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札幌高等裁判所 昭和49年(う)150号 判決 1974年12月05日

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人泉敬提出の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、ここにこれを引用し、当裁判所はこれに対しつぎのように判断する。

所論は概要つぎのように主張する。原判決は、被告人は原判示交差点で右折するため、交差点の手前約二八メートルの地点で右折の合図をし、さらに約一八メートル進行し、右折開始の直前右側バックミラーで後方を確認したところ、被害者小川道広運転の自動二輪車が自車の右後方約二八メートルの道路右側部分を時速約八〇キロメートルで自車を追越そうとしているのを発見した旨認定したうえ、そのような状況下で被告人があえて右折にかかつたのが過失にあたるとしている。しかし、小川車は少なくとも時速一二〇キロメートルで走行し、被告人が右折直前確認した際には、被告人車の後方約九〇メートルの地点にいたと認められるので、原判決は過失認定の前提となる事実を誤認しているというべきである(控訴趣意第一点)。のみならず、被告人は原判示交差点を右折するにあたり適式に右折の合図をし、中央線に寄つたのち、徐行に近い速度で交差点の直近内側を通つて右折をしているので、被告人のとつた右折方法には違法というほどの点はなく、他方、小川車は前記のように無謀な走行をしていたのであるから、信頼の原則の適用上、被告人には過失がなく、これを看過した原判決は事実を誤認した結果法令適用の誤りをおかしたものといわなければならない(控訴趣意第二点)。以上の事実の誤認および法令適用の誤りはいずれも判決に影響を及ぼすことが明らかであつて、原判決は破棄を免れない、というのである。

一まず、一件記録を精査し、当審における事実取調べの結果をも加えて、本件事案の内容を検討することとする。

関係の証拠によれば、本件事故は、道々弟子屈・標茶線が川上郡弟子屈町字熊牛原野二六線先で、南弟子屈方面から見て右方、砂利採取場に通じる町道、同じく左方、農家に通じる私道とそれぞれほぼ直角にまじわる交差点(以下本件交差点ともいう。)内で発生し、当時同交差点では交通整理はおこなわれていなかつたこと、右の道々は、中央線のある、巾員約6.7メートルの平たんな舗装道路であつて、本件交差点をはさみ、南弟子屈寄り約一〇〇メートル、磯分寄り約一五〇メートルの間は値線状をなし、右の町道との間には、家、樹木見通しをさえぎるようなものはなく、また、右の町道は巾員約7.8メートルの砂利道であるが、本件交差点に接する部分では約20.9メートルと広くなつていること、被告人は昭和四七年七月三〇日午後五時頃、普通貨物自動車(車長約5.41メートル、車巾約2.1メートルの四トン積みダンプカー)を運転し、道々の左側車線を南弟子屈方面から礎分内方面に向つて進行して来て、右の砂利採取場に入るため本件交差点で町道へ右折にかかつたものであるが、当時道々の磯分内寄りや町道内、さらには前記私道内にも、被告人車の進行を妨げるような車両等は見当らなかつたこと、被害者小川道広は自動二輪車後部に被害者川見隆男を同乗させてこれを運転し、被告人車の後方から乗用車二台および佐々木勝利運転のダンプカーに追随して来て、本件交差点にさしかかる前、まず佐々木運転のダンプカーを追越し、いつたん同車の前に入つたのち、さらに乗用車二台と被告人車を一気に追越しにかかり、道路右側部分に出てそのまま本件交差点を直進しようとしていたこと、本件事故は、被告人車の前部が本件交差点内の道々部分を通り過ぎ、その後部が道々部分の右端寄りにあつたとき、小川車が被告人車の右端後部に激突することによつて発生し、右の小川および川見はその衝撃で受傷し、原判示のとおり、結局両名とも死亡するにいたつたことなど、本件事故をめぐる外形的事実は疑問の余地なく認められる。

しかし、事故直前における被告人車および小川車の走行状態の詳細については明確な証拠に欠け、具体的にたやすく事実を確定しにくいところが少なくない。以下、両車をわけて、本件事故の原因を明らかにするのに必要な限度で考察を加える。

(イ)  被告人車に関しては、同車が右折の態勢に入るまで前記道々の左側車線を時速五〇ないし四〇キロメートル程度で走行し、右折に先立ち右側ウインカーを点滅させて右折の合図をしたことは、関係上ほぼ明らかであり、問題は、被告人が右折の合図をした地点およびその後の被告人車の動向にある。

被告人は、本件事故当日の昭和四七年七月三〇日おこなわれた実況見分において、本件交差点の約二八メートル手前の地点で右折の合図をした旨指示し、数次にわたる捜査官の取調べにおいても、同旨の供述をしていたが、原審および当審の各検証に際しては、右折の合図をした位置として本件交差点の手前四十数メートルの地点、「南弟子屈」と表示された案内板より少し南弟子屈寄りの地点を指示し、原審、当審の各公判でも、前記砂利採取場に入るときはいつも右の案内板を目安にしてウインカーを出していて、本件の際もそのようにした旨、検証時の指示にそう供述をするにいたつている。一方前記の佐々木勝利は、昭和四七年八月一〇日の実況見分および原審、当審の各検証において、被告人車が右折の合図をした地点として本件交差点の約八メートルないし約一三メートル手前を指示し、原審、当審の各証人として、その指示内容を確認するとともに、原審では、同人は被告人と同じ砂利採取場に出入りしていたが、後方から見ていて被告人車のウインカーの出し方が遅いと感じた旨供述し、被告人車はウインカーを点滅させた直後に右折を始たとも供述している。

被告人の公判段階における指示等については、被告人は実況見分に際し、「南弟子屈」の案内板があつたのに、そのような指示をせず、また、検察官に対しいつたん右の案内板を目安にウインカーを出したと供述しながら(昭和四八年五月二五日付供述調書)、その後本件現場で検察官の取調べを受けて、これを訂正するにいたつている(同年六月四日付供述調書)ことなど、重大ともいえる疑点があつて、右の指示等は容易にこれを信ずることができない。

佐々木は、本件事故に格別利害関係を持たないものであるうえ、その目撃の経緯にも不自然さは感じられず、同人の指示および証言は十分考慮に値するというべきであるか、同人は乗用車二台および小川車を間に置いて、かなり後方から被告人車を見ていたこと、本件交差点付近は平たんな直線道路であり、建物等距離を測る基準とするものにも乏しいこと、さほど車間距離をおかずに被告人車に追随していた乗用車か、被告人車への追突を避けるため格別の措置をこうじた形跡はないことなどに徴すると、佐々木の指示等をそのまま受け容れることには疑問が残るように思われる。

このように考えて来ると、被告人の実況見分時の指示および捜査官に対する供述には比較的難点が少なく、原判決がこの指示等にもとずき、被告人が本件交差点の手前約二八メートルの地点で右折の合図をした旨認定したのは相当である。

そして、関係の証拠によれば、被告人は右折合図後、自車をことさら中央線に寄せることなく約一八メートル走行を続け、本件交差点の約一〇メートル手前で右側サイドミラーを通して後方を確認し、小川車が対向車線に出て進行しているのを発見したが、小川車に追いつかれる前に右折を完了できると考え、さらに数メートル前進してから右折を始め、後方確認後約二二メートル進行して、自車の車体前半くらいが道々部分を通り過ぎたとき、小川車に追突されたものと認められる。被告人の司法巡査に対する昭和四七年七月三〇日付供述調書中には、被告人が右折合図後ハンドルを右に切つて道路中央部に進んだ旨の供述があるけれども、この供述は、同日おこなわれた実況見分を含め捜査、公判の段階を通じて被告人が同旨の指示説明ないし供述をしていないことや、佐々木の原審公判における証言等に照らして、にわかに措信しがたい。

また、当時の被告人車の速度については、被告人車の後続車は急制動をかける等しおらず、佐々木も被告人車が普通に走つていてすつと典つたとの印象を受けていること、被告人は、事故後間もない頃の司法巡査の取調べに際し、事故現場の手前約一〇〇メートルあたりからアクセルを離すことで速度を落したと述べるにとどまり、右折にあたつてブレーキを踏んだとは述べておらず(昭和四七年七月三〇日付、八月一一日付供述調書)、また、検察官に対しても、格別徐行せずに毎時三〇キロメートル以上四〇キロメートルに近い速度で右折した旨を供述し、(昭和四八年五月二五日付、六月四日付各供述調書)、原審および当審の各公判において、この検察官に対する供述の経緯につき納得できる説明をしていないこと、などの事情があるので、被告人は本件交差点を右折するにあたりブレーキをかけることなく、単にアクセル操作によつて減速していたのみであると認めることができ、同時に、前記町道が道々とほぼ直角をなし、砂利敷きでもあること、被告人車が衝突後円弧を描くようにして約一〇メートル進行して停止したことなどを考慮にいれても、右折時の被告人車の速度は毎時三〇キロメートル程度であつたと推認して、これに大差はないと考えられる。

被告人は、公判段階において、右折合図後ブレーキを使い、右折時には毎時約二〇キロメートルまで減速していた旨を終始強調し、捜査段階でも検察官に対し一時同様の供述をしているが、これらの供述は右にあげた事情からみて信じがたい。

(ロ)  被告人が本件交差点の約一〇メーとる手前で後方を確認した際、小川車が乗用車二台およびこれに先行する被告人車を一気に追越そうとして、すでに中央線をこえ対向車線に出ていたことは、関係証拠上動かしがたいところであるが、そのときの小川車の速度および走行位置については、前記のとおり争いがある。

まず、小川車の速度の点をみると、所論は、佐々木が原審検証で指示した、佐々木車の直前を進行していた乗用車の位置を基準にして、小川車は毎時約一二〇キロメートルで走行していた旨主張し、佐々木は当審検証に際しても原審検証におけると同様の指示をしていて、これらの指示内容から計算するならば、所論のような結論も導かれないではない。しかし、検察官が当審事実取調後の弁論で指摘するように、右の佐々木の指示は、同人自身の原審公判における証言および実況見分での指示に対比するとき、その正確性に重大な疑問が残り、所論は不確かな事実を前提としたものであつて、採用しがたい。むしろ、この点については、小川車の走行状況を現実に目撃した佐々木が原審および当審の各証人として、小川車の速度が毎時約八〇キロメートルであつた旨を終始供述していることに注目すべきであり、右の佐々木の認識、記憶等に格別不審のかどはないし、被告人も捜査段階、公判段階を通じて、サイドミラーによつて視認したところではあるが、小川車が毎時七〇ないし九〇キロメートル程度で進行して来たように思う旨供述していることをもあわせ考えると、小川車の速度は原判決認定のとおり毎時約八〇キロメートルとするのが相当である。

つぎに、所論は、被告人が前記のように後方を確認した際、小川車は被告人車の約九〇メートル後方にいたと主張する。しかしながら、その主たる論拠は右と同様、佐々木が原審検証で指示する、佐々木車の先行車の位置にあり、この指示が信用性をもたないことは前叙のとおりであるから、所論のする推論は当を得たものとは考えがたい。被告人は当審の検証および公判において、当時小川車は被告人車の後方約一一三メートルの地点にいた旨指示し、供述するにいたつているが、被告人は右の小川車の位置として、実況見分時には約33.5メートル、原審検証時には約19.7メートルの各地点を指示していたことに照らし、当審における指示等はいかにも唐突に過ぎ、にわかにこれを採用することはできず、また、他に所論を裏付けるに足りるような証拠は見当らない。

そして、すでに述べた小川車(時速約八〇キロメートル)および被告人車(時速約三〇キロメートル)の各速度と被告人車の衝突までの走行距離(約二二メートル)とを基礎に計算してみると、小川車は被告人車の後方三十数メートルに位置していたことは計数上明らかなところ、被告人は本件事故当日おこなわれた実況見分に際し、小川車の位置は自車の後方約33.5メートルであると指示説明し、以後捜査官に対し終始これを維持する供述をしており、右の被告人の指示等とも照応し、多少の誤差は避けられないにせよ、被告人が右折に先立ち後方を確認したとき、小川車は被告人車の後方約三十数メートルの地点を走行していたものと推認することができる。

原判決は、右の距離を約二八メートルと認定しているところ、これを支持するに足りる証拠はなく、この点は右のとおり認めるのが相当であるから、原判決には事実の誤認があることになるが、その誤認は比較的軽微であつて、それのみをもつてしてはいまだ判決に影響を及ぼすこと明らかなものとはいえない。

(ハ)  以上を要するに、原判決の認定する過失の前提事実には誤認があるものの、これは原判決を破棄すべき理由となるものではなく、この点に関する所論は結局理由がないことに帰するというべききであるとともに、本件事故にいたる経緯はおおむねつぎのとおりであると認められる。すなわち、被告人は当時普通貨物自動車を運転し、道々左側部分を南弟子屈方面から毎時約五〇ないし四〇キロメートルで進行して来て、本件交差点で右折するためその手前約二八メートルの地点で右側ウインカーを点滅させたけれども、ことさら中央線寄りに自車を寄せることなく、ただアクセル操作によつて速度を減じただけで進行を続け、本件交差点の手前約一〇メートルにせまつた際右側サイドミラーで後方を確認したところ、おりから被害者小川の運転する自動二輪車が乗用車二台およびこれに先行する被告人車を一気に追越しにかかつて、被告人車の後方約三十数メートルの道路右側部分を毎時約八〇キロメートルで走行中であり、被告人は右小川車の存在を瞥見したが、自車が先に右折を完了できるものと考えて、そのまま前進し、時速約三〇キロメートルで右折にかかり、自車の車体なかば程度が町道に入つたとき、小川車に追突されるにいたつたのである。

二そこで、右で認定したところを前提として、さらに被告人の過失の有無について判断する。

原判決は、被告人は本件交差点を右折するにあたつて前記のような小川車を発見した以上、自動車運転者として、自車と小川車との間の距離、両車の速度、自車の長さ、右折完了までの走行距離等から右折を開始すれば、自車が小川車の進路をふさぎ、両車が衝突するにいたることを十分に予測できたから、一時右折を見合せて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があつたのに、これを怠つたものである旨判示している。

たしかに、被告人車と小川車とはそのまま各自が走行を続ければ、衝突を避けがたい進行状況にあり、また、現実に衝突してもいるが、被告人が右折を中止していたならば、本件事故が発生しなかつたであろうことは疑いがなく、したがつて、本件のような事故の発生を防止するうえで、被告人が右折を取りやめることは望ましいことであつたにちがいない。だが、被告人が右折車の運転者として、後続車たる小川車の進行の安全につき万般の注意を負ういわれはなく、右折車の運転者は、そのときの道路および交通の状態その他の具体的状況に応じた適切な右折準備態勢に入つたのちは、特段の事情のないかぎり、後続車があつても、その運転者が交通法規にしたがつて追突等の事故を回避するよう適切な行動に出ることを期待して運転すれば足り、あえて法規に違反し、高速度で、自車の右側を強引に追越そうとする車両のありうることを予想したうえで、周到な後方の安全確認をおこない、的確に危険の有無を判断して、危険のある場合にこれを避けるべき措置をとることまでの注意義務はないのであつて、たとえその結果事故が発生したとしても、これを右折車の運転者の責任に帰することはできないと解される(最高裁判所昭和四一年(あ)第一八三一号同四二年一〇月一三日第二法廷判決・刑集二一巻八号一〇九七頁、同昭和四四年(あ)第一八三三号同四五年九月二四日第一小法廷判決・刑集二四巻一〇号一三八〇頁、同昭和四七年(あ)第六八二号同年一一月一六日第一小法廷判決・刑集二六巻九号五三八頁各参照。)。

本件についてみると、被告人の右折に際しての運転操作は、右折合図後中央線寄りに進路をかえていないこと、右折時に徐行とはいえない毎時約三〇キロメートルで走行していることの二点で、道路交通法の規定に触れるといわざるをえない。しかし、前記道々の片側の巾員は約3.35メートル、被告人車の車巾は約2.1メートルであつてみれば、被告人車が中央線いつぱいに寄つても、後続車が被告人車の左側を通過できるようにはならないうえ、被告人車が自車線の左端寄りを走行していたとの証跡はないから、被告人が自車を中央線に寄せうる余地はわずかであつて、被告人車が中央線に寄ること自体は、右折しようとしていることを示す行動としてさほど意味があるとは考えられず、被告人はことさら自車を中央線に寄せていないけれども、このことは後続車の進行に格別の支障を与えるものではなかつたのである。また、徐行の点についても、当時道々の磯分内方面、町道、私道等から本件交差点に立入ろうとする車両はまつたくなかつたこと等からすると、被告人車が徐行しなことにより、本件交差点付近における車両の交通が混乱するなどして、被告人車の後続車がより高度の危険にさらされることになつたとは認められない。したがつて、被告人車の右折準備態勢は当時の具体的状況のもとでは適切さを失つておらず、その後の右折方法における誤りも、被告人が正規の右折方法によつた場合以上に、後続車の進行についてより一層周到確実な注意義務を要求するものではない。

他方、小川車は後部に川見を同乗させながら、法定最高速度をはるかにこえる毎時八〇キロメートルという高速度で、乗用車二台および被告人車を一気に追越しにかかつて、すでに右折の合図をしている被告人車の右側対向車線上を強引に通過しようとし、ついにはわずかに右方へ転把したのみで被告人車に衝突するにいたつており、その運転が違法無謀であつたことは否定しがたいところである。

ところで、検察官は当審事実取調後の弁論において、被告人は右折開始前右後方を確認し、小川車を発見しているので、被告人には、小川車の安全を周到確実に注意すべき特段の事情があつた旨主張する。そこで検討すると、被告人が本件交差点の手前約一〇メートルにせままつた地点でサイドミラーによつて右後方を確認し、小川車の存在に気付いていることは、すでに述べたとおりであるが、このような措置は右折車の運転者として緊急不測の事態に備えて当然なすべきことであり、被告人が右措置により自車の右後方にたまたま後続車の存在を認めえたからといつて、この一事から直ちに後続車を認めえなかつた場合に比し、無法な後続車に対する被告人の注意義務が加重されると解すべき筋合いはない。本件の場合、関係証拠に徴しても、被告人は走行中きわめて短時間サイドミラーを通して後方を確認したにすぎず、小川車の走行状態の詳細、すなわち速度、位置、走行経過等までは正確に看取しえなかつたことがうかがわれるのであつて、被告人が小川車との衝突を予見し、これに対処すべき特別の立場にあつたと即断するのは早計である。なるほど、被告人は右のようにサイドミラーを通して小川車を発見し、同車の速度および走行位置に関してある程度の知見を得たことが認められるにせよ、本件衝突は被告人車が本件交差点を通過し終る寸前その後尾右端に小川車前部が衝突した、かなりきわどい不運な事故であつて、被告人として、自車の速度、右折完了までの時間や距離まで考慮にいれ、右のような衝突の危険まで周到にも予知して適切に対処することが容易であつたとは認めがたく、他面、被告人は右折合図を発したのちすでに十数メートル進行し、その際においても、小川車は被告人車の三十数メートル後方にいたのであるから、小川車の側で、先行車の動静に応じ減速その他被告人車との衝突を避けるため適切な措置をとることはきわめて容易であつて、被告人が小川においてそのような走行方法をとることを期待して右折したとしても、それは無理からぬものであり、被告人の右折が過大な期待にもとづくと断ずるのは相当でない。結局、被告人の右折に際しての具体的状況かんがみ、被告人が本件当時とつた措置よりも、より周到に後方の安全を確認すべき注意義務を被告人に負わせることを相当するに足りる、特別の事情と目しうるものは、これを見出しがたく、検察官の右主張は採用しえない。

してみれば、当時の道路の状態および交通の状態その他具体的状況に応じ、適切な右折準備態勢に入つていた被告人には、前記のような特段の事情の認めがたい本件において、右折開始にあたり、自車と違法無謀な運転をする小川車との間に衝突の起りうることを予見し、これを回避すべき注意義務はなく、本件衝突事故は、上記のように右折車の合図を無視して高速度で無謀な追越を図つた、小川の運転態度に基因するものといわねばならない。以上のとおり、被告人に本件事故の原因である過失を認めることは困難であると判断されるので、前記のように被告人に過失があるとした原判決は、この点において刑法二一一一条前段の解釈適用を誤つたものであり、右の違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、結局論旨は理由がある。

そこで、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書を適用し、当裁判所においてただちにつぎのように自判する。

本件公訴事実の要旨は、被告人は自動車運転の業務に従事するものであるところ、昭和四七年七月三〇日午後五時頃普通貨物自動車を運転し、川上郡弟子屈町字熊牛原野二六線先の交差点を南弟子屈方面から砂利採取場方面に向つて右折するにあたり、右折開始直前右後方を確認した際、小川道広運転の自動二輪車が自車を追越そうとして高速度で接近して来るのを認めたのであるから、自動車運転者としては、小川車との衝突の危険を予測して、一時右折を見合せ、同車に進路を譲るなど衝突回避の措置をとるべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、自車が先に右折できると軽信して右折を開始した過失により、小川車を自車に衝突させ、よつて、小川車の同乗者川見隆男を頭蓋底骨折のため即死させ、小川を同年八月五日午後三時一〇分頃釧路市中園町所在の労災福祉事業団釧路労災病院で、重症脳挫傷等のため死亡させたものである、というのであるが、前叙のとおり、全証拠によつても右の過失の点を肯認することができず、結局、本件については犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法四〇四条、三三六条後段により、被告人に対し無罪の言渡をすることとする。

以上の理由によつて、主文のとおり判決をする。

(粕谷俊治 横田安弘 宮嶋英世)

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