多くの原因があり得る。また、特に、乳幼児期の水平感染形態としては、主として医療行為、家庭内感染等が考えられる。いずれにしても、B型肝炎ウイルスの感染力は、血清について10のマイナス8乗パーミリリッターでも認められるという極めて強いものであるため、想像を越えた水平感染経路が予想され得る。
したがって、B型肝炎ウイルスの感染形態として、集団予防接種に伴う感染を必ずしも否定することはできないが、それは単なる可能性の一つとして指摘されているものであり、B型肝炎ウイルスの感染力の強さ等からみるならば、仮に、過去に集団予防接種を受け、その際、注射針及び注射筒が連続して使用されたとしても、そのことから直ちに、その予防接種とB型肝炎ウイルスの持続感染との間に因果関係が認められるものではない。
B型肝炎ウイルスの感染について、本件との関連で具体的な感染経路をみると、次のとおりの経路を想定することができる。
ア 一般医療行為での感染
B型肝炎ウイルスの感染については、集団予防接種以上に、開業医や病院等の一般医療機関における医療行為が大きな比重を占めていた。これは、B型肝炎ウイルスに汚染された医療器具(注射針、メスなど)の未消毒又は消毒不十分な状態での再利用によるものと考えられる。すなわち、医療器具につき特に再利用による感染の危険があるのは、採血や静脈注射に使用された注射針や注射筒であり、採血によって注射針及び注射筒が血液に汚染されるし、静脈注射の場合も、針先が静脈に入ったことを確認するために、注射器の内筒を引いて血液を注射筒内に逆流させることにより、注射針及び注射筒が血液に汚染される。特に、往診の際に静脈注射に使用した注射針及び注射筒については、注射針や注射筒内の血液が、病院に帰って洗浄するまでの間に乾燥して付着してしまうおそれがある。この場合、付着した血清たんぱくを除去することは極めて困難である。
ところで、昭和40年代ころ、一般の開業医や病院などで採られていた注射針等の医療器具の消毒方法には、アルコールによる消毒、煮沸消毒又は乾熱滅菌等種々の方法があった。しかし、B型肝炎ウイルスは、物理的及び化学的処理に対しては強い抵抗性を示すので、当時常用されていた消毒薬はほとんど無効であり、また、上記消毒方法のうち、アルコール消毒はB型肝炎ウイルスに対し何らの効果もなく、他の煮沸消毒や乾熱滅菌による消毒方法も、それが不完全な場合には、B型肝炎ウイルスを滅菌することができない。一方、昭和42、3年以前の一般開業医や病院等における一般の医療の場面では、注射器具を各人ごとに使い捨てるほど十分な余裕がなかったことや、ディスポーザブル(使い捨て)注射器が普及していなかったことから、日常的に注射器具を再使用する状態にあった。
したがって、昭和40年代以前に一般医療の場面で採られていた消毒方法は、必ずしも効果がなく、また、B型肝炎ウイルス滅菌に対し有効となり得る消毒方法が採られていた場合であっても、B型肝炎ウイルスについての正確な知識が知られていなかったこともあって、消毒方法が不完全なものも多く存在した。
さらに、一般医療機関においては、昭和48、9年ころに大腿四頭筋拘縮症による注射事故が社会的な問題となるまでは、風邪などの日常的、あるいは軽微な疾病であっても、乳幼児を含む小児に対して頻繁に注射が行われていた。
以上のような状況からみるならば、一般医療機関においては、乳幼児等に対し、消毒不完全な注射器等の医療器具等を使用することにより、ウイルスを感染させる機会が相当程度あった。
イ 院内感染
人の血液を扱う機会の多い医療機関内においては、医療行為に関連して、患者から患者へのウイルス感染、医療従事者から患者へのウイルス感染等の院内感染があり得る。
ウ 輸血による感染
血清肝炎ウイルスと関連があるオーストラリア抗原のスクリーニングが開始された昭和47年以前の輸血用血液はもとより、それ以後の輸血用血液を通じても、B型肝炎ウイルスの感染の可能性があり得る。
エ 家族内感染
B型肝炎ウイルスは、垂直感染のほか、s抗原陽性を示す母や父あるいは兄弟などとの日常生活における密接な人間的接触の中で水平感染する機会も多い。
オ 学校内外の感染
その他、乳幼児等の小児がB型肝炎ウイルスに感染する機会としては、学校内外の日常生活を通じてのものがあり得る。例えば、岐阜県奥飛騨にある小学校の例では、学童のs抗原・抗体系を長期間にわたって調査したところ、学校内においても水平感染がかなりの頻度で起こり得るとの結果が出た。
子供、特に3、4歳までの子供は、抱かれたりすることによる大人との接触や、遊んだりすることによる子供相互の接触の機会が多く、これによってB型肝炎ウイルスに感染する可能性も存在する。
さらに、小児については、日常生活上外傷を伴う格闘によっても感染が起こり得る。
(2) 他方、各年における集団予防接種者数の推移とs抗原・抗体陽性率の推移とは関連性がなく、その点からも、集団予防接種が、被接種者に対し、一般的にB型肝炎の感染をもたらす有力な原因であるとすることはできない。
すなわち、東邦大学医学部衛生学教室教授杉田稔は、平成9年6月、内務省及び厚生省の統計資料(昭和11年までは内務省衛生局発刊の「衛生局年報」、昭和12年から昭和22年までは厚生省統計情報部作成の「衛生年報」、昭和23年から昭和28年までは同部作成の「保健所事業成績年報」、昭和29年以降は同部作成の「保健所運営報告」)に記載された数値に基づいて「予防接種者数の年次推移に関する調査」(以下「杉田報告」という。)を作成した。杉田報告による各年毎の予防接種の種類、被接種者数は別紙[f]のとおりであり、それによると、集団予防接種のピークは昭和23年、36年、55年であり、戦後、予防接種法の制定により集団予防接種の対象となる疾病数が年々増加し、一人の乳幼児が受けた予防接種の回数が増加し続けた時期があったことが明らかで、杉田補充書によっても同様である。
これに対し、日本赤十字社中央血液センター検査部の西岡久寿彌医師らが平成2年2月に同センターに献血された血液サンプルについて行ったs抗原・抗体等の検査結果(別紙[g]、以下「西岡グラフ」という。)及び岩手県予防医学協会の田島達郎医師らが昭和62年度にまとめた岩手県住民の昭和61年度の検診結果(別紙[h]、以下「田島グラフ」という。)によると、過去においてB型肝炎ウイルスに感染したことを示すs抗体の陽性率は、いずれも、昭和26年ころから昭和30年ころまでに出生した世代から急激に一貫して減少している。また、その時点においてB型肝炎ウイルスに感染していることを示すs抗原の陽性率については、西岡グラフでは、昭和11年ころから昭和15年ころまで及び昭和21年ころから昭和25年ころまでに出生した年代の陽性率が、田島グラフでは、昭和22年ころから昭和26年ころまで及び昭和32年ころから昭和36年ころまでに出生した年代の陽性率が、それぞれ高くなっている。そして、両グラフに共通して特徴的なのは、陽性率に男女の差異が認められるという点である。
(3) 上記事実に基づき、まず、s抗体陽性率について検討すると、これが急激に減少している時期に、逆に、予防接種者数は増加している。しかも、終戦前の我が国においては、腸チフス等の予防接種を任意的・個別的に実施していたほか種痘が行われていたものの、種痘以外の集団予防接種は実施されていなかったのに対し、s抗体陽性率が急激に減少している同時期には、昭和23年に予防接種法が制定され、その後も昭和32年9月にインフルエンザの勧奨接種が行われ、昭和37年からは特別対策としてのインフルエンザの勧奨接種も行われるようになり、昭和33年4月にはジフテリアの定期予防接種の回数も増やされるなどしており、集団予防接種の対象となる疾病数が年々増加し、一人当たりの予防接種回数が増加し続けていた。以上によると、予防接種者数の増減とs抗体陽性率との間には何らの関連性も認められない。
次に、s抗原陽性率について検討すると、これが高くなっているのは特定の年代であるが、予防接種者数のピークとは重なり合っていない。また、予防接種法の制定により集団予防接種の対象となる疾病数が年々増加し、一人当たりの接種回数も増加し続けた時期においてもs抗原陽性率は減少を続けた。そのため、予防接種者数の年次推移とs抗原陽性率との間にも何らの相関関係も認めることができない。のみならず、男女別のs抗原陽性率に差異が認められるが、集団予防接種は、男女の差異なく行われるものであるから、男女間におけるs抗原陽性率の差異を集団予防接種との関連で説明することは困難である。
以上からみるならば、集団予防接種とB型肝炎ウイルスの感染との間には特別の関連性があるものとは認められない。そして、特に昭和40年以降に出生した者から急激にs抗原・抗体率(B型肝炎ウイルス感染率及びその持続感染率)が減少しているのは、一般医療行為の中で、昭和30年代後半からディスポーザブルの注射針が使用され始め、昭和40年代後半からその使用が一般化されるようになってB型肝炎ウイルスの伝播が減少し、さらに、前記のとおり、昭和48、9年ころ、大腿四頭筋拘縮症による注射事故の問題が起きたために、それ以前に比較して注射自体が控えられるようになったことから一般医療行為に起因する水平感染によるキャリアが激減したことによるものと考えられる。
加えて、集団予防接種については全国のいずれの地区においても集団的に実施されていたところ、少なくとも予防接種による肝炎の集団発生を思わせるような所見は認められていない。このことからも、持続感染をもたらしたB型肝炎ウイルス感染の大部分は他に原因があるものと考えられる。
(4) 以上の事実及び検討の結果によれば、各控訴人らのB型肝炎ウイルスの感染は、本件各集団予防接種によるものとは認められない。
すなわち、控訴人A、同B、同C、同Dについては、いずれも、出生時における器具等の消毒不足等による感染、院内感染、幼時における医療行為による感染の各可能性が考えられるほか、いずれの家族にもB型肝炎ウイルスに暴露された罹患歴を有する者が存在することからみて、家庭内感染の可能性を否定できず、学校内等での感染の可能性もあり得る。
したがって、同控訴人らに対する本件各集団予防接種とB型肝炎ウイルスの感染との間には因果関係があるものと認めることはできない。
(5) 次に、控訴人Eについては、出生直後に血液検査及び足の裏を切開して採血するヘパプラスチン検査を受けていることから、まず、出生時の血液検査などの観血的医療行為による院内感染の可能性が認められるだけでなく、B型肝炎ウイルスの感染力が強いことから、想像を越える感染ルートがあり得るのであり、例えば、出生後の日常生活の中での感染可能性も否定することができない。しかも、E2は、昭和59年4月ころ、B型肝炎ウイルスによる急性肝炎を発症しているが、その潜伏期間中に控訴人Eに対しウイルスを感染させた可能性もあり得る。
また、控訴人Eに対しなされた集団予防接種としてのツベルクリン反応検査及びBCG接種については、注射針ないし管針を一人一針とするものであったし、ツベルクリン反応検査において用いられた注射筒は5、6人に対して連続使用されたが、同反応検査は皮内注射の方法によりなされたものであり、その場合には注射針が血液に触れることがないため感染の可能性がない。そして、昭和58年当時の札幌市中央保健所における注射器具の消毒、滅菌状況については、注射針は、ディスポーザブルの注射針を一人一針として使用し、注射筒等も、使い終わると流水でよく洗った後、乾燥させた上、使用日の前日に高圧蒸気で滅菌し、保存バットに入れて保存していたほか、特にBCG接種の管針については、クレゾール洗浄や流水洗浄の後、特別注文の煮沸器を用意して、煮沸消毒を行っており、注射器具に関しての消毒、滅菌は十分であった。
さらに、控訴人Eと同一の集団予防接種の機会にB型肝炎ウイルスに感染した者の有無を調査するため、札幌市において、同控訴人と同日にツベルクリン反応検査及びBCGの予防接種を受けた乳児72名のうち追跡調査が可能であった39名について、本件訴え提起後である平成9年2月から同年6月までの間、血液検査を行ったが、その結果、B型肝炎ウイルスについて陽性の反応を示した者は存在しなかった。
(6) なお、因果関係及び立証の負担軽減についての控訴人らの主張に対する被控訴人の反論は次のとおりである。
ア 訴訟上の立証程度は、特別の定め、すなわち法の明文なくして、実体法の解釈で軽減することはできないし、最高裁判所の判例は、高度の蓋然性が要求されることを前提に、当該訴訟における具体的な証明の程度が、要求される証明度に達していたといえるか否かを判断している。
イ 控訴人らは、大要、昭和26年にはB型肝炎の病像などの知見が確立されていたのであるから、集団予防接種の実態を速やかに調査するべき義務があったのに、これを果たさなかった被控訴人の怠慢により、控訴人らが必要としている事実的因果関係に関する証拠資料が得られない状況に追い込まれたとして、その証明責任の転換を主張する。しかしながら、B型肝炎ウイルスの持続感染という病像が存在することが判明したのは昭和45年以降のことであり、また、控訴人Eに対するツベルクリン反応検査が行われた昭和58年当時においても、皮内注射の際の注射筒のみの連続使用によってB型肝炎ウイルスを感染させる危険性はないと考えられていたのであるから、控訴人等の主張は、その前提を欠いている。
ウ 控訴人らは、控訴人らが有力と思われる感染原因について主張、立証をなし得たときは、被控訴人において、同原因・結果の関係を否定するに足りる有力な原因について、主張、立証する責任を負う、あるいは、少なくとも立証の必要性を生じさせると主張し、いわゆる間接反証理論の適用を主張しているが、本件にいわゆる間接反証理論を適用することは相当でない。すなわち、加害行為によって結果が生じたことを証明することは、結果がもっぱら他原因で生じたものではないことを証明しなければならないことになるのであるから、これが控訴人らの立証責任に属することは当然のことであり、他原因の存在を被控訴人において主張、立証すべきとする控訴人らの主張は何ら理由がない。
エ 瀬川意見書(甲157)において、概括的認定を採用する前提として、他原因として重要なのは一般の医療行為による感染に絞られるとしている点は、誤りである。水平感染の主な感染経路は、医療行為、輸血、家庭内感染、性行為感染、薬物乱用(中毒)、民間療法などであり、他にも多くの原因が考えられ、特に、乳幼児期の水平感染形態としては、主として医療行為、家庭内感染などが考えられるからである。
また、本件各集団予防接種の当時、被控訴人は注射針の連続使用の危険性を認識していたという点も誤りである。控訴人Eを除くその余の控訴人らに対する本件各集団予防接種が実施されたとされる昭和26年9月から昭和46年2月までの当時、予防接種における注射針及び注射筒の連続使用によりB型肝炎ウイルスに感染することは、そのような報告事例などもなく、当時はB肝炎ウィルスキャリアという概念自体がなかったのであるから、B型肝炎ウイルスキャリアの状態が生ずることを予見することは全く不可能であったし、控訴人Eに対するツベルクリン反応検査が行われた当時、皮内注射における注射筒のみの連続使用がB型肝炎ウイルスの感染をもたらす危険性が高いことを予見することはできなかった。したがって、本件において、概括的認定を採用する前提としての被控訴人の信義則違反は認められず、概括的認定の手法は採用できない。
本件各集団予防接種が強制的であったとの点については、厳密にいえば、本件に関連する予防接種のすべてが定期(強制)接種であったわけではない。
さらに、同意見書において、注射器の連続使用によって肝炎に感染し得るという外国の報告例が存在し、それらは被控訴人においても認識していたという点については、昭和30年代までの段階では、厚生大臣あるいは厚生省の予防接種担当職員は、我が国における集団予防接種における注射針及び注射筒の連続使用によって肝炎に感染する可能性があることを予見することはできず、B型肝炎ウイルスキャリアの病像の存在が判明した昭和45年以前の段階で、集団予防接種における注射針及び注射筒の連続使用によって、B型肝炎ウイルスに持続感染させ、B型肝炎ウイルスキャリアとさせることを予見することはできなかった。
オ 以上により、被控訴人が認識しつつ注射器(針)等の連続使用による予防接種を実施していたとの点は事実に反し、証明妨害の前提となる被控訴人の義務違反はない。したがって、因果関係の認定において、上記瀬川意見書の概括的認定及び証明妨害の理論は採り得ない。
カ 不法行為責任の成立のためには、加害行為と権利侵害または損害との間に因果関係が存在することが要件とされ、この因果関係論においては、ある損害(結果)がいかにして発生したかという事実的因果関係ないし条件関係と、これが確定された後に、ある行為をその損害(結果)の原因として法律的に認めるのが相当であるかという相当因果関係という2つの因果関係が問題となる。前者の事実的因果関係とは、純粋に事実的・機械的・没価値的に事実生起の過程を観察したときに認められるところの具体的かつ現実的な関係である。後者の相当因果関係は、事実的因果関係が認められた後に、事実的因果関係がある損害(結果)のうち、加害行為者に客観的に帰責させるべき損害の範囲を限界付けるものであり、法的価値判断に基づき不法行為責任の範囲を画するものである。因果関係をこのように分けて判断することは、事実的にも論理的にも可能であり、客観的な存在としての因果のつながりを確定し、その上で法的価値判断を加えていくという手順を踏むことにより、法的価値判断を最初から持ち込むことによる判断の不安定性・不確実性を避けるとともに、価値判断を重視するあまり真実を見失うおそれがあるにもかかわらず、周辺の事情から性急に結論を出してしまう危険性を避けるためである。事実的因果関係が争われている事案において、これを明らかにしないまま相当因果関係を検討するような判断手法は誤りである。
そして、事実的因果関係の証明の程度は、一般の証明と同じく、高度の蓋然性が必要である。すなわち、訴訟上の因果関係の証明は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りる。
キ 事実的因果関係を証明する間接事実としては、本件では、<1>本件各集団予防接種の態様において、B型肝炎ウイルス感染の危険性があったこと(例えば、注射方法が静脈注射か、皮下注射か皮内注射か、注射針の連続使用か、筒だけの連続使用かなど)<2>控訴人らの前にB型肝炎ウイルスキャリアが存在していたこと、<3>控訴人らと同時期に予防接種を受けた者についてB型肝炎ウイルス感染者がいたこと、<4>疫学的因果関係が認められること、例えば、エバンスの5要件として、関連の時間性(調査対象者となる集団中に予防接種が行われる以前にはB型肝炎ウイルス感染者がいなかったが、接種後相当の期間内にB型肝炎ウイルス感染が確認されたこと)、関連の強固性(予防接種を受けている集団が予防接種を受けていない集団に比べてB型肝炎ウイルス感染者数が有意に高いこと)、関連の一致性、関連の特異性(B型肝炎ウイルス感染の原因となる予防接種以外の要因が排除されていること)、関連の整合性(B型肝炎ウイルス感染が集団予防接種と因果関係があるとした場合、他の要因によるとの知見に矛盾しないこと)を充足していること(もちろん、疫学的因果関係は、集団現象としての因果関係であって、具体的個人について因果関係を肯定する際の間接事実の一つにすぎない。)、<5>他原因(一般開業医や病院における医療器具の連続使用や不完全な消毒のまま医療器具の使用の有無、感染可能性のある対人的な接触等)の不存在等が挙げられる。事実的因果関係は、これら間接事実の積み重ねとそれに対する経験則の適用によって事実的因果関係の存在を推認するという方法によって、具体的な事実の問題として没価値的に判定されるべきものである。
本件においては、控訴人らによる上記の事実的因果関係を証明するための間接事実についての立証は何らできていない。控訴人らの主張は、結局のところ、単なる可能性ないし蓋然性をもって事実的因果関係を肯定することに帰するもので、採用できない。
乳幼児期における水平感染は、集団予防接種以外の一般の医療機関における注射等の医療行為が有力な要因であるほか、家庭内感染などが考えられるのであって、特に集団予防接種による感染を疑うべきであるとはいえない。また、一般に成人が初めてB型肝炎ウイルスに感染した場合、ほとんどが一過性感染であり、持続感染に移行することはまれであるといわれているが、B型肝炎ウイルスキャリアの配偶者のB型肝炎ウイルスキャリア率が一般人に比較して高いという疫学的調査結果があるのに、その原因が未だ解明されていないことからすると、B型肝炎ウイルスキャリアの成立機序が現在においてもすべて解明されているわけでもない。そのため、控訴人らの感染時期を必ずしも乳幼児期であったと断定することもできない。
ク さらに、控訴人らは、感染ルートとして集団予防接種と同程度の確率があるのは、垂直感染と水平感染としては輸血だけであるとし、輸血以外の水平感染である一般の医療行為、家庭内感染及び対人的な接触による感染は、いずれも集団予防接種と同程度の具体的可能性が被控訴人において立証されない限り、控訴人E以外の控訴人らについて集団予防接種と感染との間に個別的因果関係の存在が立証できたと主張するが、B型肝炎ウイルスの水平感染における経路は多岐にわたっており(これはB型肝炎ウイルスは血中のウイルス量が多量であるためその感染力が強いことによるためである。)、控訴人らの主張は独自の見解で失当である。
ケ 控訴人らは、昭和40年代であっても一般の医療現場においては、注射器、注射針の連続使用はなかったと主張するが、被控訴人は、これを争う。また、仮に、その主張のとおりであるとしても、注射器、注射針の連続使用の事実のみを問題としているのではなく、ディスポーザブル(使い捨て)注射器が普及する以前の昭和40年代ころ、一般開業医や病院において採られていた注射針等の医療器具に対する消毒方法については、既に述べた以外の薬物による消毒は、物理的及び科学的処理に対して強い抵抗力を示すB型肝炎ウイルスに対して何らの効果もなく、また、他の煮沸消毒や乾熱滅菌による消毒方法も、それが不完全な場合には、同ウイルスを滅菌することができなかった。そして、過去にB型肝炎が集団発生した当時のそれぞれの医療機関においては、同ウイルス感染についての正確な知識がなかったことから、医療器具の消毒方法が不完全であったと考えられる場合が多く存在したし、現実に院内感染が発生した実例も存在する。前記Z7意見書及びZ7証言も、あくまで父親の消毒方法を見てそれが普通の開業医の一般的な消毒方法ではないかと推測したにすぎず、一般化できない。
一般開業医や病院において採られていた医療器具の連続使用や不完全な消毒のまま医療器具が使用されていた事実は、B型肝炎解明の歴史をふまえた上で、被控訴人によって既に立証されている。
コ 控訴人らは、注射器等の連続使用をしたとき、前者がB型肝炎ウイルスキャリアであれば、100パーセントの確立で後者に感染すると主張するが、その可能性は高いがそのことによって直接感染成立との1対1の関係はつけられない。さらに、控訴人らは、この前提に立ち、注射針や注射筒などを連続使用した集団予防接種による感染の可能性、確率を100パーセントに近いものとした上で、被控訴人において一般医療行為等がこれと同程度の具体的可能性があるものとして立証されない限り、控訴人Eを除く控訴人らにつき集団予防接種とB型肝炎感染との間に個別的因果関係が存在することが証明されたこととなると主張するが、これは、誤った前提に立った上で、輸血と同程度の確率のある水平感染は集団予防接種以外にないとの結論を先取りした立論で、失当である。
サ 予防接種者数の年次推移については、公的統計資料に基づく調査結果である杉田報告及びこれを訂正補充した杉田補充書(乙80)によるべきである。
シ HBs抗原・抗体陽性率の年次推移(西岡グラフ、乙9、25)及び田島グラフと予防接種者数(乙71。そのピークは昭和23年、37年、57年となっている。)とを対照すると、HBs抗原・抗体陽性率が急激に減少している時期に、逆に、予防接種者数が増加していること、特に特定の年代のHBs抗原陽性率が高くなっていることと予防接種者数のピークは重なり合っていないこと、男女間におけるHBs抗原陽性率の差異を集団予防接種との関連で説明することは困難である。
そして、特に昭和40年以降に出生した者から急激にHBs抗原・抗体陽性率が減少しているのは、むしろ、一般の医療行為の中で、昭和30年代後半からディスポーザブルの注射針が使用され始め、昭和40年代後半から、その使用が一般化されるようになってB型肝炎ウイルスの伝播が減少し、さらに、昭和48年、9年ころ、大腿四頭筋拘縮症による注射事故が起きたために、それ以前に比較して注射自体が控えられるようになったことから、一般の医療行為による水平感染によるキャリアが激減したことが大きな原因となっていると考えられる(乙25、26、41、54、55)。
また、控訴人らは、戦前に生まれた世代が、より集団予防接種の頻度が高かった戦後世代よりHBs抗体陽性率が高い傾向にあることについて、終戦直後に成人にも一律に実施された臨時種痘接種などと相関していると主張するが、戦後多くの予防接種が導入されてからもB型肝炎ウイルス感染は減少傾向にあったのであるから、西岡グラフからは一般医療行為がB型肝炎ウイルス感染に大きな比重を占めていたことが想像され(原審における証人Z6)、また、昭和20年までに出生した人のHBs抗体陽性率が高いのは、当時の衛生環境の悪さ、医療環境の悪さ、その他諸々の要因によって感染力の強いウイルスに感染する機会を多く持っていた世代であるから、その原因は多様と考えるのが妥当である(原審における証人Z5)。
ス 本件においては、疫学的因果関係の存在は何ら主張すらされておらず、控訴人らの主張する疫学的相関関係は、要因と考えられるものと疾病との間の量反応関係の問題が取り上げられているだけであり、その性質上、一般的な対応関係を示しているにすぎない。正確な統計資料とはいえない「GHQ日本占領史」なるものを用いて作成した別紙[d]の証拠価値には疑問がある。予防接種者数の年次推移を比較する被控訴人提出の杉田報告は、毎年同じ基準で集計した統計資料に基づいたもので証拠価値が高い。杉田報告の表1ないし表9は、主な予防接種数を掲げ、同表10は、同表1ないし表9以外の他の予防接種を含めた全種類の予防接種の被接種者数を(個別に基礎数値を掲げることを省略した。)掲げたものである。
なお、仮に控訴人らの上記資料により疫学的相関関係を認める余地があるとしても、それは集団現象としての因果関係であり、その集団に帰属する個人のウイルス感染の原因が当該「注射針や筒の連続使用の集団予防接種」であるとの結論を直ちに導き出すことはできない。B型肝炎ウイルスに関する研究等において、B型肝炎ウイルスにおける持続感染の原因の一つとして、乳幼児期における集団予防接種が挙げられることはあるが、それは単に可能性の一つとして挙げられているにすぎず、持続感染の原因としては、むしろ一般の医療行為の可能性の方が高い。
セ B型肝炎ウイルスの水平感染の可能性は多岐にわたるものであるから、前記Z7証言及び意見書は、乳幼児期の感染経路を一般的医療行為と予防接種の2つに限定した点において誤っている。また、当時の一般の医療機関においては、医療器具の消毒方法が不完全であったと考えられる場合が多く存在しており、一般的医療行為も有力なB型肝炎ウイルスの感染経路の一つと認められるものであるから、これを否定する趣旨の同証言等は採用できない。
さらに、同証言等は、我が国の予防接種とB型肝炎ウイルスキャリア発生との間には濃厚な関連性が想定しうると判断したいくつかのデータについても、予防接種とB型肝炎ウイルスキャリア発生とがデータ上において単に増減傾向が一致している部分を取り出して判断しているに過ぎず、そこではB型肝炎ウイルスキャリア発生についての他の要因、例えば医療行為の改善等はまったく考慮されていない。例えば、大都市では乳幼児は集団ではなく、個々人で接種した可能性が高いとしているが、これはデータに基づいた推論ではないし、五島列島の例についても、戦後の予防接種の激増とB型肝炎ウイルスキャリアの発生の増加が事実であるとしても、そのことから直ちに両者の間に有意な関連があるとはいえない。B型肝炎ウイルスキャリアの発生には、戦後の社会全般ないし医療現場の衛生状態の悪化がかなり有力な要因であると考えられるからである。
また、同証言は、東京都では3、4歳までのHBs抗原者数が昭和40年ころから減少に向かい、昭和53年には乳幼児の水平感染は事実上消滅し、我が国では、昭和50年ころには乳幼児の水平感染は事実上消滅したが、この変化は、かなり人為的な要因を考えるべき程度の急激な変化であるとし、この要因を予防接種であるとしている。しかし、乳幼児の水平感染が減少に向かっていたというのが事実としても、昭和50年ころに消滅したことは実証されているわけではない。また、そうだとしも、そのことから直ちに乳幼児の水平感染の消滅が予防接種のみを要因としているとの立論は成り立たない。
ソ 控訴人A、同C及びDが乳幼児期当時医療行為を受けたとされる医療機関に対する照会回答書(甲第153ないし155号証)は、いずれも回答の内容である消毒方法が具体性に欠けるうえ、いずれの医療機関も各控訴人に関し当時医療行為をしたかどうかは不明としており、何ら証拠価値はない。
タ 次に、前記Z7意見書及びZ7証言は、自然科学的には控訴人EからE2に感染した方が妥当であるとしているが、逆の可能性を否定していないし、そもそも同意見書等における考察には以下のような問題点がある。
まず、同意見書等において、B型肝炎ウイルスのウイルスの量の推移についての根拠としている文献32では、ダブリングタイムが感染後平均3.7±1.5日とされ、最短で2.2日、最長で5.2日とされているが、その間に3日間の幅があるように、B型肝炎ウイルスのダブリングタイムは、かなりの幅がある。
また、同意見書等において、B型肝炎ウイルスがどの程度の血中量になった場合に感染可能となるかを考えるために、HCVの例を引いて、100万コピー/ミリリットル以下としているが、B型肝炎ウイルスがどの程度の血中量になった場合に感染可能となるかということは、感染経路にも大きく影響を受ける上、そもそもウイルスの感染力に格段の違いのあるC型肝炎ウイルスと同様に考えて良いのか疑問があり、同証人も仮に設定した数字であることを認めている。
さらに、同意見書等は、控訴人Eの昭和59年4月22日現在のB型肝炎ウイルス量につき、文献43に基づき、HBe抗原陽性者のB型肝炎ウイルス量は、10の8乗コピー/ミリリットル以上であることを前提とした計算をしている。しかし、同数値はHBe抗原陽性の検出の限界を示すものではなく、同人のB型肝炎ウイルス量の推移は不明であるから、同控訴人のHBe抗原が陽性を示すからといって、直ちに同控訴人のB型肝炎ウイルス量が10の8乗コピー/ミリリットル以上に達していたと断定することはできない。
このように、ダブリングタイムには幅があることに加え、感染可能なウイルス量、HBe抗原陽性者のウイルス量についての数値についても、確定的なものではないから、結局、一つの可能性を示しているに過ぎない。
なお、文献32の分析結果を前提として、例えば、ダブリングタイムを最短の2.2日、最大ウイルス量に達する日数を最少の81日(平均127±46日)で計算した場合には、感染後44日目に感染の可能性が出てくるので、E2のB型肝炎ウイルスの最大ピークを昭和59年4月1日ころとすれば、感染可能となったのはその37日前の同年2月25日ころと推定されるが、一方、控訴人Eが10の8乗コピー/ミリリットル以上に達する日数は約59日を必要とするので、同年4月22日から約59日前の同年2月24日ころに感染が成立していたことになる。そうすると、E2の血中のB型肝炎ウイルス量が感染可能なレベルに達した時期と控訴人EのB型肝炎ウイルス感染が成立した時期がほぼ同時期となる。
また、文献32の分析結果を前提として、例えば、E2のダブリングタイムを最長の5.2日、最大ウイルス量に達する日数を最長の173日(前同)で計算した場合には、E2の感染可能時期は、計算上は昭和59年1月下旬まで遡る一方、控訴人Eのダブリングタイムを最短の2.2日で計算した場合、計算上は同年2月下旬に感染したということになる。
このように、仮に、ダブリングタイムを文献32の数値によるとしても、ダブリングタイムに幅を持たせて計算した場合、双方の感染可能時期と感染時期が重なってくるケースもあり得るのである。
以上により、仮に文献32の分析結果を前提としても、E2から控訴人Eに感染した可能性についておよそ自然科学的に不可能とはいえない。
(7) したがって、控訴人Eについても、本件各集団予防接種によりB型肝炎ウイルスに感染したものと認めることができないことは明らかである。
2 本件各集団予防接種と公権力の行使並びに被控訴人の予見可能性及び結果回避義務
【控訴人らの主張】
(1) 本件各集団予防接種と公権力の行使(被控訴人の国家賠償法上の責任)
控訴人らの受けた本件各集団予防接種のうち、ツベルクリン反応検査、BCGの接種は、結核予防法により接種を義務付けられたいわゆる強制接種である(ただし、昭和26年における結核予防法の制定までは予防接種法に基づく。)。また、種痘、ジフテリア、百日咳、急性灰白髄炎、腸チフス・パラチフスの予防接種は、予防接種法により接種が義務付けられた強制接種である。また、インフルエンザの予防接種は、予防接種法に定められたものであるが、昭和51年5月の改正前においては、定期及び臨時の予防接種には含まれない、いわゆる勧奨接種とされていた。しかし、昭和37年の大流行以降は、厚生省公衆衛生局長通知による行政指導によって、接種が強力に勧奨され実施されてきた。なお、同予防接種は、昭和51年の予防接種法の改正により幼稚園児、学校生徒等に対しては強制接種となった。破傷風の予防接種は、予防接種法には規定のない接種であるが、被控訴人の勧奨のもとに、接種を希望する者に対して市町村長が実施するものであり、強制接種の予防接種と変わらない扱いであった。この接種の多くは、ジフテリア、百日咳との2種、あるいは3種混合ワクチンを用いて、強制接種と同様の機会に行われた。
本件各集団予防接種のうち、いわゆる強制接種は、被控訴人の機関委任事務として、その委任を受けた地方公共団体の長を実施者とする予防接種であり、国民に対し、予防接種を受ける義務があるものとして接種を強制するものであるから、これが、被控訴人の公権力の行使に該当することは明らかである。
他方、本件各集団予防接種のうち、いわゆる勧奨接種については、地方自治体等がその実施主体とされた。しかしながら、勧奨接種は、強制接種の場合と同様に、厚生大臣が国家の公衆衛生行政の施策として、国民に対して強力な勧奨を行って実施したのであり、しかも、厚生大臣等は、地方自治体等に対し、これらの勧奨接種の細部の実施方法を定めた通達、通知を発し、予防接種の実施の対象、実施の時期、接種方法等を細かく規定した実施要領を定め、これらに基づいて、行政指導により、予防接種を実施するよう指示した。したがって、勧奨接種についても、実質的に被控訴人の公権力の行使にあたる。
また、集団予防接種は、被控訴人の組織的決定又は集団としての行為であるから、本件各集団予防接種における、国家賠償法1条所定の被控訴人の公権力の行使にあたる公務員とは、同予防接種が実施された当時の厚生大臣以下の厚生行政担当者がそれに該当する。
(2) 被控訴人の故意・過失
予防接種は、そもそも、将来疾病に罹患するおそれから被接種者を予防する手段として実施されるものであるから、これにより被接種者に危害を及ぼすことが許されないことはいうまでもなく、集団予防接種が新たな感染症の蔓延の原因になる等ということは、絶対に避けなければならないことである。
そのため、被控訴人としては、各種の予防接種を実施するにあたり、それが新たな感染症の原因になることが指摘された場合には、直ちにその危険を除去するための適切な措置を講じ、また、そのための不断の調査、研究を行うなど、常に予防接種の安全性を維持、確保すべき高度の注意義務を負っていた。
ア 被控訴人の予見可能性
B型肝炎ウイルスそのものの発見は昭和45年(1970年)のことであるが、同一の注射器(注射針及び筒)を連続して使用する等により、非経口的に人の血清が人体内に入り込むと肝炎が引き起こされることがあること、しかも、それが人の血清内に存在するウイルスによるものであることは、既に1930年代後半から1940年代前半にかけて広く知られるようになっていた。また、そのころから、その予防のためには、同一の注射器を連続使用しないこと、すなわち、一人ごとに注射針及び注射筒を、煮沸するなどして滅菌するか、一人ごとに取り替えることが肝要であることも知られていて、これらのことは、戦後の医学界において、ごく初歩的な知識すなわち常識となっていた。
したがって、被控訴人は、控訴人らに対し、本件各集団予防接種を実施し又は実施させた当時において、同一の注射針、注射筒等の接種器具を連続して使用することによりB型肝炎ウイルスを感染させる恐れがあることを当然に予見し、又は予見し得たものである。
すなわち、欧米においては、1930年代後半から1940年代前半にかけて、人の血液が人体内に入り込むことにより発生する肝炎が存在すること、その原因が血液内に存在するウイルスによるものであること、その予防のためには同一注射器(針及び筒)を連続使用しないことが肝要であることが明らかにされた。その主なものは以下のとおりである。
(ア) 人の血液が人体内に入り込むことによって臨床症状として黄疸を発症させ得ることが文献上初めて報告されたのは、1885年(明治18年)、ドイツのベルリン医学週刊誌に掲載された、リールマン(Dr.Lurman)の「黄疸の流行」と題する論文である。リールマンは、1883年(明治16年)10月から翌年4月までにブレーメンの造船、機械工場の従業員に黄疸が流行した事例について詳細に分析した上、真の原因については説明できないとしているが、それがいわゆる流行性肝炎(現在でいうA型肝炎で、経口感染によるもの)ではないことを証明し、統計的根拠から、全従業員に行われた種痘と何らかの関係があると述べた。
(イ) 英国保健省は、1937年(昭和12年)から1942年(昭和17年)にかけて施行された、はしか回復期血清、ヒトの血清を含む黄熱病ワクチン、急性耳下腺炎回復期血清の各注射及び血清輸血等の後に、高頻度に発生する黄疸(血清肝炎)の症例報告に基づき、1943年(昭和18年)に「血清肝炎」と題する論文を取りまとめ、医学雑誌「ランセット」に掲載した。この症例報告によれば、血清肝炎の臨床症状は極めて重篤であり、明らかに肝炎により子供を含め、多数の死亡者が発生した。また、同報告は、人血液製剤の注射と肝炎との間に因果関係が認められるとして、黄疸(肝炎)を発症させる人血液製剤の使用を回避すべく警告した。
(ウ) 1926年(昭和元年)、スウェーデンのマルムロスらは、スウェーデン医学雑誌(Act.med.Scand)に掲載された「病院内における黄疸の流行」と題する論文において、1923年(大正12年)にルドンの大学病院の糖尿病患者の間で大流行したカタル性黄疸の症例を報告した。同論文においては、糖尿病患者が毎日通っていた検査室で、血糖検査のため耳たぶから採血する際使用していたメスを一人一人取り替えなかったことが、黄疸の原因であると指摘した。
(エ) 1943年(昭和18年)、イギリスのビガー(Joseph.W.Bigger)は、黄疸の原因と考えられるウイルスの感染を防止する最も確実な方法が、新たに煮沸消毒された注射器を一人一人に使用することにあることを実験で明らかにし、医学雑誌「ランセット」に掲載の「治療中の梅毒患者に発生する黄疸-考えられるウイルス伝染経路-」と題する論文で報告した。
翌1944年(昭和19年)には、サラマン(M.H.Salaman)ら英国軍医団が、医学雑誌「ランセット」に掲載の「駆梅療法に起因する黄疸の防止」と題する論文において、サルバルサン注射の際、注射筒も針と同様に煮沸消毒し、一人一人取り替えることで黄疸が発症しないことを報告した。
また、同年、シーハン(H.L.Seehan)は、同雑誌に掲載の「伝染性肝炎の疫学」と題する論文において、血清肝炎(原文では「伝染性肝炎」と表現されている。)が、採血をしただけの滅菌されていない注射筒を介して一人の患者から他の患者へ伝播することを報告している。このことは、1945年(昭和20年)にメンデルソン(Mendelsson. K.)らによる実験でも証明され、英国医学雑誌(British Medical Journal)に掲載された「採血による感染の伝播」と題する論文において報告された。
(オ) 英国保健省は、1945年(昭和20年)、医学雑誌「ランセット」に「黄疸の伝染における注射器の役割」と題する論文を掲載し、その中で、血清肝炎感染の原因及び予防に関する重大な報告をした。すなわち、そこでは、「ワクチン等の注射後に起こる肝炎は保健省により血清肝炎と呼称されているが、それが血清中の発黄因子によるものであることは既に認められており」、その病因については、「注射器と針による感染の伝播という説が疫学的諸事実を一番よく説明できる」とした上で、「アルスフェナミン(駆梅剤)、金(慢性関節リュウマチに対する療法)などの治療に続発する肝炎は、注射器や針に付着して人から人へ移された微量の血液による血清肝炎と考えられる。発黄因子は消毒に抵抗性を有し、通常の方法では注射器内の微量の血液を除去できないことから、現在の注射方法は見直されるべきである。」とした。
(カ) 1946年(昭和21年)、ヒューズ(Robert.R.Hughes)は、英国医学雑誌(British Medical Journal)に「ペニシリン後黄疸」と題する論文を掲載し、そこにおいて、注射針を一人ごとに取り替えても、注射筒は、静脈注射の場合だけではなく筋肉注射の場合でも汚染されることを明らかにした。すなわち、同人は、筋肉注射後の注射器内に赤血球が混入することを実験により証明し、さらに種々の実験の結果、筋肉注射において血管内に針先が入っていないことを確かめるために内筒を一度引く際、又は引かなくても注射針を取り替える際、注射針内の血液が筒内に逆流してそれを汚染するので、連続使用は危険であると報告した。同ヒューズの報告は、1950年(昭和25年)、エバンス(R.J.Evans)及びスプナー(E.T.Spooner)によって実証された(同雑誌に掲載の「集団接種に使用された注射器による感染様式」と題する論文)。
(キ) さらに、1948年(昭和23年)、カプス(R.B.Capps)らは、アメリカ医学雑誌「J.A.M.A.」において「注射筒による肝炎の流行」と題する論文を掲載し、そこにおいて、注射針を一人ごとに取り替えた上、同一注射筒で何人にも注射する方法で、破傷風トキソイドの注射を受けた男性多数に肝炎患者が出たこと及び予防接種において、注射針を取り替えても注射筒を連続使用した場合には、肝炎が感染することを報告し、同時に、血清肝炎のキャリアの存在を実証的に明らかにした。
(ク) WHO肝炎専門委員会は、1953年(昭和28年)、「肝炎に関する第一報告書」(Organisation Mondiale de la Sante Serie de Rapports Techniques COMITE D'に立った上で、それまで判明していたあらゆる情報を収集し、検討したものであった。同委員会は、その中で、流行性肝炎をA型肝炎、血清肝炎をB型肝炎と呼ぶことにし、いずれもウイルスによる発症であること、B型ウイルスについては非経口感染が唯一の伝染形態であることを指摘した上、医療行為による非経口感染を予防するための方法を提唱した。そして、「血清肝炎は、輸血や感染した血液成分の注入によって伝染するのみでなく、連続使用の皮下注射針又は注射筒に残る血液の偶発的注入によっても起こることが明らかになった。感染を引き起こすには、極めてわずかの量の血液で十分であり、また、繰り返していえば、このウイルスは熱や物理的、化学的要因にかなり抵抗力を持っているので、現在注射針、筒その他の器具を滅菌するために通常用いられている多くの方法は効果がなく、病気の感染を防ぐことができない。短時間に何千人にも注射する一斉予防接種には、特別の問題がある。」と警告した。
以上によれば、欧米諸国においては、遅くとも1948年(昭和23年)には、血清肝炎が人間の血液内に存在するウイルスにより感染する病気であること、感染しても黄疸を発症しないキャリアが存在すること及び注射をする際、注射針のみならず注射筒を連続使用する場合にもウイルスが感染する危険があることについて、その知見が確立していたことが明らかである。
一方、我が国における血清肝炎についての医学的知見については以下のとおりであり、欧米での研究成果は直ちに我が国にも紹介され、医師、研究者の間で検討されてきた。また、欧米における「ランセット」等の医学雑誌は戦後当然に入手されるか又は入手可能であった。
(ア) 戦前
我が国における戦前の肝炎に関する文献として第一に挙げられるのは、昭和16年、弘好文及び田坂重元の「流行性黄疸ノ人体実験」(兒科雑誌第47巻第8号)と題する論文であり、簡単な人体実験によって、流行性黄疸(肝炎)の原因が一種の濾過性病原体(ウイルス)ではないかと論じた。
(イ) 続いて、昭和17年には北岡正見の「流行性肝炎(黄疸)-殊にその流行病学と病原体について」(「医学の進歩」第1巻)が発表された。この中で、北岡は、流行性肝炎に関する当時の国内外の研究成果を詳細に記述し、流行性肝炎が一種の独立した伝染病であり、その病原体としては濾過性病毒、すなわちウイルスであることを推定した。そして、流行性肝炎には、不全型ないし不顕性感染が多数存在すること、不顕性感染者から感染した例があることを指摘し、さらに、「黄疸の予防注射の後に本病の流行が起こったことがある。恐らくは予防ワクチン製造中に使用された健康人と思われる血清内に本病毒が存在していたためであろう。また、麻疹血清注射後にも同様な流行性肝炎が起こった。さらに、種痘後に本病の大流行が起こった例も記載されている。」とする外国文献の報告をした。
(ウ) 昭和23年、名古屋大学教授坂本陽は、「流行性肝炎について」と題する論文(「診断と治療」第36巻第6号)において、諸外国の研究成果を広く引用し、肝炎の感染原因、臨床症状、治療方法等について報告した。この中で、肝炎の原因として、濾過性病原体(ウイルス)が最有力であるとし、予防法に関しては、「この肝炎は梅毒、糖尿病その他の治療に際して見られ、諸家の観察によれば、流行性肝炎の患者の採血に用いた注射器及び針が危険である。病毒は単なる滅菌法では死なない。英国医学研究会の報告によれば乾燥滅菌又は高圧滅菌によるのが最良で、煮沸のみでは死滅しない。」と記載した。また、臨床症状については、カプス(Capps)らの論文(J.A.M.A134,1947)を引用して、黄疸を伴わない肝炎が多いことがいよいよ明らかになったと報告した。なお、黄疸あるいは流行性肝炎の既往症のない人の血液製品の注射を受けて発症する「同類性血清肝炎」の概念も報告された。
(エ) 昭和26年、和歌山医科大学教授楠井賢造は、「肝炎の問題を中心として」と題する論文(総説)(「治療」第33巻第6号)において、国内外の肝炎に関する諸研究を詳細に検討し、流行性の黄疸について、「今日ではこの種の流行性黄疸は、一種のビールス感染によって原発性に肝臓実質が障害せられる一つの独立した伝染病であるとの結論に達した。」と報告した。楠井は、ウイルス肝炎を流行性肝炎、散発性肝炎及び血清肝炎の三つに分類し、血清肝炎について「輸血、乾燥貯蔵血漿の注射、各種の人血清による予防注射又は注射筒や注射針の不十分な消毒が原因となって黄疸が起こることもしばしば経験せられるようになった。」として、我が国での血清肝炎と思われる輸血後黄疸の臨床例を報告した。また、予防法として、「罹患していても気付かずにいるものが多い。感染力をもったビールスの保続期間もまだよく分かっていない。従って、肝炎の流行時には、その地方で、一見健康らしい人の血液を輸血したり、血液製品に供したりするのを避けるべきである。」旨の危険性を指摘するとともに、「患者の治療や採血に用いた注射器及び注射筒の消毒を特に厳重に行わなければならない。英国医学研究会の報告では、160度、1時間あるいは高圧滅菌法によるのが最も良いとされている。」と極めて重要な警告を発した。
(オ) その後も楠井教授の論文のほか、昭和28年の神戸医科大学助教授金子敏輔の「流行性肝炎」(「最新医学」第8巻第3号)、昭和29年の京都大学教授井上硬の「血清肝炎」(内科実函第1巻第3号)等を始めとする肝炎に関する重要論文が次々と発表された。
以上のうち、金子助教授の論文には、肝炎に関する欧米の研究成果が報告され、「この肝炎のウイルスは普通の消毒法では死滅しないし、集団的静脈注射や血しょうの注射で伝播されるのが最も率が多く、0.01mgの汚染で伝播されるとバブコック(Babcock)は報じている。(略)サラマン(Salaman)(略)はロンドンの性病院で梅毒患者に集団治療中68パーセントの患者が黄疸に罹患した症例を記載し、他の病院では消毒法改善と個別的に注射器と針を替えることにより感染率50パーセントであったものを5パーセントに減少させたという報告をしている。」とし、さらに、血中ウイルスの非経口的媒介の予防として、「1 注射筒、注射針、試験管、ランセットの機械的洗浄」「2 適切な消毒」「3 血液採取あるいは検血には各個人ごとに消毒した注射筒、注射針等を用いること。連続的の注射を避ける。」と記載されていた。
また、井上教授の論文には、「1941(昭和16)年以降、英米学者により、血清肝炎が流行性肝炎とは違う独立したウイルス性肝炎であるという推断が下され」たこと、その防止対策として、「<1> 全液、血清あるいは血漿補給者に対する既往症及び現症に対する精密検査を行い、最近における肝炎罹患に疑診を下し得るものすべてを除くこと、<2>注射針及び筒、ランセット、使用試験管などの機械的洗浄と適正な消毒を行うこと、<3>血液採取、検血には各人ごとに消毒した器具を用い、連続的の使用を避けること」と極めて重要な事項が指摘された。
以上のような我が国における医学研究の状況からみるならば、遅くとも昭和26年当時には、我が国においても、血清肝炎が人間の血液内に存在するウイルスにより感染する病気であり、黄疸を発症しないキャリアが存在すること、そして、注射の際に、注射針のみならず注射筒を連続使用した場合にもウイルス感染が生じる危険性があることについて、医学的知見が形成されていたということができる。そして、こうした医学的知見の到達度からすれば、被控訴人においては、少なくとも、控訴人らが最初に集団予防接種を受けた昭和26年当時には、予防接種の際、注射針及び注射筒を連続して使用するならば、被接種者間に血清肝炎ウイルスが感染する恐れがあることを当然に予見できた。
なお、被控訴人は、昭和34年以降「予防接種実施要領」等により、都道府県知事に対し、接種後の異常等を被控訴人に報告することを求めていたが、昭和40年代後半までの間に乳幼児等が予防接種によって肝炎に罹患したとの報告は見当たらなかったため、集団予防接種によって肝炎に感染するという事故が発生する蓋然性は低いと認識していた旨主張するが、当時、報告すべきことが予定されていたのは、予防接種の副反応によって生じる事故であり、その実施方法によるもの、例えば、注射針及び注射筒の連続使用による病原体の感染による事故等は予定されていなかった。すなわち、予防接種後に生じた健康被害が予防接種による事故であるとして報告されるためには、予防接種を受けた被接種者自身又は保護者において、その被害の原因が予防接種にあることにまず気が付かなければならない。そして、被接種者自身又は保護者が気付くためには、発生した健康被害が予防接種により生じる可能性のあることを、事前に予備知識として知っていなければならない。しかるに、予防接種に際して、予防接種により肝炎に感染する可能性があることは、被控訴人から事前にまったく周知されていなかった。また、予防接種の副反応事故は、通常、接種直後から数週間のうちに発症する。これに対して、B型肝炎ウイルスの感染のうち、一過性感染として症状が出現する顕性肝炎(急性肝炎)においては、潜伏期間が1か月から6か月である。こうした肝炎の潜伏期間の長さ及び予備知識の周知状況からみるならば、予防接種の被接種者が、予防接種後の肝炎の原因を予防接種にあると判断することは不可能であったといわなければならない。まして、肝炎の持続感染の場合は、ほとんど肝炎の症状を認めないまま持続感染となるのであり、この場合に事故報告をすること自体あり得ないことである。したがって、事故報告がなかったことを理由に、集団予防接種により肝炎が発症することがなかったとすることはできず、また、被控訴人において過失がなかったとすることもできない。
イ 被控訴人の結果回避可能性
予防接種におけるB型肝炎ウイルスの感染を防止するためには、それに使用する注射針及び注射筒等の接種器具を流水で洗浄した後、乾熱、高圧蒸気又は15分以上の煮沸により滅菌消毒するか、接種器具を被接種者ごとに取り替えるというごく簡単な方法を採用すれば足りる。これらの方法は我が国においても、一般医療機関で通常行われていた方法であり、格別の技術や高度の知識、経験等を必要とするものではない。したがって、被控訴人が、本件各集団予防接種の実施にあたり、同様の措置をとること、又は実施機関に同措置をとるよう指導監督することは極めて容易であったし、控訴人らの本件感染を回避することは十分に可能であった。
ウ 被控訴人の過失
被控訴人は、本件各集団予防接種が実施された当時、注射針及び注射筒の連続使用により、B型肝炎ウイルスが被接種者に感染する危険性があることについて、予見可能性を有し、かつその回避可能性を有していたにもかかわらず、注射針及び注射筒の連続使用を容認し又は放置していた。
すなわち、被控訴人は、各種予防接種の方法について、告示、省令、通達において次のとおり定めた。
(ア) 昭和23年11月11日厚生省告示第95号「予防接種法施行規則第6条の規定による、痘そう、ジフテリア、腸チフス、パラチフス、発しんチフス及びコレラの予防接種施行心得」
昭和23年に予防接種法が制定されたが、それに基づく同心得においては、種痘針及び注射針を、一人ごとに個別に消毒するものとされた。
(イ) 昭和24年10月24日厚生省告示第231号「ツベルクリン反応検査心得及び結核予防接種心得」
注射針を、一人ごと、アルコール綿で払拭して使用すること等として、被接種者に対する同一注射針及び注射筒の連続使用を容認した。
(ウ) 昭和25年2月25日厚生省告示第39号により上記昭和24年第231号の告示が改正され、「注射針は、注射を受ける者一人ごとに、乾熱又は温熱により消毒した針と取り換えなければならない。」として、一人ごとに針の取り替えが明記された。
(エ) ところが、上記昭和25年第39号の告示は、その後の結核予防行政には全く反映されることがなく、昭和40年代に厚生省公衆衛生局結核予防課が編集した「結核予防行政提要」にも、上記昭和24年第231号の告示は掲載されているが、上記昭和25年第39号の告示は掲載されておらず、昭和63年1月27日付け厚生省保険医療局結核難病感染症課長及び感染症対策室長の「予防接種等の接種器具の取扱について」とする通達においても、「結核予防法によるツベルクリン反応検査のための(略)注射についても、被検査者ごとに注射針及び注射筒を取り替えることが望ましい」とされ、昭和24年231号の告示がそれまで効力を有していたとの取扱いがなされていた。
(オ) 一方、昭和33年9月17日厚生省令第27号により、予防接種法に基づく予防接種実施規則が制定されて、前記昭和23年告示第95号の心得が改正され、「注射針、接種針及び乱刺針は、被接種者ごとに取り換えなければならない。」とされた。
(カ) そして、昭和63年における前記通達により、予防接種法に基づく予防接種について注射針のみならず注射筒の取替えが定められるとともに、結核予防法に基づくツベルクリン反応検査においても注射針及び注射筒の取替えが指示された。
以上のような各予防接種の実施規則等からしても、被控訴人は、予防接種一般については昭和23年の予防接種法の成立から、ツベルクリン反応検査、BCGについては遅くとも昭和25年の告示時から、注射針については一人ごとに取り替えて消毒し、接種しなければならなかった。
もちろん、血清肝炎の感染の危険を防止するためには、針の取替えだけでは不十分であり、筒の取替えまでしなければならないが、少なくとも、針の取替えだけでも実施されていれば、感染の危険は相当程度減少したはずである。
しかるに、被控訴人は、予防接種の現場に対して注射針の取替えの指示を徹底せず、注射針の連続使用の実態を放置してきた。特に、ツベルクリン反応検査及びBCGの接種方法については、前記昭和25年における告示(改正)を全く周知させず、注射針の連続使用を可として、実施機関を指導した。さらに注射筒に至っては、B型肝炎ウイルスそのものが発見され、その感染力が極めて高いことが実験によって確認されたはるか後の昭和63年1月に至って、WHO肝炎専門委員会から昭和28年に出された前記「肝炎に関する第一報告書」とは別の発展途上国向けの勧告に従い、ようやく予防接種実施機関に対し、被接種者一人ごとに取り替えるよう通達した。
したがって、予防接種行政を継続実施してきた被控訴人には、本件各集団予防接種が注射針及び注射筒の連続使用によって実施されることを容認し、放置してきたことについて、少なくとも過失責任があることは明らかである。
(3) 控訴人らの損害
ア B型肝炎ウイルスの持続感染者(キャリア)あるいはB型肝炎患者にとって、持続感染者あるいは肝炎患者であるということは、そのこと自体が生存に対する深刻な脅威となり、一生涯解放されることのない不安と苦悩を持ち続けることを意味する。
一般に、B型肝炎が発症したときの自覚症状(主訴)は、全身倦怠、心窩部不快感、食欲不振などであるが、中には全く自覚症状のないまま生活し、偶然の機会に肝機能障害が発見されることもある。一度肝炎を発症すると、急性増悪を繰り返し、やがて肝硬変へと進行し、肝癌を併発することも少なくない。非代償期の肝硬変(肝臓が十分な機能を果たせなくなった状態の肝硬変)となり、腹水、食道静脈瘤、黄疸等の合併症を伴うようになると、就労が著しく制限され、あるいは就労不能の状態となる。
しかしながら、現在のところ、肝炎から肝硬変への進行を防ぐ決定的な治療法は開発されていない。
肝癌は、肝硬変に合併して発症することが多い(約70から80パーセントの発生率)が、(慢性)肝炎の状態にあるときに合併して発症することもあり、また、肝炎を発症しない段階の持続感染者(キャリア)でも肝癌になる可能性がある。
このうち、肝癌が非代償期の肝硬変に合併して発症したときは、治療が不可能であり、文字どおり「死にいたる病」となる。また、基礎病変が代償期の肝硬変(肝臓が十分な機能を保っている状態の肝硬変)又は非肝硬変(肝硬変でない状態)であっても、治療成績は極めて悪い。
控訴人らは、同一の注射針又は注射筒の連続使用による集団予防接種によりB型肝炎ウイルスに感染するという被害を受け、その後B型肝炎ウイルスキャリアあるいは慢性B型肝炎となることにより、その損害の継続拡大という被害を被った。その結果、控訴人らは、いずれも深刻な健康被害にさらされ、働く能力を奪われた。そして、控訴人らは、将来肝炎が発症(控訴人E)あるいは進行(その余の控訴人ら)し、肝硬変や肝癌、さらには死に至ることについて、強い不安を抱いている。
また、控訴人らB型肝炎ウイルス感染者は、感染者であるということから、社会、ときには寝食を共にしてきた家族から、あるいは、家族ぐるみ社会から隔離、疎外されるなどの社会的差別や偏見にさらされている。また、就労、結婚の機会を奪われ、あるいはこれを制限されるなど、社会生活上も重大な被害を被るに至っている。
そもそも、予防接種は、それを受ける者の健康のために実施されるものであるにもかかわらず、控訴人らは、本件各集団予防接種を受けたことによって、それらの予防接種を受けていなければB型肝炎ウイルスに感染することもB型肝炎に罹患することもなかった可能性を奪われたのであって、こうした可能性を侵害されたこと自体もまた本件各集団予防接種によって生じた損害というべきである。
さらに、控訴人らの個別的被害の状況は次のとおりである。
(ア) 控訴人Aについて
控訴人Aは、22歳のときにB型肝炎と診断され、それ以来現在まで、月に1回は必ず病院へ血液検査のため通い続ける生活を送っている。そして、現在は慢性肝炎の状態にまで症状が進行している。
その結果、同控訴人は、電気工事業を自営しているものの、労働が長時間にわたると疲労しやすく、残業等に従事すると身体がだるくなって、朝起きることも非常に辛い状態になる。症状は現在落ち着いてはいるものの、病気の状況がいつ悪化するかと常に不安を抱きながらの日常生活を送っている。
同控訴人は、現在は結婚して2児の父親であるが、結婚するに際しても、妻側の親族からB型肝炎ウイルスキャリアということで強く反対された経過がある。今後、病気が進行することにより、経済的にはもちろん、家庭生活も破壊されるおそれがあり、このことが精神的に最大の負担となっている。
(イ) 控訴人Bについて
控訴人Bは、33歳のときにB型肝炎と診断されて以来、入退院を繰り返しながら、現在月に1回、血液検査のための通院を余儀なくされているほか、肝硬変に進行する可能性の高い症状を呈し、無理のできない生活を送っている。なお、発症時既に結婚しており、1児の父であった。
同控訴人は、現在までに長期入院を繰り返し経験しており、そのため、友人らと共同で始めた歯科技工士関係の仕事も辞めざるを得なかった。現在は、歯科技工士の資格を持ちながらもこれを生かす術はなく、それとは全く別の、身体に負担のかからない病院の事務系の仕事に就いて細々と一家を支えている。今後、いつ肝硬変から肝癌に進行するかと強い不安を感じており、同控訴人が倒れた場合、家庭生活が経済的にも破綻せざるを得ない状況になることが一番気掛かりである。
B型肝炎と診断された後は、さらに子供を作ることも躊躇せざるを得ず、家庭内でも、他の父親のように子供と一緒に行動するということができない。また、他人に感染させる心配から、現在でも、常に、自分の使う箸、コップ、茶碗を他人のものと区別して使っている。
(ウ) 控訴人Cについて
控訴人Cは、25歳のときにB型肝炎と診断され、以後入退院を繰り返しながら、現在月に1回、血液検査のため通院している。現在は慢性肝炎の状態にあるが、疲れやすく、倦怠感があり、いつ肝硬変に進行するか不安な状況にある。
同控訴人は、現在は独身であり、ダンプカー運転手として自営業を営んでいるが、肝炎のため、容易に結婚に踏み切れない生活を送っている。
(エ) Dについて
Dが肝機能障害を指摘されたのは21歳のときである。以後入退院を繰り返し、その後セロコンバージョンの状態になったが、2、3か月に1回の割合で検査を受けていた。
肝機能障害を指摘された当時は、そのために就職試験も不合格となり、B型肝炎に罹患したことと合わせて絶望的な気持ちを味わされた。その後、臨床検査技師として定職に就いていたが、いつ仕事を辞めざるを得なくなるかと不安な日々を送っていた。
また、妻や子供に感染しないかなどの不安を抱き、さらに、慢性肝炎からいつ肝硬変、肝癌に進行するかと不安な日常生活を余儀なくされていた。
(オ) 控訴人Eについて
控訴人Eがs抗原陽性と診断されたのは生後11か月のときのことである。現在3か月に1回血液検査のため通院している。
同控訴人は、母親から、B型肝炎ウイルスキャリアが肝炎を発症した場合は、慢性肝炎、肝硬変、肝癌という重篤な病になると告げられ、自分が将来生き続けることができるかどうかについて常に考えながらの生活を余儀なくされていて、今後も、果たしていつまで通常の日常生活を送ることができるのか、また、周囲の偏見や結婚問題等、成長するにつれますます精神的な不安が増大している。
イ 損害額 慰謝料として控訴人らそれぞれについて各1000万円
これまで論じてきたように、控訴人らが受けた肉体的、精神的、社会的、経済的損害のすべてを総体として包括的に評価するとき、その損害額は少なくとも控訴人らそれぞれにつき1000万円を下ることはない。
ウ 包括請求について
控訴人らの被った被害は、肉体的、精神的なもののみならず、家庭的、社会的、経済的な被害を多岐にわたって受け、しかも、これらが相互に影響しあって相乗的に拡大し、生活面に複雑かつ深刻な影響をもたらした。したがって、個々の被害を単独にとらえてこれを積算するといういわゆる個別的積算方式では本件被害の本質的部分を把握することは到底困難である。
しかも、個別積算方式では、複雑多岐にわたる損害立証を求めるものとなり、控訴人らに著しい負担を加重させ、迅速な裁判、早期被害者救済の理念にもとる結果ともなる。
また、本件被害の特質は、単に一時的、一面的な健康被害にとどまらず、重い病変へと進行する点にもあり、その場合には、被害は全面的な生活破壊にまで及ぶことが予測される。
したがって、このような多面的な被害を正しく評価するためには、複雑多岐にわたる損害を総体として有機的に関連づけてとらえる包括請求方式に合理性が認められる。
エ 一律請求について
控訴人らが被った健康被害は、集団予防接種による血液を介しての感染という同一原因により発生し、その結果は共通する面が多い。しかも、それらは、過去、現在、将来にわたり、等しく肉体的、精神的被害を受け、また、受け続けるという意味で共通性と等質性が認められる。もともと人間各人の生命、身体、健康の価値に差異はなく、社会生活上の権利は平等である。したがって、本件のように、少なくとも被害発生の原因が共通であり、その被害内容もほぼ同等である場合には、論理的に損害額を一律化することが可能かつ相当である。控訴人ら被害者の年齢、職業は多種多様であるが、その被害の重大さ、深刻さは共通であり、一律請求はこのような被害者の多くを早期に救済するための目的に沿うものである。
オ 弁護士費用 控訴人らそれぞれについて各150万円
控訴人らは、いずれも被控訴人の不法行為によって被った損害の賠償を求めるため本訴提起を余儀なくされたものであるところ、控訴人らは、本件提訴に際し、控訴人ら訴訟代理人らとの間でそれぞれ弁護士費用として請求認容額の15パーセントを支払う旨約した。
(4) 結論
よって、控訴人らは、被控訴人に対し、国家賠償法1条に基づく損害賠償金として、控訴人らそれぞれについて各それぞれ1150万円(D訴訟承継人D4については575万円、同D5及び同D6については各287万5000円)及びこれらに対する本件不法行為後である平成元年7月12日から各支払済みに至るまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
【被控訴人の主張】
我が国の予防接種について控訴人ら主張の告示、省令、通達が存在することは認めるが、本件各集団予防接種がいずれも被控訴人の公権力の行使に該当するとの控訴人らの主張は争う。また、被控訴人の厚生大臣その他厚生省の予防接種担当職員には、本件各集団予防接種がなされた当時、予防接種における注射針及び注射筒の使用により、B型肝炎が被接種者に感染することについて、予見可能性及び結果回避義務がなかったものであるから、被控訴人に過失はない。
(1) 予見可能性について
控訴人Eを除く控訴人らが集団予防接種を受けたとされる昭和26年9月から昭和46年2月までの間、予防接種における注射針及び注射筒の連続使用により、被接種者にB型肝炎ウイルスが感染することについては、そのような報告例等もなく、まして、当時、B型肝炎ウイルスキャリアという概念自体が存在しなかったのであるから、被控訴人が注射器の連続使用によるウイルスの感染を予見することは、まったく不可能であった。
また、控訴人Eに対するツベルクリン反応検査の接種が行われた当時、被控訴人において、皮内注射における注射筒のみの連続使用が、B型肝炎ウイルスの感染をもたらす危険性が高いことを予見することはできなかった。その理由は次のとおりである。
ア 肝炎がウイルスにより伝染する可能性があることは、相当古くからいわれてきたことであるが、昭和39年にブランバーグ(Blumberg)によりオーストラリア抗原、すなわちB型肝炎ウイルスの抗原の一つであるHBs抗原が発見されるまで、肝炎がウイルスにより感染することについての客観的な証拠は得られていなかった。もっとも、ブランバーグがオーストラリア抗原を発見した時点でも、直ちにオーストラリア抗原と血清肝炎(B型肝炎)との関係が分かったわけではなく、両者に密接な関係があることが判明したのは昭和42年のことであり、当時の東京大学医学部助手大河内一雄の研究によるものであった。
また、肝炎には、流行性肝炎と血清肝炎との2種類があり、その区別が明確に認識されるようになったのは、昭和42年に、米国ニューヨーク大学医学校のクルーグマン(Kurugman)教授による大規模な感染実験が報告されて以降である。
そして、両者がそれぞれ今日でいうA型肝炎とB型肝炎に対応することが判明したのは、早くても、オーストラリア抗原(HBs抗原)を鋭敏に検査する方法(IAHA法等)が確立し、オーストラリア抗原がA型肝炎とは無関係であることが分かった昭和45年以降のことである。
また、昭和45年に上記のとおりs抗原を感度よく検出する検査法が確立されて初めて、肝炎の症状を呈していない者でもB型肝炎ウイルスに感染している場合があるということが分かり、無症候性のB型肝炎ウイルスキャリアという概念もできたのである。
イ 流行性肝炎及び血清肝炎は、それぞれ、急性肝炎を発症する顕性感染とこれを発症しない不顕性感染とに分かれるが、そのうち、従来から疾病との認識が持たれていたのは、急性肝炎を発症する顕性感染のみであった。いわゆるキャリア、つまり持続感染という病像の存在することが判明したのは、上記アのとおり、IAHA法が確立された昭和45年以降のことであり、それ以前においては、肝炎に罹患していることを黄疸の発症によってしか知り得なかったことから、医学的知見上、急性肝炎を発症しない不顕性感染例(全体の70から80パーセント)は、症状の出ない一過性感染であるとの見方が通例であって、これが健康人の身体に有害な状態となり得るとの認識はなく、身体にほとんど悪影響を与えるものではないと理解されていた。免疫反応は、生体が自己を保持するための不可欠の作用であり、キャリアのように、これが長期間にわたり作用せず、持続感染状態になるという場合があることは、従来、医学上の概念として予想だにされていなかったのである。
また、顕性感染例(全体の20から30パーセント)においても、劇症肝炎(顕性感染例の1パーセント程度)を除けば、単に一過性の急性肝炎を発症するだけであるから、そもそも、肝炎はそれほど重篤な疾病であるとは認識されていなかった。
ウ 一方、控訴人らの主張に係る欧米の報告例についても、それらの内容は、静脈注射や筋肉内注射において注射針、注射筒を連続使用した場合についてのもの、梅毒患者や糖尿病患者等に対してなされたもの、注射針内の肺炎球菌が注射筒に吸引される可能性についてのもの等であるが、そもそも、予防接種においては、静脈注射や筋肉内注射を行わず、静脈血の採取も行わないものであること、注射を受ける群すなわち梅毒患者等と、乳幼児とでは、ウイルス保有者の割合や感染した場合における肝炎発症率等が異なること、上記各論文は、いずれも予防接種によって肝炎に感染した場合についてのものではないこと等を考慮するならば、上記各論文の報告例は、いずれも、我が国の予防接種にそのまま妥当するものではない。
エ また、控訴人らの主張に係る国内での文献についても、それらは、成人の薬物中毒者が同一の注射器を使用して薬物を注射したことによる感染例、第二次大戦中における感染例、集団的静脈注射がなされたことによる感染例、梅毒、糖尿病患者等の治療中における感染例等についてのものであり、そこにおける注射方法を含む医療環境、注射を受ける群の中におけるウイルス保有者の割合、感染した場合の肝炎発症率等が、乳幼児に対する集団予防接種の場合とは明らかに異なるから、これと同列に論じることはできない。
したがって、控訴人らの指摘する国内の文献も、予防接種によって肝炎に感染した事例ではなく、また、我が国の予防接種にそのまま妥当するものではない。
オ しかも、被控訴人は、昭和34年以降、「予防接種実施要領」(昭和34年1月21日衛発第32号都道府県知事宛・厚生省公衆衛生局長通知)等により、予防接種後の異常等について報告を求めていたが、昭和40年代後半までの間に、乳幼児等が予防接種により肝炎に罹患したとの報告例は見あたらなかった。そのため、我が国においては、国内での集団予防接種により肝炎に感染、発症するという予防接種事故が生じる蓋然性は低いとの認識が持たれていた。
カ 以上によれば、昭和30年代までの段階においては、被控訴人の厚生大臣あるいは厚生省の予防接種担当職員は、我が国での集団予防接種における注射針及び注射筒の連続使用によって、被接種者が肝炎に感染する可能性があることを予見することができなかったものというべきである。
まして、B型肝炎ウイルスキャリアという病像の存在が判明したのは昭和45年以降のことであるから、それ以前の段階において、集団予防接種の被接種者である乳幼児が、予防接種における注射針及び注射筒の連続使用によってB型肝炎ウイルスに持続感染し、B型肝炎ウイルスキャリアになることを予見することは、全く不可能であったといわざるを得ない。
また、控訴人Eに対するツベルクリン反応検査等による接種が行われた昭和58年当時においても、前記のとおり、皮内注射の際の注射筒のみの連続使用によってB型肝炎ウイルスを感染させる危険性はないと考えられていたのであり、皮内注射における注射筒のみの連続使用によってB型肝炎ウイルスが感染する旨の報告例もなければ、注射筒の取替えに関する疫学データの集積もなく、ツベルクリン反応検査等における注射筒の連続使用によってB型肝炎ウイルスに感染する危険性があるとの医学的知見も確立されていなかった。したがって、仮に、皮内注射における注射筒の連続使用によってB型肝炎ウイルスに感染させる危険性があったとしても、被控訴人が、昭和58年当時において、そのことを予見することはできなかった。
(2) 結果回避義務について
我が国における予防接種の必要性、有用性、昭和40年代後半以前における肝炎の病状についての認識の程度のほか、国内において注射針、注射筒の連続使用等により肝炎が伝染したとする報告例が見あたらないこと、さらに、当時の国内における医学的知見、一般的な医療行為における医療水準、血液事業その他における血液の取扱いを巡る社会的状況(売血から献血への切替えがなされたのは昭和40年代に至ってからである。)、集団予防接種を実施する上での技術的、経済的状況等に鑑みるならば、本件におけるような乳幼児を対象とする予防接種に際し、控訴人らの主張に係る昭和33年9月17日厚生省令第27号による予防接種実施規則に定めたとおり、注射針を被接種者ごとに交換することや、その完全な消毒を直ちに実施することは、医学的にも社会的にも被控訴人に求められてはおらず、ましてや、それらのことが、被控訴人において、個々の国民に対する国家賠償法上の法的義務となっていたとはいい得る状況になかった。
したがって、被控訴人における厚生大臣もしくは厚生省の予防接種担当職員には、控訴人らの主張するような結果回避義務はなかった。以上について、詳述すると次のとおりである。
ア 予防接種の必要性及び有用性
(ア) 予防接種の目的は、被接種者がこれらの疾病に罹患することを防止する個人防衛にあるとともに、社会集団の免疫力を高めることにより、社会全体に対する伝染病の蔓延を防止するという社会防衛にある。
我が国における最初の予防接種は、明治7年に発布された種痘規則に基づく種痘であり、種痘は、明治42年に種痘法が制定されて法制化された。種痘以外の予防接種は、戦後に至るまで法制化されることはなかったが、昭和20年暮れから昭和21年夏にかけて発疹チフス、痘瘡等の伝染病が大流行した際、これに対する予防接種を広汎に実施した結果、その予防に著しい効果を上げたことから、昭和23年、予防接種法が制定された。同法により、定期の予防接種を行うこととされた疾病は、痘瘡、ジフテリア、腸チフス、パラチフス、百日咳、結核であり、臨時の予防接種を行うこととされた疾病は、発疹チフス、ペスト、コレラ、猩紅熱、インフルエンザ、ワイル病であった。
(イ) 予防接種により感染を防止しようとする各疾病は、いずれも重篤化しやすく、死亡率も高い伝染病であるが、本件に関係のある予防接種についてみるならば、次のとおりである。
a 痘瘡 痘瘡は、ウイルスにより感染する、極めて感染力の強い疾病であり、その死亡率は、未種痘者においては50パーセント以上であるのに対し、既種痘者においては10パーセント以下であるといわれている。我が国の昭和21年の感染ピーク時における患者数は1万7954人、死者は3029人に達した。痘瘡は、いったん感染すると有効適切な治療方法がないため、予防接種による予防が最も重要とされていた。
b ジフテリア ジフテリアは、ジフテリア菌により感染する疾病であり、我が国では、昭和31年の患者数1万8395人、死者980人を最後に減少傾向にあるが、予防接種は最善、唯一の予防対策であるといわれていた。また、ジフテリアの集団としての免疫度が70パーセント以上であれば、その流行はないとされている。
c 百日咳 百日咳は、気管及び気管支等が侵される疾病であり、特有の咳が長期に持続する特徴を持ち、感染を免れることは困難といわれる程に感染力が強い。我が国では、昭和29年の患者数6万7028人、 死者1830人を最後に減少傾向にあるが、その予防には、予防接種が最も効果的であるといわれていた。
d インフルエンザ インフルエンザは、ウイルスによって感染し、発熱、頭痛、咳、咽頭痛等、いわゆる風邪の症状を主徴とし、爆発的な大流行を特徴とする疾病である。大正7年から8年にかけて全世界で猛威を振るい、患者数7億人、死者2000万人に達したいわゆるスペイン風邪はこの一種である。我が国では、昭和40年の患者数40万9391人、死者5024人を最後に減少傾向にあるが、予防接種は、科学的に有効な唯一の予防手段であるといわれている。予防接種は、昭和37年から勧奨接種が行われたが、昭和51年の予防接種法の改正に伴い、同法6条における一般的な臨時の予防接種とされた。
e 腸チフス及びパラチフス 腸チフス及びパラチフスは、いずれも細菌により感染し、高熱、徐脈、バラ疹、腹部症状等を主症状とし、昭和20年の患者数は、腸チフスが5万7933人、パラチフスが1万0059人、死者は、腸チフスが7999人、パラチフスが526人であったが、感受性対策として予防接種が有効であることが証明されている。近年、我が国の患者数は減少しているが、それについては、定期予防接種による集団免疫の力が預かっていると考えられている。
f ポリオ ポリオは、ポリオウイルスによって引き起こされる伝染性疾患であり、小児の罹患率が高く、最も重篤な症状においては、発熱の後、四肢の弛緩性麻痺が現れ、死亡に至る例も多い。我が国の患者の発生数は、昭和35年に5066人(死者317人)に達したが、昭和36年にポリオワクチンが広く使用され始めて以来、劇的に患者数、死亡者数が減少した。
g 破傷風 破傷風は、外傷等により身体内に侵入した破傷風菌の産生する菌体外毒素により起こる、致死率の非常に高い感染症である。これに対して免疫を与えるには予防接種以外に方法はなく、その予防接種は最も効果の著しいものである。最近の我が国では、破傷風患者が毎年40人から50人程度発生しており、平成6年には、届出患者数が44名、死亡者数が11名であった。
h 結核 結核は、菌陽性肺結核患者が咳をしたときなどに飛散する菌によって飛沫感染する。感染すると、肺結核、結核性髄膜炎、粟粒結核、胸膜炎、骨・関節結核、腎結核等の疾病を引き起こすが、BCGの予防接種は、結核性髄膜炎や粟粒結核等、小児の重篤な結核の発病を予防する効果が極めて高い(ツベルクリン反応検査はBCGの必要性を判定するための検査である。)。我が国における、結核による死亡者数は、昭和25年まで死亡原因の1位を占めていたが、その後の結核制圧の実績はめざましく、昭和51年以降はその順位も10位を下回っている。
イ 予見し得た肝炎の程度
以上のような各疾病に対し、肝炎は、前記のとおり、昭和45年ころまでの医学的知見によれば、極めてまれに劇症肝炎という重篤な症状を呈することがあっても、その大半は、身体にほとんど悪影響を及ぼすことのない一過性の感染にすぎないと考えられていた。
ウ 結果回避の困難性等
(ア) 予防接種をいかなる方法で行うかは、被控訴人の所轄の官庁である厚生大臣等の専門的、技術的知見、情報等に基づく裁量に委ねられている事項である。
したがって、予防接種に用いる注射針・注射筒の消毒・交換をいかなる方法により、どの程度行うかは、厚生大臣等が、各予防接種の必要性・有用性の程度、注射針・注射筒等の消毒・交換の有無・その方法いかんによって生ずる不利益の内容、それによって生ずる具体的危険性・蓋然性、各予防接種の実施時期における一般医療の同消毒・交換の実施水準、同消毒・交換をより高度のものとするために必要な財源・技術・労力・時間等を総合考慮して判断すべきものである。
(イ) 我が国において、集団予防接種という形態が採られたのは、重篤化しやすく、死亡率も高い伝染病を予防し、社会防衛を実現するためには、できるだけ多くの人に時期を同じくして予防接種を行う必要があり、しかも、年間で延べ三、四千万人を下らない多数人を対象として、効率的に接種を行うことが要請されていたからであり、集団予防接種という形態そのものは合理的なものであった。
また、厚生大臣あるいは厚生省の予防接種担当職員は、その当時の医学的知見に基づき、予防接種による新たな感染症を防止するために、予防接種の方法を指示するなどしてきた。例えば、厚生大臣あるいは厚生省の予防接種担当職員は、昭和30年、国内においても、肝炎が経口ないし輸血により感染し得ることを示唆する報告等がなされたことを踏まえ、厚生省防疫課編「防疫必携」において、被接種者一人ごとの注射針の煮沸ないし石炭酸水による消毒の周知徹底を図った。また、昭和33年の予防接種法実施規則の改正により、高度の公衆衛生環境の実現を図るべく、集団予防接種の際、注射針を一人ごとに交換すべきものとした。
(ウ) しかしながら、当時の我が国においては、被接種者ごとに注射針を交換して完全に消毒し直すことは、注射針の絶対量の不足や消毒作業に携わる者、消毒器具等の不足などの面から事実上困難であった。また、当時は、ディスポーザブルと呼ばれる使い捨ての注射器を用いることも困難で、それが可能になったのは、ディスポーザブルが大量生産され、コストも安くなった昭和40年代後半以降のことであった。
(エ) したがって、昭和45年ころまでの知見を前提とし、予防接種により感染を防止することができる伝染病の危険と、被接種者ごとに注射針、注射筒を交換することによって感染を防止することができる伝染病の危険とを比較考量すれば、ほとんど身体への悪影響はないと考えられていた肝炎よりも、重篤化しやすく、死亡率も高い伝染病の危険の方がはるかに大きかったことは明らかである。
(オ) しかも、当時の知見では、無症候性キャリアを含むB型肝炎ウイルスキャリアという概念がなく、疾病という認識のあった顕性肝炎は急性肝炎を発症すると考えられていたので、被控訴人は、予防接種における問診の段階で肝炎患者を発見することができるものとみて、そのような者を発見した段階で、注射針、注射筒を交換することにより、予防接種による肝炎感染の危険を事前に排除することが可能であると考えていた。
(カ) このような当時の医学的知見に鑑みると、本件のような乳幼児を対象とする予防接種によって、B型肝炎ウイルスの感染が生ずることを予見することは不可能であったものといわざるを得ないから、かかる知見を前提とし、集団予防接種を実施する上での技術的、経済的状況等を踏まえるならば、控訴人Eに対する接種を除いた本件各集団予防接種当時においては、昭和33年に改正された予防接種法実施規則が定めた、注射針を被接種者一人ごとに交換することや、完全な消毒を直ちに実施することが、厚生大臣等の専門的、技術的知見、情報に基づく裁量の範囲を超えた法的義務であるといい得るような状況にはなかったことが明らかである。
(キ) また、控訴人Eについては、同控訴人に対するツベルクリン反応検査等の接種が行われた昭和58年当時、皮内注射の際の注射筒のみの連続使用によってB型肝炎ウイルスを感染させる危険性があるとの医学的知見は確立されておらず、被控訴人において、B型肝炎ウイルスの感染を予見することができなかったのであるから、同接種がなされた当時、厚生大臣あるいは厚生省の予防接種担当職員において、ツベルクリン反応検査等の接種における注射筒の連続使用を禁止し、B型肝炎ウイルスの感染を回避すべき注意義務があったものとまで認めることができないことは明らかである。
エ 控訴人らの損害について
控訴人らの損害についての主張はいずれも争う。
なお、Dについて、同人の訴訟承継人らが各法定相続分に従ってDの権利を承継したことは認める。
3 民法724条後段適用の可否
【被控訴人の主張】
(1) 民法724条後段の規定は、不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定めたものである。なぜならば、同条において、その前段で3年の短期の時効を規定し、さらに同条後段で20年の長期の時効を規定していると解することは、不法行為を巡る法律関係の速やかな確定を意図する同条の規定の趣旨に沿わず、むしろ同条前段の3年の時効は、損害及び加害者の認識という被害者側の主観的な事情によってその完成が左右されるが、同条後段の20年の期間は、被害者側の認識のいかんを問わず、不法行為後の一定の時の経過によって法律関係を確定させるため、請求権の存続期間を画一的に定めたものと解するのが相当であるからである(最高裁判所平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2209頁、同平成10年6月12日第二小法廷判決・民集52巻4号1087頁)。
(2) そうすると、本件訴訟が提起されたのは平成元年6月30日であるところ、控訴人Eを除く控訴人らの本件損害賠償請求権は、次のとおり、本訴提起時までに除斥期間の経過によって消滅したか又は理由を欠くに至った。
ア 控訴人B及び控訴人Cについて
控訴人B及び控訴人Cは、その主張に係る各予防接種を受けた日から、そのすべてについて20年以上経過した後に本件訴訟を提起して損害賠償を求めた。したがって、同控訴人らについては、仮に、その主張するいずれかの予防接種に基づく損害賠償請求権が発生したとしても、既に本訴提起前に20年の除斥期間が経過し、その時点で同請求権は法律上当然に消滅したから、同控訴人らの請求はそれ自体失当である。
イ 控訴人A及びDについて
控訴人Aについては20件の予防接種のうち12件、Dについては11件の予防接種のうち9件が本件訴訟提起時までに20年を経過した。したがって、仮に、同各予防接種のいずれかに起因する損害賠償請求権が発生したとしても、それらについては除斥期間の経過により消滅した。
他方、控訴人Aの受けた予防接種のうち残りの8件、Dの受けた予防接種のうち残りの2件に基づく損害賠償請求権は除斥期間を経過していないことになるところ、同控訴人らの請求する損害賠償請求権が認容されるためには、除斥期間経過前の予防接種によってB型肝炎に罹患したことを立証しなければならない。
ところで、B型肝炎ウイルス感染はひとたび感染が成立すると2度と感染しない関係にあることから、除斥期間経過後の予防接種によるB型肝炎ウイルス感染と、経過前のそれとは、一方が肯定されれば他方は否定される関係にあるところ、同控訴人らは、除斥期間経過前と経過後の予防接種について同程度の感染の危険性があることを前提とする抽象的立証を行うにとどまり、除斥期間経過前の予防接種によってB型肝炎に罹患したこと、すなわち、同罹患が除斥期間経過後の予防接種に起因するものではないことについて何ら立証していない。このような同控訴人らの立証によれば、同控訴人らは、除斥期間経過後の予防接種によってB型肝炎に罹患した可能性が除斥期間経過前のそれと同程度であることを自認しているのに等しく、到底、除斥期間経過前の予防接種によってB型肝炎に罹患したことが高度の蓋然性をもって証明されたとはいえない。
したがって、上記控訴人らの除斥期間経過前の予防接種を原因とする請求も理由がないことは明らかである。
【控訴人Eを除く控訴人らの主張】
(1) 被控訴人の民法724条後段についての主張は、平成元年に訴えが提起された本件訴訟の原審における最終口頭弁論期日であった平成10年12月24日に至って初めて主張されたものであるから、時機に遅れた攻撃防御方法(民訴法157条1項)として却下されるべきである。
(2) 民法724条後段に定める20年の期間については、除斥期間ではなく、時効期間と解すべきであるし、仮に、同期間を除斥期間であると解するにしても、その形式的な適用によって、著しく正義・公平の理念に反する事態を生じさせる場合には、適用が排除されるべきである(最高裁判所平成10年6月12日第二小法廷判決)。
本件は、控訴人らが、被控訴人によって社会防衛の観点から強制的に行われた予防接種により生じた被害の賠償を、様々な困難を乗り越えて求めている事案であり、単に20年の時の経過という形式的理由だけでその請求権の行使を排斥することは、まさに著しく正義・公平の理念に反する場合に該当する。
したがって、本件について民法724条後段の規定は適用されるべきではない。
(3) 控訴人らについての本件被害はB型肝炎ウイルスの感染によるものであるが、それは感染原因たる予防接種時にそのすべてが一時に発生するものではない。B型肝炎ウイルスに感染することによる被害は、無症候性キャリアの状態から肝炎の発症、肝硬変、肝癌への進行に伴い拡大されるという特質をもつ。このような場合には、損害の発生、拡大に応じて、その除斥期間の始期も判断されるべきであり、それこそが不法行為制度の基本理念である正義・公平の観念に合致する
当裁判所の判断
第1本件各集団予防接種と控訴人らのB型肝炎ウイルス感染との間における因果関係について
本件における控訴人らのB型肝炎ウイルス感染は、いずれも本件各集団予防接種によるものと認めるのが相当である。
1 本件においては、控訴人らのB型肝炎ウイルス感染の原因が本件各集団予防接種であったと認め得る直接証拠は見当たらず、また、疫学的な因果の連鎖を的確に示す客観的な間接事実を認め得る間接証拠も見当たらない。
2 しかし、本件においては、後述のとおり、<1>いずれの控訴人(控訴人Eについては後述)についても、同控訴人らがB型肝炎ウイルスに感染したのはそれぞれが本件各集団予防接種を受けた時期に対応する乳児期から小児期(6歳ころ)までであり、複数の本件各集団予防接種のうち、いずれの予防接種に対応するかは具体的に確定できないものの、控訴人ら主張の不法行為(原因)とその結果との間に大枠ではあるが疫学的観点からの時間的関係において因果関係を認め得る事実関係にあること、<2>本件各集団予防接種がいずれも一般人においてB型肝炎ウイルス感染の危険性を覚えることを客観的に排除し得ない状況で実施されたこと及び控訴人らのB型肝炎ウイルス感染の原因として考えられる他の具体的な原因が見当たらないこと、すなわち、本件各集団予防接種の時期、場所、方法等については、いずれも具体的な事実が証明されているのに対し、被控訴人が指摘する控訴人らの本件各集団予防接種以外の原因に基づく感染の可能性をいうところの事由は、その時期・場所・方法等が抽象的であったり、感染の可能性という意味が、積極的な感染の蓋然性を必ずしも肯定し得ない、換言すれば感染の可能性を排斥しきれないといった消極的な意味における可能性を認め得るにとどまるものであり、他の原因を排斥し又は他の原因との比較において優勢であると認めるに足りる具体的可能性を伴わないものであることに照らすと、本件各集団予防接種と控訴人らの各B型肝炎ウイルス感染との間の因果関係を肯定するのが相当である。以下、控訴人らの各感染時期を特定した上で、本件各集団予防接種の具体的な危険性及びそれとの関係で優位又は等位に並列し得る他の原因事由について、検討する。
3 控訴人らの各感染時期について
(1) 控訴人Eについて
控訴人Eについては、前記摘示の事実から、同人の出生後約11か月(昭和58年5月11日から昭和59年4月22日まで)の間にB型肝炎ウイルスに感染したことが明らかに認められる。
(2) 控訴人Eを除く控訴人らについて
前記事案の概要に摘示したように、免疫不全等に陥っていない成人がはじめてB型肝炎ウイルスに感染した場合、顕性又は不顕性のいずれの場合にも免疫が成立すること及び乳幼児は、生体の防御機能が未完成であるため、感染状態が持続することがあり、持続感染者となった場合、成人期(二、三十代)に入って免疫機能との共存状態が崩れ、肝炎を発症するという経過を辿ること、他方、本件において、上記控訴人らが、免疫抑制剤投与の治療を受けたり、免疫不全の状態に陥ったことがあることを窺わせるに足りる証拠は見当たらないから、同控訴人らがB型肝炎ウイルスに感染した時期については、乳児期から小児期(6歳ころ)までであったと認めるのが相当である。
この点について、甲第3号証(母里啓子「B型肝炎ウイルスの感染経路」日本臨床46巻569号)によると、e抗原陽性の女性からみた配偶者のs抗原陽性率は6.2パーセントであったとする調査結果が存在することが認められ、また、原審における証人Z5の証言中にも上記調査結果に沿う部分があり、さらに、原審において証人Z5及び同Z6は、その証言中において、上記事実は、免疫不全状態の場合以外にも、成人のキャリア化の可能性があり得るものと考える方が説明しやすい旨を述べているが、B型肝炎ウイルスのキャリアが成立する機序については、現在においても未解明な部分が残されていて、上記調査結果のみから免疫不全のない成人のキャリア化を肯定するのは早計である。
そこで、上記控訴人らがB型肝炎ウイルスのキャリアとなった具体的な年齢について検討するに、前記事案の概要で摘示した乳幼児期の感染態様についての事実のほか、甲第55、第58、乙第29、第52の各号証によれば、一般に乳幼児期のキャリアの成立年齢を、ほぼ3歳以下とされているものの、それ自体強固に上限年齢を設定し得るものではないこと、また、甲第7、第63、乙第24、第37、第39、第40の各号証によれば、乳児期から小児期におけるキャリア成立年齢は、必ずしも3歳を限度とするものではなく、5、6歳ころまでの可能性についても考慮している(ただし、年齢が上がるとキャリアとなる可能性は減少するとしている。)こと及び原審における証人Z6の証言内容等を勘案するならば、同控訴人らは、その主張のとおり、本件各集団予防接種を受け終わった時期(別紙[a])に対応する年齢である6歳ころまでの間に、B型肝炎ウイルスに罹患し、キャリア状態になったと認めるのが相当である。
なお、既に前記事案の概要で摘示したとおり、控訴人ら(控訴人Eを含む。)の母親はいずれもB型肝炎ウイルスの持続感染者ではなく(控訴人B及び同Cの各母親については、過去における感染の形跡すら認められない。)、また、控訴人らの母親らが控訴人らを妊娠していた時期にB型肝炎ウイルスに感染し、かつ、e抗原陽性の状態であったことを疑うべき具体的な事情は見当たらないから、控訴人らについては、いずれも出生後のいわゆる水平感染によってB型肝炎ウイルスに感染したと認めるのが相当である。
4 控訴人らの各感染可能時期において想定し得る感染経路のうち、本件各集団予防接種に認められる具体的な危険性について
(1) 前記事案の概要中に摘示したB型肝炎の特質及び罹患(感染)の経路に関する事実(掲記の証拠を含む。)によれば、まずB型肝炎の特徴として、<1>B型肝炎ウイルスは、極めて強い感染力を有するが、血液を媒介として感染するのを常態とするものであること、<2>したがって、感染の経路は、持続感染者からの輸血、観血的治療に伴う血液付着器具を媒介とする血液接触を典型とし、血液以外の体液はそれ自体で媒体となることは極めて希で、経口感染等の血液接触を伴わない形態の感染可能性については否定しきるまではできないものの、そうした事例の報告例は少ないこと、<3>しかし、ヒトの皮膚・粘膜等に傷があれば、その傷を通してB型肝炎ウイルスに感染した血液がヒトの体内に侵入し、ヒトの肝臓に至って増殖する可能性があるから、医療関係の処置の場面に限らず、日常の生活におけるヒトとヒトとの接触の場面一般における血液的接触の機会があれば、B型肝炎ウイルスに感染する可能性を認め得ること、<4>ただし、平素の人の集団生活における日常的接触の場面での感染例は希であり、持続感染者の保持するウイルス(e抗原)の活力・量と被感染者の免疫機能の良否や被感染者が触れた血液又はウイルス(e抗原)の量等によって左右されることから、いわゆる閉じこめられた空間で終日かつ継続的に人と人とが接触することが可能な状況と通常の職場や学校のように一日の一部分の時間帯において人と人とがいわゆる隣り合わせで接触する機会があるにすぎない状況とでは感染の可能性において差異があること、<5>B型肝炎ウィルスが通常の洗浄による希釈やアルコール消毒等に耐える強い感染力を有することから、B型肝炎ウィルス感染者の血液を媒介するおそれのある医療器具等を複数人に連続して使用することは禁忌であり、個別に新たな器具を使用するか、1回の使用毎に十分な洗浄と15分間以上の煮沸消毒及び乾燥消毒をしない限り、感染の危険性を除去できないことがそれぞれ認められる。
(2) 甲第84、第115、第117、第118、第147の各号証及び弁論の全趣旨によれば、本件各集団予防接種における対象疾病ごとの接種方法について、次のとおりの事実を認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。
ア 痘瘡(種痘) 乱刺法(乱刺針により皮膚の乱刺を行う。)又切皮法(種痘針により皮膚の切皮を行う。)による。
イ ジフテリア 皮下注射による(2種混合、3種混合とも同様)。
ウ 腸チフス・パラチフス 皮下注射又は皮内注射による。
エ 百日咳 皮下注射による。
オ ツベルクリン反応検査 皮内注射による。
カ BCG接種 皮内注射、昭和42年度からは経皮管針法(管針を用いる。)による。
キ インフルエンザ 皮下注射又は筋肉注射による。
ク 破傷風 筋肉注射又は皮下注射による。
(3) 甲第89、第90の各号証及び原審における証人Z1、同Z2の各証言及び弁論の全趣旨によれば、昭和26年ころから平成7年ころまでの北海道内の各保健所における集団予防接種の接種状況について、次のとおりの事実が認められこれを覆すに足りる証拠はない。
Z1は、昭和26年10月から昭和46年3月まで北海道e町、f村、g町、h町、i町において、保健婦として集団予防接種に従事したが、同人が担当した集団予防接種での接種方法は、<1>ツベルクリン反応検査及びBCG接種(いずれも皮内注射による。)については、まず、1枚のアルコール綿(脱脂綿をアルコールで浸したもの。)で10人ほどの前腕を拭き、1ミリリットルの注射液入りの注射器で一人につき0.1ミリリットルを注射し、その後注射針をアルコール綿で2回拭き、続いて、注射筒や注射針を取り替えずに次の人に接種するという方法を用い、1本の注射筒及び注射針で8人程度注射することができ、注射液がなくなると注射筒及び注射針を取り替えた、<2>腸チフス及びパラチフスの予防接種(皮下注射による。)については、まず、1度に10人ほどの上腕部をアルコール綿で拭き、次に、5ミリリットルのワクチンの入った注射器で一人に0.5ミリリットル(から0.3ミリリットル)を注射し、その後アルコール綿で注射針を2回拭き、続いて、注射筒や注射針を取り替えずに次の人に接種するという方法を用い、注射方法は、皮下注射のため、上腕部をつまんで皮下に針を入れ、その針が血管に入っていないことを確認するため、1度ピストンを引き血液が入ってこないことを確認してから液を入れるというものであり、<3>種痘については、まず、上腕部をアルコール綿で拭き、痘苗をメスにつけて上腕部に置き、メスで表皮を十字に切ってから、痘苗をメスの腹で押さえて皮膚に植え付け、一人が終わると、メスをアルコール綿で2回拭き、次の人に植え付けるという方法で、メスは、切れなくなるまで同一のものを使用し、50人から70人に対して植え付ける場合でも合計3本程を用意するという程度であり、メスで表皮を切ると血が滲む場合がほとんどであったし、痘苗が足りなくなるおそれがあったときはメスを拭かないこともあったこと、また、Z2は、昭和37年2月から平成7年における原審証言当時に至るまで、北海道j町、k町、l町、苫小牧市、m町において、保健婦として集団予防接種に関与してきたところ、同人が担当した集団予防接種の接種方法は、<1>百日咳・ジフテリア2種混合ワクチン(皮下注射の方法による。)については、まず、上腕外側をアルコール綿で消毒し、次に、5ミリリットルのワクチンを入れた注射器で一人につき0.5ミリリットルを注射したが、その際、皮下注射の針が血管に入っていないことを確認するため、腕に針を刺した後ピストンを軽く引いてから液を注射した後、針をアルコール綿で拭き、そのまま次の人に注射し(なお、ときに針をアルコール綿で拭かないこともあり、この点は後記<3>の場合も同様であった。)、1本の注射器で7、8人に注射するとワクチンがなくなるので、その時点で針を交換し、再度ワクチンを5ミリリットル入れて注射を続けた。途中で血液が注射器に入ることがあっても、ワクチンを捨てずにそのまま使用し、<2>種痘については、上腕部をアルコール綿で拭き、乾かした後、そこに、ガラスの皿にあけておいた痘苗をメスで塗った上、メスで皮膚を十字に切り、メスの背中で痘苗をまんべんなく行き渡るようになでつけるという方法を用い、一人について終わった後、メスをアルコール綿で拭いて、そのまま次の人にも使用し(その際、血液がメスを介して痘苗に混入することもあった。)、メスは2本用意し、全員が終わるまで同一のメスを使用し、もう1本は予備とし、<3>ツベルクリン反応検査、BCG接種、腸チフス及びパラチフスの予防接種のうち、BCG接種を除く予防接種については、いずれも一人ごとに注射筒や針を取り替えず、1つの注射器で、連続して14、5人に接種し、BCG接種については、昭和42年に管針に切り換えられるまでは、上記と同様であり(その後も昭和53、4年ころまでは管針を連続して使用することがもあった。なお、ツベルクリン反応検査等の皮内注射においては表皮と真皮の間に注射液を入れるが、乳幼児の場合は特に皮膚と皮下組織がぴったり接しているので、血液が針の中に入ることもあり得た。)、<4>インフルエンザ予防接種(皮下注射の方法による。)については、一人ごとに注射器の針や筒を替えず、注射器を15、6人に連続して使用し、その際、大人に接種するのに使用した注射器をそのまま乳児に使用することもあった(なお、皮下注射の方法であったものの、注射筒に血液が入ることもあったが、昭和54、5年ころからディスポーザブルと呼ばれる使い捨ての注射筒が出回ってきて、昭和55、56年になると、注射針もディスポーザブルのものを使用するようになったため、Z2の経験では、予防接種の注射器は、昭和56年ころ一人1針1筒とされるに至った。)。
(4) 乙第72、第73の各号証及び原審における証人Z3の証言によれば、昭和45年ころから昭和61年までの札幌市内の保健所における集団予防接種の接種状況について、次のとおりの事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない(なお、これに反する甲E第8号証の記載及び原審における控訴人E法定代理人E2の供述は、上記証人Z3の証言内容やディスポーザブル注射器の普及状況等に照らして採用し難い。)。
Z3は、昭和45年1月から技術職員(医師)として札幌市に勤務しており、その間である同月から昭和61年3月まで、同市衛生局中央保健所において予防接種の実施等に関与してきたところ、同保健所及び札幌市内のその他の保健所における予防接種の実施状況として、昭和45年当時の札幌市中央保健所においては、<1>ツベルクリン反応検査の注射を行うにあたり、皮内注射の性質上、注射針や注射筒内に、被接種者の血液が付着、混入することがないと考えていたことから被接種者5、6人に対し1本の注射器を連続して使用し(すなわち、1本の注射器(1ミリリットル用)の注射液がなくなるまで、針、筒を取り替えずに使用していた。)、その際、連続使用された注射針は、被接種者一人ごとにアルコール綿で拭いて用いられ、<2>BCG接種にあっては、当時、既に昭和42年3月17日付け厚生省公衆衛生局長通知「経皮接種の実施要領について」(衛発第34号)に基づき管針が用いられるとともに、管針は、被接種者一人ごとに取り替えて使用され、昭和58年8月当時(控訴人Eが予防接種を受けた当時)における札幌市中央保健所でのBCG接種についても、同様に一人1管針として実施されていたところ、<3>札幌市中央保健所におけるツベルクリン反応検査については、昭和50年ころには、注射針はすべてディスポーザブルのものになり、被接種者一人ごとに針が取り替えられていた(このことは札幌市の他の保健所においても同様であった。)ため、控訴人Eがツベルクリン反応検査を受けた昭和58年8月当時における札幌市中央保健所でのツベルクリン注射は、注射筒を連続して使用していたが、針は一人につき1針とされていた。<4>なお、一般の皮下注射による予防接種、特に、被接種者数の少ない破傷風の予防接種や百日咳・ジフテリア・破傷風三種混合ワクチン接種等については、昭和49又は50年ころ以降、札幌市の保健所では一人ごとに注射筒及び注射針を取り替えて実施されたが、被接種者数の多いインフルエンザの予防接種については、注射針は一人ごとに取り替えていたが、注射筒は数人に連続して使用されていた。
(5) 以上によれば、控訴人Eを除いた控訴人らが本件各予防接種を受けた期間における各予防接種の方法として、昭和44、45年ころ以前の各予防接種はいずれも注射針を交換しないで連続使用する方法により、昭和44、45年ころ以降のBCG接種は一人1針(管針)の方法が大勢を占めていたが、ツベルクリン反応検査では、注射針、注射筒とも連続使用され、その余の各予防接種においては、注射針は一人ごとに取り替えられたものの、注射筒、種痘針等は連続使用されていたこと、また、控訴人Eが予防接種を受けた際においては、BCG接種では一人ごとに注射針(管針)が取り替えられていたが、ツベルクリン反応検査では注射針は一人ごとに取り替えられたものの、注射筒は連続して使用されたことがそれぞれ認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
(6) そして、控訴人らが受けた本件各集団予防接種には、いずれも、血液を媒介とするB型肝炎ウイルスの感染をもたらし得る具体的な可能性を認めることができる。
すなわち、注射器等で皮膚を穿刺し又は切ることは、そのこと自体が血液に接触し、又は血液が器具に付着する現実的な危険を有するものであり、このことは、注射すべき部位が皮内であるか、皮下であるか、あるいは筋肉であるか、静脈等の血管であるかによって直ちに結論を異にするものではなく、皮内注射であっても、注射を受ける側の皮膚の状態や注射をする側の体制・設備・技術等によっては深部に穿刺され得ることが容易に想定され、かつ、それは決して希有のことがらを想定するものでないことは、上記原審における証人Z1、同Z2の各証言からも明らかに認められるところである。したがって、注射部位が皮内であることをもって、直ちに血液付着の可能性を否定するのは相当でなく、各注射が精密に皮内にされたと認め得る個別具体的な事実や事情が伴わない限り、単に当該注射の注射方法として皮内注射とされていたということをもって、感染の危険のない安全な注射方法であったと認めることはできず、本件において、控訴人らが受けた本件各集団予防接種時の注射等が上記危険を排除する方法で行われたと認めるに足りる証拠はない。
また、控訴人Eが受けたBCGの接種については、個別の管針によるものであったと認められることは前述のとおりであり、したがって、BCG接種によるB型肝炎ウイルス感染の具体的な可能性については、これを否定するのが相当であるところ、ツベルクリン注射については、注射針が交換されていたとしても、前述のとおりごく微量の血液の付着によってもB型肝炎ウイルス感染の現実的な可能性を払拭できないこと及び注射時及び針交換時における注射筒への血液の付着の可能性が認められ、そうした微量の血液の付着によってもB型肝炎ウィルスの感染力を十分に認めうること(これらのことは、前記器具の消毒方法からも明らかに認められる。すなわち、注射器の消毒は、洗浄から煮沸消毒に至るまで注射筒及び注射針の双方についてなされることを要し、注射筒については洗浄で足りるとはされていない。)に鑑みると、控訴人Eが受けたツベルクリン注射については、なおも感染の具体的な可能性があったと認めるのが相当である。
5 ところで、本件各集団予防接種とB型肝炎ウイルス感染との関係について、被控訴人は、統計資料、各予防接種の接種方法、他の感染原因の存在等から、本件各集団予防接種とB型肝炎ウイルス感染との相関性が否定される旨主張し、さらに、控訴人Eについては、本件訴え提起後における控訴人Eと同じ機会に接種を受けた者に対する追跡調査結果に基づいて、同接種と控訴人EのB型肝炎ウィルス感染との個別的因果関係が認められない旨主張するので、各主張について個別に検討する。
(1) 被控訴人は、前記杉田報告、杉田補充書、西岡グラフ及び田島グラフ等の資料から、そもそも我が国における各種集団予防接種とB型肝炎ウィルス感染との間に相関関係がないことが明らかである旨主張するが、上記各資料が前提とする調査対象地域、調査対象者、調査時期等において、一般的通有性を有するまでの信頼性を認め難いのみならず、本件で具体的に問題となっている本件各予防接種と控訴人らのB型肝炎罹患との因果関係までをも一般的に否定すべき根拠となり得るとは認められない。すなわち、上記各資料だけから、個別の予防接種の具体的方法・態様如何を問わずに、予防接種によるB型肝炎ウィルス感染の可能性の有無を判断することは、疫学的にも多くの疑問が残るといわざるを得ない。
なお、この点に関連して、控訴人らは、当審において、従来の主張に替えて別紙[d]を提出し、被控訴人は、杉田報告を一部改める杉田補充書(乙80)を提出した。
別紙[d]の内容は、1927年(昭和2年)から1991年(平成2年)までの間の予防接種の被接種者数を、衛生局年報、衛生年報、GHQ日本占領史(甲149)、保健所運営報告年報、保健所事業成績年報、結核予防行政提要を基に、杉田報告及び杉田補充書と一致するものはその数値とし、これに記載されていない臨時接種や予防接種の数を加えたりして作成されたものである。GHQ日本占領史(甲149)は、連合国最高司令官総司令部が編纂した歴史論文を基に編集された「日本占領GHQE1」を底本とした「公衆衛生」に関する部分の書籍であるが、予防接種者数の数値の正確性については確認できないうえ、100万単位の概数(例えば、9400万人、4500万人など)であって、他の資料による数値の精度(1単位)と異なっている。上記GHQ日本占領史に関わる年度以外の年度の数値もほとんどが1000万を超すような大数であるから、上記難点を措くとしても、種痘の1949年(昭和24年)、1950年(昭和25年)について、衛生年報(杉田補充書)との重複か不明であるとしてGHQ日本占領史の数値を計上し、腸チフス・パラチフス混合の1949年(昭和24年)について、「生後3~6ヶ月の全ての小児に接種」との記載に基づき、「国民生活の動向」により0歳児を190万人と推計して、その3分の1の60万人を計上し、ジフテリア(単独)の1947年(昭和22年)について、「未接種の9ヶ月から10歳の間の子供全員に対する3回の完全な予防接種と、以前に接種を受けたことのある人に対する2回目の接種」との記載に基づき、同様に9ヶ月から10歳までを1850万人と推計し、前年に実施した1600万人を控除した2500万人を3倍し、これに以前(前年)に接種した2回目の1600万人を加算して2350万人とするなど、その算出方法も概算であるうえ、上記のとおり、基となる数値そのものの正確性は確認できない。
他方、上記杉田補充書は、杉田報告の表10の数値は同表1から同表9以外の予防接種者数を含めた全予防接種者数であることを明記した上、杉田報告の表1ないし同3、同9及び同10の数値を一部訂正等して、別紙[i](以下、同別紙中の表を「杉補表」と、同別紙中の図を「杉補図」という。)杉補表1ないし同3、同9及び同10の数値となり、杉補表1ないし同3、杉田報告の表4ないし表8及び杉補表9の各表以外の予防接種の数値が杉補表11で、これらの合計(訂正後)が杉補表10となり、杉補表10から、本件各集団予防接種の関連では、急性灰白髄炎については昭和36年から経口投与されたことから、昭和36年以降の急性灰白髄炎の予防接種の数値を除いた全予防接種者数(ただし、ツベルクリン反応検査とBCGは重複することがあり、他に同一年に一人が重複して接種する予防注射がありうるから、正確には予防接種者数ではなく、予防接種回数の数値である。)が杉補表12であり、これをグラフに表したのが杉補図12であることが認められる。
西岡グラフは、偶々平成2年2月に日本赤十字社中央血液センターに献血されていた血液サンプルについてHBs抗原・抗体陽性率を検査し、16歳から64歳までの年齢階層に分けて(4歳幅が1つ、あとは5歳幅)、男女別の平均と男女合計の平均に解析したもののうち、男女合計の平均をグラフに表したものである。そして、その各年齢階層別の検査本数は、239本から3117本であり、これから結論づけられた平均値が日本全人口の当該各年齢階層別のHBs抗原・抗体陽性率の平均値を正しく示すものかは確認できない。
ところで、控訴人ら及び被控訴人は、いずれも年齢順の西岡グラフを年代順に並び替え、これと互いに主張する年代別の予防接種者数とを対比している。
上記のとおり、GHQ日本占領史の数値の正確性は確認できないが、これらを正しくないとする根拠もなく一応これを前提として検討すると、例えば、表1の予防接種回数は、昭和21年が約1億6344万回、同22年が約1億0602万回、同23年が約6887万回、同24年が約8037万回、同25年が約1億0210万回と順次変動しているところ、その各年差は、無視できない大きな差であるが、西岡グラフが5年幅の平均値であるため、予防接種回数の各年順次の大幅変動に対する変動があるか否かは、読みとることができない。昭和26年以降についても同様である。そして、上記のような無視できない変動をする予防接種回数を西岡グラフと同様に5年幅毎に平均したうえ両者の動向を比較することも適切とはいえない。
そもそも、これら控訴人らの別紙[d]あるいは杉補表12であれ、1000万回から1億6000万回までに及ぶ予防接種回数と、この予防接種回数に相関する献血本数があったとは全く窺えない西岡グラフの5歳幅の239本から3117本の階層別本数によるHBs抗原、抗体陽性率とを対比して、予防接種回数と各陽性率との間に有意の関連を導き出すことができるかは疑問といわざるをえない。
また、田島グラフについては相応の被検査者数にのぼるが岩手県に限られたものであり、また、甲第156号証及び当審における証人Z7の証言により認められる五島列島富江地区のグラフ及び東京都虎の門病院小児科のHBs抗原・抗体陽性率についても限られた地域の限られた数によるものであって、いずれもその地域の動向として読みとることはできても、控訴人らの表1及び杉補表12の全国的で大量な予防接種回数との関連を有意に導き出せるものとは認めがたい。
以上のとおり、いずれにしても、控訴人ら及び被控訴人の各統計的な主張事実から、本件各集団予防接種と控訴人らのB型肝炎ウイルス感染との間の関連は確定できないというべきである。
さらに、被控訴人は、過去の予防接種時に肝炎の集団発生を報告したものが見当たらないことをもって、予防接種とB型肝炎ウィルス感染との関係を否定するが、少なくとも昭和45年ころ以前において、被控訴人がそもそも予防接種と肝炎罹患との関係について疑いを持たずにいたこと、したがって、そうした観点からの調査をせず、肝炎に着目して各予防接種実施機関からの報告を徴求していなかったことは被控訴人が自認するところであり、こうした事情と既述のB型肝炎の感染から発症までの特徴や研究・発見の経緯に照らすと、被控訴人の上記主張は採用できない。
(2) 被控訴人は、本件各集団予防接種と競合し得る事情として、控訴人らが過去に受診し、又は受診した可能性のある医療機関における治療等によるB型肝炎ウィルス感染の可能性がある旨主張し、そのことによって、本件各集団予防接種と控訴人らのB型肝炎罹患との因果関係の存在は否定されるべきである旨主張するが、採用することはできない。その理由は次のとおりである。
被控訴人が主張する院内感染その他医療機関受診時感染の可能性については、確かにそうした事態があり得ることを否定しきることはできないものではあるが、被控訴人の上記主張は、第2次世界大戦後の我が国における医療の現場において、医療器具の消毒その他の取扱いが一般に杜撰であったことを前提としてはじめて一般的危険性として肯定することができるものであるところ、本件全証拠によっても、我が国の医療機関が医療用器具の消毒や取扱いを杜撰にするのが一般的なことであったとは到底認められず、むしろ、甲第154、第155の各号証及び当審における証人Z7の証言並びに弁論の全趣旨によれば、我が国においては、第2次世界大戦前から医師資格を有する者にとって、医療器具を十分に消毒して使用すべきことは職業的常識であったこと、医療器具の消毒方法として、アルコール消毒といった日常生活で汎用されている方法では不十分であって、器具を洗浄・煮沸して消毒する方法が一般で、小規模の個人開業医院のように機器の装備が不十分な医療機関であっても、そこで使用する医療器具の消毒については十全に行うことこそむしろ一般的であったことが認められ、こうした事実に照らすと、被控訴人の上記主張は、本来あってはならない事態で、かつ、一般的にはみられない希有な事態を想定した上のもので、そうした希有な事態を想定した上での危険性をもって、本件各集団予防接種と等位に並ぶ具体的な感染可能性あるものと認めることはできない。
(3) 被控訴人は、上記のほか、輸血による感染、家庭内感染その他学校等の集団生活の場面における感染等の可能性あることを本件各集団予防接種と競合し得る事情として掲げ、そのことによって、本件各集団予防接種と控訴人らのB型肝炎罹患との因果関係の存在は否定されるべきである旨主張するが、これも採用することはできない。その理由は次のとおりである。
既述のとおり、控訴人らのB型肝炎ウィルス感染時期がいずれも乳幼児期(最大で6歳時)であり(なお、控訴人Eについては、項を改めて説示する。)、その集団生活の場面は限定され、各控訴人について、輸血を経験した事実は見当たらないし、家庭内の感染については、一般論としては、その可能性を否定しきれるものではないところ、前記B型肝炎の特徴及び当審における証人Z7の証言並びに弁論の全趣旨によれば、B型肝炎ウィルスの感染は血液接触を典型とし、乳幼児期の者が日常生活において他人と血液的接触をする場面を一般的に想定することは困難であることが認められ、上記被控訴人の主張は、時期・場所・方法等を何ら特定することなく、単に抽象的な感染の可能性をいうにとどまり、こうした主張に係る事由を本件各集団予防接種と等位に並ぶ具体的な感染可能性あるものと認めることはできないことは、上記イの場合と同様である。
なお、控訴人Aについては、前記事案の概要で摘示したとおり、昭和44年と昭和45年に合計3回にわたり、弟A3と同時にツベルクリン反応検査及びBCG接種を受けたこと並びに弟A3もまたB型肝炎ウイルスに感染中であることが認められるところ、原審における証人A2の証言によれば、上記3回の検査及び接種の際には、いずれも控訴人Aが弟A3より先に検査及び接種を受けたことが認められ、これを覆すに足りる証拠はないし、弟A3が控訴人Aに先んじてB型肝炎ウイルスに感染していたことを疑うべき具体的な事情は見当たらないから、上記3回の検査及び接種時並びにその他の機会における弟A3から控訴人Aへの感染可能性を具体的に肯定することはできない。
(4) 被控訴人は、控訴人Eについて、出生後のE2からの感染や、昭和58年6月10日及び昭和59年2月14日に乳幼児健診を受け、また、昭和58年8月12日、同年10月1日、同年11月22日と急性上気道炎等により病院に通院し、治療を受け、そのうち、昭和58年6月10日の1か月健診時においては、血液の凝固作用を検査するためのヘパプラスチンテスト(ランセットで足の踵部分を穿刺し、そこから、超微量ピペットで約0.02ミリリットルの血液を採取するもの)を受けた際のランセット及び超微量ピペットによる感染の可能性を具体的に主張するが、同主張は採用できない。その理由は次のとおりである。
上記事由のうち、控訴人Eの受診治療では、昭和58年6月10日の1か月健診時における、血液の凝固作用を検査するためのヘパプラスチンテストによって血液接触の機会があったことが具体的に認められるところ、甲E第9号証によれば、ランセット及び超微量ピペットは、いずれも使い捨てのものが用いられ、また、控訴人Eの同病院におけるその他の受診・治療時に注射が使用されたことはなかったことが認められる。
次に、E2からの感染の具体的可能性について検討するに、甲第156、第158、甲E第7の各号証及び当審における証人Z7の証言によれば、E2の肝炎発症から治癒まで並びにE2及び控訴人Eの血液検査結果からは、控訴人EがB型肝炎ウイルスに感染した時期を昭和59年1月上旬より前と推定し、他方、E2の感染時期については、昭和58年11月下旬ころで、他者への感染の危険性が具体化するのは昭和59年2月中旬ころと推定するのがB型肝炎の研究治療に長年携わった臨床医の立場からは自然であることが一応認められるものの、上記推定の資料や推定方法の確実性については疑問の余地が残る。すなわち、上記各証拠の概略は、「文献32の論文は、人間(チンパンジー)がB型肝炎ウイルスに感染した場合のウイルス量の推移は、感染後平均3.7±1.5日のダブリングタイム(2倍になる期間)で増殖し、感染後平均127±46日で最大ウイルス量約10の10乗コピー/ミリリットルに達し、血中B型肝炎ウイルス量の最大ピークはGPTの最大ピークの2週間前であると分析している。B型肝炎ウイルスがどの程度の血中量になった場合に非周産母児感染を起こすかは不明であるが、ほとんど家庭内感染のないC型慢性肝炎の最大血中量は例外的症例を除けば100万コピー/ミリリットル以下であるので、この量をB型肝炎ウイルスが非周産母児感染を起こす血中量と仮定し、上記論文のダブリングタイムを4日(3.7±1.5日のうち)として計算すると約80日となる。E2の場合、感染後約80日目にB型肝炎ウイルス量が100万コピー/ミリリットルを凌駕し、他人に感染せる可能性が出ることになる。E2のGPTの最大ピークは4月15日と確認されているので、B型肝炎ウイルスの最大ピークは2週間前の4月1日ころで、感染の可能な100万コピー/ミリリットル以上になったのはその47日前の2月14日以降と推定され、感染を受けた時期は127日(127±46日のうち)前として昭和58年11月27日となる。文献33の論文は、一般にB型劇症肝炎では、宿主の免疫応答が亢進するためウイルスの感染から排除までは一般の急性肝炎より速やかであると想定している。E2の場合、凝血学的データから、病状は相当重症であり、劇症化も疑われており、4月23日にはHBe抗原系のセロコンバージョンが起こっているから、E2の感染可能の期間はより短く、あるいは3月に入ってからという可能性も高い。一方、控訴人Eは、4月22日、HBs抗原(+)、HBe抗原(+)で、後の経過から考えると、この時既にB型肝炎ウイルスキャリアとなっていたと考えられる。乳幼児期のB型肝炎ウイルスキャリアはほとんど無症候性キャリアで、文献34の論文は、我が国のHBe抗原の無症候性キャリアの血中B型肝炎ウイルスDNA量を測定し、血中ウイルス量は10の8乗コピー/ミリリットル以上であるとしている。上記B型肝炎ウイルスのダブリングタイムを4日として、血中ウイルス量が10の8乗コピー/ミリリットル以上(2の27乗)に達する日数を計算すると108日(4×27日)となり、控訴人Eが4月22日にB型肝炎ウイルス無症候性キャリアの血中B型肝炎ウイルスの状態になっているためには、同日から108日遡る1月6日にはB型肝炎ウイルスに感染しなければならない。ただし、ダブリングタイムを1番短い2.2日とすると上記ウィルス量に達するのは59.4日(2.2×27)となり、控訴人Eの感染時期は2月24日ころとなる。しかし、無症候性キャリアのウイルス増殖率は、肝細胞が破壊されないために、穏やかであると考えるのが自然である。B型肝炎ウイルスが非周産母児感染を起こす血中量を100万コピー/ミリリットルと仮定したのは、特に根拠がある訳ではなく、何かを決めないと計算ができないために、家庭内感染のないC型の場合のウイルス量がたかだか100万コピー/ミリリットルであるため、この量を一般的な家庭内における感染を起こす可能性の量として仮定したものである。同証人としては、一応、上記文献等に基づき数字的に説明して見せたが、家庭内にB型肝炎ウイルス感染者がいたときに、子供にHBe抗原陽性の子がいて、それが発端者だというのが社会的通念になっている。母親が一過性で子がキャリアになったとき、どちらが感染源かを疫学的に証明するのはできないことであるが、状況的に見て子から母親に感染したとするほうが、より自然である。」というもので、同証言等によれば、急性B型肝炎に罹患したE2が控訴人Eの感染原因であることは極めて希であることになる。
しかし、同じく同証言によると、B型肝炎ウイルスの他への感染可能な血中量については医学上全く不明であり、ダブリングタイムを4日としたことの根拠(文献32の論文がダブリングタイムの採り方を明示しているか不明である。)及び最大ウイルス量に達する日数を127日としたことの根拠が明らかでないこと(ダブリングタイム、最大ウイルス量に達する日数の採り方によって、被控訴人が指摘するように多様な結果となる。)、さらに、控訴人Eが4月22日のHBe抗原が陽性を示していたからといって、同日のB型肝炎ウイルスDNA量が10の8乗コピー/ミリリットル以上に達していたとは断定できないこと、E2の急性肝炎が相当重症の部類に属するものであったことから、その感染可能期間がそれがゆえに短くなるであろうことは容易に想定することができるが、控訴人Eがツベルクリン反応検査を受けたのは生後3か月半であったから、B型肝炎の進行が遅いとする根拠もまた明らかでないなどの問題点がある。
したがって、上記各証拠だけからは、E2と控訴人EとのB型肝炎ウイルス感染の先後は明らかにならないところ、前記事案の概要で摘示した控訴人Eの同居家族のうち、父(E2の夫)及び兄(E2の子)には、B型肝炎ウイルスに感染した形跡自体が認められないことに照らすと、E2が控訴人Eに先行してB型肝炎ウイルスに感染し、その他の者への感染が可能な状態となった後に控訴人Eにだけ感染させたとするのは成人の感染から発症、治癒までの期間が比較的短いことを考慮してもなお不自然であり、他方、控訴人EがE2に先行して感染していてE2に感染させたとすることは、乳幼児が主として母親と密接に接触することと符合する。すなわち、上記Z7証言に基づく計算は、急性B型肝炎の潜伏期間が4週から24週であることに矛盾しないし、上記計算によりE2が感染したと推定される昭和58年11月27日ころ、あるいは、E2に風邪の症状があった昭和59年4月1日ころから上記潜伏期間により逆算した昭和59年3月1日から昭和58年10月1日ころに、本件証拠上、E2が急性B型肝炎に感染する原因となる医療行為、対人接触、その他の感染原因となる事実が控訴人Eからの経路を除いて存在したことを認めることはできない。そして、控訴人Eについて、本件証拠上、現実的に想定することのできるB型肝炎ウイルス罹患の原因は、本件ツベルクリン反応検査及びE2以外にはなく、二者択一の関係にあるところ、E2からの感染について上記の限りではあるが否定しうる根拠があること、E2について控訴人Eからの感染以外には他の原因がないこと、控訴人Eが乳児で授乳期にありE2との接触が大きくE2の他への感染時期は限られた期間であり他の家族には感染させていないのに対し控訴人Eがキャリアになったという明らかな事実から当時を逆に考えると、乳児期の母子との接触の中では、控訴人Eが先に罹患していてE2に感染させたものとする方が自然であり、控訴人Eは本件ツベルクリン反応検査によってB型肝炎に罹患したものと認めるのが相当である。
したがって、E2が控訴人Eを出産した後にB型肝炎に罹患し、その後に控訴人EのB型肝炎ウイルス感染が判明したことをもって、E2の感染事実が、控訴人Eのツベルクリン注射を受けたという事実(条件)と等位又はより優位なB型ウイルスの感染原因(条件)であるということはできない。
また、被控訴人は、控訴人Eと同一日に札幌市中央保健所でツベルクリン注射等を受けた者についての追跡調査の結果から、控訴人Eが受けたツベルクリン注射と同控訴人のB型肝炎ウイルス感染との間には因果関係が認められない旨主張するが、乙第60から乙第70の各号証によれば、被控訴人主張に係る調査は、その調査対象者が控訴人Eと同一日にツベルクリン検査を受けた者の一部にとどまるものであることが明らかであって、同調査結果のみをもって、控訴人Eと同一日にツベルクリン検査を受けた者の中にB型肝炎ウイルス感染者がいなかったとはいえず、したがって、控訴人Eが受けたツベルクリン注射による感染可能性を減殺し又は否定することはできない。すなわち、上記各証拠によれば、上記調査は、昭和58年8月27日にBCG接種を受けた者の問診票の綴りから作成された一覧表(平成2年12月7日作成。乙65)に基づいて、平成9年2月以降に行われたが、同問診票(控訴人Eの問診票(乙28)と同様のものと思われる。)は、ツベルクリン反応実施日の2日後にBCG接種をするため、ツベルクリン反応実施日入りのBCG接種問診票が配布され、被接種者が住所氏名等を記入して、BCG接種日に、ツベルクリン反応検査の判定を受け、陰性の者が医師の問診を受けた後、BCG接種を受けたこと、上記一覧表は、この昭和58年8月27日のBCG接種者とされる者の問診票に基づくものであること、そして、控訴人Eと同月25日にツベルクリン反応検査を受け、かつ、同月27日にツベルクリン反応検査判定で陰性となり、同日BCG接種を受けた者が上記一覧表の72名(同月25日以外の1名が登載された。)であり、そうだとすると、控訴人Eと同月25日にツベルクリン反応検査を受けたが同27日に陽性の判定を受けてBCG接種を受けなかった者があったとすると、上記72名は同月25日にツベルクリン反応検査を受けた全員ではないことになるけれども、かなり実際に近い数の人を特定し得たことになること、なお、当日のツベルクリン反応検査の順番は確定することができず(乙66の1)、また、1本の注射筒を連続使用したとされる控訴人Eを含む5、6人を特定することもできないこと、現実にB型肝炎ウイルス感染検査が行われ得たのは、検査に応諾した39名(上記1名を含む。)で、その余の者は、調査拒否(15名)、所在不明、北海道外居住というやむを得ない理由により、検査が行われず、検査を受けた39名すべてがすべての検査で陰性であったこと、拒否者のうち1名は「母親がB型肝炎キャリアであったが、出産時にワクチン投与を受けており、B型ウイルスには感染していない」と述べた(乙66Aの25)が、その真偽を確かめる調査結果はないことが認められる。
ところで、一般的には、被控訴人主張のとおり、控訴人Eが本件ツベルクリン反応検査によりB型肝炎ウイルスに感染したとすると、同一機会に連続接種を受けた者の中にB型肝炎キャリアあるいは他への感染可能者が存在したことについては同控訴人において立証責任があるというべきではあるけれども、上記のとおり、同控訴人について、二者択一の感染原因のうち、E2が消去され、本件ツベルクリン反応検査がその接種から相応の期間内にB型肝炎ウイルス感染が確認された同控訴人の感染原因と認めざるを得ない関係にある本件においては、同一機会にツベルクリン反応検査を受けた者の外枠がかなりの程度で確定されながら、双方の責めに帰すことのできない上記調査の及びえない空白な部分が残ったという上記検査の経緯、顛末は、本件ツベルクリン反応検査と控訴人EのB型肝炎ウイルス感染との相当因果関係の総合判断において、本件ツベルクリン反応検査が同控訴人のB型肝炎ウイルスの感染原因であると認定するについて、妨げとならない事実としてむしろ積極的に採用することができるというべきである。
6 以上認定の各事実及び検討の結果を総合すると、本件各集団予防接種と控訴人らの各B型肝炎ウイルスに感染した事実との間には不法行為の成立要件としての相当因果関係を認めるのが相当である。
第2被控訴人の予見可能性について
1 集団予防接種等の医療行為がB型肝炎ウイルスの水平感染の原因となり得ることは当事者間に争いがないところ、甲第8から第47、第50から第63、第148、第151、第156、第158、第160から第163、乙第14から21、第49、第71の各号証及び弁論の全趣旨によれば、次のとおりの事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
B型肝炎ウイルスそのものの発見は昭和45年(1970年)のことであるが、同一の注射器(注射針及び筒)を連続して使用する等により、非経口的に人の血清が人体内に入り込むと肝炎が引き起こされることがあること、しかも、それが人の血清内に存在するウイルスによるものであることは、既に1930年代後半から1940年代前半にかけて広く知られるようになっていたのであり、我が国の内外における主な著作・文献等は前記控訴人らの主張欄に摘示したとおりであり、その概要は、ヒトの血液が人体内に入り込むことによって臨床症状として黄疸を発症させ得ることが文献上初めて報告されたのは、1885年(明治18年)、ドイツのベルリン医学週刊誌に掲載されたリールマン(Dr.Lurman)の「黄疸の流行」と題する論文であり、次いで英国保健省は、1943年(昭和18年)に「血清肝炎」と題する論文を取りまとめ、医学雑誌「ランセット」に掲載し、血清肝炎の臨床症状は極めて重篤であり、明らかに肝炎により子供を含め、多数の死亡者が発生したとの症例を報告するとともに、血液製剤の注射と肝炎との間に因果関係が認められるとして、黄疸(肝炎)を発症させる人血液製剤の使用を回避すべく警告し、1944年(昭和19年)には、サラマン(M.H.Salaman)ら英国軍医団が、医学雑誌「ランセット」に掲載の「駆梅療法に起因する黄疸の防止」と題する論文において、サルバルサン注射の際、注射筒も針と同様に煮沸消毒し、一人一人取り替えることで黄疸が発症しないことを報告し、英国保健省は、1945年(昭和20年)、医学雑誌「ランセット」に掲載された論文の中で、「ワクチン等の注射後に起こる肝炎は保健省により血清肝炎と呼称されているが、それが血清中の発黄因子によるものであることは既に認められており」、その病因については、「注射器と針による感染の伝播という説が疫学的諸事実を一番よく説明できる」とした上で、「アルスフェナミン(駆梅剤)、金(慢性関節リュウマチに対する療法)などの治療に続発する肝炎は、注射器や針に付着して人から人へ移された微量の血液による血清肝炎と考えられる。発黄因子は消毒に抵抗性を有し、通常の方法では注射器内の微量の血液を除去できないことから、現在の注射方法は見直されるべきである。」とし、1946年(昭和21年)、ヒューズ(Robert.R.Hughes)は、英国医学雑誌(British Medical Journal)に掲載された論文において、注射針を一人ごとに取り替えても、注射筒は、静脈注射の場合だけではなく筋肉注射の場合でも汚染されること、すなわち、筋肉注射後の注射器内に赤血球が混入することが実験により証明されたとし、さらに種々の実験の結果、筋肉注射において血管内に針先が入っていないことを確かめるために内筒を1度引く際、又は引かなくても注射針を取り替える際、注射針内の血液が筒内に逆流してそれを汚染するので、連続使用は危険であると報告し、1950年(昭和25年)、エバンス(R.J.Evans)及びスプナー(E.T.Spooner)によって、ヒューズの同報告が実証された旨の論文が発表され、1948年(昭和23年)、カプス(R.B.Capps)らは、アメリカ医学雑誌「J.A.M.A.」において「注射筒による肝炎の流行」と題する論文を掲載し、そこにおいて、注射針を一人ごとに取り替えた上、同一注射筒で何人にも注射する方法で、破傷風トキソイドの注射を受けた男性多数に肝炎患者が出たこと及び予防接種において、注射針を取り替えても注射筒を連続使用した場合には、肝炎が感染することを報告し、1953年(昭和28年)、WHO肝炎専門委員会は、「肝炎に関する第一報告書」(Organisation Mondiale de la Sante Serie de Rapports Techniques COMITE D'
一方、我が国における血清肝炎についての医学的知見としては、昭和16年、弘好文及び田坂重元の「流行性黄疸ノ人体実験」(兒科雑誌第47巻第8号)と題する論文が、簡単な人体実験によって、流行性黄疸(肝炎)の原因が一種の濾過性病原体(ウイルス)ではないかと論じ、昭和17年には北岡正見の「流行性肝炎(黄疸)-殊にその流行病学と病原体について」(「医学の進歩」第1巻)が発表され、この中で、北岡は、流行性肝炎に関する当時の国内外の研究成果を詳細に記述し、流行性肝炎が一種の独立した伝染病であり、その病原体としては濾過性病毒、すなわちウイルスであることを推定し、流行性肝炎には、不全型ないし不顕性感染が多数存在すること、不顕性感染者から感染した例があることを指摘し、さらに、「黄疸の予防注射の後に本病の流行が起こったことがある。恐らくは予防ワクチン製造中に使用された健康人と思われる血清内に本病毒が存在していたためであろう。また、麻疹血清注射後にも同様な流行性肝炎が起こった。さらに、種痘後に本病の大流行が起こった例も記載されている。」とする外国文献の報告をし、第2次世界大戦後の昭和23年、名古屋大学教授坂本陽は、「流行性肝炎について」と題する論文(「診断と治療」第36巻第6号)において、諸外国の研究成果を広く引用し、肝炎の感染原因、臨床症状、治療方法等について報告し、この中で、肝炎の原因として、濾過性病原体(ウイルス)が最有力であるとし、予防法に関しては、「この肝炎は梅毒、糖尿病その他の治療に際して見られ、諸家の観察によれば、流行性肝炎の患者の採血に用いた注射器及び針が危険である。病毒は単なる滅菌法では死なない。英国医学研究会の報告によれば乾燥滅菌又は高圧滅菌によるのが最良で、煮沸のみでは死滅しない。」と記載し、また、臨床症状については、カプス(Capps)らの論文(J.A.M.A134,1947)を引用して、黄疸を伴わない肝炎が多いことがいよいよ明らかになったと報告し、昭和26年、和歌山医科大学教授楠井賢造は、「肝炎の問題を中心として」と題する論文(総説)(「治療」第33巻6号)において、国内外の肝炎に関する諸研究を詳細に検討し、流行性の黄疸について、「今日ではこの種の流行性黄疸は、一種のビールス感染によって原発性に肝臓実質が障害せられる一つの独立した伝染病であるとの結論に達した。」と報告し、楠井は、ウイルス肝炎を流行性肝炎、散発性肝炎及び血清肝炎の3つに分類し、血清肝炎について「輸血、乾燥貯蔵血漿の注射、各種の人血清による予防注射又は注射筒や注射針の不十分な消毒が原因となって黄疸が起こることもしばしば経験せられるようになった。」として、我が国での血清肝炎と思われる輸血後黄疸の臨床例を報告し、予防法として、「罹患していても気付かずにいるものが多い。感染力をもったビールスの保続期間もまだよく分かっていない。従って、肝炎の流行時には、その地方で、一見健康らしい人の血液を輸血したり、血液製品に供したりするのを避けるべきである。」旨の危険性を指摘するとともに、「患者の治療や採血に用いた注射器及び注射筒の消毒を特に厳重に行わなければならない。英国医学研究会の報告では、160度、1時間あるいは高圧滅菌法によるのが最も良いとされている。」との警告を発し、昭和28年の神戸医科大学助教授金子敏輔の「流行性肝炎」(「最新医学」第8巻第3号)では、肝炎に関する欧米の研究成果が報告され、「この肝炎のウイルスは普通の消毒法では死滅しないし、集団的静脈注射や血しょうの注射で伝播されるのが最も率が多く、0.01mgの汚染で伝播されるとバブコック(Babcock)は報じている。(略)サラマン(Salaman)(略)はロンドンの性病院で梅毒患者に集団治療中68パーセントの患者が黄疸に罹患した症例を記載し、他の病院では消毒法改善と個別的に注射器と針を替えることにより感染率50パーセントであったものを5パーセントに減少させたという報告をしている。」とし、さらに、血中ウイルスの非経口的媒介の予防として、「1 注射筒、注射針、試験管、ランセットの機械的洗浄」「2 適切な消毒」「3 血液採取あるいは検血には各個人ごとに消毒した注射筒、注射針等を用いること。連続的の注射を避ける。」とし、昭和29年の京都大学教授井上硬の「血清肝炎」(内科実函第1巻第3号)では、「1941(昭和16)年以降、英米学者により、血清肝炎が流行性肝炎とは違う独立したウイルス性肝炎であるという推断が下され」たこと、その防止対策として、「<1> 全液、血清あるいは血漿補給者に対する既往症及び現症に対する精密検査を行い、最近における肝炎罹患に疑診を下し得るものすべてを除くこと、<2>注射針及び筒、ランセット、使用試験管などの機械的洗浄と適正な消毒を行うこと、<3>血液採取、検血には各人ごとに消毒した器具を用い、連続的の使用を避けること」と指摘されたことがそれぞれ認められ、以上のような我が国における医学研究の状況からみるならば、遅くとも昭和26年当時には、我が国においても、血清肝炎が人間の血液内に存在するウイルスにより感染する病気であり、黄疸を発症しないキャリア(上記B型肝炎ウイルスの「持続感染者」ではなく、「保菌者」の意味である(原審における証人Z5)。)が存在すること、そして、注射の際に、注射針のみならず注射筒を連続使用した場合にもウイルス感染が生じる危険性があることについて、医学的知見が形成されていたと認めることができる。
2 上記医学的知見の進展経緯からすれば、被控訴人においては、遅くとも、控訴人らが最初に集団予防接種を受けた昭和26年当時には、予防接種の際、注射針及び注射筒を連続して使用するならば、被接種者間に血清肝炎ウイルスが感染する恐れがあることを当然に予見できたとするのが相当であるし、そもそも、被控訴人は、昭和30年に我が国内で肝炎が経口ないし輸血により感染し得ることを示唆する報告等がなされたことを踏まえ、厚生省防疫課編「防疫必携」において、被接種者一人ごとの注射針の煮沸ないし石炭酸水による消毒の周知徹底を図り、昭和33年の予防接種法実施規則の改正により、高度の公衆衛生環境の実現を図るべく、集団予防接種の際、注射針を一人ごとに交換すべきものとしたことを自認している(前記争点2項中の結果回避義務についての被控訴人の主張(2)ウの(イ)参照)。
3 以上の事実及び弁論の全趣旨によれば、第2次世界大戦前の時代であっても、我が国に近代医学が導入された後には、臨床医療の現場における医療用器具消毒の必要性及び方法については、少なくとも医師の資格を有する者の間では共通の理解と認識があったこと、その際の消毒の実行は、具体的に解明された病原菌のみを想定するものではなく、未解明の病原であっても、その感染を未然に防ぐ目的を持っていたこと、したがって、種々のウイルスの実体やその種類についての病理学及び疫学上の具体的解明前であっても、注射器やメスといった医療器具については、洗浄と煮沸による消毒が一般に励行され、危急時や病院施設外における治療の場合などを除いては、観血的治療用の器具を複数の患者に連続して使用すること自体が禁忌であったことは疑う余地がなく、消毒を経ない医療器具の連続使用が種々の感染症の感染原因となり得ることについて一般的な知見が既に存在し、確立されていたと認めるのが相当である。また、肝炎については、遅くとも昭和23年ころまでには、経口性の感染症のほか血液性の感染症があることが知られていたと認められるのであって、こうした事実に照らすと、B型肝炎についての具体的な研究や発見が公表された昭和45年ころ以前であっても、肝炎の病原であるウイルス(又は濾過性病原体)の存在が広く疑われていたのであるから、被控訴人には、予防接種において注射器の針を交換しない場合はもちろんのこと、針を交換しても肝炎の病原に感染させる可能性があったことを認識し、又は認識することが十分に可能であったとするのが相当である。
第3被控訴人の結果回避義務について
1 これまで認定の事実と原審における証人Z5の証言及び当審における証人Z7の証言並びに乙第58号証によると、B型肝炎ウイルスの感染を防止するためには、それに使用する注射針及び注射筒等の接種器具を流水で十分洗浄した後、乾熱、高圧蒸気又は煮沸により滅菌消毒するか、接種器具を被接種者ごとに取り替えることで足り、この方法は、我が国においても、古くから一般医療機関で通常に行われていた方法であることを認めることができる。
2 また、原審における証人Z4の証言及び甲第115号証によると、被控訴人(旧厚生省)は、昭和23年11月11日厚生省告示第95号により、種痘用器具の消毒について、痘しょう盤及び種痘針等は使用前煮沸消毒又は薬液消毒の後、清拭、冷却、乾燥させ、種痘針の消毒は必ず受痘者一人ごとにこれを行わなければならないこととし、ジフテリアその他の予防注射用器具の消毒について、注射器及び注射針等は使用前煮沸によって消毒することとし、やむを得ない場合でも先ず5%石炭酸水で消毒し、次いで0.5%石炭酸水又は滅菌水を通して洗ったものを使用しなければならないこととし、注射針の消毒は必ず被接種者一人ごとにこれを行わなければならないと定めていたことが認められ、さらに、当事者間に争いがない事実及び甲第84、第117号証によると、被控訴人が各種予防接種の方法について、告示、省令、通達のうち、昭和25年2月25日厚生省告示第39号「ツベルクリン反応検査心得及び結核予防接種心得」により、「注射針は、注射を受ける者一人ごとにアルコール綿で払しょくして・・・使用してもよい」としていた同24年10月24日厚生省告示第231号を改正して、「注射針は、注射を受ける者一人ごとに、乾熱又は温熱により消毒した針と取り替えなければならない。なお、注射器のツベルクリンが使用しつくされたときは、その注射器を消毒しないで新しくツベルクリンを吸引して使用してはならない。」として一人ごとに針の取り替えが明記されたことが認められる。
これらの事実から、当時の被控訴人(厚生省)の予防注射に対する認識、予防注射による病気罹患の予見およびその回避方法としての考え方を知ることができる。すなわち、昭和25年に、皮内注射であるツベルクリン反応検査においてすら、一人ごとの消毒済み注射針の取り替えを必要としていたもので、このことは、その後改正制定された昭和33年9月17日厚生省令第27号により予防接種法に基づく予防接種実施規則(甲118、乙1、4)が「注射針、接種針及び乱刺針は、被接種者ごとに取り替えなければならない。」と定めた趣旨、目的と同一のものを、昭和25年当時既に持っていたものと認めることができる。本件各予防接種当時、注射針は被接種者ごとに消毒(煮沸、乾熱、温熱)した針と取り替えなければならなかったというべきである。
3 なお、被控訴人は、我が国における伝染病予防を目的とした各予防接種の必要性やディスポザブル型の注射器・管針等が広く普及する以前の時代における経済性及び各時期における予防接種によるB型肝炎ウイルス感染の危険性に対する被控訴人の認識等を理由に、一人ごとの注射器の交換をする必要性はなかった旨主張するが、各予防接種の上記必要性や経済性だけからその接種方法の如何を問わない予防接種実施の合理性や相当性を導くことはできないし、そうした事情だけで控訴人らがB型肝炎に罹患したことを正当化するほどの補充性や緊急性を認めることはできない。また、被控訴人の集団予防接種の危険性に対する認識については、上記予見可能性についての判断において示したとおりであり、こうした被控訴人限りの不相当な予見や認識を理由として結果回避義務を免れることはできない。
4 したがって、被控訴人は、本件各集団予防接種において注射器の針を交換しない場合はもちろんのこと、針を交換しても肝炎の病原に感染させる可能性があったことを認識し、又は認識することが十分に可能で、かつ、本件各集団予防接種を実施するに当たっては、注射器(針及び筒)の一人ごとの交換又は徹底した消毒の励行等を各実施機関に指導してB型肝炎ウイルス感染を未然に防止すべき義務があったにもかかわらず、これを怠った過失が認められる。
5 さらに、被控訴人は、本件各集団予防接種が被控訴人の公権力の行使であったとの控訴人らの主張を争うが、本件各集団予防接種がいずれも控訴人らの主張に係る告示・省令・通達等に準拠して実施されたことは争っていないし、これまで認定の事実及び弁論の全趣旨に照らすと、本件各集団予防接種が被控訴人の伝染病予防行政(主として旧厚生省主管)の重要な施策として、被控訴人からの細部にまでわたる指導に基づいて、各自治体により実施されたことが明らかであり、本件各集団予防接種が強制接種であったか勧奨接種であったかにかかわらず、被控訴人の伝染病予防行政上の公権力の行使に該当すると認められる。
したがって、被控訴人は、本件各予防接種によって発生した損害について、国家賠償法1条に基づく賠償責任を負うと解するのが相当である。
第4控訴人らの各損害について
これまで認定の事実と甲A第3、第7、第8、甲B第3、第6、第7、甲C第3、第6、第7、甲D第3、第6、第7、甲E第3、第8の各号証、当審における控訴人E本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、B型肝炎ウイルスの持続感染者(キャリア)あるいはB型肝炎患者にとって、持続感染者あるいは肝炎患者であるということは、そのこと自体が生存に対する深刻な脅威となり、一生涯解放されることのない不安と苦悩を持ち続けることを意味するとの控訴人らの主張は十分に肯認できるし、各控訴人個別の事情については、いずれもこれを認めることができ、当裁判所も、本件において、包括かつ一律の損害賠償請求をすることを相当と認めるものであるところ、本件に顕れた事情を総合すると、控訴人ら各自及びDに対する慰謝料としては、これを500万円とするのが相当である(なお、弁護士費用については後述する。)。
第5民法724条後段の適用について
1 当裁判所は、民法724条後段について、これを期間20年の除斥期間の定めであると解する(最高裁判所平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2209頁、同平成10年6月12日第二小法廷判決・民集52巻4号1087頁)。したがって、民法724条後段を適用するに当たっては、当事者の主張又は援用を要しないから、被控訴人による主張又は援用を前提とする控訴人ら(控訴人Eを除く。)の主張部分は理由がない。
2 次に、控訴人Eを除く各控訴人及びDについての各除斥期間の始期について判断すると、本件全証拠によっても、同控訴人らが受けた本件各集団予防接種のうちから、B型肝炎ウイルスに感染した接種行為及び接種時期を個別に特定することはできないところ、本件のようにいずれも乳幼児期に接種され、かつ、その最初から最後までのいずれについても感染の可能性が肯定され得る場合には、その最後の時期を除斥期間の始期とするのが相当である。すなわち、不法行為における損害賠償の制度は損害の填補及び公平な分担を図る制度であるから、紛争関係が長期間不安定となるのを防止する除斥期間の始期についての解釈、適用においても、請求者(被害者)に不能の証明を強いるのは相当でなく、本件のように一定の感染可能期間が想定され、その間における加害行為たり得る各予防接種がいずれも被控訴人が主導する伝染病予防行政上の一群のものとして捉えることができ、その一群の加害行為の一部と損害発生との間の個別特定の因果関係の証明が困難で、かつ、そうした困難性について被害者である上記控訴人らの責めに帰するべき事由が見当たらない場合においては、その最終期をもって除斥期間の始期と解しても、除斥期間の制度趣旨が損なわれることはないし、損害の公平な分担という不法行為制度の理念に反しないと解する。
3 そこで、各控訴人及びDの最終予防接種時期を見るに、前記事案の概要に摘示したとおり、控訴人Aに対する最後の予防接種は昭和46年2月5日、控訴人Bに対する最後の予防接種は昭和33年3月12日、控訴人Cに対する最後の予防接種は昭和42年10月26日で、Dに対する最後の予防接種は昭和45年2月4日であるから、控訴人B及び控訴人Cの本件各損害賠償請求権は、民法724条後段の除斥期間を経過し、いずれも消滅したといわざるを得ない。
4 なお、控訴人Eを除く控訴人らは、除斥期間の始期について、損害の発生、拡大時期とすべきこと等を主張するが、除斥期間の始期について損害の発生・拡大等を要件とすることは、除斥期間の本来の機能を損なうものであって相当ではないし、他に本件において除斥期間の適用を排除すべき特別の事情を認めるに足りる証拠はないから、上記控訴人らの主張は、いずれも採用しない。
第6まとめ
1 以上の次第であるから、控訴人らの本件各請求のうち、控訴人A、D及び控訴人Eの各請求部分は、いずれも500万円の限度で理由があるが、同控訴人らのその余の請求部分及び控訴人B及び控訴人Cの本件各請求はいずれも理由がない(控訴人B及び控訴人Cの主張のうち、因果関係についての補充的主張部分については、前述のとおり既に本体的主張に基づく相当因果関係を認める旨の判断をしたので、同補充的主張部分についての判断はしない。)。
2 そして、上記認容額に対応する弁護士費用として、それぞれ50万円を相当因果関係の範囲内の損害と認めるのが相当である。なお、控訴人らの主張に係る弁護士費用は、本件各請求の認容額を基準として将来において支払われるべきものとする合意によるものであるから、これについて判決確定以前に遡って遅延損害金を付すこと及び仮執行の宣言を付すのは相当でない。
3 したがって、被控訴人は、国家賠償法1条に基づき、控訴人A及び控訴人Eに対し、各損害金550万円及びうち500万円に対する不法行為後の平成元年7月12日から支払済みまで、うち50万円に対する本判決確定の日の翌日から支払済みまで、民法所定の年5分の割合による遅延損害金をそれぞれ支払う義務があり、また、Dの損害については、同人の訴訟承継人らがいずれもDの相続人(配偶者及び子)として各法定相続分に従って相続したことについて当事者間に争いがないから、被控訴人は、Dの訴訟承継人D4に対しては275万円及びうち250万円に対する平成元年7月12日から支払済みまで、うち25万円に対する本判決確定の日の翌日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金を、同D5及び同D6に対しては、それぞれ137万5000円及び各うち125万円に対する平成元年7月12日から支払済みまで、うち12万5000円に対する本判決確定の日の翌日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金をそれぞれ支払う義務がある。
4 なお、上記請求認容部分の仮執行については、被控訴人の申立てに基づき、被控訴人が各控訴人及び訴訟承継人について認容された部分のうち弁護士費用相当額を除く部分に相当する金額の担保をそれぞれ供するときは、各仮執行を免れることができることとするのが相当である。
結論
よって、原判決の一部を変更し、本件各控訴のうち一部を棄却することとし、なお、民訴法259条1項、3項を適用して各請求認容部分(弁護士費用部分を除く。)について仮執行宣言を付した上で、被控訴人の申立てに基づき、被控訴人が担保を供するときは各仮執行を免れることとし、訴訟費用の負担につき民訴法67条、65条1項、64条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 山崎健二 裁判官 橋本昇二 裁判官 森邦明)