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札幌高等裁判所 昭和50年(う)133号 判決 1975年11月27日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は札幌高等検察庁検察官加藤圭一提出の控訴趣意書に、これに対する答弁は弁護人田中宏提出の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、いずれもこれを引用し、当裁判所はこれに対しつぎのように判断する。

所論は要するに、原判決は、本件公訴事実に対し、被告人運転車両の時速を約二〇キロメートルとしたほかは、ほぼ検察官主張どおりの外形的事実を認定しながら、本件交差点では時速約一五キロメートルであれば徐行に該当するとしたうえ、被告人の徐行義務違反が本件事故の原因とは認められないとし、また、本件事故はもつぱら被害車両の運転者である千葉満男が右方道路の安全不確認のまま右折しようとして直進車である被告人車の進路をふさいだために発生したものであり、被告人としては特段の事情の認められない本件においては千葉の運転する車両が一時停止又は最徐行して自車に進路を譲ることを信頼して運転すれば足り、同車が交通法規に違反して自車の進路に進出して来ることまでも予想して万全の注意を払つて進行すべき義務はなかつた、として被告人の過失を否定し、無罪を言い渡した。しかしながら、被告人には本件交差点に進入しようとするとき時速八ないし一〇キロメートル程度に徐行する義務があつたと解すべきであり、被告人がこの徐行義務を尽していれば、被害車両発見地点で急停車等の避譲措置をとることにより、本件の衝突を回避できたことが明らかである。また、被告人には被害車両が右折車であることの認識がないし、被告人車が直進車、被害車両が右折車であるからといつて被告人に優先通行権があると解すべきでもないから、被告人にいわゆる信頼の原則を適用することはできない。さらに、原判決は本件交差点の交通事情を誤認し、この誤認した事実を前提として信頼の原則を適用している。したがつて、原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認ないしは法令適用の誤りがある、というのである。

そこで判断するのに、まず原審において取調べた各証拠及び当審における事実取調の結果を総合すると、次の事実が認められる。

すなわち、被告人は、昭和四九年一二月二四日午前八時三〇分ころ、普通乗用自動車を運転し、釧路市内の南大通方面から弁天ケ浜方面に向かう市道米町線を北西方から南東方に進み、同市米町三丁目一番地先の交差点(以下「本件交差点」という。)にさしかかつた。本件交差点は、幅員約九メートルの、北西から南東に直線で通じ、歩車道の区別があり、車道の中央部がコンクリートで、その両側がアスフアルトで舗装された平坦な右市道(以下「甲道路」という。)が、北東方の弥生方面から南西方の燈台方面に直線で通じる歩車道の区別のない市道(以下「乙道路」という。)と直角に交差するところである。乙道路の本件交差点から北東方は簡易アスフアルト舗装で平坦であり、本件交差点から南西方は砂利敷きの非舗装で約一〇度の上り勾配となつている。乙道路の幅員は、本件交差点の入口においては甲道路の歩道により狭められて北東方、南西方とも約九メートルであり、交差点入口以遠では北東方で約14.8メートル、南西方で約14.6メートルとなつている。両道路とも制限速度は時速四〇キロメートルである。本件交差点には信号機や一時停止の標識は設置されておらず、当時交通整理も行なわれていなかつた。また、本件事故当時、両道路とも優先道路であることを示す道路標識等はなかつた。本件交差点の周辺には人家が密集しているので、甲道路を南東に向かつて進んで来た被告人にとつても(以下「甲車」という。)、乙道路を普通乗用自動車を運転して南西に向かつて進んで来た千葉満男にとつても(以下「乙車」という。)、本件交差点は左右の見とおしがきかない。そして、本件事故当時路面は積雪におおわれ、これが凍結して固いアイスバーン状(とけかかつてはいなかつた)となり、滑走しやすい状態にあつた。ところで、当時被告人は時速約三〇キロメートルで甲道路の中央線のやゝ左を南東に進み、本件交差点の手前約三〇メートルの地点で時速約二〇キロメートルに減速し、本件交差点の北西入口(本件交差点北側の家屋の南角と西側の家屋の東角を直線で結び、歩道部分を除いたもの。甲道路両側歩道の各すみ切り部分始端を結んだ線に相当する。以下同じ。北東入口についても同様とする。)の手前約11.5メートルの地点にさしかかつたとき(運転席の位置)、左方乙道路の本件交差点北東入口から約五メートルの地点に、右折の合図をしながら減速しつつ乙道路中央を本件交差点に向かつている乙車を認めた(ただし、このとき被告人が乙車の右折の合図を明認していたと積極的に認定するのは困難であるが、後記のように、右折の合図を認識していなかつたと認定することもできない。)。しかし、被告人は乙車が甲車の通過を待つてくれるものと考えてそのまま進行し、甲車の先端が交差点北西入口から約1.7メートル手前の地点にさしかかつたとき、乙車が交差点北東入口から約1.2メートル交差点内に入つた地点(ただし、この地点は甲道路の北側歩道の延長上にある。)をなお時速約一五キロメートルで進行しているので、甲車の先端が交差点北西入口から約0.5メートル交差点内に入つた地点で急停車の措置をとりやゝ右に転把したが間に合わず、本件交差点内の北西入口から約3.5メートル、北東入口から約2.4メートル中に入つた地点(この地点は、乙道路の中央線より北西側で、甲車からみて中央線の手前、乙車からみて中央線の右側になる。)で、甲車の左前部角と乙車の前部中央付近が衝突し、原判示のとおりの事故が発生した。一方、千葉満男は時速約三〇キロメートルで乙道路中央を南西に進み、本件交差点で右折しようとして交差点の手前約三〇メートルで右折の合図をし、徐々に減速して本件交差点進入直前の時速は約一五キロメートルであつた。そして、交差点進入直前にまず左方の安全を確認し、そのまま交差点内に進入して交差点入口から約二メートル中に入つた地点で右転把しながら右方を見たところ、甲車が既に本件交差点に進入しつつあるのを認めて急停車の措置をとつたが間に合わず、前記のとおり衝突するに至つたものである。なお、本件交差点の平素の交通事情は、甲道路から本件交差点に進入する車両の数と乙道路からのそれとの間に大差はないが、甲道路から進入する車両のほとんど全部が直進車であるのに対し、乙道路から進入する車両の大部分は、乙道路の北東方から甲道路の北西方への右折車であり、また、甲道路はバス路線であつて、午前八時台には往復合計およそ一五台ほどのバスが本件交差点を直進する。そして、平素、甲道路通行車両は本件交差点で一時停止又は徐行をせず、乙道路から本件交差点に進入しようとする車両は一時停止又は徐行をしているという状況にある。

以上のような事実関係にあることが認められる。本件各証拠中以上の認定に反する部分は採用できない。所論は、被告人は乙車が右折車であることに全く気づいていなかつたというが、たしかに被告人は原審公判延においてその点につき明瞭な記憶がない旨の供述をしているけれども、被告人は当裁判所の質問に対しては乙車の右折の合図に気づいていたと供述しており、他方、乙車が右折の合図をしていたことは疑いのないところであるから、被告人が乙車を認めた以上は、そのとき乙車の右折の合図にも気づくことが状況としてはむしろ自然であつて、被告人の原審公判延における右の供述のみをもつて被告人が乙車の右折の合図に気づいていなかつたと認定することはできない。そして、他に所論を裏付ける証拠はない。したがつて、この点につき被告人の右当審供述を否定するに足りる証拠のない本件においては、被告人に有利に右供述にそう事実を肯認すべきである。所論はまた、原判決が甲道路の交通量が乙道路のそれより多いと判示しているのは事実の誤認であるというが、当審において取調べた証拠によれば、前認定のように両道路からの本件交差点への進入車両の数自体には大差がないものと認められ、甲道路の交通量が乙道路のそれより多いとは断定することができず、そのかぎりにおいて所論は理由がある。しかし、この点の事実誤認は後述するとおり、判決に影響を及ぼすものではない。

そこで、右認定の事実を基礎に被告人の過失の有無を検討すると、まず、本件交差点は交通整理が行なわれておらず、左右の見とおしがきかない交差点であり、しかも甲道路は乙道路に対して優先道路ではなく、甲道路の幅員が乙道路のそれよりも明らかに広いわけでもないから、甲道路から本件交差点に進入する自動車運転者に道路交通法(以下、単に「法」という。)四二条所定の徐行義務があることは明らかである(乙道路から本件交差点に進入する場合も同様である。)。そして、交差点に進入する場合の徐行義務とは、交差道路を通常の速度で進行する車両又は歩行者に対し自車を接触させることがないように、交差点通過の安全を確認しうるまでは、交差点の入口手前で停車しうる程度に予め減速して進行すべき義務と解すべきであり、したがつてどの程度まで減速すべきであるかは、車両の現在位置から交差点入口までの距離及び交差道路の見とおし状況如何により時々刻々と変化するのであるが、被告人は前認定のとおり本件交差点の北西入口より約三〇メートル手前から本件交差点に進入するまでの間時速約二〇キロメートルで進行していたのであるから、この間の交差道路の左右の見とおし状況、及び氷結路面上の時速二〇キロメートルの自動車の制動距離が空走距離を含めて実験則上約11.5メートルないし一三メートルであることからみて、少くとも本件交差点の手前およそ数メートルの地点での甲車の速度は法四二条所定の徐行義務に違反するものであつたというべきである。

そこで、次に被告人の右徐行義務違反をもつて本件事故の過失と評価しうるか否かにつき検討する。この点につき、原判決は、第一に、甲車が時速約一五キロメートルで進行した場合、本件において被告人が急停車の措置をとつたのと同じ地点で急停車の措置をとるならば実験則上甲車は乙道路の中央線より手前(乙車からみて中央線の右側)で停止することが可能であるから、左方乙道路からの直進車との出合い頭の衝突を回避しうるので、本件交差点における甲道路進行車両の徐行の程度は時速約一五キロメートルでよいが、本件で甲車が時速約一五キロメートルで進行し、本件と同じ地点で急停車の措置をとつたとしても、両車の衝突地点が乙道路の中央線より手前(乙車からみて中央線の右側)であつた関係上、乙車との衝突は避けられなかつたのであり、被告人の徐行義務違反が本件事故の原因とは認められない、と判示し、第二に、右折車である乙車は直進車である甲車の進路を妨害してはならないのであるから、被告人としては右折しようとする乙車を認めても、特段の事情のないかぎり、同車が一時停止又は最徐行して自車に進路を譲ることを信頼して運転すれば足り、同車が交通法規に違反して自車の進路に進出してくることまでをも予想して万全の注意を払つて進行すべき義務はない、そして、本件においてはこの特段の事情は認められず、むしろ甲道路及び乙道路の平素の交通事情からしても、被告人が右のように信頼したことは当然のことである、と判示して、結局被告人には過失がないとした。

しかしながら、右第一の点については、被告人が本件交差点に進入する際に時速一五キロメートルよりもつと減速していたならば、乙車との衝突を避けえたはずであるから、被告人が時速約二〇キロメートルという速度で本件交差点に進入したことと本件事故との間に条件的な意味での因果関係があることは否定し難いところである。したがつて、被告人が徐行しなかつたことが本件事故の原因とは認められないという原判決の判断が右の因果関係を否定する趣旨であるならば、にわかにこれを首肯することができない。ただ、被告人が時速二〇キロメートルで本件交差点に進入し、たとえば右方乙道路からの直進車と衝突したという場合には、被告人が徐行しなかつたということが過失となりうるのであるが、本件において被告人に過失があるか否かは、実際には甲車との間で事故の発生しなかつた車両や歩行者との関係を考慮すべきではなく(当時、甲車・乙車以外の車両や歩行者が本件交差点に進入して来たという証拠はない。)、もつぱら事故の相手方である乙車との関係で被告人に徐行の注意義務を課するべきか否かにかかることは当然であり、そして、その注意義務の存否の判断をするには、原判決が右の第二の理由として挙げている諸事情を考慮しなくてはならない。この場合、因果関係ではなく、具体的な注意義務の有無が問題なのである。

そこで、原判決が被告人の過失を否定する理由として挙げる右の第二の点、すなわちいわゆる信頼の原則の適用について検討する。まず、交差点で右折する車両は、当該交差点において直進しようとする車両があるときは、その車両の進行妨害をしてはならない(法三七条)のであり、右の進行妨害とは、右折中に交差点内を通過することにより直進車の進路をふさぎ、そのために同車に急激な減速ないし一時停止又は進路の変更を強いることを意味する(法二条一項二二号参照)。したがつて、右折車は右折することにより右方からの直進車の進行妨害をすることになるおそれがある場合には、同車をやりすごすために交差点入口付近で停止すべきこととなり、その反射的効果として交差点内の通行順位において直進車は右折車より優位に立つのである。所論は、法三七条は直進車に「優先権」を与えたものではなく、直進車の故をもつて法四二条の徐行義務が免除されるいわれはないというが、右の徐行義務は徐行せずに車両が交差点に進入する場合に対右折車の関係だけでなく通常予測される各種の危険を避けるためのものであるから、交差点通過の安全性が確認されるまでは、直進車であるからといつて、弁護人主張のように法四二条の徐行義務が免除されるわけでないことはもちろんであるが、直進車と右折車の通行順位としては右折車が劣後する以上直進車が優位に立つものと考えるほかはないのであつて、少くとも、直進車の運転者としては対右折車の関係では相手車両が自車をやりすごすごとを期待することが許されるものというべきである。もつとも、相手車両が左方道路からの右折車である場合には、いわゆる左方車優先の原則(法三六条一項一号)との関係が問題になるのであるが、法三六条一項は、同条二項が適用される場合を除きながら、法三七条が適用される場合を除外していないので、条文の文言上、交通整理の行なわれていない交差点における直進車と左方道路からの右折車との通行順位につき、法三六条一項一号と三七条のいずれを優先的に適用すべきであるかが必ずしも明らかではない。しかしながら、右折車は右折のために当然に減速する必要があるのであるから、直進車と右折車を比較すれば、一般的に右折車の方が危険回避措置をとることが容易なのであつて、右折車はたとえ自車が左方車であつても右方直進車の進行妨害をしてはならないと解することが相当であり、そのように解することが道路交通の安全と円滑を図る法の目的にかなうところであると考えられる。したがつて、右のような場合には、法三六条一項一号を排して法三七条が適用されなければならない。そして、直進車が徐行しなかつたとしても、右折車が法三七条を遵守する以上は、両車の間に衝突事故が発生する危険性がないことは明らかである。

そうだとすれば、直進車の運転者としては、交通整理の行なわれていない交差点に進入しようとする際に、左方道路から交差点に進入し右折しようとする車両を認めても、特別の事情のないかぎり、同車が一時停止又は最徐行して自車に進路を譲ることを信頼して運転すれば足り、同車が法三七条に違反して自車の進路に進出して来ることまでをも予想して、徐行するなどの万全の注意を払つて進行すべき義務は負わないものと考えられる。ただ、このように直進車の運転者から対右折車の関係で徐行の注意義務を免除することにより、両車の衝突事故発生の危険性が著しく少ないとは認められなくなるとするならば、徐行の注意義務を免除することは相当でないのであるが、一般的に、右折車の運転者は法三七条を遵守するであろうと期待することが許されると考えられるのであつて、そうであるかぎり、直進車の運転者から対右折車の関係での徐行の注意義務を免除することにより、直進車対右折車の衝突事故発生の稀少性が一般的に損われるものとは考えることができない。また、直進車になお右の注意義務を課するとすれば、道路交通の円滑が著しく損われることになるという不利益も軽視することはできない。そして、本件においては、被告人が右折車である乙車に対して右のような信頼を寄せることが相当でないという特別の事情があるとは認められず、かえつて、前認定のような本件交差点における平素の交通事情ないし交通慣行や、甲道路が歩車道の区別のある舗装道路であるのに対し、乙道路が歩車道の区別のない簡易舗装道路ないし非舗装道路であることなどからすれば、前認定のように両道路から本件交差点に進入する車両の数自体には大差がなくても、甲道路は自動車交通の見地からは事実上乙道路よりはるかに重要な幹線道路としての機能を果たしているものと認められるのであつて、甲道路を直進した被告人が乙道路からの右折車である乙車に対して右のような信頼を寄せることは、このような事情からより一層是認されてよいものと考えられる。すなわち、本件において、いわゆる信頼の原則の適用を妨げる特別の事情と目しうるものは見出だし難いといわなくてはならない。結局、本件事故の原因はもつぱら千葉満男が右方の安全を確認しないまま右折しようとしたことにあるというほかはない。したがつて、本件において、直進車である甲車の運転者であつた被告人としては、本件交差点に進入しようとする際に、左方乙道路から本件交差点に進入して右折しようとしていた乙車を認めても、信頼を妨げる特別の事情がなく、かえつて前記のような事情のある本件にあつては、同車が一時停止又は最徐行して自車に進路を譲ることを信頼して運転すれば足り、同車が法三七条に違反して自車の進路に進出して来ることまでをも予想して、徐行するなどの万全の注意を払つて進行すべき義務は負つていなかつたものというべきである。

以上の次第で、原判決が被告人の過失を否定する理由として挙げる前記の第二の点は、これを首肯しうるのであつて、被告人に、当時とつた措置以上に、乙車との関係で徐行して安全を確認すべき周到な注意義務が存したとまで解するのは相当でなく、まして一時停止をして安全を確認すべき注意義務が存在したと解することもできないから、結局、被告人が法四二条一号所定の徐行義務に違反して時速約二〇キロメートルで進行した点は、本件事故の過失として評価することができず、他に本件事故につき被告人の過失を認めるに足りる証拠もない。したがつて、原判決には判決に影響を及ぼすような事実誤認ないし法令適用の誤りはないことに帰する。それゆえ、趣旨は理由がない。

よつて刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決をする。

(粕谷俊治 高橋正之 近藤崇晴)

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