札幌高等裁判所 平成21年(う)108号 判決 2009年7月30日
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣意は,弁護人荒井剛作成の控訴趣意書に,これに対する答弁は,検察官富松茂大作成の答弁書に,それぞれ記載されているとおりであるから,これらを引用する。
第1控訴趣意に対する判断
論旨は,被告人に原判示の金属部品を窃取する故意はないから無罪であるのに,被告人にその故意があると認定して有罪とした原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというのである。
所論にかんがみ,記録を調査して検討する。
1 本件公訴事実の要旨は,「被告人は,金属部品を窃取する目的で,平成20年6月23日午前9時40分ころ,北海道釧路市ab線c番d所在の株式会社AB工場において,同社代表取締役Cが管理する同工場建物に設置された金属部品を情を知らないDらとともに取り外し作業中,同社取締役Eらに発見されたため,その目的を遂げなかった」というものである。
2 原判決が前提事実として認定した事実は,「事実認定の補足説明及び争点に対する判断」の項の2で摘示するとおりであり,被告人は,Fと,原判示の工場(以下「本件工場」という。)について,平成15年ころ当時の所有者が解体の話をしていたのを聞いた旨の話をし,本件工場を見に行き,経費の見積り等の解体工事の準備をし,原判示の当日,G及び他の作業員らと共に本件工場に赴いたこと,被告人は,本件工場の占有者がHであり,解体するにはその承諾がなければならないことを認識していたが,原判示の犯行に至るまでの間,Hとは接触をしていないことなどが認められる。
原判決は,同項の3において,本件犯行を自白した被告人の平成20年7月9日付け検察官調書(原審乙4号証,以下「自白調書」という。)の信用性は極めて高いとして,同項の4において,被告人は,「本件現場において金属部品を窃取しようとして判示の犯行に及んだものと十分推認することができ,被告人に,金属部品窃取の故意が認められる」と結論づけ,「罪となるべき事実」の項において窃盗未遂の事実を認定している。
3 しかしながら,原判決が上記説示するところは是認することができない。
(1) 原判決が「罪となるべき事実」の項で認定した事実は確定的故意に基づく窃盗未遂の事実であるところ,原判決が信用性が高いとしてその認定証拠に供した自白調書の内容は,被告人は,「工場の所有者から承諾を得られていないかもしれないと思っていて,それでも構わないと思い,今回の事件をやることにした」というものであって,確定的故意を認めたものではなく,また,他に確定的故意を認定するに足りる証拠は見当たらず,原判決中にもその証拠に関する説示はみられないから,この点だけでも原判決には事実の誤認があるというほかはない。
(2) 所論は,被告人には本件当日の時点でHに解体依頼の確認をしていなかった落ち度があるとはいえるが,それはあくまで過失の問題にすぎず,故意は認められない旨主張するので,自白調書の信用性を含め,被告人に本件窃盗の故意が認められるか否かをさらに検討する。
関係証拠によれば,被告人は,平成20年6月19日,Fの案内によりGとともに本件工場を訪れた際,Fから本件工場がHのものであり,過去にHの社長とIの専務が本件工場を解体したいと話していた旨聞いたこと,その際,本件工場に「J」と記載された看板が落ちているのを見て,FからこれはHの子会社または下請けであると聞いたこと,そのころ,Gから「Hであればちゃんと話はつくから心配するな」と言われたこと,同月22日,知人のKを通じて別の解体業者に本件工場解体工事にかかる経費について相談を持ちかけるとともに,廃材等の引取先の紹介を依頼していること,本件当日に至るまで,F及びGと同様に,本件工場がAのものであるという認識はなく,Hのものであるとの認識であったことが認められ,これらの事情や認識は,被告人が,本件工場の解体作業に当たり,本件工場がHのものであり,過去に同社が解体工事を業者に依頼していたのであるから,本件工場の解体作業をしても問題はないと考えていたことをうかがわせるものであり,また,被告人は,本件当日,G及びKのほか作業員4名を伴って午前8時30分過ぎころ本件工場に到着し,先着していた作業員1名と共に解体作業を開始していること,作業員らは,本件工場につき解体の承諾を得ているかどうかにつき何も説明されておらず,G及びKに加え,作業員のうち少なくとも3名は被告人の身元を知っていたことが認められ,このように朝方の明るい時間帯に,身元を隠すこともなく,人目につく屋外で解体作業をしているという行為態様は,被告人が本件工場の金属部品を盗むという違法な行為をする意図であったとみるには疑問を抱かせるものであり,さらに,被告人は,本件当日,工場の解体作業をしているところをA関係者から見とがめられた際,警察官が臨場するまでの間にGを介してFに電話連絡していることが認められ,このような犯行後の行動も同様の疑問を抱かせるものである。
もっとも,被告人は,Fが本件工場の所有者又は占有者に解体の話をしているかどうかを事前に確認しておらず,Gに対しても確認していないこと,本件当日,工場の解体作業をしているところをA関係者から見とがめられた際に被告人が偽名を名乗っていることなど,本件工場の解体作業に当たって被告人に何らかの後ろめたい思いがあり,自白調書における上記被告人供述を裏付けているのではないかとも考えられるが,上記事情に加え,偽名を名乗ったのは前刑の執行猶予期間中でありトラブルに巻き込まれると執行猶予を取り消されるのではないかという不安を抱き動揺したからであるという被告人の弁解が,あながち不合理とまでいいがたいことも併せ考慮すると,自白調書をそのまま信用することはできない。
(3) 以上によれば,被告人において,本件工場を解体する承諾があるという確実な認識があったとまでは認められないものの,いかにも軽率とのそしりを免れないとはいえ,本件工場を解体しても問題はないとの認識であった可能性を一概に否定することができず,そうした認識の中には解体により生じる金属部品等の処分業務をしても問題はないとの認識が含まれているとみても特に不合理ではないから,被告人に本件工場の金属部品を盗むという認識すなわち占有者の意思に反してその占有を侵害する認識があったとの事実を認定するには,なお合理的疑いが残るというべきである。
したがって,所論は結論において正当であり,被告人に窃盗の故意があるとして窃盗未遂罪の成立を認定した原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるから,破棄を免れない。
論旨は理由がある。
4 そこで,刑訴法397条1項,382条により原判決を破棄し,同法400条ただし書により当裁判所において更に判決する。
第2自判
本件公訴事実を認定することができないことは,上記第1で説示したとおりであり,本件窃盗未遂罪の公訴事実については犯罪の証明がないから,刑訴法336条により被告人に対し無罪の言渡しをすることとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小川育央 裁判官 二宮信吾 裁判官 水野将徳)