札幌高等裁判所 昭和49年(う)219号 判決 1976年3月18日
主文
本件各控訴を棄却する。
当審における訴訟費用の鑑定人吉本千禎及び証人吉本千禎にそれぞれ支給した分の各二分の一を被告人畔見麗子の負担とする。
理由
本件各控訴の趣意は、札幌高等検察庁検察官大津丞提出の各控訴趣意書及び被告人畔見麗子の弁護人鈴木悦郎、同畑中広勝、同山中善夫、同馬杉栄一が連名で提出した控訴趣意書にそれぞれ記載されたとおりであり、検察官の控訴趣意に対する被告人澤口亮三の答弁は、同被告人の弁護人山根喬、同鈴木貞司が連名で提出した答弁書のとおりであるから、これらを引用し、当裁判所はこれらに対し次のように判断する。
第一、被告人畔見麗子関係
一鈴木(主任)弁護人らの控訴趣意第一(事実誤認)、第二(審理不尽・採証法則違反)について。<省略>
二同控訴趣意第三(法令の解釈適用の誤り)について。
所論の概要は次のとおりである。原判決は、被告人畔見について、「(同被告人は、ケーブルの)交互誤接続の余地があつたことを知つており、かつ電気手術器は高周波電流を患者の身体に通じその回路中に発生する高熱を利用する機械であることに照らし、ケーブルを誤つて接続するならば電流の流路に変更が生ずるなどして患者に対し危害を及ぼすおそれがないわけでないことを知りえたものである。」旨判示し、右程度の認識をもつて過失犯における予見可能性を充足するものとした。しかし常識上、電気器械について誤接続をすれば器械本来の作動をしないとの認識は可能でも事故の発生を当然予想することはできない。さらに何らかの事故という無内容の不安を肯定したとしても、そのことから、何らかの危害が患者に及ぶかもしれないとの予測が可能であるか疑わしい。のみならず、以下の諸点、すなわち、(一) 看護婦らにかぎらず医師らも電気手術器の原理を全く知らず、知らされてもいなかつたこと、従つて各ケーブルをそれぞれの端子に接続することがいかなる電気的意味をもつのかなどについて無知、無関心であつたこと、(二) 電気手術器による本件のような事故は世界の医療史上かつてなく、医療従事者は電気手術器による医療事故の発生に思い及ぶことが全くなかつたこと、(三) 本件のような医療事故は、ケーブルの誤接続だけでは起きる可能性がなく、心電計接地極の接地という条件のもとで誤接続をした場合にのみ発生するのであるから、専門家も誤接続による事故の可能性を予測しなかつたと推認されること、(四) 本件事故当時事故原因としてケーブルの誤接続を想定した者がなく、むしろ応用電気の専門家は誤接続が事故原因であることを否定していたことを考慮すれば、同被告人の結果発生に対する認識について原判決のような認定をすることはできない。原判決のいう「患者に対し危害を及ぼすおそれがないわけでないことを知」るという意味は不安ないし危惧感を抱くということと同義と解されるが、かりに同被告人が右のような不安ないし危惧感を抱きもしくは抱きえたとしても、これをもつて直ちに過失犯における結果の予見可能性を充足するものとすることは、過失犯の構造から予見可能性を排除した結果責任論に堕するもので失当である。要するに、同被告人は、かりにケーブルの誤接続をしたとしても、結果の予見可能性が全くないのであつて、同被告人に右予見可能性を認めて過失を肯定した原判決は刑法二一一条の解釈適用を誤つたものである。
そこで考えてみるのに、原判決は、被告人畔見に対する罪となるべき事実(第二の一)の中で、同被告人が電気手術器のメス側ケーブルと対極板側ケーブルの各プラグを電気手術器本体に接続するに際し、前者は本体の出力端子に、後者は対極端子に正しく接続して事故の発生を防止すべき業務上の注意義務があつたのにかかわらず、これを怠り、右各ケーブルと各端子を互いに誤接続させたまま手術の用に供した過失を認定し、右注意義務を認める前提として所論冒頭指摘のとおり同被告人に結果の予見可能性があつた旨判示している。およそ、過失犯が成立するためには、その要件である注意義務違反の前提として結果の発生が予見可能であることを要し、結果の発生が予見できないときは注意義務違反を認める余地がない。ところで、内容の特定しない一般的・抽象的な危惧感ないし不安感を抱く程度で直ちに結果を予見し回避するための注意義務を課するのであれば、過失犯成立の範囲が無限定に流れるおそれがあり、責任主義の見地から相当であるとはいえない。右にいう結果発生の予見とは、内容の特定しない一般的・抽象的な危惧感ないし不安感を抱く程度では足りず、特定の構成要件的結果及びその結果の発生に至る因果関係の基本的部分の予見を意味するものと解すべきである。そして、この予見可能性の有無は、当該行為者の置かれた具体的状況に、これと同様の地位・状況に置かれた通常人をあてはめてみて判断すべきものである。以下所論にかんがみ順次考察する。
(一) 本件にあつては、既述のとおり被告人畔見のケーブル誤接続が原因となつて被害者の火傷事故を惹起したと認められるが、右結果発生について同被告人に業務上の過失があつたかどうかを決するには、同被告人の置かれた具体的状況のもとで、通常の間接介助看護婦として上記の意味における予見が可能であつたか否かを検討することが必要である。吉本千禎作成の昭和四八年三月一七日付鑑定書、原審第三、第四回各公判調書中証人兼鑑定人吉本千禎の各供述記載を総合すれば、電気手術器は、その本体に手術室などの電源から電流を取り入れて本体内部に高周波電流を発生させ、これを出力端子―メス側ケーブル―メス先―患者の身体―対極板―対極板側ケーブル―対極端子という電気回路を通つて流通させ、右回路中メス先と患者の身体(もしくは出血箇所をはさんだ鉗子)の接続部分の電気抵抗が大きいことによつて同所に発生する高熱を利用して組織の凝固もしくは切開作用を行なうものである。吉本千禎作成の前掲鑑定書、同人の前掲各供述記載、医師松野誠夫作成の診断書を総合すると、ケーブルの誤接続が原因となつて惹起された本件の結果は、被害者の右足関節直上部(対極板装着部にあたる。)に生じた第三度熱傷で、右熱傷発生の理化学的原因関係は次のとおりであると認められる。すなわち、本件手術では心電計が併用され、その接地電極の一つが患者の右下腿部に装着され、電気手術器本体の対極部と心電計の双方にアースが取り付けられて、右対極部と心電計の各接地電極がそれぞれ接地していた関係で、ケーブルを誤接続した場合、電気手術器本体の出力端子から対極板側ケーブル、対極板、患者の身体(右下腿部)、心電計の接地電極、心電計のアース、大地、電気手術器本体のアースを経て電気手術器本体の対極端子に至る新たな電気回路が形成される。ケーブルが正常に接続されたときの電気回路も前述のとおり一部患者の身体を通るが、この場合回路中に電気抵抗の著しく大きいメス先と患者の身体(もしくは出血箇所をはさんだ鉗子)の接続部分を含むため、回路全体の電気抵抗の総和が大きく、従つて回路に流れる電流の強さが制限される。これに対し、ケーブルの誤接続の場合に形成される上記回路中には電気抵抗の著しく大きいメス先と患者の身体(もしくは出血箇所をはさんだ鉗子)の接触部分が含まれず、回路全体としての電気抵抗の総和が小さく、従つて正常接続時の回路に比しより強い電流が流れることになる。その結果右回路中での電気抵抗の大きい箇所である対極板と患者の身体の接触部分に電流の熱作用により多量の熱を発生し、同所に熱傷を生じたのである。
(二) そこで、電気手術器の原理・作用についての被告人畔見の認識程度について検討すると、同被告人は、電気手術器には凝固・切開の二作用があり、本体のダイヤルの目盛を上げればメス先に発生する熱が高くなることは見知つていたが、電気手術器の原理は全くわからなかつた旨(同被告人の検察官に対する昭和四七年一二月六日付供述調書)、電気手術器が危険なものであることも、対極板のつけ方が悪いと軽い火傷をすることも聞いたことがない旨(同被告人の原審第一一回公判における供述)、電気手術器は電気を使うものであることはわかつていたが、その電気がどこをどう流れるのかは知らなかつた旨(同被告人の当審公判廷における供述)を供述しており、少なくとも、心電計併用下でケーブルを誤接続したまま電気手術器を作動させた場合に患者の身体に熱傷を生ずるに至るその理化学的原因関係を同被告人が認識しえなかつたことは疑いがない。しかし、過失犯の成立に必要な結果発生の因果関係の認識はその基本的部分の認識をもつて足りると解されるので、右の事情はいまだ同被告人についてその過失を否定する理由となるものではない。
(三) そこでさらに、同被告人の置かれていた具体的状況を検討すると、同被告人の原審及び当審公判廷における各供述、同被告人の検察官に対する各供述調書を総合すると、同被告人は看護婦学校で三年間看護婦しとての専門教育を受け、昭和三四年看護婦国家試験に合格して看護婦となり、美唄労災病院勤務を経て、同三八年七月北海道大学医学部付属病院勤務となり、整形外科、脳外科を経て、同四〇年四月以降同病院手術部所属の看護婦として勤務していたこと、電気手術器については看護婦学校では直接教えられたことはなく、手術部に入つてから、オリエンテーシヨンや実際の診療に際して先輩からその使い方を教えられ、あるいは実地に先輩の操作を見習つてセツトの方法などを覚えたにすぎないこと、しかし手術部配属後本件事故当時まで約五年間にわたり、手術部所属の看護婦の日常の職務である手術の間接介助ないし直接介助の仕事を担当し、手術に間接介助看護婦として立会う際には、同病院大方の慣行に従い、電気手術器について、ケーブルの接続も含め、電源への接続、アース線の取り付けなど電気手術器のセツト一切、患者の身体に対する対極板の装着、術者の電気手術器使用中その指示に従つての電気手術器本体のダイヤル操作等に従事し、手術に直接介助看護婦として立会う際には、電気手術器のセツトやダイヤル操作等にはあたらないものの、手術中術者の傍らに在つて術者の介助に従事する関係上、術者が電気手術器を取扱う状況、特にメス先を患者の身体に触れメス先に発生する高熱を利用して組織の凝固もしくは切開作用を行なう状況をつぶさに目撃しうる立場にあつたことが認められる。そうだとすれば、被告人畔見の立場にあつては、電気手術器の極く基本的な原理及び作用、すなわち、電気手術器が、単に電源から電気を取り入れて作動させる器械というにとどまらず、対極板を患者の身体に装着し、指定どおりメス側ケーブルを本体の出力端子に、対極板側ケーブルを対極端子に接続し足踏スイツチを踏み、メス先を患者の身体に触れることにより出力端子から対極端子に至る電気回路を形成し、そのうちメス先から対極板までは患者の身体を回路の一部として電流を通じ、その熱作用を利用して凝固、切開作用を行なう点に特異性のある器械であること、電気手術器の作動により患者の身体に通じられる電流の作用は、器械の正常機能時においてもメス先と身体(もしくは出血箇所をはさむ鉗子)の接触部位に高熱を発し肉体の一部を焼灼して凝固止血させもしくは切開する程の力を有すること、それゆえ、もし電気手術器の機能に異常を生ずれば、本体からケーブルを経て患者の身体へ通ずる電流の状態に異常を生ずる可能性があり、その程度・態様によつては患者の身体に危害を及ぼす場合もありうることは認識可能の範囲内にあつたものと認めることができる。そして、身体に電流が通じる場合、その強さによつては身体を傷つけ、場合によつては致死の危険をも招くことは一般の常識というべきである。
(四) 次に、電気手術器は通常の家庭電気器具の類と異なり、出力端子と対極端子が区分され、前者には「ACTIV」、後者には「PATIENT」の表示が明記され、当該端子に接続すべきケーブルの種類が指定されているところ、無意味に右指定がされているとは考えられないから、電気手術器としての正常、安全な機能を営むためには右指定どおりの接続をすることが必要条件であり、もし右指定に反したケーブルの接続をしたまま作動させるときは、他の条件と相まつて場合により器械の作用に異常を来すおそれなきを保しがたいことは容易に推認しうるところである。もつとも、前掲吉本千禎の各供述記載及び同人作成の昭和四八年三月一七日付鑑定書によれば、心電計の併用によりその接地電極が患者に装着されるという条件なしに、電気手術器のみを単独に使用した場合は、器械に表示された指定に反してケーブルを誤接続しても電気手術器の機能に本件事故時のような異常は生じないことが認められる。しかし、原審第八回公判調書中証人安田耕一郎の供述記載(七六二丁参照)及び証人鮫島夏樹の原審公判廷における供述(九二一丁参照)を総合すれば、電気手術器を使用して手術をする際に心電計が併用される例は少なくなく、決して特殊な事態ではないことが認められるから、心電計併用の条件がありうることを度外視して電気手術器の単独使用の場合のみに限つてことを論ずるのは当を得ない。
(五) 原審第九回公判調書中証人北嶋昭一の供述記載及び検察事務官作成の昭和四八年三月一〇日付捜査報告書を総合すれば、原判決が詳細に説示するとおり手術部備え付けの各種の電気手術器本体に各種のメス側ケーブル及び対極板側ケーブルを任意に組み合わせると相互誤接続の可能な場合があること、特に本件手術に使用された子供用対極板のついた対極板側ケーブルを組み合わせた場合誤接続の可能な場合が多いことが認められる。本件事故もまさに右子供用対極板のついた対極板側ケーブルとメス側ケーブルが本件電気手術器本体に誤接続可能であつたことが一因となつて惹起されたのである。そこで、右のようにケーブルの組み合わせによつてはケーブルが本体に誤接続可能な場合もありうることを、被告人畔見が認識していたか否かの点について検討する。押収してある電気メスコード(当庁昭和四九年押第七五号の1)、対極板付きコード(同号の5)、電気手術器本体(同号の8)によれば、本件電気手術器本体のメス側ケーブルのプラグを接続すべき出力端子の接続口と対極板側ケーブルのプラグを接続すべき対極端子の接続口は本体正面の同じ高さの部位に並列し、それぞれの穴の内径には差異があるけれども、その差異が僅少なうえいずれも同じ円形を呈しており、その大きさ、形状が類似し、他方、本件手術時これに接続して使用されたメス側ケーブルのプラグと対極板側ケーブルのプラグの差込み部分の太さにも顕著な差異がなく、右接続口及び各ケーブルの外観は、見る者をして各ケーブルがそれぞれいずれの接続口にでも接続が可能なのではないかとの印象を抱かせるものということができる。次に被告人畔見の検察官に対する昭和四七年一二月六日付、同月一一日付各供述調書、同被告人の原審及び当審公判廷における各供述、証人黒江スズエの原審公判廷における供述、原審第七回公判調書中証人坂下カホルの供述記載を総合すると、本件事故当時まで同病院の大方の慣行では、電気手術器を使用して行なう手術に際し、電気手術器のメス側ケーブル及び対極板側ケーブルの各プラグをそれぞれ本体の出力端子及び対極端子の各接続口に挿入して接続する作業は、事実上手術の間接介助看護婦の担当するところであつたこと、手術部備え付けの各電気手術器本体とそれに接続すべきメス側ケーブルとは必ずしも組み合わせが特定されておらず、少なくとも本件電気手術器もしくはこれと同型の器械については、手術に際し直接介助看護婦が消毒ずみ器材の置き場から適宜その本体に接続可能なメス側ケーブルを持つてきて使用に供していたこと、対極板側ケーブルは、各本体に使用すべきものがそれぞれの本体の引き出しの中に納められていたが、子供の手術に使用するため本来の対極板側ケーブルを改造して作られた子供用対極板のついたケーブル(本件で使用された対極板側ケーブルはこれである。)は一個しかなく、これを接続可能な本体に共用していたこと、しかも右子供用対極板のついたケーブルのプラグは本件電気手術器の本体も含め、各本体の対極端子の接続口へのはまり具合がゆるく、たやすく抜け落ちてしまうので、被告人畔見を含めこれを扱う看護婦らは、挿入前にプラグの差込み金具を拡げ、あるいは挿入後にプラグが外れないように絆創膏で留めるなどの工夫をして使用していたことが認められる。これらの事情に徴すると、被告人畔見は、電気手術器のケーブルの接続を扱つてきたそれまでの経験に照らし、本体とケーブルの組み合わせによつては本体にケーブルを誤接続することの可能な場合もありうることを認識していたものと認めることができる。
(六) 以上の諸点を総合して考察すると、叙上のとおり少なからぬ期間手術部所属看護婦の日常の職務の一部として電気手術器による手術を介助する任務に従事し、特に間接介助の際にはケーブルの接続を含む電気手術器のセツト一切を担当し、本体とケーブルの誤接続の可能性に対する認識もあつた被告人畔見にとつては、ケーブルの接続に際しケーブルを本体に誤接続する可能性もないわけではないこと、もし誤接続をしたまま器械を作動させるならば、あるいは電気手術器の作用に変調を生じ、本体からケーブルを経て患者の身体に流入する電流の状態に異常を来し、その結果患者の身体に電流の作用による傷害を被らせるおそれがあることは、予見可能の範囲にあつたと認められる。このことは一般通常の間接介助看護婦を被告人畔見の立場において考えてみてもその結論を異にするところはないというべきである。
(七) 所論は、我々の常識として電気器具について誤接続をしても本来の作動をしないことの認識が可能であつても、事故の発生を当然に予想できないとし、かりに何らかの事故という無内容の不安を肯定したとしても、それから何らかの危害が患者に及ぶことの予測が可能であるか疑わしいというが、右は電気器具一般についての立論としてはともかく、電気手術器については、それが前述のとおり単に電気を用いて作動させるというだけのものではなく、患者の身体を電気回路の一部としてこれに電流を通じることによつて機能する点に特異性を有する器械であることなどに徴し、妥当しないものというべきである。
(八) 所論は、関係の医師、看護婦らが電気手術器の原理を知らず、知らされてもいなかつたこと、本件のような事故はこれまで例がなく、医療従事者の思い及ばなかつたことをいうが、被告人畔見が電気手術器による手術の介助看護婦として認識しもしくは認識しえたと認められる電気手術器に関する上述の諸事情を考えれば、それ以上に電気手術器の構造・原理等を詳細に認識していなかつたからといつて、前記予見可能性を否定することはできない。それまで同病院ないし広く医療機関一般において長期間にわたり電気手術器が使用されながら本件と同種の事故例がなかつたにせよ、その点は指定された方法で器械を使用する限り安全であることを物語るものではあつても、指定に反した方法で使用しても全く安全であることまで保障するものとはいえない。
(九) 所論は、本件事故当時その原因としてケーブルの誤接続を想定した者が一人もいなかつたと主張する。しかし、北海道大学長丹羽貴知蔵作成の「手術中における事故原因調査委員会の調査結果について(回答)」と題する書面、原審第八回公判調書中の証人樫田テルの供述記載、証人三上智久の当審公判廷における供述を総合すれば、本件事故の翌日北海道大学応用電気研究所助教授三上智久が手術部の看護婦、技能員に対し事故原因の推定等につき話をした際、質疑応答において聴き手の看護婦らの中からケーブルの誤接続と事故原因の関係について質問が出たこと、事故直後の昭和四五年七月二四日本件手術関係者を含む同病院関係者によつて事故原因調査のための動物実験が施行された際すでにケーブルの誤接続を想定した実験が行なわれていること(右実験が施行されたのは、事故原因の一つとしてケーブルの誤接続が考えられる旨の吉本千禎教授の見解が発表される以前のことである。((証人吉本千禎の当審公判廷における供述)))が認められ、これらの事実に照らして右の所論も相当でない。丹羽貴知蔵作成の前掲回答書、前掲証人樫田テルの供述記載、前掲証人三上智久の供述を総合すれば、前記質疑応答における質問に対し応用電気の専門家である右三上助教授が、単なる電気手術器本体と対極板側ケーブルの誤接続だけでは火傷は起こらないはずである旨答えていることが認められるけれども、同人の右応答は電気手術器の内部配線や心電計併用時の電気回路の構成を正確に把握したうえでの判断に基づくものではなかつたことが認められる。従つて、同人の右応答をもつて専門家すらケーブルの誤接続による傷害事故発生の可能性を認識できなかつたことの例証とするのは適切でない。およそ、事故発生の後において事故当時の諸条件を正確に把握総合して事故の原因となりうる各種の可能性の中から特定の事故原因を確定することは、専門家にとつても必ずしも単純容易な作業ではないことが少なくなく、前掲吉本千禎の各供述記載によれば本件事故もその例に洩れなかつたことが窺われるが、このことは逆に事前において特定の条件を前提とした場合の事故発生の可能性の予見が同様に困難であることを当然に意味するものではない。過失犯成立の要件としての結果の予見可能性は、ある条件の下で発生すべき結果を逐一確定的に予見することが可能であることまでは必要とせず、本件についていえばケーブルの誤接続をしたまま電気手術器を作動させたとき惹起するかもしれない事態の一つとして傷害の発生をも予見することが可能であれば十分なのである。従つて、事後において専門家がたやすく事故の原因を特定できないことがあつたとしても、そのことによつて当然に事前における通常人の立場からの結果に対する予見可能性が否定されるとは論定しがたい。
(一〇) 所論は、本件傷害事故が心電計併用という条件の下でのみ起きうるものであつたことを指摘する。しかし、すでに述べたとおりそれまでにも電気手術器による手術に際し心電計が併用されることは少なくなく、心電計併用は何ら特殊稀有の事態ではなかつたのであるから、心電計併用の点をもつて被告人畔見もしくはその立場に置かれた一般通常の間接介助看護婦にとり予想しえない特殊な条件が加わつたため事故発生に至つたものとみるのは相当でなく、所論の点は本件傷害事故発生に対する予見可能性を肯認する妨げとなるものではないというべきである。
(一一) 所論は、さらに、原判決は単なる不安ないし危惧感を抱いたこともしくは抱きえたことをもつて直ちに過失犯の要件である結果の予見可能性を充足するものと解したとしてその解釈の誤りである旨を力説する。すでに説示したとおり過失犯の成立要件としての結果発生に対する予見可能性は内容の特定しない一般的・抽象的な危惧感ないし不安感を抱くことでは足りないが、本件において被告人畔見ないしその立場に置かれた一般通常の間接介助看護婦にとつて予見可能と認められるのは、上述したようにケーブルの誤接続をしたまま電気手術器を作動させるときは電気手術器の作用に変調を生じ、本体からケーブルを経て患者の身体に流入する電流の状態に異常を来し、その結果患者の身体に電流の作用による傷害を被らせるおそれがあることについてであつて、その内容は、構成要件的結果及び結果発生に至る因果関係の基本的部分のいずれについても特定していると解される。従つて、所論のように単なる一般的・抽象的な危惧感ないし不安感を抱く程度にとどまるものと解することはできない。もつとも、発生するかもしれない傷害の種類、態様及びケーブルの誤接続が電気手術器本体から患者の身体に流入する電流の状態に異常を生じさせる理化学的原因については予見可能の範囲外であつたと考えられるけれども、過失犯成立のため必要とされる結果発生に対する予見内容の特定の程度としては、前記の限度で足りると解すべきである。通常人にとつて身体に流入する電流の状態に異常を生じ、その作用により傷害を被るおそれがあることを知れば、その傷害の種類・態様までは予見できなくても、日常の知識・経験に照らして危険の性質・程度を把握し、それに対処すべき措置を決定するのに何らの支障がないからである。前記の程度を越えて傷害の種類、態様まで特定されることが注意義務確定上欠くことのできない要素とは考えられない。またケーブルを誤接続したまま電気手術器を作動させることが電気手術器本体から患者の身体に流入する電流の状態に異常を生じさせる理化学的原因がいずれにあろうとも、右誤接続が原因となつて、患者の身体に流入する電流の状態に異常を生じ、その作用により患者に傷害を被らせるに至る因果関係の基本的部分の予見が可能である以上、予見者にとつてその結果が全く予想外の原因・経過により生ずることはありえない。従つて、右の程度を越えて結果発生に至る因果関係の過程の詳細な予見が可能であることまで必要としないと解される。そして、このことは責任主義の要請に反するものでないというべきである。
(一二) 以上の次第で、被告人畔見の場合、刑法上結果発生の予見可能性があつたといえるのであつて、これに反する所論は採用しえない。所論指摘の原判決の説示も、帰するところ、電気手術器から患者の身体に流入する電流の状態の異常により患者の身体に傷害を被らせるおそれのあることについて認識可能であつたこと、すなわち特定の構成要件的結果発生について予見可能であつたことを意味し、単なる危惧感ないし不安感を抱くことをもつて結果発生についての予見と同視する趣旨ではないと解することができる。従つて、被告人畔見に対し本件傷害事故惹起について過失を認め業務上過失傷害罪の成立を肯認した原判決に法令の解釈適用の誤りはない。論旨は理由がない。<中略>
第二被告人澤口亮三関係
検察官の被告人澤口亮三に関する控訴趣意中事実誤認ないし法令の適用の誤りの論旨について。
所論の概要はつぎのとおりである。原判決は、被告人澤口亮三に対する業務上過失傷害の公訴事実について、(一) 同被告人は本件電気手術器についてケーブルの誤接続の可能性について具体的な認識を持ちえなかつた。(二) 電気手術器自体が内蔵する危険性から直ちにケーブルの接続についての点検確認義務は生じない。(三) 電気手術器のケーブルの接続は看護婦の業務内容であるから看護婦の責任である。(四) 電気手術器のケーブルの接続は看護婦に任せるという慣行があつたものでそれに従つた同被告人に責任はない。(五) 何らかの落度があれば直ちに刑事上過失責任を認めてよいとの論は排斥されるべきである、としたうえ、これらを総合すると同被告人については注意義務の懈怠があつたということはできず、犯罪の証明は十分でないとして無罪の言渡しをした。しかし、原判決の理由のうち右(一)については、同被告人は、電気手術器のケーブルが交互誤接続のまま使用される可能性のあることを具体的に認識していたか少なくとも容易に認識することができ、従つてケーブルの交互誤接続による何らかの事故発生を予測可能であつたのであつて、原判決は、ケーブルが誤接続のまま使用される可能性に対する同被告人の認識について事実を誤認したものである。右(二)については、電気手術器の有する危険性の実態、ケーブルの正しい接続が電気手術器の所期の機能を発揮させる大前提であること、医師は業務の性質に照らし医療器械使用に際しても危害防止のため最善の措置を尽すべき高度の義務が課せられていることを合わせ考えると、医師が看護婦の行なつたケーブルの接続を二重に点検すべきことは当然であるのに、原判決は、電気手術器の有する危険性の実態を誤認し、ケーブルの接続の有する重要性を不当に軽視し、医療器械使用に際しての医師の高度の責任を看過した結果、ケーブルの接続についての医師の点検確認義務を否定する誤りに陥つたのである。右(三)については、看護婦は医師の指示のもとにはじめて診療器械の使用に加担するのであつて、その使用責任者はあくまで医師であるとするのが法の建前であり、電気手術器のように危険を内蔵する診療器械を使用するについてケーブルの接続を看護婦にさせる場合は接続の誤りも十分考えられるから、使用者たる医師が接続の正否を点検・確認すべきものであり、原判決の見解は人体に危害を及ぼすおそれのある診療器械を使用して治療行為を行なう場合の医師と看護婦の責任分担の関係を根本的に誤つたものである。さらに原判決は本件手術に際し具体的な危険発生の予兆がなかつたとするが、電気手術器については従来対極板の装着が不完全でその部分に軽度の火傷を生じた例もあり、具体的な事故発生の予兆もあつたのであるから、その点でも原判決には事実誤認がある。右(四)については、同被告人の属した北大医学部付属病院第二外科診療科の医師が電気手術器のケーブルの接続を間接介助看護婦に任せ執刀医自らが接続の正否を点検・確認することがなかつたとの慣行は悪しき慣行にすぎず、注意義務の基準となるものではない。しかも原判決が同病院第二外科という狭い領域の慣行のみを論じているのは不当であり、現に同病院脳外科では右ケーブルの接続については看護婦に責任を転嫁することのない態勢で手術を行なつているのであつて、原判決は脳外科における右取扱いを看過して事実を誤認したものである。以上のとおりケーブル接続の点検・確認を怠つた同被告人の落度は、社会の信頼を受けて人の生命身体を管理する故に業務上高度の注意義務を課せられている医師として重大な過失であつて看過しがたく、同被告人が本件傷害事故について業務上過失傷害の刑責を負うことは明らかである。従つて、同被告人の過失責任を否定した原判決は重大な事実誤認をし、その結果刑法二一一条の解釈適用を誤つたものである。
しかしながら、記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調の結果を合わせ考えても、被告人澤口の過失責任を否定した原判決には、いまだ判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認ないし法令適用の誤りを見出だすことはできない。以下所論にかんがみ順次当裁判所の判断を示すこととする。
一被告人澤口のケーブル誤接続の可能性に対する認識ないしは認識の可能性の有無。
押収してある電気メスコード(当庁昭和四九年押第七五号の1)、対極板付コード(同号の5)、電気手術器本体(同号の8)によると、本件電気手術器本体の各ケーブルの接続口の大きさ・形状が類似し、各ケーブルのプラグの差込み部分の太さにも顕著な差異がなく、見る者をして一見各ケーブルがいずれの接続口にでも接続可能であるかのような印象を抱かせるものがあること、証人黒江スズエ及び被告人畔見の原審公判廷における各供述、原審第七回公判調書中証人坂下カホルの供述記載によると、本件事故当時同病院手術部の実情として、電気手術器の本体とケーブルの組み合わせは必ずしも特定されおらず、手術に際し看護婦が適宜接続可能なケーブルを持つて来て使用していたこと、証人黒江スズエ及び被告人畔見の原審公判廷における各供述、石田昇作成の電力日誌写、当審第二回公判調書中証人石戸重子、同第三回公判調書中証人黒江スズエ、同石田昇の各供述記載並びに証人杉江三郎の当審公判廷における供述によると、同病院では手術中もしくは手術直前に電気手術器のメス側ケーブルもしくは対極板側ケーブルが断線などで故障して看護婦が他のケーブルを持つて来て代用するという事態がしばしばあり、そのことは当然当該手術にあたる医師にも認識されていたことが認められる。原判決は、メスの構造や使用方法などから考え、手術中にメス側ケーブルの破損等がしばしば起こつたというようなことは容易に信用できず、対極板側ケーブルについても同様である旨説示するが、前掲証拠により認められるケーブルの故障箇所、故障の実情等に徴すると、ケーブルの故障が必ずしもまれな事態ではなかつたことを優に認定することができる。そして、被告人澤口の検察官に対する昭和四七年一一月二九日付供述調書、同被告人の原審及び当審公判廷における各供述によれば、同被告人は、昭和四一年北大医学部大学院を卒業し、以来同大学付属病院第二外科副手として診療に従事し、電気手術器を使用しての手術回数は数え切れない位あつたことが認められるから、同病院におけるケーブルの故障に関する上記の実情を合わせ考えると、同被告人も手術の立会いなどの機会を通じて電気手術器のケーブル共用の事実を知る機会があつたことを認めるに難くない。そして以上の事情を総合すると、同被告人は自らの職務経験や上述の電気手術器の外観などにより右器械についてケーブルの誤接続がありうることを認識しうる可能性はあつたものと認めるのが相当であり、原判決が「被告人澤口においてケーブルの相互誤接続の可能性について具体的な認識を持ちえなかつた」ものと判示している点(原判決二九丁表二、三行目)は、右誤接続のありうることの認識の可能性をも否定する限りにおいて事実の認識があるものといわなければならない。
ところで、同被告人は、捜査段階以来ほぼ一貫して、電気手術器も医療電気器械の一としてケーブルの誤接続を含め間違いを生ずるような構造にはなつていないと思つていた旨を主張し、その根拠として、日本ME学会制定の医用電気機器暫定安全基準中に関係規定があること、同病院の組織上医療器械器具の管理・点検等は同病院手術部の任務に属していたことを挙げる。右論拠のうち医用電気機器暫定安全基準については、同被告人の検察官に対する昭和四七年一一月三〇日付供述調書及び当審で取調べた日本ME学会雑誌(当庁昭和五〇年押第七五号の14)によると、日本ME学会が制定した右基準中に同被告人指摘の関係規定があることが明らかであるが、右基準の制定された日時が昭和四五年四月で本件事故の約三か月前に過ぎないこと並びに右基準の効力が関係団体及び官庁に対する勧告にとどまることに照らし、右基準の存在は必ずしも被告人の右主張の裏付けとなるものとはいえない。しかし、原判決が説示するように、同病院備えつけの各種電気手術器も、それぞれの器械の本来の付属品であるケーブルに関する限り殆どの器械が誤接続可能な構造になつていたのであるから(検察事務官北嶋昭一作成の昭和四八年三月一〇日付捜査報告書)、電気手術器がケーブルの誤接続を含め間違いを生ずるような構造になつているとは思わなかつたとの同被告人の主張は、それ自体としては根拠のなかつたことではない。さらに、平野新治の検察官に対する供述調書、樫田テルの検察官に対する昭和四七年一一月二〇日付供述調書(三、四項を除く。)、検察事務官北嶋昭一作成の昭和四七年一一月七日付報告書、原審第八回公判調書中の証人樫田テルの供述記載、証人杉江三郎の当審公判廷における供述その他関係証拠によれば、昭和三八年、それまで同病院の各科が単独もしくは数科共同で持つていた各手術場を統合して手術部が創設され、以来、手術用の器具・器材は手術部が管理し、診療科の医師が手術をするときは手術部が整備して提供する器具・器材を用いて執刀にあたることになつており、同病院長が定めた手術部運営要綱の八には「手術部看護婦長は、手術開始時までに手術室に必要な器具、器材を整備するものとする。」と規定され、手術用の器具・器材の整備点検は手術部の責任と考えられ、手術を行なう診療科の医師から器械の整備について指示や注文を出す慣行ないし事例もなかつたことが認められる。もつとも右証拠によれば、本件事故当時までの手術部の実態は、人的には看護婦を主体とし、器具・器材の十分な整備点検をする余裕も能力もなく、手術の都度必要な器具・器材を揃え、使用に際して発見された故障に対し修理の措置をとる程度で、器具・器材の定期的点検もされていなかつたことが認められるが、当時被告人澤口が手術部の右のような実態に通じていたことを認めるに足りる証拠はない。してみれば、同被告人はケーブルの誤接続がありうることを認識しうる可能性はあつたにせよ、現実にはその主張するように誤接続がありうることの具体的認識を持つまでには至らなかつたものと認めるのが相当である。
二被告人澤口のケーブル誤接続による傷害事故発生に対する予見可能性の程度。
そこで、ケーブルの誤接続による傷害事故発生に対する同被告人の予見可能性の程度について考えるのに、右予見可能性はケーブルの誤接続がありうることについての認識もしくはその可能性の存在を前提とするところ、同被告人に右認識の可能性があつたと認められることは上記のとおりである。また、同被告人は上述のように同病院第二外科に属する医師として診療に従事し、電気手術器を使用して手術を行なつた経験も多数回に及ぶものであるから、その立場ないし経験に照らし、電気手術器の原理・作用についての知識は、被告人畔見のように単なる介助看護婦の地位にある者に比し優つていたであろうことは推察に難くない。しかしながら、他方において、被告人畔見の場合は上記のとおりケーブルの誤接続のありうることの具体的な認識があつたと認められるのに対し、被告人澤口については右認識の可能性があつたにとどまり認識そのものまではなかつたと認められる点において看過しがたい相違があり、この点は、同被告人の本件傷害事故発生に対する予見の程度を評価するうえで留意されなくてはならない。
さらに、原審第三、第四回各公判調書中証人兼鑑定人吉本千禎の各供述記載、杉江三郎の検察官に対する供述調書、原審第五回公判調書中証人村上忠司の供述記載、証人杉江三郎、同小松作蔵の当審公判廷における各供述によれば、本件事故当時の医学界において電気手術器による事故として関係者に知られていたのは、患者の身体に対する対極板の当て方が不完全な場合にその部位に軽い火傷を生ずることがあるという事実程度で(ただし被告人澤口が右事実を知つていたことを認めるに足りる証拠はない。)、電気手術器により本件のような重大な人身事故を惹起した事例は知られておらず、本件事故発生後北大応用電気研究所教授吉本千禎の調査報告が出されるまで、心電計併用下におけるケーブルの誤接続に起因する熱傷発生の因果関係はいまだ科学的に解明されたことがなく、医療関係者の間でも右誤接続が火傷事故を惹起する可能性について関心が持たれていたわけでなく(司法警察員作成の昭和四六年一二月一三日付北大電気メス業務上過失傷害被疑事件捜査報告((三五九丁))によれば、昭和四六年八月ころ本件電気手術器の製造元で出していた電気手術器の使用説明書及びカタログにも心電計併用下でケーブルを誤接続して使用した場合の危険については触れられていないことが明らかである。)、電気手術器は安全なものとして使用されていたことが認められる。そして原審第五回公判調書中証人村上忠司、同第七回公判調書中証人坂下カホル、同第八回公判調書中証人樫田テルの各供述記載、証人阿部弘、同鮫島夏樹の原審公判廷における各供述等関係証拠を総合すると、本件事故当時まで北大医学部付属病院では手術時の電気手術器のケーブルの接続はほとんど間接介助看護婦が行なつており、執刀医もしくはその助手の医師が接続の確認をすることはないわけではなかつたが、それも、「使つてもいいか。」もしくは「差してくれたか。」と声をかけて接続の有無を確める程度のもので、誤接続による事故発生の危険をおもんばかつて接続の仕方が誤つていないか否かを点検するという趣旨のものではなかつたことが窺われる。所論は、同病院脳外科では助手が各ケーブルの接続を担当し看護婦には任せない取扱いになつていた旨主張するが、所論の引用する原審証人阿部弘の供述その他関係証拠を検討しても、所論の事実を認定するに足りる適確な資料はなく、原判決がケーブル接続について脳外科における取扱いを看過して事実を誤認したというのはあたらない。さらに証人小松作蔵の当審公判廷における供述によれば、本件当時の札幌医科大学中央手術部における電気手術器使用の実情として、同手術部では各ケーブルの接続口がそれぞれ一穴から成る電気手術器については各接続口をテープで色分けして使つていたが、対極板側ケーブル及びメス側ケーブルを本体に接続する作業は北大医学部付属病院におけると同様看護婦の担当するところであつたこと、もつとも接続の手順については、同病院で本件手術当時にとられた後述の方法に対比すると、対極板を患者に装着した段階で対極板側ケーブルの接続を先にすませてしまう方法がとられ、対極板側ケーブルとメス側ケーブルをほぼ同時に本体に接続するというものでない点及び術者がメス側ケーブルを取り上げそのプラグ側を介助看護婦の方に下す際ほとんどの場合に「電気メスを下します。」と言葉をかけて明示的に接続を促していた点に相違があるけれども、術者がケーブルの接続状況を自らの眼で確認しもしくは看護婦等に改めて接続の正否を確認して報告させる措置をとつていなかつた点では同病院の慣行と異なるものがなかつたこと、手術時における電気手術器の置き方も、本体の裏側が手術台の方に面するように置かれて、ケーブルの接続口のある表側は術者から視認できない位置関係になるのがほとんどであつたこと、電気手術器を使用する場合の執刀医の関心事は、アースが完全にされていること及び患者の身体が手術台あるいは器械盤などの金具と接触していないことにあり、ケーブルの誤接続により事故の発生しうべきことをおもんぱかつて接続の点検に意を用いるならわしはなかつたこと、電気手術器のケーブルの接続口のテープによる色分けももともと他の種々の器械についてコードを誤りなく接続する便宜のためとられた工夫が電気手術器のケーブルにも及んだもので、特に電気手術器のケーブルの誤接続が事故につながる危険を接続してその防止のため施されたものではなかつたことが認められる。ケーブルの接続に関する以上のような取扱いの実態は、本件事故当時まで電気手術器を用いて手術にあたる医師が一般に看護婦のケーブル接続の誤りによつて事故が発生する危険を認識していなかつた実情を示すものということができ、以上の諸事情を合わせ考えると、本件手術の執刀医である被告人澤口にとつてケーブルの誤接続に起因する傷害事故の発生を予見しうる可能性は必ずしも高度のものではなかつたといわなければならず、この点はひとり同被告人のみならず当時の外科手術の執刀医一般についてみても同様であつたと考えられる。
なお所論は、いわゆる千葉大採血ミス事件の一審判決(千葉地方裁判所昭和四七年九月一八日判決・刑事裁判月報四巻九号一五三九頁。控訴審判決は東京高等裁判所昭和四八年五月三〇日判決・刑事裁判月報五巻五号九四二頁)を引用し、同じく誤接続による医療過誤事件である右事件の場合に比較して本件電気手術器はケーブルの誤接続の可能性が大きかつた点を強調する。確かに右各判決に現れたところによる限り、右事件の場合に比較しても、本件電気手術器の各ケーブルと本体の各端子の接続機能は、さきに説示したとおり、メス側ケーブルの接続部分と対極板側ケーブルの接続部分との外見上の相違が乏しく、従つて、本来接続不可能に作られていた付属品のケーブルを使用すれば格別、相互誤接続可能な他のケーブルを流用する場合には誤接続を犯しかねない危険を含むものということができる。しかしながら、右各判決によると、右採血ミス事件は、医師が供血者から電気吸引器を使用して採血するに際し、その操作を担当した看護婦が吸引用パイプを採血器具に接続して吸引に作動させるべきところを誤つて噴射用のパイプを接続して噴射に作動させたのに、その過誤を看過して供血者の静脈に採血針を刺し入れ、血管に多量の空気を注入したため、同人を空気塞栓症による脳軟化症の傷害を負わせて死亡させたという事案であるのに対し、本件では上述のとおり、事故当時まで心電計併用下におけるケーブルの誤接続が火傷事故を惹起する因果関係が解明されたことがなく、一般に右事故惹起の可能性が意識され留意されることもなかつたのであるから、すでに事故発生の予見の可能性の程度において事案を異にすることが明らかなのであつて、過失犯の成否はもとより当該具体的事情に即して慎重に判断されなくてはならず、所論は採用しがたい。
三手術開始直前のケーブル接続について、執刀医である被告人澤口の介助看護婦に対する信頼の当否。
被告人澤口の原審公判廷における供述及び同被告人の検察官に対する各供述調書によれば、同被告人は、本件手術に際し、ケーブルの接続を含め電気手術器の取扱いについては、被告人畔見ら介助看護婦の処置を信頼してケーブルの接続の正否を点検することなくこれを使用して手術を実施したことが明らかである。そこで、手術に臨む執刀医としての被告人澤口の介助看護婦のケーブルの接続に対する信頼の当否が検討されなければならない。
(一) 電気手術器の危険性の実態とその認識。
所論は、原判決が電気手術器の有する危険性の実態を認識し、ケーブルの接続の持つ重要性を不当に軽視したという。被告人畔見に関する控訴趣意に対する判断として説示したとおり、電気手術器は単に電気を用いて作動させる器械というにとどまらず、患者の身体をも回路の一部として電流を通じ、その熱作用により発生する高熱を利用して肉体組織を焼酌し、凝固・切開作用を営む点に特異性を有する器械である。従つて、器械の作用が正常に保たれている限りは安全であつても、万一その作用に異常を生ずるようなことがあれば、患者の身体に通ずる電流に異常を来し、その結果患者の身体に傷害を惹起する可能性もあり、その意味で危険性を内蔵することは否定できない。そして、ケーブルの接続を誤らないことは器械の作用を正常に保つ前提であるから、看護婦の行なうケーブルの接続も電気手術器使用の安全にかかわりを持つ行為として安全保持上の意味を無視しえない。しかしながら、さきに説示したとおり、本件事故当時まで医学界においては、電気手術器により重大な事故を起こした事例は知られておらず、電気手術器は安全なものと考えられ、心電計併用下でのケーブルの誤接続が原因となつて火傷事故を惹起する因果関係も認識されておらず、誤接続による事故防止のためケーブル接続の点検等の予防措置の必要も一般に意識されていなかつた実情にある。そうだとすると、本件事故当時の時点における執刀医の介助看護婦に対するケーブル接続に関する信頼の当否を判断するについて、すでに右誤接続が原因となつて火傷事故を惹起するに至るその因果関係が解明され、右誤接続の危険が関係者に周知された本件事故後の観点に立つてのみ電気手術器の危険性及びケーブル接続行為の重要性を強調することは、当を得たものとはいいがたい。この点に関する原裁判所の判断は首肯しうるところであつて、所論のように電気手術器の危険性の実体を誤認しケーブル接続の重要性を不当に軽視したものというのはあたらない。
(二) ケーブル接続に関する業務の分担。
(1) 本件手術における関係者の業務分担。
次に本件手術における右ケーブル接続をめぐる関係者の業務分担について検討する。原審第五回公判調書中証人村上忠司、同第六回公判調書中証人橋本正人、同第七回公判調書中証人沼田久枝、同第八回公判調書中証人樫田テル、同古川幸道の各供述記載、証人黒江スズエ及び被告人両名の原審公判廷における各供述、証人杉江三郎の当審公判廷における供述、樫田テルの検察官に対する昭和四七年一一月二〇日付供述調書(三、四項を除く。)、杉江三郎の検察官に対する供述調書等関係証拠を総合すれば、被告人澤口は、執刀医一名、手術助手三名(うち一名は指導医を兼ねる。)、麻酔医二名、介助看護婦(直接介助一名、間接介助二名)三名から成るチームで行なわれた動脈管開存症の手術における執刀医として手術にあたつたものであること(五九五丁、六六〇丁、一〇五八丁)、被告人畔見は右手術の間接介助看護婦として介助の任にあたり、電気手術器のケーブルの接続も同被告人が行なつたこと(七〇三丁、七〇六丁)、同病院では上述のとおり手術部が創設された後においては、各診療科の医師が手術を行なうときには手術部所属の看護婦が手術部の看護婦長に指名されて介助の任にあたつていたこと(一七八丁、一七九丁)、手術の介助看護婦には手を消毒して主に執刀者に対する手術器具の手渡しを受け持つ直接介助と右の作業を除いたその余の介助全般を受け持つ間接介助とがあること(七九九丁)、既述のとおり手術に使用する器具・器材の整備、提供は手術部の任務とされ、実際上は介助看護婦が所要の器具・器材を手術室に準備することになつていたこと(八〇六丁、八〇七丁)、電気手術器については、電源への接続、アース線への取付けは間接介助看護婦が行ない、患者に対する対極板の装着もほとんど介助の看護婦がつけていたこと(九四六丁、九四七丁)、また対極板側ケーブル及びメス側ケーブルを本体に接続するのもまれに医師がすることもなかつたわけではないが、ほとんどの場合間接介助看護婦が行なつていたこと(六二二丁、八〇八丁、八〇九丁)、助手の任務は執刀の際の鈎引き及び血管の結さつなど手術の直接の補助にあること(六六〇丁、六六一丁)、指導医は危険を防止し手術が間違いなく進行するよう注意を払い、術中困難な箇所にさしかかつたときや事故が起きたときは執刀医の処置を補佐し、あるいは自らメスをとることを義務づけられるものであること(一六一丁、五九六丁、証人杉江三郎当審供述)、麻酔医は患者に麻酔をかける外患者の全身管理を行ない、生命に直結する呼吸・循環の管理をするものであること(七六〇丁、七七三丁)が認められる。
(2) 看護婦の補助行為の範囲と医師の監督責任の限度。
保健婦助産婦看護婦三七条によれば、看護婦は、主治の医師又は歯科医師の指示があつた場合の外診療機械を使用してはならないことが規定されており、同法五条と合わせて、診療機械の使用は医師の責任であり、看護婦は診療行為としての機械使用については医師の指示がない限り単にその使用の補助ができるにすぎないことが明らかである。北大医学部付属病院で看護婦によつて行なわれていた電気手術器の電源への接続、アース線の取付け、及びケーブルの接続の諸作業、すなわち電気手術器のセツトの作業は、同法三七条の法意に照らし、診療機械たる電気手術器の使用の準備行為たるにとどまり、使用行為そのものには該当しない、と解されるから、同条によりその都度医師の指示がなければ看護婦がしてはならない種類の行為には属しないものというべきである。従つて、同病院において電気手術器のケーブル接続をその都度事前に一々医師の指示を受けることなく看護婦が行なつていたことは何ら同条の趣旨に反するものではない。しかしながら、右ケーブルの接続は、時期的・場所的に診療行為である医師の電気手術器の使用に密接して行なわれるのが通常であるから、診療行為自体ではないにしても、同法五条にいう診療の補助たる行為には該当するものと解すべきである。そして同条によれば、診療の補助が看護婦の業務に属することは明らかであるが、医師の診療行為を看護婦が補助する立場にあるものというべく、看護婦の補助行為について、それが看護婦の業務に属することを理由に、当然に医師の監督を排除すべきものとし、もしくは不要なものと解すべき理由はない。(従つて被告人澤口の弁護人の、ケーブルの接続が治療のための準備行為にすぎないものとし、その点を理由として直ちに右行為から生じた結果については専ら担当した看護婦の責に帰せられるべきである、とする主張は採用することができない。)
この点について所論は、危険な診療器械を使用するにあたつて、看護婦にその準備を行なわせた場合、その準備行為が全く危険発生の余地がないときには看護婦に一切を委ねて差しつかえないが、そうでないときには、医師の責任において点検・確認をして使用し、発生した結果について責任を負うべきである、という。しかしながら、看護婦の補助行為が性質上医師の監督に服するものであるにしても、およそ危険を内在する補助行為については、事情の如何を問わずことごとく医師において具体的な点検・確認を行なうべく、看護婦の措置を信頼する余地を許さないとすることは、当該医療行為における医師の役割や医師による点検の実施が当該医療行為自体に及ぼす影響をも無視することになり首肯しうるところではない。医師が看護婦の補助行為に対する監督としてどのような措置をとることが義務づけられるかは、結局、補助行為の性質、当該医療行為の性質、作業の状況、医師の立場等の具体的状況に照らして判断されるべきである。なお所論はこの点に関し、千葉大採血ミス事件の控訴審判決(東京高等裁判所昭和四八年五月三〇日判決・刑事裁判月報五巻五号九四二頁)の判示を引用するが、さきに述べたとおり右事件は本件と事案を異にし、本件に適切でない。
(3) チーム医療における執刀医の立場。
前述したように本件手術は、執刀医・手術助手(うち一名は指導医を兼ねる。)・麻酔医・介助看護婦の合計九名によつて行なわれたチーム医療であり、被告人澤口はその執刀医の地位にあつたものである、かかる場合に、執刀医は単に執刀医としての立場にあるだけでなく、チームの総括指揮者として各人が作業に誤りを犯すことのないように監督すべき責務をも負担すべきものではないかとの疑問がある。しかしながら、一般に手術がチームワークによつて行なわれる場合でも、目的が手術の成功にあることにはいささかも変りがないのであつて、各職種がそれぞれ業務を分担して共同作業を行なう趣旨も、帰するところは、執刀医により行なわれる手術自体が支障なく円滑に遂行されうるよう執刀医に協力補佐して執刀に遺憾なからしめ、手術の成功を期することにあると考えられる。手術を成功させるためにはチームの各員がそれぞれの分担作業を忠実適切に遂行することが必要であるが、何といつても手術の成否の鍵を握るのは執刀医の執刀である。そしてチームワークによる手術においてチームの成員による補佐があるとはいえ、執刀そのものは常に執刀医のみに課せられた作業であつて、他の者の代りうるところではない。従つてチームワークによる手術においても、執刀医の執刀自体に対する負担は何ら軽減される理はなく、執刀医は、各員の協力補佐を受けながら当該チーム医療の目的である手術の成功の鍵を握る自己の執刀に全力を尽すべき役割を有するものというべきである。右の点に留意して考えると、チームワーク手術における執刀医の立場は、自らは直接作業に携わらず、専ら配下の各員に指揮命令して作業を分担・遂行させ、その状況を監督することを本旨とする純然たる統率の地位にあるものとは性質を異にする面があるといわなければならない。手術を成功させる目的で執刀医に協力補佐するためチームが組まれるものというべく、チームを指揮監督するために執刀医が置かれるものとはいえない。もとよりチームワークによる手術の執刀医も、執刀医としての立場で、自己の医療行為に対する補助者の補助行為に対する指示ないし監督義務を負うことは当然であり(但しどの程度の監督義務を負うかは上述のとおり具体的状況により判断されるべきである。)、また自らがチームの作業の中核である執刀を担当する関係上、補助者に対する指示・監督の外、手術の遂行について調整的権限を有する場合もありうると思われる。しかしながら、チームワークによる手術の執刀医が、単に執刀医としての立場だけにとどまらず、右の限度を越えて、当然にチームを指揮監督する統率者の地位にあるものとして、その立場を前提とするチームの成員の作業に対する監督責任まで負担すべきものと即断することはできない。チームワークによる手術の執刀医の立場を右のように解することは、さきに述べた執刀医の本来の役割と対比して調和しないものがあることを否定できない。証人杉江三郎が当審公判廷において、外科医師としての立場から、外科医が麻酔の状態、機器の整備などにまで精力を分散することはチームワークの機能が発揮できないことになる旨を供述している点も右の消息を窺うに足りるものということができる。
しかも、原審第五回公判調書中証人村上忠司の供述記載、杉江三郎の検察官に対する供述調書、証人杉江三郎の当審公判廷における供述によると、本件手術には救急外科助教授村上忠司が指導医兼助手として加わつていたこと、指導医は執刀医に比し経験・能力のすぐれた者が充てられること、上述のとおり指導医は危険を防止し手術が間違いなく進行するよう注意を払い、術中困難な箇所にさしかかつたときや事故が起きたときは執刀医の処置を補佐しあるいは自らメスをとることを義務づけられるものであること、手術遂行の方法について見解が分れた場合の最終決定権は指導医にあることが認められる。もつとも、前掲の証拠によつても、本件手術において指導医たる村上医師がチームの指揮統率についていかなる権限を持つていたかの点はにわかに断定しがたいところであるが、序列においても被告人澤口の上位にあるとみられる同医師が指導医としてついている以上、少なくとも執刀医たる被告人澤口が指導医を凌駕してチームを指揮・統率すべきまでの地位になかつたことは窺うことができる。そして関係証拠を精査しても、同被告人が単独で、もしくは村上指導医と並んで、単なる執刀医としての立場だけでなく、チームを指揮監督する統率者の地位にもあつたことを認めるに足りる証拠は存しない。
(4) 本件手術の性質及び具体的状況。
次に本件手術の性質及び手術時の状況について検討する。被告人両名の原審及び当審公判廷における各供述、被告人澤口の検察官に対する各供述調書、坂下カホルの検察官に対する昭和四七年一一月二二日付(二項を除く。)、同月二五日付(三項を除く。)各供述調書、原審第三、第四回各公判調書中証人兼鑑定人吉本千禎、同第五回公判調書証人村上忠司、同第七回公判調書中証人沼田久枝、同第八回公判調書中証人安田耕一郎の各供述記載、証人鮫島夏樹、同黒江スズエの原審公判廷における各供述、証人杉江三郎、同小松作蔵の当審公判廷における各供述、吉本千禎作成の昭和四八年三月一七日付鑑定書によれば、以下の各事実を認めることができる。すなわち、本件手術は、原判決が摘示するとおり松田貞行(当時二歳)の動脈管開存症の治療の目的で施行されたのであるが、術式名を動脈管切離と称し、大動脈から肺動脈につながる動脈管を切離する手術であり、心臓周辺の血管とりわけ大動脈周辺に対するものであるため一つ間違えば大量出血を起こして大事故になるおそれがあり、神経損傷を伴うことも多く、危惧すべき合併症がいろいろあつて特に大出血という点に関しては最も危険性の高い手術に属し、術中これらの事態が起きた場合には早急の処置をとる必要があり、村上医師が指導医としてつけられたのも右事態に備えることに主眼があつたこと(五九六丁、一〇五五丁、一一一六丁、証人杉江三郎当審供述)、従つて執刀医及び指導医として術中最も関心を払うべきことは、動脈管を剥離する場合や鉗子ではさむ場合に大出血や神経損傷を惹起しないよう細心の注意をすることであつたが、さらに患者が幼児である関係上なるべく短時間に手術を終了すべく留意しなければならなかつたこと(六二四丁)、本件手術は同病院手術部第一手術室で行なわれ(五九四丁)、午前八時三五分麻酔開始、同九時二〇分手術開始、同九時五八分ころ動脈管遮断、同一〇時五〇分手術終了という時間的経過をたどつたこと(七五三丁、七五四丁)、被告人澤口は、安田耕一郎外一名の麻酔医が間接介助の看護婦沼田久枝及び被告人畔見の介助を受けて患者の全身麻酔に着手した前後ころ手術室に入室し(七〇三丁、七〇四丁、一一一六丁、一一一七丁)、患者の静脈に点滴をするための準備として、そけい部の静脈を切開し、点滴用のチユーブを挿入する処置を施したうえ手洗(手術のため両手を消毒し消毒した予防衣を着てゴム手袋をはめる行為をいう。)に赴いたこと(一一一七丁)、被告人澤口が手洗をしている間に沼田看護婦及び被告人畔見は、指導医兼第一助手村上忠司の確認を受けながら患者の左側胸部が上になるよう体位を取り、患者の右足関節直上部に対極板側ケーブル(当庁昭和四九年押第七五号の5)の対極板(既述のように子供用に改造されたもの。)を装着したこと(五九八丁、六〇〇丁、七〇一丁、七〇二丁、被告人畔見当審供述)、なおこれに先立つてすでに患者の両手両足計四か所に心電計の対極板が取り付けられていたこと(五九九丁、七五五丁)、右対極板装着の段階では電気手術器の本体はいまだ手術台から遠ざけてあり、患者の身体に装着された対極板側ケーブルのプラグ側のコードは本体に接続されず手術台から下に垂れ下つていたこと(九四七丁、一一一八丁)、被告人澤口は、約一〇分程かけて手洗を終え手術室にもどり、同じく手洗をすませた助手と共に切開すべき局所を中心に患者の身体を広範囲に消毒したが、手術にとつて汚染が禁忌であるため消毒には細心の注意が払われること(一〇六〇丁、一一一八丁、証人杉江三郎当審供述)、同被告人は、右消毒を終えた後引き続き患者の身体中術野の部位だけを残してその余の部分に滅菌された被布を何枚も掛け、露出部分が移動しないようその被布を皮膚に縫いつけたこと(一一一八丁、被告人澤口当審供述)、ついで術者側の四名すなわち執刀医の被告人澤口、村上指導医及び助手二人は、手術台をはさんで二人づつ相対して立ち、所定の位置についたが、その位置関係は、手術台の頭部側寄りに台をはさんで被告人澤口と村上指導医が相対し、被告人澤口の左側に助手の橋本正人医師が、村上指導医の右側に助手の前田喜晴医師が立つたこと(五九五丁、一一二一丁、一一三一丁)、被告人澤口は、右の位置についた後直接介助看護婦坂下カホルから電気手術器のメス先を入れる鞘を渡され、それを患者の身体に掛けてある被布に鉗子で取り付けたが(一一二二丁)、そのころ間接介助看護婦の手によつて電気手術器の本体が手術台に近づけられ、その位置は前田助手のほぼ右側で手術台から五〇ないし六〇センチメートル位離れていたこと(一一二三丁、一一三一丁)、本体の向きは各ケーブルの接続口のある側が手術台の方に向けられて置かれたこと(一一三五丁、一一三六丁)、しかし同被告人の位置からでは手術台の陰にかくれて右接続口の部分が視認できない状態にあつたこと(一一一丁、一三三丁)、同じころ間接介助看護婦の手によつて電気手術器の足踏スイツチが術者の傍に近づけられたこと(被告人畔見当審供述)、本体が手術台に近づけられた後被告人澤口は、器具台の上に置いてあるメス側コードを坂下看護婦から受取るかもしくは自分で取るかして手にし、そのメス先を被布に取り付けた前記鞘に入れ、プラグ側を手術台の反対側にいる被告人畔見の方に渡したこと(四二五丁、一一二三丁)、被告人畔見は、手術台の被布の下から垂れ下つている対極板側ケーブルと被告人澤口から渡されたメス側ケーブルの各プラグを本体の各端子の接続口に挿入して接続したが(七〇六丁)、その際既述のとおり誤接続をしたこと(証人兼鑑定人吉本千禎各供述記載、同人作成の前掲鑑定書)(もつとも対極板側ケーブルの接続とメス側ケーブルの接続の前後関係は不明であるが、対極板側ケーブルのコードの長さ((2.285メートル))((一〇九丁))から考えて同ケーブルが先に接続されたとしても、その時期は少なくとも本体が手術台に近づけられた後であると認められる。)、被告人澤口は、メス側ケーブルのプラグ側を被告人畔見の方に渡した後、麻酔医に「よろしいですか。」と声をかけて患者の容態が手術を開始してもよい状態にあるか否かを確め、「結構です。」との答を得るや、村上指導医に対し、「お願いします。」と声をかけ、手術を開始したこと(四二五丁、六〇四丁、一一二六丁)、執刀を開始した被告人澤口は、直接介助の坂下看護婦から円刃刀と称するメスを受け取り、左側胸部を筋膜の手前まで切開し、村上医師ら助手が出血箇所をガーゼで拭い止血鉗子ではさみ、さらに同被告人が、鞘から電気手術器のメス先を取り上げ、足踏スイツチを踏んで電気手術器を作動させ、メス先を右止血鉗子に当て出血箇所を凝固させようとしたが、通常の場合に比して凝固作用が弱く時間がかかつて利きが弱いと感じられたので、本体のダイヤル操作を担当していた被告人畔見に「弱い。」と言いながら、引き続き足踏スイツチを踏んだままメス先を出血箇所をはさんだ止血鉗子に次々に接触させ一応止血を終えたこと(一一二七丁、一一二八丁)、他方被告人畔見は、電気手術器の利きが弱いと言われたので本体の凝固のダイヤルの目盛を上げたが、なお利きの弱さは改まらなかつたこと(四二六丁、四二七丁、六六七丁、六六八丁)、その後被告人澤口は、筋肉層の剥離・切開につづいて肋間筋膜及び肋間筋の切開を行ない、その際の止血のためにも電気手術器のメス先を使用したところ、利きが強すぎる状態になつていたこと(四二七丁、一一二九丁)、ついで同被告人は、肋膜を切開して開胸し、大動脈や肺動脈を他の組織から遊離した後、動脈管切断時に起こりべき大出血に備えて動脈管の分岐している付近の大動脈にテープをかけ、出血時にはそのテープで大動脈の血行を止められるような処置を施したうえ、鉗子で動脈管の血行を止めおいて動脈管を切断したが、切断に際してこれといつた出血はなく、手術は成功したこと(一一三〇丁、一一三三丁、一一三四丁)、その後剥離した大動脈及び肺動脈を縫合するなどの処置をとり、手術を終えたこと(一一三四丁)、以上の事実を認めることができる。
(5) 手術直前における執刀医の本来的任務。
以上によれば、被告人澤口が被告人畔見の方にメス側ケーブルのプラグ側を渡し、被告人畔見が各ケーブルのプラグを本体に接続したのは被告人澤口がメスを取つて手術に着手する以前のことであり、しかも右作業は同被告人の眼前で行なわれたのであるから、同被告人にとつて、右接続の正否を点検することは時間的にも場所的にも困難がなく、手術遂行上にも格別の支障を及ぼす行為ではなかつたようにも思われる。確かに上記のとおり電気手術器の本体は被告人澤口の眼前にあつたのであるから、たとえ、同被告人の位置からは接続口の部分を視認できず、さりとて同被告人が自ら接続の正否を目で見て確認するため位置を移動して本体に接近することは手術実施上最も注意すべき汚染防止の見地から避けるべきものであつたにしても、間接介助看護婦ないし本体の傍に位置している助手に指示してケーブル接続の正否を確認させることも可能であつて格別の手間を要するとも思われないうえに、右ケーブル接続のなされた時点は、いまだ執刀に着手する前であり、しかも患者の消毒、被布かけはすんでいたのであるから、ケーブルの接続の正否確認のため右処置をとる程度の余裕はあつたように考えられないではない。
しかしながら、ケーブルの接続の点検の処置をとることが外見上一見容易に見えることにとらわれて、本件のような危険性の高い重大な手術を誤りなく遂行すべき執刀医の立場に対する洞察を欠くことも許されない。この点について、原審第五回公判調書中証人村上忠司の供述記載、被告人澤口の原審公判廷における供述、被告人澤口の検察官に対する昭和四七年一二月一日付供述調書、証人杉江三郎、同小松作蔵の当審公判廷における各供述によると、およそ執刀医としては、手術中は、操作の一つ一つが成功するしないに関係するため、術野に全神経が集中され、間接介助の看護婦の仕事を気にすることもなく、手術室への人の出入りも気付かないことが多く(六三一丁、六三二丁、一〇六一丁、一〇七一丁)(現に本件手術中重要な部分が終つた時点で村上指導医が手術室を出ているのに執刀中の被告人澤口はそれに気付いていない((六一三丁、一〇六二丁))。)、手術の内容によつても違うが、特にポイントとなるような操作が終るまではかなりの緊張を持続するものであり(六三二丁)、執刀医の補助をする助手についてさえも、術中は絶えず術野を注視していることを義務づけよそ見をしないように注意される程である(証人杉江三郎当審供述)ことが認められる。してみれば、とりわけ本件のように大出血や神経損傷を伴う可能性のある危険性の高い重大な手術に携わる執刀医は、手術開始後は術野に注意を集中して執刀に専念することが望まれ、術野以外の分野に注意を分散することは手術の成功を阻害する原因ともなりかねないからできるかぎりこれを避けるべき立場にあるものといわなければならず、実際上その余裕もないものと認められる。
次に執刀開始直前の執刀医の立場について、被告人澤口は、本件の患者は二歳の幼児であり、動脈管が開存していたため肺や心臓に負担を与え、心臓などが弱つていた患者であるから、全身麻酔をかけた後は心臓などに急変を生ずるおそれがあり、患者の容態に気を配つていなければならないので、看護婦のケーブルの接続まで見ている精神的余裕がないと思う旨(同被告人の検察官に対する昭和四七年一二月一日付供述調書)(一一二四丁、一一二六丁)、実際手術してみると術前の診断名と異なる疾患の場合もありうるので、手術前にもそういうことを念頭において対応方法などを検討する旨(同被告人の当審公判廷における供述)、看護婦のケーブル接続の正否を確めることは手術という非常に特殊な条件下なので普通の状態ではそういうゆとりはない旨(同右)を供述する。前掲証人村上忠司の供述記載(六二五丁)、証人小松作蔵の当審公判廷における供述によれば、手術時の患者の容態の把握は一応麻酔医に任されているが、病状によつては麻酔医の報告を待たず執刀医の側から麻酔医に対し容態について質問をして確める場合もあり、執刀医としても患者の容態については関心を払つていなければならない立場にあることが窺われる。そして本件手術当時の患者の容態については、前掲証人村上忠司の供述記載(六〇三丁、六〇四丁参照)によれば、本件手術開始の時点では非常に切迫したというような状態ではなかつたと思うが、そういう事態(すなわち患者の脈はく、血圧など容態が急激に変わつて執刀者がそれに神経を集中していなければならない状態)が起こりうることは常に考えていたというのであつて、本件手術直前の患者の容態が執刀医として関心を払わなくてもよい程度の状態ではなかつたことが窺われる。しかも、本件手術は前叙のとおり大動脈から肺動脈につながる動脈管を切離する重大な手術であり、一つ間違えば大量出血を起こして大事故になるおそれがあり、神経損傷を伴うことも多く危惧すべき合併症がいろいろあつて特に大出血という点に関しては最も危険性の高い手術に属したのである。また、執刀直前の執刀医の心理に関連して、証人小松作蔵は、当審公判廷において、「やはり一番気を配るのは、その手術自体、患者の病気、あるいはその自分がこれから行なう手術というものにやはりほとんど精神が集中されることが多いと思います。」と供述するが、右は専門医家の経験に基づく証言として措信しうるところである。さらに、証人兼鑑定人吉本千禎は、原審公判廷において、手術直前執刀医がケーブルの接続の確認をすることは、他に注意すべき事項が非常に沢山あるはずで、そこまで確認する余裕はないと思われ、困難と思う旨を供述しているが、右供述は前記三の(二)の(3)に掲げた証人杉江三郎の供述と相まつて、手術開始直前の点検に関連して執刀医の立場を窺わせるものということができる。
叙上の本件手術の性質、患者の容態及び執刀直前の執刀医の役割、心理状態等に照らして考えると、本件のような危険性の高い重大な手術の執刀医としては、手術遂行に万全を期する以上、執刀直前の時点において、患者の容態を最終的に確め、手術を誤りなく遂行するための手順・方法を確認し、術中に起こりうべき容態の急変、大出血、合併症等の突発事態に対処すべき方策を検討すると共に、執刀を目前にして精神の安定と注意の集中をはかる必要があり、その時点での有形的な作業の有無にかかわらず、手術自体以外の分野に注意を向ける精神的余裕は乏しかつたものと認められ、かかる立場にある執刀医に対しては執刀中に準じて手術そのものに精神を集中しうることを可能ならしめる態勢をとることが望まれ、執刀医が注意を他に分散して精神の集中を妨げられる結果を来すことは手術遂行に及ぼす影響も懸念されるところで手術目的の達成上好ましからぬことといわなければならない。
(6) 介助看護婦の能力と作業の性質。
ところで、本件手術に際しケーブルの接続を担当した被告人畔見は、昭和四〇年から同病院手術部に勤務していた正規の看護婦で、電気手術器を使用する手術に対する介助の経験をも積んでいたものであり、被告人澤口も、被告人畔見について詳しくは知らないものの同人がベテランの看護婦であることは承知していたこと(被告人両名の当審公判廷における各供述)、電気手術器のケーブルの接続は、既述のとおり診療の補助行為ではあるけれども、極めて単純容易な作業に属し、その方法について医師の指示を要するようなものではなく、およそ資格のある看護婦が担当してたやすく誤りを犯すとは容易に考えがたい種類の行為であること、それまで看護婦のしたケーブルの接続が誤つていたため不慮の事故を起こした例は皆無であつたことが明らかである。このように経験を積んだ正規の看護婦が共同作業における自己の分担として、方法につき何ら医師の指示を要しない極めて単純容易で定型的な作業を行なつていたという点は、看護婦の当該作業に対する医師の信頼の当否を判断するうえに斟酌さるべき一事情たることを否定できない。
(7) 危険の予兆の有無。
もとより患者の安全を害しては手術の目的達成もありえないところであり、経験を積んだ正規の看護婦が単純容易な作業をする場合であるから絶対に過誤が起りえないともいえない。従つてケーブルの接続に関して過誤もしくは危険の発生の可能性を示す何らかの予兆が認められた場合には、手術前はもとより手術中でも執刀医は直ちに関係箇所を点検して危険防止の措置をとるべきである。しかしながら、関係証拠を精査し、当審における事実取調の結果を参酌しても、本件手術に際し右の予兆があつたことを認めるに足りる資料はない。所論は、従来対極板の装着が不完全であつたため患者に軽度の火傷を生じた事例があることをもつて事故発生の予兆であるというけれども、被告人澤口が当時かかる事例の存在を認識していたことを認めるに足りる証拠はないのみならず、それまで他に右事例があつたからといつて、これを目して本件手術時におけるケーブル接続の過誤ないし危険発生の予兆とするに足りないことは明らかである。もつとも前叙のとおり本件手術開始後電気手術器のメスの利きが弱く、被告人畔見が本体のダイヤルの目盛を上げたのにしばらくの間その状態が改まらなかつた現象のあつたことが認められる。しかしながら、原審第六回公判調書中証人橋本正人の供述記載、証人鮫島夏樹、同阿部弘及び被告人澤口の原審公判廷における各供述、同被告人の検察官に対する昭和四七年一二月一日付供述調書、証人杉江三郎の当審公判廷における供述によると、本件事故当時まで同病院備え付けの電気手術器を使用した際、本体内部の接触の具合等によるためか、ケーブルの接続に誤りがないのに利きが弱くなり本体を振動させたり、各部を点検したりしているうちに正常に復することがまれではなく、右事実は被告人澤口を含め電気手術器を使用する関係者の知るところであり、本件手術時にみられた利きの弱さも従前に経験された域を出ないものであつたことが認められるから、右の現象をとらえてケーブルの接続の過誤ないし危険発生の予兆があつたものとみるのは相当でない(加えるに、当審において取調べた鑑定人吉本千禎作成の昭和五〇年七月三一日付鑑定書によると、メス側ケーブルと対極板側ケーブルを本体に誤接続して電気手術器を作動させた場合、対極板装着部位に温度上昇を来すが、その温度が水の沸点に到達することを不可逆的熱傷発生の極限とすれば、その温度への到達に要する作動時間は二分ないし五分であり、しかも水の沸点以下の温度でも不可逆的熱傷を生ずる可能性を否定するものではない((その場合の不可逆的熱傷発生までの所要作動時間はさらに短かくなる。))ことが認められる。従つて、本件手術中に電気手術器の利きの弱さが感じられた以上、ケーブル誤接続ないし危険発生の予兆があつたものとして執刀医たる被告人澤口にケーブル接続の正否の点検をすべき注意義務があつたものと解しても、その点検をするまでに熱傷が惹起されている可能性を否定できないから、右点検義務の懈怠は結果の発生に対して因果関係を有しないこととなる可能性も否定しえないのである。従つて右の点をとらえて過失犯の成立を認めることも困難である。)。
(8) 執刀医の負担と事故防止方策。
およそ、共同作業においてその誤りが重大な危険をはらむ行為に対しては、安全保持の見地に立つて論ずる限り、二重もしくは三重の過誤防止方法が講ぜられることが望ましいことはいうまでもない。医師、看護婦が共同して行なう外科手術において、看護婦の行なう電気手術器のケーブルの接続の正否が患者の安全にかかわりがある以上、過誤防止のためには単に接続を担当する看護婦自身の注意に依存するだけではなく、これを補う他の適当な方策が講ぜられて然るべきである。しかし、その方策としては、執刀医による点検が唯一の措置ではなく、執刀医に比すれば相対的に精神的時間的余裕があつたかと思われる指導医もしくは助手による点検も考えられ、またケーブル及び本体の接続口の色テープによる区別も誤接続防止にかなり有効であつたと思われ、さかのぼつて事故防止のための器械・器具の総点検及び整備が十分にされる必要のあつたことも明らかである。そして、右のうち器械自体にかかる事故防止の手段は本来手術部の講ずべきものであつたのであり、このように誤接続防止のため他にとりうべき方策がありうるのにその措置がとられない状態で、執刀医にのみその負担を代替させることは、少くとも執刀中もしくは執刀直前の段階についていう限り、本件のように重大な手術遂行に重い負担を負う執刀医の立場に照らし合理的であるとはいえない。
四被告人澤口の負うべき刑法上の過失責任の有無。
右三の(一)、(二)の諸事情を総合すれば、本件の場合、チームワークによる手術の執刀医として危険性の高い重大な手術を誤りなく遂すべき任務を負わされた被告人澤口が、その執刀直前の時点において、極めて単純容易な補助的作業に属する電気手術器のケーブルの接続に関し、経験を積んだベテランの看護婦である被告人畔見の作業を信頼したのは当時の具体的状況に徴し無理からぬものであつたことを否定できない。なお被告人澤口を含め当時の外科手術の執刀医一般について電気手術器のケーブルの誤接続に起因する傷害事故の発生を予見しうる可能性が必ずしも高度のものでなかつたことはさきに述べたとおりである。所論は、医師は人の信頼を受けて人の生命・健康を管理することを業とする者であるからその業務の性質に照らし人に危害が及ぶことを防止するがために最善の措置を尽すべき高度の義務を課せられていると主張する。確かに医師がその業務にかんがみ診療に伴う危険を防止するため高度の注意義務を負うことは抽象的には所論のとおりであるが、その義務が無制限に課せられてよいものではなく合理的な限界があるべきことも当然である。医師の行為が刑法上の制裁に値する義務違反にあたるか否かは、当該専門医として通常用いるべき注意義務の違反があるか否かに帰着すべく、結局当該行為をめぐる具体的事情に照らして判定される外ない。執刀医である被告人澤口にとつて、前叙のとおりケーブルの誤接続のありうることについて具体的認識を欠いたことなどのため、右誤接続に起因する傷害事故発生の予見可能性が必ずしも高度のものではなく、手術開始直前に、ベテランの看護婦である被告人畔見を信頼し接続の正否を点検しなかつたことが当時の具体的状況のもとで無理からぬものであつたことにかんがみれば、被告人澤口がケーブルの誤接続による傷害事故発生を予見してこれを回避すべくケーブル接続の点検をする措置をとらなかつたことをとらえ、執刀医として通常用いるべき注意義務の違反があつたものということはできない。
本件当時、北大医学部付属病院もしくは札幌医大中央手術部における実情として、電気手術器のケーブルの誤接続による傷害事故の発生をおもんばかつて執刀医ないし助手の医師が一々ケーブルの接続の正否を点検する取扱いがされてはいなかつたことは既述のとおりであり、本件手術に際し指導医として立会つた証人村上忠司も、原審公判廷で、本件事故当時までの自らの手術の経験でケーブルの接続の正否を点検したことはなく、本件手術に際しかりに自分が執刀したとしても右点検は恐らくしなかつたと思う旨を供述している。証人杉江三郎の、外科医が麻酔の状態、機器の整備などにまで精力を分散することはチームワークの機能が発揮できないことになる旨の供述もさきに摘示したとおりである。これらによれば、本件事故当時の実情として、被告人澤口と同様の立場に置かれた執刀医がケーブル接続の点検について一般に同被告人と同じ態度に出たであろうことは窺うに難くないところである。この点にかんがみても、同被告人の態度をとらえ、執刀医として通常用いるべき注意義務の違反と目することは相当でないといわざるをえない(所論は、原判決が、同被告人の過失を否定するについて、同被告人が北大医学部付属病院におけるケーブル接続についての慣行に従つた事実を考慮した点をとらえて、悪しき慣行は被告人を免責するものではない旨主張する。およそ慣行に従つたことがそれ自体で注意義務違反から免れさせるものでないことは所論指摘のとおりであるけれども、上述のとおりケーブル接続の点検に関する実情を把握することは、点検義務が執刀医として通常用うべき注意義務に属するか否かの判定に資するものというべきであるから、この意味において慣行を顧慮した原判決の判断は結局相当である。)。
以上の次第で、同被告人が前記の具体的状況のもとにおいて、ケーブルの誤接続による傷害事故の発生を予見したうえその接続の点検による結果回避の措置をとらなかつたことは、いまだ業務上過失傷害罪における過失にはあたらないものというべきである。従つて、同被告人につき刑事上の過失責任を否定した原判決は結論において十分に首肯しうるところである(ケーブルの誤接続のありうることに対する同被告人の認識の可能性について原判決における上記の事実誤認は判決に影響を及ぼさない。)。結局原判決には被告人澤口に関しても判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認ないし法令の適用の誤りを見出だすことはできない。論旨はいずれも理由がない。
よつて、刑事訴訟法三九六条により本件各控訴を棄却し、当審における訴訟費用は同法一八一条一項本文により鑑定人吉本千禎及び証人吉本千禎にそれぞれ支給した分の各二分の一を被告人畔見麗子に負担させることとし、主文のとおり判決をする。
(粕谷俊治 高橋正之 近藤崇晴)