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札幌高等裁判所 平成5年(行コ)3号 判決 1998年9月18日

控訴人

荒眞吏子

右訴訟代理人弁護士

村松弘康

伊藤誠一

佐藤哲之

被控訴人

札幌中央労働基準監督署長前川昇

右訴訟代理人弁護士

山本隼雄

右指定代理人

伊良原恵吾

成田英雄

益子博行

清水武

岩原義孝

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人が昭和五四年八月二七日付で控訴人に対してした労働者災害補償保険法に基づく療養補償給付、遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。

三  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求める裁判

一  控訴人

1  主文同旨

2  仮執行の宣言

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  事案の概要

事案の概要は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決書「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」に記載のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決書二枚目表一行目(本誌六四五号<以下同じ>69頁4段28行目)から二行目(70頁1段1行目)にかけての「第一請求記載の処分」を「、昭和五四年八月二七日付で控訴人に対し労働者災害補償保険法に基づく療養補償給付、遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分」に改め、同五行目(70頁1段5行目)の「荒照夫」の次に「(以下「荒」という。)」を、同八行目(70頁1段12行目)の「森宏」の次に「(以下「森」という。)」を、同行目(70頁1段12行目)の「福司賢」の次に「以下「福司」という。)」を、同九行目(70頁1段13行目)の「畑中昭」の次に「(以下「畑中」という。)」を各加える。

二  同五枚目表一〇行目(71頁2段12行目)の「乗せる」を「載せる」に、同八枚目表四行目(72頁2段24行目)の「玉川武市」を「玉川武幸(以下「玉川」という。)」に、同五行目(72頁2段26行目)の「森宏」を「森」に各改める。

第三  証拠関係

原審及び当審訴訟記録中の証拠目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

第四  当裁判所の判断

一  荒の日常業務について

前記争いのない事実、証拠(<証拠・人証略>)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  荒は、昭和四八年一一月以来死亡するまで、訴外会社桑園支店の車両班長兼運行管理者の地位にあった。桑園支店には、支店長の下に総務係、営業係、作業係、市場営業所及び手稲営業所が置かれ、作業係には車両班、作業班及び通運班(通運班は後に廃止)があった。車両班長であった荒は、車両班約二〇名のまとめ役であり、日中は他の者と同様に後記のとおり現場作業に携わるとともに、車両班長及び運行管理者としての業務にも従事していた。

なお、桑園支店には、搬送用の車両が十三、四台あった。

訴外会社の通常の勤務時間は、午前八時三〇分から午後五時三〇分までであった。しかし、桑園支店では、午前八時二〇分ころから全員で朝礼を行っていたので、そのころまでには全員が出社していた。

訴外会社の作業記録、休日勤務日報及び超過勤務日報によると、荒は、昭和五四年六月一日から七月一日までの間、原判決書添付の別紙2のとおりの勤務時間において作業内容欄記載の作業を行ったことが記録されている。

2  荒は、毎朝午前七時二〇分ころには出社し、後記のとおり昭和五三年一〇月ころ業務の分担が一部変更されるまでは、前日分の残りの運転日報の整理、時間外労働集計表と燃料給油実績表の整理を行い、当日の配車と配置を確認し、朝礼ではあらかじめ作成したメモに基づき運転手に対して交通規制等の注意事項を述べた。出発前には運転手の仕業点検に立ち会い、乗務員点呼簿により運転手の健康状態、車両状況、免許証の点検等を行い、八時四〇分頃には他の者と同様に現場へ向かって出発した。

現場での作業は、主に引越作業であり、その他重量物の運搬、引越の下見等があった。最初の仕事は、午前中又は午後二時ないし三時ころには終わり、いったん事務所に戻り、その後、森作業係長が作成した手配書を基に、再び配車・配置を考え、運転手に午後の仕事を割り当て、自分もまた他の現場へ向かった。この配車等は、本来、森作業係長の職分であったが、森係長から書類を手渡され、事実上荒が行うことになっていた。この配車の仕事は、各運転手の適正(ママ)や公平を考えながら配分しなければならない神経を使う仕事であった。

午後から現場作業に出掛けると、帰りは夕方以降になるが、午後からの仕事がないときは、他の班が当時行っていた旧国鉄の仕事を手伝うこともあったし、事務所で待機することもあった。

3  荒は、夕方、事務所へ帰ると、運転手から出された終業点検書、手配書、給油カード等の各種の表と併せてタコグラフの点検と運転日報、時間外労働集計表、燃料給油実績表の整理記入をし、本社へ提出するための一覧表を作成していた。この運転日報整理等の作業には一時間以上必要であった。また、翌日の配車の運転手の配置を考えなければならず、これにも一時間以上かかった。さらに配送伝票の整理や小包混載の荷札書きも荒の仕事であり、荒は残業を行って仕事を処理していた。しかし、後記のとおり業務分担の一部変更がなされてからは、仕事量はかなり軽減した。

訴外会社の運行車両は、通常、午後五時三〇分ないし六時前後ころまでには事務所に戻ってきたが、遠方へ出ている車両は、戻ってくるのが遅くなり、たまには午後一〇時以降になることもあった。そのような場合は、夜警に引き継いで早めに帰宅することもできたが、荒は、運行管理者としての責任感から、全部の車両が戻ってくるまで事務所で待っていたので、桑園支店では最後まで残っていることが多く、午後八時前に帰宅するということは少なかった。

4  荒は、運行管理者として、本社で毎月各一回行われる運行会議、運行管理者会議へ出席し、訴外会社車両が事故を起こした場合の現場処理から示談に至るまでの業務も行っていた。桑園支店では昭和五三年に二件、昭和五四年に一件の車両事故があり、荒は事故処理や事故後の家庭の不和等を解決するために奔走していた。

5  訴外会社は、当時、週休一日制であったが、仕事の性質上、顧客の要求に応じて休日に仕事をしなければならないこともあり、他の運転手の都合がつかないときは、荒が休日に出勤することもしばしばあった。荒は、代休は取ったり取らなかったりしたが、年休を取ることはほとんどなかった。

6  森は、昭和五三年一〇月に桑園支店の作業係長になり、荒の上司となったが、その当時の荒の仕事量が多く、また、荒の事務的処理能力が劣ると思われたので、荒が行っていた業務のうち運転日報の整理、燃料給油実績表の作成、配送伝票の点検の事務的作業を、そのころ桑園支店に配置になった事務作業員である玉川に分担させ、後には乗務員点呼簿の作成も玉川に行わせるようになった。訴外会社の車両の配車や運転手の配置の仕事は、森が行い、荒には引越の下見の作業を増やした。荒は、車両班長及び運行管理者としては、玉川が作成した運転日報及び乗務員点呼簿を基にタコメーターと照らし合わせて、各運転手の出発時間、帰着時間、運行距離、運行速度等の点検を行っていたほか、地方へ行く車両の運行表の作成、朝礼における注意事項の伝達、運行管理者の会議への出席、車両事故が発生した場合の処理等の仕事をしていたが、事故の賠償の問題については保険会社が担当することになっていた。

二  荒の死亡当日の作業について

前記争いのない事実、証拠(<証拠・人証略>)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  荒は、死亡当日(昭和五四年七月二日)の朝、急きょ、森作業係長から、予定されていた福司作業班長の代わりに、作業班の畑中と一緒に本件現場(旧国鉄苗穂駅構内の貨物七番線ホーム)に行き、同人と共同して貨車に積載されているレールを荷卸ししてホーム上の集積場所に移動する作業に従事するように指示された。そこで、荒と畑中は、金てこ(全長一・四メートル、断面八角形対面距離二・五センチメートル、重量五・四キログラムの鋼鉄製の金棒で、一方の先端は円錐形をして尖っており、他方の先端は三味線のばちのように扁平になったもの)二本、安全帽、安全手袋及びヘルメット等を自家用車に積んで、午前八時三〇分ころ事務所を出発し、本件現場に到着後、旧国鉄札幌工事区の鈴木助役から移動対象のレールの数と集積場所の指示を受けた。そして、荷卸しレール(五〇キログラムN型一〇メートルレール(重量五〇〇キログラム)三組九本と五〇キログラムN型一二メートルレール(重量六〇〇キログラム)一組三本、合計一二本)を確認し、集積場所に枕木(長さ二・一メートル、幅二〇センチメートル、高さ一四センチメートル)二本を並べるなどして作業の準備を済ませたうえ、ホーム側の鋼鉄製の貨車側板(高さ一・〇六七メートル、長さ三・二九八メートル)四枚を倒して、午前九時ころから本件作業を開始した。作業開始前に二人の間で作業を早く終わらせようという話し合いはしたが、畑中は、荒にはレール移動作業の経験があると思っていたので、作業の手順や方法について荒に教示をしたり、荒との間で特段打ち合わせをすることもなく直ちに作業に入った。

2  荒と畑中が従事した本件レール移動作業の内容、手順は、およそ次のようなものであった。

(1) 無蓋貨車(トキ二五〇〇〇形式)の中に三本ずつ目つぶし重ねに組になり、その全体と各組の両端を番線で結束されているレールのうち移動対象の一二本について、まず、番線を切断したうえ、金てこを用いて、目つぶし状のレールの木口にその先端を入れ、こじ開けるなどしながら目つぶしレールを下に落として目つぶし状の結束を解除し、レールを貨車の床上に正立状態で一列に並べる、(2) 次に、金てこを用いてレールを貨車の辺縁まで横移動し、ホーム(コンクリート床)上に倒してある緩く傾斜した(傾斜角度六・五度)貨車側板の上を、レールを回転させながら横移動してホーム上に降ろす、(3) さらに、貨車側板の辺縁から集積場所にある二本の枕木台の先端まで約二・一五メートルの距離がある水平面のホーム上を、金てこを用いてレールを回転させながら横移動する、(4) 最後は、金てこを用いてレールを二人がかりでしゃくり上げて、高さ約一四センチメートルの枕木台の上に載せ、その上を押し送りながらレールを並列させる(<証拠略>によれば、しゃくり上げ作業の方法としては、枕木台にレールを寄り掛け返し送りで載せる方法と二人がかりでレールを片側ずつ一気に枕木台の上にしゃくり上げる方法の二通りがあることが認められるが、<証拠略>、原審証人<人証略>の証言によれば、本件作業時は、後者の方法、すなわち、作業者が対面してレールの一端の両側から二つの連結孔にそれぞれ金てこの先端を交差するように差し込み、二人がかりでレールを一気に枕木台の上にしゃくり上げ、次いで他端を同様のやり方でしゃくり上げるという方法をとったものと認めるのが相当である。)、というものであった。

3  レールを回転させる方法は、荒と畑中が二手に分かれ、それぞれレールの両端付近において、(1) まず、金てこの尖った部分をレールの先端にある連結孔に差し込み、正立したレールを転倒させる、(2) 次に、転倒したレールの連結孔に再び金てこを差し込み、レールの頭を軸にして一八〇度レールを返し送りする、(3) 最後に、レールの連結孔に再度金てこを差し込み、金てこを引いてレールを正立させる、という三動作を繰り返すものであった。レールが貨車側板及びホーム上を一回転すると約五〇センチメートル移動するので、貨車側板から集積場所まではレールを約四回転させることが必要であり、レールを一回転させた(ママ)めに必要となる金てこの引き抜き作業は、前記三動作ごとに一回ずつ、合計三回となる。

4  金てこに力を加えてレールの回転を開始する際には、作業者両名がタイミングを合わせて力を入れることが必要であり、また、右の三動作すべてについて回転の途中でタイミングを合わせて金てこを素早く引き抜くことが必要である。そのため、作業者は、金てこを素早く引き抜けるように力を加減して金てこを連結孔に差し込まなければならず、金てこを素早く引き抜かなかったりすると、レールが自重で回転する時に金てこが引きずられて動き、金てこに跳ねられたり、飛ばされた金てこが身体に当たって負傷するおそれがあるほか、引き起こし動作の終了時点は共同作業者がタイミングを合わせなければレール(及び金てこ)が逆転して事故につながるおそれもあるため、レールを回転させて移動する作業は、肉体的にも精神的にも極度の緊張を強いられるかなり危険な作業とされているものである。

さらに、最終段階におけるレールを枕木台の上にしゃくり上げる作業は、本件作業中、最も筋力を要し負担の大きい作業で、金てこが連結孔から外れる可能性もあるため、莫大な瞬発力と精神の集中を要する作業である。

5  当時、レールの移動作業は、基本的にはショベルやフォークリフトを使用してレールをすくい上げ、これを特定の場所に運搬して移動するという方法により行われていた。また、通常、比較的短い距離間でレールを移動する場合には、二列ないし三列に滑走下地(レール、捨て材、枕木等)を敷き、その上に油を塗って滑りやすくしたうえ、その上をレールを押し滑らせながら移動する方法がとられ、これが最も安全で効率的な作業方法とされていた。旧国鉄では、貨車からのレールの取卸し及び集積の作業を通運業者に外部委託するようになるまでは、レールを転倒したり引き起こす場合には、レールホークを使用するように指導されていた。

しかし、本件作業のときは、ショベルやフォークリフトは使用されず、滑走下地も使われることなく、貨車側板及びホーム上を金てこを用いてレールを回転させながら移動し、枕木台の上にしゃくり上げる方法がとられたが、これは通常行われていた滑走下地を使う作業方法と比べると、体力を要するだけでなく、極度の精神的緊張を強いられる危険性の高いものであって、あまり行われない特殊な作業方法であった(本件作業の際、滑走下地が使われなかったのは貨車の滞留時間が短く、滑走下地を準備する時間的余裕がなかったためではないかと考えられる。)。

ちなみに、旧国鉄の「安全作業標準について(通知)」(昭和四七年一二月八日付北総保第一九一号総局長通知)には、レール作業について、「レールを転倒させる場合は、レールホークを使用しかけ声をかけ、他人に注意しながら行うこと。なお、ボルト穴にバールを差し込まないこと。」と定められていた。

6  荒は、以前はフォークリフトの運転手をしており、フォークリフトを使用してレールを運搬したり、堆積場において金てこを用いてレールの位置を手直しする作業に携わった経験はあったものの、本件事故当時、金てこを用いてレールを回転させたり、しゃくり上げるなどしながら移動する作業に従事した経験はほとんどなかった。これに対し、共同作業者である畑中は、金てこを用いてレールを回転させるなどしながら移動する作業に従事した経験が十分にあり、右作業に熟練していた。また、荒は身長が一五七センチメートル、体重が六二・九キログラムしかなかったのに対し、畑中は身長が一八〇センチメートル、体重が約九〇キログラムもあり、二人の間には体格や筋力の面でも差異があった。

本件作業時、レールを回転させるためタイミングを合わせる必要がある場合には、畑中が荒に声をかけて行った。二人の体格や筋力の違いのせいか、畑中は、レールを回転させる際に荒とのタイミングが合わないような気がしたため、金てこを握る手の位置を変え、力が入りやすい先端部分ではなく、力が入りにくい下の方を持つようにして荒とのタイミングを合わせるように調整を図っていた。畑中は、それ以外に、荒との共同作業の方法につき特別の配慮をしたことはなく、荒がレールの移動作業に慣れていない様子であるとか、無理をして作業をしているという感じを抱いたことはなかった。しかし、荒は、真面目で大人しく責任感の強い性格であり、恐らく加(ママ)重な負担を感じながら無理に畑中とのタイミングを合わせて本件作業に従事していたものと推認される。

以上のように、本件作業は、多数の異質の動作が連鎖的に組み合わされて構成されており、工程によって程度の差はあるものの、全般的にみて、肉体的のみならず精神的にも、さらには心理的にも極度の緊張を強いられる危険性の高い作業であったということができる。

7  荒と畑中は、移動対象のレールを金てこを用いて貨車の床上に一列に並べ(畑中は<証拠略>の中で、荷卸しするレールを荷卸ししないレールの上を超えて移動するいわゆる山越作業はなかったように述べるが、にわかに採用し難く、山越作業の有無は証拠上判然としない。)、その全部をホーム上に降ろし、そのうち六本ぐらいを集積場所に移動した後に約一〇分間ほど休憩を取ったが、この時も二人の間で格別会話が交わされたことはなかった。荒と畑中が本件作業を開始してから約一時間四〇分経過後の午前一〇時四〇分ころ、最後のレールの移動作業に従事していたときに、前示のとおり荒が突然ホーム上で倒れ、本件事故が発生するに至ったものである。

三  荒の死亡原因及び生前の健康状態について

1  荒の死亡が脳出血によるものであることは当事者間に争いがなく、証拠(<証拠・人証略>)によれば、次の事実が認められる。

(一) 荒(死亡当時四八歳八か月)は、本件事故当日午前一一時五分ころ、札幌市中央区内の保全病院において死亡したが、その死亡時に剖検やCTスキャン、MRI検査等は行われなかった。しかし、荒は、発症後二〇分ないし二五分後に急死しており、検屍時に外傷は全く認められず、後頭穿刺及び腰椎穿刺によりいずれも血性髄液が確認されたことから、荒の死因は脳出血(<証拠略>によれば、頭蓋内出血とするのがより正しいとする。)と診断されている。

(二) 荒の脳出血の原因としては、高血圧性脳出血と、脳動脈瘤や脳血管奇形等の器質的異常の存在の二つが考えられる。

高血圧性脳出血の発症原因は、脳内動脈の破綻であり、その動脈病変としては、病理学的には血漿性動脈壊死又はそれに基づく脳内小動脈瘤、動脈硬化、アミロイド変性などが挙げられており、加齢、高血圧、血液の変化に起因する動脈壁の脆弱性が存在するところに、激しい運動、排便その他の力みに伴う怒責による血圧上昇等が誘因となって発生する。

高血圧性脳出血のリスクファクターとしては、加齢(六〇歳以上)、高血圧、心電図異常、眼底異常、肥満、飲酒習慣、喫煙、糖尿病などが挙げられている。

他方、脳動脈瘤は、脳底部の諸動脈の分岐部に多く見られ、病理学的には動脈の中膜筋層の欠如、内弾性板の欠如など先天的要因があり、そこに動脈硬化性変化、加齢、血行力学的負荷など後天的要因が加わり増大し破裂して脳出血に至るものである。脳動脈瘤は、全人口の一ないし二パーセントに存在し、四〇歳から六〇歳に多く、その破裂の引き金となるのは急激な血圧上昇である。

また、脳血管奇形としては、動静脈奇形、毛細血管拡張症、海綿状血管腫などがあり、血管の破綻により出血して脳出血に至るもので、先天的要因が大きいものである。その出血は二〇歳から四〇歳に多く、やはり血圧上昇が関与する。

つまり、脳出血は、それを準備する脳血管の病変が存在するところに、何らかのきっかけが加わって血管が破綻することによって生じる。

なお、激しい労働や精神的ストレスによって一時的に血圧が上昇したことを契機に脳出血に至ることもあるし、労働の場とは関係ない日常生活の中で血圧が上昇したことにより脳出血に至る場合もある。

(三) 北海道大学医学部附属病院神経内科医師の田代邦雄作成の意見書(<証拠略>)によれば、荒の脳出血の原因については、その脳脊髄液が強い血性であったことと、発症後直ちに意識消失、呼吸停止に至り、死亡までの時間が二〇分ないし二五分と極めて短いことから、脳内の中枢部分である脳幹が直接損傷されたことが考えられるが、後記のとおり荒の血圧が正常であり、蛋白も糖も一度も検出されていないことからすると、高血圧性脳出血は考えづらい。脳幹部に何らかの血管奇形があり、その出血により直接に脳幹部が損傷されたか、脳動脈瘤が破裂して脳並びに脳室内へ穿破し、大量の脳室内出血を起こしたかの可能性があるとする。

(四) 荒は、昭和四五年一〇月一七日から昭和五四年六月二九日までの間、一七回にわたり、訴外会社における健康診断を受けていたが、その結果は、原判決書添付の別紙1のとおりである。右健康診断の結果によると、荒は、その間、身長一五七センチメートル、体重六一・〇ないし六四・五キログラムとほとんど変わらず、やや肥満状態にあったものの、血圧値は一三〇ないし七〇の正常範囲であって長年の間ほぼ一定しており、尿検査においても蛋白や糖は一度も検出されていないし、胸部間接撮影の結果も異常が認められておらず、自覚症状や他覚症状も異常がないとされている。

また、荒は、昭和五二年一月二七日に急性腺窩性扁桃腺炎により、昭和五三年一月六日に急性扁桃腺炎によりいずれも病院で治療を受けたことがあったほかは、病院にかかっていない。

さらに荒は、煙草を全くのまなかったし、飲酒量は一週間に二、三回ビール半本とウィスキー水割りコップ半杯を飲む程度であって、多量の飲酒習慣はなかった。食事は魚肉類を好み、一週間に二、三回それを摂取していたが、豆類や海草類もよく摂取し、控訴人が高血圧で治療中であったことから、塩辛い食事は避けていた。

2  荒の日常業務については、すでに前記一で認定したとおりであり、荒が本件事故前長年にわたり多量の業務を担当し、連日のように残業をし、しばしば休日出勤をしていた事実に照らすと、本件事故当時、荒には右日常業務によりある程度疲労が蓄積されていたと考えられる余地はあるが、本件事故の九か月前ころから業務分担の一部変更により仕事量がかなり軽減していたこと、その他前記一及び二認定の事実に加えて、右1(四)認定の事実をも併せ考えると、荒が本件事故当時いわゆる過労状態にあったとまで認めるには足りない。

3  前記1(三)、(四)認定の事実によれば、荒にはやや肥満傾向があったものの、高血圧性脳出血のリスクファクターとされるその他の要因はいずれも認められないから、荒が高血圧性出血によって死亡した可能性は低いというべきである。また、荒の死亡時に剖検やCTスキャン、MRI検査等が行われていないため、荒に脳動脈瘤や脳血管奇形等の器質的異常があったとの客観的所見は得られておらず、その存在を推定するに足りる症状や所見も見出せないことから、荒に脳動脈瘤等の器質的異常が存在し、これが血圧上昇により破綻して脳出血を惹起した可能性があるとも認め難く、前記田代意見書の意見を直ちに採用することはできない。

なお、控訴人本人尋問の結果(原審)中には、荒の父武造は六四歳で、姉たけよは七一歳でいずれも脳溢血により死亡した旨の供述があるが、そのとおりであるとしても、右事実から直ちに、荒に血管の脳動脈瘤等の器質的異常が存在したとまで推認することはできない。

五(ママ) 荒の死亡の業務起因性等に関する意見について

1  総合病院勤医協札幌病院医師兼労働衛生コンサルタントである若葉金三作成の意見書(<証拠略>。以下「若葉意見書」という。)によれば、本件作業の負荷計算の結果(力及び作業工程数)は、別表一<略>のとおりであり、ホーム上の返し送り作業の力(前者の数値が一〇メートルレール、後者のかっこ内の数値が一二メートルレールの場合で単位はキログラム。以下同じ。)は<1>正立~倒す一四・三〇(一七・二〇)、<2>反対側に倒す一三・〇〇(一五・七〇)、<3>~倒す一二・七〇(二〇・四〇)、また、しゃくり上げ作業の力は一端(先)で一二五・〇〇(一五〇・〇〇)、他端(後)で九四・〇〇(一〇〇・〇〇)とされ、全作業工程数は五八五工程にのぼるとしており、エネルギー代謝率(RMR。筋作業やスポーツの運動による労働代謝量をそのときの基礎代謝量で割って指数表示したもの)は四・五前後と推定している。そして、このことは、荒の業務が「作業の継続が可能なギリギリの労働負荷」であったことを推定させ、明らかに過重な業務というべきであるとする。

他方、北海道大学工学部教授鵜飼隆好作成の意見書(<証拠略>。以下「鵜飼意見書」という。)によれば、本件作業の負荷計算の結果(力、仕事量及び作業工程数)は、別表二<略>のとおりであり、ホーム上の返し送り作業の力は<1>正立・倒す一四・三(一七・二)、<2>返し送り二一・四(二五・六八)、<3>正立まで引起こし一七・〇(二〇・四)、また、しゃくり上げ作業の力は約六〇・〇(約七二・〇)とされ、全仕事量を合計すると、A作業者は六〇六一・七四キログラム・メートル、B作業者は六〇五一・八七キログラム・メートルとなり、全作業工程数は五七六工程になるとしている。そして、RMRを二・九六と算定しており、ゴルフのRMRが二ないし三・六、毎分八〇メートルの歩行のRMRが三・二であること等からすれば、本件作業は厳しいとはいえないとする。

2  財団法人労働科学研究所顧問の斉藤一作成の意見書(<証拠略>)及び原審証人(人証略)の証言によれば、本件事故当日の返し送りと枕木上へのしゃくり上げを反復する作業は、もともと全くの素手では不可能なところを、金てこの使用でようやく人力作業として可能とされたと考えてよく、右作業を進める過程で、なお相当な筋力支出(重量物に働く大きな重力の抵抗に抗して行われる静的筋活動)が要求され、そこで生起する関係筋の収縮・緊張の持続に伴う怒責が、共同作業者畑中と対比して大きく体力の劣る荒の場合、とくに増強されたとするのが労働衛生学的帰結といえる。危険な本件作業による急速な疲労進行に伴い、大きな怒責反復と神経の高度緊張とは、それぞれ急激な血圧上昇をその都度惹起し、時には相乗的にも働いて、次第に異常な血圧上昇へと招き、それが脳出血発症の直接的誘因となったことが十二分に考えられる(荒には脳動脈の硬化が進行していたようにも述べる。)としている。

3  前記若葉金三作成の意見書(<証拠略>)によれば、本件事故当日荒が従事した業務は、熟練を要するかなりの重筋労働であり、人体の生理的限界を超える重激作業を含む労働であって、比較的高密度で心理的負荷の高い労働であった。このような過激な負荷は、心や肺への影響も大きく、強大な瞬発力を要求されるための精神緊張、瞬発力に全身の筋力を収縮させる場合、血圧の著しい上昇が起こることは医学的な常識である。荒は、荷役機械運転手であり、引越荷物での重量物の取扱いに慣れていたとされるが、慣れない道具を用いた途方もない重量物の取扱いは異質の負荷である。機械力の助けなくして立ち向かう中での精神的、心理的な負荷も加わって疲労を増大させ、終盤の最重激業務の負荷が加わって血圧の激変を来し、これを誘因として脳血管の破綻を生じたものと判断される。荒の脳出血は、基礎となる病態(血管病変等)をその自然経過を超えて急激に著しく増悪させた結果であり、したがって加(ママ)重負荷による発症と考えられる、としている。

4  ところで、本件作業の負荷計算に関する若葉意見書及び鵜飼意見書は、自ら自認しているように、本件作業開始時に置かれていたレールの位置や状態がはっきりせず、しかも、本件作業の具体的な手順、方法、態様等が必ずしも全工程について明確にはなっていないため(特に目つぶし作業、しゃくり上げ作業等)、それぞれ合理的な作業方法を想定ないし推定し、その前提に立って負荷計算をしており、本件作業の実態に即した正確な計算結果が示されているとはいえない。また、若葉意見書が鵜飼意見書に対して数々の問題点を指摘するのに対し、鵜飼意見書はこれに逐一反論を加えるなど、両意見書は真っ向から対立しており、本件作業の負荷計算の難しさを物語っている。本件において、荒が本件作業により受けた肉体的、精神的、さらには心理的負荷を数量的に把握して認定するには限界があり、鵜飼意見書が存するからといって、荒が本件作業により受けた負荷を過小評価するのは相当ではないと考える。

五  荒の死亡の業務起因性の有無について

以上の認定事実及び判断をもとに、荒の脳出血による死亡と業務、特に死亡直前に従事していた本件レール移動作業との相当因果関係の存否、荒の死亡の業務起因性について判断する。

前記認定のとおり、荒が死亡直前に従事していた本件レール移動作業は、貨車に積載してある長大な重量物(長さ一〇メートル以上、重量数百キログラム)であるレール一二本を、共同作業者である畑中と二人がかりで金てこを用いてレールを回転させるなどしながら、貨車の床上、貨車側板(距離一・〇六メートル)及びホーム上(距離二・一五メートル)を横移動し、集積場所である枕木台の上にしゃくり上げて、その上を押し送りながら一列に並べるというものであって、ショベルやフォークリフトの機械力を使用したり、油を塗って滑りやすくした滑走下地の上を比較的安全かつ容易に押し滑らせながら移動する通常の作業方法と比べると、体力を要するだけでなく、極度の精神的緊張を強いられる危険性の高い特殊な作業方法であったことは、荒は、本件事故当時、訴外会社で主として引越作業や運行管理者としての仕事に携わっていたものであり、本件のような金てこを用いてレールを回転させたり、しゃくり上げるなどしながら移動する作業に従事した経験はほとんどなかったうえ、本件作業は畑中と二人がかりで行う同期的共同作業であったところ、共同作業者である畑中と比べて作業熟練度のみならず体格や筋力の面でも劣っていたことなどから、本件作業は、荒にとって肉体的、精神的、さらには心理的な負荷が強度に加わるものであったと認められること、荒は、本件作業開始後一時間四〇分を経過した作業終了間際の本件レール移動作業中に突然倒れ、その後二〇分ないし二五分後に脳出血により急死したものであり、発症から死亡までの時間的間隔が極めて短いこと、他に荒に脳出血を発症させる有力な原因があったという事実は確定されていないことなどを総合して考えると、荒の脳出血は、荒が本件事故当日従事していた本件レール移動作業によって受けた負荷が相対的に有力な原因となって基礎となる病態(血管病変等)をその自然経過を超えて急激に著しく増悪させた結果であると認めるのが相当であり、荒の死亡原因となった脳出血と本件レール移動作業との間に相当因果関係の存在を肯定することができ、したがって、荒の死亡は労働者災害補償保険法にいう業務上の死亡に当たるものというべきである。

第五  よって、右と異なる原判決は失当であるから、これを取り消し、控訴人の請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六七条二項、六一条を適用して、なお、仮執行の宣言は相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(口頭弁論終結の日 平成九年七月四日)

(裁判長裁判官 竹原俊一 裁判官 竹江禎子 裁判官滝澤雄次は填補につき署名押印することができない。裁判長裁判官 竹原俊一)

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