札幌高等裁判所 昭和50年(行コ)10号 判決 1982年8月05日
第一審被告
北海道教育委員会
右代表者教育長
中川利若
右訴訟代理人
山根喬
同
上口利男
外五名
第一審原告
中ノ目新治
右訴訟代理人
新井章
同
広谷陸男
同
佐藤太勝
第一審原告
林貞晴
同
柴田有三
同
藤原彪
同
斉藤信義
同
紙谷昭緒
右五名訴訟代理人
佐藤文彦
同
彦坂敏尚
同
尾山宏
主文
本件控訴をいずれも棄却する。
控訴費用は各控訴人の負担とする。
事実《省略》
理由
一当事者間に争いのない事実
原判決請求原因一(当事者)、同二(本件懲戒処分の存在及びその内容)、同四(北海道人事委員会のした裁決)については当事者間に争いがない。
二昭和五〇年(行コ)第一〇号事件(中ノ目を除く第一審原告ら関係)
1 争いのない事実
第一審原告中ノ目を除く第一審原告らが加入している北教組は、昭和四〇年四月二〇日午後一時から全組合員の三割に当る組合員を動員して、総評の春闘第三波統一行動(本件統一行動)に参加するとの方針をたて、北教組夕張支部においても右の方針に従い、夕張地区労働組合協議会が主催する集会に参加するという形で右四月二〇日の本件統一行動に参加することにしたこと、中ノ目を除く第一審原告らは、同月一九日、本件統一行動に参加する目的で、同月二〇日午後一時から半日年休の休暇願を竹田教頭に提出したこと、右休暇願を提出した同月一九日は長尾校長が不在であつたため、同教頭は休暇を「承認」するかどうかの態度を保留し、翌同月二〇日朝出勤した長尾校長に休暇願の提出があった事実を報告したこと、これに対し、同校長は、同日朝の職員打合会において、同日の本件統一行動に関し、職務の厳正を期するよう指示した昭和四〇年四月一五日付第一審被告教育長通達及び職員団体の指令による一斉休暇闘争は地公法三七条一項により禁止された争議行為に該当するものであるからこれに参加するためと思料される年休は承認しないよう指示した昭和三九年二月三日付同教育長通達を竹田教頭に読み上げさせて、右第一審原告らを含む全職員に対し本件統一行動が違法であるとしてそれを周知させようとし、更に右第一審原告らの年休請求を不承認とし(時季変更権行使)、同願出書を右同人らに返還したこと、中ノ目を除く第一審原告らが、四月二〇日の午後半日夕張南高の職場を離脱したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
2 争議行為と年休権行使
(一) 労基法三九条一項、二項の要件が充足したときは、労働者は法律上当然に右各条項所定日数の年次有給休暇の権利を取得し、使用者はこれを与える義務を負うが、(1)労働者がその有する休暇日数の範囲内で具体的な休暇の始期と終期を特定して時季指定をしたときは、客観的に同条三項但書所定の事由が存在し、かつ、これを理由として使用者が時季変更権の行使をしない限り、右の指定によつて年休が成立し、当該労働日における就労義務が消滅する、換言すれば、休暇の時季指定の効果は、使用者の適法な時季変更権の行使を解除条件として発生するものであるが、(2)他方、労働者がその所属の事業場において、その業務の正常な運営の阻害を目的として全員一斉に休暇届を提出して職場を放棄・離脱するときは、その実質は年休に名を藉りた同盟罷業にほかならないから、その形式いかんにかかわらず、本来の年休権の行使ではないというべきであり、これに対する使用者の時季変更権の行使も不要であると解される(最判昭和四八年三月二日民集二七巻二号一九一頁、同二一〇頁。三・二判決)。従つて、いわゆる割休闘争の場合でも、前記業務の正常な運営の阻害を目的として休暇届を提出して職場を放棄・離脱するときは、右(2)の同盟罷業の実質を有する場合と同視してよいと解すべきことになる。
そうすると、中ノ目を除く第一審原告らの四月二〇日の年休に関する時季指定については、まずそれが前記(2)の実質的に年休に名を藉りた同盟罷業に該当するか否かを検討することが必要である。もし、それが肯定されるときは、前記(1)の時季変更権行使のための客観的要件の存否につき検討を加えるまでもなく年休成立の余地がないからである。
(二) そこで、中ノ目を除く第一審原告らによる四月二〇日の年休権行使が争議行為(同盟罷業)といえるか否かにつき検討を加えることとする。
(1) <証拠>によれば次の事実が認められる。
(イ) 昭和四〇年四月二〇日に、総評は春闘第三波統一行動を、公務員共闘会議はILO八七号条約批准に伴う関係国内法改悪阻止、団体交渉権の奪還、大幅賃上げ等を要求する全国統一行動を計画していたが、中ノ目を除く第一審原告らの加入している日教組、北教組も右統一行動の一環として要求貫徹集会を組織し、同日午後一時から組合員の三割を動員し、各地区労が主催する集会に参加することとした。右要求貫徹集会では、ILO条約闘争の経過と情勢につき学習を行ない組合員が的確にこれを把握すること、諸要求に関する決議をし、これを総理大臣はじめ関係当局に送付すること、団結の意思を固めることなどが主目的であり、その集会後は参加者によるデモ行進、街頭宣伝をして国民に理解を求めることとし、集会に参加する組合員は、当日学校管理規則の定める様式に従つた休暇届を提出して参加するというのが北教組の指示であつた。
(ロ) 中ノ目を除く第一審原告らは、北教組の指示する本件統一行動に参加することとし、休暇に伴う授業の振替・補充等が容易なように、休暇日の三日前(当時長尾校長は二日前までの届出を指示していた)である四月一七日の午前に、竹田教頭を通じて長尾校長宛四月二〇日の休暇願を提出したが、右五名のほか高教組所属の第一審原告中ノ目(物理担当)、蓮川教諭(社会担当)、三瓶教諭(商業担当)の三名と定時制の山本教諭(国語担当)も、右同日、本件統一行動に参加するための休暇願を提出した。長尾校長は、右休暇願が所定の様式に従つていないから提出し直すよう告げて右第一審原告ら九名に差戻した。そこで、右第一審原告ら九名は、四月一九日(四月一八日は日曜日)午前中に、所定の様式による四月二〇日の休暇願を竹田教頭を経由して再提出したが、右一九日には長尾校長が札幌市における北海道の校長会に出席し不在のため、四月二〇日朝、竹田教頭から長尾校長に右休暇願が提出された。その後の右同日朝の職員打合会の模様、同日午後の右原告らの勤務場所離脱(高教組所属の前記三名は就労している)の情況については前記1で説示した通りであるが、通常、教員は年休権を行使するときは、生徒のため、時間の空いている他の教員に代替授業をしてもらうとか、それができないときは自習用プリントを手配したりするのが一般であつたところ、第一審原告林貞晴は社会、同柴田有三及び同紙谷昭緒は数学、同藤原彪は商業、同斉藤信義は国語の各教科担当であり、右四月二〇日午後にはいずれも一時間宛授業を担当する時間割になつていたので、その授業時間には、同斉藤信義が国語の自習用プリントを印刷し国語担当の仲川教諭に指導を依頼したのをはじめとし、他の第一審原告らも、それぞれ右休暇時間中の授業につき、授業の組替え、自習課題印刷物の配布と指導を他の教諭に依頼するなどの手当を施して当日午後の統一行動に参加した。そして、当日日直当番である同藤原彪は前記集会を中座し、三時五〇分ころ帰校し、授業終了後に行われる職員打合会に出席したほか、他の第一審原告らも前記集会終了後帰校し、職員室で執務した。定時制の山本教諭の関係では授業に影響がなかつたことがうかがわれる(第一審被告の当審主張第二、一、2(二))。
(2) ところで、右四月二〇日の統一行動は、前説示の通り各職場組合員の三割を動員するというもので、前記のいわゆる割休に該当するものである。そこで、その面からの検討を行うこととする。
(イ) <証拠>によれば、右本件統一行動の行われた当時、北海道の公立学校教職員数は、四万五五六〇名、そのうち当時組合員であつた校長を含め北教組加入の組合員数は約三万三〇〇〇名であり、四月二〇日に年休権を行使して本件統一行動に参加した組合員は約六〇〇〇名(第一審被告の主張によれば全道で一四四七名)であつたことが認められる。これを夕張南高につきみると、<証拠>によれば、右昭和四〇年四月当時における同校の定時制を除く全職員数は六四名(定時制を含めて七六名)、教諭以上四九名(定時制を含めて五八名)、組合員は約二〇名であり、前記の通り四月二〇日の本件統一行動に参加したのは中ノ目を除く第一審原告ら五名(定時制を含めて六名)であつたことを認めうる。
そうすると、四万五五六〇名の道教職員が年間二〇日の年休を消化するとすれば、九一万一、二〇〇日の労働日が使用されることになり、日曜(五二日)及び祝日を除く年間勤務日数を便宜三〇〇日として計算すると、一日単位年休の場合一日平均約三〇〇〇余名、半日単位年休の場合一日平均六〇〇〇余名が年休権を行使することになるところ(定時制を除く夕張南校につきみると、六四名の全職員が年間二〇日の年休を消化するとすれば一二八〇日の労働日が使用されることになり、年間勤務日数を三〇〇日とすると、一日単位年休の場合一日平均約四、二六名、半日単位年休の場合一日平均約八、五名が年休権を行使することになる)、北教組が本件統一行動に参加するよう指示した組合員の三割とは約九九〇〇名ということになるが、実際に参加した人員は全教職員の約一三%に当る約六〇〇〇名(夕張南校では五名。定時制を含め六名)であつたというのであり、右事実からも明らかなように(第一審被告が主張するように現実の参加者が全道で一四四七名だとすれば一層それが顕著である)、いわゆる割休の場合、現実には組合の指示する通りの割合による動員が達成されることは必らずしも多くはないと推認できるのであつて、右事実を考慮すると、後記の通り教員の年休の場合事業の正常な運営の阻害の有無は単に年休権を行使する者の人数のみにより決することはできないが、一応人数の面から考察しても、北教組による三割の年休権行使の指示が異常であつて業務阻害を目的としたものであるとは直ちに断定することはできない。
(ロ) <証拠>及び前記(イ)で判断した通り本件統一行動への実際の参加者が北教組の指示した割合よりも少なかつた事実によれば、組合員の中には校長が年休を「不承認」とし又は北海道職員の職務に専念する義務の特例条例の職務専念義務免除を承認しなかつたため本件統一行動に参加しなかつた者が少なからず存在していたことが推認できるが(前記の通り現に中ノ目ら三名はとりやめている)、以上の事実に照らすと、北教組の本件統一行動に参加するための三割動員の指示が、校長が労基法三九条三項但書の要件が存在する場合に適法な時季変更権を行使した場合にも、各職場の組合員の三割が敢えて職場を離れて集会に参加することまでも指示したものであるとは認定することはできず、その他これを認めるに足りる証拠はない。
(ハ) <証拠>及び弁論の全趣旨によれば、北教組の指示に基づく本件統一行動に参加した者のうち殆んどの者が、年休を承認(時季変更権の不行使)され又は職務専念義務免除の承認を得ている(第一審被告の主張によれば、参加者一四四七名中一二七七名が右の承認扱いを受けていることになる)ことが認められる。右の事実によれば、右年休又は義務免の「承認」を得た人数の者の所属する学校の校長は、少なくとも右の者達の行為が争議行為に該当するものとは認めていなかつたことを意味する。
以上に認定した通り、北教組指示による要求貫徹集会の目的、年休権行使の規模・実態、本件統一行動参加者である右第一審原告らの年休中における授業についての手当の状況に照らすと、北教組による本件統一行動参加のための三割動員(三割休暇権の行使)の指示は、組合員の集会・デモ行進を目的とする年休権行使の指示であつて、業務阻害を目的とした年休権行使、換言すれば年休権行使に名を藉りた同盟罷業にほかならないものとは認めることができず、他にこれを肯定するに足りる証拠はない。
3 長尾校長の時季変更権行使とその効力
右2にみたように、中ノ目を除く第一審原告らの四月二〇日の年休権行使は争議行為(同盟罷業)とは認められないから、次に、右第一審原告らの年休権行使(時季指定)に対し、長尾校長が労基法三九条三項但書による時季変更権を行使したか、及びその時季変更権行使には客観的に同条項但書所定の事由が存在したか否かにつき検討する。
(一) 長尾校長が四月二〇日朝の職員打合会において、右第一審原告らの年休請求を「不承認」とし、その休暇願を同人らに返還したことは、前記1で説示した通り当事者間に争いがないが、右の不承認は要するに時季変更権の行使であると認めることができる。
(二) そこで、次に、右第一審原告らが請求した時季である昭和四〇年四月二〇日の午後に「有給休暇を与えることが事業の正常な運営を妨げる場合」に該当するか否かにつき見てみることにする。
(1) 右の「事業の正常な運営を妨げる」か否かは、当該労働者が所属している事業場を基準として判断すべきであり(三・二判決)、それは、事業場の事業の規模、その内容、当該労働者が担当している業務の内容・それが当該事業場の事業の中で占めている位置・程度、代替性及び代替者配置の難易、業務の繁閑、同時季における年休権行使者の人数、労働慣行等諸般の事情を考慮して、客観的かつ個別的、具体的に判断すべきであると解することができるが、右の場合、次の点が留意されるべきである。即ち、①まず右にみたように、それは当該労働者の所属する事業場を基準として決すべきものである以上、単に個々の労働者が担当している仕事としての業務の正常であることが阻害されるにとゞまらず(もちろん右業務が即事業場の事業であるとすべき場合はありうる)、当該労働者の所属している事業場の事業の正常であることも阻害される場合において、初めて時季変更権を行使することができると解することになる。けだし、労働者が年休権を行使することにより、その担当業務の正常な運営が、その程度に多少の差があるとしても必然的に阻害されることになるはずであるから、これを理由に時季変更権行使を許すとすれば、労働者の年休権行使を結果的に封ずることになるおそれがあり、この点からも前記のように解することが肯定されなければならない。②また、労働者は休暇の権利を有しており(憲法二七条二項)、しかも、労基法が休暇の時季決定を第一次的に労働者の意思にかゝらしめていること(三・二判決)に徴すれば、労働者が年休の時季指定をしたときは、使用者において当該時季に代替要員を確保したり、労働者の配置を変更したりして事業の正常な運営を確保するための可能な限りの手だてを講じたにも拘らずなお事業の正常な運営が阻害されると判断されるときに、はじめて時季変更権行使のための客観的要件である「事業の正常な運営を妨げる」事情が存在することになるというべきであつて、それらの努力を傾けることなくただ漫然時季変更権を行使することは許されないというべきである。③そして、右の「妨げる」場合に当るか否かは、使用者にとつて、将来の予測の問題なのであるから、時季変更権行使の時点において妨げる蓋然性があれば足りると解され、それありとして時季変更権を行使したところ結果的に事業の正常な運営を阻害しなかつた(例えば、時季変更が行使されたにも拘らず労働者が職場を離脱したところ、その後使用者の対策が効を奏したときなど)としても時季変更権が効力を生じないというものではない。
(2) そこで、これを本件についてみるに、第一審原告らの勤務していた夕張南校が前記事業場に該当することが明らかであるが、同校は生徒に対して高等普通教育及び専門教育を施すことを目的としており(学校教育法四一条)、<証拠>によれば、昭和四〇年当時同校には合計二六学級があり、同年四月二〇日には、一日六時間授業が行われ、前説示(2(二)(2)(イ)及び(1)(ロ))の通り、<証拠>によれば、昭和四〇年当時の同校の全職員数は七六名(定時制を除く人員は六四名)、数諭以上の職員数は五八名(定時制を除く人員は四九名)であるところ、同年四月二〇日午後半日の年休の時季指定をした第一審原告ら九名の者達はいずれも同校の教諭であり、前認定(2(二)(1)(ロ))の通りの各科目を担当して、同校の生徒の教育をつかさどつていた(同法五一条、二八条六項)ことが認められる。そして、<証拠>によれば、右九名の教諭中定時制の山本を除く第一審原告らは同日午後の授業(但し中ノ目を除く第一審原告ら五名は各一時限宛授業)を担当していたのであるから、右の者達が年休権を行使するときは、同人らの担当する業務である右授業が何らかの影響を受けることは否定できない。
しかし、前記(1)でみたように、そのことが夕張南校の事業の正常な運営を阻害するとまでいえるか否かについては、更に前記のその他の要件につき検討を加えることが必要である。
(3) 前説示(2(二)(1)(ロ))の通り第一審原告らは、四月の年休に伴う校長による授業の振替・補充等が容易なように三日前である四月一七日の午前中に年休願を提出したところ、長尾校長は、竹田教頭を通じて、右休暇願が所定の様式に従つていないとして提出し直すよう告げて右第一審原告ら九名に返還したことが認められるが、<証拠>によれば、長尾校長は、右第一審原告ら九名から四月二〇日までの間に同校長が指示した様式による休暇願の再提出が予想されるにも拘らず、右の者らの年休権行使が事業の正常な運営を妨げるか否かについての調査・検討をなさず、従つて代替授業の可否・代替教諭の確保等の対策を講じ又はそれらを行うよう竹田教頭に指示することも全くなかつたのみならず、反対に右九名の教諭と他の教諭間での話合いによる振替授業を禁止する旨を告げ、長尾校長自らは専ら道教育長からの指示を待つことに終始していたこと、そして、四月一九日には札幌市で行われた道校長会議に出席してその日は登校せず(<証拠>によると同日夕長尾校長が登校したかの如き記述があるが、前記各証拠に照らすとなお認めることは困難である)、四月二〇日の朝八時半ころまでに登校して、それまでに届いていた四月一五日付道教育長の「正常な学校運営の確保と教職員の服務について」と題する通達をみて、こゝにおいてはじめて、四月一九日に再提出した第一審原告ら九名の休暇願に対し時季変更権を行使する決意を固めたこと、そうした後に、竹田教頭に対し、右九名の同日午後の授業の有無を聞き、全員授業を持つているとの返答について、休暇届は承認できないから休暇願を返還するよう指示し、朝の職員打合会で前記通達及びそれが引用している通達を竹田教頭に読み上げさせたうえ、この通達の理由で休暇を承認できない旨を告げたことが認められ、右認定に反する証拠はない。ただ、<証拠>中には、四月一九日に、竹田教頭が教務課長に振替授業の可否を一応検討するよう命じ、第一審原告林貞晴については紙谷教諭による振替授業が可能であるが他の者については無理であるとして、前記休暇願用紙にエンピツでその旨記載して長尾校長に提出した旨の記載があるが、それが長尾校長の前記時季変更権行使に何らかの影響を及ぼし(第一審原告林貞晴に対しても時季変更権の行使をしている)又は同校長若しくは同教頭が前記九名の者達の年休権行使をできるだけ可能とするための努力をしたとの事実を認めるに足りず、その他これを認めるに足りる証拠はない。
(4) 他方、前記(3)説示の通り第一審原告ら九名は、校長の授業振替・補充等を考慮して休暇日の三日前に年休届を提出したほか、前記2(二)(1)(ロ)認定の通り中ノ目を除く第一審原告らは、四月二〇日午後担当の各一時間宛授業時間につき、右授業の振替、自習課題用印刷物の配付及びその指導を他の教諭に依頼するなど授業についての正常な運営を妨げないための措置を講じて本件統一行動に参加し、しかも当日日直担当の第一審原告藤原は集会の途中で帰校し、その他の第一審原告らも、集会終了後速かに帰校している事実が認められる。
(5) 第一審原告らが年休を取得したいとする四月二〇日以後には年間授業日数が多く存在していることは明らかであり、かつ、前記(2)及び(4)でみたように中ノ目を除く第一審原告らの担当する同日午後の授業時間は各一時間宛で短時間であつたこと、従つて、<証拠>によれば、その後の年間授業計画の中において右一時間の授業の回復は可能であると認むべきところ、前記(4)認定の通り中ノ目を除く第一審原告らは、更に年休権行使の生徒に及ぼす影響が少ないよう振替授業等の措置を講じていること、また<証拠>によれば、夕張南校においては、昭和四〇年当時、年休権行使教諭の担当科目についてはかなりの程度自習が行われていたこと、そして、<証拠>によれば、長尾校長は、四月二〇日午前一〇時四五分から一一時四〇分ころまでの時間に、前記年休の時季指定をした第一審原告ら九名を校長室に招集し、再度前記四月一五日付道教育長通達を読み上げ、右の者達の年休の時季指定の撤回ないし校長の時季変更権行使に従うよう説得したことが認められるが、同証拠によれば、右時間帯には右九名中の一部の教諭担当の授業があつたことが認められるから、長尾校長の右時間帯における招集措置は、それにより影響を受ける生徒の授業(右の授業につき振替等の措置がとられたことを認めるに足りる証拠はない)を後日の授業計画で回復することが可能であることを前提としているものと推測されること、
以上の各事実を認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。
以上に認定した事実によれば、高等教育及び専門教育を施すことを目的とする高等学校においては、生徒に対する授業は学校の事業中重要な地位を占めているというべきところ、仮に二六学級の授業中八又は九学級において本来の授業が行われず、振替授業も不可能であり又は効果的な準備がなされないまゝ自習名目で右時間が徒過されるに至つたとすれば、それは事業場としての高等学校の事業が正常に行われたものとはいゝ難いというべきであるが、本件夕張南校においては、定時制を除き四九名(定時制は九名)の教諭が勤務していたのであり、二六学級中八学級(前記の通り年休の時季指定をした九名中一名は定時制の山本教諭)の授業担当者が各一時間宛の授業に関する年休権を行使したとしても右授業時間につき振替授業が不可能であるとはにわかに肯定し難いというべきであるし(これが不可能であることの具体的事情については何ら主張も立証もない)、仮に振替授業が不可能で自習のほかない学級が生じたとしても、年休権を行使する教員は自習が効果的に行われるように準備をするのが通常だというのであり、現に中ノ目を除く第一審原告らのうち振替授業が困難であつた授業担当者はプリント配付等の手だてを講じており、しかもそれら振替又は自習分はその後の授業計画の中で回復することが可能であると認められるのであり(右の事情は同校の定時制においても同様であつて、定時制九名の授業担当者中一名の年休権行使につき<定時制において、四月二〇日に山本弘久以外の教諭が年休権を行使し、又は同人以外の教諭に同日何らかの支障があつたことを認めるに足りる証拠はない>、振替授業が不可能であつたとは認められず<前記甲イ第二六号証によれば、当時同校には国語担任教員がもう一名在勤していたことも認められるし、振替授業は本来の授業科目と同一であることを要しない>、仮に自習の止むなきに至つたとしてもそのための準備は時間的に可能であつたことが明らかである)、それにも拘らず長尾校長はそれらにつき調査・検討を加え、更に年休権行使を可能とするための手だてを講ずることをいずれも行わず、ただひたすら道教育長の指示を待つてそれに従い、漫然時季変更権を行使したというべきであり、これによれば、第一審原告らが四月二〇日の年休を取得することにより、夕張南校の事業の正常な運営を妨げる事情が存在していたということはできず、他にこれを肯定するに足りる証拠もない。
(三) 従つて、長尾校長の時季変更権の行使は、労基法三九条三項但書の事情が客観的に存在しないにも拘らずなされた不適法なものであつて、その効力を生じないというべきであつて、中ノ目を除く第一審原告らの年休の時季指定の効力は失われることがなく、従つてその就労義務は消滅していたものといわなければならない。
4 結論
そうだとすると、右中ノ目を除く第一審原告らが昭和四〇年四月二〇日午後一時から半日就労しなかつた行為は、地公法三二条及び三五条に違反するものではなく、従つて右各条項に違反し同法二九条一項一号及び二号に該当することを理由として右第一審原告らに対してした本件懲戒処分はその前提を欠く違法なものであるからいずれも取消されるべきである。
三昭和五〇年(行コ)第一一号事件(第一審原告中ノ目関係)
1 昭和四〇年五月一日、四日及び六日から八日までの年休権行使について
労働者がその有する休暇日数の範囲内で具体的な休暇の始期と終期を特定して時季指定をしたときは、客観的に労基法三九条三項但書所定の事由が存在し、かつ、これを理由として使用者が時季変更権の行使をしない限り、右の指定によつて年休が成立し、当該労働日における労働者の就労義務が消滅すると解すべきこと(三・二判決)は、前記二2(一)において説示した通りである。
そこで、中ノ目の前記昭和四〇年五月一日、四日及び六日から八日までの年休権行使(時季指定)とこれに対する長尾校長の時季変更権行使の有無及び効力について検討するに、事業の正常な運営を妨げる場合に関しては前記二3(二)(1)で説示したところにより決せられるべきであるし、右年休の時季指定及び時季変更権行使の経緯たる事実、労基法三九条三項但書の事業の正常な運営を妨げるべき事情の存否に関する判断については、次の通り訂正、付加するほかは、原判決二〇枚目裏一三行目から二六枚目表一一行目まで(原判決理由二(二)1)と同一であるからこれを引用する。
(一) 原判決二一枚目裏一一行目の「三時三〇分」を「四時」と改め、同二三枚目裏七行目の「証」の次に「の一、二」を、同二五枚目表二行目「まで」の次に「のうち同月二日は日曜日、同月三日及び五日は祝日、同月一日及び八日は土曜日で、就労しなかつたのは実質四日間にすぎず、そ」を、同行目の「授業は」の次に「合計一五時限であり、」を各加え、同二五枚目裏二行目の「午後」を「午前」と改め、同二六枚目表七行目「提出し」の次に「その時季指定をし」を加える。
(二) 同二五枚目表一一行目の「できない。」の次に左の通り加える。
「そして、<証拠>によれば、右五月一日から八日までの間において中ノ目の担当すべき一五時限の授業については、九時限分は振替授業が、その余は自習が行われたことが認められる。ところで、前記当審判決二3(二)(2)で説示した夕張南校における昭和四〇年当時の学級数及び教員数、原判決理由二(二)1(1)(原判決二一枚目表一行目から二二枚目表一三行目まで)の事実、<証拠>により、昭和四〇年一〇月中に同校の堀水旭が一週間ほどの期間年休権を行使し静岡方面に行つていると認められる事実、及び右各証拠のほか、<証拠>によれば、七月二七日にした中ノ目の年休権行使(時季指定)に対して、長尾校長が直ちに振替授業の可否を誠意をもつて調査・検討し、年休を与えることを可能とするために出来るだけの手だてを講じたとすれば、かなりの程度振替授業が可能であつたものと推認することができるにもかかわらず、同校長は右の措置をとることなく(これらの措置をとつたと認めるに足りる証拠はない)、漫然年休権行使の期間が長すぎる等として時季変更権を行使したことが認められるのである。そして、また、<証拠>によれば、昭和四〇年当時、授業担当教諭が年休権を行使した場合、その時間のすべてにつき振替授業がなされていた訳ではなく、かなりの時間数が自習によつてまかなわれていたことも認められる。」
そうすると、第一審原告中ノ目の五月の年休権行使に関する第一審被告の主張は理由がない。
2 昭和四〇年七月二〇日の年休権行使について
(一) 当事者間に争いのない事実
第一審原告中ノ目が、昭和四〇年七月一六日に、竹田教頭を介して同月二〇日の年休の休暇願を長尾校長宛に提出したところ、同校長は右教頭をして当日は支障がある旨中ノ目に告げさせて右願出書を返還したこと、同人は、七月二〇日午前八時ころ右と同様の休暇願を右校長に提出し、同日中勤務場所を離脱したこと、七月一六日には同月二〇日からの期末試験の時間割が発表されており、それによると中ノ目担当の物理の試験が第一日目の七月二〇日に四学級で予定されていたことはいずれも当事者間に争いがない。なお、右七月一六日に、長尾校長が竹田教頭をして、中ノ目に対し、七月二〇日に同人が年休を取得することには支障がある旨告げさせて休暇願を返した際に、同月二一日に変更してもらいたい旨も告げたか否かが当事者間で争いになつているが、使用者が時季変更権を行使する場合、単に労働者の指定する時季に年休を与えることができない(労基法三九条三項但書)旨を表示することで足り、他の時季まで示すことは必要ではないと解するから、右の点は重要な争点ではない。
(二) 時季変更権行使の効力
労働者がその有する休暇日数の範囲内で具体的な休暇の始期と終期を特定して時季指定をしたときは、客観的に労基法三九条三項但書所定の事由が存在し、かつ、これを理由として使用者が時季変更権の行使をしない限り右の指定によつて年休が成立し、当該労働日における労働者の就労義務が消滅すると解すべきこと(三・二判決)は、既に(前記二2(一)及び三1)説示したところである。
そこで、第一審原告中ノ目の昭和四〇年七月二〇日の休暇についての年休権行使(時季指定)とこれに対する長尾校長の時季変更権行使の有無及びそれが有効とされるための労基法三九条三項但書所定の事由の存否について次に検討する。
(1) 昭和四〇年七月一六日、第一審原告中ノ目が同月二〇日の年休を取得するために休暇願を提出し、これに対し長尾校長が、当日は支障がある旨告げて右休暇願を返還したこと、更に同月二〇日午前八時ころ、中ノ目が再び右と同様の休暇願を提出したことは、前記(一)の通り当事者間に争いがなく、更に中ノ目は右の中間である七月一九日にも右と同様の休暇願を提出した旨主張している。ところで、<証拠>中には、七月一九日に右書面を提出したとの記載部分があるが、それは<証拠>に照らし直ちに採用することが困難であるけれども、仮にそれが肯定されるとしても、既に五月の年休について記述の通り(原判決理由二(二)1(2))、以上の各年休の時季指定は、それぞれ次回の時季指定によつて撤回され、従つて時季指定の効果も消滅したものというべきであるから、結局右七月二〇日朝の年休権行使についてのみ時季変更権の有無を判断すれば足りるというべきである。そして、<証拠>によれば、中ノ目の右年休の時季指定に対し、長尾校長は承認できない旨告げたことが認められ、右の発言は、要するに時季変更権の行使と認めることができる。
(2) そこで、次に労基法三九条三項但書にいう事業の正常な運営を妨げる事情の存否につき検討するに、まず、その意義については、前記二3(二)(1)において説示したところによるべきである。
高等学校における期末試験等の定期考査は、学校にとつては、当該学期における授業の成果を知ると共に、それを生徒の次の学習向上の資料に用いることになるのであつて、学習評価に関する重要な学校事業のひとつに属するというべきであり、他方生徒にとつても、学業成績に影響を与える重要なものであることが明らかである。それ故、当該学期における勉学の成果が考査結果に正確に反映されるような状況下で試験が実施される必要がある。従つて、試験問題自体に瑕疵や印刷の誤りがあつてはならないことはもちろんであるが、現実には出題者において相当の注意を払つても誤りの生ずる可能性を否定しえないのであるから、出題教師は試験実施時間中在校し、又は試験実施中の教室を巡回して、必要に応じ生徒の質問に対し応答し若くは試験問題の誤字又は不鮮明部分を補正したりして、試験実施時間中の不測の事態に備えることが望ましく、とりわけ、教科科目担当者が一人である場合には、それが複数である場合に対比して、問題作成の過程において誤りを正す機会が少ないといえるし、教科目によつては、生徒からの質問に対し担当教員でない場合的確に対応するのが困難なことも少なくないはずであつて、右のような場合には、試験教科担当教員の在校する必要性はより大きいというべきである。
そこで、本件についてみると、<証拠>によれば、夕張南校における昭和四〇年度の第一学期期末試験は、七月二〇日から二二日までの三日間、全校的規模で同校の事業として一斉に実施されたことが認められるところ、第一審原告中ノ目が最初に七月二〇日の年休を与えるよう求めた同月一六日には、既に同月二〇日からの期末試験の時間割が発表されており、しかも同人担当の物理の試験が第一日目の二〇日に四学級で予定されていたことが前記の通り争いないのであるから、右の時点で、試験科目のひとつである物理の試験日を七月二〇日以外の日に振替えることは事実上不可能であるというほかなく、しかも中ノ目が夕張南校の唯一の物理担当教諭であることは前記の通り争いなく、かつ右科目は高校の教科のうちでも専門的な科目のひとつであるということができるから、試験実施時間中の右科目についての待機ないし巡回教員の代替性は極めて乏しいものというほかない。そして、<証拠>によれば、夕張南校の昭和四〇年度一学期末の定期考査の日程は一週間前の七月一二日生徒に発表しており、しかも当時同校では、出題教師が試験実施時間に在校し、又は試験実施中の教室を巡回して、必要に応じて生徒の質問に対し応答したり、試験問題の誤字又は不鮮明部分を補正したりするのが一般に行われており、そのため、同校では原則として担当教科の試験実施時間には出題教師を試験実施の監督者としない旨の取扱がされており、中ノ目も七月二〇日当日、三時限に一年A組の、四時限に二年E組の試験監督者に予定されていたことが認められ<る。>
以上の通り、夕張南校が昭和四〇年七月二〇日から二二日までの三日間に亘つて実施した第一学期の期末考査は同校にとり重要な意義を有する事業というべきであり、それは全校的規模で実施されたものであるところ、中ノ目の担当する教科である物理については初日の七月二〇日に四学級で実施される予定であつたが、右科目を担当する者の人員、科目内容、試験実施時における出題教員の役割、その代替性の有無・程度に関する前認定の各事業を考慮するときは、七月二〇日に第一審原告中ノ目に対し年休を与えることは夕張南校の事業である右定期考査の正常な運営を妨げる蓋然性があるというべきである。
(3) ところで、右の判断に関連して問題となる点につき、更に次の通り付言する。
(イ) 第一審原告中ノ目は、労・使間に時季変更権行使の要件である事業の正常な運営を妨げる事情の存否について見解の対立があつた場合には、労働者は自らの判断に従い就労しないことができ、その場合客観的に事業の正常な運営を妨げる事情が存在しており時季変更権行使が有効であつたときには、労働者は賃金請求権を失うにとどまり懲戒処分を受けることはありえないと主張する(同人主張1(二)(1))。しかし、労働者の年休の時季指定に対し、使用者が時季変更権を行使したうえで、これの有効なことを前提として、就労しなかつた労働者を懲戒処分したところ、右時季変更権行使の要件が存在しなかつたときには時季変更権行使の効力が生じないのであるからそれの有効であることを前提とする懲戒処分が取消されることになるのであつて、中ノ目主張のように単に賃金請求権存否の問題にとゞまると解すべき法律上の根拠はない。同人の主張は独自の見解で採用することができない。
(ロ) 第一審原告中ノ目は、第一審被告において、時季変更権行使を地公法三二条の上司の職務上の命令と同一に解しているが、それでは三・二判決の趣旨に反すると主張している(同1(二)(2))。しかし、使用者の適法な時季変更権の行使があつたときには、労働者たる公務員は職務に専念する義務(地公法三五条)が生じ、従つて上司の職務命令があるときはそれに従うべき義務があるところ、七月二〇日朝における長尾校長の中ノ目に対する年休を承認できない旨の意思表示は、時季変更権の行使であり(2(二)(1))、従つて、第一審被告は、長尾校長のした時季変更権行使が有効であることを前提として、中ノ目が右により生じた職務に専念する義務に違反した(地公法三五条、二九条一項二号)ことを理由として中ノ目を懲戒処分しているのであるから、客観的に時季変更権行使を有効とする要件が存在していたか否かの判断は別として(但し、本件において、その要件が存在していると認むべきことは(2)で前述した)、第一審被告の処分事由自体が三・二判決の趣旨に牴触することにはなりえない。
(ハ) 第一審原告中ノ目は、懲戒権の発生が問題となるのは、労働者が使用者の時季変更権を無視したことにより現実に事業の正常な運営を妨げる結果が生じた場合に限られるべきであると主張している(同1(二)(3))。しかし、事業の正常な運営を妨げる場合に当るか否かは、事前の蓋然性の判断によると解すべきことは前述の通りであつて(二3(二)(1))、右中ノ目の主張は採用できない。
(ニ) 第一審原告中ノ目は、出題教師の試験日における待機・試験場の巡回が必要な業務だとすれば、法令、規則又は通達等に何らかの規定が存在すべきところ、そのようなものが存在していないと主張する(同2(二)(2)(イ))。しかし、右業務につき法令等で規定することはその明確化のため望ましいことであるとはいゝえても、そのような規定が存在しなければならないということにはならず、現に前記(2)説示の通り、夕張南校では、昭和四〇年七月当時出題教員の試験時間における待機・試験場巡回が行われていたのである。
(ホ) 第一審原告中ノ目は、夕張南校では、昭和四〇年当時担当教科の試験日に出題教員が年休をとつた事例があるとして、三瓶、房崎、太田各教諭の例をあげている(同2(二)(2)(ハ))。しかし、<証拠>によれば、夕張南校では、昭和四〇年当時、試験の出題内容は各学年毎、各教科毎に調整して同一問題で行うことを原則とし、従つて教科科目担当者が複数の場合には試験実施時間の待機・巡回は最低一名の出題教師でも足りたところ、房崎教諭は英語担当で、同人を含め英語担当教員は六名、太田教諭は生物担当で同人を含めた生物担当教員は二名(この点については第一審原告中ノ目は明らかに争わないから自白したものとみなす)、三瓶教諭は商業科担当で同人を含め商業科担当教員は九名それぞれ在勤していたことが認められるのであつて、右教諭らが担当教科の試験実施日に年休を取得したとしても、物理担当教員が一名の中ノ目の場合と同一に解することはできない。なお、<証拠>によれば、右三瓶教諭の場合、七月二一日実施の試験科目「経営」は同教諭のみの担当教科であつたが、同教科は商業科中の一教科であつて、商業科担当の前記他の教員による代替性が大であつたことが認められ、右の認定に反する証拠はない。
(ヘ) 第一審原告中ノ目は、出題教員が試験実施中の教室を巡回するとしても、テストの客観性からいつて、そのできることは印刷不鮮明の訂正などの機械的処理に必要な範囲に限られるから、出題教員でなくとも試験場監督教員ですべて足り、生徒の質問に応答したり、特定の教室で試験問題について説明を行うことは公平を欠き混乱を招くこともありうるからむしろ避けるべきであると主張する(同2(二)(3)(ロ)及び(ハ))。しかし、<証拠>によつても明らかなように、試験問題作成に充分の注意を払つても、時には問題自体に誤りの存することも否定しえないのであるから、そのような場合には、試験実施後においても可能の限り速やかに発見し、迅速・適切に訂正等の措置をとり、勉学の成果が正常に考査結果に顕れるよう努めるべきものであつて、漫然と事後的に当該問題を採点から除外するとか、全員一律に一定点数を加算すれば足りるといつたようなものではないというべきである。
(ト) 第一審原告中ノ目は、教師にとつて、授業の時間よりも試験日の方がより年休を取得しやすいと主張している(同2(二)(3)(ホ))。しかし、以上に説示した通り出題教員の試験時間における待機又は試験場巡回の必要、出題教員の人数、教科内容の代替性の難易度等を考慮するときは、授業時間時よりも試験時間時の方がより年休を取得し易いとは一概に言い得ないというべきであつて、<証拠>中右認定に反する部分は採用できない。
(チ) 第一審原告中ノ目は、夕張南校における物理担当教諭が中ノ目一名であるから、同科目の試験日に年休を与えると同校の事業の正常な運営を阻害するということになるとすれば、同人は常に試験日に年休を取得することができないことになると主張する(同2(二)(3)(ヘ))。しかし、右のような結果に立ち至ることがあるとしても、それはやむをえないものというほかない(もちろん、試験実施期間中における各教科の割振りの段階では、予め科目担当教諭特に一教科一教諭の場合には、担当教諭の都合も可能の限り考慮して決すべきである)。ただ、実際には、三・二判決の趣旨に照らせば、年休はその利用目的により与えられるか否か(時季変更権行使の有無)が決せられるべきものではないが、年休権行使(時季指定)の事情によつては、通常は事業の正常な運営を妨げるものとして時季変更権を行使すべき場合でも、使用者はその行使を差控える運用を行うことが、社会常識にかない妥当である場合もありうると解されるにとゞまる。
(リ) 第一審原告中ノ目は、同人が年休権を行使して就労しなかつた七月二〇日には、大学区制・高校再編成反対全道集会が開催され、同人はそれに参加する必要があつたのであり、その年休権行使には緊急性がありかつ非代替的であつたと主張する(同2(二)(3)(チ))。しかし、<証拠>によれば、中ノ目主張の集会がその主張の通り開催され、同人がそれに参加したことが認められるが、本件全証拠によつても同人が右同日の集会に参加しなければならないこと、換言すればその非代替性の存在を認めることができない。
以上の通りであるから、七月二〇日に第一審原告中ノ目に対し年休を与えることは、夕張南校における事業の正常な運営を妨げる場合に当り、同人の年休権行使(時季指定)は、長尾校長の適法な時季変更権の行使によりその効力を失うに至つたものであり、従つて中ノ目は右同日就労すべき義務があつたものといわなければならない。そうすると、中ノ目が右同日職場を離脱した行為は、地公法三二条及び三五条に違反し、同法二九条一項一号及び二号に該当することが明らかである。
3 不利益取扱禁止の規定(地公法五六条)違背の有無
第一審原告中ノ目は、(1)同人の昭和四〇年五月の年休及び同年七月の年休取得のための年休権行使(時季指定)に対する長尾校長の時季変更権行使は、中ノ目の正当な組合活動を嫌つてなされた地公法五六条(不利益取扱の禁止)違反の行為であるから時季変更権行使としての効力が生ぜず、従つて第一審被告による本件処分は処分事由を欠く違法なものであり、(2)第一審被告は、右長尾校長の不利益取扱を支持し、そのために本件処分を行つたものであるから、本件処分それ自体も右地公法五六条に違反するから、本件処分は取消されるべきであると主張する。
<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。
(一) 長尾校長は、昭和三九年四月に夕張南校に赴任して来たが、同校の学校運営をかなり大幅に変更した。即ち、従来は校務分掌をはじめとする校内人事は教職員の希望を考慮して決められていたが、長尾校長の意向のみでそれが決められるようになり、主要な校務分掌は非組合員で占められ、組合員は学年担任からもはずされることが多くなつたほか、持上り担任制も採られないようになつた。ホームルームの担任についても右と同様になつた。従来道条例により制度化されていた組合用務のための職務専念義務の免除(義務免)請求につき、長尾校長は承認をしぶり、そのため組合員は年休権行使により組合用務を行うこととしたが、年休の利用目的を事細かく問いただしたため、組合用務のための年休権行使はしにくくなつた。他方組合が年休権を行使して集会を開催するとの風評があつた昭和四一年二月一四日に非組合員数名の年休権行使を「承認」した。また校内における組合員の会合を特定の部屋に限定した。なお、昭和四〇年一一月、同校の演劇部の創作劇「炭鉱(やま)は生きている」の上演を校長命令で禁止し新聞等の批判を受けたこともあつた。
(二) 他方、第一審被告の関係では次の事実が認められる。即ち、昭和四〇年四月二〇日の年休権行使の関係では、全道で中ノ目を除く第一審原告ら五名のみが処分されている(昭和五〇年(行コ)第一〇号事件第一審被告主張2(二))。昭和四〇年七月二〇日当日には、道議会で、夕張南校の調査担当道教委職員が、長尾校長らからPTA会費からの接待を受けたのではないかとの追及があり、教育長がほぼそれを認めざるをえなかつたことがあつた。昭和四一年三月第一審原告中ノ目は北見北斗、同林は砂川北、同柴田は斜里、同斉藤は厚岸水産各高等学校へ、同藤原は夕張南高定時制へ各配置換になり、昭和四二年四月長尾校長は苫小牧西高等学校校長に転出した。昭和四一年四月赤間小学校村田秀夫教諭は新十津川町立上尾白利加小学校に配置換の発令を受けたが、これにつき札幌地方裁判所は、昭和四六年一一月一九日思想信条を理由とする差別的処分であるとして取消し、それが確定した。道教育庁は、昭和四五年、「新任校における学校経営一か月のとりくみ」と題する九名の校長の手記を作成して全道立校長宛秘密文書扱いで配布したが、その内容には組合に対する不当労働行為に亘る事項がかなりの部分記載されており、新聞等の批判もあつて回収し、その後当時の教育長は辞任した。
以上の事実を認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。これらによれば、長尾校長又は第一審被告側が組合又は組合員による組合活動に対して、昭和四〇年当時好感情を有していなかつたことが推認でき、これに反する証拠はない。しかしながら、右の事実にも拘らず、前記2で説示した通り、七月二〇日に中ノ目に対し年休を与えることは(昭和四〇年五月の休暇に関する時季変更権行使が効力を生じないことは前記の通りであるから、七月二〇日の年休のみを問題にすれば足りる)、夕張南校の事業の正常な運営を妨げる場合に当ると客観的に認められるのであつて、中ノ目の同日の休暇についての時季指定に対し、長尾校長が時季変更権を行使したことは、組合活動にかかわりない場合であつてもこれを是認できるのであり、従つてこれをもつて地公法五六条にいう不利益取扱であるとすることはできない。そうだとすると、長尾校長の有効な時季変更権行使にも拘らず、職場を離脱し就労しなかつた中ノ目の七月二〇日の行為が地公法三二条、三五条に違反するとして、同法二九条一項一号、二号に基づき行つた第一審被告の本件処分が同法五六条に違反するとの中ノ目の主張は理由がない。
四以上の通りであるから、第一審原告中ノ目を除く第一審原告らの本訴請求はいずれも理由があるから認容し、第一審原告中ノ目の請求は結局理由がないから棄却すべきところ、右と結論を同じくする原判決は相当であり本件各控訴はいずれも理由がないから、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法三八四条によりこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき同法九五条、八九条を適用して、主文の通り判決する。
(安達昌彦 渋川満 喜如嘉貢)