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札幌高等裁判所 昭和42年(ネ)49号 判決 1970年10月05日

四九号事件控訴人・五九号事件被控訴人(債務者) 第一小型ハイヤー株式会社

四九号事件被控訴人・五九号事件控訴人(債権者) 及川静雄 外一〇名

主文

第一審債権者らの控訴、第一審債務者の控訴を、いずれも棄却する。

控訴費用はこれを二分し、その一を第一審債権者らの負担とし、その余を第一審債務者の負担とする。

事実

第一審債権者(以下単に「債権者」という)ら代理人は「原判決中債権者ら敗訴の部分を取り消す。第一審債務者(以下単に「債務者」という)は債権者らに対し、それぞれ別紙目録(一)、同(二)各記載の金額を仮に支払え。訴訟費用は第一、第二審とも債務者の負担とする。」との判決、ならびに「債務者の控訴を棄却する。」との判決を求め、債務者代理人は「原判決中債務者敗訴の部分を取り消す。債権者らの仮処分申請を却下する。訴訟費用は第一、二審とも債権者らの負担とする。」との判決、ならびに「債権者らの控訴を棄却する。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上、法律上の主張、ならびに疏明資料の提出、援用、認否は、次のとおり付加するほか、原判決の事実摘示(添付の一覧表を含む)と同一であるから、これを引用する。

一  当審において債務者代理人は次のとおり主張した。

1  債権者らの協議義務違反の主張は時機に遅れた攻撃防御方法であつて却下せらるべきである。すなわち、わが民事訴訟法は、訴訟遅延の弊害を除去するために、時機に遅れた攻撃防御方法を制限し、訴訟の初期において争点と証拠の整理を完了することを要請し、準備手続を経た場合にはその手続中に主張しなかつた攻撃防御方法を口頭弁論において提出することができないとしている。ところで攻撃防御方法の提出が時機に遅れたとは、当該訴訟の経過に照らし、早期に提出することが客観的にみて当然と思われるのに、それをしなかつたことを意味する。本件の場合、債権者らが仮処分申請をしたのが昭和三九年二月二四日で、その後同年三月一七日の原審第一回口頭弁論期日から同年六月二三日の第五回口頭弁論期日まで五回にわたり、双方の主張整理のための準備的口頭弁論が開かれ、同年八月二日の第六回口頭弁論期日から本質的口頭弁論に入つたのであるが、債権者らは同年七月二九日に協議義務の存否に関する重要な資料である協定書を疏甲第一号証として持ち出し、かつ、その証拠説明書を持ち出しながら協議義務違反の点につきなんら触れることがなく、昭和四〇年一〇月一二日の第一三回口頭弁論期日に至つて初めてこれを主張するに至つたのは、明らかに時機に遅れたものであることはもちろん、時機に遅れたことにつき故意または重大なる過失があつたというべきである。しかも第一五回口頭弁論期日以降の証拠調は主として協議義務違反の点に関して行なわれているから、右主張の提出が訴訟の遅延を生ぜしめていることは明らかである。

2  仮に協約の人事約款が懲戒解雇を含むものとしても、昭和三七年三月六日の団体交渉において当事者間の合意により懲戒解雇を含まない趣旨に変更されたものであること、先きに主張したとおりであるが(原判決二六枚目表一三行目以降参照)、仮に右主張が認められないとしても、右団体交渉以後は、債務者は懲戒解雇については協議義務がないものとして取り扱い、これに対し組合は、その後本件協議義務違反の主張をするに至つた昭和四〇年一〇月一二日までの三年六カ月の間、なんらの異議を申し立てることなく経過しているが、このことは、債務者の右取扱いにつき組合が同意ないし承認を与えたものか、または、組合および組合員自体が協議権を破棄したものというべきであるから、懲戒解雇に関する協議約款はその効力を失つた。たしかに、昭和三七年五月上旬以降に債務者がなした懲戒解雇等の処分につき、組合側から抗議や処分撤回の申入れを受けた事実はあるが、これらはいずれも処分の実体上の不当を理由としているものであつて、協議義務違反を理由とするものではないから、右の抗議態容から見ても、債務者に協議義務がないことが明らかである。

3  仮に右主張も容認されず、債務者に協議義務があつたとしても、債務者会社取締役会長岩沢靖が債権者らを代表する全道労協議長らと約三カ月にわたり前後三回の協議を行なつているから、債務者に協議義務違反の責はない。

4  債権者及川の解雇理由について。

債権者及川の解雇理由(1)の昭和三七年一月二九日から二月一日まで四日間の無断欠勤は、全く家事都合によるものであつて、組合用務のためのものではない。しかも同人は従来から遅刻・欠勤が多いうえ、債務者は従来から従業員に対し欠勤について厳格な届出を遵守させてきていたので、債務者会社薄野支店長らの管理者が及川に再三注意したのであるが、なおかつ改めることなく本件無断欠勤におよんだのである。それでも債務者は同人が組合の委員長であることを考慮し、同人が反省し今後改めるということで始末書を提出するならば、今回に限り軽いけん責処分ですますこととして、その旨伝えたのであるが、同人は反省することなく却て反抗的態度を示し、再三のしようようにもかかわらず始末書を提出しなかつたのであるから、右無断欠勤をとらえて懲戒解雇理由の一とすることは、なんら妥当性を欠くものではない。なお、債務者が右無断欠勤の点で同債権者をいまだけん責処分に付していないことは、右の経緯からも明らかである。

次に解雇理由(2)の業務妨害の点について次のとおり主張する。なるほどストライキは、労働者が、使用者の労働者に対して有する労務指揮権を排除し、その持つ労働力を利用させないことを目的としているから、ストライキ中に労働者の労働義務に対応する業務命令を発しても無効として排除されることは当然であるが、使用者が施設管理権に基づいて発する業務命令は、労働義務に対応するものでないから、右命令が権利の乱用にわたらない限り、労働者はこれに服従する義務を負うものといわねばならない。本件の場合において債務者の発した業務命令が施設管理権に基づくものであることは明らかであるから、債権者及川らはこれに従う義務がある。のみならず、本件乗客待合室兼勤務乗務員控室は広さ約一〇平方メートルで、既に分裂していたいわゆる第二組合所属の従業員が債務者の指揮監督のもとに平常どおりの業務に従事していて、債務者が営業の場所として現に使用中のものであつた。加えて右待合室の隣りはわずかの壁をへだてて配車室があつた。こうした待合室に債権者及川ら約一〇名が立入りこれを占拠し、かつ、騒ぎ立てるので、その間二時間にわたり、債務者の業務執行が阻害された。しかも札幌の場合はどの業者もいわゆるハイヤー営業と、いわゆるタクシー営業との二本立営業であるから、営業所における電話および乗客待合室兼乗務員控室は、営業上重要な存在となつているのであつて、電話で註文を受けること、客に待合室を利用させることは、債務者の本来の業務そのものというべきである。

次に解雇理由(3)の車両の無断持出しの点について補足する。債務者の就業規則にいうところの「無断持出し」という概念は、原判決が認定している「不正使用」という場合をも含む広い意味のものである。けだし、会社の指示に反して自動車を車庫に格納せず、これを自己の用途に供することは、会社の業務から自動車とともに離脱する点において「無断持出し」の場合となんら異なるところはないからである。なお、債務者は、従来から組合員が組合集会に参加するため自己の担当車を利用することを禁止していたし、いわゆる第二組合に対してこれを許容していた事実はない。

さらに解雇理由(4)のビラはりによる業務妨害の点について補足する。使用者が、組合活動に利用させるため企業施設内に掲示板を設置し、それ以外の場所に掲示することを禁じている場合に、組合が掲示板以外の場所にビラをはることが職場秩序を乱すものであることは論をまたないところ、本件において債務者は右同様の措置をとり、かつ、債権者及川その他の組合員にしばしばその旨警告していた。しかるに同人らは、その警告を無視し、しかも麦粉で作つた糊を洗車ブラシを用いてビラの裏側に塗付し、木造建物を汚損、損傷することなしにはこれをはぎとりえない状態でビラをはりつけた。のみならず、かかるビラはりは、五月七、八日の両日にのみ行なわれたものでなく、同月五、六日には勤務中の組合員を動員し、かつ、事業用自動車約一〇両を使用し、札幌市南一四条西一九丁目所在の債務者会社社長宅、および同市北二条西二一丁目所在の同会社総務部長宅付近の電柱、街路樹、建物等に約一〇〇枚をはり、本件の同月七日のビラはりは、債務者会社の本社事務所入口一帯になされ、債務者が債権者及川に対し厳重に注意するとともに、ホースを用いて水をかけ、ビラをはがし、糊を洗い落としたのに、翌八日再び同様のビラはりを行なつたものであつて、同人らの行為は、全く職場規律を無視した悪質きわまりないものであり、債務者が同人を就業規則に従つて処分することは、企業防衛上やむをえない処置というべきである。

5  債権者及川は、本件解雇を承認した。すなわち同人は、昭和三八年九月六日組合と債務者間に取りかわされ、「及川は解雇により就労できない」旨記載してある確認書(疏乙第七号証)に、組合執行委員長として記名、押印しているが、執行委員長である及川と、個人である及川とは不可分な存在であるから、右記名押印は、個人としても解雇を承認したものというべきである。

6  保全の必要性について。

原判決は、債務者に対し別表三(原判決添付目録引用)記載の金員の仮払いを命じているところ、債権者らは生活保護法による給付を受領しているほか、他で稼働して若干の収入をえていて、これらの金員の合計額は一カ月約三万円程度となつているから、右の債務者が仮払いを命じられた金員を合わせると、債権者らの収入は一カ月約七万円となる。ところで、仮に本件解雇が無効であるとされた場合、債務者がいわゆるバツク・ペイとして債権者らに支払うこととなる金員は、ひとり当り一カ月四万一、〇〇〇円前後であるから、原判決のように債務者が別表三記載の金員を仮払いすることは、債権者らに対し、同人らが勝訴の本案判決をえた場合以上の利益を与えることになり、必要性の限度を越えているといわねばならない。

二  債務者の右主張に答え、債権者ら代理人は次のとおり主張した。

1  協議約款違反の主張が時機に遅れた攻撃防御方法であるとの債務者の主張は、これを争う。たしかに、債権者らが右の主張をしたのは原審第一三回口頭弁論期日においてであるが、右時点においては右主張に関する債権者らの立証は、一応終つていて新たな立証を要しない状態にあつたうえ、不当労働行為、権利乱用の主張に関する立証として証人、本人計五名の尋問が行なわれることに予定されていたのであるから、このような場合には、右主張の提出が訴訟の完結を遅延せしめる場合にあたらないし、その後右主張をめぐる証拠調が行なわれてはいるが、それは債務者がいわれなき反論をしたためのものであり、債権者らとしては、かかる反論を予期だにしなかつたのであるから、債権者らに故意はもちろん過失もなかつた。

2  組合が協議権を放棄したとの債務者の主張も争う。組合は、債務者が次々とした懲戒処分が、不法、不当で、しかも一方的に行なわれたものであることに、そのつど抗議し、あわせて団体交渉の開催を要求してきた。このことは組合が協議権を放棄していないことを如実に示すものである。

3  債務者が協議義務を果たしているとの債務者の主張も争う。組合は全道労協議長らに協議の委任をした事実はない。

4  債権者及川の解雇理由に関する債務者の主張も争う。

5  債権者及川が解雇を承認したとの債務者の主張を否認する。及川が組合の委員長として債務者指摘の確認書(疏乙第七号証)に記名、押印したのは、当時の労、使間の状勢から、まず組合員が就労することを第一義的課題とし、そのため処分撤回問題を一時保留し、その解決は将来にまつほかなかつたからである。なお、組合の意思が及川個人の意思にならないこと、もちろんである。

6  保全の必要性がないとする債務者の主張は、これを争う。債務者は、みずからの違法行為に目をつぶり、債権者らが最後の手段として生活保護を受け、その足らざる部分を不安定な臨時的方法で補い、かろうじて生活を続けているのに、それがゆえに仮処分の必要性がないと主張するのは、本末を転倒しているばかりか、仮処分という制度を無にするものである。

三  (証拠省略)

理由

一  当事者間の雇傭関係等

債務者が札幌市内においてタクシー業を営む株式会社であること、債権者らは、いずれも期限の定めなく右会社に雇用されタクシー運転の業務に従事しており、債権者及川が同会社の従業員で組織する第一ハイヤー労働組合(以下単に「組合」という)の執行委員長、債権者飯村がその副執行委員長、債権者鳴海がその書記長、その余の債権者らがいずれもその執行委員であること、債務者が昭和三七年五月八日債権者及川に対し、昭和三八年一一月二八日その余の債権者らに対し、それぞれ懲戒解雇に付する旨通告したことは、いずれも当事者間に争いがない。

二  本件各懲戒解雇通告に至る経緯

成立に争いのない疏甲第七ないし第一二号証、同第一四ないし第二四号証、同第三一号証、同第三三ないし第四九号証(ただし、同第三九号証は表面の部分のみ)、同第五九、第六〇号証、同第六二、第六三号証、同第六四号証の一ないし五、同じく疏乙第六ないし第八号証、同第二四号証の五ないし一三、同第二五号証の二、同第二五号証の四、五、同第二六号証の一、二(同第二六号証の二については原本の存在も争いがない)、同第二八号証の八、一一、同第三二ないし第三四号証、同第三七号証の一、二、同第三九号証、同第四五号証、同第四六号証の三、同第四九号証の一、二、同第五一号証、原審証人西村醇吉の証言により成立を認めうる疏甲第五号証、その体裁および内容から日刊新聞であると認めうる同第五二号証の一ないし八、原審証人新田安広の証言により成立を認めうる疏乙第四号証の一、二、同第三〇号証、原審証人鈴木睦治(第一、二回)同竹村正(第一、二回)の各証言により債務者主張のような写真であることが認められる疏乙第九号証の一ないし五、同第一一号証の一、二、同第一二号証の一ないし六、同第一三号証、同第一四号証の二ないし一二および一四、同第一五号証の一ないし五、および八ないし二九、同第一六号証の一ないし一九、同第一七号証の一および四ないし一二、同第一八号証の一ないし三、同第一九号証の一ないし一四、同第二〇号証の一ないし九、原審(第一ないし第四回)および当審証人新田安広、原審証人八重樫正博、同佐藤保、同柏葉正夫、同堀善明、同鈴木睦治(第一、二回)、同村上善三郎、同竹村正(第一、二回)、同西村醇吉、同松下吉秀、当審証人森下正好、同村上芳秋、同対馬孝且の各証言、原審および当審における債権者及川静雄(原審第一、二回)、同鳴海晋三、同坂下邦雄各本人尋問の結果、原審における債権者飯村平(第一、二回)本人尋問の結果を総合すると、次のような事実が疏明される。

1  組合は昭和三一年一一月に結成され、それと同時に全国自動車交通労働組合(以下「全自交」という)の下部組織で、全自交北海道地方連合会(以下「地連」という)の札幌地区の組織である全自交北海道地方札幌連合会(以下「札幌連合会」という)に加盟した。

2  債権者及川は、組合結成と同時に組合に加入し、代議員に選出され、翌三二年一一月から三五年九月まで執行委員をつとめ、三五年九月執行委員長に選出され、以後継続してその地位にある。また三五年から三七年にかけて地連の執行委員となり組織部長をつとめ、三七年には札幌連合会の執行委員となり教宣部長をつとめ、組織拡張のため活動した。

3  組合は、昭和三七年二月六日全自交の行なう春季闘争(以下「春闘」という)の一環として、五、〇〇〇円の賃上げ、最低賃金一万五、〇〇〇円、運転手の基本給二万五、〇〇〇円の月給化などの要求九項目(全自交傘下労組の統一要求七項目、単組要求二項目)を会社に提出するとともに、統一要求七項目については中央業者団体へ交渉権を委譲し、右団体と全自交との統一交渉とすることを要求した(この事実は、当事者間に争いがない)。

4  そして、三月六日、一六日に会社、組合間で団体交渉(以下「団交」という)がもたれたが、会社は交渉権委譲を拒否し、組合は、同月二〇日以降全自交の指令にもとづく三回の時限ストをもつてこれに応じた。四月七日に至り、組合は、統一団交によらないことを了承し、組合要求項目について会社との間に団交が開かれたが、要求項目に趣旨の不明確な点があつたので、同月九日要求書の一部訂正を行なつた(三月六日と四月七日に団交が開かれた事実は、当事者間に争いがない。)

5  ところで、組合の前副執行委員長で当時札幌連合会の委員長であつた西村醇吉、組合の副執行委員長の和田幸盛、執行委員の中村幸雄、竹村正、遺田善三郎らは、かねてから債権者及川らの行動を過激であるとして及川を中心とする執行部に批判的な立場をとつていたが、同年二月下旬折から病気入院中であつた右西村は、「(1)春闘について全自交は、札幌地連および各単位組合に対するオルグ活動を強化するであろうこと、(2)業者の組織であるハイヤー協会としては、それに対処し、春闘の足並みを乱すため加盟組合の地連脱退を策し、できうれば脱退に踏み切らせること、(3)それが成功すれば地連の共産党員は動けなくなること、(4)第一小型ハイヤーにおいては、まず会社が及川の賃金カツトを行なうこと、そうすると組合は及川に補償せざるをえなくなり問題が起こることになるから、そうした事態を招くため及川を泳がせておくこと、(5)管理職と組合穏健派との人間関係を強化し、会社側のP・Rを行ない、及川と和田との間のあつれきを利用すること、(6)三役交渉を避け、執行委員全員交渉にして真実を正しく伝えるようにすること」等の方策を記載したいわゆる西村メモを作成して右中村らに交付して検討を求め、かつ、右中村らに右メモの要旨を会社側に伝えるよう依頼した。そして三月三〇日夜札幌市内の夕鶴旅館に、右西村、和田、竹村その他約三〇名の組合員が集まり、及川委員長の行動を過激であると批判しあつたのであるが、途中及川らは右集会を察知し、約一〇数名で右集会の場に押しかけ、右和田らの分派活動を非難して双方激しく応酬しあつた。西村は右集会後会社の営業車で会社社長森下正好宅を訪れ、同社長に右集会の状況を報告し、また、右の車代は社用扱いとされた。

6  組合は、四月五日右事態に対処し、春闘に組合員の力を結集させるため全員集会を開いた。席上和田副委員長は、及川の行動等を非難し、春闘問題より先きに組合運営について討議すべきであることを主張し、これがいれられなくなると、同人を含む批判派組合員約二〇名が退場した。

7  同月一〇日の会社との団交の席上、中村、竹村、遺田らの執行委員は、及川委員長が、組合において訂正のうえ提出した要求書を独断で撤回した等の理由で、及川委員長を追及した。

8  翌一一日前記西村、和田、右中村、竹村、遺田ら約三五名の者は、西村を執行委員長、和田を副委員長、中村を書記とする第一小型ハイヤー労働組合(以下「第二組合」という)を結成し、翌一二日それぞれ組合に脱退届を提出するとともに、会社に第二組合結成の届出をした。会社は直ちに右届出を受理し、その旨社報をもつて公示した。組合は会社に対し、第二組合を認めたことに抗議した(一部の組合員が脱退して第二組合を結成した事実は、当事者間に争いがない)。

9  同月一四日会社は組合に対し同日付文書をもつて春闘要求には全面的に応じられない旨回答した。

10  同月二七日開催された第二組合の臨時大会に、会社側は社長以下幹部が出席して会社側の新賃金体系案等を説明し、大会はこれを承認し、一両日後に会社と第二組合間に新賃金協定が締結された。なお、この日は組合と会社との間に団交が開かれる予定で、組合側は定刻からその会場に待機していたが、会社側は右の第二組合の大会の方に出席していて姿を見せなかつた。(会社と第二組合との間に協定が成立した事実は、当事者間に争いがない)。

11  四月二八日組合は、全自交の統一行動として午前八時から正午まで時限ストを行ない、その間に会社菊水支店で決起大会を開いた。大会終了後約三〇名の組合員は、待合室兼運転手控室(以下「控室」という)で時限スト終了時まで待機していた。ところで同日は第二組合員が就労していたが、右の状況なので右控室に隣接した配車室の窓から配車の指示を受け、また右控室の中の組合員がさわがしいため、配車室では電話を十分聞きとれない状態であつた。そこで会社の総務部長新田安広が電話で及川委員長に組合員を控室外に出すよう指示したが、組合員は結局時限スト終了時刻まで退去しなかつた(同日組合が時限ストを行ない、控室に組合員が入つた事実は、当事者間に争いがない)。

12  五月一日会社は第二組合の組合員に新賃金協定に基づく勤務割を実施した。このため組合の組合員の一部には担当車両を変更される等の影響が出た。

13  同日組合の組合員富沢彰と池田和典が第二組合の組合員高橋秋男とけんかし、池田、高橋がそれぞれ全治三週間の負傷をしたが、この件につき会社は同月四日に富沢を、同月七日に池田をそれぞれ懲戒解雇し、高橋にはなんらの処分もしなかつた。なお、富沢、池田はその後間もなく組合を脱退し第二組合に加入し、それと同時に会社は右両名の懲戒解雇をいずれも取り消した。

14  組合は同月四日豊川稲荷で臨時大会を開いたが、このとき勤務中の組合員の中に担当車で会場に乗りつけた者がおり、それらの営業車一二台は大会終了まで約七時間同所に駐車していた。また組合は、同月八日に時限ストを行ない、その際組合員は営業車四台に分乗して札幌市役所豊水出張所で行なわれていた札幌連合会の集会に参加し、右営業車四台はその間約二時間同所に駐車していた(同月四日豊川稲荷で大会が、同月八日豊水出張所で集会が開かれた事実は、当事者間に争いがない)。

15  同月六日組合の執行委員の木下修、谷地政和、佐藤寛一、末崎茂の四名、ならびに組合員の古川辰夫ら六名は、勤務中営業車一〇台を使用して森下社長、新田総務部長の各自宅付近の電柱に、解雇の撤回や団交の開催を訴えるビラをはり、また、組合は翌七日および八日会社の本社内の組合事務所前の階段のまわりや事務室外側の廊下の壁に、処分の撤回、要求の早期解決、団交の開催とそれへの社長の出席などを訴えるビラ約二〇枚を貼付した。右六日のビラはりにつき、会社は七日木下らの執行委員四名をそれぞれ一〇日間の出勤停止処分に、古川らの組合員六名をそれぞれ訓戒処分にした(同月七、八日に組合員がビラはりをした事実、会社が同月七日四名を出勤停止処分に、六名を訓戒処分にした事実は、当事者間に争いがない)。

16  また会社は同月八日組合の執行委員である債権者坂下邦雄を、入院中でありながら前記四月二八日の時限ストに参加したという理由で配車係から運転手に降職させた。同人は四月一六日国立病院に入院し、同月三〇日退院しているが、財政担当の執行委員であつた関係から、組合員に組合活動による賃金カツト分を支払うため、右時限ストの際菊水支店に行つていたもので、僅か三、四〇分で右支払いの事務をすませ直ちに病院に戻つたものであるが、退院の翌日の五月一日から出勤していた。

17  さらに会社は右五月八日組合の執行委員長である債権者及川を原判決の事実摘示第二の二の1の「(債権者及川について)」と題する部分の(一)、(二)(原判決の一七枚目表五行目から一八枚目表九行目まで)記載の理由で懲戒解雇にした(この事実は、当事者間に争いがない)。

18  このように組合員に対する出勤停止、訓戒、懲戒解雇などの処分があいついだため、組合は春闘要求に処分撤回の要求を加えて会社に団交を求めた。ところが五月一〇日組合が支援労組の所属員を含めて七、八〇名もの多数で団交に臨んだことから、会社が交渉人員の制限を主張し、その後同月二二日に北海道地方労働委員会(以下「地労委」という)が示した「(イ)交渉委員は双方八名以内とする。(ロ)傍聴は相手方の同意を必要とする」などのあつ旋案を会社、組合双方が受諾し、これにより同月二四、二六、二八、三〇日と団交が開かれたが、実質的討議はなされず、右三〇日会社は「四月一四日付の回答書をもつて、組合の春闘要求に対する最後回答とする」として団交の打切りを宣言した(五月一〇日、二四日、二六日、二八日、三〇日に団交が開かれた事実、五月一〇日の団交後二四日の団交までの間に、地労委からあつ旋案が示された事実は、当事者間に争いがない)。

19  さて組合は、第二組合に移る者が逐次ふえ、効果的なストができない状態に陥入つたので、前述のとおり処分撤回、団交再開などを要求するビラはりやビラまきを行なうようになり、六月七日以降は連日会社本社入口、車庫、配車室、二階事務室一帯に対するビラはりをくり返し、ビラはりは次第に激しさを加えた。殊に同月九日には組合員、支援労組員数一〇名が本社におしかけ、洗車ブラシにのりをつけ、新聞紙を四つ切りにした紙片に首切り反対、要求貫徹、団交要求、賃上げ要求などの文字を朱色あるいは黒色スミなどで記載した約四三〇枚にのぼるビラを、社長室、事務室の壁、天井、窓ガラスなど一面にはりつめたばかりでなく、職員が執務中の机、いす、壁の油絵等にもところかまわずはりつけ、清掃後もそのあとが残るなど会社建物施設、備品などの効果、体裁を著しく毀損し、会社の業務遂行を妨げた。

20  会社は、はじめ管理職や事務職員の手でビラの清掃にあたつていたが、六月中旬には事務処理に支障をきたすようになつたので、暴力団に関係のある加藤茂にビラ清掃を請け負わせるに至り、同人ないしその輩下の者と組合員との間にトラブルが生じ、傷害事件にまで発展した。

21  六月一九日、組合員二〇数名、支援労組員約八〇名が午前九時ごろから会社菊水支店車庫内に集結して、会社に無届けで、夏期一時金要求、春闘未解決組合支援のための決起集会を開き、かたわら右建物の壁や窓ガラスにアジ文句を朱書きしたり、ビラをはり、殊に同支店配車室周囲外側窓ガラスにはすき間なくビラをはりつけて配車指示を不能ならしめ、その間、労働歌の放送や示威演説をくり返すなどして同支店の業務を妨害し、同支店長の指示でビラはぎにかかつた加藤輩下の者との間に紛争を起し、双方に軽い怪我人が出た。これに興奮した組合員、支援労組員二〇数名は社長以下新田総務部長ら会社幹部の責任を追及するとして同日午後一時半ころ会社本社に押しかけ、そのまま居すわり、二〇日夜半から翌二一日朝にかけて事務室内の机、窓ガラスなど各所におびただしい数のビラをはりつけ、会社の執務を不能にし、二一日午後三時ころ会社管理職総出による立退き要請にも応ぜず、以来本社事務室を占拠するに至つた(六月一九日組合員が本社に入つた事実は、当事者間に争いがない)。

22  また、六月一九日午前、組合は菊水支店において出勤停止中の組合員木村喜博を乗務せしめるなど会社側の配車指示に従わず、同日午後からは、組合員の乗務する営業車一〇数両の客席両ドアやトランクにビラをはりつけたまま運行するなど会社の指揮管理を無視排除し、さらに同日以後組合員による売上げは、実質一〇〇〇円前後ないしはそれよりはるかに下まわり、極端に減少してきた。

23  そこで、会社はこれに対抗して、六月二二日組合に対し同日午前九時以降全事業所において無期限にロツクアウトする旨通告し、会社施設への立入禁止および車両の返還を求めた(会社が同日ロツクアウトの宣言をした事実は、当事者間に争いがない)。

24  しかし、組合は同日午後一一時三〇分ころ菊水支店仮眠室から寝具一〇数点を持ち出したうえ、引き続き本社事務室を占拠し、さらに営業車六両(その後、六月二六日第二組合員森利雄、篠塚忠一の二名が担当車をもつたまま組合に復帰したので、その数は八両となつた。会社はこれを理由として同月中に右両名を解雇した。)をほしいままにビラはりなどに使用し、しばしばメーター不倒のまま運行し、また会社の指揮管理を排して旅客運送をし、かたわら、菊水支店、薄野支店に連日組合員多数で押しかけ、執ようにビラはりをくり返し、さらに入院留守中の社長私宅はじめ会社幹部私宅に多数のビラをはりつけ、衣類に糊をかけたりし、このため七月二日には及川委員長ほか数名の組合員が加藤輩下の者から暴行を加えられ、傷害を受けるなどのことがあつた(組合が六月二二日菊水支店仮眠室から寝具を持ち出した事実、そのころ車両八両を保管した事実は、当事者間に争いがない)。

25  会社は、六月二七日札幌地方裁判所に組合の本社建物および営業車八両とその車検証、エンジンキーの占有排除ならびに会社事業場に対する立入禁止などの仮処分を申請し、その審尋手続中の七月二〇日、「(イ)会社と組合は相互にその争議行為をやめ、組合員は会社の管理の下に正常な業務に従事すること、(ロ)会社と組合は今後二カ月間は一切の争議行為を行なわないこと、(ハ)会社と組合はお互いに誠意をもつて団交すること」との旨の和解の成立をみた(会社が札幌地方裁判所に立入禁止等の仮処分を申請し、その手続中の七月二〇日に和解が成立した事実は、当事者間に争いがない)。

26  ところが、その後、和解条項の履行についての会社、組合間の折衝において、前示森、篠塚両名の解雇撤回と就労を求める組合の主張をめぐり、右和解条項の解釈履践につき意見の一致をみず、組合の会社本社事務室の占拠および会社の指揮命令に従わない車両の運行状態が続いたので、会社は、七月二八日再び組合に対し、同日午後一時以降全事業所につき無期限のロツクアウトを通告するとともに、同月三〇日札幌地方裁判所に前同旨の仮処分を再度申請し、翌三一日申請に添う仮処分決定を得て、八月四日執行した(和解条項の履行をめぐり意見が一致せず、会社が七月二八日再びロツクアウトを宣言した事実は、当事者間に争いがない)。

27  右仮処分執行により、本社事務室および車両八両に対する組合の占有は解かれたが、組合は車検証およびエンジンキーについては見当らないと称して執行吏に対する引渡しを拒否した。また、組合は八月六日本社建物に接着して入口前歩道上に天幕小屋を構築し、以後一カ月余りの間これを存置して会社の本社使用を妨げた。

28  争議解決をはかるための交渉は八月三一日から続けられ、組合側はやがて春闘要求を取り下げ、立ち上り資金、処分問題に限定して交渉を進めたが、会社は車検証、エンジンキー、仮眠室備付の寝具の返還、本社屋上の赤旗の撤去が先きであるとして、一二月七日まで一〇数回にわたる団交が開かれたのに歩み寄りがみられなかつた。その後昭和三八年三月末にも二回の団交がもたれたが、結論がでなかつた。同三八年八月一二日地労委の勧告により同月二二日から会社と組合側との間に団交が再開され、九月六日、「(イ)組合は会社の指揮管理の下に正常な業務に服する。(ロ)労使双方は就労の日より二カ月間一切の争議行為をしない。(ハ)会社は同日午後一時ロツクアウトを解除する」などの事項を内容とする確認書が取り交わされ、会社は、同日午後一時ロツクアウトを解除し、その後組合員の就労に先き立つて身体検査を行ない、かつ、個別に就労意思を確かめるなどしたうえで、就労させ、組合員は同月一七日以降二六日までに全員就労して、ここに約一年半にわたる争議状態はようやく終結した。当時組合員は三〇名余りに減少し、逆に第二組合員は一〇〇名を越えていた(九月六日ロツクアウトが解除され、同月一七日から就労が始まつた事実は、当事者間に争いがない)。

29  以上の争議の過程においては、組合執行委員長債権者及川静雄以下組合役員である債権者ら全員が一団となつてこれが企画、指導、実行にあたつてきた。

30  就労後の組合員の稼働状況は、なんらの不都合も起さず良好であつて、以後の団交においては、有給休暇、石炭手当、昇給問題などについて交渉を重ね、一一月四日の団交においては、組合は、その前回において申入れをしていた職能給の判定取扱い、債権者鳴海晋三ら就労の遅れた者に対する補償、石炭手当などの件については会社回答で了承するとし、なお未解決の問題について次回団交を同月二三日から二五日ころに行なうと定められた。

31  ところが同月一五日債務者会社の社長森下正好がその地位を退き、吉野常男がこれに代り、ついで同月二八日債務者は、債権者及川を除くその余の債権者らを原判決の事実摘示第二の二の1の「(及川以外の債権者らについて)」と題する部分の(一)、(二)(原判決の一八枚目表一〇行目から一九枚目裏九行目まで)記載の理由で懲戒解雇した(社長の交代を除くその余の事実は、当事者間に争いがない)。

三  債権者及川に対する懲戒解雇の当否

債務者が昭和三七年五月八日債権者及川を債務者主張の理由(すなわち、無断欠勤のほか前記二項の11、14、15等の事実に関する責任追及)で懲戒解雇したこと、前述(二項の17)のとおりであるが、当裁判所は、右解雇はこれを正当とすべき実質的理由を欠き就業規則の適用を誤つたもので無効であり、また、債権者らが就業規則の適用の誤りを主張することは、時機に遅れた攻撃防御方法の提出に該当しないと判断する。その理由は、原判決の理由説示第二の二の3(原判決の五八枚目表二行目から七三枚目裏三行目まで)と同一であるから、これを引用する。

のみならず、右認定のとおり本件懲戒解雇がこれを正当とすべき実質的理由を欠いている事実に、前記一項記載の事実および前記二項の1ないし31記載の諸事実を合わせ考察し、殊に、及川が長年執行委員長として組合の組合活動を企画、指導していたこと、及川らに批判的な西村らが第二組合を結成するに当つては、西村らと債務者との間になんらかの連絡があつたものと推認せざるをえないこと、債務者が第二組合の育成に協力し、その組合員を及川らの組合の組合員より利益に取り扱つていること等をしんしやくすると、債務者は、組合の中心的存在である及川を嫌悪し、かつ、組合の弱体化をねらい、前記の解雇理由を口実として及川を企業外に排除しようと意図したものと推認せざるをえず、したがつて本件懲戒解雇は、労働組合法第七条第一号に該当する不当労働行為であつて、無効であるというべきである。

それゆえ、債権者及川に対する本件懲戒解雇は、解雇の効力をめぐるその余の争点につき判断するまでもなく、無効である。

ところで債務者は、債権者及川は昭和三八年九月六日の確認書に記名押印することによつて本件解雇を承認したと主張する。たしかに、成立に争いのない疏乙第七号証(疏甲第四〇号証と同じ)によると、右同日債務者と組合との間に取りかわされた確認書には、及川は解雇により就労できない旨の条項があり、右確認書には及川が委員長として組合を代表し記名押印していることが認められる。しかし成立に争いのない疏乙第五一号証、原審証人八重樫正博、当審証人対馬孝且の各証言、原審における債権者鳴海晋三本人尋問の結果、当審における債権者及川静雄本人尋問の結果を総合すると、本件争議解決への努力は、昭和三七年一一月ごろから活発となり、翌三八年春ごろには全北海道労働組合協議会(全道労協)、札幌地区労働組合協議会(地区労)も積極的に解決に乗り出し、これに全自交中央本部、全自交北海道地連および組合を加えた五者で解決のための共闘会議を組織し、同年八月には地労委から解決への努力方の勧告も受け、債務者としばしば交渉を重ねていた。その過程において、組合は及川委員長の解雇撤回を求め、債務者はこれを拒否して両者譲らぬため、共闘会議側においても債務者側においても、右解雇問題を取り上げていては解決困難であるとし、債務者がロツクアウトを解き、組合側は就労して一応正常の労使関係を回復するのが先決であると考え、やがてその線にしたがつた交渉が進められてきた。したがつて前記確認書の調印にあたつて、組合側は、及川委員長の解雇撤回、就労問題は、同様の立場におかれていた篠塚忠一のそれとともに、その後二カ月間の平和期間のうちに債務者と交渉を重ねていきながら解決しようと考えていたものであり、したがつて調印の時点において確定的に及川の解雇、不就労を承認する趣旨のものではなかつたこと、債務者においても組合の右の意図を推察していたことが窺われる。そうしてみると、前記確認書の調印は、組合において及川の解雇を承認したものでないことはもちろん、及川個人において自己の解雇を承認したものでもないというべきであつて、債務者の前記抗弁は採用できない。

四  及川を除くその余の債権者らに対する各懲戒解雇の効力

債務者が昭和三八年一一月二八日及川を除くその余の債権者ら(以下本項においては単に「債権者ら」という)を債務者主張の理由(すなわち前記二項の19、22、24等の事実に関する責任追及)でそれぞれ懲戒解雇したことは、前述(二項の31)のとおりであり、前記二項認定の事実中債権者らに対する解雇事由となつた事実によれば、組合のしたビラはり、本社事務室の占拠、菊水支店運転手仮眠室備付寝具の持出し、車両の占有運行等の行為は、社会通念上許容さるべき範囲を逸脱し、使用者の業務遂行行為を積極的に妨害し、かつ、その財産支配を阻止するものといわざるをえないから、これら行為が、前示のような春闘要求をめぐる債務者との間の深刻な対立、抗争の中で行なわれたものであり、殊に右抗争の過程において第二組合が結成され、それと債務者との間に新賃金協定が妥結し、新勤務割りが実施されたり、及川委員長はじめ多数の組合員が懲戒解雇等の処分を受け、また、債務者が暴力団に関係のある加藤茂にビラはがしを請け負わせ、組合員が右加藤およびその輩下の者から暴行を受けたりするなど、組合を刺激させる要因が多々あり、組合としても勢い必要以上に実力を誇示する方向に赴いたであろう等の事情をしんしやくしても、正当な争議行為の範囲を越えたものと評価されねばならない。したがつて、かかる行為を企画、指導、実行した執行委員である債権者らが、その責任を追及されたとしても、それが適切な時期、方法において行なわれた場合には、直ちにこれを不当な措置と断ずることはできない。

しかしながら、本件各解雇は、債務者が昭和三八年九月六日組合との間に確認書を取りかわして、ロツクアウトを解除し、債権者らを含む組合員全員が就労して稼働状況も良好であり、約一年半の長きにわたつた争議が終わつて労使の間がようやく正常化しようとしたやさきに突如として行なわれたものであること、債務者は、従前しばしば債権者らの争議責任を追及する態度をみせてはいたが、右確認書作成の際には強く争議責任を留保する態度には出ず、結局確認書には債権者らに対する争議責任留保に関するなんらの取りきめもなされなかつたこと、本件の違法行為は昭和三七年六、七月ごろになされているのであつて、当時これを理由とする責任追及ができなかつたわけでもないのに(現に及川委員長らの懲戒解雇が時期を失せず行なわれていたことに対比する)、一年以上経過してのちに行なわれていること、当時組合員は僅か約二五名にすぎないのに、そのうち執行部全員を解雇したものであること、先きに及川委員長の解雇の効力について判断した際述べたとおり、西村らが第二組合を結成するに当つては、西村らと債務者との間になんらかの連携があつたものと推認せざるをえず、しかも債務者が第二組合の育成に協力し、その組合員を債権者らの組合の組合員より利益に取り扱つていたこと等の事情を合わせ考察すると、本件各懲戒解雇は、組合の決定的壊滅をねらい債権者らが組合員であることを実質的理由としてなしたものであると評価せざるをえない。それゆえ、本件各懲戒解雇も、労働組合法第七条第一項に該当する不当労働行為であつて、無効であるというべきである。

してみれば、債権者らに対する本件各懲戒解雇は、解雇の効力をめぐるその余の争点について判断するまでもなく、無効である。

五  賃金請求権の存否

以上説明のとおり、本件各懲戒解雇はいずれも無効であるから、債権者らは、いずれも債務者の従業員としての地位を失なわず、債務者から各解雇当時の労働条件に従つて処遇されなければならないことは当然である。したがつて、特段の事情のない限り、賃金についても解雇当時にさかのぼつてこれを請求する権利がある。

ところで債務者は、債権者及川について、組合および及川本人が昭和三八年九月六日に同人の解雇、不就労を承認したから、同人は賃金請求権を有しないと主張する。しかし、組合および及川が確定的に右の承認をしたと認め難いこと、先きに及川の解雇の効力について判断した際に判示したとおりであるから、右主張は採用できない。

しかして、債権者及川の昭和三八年九月二四日から昭和四一年五月分(四月一六日から五月一五日まで)までの賃金合計額が別表一(原判決添付目録引用)のとおりで、その後の一カ月分の賃料額が別表二(前同)のとおりであり、その余の債権者らの各昭和三八年一一月二八日から昭和四一年五月分(四月一六日から五月一五日まで)までの賃金合計額が別表一のとおりで、その後の一カ月分の賃料額が別表二のとおりであることは、当事者間に争いがない。したがつて債権者及川はその請求にかかる昭和三八年九月二四日以降、その余の各債権者は、その請求にかかる同年一一月二八日以降それぞれ右の金額の賃金請求権を有することになる。なお、賃金の支払期が毎月一六日から翌月一五日までの分を翌月二五日に支払うことになつていることは、弁論の全趣旨によつてこれを認めることができる。

ところで、債務者は、債権者らの各賃金債権中昭和四一年六月一三日までに二年を経過している分は時効により消滅したと主張し、また、債権者らは昭和三九年一月から同年一〇月一九日まで札幌市内のハイヤー会社で稼働し収入をえているから、その収入額を民法第五三六条第二項ただし書にしたがい賃金から控除すべきであると主張するが、後述のとおり当裁判所は、昭和四一年七月五日以前の賃金分については仮払いの必要性がないと判断するので、右主張に対する判断をするまでもなくこれを採用しない。

六  保全の必要性

原審における債権者鳴海晋三本人尋問の結果(第二回)に弁論の全趣旨を総合すると、債権者らは、いずれも他に特別の資産を有せず、債務者から受ける賃金を唯一の収入として生活していたものであることが認められるから、債権者らが債務者の従業員としての地位を仮に認められることの必要性、ならびに特別の事情のない限り前記賃金相当額の金員の仮払いを受ける必要性があるといいうるところ、右金員の仮払いについては、当裁判所も原判決が必要性を認めた限度において必要性があり、その余は必要性がないものと判断する。その理由は、次のとおり付加するほか、原判決七五枚目裏四行目から七七枚目裏一〇行目までと同一であるから、これを引用する。

1  そもそも生活保護法は、各個人が自己の財産、権利、能力等を最大限に活用して自己の生活を維持すべしとする資本主義体制の上に座を占めていることと、いわゆる濫救の弊を避ける目的のもとに、いわゆる「保護の補足性」という原則を打ち立て、その第四条において、現実に生活に困窮している者についても、その者がその利用しうる資産、能力その他あらゆるものを、最低生活維持のために活用することを、要保護者たることの資格要件としている。右にいわゆる資産の中には金銭債権をも含むことは当然であるから、金銭債権を有する者は、まずその回復をはかり、その実現されない場合にはじめて同法による保護を受くべきもので、生活保護を受けているから権利の回復をはかる必要がないとするのは、事の先後をあやまるものということができる。のみならず、債権者が生活保護を受けていることを理由に、債務者が債務の弁済を一時的にもせよ免れるということは、債務者を不当に利得せしめる結果ともなる。それゆえ、金員仮払いの仮処分を命ずる緊急の必要性があるか否かの判断にあたつては、債権者が生活保護を受けているか否かを顧慮すべきものではない。

2  債務者は、債権者らが賃金の仮払いを受けた場合には、その受けた生活保護費を返還せねばならないから、賃金仮払いを求める緊急の必要性はないと主張するが、その理由のないこと、右に述べたところからおのずから明らかである。しかして当裁判所も、右必要性を認めた部分については、本件の事案にかんがみ保証を立てさせないで仮処分を命ずるのを相当と判断する。

七  結び

それゆえ、右と結論を同じくする原判決は結局において相当であり、債権者らの本件控訴、債務者の本件控訴は、いずれも理由がない。よつて民事訴訟法第三八四条にしたがいこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき同法第九五条、第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 原田一隆 神田鉱三 岨野悌介)

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