札幌高等裁判所 平成13年(う)119号 判決 2002年3月19日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、検察官幕田英雄作成の控訴趣意書に、これに対する答弁は、主任弁護人笹森学及び弁護人三木明連名作成の答弁書及び答弁書の訂正報告書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。
本件控訴の趣意は、要するに、原判決は、本件殺人罪の公訴事実につき、被告人が重大な犯罪によりAを死亡させた疑いが強いとしながら、Aの死因が不明で同人を死亡させることになった実行行為が特定できない以上、被告人がAを呼び出した目的が同人殺害に結びつく蓋然性が高いことや被告人にA殺害の明確な動機が認められることが必要であるとし、このような点が立証されていない本件においては、被告人が殺意をもってAを死亡させたと認定するには、なお合理的な疑いが残るとして被告人に無罪を言い渡したが、本件では、<1>情況証拠により、Aを呼び出した目的が身代金要求というAの殺害に結びつく蓋然性の高いものであることやその目的のもとにA殺害の明確な動機が存したことが十分立証されている上、<2>これらの点を除いても、被告人の殺意を認定するに足りる数多くの情況証拠が存在するのであるから、被告人が故意にAを殺害したことは明らかであり、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。
そこで、以下、原審記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をも合わせて検討する。
第1本件経過の概要
1 A(昭和a年b月c日生、当時9歳で小学4年生)は、昭和59年1月10日当時、札幌市d区e条f丁目g番h号に所在する鉄筋コンクリート造り2階建ての住宅に父B1、母B2、姉B3(当時13歳で中学1年生)及び兄B4(当時12歳で小学6年生)と共に居住していたところ、同日午前9時35分ころA方に電話があり、Aは居間東側のサイドボード上の受話器を取り電話をかけてきた相手方と応対したが、その電話ののちに急いで外出し、南方にあるCマンション方向に通じる道をまっすぐに走っていった。
2 B2らは、Aの言動に不審なものを感じ、B4がB2の指示を受けてそのあとを追いかけたが、上記の道の途中でAを見失ってしまい、その後、B2やB4らが、Aが見えなくなった場所の周辺を探し回るなどしたもののAを発見するには至らなかった。
3 B2はその日の午前中に自宅近くの札幌方面d警察署i交番に電話をかけAが行方不明になったことを告げ、その後もAが帰宅しなかったことから、その日の午後には同交番を訪れAの捜索を依頼した。同交番の警察官らはAが見えなくなった周辺の聞き込みを行ったが、付近のアパートDの2階1号室に居住する被告人からAがその日の朝被告人の居室を訪ねたことがあるとの情報を得たものの、結局、Aの行方を明らかにすることはできなかった。
4 札幌方面d警察署では、誘拐事件の可能性があると判断し、その後10日間ほどA方に捜査員を泊まり込ませ犯人からの接触を待ったが、犯人と思われる者からの脅迫電話や身代金を要求する電話等は一切かかってこず、他方、行方不明となった翌日の同月11日から、聞き込み捜査、地取り捜査、周辺の検索、A及び家族の出入り関係の捜査、定時通行者の捜査、ハイヤーやバスなどの交通機関の捜査等を展開し、Aが行方不明になってから3、4日後には公開捜査に踏み切ったが、有力な情報を得ることはできなかった。その後もAの消息はようとして知れなかった。
5 ところが、昭和63年6月19日、北海道j郡k町字l番地mの被告人の嫁ぎ先であったE方敷地内の南側納屋の中において偶然にビニール袋に入った骨様のものが発見され、その後通報により臨場した札幌方面n警察署の警察官によってその他にも周辺に骨片様の物多数が発見され、その後、これが人骨であり、Aのものではないかとする証拠が収集されていった。
6 被告人は、その居住するE方南側納屋からAのものと思われる人骨が発見されたことなどからAの失踪、死亡につき深く関与しているのではないかとの捜査当局の嫌疑を受け、昭和63年8月4日札幌方面o警察署に赴き、ポリグラフ検査を受けたほか、任意の取調べにも応じた。その後、同月5日、少し間隔を置いて10日にも取調べに応じたが、その際、担当の取調官からA失踪との関わりを聴かれ、それに関与していることをほのめかすような供述をしたものの、その後は取調べを一切拒否するようになり、結局事件との関わりを明らかにすることはなかった。しかし、その後も北海道警察では、前記人骨の身元を明らかにするための捜査が続けられた。
7被告人は、平成10年11月15日に至ってAに対する殺人の被疑事実により逮捕され、引き続き勾留されて、同年12月7日、以下のような公訴事実のもとに起訴された。
「被告人は、昭和59年1月10日、札幌市d区p条q丁目r番s号所在のD2階1号室の当時の被告人方において、A(当時9年)に対し、殺意をもって、不詳の方法により、同人を殺害したものである。」
第2原判決の概要
原判決は、被告人を無罪としたが、その判断の概要は、以下のとおりである。
1 E方敷地内の南側納屋等において発見された人骨片はAのものと認定することができる。
2 上記人骨片がAのものであること、Aが電話で呼び出された直後にDの当時の被告人方を訪れていること、被告人がAの最終接触者であること、その後被告人が段ボール箱を搬出しそれを移動した状況、それをE方へ持ち込んだ状況、Aの遺体の焼損状況等に照らせば、被告人がDの被告人方から搬出した段ボール箱にはAの死体が入れられていたものと推認できる。そして、第三者がこれらの被告人の行為ないしAの死亡に関与したことをうかがわせる状況はないから、Aを電話で呼び出した者は被告人であると認定できる。
3 被告人がAを電話で呼び出したこと、昭和59年1月10日の当日被告人方から段ボール箱を運び出すまでの間Aと警察官以外に被告人方に立ち入った者がいるとは思われないこと、被告人がE方に転居するまでAの死体を手元に置き続け、それをE方敷地内で焼損していること、更に、Aが被告人方にいたと考えられる時間帯に被告人において救急車の手配をしたような状況が一切うかがわれないことに照らしAが病死、事故死等により死亡したとは考え難いこと、以上の諸点を総合すると、被告人が当日電話でAを呼び出し、Aが被告人方に赴いたと考えられる同日午前9時40分すぎころから被告人が被告人方から段ボール箱を運び出した夕刻までの間に、被告人が、被告人方において、その手段や方法は特定できないものの、Aの死につながる行為に及んだと認定することができる。すなわち、Aの死亡は被告人の何らかの行為によって引き起こされたものということができる。
4 しかしながら、被告人の自白も目撃供述もなく、死体も焼損されているためAの死因を特定することができず、その犯行態様を確定することができないのであって、被告人がAの死亡につながる行為に及び、Aを死亡させていると認められるとしても、このことから直ちに、被告人が殺意をもってAを死亡させたとの結論を導き出すことはできない。被告人に殺意があったとするには、被告人がAを呼び出した目的がA殺害に結び付く蓋然性が高いことや被告人にA殺害の明確な動機が認められることが必要である。
5被告人の経済状態がAの誘拐を決意させるほど困窮していたり、負債の返済に迫られて深刻な事態に立ち至っていたとは認められず、また、被告人がAを誘拐すれば身代金を確実に取得できるといえる程度にまでA方に関する情報を持っていたとまでは認められない。更に、被告人がAと顔見知りではなかったかということをうかがわせる事情もあることを考慮すると、被告人が身代金目的でAを呼び出したと認定することはできない。また、Aを殺害する明確な動機も認めることができない。
6 本件においては、被告人が何らかの行為によってAを死亡させたこと、その後においても、長期間にわたりAの死体を保管したり、焼損した骨を隠し置いていたこと、昭和63年当時の任意取調べにおいて本件との関わりをほのめかす言動をしていたことが認められ、このような事情からすれば、状況的に見て、被告人が重大な犯罪によりAを死亡させた疑いが強いということができるが、その反面、Aの死因が特定できない上、Aを死亡させる原因となった実行行為も認定できないこと、被告人が電話でAを呼び出した目的の解明が困難であり、それが身代金目的であったとはいえないこと、被告人にA殺害の明確な動機が認められないこと等に照らすと、被告人が、殺意をもってAを死亡させたと認定するには、なお合理的な疑いが残る。
以上のとおりである。
第3原判決が被告人は重大な犯罪によりAを死亡させた疑いが強いとしたことについて
原判決が、被告人が重大な犯罪によりAを死亡させた疑いが強いということができるとしたことは正当として肯認することができる。この点につき、補足して説明する。
1 原判決は前記第2の1ないし3のとおりの事実を認定し、その認定した事実によって、被告人が昭和59年1月10日の本件当日電話でAを呼び出し、Aが被告人方に赴いたと考えられる同日午前9時40分すぎころから被告人が被告人方から段ボール箱を運び出した夕刻までの間に、被告人が、Dの被告人方において、その手段や方法は特定できないものの、Aの死につながる行為に及んだと認定できる、すなわち、Aの死亡は被告人の何らかの行為によって引き起こされたものであるとしたのであるが、以上の認定と判断はまことに正当である。
そして、原判決は、更に被告人は重大な犯罪によりAを死亡させた疑いが強いとしているが、その点についても正当として肯認することができる。すなわち、被告人が、昭和59年1月10日のAの失踪当日、Dの被告人方を訪ねてきた警察官らに対し、Aの死に関わっていながらAのその後の消息は知らないなどと明らかに虚偽と判断される事実を述べたり、わざわざ、Aの死体を段ボール箱に入れ、それをその日のうちにDの被告人方から運び出し、その後転居を重ねながらもそれを手元に置き続けたのは、Aの死亡の事実を何としてでも隠しておきたいという被告人の強い意思を示すものであり、被告人がそこまでしてその事実を隠しておきたかったのは、被告人が重大な犯罪によってAを死亡させ、それが発覚すれば厳しい社会的非難や刑事責任を負わなければならないと考えたからにほかならないように思われるのである。
そのほか、被告人は、前記のように昭和63年8月4日から札幌方面o警察署に任意に出頭して本件につき取調べを受けたが、その際、Aの骨と思われる人骨が被告人の居住していたところから発見された理由等について質問を受け、結局事実を明らかにするまでには至らなかったものの、捜査官のFから、心を開いて説明してほしいと言われたのに対して、「心を開く気持ちはある。だけど、今すぐは開けない。時期が来たら開けると思う。」などと答え、また、「気持ちの整理をする時間がほしい。」といい、「整理がついたらこの事件は解決するのか。」と尋ねられて、「私が話したら解決します。」などと答えている。更に、被告人の自殺を捜査官が危惧していることを察知し、その心配はないと言ったり、その後、同月10日の取調べにおいて、「夕べ死のうとした。包丁で刺したら痛いし、なかなか死ねないものだね。」などと自殺を試みたができなかったことを打ち明けたりもしている。このとき被告人が実際に自殺を図ったのかどうかは不明としかいいようがないが、このような被告人の言動はどうみても被告人がAの失踪に関係し自殺に値するような何かをしたということを前提としているように思われる。そのほかにも、被告人は、「子供を抱いているときはマリア様になれるんだね。私の人生にあまりにも大きな犠牲を払った。私やり直せるんだろうか。」「私どうして狂っちゃったんだろうね。」などという自分の過去を悔いるような供述を断片的に行っているのである。以上のような被告人の言動(心情の吐露)は、単に被告人がAの失踪に関与していることを示すだけでなく、それなりに一定の方向を示しているように解される。それは、被告人自身がAの失踪に関して何か取り返しのつかない重大なことをしてしまったという認識を間違いなく懐いていたということである。
更に、被告人がE方の仏壇に水、御飯、花、果物、野菜、生魚等を供えたり、仏壇の前で手を合わせたりしていることが認められる。これは、特別に宗教心が篤かったとも思われない被告人の行動としては、注目すべきもののように思われるのであり、Aを供養する意図に出たものではないかと推察される。この事実も、Aに対して何か取り返しのつかない重大なことをしてしまったとの被告人の思い(心情)を示すもののように思われる。
以上の次第であって、原判決が被告人は重大な犯罪によりAを死亡させた疑いが強いと判断したことも正当というべきである。
2 弁護人は、答弁書において、被告人がAの失踪・死亡に関与したこと自体を全面的に否定し、これを認めた原判決を論難する。しかし、原判決が説示するところは正当であり、その主張は全く理由がない。被告人が嫁いでいったkの居住先から発見された人骨片がAの骨であることは証拠上明らかといってよく、被告人がAの失踪に全く関与していないのに、Aが行方不明になったその当日にAが被告人方を訪ねそのころからAの消息が不明になるとか、その後4年以上の歳月を経て被告人が嫁いでいったkの居住先からAの骨が発見されるというような偶然が重なって生じるとは考え難い。
なお、弁護人は、Aが姿を消したそのころに付近の空き地でミニスキーをして遊んでいたG及びHの目撃供述を信用性の高いものとし、同人らの供述によれば、AはI方前を通過してCマンションの方向にあるT字路に向かったことが認められるのであり、この事実に照らせば、被告人がAを被告人宅に引き入れたことはないことになるから、被告人がAの最終接触者であるなどとした原判決の認定には誤認があると主張する。
すなわち、AがGら両名によって目撃されたのは、最初にA方を飛び出しB4に追われるようにしていたときのことではなく、Dの被告人方を訪ねその後道路上に戻ってからのことと考えられるところ、AはそのようなところをGら両名によって目撃されその後Cマンションの方向に歩いて行きそこから行方不明になったと認められるから、被告人がAを被告人宅に引き入れたはずはなく、被告人がAの最終の接触者ということにはならないというのである。
検討するのに、被告人は、Aの失踪当日に被告人方を訪れた警察官Jや同Kに対し、Aが被告人方を訪れた旨を明言しているのであり、Aが電話で呼び出された直後ころに被告人方を訪れたことは間違いのない事実と認められる。ところで、当時Aと同じt小学校の1級下の3年生であったGは、警察官調書(原審甲193、以下単に甲○○という。)において、「1月10日午前8時ころから、いつものように家の横の空き地(道路を挟んでDやI方と反対側に位置する。)で、5年生のHと2人でミニスキーをして遊んでいたところ、AがI方の門の所で僕たちの方を見てぼーっとして立っているのを見た。Aはそのまま何も言わずにL方の方(道路の南方向、T字路の方向になる。)に歩いていったが、それからどちらの方に行ったのか後は見ていない。Aは長めの紺色のジャンパーに帽子は被っておらず、ゴム長靴を履いていたと思う。Aが歩いていって2、3分くらいしてからAの兄がI方の門のあたりに立ってうろちょろしていた。そこへおばさん(B2)が来てI方に入っていった。その後おばさんはI方から出てきて僕たちに、Aがどっちへ行ったか知らないかと聞いたので、HがCマンションの方を指さして「あっちの方に行った。」と言うとAの兄がそちらの方へ行き、おばさんは自分の家の方に歩いていった。それからおばさんとAの姉の2人が歩いてCマンションの方に行き、その後、Aの兄と父親が車に乗って走っていた。」旨供述し、また、当時t小学校の5年生であったHも、警察官調書(甲196)において、「1月10日午前8時ころから、Gと2人で空き地で遊んでいると、Aが1人でI方の門の前辺りを僕たちの方を見ながら歩いていった。Aは何も言わずCマンションの方に行ったが、どっちの方に曲がったかは見ていなかった。Aの服装は、紺の帽子のついたアノラックで帽子は被らず、ゴム長靴を履いていたと思う。Aが通り過ぎて2、3分くらいしてからAの兄が1人でI方の門の辺りに立っており、少ししてからAの母が来た。そして2人はI方に入っていった。そして、出てきて、僕たちに、Aがどっちへ行ったか知らないかと言ったので、Cマンションの方を指さし、「あっちの方に行ったよ。」と言った。」旨供述している。弁護人は、この両名の供述を信用性の高いものとするのである。
確かに、捜査関係者において、Aが行方不明となった翌日の1月11日までには、Gら両名が同月10日午前にAの姿を目撃しAがT字路方向に立ち去ったとの供述をしているとの情報を把握していたことがうかがわれ(甲192)、また、B2も、昭和63年7月25日付け警察官調書(甲151)において、I方を訪ねた時間との前後関係は不明であるものの、ミニスキーで遊んでいる子供にAのことを尋ねたところ、「上の方に行ったよ。」というのでB4と一緒にその子供の示したT字路の方に向かったと述べていることに照らしても、Gら両名が、その当時からAがT字路の方向に行ったとの認識を持っていたことは明らかなように思われる。
そして、最初B4がAを追跡してきたときは、両名の間隔は60メートル程度のものであった上、AもB4も歩いていたのではなくいわゆる小走りの状態であったこと、また、B4の目撃状況によれば、AはI方付近で左に曲がって姿を消したというのでありこのときにAがD付近を通り過ぎてCマンションの方に行ったことはなかったと考えられることなどからすると、Gら両名がAを目撃し、その次にB4を認めたとしているのは、最初にB4がAを追いかけるようにしてI方前付近に至ったときのことではなく、その後のことであり、B4についていえば、眼鏡やコートを取りに一旦家に戻り再びI方付近に戻って来たときのことと思われる。
そうすると、Gら両名の供述を前提とする限り、最初B4に追われるようにしてやってきたAはまずDの被告人方を訪れ、しばらく経って道路上に戻り、そのころその姿をGらに目撃されてそのままT字路の方に向かったという可能性も全くないとはいい切れないように思われる。
この点について、原判決は、G(甲194)及びH(甲197)の検察官調書によれば、両名とも遊びに夢中でD付近を注視していたわけではないこと、両名はAと同じ小学校に通っていたもののAとは学年が異なり、親しく付き合っていたわけではないこと、当時B4は眼鏡を掛けており、GもHもB4を眼鏡を掛けた顔で記憶していたこと、Gは、平成10年に検察官から眼鏡を掛けていないB4の写真とAの写真を見せられて同じ人物のように見える旨供述し(甲194)、Hも、同じく平成10年に検察官からB4の写っている写真を見せられてAと間違え、B4とAがよく似ていると感じた旨供述していること(甲197)等の事実を挙げて、右両名が眼鏡を掛けていないB4をAと見間違えたこと(すなわち、T字路の方に行ったのはB4であること)も十分に考えられると判示している。
もとより、そのように見間違えた可能性も全くあり得ないとはいえないけれども、両名とも最初に見たAと次に見たB4とを明確に区別して供述しているのであり、同じ場所で見ていた両名がそろってAとB4とを見間違えたということはやはり考えにくい。Hは、検察官調書(甲197)において、前記のとおり述べながらも、あくまでも見間違えた可能性はない旨供述していることにも注目すべきである。原判決の説明は直ちに受け入れることができない。
しかしながら、Gら両名がAを目撃したのが、弁護人がいうようにAがDの被告人方を訪れたのちのこととは必ずしもいえないように思われる。すなわち、後記のように、Aはその行く先を家族の誰にも知られたくない様子であり兄B4の追跡をも振り切ろうとしていた状況が認められるのであって、そのような状況からは、Aが直接その行き先である被告人方には向かわないで一旦追いかけてきているB4から姿を隠し(場所的には、I方敷地内に身を潜めたことが考えられる。)、その後、B4がA方に引き返したのを見てDに行こうとしたところ、Gらにその姿を目撃されてしまい、同人らにも被告人方に入るところを見られたくないと考えて、一旦Cマンションの方向に進み、Gらが遊びに夢中になっている様子を見てとって返しDの階段を上って被告人方を訪れたということも十分に考えられるのである。そして、弁護人が答弁書において指摘するようにB4が一旦A方に戻り、そこで眼鏡をかけ、コートを着用するなど服装を整えるにはそれなりの時間が必要であり、B4やB2などの目がD方向から離れている時間もある程度は存したものと思われるのであるが、Aが前記のような行動をとったとすればまさにそのときではなかったかと思われる。もとより、これは推測の域を出るものではないけれども、関係証拠を総合するとき、このように解するのが無理のない判断のように思われる。
弁護人の前記の主張は、被告人の供述に沿って、Aが被告人方を訪れたのちそこに留まっていたわけではなくすぐに道路上に戻っていったということを強調するものであるが、そもそも、その後被告人の嫁いでいった居住先からAの骨が発見されたことやAが失踪したその当日の夕刻に被告人がAの死体を段ボール箱に入れDから持ち出したということが動かし難い事実として認められるのであって、Aが被告人方を訪れたのちに再び道路上に戻っていったとか、T字路方向に歩いていきそこから行方不明になったなどとは考えられないのであって、これらの事実に照らしても、やはり上記のようにAは一旦Cマンションの方向に歩いていったけれどもその後引き返してDの被告人方を訪れたと解するのが相当と思われる。被告人がAを直接被告人方室内に引き入れたかどうかその具体的態様は全く不明としかいいようがないが、Aは間違いなく被告人方を訪れそこから消息が不明になったと認められるのであり、やはり原判決がいうとおり被告人はAの最終接触者であると判断するのが相当である。弁護人の主張は採用することができない。
第4原判決が被告人の殺意を認定できないとしたことについて
原判決が、被告人が殺意をもってAを死亡させたと認定するにはなお合理的な疑いが残るとしたことについても正当として肯認することができる。以下、その点について補足して説明する。
1 被告人は身代金目的でAを誘拐したといえるか
原判決は、被告人の殺意に関して、被告人の経済状態がAの誘拐を決意させるほど困窮したり負債の返済に迫られて深刻な事態に立ち至っていたとは認められないし、被告人がAを誘拐すれば身代金を確実に取得できるといえる程度にまでA方に関する情報を持っていたとも認められない、また、他方において、被告人がAと顔見知りではなかったかということをうかがわせる事情もあるとして、検察官の主張を排斥し被告人が身代金目的でAを呼び出したものとは認定できないとしたのである。
しかし、原判決が、被告人がAと顔見知りではなかったかということをうかがわせる事情もあるとした点はともかく、被告人の経済状態がAの誘拐を決意させるほどに困窮したり、負債の返済に迫られて深刻な状況にあったとはうかがわれないとし、また、被告人がAを誘拐すれば身代金を確実に取得できるといえる程度にまでA方に関する情報を持っていたとまでは認められないなどとして、そのような判断を基にして身代金目的でAを呼び出した可能性を否定していることは首肯し難いように思われる。
すなわち、関係証拠によれば、当時の被告人は経済的に極めて逼迫した状況にあったと認められ、その点では、身代金目的でAを呼び出す動機となるものはむしろ十分にあったように判断される。この点は所論のいうところは正当ということができる。被告人は、かつて東京上野のキャバレーのホステスをしていた時の客であるMから借金を繰り返し、残額495万円の支払いをしないままに札幌に来たが、その借金の経緯や返済を遅滞したことについては不誠実なところが見られ、昭和58年8月27日から同年12月1日にかけて3回ほど内容証明郵便による督促を受けていた。中でも、同年12月1日の督促の内容は、訴訟を提起する可能性を明記し郵便到着後2週間以内に支払うよう催告した厳しい内容のものであった。被告人は、この督促を受けて、同月14日、495万円全額を同月26日までに返済することを約束した。しかし、その約束は履行されず、昭和59年1月10日の段階において、被告人はその返済をしなければならない状況に追い込まれていた。この点につき、原判決は、被告人とMとの従前からの関係やMが被告人に対し特別に強い態度で返済を請求したことはない旨供述していることなどを挙げて、被告人は強く支払いを迫られている状況にはなかったとしているが、Mの請求の態度は前記のとおりであり、しかも被告人は昭和58年12月1日の内容証明郵便に対して前記のとおり支払う旨を約束しているのであって、これを無視できるような状況には決してなかったのである。原判決は、Mの警察官調書に依拠して、Mが特別に強い態度で返済を請求したことはなかったとしているが、Mのこの供述は、E方の母屋が火災になりEが焼死した直後(昭和63年1月9日、同月10日)のものであって、被告人との関わりを避けたい心境の下でなされていると考えられるのであって、そのような供述を言葉どおりに受け取ることは相当とは思われない。
また、昭和58年12月10日以降は出勤していない札幌のクラブ「N」にも、返済しなければならない借金があり、その総額は42万9442円であった。その借金については、同月20日に店の担当者にDに押し掛けられ、昭和59年1月10日までに返済する旨約束させられていた。その借金については義兄のOが保証人となっていたから被告人が姉夫婦に対して迷惑をかけたり返済を滞っているのを知られることを恐れたであろうし、それと同時に、このクラブ「N」の借金を踏み倒してしまうと今後水商売の業界で働く上で大きな痛手となることも予想されたであろうから、とりわけこの借金の返済には苦慮していたものと推察される。
そのほか、被告人には、P1東京本社(49万4173円と4万0982円)、同池袋支店(約28万円)、株式会社P2(47万0919円)、P3(105万1600円)、P4(約50万円)、P5(3万3000円)、同僚ホステスQ(5万円)等々からの負債があり、負債総額は、830万円余り、支払期限が来ているものだけでも650万円余りに上っていた。そして、そのうち、P1東京本社分については、昭和58年12月9日に、同月13日までに支払いがない場合には訴訟の提起をする旨の訴訟通告書を送付され、さらにその後も催告書や督促状を送付され、P4のものについては、被告人が知人の名前で借りたものであるため、昭和59年1月10日の直前ころその知人から支払いをするように電話や手紙で催促されていたのである。
以上のとおりであり、被告人が当時多額の負債を抱え込み、その一方で、当時1歳7か月の幼い子供を抱えて十分に働くこともできなかったのであり、被告人が本件当時経済的に極めて逼迫していたことは明らかである(当時の被告人に、金を出してくれるスポンサーが存在したかどうかについては、Rなる人物が見え隠れするのであるが、「N」からの請求に対しては、Rが明確にこれを断っていることが認められ(甲143)、被告人が同人をあてにすることができる状態にあったとは認められない。現に、被告人は本件の1週間後には生活保護の申請をして保護費を受給しているのである。)。
一方、A方は相当の資産家であったことが認められる。すなわち、Aの父B1は当時株式会社S1及び株式会社S2の代表取締役を務め、T元代議士の秘書を務めるなどし、A方は高額の時価を有する土地建物をB1名義、B2名義あるいはB1の経営する会社名義で有しており(B1ら家族が居住していた当時の土地は約120坪、建物は約50坪2階建て鉄筋コンクリート造り)、銀行等には5000万円ないし6000万円の預金があり、ポルシェクーペ、BMW、クラシックカーのモーガンなど3台の高級車を所有していた。そして、A方が裕福であることは、その居住建物の外観、所有車両等から一目瞭然の状況にあった。被告人がその詳細について知り得たかどうかはともかく、A方が資産家であることは十分知り得たはずである。
このように見てくると、原判決が、被告人の経済状態がAの誘拐を決意させるほど困窮したり、負債の返済に迫られて深刻な状況にあったとはうかがわれないし、被告人がAを誘拐すれば身代金を確実に取得できるといえる程度にまでA方に関する情報を持っていたとまでは認められないとし、そのような判断を基にして身代金目的でAを呼び出したとする検察官の主張を排斥したのはどうみても相当とは思われない。
被告人は、上記のように極めて厳しい経済状況に追い込まれていたのであるが、この昭和59年1月10日というのは「N」に借金の支払を約束していた日であり、この日までにその借金を支払わなければ、前記のように姉夫婦に迷惑が及んだり将来の稼働に不安が生じるかもしれないという窮地に追い込まれるまさにその当日に当たっていたのである。そして、その日に被告人は資産家の子供であるAを呼び出しその日のうちに死亡させているのである。これらのことが単なる偶然であったとは考えにくいのであり、本件が被告人の経済的逼迫を原因としてこれを打開するために、すなわち金銭目的で行われたことは明らかなように思われる。
ここまでは所論のいうとおりであるが、しかし、そこから直ちに本件が身代金目的で敢行されたものと認定することはできないように思われる。そこには大きくいって2つの問題があるのであり、1つは同じく金銭目的とはいっても身代金目的以外にもAを呼び出す可能性があるということ、あと1つは本件が身代金目的であるとするには不自然と思われる点が数多く存在するということである。以下、これらの問題について検討する。
ア 身代金目的以外に被告人がAを呼び出す可能性があること
被告人がAを呼び出した目的を検討するとき、Aが電話で呼び出されたときの状況を今一度見直すべきものと思われる。そして、Aが電話で呼び出されたときの状況には尋常でないものがあったというべきであり、そこには、被告人の意図がかいま見えるように思われる。
すなわち、Aは、被告人との電話でのやりとりについて家人から尋ねられて、「Uさんのお母さんが、僕の物を知らないうちに借りた。それを返したいと言って、来てくれと言うんだ。函館に行くと言っている。車で来るから道で渡してくれる。それを取りに行く。」「100メートルくらい離れたところに、おばさんが持ってきてくれる。」などと説明しているのであるが、この電話を受けている際のAの様子は、沈んだようであり、また緊張しているようであり、更に家族の者にもその電話の内容を聞かれたくないように振る舞っていたというのである(例えば、B4の供述するところによると、電話の相手方の命令に従うような感じで緊張した返事をしていた、母が電話を代わろうと言っても代わらせずに秘話スイッチを入れその電話の内容を聞かれまいとして身を屈めて受話器の付近をもう一方の手で押さえていたというのである。甲6)。Aが電話の内容として説明したところと電話を受けていたAの様子にはあまりにもギャップがありすぎるように思われる。そして、Aは家族の心配をよそに何やら固い決意のもとに直ぐに家を飛び出したというのであるが、家族の者すべてがこのときのAの態度に不審なものを懐いたのも無理からぬように思われる。兄B4は「Aが玄関に向かう途中、このような言葉(電話の内容)を目を合わせないで母に言ったし、話の内容がよく分からなかったので、Aが嘘をついていると思った」と供述し(甲6)、姉B3も「変な話だし、Aの言い方もどことなくぎこちないので、何か隠し事をして嘘をついているなと思った」旨供述している(甲7)。また、父B1は「Aが電話を受けていた様子や電話の内容を説明していたその態度、口振り等から考えると、何か隠し事をしていたのではないかとの疑問が残っている」と(甲147)、母B2は「電話の内容を推測するのは難しいが、例えば、Aの不始末的なことを指摘されたとか両親に知られたくないことを言われた等のことが考えられる」と述べているのである(甲149)。そして、Aは、母親の指示で後を追いかけた兄B4からも明らかに逃げるようにして駆けだしているのである。B4がAのあとを小走りに追いかけたが、Aは後ろを見てB4を確認すると逃げるように更に速度を上げて走りだしたというのである。このような状況からは、電話の中でAにとって家族に知られたくないことが告げられ、Aが行き先を含めて自分の行動を家族の誰にも知られたくないと考えて必死に行動していることがうかがわれる。そして、このことは、被告人がAについて何らかの弱み(情報)を握っていて、そのような弱みを利用してAを呼び出したのではないかということを強く推測させる。勿論そのようなことがなかったとしても、話の仕方次第ではAを怯えさせることも不可能ではないと思われるが、もし、Aに弱みといったものがなかったのであれば、Aは間近にいる両親に相談することができたと考えられ、それをしないで、直ちに家を飛び出していったことからすると、そのようには考えにくい。やはり、被告人はAについての何らかの弱みを握っていたと考えられ、それを種にAを呼び出したとみるのが相当である。それ以上に、被告人がAと顔見知りであったかどうか、顔見知りであったとしていかなる程度のものであったか、このような点は全く不明というほかない(警察の捜査の結果によれば被告人とAとの接点は認められなかったというのであるが、だからといって、被告人がAと顔見知りでなかったと断言することはできないように思われる。)。
そうすると、被告人がその弱みを握っていたAを呼び出したとして、どのようにしてAを利用しようとしたのであろうか。勿論身代金目的で誘拐しようとしたということもあり得ないことではないけれども、そのような危険を犯すよりはそのAの弱みをうまく利用して金銭を手に入れようと考えるほうが犯罪者の心理としては普通のように思われる。そして、普通他人の弱みを利用する犯罪としては恐喝などが想定されるが、本件の場合も、例えば、端的にいってAを脅してA方から金品を持ち出させるといったことが考えられるのである。被告人の当時の多額の負債関係からみれば、その程度のことでは焼け石に水で被告人の多額の負債を整理することはできないようにも思われるが、被告人が当面しのぐ必要があったのは、とりあえずは前記「N」からの借金であり、当時の厳しい経済状況に照らせば、たとえわずかの金員であっても手に入れたいというせっぱ詰まった心境に追い込まれていたということは十分あり得るところと考えられる。
このように、被告人が金銭的に困窮し借金の返済に追われており、Aを呼び出したのが、これを打開するための金銭目的であったとしても、被告人がAの弱みを握っていたという状況のもとにおいて被告人の取り得る選択肢はいろいろあるというべきであり、そこから直ちに本件が身代金目的の犯行であったとすることはできないのである。
イ 被告人が身代金目的で誘拐することが不自然に思われること
a 被告人が女性であり幼い子供を抱えていたこと等
被告人は当時28歳の女性であり、アパートの一室に住まいし、しかも、その手元には1歳7か月という幼ない子供を抱えていた。他方、Aは当時小学4年生の身長約145センチメートル程度の全く普通の健康状態の男子であった。被告人が身長167センチメートル程度と女性としてはやや長身であったことを考慮に入れても、身代金目的の誘拐をするにはいささか不自然な組み合わせのように思われる。被告人が単独で幼い子供のいるそのアパートの一室に上記のようなAを身代金目的で誘拐したとすることには、どうしても違和感を感じざるを得ない。この点からいっても、前記のように、Aの弱みを握っていた被告人がそれをうまく利用しようとしてAを呼び出した、しかし、何か理不尽なことをAに強いる過程でAとの間にトラブルが生じて大事に至ったと考える方が、より現実味があるように思われる。
b 身代金目的の誘拐であるとすると周到さに欠けること
身代金目的の誘拐を実行するとなると、やはりそれなりに周到な準備をしなければならないものと思われる。しかし、当時、Dと道路を隔てた空き地付近では、学校が冬休み中であることもあって、毎日早朝から小学5年生のHを含む子供らが雪遊びをしていたのであり、被告人も以前からその子供たちに声を掛けていたというのである(乙2)から、そのような状況は十分に分かっていたはずである。前記のとおり、実際には子供らは遊びに夢中でAがDの階段を上っていくところを見ていなかったようであるが、Aの行動を含めてことの顛末がこの児童らによって目撃される可能性は極めて高かったのであり、身代金目的の誘拐といった重大犯罪を企図するにはまことに相応しくない状況であり時間帯であったといわなければならない。また、明らかに家族の多くがまだ家にいると思われる時間帯に無造作に電話で呼び出すというのも周到さに欠けるといわなければならない。実際にも、Aの家族はAの様子にただならぬものを感じB4がそのあとを追跡することになったのであるが、そのような事態は当然に予想し得るものであったと思われる。
また、被告人は当時運転免許も自動車も持っておらず(乙2)、Aの遺体を入れた段ボール箱をその当日の夕刻に搬出できたのは、全く突然に義姉に電話をかけ自動車で迎えに来てもらうことができたからである。本件が身代金目的の誘拐であったとすると、その後のAの処置を考慮に入れておかなければならないと思われるが、被告人のとった行動は極めて場当たり的であり、この点も本件が身代金目的で敢行されたとすることに疑問を感じさせる事情である。
すべての身代金目的の誘拐が用意周到になされるとは限らないことは所論指摘のとおりであるが、本件を身代金目的の誘拐であったとするにはすべての点においてあまりに杜撰すぎるといわなければならない。
c 被告人が身代金要求の電話をしていないこと
被告人が身代金目的でAを誘拐したとすると、A方に対して身代金を要求する電話等をしていなければならないのであるが、被告人はそのような行動に出ていないのである。
所論は、この点に関して、Aが被告人方居室に入った直後ころから、B4やB2がDの周辺でAを捜し始めたことが認められ、当日午後1時すぎには制服の警察官JがI方に事情聴取に訪れ、同日午後2時すぎには同じく警察官Jが被告人方を訪ねてAの行方を尋ねるなどしていることが認められるのであるから、このような状況の中では、被告人は身代金を要求する電話をかけることができなかったと考えられるという。
しかし、警察官が動いていることが明らかになった午後の段階では、被告人としても身代金要求の電話をかけることに躊躇を感じたであろうけれども、少なくとも午前中の段階では身代金要求の電話をかけるなどして決しておかしくなかったと思われる。被告人の立場からすれば、警察への通報を封じるためにも、身代金を要求し合わせて警察への通報を禁じるなどの措置を講じることが是非とも必要であったと思われるのである。ところが、実際には被告人からのこのような電話は全くなかったのであって、やはりこの事実も本件が身代金目的の犯行であったことに疑問を感じさせる事実であるといわなければならない。
以上のとおりであって、本件では、Aを呼び出した目的が金銭目的であったことは強く推認されるけれども、身代金目的の誘拐であったとするには疑問が残るといわざるを得ない。そして、前記のような諸事情を総合すると、むしろ被告人はAの弱みを利用して身代金誘拐とは異なる方法で金銭を手に入れようと企図した可能性が高いように思われる。本件を身代金目的の誘拐であるとすることはできないとした原判決の判断は、その結論において是認できるというべきである。
2 被告人は殺意をもってAを死亡させたといえるか
そこで、被告人の殺意の有無について検討するのに、被告人が前記のように身代金目的の誘拐という方法以外の方法でAを利用しようとしていたのであり、例えばAに命じて家から金品を持ち出させるようなことを企図していたとすれば、Aを殺害してしまえば元も子もなくなることになってしまうのであるから、この場合当初から殺害を意図していたと推認することは明らかに相当でない(これは身代金目的の誘拐の場合とは様相をことにする。)。その場合、Aの死亡は、被告人がAに何か理不尽なことを要求し、Aがそれに応じなかったことなどから両者の間にトラブルが発生し、その過程で被告人がAの死につながる行為に及びそれによって生じたものではないかと考えることができる。このような展開は被告人にとって予期したものではないけれども、その場合においても、直ちに被告人の殺意が否定されるわけではない。そのようなトラブルの過程で自分の思うようにならないAに対して殺意を懐いたりもみ合ったりする過程でAが死亡することがあってもやむを得ないと考え未必の殺意を懐いたりするようなことも決してあり得ないことではないと思われるからである。実際にAが死亡していることから考えて、被告人が殺意をもってAを死に至らせた可能性は十分に考えられる。結局、本件の場合、被告人がAを呼び出した目的が何であったかという検討だけからは被告人の殺意の有無を決することはできないのであって、以上検討したところをも考慮に入れながら、本件に現れたすべての情況証拠を総合して判断していくほかはない。その場合、本件では、原判決がいうとおり、Aの死因は特定できず、Aを死亡させることになった具体的な行為態様も確定できないのであるから、殺意を認定するについては、とりわけ慎重でなければならない(原判決が、本件において被告人に殺意があったとするためには、被告人がAを呼び出した目的がA殺害に結び付く蓋然性が高いことや被告人にA殺害の明確な動機が認められることが必要であるとしているのも、そのような趣旨として理解することができる。)。
そこで、情況証拠の検討に移ることとするが、まず、被告人がAを重大な犯罪によって死亡させた疑いが強いと判断する根拠となった諸事情が想起されなければならない。
本件において、被告人が、昭和59年1月10日のAの失踪当日、Dの被告人方を訪ねてきた警察官らに対し、Aの死に関わっていながらAのその後の消息は知らないなどと明らかに虚偽と判断される事実を述べたり、Aの死体を段ボール箱に入れ、それをその日のうちにDから持ち出し、その後転居を重ねながらもその死体や骨を手元に置き続けたことなどは、被告人がAが死亡した事実を何としてでも隠し通したかったことを示すものであり、これは被告人がAを重大な犯罪によって死亡させた疑いが強いことをうかがわせる。また、そのほかにも被告人が昭和63年8月4日から札幌方面o警察署に任意に出頭して本件につき取調べを受けた際、結局は事実を明らかにするまでには至らなかったものの、事件との関与をほのめかしたりそれに関して被告人の心情を表すような様々な言動を行っていること、被告人が、E方の仏壇に水、御飯、花、果物、野菜、生魚等を供えたり、仏壇の前で手を合わせたりするなどAを供養する意図に出たものではないかと思われる行動をとっていること等の事実が認められ、それらはすべて被告人が何か重大な犯罪によりAを死亡させたことを推認させるものである。以上の点は、すでに検討したところである。しかし、これらの事実はいずれも被告人がAを重大な犯罪によって死亡させたことを強く疑わせるものではあるが、それ以上に被告人が殺意をもってAを死亡させたことまでを推認させるものとはいえないように思われる。すなわち、被告人が、Aの弱みを利用しAを使って何らかの方法により金銭を入手しようと企図したが、Aに何か理不尽なことを強要する過程でトラブルが生じ同人を死亡させてしまったという可能性が高いことは前記のとおりであり、そうであったとするとたとえAが被告人の殺意のない行為によって死亡したとしても、社会的には厳しい非難を避けられないことは明らかである。またそのときの状況如何によっては、被告人の弁解が容易に聞き入れてもらえない可能性もある。被告人がそのような状況に置かれたとき、何としてでも、Aの死亡の事実を世間の目から隠し通したいと考えたとしてもそれは決して不自然なことではないように思われる。警察官らに対し虚偽の事実を述べたり、Aの死体をその日のうちにDから持ち出しその後転居を重ねながらもその死体や骨を手元に置き続けたことなどはそのような被告人の心情を表すものとしても矛盾しないというべきである。また、被告人が捜査官に対して自らの心情を吐露するような言動をしていることやAの供養と思われる行為をしていることについても、自らの金銭目的の企みにAを引き込みその過程で死亡させたとすれば、殺意をもって死亡させたのではなくても、強い罪の意識にさいなまれるということは十分あり得ることのように思われる。このように、以上のような事実はいずれも多義的に解釈できるのであり、被告人の殺意を推認させるものとはいい難い。
所論は被告人の殺意を推認させる有力な情況証拠があると主張する。そこで、以下、やや重複するところもあるが、所論が掲げる各情況証拠につき逐一検討することとする。
ア Aが殺害された当時の物音、気配
所論は、被告人方からは血痕や血痕の反応が出ておらず被告人がAを刃物で刺すとか危険な工具で殴りつけるといった血が飛び散るような行為に及んだことはなかったと解されるところ、特に危険物が置かれていたとは認められない被告人方でAが比較的短時間のうちに死亡していること、その間、Aが大きな物音を立てたこともなく助けを求めたこともないことなどからすると、殺意のない故意行為を加えたにすぎないのにAが死亡したなどという事態は考えられないから、被告人はAに抵抗したり助けを求めたりするすきを与えずにその首を絞めるなど、殺意をもってAを死亡させるに十分な加害行為を一気に加えたとしか考えられないと主張する。
確かに、昭和59年1月26日に被告人方においてルミノール反応検査が実施されその結果その室内から血痕や血痕の反応は出なかったというのであるから、被告人がAを刃物で刺すとか危険な工具で殴りつけるといった血が飛び散るような行為に及んだ可能性は低いといわなければならない。もっとも、Aが失踪した当日の午後2時すぎにはi交番の警察官Jが被告人方を訪れ、同日午後4時ころには警察官Kらが、被告人方を訪れ室内の様子をうかがっていたのであるから、被告人がその証拠となるようなものを処分してしまったということも十分に考えられ、上記のような行為が絶対になかったといい切ってよいかは疑問であるが、現実の問題として幼いとはいえ1歳7か月になる我が子の面前で被告人がそのような激しい行為に及んだとはいささか考えにくい。この点は所論のいうとおりに考えてよいと思われる。
しかしながら、死の転帰をもたらす状況には様々なものがあり得るのであって、所論のいうようにAの首を絞めるなど殺意をもって一気に加害行為を加えたとしか考えられないと限定的に解することには疑問がある。例えば、被告人とAがもみ合いになりその過程でAが倒れどこかで頭を打つなどして頭蓋内損傷を起こし短時間のうちに死亡するとか、打撲に伴うショックにより死亡するとか、あるいはAの身体に隠れた病変があってそれが基因となって死亡するとか様々な状況が考えられるのである。その場合、周囲に危険物があることは必ずしも必要とは思われないし、大きな物音がしたり助けを求める声が聞こえなかったとしても、そのような状況がなかったとはいえないように思われる。なお、Dは木造モルタル造りの2階建てアパートで、1階3世帯、2階3世帯の計6世帯が入居可能で、2階1号室の被告人方は外階段を上ってすぐの部屋であり、その奥の各戸には外階段に続く廊下が通じていた。当時、1階の1号室は鎌倉に住む家主が使用していたが、ほとんど不在で、当日も不在であった。1階の2号室は老夫婦が入居しており、1階の3号室は空き家状態となっていた。そして、2階の2号室は女性の1人住まいで日中は不在であり、2階の3号室はV夫婦が居住していたのである。所論は、Dは防音性が悪く、室内の声等が外に漏れやすい構造であったのに、当日、Dの住人が被告人方やその方向から大きな物音や助けを求めるような声を聞いていないし、付近でAを捜していたAの家族や警察官Jのいずれもが被告人方やその方向から大きな物音や助けを求めるような声を聞いていないのであるから、実際にも、大きな物音や助けを求める声はしなかったというのである。しかしながら、2階3号室の住人のVの供述によれば、その日は一日中家にいたが朝から夕方にかけて部屋の外から物音や声が聞こえてきたという記憶がないとしながら、しかしそもそもドアを閉め切って部屋の中にいると被告人の部屋の中や廊下の物音は聞こえないというのであり、被告人方の隣の住人は不在で、1階に在室していたのは老夫婦のみであったというのであるから、Dの住人らが物音や助けを求める声を聞いていないからといって直ちに被告人方室内で実際にも大きな物音や助けを求める声がしなかったということにはならないのである。また、Aの家族や警察官JはずっとDのそばにいたわけではなく、同警察官が被告人方の玄関先にいたのは、被告人方を訪ねた際のごく短時間にすぎないのであるから、やはり同人らが物音や助けを求める声を聞いていないからといって実際にも物音や助けを求める声がしなかったということにはならないのである。被告人方で大きな物音や助けを求める声がしなかったとは断言できないというべきである。
また、所論は、Aを監禁するために緊縛していて死亡したという可能性はあるとしながら、Aが短時間で死亡していることから判断して衰弱死ということはあり得ないし、緊縛して口や鼻にガムテープを貼りそれで窒息死させたのであればそれは殺意をもって行う殺害行為にほかならないという。しかし、この点も、Aが緊縛から逃れようとして行動を起こしその過程で不慮の事態が生じたというようなこともあり得ないとはいえないのである。
所論は、本件では客観的証拠によって犯行態様を確定することができないため、周囲の状況を拾い出して、その犯行態様を可能な限り限定しようと試みるものである。しかし、繰り返すようであるが、人が死に至る過程には様々な態様があり得るのであり、したがって、それを確定することは容易なことではなく、その上、所論が周囲の状況として主張する前提事実にも前記のような疑問があるのであって、被告人の犯行態様を所論のいうように限定して考えることは困難というべきである。
イ 救命措置を全く講じなかったこと
所論は、殺意がなかったのにAが死亡するかも知れないような重大な事態を招いたのであれば、被告人に多少のためらいがあったとしても結局は119番通報をするなどの救命措置を講じたはずであるところ、被告人はそのような措置を全く講じておらず、かえって、当日午後4時ころ警察官Kらが被告人方を訪れた際には取り乱した様子もなく同警察官らを居室内に招き入れ、Aの言動等について説明をしているのであって、このことは、Aの死亡が被告人にとって意外な出来事ではなく当初から意図していた出来事であることを示しており、被告人が殺意をもってAを死亡させたことを推認させると主張する。
しかし、殺意をもって行動したのではなくても救命措置をとらないで自己の刑事責任を免れようとすることはひき逃げ事故のことを引き合いに出すまでもなく世の中に数多く見受けられるところである。本件の場合、前記のように、被告人は何らかの金銭目的をもってAを利用しようとした可能性は高いのであって、そのような反社会的な意図をもって行動していたところがAの身体に急変が生じたとすれば、被告人に殺意がなかったとしても、厳しい社会的非難やそれ相応の刑事責任を免れないと考え119番通報をためらうことは十分にあり得ることと思われる。したがって、被告人がそのような措置を講じなかったからといって、被告人に殺意があったということにはならないというべきである。
また、警察官Kらに対して取り乱した様子もなく対応していることについては、同警察官らが被告人方を訪れたのは当日の午後4時ころのことであり、事態の急変があったとしても心を落ち着かせるのに十分な時間が経過していたと考えられる。この点も被告人に殺意があったことを推認させる事情とはいい難い。
ウ 被告人が犯行当日の夜Aの死体が入った段ボール箱を運び出したこと
所論は、被告人が犯行当日の夜Aの死体が入った段ボール箱を運び出しているが、警察や一緒に運び出した義姉のWに発見されるかもしれないというリスクを冒してまでこのように必死になって死体の隠匿を図ったことは、被告人が殺意をもってAを死亡させたことを強く推認させると主張する。
確かに、そのように、Wに頼んでまで、必死になって死体を運び出していることは、被告人が何としてでもAの死亡の事実を隠蔽したかったことを示しているといってよい。しかし、それが、直ちに被告人が殺意をもってAを死亡させたことに結びつくかといえば必ずしもそうとはいえないように思われる。すなわち、前記のように、被告人は何らかの金銭目的をもってAを利用しようとした可能性は高いのであって、そのような過程でAを死亡させたとすれば、たとえ殺意をもって死亡させたのではないとしても、厳しい社会的非難やそれ相応の刑事責任を免れないのであるから、それを避けようとしてこのように行動することもあり得ないこととはいえないように思われるのである。そのほかにも、殺意を否定してみてもその弁解が容れられないかも知れないなどと考えてこのような行動に出ることも考えられないではない。そして、前記のとおり、このようなWに頼んで車で運び出すという行動はあまりにも場当たり的であり、当初からAの殺害を考えていたこととは矛盾するように思われる。
エ 約4年間にわたり死体あるいは骨を隠匿し続けたこと
所論は、被告人が約4年間にわたり、転居するたびにAの死体を転居先に持ち込んで隠匿し続け、最終的には焼損してE方に隠匿していたのであり、このように異常なほどの執念でAの死体あるいは骨を隠匿し続けたことも、被告人が殺意をもってAを死亡させたことを強く推認させると主張する。
確かに、被告人が所論指摘のとおり長期間にわたってAの死体あるいは骨を隠匿し続けたことが認められるのであり、被告人が何としてでもAが死亡した事実を隠蔽したかったことをうかがわせる。しかし、ウの所論についてと同様、そのことが直ちに被告人の殺意を推認させるということにはならないように思われる。被告人は何らかの金銭目的をもってAを利用しようとした可能性が高いのであって、そのような目的でAを呼び出しその過程でAを死亡させたとすれば、殺意をもってAを死亡させたのではなくても、厳しい社会的非難やそれ相応の刑事責任を免れることはできないのであるから、それを避けようとして死体あるいは骨を長期間にわたって隠匿し続けるということもあり得ないことではないように考えられる。もっとも、被告人が約4年間もの長期間死体等を隠匿し続けたことについては、何か被告人の執念のようなものが感じられるが、だからといって、それをもって、被告人に殺意がなければあり得ない行動であるとまではいえないものと思われる。
オ 被告人がAの供養を行っていること
所論は、被告人は昭和59年1月10日にAを死亡させてから、数々の男児用の品々を買い揃えるとともに、Xの一室を弔いの部屋としていたことが認められ、また、昭和61年5月19日にE方に引っ越してからも、E方の仏壇に花、果物、野菜、生魚等を供えたり、毎日のように仏壇の前に正座して手を合わせたりしていたのであるが、これらは、Aの供養のために行っていた行動であって、被告人の自責の念の大きさを示すものであり、このことによっても被告人がAを殺意をもって死亡させたことが推認できると主張する。
確かに、被告人は、E方に引っ越した後、所論指摘のとおりAの供養と思われる行為をしているほか、DからXに引っ越した後、被告人や未だ2歳に満たない娘にとって必要がないと思われる男児用の学童机を購入し、この机を置いた部屋にはライオンの柄のカバーを掛けたベッドを置いていたことが認められる(甲43)。
しかし、これらの事実は、被告人の、自己の責任によりAを死亡させてしまったとの思い(心情)を表しているようには思われるけれども、そこから、直ちに被告人の殺意までを推認することはできないように思われる。そして、被告人が身代金目的で当初より殺意をもってAを死亡させるという冷酷非情なことをしたのであれば、むしろそのような自責の念に駆られて供養をすることはないと思われ、思わぬ展開となりその過程でAを死なせてしまったとの強い思い(後悔)があるからこそ、そのようにAの供養をしているのではないかと理解した方が自然なように思われる。また、このような供養の事実は、被告人とAとの間に従前何らかの接点・面識があったのではないかという疑問を感じさせるものでもある。いずれにしても、このような事実から、被告人に殺意があったと推認することは困難というべきである。
カ ポリグラフ検査結果
所論は、ポリグラフ検査の結果、被告人にはAを誘拐して殺害した容疑があるものと思われるとの判定が出ているが、これは被告人の殺意を認定する有力な情況証拠であり、これと他の情況証拠を合わせれば被告人の殺意を優に認定することができると主張する。
関係証拠(甲220、221、Yの原審公判供述)によれば、昭和63年8月4日午前に被告人に対してポリグラフ検査が実施され、検査に当たったYは、対照質問法及び探索緊張最高点質問法に基づいて質問を行い、対照質問法における「Aを誘拐した犯人を知っていますか」「Aを誘拐したのはあなたですか」「Aを殺して死体を焼きましたか」という関係質問と探索緊張最高点質問法における「Aの首を絞めて殺しましたか」という質問に対し反応「中」とされる反応があり、心理的動揺が認められたとして、本件(「ポリグラフ検査結果通知書」によれば、事件名は「誘拐及び殺人」、検査事項は「札幌市d区p会社社長B1の二男A(昭和59年1月10日から行方不明となっている。当時9歳)を誘拐して殺害したかどうか・その容疑の有無」となっている。)に対する容疑があると思われる旨の結論を出したことが認められる。そして、所論は、このポリグラフ検査は、正確な知識と豊富な経験を有する検査官によって実施され、その判定についても信頼できるとして、この検査結果に証拠価値を認めなかった原判決を論難するのである。
確かに、上記ポリグラフ検査は、一応はそれなりの経験と実績を有する者によって適正に実施されたことが認められる。しかしながら、ポリグラフ検査の実施にあたっては、その正確性を確保するために被検者に対し、事件についての情報を与えることは極力避けなければならないとされているところ、被告人は昭和59年1月10日の事件当日に警察官から事情聴取され、その後も警察官からの事情聴取を受け、同年2月3日には警察官調書まで作成されているのであるから、事件に関係するかなりの情報がすでに与えられていたと考えられるのであって、その検査の正確性を保証すべき前提条件に欠けるところがあったといわなければならない。そして、この検査がすべて適正に実施されたとしても、その検査結果が明らかにしていることは、基本的には被告人が本件に関与しているかどうかという点、すなわち被告人の犯人性に関してであって、それ以上に本件事件にどの程度関与していたかとか殺意を有していたかというような詳細な内容にわたるものではないと思われる。Yの原審公判供述によっても、この検査結果がどの範囲のことについて有効性を持つのか必ずしも明らかとはいえないが、事件に被告人が関与しているかどうかということ以上に詳細な事柄についてまで有効性を持つとはされていないように思われる(探索緊張最高点質問法の基になっている緊張最高点質問法においても事実が明確になっている点についての被検者の反応を見、それによって犯人性を明らかにするとされている。)。実際にも、前記の特異反応が出たという各質問項目は、被告人がAの失踪に深く関与しているとすればそれだけで反応して決しておかしくない質問項目のように思われるのであって、これをもって、被告人に殺意があったことまでを立証しうるものとは到底考えられない。ただし、被告人が探索緊張最高点質問法における「Aの首を絞めて殺しましたか」という質問に対し反応「中」とされる反応を示したことについては、被告人の殺意の有無に関して、なお検討しておく必要があるように思われる。そのような具体的質問に反応が見られたからといって、それをもって自白と同様の取扱いをすることが相当でないことは明らかではあるけれども、質問項目が犯行態様に関係するものだけに、被告人の殺意を検討する上ではなお関心を持たざるを得ないからである。しかしながら、その他の探索緊張最高点質問法における「あなた1人でAを誘拐して殺したのですか」、「今言った以外の者とAを誘拐して殺したのですか」、「tでAの死体を焼きましたか」などという質問に対しても、反応「小」とはいえ反応が出ており(本件の証拠関係からはいささか的はずれな反応も含まれている。)、しかも、Yの供述によれば、反応のランクが「中」と「小」の場合には、それが「中」に当たるか「小」に当たるかは検査者によって見解が分かれる可能性がないとはいえないというのであるから、その反応を直截的に受け取ることはどうみても相当とは思われない。そして、他方、殺害場所に関する質問においては、本件の証拠関係に照らせば、当然「DでAを殺しましたか」という質問に対して反応が出てよさそうであるのに、いずれの質問に対しても反応が出ていないのである。 以上のとおりであって、被告人がポリグラフ検査を受ける者としての適格性を有していたのかという点、この検査が被告人の事件との関与(被告人の犯人性)ということを超えて殺意の有無というような事項についてまで有効性をもっているのかという点にすでに疑問があり、更にその反応の中身自体についても腑に落ちないところがあるのであって、本件ポリグラフ検査結果を被告人の殺意を認定するについての情況証拠とすることは相当でない。また、他の情況証拠を補強する意味においても証拠価値を認めることはできない。
キ 昭和63年8月の任意の取調べの際の被告人の言動いわゆるほのめかし供述
所論は、被告人は昭和63年8月4日から札幌方面o警察署に任意に出頭して本件につき取調べを受け、その際、被告人の取調べを担当した警察官Fらに対して種々の言動を行ったのであるが、これらの言動は犯行を認める自白ではなく犯行についての経験事実の供述でもないけれども、被告人が殺意をもってAを殺害したのでなければ決して表出することのない心情・精神状態を如実に表すもので、被告人の殺意の存在を強く推認させる有力な情況証拠であると主張する。
確かに、被告人は、昭和63年8月4日から札幌方面o警察署に任意に出頭して本件につき取調べを受け、その際、被告人がA失踪に関して自らの関与をほのめかすような様々な言動を行ったことが認められる。そして、この事実は、被告人がAの失踪に深く関与したばかりでなく、被告人が重大な犯罪によって、Aを死亡させたことを強く疑わせるものである。この点はすでに述べたとおりである。
しかしながら、これらの被告人の言動がそれ以上に被告人が殺意をもってAを死亡させたことを示す言動であり、それ以外には考えられない言動であるとまでいうことはできないものと思われる。すなわち、前記のように、被告人が、金銭目的でAの弱みにつけ込んで何かを企図しAをそれに引き込もうとしたところその過程でAを死亡させたとすれば、そのとき殺意をもって死亡させたのではなくても、被告人が重大なことをしてしまったという罪の意識や自責の念などから前記のような言動をすることは十分にあり得るところと考えられるのである。
なお、所論は、前記のような被告人の言動のほかにも、昭和63年8月10日の午後の取調べにおいて、話が今後の裁判のことに及んだ際、被告人が前記Fに対して、「裁判のとき、弁護士さんどっちにもつくの。」と尋ね、「殺人など、人の命だとか、それから責任取らされる範囲が死刑以上の事件には必ず弁護士さんがいなかったら駄目だと、そういう決まりになっているんだぞ。」などと説明されて、「死刑執行のときに牧師さんや坊さん立ち会うの。」と聴いてみたり、そのあと、「そう言えば、取調べ休んでいるとき、昨日だったか、おとついだったか、テレビで、誘拐して殺した犯人が、死刑5分前に親が真犯人見付けてきて助かった。」「弁護士さん、お金なくても頼めるの。」などと述べたことも挙げて、これらも、被告人が殺意をもってAを死亡させたことを示すものであると主張する。そして、特に、被告人が死刑について触れている点を強調して、殺意のない犯罪によってAを死亡させたのであれば死刑に処せられることはあり得ないのであるから、この点は、被告人がAを殺意をもって死亡させ、それゆえ自分の死刑執行があり得ることを懸念していたことを推認させるというのである。
しかし、被告人のこのような言葉はその場の雰囲気や話の出方によって極めて多義的に理解しうるものであり、被告人の真意を正しくとらえるためには、その場のやりとりの全体像が明らかになっていることが是非とも必要である。ところが、その意味においてその場のやりとりの全体像は必ずしも明らかになっているとはいい難く(なお、当時の取調状況に関する捜査報告書が何通か作成されているようであるがその内容は明らかにされていない。)、そればかりか、Fの原審公判供述によっても、このような話がなされた順序自体必ずしも明確ではないのである。被告人のこのような言葉・発言は、被告人の何らかの心情や関心を示している可能性を残すものであり、注目すべき点であることは間違いないが、この程度の断片的な言葉・発言のみをもって、被告人は死刑を宣告されるような重大な犯罪を犯したのであり、だからこそ刑の執行を懸念してこのような発言をしたとまで推認することはできない(所論も、テレビで見たという話については、それが多義的に解釈できることを認めている。)。これらをもって被告人の殺意の存在を推認させる有力な情況証拠とすることは相当でない。
ク 被告人が逮捕以来、捜査・公判を通じて一切説明も弁明もしなかったこと
所論は、被告人が平成10年11月15日に逮捕されて以来、同年12月7日に起訴されるまでの間、Aの死亡への関与の有無、殺意の有無等に関して一切供述を拒否し、その他それに関連する質問に対しても何の説明も弁明もしなかったこと、そして、原審公判においても、第19回公判期日において、検察官から265回の質問を受け、被告人が犯人であり、殺意をもってAを死亡させたことを推認させる情況証拠に対する説明と弁明を求められたのに対してそれらのすべての質問に対して沈黙するか「お答えすることはありません。」と供述するだけで何の説明も弁明もしなかったこと、第32回公判期日においても、同様に132回の質問を受け、説明と弁明の機会を与えられたのにやはり何の説明も弁明もしなかったこと、以上の点を指摘して、このように捜査・公判を通じて、自己に有利な説明や弁明をする機会があったにもかかわらず、一切供述を拒否し説明も弁明もしなかったことは、被告人が殺意をもってAを死亡させたことを推認させるものであると主張する。
なお、所論は、以上のような推認と黙秘権の関係に触れて、抽象的に黙秘していること自体に対する制裁的効果としてこれを被告人の犯人性や殺意の認定に用いるべきことを主張しているのではなく、説得と質問がなされた具体的状況の下でその説得と質問の具体的内容との関係における被告人の対応・態度の具体的あり様が与える心証形成の効果として、他の証拠によって形成された心証を維持し、一層強めるものとして用いようとしているものであり、これは被告人のもつ黙秘権を何ら侵害するものではないとし、同旨の判例として札幌高等裁判所昭和47年12月19日判決(刑裁月報4巻12号1947頁)を引用する。そして、原判決が、黙秘権の観点から、被告人が公判廷において検察官や裁判官からの質問に対し何らの弁解や供述をしなくてもそれは被告人としての権利の行使にすぎず被告人が何らの弁解や供述をしなかったことをもって犯罪事実の認定において被告人に不利益に考慮することは許されないとしたことを論難するのである。
この所論のいうところは、極めて難解に見えるが、被告人が事実について一切黙秘し何の説明も弁明もしないために、検察官側の立証により形成された心証を崩すことができず、それが事実上被告人に不利益に働いてしまうということがあることは否定できないところと思われる。所論のいうところをそのようにとらえれば、それは一般論としては不当なところはないように思われる。しかし、前記の主張の中に、他の証拠によって形成された心証を維持するだけでなく、一層強めるものとして用いようとするものであるというくだりがあり、かつその趣旨を具体的に展開する中に、検察官から、被告人が嫌疑をかけられている殺人罪の重大性や被告人が犯した犯罪が傷害致死罪、過失致死罪であればすでに時効が完成していて被告人が起訴されたり処罰されることはないことなどの説明を受けるとともに、具体的な証拠を指摘されてその証拠に対して弁明の機会を与えられたにもかかわらず被告人が一切説明も弁明もしなかったこと、更には原審公判廷においても、被告人が犯人であり殺意をもってAを死亡させたことを推認させる各情況証拠に対する説明と弁明を求められたのに対して被告人が一切説明も弁明もしなかったことを指摘し、このように被告人が一切説明も弁明もしなかったのは、被告人が殺意をもってAを死亡させた犯人であるため説明や弁明をしようとするとどうしてもその中に虚偽が混入せざるを得ず、その矛盾を突かれ真相が露見する危険を回避する必要があったからであるとする主張が含まれているのである。これを素直に読む限り、この所論には、被告人が黙秘し供述を拒否した態度をもって1個の情況証拠とし被告人の殺意を認定すべきであるとの趣旨が含まれているものと解さざるを得ない。そうだとすると、それについては、原判決が説示するところはまことに正当であって、被告人の黙秘・供述拒否の態度をそのように1個の情況証拠として扱うことは、それはまさに被告人に黙秘権、供述拒否権が与えられている趣旨を実質的に没却することになるのであり、その所論は到底受け入れることができない。
ところで、原審記録によれば、被告人が捜査段階において、被疑事実に関して一切説明も弁明もしなかったことがうかがわれ、原審公判においても、被告人質問において、所論指摘のような態度をとることによって終始黙秘の態度を通したことが認められる。この点は、所論が指摘するとおりである。しかし、その黙秘の態度をもって犯罪事実の認定において被告人に不利益に考慮することは、それがいかなる段階のものであっても、またいかなる状況下のものであっても許されないのであって、本件においても、このような被告人の黙秘の態度をもって被告人の殺意を立証する証拠とすることができないことは明らかである。
もっとも、当初説示したとおり、被告人が事実関係について一切黙秘し何の説明も弁明もしなかったため、検察官側の立証により形成された被告人に不利な心証を崩すことができず、それが事実上被告人に不利益に働いてしまうということがあることは否定できない。所論は、このような事実上の効果についても主張していると解されるが、これはいわば当然のことであって、被告人の黙秘の態度を情況証拠として取り扱うこととは次元を異にする問題である。
付言するのに、所論は、前記のとおり、被告人が原審の第19回及び第32回の各公判期日において実施された被告人質問において、検察官が発する約400回にわたる多くの質問に対しことごとく黙秘するなどしたことを指摘している。しかし、もともと弁護人は、被告人には黙秘権を行使する意思があるとして、被告人質問を実施することに反対していたのである。もとより、そのような状況の下であっても、被告人質問を実施すること自体を不当ということはできないけれども、実際に被告人質問を実施してみて被告人が明確に黙秘権を行使する意思を示しているにもかかわらず、延々と質問を続けるなどということはそれ自体被告人の黙秘権の行使を危うくするものであり疑問を感じざるを得ない。被告人が黙秘する意思を明確に示しているのに検察官がこのような形で被告人質問を続行したのは、被告人の答えを期待したというよりは、被告人に対して次々と質問を行いその結果被告人がその質問項目に対して一切説明も弁明もしないという黙秘の態度が顕著になったとして、それを被告人に不利益な事実の認定に供しようとしたからであると解されるが、そのような形で被告人の黙秘の態度を取り扱うことができないことはすでに述べたとおりである。
ケ 被告人の殺意についての結論
以上のとおりであって、所論が掲げる各情況証拠はいずれも被告人の殺意を推認させるものとしては十分でないかあるいは不適当といわざるを得ない。
なお、所論は、これらの情況証拠は1つ1つを分断して検討するのではなく、それぞれの情況証拠の中に被告人の殺意を推認させる力がどれだけあるかを検討し、その上で更に他の情況証拠と合わせて評価して殺意の有無を検討すべきであり、そのように総合的に評価したときには、被告人の殺意が認定できると主張する。
所論は一般論としては理解できるが、すでに検討したように、本件では、被告人が重大な犯罪によってAを死亡させたことを推認させる証拠は少なからず存在するものの、これらの証拠はいずれもが殺意の有無に関しては多義的に理解しうるのであって、その中に被告人の殺意を強力に推認させるだけの証拠が存在しないのである。したがって、これらの証拠を総合して検討しても被告人の殺意を認定することはやはり困難といわざるを得ない。
以上の次第であって、被告人が殺意をもってAを死亡させたとするにはなお合理的な疑いが残るというべきであり、原判決の判断は正当として肯認することができる。検察官の控訴趣意は理由がない。
よって、刑訴法396条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 門野博 裁判官 宮森輝雄 裁判官 小野博道)