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札幌高等裁判所 平成26年(う)160号 判決 2014年12月18日

主文

原判決を破棄する。

本件を札幌地方裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は検察官浦田啓一作成の控訴趣意書に,これに対する答弁は弁護人松田竜作成の答弁書に,それぞれ記載されたとおりであるが,論旨は訴訟手続の法令違反の主張である。

そこで,原審記録を調査して検討する。

1  論旨は次のようなものである。すなわち,本件の平成25年5月17日付け公訴事実は,「被告人は,法定の除外事由がないのに,平成25年5月2日頃,札幌市<以下略>「Pマンション」*号室乙川秋子方において,覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンの塩類若干量を含有する水溶液を自己の身体に注射し,もって覚せい剤を使用したものである。」というものであり,同年6月6日付け公訴事実は,「被告人は,乙川秋子と共謀の上,みだりに,平成25年5月7日,札幌市<以下略>付近路上に駐車中の自動車内において,覚せい剤である塩酸フェニルメチルアミノプロパンの結晶粉末約0.542グラムを所持したものである。」というものである。しかるに,原裁判所は,平成26年6月4日付け決定で,前者の公訴事実に係る証拠として検察官が証拠調請求をした被告人の尿の鑑定書(原審甲第3号)並びに後者の公訴事実に係る証拠として検察官が証拠調請求をした覚せい剤の鑑定書(同第6号)及び覚せい剤(2包。同第12号,第13号)について,いずれも違法収集証拠であり証拠能力を欠くと判断して,証拠調請求を却下した。また,原裁判所は,同月11日の原審第6回公判期日に,乙川秋子の証人尋問,覚せい剤の分離に関する捜査報告書(原審甲第7号)及び被告人の供述調書(8通。原審乙第1号ないし第5号,第11号ないし第13号)について,いずれも必要性がないとして検察官の証拠調請求を却下した。そして,原判決において,本件で上記各公訴事実を認めるに足りる証拠がなく,犯罪の証明がないことに帰するとして,被告人に対し無罪を言い渡した。しかしながら,上記各証拠について,証拠能力及び取調べの必要性が認められるから,それらの証拠調請求を却下した原審の訴訟手続には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある,というのである。

2  原審記録によれば,本件における被告人に対する職務質問の開始から,強制採尿を経て,覚せい剤の押収に至る一連の経過は,次のとおりであったと認められる。

(1)X警察本部地域部自動車警ら隊所属のA警部補,B巡査長及びC巡査は,警ら用無線自動車(以下「本件警察車両」という。)に乗車して警ら中の平成25年5月7日午前2時08分頃に(以下,同日中の出来事について,年月日の記載を省略する。),札幌市<以下略>所在のコンビニエンスストアの駐車場内で,駐車中の普通乗用自動車(以下「被告人車両」という。)内にいた被告人を認め,深夜に,繁華街から遠くない場所で,暴力団員等の素行不良者が使用することの少なくない高級車の運転席に若い女性が一人で乗車していることなどに不審を抱き,被告人に対する職務質問を開始した。そして,A警部補らは,被告人に対して運転免許証の提示を求めたほか,間もなく被告人車両に戻ってきた乙川に対しても,その氏名を尋ねるなどしたが,特段の不審な点が認められなかったことから,数分間で職務質問を一旦終了した。

(2)その後,A警部補らは,被告人について,氏名照会により平成24年10月に覚せい剤取締法違反による逮捕歴があることが判明したことや,職務質問の際に被告人が多弁であり,運転免許証を探すのに時間がかかったことなど,挙動に不審な様子が見られたことなどから,覚せい剤使用の可能性があると考えて,再度の職務質問を実施することとし,午前2時20分頃に<住所略>付近道路を走行中の被告人車両に停車を求めた。すると,被告人は,その指示に従って<住所略>先路上(以下「本件現場」という。)に被告人車両を停車させた。そこで,A警部補らは,被告人車両の後方に本件警察車両を停車し,3名全員が降車した上,A警部補とB巡査長が被告人車両の運転席横に行き,被告人に対し,手荷物を持って本件警察車両に移るよう求めた。これに対し,被告人は,被告人車両内にあった黒色トートバッグとルイ・ヴィトン製のバッグを持って降車し,本件警察車両の運転席側後部座席に着席した。なお,同座席側のドアは,チャイルドロックにより車内から開扉できない状態になっていた。

そして,A警部補が本件警察車両の助手席に,B巡査長が同車の助手席側後部座席に,それぞれ着席して,被告人に対する職務質問を開始した。なお,C巡査は,被告人車両の助手席横に立って,同車助手席に乗車していた乙川の動静を注視していた。

(3)まず,A警部補が,被告人に対し,本件警察車両に移ってもらった理由が分かるかを尋ねると,被告人は,以前に覚せい剤取締法違反で逮捕されたからだろうと答え,前回の覚せい剤の使用方法について尋ねられると,いわゆるあぶりによる使用である旨応答した。さらに,被告人は,A警部補から,今回も覚せい剤を使用したのではないかと尋ねられると,それを否定する一方,前記2個のバッグの所持品検査を求められると,素直にそれに応じ,B巡査長にそれらのバッグを差し出した。そして,同巡査長がバッグの中を調べたところ,ルイ・ヴィトン製のバッグの内ポケットにティッシュペーパーの塊(以下「ティッシュ塊」という。)が押し込まれているのを発見した。そのため,同巡査長が,ティッシュ塊を取り出し,被告人に示して「これ何。」と尋ねたところ,被告人は,B巡査長の手からティッシュ塊を取り上げ,両手を背後に回してそれを隠す仕草をした。これに対し,同巡査長は,ティッシュ塊を提出するよう説得し,被告人が渋々差し出したので,それを開いたところ,中から比較的新しいと思われる血痕様のものが付着したティッシュペーパーの塊と注射器の包装袋が出てきた。そこで,被告人は,B巡査長から「これ何なの。」と尋ねられたのに対し,「前回捕まったときのでしょ。」などと答えたが,更に「前回捕まったときのがあるわけがない。」などと追及されると,黙り込んだ。

(4)その様子を見て,A警部補とB巡査長は,被告人が直前に覚せい剤を注射して使用したのではないかとの疑いを強め,被告人に対し,任意採尿に応じるよう求めたが,被告人がそれを拒んだため,A警部補がY警察署(以下「Y署」という。)に応援要請をした。

間もなく,2台の警ら用無線自動車が本件現場に臨場したので,A警部補は,新たに臨場した警察官に状況を説明するため本件警察車両から降車し,それと入れ替わりに前記自動車警ら隊所属のD巡査部長が本件警察車両の助手席に乗り込んだ。

(5)その後,A警部補は,本件警察車両の運転席に着席し,B巡査長に対し,被告人の注射痕の有無を確認するよう指示したので,B巡査長が,被告人に対して両腕を見せるよう求めた。これに対し,当初,それを拒んでいた被告人が,警察官らの説得に応じて,自ら着ていた上着の袖をまくり上げ,両腕の肘から下の内側部分を示したため,B巡査長は,被告人の両腕の内側を肘から手首の方に向かって,その腕に触りながら注射痕の有無を確認した。ところが,被告人は,B巡査長が,被告人の手首付近を確認しようとすると,腕を引っ込めてそれ以上の確認を拒んだことから,手首付近の注射痕の有無を確認できなかった。

次いで,B巡査長が,被告人に着衣のポケットの在中物を確認させるよう求めると,被告人は,当初,拒否したが,B巡査長らの説得に応じて,同巡査長に履いていたジーパンの後ろポケットを触らせた。また,被告人は,B巡査長が前ポケットに手を伸ばそうとすると,急に姿勢を変えてそれを拒むような態度を示したが,同巡査長が更に説得すると,自ら前ポケットの裏地を出し,覚せい剤に関係する所持品がないことを確認させた。

(6)その後の午前3時頃に至り,本件当日の当直係員であったY署薬物銃器課所属のE巡査部長が,本件現場に臨場し,本件警察車両に近づいて,被告人に対し,Y署への任意同行と尿の任意提出を求めたが,被告人はそれを拒んだ。

そこで,E巡査部長は,医師により被告人の尿を強制採取させるための捜索差押許可状(以下「採尿令状」という。)の発付を請求する方針を決定し,本件警察車両から降りたA警部補に対し,自分がY署に戻って令状請求の準備に入るので,A警部補らは被告人に対し任意採尿に向けた説得を続けるように依頼した。その上で,E巡査部長は,午前3時10分頃に本件現場を出発し,午前3時20分頃にY署に戻り,他の当直係員と共に採尿令状請求の準備に着手した。また,C巡査も,A警部補の指示により,本件現場からY署に向かった。

(7)それを受けて,A警部補は,再び本件警察車両の運転席に乗り込み,B巡査長及びD巡査部長と共に,被告人に対し,警察署への任意同行と任意採尿に向けた説得を続けた。それに対し,被告人は,説得に応じなかったが,「強制なら諦めがつく。」などとも述べていた。

(8)午前3時30分頃に至り,B巡査長が,被告人車両付近にいた乙川の状況を確認するため降車することとしたのに対し,A警部補は,一旦運転席から降り,B巡査長と入れ替わるようにして,助手席側後部座席に乗り込んだ。すると,被告人は,A警部補が着席した直後に,助手席側後部座席の方向に移動し,身体を同警部補に押し当てて,本件警察車両の外へ出ようとした。そのため,同警部補は,左半身が車外に出て左足を接地した状態になったが,その状態で左足を踏ん張り,被告人に対し,元の座席に戻るよう説得した。これに対し,被告人は,その体勢で一,二分程度,A警部補の身体を押していたが,同警部補が動かなかったために,それ以上の行動を断念した。その後も,被告人は,助手席側後部座席寄りに座った状態で,「外の空気を吸わせて欲しい。」などと申し出たが,A警部補が,覚せい剤のような小さなものは投棄される危険が高く,車外に出すと,そのまま逃げることも考えられるので,外には出せない,ドアを開けたままだと寒いので中に入ってくれなどと申し向けて,説得したことから,15分ないし20分ほどして,自ら運転席側後部座席に戻った。

被告人は,その後も,複数回にわたり,「外の空気を吸いたい。」などと,本件警察車両の外に出たい旨の発言をしたことがあったが,A警部補らが,証拠となる物品を処分されると困るなどと説得すると,それ以上,強く訴えたり行動に出たりすることはなかった。

(9)その後,被告人は,A警部補とD巡査部長に対し,「弁護士に電話をしたい。」などと言い出し,所持していた自己の携帯電話機を使用して,「たろうくん」と登録された通話先との間で,午前4時13分頃から約7分間にわたり通話したほか,「丙山じろう」と登録された通話先との間で,午前4時35分頃から約8分間及び午前4時54分頃から約24分間にわたり通話した。この間の通話中に,被告人が,A警部補らに対し,通話相手と話をして欲しいと申し出て自己の携帯電話機を差し出したことがあったが,A警部補らは,通話相手が弁護士か否か分からないと述べて,申出を断った。

(10)一方,B巡査長は,乙川がY署に任意同行されたことを確認した後に,本件警察車両の運転席に乗り込み,被告人が通話を終えた後,A警部補と入れ替わって助手席側後部座席に移動した上,承諾を得て,被告人が所持するバイブレーターや,履いていたブーツの中を見分したが,覚せい剤に関係する物品を発見できなかった。

(11)その後,間もなく,A警部補らが被告人に対し,任意同行と任意採尿に向けた説得を続けていた午前6時頃に至り,被告人は,突然に,B巡査長の前に身を乗り出し,右腕を伸ばして助手席側後部座席のドアを開けた。これに対し,A警部補が,とっさに被告人の肩付近をつかみ,D巡査部長は,両手を伸ばして被告人の右腕をつかんで,被告人を制止した。さらに,A警部補が,運転席から降車して助手席側後部座席のドア付近に回り込み,開いていたドアから被告人の肩付近を押さえて制止し,被告人に対し,元の座席に戻るよう求めたところ,被告人は,運転席側後部座席に戻って着席した。この間,B巡査長は,被告人の身体により座席後方に押された姿勢となり,格別の対応をとれないまま終始した。

(12)その後,被告人が嫌悪感を示したことから,A警部補が本件警察車両から降りたため,B巡査長は,被告人に対し,約1時間にわたり,過去に覚せい剤取締法違反の女性被疑者を取り扱った経験談や強制採尿手続による肉体的,精神的苦痛について,話すなどした。その間,被告人は,本件警察車両の外に出たい旨の意向を示すことなく,B巡査長がお笑いグループのメンバーに似ていると話したり,自己に婚姻歴があることを打ち明けたりするなど,雑談に応じたこともあった。

(13)他方,E巡査部長らは,午前3時20分頃から採尿令状請求の準備を進め,捜索差押許可状請求書のほか,E巡査部長名義の捜査報告書(強制採尿の必要性があることなどを報告する内容のもの),C巡査名義の捜査報告書(職務質問時の状況を報告する内容のもの),写真撮影報告書(職務質問の状況を写真で報告する内容のもの)及び電話聴取書(医師が強制採尿の実施依頼を受諾する内容のもの)を作成した。そして,午前5時30分頃に,上記各書面が裁判所に提出されて,採尿令状請求が行われ,午前7時頃に本件採尿令状が発付された。

(14)そこで,E巡査部長は,午前7時18分頃に,本件採尿令状を持参して本件現場に臨場し,被告人に呈示した上,それを執行した。そして,被告人は,同令状に基づき,捜査用車両でZ病院に連行され,午前11時55分頃に,同病院のER102号室(以下「本件病室」という。)で,医師が医療用カテーテルを挿管して被告人の膀胱内から尿を採取し,捜査官が,そのうち鑑定用の約20ミリリットル分と予試験用の若干量を差し押さえた。その後の午後0時19分頃に,被告人は,本件病室で,覚せい剤自己使用の被疑事実により緊急逮捕された。ちなみに,上記尿について覚せい剤成分の有無等を鑑定した結果を記載したものが,原審甲第3号の鑑定書である。

(15)その後の午後3時25分頃に至り,同病院の看護師が,本件病室内のベッドのフレーム付近から封筒を発見したが,その封筒内に,チャック付きビニール袋入りの覚せい剤様白色結晶粉末2袋と未開封のビニール袋入りプラスチック製注射器2本が入っていたことから,その旨が同病院から警察に通報された。そこで,捜査官は,裁判所に差押許可状を請求してその発付を受けた上,翌8日午前0時04分頃に,同令状に基づき,同病院に保管されていた上記白色結晶粉末等在中の封筒を差し押さえた。ちなみに,上記白色結晶粉末2袋について覚せい剤成分の有無等を鑑定した結果を記載したものが,原審甲第6号の鑑定書であり,その鑑定残量が同第12号及び第13号の覚せい剤2包である。

3  以上の認定事実に対し,原裁判所は,原判決の本件証拠却下決定の具体的理由の2項(4頁以下)で,被告人の原審供述に依拠し,①警察官らが任意採尿に応じるよう説得した際,被告人が,「強制なら諦めがつく。」旨の発言をすることなく,強制採尿を受けることについて曖昧な態度を示していた,②被告人が本件警察車両から降りようとして具体的に行動し,A警部補らがそれを制止した回数が,合計4回程度であった,③携帯電話を使用した3回の上記通話のうち,被告人が,1回目と2回目の通話の際に,警察官に見えないように携帯電話機を足付近に置いた状態で操作し,通話相手に車内の会話を聞き取らせるようにした,④2回目と3回目の通話相手である「丙山じろう」なる人物が本件現場に現れ,被告人が助手席側後部ドアガラスを開けて「助けて。」と声を掛けると,警察官がドアガラスを閉めて会話を阻止したとの事実をそれぞれ認定している。

しかし,①警察官らが任意採尿に応じるよう説得した際,被告人が「強制なら諦めがつく。」という趣旨の発言をしたことは,A警部補,B巡査長及びD巡査部長が一致して証言するところであり,その信用性が十分に認められるから,上記発言の存在を認定することができる。これに対し,上記警察官らの証言が,被告人が発言した具体的な文言が一致しないなどという理由で,上記発言を認定しなかった原裁判所の認定,判断は不合理というほかない。

また,②被告人が本件警察車両から降りようとして具体的に行動し,A警部補らに制止された回数について,被告人は,原裁判所の補充質問に対して,合計4回程度であったと述べているものの,その具体的態様に関し,警察官らが供述する午前3時30分頃と午前6時頃の2回に限定しても,それらを明確に区別して供述できていない上,それ以外に本件警察車両から降りようとした際の状況について,甚だ曖昧で具体性を欠いた供述しかしていないから,被告人の原審供述に依拠して,上記の回数が合計4回程度であったと認定することは,相当でないというべきである。

さらに,③1回目と2回目の通話の際の操作や目的に関する被告人の原審供述は,電話が通じているのに被告人が全く応答しないという不自然な状態が続いたのに,通話相手が不審を抱いて電話を切るなどの対応を取ることなく,1回目が7分33秒間,2回目が8分15秒間にわたり,通話状態が継続したという点や,特段の契機もないのに,3回目の通話の際,2回目までの通話と全く異なり,被告人が警察官に申し出て電話を掛け,通話相手と会話したという点等,供述内容が甚だ不自然であり,そのままに信用することが困難であるから,被告人の原審供述に依拠して,上記事実を認定することはできない。

そして,④「丙山じろう」なる人物が本件現場に現れた際の状況について,出廷した上記3名の警察官が全く言及しておらず,その証人尋問終了後に,被告人が原審公判で供述したにとどまるから,被告人の上記供述だけに依拠し,実際に存在した事実経過として,上記事実を認定することは相当でない。

4  そこで,前記2で認定した本件における事実経過を前提に,上記一連の手続の適法性等について,検討する。

(1)本件現場における職務質問が適法に開始されたことが明らかである上,被告人は,A警部補らの求めに応じ,自ら本件警察車両に乗車し,所持品検査を求められると,警察官に自己のバッグを差し出したり,注射痕の有無の確認を求められると,自ら上着の袖をまくり上げたりするなど,一定の限度で捜査に協力する姿勢を示していたものであり,このような被告人の対応から見て,少なくとも当初は,本件警察車両内に任意にとどまっていたものと認められる。そして,被告人について,覚せい剤取締法違反による逮捕歴のあることが判明していたことに加え,所持品検査の結果,そのバッグ内から比較的新しい血痕と思われるものが付着したティッシュ塊と注射器の包装袋が発見されたこと,被告人がそれらの物品を隠そうとしたこと,注射痕の有無の確認の際,手首付近の確認を拒否したことなどから,被告人に対する覚せい剤使用の嫌疑が濃厚となっていたことなどを踏まえると,採尿令状請求の準備が開始された後,それと並行して,本件現場に残ったA警部補らにおいて,被告人に対して任意採尿に向けた説得を続けるなどしたことが直ちに不当であるとはいえない。しかし,A警部補らは,被告人が,午前3時30分頃及び午前6時頃の2回にわたり,本件警察車両から降車しようとした際,有形力を行使してその行動を制止し,結果として,被告人が本件警察車両から降車する意思を明示した午前3時30分頃から本件採尿令状が執行された午前7時18分頃まで約3時間50分にわたり,上記2回の有形力の行使を交えつつ,被告人を本件警察車両内に留め置いたものであり,このようなA警部補らの措置は,長時間にわたり被告人の移動の自由を過度に制約したものとして,任意捜査の範囲を逸脱した違法なものであったと評価せざるを得ない。

(2)所論は,本件のような留め置きの適法性を判断するに当たり,留め置きが純粋に任意捜査として行われている段階と,採尿令状の請求準備に取り掛かってから執行までの段階(以下「強制手続への移行段階」という。)とに分けた上,それぞれの段階に応じて適法性を検討すべきであり,強制手続への移行段階では,捜査機関において令状の請求が可能であると判断し得る程度に犯罪の嫌疑が濃くなっている状況にあり,令状の発付を受けた後,所定の時間内に強制採尿を行う医師の下に被疑者を連行する必要もあるため,被疑者の所在確保の必要性が非常に高まっており,相当な程度にわたり強く被疑者を留め置くことも許されると解されることを前提に,本件でも,E巡査部長らが採尿令状の請求準備を開始した後は,採尿令状の発付に向けて被告人の所在を確保するため,被告人を留め置く必要性,緊急性が一層高まっていた旨指摘して,本件留め置きの適法性を基礎付ける主張の根拠としている。

しかし,犯罪の嫌疑の程度は,採尿令状の請求準備を開始するか否かという警察官の判断により直ちに左右されるものでない上,本件において,その段階で,嫌疑を深めるべき新たな証拠や事実が発見されてもいないから,上記のような警察官の判断時点を境界として,許容される留め置きの程度に有意な違いが生じるものと解することは,必ずしも説得力のある立論ではないというべきであり,所論のような判断枠組みによって留め置きの適法性を判断すべきであるとは考えられない。

しかも,被告人が本件警察車両からの降車を申し出た理由が,「外の空気を吸わせて欲しい。」などというものであり,本件現場から立ち去る意思を明示したことがなかったことなどを考慮すると,本件警察車両からの降車を許すことにより,直ちに被告人の所在確保が困難になる状況にあったとはいえない。もっとも,A警部補らは,被告人の降車を制止した理由が,被告人の所在確保のほかに,被告人による覚せい剤の投棄等の罪証隠滅行為を防止することにあったと述べており,実際にも,後に被告人が本件採尿令状の執行のために連行された病室内で,隠し持っていた覚せい剤等在中の封筒をベッドのフレーム付近に隠匿したことなどに照らすと,被告人が覚せい剤を投棄するなどの罪証隠滅行為に及ぶおそれがあったことは否定できない。しかし,被告人の降車を許したとしても,警察官が,被告人から離れることなく,その動静を厳重に監視することなどにより,罪証隠滅行為を防ぐことは可能であったと認められる。したがって,被告人の所在確保や罪証隠滅行為の防止の必要性を勘案しても,有形力を行使して,本件警察車両からの降車を許さなかった措置を正当化することはできないというべきである。

以上の次第で,所論は採用できない。

(3)一方,上記のとおり,本件留め置きは違法なものであったというべきであるが,鑑定書(2通。原審甲第3号,第6号)及び覚せい剤(2包。同第12号,第13号)について,いずれも違法収集証拠であり証拠能力を欠くとした原裁判所の判断は,是認することができない。

すなわち,上記のとおり,本件現場における職務質問が適法に開始された上,被告人は,当初,本件警察車両内に任意にとどまっていたものと認められる。また,被告人は,複数回にわたり本件警察車両の外に出たい旨の意思を表明し,2回にわたり実際に車外に出ようとする行動に出たことがあるものの,本件現場から立ち去る意思を明示したことはなかったこと,任意採尿に応じる意向を示したことはなかったとはいえ,A警部補らに降車を制止された後も,所持品検査に応じたり,本件留め置きの終盤段階でも,B巡査長との雑談に応じたりしていたことなどに照らすと,被告人の捜査拒否及び退去の意思が明確で,B巡査長やA警部補として,任意採尿に向けた説得や所持品検査等を継続することが相当でない状況に至っていたとはいえない。そして,午前3時30分頃の有形力の行使は,被告人から身体を押されたA警部補が,踏ん張って動かなかったという受動的なものであり,午前6時頃の有形力の行使も,被告人の降車を制止するため,その肩や腕をつかむなどしたというものであり,被告人の意思を制圧するような強度のものであったとはいえない。さらに,A警部補らが被告人に携帯電話の使用を禁じたことがなく,被告人は,午前4時13分頃以降,合計約40分間にわたり,外部にいる人物と通話している。その上,E巡査部長らは,本件現場における職務質問を開始した約50分後に,採尿令状を請求する方針を決定し,それに向けた準備を始めたことなどに照らすと,令状の発付と執行を待つ間に,被告人を本件現場に留め置いたA警部補らにおいて,令状主義を潜脱する意図があったものとは認められない。以上によれば,本件留め置きの違法性の程度は,いまだ令状主義の精神を没却するほどに重大なものではないというべきである。

加えて,本件強制採尿が司法審査を経て発付された本件採尿令状によって適法に実施された上,同令状の請求手続にも違法はなかったこと,覚せい剤の差押えが司法審査を経て発付された差押許可状によって適法に行われている上,上記差押許可状が発付されるに至ったのは,被告人がその意思に基づき本件覚せい剤等を病室内のベッドに隠匿し,捜査機関の関係者でない看護師がそれを発見したという事情が介在しており,本件留め置きと密接な関連性がないことなどを踏まえると,上記各証拠を被告人の罪証に供することが将来における違法捜査抑制の見地から相当でないともいえない。

(4)これに対し,原判決は,本件証拠却下決定の具体的理由の項の3(2)(18頁以下)で,警察官が,被告人の水分補給の要望に対し,警察署に行けば水を飲むことができる旨告げるなど,任意採尿に応じない限り水を飲むことは許されないと受け取れる態度を示したり,「尿を任意提出して仕事に行こうと乙川が言っている。」などと告げるなど,任意採尿に応じない限り仕事に行くことが許されないと受け取れる態度を示したりしており,本件留め置きにより自由が制約されていることを任意採尿の説得に利用していることを考慮すると,本件留め置きの違法は令状主義の精神を没却する重大なものであると説示している。しかし,B巡査長は,自分の飲みかけのペットボトルの水を被告人が飲もうとしたので,それを断ったにすぎず,警察署に行けば水を飲むことができる旨の発言も,それに付随してされたものであるから,任意採尿に応じない限り水を飲むことが許されないと受け取れる態度を示したものと評価することはできない。また,「尿を任意提出して仕事に行こうと乙川が言っている。」旨の発言も,任意採尿に応じない限り仕事に行くことが許されないと受け取れる態度を示したものとは評価できないから,原裁判所の上記判断は是認できない。

さらに,原判決は,本件証拠却下決定の具体的理由の項の2(6)ウ(14頁)及び3(3)イ(イ)(20頁)で,本件採尿令状の請求に際し,疎明資料とされたC巡査作成の捜査報告書で,本件警察車両内でB巡査長と共に被告人に対する職務質問等を実施した警察官がA警部補であったのに,C巡査であったかのように記載されていることについて,同巡査があえて事実に反する記載をしたものと認められるとした上,作成者本人が直接に見聞きせず伝聞したにすぎないことをあえて隠すことは,令状審査を誤らせる危険があり,本件採尿令状請求に軽微といえない違法が認められると説示している。しかし,本件警察車両内で職務質問等を実施した主体について異なる記載をしたことが,単なる誤記であるとは認め難いものの,実施された職務質問や所持品検査の内容に関する記載自体に事実に反する点がないことなどに照らすと,令状審査を誤らせる危険があったとはいえず,本件採尿令状の請求手続全体が違法性を帯びるとはいえないから,原裁判所の上記認定,判断は是認できない。

(5)以上のとおりであるから,上記鑑定書2通及び覚せい剤2包について,いずれも違法収集証拠であり証拠能力を欠くとして,検察官の証拠調請求を却下した原審の訴訟手続には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反がある。論旨は理由がある。

よって,刑訴法397条1項及び379条により原判決を破棄し,更に必要な審理を尽くさせるため,同法400条本文により本件を原裁判所である札幌地方裁判所に差し戻すこととし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 髙橋徹 裁判官 中桐圭一 裁判官 髙橋正幸)

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