札幌高等裁判所 平成13年(ネ)47号 判決 2002年2月28日
主文
1 原判決を次のとおり変更する。
(1) 被控訴人らは,控訴人らに対し,連帯して,それぞれ金968万4278円及び内金878万4278円に対する平成4年11月27日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2) 控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は,第1,2審を通じてこれを3分し,その2を控訴人らの負担とし,その余は被控訴人らの負担とする。
3 この判決は,第1項(1)に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1 控訴人ら
(1) 原判決を取り消す。
(2) 被控訴人らは控訴人らに対し,連帯してそれぞれ2149万4393円及び内金1949万4393円に対する平成4年11月27日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(3) 訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人らの負担とする。
(4) 仮執行宣言
2 被控訴人ら
(1) 本件控訴をいずれも棄却する。
(2) 控訴費用は控訴人らの負担とする。
(3) 仮執行免脱宣言
第2事案の概要
次のとおり訂正,削除するほか,原判決「事実及び理由」の「第二 事案の概要」に記載のとおりであるから,これを引用する。
1 原判決7頁1行目の「キサンクロミー」を「キサントクロミー」に,3行目の「経験のしたこと」を「経験したこと」にそれぞれ改め,7行目の冒頭から末尾までを削る。
2 同9頁1行目の「脳血管写」を「脳血管造影(アンギオ)」に,2行目の「著名な」を「著明な」にそれぞれ改める。
3 同13頁4行目の「説明したのであるから,」を「説明し,かつ,その時点でAには項部硬直も認められたのであるから,」に改める。
第3当裁判所の判断
1 証拠(甲4の1ないし11,5の1ないし5,6の1ないし28,7の1及び2,12,22,23の1及び2,39の1及び2,41ないし45,46の1ないし4,57,58,68,乙イ4,6の1ないし9,7の1ないし9,10の1ないし3,17の3ないし8,18の1ないし17,19の1及び2,20の1及び2,21,28,31の1及び2,33の3ないし5,34,35,37の1及び2,38ないし42,43の1ないし17,44の2及び3,57,59ないし63,64の1及び2,65の1ないし8,67,76,79,証人B,控訴人X1本人,被控訴人医師本人〔1,2回〕,鑑定の結果〔ただし,上記引用証拠のうち,後記認定に反する部分を除く。〕)及び弁論の全趣旨を総合すれば,次の事実を認めることができる。
(1) Aは,夫である控訴人X2と函館市に居住し,専業主婦をしていたものであるが,平成3年8月20日ころ,下痢の症状を呈し始め,同月22日早朝には,トイレで激しい頭痛を伴う下痢と嘔吐で,控訴人X2に助けを求めるほどであり,その後もそのような症状が治まらず,食事も受け付けない状態になったため,同月24日夜,控訴人X1がAを急病センターに連れていった。同センター医師は,前日から下痢,吐き気,嘔吐があるとの話を聞き(この際,Aや控訴人X1は,頭痛があることは告げなかった。),37度以上の発熱と貧血の所見を認めて,上気道炎,急性胃腸炎に罹患しているものと診断し,Aに下痢止め,吐き気止めの処置を施した。
Aは,翌日はスープやお粥を食べる程度で休んでいたが,その後,同月26日午前2時30分ころ,就寝しているAが軽いいびきをかいて,顔面蒼白で口から泡を吹き,控訴人らの呼びかけにも応じない状態でいるところを控訴人X1に発見されて,同日午前2時59分ころ,救急車で本件病院に搬送された。
(2) 本件病院における当夜の宿直担当医であった被控訴人医師は,直ちにAを診察し,Aの頬を軽く叩いて呼びかけたところ,Aは,意識を回復した。そして,被控訴人医師は,控訴人らから,これまでの経過,すなわち二,三日前から下痢と嘔吐があり,また,頭が痛いというのでアイスノンで冷やしていたこと,24日には急病センターに行ったこと,当夜は,声をかけても返事をせず,いびきをかいていたので119番したとの経過を聞き,直ちにAの全身状態を調べ,各種の検査を行った。その結果,体温・脈拍は正常,血圧180/80,白血球増加,低カリウム,尿中アセトン体陽性(下痢,嘔吐の場合の症状)の所見を得た。
被控訴人医師は,控訴人らの説明と上記の検査結果から,消化器疾患の存在を疑い,その際、特に頭痛については重視せず,結論として,急性腸炎に伴う脱水症,低カリウム血症により意識障害をきたしたもので点滴等の治療が必要であると診断し,26日午前3時過ぎころ,同病院への入院を指示した。
なお,被控訴人医師は,従来,ほぼ一貫して循環器科を専門にしており,脳疾患の患者を診察したケースは少なかったが,それまでに数例くも膜下出血の患者を扱い,CT検査をして診断した経験は有していた。
(3) 入院後,Aの主治医となった被控訴人医師は,Aに対し,酸素を投与し,電解質補正を含む点滴,セフェム系抗生物質の投与を開始するとともに,不整脈の出現を考慮して心電図モニターによる監視を行った。その後,担当の看護婦は,同日午前3時50分にAから頭部の痛みを訴えられ,また,血圧も上昇したため(190/108),降圧剤が投与されたほか,アイスノンによる冷あん法が実施された。頭痛や後頸部の痛みの訴えは,その後も断続的に,午前4時15分,午前7時,午前10時,午後2時,午後8時と続き,これらに対しても,頭痛薬(セデス)の投与やアイスノン等による冷あん法による処置が施された。なお,入院後は,嘔吐や吐き気は治まっていた。
被控訴人医師は,同日早朝にもAを診察したが,特にこれまでの治療方針を変更する必要性は感じなかった。
(4) 同日昼間(時間は明らかでない。恐らく午前中と思われる。),Aの回診にあたった本件病院のG医師は,Aから強い頭痛の存在を訴えられた(診療録の指示事項には,頭痛の程度が3+と記載されている。)。そこで,同医師は,念のためにという意味でCT検査(単純及び造影)の実施を決定した。しかし,同医師も特に緊急性があるとは考えず,そのような指示もしなかったので,CT検査は通常検査として9月5日に予定された。Aの頭痛,後頸部痛は,その後も軽重の差こそあれ,消失する気配はなかった。ちなみに,8月27日分だけでも,看護記録には,午前6時(頭痛い「頭頂部」),午前10時(頭痛同じ,アイスノン,アイスノンベルト貼用中),午前10時30分(セデスG服用促す),12時(セデス効あり,頭痛軽減),午後3時(頭痛あり,セデス),午後6時30分(頭痛持続,アイスベルト続行),午後9時(セデスG1Pわたす)との記載がある。
被控訴人医師は,Aの頭痛は鎮痛薬等により改善がみられているとの判断から,一般的な筋緊張性の頭痛であろうと考え,同月27日午後4時40分ころ,控訴人らに対し,病状説明として,命に別状はない,急性腸炎(下痢)による脱水症状を起こしたものと考えられる,脳の疾患は考えにくいけれども,念のためCT検査を予定している旨告知した。
(5) その後,8月28日は,朝から下痢が2回あったが,次第に軽快に向かった。被控訴人医師は,同日,アイスノンや頭痛薬の投与を継続しているにもかかわらず,頭痛が治まらなかったことから,CT検査の予定を9月5日から9月2日に早めるよう検査室に指示した。なお,点滴については,必要なくなったので,同月31日をもって中止することにした。
同月31日ころから,Aが独言を発するようになり,9月1日には,「何度も命狙われてきた。耳にピーピー入ってくる。10年前から相撲が始まると,どっちが勝つか分かるようになった。」などと意味不明な言動をするようになった。被控訴人医師は,控訴人X1から,Aが以前にも精神科の病院にかかったことがあるとの説明を聞き,Aに対し,睡眠薬の投与を開始した。
(6) 同月2日,Aに対しCT検査が実施された。その映像を他の循環器科の医師と共に分析,検討した被控訴人医師は,Aの脳には軽度の萎縮があるものの,大きな低吸収域や出血及び何らかの占拠性病変は認められないと診断した。そして,同月3日,控訴人らに対し,その診断結果を告げるとともに,現在は精神症状が問題なので,精神神経科での検査,治療が必要であるとして,甲病院での受診,検査を勧め,控訴人らもこれに同意した。(ただし,この時のCT写真を脳神経外科の医師が判読すれば,軽度の水頭症と右側にくも膜下出血が極く軽度残存していることが読みとれるものであった。)
(7) Aは,同月5日,甲病院を受診し,その結果,同病院に入院することになった(同病院のC医師作成の9月12日付診断書では,「精神衰弱状態」の病名が付けられている。)。
Aは,同病院で,当初は車椅子でトイレに行くこともあったが,その後は意識低下,もうろう状態となって眠っていることが多くなり,オムツを使用するようになり,呼びかけにも反応しなくなった。そのため,同月9日,CT検査を実施したところ,脳の左半球の広範囲に脳梗塞の所見が認められた。
(8) そこで,Aは,乙神経外科病院に転院することになり,同月10日,同病院に搬送された。同病院では,直ちにCT検査,MRI検査及び脳血管造影検査等が施行され,その結果,脳内に左中大脳動脈瘤破裂,脳血管攣縮からの脳梗塞,右内頸動脈瘤があり,くも膜下出血を起こしていることが確認された。そして,控訴人らからこれまでの経過を聞かされた同病院医師は,恐らく8月22日が最初の出血で,同月26日に2回目の出血があったのであろう,この病気は一度脳に出血しても,二,三日で流れてしまうことがあるので,CT検査の時は分からなかったのであろう,今後,脳血管攣縮の改善を待って根治術を行うことになる旨控訴人らに告げた。
そして,上記の方針に従い,Aは,同病院で同年10月23日左中大脳動脈瘤クリッピング手術,11月15日右内頸動脈瘤クリッピング手術が施行されたほか,水頭症も起こしていたため平成4年2月20日にはVPシャント術が施行され,同年5月1日には,右上肢麻痺(機能全廃),体幹機能障害(坐位保持困難)の障害名で身体障害福祉法施行規則別表第5号の1級相当の障害に当たるとの診断がされた。
(9) Aは,術後療養中の6月初旬ころから肺炎を併発し,更に肝機能の悪化がみられたが,脳神経外科としての治療は終了したとして,同年6月22日には気管支肺炎,肝障害の病名で丙病院に転院した。同病院では,喀痰検査等によりMRSA重症肺炎と診断され,治療を受けていたが,同年11月27日,肺炎を直接死因として死亡した。
(10) 結局,現時点の考察では,Aは,脳動脈瘤破裂により平成3年8月22日に1回目のくも膜下出血を,同月26日に2回目のくも膜下出血をそれぞれ起こしたものと思われ,また,同月26日に本件病院に搬送された当時のAの症状は,前記症状分類にいうグレード2もしくはグレード3の状態にあったもの判定されている。
(上記認定に対する証拠評価)
被控訴人医師は,その本人尋問において,初診時,患者側から頭痛についての説明はまったく聞かされなかったと供述し,事実,被控訴人医師作成の診療録には頭痛に関する記載のないことが認められる。しかしながら,その供述部分は,控訴人X1の供述及び同控訴人作成のメモ(ただし,後記のとおり一部採用しない部分がある。)に対比し,また,被控訴人医師が作成した入院時指示事項に,頭痛時にはセデスGを投与すべきことの指示がなされていること及び入院時,D看護婦が患者から聞き取り作成した基礎データに,主訴として「頭痛あり」の記載があることに照らし,採用することができない(ちなみに,被控訴人医師自身が平成4年6月24日に作成した「発病及び初診日に関する証明書」では,発病年月日(平成3年8月23日)の症状として「頭痛」が加えられている。)。もっとも,控訴人X1は,被控訴人病院での初診時,控訴人らが被控訴人医師に対し,Aに「激しい」頭痛があったと説明したと供述し,これに沿うメモ,陳述書等(甲4の1ないし11,5の1ないし5,6の1ないし28)が存在するが,前記急病センターでも頭痛の説明をしていなかったこと及び心覚えとして記載した甲4の1において,「激しい」頭痛があったと説明した旨の記載部分は,その形式,体裁からして後から付け加えられた疑いが強いことに鑑み,採用できない。
したがって,初診時,控訴人らから被控訴人医師に対してなされた説明は前記認定のとおりと認められる。そうすると,被控訴人医師が何故に診療録に頭痛の訴えを記載しなかったのかが問題となるのであるが,その点は,被控訴人医師が他の症状説明とAの症状から消化器疾患であろうと診断し,頭痛の点を軽視したためではなかったかと思料される。なお,被控訴人医師は,その時点で項部硬直の有無を調べたが硬直はなかったとも供述するが,診療録にその旨の記載がないのみならず,看護日誌(乙イ18の1)には,看護婦により入院直後の8月26日午前3時50分,「後頸部のハリありイタい」と記入されていることからすると,実際には調べていなかった疑いが強いといわざるを得ない(仮に実際に調べていたら,項部硬直が認められた筈であり,にもかかわらず,これを記載しなかったのだとすれば,やはり,この症状を軽視していたことになる。)。
2 争点1及び2について
(1) そこで,以上の事実を前提として,以下,争点1及び2について検討するに,Aは,被控訴人病院に搬入された際,客観的には2回目のくも膜下出血を起こしており,かつ,その特徴として挙げられる,激しい頭痛(くも膜下出血は激しい頭痛が必発である。),嘔吐,吐き気の症状のほか,軽い意識障害も伴っており,典型的なくも膜下出血の症状を呈していたということができる。ところが,その際、Aがそれ以前から下痢等の症状をも起こしていたことから,被控訴人医師は,消化器疾患の存在を疑い,急性腸炎に伴う脱水症,低カリウム血症により意識障害をきたしたものと診断し,脳障害の存在を疑わなかったというのであるから,この点に見落としがあったといわざるを得ないところである。
(2) ところで,鑑定人Eの鑑定の結果及び同証人の証言(以下,併せて「E意見」という。)並びに乙イ73及び証人Fの証言(以下,併せて「F意見」という。)中には,Aの初発症状が8月20日ころからの下痢症状であるところ,脱水症状,下痢症状で発症するくも膜下出血を起こす例はないから,当時の一般内科医の医療水準を前提とすると,Aの初診時,くも膜下出血の発症を疑うことは困難であったとする判断部分が存在する。
しかしながら,これらの両意見は,いずれも患者の側から当初頭痛の訴えがなされなかったことを前提としているところ,その前提が取り得ないことは前記のとおりであるから,その点からして採用し難いのみならず,その論拠についても,下痢症状を有する人がくも膜下出血を起こすケースは稀であるということができるのであれば格別,単にくも膜下出血の初発症状に下痢症状がないというだけでは,見落としてもやむを得ないことの理由にはならないというべきである。
(3) 前記の事実経過からすると,Aは,本件病院搬入時は消化器系の症状が強かったといえるが,その後,被控訴人医師による処置により順調に快方に向かったことが明らかであり,ただ,それにも関わらず,当初から訴えられていた頭痛のみが執拗に継続残存していたのであるから,たとえ一般内科医であったとしても,脳疾患障害の存在を疑うことが困難であったとは認め難く,むしろ,この点は,甲65及び証人Bの証言(以下,併せて「B意見」という。)によるごとく,Aの発症時は,消化器系症状が主であったとしても,血圧,脈圧は高く,意識を消失するほどの脱水が高度であったとは考えにくい本件では,意識障害の原因として他の病態(脳障害の存在)を考えるべきであったといわざるを得ない。
(4) 被控訴人医師は,入院後の頭痛については,筋緊張性頭痛を考えたというのであるが,筋緊張性頭痛について,意識障害を伴うものは稀有である(B意見)ことからすれば,仮に入院時に「激しい」頭痛の訴えがなかったとしても,その後,継続的に頭痛の訴えがなされていた経緯に鑑みれば,遅くとも8月27日中には,何らかの脳障害の存在を疑い,速やかにCT検査を実施すべき義務があったということができる。(なお,この点に関しては,CT検査の実施を決定したのが,主治医である被控訴人医師ではなく,回診医であるG医師であったことにも注目せざるを得ないところである。)
(5) 以上の次第で,被控訴人医師には,搬入時,遅くとも8月27日の段階でCT検査を実施して,何らかの脳障害発症の有無を確認すべき義務があったところ,これを怠ったという不法行為上の過失の存在を否定することはできないというべきである。
3 争点4について
(1) 医師が注意義務に従って行うべき診療行為を行わなかった不作為と患者の死亡との間の因果関係の存否は,医師の不作為が患者の当該時点における死亡を招来したこと,換言すれば,医師が注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば,患者がその死亡の時点において,なお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が証明されれば,医師のその不作為と患者の死亡との間の因果関係は肯定されるものと解される。
そこで,本件において,その意味での因果関係があるか否かについて検討する。
(2) 本件で,Aは,くも膜下出血→スパズムによる左脳の広範な脳梗塞→2回にわたる脳動脈瘤手術→水頭症に対するシャント術→身体障害者1級に該当する障害の発生→重症の肺炎→死亡という経過をたどったものであるが,肺炎は重篤な身体障害で寝たきりに近い場合にしばしば合併症として起こるものであるから(E意見),結局,重篤な身体障害を起こした原因となったくも膜下出血後の脳梗塞を予防できたか否かが因果関係として問題となるところである。
(3) まず,前記認定事実からすれば,8月26日ないし27日中にCT検査をすれば,Aにくも膜下出血による所見が現れたであろうことが明らかである。その場合,手術時期については,前提事実2(五)のとおり議論の分かれるところではあるが,一般にグレード1,2は早期手術絶対的適応,3は相対的対応とされているところ,Aは2ないし2に近い3の状態にあり(意識障害の時間が比較的短かかった。),当時の容態からして,3度目の出血を起こす危険性を防止するために,早期手術絶対的適応であったと考えられる(B意見)。ただし,その場合には,スパズム出現の可能性,出現した場合の対処方法の仕方,将来的な回復の程度予測がさらに問題となる。
(4) 被控訴人らは,この点に関し,仮に8月26日の早い段階でAのくも膜下出血が発見され,脳神経外科に転院したとしても,同日から数日間はAの全身状態に照らして手術が行えるような状況になく,本件病院における治療経過からすると回復までに三,四日程度要したものと考えられ,さらに,少なくとも8月28日にはスパズムが生じていた可能性が高いことから,全身状態が回復した段階で手術を行うにしても,当時,函館市内には態勢の整った病院はなかったから,手術自体は無理であったし,仮に手術を強行すると症状の悪化が考えられ,予後の自力生活の可能性は極めて低いと考えざるを得ない旨主張し,これに沿うがごとき証拠(乙イ13,E意見,F意見)も存在する。
(5) しかしながら,B意見では,患者にスパズムが生じる可能性は半々であるが,これが生じなかった場合には,術後,二,三日から経口食,ベッドでの座位が可能となり,1週間目には離床し,アンギオで動脈瘤の消失が認められれば,日常生活への復帰も可能となり,また,術後にスパズムが生じたとしても,平成3年当時,専門施設で試みられていたスパズムに対する内科的,外科的治療により何らかの障害を残しながらも,日常生活に復帰し,自力による生活ができた可能性は十分に考えられるとしており,同医師ならば,8月27日ころに脳血管造影によりくも膜下出血を起こしていることが判明した場合には,直ちに手術に踏み切るとの判断を示している。
なお,同医師は,本件では,同月31日ころの独言や興奮は,くも膜下出血に伴う水頭症による症状であり,9月7日ころにスパズムが起こったものと思われると判定している。
(6) 他方,E意見,F意見は,基調として慎重意見であり,くも膜下出血の治療は早期手術(最初の発症から3日以内)が一般であるところ,Aの場合は8月22日が最初の発症であるから,26日の入院は遅すぎるとの判断を示しつつも,全く手術適応がないとまでは述べておらず,再出血(本件では再々出血)の危険性を考慮しつつ,了解を得て,手術を行う場合があるといい,E証人自身も,本件のケースにつき,結論として自分であれば手術を施行するとも供述しており,少なくとも態勢の整った病院=血管内手術で攣縮に対応しうる病院であれば,手術をして回復を図る手段を講じる旨供述している。
(7) 上記の意見を総合勘案すれば,本件では,8月27日もしくはそれに近い時点で手術を施行していれば,A死亡の時点において,なお生存していたであろう高度の蓋然性が認められるというべきである。
なお,被控訴人らは,本件で早期手術に踏み切る場合には,血管内手術を行う施設と能力がなければならないところ,当時,函館にはこれを行い得る病院がなかったこと(乙イ71の1ないし14,72)を因果関係がないことの理由に挙げるけれども,転院の候補病院が当然に函館に限られるというわけではないのみならず,血管内手術を行いうる病院以外で一切手術を施行できないというわけではなく,B意見のとおり手術後にスパズムが生じる場合の種々の対策を用意しつつ,手術を行う方法がなかったといえないのであるから,上記主張は採用できない。
(8) 以上のとおり,本件では,被控訴人医師の不作為とAの死亡との因果関係は認められるというべきであるが,その損害の範囲については,特別に考慮する必要があるものと解される。すなわち,E意見によれば,8月26日から比較的近い時期に適切な手術をしても,本件のようなケースでの自立可能性はせいぜい50パーセント程度であることが認められる。この点に関し,控訴人らは,他の文献等(甲60の5,乙イ13)やB意見等を挙げて,高度の改善の可能性が80パーセントを超える旨主張するが,Aの場合,当時63歳と高齢であって,しかも,一回目ではなく,再出血後の手術の予後を問題となる点で特異のケースというべきであるから,それらの文献等が掲げる統計数値をそのまま採用することができるかについては多大な疑問が残り,その意味で,損害の範囲については前記E意見を採用するのが相当である。
そうすると,Aの損害については,通常の方法で算定された,その50パーセントの限度で相当因果関係のある損害と認めるべきである。
4 争点5について
(1) B意見によると,Aが適切な時期に手術を受けていれば,遅くとも平成3年12月末までには,治療が終了して,社会復帰が可能になったと推定でき,したがって,平成4年1月1日以降死亡までの入院(入院日数332日)及び死亡に基づく損害が発生した。
(2) Aの損害(控訴人X1本人,弁論の全趣旨)
ア 入院雑費 39万8400円
1日1200円が相当である。
1,200×332=398,400
イ 付添看護費 166万円
1日5000円が相当である。
5,000×332=1,660,000
ウ 休業損害 254万0132円
平成2年度賃金センサス産業計・女子労働者学歴計の年収280万0300円の日額7651円が1日当たりの休業損害として相当である。
7,651×332=2,540,132
エ 傷害・死亡慰謝料 1600万円
控訴人らは,傷害慰謝料と死亡慰謝料を分けて請求するけれども,本件では,これを死亡慰謝料にまとめて認めることとし,その金額は1600万円をもって相当と認める。
オ 逸失利益 923万8581円
Aは満70歳まで6年間稼働可能であったと認めるのが相当であり,平成2年度賃金センサス産業計・女子労働者学歴計の年収280万0300円として生活費を35パーセント控除し,中間利息を控除する(6年のライプニッツ係数5.0756)。
2,800,300×(1-0.35)×5.0756=9,238,581
カ 合計 2983万7113円
(3) 相続人は控訴人らのみであるから,控訴人らは,上記損害を各2分の1の割合で相続したことになる。
(4) 控訴人ら固有の損害(控訴人X1本人,弁論の全趣旨)
ア 控訴人ら固有の慰謝料
各200万円
イ 葬儀費用
各65万円
(5) 以上の損害額合計は,控訴人らそれぞれにつき,1756万8556円ということになり,これから前記の割合を減ずると,各878万4278円になる。
(6) 弁護士費用 各90万円
控訴人らが本件訴訟の提起,遂行を控訴人代理人に委任したことは当裁判所に顕著であるところ,本件事案の内容,審理経緯及び認容額等の諸事情に鑑みると,控訴人らの本件訴訟遂行に要した弁護士費用は,控訴人らに各90万円を認めるのが相当である。
(7) そうすると,控訴人らは,それぞれ被控訴人らに対し,不法行為に基づく損害賠償として,連帯して968万4278円及び内金878万4278円に対するA死亡の日から支払い済みまで各民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払いを求めることができる。
5 結論
以上によれば,控訴人らの本件請求は,上記の限度で理由があるから,これを認容すべきところ,全部棄却した原判決は一部不当であるから,原判決を主文第1項のとおり変更することとし,主文のとおり判決する。(なお,事案に鑑み,仮執行免脱宣言は付さないこととする。)
(裁判長裁判官 前島勝三 裁判官 竹内純一 裁判官 石井浩)