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札幌高等裁判所 平成25年(ネ)385号 判決 2014年2月27日

控訴人

甲野花子

同訴訟代理人弁護士

村越仁

被控訴人

Y株式会社

同代表者代表取締役

乙川太郎

同訴訟代理人弁護士

神﨑浩昭

髙石博司

井川寿幸

主文

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1  控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は,控訴人に対し,173万2379円及びこれに対する平成17年8月2日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。

4  仮執行宣言

第2  事案の概要

1  本件は,司法書士を代理人として被控訴人との間で過払金についての和解契約を締結した控訴人が,当該和解契約は無効であると主張して,被控訴人に対し,不当利得に基づいて,取引開始当初からの取引履歴を基に算出した過払金及び平成17年8月1日時点での法定利息の合計273万2379円から当該和解契約に基づいて受領した和解金100万円を差し引いた173万2379円及びこれに対する和解金の受領日の翌日である平成17年8月2日から支払済みまで年5分の割合による利息の支払を求めた事案である。

2  前提事実(認定に用いた証拠等は末尾に掲げる。)

(1)当事者等

ア 控訴人は,被控訴人との間で,昭和57年11月15日から平成17年6月9日まで,借入れ,弁済を繰り返していた。

イ 被控訴人は,平成18年法律第115号による改正前の貸金業の規制等に関する法律(以下「貸金業法」という。)に基づく登録を受けて,貸金業を営む会社である。

ウ 丙山葉子司法書士(以下「丙山司法書士」という。)は,平成17年7月頃,控訴人から債務整理の依頼を受けた認定司法書士(司法書士法3条1項6号ないし8号所定の簡裁訴訟等関係業務を行うことができる同条2項所定の司法書士)である。

(2)取引履歴

控訴人と被控訴人との間の取引履歴(以下「本件取引履歴1」という。)及びこの履歴を基に算出される過払金,法定利息の額は原判決別紙利息制限法に基づく法定金利計算書1(以下「本件計算書1」という。)記載のとおりである。

(3)本件和解契約(甲2)

ア 被控訴人は,平成17年7月頃,丙山司法書士に対し,控訴人と被控訴人との間の平成7年5月8日以降の取引履歴(以下「本件取引履歴2」という。)を開示した。

本件取引履歴2及びこの履歴を基にいわゆる「冒頭ゼロ計算」(平成7年5月8日の時点では,同日以前の借入金は弁済が済んでおり,借入金は同日に借り入れた1万円のみであると仮定した計算)の方法で算出される過払金(以下「冒頭ゼロ計算による過払金」という。)の額は原判決別紙利息制限法に基づく法定金利計算書2(以下「本件計算書2」という。)記載のとおりである。

イ 丙山司法書士は,控訴人を代理して,平成17年7月25日,被控訴人との間で,①被控訴人は控訴人に対して過払金100万円の支払義務があることを認める,②被控訴人は控訴人に対して同年8月8日限り過払金100万円を支払う,③控訴人と被控訴人は上記①,②に定めるもののほか何らの債権債務が存しないことを相互に確認する(以下「本件清算条項」という。)との定めをした和解契約(以下「本件和解契約」という。)を締結した。

ウ 被控訴人は,同年8月1日,丙山司法書士に対し,本件和解契約で定められた100万円の支払をした。

3  争点及び当事者の主張

(1)本件和解契約の効力(争点1)

(控訴人の主張)

ア 本件和解契約は,丙山司法書士の代理権限を超えて締結されたものであり,無効である。

すなわち,裁判外で過払金の返還を請求する場合においては,司法書士法3条1項7号で定める「紛争の目的の価額」とは,同項6号イで定める「訴訟の目的の価額」と同様に,最終的に判決で認められた金額ないし和解金額ではなく,過払金返還請求権者が当初請求していた過払金の金額を基準に判断されるべきである。

丙山司法書士は,本件和解契約を締結するに先立って,被控訴人に対して金額を明示して過払金の返還を請求したわけではないが,一部請求であることを明示して請求していたわけでもないのであるから,被控訴人から開示を受けていた本件取引履歴2を基に算出される過払金(冒頭ゼロ計算による過払金)の全額を請求していたとみるべきである。

そうすると,冒頭ゼロ計算による過払金の額は140万円を超えているのであるから,丙山司法書士には控訴人と被控訴人との取引で生じた過払金返還請求権について代理権限はなく,本件和解契約は無効である。

イ 丙山司法書士が開示を受けたのは,控訴人と被控訴人との間の平成7年5月8日以降の取引履歴(本件取引履歴2)であって,昭和57年11月15日からの取引履歴(本件取引履歴1)ではなかった。ところが,丙山司法書士は,本件和解契約締結当時,本件取引履歴2が控訴人と被控訴人との間の全ての取引履歴であると誤信していた。本件和解契約は,丙山司法書士がこのような錯誤に陥っていたために締結されたものであり,このことからしても同契約は無効である。

(被控訴人の主張)

ア 「紛争の目的の価額」については種々の解釈がされているが,仮に丙山司法書士が被控訴人に対し140万円を超える金額の過払金を請求していたならば,その代理権限を超えていると解される余地はある。

しかし,丙山司法書士は,本件和解契約に先立って,被控訴人に対し,本件取引履歴2を基に「冒頭ゼロ計算」の方法で計算すると過払金が発生するとの連絡をしただけである。丙山司法書士は,この当時,冒頭ゼロ計算による過払金の額が控訴人と被控訴人との取引により生じた過払金として確定できる金額であるとは認識しておらず,過払金の額が140万円を超えているとも超えていないとも確定できないと認識していた。他方,被控訴人は,丙山司法書士から,具体的な金額を明示した請求を受けたわけではないし,冒頭ゼロ計算による過払金の額がいくらなのか示されたわけでもない。

このような場合に,冒頭ゼロ計算による過払金の額を「紛争の目的の価額」とみて,丙山司法書士には本件和解契約を締結する代理権限がなかったとするのは不当である。

すなわち,被控訴人において,具体的な金額を明示した請求を受けたわけではないし,冒頭ゼロ計算による過払金の額がいくらなのか示されたわけでもないのであるから,丙山司法書士に代理権限がないとは判断できない。被控訴人において,冒頭ゼロ計算による過払金の額がいくらになるのか確認する義務はないし,丙山司法書士との間で締結した和解契約が後日無効とされるのを避けるために控訴人と直接交渉を試みることは,被控訴人が貸金業法21条1項6号違反に問われかねず,自ら交渉する代わりに丙山司法書士に依頼した控訴人の意向にも反することにもなりかねない。

イ 本件和解契約が錯誤により無効であるとの控訴人の主張は争う。

丙山司法書士は,本件和解契約締結当時,本件取引履歴2が控訴人と被控訴人との間の全ての取引履歴であるとは誤信していない。

(2)仮に本件和解契約が有効であるならば,本件清算条項の効力が及ぶのは100万円の範囲内にとどまるのか(争点2)

(控訴人の主張)

和解契約は当事者間で生じた紛争解決のためになされる。そして,和解契約において通常設けられる清算条項は,当事者間の紛争の蒸し返しを防ぐためのものであるから,当事者間の紛争の目的物についてのみ効力が及ぶ。なぜなら,仮に紛争の目的物の範囲外にまで清算条項の効力が及ぶとすると,当事者は,前回紛争の目的物とされていなかった事象について争う権利を奪われることになってしまい,不当だからである。したがって,本件和解契約が有効であるとしても,本件清算条項の効力は,控訴人の被控訴人に対する不当利得に基づく過払金返還請求権のうち同契約に基づいて支払を受けた100万円の限度でのみ効力を生じ,これを超える過払金には効力を生じない。

(被控訴人の主張)

争う。100万円を超える部分について清算条項の効力が及ばないとすれば,そもそも清算条項の意味そのものが失われることとなることは自明であり,当事者の合理的意思としてあり得ない解釈である。

(3)控訴人が,本件和解契約は丙山司法書士が代理権限を超えて締結されたものであることを理由として無効であると主張することは,禁反言,信義則に反するとされるか(争点3)

(被控訴人の主張)

控訴人は,丙山司法書士に債務整理を依頼し,丙山司法書士を代理人として,被控訴人に対して過払金の返還を求め,本件和解契約を締結し,和解金100万円の支払を受けている。控訴人には,この当時,被控訴人から速やかに過払金を回収し,ほかの消費者金融業者に対する弁済を意図していた様子もうかがわれるのであり,和解金を受け取るまでの経過は全て控訴人の意向に沿ったものである。

そのような控訴人が,その数年後に言い渡された下級審裁判例で判示された認定司法書士の代理権に関する見解に依拠し,自らが丙山司法書士に授権した代理権限の範囲が認定司法書士の代理権限の範囲を超えていたなどと主張すること自体,自己矛盾以外の何ものでもなく,禁反言の原則,信義則に反するものであり,到底許されるものではない。

なお,控訴人が,本件和解契約を締結するに先立って,丙山司法書士からどのような説明を受けていたのかは被控訴人においてあずかり知らないところであり,仮に十分な説明を受けていなかったとしても,そのことによる不利益を被控訴人が負わなければならないいわれはない。

(控訴人の主張)

争う。控訴人は,丙山司法書士が本件和解契約を締結するに先立って,丙山司法書士から,冒頭ゼロ計算による過払金の額が約153万円であるとの説明も,140万円を超える過払金を請求することは認定司法書士の代理権限の範囲を超えることになるとの説明も受けていない。

法律に疎い一般消費者である控訴人には,本件和解契約締結当時,本件和解契約が丙山司法書士が代理権限を超えて締結したものであることを知らなかったし,そのことに帰責性もない。

他方,貸金業者である被控訴人は,本件和解契約締結当時,控訴人との取引により生じている過払金の金額が明らかに140万円を超えていることを認識していたにもかかわらず,返還すべき過払金が100万円に抑えられることから,丙山司法書士との間で本件和解契約を締結した。

このように,本件和解契約締結当時の控訴人,被控訴人の属性・認識に照らせば,控訴人の本件請求は禁反言,信義則に反するものではない。

(4)被控訴人が争点3の主張をすることは禁反言,信義則に反するか(争点4)

(控訴人の主張)

前記(3)で主張したとおり,被控訴人は,控訴人との取引により生じている過払金の金額が明らかに140万円を超えていることを認識していたにもかかわらず,返還すべき過払金が100万円に抑えられることから,丙山司法書士との間で本件和解契約を締結した。

また,被控訴人は,丙山司法書士に対し,昭和57年11月15日からの取引履歴(本件取引履歴1)を開示する義務があったのに,過去10年分の取引履歴(本件取引履歴2)しか開示しなかった。被控訴人は,貸金業者の債務者に対する取引履歴開示義務を判示した最高裁平成16年(受)第965号同17年7月19日第三小法廷判決・民集59巻6号1783頁の言渡しがあった後も,本件取引履歴1を開示することなく,平成17年7月25日に本件和解契約を締結した。本件取引履歴1が開示され,引き直し計算が適切に行われていれば,過払金,法定利息の額は本件計算書1記載のとおりとなるのであるから,丙山司法書士においてこの金額を前提とした交渉をしていたはずである。ところが,丙山司法書士は,本件取引履歴2の開示を受けただけであったので,過払金は約153万円であるとの認識で被控訴人と交渉し,法律上発生している過払金の約37ないし51パーセント程度にすぎない100万円の支払を受けるとの本件和解契約を締結してしまったのである。すなわち,被控訴人は,本件取引履歴1を開示すると算出される過払金が増大することから,自己の返還すべき過払金を少しでも減らすために,前記最高裁判決が言い渡されたのにもかかわらず,殊更自己の作出した違法状態を維持したまま,丙山司法書士の錯誤に乗じて,100万円のみを支払うとの本件和解契約を締結したのである。

以上のとおり,本件和解契約締結に至るまでの被控訴人の行為の違法性・背信性は明らかであり,このような振る舞いをした被控訴人が,控訴人の禁反言,信義則違反を主張することは,それ自体,クリーンハンズの原則に反するもので許されないというべきである。

(被控訴人の主張)

争う。前記(1)で主張したとおり,被控訴人は,具体的な金額を明示した請求を受けたわけではないし,冒頭ゼロ計算による過払金の額がいくらなのか示されたわけでもないのであるから,丙山司法書士に代理権限があるものとして本件和解契約を締結したことで,控訴人に非難されるいわれはない。また,本件和解契約締結当時,保管している取引履歴の全てを当然に開示する運用になっていなかったのであるし,本件取引履歴2の開示を受けた丙山司法書士が更に本件取引履歴1の開示まで求めていなかった。このような事情からすると,被控訴人が,本件取引履歴1を開示することなく,丙山司法書士との間で本件和解契約を締結したからといって,争点3の主張をすることが許されなくなることはあり得ない。

第3  当裁判所の判断

1  認定事実

前提事実,関係証拠(甲2,7,10,12,原審における証人丙山葉子に対する書面尋問の結果,原審における控訴人本人(認定と異なる部分を除く。))及び弁論の全趣旨によると,以下の事実が認められる。

(1)丙山司法書士は,平成17年6月10日頃,控訴人から債務整理についての相談を受け,控訴人に対して釧路市内で開業している弁護士,司法書士に依頼することを勧めていたが,控訴人が応じず,丙山司法書士に依頼することを強く希望したことから,相談を受けることにした。

控訴人は,同月15日,北海道河西郡<以下略>内にある丙山司法書士の事務所で,丙山司法書士に対し,被控訴人,株式会社A,B株式会社及び株式会社Cとの取引について債務整理を依頼した。

控訴人は,このとき,丙山司法書士に対し,①被控訴人,株式会社A,B株式会社,株式会社C及び株式会社Dとの間で取引をしている,②被控訴人,株式会社A及びB株式会社とは20ないし25年前から取引をしている,③契約書,取引明細など取引に関する書類は全て処分していると説明するとともに,④他人に知られたくないので,自分に電話をかけないでもらいたいと述べた。

丙山司法書士は,このとき,控訴人に対し,①株式会社Cとの取引では残債務があると思われるので,被控訴人,株式会社A及びB株式会社との取引で生じている過払金で株式会社Cに対する債務を弁済する,②丙山司法書士において,まず被控訴人,株式会社A及びB株式会社に対して介入通知をして,株式会社Cにはその少し後に介入通知をして債務額を確定する,③取引期間が長い被控訴人,株式会社A及びB株式会社との取引では生じている過払金の額が140万円を超える可能性が高く,その場合には認定司法書士では直接交渉ができない旨,債務整理の方針ないし見込みについて説明した。

(2)丙山司法書士は,その後,被控訴人,株式会社A,B株式会社及び株式会社Cに対し,控訴人との取引履歴の開示を求め,これらの貸金業者から開示を受けた(被控訴人から開示を受けたのが本件取引履歴2である。)。丙山司法書士が,開示された取引履歴を基に「冒頭ゼロ計算」の方法で過払金元本の額を算出すると,被控訴人に対しては約153万円(冒頭ゼロ計算による過払金),株式会社Aに対しては約112万円,B株式会社に対しては約126万円となった。

もっとも,丙山司法書士は,この当時,冒頭ゼロ計算による過払金の額が控訴人と被控訴人との取引により生じた過払金として確定できる金額であるとは認識しておらず,過払金の額が140万円を超えているとも超えていないとも確定できないと認識していた。

また,丙山司法書士は,本件取引履歴2が直近10年間分のものであることは認識していたが,被控訴人が任意に保管している取引履歴の全てを開示することはないだろうと考え,被控訴人に対し,本件取引履歴1の開示までは求めなかった。

(3)丙山司法書士は,平成17年7月18日,ファクシミリで,被控訴人,株式会社A及びB株式会社に対し,「甲野氏(判決注・控訴人)は頭ゼロ計算で再計算の結果,過払金があることが判明したので7月中に連絡がなければ悪意の受益者としての利息を含め提訴を考えておられます。」との趣旨の文書を送信した。

(4)丙山司法書士は,その後,被控訴人及びB株式会社から,最短で払える額として100万円を提示された。

丙山司法書士は,本件和解契約に先立って,控訴人に対し,開示された取引履歴を基に「冒頭ゼロ計算」の方法で算出される過払金の額を説明した。これに対し,控訴人は,株式会社Cに対する弁済を早く済ませたいから被控訴人,株式会社A及びB株式会社が返還してくれるだけの過払金を早く回収してもらいたい,自分で被控訴人,株式会社A及びB株式会社と交渉したり,訴訟を提起したり,新たに弁護士に依頼したりは,したくないとの意向を示した。

(5)丙山司法書士は,平成17年7月25日に本件和解契約を締結し,同年8月1日に被控訴人から100万円の支払を受けた。

(6)丙山司法書士は,平成17年8月8日,株式会社Cからの取引履歴の開示を受け,株式会社Cに対する債務の額が110万9513円であることが判明した。丙山司法書士は,株式会社Cに対し,他の貸金業者から回収した過払金で一括返済するため,少し待ってほしい旨を伝えた。

(7)丙山司法書士は,平成17年8月1日に被控訴人から100万円,同月30日にB株式会社から100万円の支払を受け,丙山司法書士の預り金で管理していた。

丙山司法書士は,同年9月,株式会社Cとの間で,同月末に一括返済するとの和解契約を締結し,同月26日,前記預り金から株式会社Cに対して和解額を送金した。

(8)丙山司法書士は,株式会社Aから連絡がなかったことから,控訴人から訴訟委任状の提出を受けて,平成17年9月15日,株式会社Aに対して過払金及び法定利息合計約148万円の支払を求める訴訟を釧路簡易裁判所に提訴した。当該訴訟の第1回口頭弁論期日は同年10月19日に指定されたが,同期日は延期された。

(9)控訴人は,平成17年10月20日,丙山司法書士の事務所で,丙山司法書士と会った。

控訴人は,このとき,丙山司法書士に対し,株式会社Aから110万円の支払を受けることで,裁判外の和解をすることを承諾した。

丙山司法書士は,このとき,控訴人に対し,被控訴人及びB株式会社から支払を受けた200万円と株式会社Aから支払を受けると見込まれる110万円の合計額から株式会社Cに対する弁済金と丙山司法書士の報酬を差し引いた148万円を交付した。

(10)丙山司法書士は,平成17年10月27日,株式会社Aとの間で,同年11月25日限り110万円の支払を受けるとの和解契約を締結した。丙山司法書士は,同日,株式会社Aから110万円の支払を受けたため,その後前記(8)記載の訴訟を取り下げた。

(11)事実認定の補足説明

ア 控訴人は,本件訴訟で,丙山司法書士から,①平成17年6月15日には,被控訴人との取引で生じている過払金の額が140万円を超える可能性が高く,その場合には認定司法書士では直接交渉ができないとの説明を受けていない,②本件和解契約に先立って,冒頭ゼロ計算による過払金の額が約153万円であるとの説明も受けていないと主張し,原審における尋問,陳述書(甲10,12)で,同様のことを述べる。

イ しかし,丙山司法書士は,前記(1)で認定したとおり,当初は釧路市内で開業している弁護士,司法書士に依頼するよう勧めたが,控訴人の強い意向により債務整理を受任したもので,かつ,関係証拠(甲7,原審における証人丙山葉子に対する書面尋問の結果)によると,丙山司法書士は,控訴人から債務整理の依頼を受けた当時,過払金の額が140万円を超える場合には直接交渉できないと認識していたことが認められる。そして,丙山司法書士は,冒頭ゼロ計算による過払金が約153万円になることを把握した上で,前記(3)で認定したとおり,被控訴人に対し,140万円を超える金額を明示した請求はしていない。

このような事情からすると,過払金の額が140万円を超える場合には直接交渉できないと認識していた丙山司法書士が,控訴人に対してこのことを敢えて隠して依頼を受けようとしていたとか,このことの説明を怠っていたとみることはできず,前記(1)で認定したとおりの説明をしたと認めるのが相当である。

ウ また,丙山司法書士は,前記(8)ないし(10)で認定したとおり,平成17年9月15日に訴訟を提起するまで株式会社Aからの連絡を待つとともに,株式会社Aに対する訴訟提起,裁判外の和解をするに当たっては,その都度,控訴人の意向を確認している。このような経過を踏まえると,丙山司法書士が,控訴人に対する事情説明や,和解についての意向確認をすることなく,被控訴人との間で本件和解契約を締結したとは考え難く,前記(4)で認定したとおりの説明をしたと認めるのが相当である。

なお,控訴人は,本件和解契約に先立って丙山司法書士から説明を受けていなかったことの根拠となる事情として,早期に過払金の回収を求めていた控訴人が平成17年10月20日まで丙山司法書士の事務所を訪ねなかったとの事情を挙げる。しかし,前記(1)で認定したとおり,丙山司法書士による債務整理の方針は,回収した過払金で株式会社Cに対する債務を弁済するというものであり,前記(6)で認定したとおり,本件和解契約を締結した当時は,株式会社Cに対する債務の額が明らかではなく,丙山司法書士が控訴人に清算金を交付できる時期も明らかでない状況であった。したがって,控訴人が平成17年10月20日まで丙山司法書士の事務所を訪ねなかったとの事情は,丙山司法書士が前記(4)のとおり説明したことの認定を妨げる事情とはならない。

2  争点1(本件和解契約の効力)について

(1)代理権限の有無について

ア  「紛争の目的の価額」について

司法書士法3条1項7号は,司法書士の業務として,「紛争の目的の価額」が140万円を超えないものについて,「相談に応じ」ること,「裁判外の和解について代理すること」を定めている。140万円を超えるかどうかは民事訴訟法8条,9条の規定により算定されるとされるものと解される。そして,同法8条で定める「訴えで主張する利益」とは,「原告が全部勝訴の判決を受けたとすれば,その判決によって直接受ける利益」のことであるから,不当利得返還請求権のような金銭支払請求権であれば「請求金額」であると解される。

イ  「請求金額」について

(ア)前記1(3)で認定したとおり,丙山司法書士は,被控訴人に対し,「甲野氏(判決注・控訴人)は頭ゼロ計算で再計算の結果,過払金があることが判明したので7月中に連絡がなければ悪意の受益者としての利息を含め提訴を考えておられます。」との趣旨の文書を送信しただけで,具体的な金額を明示した請求をしておらず,冒頭ゼロ計算による過払金の額がいくらなのかも示していなかった。また,前記1(2)で認定したとおり,丙山司法書士は,この当時,冒頭ゼロ計算による過払金の額が控訴人と被控訴人との取引により生じた過払金として確定できる金額であるとは認識しておらず,過払金の額が140万円を超えているとも超えていないとも確定できないと認識していた。そして,前記1(11)で認定したとおり,丙山司法書士は,この当時,過払金の額が140万円を超える場合には直接交渉できないと認識していた。

このような丙山司法書士及び被控訴人が認識していた事情,丙山司法書士による交渉態様によれば,丙山司法書士が,被控訴人に対し,前記文書を送信することで,140万円を超える請求をしていたとは認められない。

(イ)前提事実記載(3)によると,本件計算書2記載のとおり,冒頭ゼロ計算による過払金は140万円を超える。しかしながら,冒頭ゼロ計算による過払金は,丙山司法書士が本件取引履歴2を基に「冒頭ゼロ計算」の方法で算出したものにすぎず,算出した丙山司法書士においても前提を仮定した計算上の金額とみていたにとどまるし,被控訴人に示されたものでもない。したがって,冒頭ゼロ計算による過払金が140万円を超えることは,前記認定を妨げる事情とはならない。

ウ  本件和解契約の効力について

前記イで判断したとおり,丙山司法書士は被控訴人に対して140万円を超える請求をしていたとは認められないから,丙山司法書士が本件和解契約を締結することは代理権限の範囲内である。前記1(1)(2)で認定したとおり,取引履歴が直近10年分のもの(本件取引履歴2)しか開示されず,控訴人が取引に関する書類は全て処分しているため,丙山司法書士は,この当時,過払金の額が140万円を超えているとも超えていないとも確定できないと認識していたが,過払金の額が確定できない限り,裁判外の和解ができないと解すべき根拠はないし,前記1(4)で認定したとおり,控訴人は,自分で被控訴人を含む貸金業者との交渉や,訴訟提起や,新たに代理人弁護士に依頼することなく,早期に過払金を回収してもらいたいとの意向であったのであるから,丙山司法書士が過払金の確定額を認識していなかったことは上記結論を左右するものではない。

(2)錯誤について

控訴人は,本件訴訟で,丙山司法書士が,本件和解契約締結当時,本件取引履歴2が控訴人と被控訴人との間の全ての取引履歴であると誤信していたと主張する。

しかし,前記1(2)で認定したとおり,丙山司法書士は,本件和解契約締結当時,本件取引履歴2が全ての取引履歴ではなく,直近10年間分のものであることは認識していたのであるから,控訴人の錯誤無効の主張は前提を欠き,理由がない。

3  争点2(本件清算条項の効力が及ぶ範囲)について

控訴人は,本件和解契約が有効であるとしても,本件清算条項の効力は,控訴人の被控訴人に対する不当利得に基づく過払金返還請求権のうち同契約に基づいて支払を受けた100万円の限度でのみ効力を生じ,これを超える過払金には効力を生じないと主張する。

しかし,このように解すると,本件和解契約は被控訴人が控訴人に対して過払金の内金100万円を支払うと定めただけのものとなり,裁判外の和解をするとの当事者の合理的意思に反することは明らかである。控訴人の主張は採用することができない。

第4  結論

以上によれば,控訴人の請求はその余の争点について検討するまでもなく理由がない。よって,原判決は結論において相当であり,本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡本岳 裁判官 近藤幸康 裁判官 石川真紀子)

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