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札幌高等裁判所 昭和35年(う)70号 判決 1960年6月20日

被告人 松島こと松嶋弘

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、被告人の負担とする。

理由

(弁護人の)控訴趣意第一の四及び七について。

論旨は、被告人は北洋興業株式会社の専務取締役として田辺照雄らに対し第一次に二〇〇万円、次いで一〇〇万円を貸し出す意思を有し、かつその準備が整つていたと主張する。しかし、原判決挙示の証拠を総合すると、北洋興業株式会社は昭和二九年五月八日当時資金が皆無に近い状態にあり、その役員たる被告人ならびに原審相被告人大矢甲作及び同浅野久雄(以下被告人らという。)個人の所有する現金、預金も僅少で、被告人らが被害者木村正三に告げたように同日短時間内に二〇〇百円を交付する準備のなかつたことは勿論、右会社はその当時三〇〇万円を融資する能力がなかつたこと、被告人らは田辺との間で、田辺が一二〇万円を返済すれば新たに三〇〇万円融資するという話をしていた当時から、真実融資をする意思はなく、単に田辺らに対する債権を回収する方便としてその意思があるように嘘を言つていたものであることを認めるに十分である。原審公判調書中被告人らのこれと反する趣旨の供述記載は単なる弁解にすぎないと認められる上に、この弁解によつても被告人らが右当日直ちに二〇〇万円を融資する準備のあつたことは首肯し得ない。また原審第二〇回公判調書中証人三宅助弥の供述記載も、同証人は当時大矢から五、六〇万円の融資の申入を受けたことがあるというだけであつて、右認定をくつがえすに足りない。被告人らの検察官に対する各供述調書に任意性を疑うべき点は認められない。論旨はまた、昭和二九年五月八日は土曜日であり、本件のような場合には業界の慣習として月曜日に現金を交付する方法も行われていると主張するのであるが、第一四回公判調書中証人木村正三の供述記載によれば、木村は特にこの点をおもんばかり、同日は土曜であつても果して即刻二〇〇万円の現金の交付が受けられるのかどうか確かめたところ、大矢がこれを肯定したことが認められるのみならず、被告人らにおいては、次の月曜日に二〇〇万円を交付する意思もその準備もなかつたことが前記証拠上明らかである。この点において原判決には事実の誤認がなく、論旨は理由がない。

控訴趣意第一の一、二、三、五、七について。

論旨を要約すると、(一)田辺照雄は北洋興業株式会社から受けようとしていた融資の連帯債務者として北一産業株式会社を加えることになつてい。(二)北洋興業株式会社は、燃料類の生産販売を目的とする右北一産業株式会社の営業運転資金として金員を貸し付ける約束であつた。(三)しかるに田辺の側では、北洋興業株式会社から三〇〇万円を借り受けたとしても、うち一二〇万円は北海道実業株式会社に返済され、更に二〇万円位が旧債の弁済として右会社に返済され、一四〇万円は佐川与吉がバーを営む資金として費消されることになつていた。田辺、木村は右の内情を秘して一二〇万円をおとりにして北洋興業株式会社から三〇〇万円を借り出そうと企てていたものであり、その返済の見込のないことは勿論である。(四)大矢は、田辺らの意図に不審を抱き、また木村が住所や身分を偽つていたことも判明したので、貸付をしなかつたのである。これによつて被告人らは、前記会社の役員として、詐欺にかかるのを未然に防止したのであつて、被告人らがかように貸付を見合わせたのは正当防衛であり、また職務上の正当行為である。この事実を見落した原判決には事実の誤認があるというのである。

本件記録及び当審における証人田辺照雄の供述を総合すると、田辺は、中央燃料協同組合が経営難で融資を受けられなくなつたので、昭和二十八年九月新たに燃料等の生産販売を目的とする北一産業株式会社を設立してその代表取締役となり、同会社を債務者とし田辺自身も連帯債務者となつて北洋興業株式会社から融資を受けようと交渉していたが、もし同会社に一二〇万円を返済することによつて新たに三〇〇万円の融資が受けられたときは、うち一二〇万円は直ちに右返済の出捐者たる北海道実業株式会社に返済し、なお同会社に二〇万円の債務をも返済し、一四〇万円は佐川与吉が企てていたバーの経営に出資する予定であつたこと、また木村正三は北海道実業株式会社業務課長という身分を秘し、田辺の友人で個人として金主となるもののように装つていたことが認められる。しかしながら、原判決挙示の証拠によれば、前述のように、被告人らにおいては、当初からただ一二〇万円を返済させることだけを目的としていたのであつて、真実融資をする意思はなかつたものと認められるのであつて、右のような田辺の側の内情が判明したのではじめて融資を見合わせたのではないことが認められる。そして、原判決挙示の証拠及び原審第二〇回公判調書中の証人木村正三の供述記載を総合すると、木村は、二〇〇万円が田辺らに対する貸付金として交付されたならば、田辺との約束に従い直ちにそのうちから一二〇万円を回収することを被告人らに告げ、即時に二〇〇万円の現金が交付されるのかどうか何回も念を押したところ、被告人らは右事実を知悉しながら、二〇〇万円を交付する意思がないのに、原判示のように、共謀の上、三〇分位で二〇〇万円出る等と嘘を言い、木村を信用させて本件小切手を交付させたこと、木村はその席で即時に一二〇万円を回収することができないと知つていたならばもとより右小切手を交付するはずがないことが認められるのであるから、右被告人らの行為が詐欺罪を構成することは当然であつて、たとえ田辺の側において借り受けるべき三〇〇万円のうち右一二〇万円以外の使途を偽わつて金融を受けようとしていた事実があるとしても、また被告人らがその事実を知らなかつたとしても、それは右小切手を騙取した罪を正当化するものではない。すなわち、被告人らは、少くとも、二〇〇万円を交しても、うち一二〇万円は木村が直ちに回収し、北一産業株式会社の営業資金として使用されないことを了知していたのであるから、かような融資を危険と考えたならば、木村からの弁済を受ける前に融資を断わることができたはずであるのに、かえつて右事実を利用して木村を欺罔し本件小切手を騙取したのであるから、この行為を正当防衛又は正当な職務行為ということはできない。従つて、原判決には所論のような事実誤認もしくは理由不備の違法又は法令の適用の誤は存しない。論旨は理由がない。

控訴趣意第一の六について。

論旨は、要するに、北洋興業株式会社は、田辺照雄らに対し一三七万円余の債権を有しており、本件小切手は前記浅野久雄が、木村からではなく、田辺から、前記債権の弁済として受け取つたものであるから、被告人らには犯意がなく、本件受領は正当な弁済受領行為であるというのである。

北洋興業株式会社が田辺らに対し総額一三七万円余の債権を有していたことは、原判決の認めるとおりであり、また本件小切手による一二〇万円の支払が右債権の弁済に充てられたことも、本件記録により認められるところである。しかし、原判決挙示の証拠によれば、右弁済は田辺がしたものではなく、木村が田辺らに代つて立替払したものと認められる。この場合、右小切手が現実に何人の手によつて授受されたかは、被告人らが意思を通じ、かつ木村及び田辺と同席していた以上、詐欺罪の成否にとつて重要でないが、原判決の認定したように、木村が直接大矢に交付したものと認めることができる。なお、被告人らに欺罔の意思のあつたことは、前述したところから明らかである。そこで、被告人らの所為が所論のように正当な弁済受領行為であるかどうかを考えてみるに、法律上他人から財物の交付を受けるべき正当な権利を有する者が、その権利を実行するにあたり欺罔の手段を用いて義務の履行たる財物の交付をさせた場合には詐欺罪を構成しないことがあると解されるけれども、たとえ他人に対する金銭債権を実行するためであつても、本件の木村のように債務者でない第三者を欺罔し、その者をして債務者に代つて弁済をさせるようなことは、社会通念上権利の行使として許される限度を逸脱したものであつて、もはや正当な行為とはいうことができず、詐欺罪を構成するものといわなければならない。なぜなら、この場合債権者は右の第三者に対し何ら請求権を有するものでなく、また、弁済をした第三者は損害を受けることが明らかだからである。第三者が債権者に代位し求償権を取得するからといつて、損害がないということはできない。現に本件において、木村は一二〇万円を回収することができなかつたことが明らかである。従つて、原判決には所論のような事実誤認又は法令適用の誤はなく、論旨は理由がない。

以上のように、論旨はいずれも理由がないから、刑事訴訟法第三九六条により本件控訴を棄却することとし、同法第一八一条第一項本文により当審における訴訟費用は被告人の負担とし、主文のとおり判決する。

(裁判官 豊川博雅 中村義正 小野慶二)

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