札幌高等裁判所 平成15年(ラ)56号 決定 2003年6月18日
主文
本件抗告を棄却する。
抗告費用は抗告人の負担とする。
理由
1 当事者双方の申立て及び主張
本件抗告の趣旨及び理由は、別紙即時抗告申立書(写し)に記載のとおりであり、相手方の答弁は、別紙答弁書(写し)に記載のとおりである。
2 事案の概要
本件は、相手方が、相手方と妻・Bとの間に出生した長男について、その名を「曽○」とする出生届を戸籍事務管掌者である抗告人に提出したところ、窓口の担当職員から「曽」は新たに出生した子の名に使用できない文字であると言われたため、長男の名を未定とする出生届を提出し、その後、長男の名を「曽○」とする追完届(以下「本件追完届」という。)を抗告人に提出したが、抗告人が、「曽」は戸籍法施行規則60条に列挙されていない文字であることを理由として本件追完届を不受理としたので、相手方が抗告人に対し、本件追完届を受理することを求める事案である。
原審判は、相手方の申立てを認容したところ、抗告人は、これが不服であるとして本件抗告を申し立てた。
3 当裁判所の判断
(1)ア 戸籍法50条1項は、「子の名には、常用平易な文字を用いなければならない。」と、同条2項は、「常用平易な文字の範囲は、法務省令でこれを定める。」とそれぞれ定めている。これを受けた戸籍法施行規則60条は、次のとおり定めている。
「戸籍法第50条第2項の常用平易な文字は、次に掲げるものとする。
一 常用漢字表(昭和56年内閣告示第1号)に掲げる漢字(括弧書きが添えられているものについては、括孤の外のものに限る。)
二 別表第二に掲げる漢字
三 片仮名又は平仮名(変体仮名を除く。)」
イ 「曽」の文字は、戸籍法施行規則60条1号の定める「常用漢字表に掲げる漢字」(以下「常用漢字」という。)ではなく、また、同条2号の定める「別表第二に掲げる漢字」でもなく、同条3号の定める「片仮名又は平仮名」でもない。
ウ 戸籍法50条1項が子の名は常用平易な文字を用いなければならないこととした趣旨は、子の名に普段使われない文字や難解な文字が用いられるときは、これによって命名された本人のみならず他者にも社会生活上の不便や支障が生ずるおそれがあるため、これを防止することにあるものと解される。
そして、同条2項が常用平易な文字の範囲を法務省令で定めることとした趣旨は、次のとおりであると解される。
すなわち、同条1項により子の名に用いなければならない常用平易な文字が、世に存在する文字のうちのどの文字であるかは、一義的に明らかではない。そして、その判断を戸籍事務管掌者に委ねるときは、出生届をしようとする者にその判断基準が明らかとならない上、戸籍事務管掌者によってその判断が分かれる可能性があるなどの問題があって、相当ではない。そこで、常用平易な文字の範囲を何らかの方法で決定しておくことが相当であるところ、その範囲の決定に当たっては専門家の意見を徴することが相当であり、また、ときに早急な対応をする必要もあり得ることなどにかんがみると、その範囲の決定を命令に委ねることが相当であるとしたのである。
エ 戸籍法施行規則60条は、その文言及び規定の仕方などに照らして、常用平易な文字を限定列挙したものと解される。ところで、文字のうちの何が常用平易な文字であるのかは一義的に明らかではない上、時代の推移、国民意識の変化その他の事情によって常用平易な文字の範囲が変更されることもあり得るため、同条が常用平易な文字のすべてを列挙することには、自ずから限界のあるところである。このため、同条が、社会通念に照らして常用平易な文字であると認められる文字を列挙しないこともあり得るし、その逆に社会通念に照らして必ずしも常用平易な文字とは認められない文字を列挙することもあり得ることになる。しかし、同条は、戸籍法50条2項の委任に基づいて定められたものであるから、その委任の趣旨に明らかに反しない限りは、常用平易な文字を限定列挙することも、何ら違法というべきものではない。
オ そして、一件記録によれば、戸籍法施行規則60条は、一般的にはその時代における国民意識をもとに専門家の意見を徴するなどの審議手続等を経て常用平易な文字の範囲を定めていることが認められるところ、これ以外の文字について、裁判所が申立ての都度、限られた資料の中で逐一命名上の常用平易性を判断しなければならないとするのは適当でないところはあるけれども、上記規則による上記のような審議手続等を経なくとも審判・決定手続上入手可能な資料によっても容易に社会通念に照らして明らかに常用平易な文字であると認められる文字について、これを同条が常用平易な文字として列挙しない場合には、同条は、その文字に関する限度では、戸籍法50条1項、2項の趣旨に明らかに反するものとして違法となり、戸籍事務管掌者は、その文字が戸籍法施行規則60条に列挙されていないことを理由として、子の名にその文字が用いられた出生届を不受理とすることはできないものと解するのが相当である。
(2) 一件記録によれば、次のア、イの事実が認められ、また、次のウないしカの事実は、公知の事実である(以下においては、法文で使用されている場合を除き、「文字」を単に「字」と表記する。)。
ア 「曽」の字は、古くから用いられている。平仮名の「そ」の字は、「曽」の字の草書体から生まれたものであり、片仮名の「ソ」の字は、「曽」の字の上部から生まれたものといわれている。
イ 「曽」の字と同様に使用される字として「曾」という字がある。この両者は、常用漢字(1945字)とともに使われることが比較的多い表外漢字(1022字)とされ、「曽」の字は表外漢字の簡易慣用字体、「曾」の字は表外漢字の印刷標準字体とされているもので、この両者の差異は、いわば、デザインにおける差異であって、「曽」の字が「曾」の字の俗字であるというものではない。
ウ 「曽」の字を構成要素として含む常用漢字には、「僧侶」などに使用する「僧」、「増加」などに使用する「増」、「贈与」などに使用する「贈」、「愛憎」などに使用する「憎」、「地層」などに使用する「層」の5字がある。これらの5字は、その構成要素として、「曽」の字を含むものであって、「曾」の字を含むものではない(以下、「曽」の字と「曾」の字を区別せずに、そのいずれをも「曽」と表記する。)。
エ 「曽」の字を含む氏として、「中曽根」、「曽我」、「曽野」などがあり、これらの氏は、新聞・テレビなどで日常的に接する報道や書物などによって、広く国民に知られている。
オ 「曽」の字を含む日本の河川として木曽川があり、広く国民に知られている。
カ 郵便番号簿によれば、別紙地名一覧表に記載のとおり、日本国内には「曽」の字を含む地名が300以上もある(なお、別紙地名一覧表の左側に記載した数字は、郵便番号を示すものであり、この数字が示されていない地名は、その地名に複数の郵便番号が割り当てられているものである。また、その地名のうちの「曽」の字の正式な表記が「曽」、「曾」あるいはその他のものであるかどうかは不明であるが、少なくとも郵便番号簿における表記は「曽」とされている。)。
(3) 以上の事実によれば、「曽」の字は、社会通念に照らして明らかに常用平易な文字であって、戸籍法50条1項にいう常用平易な文字であることが明らかであると認めるのが相当である。
そうすると、戸籍法施行規則60条が「曽」の字を常用平易な文字として列挙していないことは、戸籍法50条1項、2項の趣旨に明らかに反するものとして違法であり、戸籍事務管掌者は、「曽」の字が戸籍法施行規則60条に列挙されていないことを理由として、子の名に「曽」の字が用いられた出生届を不受理とすることはできない。
(4) そして、本件追完届において相手方が記載した長男の名は「曽○」であるところ、「○」の字が戸籍法施行規則60条1号に列挙された常用平易な文字であることは明らかである。
以上によれば、抗告人は相手方が提出した本件追完届を受理すべきものである。
4 結論
よって、原審判は正当であって、本件抗告は理由がないから、主文のとおり決定する。
(別紙)地名一覧表
<省略>
(別紙「即時抗告申立書(写し)」及び「答弁書(写し)」は省略)