札幌高等裁判所 平成22年(ネ)188号 判決 2010年11月05日
控訴人
X協会
代表者会長
A
訴訟代理人弁護士
大藤敏
同
宮川勝之
同
山﨑博
同
室町正実
同
髙木裕康
同
永野剛志
同
手島康子
同
髙木志伸
同
中村繁史
同
六角麻由
被控訴人
甲山Y
訴訟代理人弁護士
中村誠也
同
淺松千寿
主文
一 本件控訴に基づき原判決を取り消す。
二 本件控訴及び当審における控訴人による請求の拡張に基づき、被控訴人は、控訴人に対し、一七万六九四〇円及びうち一二万一六八〇円に対する平成二〇年六月一日から、うち五万五二六〇円に対する平成二二年六月一日から、それぞれ完済日が奇数月に属するときはその月の前々月末日まで、完済日が偶数月に属するときはその月の前月末日まで、二か月当たり二%の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
四 この判決は、第二項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一控訴の趣旨(当審における請求拡張後)
主文同旨
第二事案の概要
一 本件は、放送受信契約を締結したのに受信料の未払があると主張する控訴人が、被控訴人に対し、原審においては、平成一五年一二月一日から平成二〇年三月三一日までの未払受信料一二万一六八〇円及びこれに対する約定利率による遅延損害金の支払を求めた事案である。
原審は、控訴人の請求を棄却したので、控訴人が控訴した。
なお、控訴人は、当審において請求を拡張し、さらに、平成二〇年四月一日から平成二二年三月三一日までの未払受信料五万五二六〇円及びこれに対する約定利率による遅延損害金の支払を求めた。
二 請求原因
(1) 法及び規約
控訴人は、放送法に基づいて設立された法人であり、同法三二条三項に基づき、総務大臣の認可を受けて、別紙「X協会放送受信規約概要」記載のとおり、放送受信契約の内容を定めたX協会放送受信規約(以下「規約」)を定めている。
(2) 契約の締結
被控訴人の妻である甲山B(以下「B」という。)は、平成一五年二月七日、被控訴人名で放送受信契約書に署名押印して控訴人に交付し、もって、控訴人との間において、被控訴人名義の放送受信契約(衛星カラー契約)を締結した(以下「本件契約」という。)。
(3) 被控訴人への本件契約の効果の帰属
ア 日常家事債務
本件契約の締結は、次の①ないし⑦のような客観的類型的事情及び⑧ないし⑭のような被控訴人ら夫婦に関する具体的事情に鑑みると、民法七六一条の日常の家事に関する法律行為に含まれるから、Bには、本件契約の締結に関し被控訴人を代理する権限があった。
① カラーテレビの普及率は、本件契約が締結された平成一五年当時において九九・四%であった。
② 国民一般がテレビの視聴に費やす時間が長い。
③ 郵便局や銀行における送金等のサービスにおいて、受信料は、電気代、ガス代、水道代と並んで「公共料金」として同様の取扱いをされている。
④ 本件契約締結当時の受信料は、新聞料や他の公共料金と比べて月額二三四〇円と低額であった。
⑤ 控訴人の業務は国民生活に効用をもたらしている。
⑥ 控訴人の放送を受信できる受信設備を設置した者は、放送法三二条一項により、控訴人と放送受信契約を締結すべき義務を負う。
⑦ 受信料は民法七六〇条の婚姻費用に含まれる。
⑧ 被控訴人とBとは、札幌市中央区○○地区所在の高級分譲マンションで同居していた。
⑨ 被控訴人は、上記⑧のマンションに、十三、四万円相当のテレビを設置していた。
⑩ 被控訴人とBの収入の総額は月額約五六万円であり、Bがこれを預かって家計管理をしており、その中から家計に属する支出かどうかを判断して支払をしていた。
⑪ 被控訴人は、ケーブルテレビのジェイコムに加入し、毎月五五八〇円の利用料を支払っている。
⑫ IT会社に勤務する被控訴人は日中ほとんど自宅におらず、休日もほとんど自宅にいないという状態であり、Bが家事全般について取り仕切っていた。
⑬ Bは、自らの判断で被控訴人名義で本件契約を締結し、その後実際に、平成一五年二月分から同年一一月分までの一〇か月分の受信料を控訴人に支払っているし、他に、コープの宅配取引及びツアー旅行取引について、被控訴人名義で自ら署名したことがある。
⑭ 電気、ガス、水道等の公共料金はすべて被控訴人名義で支払われていた。
イ 代理権授与
被控訴人は、本件契約に先立ち、Bに対し、本件契約についての代理権を与えていた。
すなわち、被控訴人は、Bに対し、夫婦にとって何らかの方針決定が必要な法律行為を除く日常生活に伴う法律行為等について、その要否の判断を委ね、代理権を授与していたものであり、本件契約の締結は、夫婦にとって何らかの方針決定が必要な法律行為ではなく、日常生活に伴う法律行為であるから、Bが被控訴人から与えられていた代理権の範囲に含まれる。
仮に明示的な代理権授与が認められないとしても、夫と妻との間では、他方の財産関係の管理が過去において異議なく行われていたという事実がある場合には、それに伴う通常の行為について黙示に代理権を授権していたとみるべきところ、前記ア⑧ないし⑭等の事情からすれば、本件契約締結当時、被控訴人は、Bに対し、黙示的に本件契約に関する代理権を授与していたことが認められる。
ウ 表見代理
仮に、本件契約の締結がBの代理権の範囲に属さないとしても、表見代理が成立し、本件契約は有効に被控訴人に帰属する。
すなわち、被控訴人は、Bに対し、夫婦にとって何らかの方針決定が必要な法律行為を除く公共料金に関することなど被控訴人の家庭にとって日常生活に伴う法律行為等について、その要否の判断を委ね、代理権を授与していたものであり(基本代理権の授与)、本件契約の締結がBの代理権に属さないとした場合、本件契約の締結は、基本代理権を超えて締結されたことになる。しかし、Bは本件契約の締結が自らの代理権の範囲内にあると信じており、かつ同人が本件契約の締結を行う際の態度に不自然不信な点はなく、「甲山」という印鑑を用いて押印し、二か月分の放送受信料四六八〇円を支払った。一方、控訴人の契約取次者は、マニュアルに従い適切に本件契約を締結した。また、控訴人の契約取次者は、Bと面談する時、契約者名を夫婦のいずれにするかについては、誰の名前で契約して欲しいとのお願いはせず、Bの判断を尊重していた。したがって、本件契約の締結に際し、放送受信契約の締結がBの代理権の範囲に属さないことにつき、控訴人の善意無過失は明らかである。
エ 追認
仮に、本件契約の締結がBの代理権の範囲に属さないとしても、本件契約は被控訴人により追認された。
すなわち、被控訴人は、控訴人と放送受信契約を締結したくないと考えていたが、それにもかかわらず、Bは、放送受信契約の締結がBの代理権の範囲に属すると信じ、本件契約の締結について被控訴人に報告する必要はないと考えていた。これらの事実を考え合わせると、被控訴人夫婦の間には放送受信契約の締結について決定的な齟齬が生じていたことになる。ところが、Bはおよそ一〇か月にわたり放送受信料を支払い続けたのであり、これほど長きにわたって、夫婦間の齟齬が顕在化しなかったとは考えにくい。そうすると、四回の被控訴人名義での放送受信料の支払のいずれかの回からは、本件契約の存在が被控訴人の知るところとなり、被控訴人の了解の下に放送受信料の支払が行われたと解するのが自然である。したがって、仮に本件契約の締結がBの代理権の範囲に属さないとしても、本件契約は被控訴人により追認されたと考えられる。
(4) 本件契約に基づく受信料支払義務
本件契約に基づく被控訴人の受信料支払義務の内容は、別紙「X協会放送受信規約概要」記載のとおりであるが、その金額は、平成二〇年九月三〇日までは月額二三四〇円、同年一〇月一日からは月額二二九〇円である(衛星カラー契約は平成一九年一〇月一日をもって衛星契約に変更されたが受信料額に変更はなく、平成二〇年一〇月一日をもって訪問集金は廃止され、衛星契約の受信料額は月額二二九〇円に変更された。)。
支払方法は、一年を二か月毎に六期に分けて、四月及び五月を第一期、六月及び七月を第二期、八月及び九月を第三期、一〇月及び一一月を第四期、一二月及び一月を第五期、二月及び三月を第六期とし、各期に当該期分を一括して支払わなければならない。そして、遅延損害金(規約では「延滞利息」と呼ぶ。)については、放送受信契約者が受信料の支払を三期分以上延滞したときは、一期当たり二%の割合で計算した延滞利息を支払わなければならないとされている。
(5) 未払
被控訴人は、平成一五年一二月一日から平成二二年三月三一日まで(平成一五年度第五期から平成二一年度第六期まで)の次のとおり、総計一七万六九四〇円の放送受信料を支払っていない。
① 平成一五年一二月一日から平成二〇年九月三〇日まで、月額二三四〇円の五八か月分、合計一三万五七二〇円
② 平成二〇年一〇月一日から平成二二年三月三一日まで、月額二二九〇円の一八か月分、合計四万一二二〇円
(6) よって、被控訴人は、控訴人に対し、本件契約に基づき、一七万六九四〇円及びうち一二万一六八〇円に対する弁済期後の日であり平成二〇年四月一〇日付け訴えの変更申立書送達の日(同年四月一三日)の属する期の翌期の初日である同年六月一日から、うち五万五二六〇円に対する弁済期後の日であり平成二二年五月一〇日付け訴えの変更申立書送達の日(同年五月二五日)の属する期の翌期の初日である同年六月一日から、それぞれ完済日が奇数月に属するときはその月の前々月末日まで、完済日が偶数月に属するときはその月の前月末日まで、二か月当たり二%の割合による金員の支払を求める。
三 請求原因に対する認否
(1) 請求原因(1)は知らない。
(2) 請求原因(2)のうち、Bが被控訴人名で放送受信契約書に署名押印したことは認めるが、その余の事実は否認する。
(3) 請求原因(3)アについては、以下に述べるように、そもそも放送受信契約一般についても、また、本件契約に限っても、民法七六一条の適用があることを争う。
ア 放送受信契約一般及び本件契約の締結は、日常家事の範囲に含まれない。
(ア) 民法七六一条は、実質的には夫婦は相互に日常の家事に関する法律行為について他方を代理する権限を有することを規定している。そして、「日常の家事」とは、夫婦共同生活に必要とされる一切の事務であり、その具体的範囲は、夫婦の社会的地位、職業、資産、収入、夫婦が生活する地域社会の慣習等の個別事情のほか、当該法律行為の種類、性質等の客観的事情を考慮して定められるべきものである。
日常の家事とは、衣食住という夫婦の共同生活の基本的部分にかかわるものをいい、こうした夫婦の基本的部分について、夫婦の生活状況に照らして必要かつ相当な支出を伴う契約の締結が日常の家事の範囲とされるべきである。
これに対し、夫婦の共同生活の基本的部分にかかわらないものや、夫婦の生活状況に照らして、不必要ないし不相当な支出を伴う契約の締結は、日常家事の範囲外とされるべきである。そして、契約の目的物の必要性の判断や支出の相当性の判断には、個々の夫婦の意思や事情も考慮されるべきである。
(イ) 以上に基づき、本件契約の締結が日常家事に含まれるか否か検討するに、放送受信契約は、衣食住にかかわる契約ではないこと、被控訴人夫婦に長期間にわたり相当な金銭的負担を強いるものであること、個人の思想信条にかかわる部分が大きいことの事情を考慮すると、夫婦間で代理権を認めるのにふさわしくない性質の契約であるといえる。その上、被控訴人は、放送受信契約の締結を希望しておらず、現に、控訴人が放送する番組を視聴しておらず、本件契約を締結しなくても、被控訴人夫婦の生活には支障がなく、放送受信契約を締結する必要性に乏しく、放送受信契約の締結が日常家事の範囲に含まれるとはいえない。
控訴人の契約相当者は、本件契約の締結が日常家事の範囲内に属するものかどうか、すなわち、被控訴人の妻に代理権があるのかについて疑念を差し挟む余地があったといえるにもかかわらず、契約書に被控訴人の妻が被控訴人の名を署名押印していても、このような疑念を払拭するに足る措置を何ら講じていないのであるから、本件契約の締結が日常家事の範囲内であると信ずるについて正当な理由があったといえない。
イ 放送受信契約について取引安全保護規定の適用はない。
民法七六一条は、法律行為によって夫婦の一方と取引関係に入った第三者を保護するための規定であるところ、そもそも、受信料支払債務は、法律で、受信装置を設置した者に対し、契約を義務付けた上でその義務付けられた契約の締結により発生する債務であり、しかも、片務的に発生するものであって(受信装置の設置に対し発生し、視聴等の対価として徴収するものではない。)、特殊な負担金であり、民法上の贈与契約に準ずる契約と解することができるから、取引安全法理の保護を控訴人に与える必要はない。したがって、控訴人の放送受信契約には、その性質上、民法七六一条を適用する余地は全くない。
(4) 請求原因(3)のイないしエについては、否認又は争う。
(5) 請求原因(4)は知らない。
(6) 請求原因(5)については、被控訴人が、控訴人が主張する平成一五年一二月一日以降の受信料を支払ってないことは認める。そもそも本件契約が成立していないから支払っていないのである。
第三当裁判所の判断
一 認定事実
当裁判所が認定した事実は次のとおり改めるほか、原判決「理由」欄の「一 認定事実」に記載のとおりであるから、これを引用する。
(1) 原判決一〇頁二行から一四行までを、次のとおり改める。
「 以下の事実は、《証拠省略》により認められるか、当事者間に争いがないか、当裁判所に顕著である。」
(2) 原判決一一頁三行から同頁四行までを、次のとおり改める。
「 Cは、控訴人のマニュアルに従い、世帯主の妻であっても、放送受信契約を締結することができると考えており、世帯主の妻が出て来た時も敢えて世帯主である夫が了解してるかどうか確認することはしていなかった。ただし、世帯主の妻から、自分では勝手にできないので世帯主である夫に聞いて欲しいと言われた場合には、夫のいる時間を聞いてその時間帯に改めて訪問することとしていた。なお、Cの経験上、平日の昼間に訪問した場合には、世帯主の妻が応対に出ることがほとんどであり、土曜、日曜、祝日の場合でも、世帯主の妻が応対に出る確率が七、八割であった。」
(3) 原判決一二頁五行の「争いがない」を、「甲一、二、証人C一回、二回」と改める。
(4) 原判決一二頁一六行から同頁一七行までを、次のとおり改める。
「 本件契約が有効に成立した場合、その内容は衛星カラー契約の訪問集金であり、そうすると、本件契約に基づく被控訴人の受信料支払義務の金額は、平成二〇年九月三〇日までは月額二三四〇円、同年一〇月一日からは月額二二九〇円である(衛星カラー契約は平成一九年一〇月一日をもって衛星契約に変更されたが受信料額に変更はなく、平成二〇年一〇月一日をもって訪問集金は廃止され、衛星契約の受信料額は月額二二九〇円に変更された。)。
しかし、被控訴人は、平成一五年一二月一日から平成二二年三月三一日まで(平成一五年度第五期から平成二一年度第六期まで)放送受信料を払っておらず(争いがない。)、本件契約が有効に成立した場合の被控訴人の未払額は、次のとおり、総額一七万六九四〇円となる。なお、規約によれば、放送受信契約者が放送受信料の支払を三期分以上遅滞した場合には、一期当たり二%の割合で計算した延滞利息を支払わなければならない(「期」とは、規約六条に定める二か月ごとの支払期間をいい、四月及び五月を第一期とする二か月ごとの支払期間をいう。)。
① 平成一五年一二月一日から平成二〇年九月三〇日まで、月額二三四〇円の五八か月分、合計一三万五七二〇円
② 平成二〇年一〇月一日から平成二二年三月三一日まで、月額二二九〇円の一八か月分、合計四万一二二〇円」
(5) 原判決一二頁二五行の「被告」を、「被控訴人二回」、一三頁一一行の「証人B、被告」を、「証人B一回、被控訴人二回」とそれぞれ改める。
(6) 原判決一三頁二三行の「一回」の次に、「、顕著事実」を加える。
(7) 原判決一四頁八行の「五、六頁」を削除する。
二 請求原因(1)は、《証拠省略》により明らかに認められ、又は当裁判所に顕著である。
また、前記一で認定したところによれば、Bが、平成一五年二月七日に、直接被控訴人名で、控訴人との間で、衛星カラー契約を締結し、集金の方法を訪問集金とした事実が明らかに認められるから、請求原因(2)も認められるところ、これは、Bが被控訴人のためにすることを示して被控訴人の代理人として、控訴人との間で本件契約を締結したものである。
また、前記一で認定したところによれば、本件契約が有効に成立した場合には、被控訴人は、請求原因(4)のとおりの受信料支払義務を負うべきところ、その未払額は請求原因(5)のとおりと認められ、規約によれば、上記未払額について、請求原因(6)のとおりの遅延損害金を支払うべき義務を負う。
したがって、控訴人の請求が認められるべきかどうかは、請求原因(3)の成否、すなわち、Bが被控訴人の代理人として行った本件契約締結行為の効果が被控訴人に帰属するか否かにより決せられる。
三 本件契約の日常家事債務性(請求原因(3)のア)について
(1) そこで、まず、本件契約締結が民法七六一条の日常家事行為に該当するかどうかを検討する。これが認められれば、Bは、本件契約について、被控訴人に代わって締結する法定代理権があったこととなり、その効果は被控訴人に帰属する。
(2) 放送法三二条一項本文は、控訴人の放送を受信できる受信設備を設置した者は、控訴人とその放送についての契約をしなければならないと定めており、受信設備設置者に放送受信契約締結義務を課している。前記認定したところによれば、被控訴人は、Bと結婚する以前に購入したテレビを現在も居住するマンションに引っ越した際に同マンションに設置し、その後Bと同マンションに居住するようになり、その少し後の平成一一年一二月に結婚し、以後現在に至るまで、被控訴人夫婦は同マンションにおいて夫婦共同生活を営んでいる。また、上記テレビがX協会の番組を受信できるものであったことも認められる。したがって、本件契約が締結された平成一五年二月当時、被控訴人は、控訴人の放送を受信できる受信設備の設置者として、控訴人と放送受信契約を締結すべき義務を負担していたと認められる。
(3) 民法七六一条は、婚姻生活において日常の家事処理に伴う債務は、夫婦のいずれが名義人であっても、実質的には夫婦共同の債務であること、また、日常家事について取引する相手方は、表意者が夫婦のいずれであっても、夫婦双方が法律行為の主体と考えるから、相手方保護の見地からも、日常家事債務については夫婦が連帯して責任を負うことと定めたものと解される。以上の趣旨に鑑みれば、同条は、上記連帯責任発生の前提として、夫婦は相互に日常の家事に関する法律行為につき他方を代理する権限を有することも規定していると解するのが相当である(最高裁判所昭和四四年一二月一八日第一小法廷判決・民集二三巻一二号二四七六頁参照)。
そして、民法七六一条にいう日常の家事に関する法律行為とは、個々の夫婦がそれぞれ共同の生活を営むうえにおいて通常必要な法律行為を指すものであるから、その具体的範囲は、個々の夫婦の社会的地位、職業、資産、収入等によって異なり、また、その夫婦の共同生活の存する地域社会の慣習によっても異なるというべきである。しかし、上述のとおり、同条が夫婦の一方の取引関係に立つ第三者の保護目的とする規定でもあることからすれば、上記具体的範囲は、単にその法律行為をした夫婦の共同生活の内部的な事情やその行為の個別的な目的のみを重視して判断すべきではなく、さらに客観的に、その法律行為の種類、性質等をも十分に考慮して判断すべきである。(上記最高裁判決参照)
(4) 以上の観点から、本来、本件契約を締結すべき義務があった被控訴人の代理人として、その妻であるBが本件契約を締結した行為が、民法七六一条の日常家事行為に該当し、Bに法定代理権があったかどうか、以下検討するに、上記(3)で述べたところに従い、まず、被控訴人夫婦の個別的事情を捨象して、本件契約が締結された平成一五年当時において、控訴人との間の放送受信契約の締結行為が、一般的に、夫婦共同生活を営む上において通常必要行為であったかどうかを検討する。
そうすると、①カラーテレビの世帯普及率は、平成一五年当時において九九・四%であり、平成二二年三月末現在においてもほぼ同率であること、②平成一七年の調査によっても、国民全体のうち九割以上が接しているメディアであり、その平均視聴時間は、平日が三時間二七分、土曜日が四時間三分、日曜日が四時間一四分であること、③日常家事行為であることが明らかな、電気、電話、ガス、上下水道料金とともにX協会受信料の支払が、金融機関において、「公共料金」として、自動引落サービスの対象となっていること、④前記認定したところによれば、本件契約締結当時の衛星カラー契約の受信料額は月額二三四〇円であり、平成二〇年一〇月の料金改定後の衛星契約の受信料額も月額二二九〇円であることが認められる。以上によれば、平成一五年当時、一般的な家庭において、テレビを家庭内に設置してテレビ番組を視聴することは、日常生活に必要な情報を入手する手段又は相当な範囲内の娯楽であり、また、これに伴って発生する受信料の支払も、日常家事に通常随伴する支出行為と認識され、その金額も夫婦の一方がその判断で決しても家計を直ちに圧迫するようなものではなかったことが認められる。
以上を前提に、控訴人の放送を受信可能なテレビを家庭内に設置した者は控訴人と放送受信契約を締結すべき義務を負っていたことからすると、実際にその家庭が控訴人の放送番組をどれくらい視聴していたかどうかに関係なく、平成一五年当時、受信料支払義務を伴う放送受信契約を控訴人と締結することは、一般的、客観的に見て、夫婦共同生活を営む上で通常必要な法律行為であったと解するのが相当である。
(5) 被控訴人は、放送受信契約の締結が、個人の思想信条にかかわる部分が多いから、夫婦間で代理権を認めるにはふさわしくない性質の契約である旨主張する。上記「思想信条」がいかなる内容をいうものであるか不明であるが、前述のとおり、控訴人の放送を受信可能なテレビを設置した以上、放送受信契約を締結すべきことは放送法で定められた法的義務なのであるから、かかる義務の存在を前提とする限り、設置者が個人的な「思想信条」により受信料を支払う意思を有しないからといって、そのことをもって放送受信契約締結の日常家事債務性を否定することはできない。
また、被控訴人は、日常家事に関する支出としての必要性の判断においては、個々の夫婦の意思や事情も考慮されるべきであるとして、被控訴人が放送受信契約の締結を希望しておらず、現に被控訴人はX協会の番組を視聴していないこと、本件契約を締結しなくても被控訴人夫妻の生活には支障がないことから、本件契約の締結は日常家事行為とはいえない旨主張する。しかしながら、前述したように、放送受信契約の締結はテレビを設置したことにより発生する法的義務であり、X協会の番組を実際に見ないことによって免除されるものではないから、前述のとおり、テレビの設置及び視聴自体に日常家事行為性が認められる以上、個々の家庭におけるX協会視聴の意欲や実績自体により、放送受信契約締結の日常家事債務性が否定されることにはならないというべきである。また、上記のごとき個々の家庭のX協会視聴の実態により、日常家事行為性の有無が左右されることになると、前記認定のとおり世帯主の妻による契約締結が相当数を占める現状のもとで、取引の安全性が著しく損なわれ、民法七六一条の立法趣旨の一つでもある取引相手の保護が果たされなくなる。
被控訴人は、控訴人の契約担当者が、本件契約の締結が日常家事の範囲内に属するかどうか疑念を差し挟む余地があるにもかかわらず、Bが被控訴人名で署名押印する際、その疑念を払拭する措置を講じなかった旨主張する。しかし、前記認定したところによれば、Bは、控訴人担当者の求めに応じて、被控訴人の了解の必要性について何ら言及することなく、放送受信契約書に被控訴人名で署名押印しており、控訴人担当者も、世帯主の妻には契約締結の代理権があることを前提に、他の契約における場合と同様に、特に世帯主の同意の有無を確認することなく、本件契約を締結したのであるから、被控訴人の主張は前提を欠き、採用できない。
以上によれば、上記被控訴人の各主張はいずれも採用できない。
(6) 被控訴人は、受信料は「特殊な負担金」であるから、取引安全保護規定である民法七六一条の適用はない旨主張する。
確かに、放送受信契約は、控訴人の放送を受信可能な受信機を設置することによって、実際に控訴人の放送を受信するか否かに関係なく締結を義務づけられるものであり、その意味で、放送受信契約は、対価的給付を前提とせずに受信料の支払義務のみを負担する契約であると認められる。また、前記認定したところによれば、上記のごとき契約締結義務が放送法で定められるに至った背景には、公共放送機関である控訴人の事業を成り立たせるための「一種の国民的負担」を国民に負わせる必要があるとの認識があったことも認められる。
しかし、前述のとおり、婚姻生活において日常の家事処理に伴う債務は、夫婦のいずれが名義人であっても、実質的には夫婦共同の債務であることが、民法七六一条の立法趣旨でもある以上、取引安全の保護を唯一の立法趣旨であることを前提とする被控訴人の主張は、その点で前提を欠き採用できない。テレビ設置者が契約締結義務を負い、前述のとおり、テレビの視聴や受信料の支払が一般的に日常家事行為に含まれると解する以上、放送受信契約を日常家事行為と解しても、上記民法七六一条の趣旨に反するものではないというべきである。
また、上述のとおり、受信料の支払が義務的負担としての性格を有することは否定できないが、そのための法的枠組みとして、放送法は、罰則のない契約締結義務を定めるだけで、それ以上に、通常の私人と異なる強制的な徴収権限等は一切定めておらず、テレビ設置者の任意の契約締結に基づき、民事訴訟法や民事執行法等により契約内容の実現を図る以外の法的手段があるわけではないのであるから、受信料が「特別の負担金」であるとして、放送受信契約を他の私法上の契約と別異の取扱いをするのも相当でない。
よって、上記被控訴人の主張も採用できない。
(7) 以上によれば、Bによる本件契約の締結は、民法七六一条の日常家事行為に含まれ、Bは、被控訴人を代理する法定代理権を有していたというべきである。
四 結論
以上によれば、代理権授与、表見代理及び追認(請求原因(3)イないしエ)の成否を判断するまでもなく、本件契約の効果は被控訴人に帰属し、控訴人の請求(拡張後の請求を含めて)には全部理由があるというべきである。
よって、本件控訴に基づき原判決を取り消して控訴人の当初請求を認容するとともに、控訴人が当審において拡張した請求も認容することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 末永進 裁判官 古閑裕二 住友隆行)
別紙 X協会放送受信規約概要《省略》