大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌高等裁判所 平成17年(ネ)73号 判決 2007年10月30日

主文

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1当事者の求めた裁判

1  控訴人

(1)  原判決を取り消す。

(2)  被控訴人は,控訴人に対し,1億3012万1992円及びこれに対する平成13年2月22日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(3)  訴訟費用は第1,2審とも被控訴人の負担とする。

(4)  仮執行宣言

2  被控訴人

主文同旨

第2事案の概要

原判決「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要」に記載のとおりであるから,これを引用する。

第3当裁判所の判断

1  本件の経緯

証拠(段落末尾括弧内に掲記したものの外,乙1,4,5,証人a,同b)によれば,以下の事実が認められる。

(1)  cは,平成12年4月,本件支店の得意先係に配属され,同年4月から同年9月までの間(以下「平成12年上半期」という。),主として新規の法人向け融資先及び教職員給与振込口座の獲得などの業務に従事していた。cは,個人向けローンの分野で高い実績を上げ,平成12年上半期の人事考課では,5段階評価のうち上から2番目のA評価を受けたが,法人向け融資の分野では,経験が浅かったこともあり,実績を上げることができずにいた。

(2)  勤務状況についてみると,cは,午前8時ころ出勤し,退社時間は午後10時ないし11時ころになることもあったが,平均すると午後9時ころ退社していた(本件支店の得意先係では,係員が一緒に仕事を切り上げて,退社することが多かった。)。cは,土曜日,日曜日に出勤することもあったが,休日には得意先の訪問ができなかったこともあり,休日出勤した日数は比較的少なかった。被控訴人では,毎月3回ないし4回,全店統一早帰り日が設定され,全行員が午後5時ころ帰宅していた外,本件支店独自の早帰り日も設定されていた(甲11,乙2,3,弁論の全趣旨)。

本件支店の得意先係員でcの後輩であるdは,cの自家用車に同乗して同人と一緒に通勤していた。また,c,d及び本件支店の得意先係員でcの後輩であるeは,就業時間後度々飲みに行くことがあった(乙2,3)。

なお,cの姉であるfは,平成13年1月27日にcと会った際,同人は疲れている様子であったが,本件支店に配属されてからはいつもこのような様子であった(甲11)。

(3)  被控訴人では,平成12年下半期に,投資信託の販売強化に重点を置いた施策が行われ,cは,同年10月,本件推進担当に任命された。平成12年下半期に本件支店の得意先係(係員6人)及び融資係(係員6人)に課せられた投資信託の販売目標は,3億ないし3億5000万円であったが,渉外係は主として貸出業務を行っていたため,得意先係には融資係より多くの販売目標を課されており,そのうちc個人の販売目標は,5000万ないし6000万円であった。cは,目標達成に向けて熱心に仕事に取り組んでいたものの,当時,投資信託の基準価格が下落傾向にあったこともあり,販売実績を伸ばすことができず,本件支店の販売目標達成率は低い状況にあった。

(4)  本件支店では,a又はbが,各行員に対し,直接に指導を行う機会は少なく,各行員に対する指導は,a又はbの意向を踏まえて,主に各支店長代理が行っていた。

(5)  本件支店では,毎月1回,a及びbの外,得意先係及び融資係の係員が出席して渉外会議が開かれ,得意先係の行員が,各自の推進担当項目について,前月までの進捗状況と今後の見通しを発表することになっていた。平成13年2月上旬,本件渉外会議において,aは,cに対し,前月の投資信託の販売実績について質問したところ,cが販売実績を把握しておらず質問に答えることができなかったため,「販売推進担当者として,そのようなことでは困る。その程度のことは把握しておくように。」などと言って注意したが,その際,cは,責任を感じている様子であった(aの陳述書<乙5>には,上記渉外会議の際,cが支店の進捗状況を把握していなかったので叱咤激励した旨の記載があり,aは,「その辺はしっかりと確認しておかなければだめだという趣旨のことでの叱咤激励はしました。」と証言する(証人a)。ところで,「叱咤」の意味としては,「怒気をあらわして大声でしかること。しかりつけること。『-激励』」<広辞苑第5版>とするもの,「①大声で叱ること。②大声で励ますこと。『-激励する』」<大辞林>とするもの,「①大声をあげてしかること。②大きな声で励ますこと。『叱咤激励』」<国語大辞典>とするものがあることは公知であるところ,叱咤激励した内容,上記渉外会議に同席していたb,gがcは上記渉外会議においてaから注意ないし指導を受けた旨述べている<乙1,4>ことからすると,aは「叱咤激励」という語を大きな声で励ますことの意味で使ったと認めるのが相当である。)。なお,cは,aから上記の注意以外に特別に注意を受けたことはなかった。

(6)  cは,平成13年1月17日ころ,大学時代の友人であるhらと共に,同年2月10日から層雲峡の天人峡温泉へ旅行に行く約束をし,その際cは明るい感じであった。cは,同月13日,翌14日に冬季休暇を取るため事前に休暇申請をしていたものの,同月9日,本件支店に出勤したが,hからの電話に出なかった。同月10日,hらがcに電話をしたが,留守電になっており,連絡が取れないまま,cは上記温泉旅行に参加しなかった(甲13)。

(7)  この間,cは,引継書を提出することなく,仕事を休んだ上,電話連絡もつかない状態にあり,得意先係の現場に混乱を生じさせたため,同月15日に出勤した際,gから注意を受けた(乙3)。

(8)  cは,平成13年2月16日,通常どおり出勤し,就業時間後,a,b及び得意先係の行員らと共に,本件支店近くのホルモン屋で飲食した。cは,同日の午後11時ころ,帰宅途中のタクシー内からhに電話をかけ,「この前はごめん。温泉どころじゃなかった。仕事を辞めたい。」などと言った(甲13)。

(9)  平成13年2月17日,翌18日は公休日であり,cは出勤しなかった。

(10)  cは,平成12年7月ころ,iからファームバンキングサービスを解約する旨の申し出を受け,解約に必要な書類を預かった。被控訴人では,行員による立替払が禁止され,発覚すれば懲戒処分の対象にもなるものであったが,cは,解約処理をすることなく,手数料の自動振替日である毎月15日の到来する前に自動振替の停止処理を行い,自ら立替払をした上,自動振替日が経過した後,上記自動振替停止を解除するという処理を行っていた。cは,平成12年10月17日,同年11月16日,同年12月15日及び平成13年1月15日の4回にわたり本件立替払をしていたものの,同年2月15日前に自動振替の停止処理を行っていなかったため,同日,手数料が引き落とされた。

なお,ファームバンキングサービスの営業目標は取り入れベースのものであり,新規の成約はカウントされたが,解約はカウントされなかった。

(11)  cは,平成13年2月19日,通常どおり出勤し,勤務開始時間前に本件支店の駐車場の除雪作業をした後,午前中,jに同行して営業のため外出していたところ,iから上記手数料の引き落としに関して本件支店に電話で問い合わせがあった。bは,cが本件立替払をしていることを知らず,解約の手続をしてもタイムラグがあって手数料が引き落とされたかなと感じていた。同日正午過ぎころ,cが本件支店に戻ってきたため,bは,1階の営業室において,cに対し,「iから,ファームバンキングサービスの解約について,電話で照会があったよ。解約書類は預かっているかい。」と聞くと,cが「はい。」と答えたため,「それなら見せて。」と言ったところ,cは,「分かりました。」と返事をして,営業室から出て行った。なお,bがcと上記会話をかわした場所は,1階の営業室内の顧客のいる場所で顧客から見えるところであった(甲14には,cは,平成13年2月19日,午前中の集金業務等をして帰店すると,いきなりbに呼ばれ,2階で「FB手数料の立替え」の事で厳しく叱責されたとの事である旨の記載があるが,これは伝聞を記載したものにすぎない上,顧客の見えるところでbが厳しい叱責をしたとは考えられないことに照らし,上記記載は採用することはできない。)。

cは,本件支店の駐車場において,eとすれ違い,同人から「お疲れ様です。」と声を掛けられたが,何の反応も示さずに無言で営業車に乗って走り去り,そのまま行方不明となり,同月22日(推定),北海道勇払郡Xで自殺(縊死)した(甲1,2,乙3)。

(12)  fが,平成13年2月20日,本件支店を訪問したところ,bは,fに対し,「今考えると,もうちょっと違う言い方をしていればよかったかもしれません。」と言った(甲11)。

(13)  a及びbは,通夜や葬儀に参列させてもらえず,お参りをさせてもらうこともできなかった。a及びbは,平成13年3月29日,控訴人方を訪問し,控訴人及び同人の友人であるkらからcの死が銀行業務に起因するものと認めるように厳しく求められ,同人らの面前で本件メモ(甲3)を作成したが,その際,bは涙ぐんでいた(甲17)。

2  争点(1)(cの被控訴人における業務の状況,cの自殺と業務等との相当因果関係)について

(1)  控訴人は,被控訴人における長時間労働,投資信託の苛酷な販売目標及びaからの執拗で常識外の個人攻撃に起因する過度の精神的,肉体的負荷が,cをして少なくとも中等症以上のうつ病に陥らせ,さらに,cは,bから,本件立替払に関して責任を厳しく追及されて急性ストレス反応を発症させ,その結果自殺したのであるから,cの自殺と業務との間には相当因果関係がある旨主張するので,この点について検討する。

ア 前記認定した事実に照らせば,被控訴人からcに対し課されていた労働時間及び業務内容は,相当量の残業があり(毎日午後9時に退社し,月3ないし4回程度の早帰り日が設定されていたとすると,超過勤務時間は月間およそ60時間程度となり,得意先係の他の係員も同程度の超過勤務をしていたと考えられる。),また,投資信託の販売についてそれなりに厳しい目標が課されていた(ただし,得意先係には融資係より多くの販売目標が課されていたことを考えると,cについてだけ特別に厳しい販売目標が課されていたということはできない。)ものの,特にcについてのみ過酷な業務が強いられていたと認めることはできない。また,aがcに対して本件渉外会議において行った指摘や指導は,業務を適正に進めていくために必要なものであって,ある程度厳しいものであったことが推認されるものの,個人攻撃とかいじめに当たるものとまでいうことはできず,a及びbがcに対して上司の部下に対する指導として許される限度を超えた過度に厳しい指導を行った事実を認めることはできない(前記認定の平成13年2月19日のbとcとの会話の場所からすると,同月20日のbのfに対する発言をもってしても,bがcを厳しく叱責したとの事実を推認することはできない。)。

しかし,cは,平成12年10月,本件推進担当に任命され,本件支店及びcに課せられた投資信託の販売目標を達成するべく熱心に仕事に取り組んでいたが,思うように販売実績を上げることができず,本件渉外会議において,aから厳しく注意されるなどして,相当の精神的負担を感じていたものと考えられる。

なお,旧労働省作成の「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針」(甲9)によれば,cの労働実態から受けた心理的負荷は「強」であるとする精神科医の意見書(甲16)が提出されている。しかしながら,同意見書は,帰宅時間が午後10時~11時過ぎになり,土日休日もろくにとれない,あるいは,cが常日頃からaやbの方針とそりが合わずに対立することが多く,目を付けられていて「いじめ」のような過酷な仕打ちを受けていたという前記認定事実とは異なることを前提に意見,判断が記載されたものであって,直ちに採用することはできない。むしろ,前記認定の超過勤務の状況,投資信託販売のノルマの未達成,aやbとの関係,本件立替払をしていたこと,引継書を提出せずに仕事を休んだことなどを上記判断指針に当てはめれば,心理的負荷の強度は,投資信託販売のノルマ未達成が「Ⅱ」,本件立替払をしたことが「Ⅰ」ないし「Ⅱ」,引継書を提出せずに仕事を休んだことが「Ⅰ」と判断される程度であるということができる(なお,心理的負荷の強度「Ⅰ」は,日常的に経験する心理的負荷で一般的に問題とならない程度の心理的負荷,心理的負荷の強度「Ⅲ」は,人生の中でまれに経験することもある強い心理的負荷,心理的負荷の強度「Ⅱ」は,その中間に位置する心理的負荷である<甲9>。)。

イ cは,①平成13年1月27日には疲れた様子であり,本件支店に配属になってからはいつもこのような様子であった,②同年2月10日に大学時代の友人らと温泉に行く約束をしていながら事前の連絡もせずにこれに参加せず,hらが電話しても留守電になっていて連絡がとれず,③冬季休暇を取った際には引継書を提出せずに仕事を休んだ上,電話連絡もつかない状態であり,④同月16日にはhに電話をかけ,「この前はごめん。温泉どころじゃなかった。仕事を辞めたい。」などと言っていた(控訴人の陳述書である甲10には,cは投資信託の過大なノルマを課せられ,お客と上司との板挟みにあって苦しんでいたようですとの記載が,fの陳述書である甲11には,cは,平成13年2月16日,lに対し,「もう辞めたくなった。」,「何もかも嫌になった。」と言った,cは,hに対し,「支店長が無理難題を要求してくる。また,飲むとからんでくる。」と話したとの記載があるが,いずれも伝聞を述べるものであって,採用しがたい。)。

我が国の精神科臨床において広く使用されているWHOの国際疾病分類第10改訂(以下「ICD-10」という。)によれば,一般にいわれる「うつ病」に該当するのは,「F3 気分(感情)障害」のうちの「F32 うつ病エピソード」であり,その診断基準によれば,典型的症状として,「抑うつ気分」,「興味と喜びの喪失」,「活力減退による易疲労感の増大や活動性の減少」が,その他の一般的な症状として,「集中力と注意力の減退」,「自己評価と自信の低下」,「罪責感と無価値観」,「将来に対する希望のない悲観的な見方」,「自傷あるいは自殺の観念や行為」,「睡眠障害」,「食欲不振」があげられており,「F32.0 軽症うつ病エピソード」については,上記の典型的症状のうちの少なくとも2つ,上記のその他の一般的な症状のうちの少なくとも2つが診断を確定するために存在しなければならず,「F32.1 中等症うつ病エピソード」については,上記の典型的症状のうちの少なくとも2つ,上記のその他の一般的な症状のうちの少なくとも3つ(4つが望ましい)が存在しなければならず,「F32.2 精神病症状をともなわない重症うつ病エピソード」については,上記の典型的症状のすべて,上記のその他の一般的な症状のうちの少なくとも4つ,そのうちのいくつかが重症でなければならず,いずれにおいてもエピソードの最小持続時間は2週間とされている(甲16,25)。

前記①ないし④のcの言動等を上記ICD-10の診断基準に当てはめると,①は「活力減退による易疲労感の増大」に該当する可能性が,②は「興味と喜びの喪失」,「活力減退による活動性の減少」に該当する可能性が,③は「活力減退による易疲労感の増大」に該当する可能性が,④は「抑うつ気分」,「活力減退による易疲労感の増大」,「自己評価と自信の低下」,「将来に対する希望のない悲観的な見方」に該当する可能性がある。したがって,cには上記の典型的症状のうちの3つ,上記のその他の一般的な症状のうち2つの症状があった可能性があり,しかも2週間以上上記の症状が継続していた疑いがあるから,cは,平成13年2月16日ころ,軽症うつ病エピソードに罹患していた可能性があるというべきである(上記のその他の一般的な症状のうち「自傷あるいは自殺の観念」については,平成13年2月19日以降にcが「自殺の観念」を有していたことは明らかであるが,それがいつ生じたかは明確ではない。)。

この点については,cが少なくとも中等症以上のうつ病エピソードに罹患していた旨の精神科医の意見書(甲16)が提出されている。しかしながら,同意見書は,cが常日頃からaやbの方針とそりが合わずに対立することが多く,目を付けられていて「いじめ」のような過酷な仕打ちを受けていたという前記認定事実とは異なる上司との関係等を前提に意見,判断が記載されたものであって,直ちに採用することはできない。

ウ cは,平成13年2月19日,bから,iに関するファームバンキングサービスの解約について確認されるや,突然本件支店を飛び出し,その際,本件支店の駐車場でeから声を掛けられたが,何の反応も示さず無言で営業車に乗って走り去り,そのまま行方不明になり,そのわずか3日後に自殺したことは,前記認定のとおりである。この事実に照らすと,ファームバンキングサービスの営業目標は取り入れベースで,解約はカウントされないこととされていたから,本件立替払をしてまでこの時期にiに関するファームバンキングサービスが解約されたことを被控訴人に判明することを防ぎ,あるいは解約を先送りした形にしなければならなかった必要性は必ずしも明らかではないものの,cは,投資信託の販売目標の達成ができなかったこと等について従前から相当の精神的負担を感じて軽症うつ病エピソードに罹患していた上に,被控訴人において禁止されていた行員による立替払である本件立替払が発覚する可能性が大きいことを悟って衝撃を受け,従前は高い人事評価を受けていた銀行員としての経歴や評価に汚点を残す結果になること等について思い悩んだ末自殺した可能性が高いものと考えられる。

なお,この点については,cは,平成13年2月19日のbによる叱責事件を直接のストレス因として,その直後から急性ストレス反応を呈し,その最悪の結果として自殺した旨の精神科医の意見書(甲16)が提出されている。しかし,前記認定のとおり,bは,平成13年2月19日,cに対し,iに関するファームバンキングサービスの解約について確認しただけであり,上記精神科医は,このことを前提とすると,前記のcが急性ストレス反応を呈したとの見解は変更しないといけないかもしれない旨証言している(当審証人m)のであって,上記意見書の記載は採用することができない。

エ 以上によれば,特にcについて過酷な業務が強いられていたわけではなく,cの上司による部下に対する指導として許された限度を超えた過度に厳しい指導があったわけではないが,cは,平成12年10月,本件推進担当に任命され,本件支店及びcに課せられた投資信託の販売目標を達成するべく熱心に仕事に取り組んでいたが,思うように販売実績を上げることができず,本件渉外会議において,aから厳しく注意されるなどして,相当の精神的負担を感じており,そのために軽症うつ病エピソードに罹患していたことも一つの原因となって自殺したものというべきである。

3  争点(2)(被控訴人の過失又は債務不履行の有無)について

(1)  一般に,使用者は,その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し,業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身を損なうことがないよう注意する義務を負うと解され,その義務違反があった場合には,雇用契約上の債務不履行(いわゆる安全配慮義務違反)に該当するとともに,不法行為上の過失をも構成すると解すべきである。

(2)  前記説示のとおり,cは仕事上相当の精神的負担を感じており,そのために軽症うつ病エピソードに罹患したことも一つの原因となってcは自殺したものというべきである。

しかし,冬季休暇を取った際に引継書を提出せずに仕事を休み,電話連絡もつかなかったという事情はあるものの,その後にcが出勤した同月15日以降,cには被控訴人において把握し得る異常な言動はなく,また,その他にcが軽症うつ病エピソードに罹患していることを窺わせる事情を被控訴人において把握していたとも認められず,さらに,cから健康状態等を理由に業務の変更等を求める申し出もなかったことに照らすと,被控訴人において,cの自殺等不測の事態が生じうる具体的危険性まで認識し得る状況があったとは認められない(cの後輩として親しく付き合っていたと認められるdやeも,cには思い悩んでいた様子はなかった旨述べている<乙2,3>。)から,被控訴人において,cの精神状態に特段配慮し,労働時間又は業務内容を軽減するなどの措置を採るべき義務が生じていたということはできない。また,平成13年2月19日,bがcに対しiに関するファームバンキングサービスの解約について確認した際のやり取りに,特段不適切な点は認められないし,cは,bから解約について確認されると突然本件支店を飛び出し,そのまま行方不明になり,その3日後自殺に至ったのであるから,被控訴人において,cの自殺を防止するための措置を採ることができたとは認められない。

(3)  これに対し,控訴人は,a及びbにおいて,cが仕事上の悩みを抱え,精神的ストレスを感じていたことを認識しており,cの自殺を予見できたと主張しており,その主張に沿う証拠として,本件メモ(甲3)のほか,控訴人及びkらの陳述書(甲10,17~19)がある。しかし,本件メモは,その達成が容易でない仕事や課題を持つ者であれば誰しも一定の精神的負担を感じていることを前提に,事後的にみてcも仕事上精神的負担を感じていたのではないかという推測を表明した趣旨にとどまると解するのが相当であり,しかも,本件メモは控訴人及びkらからcの死が銀行業務に起因するものと認めるように厳しく求められた結果作成されたものであるから,上記証拠によっても,a及びbにおいて,cが自殺につながるような精神的負担を感じていたことを事前に認識していた事実や自殺を予見できた具体的状況があったことを認めることはできない。

なお,証拠(乙3,4)によれば,平成13年2月19日,cが午後6時くらいになっても帰ってこないので本件支店内で様子が変だという話になったことが認められるが,本件支店の得意先係員は本件支店外で業務を行っていても午後4時ないし4時半ころまでには本件支店に戻るのが通常であった(乙1)のであるから,上記のような話が出たからといって,被控訴人においてcが仕事上の悩みを抱え,精神的負担を感じていたことを認識していたとまでは推認することができない。

第4結論

以上によれば,控訴人の本件請求は,その余の点について判断するまでもなく理由がない。よって,原判決の結論は相当であって本件控訴は理由がないから,これを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤紘基 裁判官 北澤晶 裁判官 中川博文)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例