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札幌高等裁判所 昭和51年(ネ)5号 判決 1978年3月29日

控訴人

小田利勝

控訴人

小田みえ

右両名訴訟代理人

山中善夫

被控訴人

オリエンタルコンクリート株式会社

右代表者

東善郎

右訴訟代理人

坂本建之助

主文

一  原判決主文一、二項を、左のとおり変更する。

(一)  被控訴人は控訴人ら各自に対し左の金員を支払え。

1  金三三七万八六九三円

2  金五七九万五六九三円に対する昭和四八年七月一七日から同年八月三一日までの年五分の割合による金員。

3  金三七一万八六九三円に対する昭和四八年九月一日から同年一一月三〇日までの年五分の割合による金員。

4  金三〇二万八六九三円に対する昭和四八年一二月一日からその完済に至るまでの年五分の割合による金員。

(二)  控訴人らのその余の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、第一、二審を通じて、これを三分し、その二を控訴人らの連帯負担とし、その余を被控訴人の負担とする。

三  この判決は、一の(一)に限り、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

第一本件事故の発生

請求原因(一)の事実(本件事故の発生)は当事者間に争いがない。

第二被控訴人の責任

一請求原因二の1の事実(亡猛の井上運輸部ないし被控訴人との関係及び被控訴人と清水基夫との関係)は、当事者間に争いがない。

二<証拠>によれば、次の1、2及び3前段の各事実を認めることができる。

1  被控訴人は、本件事故発生当時、本件事故現場において、東北自動車道を跨ぐ形で立体交差することとなる東北新幹線の橋台上に、プレストレス(ピアノ線一〇本を束にしたもの)九本を嵌め込んだコンクリート製の橋桁を据付ける仕事をしていたものであるが、被控訴人の現場責任者である訴外清水基夫は、本件事故発生の日の朝八時から、被控訴人会社の作業員による右据付けのための作業を指揮監督していた。右コンクリート製の橋桁は長さ約46メートル、高さ約2.8メートル、横断面の形状、寸法及びプレストレス導入位置は別紙図面記載のとおりのものであつて、重量は一四六トンあつた。そしてその両端の近くにはそれぞれその頭部が右橋桁の上表面において横方向に四〇センチメートルの間隔を置いて並立するような形で、各二個の桁吊上用鋼棒が埋め込まれていた。なお、右橋桁は、右立体交差点北側の東北新幹線敷地上で製作されたものであつて、本件事故発生当日の材齢は七日であり、右立体交差点上には、当時、被控訴人のエレクシヨンガーダー(甲第六号証の一の写真で、被控訴人の社名が見える装置)が架せられていて、右橋桁は、本件事故発生当日の前日までに右エレクシヨンガーダーの上に引き出されていたものである。

2  右作業は、東北自動車道を挾んで向い合う東北新幹線用の二個の橋台の、それぞれの上に設けられた門型橋桁吊下ろし装置によつて行われていた。右装置は、門型をした一種の巨大なクレイン機構であつて、その上部構造部には横方向に移動可能な車台があり、この車台から操り出されて該車台の上部の蝶番状の部分(ヒンジ部)に取り付けられた滑車で反転するようにして吊り下げられた左右二本のワイヤーロープの先端に、吊り金具が取り付けられており、この吊り金具を前記のような橋桁の両端近くに埋め込まれている桁吊上用鋼棒の頭部に引つ掛けて、油圧式ジヤツキの人力操作によつて右二本のワイヤーロープを伸縮することによつて橋桁の吊下ろし等を行なうことができるようになつているものである。右作業は、右装置を用いて先ず前記エレクシヨンガーダー上の前記橋桁を吊上げて、これを横に二メートル程移動したうえ、橋台の上方3.5メートルの位置から橋桁を橋台まで吊下ろしこれを橋台上に据え付けるものであつたが、橋桁が前記のとおり巨大な重量物であるため、その吊下ろしについては一作業行程において三〇センチメートル程度吊り下ろしては、その都度生ずる橋桁の傾斜(これは前記橋桁の、縦の方向の軸心を回転軸として生ずる傾斜をいうものである。別紙図面参照。以下「傾斜」というときは、専らかかる傾斜をいうものとする。)を修正し、再び三〇センチメートル程度吊下ろすという作業を繰り返し、同日午後二時五〇分頃第九回目の吊下ろし作業をした際には橋桁から橋台まで1.2メートルの距離を残す程度となつた。なお、右吊下ろし作業中に橋桁が傾斜したのは、(イ)前記橋桁には、その製作当初から僅かながら横そりがあつたこと、(ロ)日照の影響で橋桁に多少の変形が生じていたこと、(ハ)前記門型橋桁吊下ろし装置の車台上部の蝶番状の部分に取り付けられた滑車のピンの手入れが不十分であつたため、摩擦により右滑車の回転が阻害され、その阻害の程度が各滑車につき一様ではなかつたこと、(ニ)前記装置における前記油圧式ジヤツキ操作の不手際により前記左右二本のワイヤーロープの降下速度に、左右アンバランスがあつたこと等に因つた(但し、右(ハ)、(ニ)の原因は、一応の推定に止まる。)ものであるが、右のような原因で傾斜が一旦生じたときは前記のような形状をしている橋桁の自重の、傾斜方向へ分荷重がその傾斜を助長する働らきをしたものである。而して前記橋桁は、横の方向からの力に対する応力が弱く、傾斜して自重による偏心作用が起こると(橋桁の形状は、別紙記載のとおりであるから、右のような偏心作用は容易に起こり得たものと考えられる。)折損の恐れがあり、また橋桁が傾斜すれば、それを吊つている、前記の左右のワイヤーロープの片一方だけに過重の負荷が掛かり、そのため先ずそれが切断し、次いで残りの一方にも過重の負荷が掛つてそれも切断してしまうという恐れもあるので、前記橋桁が傾斜することは危険状態に陥ることを意味するものであつた。

3  ところが右第九回目の吊下ろし作業中、前記橋桁がかなり大きく傾斜したので、清水基夫はその修正を試みたが、そのままでは修正ができないことが判明した。そこで清水は橋台上に枕木を積んでこれをもつて橋桁を仮受けしたうえ、右傾斜を修正しようと考え、吊下ろし作業を中止するとともに、たまたま資材運搬のため付近に居合せていた亡猛に対し、枕木を積載していたユニーク車(ユニークと称する小さなクレー装置付きの貨物自動車。)を東北自動車道上の右橋桁の下の地点まで運転して来て同車のクレーンのアームを用いて枕木を橋台上に上げるよう指示した。橋桁の自重の、傾斜方向への分荷重が謂わば第二次的な傾斜原因として傾斜を助長するものであることは、前述のとおりであるが、橋桁の傾斜が大きくなればなる程それだけ、傾斜方向へのその分荷重が大きくなり、従つて増々傾斜が大きくなる関係にあるので、橋桁が傾斜したままの状態で時間をすごすことは、その間に更に傾斜の増大を招く恐れが多分にあつたものである。ところで清水基夫から前記のように指示を受けた亡猛は、同日午後三時一五分頃右橋桁の直下の地点を少し外れた場所に前記ユニーク車を運転して来て駐車させた。そのとき清水基夫は亡猛に対して「十分注意してくれ。」と言つた。亡猛は同所で同車のクレーンのアームに付いたブームを伸ばして橋台上(東北自動車道の路面から橋台上端までの高さは五メートル)に枕木を乗せれるかどうかをためしたのであるが、それが不可能であつたため、同車を右橋桁直下の位置に移動させて駐車した。右駐車位置は、前記橋台のうち南側東(東京方向側)のそれに最も近いところであつて、右ユニーク車の車側から右橋台までの水平面距離は二〜三メートル位、東北自動車道の路端までの距離は、東京方向を向いていた同車の前部では約五〜六〇センチメートル(車輪からのそれは約七〜八〇センチメートル)、同車後部では、その前部よりも若干狭く、而も同車後部付近の路面は約一〇センチメートル位の段差により路面の他の部分よりも低くなつていた。なお、東北自動車道の路端から右橋台に向つては勾配約三〇度の下り斜面となつていた。ところで亡猛は、前記ユニーク車を前記位置に駐車させてから、先ず、同車に積載してあつたアウトリーガー(ユニーク車がユニークのアームで荷を吊る際、車輪のタイヤに過度の荷重が掛からないようにするため、一種の突つ張り棒として、車体外側に逆L字型に取付ける装置)を取り出して、これを前記ユニーク車の運転台と荷台の中間に、左右各一個宛設置した。そして、被控訴人の作業員訴外及川謙二が前記ユニーク車の荷台に上つて積載してあつた枕木にかけられたロープをほどき、亡猛が前記ユニーク車の荷台横の道路上の前記南側橋台側の路端付近で、清水基夫がその反対側道路上で、恐らくはユニーク車の方を向いて、及川のほどき下ろしたロープを巻いていたとき、午後三時三五分頃、突然「ビシツ」という音がして、前記橋桁に亀裂がはいり、右清水が「危いぞ」と呼ぶと同時に「バリツ」という音響を発して橋桁がその中央で折損し、その一部が前記ユニク車の荷台の上に落下した。その際、前記の場所で前記の作業をしていた亡猛は、咄嗟の退避措置として同車の荷台の下にもぐつたが、落下した橋桁によつて圧し潰され、同車の下敷となつて亡猛は圧死(即死)した。前記橋桁の折損は、前記コンクリート製橋桁の傾斜増大による、その偏心作用に因つて前記橋桁にひびが入り、前記橋桁の両端部の前記桁吊上用鋼棒の首部が折れて、橋桁が回転したために生じたものである。

なお、<証拠>中、本件落下事故発生の際、亡猛はアウトリーガーを設置中であつた旨の部分は、前示<証拠>によると真実と合致していないものと認められる。他に前段の認定に反するような証拠はない。

三前記のような橋桁の吊り下ろし作業において、橋桁が傾斜することが極めて危険なものであることは、前判示のとおりであるが、<証拠>によれば、清水としては、それを充分に認識していたものと認められる。従つて、右清水としては前記橋桁の吊下ろし作業を実施するに当つては、その生起の予想された右橋桁の傾斜する場合に備えて、前記台部上に、橋桁の仮受け設備を迅速にしつらえるのに必要にして十分な枕木その他の器材を予め用意しておくべきであつたといわなければならないが(同人が橋台の仮受設備を設けるなどして事故の発生を未然に防止すべき注意義務のあつたことは当事者間に争いがない。)、前認定したところによれば、同人は右用意を怠つたものといわざるを得ず、また清水としては、亡猛に対し、かなり傾斜したまま吊下げられている前記橋桁の下で作業をさせるに当つては、単に、十分注意するようにと言うだけではなく、万一、橋桁が落下してくる場合に備えて、状況に即した適切で具体的な注意を与え、また、同人をして予め退避し易いような措置を講じて置かせるべきであつたといわなければならないが、前認定したところによれば、清水は亡猛が前記ユニーク車を橋桁直下から少し外れた地点に駐車させたときに、同人に対し「十分注意してくれ。」と注意をしたのみであつて、同人がその後橋桁直下の地点に入つて作業を始めても、同人に対して、時間の経過により、橋桁落下の危険が増大していることを知らせて注意するというようなことはせず、また橋桁落下に備えての対応措置(例えば、橋桁落下の場合において亡猛が外方に迅速確実に退避することができるようにするため、同人をして前記ユニーク車の駐車位置を若干横に移動させ、同車と路端との間隔にもう少し余裕をもたせるとか、或いは右同様の目的のために、路端側のアウトリーガーの設置を見合わせるとかの措置。)を構ずることもしなかつたものであつて、そのため亡猛は、橋桁落下の場合に対する心理的準備ないし退避措置の準備のないまま頭上から突然の橋桁の落下に見舞われ、前記のとおり圧死するに至つたものと認めることができる。

右のとおりであるから本件事故は、清水の過失によつて発生したものといわなければならない。

四右のとおりとすると、被控訴人は、民法第七一五条一項の規定により、その被用者である清水基夫が被控訴人の業務に従事中、即ち被控訴人の事業の執行に付き、その過失に因つて亡猛を死亡するに至らしめたことによつて生じた損害につき賠償する責任がある。

第三本件事故による損害

一亡猛の被つた損害と控訴人らによる亡猛の損害賠償債権の相続

(一)  亡猛の逸失利益

1 亡猛が本件事故にあつた昭四八年七月一七日当時満三一才の男子であつたことは当事者間に争いがなく、<証拠>による亡猛は昭和一六年一一月一七日生であつたことが認められる。亡猛の健康に問題があつたことを窺わせるような証拠はなにもなく、右年令の男子の平均余命は42.10才である(厚生省作成昭和四八年簡易生命表に拠る)ことは公知の事実というべきであるから、亡猛は若し本件事故にあわなかつたとすれば、控訴人ら主張のとおり向後三四年間、即ち同人が満六五才に達した後である昭和八二年七月一七日まで稼働して収入を得ることができたものと推認される。そうだとすると、同人は本件事故で死亡したことによつて右の得べかりし収入を失つたものといわなければならない。

2 亡猛の得べかりし賃金、賞与による純収入 金一六三二万七四〇四円

(1) 先ず、亡猛の得べかりし、賃金、賞与の額について考えてみる。

ⅰ <証拠>によれば、亡猛は、本件事故にあつた当時、井上運輸部の大型トラツクの運転手として働いていたものであることが認められ、同社の定年は五五才であることは当事者間に争いがないから、同人は本件事故にあわなかつたとすれば、井上運輸部に右定年まで(右定年なるものが満五五才に達したときに退職する趣旨なのか、それとも満五五才に達した日以降、満五六才に達する前の一定の日に退職する趣旨なのかは証拠上明らかでない。よつて、以下、計算の便宜上、亡猛が満五五才に達した後に来る、最初の本件事故発生月日の応当日即ち昭和七二年七月一七日を以つて井上運輸部を定年退職すべかりしものと想定する。)、即ち向後なお二四年間、右トラツク運転手として勤務することができたものと推認される。而して本件事故当時の亡猛の年収が金一四七万九七〇三円であつたことは、当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、井上運輸部における従業員の賃金体系は毎月支給される基準内賃金(これは基本給と基本給手当とからなり、基本給は固定給である。)とそれ以外の皆勤手当、休日出勤手当、家族手当等の諸手当からなり、ほかに年二回賞与が支給されることになつているが、亡猛の前示年収金一四七万七九〇三円は、亡猛の本件事故発生の日から遡つて一年間の年収をいうものであつて、そのうち金一八万円は賞与(昭和四七年一二月一六日に支給された金八万円と昭和四八年七月七日に支給された金一〇万円との合計金)であり、これを除いた賃金の月額は、基本給が金四万円であるほかは、一定しておらず、年間合計で金一二九万七九〇三円であつたことが認められ、従つて亡猛の右一年間の賃金の平均月額は、金一〇万八一五八円(円未満切捨)((1,297,903円÷12=108,158,58円‥)であつたことが計数上明らかである。

亡猛の井上運輸部における得べかりし賃金、賞与を算定するには、先ず右に判示したところを基礎にしなければならないことはいうまでもない。

ⅱ 控訴人らは、井上運輸部における亡猛の収入は、本件事故のあつた年から同人の定年に至るまで、毎年、前年比で少くとも一〇パーセント上昇する筈であつたと主張する。案ずるに、長期的に見ると、明治以来、殊に終戦以来、今日に至るまで、通貨価値が断続的に若しくは連続的に下落し、これに伴つて一般物価が次第に上昇して来たことは公知の事実であり、今後ともかかる傾向は多かれ少かれ続いていくものと考えられる。かかる通貨価値の下落のすう勢のもとにおいては、賃金給与所得者の昇給については、これを実質的所得の増加をもたらす昇給(以下、かかる昇給を「実質的昇給」という。)と然らざる昇給即ち貨幣価値の下落による実質的所得の減少を埋め合わせて所得の実質価値を維持するための昇給(以下、かかる昇給を「名目的昇給」ということにする。いわゆるベースアツプは、名目的昇給に近いが、必ずしも名目的昇給と同一ではなく、或る程度の実質的昇給も含まれる場合が多いと考えられる。)との二つの類型に分けて考察するのが当面の問題にとつて有益である。而して、亡猛のような賃金給与所得者の、将来において得べかりし所得を算定するに当つては、不法行為のときから口頭弁論終結のときまでにおいての得べかりし所得については、その間の確実視されるあるべかりし昇給は、それが実質的昇給は勿論のこと名目的昇給と雖も、これをそのまま加味して右所得を算定するのが相当である。蓋し不法行為による逸失利益が賠償されるべき場合、その算定は不法行為の時の現価に換算して一時払金としてなされるものではあるが、債権者に支払われるべき賠償金は、不法行為の時以降何程かその価値の下落したかも知れない判決言渡時の通貨を以つて支払われるものとみるべきだからである。固より通貨価値が下落したからといつて一定金額の債権が当然に名目的増額を来たすものではないことはいうまでもないが、これと右に述べたこととはなんら矛盾するものではない。蓋し右に述べたことは、ある債権の金額をいかにして適正に決定するかの問題であつて、一定金額の債権の名目的増額の問題ではないからである。

しかしながら口頭弁論終結のとき以降の将来に亘る得べかり所得を算定するに当つては、将来の確実視されるべき昇給が実質的な昇給であれば、これを加味すべきことは言うまでもないが、それが単なる名目的昇給にすぎないときは、これを加味すべきではないと思料する。蓋し不法行為による逸失利益が賠償されるべき場合、その算定は不法行為の時の現価に換算して一時払金としてなされるものであるがゆえに、仮令その支払は判決言渡時の通貨をもつてなされるものとみるべきだとは言え、右のような将来の名目的昇給まで加味することは、いわれなく債権者を利する結果を招いてしまうからである。

亡猛が死亡しなかつたとしたならば、あるべかりし同人の井上運輸部における昇給については、右に述べた見地に立つて、これを、同人の井上運輸部における定年までの勤務によつて得べかりし収入の算定上考慮することにする。

ⅲ 昭和四八年七月一八日から昭和四九年七日一七日までに得べかりし賃金、賞与

<証拠>によれば、井上運輸部では、本件事故発生後の昭和四八年一〇月に、基準内賃金を全従業員平均でそれまでの右賃金より五パーセント位昇給させ、更に昭和四九年三月に基準内賃金の昇給と諸手当の基準額の引上を行ない、その結果、全従業員につき平均で賃金月額が前月のそれに比し一五ないし二〇パーセント位昇給させたことが認められる。なお前示<証拠>には、井上運輸部は昭和四九年三月に「本給基準内を含めて全体で五パーセントの昇給をした。」との記載があるが、右記載部分は同号証の右記載の直下に「金額にして一〇、〇〇〇円より二〇、〇〇〇円昇給しました。」旨の記載があること及び<証拠>の記載並びに亡猛の前示の平均賃金月額の金額に照らすと、真実に合致した記載とは認め難く、<証拠>中の右記載同旨の部分も措信できない。而して<証拠>によれば、亡猛の勤務成績や技能は、井上運輸部における従業員の平均的なそれよりも、少くとも低いものではなかつたものと認められるので、亡猛も本件事故により死亡しなかつたとすれば、昭和四八年一〇月にその基準内賃金が五パーセント昇給になつたものと推認される。ところで亡猛の死亡当時の基準内賃金月額については、基本給月額が金四万円であつたことは前判示のとおりであるが、基本給手当月額についてはそれがいか程であつたかを適確に認定できるような証拠がないので、亡猛の死亡時の基準内賃金の月額は、右の金四万円であつたとせざるを得ない。従つて、右昇給により亡猛の基準内賃金二〇〇〇円だけ増額し、その賃金月額は金一一万〇一五八円(108,158円+2,000円=110,158円)程度になつたものと推認される。又前判示したところによれば、亡猛の賃金月額は昭和四九年三月に更に少くとも一五パーセント昇給になり、金一二万六六八一円(円未満切捨)(110,158円×1.15=126,681.70円)程度になつたものと推認される。

なお、前判示の事実によれば、亡猛は、本件事故により死亡しなかつたとすれば、その後も毎年賞与の支給を受け得たものと推認されるが、その年間賞与の額が前示金一八万円と比較して多寡いずれになつたかを確認できるような証拠はないので、その後の年間賞与の額も金一八万円と推認するほかない。

そうすると、亡猛が昭和四八年七月一八日から昭和四九年七月一七日までの一年間に得べかりし賃金、賞与は、昭和四八年、同四九年の各七月分については日割計算にして算出して、全部で金一五七万二一四五円(円未満切捨)()となる。

ⅳ 昭和四九年七月一八日から井上運輸部を定年退職する昭和七二年七月一七日までに得べかりし賃金、賞与

(ⅰ) 井上運輸部が昭和四九年四月以降本件口頭弁論終結のときまでに従業員の一般的な昇給を実施したことについてはこれを認むべき証拠はなく、却つて<証拠>によれば同社は少くとも昭和五〇年七月一六日までは従業員の一般的な昇給を実施していないことが認められる。

(ⅱ) <証拠>によれば、井上運輸部の就業規則付属の賃金規程には、前述の基準内賃金を年二回、本人の勤務成績、技能等を基準として三ないし五パーセントの間で昇給させる旨を定めていること、同社は右規定に則つて毎年春と秋に従業員の一般的昇給を実施する方針でいること、しかし過去においてそれを全く実施されなかつたこともあること(例えば、昭和四九年秋と昭和五〇年春には実施していない。しかし他方右所定の率よりも高率の一般的昇給を実施したこともある、例えば前示の昭和四九年三月の昇給)が認められる。これによれば、井上運輸部は今後、昭和七二年七月一七日までに、右賃金規定に定めるとおりの昇給を、確実に一〇〇パーセント実施するとは認め難いが、しかし相当の程度において、少くとも右賃金規定に定める程度の昇給を実施するものと推認され、従つて亡猛も存命しておればその昇給に与つたものと考えられる。しかし<証拠>によれば、右賃金規定所定の率、範囲の昇給は、物価上昇によつて実質賃金の価値が下落するのを防止するために行なう趣旨のものであることが認められ、事実、近時の一般消費者物価上昇のすう勢に鑑みるときは、仮りに右賃金規定所定の程度の昇給が毎年行われたとしても、実質的な賃金昇給とはならず、前述の名目上の昇給の域を出ないものと思料される。従つてⅱに説示したところに従い亡猛の得べかりし賃金の算定にはこれを加味しないことにする。

(ⅲ) <証拠>によれば、井上運輸部は、従業員二五名位を擁して運送業を営んでいる会社であつて、昇給の実施は、景気の動向、企業の業績に大きく左右されざるを得ない小企業であつて、同社が将来、右(ⅱ)で認定した昇給以外の実質的な昇給を実施するものと認めるべき確実な証拠はない。従つて、亡猛が本件事故により死亡しなかつたとすれば、定年に至るまで、控訴人らの前記主張のとおりに毎年その賃金が昇給され、賞与が増額されたであろうと認めることは困難である。

(ⅳ) そうすると、亡猛は本件事故により死亡しなかつたとすれば、昭和四九年七月一八日から井上運輸部を定年退職する昭和七二年七月一七日までの二四年間に毎年金一七〇万〇一七二円(126,681円×12+180,000円=1,700,172円)の賃金、賞与を得たものと推認される。

ⅴ 昭和七二年七月一七日に井上運輸部を定年退職してから満六五才になつた昭和八二年七月一七日までに得べかりし賃金、賞与

<証拠>によれば、亡猛の学歴は新制中学校卒業であつたことが認められるが、トラツク運転手であつた亡猛は、本件事故にあわなかつたとすれば、井上運輸部を定年退職後においてもやはり同社のような小規模の企業(サービス業以外のもの)に雇われて六五才まで稼働したであろうと推認される。ところで、労働省作成昭和五〇年度賃金構造基本統計調査報告(この記載内容は、労働省においては職務上顕著な事実と考えられるが、右報告書は一般に公表されているので、民訴法第二六二条による調査嘱託によつて入手するまでもなく、これを証拠資料となしうるものと解する。なお、逸失利益算定のために賃金統計を用いる場合には、ⅱの前段で説示したところと同じ理由により口頭弁論終結の日にできるだけ近い日現在のものを用いるのが相当であるが、本件の場合、右報告書がこれに当たる。)第八表昭和五〇年「パートタイム労働者を除く労働者の年令階級別きまつて支給する現金給与額、所定内給与額及び年間賞与その他の特別賞与額」産業計(サービス業を除く)によれば、同年六月三〇日現在において企業規模が一〇〜九九人の企業に雇用されている新制中学卒業の男子労働者であつて、年令五五〜五九才の者の年間給与合計額(きまつて支給する現金給与月額の一二倍に年間賞与その他特別給与額を合算したもの、以下同じ)は金一六八万九六〇〇円、同六〇才以上の者の年間給与合計額は、金一五〇万七三〇〇円であることが認められる。従つて亡猛は、本件事故により死亡しなかつたとすれば、井上運輸部を定年退職した後四年間は、毎年金一六八万九六〇〇円、その後の六年間は、毎年、金一五〇万七三〇〇円の収入を得ることができたものと推認される。

(2) 亡猛が本件事故で死亡しなかつたとすれば、稼働して得べかりし収入が前判示の程度のものであるとすると、亡猛は、前記稼働収入を挙げうべかりし、前示三四年間に互り、前記稼働収入を挙げるために各年の年収入の五〇パーセント程度を自己の生活費として費消したであろうとみるのが相当である。<証拠>には、亡猛が生前に収入中生活費として費消していた額が比較的少なく、収入の五〇パーセントに達していなかつたかのような記載があるが、<証拠>によれば、右書証は、右本人が亡猛の生前の話とか、亡猛の住んでいた寮に遊びに行つた際の見聞を基にして本件訴訟に備えて作成したものであるというのであるが、その内容が真実に合致しているものとはにわかに断じ難く、従つて同号証の記載により亡猛の生活費についての前認定を動かすことはできない。他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(3) そうすると、亡猛が本件事故により死亡しなかつたとすれば、得べかりし賃金、賞与による純収入は、昭和四八年七月一八日から昭和四九年七月一七日までの一年間は金七八万六〇七二円(円未満切捨){1,572,145円×(1−0.5)=786,072.5円}、昭和四九年七月一八日から井上運輸部を定年退職する昭和七二年七月一七日までの二三年間は、毎年、金八五万〇〇八六円{1,700,172円×(1−0.5)=850,086円}、昭和七二年七月一八日から亡猛が満五九才になつた後の昭和七六年七月一七日までの四年間は、毎年、金八四万四八〇〇円{1,689,600円×(1−0.5)=844,800円}昭和七六年七月一八日から亡猛が満六五才になつた後の昭和八二年七月一七日までの六年間は毎年金七五万三六五〇円{1,507,300円×(1−0.5)=753,650円}であつたということになる。なお、以下においては、計算の便宜と、逸失利益の算定はこれを控え目に行なうという趣旨から、右各年の純収入は、毎年七月一七日に、一年分を一括して挙げ得べかりしものとする。

(4)ⅰ そこで、前示(3)の亡猛の得べかりし毎年の純収入につき、ホフマン式計算方法(年毎方式)により年五分の割合による中間利息を控除して、本件事故発生時現在におけるその現価を算出すると、次のとおりとなる。

(ⅰ) 亡猛の昭和四八年七月一八日から昭和四九年七月一八日までの純収入については、金七四万八六三九円(円未満切捨)。

786,072円×0.952380(年5分の割合による1年分の単利年金現価率)=748,639.25円‥

(ⅱ) 亡猛の昭和四九年七月一八日から井上運輸部を定年退職する昭和七二年七月一七日までの純収入については、金一二三六万六四九三円(円未満切捨)。

850,086円×{15.499724(年5分の割合による24年分の単利年金現価率)−0.952380(年5分の割合による1年分の単利年金現価率)}=850,086円×14.5477344=12,366,493.47円…

(ⅲ) 亡猛の昭和七二年七月一八日から昭和七六年七月一七日までの純収入については、金一四五万四二六〇円(円未満切捨)。

844,800円×{17.221150(年5分の割合による28年分の単利年金現価率)−15.499724(年5分の割合による24年分の単利年金現価率)}=844,800円×1.721426

=1,454.260.68円…

(ⅳ) 亡猛の昭和七六年七月一八日から昭和八二年七月一七日までの純収入については、金一七五万八〇一二円(円未満切捨)。

750,650円×{19.553814(年5分の割合による34年分の単利年金現価率)−17.221150(年5分の割合による28年分の単利年金現価率)}−753,650円×2.332664

=1,758,012.22円…

(ⅴ)  被控訴人は、亡猛の年収の本件事故発生時における現価を算定するため、中間利息を控除するには、いわゆるライプニツツ式計算方法によるべきであると主張する。

思うに、不法行為に因り将来の得べかりし利益を失つたことによる損害の不法行為の時現在の価額を算定するため、中間利息を控除する方法として、ホフマン式計算方法によるべきか、ライプニツツ式計算方法によるべきかの問題は、将来において得べかりし利益を不法行為の時現在の価額として評価するには、いずれの計算方法によるのが、より合理的であり、より妥当であるかという問題である。問題の考察上、当然に前提としなければならないことは、民法上、不法行為に因る逸失利益の賠償債権についても、当該不法行為の日から同法所定年五分の割合による単利計算による遅延損害金が付せられ、複利計算によるそれは付せられないことになつていること及び逸失利益賠償の一時払金は、判決言渡後に支払われるものであるということである。周知のとおり、ホフマン式計算方法によつて中間利息を控除すると、債権者が一時払金として支払を受ける金額を元本とする年五分の利息額が得べかりし利益一年分を超えることがあるが、かかる結果を招くとすれば、その場合にホフマン式計算方法によつて中間利息を控除するのは不合理であるといわざるを得ないであろう。他方、不法行為の時以降、口頭弁論終結の時までの間の得べかりし利益につき、不法行為の時現在の価額を算出するのに、ライプニツツ式計算方法によつて中間利息を控除することにすると、右逸失利益賠償の一時払金に、民法に従つた前述の遅延損害金を加算したとしても、それが判決言渡後に支払われるものである関係上、債権者はその得べかりし利益を償うだけの賠償金を得ることができないという不合理な結果を招くことになる。右のような場合は、不合理な結果を招かないような計算方法を採用して中間利息控除を行うのが相当であることは言うまでもないが、右のような特殊な場合を除き、一般的に言えば、中間利息控除方法として、ホフマン式計算方法によるのとライプニツツ式計算方法によるのとどちらがより合理的であり、より妥当であるかは一がいには決し難い。蓋し将来の得べかりし利益の賠償として、一時払金の支払を受けた債権者は、一般的に言つて、これを単利で利殖していくものと見るべきだとか或いはこれを複利で利殖していくものと見るべきだとかを軽々に論定することはできないからである。なお、ライプニツツ式計算方法については、従来計算がむづかしいという難点が指摘されていたが、現在では、いわゆるライプニツツ式計数表が完成されているので、この難点は一応解消している。唯、次のように言うことはできる。中間利息控除をライプニツツ式計算方法によつてした場合は、ホフマン式計算方法によつていた場合よりも、一時払金が少くなるのであるが、逸失利益の算定のための基礎となる事実について、控え目な認定ないし処理をした場合に(本件においても、亡猛の逸失利益の算定において、計算の便宜のため已むを得なかつた点のほかは、原則として控え目な認定ないし処理をした。例えば、亡猛が年収入を挙げ得べかりし時期を毎年七月一七日としたこと、亡猛の生活費を年収入の半分としたこと、逸失利益算定途上の計算において円未満をすべて切捨てたこと等)、中間利息控除を、ライプニツツ式計算方法によつてするときは、賠償金額を過度に控え目にしてしまう懸念がある。又長期的に見た場合の通貨価値下落傾向については、前述のとおりであるが、このことを考慮すると、相当長期間に互る将来の得べかりし利益につき、中間利息を控除するには、一時払金の金額が少くなる計算方法を採るよりは、右金額が多くなる計算方法を採る方が、それが一応の合理性をもつ限り、望ましいということができる。これを要するに、中間利息控除をどのような計算方法で行なうかは、所詮、評価問題なのであるから、或る一定の計算方法をとることが明らかに不合理な結果を招く場合は格別、中間利息控除をホフマン式計算方法で行うかライプニツツ式計算方法で行なうかは、裁判所が、当該得べかりし利益の得べかりし時期、期間、その算定基礎の確実性ないし算定方法等を考慮して、その裁量によつてこれを決しうるものというべきであつて、当裁判所としては、本件においては、前判示のとおり、ホフマン式計算方法(年毎方式)によつて中間利息の控除を行うのが相当であると思料し、これによつた次第である。

ⅱ 前記ⅰの(ⅰ)ないし(ⅳ)に判示のとおりとすると、亡猛の得べかりし純収入の本件事故発生時現在の価額の合計額は、金一六三二万七四〇四円(748,639円+12,366,493円+1,454,260円+1,758,012円=16,327,404円)となる。<後略>

(宮崎富哉 塩崎勤 村田達生)

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