大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌高等裁判所 昭和48年(う)19号 判決 1973年8月21日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役四年に処する。

原審における未決勾留日数中一五〇日を右刑に算入する。

押収してあるジャックナイフ一本(当庁昭和四八年押第四号の一)を没収する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人佐藤敏夫提出の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、ここにこれを引用し、これに対しつぎのように判断する。

控訴趣意第一点(事実誤認の主張)について。

論旨は、全証拠によるも、いまだ被告人に暴行ないし傷害の故意があつたとは認定できず、本件は過失致死罪に該当するにすぎないので、尊属傷害致死罪を認定摘示する原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。

そこで、一件記録を精査し、当審事実調の結果をも参酌して審案するに、被告人が故意によつて実父甲山乙郎をジャックナイフで突き刺した旨の原判決の認定は、優にこれを是認することができる。被告人の右故意に関し、原判決が「争点に対する判断」の項でする説示もまた正当として支持すべきであるが、所論にかんがみ、若干付言することととする。

右乙郎の負つた原判示の左胸部刺創は、刃体の長さ約8.7センチメートルのジャックナイフによるものであるにもかかわらず、その創口緑には、右ナイフの柄が皮膚を圧迫したことにもとづく表皮剥脱を残し、途中肋軟骨の一部をも切断したうえ、創口から創底までの全長が約一五センチメートルに達するものであるから、右ナイフに対しては相当強度の力が作用したとみなければならない。

しかるに、被告人と乙郎とが掴み合つたのは、被告人が坐つていたソフアと、他方の端がストーブに面するテーブルとの間にある、わずか三、四十センチメートル程度の間隔をおくにすぎない場所であつて、両名が少しく力を入れ合えば、たちまちこれら家具器物等を混乱させる騒ぎが起き、居合せた者らの注目ひをくことになるはずであるのに、そのような事態は現実には生じていないのみか、信用性に疑いをはさむ余地に乏しい下田万次郎の原審公判廷における供述および当審証人尋問調書によれば、原判決が摘記するとおり、被告人の前に行つた乙郎は、左手で被告人の首のつけ根あたりを押さえにかかつたが、すぐにふらふらと被告人のもとを離れて倒れてしまつた、との事実がうかがわれる。このように、被告人と乙郎との闘争体勢は、決して激しいものではなかつたから、被告人が故意に突き刺したのでもないのに、おのずから右ナイフに前記ほどの強い力が加わつたものとは、とうてい認められない。

してみれば、被告人が故意をもつて右ナイフで乙郎を突き刺したことは、客観的な状況から容易に推認できるというべきであり、被告人の司法警察員に対する昭和四七年三月二五日付供述調書中のこれを認める部分は、真実を述べたものと考えるほかない。

医師八十島信之助および同森田匡彦共同作成の鑑定書のうちに、本件刺創は相手方とのもみ合いがあつた場合偶発的に生じうるとする個所があるけれども、これは、本件刺創の所見のみからの可能性をいうにとどまり、右の認定を揺がすものではない。

被告人は前記の司法警察員に対してしたものを除き、捜査、公判段階を通じて、乙郎を意識的に右ナイフで突き刺したことを否定する趣旨の供述を繰り返しているが、これらの供述には、全体として弁明的に過ぎる嫌いがあるうえ、重要な点において、内容の変遷や解決しがたい疑問が認められる。この間の事情について原判決が説示するところは、きわめて適切である。なお、被告人は、当審公判廷においても原審公判廷におけるとほぼ同旨の供述しているので、被告人の公判段階における供述について、原判決の説示に加えてさらに疑問点を指摘してみる。

被告人は、乙郎が一方の手で被告人の首あたりを押しつけながら、被告人の持つ右ナイフを奪い取ろうとして、他方の手で被告人の手を掴んで来て、掴み合いとなつた際、ナイフが乙郎に突き刺さつたようであるが、ナイフが突き刺つたことにも抜き取れたことにも全然気付かなかつた、と述べている。しかし、乙郎が真剣にナイフを奪いにかかつて来たのであれば、これを両手でせずに、片手だけでしたのはいかにも不自然であるし、たとえ乙郎が被告人のナイフを持つ手を掴んで来たとしても、右のような状態のもとでは、それは、たがだか乙郎が被告人のナイフによる攻撃を避けようとして被告人の手を押さえにかかつた程度のものにすぎなかつたはずであつて、被告人がこれを「奪いにきた」と誤解する余地に乏しいと思われる。被告人が真実ナイフを奪われるのをおそれたのであれば、間近に人がいたのであるから、そのような趣旨を示す言葉をもらしてしかるべきであるが、そうした証跡はなんら見当らない。何よりも、ナイフに格段の神経を使つていた被告人が乙郎に対し前記のような重大な創傷を負わせながら、そのナイフが乙郎に突き刺さり、そして抜けたことにまつたく気付かなかつたとは、不可解というほかない。

かようにして、被告人の前記否認の供述については、その信用性を疑うべき根拠が多々あつて、右供述はとうてい措信のかぎりでない。

それ故、被告人が故意により右ナイフをもつて乙郎を突き刺したとする原判決の事実認定には、所論のような誤認のかどはなく、論旨は理由がない。

控訴趣意第二(法令適用の誤りの主張)について。

論旨は、尊属に対する傷害致死罪について通常の傷害致死罪よりも重い刑を定める刑法二〇五条二項は、法の下の平等を規定する憲法一四条に違反して無効であると考えるべきなので、被告人の所為に対し刑法二〇五条二項を適用して同条一項を適用しなかつた原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りがある、というのである。

そこで、審案するに、刑法二〇五条二項の定める尊属傷害致死罪は、被害者と加害者との特別な身分関係に着目して、もともと同条一項の普通傷害致死罪にあたる所為をなした者に対しその刑を加重する規定であり、合理的根拠を有しないかぎり、憲法一四条一項の禁止する差別的取扱いにあたるというべきである。ところで、刑法二〇〇条の尊属殺人罪をめぐる同種の問題については、周知のように最高裁判所昭和四五年(あ)第一三一〇号昭和四八年四月四日大法廷判決があり、当裁判所は同判決の理由中多数意見に賛成する。その見解の骨子はおおむねつぎのとおりである。

すなわち、尊属に対する尊重・報思は社会生活上の基本的道義であつて、この普遍的論理を推持し保護するため、被害者が尊属であることを刑の加重要件とする規定を設けても、その規定がただちに合理的な根拠を欠く差別的取扱いにあたるとは断じえないけれども、尊属殺人罪を定める刑法二〇〇条の法定刑は死刑および無期懲役刑のみで、普通殺人罪のそれが死刑、無期懲役刑のほか三年以上の有期懲役刑であるのと比較して、刑種の選択の範囲がきわめて重い刑に限られ、現行法上許される二回の減軽を加えても、処断刑の下限は懲役三年六月を下ることなく、その結果として、いかに酌量すべき情状があろうとも刑の執行を猶予することができないことを考えると、尊属殺の法定刑はあまりにも厳しく、右立法目的のみをもつてしては十分な説明をなしえないので、刑法二〇〇条は、その法定刑の点において普通殺のそれに比し着しく不合理な差別的取扱いをするものと認められ、憲法一四条一項に違反して無効であるとしなければならない、というのである。

以上の見解に照らせば、尊属傷害致死罪が憲決の右条項に違反するか否かは、ひとえに普通傷害致死罪の身分的加重犯としての尊属傷害致死罪がどの刑をもつて規定されているかにかかることになる。

そこで、尊属傷害致死罪の法定刑についてみると、それは無期または三年以上の懲役であり、量刑に際して軽重にわたり相当巾広い裁量の余地が認められているとともに、減軽規定の適用をまたなくとも、情状次第では刑の執行猶予制度の活用が可能であつて、それ自体過酷なものとはいえないのみならず、普通傷害致死罪の法定刑が二年以上の有期懲役刑であると比較しても、最高刑に無期懲役が加わつていることと有期懲役の下限が三年となつて一年重くされていることとに差異が見出されるにとどまり、その差は尊属殺人罪と普通殺人罪との間におけるような著しいものではない。

してみると、尊属傷害致死罪の法定刑は、尊属卑属間の社会的道義の維持を目指す、正当な文法目的の範囲内にあるとすべきであり、緒局、尊属傷害致死罪を規定する刑法二〇五条二項は、合理的根拠に基づく差別的取扱いの域を出ないものであつて、憲法一四条一項に違反するものとはいいがたい。原判決には所論のような法令適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

控訴趣意第三(量刑不当の主張)について。

論旨は、被告人を懲役五年に処した原判決の量刑が重きに過ぎて不当であり、刑期を減じたうえ、その刑の執行を猶予されるべきである、というのである。

そこで、審案するに、本件犯行は、被告人が生活をともにする実の父親を鋭利な刃物でその心臓を一突きして、即死同然の失血死に致したという、事案自体強い非難に値するものであるのみならず、それにいたる経過においても、被告人は、いつたん帰りかけた被害者に対し、その酒癖の悪さを熱知しながら、人前で馬鹿者呼ばわりするなど、子としてまことにあるまじき言動に出て、被害者が被告人に立ち向つて来るきつかけを与えており、本件犯行が過剰防衛にあたるとはいえ、被害者の先制攻撃のみを責めるわけにはいかない状況がある、それにもかかわらず、その後の被告人には、自己の非を反省する態度、被害者の死をいたむ情に欠けるとみられるふしがある。

しかし、他方、被告人と被害者とは、数年前まではともかく、最近においては助け合いながら親子として平和な家庭生活を送つていたが、本件当日原判示S方において両名で紛争事件の相談にあずかり、そのあと礼の趣旨で酒を出されたため、両名とも思わずこれを飲み過ぎ、もともと酒癖のすぐれぬ両名は、酩酊状態でたがいに感情的な言葉を投げつけ合うようになつたこと、その口げんかの際こそ、被告人ははなはだしく挑戦的であつたが、先に手を出して来たのは被害者の方であつて、被害者に体を押さえつけられた被告人は、とつさに、たまたま手にしていたジャックナイフで被害者に反撃するにいたつたのであり、この被告人の所為は過剰防衛と評価できること、右のただ一度の反繋が不幸にして心臓を貫く刺創となつて、被害者の死亡の結果を招いたことなど、本件犯行およびその結果の発生までの経緯のうちには、被告人のため同情できる、不運ともいうべき事情が少なからず見出される。また、被告人の経歴、年令等、所論のいう身上関係の情状も有利に酌むことができる。

かような種々の情状を総合勘案し、かつ同種案件の量刑例をも考えあわせると、被告人の刑責は重大とすべきであるにしても、原判決のした被告人に対する科刑は、その刑期の点においていささか重きに失するといわざるをえない。論旨は、右のかぎりで理由がある。

よつて、本件控訴は理由があるので、刑事訴訟法三九七条一項、三八一条により、原判決を破棄し、同法四〇〇条但書にしたがい、当裁判所においてただちにつぎのように自判する。

原判決が認定した事実に法律を適用する、被告人の原判示所為は刑法二〇五条二項に該当するので、所定刑中有期懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役四年に処し、同法二一条により、原審における未決勾留日数中一五〇日を右刑に算入し、押収してあるジャックナイフ一本(当庁昭和四八年押第四号の一)は、本件犯行の用に供したもので、犯人以外の者に属さないから、同法一九条一項二号、二項本文によりこれを没収し、原審および当審における訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書によりその全部を被告人に負担させないこととする。

以上の理由によつて、主文のとおり判決する。

(岡村治信 横田安弘 宮嶋英世)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例