大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌高等裁判所 平成19年(う)106号 判決 2007年10月11日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中140日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は,弁護人荒井剛作成の控訴趣意書及び控訴趣意書(補充)に,これに対する答弁は,検察官平山龍徹作成の答弁書に,それぞれ記載されているとおりであるから,これらを引用する。

論旨は,要するに,被告人は,被害者の事前の同意を得て被害者宅を訪問したのであって強盗目的はなく,その際,口論となって被害者がマキリを取り出し,被告人に振り落としてきたため,これを奪って被害者を刺殺したのであるから,殺人罪が成立するにとどまり,しかも過剰防衛であるのに,被告人に住居侵入,強盗殺人の罪の成立を認めた原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある,というのである。

そこで,検討するに,関係証拠によれば,被告人に住居侵入,強盗殺人の罪の成立を認めた原判決は,後記のとおり「事実認定の補足説明」の項の認定に一部誤りがあるものの,それ以外は同項で説示するところも含めて正当であり,当審の事実取調べの結果を併せて検討しても原判決の判断に誤りはない。

ところで,被告人が,原判示のとおり被害者をマキリで殺害したことは証拠上明らかであり,被告人も認めるところであるから,本件の主要な争点は,強盗目的の有無である。原判決は,これを肯認し,被告人は,覆面用のタオルや帽子,いぼ付きの軍手(以下,単に「軍手」という。),マキリなどを携えて被害者宅に赴き,軍手を両手にはめ,玄関ホールと居間を仕切る扉についていた鈴のひもをマキリで切断し,居間や寝室等を物色中,目を覚ました被害者をマキリで刺殺し,さらに,被害者宅を物色して現金約11万円を強取したと認定したのに対し,所論は,被告人は,前日の約束に従って被害者宅を訪れたもので,覆面用のタオルや帽子,軍手,マキリなどを持って行っておらず,居間で被害者と話し合っているうちに,興奮した被害者が1万円札五,六枚を投げつけるようにして交付してきたため,これを受け取ったが,更に口論が続き,被害者が被告人の胸倉をつかんできたため,被告人は,被害者の顔面を殴打したところ,被害者が,突然,リュックサックの中からマキリを取り出してそれを被告人に振り落としてきたため,被告人は,マキリを奪い,被害者を刺殺した,その後,被告人は,自己の犯行を隠ぺいするために強盗犯人の仕業に見せかけようと考え,被害者のリュックサックに入っていた軍手をはめ,寝室や居間等を荒らし,鈴のひもを切るなどした,というのである。

そこで,検討するに,所論は,被告人が,鈴のひもを切ったのは殺害後にした偽装工作である,という。しかし,鈴及びひもには血液が付着しておらず,このこと自体,被告人が被害者を殺害する前に鈴のひもを切ったことを十分にうかがわせている。所論は,ルミノール法による血液予備検査で陰性であったとの鑑定書はあるが,ルミノール法はもともと付着していた血液を洗い流した場合等肉眼では血こんを確認できない場合において,血液が付着していたか否かを判定するためには有効な方法かもしれないが,もともと血液が付着していなかった部分についてはルミノール法で検査した場合においては有効なのか疑問があるから,本件で陰性反応だったことは何ら不自然ではない,という。しかし,偽装工作だという被告人の原審及び当審公判供述を前提にしても,被告人は,被害者を殺害した後,両手に軍手をはめ,生死確認のため血のついた被害者の頸部や手を触ったり,左手に軍手をはめたままの状態でマキリを水洗いし,左手を握りしめるようにして軍手の水を切ったものの,その後血で自身の体に張り付くジーパンを離すために軍手をはめた手で血の付いたジーパンを触ったり,床についた血に触れることもあったと述べており,被告人の供述によっても,軍手には相当の血液が付着していたことが認められる上,被害者宅の居間,寝室,和室,台所の多数の物色箇所に残る血こん付着状況が軍手にかなりの血液が付着していたことを裏付けている。そして,偽装工作である旨の被告人の供述によれば,被告人は,一度も水洗いをしていない右手の軍手を左手にはめかえ,その左手で鈴を押さえ,右手に持ったマキリでひもを切断し,左手で階段に鈴を置いたというのであるが,上記のとおり,鈴を持った左手の軍手には相当の血液が付着していたことが認められるから,一般に知られているルミノール法の精度からするとそのような軍手に接触した鈴から血液反応が全く出ないというのは極めて考えにくい。所論は,鈴から血液反応が出なかったのは,被告人が,偽装工作のため,血液が鈴に付かないようにしようと考え,軍手のイボ状のすべり止めがついていない側(手背面)が手のひらに来るようにはめ直したからである,という。しかし,被告人の供述を前提にすると,突然,被害者の思わぬ攻撃に直面し,我が身を守るためとはいえ,被害者を殺してしまった被告人に,このような冷静沈着な判断ができるのかというぬぐい去り難い根本的な疑問が生じる。それをしばらく措くとしても,所論のいうように,イボの付いていない手背面を手のひらに来るように軍手をはめたと仮定すると,ほこりの付いていた鈴に触ったためにできたと考えられる鈴の上部表面にあったイボ状のこん跡を説明できない。所論は,手背面を手のひらに来るように軍手をはめた場合でも,左小指の横側のイボの部分が鈴に触れるから,4個程度のイボ状のこん跡が付いても不自然ではない,という。そして,原判決も「事実認定の補足説明」において「ほぼ格子状に整然と並んだ点状の手袋痕ようのものも4個確認された」「明確に点状の痕跡が確認できるのが4個にとどまる」と判示し,イボ状のこん跡が4個であったことを前提としている。しかし,原審甲10号証写真番号3や原審甲5号証写真番号104によれば,イボ状のこん跡が,「ほぼ格子状に整然と並んだ4個」にとどまるとはにわかに断じ難い上,当審で取り調べられた検1号証及び同2号証によれば,鈴上部表面の4か所にそれぞれ複数の軍手の滑り止め部分が印象されたと認められるイボ状のこん跡が確認されたことが認められる。そして,被告人の述べるように軍手を左右逆に,しかも,イボのない手背面を手のひらにくるように左手にはめて鈴を持った場合,鈴の4か所にそれぞれ複数のイボ状のこん跡が残ることは通常考え難く,このことは,被告人がイボの付いた手掌面を手のひらにくるように軍手をはめていたことを裏付けている。結局,被告人は,軍手の通常のはめ方,すなわち,イボの付いた手掌面が手のひらにくるようにして軍手をはめ,左手で鈴を持ち,右手に持ったマキリでそのひもを切った後,左手に持った鈴を階段に置いたが,左手にはめた軍手の手掌面には相当の血液が付いていたと認められるのに,鈴から全く血液反応が出ていないことからすると,被害者を殺害後,偽装工作として鈴のひもを切ったという被告人の供述はにわかに措信し難く,逆に,この事実は,被告人が捜査段階で述べていたとおり,被告人が,被害者宅に侵入した直後,居間に入る前に所携のマキリで鈴のひもを切ったことを推認させるものといえる。

加えて,被告人は,捜査段階において,原判決の「事実認定の補足説明」3の冒頭で要約されている内容の供述をし,強盗目的があったことを認めていた。所論は,捜査段階の被告人の自白は,捜査官から執ような取調べを受け,強盗ではないという主張を頭ごなしに否定され続けたため,執ような取調べが少しでも和らぐのであれば,強盗目的を持っていたことにしようと思って,捜査官に迎合した結果であるから信用できない,という。しかし,強盗殺人の法定刑が死刑か無期懲役しかないことを知っていた被告人が,被害者の方からマキリで切りかかってきたため,自分の身を守るために被害者を刺殺したというのが真実なのに,所論のいう程度の理由で真実に反する強盗殺人の事実を認めるというのはそもそも考えにくい。しかも,被告人は,原審公判廷において,逮捕翌日の平成18年6月26日に当番弁護士(原審及び当審弁護人と同じ。なお,同日,弁護人選任届が提出されている。)と接見した際,弁護士から強盗目的じゃなかったら強盗目的じゃないとはっきり調書巻いてるときに言ってくださいと言われた,強盗殺人という罪が死刑と無期しかない極めて重い罪だというのは聞いた旨述べているところ,その4日後の同月30日には「俺が今まで事実関係を素直に認められなかった理由は,自分が起こした罪の重さを知っていたからです。だから,少しでも,自分が犯した罪から逃れたい,少しでも,よく見られたい,出来れば,ごまかした話で,何とか押し通したいとの気持ちから,嘘や口から出任せばかりを言っていました。腹を決めた理由は,俺が,嘘や出任せばかりを並べていたことで,取り調べが進むにつれて,だんだんと言い訳がつかなくなってきたことも理由の一つでした。でも,一番の理由は,死んだAさんのことや自分の母親のことでした。そんなことを考えて,全て話をすることに決めたのです。」と述べて自白に至っている。さらに,被告人は,同年7月3日に弁護人と接見した際,「申し訳ありませんでした。本当は強盗でした。」と述べ,その後も同月6日,同月13日と接見を続けていたが,それでも捜査機関に対してはもとより弁護人に対しても自白を維持していた。このような自白に至る経緯や弁護人との接見状況等に照らすと,これだけでも被告人の自白の任意性及び信用性は十分に認められる。被告人は,弁護人に対して強盗目的を認めた理由につき,原審公判廷において,強盗目的でないと弁護人に言えば,調書を一から巻き直すということになるのも嫌だったと述べるが,およそ説得力のない理由である。加えて,被告人が自白する強取金額に見合う現金11万円余が,被害者の使途不明金となっていること,居間には血染めのBの文字入りタオルが遺留されていたが,被告人は,捜査段階で覆面用に自宅から持ち出し,現場に置き忘れたと述べており,証拠上,そのタオルが本件前に被害者宅には存在しなかった可能性が高い一方,本件との前後関係は明らかではないものの,被告人の母親が被告人宅にあったBの文字入りタオルが1枚なくなったと述べていること,被告人は,捜査段階で,軍手をはめた上から左手中指の先の部分を被害者にかまれ,軍手のその部分が破れて無くなった旨絵を書いて説明しているところ,平成18年4月29日撮影の写真によれば,被告人の左手中指の先に表皮はく離の傷が認められ,この傷につき,北海道大学医学部法医学教室教授Cが,明らかに角のあるものによって生じたと考えられる旨述べていること,被告人は,捜査段階で,犯行直後,強取した現金11万円を車のダッシュボード上に置いた際,そこにあったクラフトテープを文鎮代わりに使ったと述べているが,ダッシュボード上に置かれていたクラフトテープには被害者の血液が付着していたことなど,被告人の自白と符合する客観的事実が多々認められる。その上,被告人は,本件当時,所持金に窮しており,本件の3日後である平成18年4月29日に予定されていた友人の結婚式に招待され,自身の衣装購入費を含めその参加費用を工面する必要に迫られていたところ,被告人は,以前,被害者と同じ勤務先で稼働していたことから本件前日の同月25日が被害者の給料日(現金支給)であり,被害者が多額の現金を所持していることを熟知していたから,被害者宅に強盗に入る動機も認められる。したがって,強盗目的があったことを認める被告人の自白の信用性は高いといえる。

これに対し,所論は,強盗目的を否定する被告人の原審公判供述の方が信用できる,という。しかし,被告人の原審公判供述は,捜査段階の自白に比べ到底信用できない。被告人の原審公判供述の要旨は,原判決の「事実認定の補足説明」4の冒頭で要約されているとおりである。被告人は,原審公判廷において,本件前日に被害者から「明日早いから,夜2時か3時の間くらいに起こしてくれ」などと言われたというが,被告人は,逮捕翌日である平成18年6月26日付け検察官調書において,「事件当日は,被害者方に遊びに行ったのであって,住居侵入ではありません。」と述べており,自白前の,強盗目的や住居侵入を否認していた段階においてすら,被告人にとって被害者宅を訪れたことを正当化する有利な事情であり,かつ,隠し立てをする必要など全くないのに,被害者から起こしに来てほしいと頼まれた旨述べていない。また,被告人は,被害者が財布の中から1万円札を五,六枚投げつけるようにして渡してきたというが,強盗目的を否認していた逮捕直後の時点ですら「現金10万円位とリュックサックを奪ったことに間違えありません。」,「俺は,リュックの表ポケットに入っていたサイフを出し,金10万円位,札で11枚を抜き取りました。札の多くは,1万円札でした。俺は金を手にした後,Aさんの家を出ました。」,「(現金約11万円及びリュックサック1個を強取した旨記載されている司法警察員送致書を)読んで聞かせてもらった事実の意味は分かりました。(中略)。実際に書かれていた現金とリュックサックを持ち出したのは事実ですが,これは,現金については,強盗の犯行だと見せかけようと思って持ち出しました」,さらに,その翌日に実施された裁判官の勾留質問においても「検察庁で述べたとおりです。」と述べて原審乙15号証と同趣旨である旨述べており,結局,被告人は,捜査段階において,被害者の方から現金五,六万円を渡してきたことを全く述べていなかった。しかも,被告人は,原審公判廷において,被害者に要求した金額は2万円だったと述べているが,被告人の述べるところによるとその支払いの話が険悪な方向に向かっていったのに,被害者が要求金額の倍額以上の五,六万円を被告人に渡したことになり,不自然というほかない。加えて,被害者は,温厚な性格であり,暴力を振るうような人物でないことは周囲の者が一致して認めるところであり,これまでも被告人を被害者宅に招いたり,被告人の仕事先を世話するなど親身に目をかけてきたのであって,そのような被害者が本件当日に限って,被告人と口論となるや突然マキリを取り出して被告人に襲いかかるなどということ自体考えにくい。さらに,口論の末,偶発的に被害者を刺し殺してしまったにしては,その後の物色状況が,居間,和室,洋室,台所の4部屋にわたっており,タンスや引出しはもとよりじゅうたんの裏側や多数の封筒の中身までも調べるという念の入ったもので,強盗に見せかけるための偽装工作としての程度をはるかに越えている。また,被害者の遺体には,頭部に刺切創18か所,前頸部に刺創2か所及び切創2か所,後頸部に刺創2か所及び切創7か所の他,多数の切創が認められるところ,被害者から不意に攻撃を受け,自分の身を守る行動の一環として行ったにしては,あまりに刺切創の箇所が多く,被害者からかみつかれたことを考慮しても自分の身を守ろうとしてとった行動であるとの供述はにわかに措信し難い。所論は,被害者が,死亡時に腕時計を装着していたことは,被害者が起きていたことの証左であり,被告人の原審公判供述を裏付けている,という。しかし,一般的に,腕時計を着けたまま就寝する者がいることはさほど珍しいことではないし,また,腕時計をはずすのを忘れたまま就寝することもないではない。そうすると,被害者が腕時計を付けていたことは上記認定を左右しない。したがって,被告人の原審公判供述は信用できず,これと同旨の被告人の当審公判供述も信用できない。

以上によれば,被告人が,被害者宅から現金を盗むこと,被害者に気付かれた場合には同人を殺害してでも現金を奪うことを決意し,マキリなどを所持して被害者宅に侵入し,物色中に被告人に気付いた被害者を殺害して現金約11万円を強取した事実を優に認定できる。

その他弁護人がるる主張する点を考慮検討しても,住居侵入,強盗殺人の罪の成立を認めた原判決に事実の誤認はなく,論旨は理由がない。

よって,刑訴法396条により本件控訴を棄却することとし,当審における未決勾留日数の算入につき刑法21条を適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 矢村宏 裁判官 市川太志 裁判官 二宮信吾)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例