札幌高等裁判所 平成13年(う)69号 判決 2001年10月11日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役1年8月に処する。
原審における未決勾留日数中70日をその刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は,検察官瀬戸真一作成の控訴趣意書に,これに対する答弁は,弁護人竹中雅史作成の答弁書に,それぞれ記載されているとおりであるから,これらを引用する。
論旨は,要するに,原判決は,検察官の懲役2年6月の求刑に対し,「被告人を懲役2年6月に処する。この裁判確定の日から4年間その刑の執行を猶予する。被告人をその猶予の期間中保護観察に付する。」として,執行猶予を付したが,その量刑は,刑の執行を猶予した点において著しく軽きに失し不当である,というのである。
論旨に対する判断に先立ち,職権をもって判断するのに,原判決には以下のとおり判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があり,破棄を免れない。
すなわち,原判決は,犯罪事実の第1として本件公訴事実とほぼ同旨の業務上過失傷害の事実を認定しているのであるが,被告人の過失に関して,原判示の道路を進行するに当たり,「進路前方には歩行者用押しボタン式信号機及び横断歩道が設置され,同信号機の車両用信号が赤色を表示していたのを,同横断歩道の停止線の手前約83.4メートルの地点で認めた。このような場合,自動車運転者としては,信号に従い,同横断歩道の停止位置で停止すべき業務上の注意義務がある。ところが,被告人は,これを怠り,漫然時速約40キロメートルで同横断歩道を通過する過失を犯した。」と認定している。しかしながら,関係証拠によると,被告人の車両が進行していた道路は片側2車線の道路であり,中央線側の車線を進行してきた被告人車両の前方には赤色の信号表示に従って数台の車両が停止し,また,歩道側(左側)の車線にも信号待ちの停止車両があったことが明らかであるから,被告人車両が横断歩道の停止位置で停止することはもはや物理的に不可能であった(割り込みが許されないことは当然である。)というべきである。そして,実際には,被告人はその前方車両の右方に,すなわち対向車線に進出して進行し,横断歩道を通過しようとして本件被害者運転の自転車に衝突しているのである。してみれば,被告人は信号に従いその前方の停止車両の後方に停止すべき注意義務があったのであって,それにもかかわらず,これを怠り,漫然と対向車線に進出して前方の横断歩道を通過しようとした点に過失を認めるべきである。原判決が横断歩道の停止位置で停止すべき業務上の注意義務があるとし,それを怠って,漫然と横断歩道を通過しようとした点に過失を認定したのは事実を誤認したものであり,それが判決に影響を及ぼすことは明らかである。
そして,原判決は,原判示第1の事実と同第2の事実を併合罪として1個の刑を科しているから,原判決は,結局全部破棄を免れない。
そこで,刑訴法397条1項,382条により原判決を破棄し,同法400条ただし書により当裁判所において更に判決する(なお,検察官は,当審において,被告人は信号に従いその前方の停止車両の後方に停止すべき業務上の注意義務があるのに,これを怠り,漫然対向車線に進出して前方の横断歩道を通過しようとした点に過失があるとして,その旨訴因を変更した。)。
(犯罪事実)
第1被告人は,平成12年8月6日午後9時30分ころ,業務として普通乗用自動車を運転し,札幌市a区b条c丁目d番先道路を石狩方面から国道5号線方面に向かって時速約60キロメートルで進行するに当たり,進路前方には歩行者用押しボタン式信号機及び横断歩道が設置され,同信号機の車両用信号が赤色を表示し,自車の前方にはこれに従って停止している車両があることを,同横断歩道の停止線の手前約83.4メートルの地点で認めたのであるが,このような場合,自動車運転者としては,信号に従い,その停止車両の後方で停止すべき業務上の注意義務があるのに,これを怠り,漫然対向車線に進出して同横断歩道速約40キロメートルで通過しようとした過失により,歩行者用信号に従って同横断歩道を右方から左方に向かって自転車に乗って横断していたA(当時15歳)を前方約3.4メートルの地点に認めて急制動の措置を講じたが間に合わず,同自転車左側部に自車右前部を衝突させ,更に同女を自車フロントガラスに激突させて路上に転落させ,よって,同女に対し,全治不明の両外傷性視神経症,急性硬膜下血腫,脳挫傷,左肋骨骨折,顔面裂傷等の傷害を負わせた。
第2被告人は,前記日時場所において,前記のとおり,Aに傷害を負わせる交通事故を起こしたのに,直ちに車両の運転を停止して同女を救護するなどの法律の定める必要な措置を講じなかった。
(法令の適用)
被告人の判示第1の行為は刑法211条前段に,判示第2の行為は道路交通法117条,72条1項前段にそれぞれ該当するところ,所定刑中いずれも懲役刑を選択し,以上は刑法45条前段の併合罪であるから,同法47条本文,10条により重い判示第1の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で,被告人を懲役1年8月に処し,刑法21条を適用して原審における未決勾留日数中70日をその刑に算入し,原審及び当審における訴訟費用については,刑訴法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。
(量刑の理由)
本件は,業務上過失傷害及び道路交通法違反(救護義務違反)の事案である。
被告人は,本件当夜,友人と待ち合わせてカー用品を交換するなどした後,その友人の車でドライブに出かけたが,途中に立ち寄ったコンビニで,被告人は友人に頼んでその友人の車を運転することになった。そして,その後市内を走行中,押しボタン式信号機の付いた横断歩道が設置されている本件犯行現場に差し掛かり,その横断歩道から相当手前で信号機が赤色を表示していることを認めたのに,これを無視して,対向車線に進出し信号待ちのため停止していた前方車両の右側方をすり抜けて横断歩道に突入し,原判示のとおりの事故を惹起し,そのような事故を起こしたのに,直ちに車両を停止させて被害者を救護するなど必要な措置を講ずることなく現場から逃走したのである。
被告人は,信号機の表示に従うという自動車運転者として最も基本的な注意義務を怠ったものであり,その過失が重大であることはいうまでもないが,その信号無視の実際の態様は,対向車線に進出し信号待ちのために停止していた前方車両の右側方をすり抜け横断歩道に突入するという危険きわまりないものであった。本件は,無謀運転による悪質な犯行といわざるを得ない。そして,この事故により何の落ち度もない被害者は前記のとおりの重傷を負わされ,長期の入院治療を余儀なくされた上,なお治療のため眼科に通院中で,両目の視力に今後重い障害が残る可能性も指摘されているのであって,まことに憂慮すべき状態にある。被害者本人はもとよりその両親,親族の苦しみは察するに余りある。このように,本件事故の結果もまことに重大というべきである。その上,被告人は,被害者を放置して一旦は逃走したのであり,これもまた重大事故を起こした者の取るべき態度とはおよそかけ離れた卑劣な行為といわなければならない。そして,それにもかかわらず,被告人は被害者やその両親に対し十分な慰謝の方法を講じておらず,被害者やその両親の処罰感情に厳しいものがあるのも当然というべきである。これらの諸事情に照らすと,本件の犯情はまことに芳しくなく,被告人の刑事責任は重大である。
したがって,被告人は,事故後一旦現場から逃走したが,ほどなく自ら警察に通報して事故を申告したこと,捜査・公判を通じて事実を率直に認め反省の意と改悛の情を示していること,原判決まで相当長期間身柄を拘束されたこと,被告人は本件犯行時少年で,現在もまだ20歳の若者であること,罰金刑のほかは前科がなく,公判で裁判を受けるのは本件が初めてであること,未だ示談は成立していないが,いずれは保険等により適正な賠償がなされることが見込まれること,被告人が原判決後建築作業員としてまじめに働いており,その勤務先の代表者が当審の公判廷において,被告人の勤務ぶりを評価し今後も雇用する旨証言したこと等,被告人のために酌むべき事情を十分考慮しても,本件は刑の執行を猶予するのが相当な事案とは認められず,被告人に対しては,主文のとおりの実刑をもって臨むのが相当と判断される(なお,原判決は,「量刑の事情」において,当裁判所の過失の認定とほぼ同様の事実関係を前提にしながら被告人を執行猶予とするのが相当である旨説示しているが,その説示するところを十分考慮しても,被告人を実刑に処することはやむを得ないと判断される。)。
よって,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 門野博 裁判官 宮森輝雄 裁判官 小野博道)