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札幌高等裁判所 昭和43年(う)114号 判決 1968年12月19日

主文

原判決を破棄する。

被告人北島敏を罰金一〇万円に、同山本昭を罰金八万円に各処する。

右罰金を完納しない場合は、一日一〇〇〇円の割合で換算した期間その被告人を労役場に留置する。釧路地方検察庁歳入歳出外現金出納官吏が日本銀行に預け保管中のほたて貝換価代金八〇、九九七円は、これを被告人北島敏から没収する。

原審の訴訟費用は全部被告人両名の連帯負担とする。

理由

<前略>

原判決について見れば、これがその掲げる証拠によつて、被告人両名につき訴因どおりの事実を認定した趣旨は判文上明らかである。しかしそれは、漁業法六六条一項の解釈において、クナシリ島沿岸における被告人らの所為には同条項所定の漁業の一般的禁止が及んでいないとして無罪を言渡した。控訴趣意は原判決のこの点の法令解釈が誤りだと主張するものである。

当裁判所の判断は以下に示すとおりである。

漁業法は、同法三条および四条にいう公共用水面またはこれと連接一体をなす非公共用水面について適用される。そして原判決も言うように、その意義は必ずしも明確かつ一義的ではないから、法の目的趣旨を勘案して決定されるべきものであり、本件において具体的には、法六六条一項における公共用水面またはこれと連接一体をなす非公共用水面の意義が問われることになる。

まず法六六条一項は、その所定の漁業を一般的に法律で禁止する趣旨の規定である。およそ、国がある行政目的のため、自国民に対し特定の行為を一般的に法律で禁止しようとする場合、その場所的範囲を含む禁止の規模は、憲法の枠内でなによりも合目的的に決定されていいのであり、必要ならば自国民の他国における一定行為を禁ずることも、もとより不可能ではない。かく禁止を及ぼすこと自体が、他国の主権を侵すことにはならない。特定漁業をどの範囲の海域について禁止するかというのも、さしあたりわが国の漁業政策(もとより総合的な一国の施策の一環としての)上の問題であつて、それが例えば国際法的見地から当然に制約を受けるというようなものでないのは明らかであろう。もつともそうだからといつて、一般的禁止に背いた自国民を他国の領土(海)内で、行政的にとはいえ当然実力で取締れるものでないのも確かである。つまり、国外にある国民に対し如何なる権力作用を及ぼし得るかは、特定行為の禁止だとか命令だとか、あるいは実力による取締権の行使だとかいう、当該権力作用の具体的性質によつて異なることであり、それが例えばひとしく行政作用に属するからというような理由により、当然に一律共通であるべきものではない。

この点原判決は、行政目的に奉仕する漁業法中に、漁業権の設定等当然外国の領海に及び得ない性質の規定もあること、その他諸種の制限、禁止、指示、命令等多様な行政上の権力作用が規定されていることを理由に、これらすべてを通じて、その規制範囲が一律共通に、しかももつぱら属地的に定められているものと見るのであるが、右に述べた意味でそれは性急に失する。これを前提として、だから法六六条一項の規制海域が「日本国の統治権が現実に及ぶ海面」に限られるとするのには賛成できない。

やはり、法六六条一項の規定するのが「禁止」という本来属人的にも効力を持たせうる性質の国家作用であることを考え合わせ、同条項個有の問題として、その目的と規制対象たる行為の性質を中心に、より具体的に適用範囲が検討されなければならない。

そこで同法六六条一項の目的であるが、同法一条を具体的に言えば、それは限られた資源と漁場のもとで、漁法漁具船舶等の面に進歩著しい漁業技術の駆使を、事業規模や資力にも格差のある漁業者の自由な競争に委ね、放任することによる不幸な事態を防ぎ、乱獲を抑えて水産資源の適正な利用を図るとともに、自由競争を制限して、沿岸漁業に頼らざるを得ない多くの中小規模の漁民の事業と生活を保護することにあると言えよう。

それならば、水産資源の適正利用の見地からは、沿岸操業の事実上可能なおよそ全海域が規制範囲とされ、また漁民保護の立場からも、それには抜け駆け的な漁獲競争も抑止されるべきだから、同様におよそ事実上操業可能な全海域が規制の範囲に含まれるとするのが最も目的にかなうことになる。すくなくとも、当該海域での操業が、わが国における水産資源の適正利用と漁民保護とに相当の影響を有する場合には、これを法六六条一項の適用範囲に含めなければならない積極的な必要性が認められるのである。

言うまでもなく海洋漁業の当然の性質上、操業海域はより広く遠く求められていくものであつて、三カイリというわが国の領海にとどまり得べくもないことは、漁業技術の進歩につれていわゆる沿岸漁業についても同じことである。事実本件海域などでは、わが国の漁民が沿岸漁業形態の操業をすることがかなり容易であり、現にその操業もすくないことが記録上も見受けられるのであつて、北海道における沿岸漁業の調整を図るうえに、同海域での操業がとうてい無視できない大きい影響を持つことは明らかである。

なによりも前記行政目的を実現する手段としての漁業法であり、その六六条一項である以上、それはかかる沿岸漁業の性質と現実の姿に即した、必要かつ十分な合目的性を備えている筈のものだと考えるべきであろうと。こうして原判決も「漁業調整の目的や漁業という特殊性より日本国の統治権の及ぶ範囲外においても一般的禁止をすることに充分な妥当性を認め得ない訳ではない」とするのだが、それは決して認め得ないわけではないどころか、この問題の解釈上決定的に重要な意味を持つと言つていいことになる。

なるほど法六六条一項に規定されているのはいわゆる沿岸漁業についてであり、それは一定トン数の船による一定漁法であるから、操業の可能な海域が事実上制約されるのは当然である。しかし事実上のものであるこの海域が、多くはわが国の統治海域という法律上のものと重り合うことはあつても、本質的には両者関りを持つべくもない異質のものである。沿岸漁業だからということでは、同条項の適用海域の限定付けに属地的統治権という法概念を持ち込む根拠としては薄弱に過ぎる。たかだか「事実上沿岸操業の可能な海域」という概念を導入することはできても、それでは具体的適用の場において同条項の適用範囲を限定する作用をまつたく果さないことになつてしまう。

さらに、特定漁業の禁止の規模を決定するのが政策なら、その如何なる範囲について禁止を解除できるものとするかも、政策上決定されることであり、一般的に言つて禁止の範囲と許可可能な範囲が常に一致しなければならぬ道理はない。都道府県知事が地元海面において法六六条一項の漁業を許可する権限を持ち、その場合他国の領海について許可を与えることが国際法の見地から考えられないからといつて、漁業調整の見地からする一般的禁止の効力が属地的統治の及ぶ範囲内に当然限られると見る必要はない。

以上を総合して言えば、漁業法六六条一項所定の漁業に関する一般的禁止の効力が及ぶ範囲、つまり公共用水面またはこれと連接一体をなす非公共用水面の意義が、日本国の現実に属地的統治を及ぼしうる水面に限られるものでなく、それと関りなしに、本件操業海域も含むとするのがもつとも合理的であつて、かく解すべきだと認められ、反面右水面の意義を限定的に、すくなくとも、統治権の概念によつて制限されると解すべき積極的根拠は十分に見出せないということである。

結局原判決は漁業法六六条一項の解釈を誤つたと言うべく、それによつて被告人両名に無罪を言渡したのであるから、その誤りは判決に影響を及ぼすものである。原判決のその余の部分は審査するまでもないから、刑事訴訟法三九七条、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書によりつぎのとおり自判する。

原判決は公訴事実どおりの事実を適法に認定したものであるから、この事実に漁業法六六条一項、一三八条六号、刑法六〇条(各罰金刑選択)を適用し、換価代金の没収については漁業法一四〇条本文を、労役場留置については刑法一八条を、訴訟費用の負担については刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条を各適用して、主文二項以下のとおり判決する。

(斎藤勝雄 佐藤敏夫 柴田孝夫)

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