札幌高等裁判所 昭和49年(ネ)299号 判決 1978年5月24日
控訴人
国
右代表者法務大臣
瀬戸山三男
右指定代理人
渡辺剛男
外三名
被控訴人
佐藤享如
右訴訟代理人弁護士
山中善夫
外五名
主文
原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。
被控訴人の請求(当審での新らたな請求を含む)を棄却する。
訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
第一 当事者双方の求めた裁判
一、控訴人
「(一) 原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。
(二) 被控訴人の請求を棄却する。
(三) 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」
との判決を求めた。
二、被控訴人
「(一) 本件控訴を棄却する。
(二) 訴訟費用は、第一、二審とも控訴人の負担とする。」
との判決を求めた。
第二 当事者双方の主張
当事者双方の主張は、別紙記載<省略>のとおりであるほか、原判決の事実摘示と同一(原判決書二枚目表末行から同一三枚目表一行目まで)であるから、これを、ここに引用する。
第三 証拠関係<省略>
理由
第一国会議員の立法行為又は立法不作為による国家賠償請求の可否について
一被控訴人は、先ず、控訴人が原審口頭弁論において立法行為に国家賠償法(以下「国賠法」と略称する)の適用があることを争わない旨明言したにもかからず、控訴審において、突如として前言を翻えし、国会議員の立法行為については国賠法の適用がない旨主張するのは、攻撃防禦の方法を時期に遅れて提出したものであつて、信義に反し、且つ徒らに争点を複雑、多岐にして、審理を混乱させ、訴訟の完結を遅延せしめるものであるから、右主張は民訴法一三九条により却下されるべきものである旨主張する。よつて案ずるに、
控訴人は、原審において国会議員の立法行為に国賠法の適用があるとする被控訴人の主張については敢えて争わなかつたこと、しかし当審に至つて被控訴人の右主張を争い、国会議員の立法行為に国賠法の適用がない旨の主張をするに至つたことは本件訴訟の経過に照らし明らかであつて、控訴人の右主張の提出の遅延については、控訴人に責られるべき点がないとはいえないが、そもそも国会議員の立法行為又は立法不作為について国賠法の適用があるか否かは国賠法の解釈にかかわる、裁判所のいわゆる職権調査事項であつて、その点についての当事者の主張の有無にかかわらず、裁判所はその職権上当然にこれを審理、判断しなければならないものであるから、国会議員の立法行為について国賠法の適用がない旨の控訴人の主張は、民訴法一三九条の制限に服さないものと解すべきである(最高裁判所昭和四二年(行ツ)第一一号、同年九月一四日第一小法廷判決、民集二一巻七号一八〇七頁参照)。よつて、被控訴人の右主張は失当である。
二そこで国会議員の立法行為又は立法不作為について国賠法の適用があるか否かについて判断する。
(イ) 国会は、国権の最高機関として日本国憲法(以下「憲法」と略称する。なお、以下、単に「……条」というときは憲法のそれをいう。)上国の唯一の立法機関であるが(四一条)、その構成員である国会議員は、法律案を発案し、議決することによつて法律の制定という国の公権力行使の最たるものに直接たづさわるものであることはいうまでもない。
(ロ) 国賠法は、憲法一七条に基づいて制定された法律であるから、国賠法にいう「公務員」は、憲法一七条にいう公務員と同義に解すべきであるが、憲法上公務員という文言は、国会議員を含む意味で用いられているのであつて、憲法一五条、九九条の場合はそのことが文理上明白であり、憲法一七条の場合も、これを別異に解さなければならない理由はない(七三条四号にいう「官吏」と比較対照のこと)。それゆえ国賠法にいう「公務員」には国会議員も含まれるものと解される。
(ハ) 国賠法一条一項にいう「その職務を行うについて」とは、公務員が公権力を積極的に行使するについてという意味だけではなく、公務員が一定の公権力を行使すべき義務があるのにこれを行使しないことについてという意味をも有するものと解するのが相当であるから、国会議員が憲法上一定の立法をなすべき義務があるに拘らず当該立法をしないときは、当該立法不作為については、国会議員の「その職務を行うについて」に当たる。
(ニ) 国賠法一条によつて国又は公共団体に対して損害賠償責任を追求するには、公務員に「故意又は過失」のあることが要件とされる。公務員が「故意又は過失」が一定の意思を前提とするものであることはいうまでもないが、国会の立法行為又は立法不作為の主体が公務員の集合体である機関の場合は、なに人のいかなる意思を以つて右にいう公務員の意思と見るべきかが問題になる。若し、右機関構成員各自の個別的、主観的意思を問題にすべきものとすれば、国会のようにその構成員が多く、而も一定期間を置いてその入れ替わりも少くはない機関にあつては、「公務員」の「故意又は過失」の有無を判断することは、理論上は可能であるとしても、実際上は至難といわざるを得ない。さればと言つて公務員の集合体としての機関とこれを構成する各個の公務員とは同一ではないのであるから、機関意思即公務員の意思と即断することもできない。思うに、国会のような公務員の集合体である立法機関における立法のための意思形成は、その構成員の個々の意見、判断の単なる寄せ集めによるものではなく、構成員各自の意見、判断の開陳、相互批判ないし討論、反省等の過程を経て行われ、最終的には多数決原理によつて機関としての意思決定を見るものであるから、かかる機関の意思は、その構成員各自の意思から、その個別性、主観性を捨象したものとみることができる。それゆえ、国会のような公務員の集合体である立法機関に立法行為については、当該立法機関の機関意思を、当該立法機関を構成する個々の公務員に、各自の意思として投影せしめたものを以つて国賠法一条にいう公務員の意思とみることが可能であり、従つて国会の立法行為又は立法不作為における公務員としての国会議員の「故意又は過失」も、各個の国会議員の個別的、主観的な意思を前提とする必要はなく、結論的には国会の意思即各国会議員の意思と前提して、これを判断すれば足りるものと解することができる。
(ホ) 国会議員が違憲の法律を制定したとすれば、違法行為をしたことになるが、裁判所は、憲法上、法律適合性を判断しうる(八一条)のであるから、国家賠償請求事件の審判においてもこれをなしうることはいうまでもない。問題は、裁判所が国家賠償請求事件の審判において、国会議員による或る一定の立法不作為について、その憲法適合性を判断することができるか否かである。若しこれが否定されるならば、国会議員による立法不作為については、国賠法を適用し得ない法的障碍が存することになる。しかしながら国会議員による或る一定の立法不作為についても違憲問題が生ずることがあり、且つ裁判所がその憲法適合性判断をなしうる場合があり得ることは、後に詳しく説示するとおりであるから(後記第三の四、五参照)、国会議員による立法不作為については、常に、国賠法を適用し得ない法的障碍があるということはできない。
(ヘ) 控訴人は、憲法五一条によれば、両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問われないものとされているから、仮に国会議員が憲法に違反する法律案に賛成し違憲の法律を制定したとしても、民事上の責任を問われることがなく、これにより他人の権利を侵害し損害を生ぜしめたとしても、右表決に加わつた議員が賠償責任を負うことはないから、代位責任者としての国も国賠法による損害賠償責任を負う理由はない旨主張する。よつて案ずるに、国会議員が違憲の法律案に賛成し、違憲の法律を制定したとしても、憲法五一条により、院外で民事上の責任を問われることがないことはいうまでもない。これは、公務員としての国会議員が違法に公権力を行使したにかかわらず個人として民事上の責任を負わない場合であることを意味する。しかしながら、違法に公権力を行使した公務員(国会議員に限らない)が、個人として賠償責任を負わないとしても、それは、国又は公共団体が国賠法一条一項によつて賠償責任を負うことの妨げになるものではない。蓋し、憲法一七条に基づく国賠法一条一項の規定は、公務員の不法行為による損害につき、国又は公共団体の賠償責任を認め、被害者の救済を実効的たらしめることを目的としたものであることに鑑みれば、違法に公権力を行使した公務員の故意又は過失が、国又は公共団体において賠償責任を負うための要件とされているとは言え、国又は公共団体の右賠償責任は、当該公務員個人の賠償責任を当該公務員に代つて負担するものというよりは、寧ろ国又は公共団体の自己の責任というべきものであつて、違法な公権力を公使した当該公務員個人の賠償責任とは別個独立に存しうるものと解するを相当とするからである。現に、公権力の行使に当たる公務員がその職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたため国又は公共団体が賠償責任を負う場合であつても、当該公務員個人としては賠償責任を負うものでないことが判例上も確立しているのである(最高裁判所昭和二八年(オ)第六二五号、同三〇年四月一九日第三小法廷判決、民集九巻五号五三四頁、最高裁判所昭和三九年(オ)第一三九四号、同四〇年四月一日第一小法廷判決、裁判集民事七八号四八五頁、最高裁判所昭和四〇年(オ)第四〇一号、同年九月二八日第三小法廷判決、裁判集民事八〇五号五五三頁参照)。そもそも憲法五一条が国会議員の院内で行つた演説、討論又は表決について院外における責任免除の特権を認めたのは、国会における国会議員の言論の自由を最大限に保障し、もつて国会議員がその職務を行うにあたつてその発言について少しでも制約されることがないようにすることを目的としたものであつて、同条の中に、国会議員が院内で行つた演説、討論又は表決は本来違法なものであつても、適法とみなされるとか或いは国会議員が違憲の立法を行つたこと或いは憲法上の義務に違背して立法を行わないことによつて他人に損害を加えたとしても、国は賠償責任を負わないというような趣旨が含まれているものとは到底解することができない。現行の国家賠償制度において、憲法五一条の有する意味は、国会議員は、議院において演説、討論又は表決をなすにあたり故意又は重大な過失によつて違法に他人に損害を加えたとしても、国から国賠法一条二項によつて求償を受けることのないことが憲法上保障されているというだけである。これを要するに、憲法五一条の規定を根拠として、国会議員の立法行為又は立法不作為によつて国が国賠法による賠償責任を負うことはないとする控訴人の前記主張は失当であつて採用できない。
(ト) 違憲、違法な立法行為又は立法不作為によつて人が損害を被ることのありうることはいうまでもない。
(チ) 叙上検討したところによれば、国会議員による立法行為又は立法不作為についても、国賠法一条一項の適用はあるものと解するのが相当である。
第二在宅投票廃止立法による不法
行為について
一控訴人が、明治四五年一月二日生まれの日本国民たる男子であつて、大正一三年以来小樽市に居住し、大正一四年五月法律第四七号の衆議院議員選挙法改正法律五条に基づき昭和一一年一月二日選挙権を取得し、その後の同法改正法、昭和二二年四月法律第六七号の地方自治法一八条及びその後の同法改正法、昭和二二年二月法律第一一号の参議院議員選挙法三条、昭和二五年法律第一〇号の公職選挙法(同年四月一五日公布、同年五月一日施行、以下、単に「法」と略称することがある。)九条によつても、衆議院議員、参議院議員、その属する地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権を有してきたことは、当事者間に争いない。
二公職選挙法は、原則的な投票の方法として、選挙人は、選挙の当日、自ら投票所に行き、投票所において、投票用紙に自ら当該選挙の公職の候補者一人の氏名を記載して、これを投票箱に入れて投票しなければならないものと定め(法四四条一項、四六条一項)、いわゆる投票所投票自書主義を採用しているが、昭和二七年法律第三〇七号公職選挙法の一部を改正する法律(同年八月一六日公布、同年九月一日施行、以下これを「本件公職選挙法一部改正法」と略称する。)による改正前の公職選挙法四九条は、投票所投票自書主義の例外として選挙人であつて同条所定の事由により選挙の当日自ら投票所に行つて投票することができない旨を証明するものの投票については、政令で特別の規定を設けることができる旨を定めていわゆる不在者投票制度の制定を政令に委任し、これを受けて昭和二七年政令第三四七号公職選挙法施行令の一部を改正する政令(同年八月一六日公布、同年九月一日施行、以下これを「本件公職選挙法施行令改正令」と略称する。)による改正前の公職選挙法施行令(昭和二五年政令第八九号同年四月一五日公布、同年五月一日施行、以下単に「令」と略称することがある。)は、不在者投票の一環として、本件公職選挙法改正法による改正の公職選挙法四九条三号前段所定の、選挙人が、疾病、負傷、妊娠、若しくは不具のため又は産褥にあるために歩行が著しく困難であるべきことを事由とする不在者投票につき、かかる選挙人は、郵便をもつて若しくは同居の親族によつて、当該選挙人名簿の属する市町村の選挙管理委員会の委員長に対して、投票用紙及び投票用封筒の交付を請求し、その現在する場所において投票の記載をなし、若し身体の故障に因つて自ら候補者の氏名を記載することができないときは他人に投票の記載をさせ、これを右選挙管理委員会の委員長に対し、選挙の期日の前日までに到達するように郵便をもつて送付し、又は同日までに同居の親族によつて提出させることができるという制度即ち一種のいわゆる在宅投票制度を採つていたものであるが(本件公職選挙法施行令一部改正令による改正前の令五〇条四項、五八条)、国会は昭和二六年一二月一〇日から開催された第一三回国会において、同年四月に行われた統一地方選挙において、右の在宅投票制度が悪用されて多数の選挙違反がなされたことを理由に、本件公職選挙法一部改正法による改正前の公職選挙法四九条を、選挙人であつて同条所定の事由により選挙の当日自ら投票所に行き投票することができない旨を証明するものの投票については、政令の定めるところにより、不在者投票管理者の管理する投票を記載する場所においてのみ投票させることができると改めることを含む本件公職選挙法一部改正法を可決成立させ、その結果、前記在宅投票制度が廃止されたこと(以下において「本件公職選挙法一部改正法による在宅投票制度の廃止」というときは、上述の如き関係をいうものとする。)、而して本件公職選挙法施行令改正令によつて、これによる改正前の令五〇条四項、五八条は当然に削除され、その結果、選挙人で疾病、負傷、妊娠、不具若しくは産褥にあるため歩行が著しく困難であつて、選挙の当日投票所に行つて投票することができない者のうち、都道府県の選挙管理委員会が指定する病院に入院中の者だけが右改正令によつて改正された令五五条、五九条によつて、不在者投票管理者としての当該病院の院長が管理する投票の記載をする場所において投票することができることになつたことは、公職選挙法及び同法施行令の改正経過及び弁論の全趣旨によつて明らかである。
右のとおりとすると、疾病、負傷、妊娠、不具若しくは産褥にあるため歩行が不能又は著しく困難であつて、選挙の当日その意に反して投票所に行き投票することができない者であつて且つ不在者投票管理者の管理する投票を記載する場所において投票することができない者(以下かかる者を「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」と略称する。)本件公職選挙法一部改正法の施行に因り、衆議院議員、参議院議員の各選挙(以下「国会議員選挙」ということがある。)その属する地方公共団体の議員及び長の各選挙(以下「地方選挙」ということがある。また、以下、単に「選挙」というときは国会議員選挙と地方選挙の双方をいうものとする)において、選挙権の行使、即ち投票をすることが事実上不可能になり、実質上選挙権を奪われたに等しいものとなつたものというべきであるから、かかる者に対する関係で本件公職選挙法一部改正法によつて在宅投票制度を廃止したことが憲法に違反し違法なものか否かが問題となり得る。
三しかしながら、<証拠>を総合すれば、被控訴人は、昭和六年六月ごろ、自宅の屋根の雪降し作業をしていた際、屋根から転落し腰部を打撲したため、同年六月ころから足が重く感じ運動が緩慢になるなどの症状が出はじめ、翌昭和七年九月北大病院で脊髄前角炎、圧迫性脊髄炎症と診断され、直ちに同病院に入院し、同年一〇月手術を受けたけれども、予後の経過は思わしくなく、手術後はかえつて膝の関節が麻痺して一人で歩行することが困難になり、同年一二月退院した後も快方に向わず、自宅で寝ていることが多くなつたこと、それでも、昭和一〇年ごろ、被控訴人の兄が車椅子を製作してくれたので、被控訴人は、他人の介添があれば車椅子を使つて外出することができるようになり、昭和一一年に選挙権を取得して以後初めての選挙では、介添えを頼んで車椅子を押してもらい投票所のある潮見台小学校へ赴いて投票したこと、その後被控訴人は、小康を得て昭和一六年に結婚し、古物商の免許を得て貸本屋を開業し自活の生活を始めたが、昭和二〇年八月の終戦を迎えるまで投票したことはなかつたこと、戦後初めて行われた選挙の際には、男女同権ということで被控訴人の妻にも選挙権が与えられたので、妻と一緒に車椅子を使つて投票所のある奥沢小学校へ赴いて投票したこと、その後二四年に行われた衆議院議員選挙、昭和二五年に行われた参議院議員選挙の際にも、被控訴人は在宅投票制度を利用せず、車椅子を使つて投票所へ赴いて投票したが、昭和二六年四月に行われた統一地方選挙の際には投票したかどうか不明であること、その間被控訴人は、昭和二五年四月一日から施行された身体障害者福祉法(昭和二四年一二月法律第二八三号)の下で、昭和二五年一二月一八日北海道知事から、両下肢運動不全麻痺、両膝関節五〇度屈曲位硬直の障害により第二種身体障害者手帳の交付を受けたが、昭和二八年に行われた参議院議員の選挙の際には、車椅子を使つて投票所へ赴き投票したことが認められ、右認定に反する証拠はない。
右認定の事実によると、被控訴人は、在宅投票制度を廃止することにした本件公職選挙法一部改正法が施行された昭和二七年九月一日当時においては、両下肢運動不全麻痺等の身体障害により歩行が困難であつて、選挙の当日投票所に行つて投票することが困難であつたということはできるが、しかし介添えを得て車椅子を使用すれば投票所へ赴き投票することができ、現に昭和二八年の参議院議員の選挙の際には投票所へ行つて投票しているのであるから、本件公職選挙法一部改正法による在宅投票制度の廃止は、それが「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」に対する関係で違憲、違法なものか否かを問うまでもなく、被控訴人に対する関係で違憲、違法なものでなかつたことは明らかであり、従つてこれと反対の前提に立つ被控訴人の本訴請求は、爾余の判断をまつまでもなく失当である。
第三在宅投票制度を設ける立法をしないことによる不法行為について
一被控訴人は、本訴において、昭和四三年七月七日以降昭和四七年一二月一〇日までの間に実施されたその主張の合計八回の選挙の際に選挙権を行使することができなかつたことによつて精神的苦痛を被つたとして慰藉料請求をしているのであるが、国会が昭和二七年八月に、本件公職選挙法一部改正法によつて前記在宅投票制度を廃止して以降少くとも昭和四七年一二月一〇日までの間に「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」も投票ができるようにするための在宅投票制度(以下単に「在宅投票制度」というときは、専らかかるものとしての在宅投票制度をいうものとする。)を設ける立法をしなかつたこと(以下、これを「本件立法不作為」という。)は、公職選挙法の改正経過に照らして明らかである。
二ところで被控訴人の身体障害者ないし病歴及び被控訴人が昭和二八年に行われた参議院議員の選挙の際に、車椅子を使つて投票所に赴き投票したことは前述のとおりであるが、<証拠>によれば、被控訴人は、昭和三〇年頃からは、それまで徐々に進行していた下半身の硬直が悪化して歩行が著しく困難になつたのみならず、車椅子に乗ることも著しく困難になり、担架か何かを使用して運んでもらえば投票所へ行くことは全く不可能ではないが、長年寝たきりで外気にあたつていないため、少し風にあたるだけで風邪をひき、直射太陽光線にあたるだけでも顔面に湿疹ができ、顔の皮膚が傷んでしまい、投票所に行くことは命がけのこととなつたため、選挙に際し、投票したいと思つても、選挙の当日、投票所へ行つて投票することができなくなり、「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」に該当するに至つたこと、それでその主張の八回の選挙でも投票することができなかつたこと、なお被控訴人は、昭和四八年六月一八日北海道知事から両下肢運動麻痺及び知覚鈍麻両股関節両膝関節及び両足関節硬直の障害により第一種身体障害者手帳の交付を受けたことがそれぞれ認められる。右認定に反する証拠はない。
因みに、昭和四九年法律第七二号公職選挙法の一部を改正する法律(同年六月三日公布、同年政令第三九三号により昭和五〇年一月二〇日施行)による公職選挙法の改正により、重度身体障害者(これは「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」よりも範囲が狭い。)のために郵便による投票を認める一種の在宅投票制度が設けられたが、当審における被控訴人本人の供述によれば、被控訴人は、右法律による公職選挙法の改正により、重度身体障害者として郵便による投票ができることになり、その後に行われた選挙では、これによる投票をしていることが認められる。
三叙上認定の事実によれば、被控訴人が昭和三〇年以降「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」として選挙の当日投票所に行つて投票することができず、その主張の各選挙でもその意思に反して投票することができなかつたのは、原則的な投票の方法として前記のような投票所投票自書主義を採る公職選挙法のもとにおいて、国会が前判示のとおり前記在宅投票制度を廃止し、その後在宅投票制度を設ける立法をしなかつたことに因るものであることは明らかであるが、右二前段で判示の事実関係によれば、本件立法不作為のうち昭和二九年までのものは、既は判示のように、前記在宅投票制度の廃止が被控訴人に対する関係でなんら違憲、違法でないと同様に、被控訴人に対する関係ではなんら違憲、違法なものでないというべきであるから、本件立法不作為のうち、被控訴人に対する関係で、その違憲、違法が問題になる(その憲法適合性判断をなしうるか否かが問題になることをも含む)のは、昭和三〇年以降のもののみである。
四そこで先ず、憲法における選挙権の行使の保障と国会が投票の方法を立法するについての憲法上の制約について考察する。
(一) 憲法は、その前文一項において、主権が国民に存することを宣言し、国政は、民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使するものであることを明らかにしているのであるが、この基本原理を受けて、憲法は、国権の最高機関である国会は、全国民を代表する選挙された議員で組織する衆議院及び参議員で構成するものとし(四一条、四二条、四三条一項)、公務員を選定することは、国民固有の権利であるとして、公務員の選挙については成年者による普通選挙を保障している(一五条一、三項)。また、地方公共団体の長、その議会の議員は、その地方公共団体の住民が直接これを選挙するものとしている(九三条二項)。
右のように、憲法が保障する選挙権(以下単に「選挙権」という。)は、憲法の最も基本的な原理である国民主権に基礎を置くものであつて、憲法上国民の有する権利のうち最も基本的な権利である。それは国民主権の憲法のもとにおいては、背骨的な政治原理ともいうべき、いわゆる国民による政治(Government by the people)を保障するものである。即ちそれは、国民が主権者として国政に、又は地方住民として地方自治に参加する機会を保障するものであつて、その意味において議会制民主主義の根幹をなすものであり、又は地方自治の基礎をなすものである。選挙権の保障をなくしては、主権在民は空文に帰してしまうし、議会制民主主義も地方自治も砂上の楼閣と化してしまうことは火を見るよりも明らかである。
而して投票は、選挙権の行使にほかならないから、選挙権の保障の中には、当然に投票の機会の保障を含むものというべきであり、投票の機会の保障なくして選挙権の保障などはあり得ない。投票の機会の保障されない選挙権の保障があるとすれば、それは正に、被控訴人のいうとおり、絵に画いた餅というべきであろう。選挙権を有する国民は、直接にか間接にかは別として、その手が投票箱に届くことが憲法上保障されているものといわなければらない。固より、選挙は正当、公正に行われなければならないことは当然であつて、これは憲法の要請するところでもある(憲法前文一項冒頭参照)。また、選挙人が自由に候補者を選べるようにするため投票の秘密が保障されなければならず、これ亦憲法の保障するところである(一五条四項)。しかしながら選挙が正当、公正に行われるべきことの要請とか選挙の自由のための投票の秘密の保障とかは、投票の機会が与えられることを前提とするものであつて、憲法における選挙権ないしその行使としての投票の機会の保障は、憲法における選挙が正当、公正に行われるべきことの要請ないしは選挙の自由のための投票の秘密の保障とは謂わば次元を異にした保障であつて、原則として後者よりも優越した保障であり、従つて、後者の名においてそれが軽々に犯されるようなことがあつてはならない。
(二) 憲法が公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障している(一五条三項)ことは前述のとおりであるが、他方、憲法は、すべての国民は、個として尊重される(一三条前段)としたうえ、国民は、法の下に平等であつて人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されないとし(一四条一項)、特に両議員の議員及びその選挙人の資格については、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならないとしている(四四条但し書)。これによれば、憲法上、選挙権は、成年に達した国民のすべてに平等に保障されているものと解される。而して選挙権の保障に投票の機会の保障が含まれることは(一)で説示のとおりであるから、憲法上、選挙権行使としての投票の機会は、成年に達した国民のすべてに平等に保障されているものといわなければならない。投票の機会の点で「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」が差別されなければならないいわれは全くない。右について敷衍すれば、次のとおりである。
平等は自由と並んで、近代国家における基本的且つ窮極的な価値ないし理念として、特に政治の分野において強く追求されてきたのであるが、歴史的に見ると、当初においては、国民が政治的価値において平等視されることがなく、基本的な政治的権利というべき選挙権についても、種々の制限や差別が存しており、それが多年にわたる民主政治の発展の過程において次第に撤廃され、今日における平等化の実現をみるに至つたのである。国民の選挙権に関する我が憲法の規定もまた、このような歴史的発展の成果のあらわれにほかならない。而して右の歴史的発展を通じて一貫して追求されてきたものは、右に述べたように、凡そ選挙という国民参加の最も基本的な場面においては、国民は原則として完全に同等視されるべく、各自の身体的、精神的又は社会的条件に基づく属性の相違はすべて捨象されるべきであるとする理念であつたが、選挙権についてこのような平等原理の主張を徹底していけば、選挙権の平等は、単に選挙人骨格に対する制限の撤廃ないしそれによる選挙権の拡大の要求に止まらず、選挙権の内容の等価値化の要求ないし選挙権行使の議会の平等な確保の要求に至らざるを得ないものであり、これが選挙権についての平等原理展開の歴史的すう勢の赴くところと認めざるを得ない。
他方、主権在民の基本原理に立ち、各個の国民が個人として尊重されることを理念としつつ議会制民主主義制度を採る憲法のもとにおいては、一定の年令に達した国民のすべてに対して平等に選挙権ないしその行使を保障することは、次に述べるとおり、右制度の論理必然の帰結でもある。
議会制民主主義は、全国民の意思を代表する議会が三権分立主義を基礎とする国家統治機構の中で、他の機関の行為の準則を定める立法権を行使する政治体制を指称するが、機会は、多数決の原理によつて運営され、右原理に基いて決定された議会の意思が政治的には国民多数の意思であるとされ、法的には国家意思とされる。国民多数の意思としての議会の意思は、その時々の歴史的、社会的状況に応じて一定の選択を採る。しかし一つの選択への固執は許されない。一つの選択への固執は各固の国民が個人として尊重されるべきことと矛盾する。多数の名においてある一つの選択への固執がなされたとき、仮令それがいかなる目的、いかなる動機のもとになされるにせよ、民主主義は終焉する。民主主義が生きていると言い得るためには、異なつた選択への可能性が常に留保されていなければなない。今日の少数意見は明日の多数意見となる可能性を秘めるものであり、異つた選択の可能性を保障するものである。民主主義のもとで少数意見が尊重されなければならない根本理由はここに在る。少数意見の尊重されない民主主義は真の民主主義ではない。而して少数意見を尊重しながら多数決原理で運営される議会制民主主義を保持するためには、国会の構成員たる議員が選挙権を有するすべての国民から等しく選挙されたものであることが絶対不可欠の条件である。このことは、その名に値する民主主義ないし議会制民主主義を保持するためには、いくら強調しても強調しすぎにはならない。この条件を充たすには、或いは手間のかかるまどろこしい、或るいは費用のかかる選挙制度が要求されることになるかも知れない。しかし、我々は少数意見を尊重する民主主義ないし議会制民主主義を守護しようとするならば、そのまどろこしさや費用のかかることをおそれて、それからの逃避を考えてはならない。
叙上のような選挙権の平等の原則の歴史的発展の経過ないしすう勢と憲法の採る議会制民主主義制度の論理的帰結の示すところによれば、憲法一四条一項の定める法の下の平等は、選挙に関して言えば、国民は各自の身体的、肉体的、社会的条件に基づく属性の相違に拘らずすべて平等に選挙権が与えられ、且つ右相違に応じた取扱により平等にその行使の機会が与えられるべきであることを意味するものといわなければならず、憲法四四条但し書も国会両議院の議員の選挙に限つてではあるが、少くとも右と同趣旨を含んでいるものと解することができる。
控訴人は、憲法一四条一項は、すべて国民は法の下に平等であつて差別されないと規定しているのであるから、それは国民に対する法の適用における形式的な平等を意味するにすぎないものである旨主張する。しかしながら、そもそも法の下の平等の原則が、近代国家において神の罰における人間の平等の如き宗教的原理や個人の価値を高く評価する近代人倫思想を母胎として歴史的に生成発展してきた普遍的な原理であることを考慮するならば、これを採り入れた憲法一四条一項の定める法の下の平等の原則は、形式的な平等ではなく、実質的な平等を意味し、従つて国民各自における身体的、肉体的、社会的条件に基づく相違に対しては、当該相違に応じた合理的差別扱を許容するものであるのみならず、進んで当該相違に応じた合理的差別扱を命ずる原理でもあると解するのが相当であり、従つてそれは単に法の適用においてのみならず、法の定立の場においても働らくべき原理であると解するのが相当である。よつて控訴人の前記主張は、当裁判所の採らないところである。
(三) 憲法は、投票の方法につき、地方選挙については、特に定めるところはないが、国会議員の選挙については議員の定数、選挙区等と共に選挙する事項の一つとして、法律でこれを定めるものとしている(四七条)。投票の方法を定めることは、事柄の性質上、必然的に投票の機会の保障と密接に関係する。それはまた必然的に、それによつて選挙が正当、公正に行われうるか否か、或いは投票の秘密は保障される得るか否かにも関係する。国会が選挙に関する事項の一つとして投票の方法をどのように定めるか、若しくは、或る一定の投票方法を採用するか否かについては広汎な裁量権を有するものであることは、憲法解釈上明らかであるが、しかしながら、それについては既に述べたように、憲法が一方において成年に達した国民すべてに選挙権ないしその行使を平等に保障していること、他方において憲法が当該投票の方法は選挙が正当、公正に行われるようなものであることを要請し且つ選挙人が候補者を自由に選べるようにするため投票の秘密を保障していることの双方に由来するところの制約を免れないものである。而して前者の憲法上の保障は、後者の憲法上の要請ないし保障よりも原則として優越するものであること前述のとおりであるから、若し前者の憲法上の保障に由来する制約と後者の憲法上の要請ないし保障に由来する制約とが衝突するときは、原則として前者の憲法上の保障による制約を優先させるべきであつて、選挙が、正当、公正に行われ、選挙人による候補者の自由選択のための投票の秘密が犯されないようにするために(これを抽象化すれば、公共の福祉のために、ということになる)、合理的と認められる己むを得ない事由(以下、単に「合理的と認められる己むを得ない事由」というときは、専ら右のような見地よりするそれをいうものとする)のない限りは、選挙権ないしその行使の平等な保障は立法上貫徹されなければならず、国会はそのように立法すべきことを憲法によつて義務付けられているものというべきである。なお、叙上のとおりとすると、選挙権の平等な行使は、憲法によつて保障されているとはいつても、選挙の公正、自由のため合理的と認められるを已むを得ない事由のあるときは、制約を免れないことになるから、それは憲法における選挙権そのものの保障とは、趣を異にするものであることは、これを認めざるを得ない。
以上のとおりであるから、国会の制定する投票の方法についての法律は、合理的と認められる已むを得ない事由のない限りは、すべての選挙人に対して投票の機会を確保するようなものでなければならず、若し投票の方法についての法律が、選挙権を有する国民の一部の者につき、合理的と認められる已むを得ない事由がないに拘らず投票の機会を確保し得ないようなものであるときは、国会は投票の方法についての法律を改正して当該選挙権を改正して当該選挙権を有する国民が投票の機会を確保されるようにすべき憲法上の立法義務を負うものといわなければならない。
五ところで、前段説示のとおりとしても、現に行われている投票の方法についての法律が選挙権を有する国民の一部の者につき、投票の機会を確保し得ないようなものであるに拘らず、国会が当該選挙権を有する国民に投票の機会を確保させるような立法をしないでいることの憲法適合性について、裁判所が、国会議員の右立法不作為を違憲、違法なりとする国家賠償請求事件において、これを判断することができるか否かが問題となる。
この点に関し、控訴人は、国会は、全国民を直接代表する議員によつて構成された国権の最高機関であり、且つ唯一の立法機関であつて、立法するか否か、立法するとしてその範囲、内容、方法等をいかにするかを決定するにつき広範な裁量権を有するものであるから、その政策的、技術的考慮に基づく裁量は裁判所によつても最大限に尊重されるべきであり、従つて、裁判所が本件におけるように国会の特定の立法不作為までも違憲、違法としてこれに基づく損害賠償請求を認容すが如きことは、正に国会固有の立法についての裁量にまで立入つてその権限を犯すことになるものであり、憲法のいわゆる三権分立の原則に反するものであつて許されない旨主張する。よつて案ずるに、
憲法は、国民主権の原理のもとに、国民の信託にかかる国権の三権のうち、立法権を国会に(四一条)、行政権を内閣に(六五条)、司法権を裁判所に(七六条一項)にそれぞれ独立に分属せしめ、互に他を抑制し、均衡を保つように仕組んでいわゆる三権分立制を採つているのであるから立法は国会の権限に属するこというまでもなく、一般的に言つて国会が或る立法をするか否か、また立法をするとして何時如何なる内容の立法をするかは、その裁量によるものであり、国会は広範な政治的、社会的情勢をふまえて、政治的、政策的或いは技術的な見地からこれを決するものである。而して投票の方法についての立法について言えば、前述のとおり憲法は、地方選挙については、特に定めておらず、国会の両議院の選挙については議員の定数、選挙区等と共に法律でこれを定めるべきものとしている(四七条)のであるが、投票の方法をどのように決めるか、或る一定の投票方法を採用するかどうかは、原則としては、一般の場合と同様、国会の裁量に委ねている。従つて、国会が或る一定の投票方法を定めた立法をしたこと若しくはそれをしないことによつて、選挙権を有する国民の選挙権行使に、何程かの不都合が生じるとしても、国民が裁判所に対して、国の法的責任を追求して救済を求めることは、通常の場合できるものではないし、また裁判所としても憲法の採る前述の三権分立の原則上、立法府が或る一定の立法をするか否かの裁量的判断にみだりに介入すべきものでないことはいうまでもない。のみならず、裁判所は、憲法七九条二項による最高裁判所裁判官に対する国民審査の制度は別として、国民に対して直接には責任を負うことのない国家機関であり、而も広範な政治的、社会的情勢をふまえたうえ、如何なる立法をなすべきかなすべからざるかを判断して立法活動をしている立法府の立法判断の当否を常に的確に判断することができるような組織、機構をもたないから、立法府の右のような立法活動に対して司法審査をすることは、一般的に言つて、適当でもないのである。
しかしながら、憲法上、国政は、国民の厳粛な信託に基づき、国民の代表者が行うものであり(前文一項)、国民の基本的人権は、公共の福祉に反しない限り立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とするものであり(一三条)、国会議員は憲法尊重擁護の義務を負つている(九九条)のであつて、これに憲法が国の最高法規である(九八条)ことを合せ考えると、国会の立法ないし国会議員の国会に対する法律の発案権、議決権は、全くの無制的な自由裁量に委ねられたものと解することはできず、あくまで憲法を頂点とする現行法秩序の許容する範囲内においてのみ自由裁量たりうるものといわなければならない。憲法八一条が裁判所にいわゆる違憲立法審査権を与えているのも、右のような理解を前提とするものであることはいうまでもない。従つて、国会が或る一定の立法をなすべきことが憲法上明文をもつて規定されているか若しくはそれが憲法解釈上明白な場合には、国会は憲法によつて義務付けられた立法をしなければならないものというべきであり、若し国会が憲法によつて義務付けられた立法をしないときは、その不作為は違憲であり、違法であるといわなければならない。
しかし、国会が憲法によつて義務付けられた立法を唯単にしないというだけでは、裁判所は国会の当該立法不作為の合憲性判断をすべきではない。蓋し、国会が憲法によつて義務付けられた立法を単にしないというだけで裁判所が国会の当該立法不作為の合憲性判断をするのは、なお憲法の採る三権分立の原則に反するものと考えられるし、仮りに然らずとしても、それは国権の最高機関にして国の唯一の立法機関である国会に対する礼儀に悖るものというべきだからである。国会が憲法によつて義務付けられた立法をしない場合、それによつて損害を被る者は、国会に右立法をなすべく請願することができ(一六条)、かかる請願を受けたのを契機として、国会が憲法によつて義務付けられた立法をすることを期待することができなくはないから、かかる請願もなされていないような段階で、右損害を被る者に、裁判所が救済の手を貸すのは時期尚早ということもできる。
問題は、国会が憲法によつて義務付けられた立法をするのを故意に放置する場合であるが、国会が憲法によつて義務付けられた立法をしないことにしたとき若しくは憲法によつて義務付けられた立法を少くとも当分の間はしないことにし且つその後合理的と認められる相当の期間内に当該立法をしなかつたときは、国会は憲法によつて義務付けられた立法を故意に放置するに至つたものということができる。当該立法をしないことが憲法に違反するものであることを国会議員が認識していたことは必要ではない。国会が憲法によつて義務付けられた立法を少くとも当分の間はしないことにした場合について言えば、それは、衆、参両議院でそれぞれそのように決定されなければならないことはいうまでもないが、しかし当該立法のための法律案が否決されるという形をとることは必ずしも必要ではなく、また、それが衆、参両議院の会議即ちいわゆる本会議(以下、「本会議」という。)で決定されるということも必ずしも必要ではない。蓋し国会法五六条三項本文、八〇条二項本文によれば、各議院の委員会がその付託された案件につき、当該議院の本会議に付するを要しないと決定したときは、当該案件を本会議に付さないこととされているが、これによれば、各議院の委員会がその付託された案件についてなした、当該案件を本会議に付さない旨の決定や本会議に付するのを留保する旨の決定は、国会法上、当該各議院の意思決定と解することができるからである。従つて例えば、衆、参両議院に対して一定の立法をなすべきことを求める請願がなされ(憲法一六条、国会法七九条)、右請願にかかる立法をなすことが憲法によつて義務付けられている場合に、各議院の然るべき委員会が右請願について審査をし(国会法八〇条一項)、本会議に付するのを留保すると決定したとすれば、これにより当該議院がそれぞれ右請願にかかる立法を少くとも当分の間はしないことに決定したことになり、衆、参両議院がそれぞれ右のように決定したことになる以上、結局、国会が右のように決定したことになるといわざるを得ないから、その後合理的と認められる相当の期間内に国会が当該立法をしないときは、国会は憲法によつて義務付けられた立法をすることを故意に放置するに至るものをいうことができる。
ところで、国会が憲法によつて義務付けられた立法をしないで故意に放置するときは、その不作為が違憲、違法であることはいうまでもないが、この場合の立法不作為は、それによつて立法府が既に特定の消極的な立法判断を表明しているものということができるから、裁判所が、国家賠償請求事件の審判に当たり、当該立法不作為につき、それが憲法に適合するか否かを判断したとしても、それは、立法府の特定の消極的な立法判断に対して爾後的な審査をしたという性格をもつものであつて、裁判所が立法府に対して当該不作為にかかる立法をすべきことを指示するものではないから、裁判所が憲法八一条によつて既に制定された法律の憲法適合性を判断することと本質的に径庭のあるものではない。また、右のような場合裁判所が具体的事件において、国会の立法不作為の憲法適合性について判断し、何が正しい憲法秩序であるかを判示すると共に、かかる立法不作為によつて損害を被つた者に対する国の賠償責任の有無の審判をしてやることは、憲法一七条の趣旨によく適うものと考えられる。更にまた裁判所が右のような特殊な場合の立法不作為につき、その憲法適合性を判断することは、司法府としてその職能に親しむものであつて、その任に堪えることができるものである。以上のとおりとすると、裁判所は、国会によつて故意に放置された立法不作為については、恰も憲法八一条によつて既に制定された法律の憲法適合性を判断しうると同様に、その憲法適合性を判断しうるものと解するのが相当であり、このように解したとしても、なんら憲法の採る三権分立の原則に違反するものではないというべきである。
ところで成年者たる国民に選挙権を保障した憲法の前示諸規定は、単なる宣言的綱領規定でもなければ単に立法指針を示しただけの規定でもない。憲法の保障した選挙権は、これを有する各個の国民の具体的な権利であり、国法上の最も基本的な権利であることは明白である。而して憲法による選挙権の保障にはその行使の保障即ち投票の機会の保障が含まれるものであること、国会が投票の方法を定める法律を制定するに当つては、合理的と認められる已むを得ない事由のない限りは、選挙権を有するすべての国民に対して等しく投票の議会を与えるように立法すべきことが憲法上義務付けられているものと解すべきことは前判示のとおりであり、憲法における選挙権保障の具体性、明白性及びその圧倒的な重要性に鑑みるならば、右のような憲法解釈は明白であるといわなければならない。
叙上説示したとおりとすると、現に行われている投票の方法についての法律が選挙権を有する国民の一部の者につき投票の機会を確保し得ないようなものであるに拘らず、国会がこれを故意に放置し、当該選挙権を有する国民に投票の機会を確保するような立法をしないでいる場合は、裁判所が具体的事件において、右立法不作為の憲法適合性を判断しうる場合に当たるものといわなければならない。
更に、前段の結論の正当性は、次のような理由によつてもこれを裏付けることができる。即ち国会の営む立法過程に積極又は消極の過誤が存する場合、国民は、通常は、選挙によつて国会議員を選び直すことによつて、その過誤の是正として、不適当な法律の改正、廃止又は適当な法律の制定を期待することが可能である。この意味において議会制民主主義は、通常は、謂わば自己復原力ともいうべき機能を備えている。しかしこれは、選挙権を有する国民のすべてが等しく選挙権を行使しうる限りにおいて具有する機能である。若し選挙権を有する国民のうちの一部の者に投票の機会を確保し得ないような選挙制度が採られたままになつているとすれば、当該国民の一部の者は、選挙に訴えてその是正ないしその権利、利益のための立法を期待する道は閉ざされているし、議会制民主主義の政治過程における前記の自己復原力も当然のことながらその作用不完全なものとならざるを得ない。蓋しそのような場合は、選挙によつていくら国会議員を選び直してみても、投票の機会が確保されていない少数者国民の権利、利益を侵す結果を招いている立法過程の過誤の是正を国会に期待することは全く不可能ではないにしても、それは自ら限度があるといわざるを得ないからである。言うまでもなく裁判所は、憲法の保障する基本的人権を擁護することをその重大な使命の一つとしている国家機関であるが、憲法が裁判所に期待しているかかる役割に鑑みるならば、右のような場合に、裁判所が具体的事件において、国会が選挙権を有する国民のうちの一部の者につき、投票の機会が確保されていない選挙制度をそのままにして故意に放置し、当該国民の一部の者が選挙権を行使できるような立法をしないでいることの憲法適合性を審査することは、寧ろ憲法の要請するところと解することができる。若しかかる場合にまで、裁判所が国会の立法不作為についての憲法適合性審査を差し控えるときは、却つて、憲法の基本原理たる民主政の基礎を損う虞れがあるのみならず、憲法が国民に保障した基本的人権としての参政権をも危うくすることにもなるのであつて、憲法秩序を実質的に維持する見地からみて相当でないといわなければならない。
六ところで国会が昭和二七年八月に本件公職選挙法一部改正法によつて在宅投票制度を廃止して以降、昭和四二年に、すぐ後に述べるような請願が衆、参両議院に対してなされたときまでの間に、衆、参両議院に対して「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」のための在宅投票制度復活のための請願がなされた形跡や国会において在宅投票制度復活の可否の問題について質疑や討議がなされた形跡は証拠上全くない。
ところが<証拠>を総合すると、昭和四一年以降、身体障害者の団体を含む約百の団体が中心となつて在宅投票制度の復活を求める署名運動を起こし、新聞、ラジオ、テレビ等を通じて在宅投票制度復活のキヤンペンを行い、昭和四二年に右署名運動に参加した全国多数の身体障害者から衆議院と参議院とに対して、重度身体障害者、自宅療養者、老人、妊産婦、四九床以下の小病院(これは公職選挙法施行令五五条二項二号にいう都道府県選挙管理委員会の指定を受けられない小病院を指すが、右指定基準については選挙法規上規定を欠き、当時は自治省の行政指導により、都道府県選挙管理委員会は五〇床以上を有する病院を、同条同項によつて指定していた。)の入院患者(これは、老人を除けば、「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」とほぼその範囲同じくする。老人について言えば、昭和三八年法律第一三三号老人福祉法附則一二条によつて改正された公職選挙法四九条は、老衰のため歩行が著しく困難であつて、選挙の当日投票所に行つて投票することができない旨を証明する選挙人も、疾病、負傷、妊娠等のために選挙の当日投票所に行つて投票することができない旨を証明する選挙人と同様に、不在者投票管理者の指定する投票を記載する場所で投票をすることができるように改正されたが、老衰のため歩行が著しく困難であつて、選挙の当日、その意に反して、投票所に行つて投票することができない者であつて、且つ不在者投票管理者の管理する投票を記載する場所において投票することができない選挙人は、「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」と全く同様に取扱われるべきものである。)のため、在宅投票をすみやかに復活してもらいたいという趣旨の請願がなされたこと、それで衆議院では第五七国会開会中の昭和四二年一二月二二日に公職選挙法改正に関する特別委員会において同院に対してなされた岡山県の有安茂外一万五七七七名、岐阜県の安藤静雄外五七八〇名、大阪府の藤森幸男外四八〇〇名、岡山県の有安茂外一一万五〇〇〇名よりの計四件の前記趣旨の請願について討論して審査のうえ、右請願を本会議に付するのを留保することに決定したことが認められ、右認定の事実に<証拠>を総合すると、衆議院に対してなされた前記請願についても、右の同じ頃、病院の公職選挙法改正に関する調査特別委員会がこれを審査し、本会議に付するのを留保することに決定したものと推認される(第五七回国会衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員会議録第三号昭和四二年一二月一〇日の部参照)。
前段認定のとおり、衆、参両議院の前記各委員会が、それぞれ前記各請願について審査のうえこれを本会議に付するのを留保することに決定したとすると、五で説示したところにより、衆、参両議院は、それぞれ前記請願にかかる立法を少くとも当分の間はしないことに決定したものというべく、衆、参両議院がそれぞれ右のように決定した以上、結局国会が右のように決定したものといわざるを得ない。
他方、若し国会が前記請願を受けたのを契機として「疾病等のために投票所に行くことができない在宅者」のための在宅投票制度を設ける立法をしようとしたとすれば、昭和二七年八月に前記在宅投票制度を廃止するに至つた後述のような経緯、前記在宅投票制度の廃止を伴つた本件公職選挙法一部改正法の成立に至るまでの後述のような国会審議の経過等に鑑み、在宅投票制度の技術的な問題点は国会に判明していたものと考えられるから、その準備ないし審議等のために必要とする期間としては一年もあれば十分であつたと推認される。
以上のとおりであるから、本件立法不作為のうち、昭和四二年末頃までのものについては、国会が唯単に在宅投票制度を設ける立法をしなかつたというだけであつて、これを、故意に放置したものとは認め得ない。また、その後、衆、参両議院が前判示の請願を受けたのを契機として国会が在宅投票制度を設けるための立法をすることにしたとして、そのために必要とする一年の期間即ち合理的と認められる相当の期間が経過する前である昭和四三年末頃までのものについても、右同様である。しかし、本件立法不作為のうち、少くとも昭和四四年以降のもの即ち国会が昭和四四年以降昭和四七年一二月一〇日までの間において、「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」のための在宅投票制度を設ける立法をしなかつたことについては、国会はこれを故意に放置したものといわざるを得ない。
右のとおりとすると、五で説示したところに従い、国会の本件立法不作為のうち、当裁判所がその憲法適合性を判断しうるのは、昭和四四年以降のもの(以下、これを「昭和四四年以降の本件立法不作為」ということがある)に限られるのであつて、それ以前のものについては、その憲法適合性判断はなし得ないものである。
七右のとおりであるから、国会議員が在宅投票制度を設ける立法をしないことを理由とする被控訴人の本訴請求中、被控訴人が昭和四三年七月七日の衆議院議員選挙において自己の意思に反して投票することができなかつたことを理由とするものは、被控訴人が投票することのできなかつた原因である。本件立法不作為中の昭和四三年以前のものについて、これを違憲、違法とする余地がないので、爾余の判断をなすまでもなく、失当といわなければならない。
八進んで、昭和四四年以降在宅投票制度を設ける立法をしなかつたことが違憲、違法なものであつたか否かについて判断する。
(一) 公職選挙法は、投票の方法についての原則的な方法として、選挙人は、選挙の当日、自ら投票所に行き、投票所において、投票用紙に自ら当該選挙の公職の候補者一人の氏名を記載して、これを投票箱に入れ、投票しなければならないものとするいわゆる投票所投票自書主義を採用していることは前述のとおりであるが、この方法は、選挙の公正と自由を確保しつつ、選挙人に対し平等に投票の機会を与えるための投票方法として、汎く是認されるところの原則的な方法であつて、その一般的な合理性に疑を差しはさむ余地は全くない。
そこで、叙上説示して来たところに従つて昭和四四年以降の本件立法不作為が憲法に違反するものであるか否かを判断する方法として、国会が、原則的な投票の方法として右のような投票自書主義を採用している公職選挙法のもとにおいて、昭和四四年以降昭和四七年一二月一〇日までの間に、例外的な投票の方法としてのいわゆる不在者投票制度の一環としての「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」のための在宅投票制度を立法しないでこれを故意に放置したことについて、合理的と認められる已むを得ない事由があつたか否かを検討する。
1 先ず、「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」であつても、選挙の当日又はその直前に急病、負傷等のため歩行が不能又は著しく困難になつて投票所に行つて投票することができなくなつた者については、かかる者にまで投票の機会を確保してやることは選挙の管理執行上殆んど不可能というべきであるから、かかる者が選挙の機会を与えられなくなつたとしても、それには合理的と認められる已むを得ない事由があること明らかである。問題は、被控訴人のように、「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」であつて、選挙の当日に投票所に行つて投票することができないことが、予め判明している者についてである(以下において「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」というときは、専らかかる者をいうものとする。)。
2 国会が昭和四四年以降昭和四七年一二月一〇日までの間に在宅者投票制度を設ける立法をしなかつたことにつき、合理的と認められ已むを得ない事由があつたか否かは、本件公職選挙法一部改正法によつて前記の在宅投票制度を廃止したことにつき、合理的と認められる已むを得ない事由があつたか否かと密接な関係がある。よつて先ず、本件公職選挙法一部改正法によつて前記在宅投票制度を廃止したことについて合理的と認められる已むを得ない事由があつたか否かから検討してみることにする。
(1) 先ず、我が国におけるいわゆる在宅投票制度の沿革を見てみる。
憲法公布以前における地方公共団体議会議員及び地方公共団体の長の任命、選挙についての規定は多種多様であつたが、昭和二二年四月一六日、昭和二二年法律第六七号として制定され、翌同月一七日公布された地方自治法によつて、普通地方公共団体は、都道府県及び市町村とすることが定められ(同法一条)、普通公共団体の議会の議員及び長は、選挙人が投票によりこれを選挙するものと定められる(同法一七条)と共に、同法三四条において、選挙人で疾病その他政令の定める事由により選挙の当日自ら投票所に行き投票することができない者については、命令で特定の規定を設けることができるとされ、昭和二二年政令第一六号による地方自治法施行令三五条ないし四〇条において、疾病、負傷、妊娠、若しくは不具のため又は産褥にあるため歩行が著しく困難であつて、選挙の当日自ら投票所へ行つて投票することができない選挙人については、選挙の期日の前日までに、自ら当該市町村の選挙管理委員会の委員長に対し、郵便をもつて投票用紙及び投票用封筒の交付を申請し、その交付を受けた後、その現存する場所において投票の記載をなし、選挙の期日までに、その属する市町村の選挙管理委員会の委員長に対し郵便をもつて送付して投票することが認められることになつた。これが我が国におけるいわゆる在宅投票制度の嚆矢である。
衆議院議員選挙法は、明治二二年二月一一日明治二二年法律第三号として、大日本帝国憲法と同日附をもつて制定公布されたのであるが、その後同三三年法律第七三号、大正八年法律第六〇号、同一四年法律第四七号、昭和二〇年法律第四二号、同二二年法律第四三号によつて、改正が加えられ、昭和二三年法律第一九五号による改正法律(同年七月二九日公布、次の総選挙から施行)二七条ノ二において、選挙人にして疾病、負傷、妊娠若しくは不具のため又は産褥にあるため歩行著しく困難であつて、選挙の当日自ら投票所へ行つて投票することができない者については特別の定めができるものとされ、昭和二三年政令第一九〇号による衆議院議員選挙法施行令の一部を改正する政令(同年七月二九日公布、次の総選挙から施行)二六条ないし三〇条において、法三三条の定める事由により選挙の当日自ら投票所へ行つて投票することができない選挙人については、選挙の期日の前日までに自らその属する市町村の選挙管理委員会の委員長に対し、郵便をもつて投票用紙及び投票用封筒の交付を申請してその交付を受けた後、その現存する場所において投票の記載をなし、選挙の期日までにその属する市町村の選挙管理委員会の委員長に対し郵便をもつて送付して投票することが認められることになつた。
参議院は、現行憲法の制定に伴い、大日本帝国憲法三四条の規定に基づいて投けられていた貴族院に代つて設けられたものであつて、その議員は衆議院議員と同様に、国民による選挙によつて選出されるべきことが憲法四三条一項に明記された。そこで、これらの規定に基づいて、参議院議員選挙法は、昭和二二年二月二二日昭和二二年法律第一一号として制定公布されたのであるが、同法二八条には、投票については、別段に規定するものの外、衆議院議員の選挙の投票の例によるものと規定され、昭和二二年二月二二日、勅令第五八号として制定され、同月二四日公布された参議院議員選挙法施行令一〇条には、投票については、別段に規定するものの外、衆議院議員の選挙の投票の例によるものと規定されたため、昭和二三年法律第一九五号による衆議院議員選挙法の一部を改正する法律及び同年政令第一九〇号同法施行令の一部を改正する政令の公布、施行により、参議院議員の選挙についても、衆議院議員の選挙と同様、いわゆる在宅投票制度が認められることになつた。
戦後における選挙制度の改正整備は、右のように、昭和二二年に地方自治法、同施行令、衆議院議員選挙法、同施行令、参議院議員選挙法、同施行令が制定ないし改正されたことによつて一応完成したのであるが、その当時から昭和二五年四月三〇日まで有効であつた選挙関係の法令は、そのほか選挙運動等の臨時特例に関する法律(昭和二三年法律第一九六号)、同施行令(昭和二三年政令一九二号)、衆議院議員選挙人名簿等の臨時特例に関する法律(昭和二一年法律第三〇号)、選挙運動の文書図画等の特例に関する法律(昭和二二年法律第一六号)などの諸法令があつて、複雑多岐に亘り、而も準用規定もすこぶる多く混乱をきわめていたので、国会議員、普通地方公共団体の議会の議員及び長等の選挙に関する法規を単一に統合すべきであるという気運が次第に高まつた結果、昭和二五年四月一五日昭和二五年法律第一〇〇号をもつて、衆議院議員、参議院議員、地方公共団体の議会の議員及び長並びに教育委員会の委員(地方公共団体の議会において選挙する委員を除く。)の選挙に適用される公職選挙法が制定され、同年五月一日から施行されることになつた(但し、昭和三一年法律第一六三号による地方教育行政の組織及び運営に関する法律の施行に伴う関係法律の整理に関する法律七条、附則1によつて昭和三一年六月三〇日から右公職選挙法の規定が教育委員会の委員の選挙に適用されないようになつた。)これとともに、昭和二五年四月一五日公職選挙法の施行及びこれに伴う関係法令の整理等に関する法律が制定され、それが同年五月一日に施行されたことによつて、従来存していた前記衆議院議員選挙法、参議院議員選挙法等の各種の選挙関係法規が廃止され(同法一条)、また、地方自治法第四章選挙中第一節から第九節(一七条ないし七三条)までが削除された(同法三条)。
(2) ところで、<証拠>を総合すると、戦後、昭和二二年四月二五日施行の第一回衆議院議員選挙に次いで昭和二四年一月二三日に実施された第二回衆議院議員の選挙は、いわゆる在宅投票については衆議院議員選挙法によつて認められた前述の在宅投票制度(以下、「旧在宅投票制度」ということがある。)の下に行われた選挙であつたが、右選挙において、選挙争訟として発生した件数は、全国で選挙無効事件が八件、当選無効事件八件の合計一六件で、その内いわゆる不在者投票の不適正を理由とするものは僅かに一件(但し、これが在宅投票に関するものであるかどうか不明)にすぎなかつたこと、昭和二二年四月二〇日施行の第一回参議院議員選挙に次いで、昭和二五年六月四日に実施された第二回参議院議員の選挙は、いわゆる在宅投票については公職選挙法において認められた前述の在宅投票制度(以下、「新在宅投票制度」ということがある。)の下に行われた選挙であつたが、右選挙において、選挙争訟として発生した件数は全国で僅かに一件(但し、その内容不明)であり、右二回の選挙においていわゆる在宅投票制度が悪用されたということが国会や政府においては勿論、世間においても問題とされたことがなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
なお、<証拠>によれば、公職選挙法施行後昭和二六年四月のいわゆる統一地方選挙の施行までの間に教育委員会の選挙が一回実施されたことが認められるが、右選挙においても、いわゆる新在宅投票制度が悪用されたと認められる証拠はない。
(3) しかしながら、いわゆる在宅投票について、公職選挙法による新在宅投票制度の下に行われた昭和二六年四月二三日(市区町村選挙)、同月三〇日(都道府県選挙)実施のいわゆる統一地方選挙において新在宅投票制度が悪用され、その違反による選挙ないし当選無効の事件が続出したことは当事者間に争いがない。
Ⅰ 先ず、右統一選挙における新在宅投票制度の利用状況を見るに、<証拠>によれば、在宅投票によつて投票した選拳人の選挙別の投票数、不在者投票総数に対するその割合、在宅投票における本人記載と代理記載の投票数は、次のとおりであつたことが認められる。
(ⅰ) 知事選挙においては、在宅投票によつて投票した投票数は四七万七四五七票で不在者投票数に対するその割合は五一パーセントであり、その内本人記載が三九万五二六三票、代理記載が八万二一九四票である。
(ⅱ) 都道府県議会議員選挙においては、在宅投票によつて投票した投票数は六五万四〇一票で不在者総数に対するその割合は51.2パーセントであり、その内本人記載が五四万五七五八票、代理記載が一〇万四六四三票である。
(ⅲ) 市区町村長選挙においては、在宅投票によつて投票した投票数は三五万一六三〇票で不在者投票総数に対するその割合は57.1パーントであり、その内本人記載が三五万一六三〇票、代理記載が六万六九四〇票である。
(ⅳ) 市区町村議会議員選挙においては、在宅投票によつて投票した投票数は七二万五八四票で不在者投票総数に対するその割合は55.3パーントであり、その内本人記載が六〇万一七六三票、代理記載が一一万八八二一票である。
Ⅱ 次に、<証拠>によれば、右選挙において幾多の選挙犯罪が発生し、選挙期日後一か月間における検挙件数三万一五二八件、検挙人員六万三一一六名にも及んだが、その主なる罪種別内訳は、買収二万二五八八件(五万七七五人)、戸別訪問二一八四件(二八七九人)、詐欺登録及び不正投票等二〇四五件(二二九三人)、文書図画に関する制限違反一四七九件(一九〇四人)、選挙の自由妨害六〇四件(八八九人)、運動期間の違反四一〇件(六三一人)、飲食物提供禁止違反三九二件(七〇二人)、利害誘導三三六件(七二一人)、投票の秘密侵害七五件(八一人)であることが認められる。
(Ⅲ) <証拠>によれば、右選挙に関して提起された選挙争訟総数は、全国で一一二四件で、そのうち不在者投票手続の違法を争うものが二四一件(23.5パーセント)、代理投票手続の違法を争うものが一〇六件(10.4パーセント)であつたことが認められる。
(Ⅳ) <証拠>によれば、右選挙で生じた選挙争訟における選挙管理委員会の異議決定や裁決に見られる、新在宅投票制度悪用の事例は、次のとおりであつたことが認められる。
(ⅰ) 昭和二六年九月四日の長野県選挙管理委員会裁決は、飯田市議会議員選挙における不在者投票数一二〇四票のうち、在宅投票八六一票、このうち、在宅投票の規定に違反した投票は、三一六票と認定し、いわゆる潜在無効投票の処理につき各選挙人の得票数からかかる無効投票を控除した場合、最高位落選者即ち次点者と同数又はそれ以下となる者は当選を失うとされていた当時の選挙法の解釈に従い(なお、本件公職選挙法一部改正法によつて、新設された公職選挙法二〇九条の二によつて、潜在無効投票があるときは、開票区ごとに各候補者の得票数に応じて按分して得た数をそれぞれ差し引いて、当該選挙における各候補者の有効投票を計算する旨定められた。)、当選者全員の当選を無効としたが、違反内容として、選挙人が現在する場所で記載したと称して、市の嘱託員、選挙運動員と推定される者、或いは同居でない親族、知己等が、選挙人の疾病(白痴その他の精神異常者で、意思能力のない者を含む。)産褥、文盲、盲人、老衰或いは旅行中等の諸理由で、投票ができない事情にあることを知悉して、これを勝手に利用したこと、その方法は、予め市選挙管理委員会から配付された投票所入場券を、当該選挙人若しくはその家族から入手し又は医師、助産婦と共謀し或いはこれらを偽つて、その証明書の発行を得、同居の親族を装つて投票用紙を請求し、一切の交付を受けてから、その者が自由勝手に記載したり、或いは、本人やその家族を訪問、誘導して記載させたり、又は他人に記載させこれを受取り、その者や他人の手によつて、選挙管理委員長に提出するなどしたこと、また、代理記載することができない者であるにかかわらず、これを記載し且つ、その記載に当つてはその大部分が選挙人の現在する場所以外において行なわれ、更に甚だしいのは旅行中の者を疾病者にしたり、一八歳の未成年者を選挙人と偽り、これを疾病者として代理記載をしたことなどを挙げている。
(ⅱ) 同年一〇月三〇日の埼玉県選挙管理委員会裁決は、大里郡花園村長、同村議会議員選挙における不在者投票数四四六票のうち、在宅投票三九六票につき、「その請求及び申立に当つては文書をもつて郵便又は同居の親族によりこれをすることになつているが、文書をもつてこれが行われているのは一名もなく、従つてこの一事をもつてしても右三九六票はその請求の手続に違法があり無効」と認め、当選者全員の当選を無効としたが、なお、右に加え、違法事由として、請求の手続に違法のあるもの一一〇票、送致の手続に違法のあるもの五六票、投票の記載の手続に違法のあるもの二三二票、不在者投票の事由に該当しないと認められるもの九六票、医師等の証明書に瑕疵があると認められるもの一三一票を挙げている。
(ⅲ) 同日ごろの栃木県選挙管理委員会裁決は、静岡町長、同町議会議員選挙における在宅投票の規定に違反する投票は、一八三票と認め、選挙無効とし、違反内容として、投票日の当日に投票所に行つて投票することができない事情のある選挙人につき、同人の投票所入場券を当該選挙人若くはその家族から入手した選挙運動員が医師と共謀したり、或いはその事由を偽つて証明書の発行を受け、甚だしい場合は町選挙管理委員会において便宜印刷して配布した証明書用紙に勝手に病名を記入し、医師は単に捺印したにすぎないものや、すでに証明されたものに勝手に選挙人の氏名や病名等を書き加えたものを町選挙管理委員会に提出し、投票用紙及び不在者投票用封筒の交付を受け、不在者投票を行なつたが、この大部分は各候補者の選挙事務所等において投票の記載が行なわれたことを挙げている。
(ⅳ) 同年一一月一日、香川県選挙管理委員会は、高松市議会議員選挙につき、選挙無効の裁決をなしたが、その理由として、在宅抵票の処理にあたつた選挙管理委員会の担当者が不在者投票事務に慣れない全くの未経験者であつたため、その処理にあたり、(イ)在宅投票に関し不在者投票用封筒及び投票用紙を同居の親族でない者に交付したもの約四三件、(ロ)在宅投票に関し同居の親族でない者より提出された不在者投票封筒を受理したもの約五〇件、(ハ)公職選挙法所定の指定病院でない病院を指定病院と誤認して患者の不在者投票に関し一括交付または受理をしたもの約一一件等の過失をおかして約六五票の無効投票を生ぜめたこと、不在者投票のすりかえ、不在者投票送致手続を怠慢したためこれを焼却したことなどの不正行為があつたことなどを挙げている。
(ⅴ) 昭和二七年二月一三日の広島県選挙管理委員会裁決は、広島市議会議員選挙における有効投票総数一三万八七三八票のうち、在宅投票の規定に違反した投票は、六三二票あると認定し、当選者全員の当選を無効としたが、違法事由として、(イ)選挙人と全然意志の連絡がなく選挙人の知らない間に投票が行なわれたもの四九票、(ロ)選挙人の同居の親族もしくは選挙運動員と認められるものまたはその他の者が、選挙人から一応投票の手続の依頼をうけたのではあるけれども、投票用紙等の請求より投票の提出までの一連の投票行為を選挙人の不知の間に行なつたもの一六八票、(ハ)投票用紙等の請求を、選挙人の同居の親族でない者が行なつたもの二〇票、(ニ)投票用紙等の請求及び投票の提出を、選挙人の同居の親族でないものが行ない、且つ文盲の選挙人が身体の故障はないにもかかわらず他人が投票の記載をしたもの四五票、(ホ)投票用紙等の請求及び投票の提出を選挙人の同居の親族でないものが行なつたもの二〇九票、(ヘ)投票用紙等の請求を選挙人の同居の親族でないものが行ない、且つ文盲の選挙人が身体の故障はないにもかかわらず他人が投票の記載をしたもの七票、(ト)文盲又は盲目の選挙人が身体の故障はないにもかかわらず他人が投票の記載をしたもの八一票、(チ)投票用紙等の請求及び投票の提出を、選挙人の同居の親族でないものが行ない、且つ選挙人の現在しない場所において他人が投票の記載をしたもの八票、(リ)文盲の選挙人が身体の故障はないにもかかわらず他人が投票の記載をし、且つ選挙人の同居の親族でないものが投票の提出をしたもの一票、(ヌ)投票の提出を選挙人の同居の親族でないものが行なつもの一六票、(ル)選挙人の現在しない場所で他人が投票を記載したもの二二票、(オ)同一選挙人の投票が二重に行なわれたもの三票、(ワ)法四九条第三号に掲げる事由に該当しないのに令五八条第一項の規定によつて投票したもの三票などを挙げている。
(ⅵ) その他、横須賀市議会議員選挙、鹿児島県、新潟県、岐阜県、愛知県及び山形県下の各地方選挙、山口県熊毛郡勝間村議会議員選挙においても、同様の事例があつた。
以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
右認定の事実及び<証拠>を総合すると、昭和二六年四月に実施されたいわゆる統一地方選挙においては、新在宅投票制度がひどく悪用され、選挙違反ないし違反による当選或いは選挙無効の争訟も多発したものということができ、それを、積極的に悪用したのは、主として市の嘱託員、選挙運動員、選挙人と同居でない親族、知己、或いはこれらと共謀して証明書を発行した医師、助産婦等であつたが、選挙人であつて「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」の中にも、自らが選挙管理委員会から配布を受けた投票所入場券を選挙運動員等に交付して不正の投票をさせたり、或いは、自宅に訪問して来た運動員等の誘導にたやすく乗つて投票を記載したり、或いはその現在する場所でない候補者の選挙事務所等で他人に投票の記載をさせたりするなどして不在者投票制度を悪用し、或いはその悪用に加担した者も少くなかつたものと認めることができる。
(4) そこで、昭和二六年四月に実施された統一地方選挙において、新在宅投票制度が右のように悪用され或いは不正が多く続発した原因が奈辺にあつたかどうかについて検討してみる。
Ⅰ 先ず、本件公職選挙法一部改正法による改正前の公職選挙法のもとにおける在宅投票制度即ち新在宅投票制度の制度的な欠陥によるものがあつたか否かについて見る。
(ⅰ) 本件公職選挙法施行令一部改正令による改正前の公職選挙法施行令五八条によれば、在宅投票をなしうる者に該当する事由を証明して投票用紙及び投票用封筒の交付を受けた選挙人は、その現在する場所において、自ら又は他人をして投票用紙に被選挙人の氏名を記載し、これを特別投票者証明書と共に投票用紙封筒に入れ封緘し、投票用封筒の表面にその氏名、投票記載の年月日、場所、他人をして記載させた場合においては記載人がその旨及びその住所、氏名をそれぞれ記載し、更にこれを封筒に入れ封緘し、その表面に投票在中の旨を明記しその裏面に氏名を記載し選挙の期日までに選挙管理委員会の委員長に対して郵便をもつて送付すべきものと規定されている。なお、前掲昭和二三年政令第一九〇号衆議院議員選挙法施行令の一部を改正する政令三〇条四、五項にも、選挙人の現在する場所における不在者投票の方法について、右公職選挙法施行令五八条と同趣旨の規定が設けられていた。従つて選挙人で「疾病等のため投票所へ行くことができない在宅者」は、その現在する場所、特に自宅において、自ら投票用紙に候補者を記載し、若し身体の故障に因つて自ら候補者の氏名を記載することができないとき(文盲に因つて自ら候補者の氏名を記載することができないときを含まない。)は、他人に投票を記載させることができたのであるが、選挙の公正を期すための投票管理者の管理の下で投票が行われないため、買収、利害誘導等の不正が介入する余地があり、また選挙人が自由に投票するように憲法一五条四項によつて保障された投票の秘密が犯されることにもなり兼ねないものであつた。また、投票が「疾病等のため投票所へ行くことができない在宅者」の真意によるものであるかどうかの確認については、右のように投票を記載した投票用紙を入れた投票用封筒の表面にその者の氏名等を記載し、それを他の封筒に入れて封をし、その裏面に署名することとされてはいたが、投票管理者の管理、立会の下での記載でないため、その確認は困難であつたし、また前記の投票代理記載については、果してそれが選挙人の身体の故障に因つてなされたものかどうかを確認することも困難であつた。前記統一地方選挙において不在者投票について前述のような不正が多発したことについては在宅投票における右のような投票の秘密確保の困難性、選挙人の意思による投票であることの確認の困難性、投票の代理記載につきこれをなしうる場合に当たることの確認の困難性が原因の一つであることは事の性質上容易に推認しうるところであるが、右のような各種の困難性は、いずれも選挙人の現在する場所、殊に自宅においてなされる在宅投票制度そのものに謂わば内在する欠陥ともいうべきものであつて、窮極的には、選挙人の自覚による以外には、これを克服し得ないものといわざるを得ない。なお、右の制度的欠陥は新、旧いずれの在宅投票制度たるを問わないものであることは前判示したところによつて明らかである。
(ⅱ) 本件公職選挙法施行令一部改正令による改正前の公職選挙法施行令五〇条、五二条によれば、疾病、負傷、妊娠若しくは不具のため又は産褥にあるため歩行が困難であるべき選挙人がその現在する場所で投票を記載するため選挙管理委員会の委員長に対して投票用紙及び不在者投票用封筒の交付を申請する場合には、疾病、負傷、妊娠若くは不具のため又は産褥にあるため歩行することが困難であることの事由について、医師、歯科医師又は産婆の証明書を提出することを要するものと規定されていたが、医師、歯科医師又は助産婦が虚偽の証明書を発行した場合につき選挙法規上罰則がなかつた(刑法一六〇条参照)。なお前掲衆議院議員選挙法施行令の一部を改正する政令二七条にも、投票用紙及び投票用封筒の交付を申請する場合には、在宅投票をなしうる者に該当する事由に関して、医師、歯科医師又は助産婦の証明書を提出することを要するものと規定されていたが、医師、歯科医師又は助産婦が虚偽の証明書を発行した場合については選挙法規上罰則がなかつた点も右同様であつた。ところで、前示(3)のⅣに認定した事実並びに<証拠>によれば、前記統一地方選挙においては、選挙人或は選挙人の親族等が、選挙人が疾病、妊娠又は産褥にある等の事由によつて投票所に行つて投票できない者でないにもかかわらず、医師、助産婦に対し、その旨偽つて在宅投票をなしうる者に該当する事由の証明書の交付を申請してその証明書を受けたり、また、在宅投票をなしうる者に該当する事由についての証明書の交付の申請を受けた医師、助産婦が証明書の交付申請を求めに来た者の言を鵜呑みにし、必要な調査もせずに証明書を発行するということがあつたのみならず、医師、助産婦が選挙人、その親族、選挙員と共謀して虚偽の証明書を発行したりしたことが、本来在宅投票をなし得ない者による投票用紙等の入手、本人若しくは他人によるその悪用という不正を多発させた原因の一つであつたことが認められる。而してこの点については、前判示のとおり在宅投票をなしうる者に該当する事由についての証明書を発行する医師、助産婦等が虚偽記載の証明書を発行した場合につき選挙法規上罰則がなかつたことが医師、助産婦等による証明書の安易な発行やその虚偽の記載を招いた一つの原因であつたと推認され、従つて右の場合につき選挙法規上罰則のなかつたという制度的な欠陥が前示のような不正を多発させた一つの原因であつたと認めざるを得ない。なお、右の制度的欠陥は、新、旧いずれの在宅投票制度にも共通のものであることは前判示したところによつて明らかである。
(ⅲ) 本件公職選挙法施行令一部改正令による改正前の公職選挙法施行令五〇条四項によれば、疾病、負傷、妊娠若しくは不具のため、又は産褥にあるために歩行が著しく困難であるべき選挙人がその現在する場所で投票の記載をしようとする場合は、同居の親族によつて、選挙管理委員会の委員長に対し、文書をもつて投票用紙及び不在者投票用封筒の交付を申請することができると規定され、同令五三条一項二号によれば、右委員長が同居の親族から投票用紙及び不在者投票用封筒の交付の請求を受けた場合には、これを同居の親族に交付するものと規定されていた。また、同令五八条一項によれば、現在する場所で投票を記載した選挙人は、投票用紙を郵便でもつて送付し又は同居の親族によつて提出させなければならないものと規定されていた。これは旧在宅投票制度には存しないものであつた。ところが、新在宅投票制度における右の同居の親族関与の制度においては、投票用紙等の交付を申請する同居の親族であることの証明のために米穀通帳、住民票等の資料を提出することは要求されず、従つて同居の親族と称する者の言辞だけで、これを信用すれば投票用紙等を交付してよい取扱であつたため、在宅投票をなし得る者の同居の親族以外の者に安易に投票用紙等が交付され、更には(ⅱ)で述べた医師等の証明書悪用と相まつて、本来在宅投票をなし得ない者の同居の親族以外の者にまで投票用紙等が交付されてしまい、これが不正に利用されるという危険が多大であつた。そして前示(3)のⅣに認定の事実並びに<証拠>によれば、前記統一地方選挙においては、右の危険が現実化し、選挙人の同居の親族でない者が疾病等のため在宅投票をすることができる選挙人の同居の親族である旨偽つて選挙人の知らない間に投票用紙等の交付を申請し、その交付を受けた後選挙人の意思によらないで適宜それに候補者の氏名を記載して選挙管理委員会に提出して投票するという不正投票が多数発生し、それが当選無効ないし選挙無効の事由とされた選挙争訟も多数発生したことが認められる。これによれば、新在宅投票制度における在宅投票者の同居の親族関与の制度は、前記統一地方選挙における在宅投票の悪用多発の原因の一つであつたことは明白であつて、右の制度は、在宅投票をなしうる選挙人のための便宜に走りすぎたため、不正に利用され易いものであつたといわざるを得ない。
Ⅱ 次に、昭和二六年四月に実施された統一地方選挙において、在宅投票制度が悪用され、不正が発生したことについて制度外の原因があつたか否かを見てみる。
(ⅰ) <証拠>を総合すると、昭和二六年四月に実施された統一地方選挙は、昭和二二年四月に新地方制度下に初めて行なわれた地方選挙によつて選出された地方公共団体の議会の議員及び長の任期が昭和二六年四月をもつて終了するため施行されたものであつたこと、この選挙は、過去四年間の地方自治行政に対する住民の批判と将来の地方自治行政に対する住民の希望が示されるという地方選挙本来の意義に加えて、その後に控えた連合国との講和条約締結に対する各政党の態度が国民の批判を受ける機会として国政に対する中間選挙的意義をも有していたため、内外の視聴をあつめて行われたものであること、この地方選挙に先立つて、選挙法制の整備、即ち地方公共団体の議員及び長の選挙期日等の臨時特例に関する法律(昭和二六年法律第二号)によつて地方選挙の期日が四月二三日と三〇日に全国的に統一され、公職選挙法の一部を改正する法律(昭和二六年法律第二五号)によつて、公務員の立候補制限の緩和、選挙運動の合理化、選挙公営の拡充及び選挙手続の合理化等の改正が行われたこと、改選すべき定数は、告示日現在において知事三四名、都道府県議会議員二六一七名、市区町村七〇一〇名、市区町村議会議員一七万三三三名であつて、その地域は全国にわたり、被選挙権者の定数、立候補者も多数に及んだこと、投票当日は好天に恵まれたことと地方選挙の特色として一票をも争う激しい選挙戦が展開されたこととがあいまつて、投票率は、市区町村長選挙において90.14パーセント、市区町村議会議員選挙において91.02パーント、知事選挙において82.58パーセント、都道府県議会議員選挙において82.99パーセントと未曾有の好成績を収め、国民がいかに地方政治に対し深い関心を寄せているかが示されたが、その反面、狭い区域を選挙区として多くの候補者が立候補して一票、二票を争うという激しい選挙であつた結果、選挙運動や選挙手続の面において幾多の違反ないし不正行為が発生し、選挙争訟も多数提起されたこと(このことは既に説示したところである。)、選挙管理の事務は、もともと一般行政事務として、知事又は市町村長の所管とされていたが、昭和二一年の第一次地方制度の改正によつて、新たに都道府県と市町村に都道府県知事及び市町村長から独立した合議制の執行機関たる選挙管理委員会が設置され、昭和二二年には内務省の廃止に伴つて全国選挙管理委員会(これは昭和二七年法律第二六一号による自治庁設置法附則2によつて廃止され、同法二三条によつて新らたに中央選挙管理委員会が設置された。)が設置されて、これが、選挙事務の中枢的管理執行機関となり、選挙の民衆化と政治的中立性が確保されることになつたのであるが、昭和二六年四月当時には選挙管理委員会は機構的に未だ充分には整備、充実していなかつたうえ、選挙施行直前に選挙関係法規の改正があつたため選挙法規の研究に不充分な点がありまた手続に不馴れであつたこと、選挙管理委員会としては、新憲法施行以来、国民も相当選挙に対する関心も高まり、新しい選挙のあり方についても理解を得たものと考えたうえ、選挙違反の防止という点には重点を置くと選挙が非常に暗くなると考えたので、正しい選挙の推進、選挙違反の防止という点よりは寧ろ、棄権の防止、地方公共団体の長、議員に相応しい人物の選択という点に重点を置いて啓発宣伝を行つたものであること、昭和二〇年八月一四日のポツダム宣言の受諾後、「日本国国民の間に於ける民主主義傾向の復活強化に対する一切の障碍の除去」と「言論、宗教及思想の自由並に基本的人権の尊重の確立」(ポツダム宣言一〇項)という要請に即した我が国の民主化の諸施策が連合国によつて遂行され、昭和二二年五月三日から施行されることになつた憲法は、民主主義をその前文において確認し宣言したが、もともと、民主主義は、日本国民が自主的な立場から、自ら進んで、過去の行為を反省し祖国の再建のためこれを採用したというよりは、寧ろ、連合国の要求という外的な要因から採用したものであつて、いわば与えられた民主主義とでもいうべきものであつたうえ、昭和二六年四月当時は、未だ連合国の占領下にあつたため、個人主義思想を基調とする国民の自治、自律という民主主義の理念が国民各層の間に未だ十分には侵透しておらず、また民主的政治における選挙の重要性ないし選挙民としての自覚も未だ必しも十分でなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
(ⅱ) 右に認定の事実に<証拠>を合せ考えれば、昭和二六年四月に実施された統一地方選挙において在宅投票制度が悪用された原因は、すでに説示した制度自体による原因のほか、右の選挙が狭い区域を選挙区として多くの候補者が一票をも争う激しい地方選挙であつたこと、発足後間もない選挙管理委員会が所管の専務に不慣れであつたこと、更には当時の国民が民主主義国家の選挙民として自覚が十分でなかつたことに因つたものといわざるを得ない。右挙示のさいごの原因について付言すれば、終戦以来連合国による、我が国の民主化、非軍事化をめざす諸般の施策によつて、国民は制度上は非民主的な絆からは解放されたが、それは国民自らの力で内発的に解放したものではなかつたから、国民の気風、即ちその思惟形式や行動様式は容易には変らず、個人の主体性よりは国家社会の全体性を優越せしめ、個人の自由よりは人間関係における情誼を重んずる終戦までの国民の一般的、支配的意識傾向が、その是非は別として、選挙民の間になお根強く残つていて、これが、とかく個人の自由よりは情誼関係が重んぜられ易い狭い居住区域を選挙区とする激しい地方選挙で強く現われたことに因るものと考えられる。
(ⅲ) 昭和二四年一月二三日に実施された衆議院議員選挙(在宅投票については旧在宅投票制度によつたもの)及び昭和二五年六月に実施された参議院議員選挙(在宅投票については新在宅投票制度によつたもの)においては、在宅投票制度が悪用されたということが、国会や政府においては勿論、世間においても問題にされたことがなかつたのは前判示のとおりであるが、この事実に鑑みると、昭和二六年四月の統一選挙において在宅投票制度が前示のように悪用された原因としては、前示の制度的原因よりは前示の制度外的原因の方が、より重要であり、より決定的なものであつたと認ざるを得ない。
(5) 在宅投票制度を廃止した本件公職選挙法一部改正の国会における立法経過は、後述のとおりであるが、右法律案の審議過程において、在宅投票制度につき、これを全面的に廃止せずに、その欠陥に是正措置を講ずることによつて「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」のために、より制限的でない他の選びうる方法を採ることの可否が検討された形跡は、証拠上全くない。
(6) 昭和二六年四月に実施された統一地方選挙において、在宅投票制度が悪用され、多数の選挙違反がなされたことを理由として、本件公職選挙法一部改正法によつて前記在宅投票制度を廃止したものであることは、既に述べたとおりであるから、前記在宅投票制度の廃止は、その弊害の除去を目的としてなされたものであることは明らかである。
しかしながら、昭和二四年一月二三日に実施された衆議院議員選挙(在宅投票については旧在宅投票制度によつたもの)及び昭和二五年六月四日に実施された参議院議員選挙(在宅投票については、新在宅投票制度によつたもの)においては、不在者投票制度が悪用されたという事例は僅かに一件(但し、これが在宅投票に関するものであるかどうか不明)にすぎなかつたこと、在宅投票制度の悪用が国会や政府においては勿論、世間においても問題にされたことがなかつたことは前判示のとおりであり、昭和二六年四月実施の統一地方選挙において在宅投票制度の悪用が多発したとしても、既に見たとおりその原因は制度外的な地方選挙特有の原因によるところが多大であつて、将来行われる国会議員選挙においても在宅投票制度が右統一地方選挙のときと同様に悪用されたであろうとは、必ずしも断ずることはできない。前記統一地方選挙において在宅投票制度が悪用された原因について検討したところによれば、在宅投票制度殊に新在宅投票制度即ち本件公職選挙法一部改正法による改正前の公職選挙法の採つていた在宅投票制度にはそれが悪用され易い制度的欠陥があつたことは明らかであるから、前記統一地方選挙において在宅投票制度の悪用多発を見たのを機会に、国会議員選挙のために、新在宅投票制度の欠陥を是正してその悪用を防止するために必要な立法措置(例えば、在宅投票をなしうる者に該当することを証明する医師等が作成する証明書につき、虚偽記載をした場合の罰則を設けること、在宅投票をなしうる者の同居の親族が在宅投票に関与しうる制度を廃止すること等が考えられよう。)を講ずるというのであれば、それは賢明な措置であつたというべきであるが、新在宅投票制度そのものの廃止が「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」の選挙権行使の機会を事実上奪つてしまうものであることに思いを至すならば、新在宅投票制度が悪用されたという事例があつたという確証がなく、将来におけるその悪用多発も必ずしも必至とは言い難いところ国会議員選挙について、より制限的でない他の選びうる手段についての検討をなんらなすことなしに、前記在宅投票制度そのものを全面的に廃止してしまつたのは、仮令その立法目的の点において合理的なものであつたとしても、立法目的実現のための手段としての適合性の点において合理的なものであつたとは到底言い難く、従つて已むを得ないものであつたとは認め難い。
これに反し、地方選挙について言えば、昭和二六年四月に実施された統一地方選挙において在宅投票制度が悪用されて選挙違反や当選又は選挙無効争訟が多発したのでその弊害を除去するために、本件公職選挙法一部改正法により在宅投票制度を廃止することにしたのは、先ず、その立法目的の点で合理的なものであつたことは明らかである。蓋し地方選挙において選挙違反、当選又は選挙無効争訟が多発するような制度を放置するときはおのずから選挙の自由公正が損われ、そのため選挙によつて選出された代表者に住民の意思や利害が公正に反映されているか否かについて疑念を招く虞れがあり、右代表者に対する住民の信頼が損われることを免れないのみならず、そのような疑念が拡大すれば、本来住民の代表者となつて住民全体のために奉仕すべき責務を負う議員や市町村長等に対する不信感を醸成し、能率的・効果的で安定した地方自治の運営が阻害されることにもなるからである。問題は、右立法目的実現の方法としてそれが合理的なものと認めることができるか否かである。思うに、昭和二六年四月実施の統一地方選挙において多発した新在宅投票制度の悪用は、原判示の如く、主として市の嘱託員、選挙運動員、選挙人と同居していない親族、知己、或いはこれらと共謀して証明書を発行した医師、助産婦等によつて行われたものではあるが、選挙人であつて「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」の中にも自ら選挙管理委員会から配布を受けた投票所入場券を選挙運動員に交付して不正の投票をさせたり、或いは自宅に訪問して来た運動員の誘導によつて投票を記載したり、本人の現在する場所ではなく候補者の選挙事務所等で他人に投票の記載をさせたりしたものも決して少くはなく、従つて「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」の中にも謂わば受働的、消極的な形においてではあるが、在宅投票制度を悪用した者が少くなかつたこと、前記統一地方選挙において在宅投票制度が悪用された原因については既に見たとおりであるが、その制度そのものの欠陥によるものもさることながら、その除去が一期一夕にしてはなし得ないところの制度外の原因即ち、前記統一地方選挙が選挙民の居住区域である狭い区域を選挙区として行われる、一、二票を争うような激しい地方選挙であつたこと、選挙管理担当者が未だ選挙管理事務に十分に習熟していなかつたこと、当時住民の自治、自律という民主主義的自治の理念が国民各層の間に未だ十分には侵透しておらず、住民における選挙民としての自覚が未だ十分ではなかつたこと等が前記統一地方選挙において、新在宅投票制度の悪用多発を招いた、より重要で、より決定的な原因であつたことに鑑みるならば、仮令、本件公職選挙法一部改正法による改正前の公職選挙法が定めていた新在宅投票制度に、その悪用防止のために必要ななんらかの是正措置を講じたとしても、右制度そのものを存続させる限り、本件公職選挙法一部改正法が施行された昭和二七年九月一日当時から、少くとも向後暫らくの間は、その間に行われる地方選挙において、「疾病等によつて投票所に行くことができない在宅者」を含む選挙民の一部の者によつて、是正後の在宅者投票制度が悪用される危険はあつたものと考えざるを得ない。郵便による在宅投票制度は、不正防止のために仮令いかなる方法を講じたとしても、少くとも地方選挙に関する限り、民主主義的自治の理念を理解して選挙民としての自覚をもつた選挙民を前提としない限り、悪用の危険から免れることはできないものである。叙上のとおりであるから、本件公職選挙法一部改正法が在宅投票制度を全面的に廃止したのは、前記の立法目的実現の方法としても合理的なものであつたと認めざるを得ない。してみると、結局において、地方選挙に関する限りは、国会が昭和二七年九月一日施行の本件公職選挙法一部改正により、在宅投票制度を全面的に廃止したことには合理的と認められる已むを得ない事由があつたものというべきである。
3 ところで、<証拠>を総合すると、憲法施行後二十有余年を経過した昭和四四年頃は、終戦来のわが国民の真険な復興への願望と努力の成果として国民経済の高度成長を遂げ、一般的に言つて国民の暮し向きは明るくなり、精神的にも安定するに至つていたこと、また右の頃には戦後の民主教育の普及と徹底によつて国民の知識、教育程度は向上し、憲法施行時に出生した国民も、既に成年に達して選挙権を得ており、国民一般の政治に対する目も肥え、民主主義国家の選挙民としての意識も著しく向上していたこと、殊に昭和二七年以降、事実上投票の機会を奪われた重度身体障害者その他の「疾病等によつて投票所に行くことができない在宅者」は、選挙を通じて自らの意思を代弁する者を国会又は地方議会に送り込み、社会福祉の向上を企ろうとする意識を強くもつようになり、特に政治への関心、民主主義社会における選挙の意義への自覚を著しく高め、昭和四一年以降、身体障害者の団体を含む約百の団体が中心となつて在宅投票制度の復活を求める署名運動を起し、新聞、ラジオ、テレビ等を通じて在宅投票制度復活のキヤンペンを行い、昭和四二年には右署名運動に参加した全国多数の身体障害者から衆、参両院に対して重度身体障害者、自宅療養者、老人、妊産婦、都道府県管理委員会の指定を受けられない小病院入院患者のため、在宅投票をすみやかに復活してもらいたいという趣旨の請願がなされ、参議院では第五七回国会開会中の昭和四二年一二月二二日公職選挙法改正に関する特別委員会において、右請願についての審査がなされたが、右委員会において、秋山長治委員から、昭和二六年四月の地方選挙において、在宅投票制度が悪用され、弊害があつたとしてこれが廃止されたとしても、それ以降すでに一六年近くもたつて、世帯人数すべて相当変つているし、特に近年身体障害者に対する地方公共団体の施策、一般社会の身体障害者に対する認識も相当前進し、また身体障害者の政治意識も相当進歩してきていると思われるので、重度身体障害者約二五万人を含む少くとも百万人単位の人数の身体障害者が投票の機会を失つてしまうような制度をそのままにしておくことのマイナスの方が在宅投票制度のもたらす弊害よりも問題にならないほど大きいものであることが指摘されていること、昭和四四年三月二九日の参議院予算委員会第四分科会においても、さきに参議院で留保されていた前記請願に関して、竹田現照委員から選挙人の政治意識は向上し、選挙管理委員会の機構は充実、管理能力も向上したから在宅投票制度は復活すべきであり、「こういう人達(前記請願の趣旨にかかる重度身体障害者等を指す)の希望を入れさせてやるという方向で検討していかないと、それは重要な公民権の制約だから憲法違反です」との意見が述べられ、また、答弁に立つた国務大臣野田武夫も、在宅投票制度を昭和二七年にやめて後、遂年選挙人の意識がだんだんと向上していると我々はみております云々と述べたこと、が認められる。
右のとおりとすると、憲法施行後二十有余年を経過した昭和四四年当時においては、「疾病等のため投票所に行くことのできない在宅者」を含めて、全般的に国民の政治への関心や政治意識は向上し、民主主義国家の選挙民としての自覚も大いに高まり(憲法の保障する選挙権の行使に対する制約に合理的と認められる已むを得ない事由があるか否かを判断するに当つては、国民の選挙民としての自覚の浅深も一つの重要な資料となるべきものである。憲法一二条参照)、また選挙の管理執行を掌る選挙管理委員会の機構も充実しその選挙管理能力は充分なものとなつていたものとなつていたものと推認されるから、遅くとも昭和四四年以降においては、国会議員選挙について「疾病等のため、投票所に行くことができない在宅者」に対し実際に投票の機会を与えるための立法をしないでいることについて合理的と認められる已むを得ない事由がないのは勿論のこと、地方選挙についても、「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」に対し実際に投票の機会を与えるための立法をしないでいることについての合理的と認められる已むを得ない事由はもはやなくなつていたものと認めるのが相当である。
(二) 以上説示のとおりとすると、国会が、原則的な投票方法として投票所投票自書主義を採る公職選挙法のもとにおいて、被控訴人のような「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」のために実際に投票の機会を与えるための在宅投票制度を設ける立法措置を講ずることを故意に放置していた昭和四四年以降の本件立法不作為は、被控訴人のような「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」に対する関係において、そのうちの国会議員選挙についてのものは憲法一三条、一四条一項、一五条一、三項、四四条但し書、四七条に、そのうちの地方選挙についてのものは憲法一三条、一四条一項、一五条一、三項、九三条二項にそれぞれ違反するものといわなければならない。従つて国会の昭和四四年以降の本件立法不作為は、その間の国会議員選挙及び地方選挙において選挙権を行使することのできなかつた被控訴人に対してその選挙権を侵害したものとして違法なものであつたといわざるを得ない。
九そこで昭和四四年以降の本件立法不作為についての国会議員の故意又は過失の存否について判断する。
(一) 国会議員の立法不作為につき国賠法一条一項を適用する前提としての、国会議員の故意又は過失については、各個の国会議員の個別的、主観的な意思を前提とする必要はなく、国会の意思を、国会を構成する各国会議員の意思に投影したものが各国会議員の意思であると前提してこれを判断することができるものであることは、既に説示したとおりである。それゆえ昭和四四年以降の本件立法不作為における国会議員の故意又は過失の有無を判断するには、昭和四四年以降の本件立法不作為についての国会の意思が当時の各国会議員の意思であると前提すれば足りるものであつて、当時の国会議員各自の主観的、個別的意思を前提とする必要はない。
(二) そこで、右の見地に立つて、国会議員が昭和四四年以降の本件立法不作為に因つて違憲、適法に被控訴人の選挙権を侵害したことについて故意又は過失があつたか否かを検討する。
1 国会議員の右の故意又は過失の有無を判断する事情としては、先ず、在宅投票制度を廃止した本件公職選挙法一部改正法の制定の経緯ないし右法律案の国会における審議経過が必要である。よつてこれについて見てみるに、<証拠>を総合すると、次の(1)ないし(9)の各事実を認めることができる。
(1) 本件公職選挙法一部改正法による公職選挙法の改正作業は、第一〇国会から第一三国会に跨つて行われたものであるが、先ず一〇国会において、昭和二六年四月に施行された統一地方選挙で、徹底的な事前運動、戸別訪問、買収、在宅投票の悪用等の不正行為が続発し、自由、公正な選挙が損われたことにかんがみ、当時行われていた公職選挙法の欠陥を是正し、選挙の公明刷新、選挙運動の適正な制限、選挙運動費用の縮減、選挙の管理執行態勢の整備等による自由公正なる選挙を目的として、その改正について審議するため、昭和二六年五月八日衆議院に公職選挙法改正に関する調査特別委員会が設置された。そして同年五月二三日には同委員会の中に専ら選挙法改正要綱案の作成に当らしめるために、公職選挙法改正調査小委員会が設置された。
(2) 昭和二六年五月一一日の右調査特別委員会では、先ず、各政党から、戸別訪問、街頭演説、選挙運動期間、立会演説、不在者投票、罰則等の諸項目についての改正意見が述べられたが、各党の不在者投票、代理投票に関する意見として、自由党からは、本人が旅行その他の支障のために投票所に行つて投票することができない場合以外の不在者投票は廃止すべしとの意見及び代理投票及び病気その他の理由による自宅での投票は弊害があるので廃止すべしとの意見、社会党からは代理投票は弊害があるので廃止すべきだが不在者投票については不正を防止して行きたいとの意見が述べられた。しかし、共産党からは、不在者投票、代理投票についての意見は述べられなかつた。同年同月二五日の右調査特別委員会では、過般の統一地方選挙につき、全国選挙管理委員会事務局から、不在者投票、代理投票が悪用された向きが相当多いとの意見が述べられ、国家地方警察本部刑事部長及び法務府検務局総務課長から、不在者投票、代理投票の悪用(詐欺投票、偽造投票)、買収、利害誘導、饗応等の選挙違反事件についての中間報告がなされた。
(3) 同調査特別委員会は、過般の統一選挙の実情を調査し、合わせて各地の選挙管理委員会並びに地方議会等と公職選挙法改正に関する意見の交換を行い、もつて公職選挙法改正案の立案に資するため、委員八名を、第一班東北、北海道方面、第二班関東、信越、東海方面、第三班近畿、四国方面、第四班中国、九州方面の四班に分け、委員がそれぞれの方面に同年七月二日又は七日から一〇日間派遣し、派遣された委員において、各地の選挙管理委員会、地方議会、道府県当局、検察庁、公安委員会等と公職選挙法改正に関する意見の交換を行つた。そして、同年七月二六日の右調査特別委員会において、衆議院法制局第一部長から、委員派遣地における公職選挙法改正に関する主要意見が報告されたが、そのうち不在者投票に関しては、その一は、自宅等における投票には弊害があるから病人等の在宅投票制度を廃止すること、その二は在宅投票制度は存置するとしてもその場合の投票の代理記載は認めないことにすること、その三は、医師等の不正証明に対する罰則を設けるか又は証明書の交付にかえ診断書を交付させることにすること、その四は、不在者投票も場合によつてはその必要があるので、弊害を除去し是正するという意味において再検討すること、などの意見があつたことが報告された。なお、同調査特別委員会は、同年一〇月イギリスに委員を派遣して同国の選挙法制及び選挙の実情を調査、視察させた。
(4) 公職選挙法の立案に参画した衆議院法制局では、在宅投票制度を廃止すると、「疾病等のため投票所へ行つて投票することができない在宅者」が選挙権を行使することが不可能となることは当然予想していたが、在宅者投票制度を廃止するか否かはあくまでも選挙権それ自体の制限とは関わりのない、選挙権行使の便宜の問題であるから、これを廃止しても憲法違反の問題は生じないという見解を持つていた。それで、衆議院の公職選挙法改正調査小委員会において、委員の誰かから在宅投票制度を廃止しても憲法問題はないかとの質問を受けたとき、衆議院法制局第一部長は、法制局の見解として、憲法では、公務員の選定罷免権、普通平等秘密選挙が保障されているが、投票の方法、例えば在宅投票制度の採否については、憲法四七条で法律によつてこれを定める旨規定されているから、それは第一次的には国会の裁量に委ねられているうえ、憲法の前文によれば、国民が正当に選挙された国会における代表者を通じて行動することが民主主義の基本であり、不正な選挙によつて選出された代表者というのは国民の真の意思を反映した者でなくその者を通じて行動することは偽りの民主主義であり憲法の精神に反するものであるから、不正の多発する在宅投票制度を廃止することは、憲法全体の構造の上から許されるものであると述べた。
(5) 昭和二六年一〇月八日の同調査特別委員会においては、前記改正調査小委員会が五回に亘つて協議した結果公選選挙法改正案要綱が中間報告として報告されたが、右改正要綱には、既に決定のものとして、選挙に関する区域、選挙期日の公示又は告示、代理投票、不在者投票を三六項目に亘つて改正意見が表示され、未決のものとして、公務員の選挙運動の禁止、選挙運動員制度等八項目が指摘されていたが、不在者投票に関しては、「疾病等のため歩行が著しく困難であるべきことを事由とする不在者投票(所謂在宅投票)は、これを廃止し、不在者投票管理者が管理する一定の投票記載場所においてする場合に限り認めること。(在宅投票の廃止に伴い医師の証明書制度は不用となる。又在宅投票の場合の代理投票も認められないことになる。)」との改正意見(前記改正案要綱四項)が表明され、その改正の理由として、衆議院法制局第一部長は、「不在者投票は過般の選挙等におきまして、病気というようなことの事由によりまして、非常に多くの医師の証明書等が出されまして、その意味による不在者投票が行われまして、結果において非常な弊害を伴つたという実例もございますので、それらの弊害が伴いますような在宅投票制度を廃止いたすことにしようというわけでございます。しかしながら、不在者投票制度は、制度自体といたしましては、そうゆう弊害が除かれ得るならば必要な制度でありますのでこれをいかして行く、こうゆうことでこの四が要綱としてあげられておるわけであります。」と説明した。
(6) 一方、総理府設置法(昭和二四年法律第一二七号)一五条により、かねて、内閣総理大臣の諮問に応じて国会議員の選挙及び地方公共団体における選挙に関する制度について調査審議するため選挙制度調査会が総理府の附属機関として設置されていたが、同調査会は、昭和二六年五月二二日内閣総理大臣から、最近行われた各種の選挙の実際に鑑み、選挙制度の上に改正すべきものがあると認めるので、調査のうえ、これに対する要綱案を示すようにとの諮問を受けた。そこで、同調査会は、審議事項を、選挙法の基本的観念に関する事項その他八項目に分け、これを第一ないし第三委員会の審議に付したのであるが、「不在者投票及び代理投票についての再検討」は、第一委員会(委員長官沢俊義)の審議に付せられた。右第一委員会は、同年六月四日の第一回を始めとして七回の委員会を開催し、付議事項につき審査し、各委員から私案も提出されて意見の交換、討論もなされたが、不在者投票に関しては、第四回の委員会において、古井喜実委員から、病人等の不在者投票は過般の選挙において多くの弊害をもたらしたが、不在者投票を広く認めるということは事柄と歓迎すべき点があるので、これを防止しなければならないなどの弊害があるのか或いは他の方法がないかどうかの意見を伺いたい旨述べたのに対し、関口泰副会長は弊害を除去することを考えて不在者投票を存続せさることが好ましいと述べ、加藤大謳委員は、不在者投票が悪用されて弊害が多く選挙無効の争訟なども多発しているから廃止すべきだとする意見が多いと述べたのに対し、右古井委員は、不在者投票の悪用は、選挙の浄化をはかる啓蒙運動や浄化の国民的機運を醸成することによつて或る程度防止することができるから、不在者投票の折角の道を狭めて行くことに少し気残りがする旨述べ、使用者の介在を許さない本人による郵便投票だけ認めてはどうかという意見を出した。宮沢俊義委員長は、もともと選挙を最も簡単明瞭に且つ弊害を少くするためには、本人が投票所へ行つて投票する制度が好ましのものであるが、長年の経験からして、そのような制度にすると、投票ができないという非常に気の毒な場合が生じるので、それを補正するため不在者投票制度を設けたのであるが、その制度自体に濫用されるという弊害が内在しているから、弊害を強調するとこれをなるべく制限しようとする方向になり、便宜ということを強調すると弊害の生ずる余地が広くなるから、政治教育その他の方法で補いながら不在者投票制度を継続するということも相当の理由があることと思われるが、病院以外で寝ている場所で記載するということは危険の多いことである旨述べた。しかし、同委員長らの右意見も在宅者投票制度を存続させることが憲法上の要請でありこれを廃止することが憲法の保障する普通平等選挙の原則に反するからというのではなく、専ら政策的に、「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」の便宜を図るという趣旨から、在宅投票制度の廃止に疑義を述べたものであつた。
(7) 選挙制度調査会は、第一ないし第三委員会に対し、選挙法の基本的観念に関する事項その他の事項の審議を付託すると共に、合わせて調査会の総会をも開催して審議し、昭和二六年六月四日の第三回総会においては、地方の選挙管理委員会の委員長の出席を求め、意見を聴取したところ、不在者投票の八〇パーセントまで悪用されたので、病院のような不在者投票管理者の管理する一定の場所を不在者投票所として設置することには支障がないが、家庭における病人等の不在者投票は廃止し制限すべきであるとの意見が多く表明された。同調査会は、その後も三回にわたる総会での審議と委員会の連合審議を経たうえ、同年八月二八日内閣総理大臣に対し、衆議院議員選挙制度改正要綱を答申した。右答申は、不在者投票に関しては、「病人等の不在者投票は、都道府県管理委員会の指定する病院等においてする場合に限ること。」という内容のものであつた。そして、右改正要綱は、昭和二七年二月一三日の衆議院の公職選挙法改正に関する調査特別委員会に提出され、同委員会において選挙制度調査会の会長牧野良三から、右改正要綱作成経過についての説明がなされた。同会長は、右改正要綱の基本的特色として、選挙に関する各種の基本観念を明らかにしたこと、選挙手続を改善したことなど五つの特色を明らかにすると共に、不在者投票に関し、「不在者投票というものは、いろいろな前の便宜を図るために親切に行わんとする結果として、却つて大きい弊害を来しておる。従つてこれは大所高所から、何人も正しいと見る思い切つた方針を定めようというのが主なる点である。」旨説明した。
(8) 昭和二七年六月四日衆議院の公職選挙法に関する調査特別委員会において、第一〇ないし第一三回国会と約一年間にわたつて公職選挙法改正について検討した結果公職選挙法改正調査委員会が成案を得た改正案要綱が報告されたが、不在者投票については、「疾病等のため歩行が著しく困難であるべきことを理由とする不在者投票(所謂在宅者投票)はこれを廃止し、不在者投票管理者が管理する一定の投票記載所においてする場合に限り認めること。」とされていた。右委員会において、衆議院法制局第一部長は、不在者役票の改正理由として、「不在者投票は御承知の通り、この前の地方選挙におきまして、いわゆる在存投票制度につきましてこれを悪用せられました結果、その間に不正投票が行われたような現状でありますので、この際やめまして、特別の投票管理者を置きまする病院等につきまして、この不在者投票制度を認めるということに致したのであります。」と説明した。右改正案要綱に対しては、自民党、改進党、社会党は全会一致で賛成し、共産党だけでは一部反対の意向を示したが、それは選挙運動期間の短縮、未成年者の選挙運動の禁止、署名運動の禁止、選挙葉書の枚数制限等についてであつて、在宅投票制度の改正については特に異論を述べなかつた。同調査特別委員会は、翌六月五日の会議において、「政党その他の政治団体の選挙運動」に関する規定の一部を修正したうえ、小委員会の改正案を同委員会の成案とすることを可決した。そして、同日衆議院本会議に公職選挙法の一部を改正する法律案(公職選挙法改正に関する調査特別委員会委員長提出)として提出され、賛成多数で可決され、参議院に送付された。
(9) 他方、参議院でも、第一〇回国会の会期中である昭和二六年五月一六日公職選挙法改正に関する特別委員会が設置され、同特別委員会は、政府委員から過般実施された地方選挙の実情の報告を受けると共に、各党派から改正の必要ある事項についての意見を聴取した。次いで、同委員会は、衆議院の前記特別委員会と同様、委員を四班に分け全国各地に派遣し、派遣された委員において各関係当局から事情を聴取し意見を交換してその結果の報告を受けたが、不在者投票制度については、弊害が多いので廃止するという意見が多数であつた。同特別委員会は、立案について詳細に検討させるため、小委員を設置し、改正要綱の作成に当らせたが、昭和二六年一〇月九日の右特別委員会で報告された小委員会での審議の結果は、不在者投票については、「病気等の事由による不在者投票は、都道府県の選挙管理委員会の指定する病院等において行う場合に限りこれを認めること。」というものであつた。参議院における公職選挙法改正案件は、第一三回国会から地方行政委員会に付託されたが、参議院地方行政委員会は、昭和二七年三月六日に選挙制度調査会委員長牧野良三から右調査会の作成した前記の衆議院議員選挙制度改正要綱の説明を受けた。同年七月一四日衆議院提出の公職選挙法の一部を改正する法律案が同委員会に付託されたので、同委員会では、衆議院における公職達挙法改正に関する調査特別委員会の当時の委員長であつた衆議院会の委員長であつた衆議院委員小澤佐重喜から、右改正法律案の提案理由の説明を受け、政府委員の出席をも得て質疑、討論した結果、同年七月二九日の前記委員で右改正法律案は賛成多数で可決され、同月三〇日衆議院本会議に公職選挙法の一部を改正する法律案として提出され、賛成多数で右改正案は一部修正(この修正はかなり多様に亘つたが、在宅者投票制度には関しないものである)されたうえ可決され、右修正案は同日衆議院に回付されて、同日衆議院本会議でこれが可決された。本件公職選挙法一部改正法は、このようにして成立した。
(10) 以上認定のとおりとすると、国会における、在宅投票制度を廃止することを含む本件公職選挙法一部改正案の審議は、慎重に行われたものと認められ、当時の国会議員や選挙制度調査会の委員は、同法案が成立しても、それが「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」に対する関係で違憲問題を生ずるなどとは全く考えていなかつたものと認められる。
2 昭和二七年八月に本件選挙法一部改正法によつて在宅投票制度が廃止されて以降少くとも昭和四一年までの間において、衆議院又は参議院に対して「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」のための在宅投票制度の復活を求める請願がなされたとか、国会において在宅投票制度の復活について論議がなされたとかについては、証拠上その形跡が全くない。
3 昭和四一年以降身体障害者の団体を含む約百の団体を中心とする在宅投票制度の復活を求める動きがみられたが、昭和四二年には全国に亘る多数の身体障害者から衆、参両院に対して、重度身体障害者、自宅療養者、老人、妊産婦、都道府県選挙管理委員会の指定を受けられない小病院の入院患者のための在宅投票制度復活を求める請願がなされたことは前判示のとおりであるが、右請願が憲法上当然要請されるべき在宅投票制度の復活を要求するというものであつたと認めるに足りる証拠はない。昭和四二年一二月二二日に参議院の公職選挙法改正に関する特別委員会で右請願について審査し、秋山長治委員が在宅投票制度の復活を前向きの気持で検討したらどうかと述べるなどして討論したこと、衆議院の委員会でその頃右請願について審査したこと、その後昭和四四年三月二九日の参議院予算委員会第四分科会において、竹田現照委員が参議院で留保されていた前記請願に関して、「こういう人達(前記請願の趣旨にかかる重度身体障害者らを指す。)の希望を入れさせてやるという方向で検討していかないとそれは憲法上重要な公民権の制約だから憲法違反です。」と述べたことは前判示のとおりである。しかし当時において右の竹田委員のような意見をもつていた国会議員が他にもいたことについては、確たる証拠がなく、<証拠>によれば、仮りに右のような意見を持つた国会議員が他にもいたとしても、それは極く小数であつたと推認される。
4 前段に述べたところのほかに、昭和四二年以降昭和四七年一二月一〇日までの間に、国会に対して、「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」のための在宅投票制度を復活を求める請願がなされた形跡は証拠上なく、また右の間に国会において在宅投票制度の復活について論議された形跡も証拠上ない。
5 <証拠>によれば、政府は昭和四二年一二月の参議院公職選挙法特別委員会において、在宅投票制度の復活について将来研究することを約したことが認められるが、その後、少くとも昭和四七年一二月一〇日までの間に政府によつて右約束の研究がなされたことを認めるに足りる証拠はない。
6 以上のとおりなので、昭和四四年以降昭和四七年一二月一〇日までの間に、国会委員であつた者の殆んど大部分の者は、昭和四四年以降の本件立法不作為が前述のように、被控訴人のような「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」たる選挙人に対する関係で違憲、違法なものであることを全く認識してなかつたものと認められる。
7 昭和四七年末頃までに発行された文献の中には、憲法による普通平等選挙の保障には、選挙権行使の機会平等の保障も含まれ、従つて、「疾病等のため投票所へ行つて投票することがきない在宅者」に投票の機会を与えるような立法をしないことは憲法に違反するとした学説は見当らず、また、そのような判例もなかつた。
8 因みに、諸外国において、身体障害者等のための特別な投票制度がどのように取扱われており、それが憲法上の普通平等の選挙の原則との関係についてどのように理解されているかについて検討してみるに、<証拠>によれば、次のとおり認めることができる。
(1) 身体障害者等のための特別な投票手続を選挙制度に最初に導入したのは、一九〇二年のオーストラリア(後に一時廃止)であり、その後一九一七年のアメリカ合衆国のインデアナ州(後に一時廃止)、一九二三年の同じくネバダ州、アイダホ州、デラウエア州等のアメリカ合衆国の各州、一九四八年のイギリスと続き、具体的な採用年月日は不明であるが遅くとも一九五〇年までにはソ連でも採用されていた。従つて昭和二七年(一九五二年)当時身体障害者等のための特別な投票手続を採用していた国は、アメリカ合衆国の一定数の州、イギリス、オーストラリア、ソ連である。
そして特別な投票手続としては、郵便による投票、便送による投票、代理人による投票及び選挙管理機関の訪問による投票があつた。
(2) 昭和二七年(一九五二年)以降特別な投票手続を採用した国としては、アメリカ合衆国の一定数の州(具体的な州と年月日不詳)、オランダ(一九五四年)、西ドイツ(一九五六年)、フランス(一九五八年)、スイス(一九六五年)、ベルギー(一九七〇年)、カナダ(一九七一年)、ノールウエー(一九七一年)があり、遅くとも一九五四年までには実施していたとみられる国としてはニユージーランドがあり、同じく一九五六年までに実施していたとみられる国としてはスエーデンがある。
(3) 身体障害者等のための特別な投票手続を一旦採用した後これを廃止した例としては、オーストラリア(一九一一年)、アメリカ合衆国ケンタツキー州(一九一八年)、同ペルシルバニア州(一九二五年)、同ニユージヤージ州(一九二六年)、同インデアナ州(一九二七年)がある。そして、このうち、アメリカ合衆国のケンタツキー州及びペンシルバニア州の例は、特別投票手続が州憲法に定める投票所投票主義と抵触し憲法違法であるとされたため廃止されたものであり、同ニユージヤージ州及びインデアナ州の例は、弊害が多発したため廃止したものである。なお、身体障害者等のための特別投票手続の採用または復活のための法案が選挙の純粋さ(purity of el-ection)に対する危険等の理由で議会によつて否決された例としては、イギリス(一九二五年)、スイス(一九三六年及び一九四七年)、オーストラリア(一九一三年)があり、同じく実行不可能ないし管理の困難等の理由で否決された例としては、スイス(一九五六年)、オーストラリア(一九五六年)がある。
(4) 次に、身体障害者等のための特別な投票手続の憲法との関係についてみると、アメリカ合衆国の判例では、不在者投票制度は法律によつて選挙人に認められた特典(privilege)であつて、絶対権(absolute right)ではなく、それは、もともとは軍役に従事する者に投票の特典を可能にすることを目指したものにすぎないとされ、西ドイツ連邦憲法裁判所一九六一年二月七日の判例は、一身上又は職務執行上の理由から、自らの意思により又はその意に反して投票所で選挙権を行使することのできない選挙人のための郵便投票の採用は、立法者の法的義務としてではなく、政治的裁量として行われるもので、これを採用しないからといつて基本法の保障する選挙の普通、平等の原則には違反しないものとしている。
9 以上に説示したところによれば、昭和四四年以降昭和四七年一二月一〇日までの間のどの時点をとつてみても当該時点における全部若しくは殆んど大部分の国会議員は、昭和四四年以降の本件立法不作為が前述のように、被控訴人のような「疾病等のため投票所に行くことができない在宅者」たる選挙人に対する関係で、違憲、違法なものであることを予め知ることはできなかつたものと認めるのが相当であり、従つて右の間の国会の意思としても、それを予め知ることはできなかつたものというべきである。
国会議員の違憲、違法な立法行為又は立法不作為を理由とする国家賠償請求において、国賠法一条一項にいう公務員としての国会議員の故意又は過失は、国会の意思を、国会を構成する各国会議員の意思に投影したものか各国会議員の意思であると前提してこれを判断することができるものであることは前述のとおりであるが、前段認定のとおりとすると、昭和四四年以降の本件立法不作為については、それが被控訴人の選挙権を侵害するものであることにつき、前記の間国会の構成員であつた各国会議員に故意又は過失があつたものということはできない。よつてこれと反対の被控訴人の主張は失当である。
一〇以上のとおりであるから、国会議員が在宅投票制度を設ける立法をしないことを理由とする被控訴人の本訴請求中、被控訴人が昭和四四年一二月二七日から昭和四七年一二月一〇日までの間に行われた被控訴人主張の前後七回の選挙において、自己の意思に反して投票することができなかつたことを理由とするものも亦、爾余の判断をなすまでもなく失当である。
第四被控訴人の当審での新らたな請求について
被控訴人は、当審でした本判決別紙二の(五)の主張の中で、国会に対して法案提出権を有する内閣の構成員が、昭和四九年六月三日同年法律第七二号による公職選挙法の一部改正する法律が施行になつた以前において、在宅投票制度を設けるべき内容を有する法律案を国会に提出しなかつたのは、憲法違反であることが明らかであるから、控訴人は、右改正法によつて選挙権行使が可能となつた在宅選挙人(被控訴人がこれに当たることは前述のとおりである。)に対しても、過去において選挙権行使が保障されていなかつたことの責任を免れるものではない旨主張する。これによると、被控訴人は、訴の追加的変更として、内閣の構成員たる国務大臣が右主張の法律案を違法に提出しなかつたことを請求原因とする新らたな請求を当審でしたものと解されるが、内閣の構成員たる国務大臣が右主張の法律案を国会に提出しないことによつて被控訴人の選挙権を侵害することにつき故意又は過失のあつたことについては、被控訴人においてなんら主張立証をしないところであるから、右の当審での新らたな請求は爾余の判断をまつまでもなく失当である。
第五結論
以上のとおりであるから、被控訴人の本訴請求(当審での新らたな請求を含む。)は、いずれも失当であつて棄却を免れないものである。
よつて、被控訴人の本訴請求(当審での新らたな請求を除く。)のうち、国会議員が在宅投票制度を廃止する立法をしたことを不法行為とするものの一部を認容した原判決主文一項は不当であるから、民事訴訟法三八六条に則つてこれを取消したうえ、被控訴人の請求(当審での新らたな請求を含む。)をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担について同法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(宮崎富哉 塩崎勤 村田達生)